2011年08月04日

8月

に入ると、原爆や終戦の話題がにわかに湧いて出る。今年のテーマは原発らしい・・・不幸な出来事でいまだに進行中であるが、原水禁なんか調子にのって = 短絡的に核爆弾と同じ扱いしよってから・・・こっちも出来は良くないが、あほちゃうかと思う。まぁ福島(県ではないぞ)の子分だからそんなものかとあきらめる。

わしは戦争を知らない子供たちの一員だが、小学校の低学年のころはまだ戦中派の先生も残っていて、朝の体操には天突き体操があった。”よいしょ!”の掛け声とともにスクワットを延びながら両手で空を持ち上げる・・・竹やりでB-29を落とすんかいな? 子供心に思った。恥ずかしくもあった。

休み時間の遊びは戦争ごっこ中心。 ジャングルジムの通称は203高地であり、そこのてっぺんを取り合った。 ジャングルジムが他のグループに占領されている時は空中戦。 といっても校庭を両手を広げて飛行機のエンジン音を叫びながら走り回るだけ。これにはルールがあって日本軍の飛行機は決して墜落しない・・・不時着はあり。酒井三郎の名前は知らないものがなかった。 この空中戦で日本側になるのは結構難しくて必ず米軍2に対して日本軍は1であった。 それで零戦や紫電改(組み合わせがめちゃくちゃだが)がF6FやP51を追い掛け回す。 後ろについて”ババババ”というと米軍機は必ず墜ちなければならない。 走りつかれて早く撃墜されたり、墜ち方や爆発の仕方が悪いとボロカスにののしられる。 人数が多くて戦闘機の機種に困ると、それぞれにユンカースやスピットファイアが援軍に来るという寸法である。 時には零戦でサンフランシスコに原爆を落とすという荒業もありであった。 そんな遊びをしていたが、大きくなって右翼になったやつはいない・・・共産党員になったやつはいるが。

神戸で生まれ育ったものは、興味のあるなしにかかわらず小磯良平の名前は誰でも知っている。画伯は従軍画家であったことを悔いていたとの話であるが・・・そうかもしれないし、時代がそういわせたのかもしれないし、と思っている。

大東亜1大東亜2これは大東亜戦争記念報国葉書。 逓信省から30銭で発売され10銭が戦費寄付であった。絵葉書が3枚入っており、各葉書は2銭の料金込み。 赤紙は1銭5厘じゃなかったの? という疑問も残るが絵葉書の画家は戦後の絵画界を代表する面々であった。 小磯良平画伯はこいつを後悔してたのかと思うと、ついついゴミ箱に行きそうになった手を止めておいておいたものである。   絵葉書の説明は逓信省の説明書きの写し。

大東亜3ハワイ真珠湾強襲 吉岡堅二 筆

図は国民銘記の昭和16年12月8日未明に於ける太平洋最大の米軍海軍基地ハワイ真珠湾内なるフォード島飛行場を強襲せる我が海軍航空部隊による第2次爆撃決行の瞬間を描く。


大東亜4香港黄泥涌高射砲陣地奪取 小磯良平 筆

昭和16年12月19日、英国が大東亜蠶食の基点たる香港の一角遥かにジャーデン監視山とその後方に南支那海の水平線を望む黄泥涌峡谷地帯なる敵高射砲陣地を奪取すべく皇軍猛攻の場面を描く。

大東亜5シンガポール英軍の降伏 宮本三郎 筆

英軍東亜侵略百年の牙城シンガポール陥落の昭和17年2月15日午後6時40分、我が武威の前に白旗を掲げて投降し来れる英国マレー軍首脳部の一行を描く。
      前方右端より司令官パーシバル中将、参謀長トランス准将、日本側杉田参謀、菱刈通訳、英国旗を持つマレー軍軍政部長ニュービギン准将、通訳ワイルド少佐  


この流れは昨年末までのどっかの総理大臣と現在の状況のごとくありますな・・・肝心な時はボロボロでやめられない、意地でもやめない、嘘ばっかりついてしがみつく。 8月15日にお言葉を賜らなければやめられんのだろうな、あいつ。

東北の復興はこの色では難しい・・・明るい色を・・・

本記事に政治的意図はございません・・・
   感情だけや





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