2018年05月30日

最近の事

生き方を考え 自分に合わないことは合わない。だからといってそれだけ。

自分は自分だけじゃなく、周りがあっての自分。自分の影響はあるし影響も受ける。
ひらめいたことは周りの何かからで、何も無くなったなら何も無い。
それを感謝しなければ、やさしい影響は来ない。影響してくれてさせてくれてありがとう。

というのは普通の人は当たり前なのだろうか。まあ知らんけど、私は今気がついた。それに気が
つこうと悩んでいた。気がついたのでその悩みはない。しかしそれを実行して感謝せずに
悪影響だけを抜粋し悲観にくれていているのなら、悩みは解消されてはいない。

人のせいではない。人がいるから自分がいろいろある、恵まれている。悪影響だってあるしうんざ
りした面もある。自分だってそう思われているし、そう思われたい。

嫌な人とは距離をおきたい。つまり自分は置かれる可能性もある。いい距離なら太陽も気分がいい
し役に立つ。距離が近いと暑いし影響が強すぎる。だったら距離をとればいい、太陽がなければ
生きてはいけない。
なんかきれいごと過ぎて気分悪くなる。人の言葉っぽいし。事実に気がついたのか、事実を
聞いたのを思い出したのか。
どうのこうの、どのみち、他人は鏡で、自分が怖い顔していたらその人らも怖い顔が写る。
笑っていたら笑っている。悪意があるのなら悪意がある。ばかならばか。自分がものすごい
表現ができるのなら表現がみれるかもしれない。距離が遠いのならかすんでいて見えないかも
しれないし自分もみられていないのかも。
そらに、つまり、他人なんて別にどうでもよくて自分がものすごいことをやるべきともいえるし
あてはまる。他人にあらさがしばかりして自分がすべきことができなくなっている。
自分がやるべきことはもちろん偉業。力強く偉業を成すためには?自分を鍛え感性を磨くこと。
磨く努力と勉強。そしてそれをこなす体力と気力。
日々日常をこなすだけのルーチンワークを自分でこなせば、この考えを実行できる。






gurohune at 11:42|PermalinkComments(0)

2017年05月21日

細野不二彦 ママを読んで

納得できない。

マンガは良かった。話の筋が納得できなかった。絵もキャラクターも良かった。
でもある意味、主人公の行が批判されるために押し通したキャラクターだったのだろうと
も思える。思春期の誰でもやっちゃう感じは、どうせこんな感じだろうという判の押し方も
少し嫌だった。
色々な人の感想をみると、当時から江夏が人気だったとか、めぞん一刻だとか。
リアルタイムで読んでない私はめぞん一刻も知ってるけど、なんとなく江川達也のビーフリー
みたいな感じだと。1987年から5年の連載だから古いってだけで、誰がどう似ているとか
別にどうでもいい。それくらいいい漫画だ。作者は何か葛藤をしてこの結論に落ち着いたの
だからそれでいい。

まっすぐで人の気持ちをかまわずつっぱしる主人公。ほんと迷惑だ。でもそれがリアリティだ。
江夏もまっすぐにでも大人になる感じとかそれでも同じ気持ちを持ち続けるとか。
ヒロインもなんかあっちこっちいったり、元主人との関係性の出し方とか凄かった。
それと説得力。
園長先生のあれさ。あれも悩んでいる部分とか、生き様とかを指摘された部分。ああいう人間
の自分の悪い部分をほっといてうまくいっている感じが憎くていい。

なんていうか人間の弱点も多少ある感じが説得力ある気持ちの描き方がただぶっこみました
化学反応がどうなるかわからないかんじがはらはらして人気がでる感じだろう。
こうなってほしい、でも現実は違う、でもそういう流れもあるよ、みたいなゆさぶりが凄い。
つまりゆさぶられたらいいんだ、みたいな最後も憎まれながら憎まれても人間だものという
のが、「漫画として良かった」。きれいごととかハッピーエンドじゃなく少しバッドエンド
全ての人間がイイ風に終われないんだよ、というのが好きな漫画だった。

コミックでは描き下ろしとか。蛇足かと思うけど、ヒロインのハッピーエンドを望んだ人は
これでいいのだ、と思う。タイトルがママなんだから、母親の愛情とか言いすぎかな。
でもそれほど脱線しまくりスジだ。それがいい。

gurohune at 13:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年04月27日

相談しようそうしよう

自分の問題を他人を巻き込んで一緒に解こうっていうが見えると面倒くさい。
勝手に頑張ればいいと思うのだけど、巻き込みながらも負い目なく問題を解決っていうのがずうずうしい。それが漫画や小説ならいいけど、知ったことではないので。対話ではなく一方的な事だから。
でも大人というのは自分に重荷がこないように勝手な事を押し付けたりが得意だからしょうがない
。でも親子の会話なら仕方がない。というのも親も親であることが初めてだから子供はもちろん子ども
ということや生きることが初めてだから仕方がない。親の問題を子どもに押し付けるのはよくないけど
、親である問題と子である問題を考えるのはいい。もちろん生きるという意味での経験者である親は
7割は責任もって負担をもつべきだ。9割かな。どっちにしろ自分の問題を自分で解決すべきなのに
それをおしつけるのが恥だと思っているのはいつも考えている。まあこんなだから相談なんて受けな
いし相談なんてできない。この文章は甘えだ。問題を解決しようと問題を解こうと勝手にやって人に
おしつけているからだ。

gurohune at 15:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)