【訪問日】 西暦2011年1月8日

【場 所】 大分県大分市大字奥田明碩2-1

【祭 神】 菅原道真公、足仲彦命

 大分市奥田の明磧(あけがわら)天満社は、国道442号が大分川をまたぐ明磧橋の左岸下流側に鎮座する。もとは奥田字蛇堀(じゃぼり)106番地に鎮座していたが、昭和三十七年(1962年)に県道大道明磧線新設に際して現社地に遷座した。遷座前の社地には樹齢約380年の大杉が神木として立っていたそうで、このことから永禄年間頃(1558〜1569年)の創建と考えられている。
明磧天満社(大分市奥田)-1


 明磧の名の由来として、川向こうの上宗方に大明神が祀られていたため、その一帯の川原を「明(みょう)がわら」と呼んでいたが、ここに橋を架ける際にその名をとり「明磧橋」とした。このとき漢字の読みが「みょうがわら」よりも「あけがわら」のほうが読みやすく綺麗であるとのことでいつの間にかあけがわらという読み方が定着した。上宗方の対岸の当神社一帯はもとは蛇堀という地名だったが、橋をかけた後に橋の名前をとって町の名前にまでなってしまったそうだ。

鳥居をくぐり境内に入ってすぐ左手にある手水鉢。
明磧天満社(大分市奥田)-2


現社殿は北向き。遷座前の社殿は当初南向きの村道に面し、昭和十四年には県道に面する西向きに変えたそうだ。拝殿は瓦葺入母屋造平入で開放的。格天井には鮮やかな天井絵が奉納されている。
明磧天満社(大分市奥田)-3


拝殿前の獅子狛犬。昭和七年四月の建立。
明磧天満社(大分市奥田)-4


本殿は銅板葺屋根の一間社流造。
明磧天満社(大分市奥田)-5


境内北側奥に菅原道真を祭る神社につきものの撫牛。
明磧天満社(大分市奥田)-6


境内南側には石殿や石仏を納めた石祠なども安置されている。
明磧天満社(大分市奥田)-7

明磧天満社(大分市奥田)-8


社殿背後に立つ「紀元二千六百年記念 社宇造營之碑」。昭和十五年の紀元二千六百年記念行事に併せて社殿を西向きに変え社務所を併設した際に建てられたもの。
明磧天満社(大分市奥田)-10


境内南東の裏通り沿いに立つ石鳥居。旧社地から移設したものだそうだ。
明磧天満社(大分市奥田)-9






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