新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

 昨年は危機の年でありました。東日本大震災においては、あまりに多くの犠牲者を出し、新年が訪れても、明るく「おめでとう」とは言えない複雑な気持ちもあります。
 この危機は、けして過ぎ去ったわけではありません。これからの未来に、重く影を落として行くでしょう。正月早々不吉なことを言うようですが、私はこの影の大きさを思わずにはいられません。
 それでも抗って生きて行く、一人ひとりの明るさも信じます。

 若い友人の一人、山口祐二郎君が、東電会長自宅近くの公園での、48時間のハンガーストライキを終えました。
 この寒い時節、厚着もせず、テントや毛布も用意せず、ブログなどで予告する以外、マスコミへの宣伝や協力者を募ることもせず、目立つプラカードや横断幕も用意しない。
 普通ハンストをやる場合でも、水や塩分は取るのですが、それらも一切断つ無謀なハンストを、周囲の反対を押し切って決行しました。
 つまりアピールのためのハンストというより、最初から身を潰すことを前提とした厳しいハンストでした。
「ハンストなんか右翼っぽくない」と下らないことを言う人もいましたが、左翼がハンストをやるならそこには運動論があり、勝ち取る効果を充分に考えたものになっていく気がします。逆に右翼には運動論がないというわけでもないでしょうが、後先を論ずることを不純とし、一人が決心して身を犠牲にする行為は、ハンストであっても右翼的エッセンスが凝縮されていたように思えます。
 こうしたことを書くと、本人や周りの人たちには違和感があるかもしれませんが、「俺は国を愛しているんだ!」という公言や、仰々しいものとは別に、右翼の良い伝統が暗黙的に受け継がれている気がしました。
 これまでは失礼ながら、「山口君ってよくわからない」という気持ちもあったのですが、今回のことで彼が統一戦線義勇軍に所属する意味がよくわかった気がしました。
 なんて私の感想を軽く裏切って、「やっぱりわからん奴だ」というふうになってくれることを期待してもいるのですが。

 話を戻しますが、山口君の無謀なハンストを見かねた友人たちが、テントやダウンジャケットを公園に持ち寄り、水を飲むよう説得しましたが、本人は頑なに拒否して頑張っていました。
 ここまで読まれると、恐ろしい形相でのやり取りが想像されるかもしれませんが、現場に行くと、そうではありません。言われなければハンストをしている主人公には見えないほど山口君には力みがなく、ニコニコ笑いながら、友人や警察からの説得を厳しく拒絶していたのでした。
 穏やかな姿のなかに、強い意志が感じられました。
 即席で立てたテントを、警察がたたむよう警告してきました。しかし公園を管理する町内会の人たちが山口君のハンストを理解し、励ましの言葉までかけて下さり、テントは撤去しなくてもよくなりました。
 そのテントも風は防ぐのですが、冷気まで防ぐものではありません。
 警察の動きや山口君の体調が心配だったので、何人かが残って徹夜で見張ることになったのですが、私に同行していたカノジョが、山口君を差し置いて自分がテントで寝たいと言い出し(天然!)、少しの時間入っていましたが、とても寒くて眠れないと飛び出してきましたので、ネカフェに泊まらせました。
 テントを提供して下さった方には失礼な言い方で申し訳ないのですが、そんな粗末なテントでも山口君は「温かい」「快適」と喜んでいました。
 テントの周りに残った友人は、厚着もし、時々公園を離れて御飯を食べたり、暖を取っていたので平気だろうと談笑していましたが、時間が経つにつれ底冷えがし、私は朝になって帰宅しましたが、このまま公園でハンストを続ける山口君はどうなるのだろうと心配になりました。
 私が離れてからも、友人たちが代わる代わる公園に集まってくれました。
 面白かったのは、そのなかに共産党員の方がいて、結果的に必要なくなったのですが、次の徹夜番を引き受けてくれたことです。
 経産省前テントから、沢山のカイロが届けられたことも書いておかなくてはなりません。嬉しかったです。
 その後山口君は、話せなくなってきたり、指先の血色を失うなど、いよいよ心配な状態になってきました。友人の一人が救急車を呼びましたが、彼は断ってしまいました。
 ここで山口君を心配してハンストを止めさせようとする人も、意志を汲んで続けさせたいと思う人も、みんな山口君を大切に思う友人でした。
 48時間を過ぎ、年が明けました。これ以上続けると命に関わるというなかで、本人はまだやりたかったようですが、最後は針谷大輔さんの説得を受け入れ、原発反対のハンストは終了となりました。

「こんなハンストやって原発が止まるのか」とは、当然言われることだと思います。
 それに対して私が言うのは、「人はなぜ祈るのか」ということです。
 雄弁さ、運動論、政治力だけでは突破できないものがあれば、私は祈ります。山口君のハンガーストライキも、そういうものであったように思います。
 そして、安易には祈らない者たちの戦いもあります。そのどちらもが大切かもしれません。