【訪問日】 西暦2008年11月23日
【場 所】 大分県大分市大字下郡二七六四番地
【祭 神】 健男霜凝日子大神、豊玉姫命、彦五瀬命
大分市の霜凝神社は下郡小学校の西、JR豊肥線の踏切を渡ってすぐのところに鎮座する。健男霜凝日子大神、豊玉姫命、彦五瀬命を祀る。竹田市神原に鎮座する【健男霜凝日子社】から勧請されたものと思われ、「下郡(しもごおり)」の地名の由来ともなっている。

【場 所】 大分県大分市大字下郡二七六四番地
【祭 神】 健男霜凝日子大神、豊玉姫命、彦五瀬命
大分市の霜凝神社は下郡小学校の西、JR豊肥線の踏切を渡ってすぐのところに鎮座する。健男霜凝日子大神、豊玉姫命、彦五瀬命を祀る。竹田市神原に鎮座する【健男霜凝日子社】から勧請されたものと思われ、「下郡(しもごおり)」の地名の由来ともなっている。

境内入ってすぐの石灯篭は文政十年建立。

境内入ってすぐの「霜凝神社復興百年祭事竣工記念銘」によると、創始は貞観十一年(869年)頃とされ、はじめ現社地より東の権現山(現在敬老公園がある辺り)に鎮座していたが、建久四年(1193年)に現社地に遷座、天正十四年(1586年)に島津軍の豊後侵攻の際に戦火で社殿焼失後、慶長四年に霜凝神社として再建復興したとされている。また明治二十三年(1890年)には摂社天満社からの失火で社殿悉く焼失し、明治二十六年(1893年)に社殿を再建したとある。平成三年(1991年)には明治の復興から百年を前にして老朽化した社殿改築造営が発議され平成六年に竣工した。この際、造営資金を得るために宮地として管理していた御旅所跡地の獅子ヶ鼻の土地が売却されている。なお、元の宮地である敬老公園のあたりには現在【石鎚神社】が鎮座している。

拝殿内部の天井は様々な絵柄の天井絵で彩られている。

本殿は銅葺屋根の一間社流造。

本殿の脇障子。正面向かって右手は獅子、左手のものは豹?

摂社の鵜戸神宮別宮。もとは昭和十四年に大分海軍航空隊が津留地区に開隊した折に奉安された御社「大分海軍航空隊神社」で、戦時中には第五航空艦隊「神風特別攻撃隊」の攻撃成功を祈願し若き隊員が祈りをささげた社である。昭和二十年三月十八日の空襲時に戦火を避けるため牧地区の山中にあった司令部前に遷座したが、今日の平和と繁栄が特別攻撃隊員たちの尊い命と引き換えにもたらされたことを長く後世に継承し歴史の重みを再認識するため、平成七年九月十三日霜凝神社の摂社としてこの地に御社を建立し鵜戸神宮の鵜萱草葺不合尊を祭神として勧請した。
このほか境内末社として天神社(祭神:菅原道真大神)、宮地嶽社社(祭神:宮地嶽三柱大神)、大将軍社(祭神:保食神)の祠がある。

御神木のむくの木。説明書きには、当社がもとは権現山に鎮座していたが天正十四年(1586年)に島津軍の豊後侵攻の際社殿焼失し、慶長年間に御旅所であった現社地に社殿を再建し神殿裏のむくの木を御神木とした と書かれており、復興百年祭事業竣工記念銘に書かれてある内容と若干食い違う。

鉄筋コンクリート瓦葺入母屋造の拝殿正面は向拝に千鳥破風が乗る。屋根の両サイドには逆立ち獅子。

境内に建つ「平和の礎」碑。先の大戦では当時二百五十戸あまりの下郡地区からも百五十余名の若者が下郡神社から住民に見送られ戦場に赴き、五十余名が命を落とした。戦没者の遺徳を偲び恒久平和を希求する証としてこの碑が建てられた。

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境内入ってすぐの「霜凝神社復興百年祭事竣工記念銘」によると、創始は貞観十一年(869年)頃とされ、はじめ現社地より東の権現山(現在敬老公園がある辺り)に鎮座していたが、建久四年(1193年)に現社地に遷座、天正十四年(1586年)に島津軍の豊後侵攻の際に戦火で社殿焼失後、慶長四年に霜凝神社として再建復興したとされている。また明治二十三年(1890年)には摂社天満社からの失火で社殿悉く焼失し、明治二十六年(1893年)に社殿を再建したとある。平成三年(1991年)には明治の復興から百年を前にして老朽化した社殿改築造営が発議され平成六年に竣工した。この際、造営資金を得るために宮地として管理していた御旅所跡地の獅子ヶ鼻の土地が売却されている。なお、元の宮地である敬老公園のあたりには現在【石鎚神社】が鎮座している。

拝殿内部の天井は様々な絵柄の天井絵で彩られている。

本殿は銅葺屋根の一間社流造。

本殿の脇障子。正面向かって右手は獅子、左手のものは豹?

摂社の鵜戸神宮別宮。もとは昭和十四年に大分海軍航空隊が津留地区に開隊した折に奉安された御社「大分海軍航空隊神社」で、戦時中には第五航空艦隊「神風特別攻撃隊」の攻撃成功を祈願し若き隊員が祈りをささげた社である。昭和二十年三月十八日の空襲時に戦火を避けるため牧地区の山中にあった司令部前に遷座したが、今日の平和と繁栄が特別攻撃隊員たちの尊い命と引き換えにもたらされたことを長く後世に継承し歴史の重みを再認識するため、平成七年九月十三日霜凝神社の摂社としてこの地に御社を建立し鵜戸神宮の鵜萱草葺不合尊を祭神として勧請した。
このほか境内末社として天神社(祭神:菅原道真大神)、宮地嶽社社(祭神:宮地嶽三柱大神)、大将軍社(祭神:保食神)の祠がある。

御神木のむくの木。説明書きには、当社がもとは権現山に鎮座していたが天正十四年(1586年)に島津軍の豊後侵攻の際社殿焼失し、慶長年間に御旅所であった現社地に社殿を再建し神殿裏のむくの木を御神木とした と書かれており、復興百年祭事業竣工記念銘に書かれてある内容と若干食い違う。

鉄筋コンクリート瓦葺入母屋造の拝殿正面は向拝に千鳥破風が乗る。屋根の両サイドには逆立ち獅子。

境内に建つ「平和の礎」碑。先の大戦では当時二百五十戸あまりの下郡地区からも百五十余名の若者が下郡神社から住民に見送られ戦場に赴き、五十余名が命を落とした。戦没者の遺徳を偲び恒久平和を希求する証としてこの碑が建てられた。
