【訪問日】 西暦2008年10月25日

【場 所】 大分県竹田市大字神原

【祭 神】 健男霜凝日子神

 健男霜凝日子神社の上宮は、大分県と宮崎県の境界にそびえる標高1756mの祖母山山頂に鎮座する。延喜式神名帳に「豊後國 直入郡 一座小 健男霜凝日子神社」とある古社で、江戸時代までは嫗岳大明神、鵜羽明神、祖母山大明神などとも呼ばれていた。健男霜凝日子は勇猛な男神で風除、雨除、天候を司る神とされ、五穀豊穣を願い祖母山麓をはじめ大野川流域などでも広く祀られた。
 祖母山は古くは添山、もしくは添利山(ソホリヤマ)と呼ばれていたというが、祖母山の名がついた云われとして、神武天皇東遷の折、豊後水道(一説には関門海峡)で時化にあい、添利山のある西南を望見して「彼の山は我が祖母の神霊の在すところなり。希く神威顕現して、海苦を鎮め、皇孫の危難を救護せよ」と唱えたところ、たちまち波が治まり静かになったことから祖母山と呼ぶようになったという。かつては九州の最高峰と考えられていた。
健男霜凝日子神社上宮-1
山頂にある健男霜凝日子神社上宮の石祠。明治二年に当時の岡藩知事従五位中川久成が宮内大亟従五位小河一敏と共に建立させたもので、縦ニ尺五寸、横三尺三寸の大きなもの。明治四年辛未五月。岡県知事従五位源久成書、従五位宮内大亟藤原朝臣一敏此礎石を献じたと刻まれている。
健男霜凝日子神社上宮-2

山頂には外にも石祠がある。祖母山を祀る神社は祖母山の麓の豊後(大分県)側、日向(宮崎県)側、肥後(熊本県)側に広く跨り、祖母山頂を上宮としている。豊後側では主祭神を健男霜凝日子とし豊玉姫などを配しているが、日向側では彦火火出見尊、豊玉姫命としており、かつては狭い山頂の敷地や参道途中の鳥居などをめぐっても豊後・日向双方の社領争いがあったそうだ。
健男霜凝日子神社上宮-3


※参考 【健男霜凝日子神社(下宮)】
    【健男霜凝日子神社(神幸所)】
    【穴森神社】


人気ブログランキングへ ←もしよければクリックお願いします