ベートーヴェンの交響曲第9番(バーンスタイン/バイエルンrso)

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ベルリンの壁



日曜の朝、机で新聞を広げてネット・ラジオでも聞きながらと思い、バイエルン放送局(BR)のクラシック音楽サイトを開けたら、背景がベルリンの壁に人が溢れるように乗っている写真でした。
ネットニュースを眺めていると、ドイツ市民がベルリンの壁をワシントンのホワイトハウスに持ち込んだというニュースが出ています。

ああ、と思い、確かめてみたら、ベルリンの壁が崩壊したのは1989年11月9日、BRの音楽サイト上の記事では、レナード・バーンスタインがバイエルン放送交響楽団も参加した臨時編成のオーケストラを指揮して、旧東ベルリンのシャウシュピールハウスでベートーヴェンの交響曲第9番を演奏したことを書いていました。

昨日紹介した「銃弾とアヘン」という本が描いた天安門事件が起きたのが、同じ1989年の6月4日。
思えば1989年というのは、東側諸国が大きく揺らいだ年でもありました。
あれから、もう30年も経過してしまいました、早いものです。

日曜のAFPのニュースを読んでいますと、ベルリンで行われた記念式典で、ドイツのシュタインマイヤー大統領は、ベルリンの壁を壊すのにアメリカが大きな役割を果たしたことを想起しつつ、それに引き換えトランプ大統領を名指しこそしなかったものの、メキシコとの国境に「壁」を建設する考えを厳しく批判したようです。
メルケル首相もまた、自由と民主主義を守ることの重要性を強調したと報じています。

1918年生まれのバーンスタインは、1929年の大恐慌を20代で経験したこともあるのでしょうが、この時代の若者のひとりとして社会主義に深く傾倒していたとも言われています。
この時代のアメリカの若者の雰囲気は、映画「追憶」を見ているとよくわかります。
自由と平等を追求したケネディ大統領を尊敬し、ひたすら民主党支持者でリベラルなバーンスタインが、圧政を敷いた東ドイツが崩壊し、民族を分断していたベルリンの壁が壊されたことをことのほか喜んだことは容易に想像がつきます。
その前にもベトナム戦争に反対し、共和党のニクソンが大統領に就任した際の記念コンサートがNYでオーマンディ指揮、フィラデルフィアoで催された同じ日に、バーンスタインは「平和のためのコンサート」を開催した人です。
これは手塚治虫が「雨の日のコンサート」という作品で漫画化しています。

というわけで、年末には少し早いですが、ベルリンの壁崩壊を記念して1989年12月25日に急遽行われたコンサートを、音だけでなく映像も見たかったのでYoutubeで聞いてみました。
オーケストラはバイエルン放送交響楽団のほか、東ドイツのドレスデン国立歌劇場o、レニングラードのキーロフ歌劇場o、イギリスのロンドン交響楽団、それにニューヨーク・フィルハーモニーのメンバーも参加しているとなっています。
*Youtubeの、この映像の難点は、途中で無造作にCMが入ることですが、無料である以上仕方がないでしょう。


バーンスタインは、このコンサートのあと、翌年には札幌のPMFに病状をおして参加し、10月14日に亡くなっていますから、死の1年足らず前の姿を映像に残したことになります。

晩年のバーンスタインの特徴が出たベートーヴェンで、特に第3楽章までは非常に遅いテンポです。
しかしながら、粘っこい思い入れのようなものが、他の6音ほどには強く感じられません。
もう癌に侵されていた身体を考え、体力を温存したのかなとも思います。

第4楽章に入っても、最初はそれほどではありませんが、ようやく後半くらいになってバーンスタインらしい活気ある音楽を聞くことができます。
「Freude」(喜び)を「Freiheit」(自由)に換えて歌わせたり、ドレスデン・フィルハーモニー児童合唱団を入れてみたりと、独唱は東西ドイツに米英の歌手を揃えるなど、バーンスタイン自身なのか、企画スタッフのアイディアなのか、短時間で実現した企画の割には色々と工夫がこらされています。

しかし、久しぶりに聞いてみますと、映像付きであっても、バーンスタインが指揮する音楽としては、必ずしも十全なものとは言い難いところがあります。
初めて音だけで聞いたときは、それほどまでには感じずに喜んでいましたのに、30年も経て冷静に聞いてみると、歴史的な記録としては残るのでしょうが…という感じがします。
時の経過というのは、その時の高揚感を冷静にするとともに、ある意味、残酷なところもあります。

「銃弾とアヘン」(廖亦武著、土屋昌明・鳥本まさき・及川淳子訳、白水社)

銃弾とアヘン



1989年6月4日に、民主化を求めて北京の天安広場前に集まった学生・市民に対して、人民解放軍が戦車と実弾で制圧した「天安門事件」から30年あまりが経過しました。
そのときの死者数はいまだに分かっておらず、3000人とも1万人とも言われています。

天安門広場にいて、多数の学生・市民が殺されたのを目の当たりにし、その後「大虐殺」という詩を発表・朗読したがために中国公安当局に逮捕・投獄された廖亦武(リャオ・イーウー)が、同じように「暴徒」として投獄された人々を訪ね歩き、当時の模様、その後の人生の聞き語りを会話の形で本にしたのが、今回読んだ「銃弾とアヘン」です。

著者も、インタビューを受けた人たちも、節を曲げず民主化を求め続けたものですから、天安門事件後、いまに至るまで何度も繰り返し投獄され、苦しい生活となっているさまが活写されています。
当時は十代の若者であった人から、銀行の副頭取で北京出張のホテルの窓から見たことを1枚の紙に「目撃記」として書き記し、そのコピー100枚とって帰りの列車の中で手渡しをしただけで4年の懲役になった人も混じっています。

あとがきを含めると370頁、15人のインタビューの会話部分は上下二段組ですから、かなりの量になりますが、二日半ほどで一気に読み終わりました。


天安門事件は、雑駁に流れをまとめると、中国の民主化を推し進めようとした胡耀邦が保守派の巻き返しにあって総書記を解任され、失意のまま1989年4月15日に亡くなってしまったことに端を発しています。
ソ連ではゴルバチョフがペレストロイカを推進して民主化を進める中、中国でも民主化に期待していた学生・市民は、胡耀邦の追悼集会をきっかけに民主化や汚職追放を求めて、大規模なデモが北京だけでなく、武漢、西安、成都など各都市に広がります。
胡耀邦の衣鉢を継ぐ趙紫陽は、学生たちには寛容であったものの、やはり鄧小平、李鵬といった保守派によって失脚させられます。
そして、鄧小平の命により戒厳令が発せられ、天安門広場で民主化要求を続ける学生・市民は「暴徒」とされて軍隊に制圧され、多くの人たちが銃弾に倒れ、戦車にひき殺され、あるいは兵士に殴り殺されたわけです。

わたしは、天安門事件は北京で起きたもの、それも戦車の前に立ちふさがる若者(西欧ではタンクマンと呼ばれてるようです)の姿が鮮烈に記憶に残っています。
しかしこの本を読んでいると、北京以外の色んな都市でも同じように学生・市民が立ち上がり、天安門広場で軍隊に学生・市民が虐殺されたと聞くと陸続と北京に向かったということを知りました。

また天安門広場では、役割分担もきちんと組織化されていて、食料や水の補給隊により分配されていたこと、北京市民が学生・市民のために食料だけでなく、もう6月で暑い頃なのでアイスキャンディーまで大量に差し入れて、人民解放軍にも分け与えていたということも、この本で知りました。
最初の頃に投入された軍隊とは、まだまだ牧歌的な関係であったようです。
おそらく、そのときの兵隊たちは、あとから処分されただろうというようなことも書かれていました。

軍隊を投入したのに、何もできないまま時間を経過したことは、中国風に言えば軍隊の「面子」を潰された形になったのでしょう。
それが6月3日夜の軍隊の突入という強硬策になったでしょうし、天安門広場には100万人ともいわれる人数が集まり、流言蜚語も飛び交う中、兵隊が学生・市民によって殺されたという噂も出てきて、それが兵隊たちを激高させたという話も書かれています。
ありそうなデマ話ではあります。
北京語も喋れない田舎の兵隊をわざわざ連れてきているので、移動の自由がない中国では自分たちが住めない都会を初めて見て、都市住民に対する怨嗟も混じってしまったのかもしれません。


この本で一番驚いたのは、2010年にノーベル平和賞を受賞しながら国外に出ることも許されず、そのまま癌で2017年に亡くなった劉暁波の最期を書いた最終章の部分です。
この時、著者はすでにドイツに亡命したあとで、劉暁波とその妻の病状から、ドイツ亡命の助力をメルケル首相に嘆願する手紙を、友人を介して送ります。
その嘆願を受けてメルケルはハンブルクでのG20サミットで習近平に向かって、劉暁波はドイツで高度な癌治療を受けるべきと交渉し、まず専門医師を中国に派遣します。
しかし劉暁波をドイツに移送する前に亡くなってしまいます。

他国の、それも遠い東洋の中国で政治的に抑圧されている人物について、ドイツの首相がここまで動いているということに驚きと同時に感銘を受けました。
メルケル首相は、自身が旧東ドイツ出身で、一党独裁による圧政の恐怖を体感していることもあるでしょうし、それ以前に難民に対する寛容さをみても、そもそもの彼女の思想そのものの発露であるのかもしれません。(当時のガウク・ドイツ大統領にも謝辞が書かれていましたから、何らかの助力があったのでしょう。)

この本に強い興味を持ったのは、天安門事件30年ということで、「我是記者 我的六四故事」というYoutubeのチャンネルにアップされたジャーナリストの取材証言ビデオを見たからです。
これは中国語で英文字幕が付されているものの、読み終わる前に次の字幕が出てきてしまい、なかなかに理解するのは辛いものですが、漢字字幕を拾い読みするだけで、なんとなくわかるところもあります。(背景の写真は、このときの雰囲気を感じ取れます。)
いまの香港の状況を見るにつけ、北京政府も学習して天安門と同じようなことにはならないと思いつつも、死者が出たという報に接し、一抹の心配があります。
映像で見る香港警察の暴力的な対応は、かつての日本の機動隊そっくりですし、中国公安当局の残虐なやり口も本で読む日本の特高と同じで、妙なところだけ学習しています。



なおこの本のタイトルで「銃弾」は、もちろん人民解放軍が学生・市民に向けて撃ったものです。
もう片方の「アヘン」というのは、何でここでアヘン戦争?と疑問に思っていましたが、本文を読んで理解しました。
著者がアヘンと呼んだものは、「経済的繁栄」という麻薬を飲まされて麻痺してしまっている中国国民を揶揄しているものでした。
中国があらゆる手段を講じて経済成長を優先しているのは、このアヘンを飲ませ続けないと、国民の不満が政治的に爆発することを極度に恐れている、そのことを喝破した言葉でもあります。


*下のPBSの番組でも、高層ビルが林立する上海のような大都市群(中国A)と、経済的繁栄から遠く離れて、いまだに奴隷的労働を強いられている貧しい地方の農村部(中国B)の二面性が同居していることを描いています。
個人的にも、中国を訪れて、地方都市から地方都市への移動中に車窓から見える風景は、大都市部との地域格差の大きさを強く感じさせるものでした。一番わかりやすいのは、子供たちの身なりの差です。



これはアメリカの公共放送PBSが、天安門事件を取材していたジャーナリストの証言と記録映像とで、2006年に制作されたドキュメンタリーで、公式サイトでアップされたものです。不完全な英語字幕が付いていますが、画面内の設定(歯車マーク)をクリックし、自動翻訳から日本語を選択すると、ちょっと怪しげなところもありますけれども大意を取れる日本語字幕が画面上に出てきます。ただし1時間25分と、少々長いです。
 
今回読んだ本よれば、若者は世界的には(中国国内でも)王維林という名前になっていますが、北京に記者も派遣していないイギリスのタブロイド紙が報じたことに端を発した名前で、誰も本当の名前を知りません。そして、いま彼が生きているかどうかも、未だにわかっていません。(325頁)
(上のYoutubeでは悲観的な記者コメントがあります。)


中国では天安門事件は6月4日に大々的に虐殺が行われたものですから「六四」という符牒で呼ばれています。そして、天安門事件は一切ネットでは出てきませんし、六四で検索をかけるとブロックされます。中国で試みにやってみたら、本当でした。(自分のPCではやりませんでしたが)

ドビュッシーの「管弦楽のための映像」(バーンスタイン/セント・チェチーリア音楽院o) 図書館

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ドビュッシー:海(バーンスタイン、サンタ・チェチーリア)


図書館から本を借りたついでに借り出したのが、このCDです。
十代のころからのファンであったバーンスタインがCBSからDGに移籍後に録音した1枚で、ドビュッシーの管弦楽曲を集めたものです。
しかも、珍しいことにセント・チェチーリア音楽院oを振って、1989年にローマでライブ録音されたものです。
バーンスタインは1990年に亡くなっていますから、死の1年前、最晩年の録音ということになり、コンサートの前半にあたる部分をまず聞いてみました。

バーンスタイン・ファンのわたしも、この録音の存在は見落としており、ジャケット写真を探す中で、コンサートの模様を撮影したDVDまで発売されているのを知りました。
ただバーンスタインのディスコグラフィーの中でも言及されているのを見かけたことがなく、ちょっと怖いもの見たさ的なところもあるので図書館から借りることにしました。

最初に収録されているが「管弦楽のための映像」です。
この曲は、CBS時代にNYPと録音したもの(1958年)を聞いたことになっているのですが、遺憾ながらさっぱり記憶がありません。
もともとフランス音楽は多くを聞いていないのに加えて、最初に幻想交響曲を聞いて以来、バーンスタインによるフランス音楽はあまり相性が良くないという勝手な思い込みも手伝っています。

ドビュッシー自身のピアノ曲「映像」の第1集から3曲をピックアップして、友人の協力を得ながらオーケストレーションを施したものであるこの曲は、はっきりとしたまとまりがあるものではないため、演奏者によって曲順は割と自由に決めているようです。
バーンスタインは、この録音では「ジーク」→「春のロンド」→「イベリア」の順に演奏していて、旧録音とは2番目、3番目がひっくり返っています。

第1曲「ジーク」はスコットランドの音楽を素材としたものとされていますが、そうした印象は強くなく、オーケストラから聞こえてくる響きはいかにもフランス風です。
この辺は、CBS録音の印象記録とは異なっているようですけれども、今回は新旧録音を比較する暇がありませんでした。

第2曲は「春のロンド」です。
フランスの童謡を元に作られたものとなっており、これがそうかなと思える部分もありますけれども、わたしにははっきりとはわかりません。
イタリアのオーケストラだからでしょうか、明るい春の陽気さが伝わってくる音楽に仕上がっています。

第3曲「イベリア」は、割とはっきりとスペイン風味を感じることができます。
この3曲の中ではもっとも長く、「街の道と田舎の道」、「夜の香り」、「祭りの日の朝」の三つの部分に分かれます。
最初の「街の道と田舎の道」は、もっともスペイン的な雰囲気に満ちた快活な曲であるはずなのですが、バーンスタインは、過度に強調することなく比較的さらりと演奏している感じです。
次の「夜の香り」では、DG時代のバーンスタインらしい濃密なゆったりとした音楽が聞こえてきますけれども、ここではそれほどしつこさを感じないのは、わたしがこの曲に慣れていないこともあるかもしれません。
最後の「祭りの日の朝」は、題名のとおり、爽やかで賑やかな朝の風景が眼前に浮かぶような曲で、旧録音ではもっと派手に演奏していたようにも思います。
ちょっと意外なおとなしさで、これが晩年の衰えかなとも感じてしまいます。


次に収録されているのが「牧神の午後への前奏曲」です。
この曲もまたCBS時代、1960年のNYPとの録音を聞いていますが、これまた定かな記憶が残っていません。
十代の頃に聞いた17cmLPのモントゥー盤の印象があまりに強く残っています。
このバーンスタインの再録音、出だしは速すぎて、やはりなぁという感触でしたが、進むにつれてゆったりとした音楽となって、次第にそれらしい雰囲気になります。
ところが、晩年の特徴である遅さがどんどん目立つようになってきて、わたしはちょっとついていけなくなりました。
聞き慣れた曲ですと、残何ながら違和感が顕著になってしまいます。






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