cdt6小学校の道徳教科書で、もっとも議論の対象となったのが6年生の教科書に掲載されている「星野君の二塁打」という教材である・・




 【星野君の二塁打】

 (打てる、きっと打てるぞ! )

 星野君は、強くバットをにぎり直した。

 (かんとくの指示は、バントだけれど、今は打てそうな気がするんだ。どうしよう……。)

 ピッチャーが第一球を投げ込んできた。星野君は反射的に、思いきりバットをふった。

 バットの真ん中に当たったボールは、ぐうんとのびて、セカンドとショートの間をあざやかにぬいた。ヒット!  ヒット!  二塁打だ。ヒットを打った星野君は、二塁の上に直立して、思わずガッツポーズをとった。この一打が星野君の所属するチームを勝利に導き、市内野球選手権大会出場を決めたのだ。

 その翌日も、チームのメンバーは、練習を休まなかった。決められた午後一時に、町のグラウンドに集まって、焼けつくような太陽の下で、かた慣らしのキャッチボールを始めた。

 そこへ、かんとくの別府さんが姿を現した、そして、

 「みんな、今日は少し話があるんだ。こっちへ来てくれないか。」

 と言って、大きなかしの木かげであぐらをかいた。

 選手たちは、別府さんの周りに集まり、半円をえがいてすわった。

 「みんな、昨日はよくやってくれたね。おかげで、ぼくらのチームは待望の選手権大会に出場できることになった。本当なら心から、『おめでとう。』と言いたいところだが、ぼくにはどうも、それができないんだ。」


・星野君の二塁打



 別府さんの重々しい口調に、選手たちは、ただごとではなさそうなふんいきを感じた。

 別府さんは、ひざの上に横たえたバットを両手でゆっくり回していたが、それを止めて、静かに言葉を続けた。

 「ぼくが、このチームのかんとくになる時、君たちは、喜んでぼくをむかえてくれると言った。そこでぼくは、君たちと相談して、チームの約束を決めたんだ。いったん決めた以上は、それを守るのが当然だと思う。

そして、試合のときなどに、チームの作戦として決めたことは、絶対に守ってほしいという話もした。君たちは、これにも気持ちよく賛成してくれた。そうしたことを君たちがしっかり守って練習を続けてきたおかげで、ぼくらのチームも、かなり力が付いてきたと思っている。だが、昨日ぼくは、どうしても納得できない経験をしたんだ。」

 ここまで聞いた時、星野君はなんとなく

 (これは自分のことかな。)

 と思った。けれども自分がしかられるわけはないと、思い返した。

 (確かにぼくは昨日、バントを命じられたのに、バットをふった。それはチームの約束を破ったことになるかもしれない。しかしその結果、ぼくらのチームが勝ったじゃないか。)

 その時別府さんは、ひざの上のバットをコツンと地面に置いた。そしてななめ右前にすわっている星野君の顔を、正面から見た。

 「はっきり言おう。ぼくは、昨日の星野君の二塁打が納得できないんだ。バントで岩田君を二塁へ送る。これがあの時チームで決めた作戦だった。星野君は不服らしかったが、とにかくそれを承知した。いったん承知しておきながら、勝手に打って出た。小さく言えば、ぼくとの約束を破り、大きく言えば、チームの輪を乱したことになるんだ。」

 「だけど、二塁打を打って、このチームを救ったんですから。」

 と、星野君のヒットでホームをふんだ岩田君が、助け船を出した。

 「いや、いくら結果がよかったからといって、約束を破ったことに変わりはないんだ。いいか、みんな、野球はただ勝てばいいんじゃないんだよ。健康な体を作ると同時に、団体競技として、協同の精神を養うためのものなんだ。ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ。」・・

・詳細は(source: プレジデントオンライン - 監督の"打つな"を無視した野球少年の末路


星野君の二塁打
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・道徳の教科書に載せる題材ではないと思います
このルールはあくまでもその野球チームのルールだからです
プロ野球の4番バッターもバントをさせられる事があります。このバントのサインを守らなかった選手は私の記憶の上では存在しておりません.世の中にはルールがあります.それはそのシチュエーションに応じた様々なものです。人々が生活する上で安全に楽しく仲良く幸せに生きていって欲しいと思う願いが込められているものが大半す。学校の校則では納得のいかないものもあるでしょう 髪型 制服の着方など誰も不幸にならない事は、どんどん変えていくべきでしょう。自由と好き勝手とあります ルールの中、その大枠で自由に行動する事と、大枠を外れ好き勝手に行動する場合、誰かに迷惑がかかることになります もし、誰にも迷惑がかからない場合はそのルールを変えれば良いだけです 時代の変化に沿って必要な事は変えていくべきことと思います

・結果としてチームが勝ったからいいものの、もし星野君がヒットを打てず負けていたら、「なぜ監督の指示を無視したんだ」とみんなから責められるのはおのずとわかる。
監督が責任者であり、負けた責任も監督にある。選手一人一人を擁護するためにも監督の指示に従う意味はあるんだと思う。
「集団の中では上の者の指示に従わなければならない」という価値を押し付けるのではなく、「原則として指示に従うが、不服があれば集団として上の者と相談して結論を出す」ということを教えるのが大事なんじゃないかな。
宮川選手の話はどちらかというと、善悪の判断の話と思うので、引き合いに出すのは違う気がする。

・大事な部分を端折って誤解を生んでいるのはよくない。
大人であれば、ある程度背景を考えて省略しても理解できることでも、ものごとを多角的に捉えられるかどうか分からない状況で情報を勝手に端折っても、分かるどころか不満が残るだろう。
個々のケースとして、その不満をエネルギーに変えさせて能力を引き出すための手段ならまだしも、教科書でこれはどうだろうね。

個人的には、実際こういうことになった場合、

「今回こういう形にはなったけど、本人も反省しているようだから、今回だけは大目に見よう。でも、次はないから、こういう経緯を後輩たちに伝えていってもらいたい」

ということにするやろうな。

・これは難しい。野球の監督の特性を理解できていないと納得できない子供はいると思う。他のスポーツではある程度監督がチームの形を決めた後、試合では選手が自ら考えて時に決まり事を無視してでも自分の判断や決断に責任を求められる場合もある。

見方を変えれば『手段』と『目的』が逆転する典型の例にされる案件。

・作成された当時は、分かり易いように、野球を舞台にしたのだと思いますが、現在の教科書に載せるには少し工夫が必要なのでは。
要は、民主的に決めた「監督の指示に従う」と言う、たった一つのルールを破った事を、監督はみんなに問いているのです。
民主主義の根幹を壊しても、結果が良ければいいと言う間違った考えを改めさせるのと、民主主義とはどのようなものなのかを、子供たちに気づいてもらいたいのだと思います。


・小学校道徳DVD 誇れる自分になるために 第1巻 自分をみつめて