【訪問日】 西暦2011年11月4日
【場 所】 熊本県玉名市繁根木73
【祭 神】 宇迦之御魂神
繁根木稲荷神社は 【繁根木八幡宮】のすぐ北の「稲荷山」上に鎮座する。最近参道の整備がされたようで、参道階段や法面が綺麗になり、鳥居の朱もあざやか。参道登ったところの大きな樟も枝がかなり切られたようだ。

【場 所】 熊本県玉名市繁根木73
【祭 神】 宇迦之御魂神
繁根木稲荷神社は 【繁根木八幡宮】のすぐ北の「稲荷山」上に鎮座する。最近参道の整備がされたようで、参道階段や法面が綺麗になり、鳥居の朱もあざやか。参道登ったところの大きな樟も枝がかなり切られたようだ。

参道を登ると稲荷神の使いの可愛らしいお狐様。


参道まっすぐ正面に社殿。

繁根木稲荷はもとは繁根木八幡宮の神宮寺であった寿福寺支配下の末社 稲荷堂で、室町時代にはすでにこの地に鎮座していたようである。
繁根木稲荷が鎮座する稲荷山は6世紀頃に築かれた玉名最大の前方後円墳の前方部分にあたるそうで、稲荷山古墳として史跡になっている。後円部は東側のもと寿福寺(明治の始めに廃寺)境内部分に相当するが、寿福寺を建てるにあたり削平されており原形をとどめていない。
小ぶりな流造の社殿。

繁根木稲荷神社の境内に、三基の板碑と一基の宝塔塔身がある。
このうち、向かって一番右側にある阿弥陀三尊来迎図が線刻された板碑は「補陀落渡海碑」として玉名市指定重要文化財となっている。補陀落渡海碑は、補陀落渡海(観音菩薩の住まう補陀落浄土を目指して船出する行為)を供養する目的で建てられるもので、この補陀落渡海碑は永禄十一年(1568年)十一月十八日に下野国の弘円上人、駿河国の善心、遠江国の道円らが補陀落渡海したのにちなみ、西光坊が施主となって建立された。補陀落渡海供養碑として現存しているのは、玉名市伊倉の本堂山緑地内(報恩寺跡)、大阪府泉南市の林昌寺にあるもの、そしてここ繁根木稲荷神社にあるものの三基だけとのこと。

こちらの板碑にも阿弥陀如来来迎図が線刻されており文字も刻まれているが、文字は風化で読み取りづらい。

この板碑に刻まれているのは阿弥陀如来を表すキリークの梵字だろうか。

文永四年(1267年)の名がある宝塔塔身。こちらも玉名市の重要文化財に指定されている。


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参道まっすぐ正面に社殿。

繁根木稲荷はもとは繁根木八幡宮の神宮寺であった寿福寺支配下の末社 稲荷堂で、室町時代にはすでにこの地に鎮座していたようである。
繁根木稲荷が鎮座する稲荷山は6世紀頃に築かれた玉名最大の前方後円墳の前方部分にあたるそうで、稲荷山古墳として史跡になっている。後円部は東側のもと寿福寺(明治の始めに廃寺)境内部分に相当するが、寿福寺を建てるにあたり削平されており原形をとどめていない。
小ぶりな流造の社殿。

繁根木稲荷神社の境内に、三基の板碑と一基の宝塔塔身がある。
このうち、向かって一番右側にある阿弥陀三尊来迎図が線刻された板碑は「補陀落渡海碑」として玉名市指定重要文化財となっている。補陀落渡海碑は、補陀落渡海(観音菩薩の住まう補陀落浄土を目指して船出する行為)を供養する目的で建てられるもので、この補陀落渡海碑は永禄十一年(1568年)十一月十八日に下野国の弘円上人、駿河国の善心、遠江国の道円らが補陀落渡海したのにちなみ、西光坊が施主となって建立された。補陀落渡海供養碑として現存しているのは、玉名市伊倉の本堂山緑地内(報恩寺跡)、大阪府泉南市の林昌寺にあるもの、そしてここ繁根木稲荷神社にあるものの三基だけとのこと。

こちらの板碑にも阿弥陀如来来迎図が線刻されており文字も刻まれているが、文字は風化で読み取りづらい。

この板碑に刻まれているのは阿弥陀如来を表すキリークの梵字だろうか。

文永四年(1267年)の名がある宝塔塔身。こちらも玉名市の重要文化財に指定されている。

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