2019年11月10日




お久しぶり。


長らくブログの更新を怠っていた。「書こう、書こう」とは思ってはみるものの、気分が乗らないというか、筆が重いというかなかなか記事になりそうな事があっても生来の怠け癖が邪魔をしてほったらかしにしていたのだ。


今日までの経過を掻い摘んで説明すると、


前職のバイトが6月末で終了。だが実はバイトは工期が一ヶ月伸びて7月末まであったのだが、80名がそのまま延長になった訳ではなく、そこから厳正なる抽出が行われ30名余りが選抜されたのだった。現場世話役が余計な気を利かせ、黒紳士は選抜から漏れてしまった。詳しい経緯は




の記事を参照されたし。


無職になってしまったが、のんべんだらりとはしていられない。幸いな事に三ヶ月間ではあるが、雇用保険受給資格があったのでハロワに直行。なんとか失業給付を受給出来ることになった。


だが、保険を貰えるのはたった三ヶ月間。その間は日に2回もハロワに通い、求人検索と企業研究に明け暮れた。なにせ、お上にタダ飯を食わせてもらっている身分。無駄遣いは極力避け、慎ましく生活する日々。ハロワに出ている求人は同じメンツ。「人が辞める・仕事がキツイ・人を育てない・誰も応募しない・ブラック職場」な曰く付きの求人ばかり。下手に妥協しては、悪戯に職業経歴に汚点を残すばかりだ。


受給期限が近づいてきた頃、介護系の人材紹介会社に登録をしてみた。「黒紳士の数少ない取得資格のうち、旧ヘルパー2級で就ける仕事の紹介があればなぁ」という軽い感じでの登録だった。Webから仮登録をし、本登録にはこの会社の事業所に行っての面談だった。


この人材紹介会社、登録はしてみたものの、あまり芳しくない感触だった。最初の本登録の面談も30分くらいの面談で終了。その後の連絡は某SNSアプリを使用してのものだった。面談の時にこちらの希望は7割くらいしか伝えきれていないように感じていた。会社の担当者は女性であまり打ち解けた雰囲気が無くて、黒紳士を腫れ物に触るような応対が印象に残った。


何度かアプリでやり取りをして、紹介された2~3件の求人を条件が合っていなかったのでパスをしていたら、とんと連絡が来なくなった。1ヶ月近くも音信が無くなってしまった。「要件が無くてもせめて、週一くらいで活動状況の確認連絡をくれてもいいのに」と思い、こちらから連絡をするのも何だか下手に出るようで癪だったので、自分で就職活動をすすめることにした。


残念ながら、人材紹介会社の担当者さんとは、気軽に連絡を取り合えるような関係ではないように感じた。「例えばこんな事業者はどうですか?」とか「ここの事業所は人間関係の雰囲気が良いですよ」とかそういう求人票からは伺い知れない情報が欲しかったのだが。期待が大きすぎたのか?


自分で仕事を探すにしても、どこに応募をしようか。「やはり、40代中年男性が正社員で入社できるのは福祉業界しかないか」と考えた。今までの福祉業界就業経験では4件中3件がブラック企業と惨憺たる結果で「もう、福祉なんか懲り懲りだ」と思っていたのだが、背に腹は代えられない。

何件か候補を決めて、自宅から歩いて通える街なかの事業所に応募をしてみた。面接に行ってみると、事業所の施設長と一対一の面談。「うむむ、この施設長のワンマン体制なのかなぁ?普通は事務長みたいな人と、現場のリーダーみたいな人と3人くらいで説教されるのがパターンなのに」とこれまでの福祉系面接でのイヤな記憶が蘇る。


この施設長さん、歳は自分とあまり変わらない49歳の人で話し好きらしい。ちょくちょく、雑談を挟んでくる。だが、チェックは細かくて応募書類の中の職務経歴書の職業経歴をつぶさに一つずつ確認をしてきた。これには参った。何せ、どれだけ端折って書いても10数件は経歴書に記載してある。


一つ、5分くらいでも全部を確認するのに、小一時間くらいかかってしまった。仕事内容の補足と、退職理由を正直に答えていく。この際、上手く取り繕ってもボロが出るので、言いにくい人間関係での退職も正直に話した。面接ではNGとされる答えだが、何を今更という心境だった。


経歴の確認が終わり、施設長さんからの説教タイムが始まるのではないかと暗澹たる気持ちで待っていると、


【黒紳士さん、この施設でやっていく覚悟はありますか?】


【ご承知のとおり、この仕事は大変な仕事です。今まで色々と苦労されてきたようですが、あなたがもう一度やり直して、生まれ変わったような気持ちで頑張る覚悟はおありですか?】


このパターンは想定をしていなかった。説教をされて終わりだと思っていたので、この面接は予行演習くらいに考えていたのだ。これはやる気を試されている質問だ。どうするか?


瞬時に考え【はい、ここの玄関をくぐった時から覚悟は決めておりました】と返事が出た。


(心の声)「ええーっ、マジかよ?黒紳士!?」


という訳で電撃的に就職が決まった。この事業所、Webで調べた際に前前年度に一年間に数名の退職者を出していたので、少し気にかかっていたのだが、渡りに船とは正にこの事だ。施設長さんとガッチリ握手をして面接から帰路についた。


人材紹介会社に一応、仕事が決まったことを連絡した。電話の相手が紹介担当の人だったかどうかも分からなかったが、仕事が決まったこと、お世話になったことを伝えた。何気に個人情報の取り扱いを気にしている黒紳士。もう縁切れなので「提供した個人情報はちゃんと抹消してくれるのか?」と質問をしたかったのだが、聞きそびれてしまった。向こうは「こんな我侭ちゃんなのに、仕事が決まったのぉー?嘘ーぉ!!」という感じで驚いていたようだった。(黒紳士の主観)


他に、雇用保険は受給期間は終わっていたので、面倒な手続きはなかった。しかし、他にも採用者が2人いるとのことで、面接から4日後には出社することになった。健康診断書やら、手続きの書類やらで、残り少ない所持金を結構減らしてしまった。だが、必要経費。渋々ながらも準備をした。


そうして就業してから一週間がたった。現在は研修期間中で、人の顔と名前を覚えるのに苦労している。50名くらいの利用者さんに、職員も覚えなくてはならない。幸いな事に研修期間は長く取られているので、まだケアサービスに入ることはない。とりあえず、少しづつ様子を見ながら骨を埋められる環境であるのかどうか判断していこうと思う。



こんな近況を送っている黒紳士だった。













(12:30)

2019年08月04日




8月。北東北もようやく梅雨が明け、厳しい暑さが続いている。


気温自体はそれほど高くはないのだが、湿度が高い。カラッとした暑さではなく、ジメッとかジトッとした暑さなのだ。幸い、時折吹く風によって救われてはいるがこの夏の不快指数には辟易とさせられる毎日を過ごしている。


近年の暑さは尋常ではないので、我が家も無い袖を無理矢理に振って文明の利器、エアーコンディショナーを導入した。お袋が夏の暑さに耐えられなくなってきているのと、風呂上がりの汗が吹き出る状況を打開するためだ。だが、緊縮財政の我が家。エアコンの使用は最小限に留めている。


6月末をもってバイトが終了し、その後ハロワに相談。なんとか雇用保険を受給できることになった。退職理由が「バイトの雇用期間満了」だったので、直ぐに受給を受けられることはありがたい。これが自己都合の退職になると、受給できるまでの3ヶ月の待機期間が設けられることになるからだ。


応募先候補はなかなか見つからない。どれも「帯に短し襷に長し」なのだ。だいたい、求人票を一読しただけでは、その事業所の雰囲気や人間関係、風通しの良さなどは分かるはずがない。最近ではホームページを開設している事業所もあるが、HPにネガティブな事を晒している事業所はある訳がないのだ。よって応募も博打の要素が多分にあり、いまいち踏ん切りがつかない。


そんな週末。NHKでアニメ作品が放送された。メディア等で話題になっていた作品、




なんとなく「戦争もの作品」というイメージしかなかったが、他に魅力的なTVプログラムが無かったので、視聴してみることにした。


あらすじは、


太平洋戦争中の1943年(昭和18年)12月、18歳の浦野すずが草津の祖母の家で海苔すきの手伝いをしていると、突然縁談の知らせがくる。急ぎ帰宅したすずが覗き見たのは、呉から来た北條周作という青年だった。翌年2月、呉の北條家でささやかな結婚式が挙げられ、すずの新しい生活がはじまる。すずは周作とどこかで会った気がするが思い出せない。傍目には不器用で、いつもぼんやりしていて危なっかしく見えるすずは、北條家で失敗を繰り広げては、小姑の黒村径子に小言を言われる毎日を過ごすが、径子の娘である姪の黒村晴美には懐かれる。戦時下で物資が不足し、配給も乏しくなる一方、すずは持ち前のユーモアと生活の知恵で、食料に乏しい日々を乗り切り、次第に北條家やその近所の人々に受け入れられていく。



やがて日本の戦況が劣勢になり、軍港の街である呉は1945年(昭和20年)3月19日を境に、頻繁に空襲を受けるようになる。それでも戦時下の日常を明るく過ごそうとするすずだったが、同年6月22日の空襲で、通常爆弾に混ぜて投下されていた時限爆弾(地雷弾)の爆発により、目の前で晴美を亡くし、自らも負傷により右手を失ってしまう。意識が戻ったすずは、晴美を守れなかったことを径子に責められる。絵を描くための右手を失ったすずが認識する世界は、左手で描いた漫画のように歪んで見えるようになり、同時にすずは、人の死が日常となったこの世界に順応しつつある自分こそが歪んでいるのだという思いを抱く。同年7月1日の空襲では呉市街地が焼け野原となり、郊外にある北條家にも焼夷弾が落下する。見舞いにきた妹のすみは、江波のお祭りの日に広島の実家に帰ってくるように誘う。




帰りの汽車に乗る予定であった当日の8月6日の朝、すずは径子と和解して翻意し、北條家に残ることを決意する。結果としてすずは、その日に広島市へと投下された原子爆弾による被爆を免れるが、爆心地から約20キロメートル離れた北條家でも閃光と衝撃波が響き、故郷の広島方面から立ち上る巨大な雲を目撃する。8月15日、ラジオで終戦の詔勅を聞いたすずは、一億玉砕の覚悟とは何だったのかと激昂して家を飛び出す。それまで正義の戦争と信じていたものの正体が、ただの暴力に過ぎなかったことに思い至ったすずは、「何も知らないまま死にたかった」と独白し泣き崩れる。




すずは呉の軍港で、軍艦が好きだった晴美が死の直前に覗き見ようとした先に、水原の乗艦であった軍艦(重巡洋艦青葉)が大破着底しているのを見かけ、その傍に佇む水原を見かけるが、話しかけることなく去り、自分がこの世界でもう会えない人たちの記憶の器として在り続けるという決意をする。翌年1月、すずはようやく広島市内に入り、草津にある祖母の家に身を寄せていたすみと再会。すずの両親は既に亡くなっており、すみには原爆症の症状が出ていたが、治らなければおかしいと彼女を励ます。廃墟のようになった広島市内で、すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた周作に感謝しながら、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻る。空襲に怯える必要がなくなった呉の夜には街の灯りが戻っていた。Wikipediaより



漫画作品が原作で、アニメ映画化にあたって色々と原作から省かれている部分もあるようだったが、初見でも楽しむことが出来た。ヒロインすずの絵柄から「ファンタジーっぽいノリの作品なのかな」と導入5分くらいは何度かチャンネルを変えようかと逡巡したが、序盤から中盤にかけては作品に引き込まれ夢中で見入った。


全体を通じて自分が思ったことは「これはただの反戦アニメではなく、いろいろなことを考え點せられる作品だ」ということ。戦争によって弱い者が犠牲になることを始め、家族とのことや、男女のこと、辛いときの気の持ちよう、などなど。


すずの日常を丹念に描くことによって、現代社会に足りないものが浮き彫りになるように思えた。残念だったのは、多少、話が分かりづらいシーンが多かったこと。子供にも観てもらうべき作品なので、もう少し説明的な補足があっても良かったと思う。声優陣もすず役ののんさん(能年玲奈さん)を始め、良い演技だったと思う。


この作品はもっと多くの人に鑑賞してもらいたいと思う。特に為政者には。








(11:07)

2019年07月06日




久~しぶりの記事更新。


書くことはたくさんあったけど、ブログの記事を書く作業は自分にとってはとてもストレスの伴う行為なのだ。いい気になってプライベートのことを書きまくった日にゃ、自分の行動や生活圏が赤の他人に筒抜けなんてことは避けたい。


まずは報告として、


「バイトが終了したこと」


を書かねばなるまい。元々は2月から6月末までの契約。人間生きているのだから、時間の流れは止めることが出来ない。ただ、これには注釈があって、バイトの作業自体は延長で続いている。


というのも、現場の作業が当初の期間内には終了出来ず、泣きの1ヶ月延長になったのだ。80人以上いた作業員も新たな延長ではそんなに人数は必要がなく、30数人に間引きされたのだが、その人選方法が出来レースっぽくて憤懣やるかたない。


ある日の作業時のこと。自分の大嫌いな現場世話役Tがやって来て話しかけてきた。このT、喋りが拙くてこいつの話していることの半分は理解出来ないという曰く付きの人物。おまけに朝礼や終礼では、ダメ出しばかりでこいつの所為で作業にあたってのテンションがダダ下がりにされたことは枚挙にいとまがない。


態度も常に尊大でいつも上から目線。よって、黒紳士は最初の一週間でこいつのことは大嫌いになっていた。そのTが【次の仕事はどうするんだ?】というような内容のことを問いかけてきた。(話、半分しかこいつの言っていることは理解出来ないので、多分、そういうことを言ったのだろう)


バイト終了までひと月あまりの頃のこと。その段階では「一ヶ月の延長がある」とは公式にアナウンスはされていなかったので【自分では長期にわたっての就業が見込める仕事に就きたいので、そろそろ半休をとって仕事探しを始める】と答えた。この答えがNGだったようで、ものの見事に間引かれ組になった。


当選者には電話がかかってきて、ひと月の延長があること。くれぐれもこのことは他言無用、そういったことを言い含められたらしい。居残り組のメンバーは最後の最後まで伏せられていたが、「えぇっ!この人が選ばれるの?」というような疑問符がつく人物も選ばれたらしい。


後から居残り組の気心の知れたメンバーから「どうして黒紳士くんは選ばれなかったのだろう?」とか「てっきり君は選ばれたと思っていた」とか口々に言われた。尤も、いい加減この仕事や建設会社のTには嫌気がさしていたので、「選ばれなくてよかった」と思っているのだが負け惜しみに聞こえなくもない。


それから、


「慰労会の実施」



もあった。同じ班の親方ことSさんがひと月半前から準備を進めていて、親方から【黒、お前には会計と司会を頼むぞ】とご指名されてしまった。正直、「うわっ、面倒くせぇ!!」というのが本心なのだが、親方のご意向には逆らえない。慰労会のチラシ作りや掲示、会場担当者との打ち合わせに付き合ったりした。



慰労会当日は雨だった。買ったばかりのDannerのポストマンシューズを雨の日デビューさせるのは気が引けたが、雨にも強い革靴だったので履いていった。会場は家からすぐ。30分以上前に着いたが既に親方は到着していた。


会場の割り当てられた部屋は当初聞いていた部屋とは別の部屋だった。事前に顔を会わせていた会場の営業担当者はあまり良い印象ではなく、部屋の変更も断りもなく、だったので早くもケチがついたようで少し先が思いやられた。


開始、10分くらい前になると参加者の9割方は集まっていた。部屋の前のロビーに屯っていた参加者を宴会場に誘導する。円卓が4つ。参加人数は30名なのでこれで事足りるだろう。めいめい、好きな席に着いていく。


開始時間になったが、あと4名が来ない。いつまでも待ってはいられないので、会を始めることにする。用意してきたカンペを見ながらマイクを使ってMCをしていく。この会では来賓クラスのゲストも何名か含まれているし、ご祝儀をくれた人もいるのでそれも紹介しながらなんとか乾杯まで進行をすることが出来た。


乾杯後にやっと一息ついてビールを飲む。幸い、同じ班の人が会計を手伝ってくれたので、後からやって来た4名からも会費を徴収することが出来た。後は会場内を酌をして周る。今回の参加者の中にはTも参加していたが、あいつは嫌いだったので酌はしなかった。他にも苦手な人もチラホラいたが、何とかやり過ごして事無きを得た。


そのうちカラオケが始まり、参加者の7割以上がカラオケの予約が出来ないbadguysなので、その都度リクエストを聞き予約した。参加費は割引になったものの、ろくに料理を食べることが出来ずに完全に割り勘負けをしてしまった。二次会、三次会の予定もあったが、何人かに丁重に現場で世話になったことのお礼を述べて、早々と辞去した。




「最近、買ったもの」



紹介の順序が前後したが、ポストマンシューズが欲しくなった。既にDr.Martensの3ホールシューズを持ってはいたが、レッド・ウィングやDannerのように長く履けて、アウトソールの交換ができるものが欲しくなったのだ。レッド・ウィングのオックスフォードシューズが欲しかったが、高い!Dannerのポストマンシューズも悪くはないので、Dannerのポストマンシューズを購入した。


それから、ナイロンジャケットが好きな黒紳士。通勤の際にはmont-bellのウインドブラストパーカを愛用していたが、何回か現場で着用したりしたせいで落ちない汚れが少し付いてしまった。mont-bellは日本のアウトドアメーカーで、その製品はコスパが高いことで知られている。


ノマドパーカも欲しかったが、これから暑い時季には少しそぐわない気がした。ウインドブラストよりも少し良い製品を、と白羽の矢が立ったのは「O.Dパーカ」。何でも肌触りがとても良いらしい。近くのスポーツ用品店を見てみたが、ウインドブラストの新モデルやMサイズのレインダンサージャケットしか無かった。


前者のウインドブラストは、もう持っているし、レインダンサージャケットでは、GORE-TEX使用のレインスーツで街で着るにはオーバースペック過ぎる。なので、mont-bellのオンラインストアからO.Dパーカ(O.DパーカーではなくO.Dパーカが正式名称)を購入した。色はさんざん迷ったあげく、好きな色のダークグリーンにした。これで、肌寒い時や雨降りのときに着用できる。


とまぁ、最近の状況はこんな感じ。何より、建設会社から離職票とかの書類が来ないとハロワで手続きも出来ない。「早く、送ってよこせ!!」と催促したいところだが電話をしても、また人を馬鹿にしたような塩対応をされそうなので、じっと我慢の子だ。奴らが言うようなまともな会社ならば送ってよこすだろう。









(15:30)