2012年06月

2012年06月26日

モールで汗びっしょりになり連れにあたる





タイムボカンは麻薬のようにはまる。いや麻薬にはまった人を知らない
けど。たとえで。今再放送でガッチャマンとヤッターマンをみてて
、子どもの頃は好きだったけど、何度か見る機会もあったけれど
濃すぎて面倒くさくて。今はすごいなあって思う。
濃すぎて敬遠してるものはだいたいそういうもんだろうな。
 
やっちゃえやっちゃえやっちゃえ じょうずじょうずじょうずじょうず



バターを夜中ほったらかしてしまった。常温、或いは平温というわけだ。
それを見た人が火がついたように責めたてた。常温にしておいて腐って
しまった風味が落ちる。乳製品だから腐る、じゃあ牛乳を平温に置いたのを
飲め!とか言ってた。触ってみると柔らかくなっていた。だいたい夜の11時から
朝の10時くらいまで。

じゃあ謝るといった。変な顔で相当怒り狂っているから。ただ言い分は全部聞いた。
なんか正当性を感じないし、そんなに気が狂う程かと思う。


実家ではバターはだいたい朝のパンに塗っていたので柔らかくてもなんでもなかった。
調べたらマーガリンを夜中に冷蔵庫に入れて、店に出しているパン屋があるとか。
アメリカ人は冷蔵庫に入れないらしいね、とイギリス人が言っているのも読んだ。
確かに今の時期は腐りやすいかもしれない、だけどもともと固形のバターがって思ってしまう。
アイスなら乳製品で溶けて、また凍らしてもまずい。

だから神経質で自分が絶対正しいと思うのは間違っていると思う。いろいろな常識があって
そこまで気にする問題でもないと会話ではしたのだけど、いつかまた教えようかと思う。
人の話に耳を貸す人でもないから、ほったらかしてもいいか。誰が悪いとか良いとかじゃなく
ただ一般常識と会話に持ち出していたのはおかしい。一般常識を知らないくせに平気な顔を
してるのがむかつくともいっていた。まあ常識はないから言い返せないけど。でも切れるほど
でもないな。

読めば読むほど、固執する方がおかしいと思ってしまう。自分を正当化する必要もない。



gurohune at 15:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年06月17日

給食を休み時間も食べさせることについて考えた

電子レンジでひじきを2分
あぶらげと人参を加えてめんつゆ水
レンジ


強制して給食を食べさせる
食事は楽しく食べるものだ。

食事は栄養を摂取する。栄養士がバランスを考えて作っている。
好き嫌いする人は勝手だけれど残す人がいては、それが当たり前だと
クラス全体が思い沢山の人が残すようになる。だから見せしめで休み時間
も食べさせる。残す人が腐ったみかんとなり、他をも腐らせる。

今、一人っ子が多いからか飽和な食料だからか、残しても別のものを食べて
補える。
補えるかもしれないけれど、食事なんていう簡単な作業から、安易に逃げる方向を
選ばせて「嫌なことがあったら逃げる」という式を教育してはいけない。
まずいものでも、我慢して食べるのが食事の美しい作法だと思う。
惨めに逃げるのが当たり前の人間の末路は悲しいだろう。


選ぶときに選べる範囲があるのが幸せな事かもしれない。
ただ同じものを食べて理想な体型が作れるだろうか。子どもの頃から好き嫌いを
通して自己一貫性がつくかもしれない。
先生は体が悪いものを食わせているわけではない。躾。親がやらなかった躾。
子供がバランス良く食事できる場所は、家庭ではない。親が栄養士で裕福で美味しいものを
バランスよく作れるのならなんでも美味しい。


大人になって味覚は変わるだろう。関係ないかもしれない。個人の味覚を否定するつもりではなく、
個人の味覚を広げるつもりで全てを美味しく思ったらいい。


赤ん坊のご飯がいろいろあるのは、そこで味覚を覚えるから。うんこは臭くなる。ただいろいろ食べない
と、好き嫌いの壁が出来るかもしれない。味に対して冒険するのが好きな人になっていろいろ食べよう。
好き嫌いをする人が美徳だろうか格好いいだろうか。全て美味しく食べて、楽しい顔をしたらいい。
皿に残った食べ物を誇らしく思うだろうか、誰かに感謝ができているだろうか、差別を美徳と思う¥っている人が
いるのだろうか。



gurohune at 14:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年06月05日

ふふふ…愚かどもがうかれ騒いでおるわ

芸術家諸君!

大いに斬新にアバンギャルドにやってくれたまえ。コピー劣化にならないよう。安物じゃないドラッグなどを
決めて。インドでもいけばよい。日本でやるのはダメだ法律だし。お金も高い。そして芸術ならば日本とか
歴史とかわきまえたほうが、響く良い作品が出来る。もちろんそれは二の次で発想と爆発力。

どんどん自分を追い詰めてやればよい。筋肉だっておいつめなければユルユルになるように。

狂わないでさらに死なないように楽しいものと悲しいものと怒りと。
さらに正義を言うならば、弱いものの味方であるべきだ。貧乏人がよわいのなら、病人が弱いのなら、
苛められっ子が弱いのなら、障害者が弱いのなら、女子供が弱いのなら、それらを守る擁護するような
表現がいい。
よわいものいじめする人間に正義はない。クソだカスだゴミだ人の気持ちが分からない人間は不幸になるといい。
不幸になるべきの人が偉そうにしていると気分が悪い。不幸になるべきの人間が不幸で困っている姿をみても
なんとも思わない。これは芸術ではないのだろうか。弱いものの立場を考えて芸術する。
強い立場になったときにまだ弱者のつもりでいてもいいんだけど、よくないか。どうあっても弱いものの立場で
モノを言わなければならない。弱いものの立場にたっていうことがどれだけ救われるかわかるだろうか。7
もう忘れてしまったか。

忘れた人間ほど、それとは遠ざかる。

gurohune at 15:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)