行政調査新聞別館

憲法改正について考える

「国家と憲法」補講

 

●「考察 国家と憲法」は行政調査新聞社社主・松本州弘が平成3年までに纏めあげた論文である。松本社主はこの論文執筆後に、関連する2つの小論文を書き上げ、周囲にいた者たちはそれを読んで「国家と憲法」の論を深めていった。その2つとは、「新国防論と戦争論」及び「世界情勢と日本」である。共に平成3年、4年頃に書き上げられたもので、今回もこの論文に手を加えることなくここに掲載する。「国家と憲法」をお読みになられたところで、ぜひこの2論文も熟読いただきたい。

 

「新国防論と戦争論」 (7)

「世界情勢と日本」 (7)

 

 

 

新国防論と戦争論

 

 

一、国 防 と 戦 争

 

 国防と戦争とは不可分の関係にありながら、その目的とするところと方法は、対極した本性を所有している。国防とは平和の探求であり、建設的な国家行為である。これに対して戦争の本性は、破壊であって、非平和的な国事である。

 国防と戦争を論じるに当たって、必然的に引用される言葉は「二頭の象が戦うとき、傷つくのは草だ」というケニアの格言である。象とはすなわち国家の情念であり、草とは国民である。前出したクラウゼヴィッツの言葉ではないが、戦争とは国家情念の衝突であり、国家同志の決闘である。

 この論旨について、反論の出ることは当然である。その反論の主旨は、概念的にいって、戦争は、侵略しようとする国と、その侵略から自国を防衛しようとする国との戦いであるから、本質的にみて、決闘とは異なるものであると言及するであろう。だが世界の戦争史のなかで、純粋に非決闘的な戦争というものは、極めて限られた戦争に過ぎない。数多くの戦争は、何らかの形態で相互に戦争を誘発する原因をともなっている。その典型例は、強国における弱国への植民地化戦争である。これは戦争論的定義に従えば決闘ではなく、強国の一方的な圧力であって、双務的意義での戦争とは定義し難いものである。

 双務的戦争でない戦争、すなわち侵略は、純粋な意味で戦争とはいえない。戦争の字句を言語論理学的に解釈すれば、戦って争うことであり、相互に争うことが前提とならなければならない。侵略は争うことでなく、一国の情念が、単に対象国を「強制」の支配下に置くことにほかならない。このことは、侵略戦争が、戦争論で示された戦争でないことの根拠である。

 

 かつての日中両国は、15年の長きにわたり戦争状態にあった。だが、日本の戦争を、侵略と断定した中国側は、戦争でない戦争を理由として宣戦の公布を敷かず、終始「事変」として扱い通した。また仕掛人である日本側も、侵略侵攻を戦争化する大義名分が得られず、国際上では「日支事変」としてとらえざるを得なかった。

 一見矛盾した「戦争でない戦争」の論理は、国防と戦争を理解することによって重要な意義をもち、またこの論理を正当に理解したうえでなければ、すべての国防問題、戦争問題を見極めることはできない。

 

 戦争とは、相互的、双務的な国事行為である。これに反する基盤のうえに立った戦争は、戦争ではなく単なる侵略行為である。現在世界各国の政府は、「国防省」なるものを所有しているが、戦争省を所有している国はない。このことは、自からの立場に立って「侵略」を遂行しない意志の現出であり、ひいては双務的、相互的な戦争を拒否した国家理念の表象である。世界の諸国が「国防」しか思考しない「世界」にあって、世界の各地で日常的に「戦争」が行なわれている現実は、すべてここに示した「戦争の論理」を曲解し、さらに人類の原罪に属する国家の情念が、世界を支配していることの証明である。

 戦争を形而上学観点から考察すれば、人類社会を浄化する、絶対唯一の聖的現象である。いかなる悪も、またいかなる国家の野望も、戦争によって滅ぼされることは必定である。人類が自らの英知によって遂行できないことがらも、戦争は容易に達成することができる。

 

 古代から中世、そして近世から近代は、人類社会発展の歴史である。中世では易々と首を落された咎人も、現代では法によって保護され、正当な扱いを享受できる。また、女人禁制であった諸習俗は歴史の前に崩壊して、男女同権が闊歩する社会を生んだ。

 人類の生活環境もいちじるしく進化し、以前には下層階級人が垣間見ることも許されなかった上流階級の生活も、現代では彼らをその階級の主人とし、彼らに与えられた眼が、ただ自分の足元を見るに過ぎなかったものを、今日では、ダイヤや、ルビーを見る眼に進化させている。現代社会のこのような変化と変貌をもたらしたのは、人類の英知ではなく、歴史の必然に支配された戦争によってもたらされた恩恵である。

 戦争論で定義された戦争とは、実にこのような「本性」に即したものであり、単に人々を殺戮し、国家の野望を満すための戦争は、戦争にして戦争に非らずの論理を生む根拠にすぎない。

「二頭の象が戦うとき、傷つくのは草だ」という前出の比喩は、本来の戦争に対するものであるが、戦争は、宇宙時間という範疇において、人類に多大な恩恵を付与する一方で、同時代の人類には破壊と悲惨をもたらす何物でもない。戦争は「本性」性の戦争においても人類にいく多の犠牲を強制する。

このことは、本性格をともなわない戦争が、片務的ないし独善的に多大極まりない犠牲を当事国の国民に強制するということは、当然の帰着である。

 二頭の象が戦うとき、国民が傷つかないように計ることは、戦略上の最高課題である。クラウゼヴィッツは、このことに関して、戦争術と戦争学を援用し、そのための方画を明らかにしている。彼の主張は時代的な差違もあり現代的ではないが、要は「自分の草の上」で戦争をするなということであって、そこには、クラウゼヴィッツ時代の戦争観がある。

 

 現在の世界軍事情勢は、最早、古典中の古典となった彼の戦争学を踏襲する方向に傾いている。すなわち、如何にして「自国内を戦場にしない」かであり、自国民を戦争の惨禍から乖離するかということである。

 戦争は避けることのできない事実であるという前提に立って、自国民を戦場から隔離することは、今日的な意味での「国防の大本」である。国防の大本は、単に「負けない」軍備をもつだけのものではなく、国防の本質たる戦わずして平和を確保することに次いで、国民を戦争の渦中にまきこまないことが重要なのである。

 各国が模索する戦争学の深淵もこのことに凝縮され、そのことの発見と、実現は、それぞれの国の運命を左右する課題となっている。従前に見られたイギリス、フランス、イタリアなど北大西洋条約機構主要構成国が、いずれもNATOと等距離的軍事関係を進めているのも、自国民を来たるべき世界大戦の戦場化から守るためのものであった。彼ら諸国の求める道は、集団世界戦争からの隔絶であり、戦争学に基く国家防衛の大本である。

 

 以前フランスを中心に、NATO戦域区の諸国に、左翼政権が相次いで誕生したのも、この間の事情を物語るものであり、そこには、なんとしてでも自国だけは「国防」の本意を貫徹したいという国民の悲願があった。中世以後、彼らの歴史は、戦争に明け暮れる歴史であった。百年戦争を経験し、三十年戦争その他多くの戦争を体験し尽した彼らは、東洋人が想像することもできないほどの「国防意識」をもち、その観念性が、現実に即した国防への道を選択させるのである。

 彼らは国防の任にあるものを「天使」として尊敬する。この言葉は、彼らの辿ってきた歴史からもたらされたもので、彼らの生命も、また文化も、守られることなくして維持することはできないとする本能感から延長されたものである。それゆえ、「天使」たちも、国家と国民のためには、真に国防的「気概」を傾注して、国民の尊敬という付託に答えようとする。

 このような「天使」たちにとって、国防は聖職的なものであり、従って、これを犯す者、ないし、私利私欲に利用する者等は断じて許さじの気魄がある。このことがまた、国民の信頼をかちとる源泉となり、国防当局と国民の関係に「理解と支持」が維持される。

 西欧諸国におけるこのような「国防感覚」は、歴史という背景を基盤として培われたものであるが、その側面では、関係者による自浄努力と、国民に君臨してはならないとする精神的修練の努力が間断なく注がれている。このような彼ら国民の気概を支える観念は、ウェリントン(注1)が述べた「戦争で一番ひどいのが負け戦さで、次にひどいのが勝ち戦さ」の言葉である。名戦略家であり、かつ戦術家であった彼は、ナポレオン戦争に大勝した直後前出の言葉を述懐している。

 戦争とは、空間的な時限からみれば、勝者にも、そして敗者にも大きな不幸をもたらす。このことを体験から熟知しているヨーロッパ人は、戦わずして国を護ることに全力を傾倒する。一旦戦火が交わされてしまえば勝っても負けてもすべてが灰になることを、彼らは歴史の教訓から知り尽しているのである。従って、彼らにおける国防の意義は、戦うことでなく、戦いを「しない」ことである。

 このことは、彼らの軍備感覚からも明確に見い出すことができる。彼らの軍備は戦争に勝利するためのものではなく、戦争を抑止するためのものである。西欧諸国のうち、フランスとイギリスは、早くから核保有国となった。核兵器に関する彼らの観念は、使用しないことを前提したものであり、核を所有することによって、核戦争から自からを護ろうとする意志の表明である。「孤独になりて、これを平和と称す」はタキトウス(注2)の遺した格言である。核問題がいかに世界世論の注視を集めようが、自からの選択によって核兵器を所有することは、冷厳な孤独性の選択である。

 真の国防は、人間における人間実在と同じく、国家が「実在」してはじめてその本義を達成できる。国家の実存とは、すなわち、いずれの国の助けも借りないことであり、同時にいずれの国からも干渉されないことである。自立とは、孤独性の強調であって、この孤独にはあらゆる難苦が前提化されている。しかし、この難苦を、国家国民が一体となって、一つ一つ開拓して行くところに気概の源泉がある。国民の気概なくして、国防はあり得ないと同時に、この気概こそ、戦わずして国防の本義を顕現化する活性源である。

 

注  釈

(注1)ウェリントン イギリスの軍人。初代ウェリントン伯爵。1769年~1852年。イギリスのインド進攻戦争に参加し戦功を立てる。その後、いく多の戦いに従軍し活躍する。ナポレオン戦争では、連合軍総司令官として指揮をとり、1815年のワーテルローの戦いでナポレオンを破り大勝利を博す。晩年は政界に入り、トーリー党の党首として内閣を率いる。イギリス保守主義の政治家で、首相に在任、中学校教育に力を注いだことは有名。

 

(注2)タキトウス 古代ローマの歴史家。55年ごろ~120年ごろ。前半は政治家として活躍し執政官・総督を歴任する。世界最初にゲルマン民族の研究に着手しゲルマンの本質を解明した。「ゲルマニア」はゲルマン民族研究の著書で現代においてもゲルマン民族研究の貴重な文献となっている。政治における共和制を主張し専制政治を批難したことでは有名。世界著名歴史家の一人に列せられている。

二、戦争の諸要素

 

 概念的にいって、戦争のもたらす要素は、孤独の選択である。勝者は支配者として孤独となり、敗者は従属者として孤独になる。いずれにしても、非孤独の環境を確保するためには、平和でなくてはならず、戦争をしてはならない。

 このことは、通常の社会生活と共通したもので、常に闘う者は集団から疎外され、優者は生活社会から遊離した存在となる。戦争はこの意味において、孤独への道であり、集団から疎外されることへの選択である。

 

 最近、戦争の言葉は、多様な分野で多用されている。いわく経済戦争、受験戦争、さらに何々戦争、なんとか戦争等々と列挙したら限りがないありさまである。このことは、本来人間が戦いを好むことの証しであり、戦いなくしては生きられない人間の、本源的な性向を表わしたものである。このため自然の摂理は、人間に多くの戦争原因を付与し、かつ、人間がつくり出した諸悪を、人間自からの手で浄化する方画として、人間に戦う本能を与えている。かかる自然性は、従って、戦争に諸要素を含ませるものとし、それら諸要素を一つ一つ解明する方法を、自然は人類の英知にゆだねている。

 戦争には、必然的に二つの側面がある。一方は、戦争が人類にもらす恩恵である。

 端的にみて、近代以後に発展した科学技術は、戦争による恩恵が大である。特に最近、異例の発達を遂げた超精密工学は、核ミサイルを含めた各種ミサイルの誘導装置として開発されたものが多く、若し、ミサイルというユーザーがいなかったならば、この分野の発展は望み得なかっただろうとするのが、学者の見解である。この見解に共通するものは、電子工学、光子工学は言うにおよばず、理論物理学が、原子爆弾の故をもって発展したことと源を一つにするものである。戦争はあらゆる科学技術の母であり、その母を補助するものは、国家国防という父である。

 この論理を経済戦争に引用してみるならば、その本質に、武力戦争と異なるものはない。武力戦争が、名実ともに喰うか喰われるかであると同じく、経済戦争もまた、喰うか喰われるかである。このことは、第一次、第二次の石油ショックでも示されており、純粋な商業ビジネスも、本質を質せば武力戦争と何等変るところはない。

 

 日本が諸外国に自動車を輸出することは、日本による経済的な攻撃である。これに対して、輸出される側が、諸商品を買えという要求は、彼らによる経済的な防衛行為である。多くを売り、少なく買うこと。価値性の高い商品を輸出し、価値性の低い商品を輸入することは経済戦争の原則である。この原則を長期にわたり持続するものが、すなわち経済戦争の勝者であって、反対にこの原則を維持できない者は敗者である。

 この経済戦争の「原則」は、単に自然が人類に与えた自然法則ではない。たしかに、戦争帰結の法則、すなわち、強い者が勝ち弱い者が負けるという原則は自然的なものであるが、経済戦争に適用される原則は、中世以後の思想家と、ビジネスマンが汗と血を犠牲にして戦い奪ったものである。この点に関して、武力戦争と経済戦争には、本質的に異次元のものがあり、このことを真に理解した者でない限り経済戦争で勝利を収める資格はない。

 

 第二次世界大戦が終息するまでの世界は、今日と異なり武力と経済は不可分の関係にあった。武力的な強者は、武力を背景とした経済活動を展開して弱者を圧迫した。植民地インドで生産した阿片を、中国に「買わせ」中国銀を奪取すると同時に、あわよくば中国をインド化しようとしたイギリスの政治は、武力と経済が一体化した典型であり、これに準じた行為は、いわゆる西欧列強と称されたヨーロッパ勢が常套とした手段だった

 さらに、かかるヨーロッパ諸国は、武力と経済を交互に使い分けることによって、対象国を骨抜きにし、果ては総督を送り込んで自国の属領とする「武力、経済力連合」の政策を展開したのであった。

 かかる産軍一体のビジネスに、批難の矢を向けたのが、思想、法律界では、三権分立論の提唱者モンテスキューであり、政治、経済界では経済学者のボブソンだった。彼らはそれぞれ学理的な立場から、産軍一体の経済活動を批難し、あわせて「侵略的、国防的」な保護貿易政策を批難した。彼らが主張した経済活動は、自由貿易であり、とくに政治的介入の「関税」政策を批難した。彼らは、政治に保護された貿易は、必然的に戦争を誘発すると指摘し、平和と自由貿易の双務性、ないし、貿易の自由は、その帰着において平和をもたらすと主張した。

 しかし、同時代の西欧は、彼らの主張を無視し、政治と一体化した貿易を一つの権利として遂行し続けた。その結果は各種戦争の誘発であり、さらに侵略政策、植民地政策という「武力戦争」だった。

だが、西欧勢が、思想家、経済学者の指摘に抗して保護貿易を行い、そして手に入れたものは果してなんであったか。大きなところでは、第一次、第二次の世界大戦であり、小さなところでは多種多様な小戦争、および内戦を含む革命事件だった。

 さらに、かかる非経済戦争を通じて、彼らが遺したものといったら、一時的な国家の栄華と、それに続く国家の衰退、および建設した諸文化の、暴力的破壊であった。このことは、まさに、モンテスキューら、同時代の賢人が指摘した通りのものであり、彼らは賢人の予言した誤った道をひたすら歩み続けたのである。しかし、経済の主流が、産軍一体の保護貿易を推進する反面で、「全人的」な考えをもつ一群は、早くから「自由貿易」の道を選択していた。彼らは強風に吹かれ消えかかる、自由貿易という炎を守り抜いて、歴史を生き続け、20世紀の現代人に、その炎を引き継がせた。

 経済は戦争という媒体を経て大きく発展した。その経緯は、ここで述べてきた如く、例え誤っていたものであっても、発展したという事実は否定できない。この「誤った道」は、中国の阿片戦争に例をとるまでもなく、数億数十億の人類にいわれのない圧力を加えたものであったが、同時に、人類を「文明」化し、「近代」化した功績までも拒否することはできない。戦争と経済の関係も、また「戦争」がもたらした恩恵の一つと認知しなければならない。

 他方、戦争がもたらした罪悪は、改めて論じるまでもなく、破壊と殺戮である。だが、「破壊と殺戮」は、前項で数次にわたり言及したごとく、それ自体は、現象学的なもので、善悪倫性の体系を構成するものではない。要は、破壊と殺戮に至る過程であり、これを遂行するための諸条件である。

 

 現在世界各国が費消する年間の軍事費は、1兆ドル以上といわれている。これを1日当りに換算すると27億4000万ドルになる。この軍事費の10日分、すなわち274億ドルを、貧苦、病苦に喘ぐ十億以上の人々のために費消したら、地球上から非人間的な生活に呻吟する人類を払拭できるという計算が成り立つ。わずか10日分で、人類は、人類としての名誉を獲得し、さらに自然が人類に課した唯一最大の義務をまっとうすることができる。しかし、現実は理想と合一することはできないとする法則に拘束された人間は、軍事費の増額を討論する英知を有するが、彼ら非人間的な生活をする人類を救済する知恵は排除するのである

 

 年間1兆ドルもの巨費を投じて、「建設」されるものは、いうまでもなく、人類殺戮のための兵器と、何千年、何百年もかけて人類が築きあげてきたところの諸文化を破壊するための科学的な道具である。しかもそれによって被害を蒙る者は、この巨費を、個々に供出した人類自身である。

 自らによって、自らを滅ぼす。これが、戦争の具有する「罪悪」の本質である。この本質は、さらに諸条件を加味して、加速度的に戦争の諸要素を形成、その帰結に、現象的な、戦争論的な「殺戮と破壊」の完成に至る。

 戦争における、かかる二面性は、或る意味で人類の進化がもたらした必然である。人類の文明とは、戦争をより複雑化し、その帰結に、戦争の諸要素を多様化する。

 人類にとって、戦争は避けることのできないものである以上、今後の「戦争」は、人類の英知によって、単純なものとしなければならない。強い者が勝ち、弱い者が負ける。ただこのことで良い。ただし勝利した者が、敗者を保護する義務を負い、負けた者が、勝利した者に保護される権利をもつというような、戦争論理の形成が、今後の人類に課された命題である。この一見矛盾した論理こそ、かつての「聖戦」が本分とした戦争であった。

 地球上から、ないし人類から、戦争を廃絶する方法は、政治、経済学者、国際法学者の論じる局限的な「真理」ではない。それは大局的、史的に人類を見透した、ごくあたりまえな感覚と眼力である。

 戦争に勝っても、何の利得にはならないとする人類の文化を、より普遍的に形成することが、すべてにまさる戦争帰結論である。

 そのような社会を構築することはできないとする学者は、学者の資格を有しない愚物というほかはない。第二次世界大戦以後の世界情勢は、まさにこの方向を指して進化しつつあり、近いか遠いかは予断を許さないものであるが、本来は必然的にかかる地球社会を形成するのである。

 このことは、今日的な時限での武力的「国防」の必要を正当化するものであり、「勝利しても得るものがない」社会を構築するための前段階として、「戦っても利するものがない」社会を定着化するための「必要悪」である。現在すべての国が「戦っても利するものがない」ことの自覚をもつためには、それぞれの国が、自国の国防力に依存する以外に道はない。防衛のためには侵攻者を徹底的に破壊する。このことの貫徹が、侵略国の野望を断念させる唯一の方法であり、またそれなくして、国際的な平和を維持する方画はない。

 

 この論理は、戦争のもつ諸要素を総括し、そのうえにおいて、これら諸要素を無意味なものとし、さらに戦争の具有する「恩恵」的なものを、自然的なものに転化することの必然性を証明するものである。

 

 戦争と平和は、対極をなす相互矛盾である。しかし、国防と平和は、平和におけるところの起動力である。戦争の諸要素を根元的に否定し去り、平和の諸要素を「戦争の諸要素」に替えて現出することが、現代の人類に課された義務である。

三、集団防衛と自助防衛

 

 近代軍事情勢の変遷は、個別防衛から地域防衛に、そして集団防衛への転換である。

 過去の軍事史は、古代ローマの時代から、数多くの「連合」戦争を明らかにしている。しかし、近代以前の国防ないし戦争は、ともに利害関係の一時的な発現によって形成されたもので、現代的な「集団」化した軍事行動とは異なるものであった。その形態は、強国である支配国が、弱国である被支配国に強制して、強国の戦争に動員したもので、双務的な集団行動とは、おのずから異質なものだった。20世紀初期に勃発した第一次世界大戦における反ドイツの連合国も、その質的内容は「当面」の問題と、さまざまな国の、国際情勢に影響されたもので、今日的概念である「集団」戦争とはほど遠いものだった。

 また、第一次世界大戦以後の各種戦争、すなわち、中東、アフリカ諸国に関する領土、利権戦争、そして日本における、対支(日中戦争)対ソ(ノモハン事件)戦争などは、ともに日本と中国、日本とソ連との係争であって、第三国を巻き込んだ「国際」紛争ではなかった。いわゆる当事国同志の戦いであり、裏面ではともかく、表面では、当事国以外我れ関せずの立場を堅持した。

 このような古典的国防と戦争に、転換を与えたのは、超大国の「論理」であった。一応「成すべきことを成し遂げた」超大国は、国内的な諸要因に従って、世界の列強国に軍備の縮小を迫った。超大国による軍縮の真意は、彼らが既得した権益を、後発の列強国に脅かされることなく維持しようとしたもので、ここには超大国の独善と欺瞞があった。

 第一次大戦以後の日本が、いくたびか、この軍縮問題に遭遇して苦慮したことは、日本の国軍史が明らかにするところである。超大国間で世界を支配しようとした彼らは、それぞれのグループ毎に勢力を結集し、「集団」化の道を歩み出した。

 その現われは国際連盟の結成であり、超大国は国際連盟の大義を盾に、後発先進国の外交と、内政に干渉し出した。だが、この時代とこの間にあって、彼ら超大国が目標とした対象国は、専ら日本、およびベルサイユ講和条約を破棄し、超大国への道を歩み出したドイツ、並びにいまや新興国となりつつあるイタリアの3国であった。これはいわゆる枢軸国と非枢軸国の対立であり、ここにおいて、国際政治の舞台に、イデオロギーが関与するようになった。

 枢軸国と非枢軸国の対立は、所詮「下克上」に関する利害の対立であり、ともに国家の情念を露わにした対立だった。従って、この時限での「集団」は、利害を同一にする国家間の集団化であって、国際問題を「理念」にまで高揚したことでの集団軍事同盟ではなかった。この意味で、国際連盟は、超大国の主義主張機関にすぎず、現在の国際連合機関とは、質的に異なる性格を帯びていた。

 国際連合は、世界諸国の連合と連帯を前提としたものである。このことは、国際連合憲章の序文で述べた「われら連合国の人民は」でも明らかである。したがって、人類が真に連合したものでない間にあっては、国際連合憲章の意義は、単なる美麗字句に終わる運命にある。このことは、国際連合発足以来、超大国による数次の武力行使、すなわちソ連の衛星諸国侵犯、アメリカの民族自決権干渉事件などに対して、国連が憲章に明記された事がらを何一つ実効できなかったことでも明らかである。

 

 しかし、国際連盟があからさまな、自己主張機関であったのに対して、国際連合が、無力とは言われながら、国際的第三勢力なるものを育成し、これら勢力を一応東西両勢力に対する第三勢力としたことは、それなりの成果である。だが、国際連合の表舞台が、一先ず「われら連合国の人民」によって飾られているものの、その裏舞台は、依然として力が支配する情念の「世界」である。この情念は、必然的に、自由主義陣営、社会主義陣営、第三勢力陣営の三極構造を形成し、国際連合が本来の理念とする「われら連合国の人民」を遥か遠いものにしてきた。

 さらに、国連憲章で明記され、かつ国連の実質的な理念である加盟各国の「平等」は、超大国のみに許された拒否権によって制限され、その理念の大半は超大国のエゴで喪失している。国際連合のかかる実情は、かつての国際連盟が辿った経過と軸を同じくするものであり、それが延長された帰着は、国連による平和の維持には、限界があるとするものである。

 

 三極化された世界の勢力分布は、或る意味で新たな紛争を生起する原因ともなった。このことは、新興勢力の一端を担う石油輸出国が発動した石油戦略、さらには1991年初頭に始まった「湾岸戦争」によって示されている。

 

 戦争の原則ないし法則は、「強者対強者」の戦いが普遍である。前述した「強者対弱者」の戦いは、本来的意義での戦争とはいえないのである。

 強者対強者の戦争は、必然的に相互の強者に「隷属」する「強者でない国」を、戦争に巻き込む結果を招来する。この道理は、「強者でない国」の自決権を否定するもので、強者が弱者を支配する前時代的な「強者の感覚」というべきものである。

 かつてのベトナム戦争は、アメリカ人として何の恨み、つらみもないベトナム人を大量に殺させ、そして彼ら民族の遺産を破壊させた。また、ソ連のアフガニスタン侵攻は、ソ連領イスラム系の兵士に、同じくイスラム人の殺害を命じ、さらにイスラム文化を、ソ連文化に置きかえることを命じた。このような非人道的、非人類的な行為を、国事として遂行させた原因は、集団安全保障という美名に支えられた各種の同盟条約であり、大国の独善に踊らされた「弱き国、弱き者」の悲劇である。

 

 国防の問題を思惟する場合、当然かかる「謂われ」のない悲劇から、国家民族を保全する方画を検討しなければならない。これが「現在」を思惟する者にとって重要な課題である。また国民にしても、国防のため真に戦わなければならない相手は、国家、民族を破壊しようとする敵であり、何物かによって「造られた」敵ではない。

 

 日本国のために、日本人が生命を投げ打って戦う。ここに国防の本義が存在することは、何人によっても否定されることはない。ドイツのために、ドイツ人が武器をとる。フランスのために、フランス人が戦場に赴く。スイスのために、スイス人が生命をかける。この思想は、最近のヨーロッパに浸透しつつある国民の国防感である。

 アメリカのために、日本人が戦場に生命を散らす謂れはない。同時に、アメリカ人も、日本人を守るために海洋の藻くずと化す要はない。「国防とは、自からを守ること以外の何物でもない」。ここに始めて、国民の総意というべき気概が登場し、若き特攻隊員が後願の憂いを抱かず勇躍して戦場に散ることができる思想の源泉がある。

 国防とは、国を守ることであり、他国の政治に迎合するものではない。そのために、世界第4位にランクされる国防費が不足ならば、第3位といわず、それ以上のランクを目標としなければならない。

なぜ守らなければならないのか、守るということは何なのか、これを国民一般が自覚したとき、国防費の増額は、国民の合意となる。

「……自国の防衛は本来自からの責任である」防衛白書が言うところの防衛も、またこのことと同意語である。しかし、現在の国防とは一体何を意味しているのか、われわれは何から何を守らなければならないのか。このことについて、為政者が明確に、国民に訴えることができる国防でなくてはならない。

四、戦争における現実と幻想

 

 戦争には、必然的に現実と幻想が随伴する。このことは、戦争が非常の超現実的な現象であるが故に、そのもたらす幻想感はとくに強烈である。フロイトは、超現実的なものの快楽性と、それに続く幻滅性を、人間精神の領域で解明した。精神病は、正常人の避難所であると同じく、戦争は諸矛盾を内包した国家の避難所である。人は興奮したとき異常な心的状態に見舞われる。その興奮が頂点に達したとき、その心的状態は破壊性へと誘導される。ヒステリー症者が、物を破壊することに救いを求めることは衆知のことである。

「人間が、もう少し気狂いでなかったならば、戦争から生まれる悲劇を免れたはずである……」は、20世紀前期を代表する作家の一人、ジード(注1)の言葉である。彼は続けて言う。「……戦争を回避するのに、何も特別の才能、才知はいらないのだ。平凡で単純で一番正しいこと。すなわち、殺されるのは嫌だ。人殺しはもっと厭だと叫べば良い。人間は賢者も、富める人も、貧しい人も、皆この言葉を心の底に持っているのに、それを表面に出すことができないのだ。もう少しの勇気がないばっかりに……」。

 

 人間が真に自分を振り返ったとき、すべての人は、ジードの言葉に共鳴するであろう。誰が殺されることを好み、殺すことを欲すであろうか。しかし、人間の歴史は、かかる単純率直な「真理」を拒否し、殺し殺される道を歩き続けてきた。何故か。これが、現代を生き、そして現在社会を構成する一人一人の「人間」が思い直さなければならないものである。

 百億の財産を所有する者も、その日のためのみに生きる貧者も、死者となれば皆同じである。例え数億の費用をかけて建立した墓碑に、自からの名を刻みこもうとも、死者は死者であり、二度と生存回帰することはない。財産も墓碑も、天国へのパスポートにはなり得ず、確実なことは、地獄へのパスポートになるであろうということである。

 かかる判然とした条理を、何故ゆえ、人間は犯し続けなければならないのか。その回答は、フロイトによって、すでに解明し尽くされている。その不条理の本質は、人間の情念であり、弱さと不安から発した人間の人間性、すなわち、人間の本性である狂気にほかならない。自然は人間に狂気を付与し、さらにこの狂気を発展進化の原動力に転化する知恵を与えた。すべての発展は、狂気と不安を母とする。とくにこの論理の示すところは、虚偽を前提として組成された「社会」にあっては、狂気と不安は、虚偽を偽善化する特効薬となり、すべての真実性を虚偽の中に取り込んでしまう。狂人が常に「武器」を持ち歩くのもこの論理の帰着するところで、このことは国家民族においても、日常的に「武力」をギラギラさせるなどは、狂人の論理と相い通じるものである。

 本来的に言えること、真実に生きる民族にとって、武力は不必要である。一歩譲って、国防に巨費を投じる行為は、狂人国家から国家民族を保全するためである。

 国防を唱える国があっても、侵攻を唱える国はない。このように、理想化された現実の国際情勢の中にあって、国防がより重要視されなければならない原因とは何か。いうまでもなく、どこかの国が嘘をいっているのである。嘘がある国家、言葉を変えれば狂人国家、国防の美名のもとに世界制覇を企む国家が存在するから、人類は国防を現実の問題として取り組まなければならない。

 

 国家民族が固有の情念をもつ以上、国家間の紛争は当然の「営み」である。だが、この情念が、虚偽、偽善と一体化したとき、情念はエネルギーを吸収して肥大化し、果ては爆発しなければならない。

すなわち虚偽が充満した国家は、自己保全のため戦争を起さなければならない。本来戦争とはこのようなものであり、多くの大義名分で飾られた戦争行為も、その源を透視すれば、ただ幻減する以外にない。

 国防とは、かかる不条理な情念国家の侵略意図を未然に防御するためのもので、初期段階で、この目的が達せられなかった場合、始めて武力を行使し、狂人国家を壊滅することにある。このためにも、普遍的な国防は、狂人国家の野望を、事前に挫折し得るものでなくてはならず、相応な軍事力の保持、撃ちてし止まんの国民的気概の培養が不可欠の要因となる。このような国防の本分を、すべて整えたうえで、国民一般が、戦争における現実と幻想を自覚したときその国家民族は、理性に支えられて21世紀の扉の前に立つ資格をもつことができる。

 今日の国防は、ある意味で、国家民族の将来を決定する重要性を随伴している。世界が核の戦場となったとき、その戦場から自国を隔絶した状態に保つか否かは、一にかかって、現在の国防「様態」に負うところ大である。「陣営」に所属して陣営とともに崩壊するか、「実存」の道を貫き核から生き残るかは、すべて、現在の国防問題に係わる命題である。

 

 世の賢者は安易に平和を口にする。しかし人類にとって、平和などという空想ごとが、現実に実在しないことを承知の上にである。非平和の最大原因は、国家が富者になることであり、諸個人が恵まれた環境に身を置くことである。富める国家は常に「富まない国」の存在に畏怖し、競々とする。時限的に幸福な諸個人は、宿命という自然力に恐れおののく。いずれも平和であるがゆえに、平和を恐怖し平和からの脱却を願望する。

 平和について、ヘーゲルが指摘した言葉は、余りにも示唆的である。「人間にとって平和は暫時的なもので、平和での永続性は存在しない。真の非平和的現存在は、自己内における観念性の闘争であり、自己と自我の闘争こそは、非平和、闘争性の端初である」。

 人類は生まれながらにして非平和的存在であって、例えそれが時限的にせよ、平和と呼ばれる「時間」があるとすれば、それは、人間が生み出した理性であり、文化である。

 この論理は、単に人間個体だけに採用されるものではなく、人間の集合体である国家、社会にも適用される論理である。

 前出した富める国の恐怖と、幸福な諸個人の畏怖は、ともに「平和での永続性は存在しない」の論旨を根拠としたもので、平和であるがゆえに平和を恐れる人類の宿命を凝固したものにほかならない。

 この論趣は、同時に、自由に関しても引用されるもので、「自由」な人間は、より不自由であり、「不自由」な人間は、より自由であるとする論理を成立させる。この論理の根拠は、自由は不平等を前提とし、不自由は平等を前提することにおいて、言語上の矛盾は解消される。

 このことについて、ゲーテは次のように述べている。「学者にせよ、政治家にせよ、自由と平等の二つを同時に約束する者は、空想かペテン師だ。自由と平等がこれまで仲良かったためしは一度もない。自由であろうとすれば不平等が頭を出し、平等であろうとすれば、自由が制約される。自由と平等の結合は、永遠にわたり人間の夢であるが、そのようなことが実現すると真から考える者は、馬鹿でなければ気狂いである……」。

 現在の日本は、正にこの問題に直面したチャンピオンともいうべき存在である。

 経済の分野で自由貿易を主張すれば、政治・外交の分野で「自由」を束縛される。政治・外交の舞台で自由「行動」を選択すれば、経済活動では保護貿易という不平等に堪えなければならない。自由と不平等、不平等と自由は、現在の日本が乗り越えなければならないものであるが、これが、自由と戦争、平和と不自由に延長されることだけは、なんとしてでも避けねばならない課題である。

 経済の「自由」貿易的国際化は、必然的に政治領域での不自由を招来する。しかし、現在の日本に経済を犠牲にしての、政治的優位性の確立は望むべきもない。日本の経済力、否、日本の実力は、すべてが他力依存の形態であり、経済にしても、政治にしても、自由と平等を両極的に獲得する「経済」余裕はない。世界第2位の経済力も、一面では政治的自由を犠牲にして獲得したもので、その基底には、将来に延長される諸要素が潜在化されている。

 戦争における現実と幻想は、同時に国家の在り様にも適用され、表面的な現実は、その裏面において幻想をもたらす原因である。華々しい現実も、必然的に多くの誤謬と錯誤を内在する。「地上の存在物は地中に眠るものに比べれば、その何十分の一に過ぎない……人間にしても、表面に見えるものに比べたら、皮膚の内側に内蔵されたものは、細胞をはじめ、何億何十億のものを有している。現実の現象は、いずれも眼に見えない多くのものによって支えられている」は、アメリカの詩人ブライアント(注2)によって語られた言葉である。

 人は現実を理解しても、その現実を支える非現実を理解しようとしない。現実には多くの虚飾と誤謬が内在するが、非現実にはそれがない。非現実は、誤謬と錯誤を指定したがゆえに非現実なのであって、現実に対しての真理性を内在する現実の純化された精神なのである。

 精神は現実と直接的にかかわり合う存在ではない。従って、精神と幻想とは、本質において無関係な存在である。

 戦争における本質を見定める要因は、戦争の「現実」にあるのではなく、幻想の部分、すなわち、戦争が具有する「虚飾」の部分にある。

 

注  釈

(注1)ジード アンドレ・ジード。フランスの小説家。1869年~1951年。20世紀前期のヨーロッパを代表する作家の一人。象徴派的な作風が同時代の心を把え、数々のベストセラーを記録した。思想的には、福音主義から共産主義に接近したが、ソ連の独裁政治に失望し、のちには反共産主義者となった。多くのフアンをもつ彼の共産主義批判は第二次大戦後の西欧思想が共産化するのを押しとどめる役割を担った。主著はかの有名な「狭き門」を始めとし、「贋金づくり」「一粒の麦もし死なずば」「背徳者」など多数。不正を憎しみ、圧迫された者たちを愛し続けた生涯は、いまも西欧人に多くの感動を与えている。

 

(注2)ブライアント ウィリアム・カレン・ブライアント。アメリカの詩人。1794年~1878年。アメリカ建国初期の詩人で、パイオニア精神に燃えるアメリカ人に心の安らぎを与えた功績は大である。アメリカ独自の文化形成に貢献したことで数々の賞を授与された。良き時代のアメリカ人を代表する一人。

五、非核三原則と国防の課題

 

 まず、世人の衆目を集める論趣の秘訣は、威勢のいい話といま人々が一番関心をもっていることがらとを結びつけ、これにある程度のおかしさと背徳的なものを加味することである。反対に、世人から排斥され、相手にされなくなる「秘訣」は、真理を探求し、真実性を人々に露呈することである。この「処世術」を支えるものは、人間は本質において真理を嫌悪し、自からを犠牲にすることのない虚偽性を好むということから発している。故にソクラテスは、真実を「イデア」の彼方に封じ込め、暗黒の被膜をかけて、人々の眼から遠ざけてしまった。そのうえで彼は、人々に「汝自身を知れ」といい、この被膜に覆われた「真実」を見ろと要求した。

「真実らしく見えるというものは、ほとんど真実ではなく、真実という衣をまとった虚偽である」といったのは、フランスの女流作家ラ・ファイエットである。彼女は、宮廷という一見「真実」の具象化された構造の中にうごめく、偏見と陰謀、中傷と嫉妬、悪徳と腐敗を見極める作業を通して、真実がいかに虚偽の道具化され、弄ばれているかを白日のもとに晒した。(彼女の主著「クレーヴの奥方」より引用)

 これらの例証は、いずれも真実・真理は、人々の日常性に馴染むものでないことを明らかにするもので、従って、絶対公約数な世人の支持を得るためには、例えそれが「本意」でなくても、プラグマティズム的な言動を選択しなければならないという「現実」を人々に要求するものである。

 本項のテーマである非核三原則も、さらに国防の課題も、いうなれば、ここに抽出した諸例証、諸論趣と無関係ではあり得ない。

 世界の軍事事情が日進月歩の早さで「核時代」に前進していた昭和46年(1971年)11月、衆議院は「非核三原則」を決議した。

 日本における「核問題」は、昭和33年4月に参議院内閣委員会で政府見解として発表された「核兵器が防御的な性格を持っているような兵器であるならば、自衛権を認めた憲法上からも、核兵器の所有は憲法で禁止されたものではない」で、一応の決論が出されており、昭和33年以後の、日本の核方針は既に決定されていた。

 だが、その後の「憲政議会」は、議会運営の技術的必要から、核問題を与野党間の取引材料とし、議会内の核取扱いは、昭和42年5月の核兵器の製造禁止、保有の禁止、持ち込みの禁止へと後退するのである。そしてその延長は、「沖縄返還」問題に係わる与野党の取引、すなわち、衆議院における「非核三原則」の決議へと核否定の政策は発展した。

 さらに、昭和51年6月には、有名無実の最たる条約、核拡散防止条約を批准し、日本は、核兵器所有国とともに、核兵器非所有国の仲間入りを果した。政治における核問題のかかる変遷は、真実において国防とは無関係な次元で核問題が論じられ、議会対策の主要な取引の具に、核問題が供されたことを示している。

  日本がさきに批准した核拡散防止条約の骨子は、超大国が所有する核兵器の存在を是認した上で、超大国以外の諸国は、核兵器を持ってはならないとするものである。すべてが「平等化」されつつある今日、このような不平等を前提とした条約はない。核兵器は俺たちの専有物である。こんな危険なものをお前たちは、持つべきでない。

 とするこの条約は、まさに超大国の独善を、弱者に押しつけるもので、超大国ならばなにをしてもよいとする風潮を、露骨に示したものである。したがって、既に条約を批准した二、三の国にあっては、条約を無視して核兵器を製造し、かつ実戦配備に就かすなど、条約のもつ不条理性を露わにしている。

 

 何人といえども「平等」である。これが国連憲章の理念であり、精神である。しかるに、当の国連の場で採択された核拡散防止条約は、超大国と非超大国を差別した不平等を骨子としている。このような事がらは、核不拡散条約に限られたものではなく、マラソン交渉と称される東西間の軍縮交渉は、SALT─1、SALT─2に見られるごとく、米ソ両大国の思惑とエゴによって、一進一退の状態を余儀なくした。また、米ソ両国によって調印された第一次SALT.第二次SALTも、その実際に関しては軍備管理の実効性が問われる内容にとどまっている。

 

 両大国のかかる動向は、東西間で交渉が進められている核実験禁止交渉、化学兵器禁止交渉、対衛星兵器禁止交渉、通常兵器規制交渉、相互均衡兵力削減交渉、欧州長距離戦域核制限交渉等々についても影響を与え、実りある実効の交渉は殆んど皆無という状況を呈している。交渉のいずれもが、すでにマラソン交渉に入っていたにもかかわらず進展しない原因は、米ソ両国の思惑によるもので、その原因の究極に、軍事を含めた政治の主導権を米ソ両国で占有しようとする「共同謀議」が潜勢化されていたからである。しかし、諸国間交渉による交渉の停滞は、米ソ両国が、直接的に利害関係をもつ「東西」関係だけではなく、国連の場で進められている全世界的な諸交渉にも、米ソ両国の思惑と独善が介入し、交渉停滞の主因を形づくっていた。

 米ソ両国の思惑と独善を支える本質は、これを純軍事的な分野からみれば、緊張の世界的な持続と助長であり、それによって、両超大国は、年間1兆ドルの巨費を必要とする全世界軍事費のうち、自国分を除いた「その他軍事費」の大半を自国の経済に取り込むためのものである。このことは、年間15パーセント以上の高率で増加する石油輸出国の軍事費が、米ソ両大国の経済を支える主要な財源となっていた事実からも知ることができる。

 このことは、世界に緊張がある限り、米ソ両国の経済は豊かになり、その豊かさを持続するためには、SALT交渉を始めとした「諸平和交渉」を、停滞と行詰まりの状態に保つ必要があった。

 米ソ両国は、名実ともに巨額の軍事費を費消する。だが、この軍事費の大半は、世界緊張の助長という「戦略」によって、回収されていることこそ、米ソ両国が「共同謀議」するところの思惑と独善にほかならない。既にソ連邦は崩壊したが、地球世界は常に平和を拒否している。

 兵器としての核は、通常兵器に優る経済性を具有し、軍事、経済を包括した次元での核兵器が、すべてに優る国防性を有することは、多くの専門家が指摘するところである。専門家の単純な計算によれば、一つの体系化された軍備の軍事費を、通常軍備と核軍備で比較した場合、前者は後者をはるかに上回り、後者は、前者の3分の2、ないし4分の3程度で済ますことができるといわれている。

 

 単純率直な次元で、日本国の完全な国防を方画するならば、国内各地にソ連のSS―20型クラスのミサイルを十数基配置し、報復用としてICBMミサイルを数基配備すれば「防衛と攻撃」用の軍備は完全化される。

 もちろん軍備は「火力」だけで済まされるものではないが、極論すれば、1機数十億円もするジェット機、1台十数億円もする戦車、さらに、総軍事費の過半を必要とする人事費の必要はなく、お手のものの電子工学を駆使した防衛予知機構、攻撃誘導用の電子システム、万一のための報復用電子システムと、前出した「国防」用の核兵器を装備し、これらを操作する軍事要員数千か数万名を配備すれば、日本の国防は完全無比なものとなる。

 今日の国防「力」は、戦う前の抑止力である。このことは、学者、政治家、専門家が、常用語としてもちいる言葉である。いうまでもなく戦う前の抑止力は、ひと度び侵略の矢を向けたら、反対に徹底破壊されるというイメージを侵略者に与えることである。

 国防を唱える者は、このことを無視して、国防を語ることは許されない。国防とは常に究極的な事実であって、課題でも命題でもない。命題を思索中、万一侵略者の侵攻を受け、重要拠点を占拠されたら、国防の意義は100パーセント喪失せざるを得ない。国防に斟酌や中途半端、有論不実は適用されない。国防の本意は、武力侵攻から国民の生命を「完全」に守ることにあるのであって、そこに1パーセントでも危惧を内在する限りにおいては、真の国防力たり得ない。

 

 国防とは何かの命題を棚上げして、職業的専門家、学術的専門家が軍事用兵論、戦術的国防論などを論じることは、笑止の沙汰といわなければならない。

 

 現在「本気」になって「真意」から国防を論じる資格をもつ者は、軍備に関する国民の負担を軽減し、なをかつ、巨大な破壊力を有する国防力の整備を思考する者たちだけである。

 戦後ヤルタ体制のもとで一貫して持続されてきた「核の世紀」は1991年のソ連邦崩壊によって新たな時代を迎えた。この新たな時代が究極の破壊兵器である原子核兵器を、今後十年間如何様な方向に導くかについてはまさに神のみが知る事柄である。

 権力闘争に勝利を収め、実質的に旧ソ連を含むロシア共同体の最高実力者になったエリツィン・ロシア共和国大統領は、92年の2月旧ソ連邦が保有していた戦略核兵器を2500基までに削減すると発表し、同基数への同調を米国に要請した。さらにエリツィン大統領は戦略核兵器の大幅削減策は暫定的なものであり、この削減を足掛かりにして将来的には核兵器のない世界環境を形成するのだとも発表した。

 この提案を受けた米国側もエリツィン大統領の提案を好意的に受け止め暫定的な戦略核兵器崩滅策とともに、将来的な核全廃にも同調的な姿勢を示した

 だが、このエリツィン大統領の発言に対しては足元の旧ソ連邦軍内部より異論が提示され、エリツィン提案は非現実的だと批判した。

 ソ連邦の崩壊、これに続く指導体制の激変によって急遽指導体制の表舞台に踊り出たエリツィン大統領は、政治的には現状のロシア体制を代表するが如き人物として国際社会から認知されている。

 しかし、国際社会がエリツィン大統領に抱く斯かる認識は、かつてゴルバチョフ・ソ連邦大統領を一級の政治指導者として評価したケースと同意同列のものであって、いわば幻想に近い期待感に等しいものである。

 結論的に言えば、現在のエリツィン大統領には旧ソ連邦を含むロシア全体を指導する力はなく、これもゴルバチョフ前ソ連大統領と同じくエリツィン大統領の権力基盤を支えているのは、民主化に伴う期待的「人気」と希望的発言の「幻想」だけである。

 一端内容のない発言や姿勢で人気を集めた政治指導者は、その後の権力基盤を維持するために、さらに内容のない発言や姿勢を取り続けなければならない宿命を担うことになる。

 仮にも斯様な政治指導者が理性に回帰し、現実的な発言や姿勢を示すようになれば、斯かる指導者の権力基盤は早晩のうちに崩れることになる。要するに、先にエリツィン大統領が発表し、同時に米国側に提案した戦略核兵器2500基制限策も原点に溯って見るならば、エリツィン大統領の政治的人気維持策の一環にすぎないものである。

 核兵器問題に限らず、通常戦力の分野においては、旧ソ連邦の軍事力は「健在」である。

 その所属さえ明確になっていない旧ソ連邦の「軍部」は、その不安定な地位にも拘らず通常の軍事演習は日程通りに消化し、緊急時に備えた空軍のスクランブルは、旧ソ連邦時と同様に行われている。

 また、一部報道によれば核兵器の新規開発も行われているとのことである。

 斯様な旧ソ連邦軍の実態は、軍備削減一本槍を政治テーマに掲げるエリツィン大統領の威厳を伴う政治指導力が軍部にまで及んでいないことを明示するものである。

 しかも、現状のロシアは、斯様な政治対軍部の関係だけではなく、経済を含むその他の分野においても政治とは異なる方向にそれぞれ進み、かつ流れている。そうした現状は、現在のエリツィン体制が極めて不安定な状況のもとにあることを示すものであり、その不安定な政権が発表する事柄については何一つ将来を示唆するものがないことになる。

 エリツィン大統領の一方的な戦略核兵器削減提案に対して、軍部は基本的にこれを拒否し、米国との同数戦略核保有を主張している。

 軍部権限保持の立場上、戦略核兵器の削減に軍部は積極的に反対の姿勢は示していないものの、一方的な削減と数字を明示した戦略核兵器の削減には断固反対の姿勢を明らかにしている。

 エリツィン大統領が先に発言した米国を標準に定めた戦略核兵器の誘導装置をすべて外すとした声明も核問題専門家の間では、軍部がこの指令をどこまで遵守するかは未知数であるとする指摘が大勢を占めている。

 また、斯様な政治対軍部の関係からすれば、現有する核兵器が他国に流出することはないとするロシア共和国政府の発言にも最近に至っていくつかの疑問が指摘さている。

 宙に浮いたとする旧ソ連の核兵器技術者問題に関して、米英を中心にした旧西側陣営は「失業」した科学者や技術者に旧ソ連邦時代と同様の待遇を保証するとし、彼らが第三国に人的流出することを阻止すると発表した。

 しかし、この提言は旧ソ連の科学者技術者から拒否され、斯様な旧西側陣営の措置は旧ソ連邦の知的階層の自尊心を損なうものであるとする反発を招いた。

 確かに一部の科学者や技術者の中にはこの提案に即して、旧西側陣営への傘下に入ることを希望した者も多数いたが、旧ソ連アカデミーの大勢としては、もし旧ソ連の核兵器関連技術者や科学者が「失業」するが如き事態に至った場合には、独自の判断で再就職先を模索することがベストであるとする方針を打ち出した。

 ロシア政府の一方的な核問題を含む軍縮路線に国内の体制が順応していない現実からすれば、エリツィン大統領だけの言葉を以て世界の大勢が軍縮路線に進んでいると見ることはできない。エリツィン大統領の核削減提案について、米国は同意的ないし好意的な立場を取っている。だが、この両国の立場を平和的次元に即して理解することには多くの疑問が残さている。

 仮にもロシア・米国が「本気」になって核兵器削減に取り組んだにしても、その削減のプロセスが示す目的は核戦争の回帰ではなく、当面する経済問題によるものである。

 ロシアはともかくにして、現在米国にも従来通りの核戦略を展開する経済的余力はない。

 従って、米国にとってもロシア大統領エリツィンの戦略核削減提案は、経済的な理由において好感できるものであったに過ぎない。現に、エリツィン大統領の提案に同意的な意向を表明したブッシュ政権に対して米国防省筋は、米国の持つ核大国の誇りからしても、エリツィン大統領の提案は「現実味のない幻想」とする反対意見を出している。

 全般的な核兵器の削減ないし全廃を国際戦略上の視点から見れば「以て歓迎」すべきことであるが、それを直截的に実現できないのが現実的な両国の立場である。

 ある試算によれば、核兵器が世界の安全保障領域から主役的な立場を失う事態に及べば、核問題と直接に関係する者だけでも百万人以上の失業者が出るとされている。

 しかも、核兵器の生産は自動車と同じく総合生産であり、その関連部門を含めれば何百万という失業者を輩出する。

 当面は核兵器生産に従事した関係者を、今後は核兵器の解体廃棄に従事させるとした道も残されてはいるが、現在の世界経済の規模からみても、核兵器の生産に従事した者すべてを他の職種に移行させるだけの余裕はない。

 斯様な諸々の問題を整理した上で、核兵器の大幅な削減や将来的な核兵器全廃を分析すれば、斯かる発言は単なる政治的発言に過ぎず、到底実現性のない一過性の発言としなければならないものである。米国とロシアが声高に核兵器の削減策を叫びあっている背後で、新たな核の脅威が現実性を以て表面化している。

 斯様な問題の中には、エリツィン大統領の国防政策に反発する旧ソ連軍の存在がある。前出した戦略核2500基減のエリツィン発言に対する軍部の反発は、この問題に関する中心課題であり、旧ソ連の核兵器問題が、既にエリツィン大統領の思惑通りに進まないことを示唆している。

 同時に、斯かる問題に関しては、ペレストロイカの失敗によりソ連邦は崩壊したが、名実共に強大な軍事力を持つ旧ソ連軍は崩壊していないとする認識を持つことが必要であり、旧ソ連軍の現状動向について政治的ソ連邦の崩壊と同列視することは危険である。

 他方、旧ソ連軍保有の核兵器が第三国に流出する懸念が新たな視点から取り沙汰されている。

 極めてシークレットされた情報の中には、政府からの資金供与を制限された軍の一部には保有する核兵器を、第三国に輸出して資金確保を計る動きがあると伝えられている。

 現状ではかかる情報の信憑性について判断することができないが、仮にもロシア共同体の経済状況がさらに悪化する事態に及べば、斯様な事柄の発生も大いに懸念される。過渡期と称される言語がある。ゴルバチョフ・ソ連前大統領の手によって進められたペレストロイカ政策で揺れた旧ソ連は、現在に至まで文字通り過渡期の渦中にあった。しかし、斯かる旧ソ連も時期的な経過を経ることによって第一次の過渡期を通過し、第二期の過渡期を迎えつつある。

 斯かる第一次の過渡期が転換期を迎えるに至った理由は、漸くして旧ソ連の「先が見える」ことになったことにある。しかも、斯様な過渡期を通して見えてきた旧ソ連の将来は、現状よりもさらに悪化するとした見通しである。

 現在旧ソ連人の中に、近い将来旧ソ連が少しでも「住みよい国」になると見ている者は皆無である。

 とくにロシアが現在進め、また進めようとしている経済政策に希望を託している者はなく、一様に絶望的な目を以て「政治」を見ている。

 明るい展望がないと明確化した時点で、民主化された新生ソ連に夢を託していた旧ソ連国民は、将来に対する期待に幕を閉じ第二次と言える過渡期を迎えることになった。

 斯様な旧ソ連を覆う諸状況は、旧ソ連の安全保障体制と無縁ではなく、政治が駄目なら俺たちの手でと言う思いを旧ソ連軍部に抱かせるようになった。

 斯様な軍部の動向を端的に示すのが、ウクライナ共和国が掲げる共和国軍創設への反対であり、350万の兵力を190万に削減するとした全般的軍縮方針を打ち出したロシア共和国政府への反対である。また、91年8月の保守派クーデター以来、中止状態になっていた全軍的演習の復活を含めた軍の動き等々である。

 前出した戦略ミサイルに装備されている誘導システムの取り外しを、一部ミサイル部隊が拒否した等々の動きも、斯様な最近における旧ソ連軍の動向を象徴したものである。

 旧西側陣営との積極的な接触を計るエリツィン大統領は、当面の最重要課題である旧ソ連軍の所有する35000発に及ぶ核兵器について、完全管理の方針を声明し、同時に管理不徹底の部分に関しては旧西側陣営の援助を求めるとした。ソ連崩壊によって旧西側陣営が最も関心を向けたのは、旧ソ連が保有する核管理の問題である。

 従って、西側陣営としては、指導体制が崩壊した場合の核兵器の取り扱いに大きな危惧の念を抱き、表裏の外交ルートを通して核兵器の完全管理を共和国共同対に要求し続けた。

 斯様な核管理の問題が旧ソ連に対する旧西側陣営による経済援助の最大条件になったことは、事の筋道からすれば当然のことである。

 斯かる旧ソ連の置かれた状況に鑑み「第一次過渡期」中の旧ソ連軍はエリツィン大統領の政治方針に同調する形で核兵器の完全管理について最大限の努力を払った。

 しかし、斯様な軍の努力にも拘らず全体としての国内諸状況が悪化の方向に進むに従い、核管理に関する軍の統制力も弱体化し「第二次過渡期」に至って全般的な核管理機能は一元的統御力を喪失するようになった。

 独立国家共同体、並びに旧ソ連軍軍部による核兵器に関する一元的統御力の弱体化は、ソ連邦崩壊に際して旧西側陣営が抱いた核問題に対する懸念を再燃させるものであり、視点を変えれば旧ソ連軍が抱える核問題は旧ソ連崩壊時の原点に戻ったとすべきものである。

 しかも、新たな段階に入ったソ連軍の核戦力問題は、従前のロシア共和国対軍部の関係を超えて、独立共和国間の新たな対立要因にもなりつつある。

 1992年1月末国連安保理に出席のため訪米したエリツィン大統領は、米国ブッシュ大統領との会談で大幅核軍縮提案を行った。しかし、斯かる核軍縮に関するエリツィン提案は、旧ソ連軍保有の核戦力問題について決定権を持つCIS(独立国家共同体)の承認を得たものではなく、無効だとする声明がウクライナ・クラフチュク大統領より出された。

 しかも、エリツィン大統領とロシア共和国政府の独走に激怒したウクライナ・クラフチュク大統領は、ロシア版宇宙防衛システムの米国共同開発構想に言及し、「米国の敵はウクライナと言うのか」と反発してエリツィン大統領を非難している。

 現在ウクライナ政府の核問題に対する立場は、他の独立共和国政府の立場と共通したものであり、斯かる意味においても旧ソ連軍が有する核戦力の統制力は独立共和国間でも確立されておらず、その行方については多くの危険を内在している。他方、旧ソ連軍の核問題については、専門家筋より新たな危険が提示されている。斯かる指摘の中で「当面」の問題となるのは、現在核兵器の維持管理の問題である。

 核兵器と言えども、その維持と管理には所定の費用を必要とする。否むしろ核兵器の維持管理には通常兵器以上の費用が必要である。

 旧ソ連は、国家体制の混乱により斯様な核兵器部門への予算執行を最低限度に削減してきた。

 また、独立国家共同体の管理のもとに核戦力が置かれるに至った以降においても、独立国家共同体より核戦力部門に振り向けられる予算は「あったり、なかったり」の状況が続いている。

 斯様な状況のもとで、旧ソ連軍が保有する核兵器は使用以前の問題として維持管理面においても、大きな危険をもつものとなってしまった。

「我々の核兵器管理は破壊的状況にある」。この発言は25年以上核弾頭生産部門の責任者を務めてきたボリス・ゴルバチョフ氏のものである。

 彼の発言によれば、保管されている核弾頭が自然爆発することは先ずないとしても、保守管理の行き届かない核弾頭から放射性物質が大量に漏れることは「時間の問題」であり、放射性物質の漏出に限ってみれば、チェルノブイリ原発事故のごとき事故が、今後数百も起きる可能性があるとしている。

 チェルブイリ原発事故級の事故が短期間に数百も起きるとするならば、斯かる問題は旧ソ連邦だけの問題ではなく、地球規模の問題である。

 だが、極めて高いレベルの旧ソ連核問題専門家の間では、戦略核弾頭の解体廃棄には、保守管理上の危険を遥かに上回る危険があることを指摘し、現在求められるベストの核兵器対策は、現存する核兵器を完全なシステムで保守管理することだとする声が主流をなしている。

 さらに、斯様な専門領域分野からの指摘を受けて旧ソ連軍の内部には、必要とする核兵器維持管理上の費用が政府より支給されない以上は、核兵器の安全管理上からも一定枠内で核兵器を第三国に輸出すべきだとする意見も出ている。

 何れにしても、第二次の過渡期に入った旧ソ連軍の核戦力は、広範な領域で多様な問題を抱えることになった。

 斯かる旧ソ連の核をめぐる諸条件を冷静に検証するならば、ソ連邦の崩壊によって核戦争の脅威はなくなったとすることは、大いなる幻想であり、視点を変えれば核戦争の脅威はいつ発生するかも知れない脅威に移行したとすべきものである。西欧諸国の核問題に関する思想は、「核兵器の存在はおぞましいが、必要でもある」である。

 現実に全地球を破壊するだけの核兵器が現存する以上、各国が自国の安全を保障するために核戦力を持つことは、必要悪のサイドを超えて必要善の範疇に入れても不思議ではない問題である。

 

 確かに、現存する核防条約(核兵器の不拡散に関する条約)が冒頭に掲げる「核戦争が全人類に惨害をもたらすものであり、従って、このような戦争の危険を回避するためにあらゆる努力を払い、及び人民の安全を保障するための措置をとることが必要であることを考慮し、核兵器の拡散が核戦争の危険を著しく増大させるものであることを信じ、核兵器の一層広範にわたる分散の防止に関する協定を締結する……」ためにだけ機能するものであるとするならば、核戦力の保持を人類悪としなければならないが、斯様な核不拡散条約が現実に大国のエゴの拠り所として利用されている限りにおいては、西欧諸国の基本思想となっている「核戦力も必要である」は一層の重みをもって各国の安全保障問題に関わってくる。

「超大国だけが核戦力を保持してよい」とする論理は、超大国に高度な見識が備わり、仮にも政治経済全般にわたって世界侵略的な意図のないことが裏付けられて形成されなければならないものである。

 従って、現存する超大国が「俺の言うことだけが正義」を振り回す限り、斯かる条約形成上の趣旨は全人類的に通用するものではないし、同時に通用させてはならないものである。

 

 大量破壊兵器の頂点に立つ核戦力は、その重大性においても各国の有する「主権」に即して保持不保持を決定しなければならないものであり、仮にも他国の強制力に従って決定を押し付けられてはならないものの筆頭である。

 既に、多くの国々で国家方針の主軸に据えている「非核三原則」は、それはそれとして国家主権に基づく決定である。しかし、現実の世界状況から見ても非核三原則だけで核戦争の惨事から一国の安全保障が達成されることはない。

 核戦争の安全排除ないし核不拡散条約の完全徹底を期すならば、現実に核戦力を保有する国は核兵器の廃絶に向けて努力しなければならず、同時に非核三原則を国家方針に定めた国は、核兵器を保有する国々に対して核兵器の廃絶を要求し続けて行かなければならない。

 ある国の核戦力は認めるが、ある国の核兵器保持は認めないとする主張は、核不拡散条約の「思想・哲学」に反するものであり、全人類的に昇華された主張とすることはできない。

「第二次過渡期」に入った旧ソ連軍の実情を考察する限り、核問題に関する世界状況は、新たな段階に入ったとすべきものである。

 斯かる核の「新局面」を見るならば、核兵器の削減を対国経済援助の条件にするなどは笑止の沙汰としなければならないものである。

 核に関する新たな危険に備えて自国の核防対策を強化するか、ないし旧ソ連軍保有の核兵器を買い取り、旧ソ連国内で解体処理して旧ソ連軍の核脅威を回避するかは、今後の世界が選択しなければならない一大課題である。

 ソ連邦の崩壊、即核戦争の回避は世紀末の幻想としなければならないものであり、地球世界は現段階でも核戦争の脅威に直面している。

六、核戦争と非核戦争

 

 何事によらず、それを経験した者でなければ、何事の実際を理解することはできない。このことは「核戦争」にとっても同じことで、本格的な核戦争を知らない人類は、ただ、広島・長崎の核爆発から、核戦争の実体を推測するのみである。だが、思惟と体験の間には巨大な距離があり、いかなる賢者といえども、思惟で実際の核戦争の実体とそれが人類にもたらす厄害を想定することはできない。

 しかし、人類は、人類の選択によって「核」を許容し、さらに核戦争までも許容しているのである。

その本源は、今日の人類は能力において核戦争なるものの実体を想像、理解することができず、なおかつ、いかなる戦争といえども自分だけは危害から免がれるという、自己保全本能があることに依る。

 このことは、人々の核恐怖を中和し、あまつさえ、自国が核兵器を持つことに民族として誇りさえ感じているのである。だが、この論理にはそれなりの背景が存在している。すなわち、過去の軍事史は、いずれも巨大な軍事力を持つ民族は戦争による被害は少なく、反対に、戦争で大きな被害を蒙った民族は軍事力的にも劣っていたという背景である。これが、大きな軍事力をもつ民族に誇りと安心感を与える原動力であった。

 

 核戦争が、この思考様式にどのような影響をもたらすか定かではないが、戦争のもつ本質性は、依然として、巨大な軍備、すなわち小さい被害の様式に組みするものと思われる。軍備とは民族努力の表象である。従って、自然力は常に努力した者に味方するという法則を引用すれば、軍備と被害の関係は、軍備の比重によって理解することが可能である。

 軍備の本質は唯物論的なもので、観念的なもの、ないし精神的なものの入り込む余地はない。旧態的な軍備には、物の不足を観念的なもので補うこともできたが、現在の軍備は、1プラス1は2の明白な事実を提示するのみで、一を聞いて十を知る的な飛躍はない。従って、軍備とは物の量化であり、戦争の経済学である。

 経済学の目的は質量の発展と拡大、生産と再生産である。本来軍備が経済学的要素によって成り立っている以上、軍備から延長される戦争も、経済学的拘束から離脱することはできない。戦争の経済学的体質は、戦争をより発展し拡大に導く基本性をともなっている。破壊は必然的に次なる需要を喚起し経済を活性化する。また、経済は軍事的な主導性を獲得し、経済を戦略の重要々素とする。そこには果てることのない発展と拡大が生起し、その帰結において、経済もまた戦争も自滅して果てる。これが現代化した、さらには唯物化した戦争の本質であると同時に、戦争を一つの目的性とする軍備問題の基本的な概念である。

 この論理は、核戦争ならびに非核戦争ともに共通したもので、その違いは、単に人類が蒙る被害において、異なるものにすぎない。諺に「恋は戯れにすまじき」というのがある。恋は、人間情念の集積であり、その情熱は理性を越えて不条理を追求する。恋情の本質は自己破壊であって、主体観念の放棄である。恋と戦争は、その発現から消滅にいたる過程で共通した観念の遍歴を辿る。すなわち、恋も戦争も、その発現においては偶然性が作用し、非理性が顕現化される。しかも、現実化した情念は、すべての理性的なものを排除して、現前化された目的に向って情熱を燃焼させてやまない。例えその結果がどのようになろうとも、すでに燃焼する炎は、理性を欠いた野獣のごとく走り続ける。

 

 広島でさらに長崎で証明された核兵器の破壊力は、人知のおよぶ以上のものである。しかし戦争という非常な環境に置かれた人間は、戦争が必然的に具有する観念性のために、容易にその発射装置を作動することができる。このような人間の精神を支配するものは、普遍的な理性ではなく、恋にうかされた非理性であり、ひたすらに自己を求めるナルシシズムである。彼らは発射スイッチを操作することに無上の快感を覚え、そして世界を支配する人間、大量殺戮を成す者だけが知る自己の優越性を確認する。

 このことに、核戦争・非核戦争の区別はない。本来一個人の死に、それがいかに破壊的であろうが、大量的であろうが、またその反対であろうが異なるものはない。死は死であり、大量とか、残虐的とかの名詞的表現は、死とは関係のない第三者が付けたものである。殺される人間が、絞首刑であっても、飛行機の墜落事故であっても、また親類縁者に取り囲まれた往生死であっても、その帰着に変るものはない。核戦争は、ただ破壊の規模において非核戦争のそれを上回り、攻撃と報復の繰り返しによって、非核戦争を陵駕する被害を人類にもたらすという事実である。

 このことの認識は、現在を生きる人類にとって欠くことのできない条件で、すべての戦争論、非戦論は、これを起点として出発したものでなければならない。

 この意味において、核兵器の否定は、論理学的にも、非核戦争を是認するもので、核戦争是認者をはるかに上回る背徳者である。人間存在は、競争という戦いを前提にしている。またその存在形態は、不平等が自然であり、競争も戦いも、さらに不平等もない人間社会は、一定の気圧の中で生き、空気という化学合成物を吸収して生き続ける人間が、ある日突然無重力・無空気の宇宙社会に放り出されたのと同じである。生きるとは戦いであり、死とは戦いの完成である。従って、人間から戦いを取ることはできず、不平等を消滅することはできない。

 戦争について、核戦争は残酷で、非核戦争は良識的であるとする見方は、主容転倒といわなければならない。ある意味において、少なくとも、人間が戦わなければならなくなった場合、核戦争は良識的で、非核戦争は残虐的である。なんとなれば、非戦闘員の首をはね、敵地の婦女子に暴行を加えるなどの戦場犯罪は、非核戦争に固有のものだからである。これに対して核戦争の主要部分は、電子システムの操作だけで可能である。

 核兵器は、同時的に大量殺戮するなどの意見はこの場合適用されない。非核戦争も大量殺戮・徹底破壊が目的で、ただ異なる要素は、同時的でなく楽しみながらそれを行うことである。早くか、遅くか殺される以上、同時的に仲間も大量的に死んでゆく方が、まず子供が殺され、次ぎに老父母が死に、そして最後に自分が餓死することよりも、余程人間的で知性的である。

 若し、戦争が避けられないものであるとしたら、人類は勇躍して核戦争を選択すべきである。そして戦争を超えた未来には、多分、愚かだった人類を軽蔑し哀れむ良識が支配する世界が待ち受けているだろうからである。

 核戦争には、未来に関するこのような期待が残留する。この論理は、一部の学者らによって早くから唱えられている「世界最終戦争」で、未曽有の大破壊戦争は人類に「再び」戦争を模索する勇気を断つであろうとする論理に立脚している。いわゆる人間性の変換で、21世紀には、現在のような背徳的人間ではなく、真理を真理として理解でき、戦い競争する代りに真の相互扶助の精神をもった「新人間」を送り込もうという構想である。それには大破壊戦争が必要で、そのために世界を戦場とする核戦争が欠くことのできない要因となっている。

 かかる大破壊戦争を行なったら、そもそも「新人間」たるべき人間もいなくなるではないかなどの反論は無意味である。試算によれば、いかなる大破壊戦争も人類の3分の1以内の人間しか殺すことはできないとのことである。未来の世界は、現在「核」問題とまったく無関係な地域に居住する民族のものとなり、生き残った「先進工業国」の民族は、地球の主となった彼ら民族の保護のもとに生活するようになる。その「日」が近いか、かつ遠いかは何人によっても予言はできない。しかし、その「日」が必ず来ることは世の賢者たるものも否定はできない。

 以上は核戦争の意義する、もう一つの意義である。これに対して、非核戦争の意義は一部超大国の指令戦争を継続し、戦う二頭の象の草とされた民族は、果てしない危害に堪えることを強要されつづけるのである。また延々と繰り返される局地戦争の被害と当事国が負担する軍事費の総額は、核戦争のそれを遥かに上回るものとなる。そこには超大国のエゴが渦を巻き、その帰着にギラギラした軍事論・国防論が、あたかも鬼の首でも取ったが如く取り交される。

七、核時代と国防戦略

 

 広島に原爆が炸裂して46年が経過した。広島の原爆は第二次世界大戦を終焉に導いたが、核時代はこの日を起点にして始まった。以後世界の軍事・政治・経済は、核抜きで語ることができなくなった。この間世界諸国の多くは、直接的・間接的に「戦争」に関わりを持ったが、人々の英知はこれら戦争に核兵器が使用されることを抑止し、曲りなりにも人類の尊厳を維持した。だが一方では、核兵器に関する技術は、すべての科学技術を陵駕する勢いで、破壊力、搬送手段、命中精度を改善し強化された。

 46年前と較べ、人々の生存観念は、現在とそれほど隔ったものではない。人間が、ほぼ旧態の状態にとどまっているのに対して、人類の消長を決するであろう核兵器はひとり数段の進歩を遂げ、ますます人間のレベルから乖離するものとなった。

 人間は機械を発明した。そして機械は人間の関心を超えて進歩し、その結果は、人間が機械をコントロールするのではなく、機械が人間をコントロールするようになった。この必然的経過は多くの学者が指摘する人間と機械の因果関係である。

 

 かつての日本国軍隊は軍隊が軍隊をつくったのではなく、国民が軍隊をつくりあげた。しかし、強大化に発展した軍隊は、自から生命を体得し、目的を設定して創造主である国民に君臨すると同時に、国民に命令を発する支配体に成長した。ここまで成長した日本軍隊は、一将軍・一師団長、さらに議会までも含めた既存命令機構の支配に負えないものとなり、軍隊機構という異次元的な個体は、国民の良識・知性を超えて、無コントロールの状態で、1945年8月15日を目指して暴走し果てた。

 機械もそして機構も、それを構成する諸要素は同一である。ともに表象化された「生命」は具有しないが、そこに構成された意志は、一つの目的性をもち、その目的性は、創造したものの意志とは関係なく、力の意志をもって目的性を追及する。

 

 月賦購入した自動車は、月賦支払を継続する所定の期間、人間を月賦機構に隷属させる。また走行することを目的とした自動車という機械は、たまの日曜日、自宅で休息しようとする主に命じて、日曜ドライブを強制する。月賦という機構も、また自動車という機械も、この時点では購入者を支配する主人であり、人間は機構・機械にコントロールされる無意志体に過ぎなくなる。

 労組は、それを構成する構成員の集合である。その総合意志は、各組合員諸個人の意志を総合したものであるが、総合という強力性を付与された総合意志は、諸個人の意志とは関係なく独立した存在を獲得する。さらに、この組合意志は、各組合員に忠誠を強制し、これに反する諸個人の意志を圧迫し、隷属を拒否した個人性は、排斥される。

 ここに例証したものは、いずれも機構・機関ないし機械が、必然的にその創造主である人間を、コントロールする過程を示したものである。

「人間は誕生の瞬間から支配するか、もしくは支配されるかに運命づけられている」と語ったのは、アリストテレスである。人間の本性は支配に関する。かかる因果関係に結びつけられ、同時に、支配と被支配の間を往復するものである。親に支配された子はやがて親となり、その子を支配する。会社で経営者に隷属したサラリーマンは、自宅に戻り主として家族に君臨する。監督としてチームに君臨した者は、勝負において諸選手の力量に隷属しなければならない。このように人間の生の本性は、支配と被支配の関係を、時間的に空間的に往復するところにある。

 核兵器を生み出したのは、人間自身である。だが、広島以後の人類は、自からが生みだした核兵器に振り回わされ続けている。この振り回わされかたも多様で、核兵器をいかにして支配するか、反対に、支配されまいかとする形態が両極の典型である。

 しかし、現実にそこに核兵器が存在する以上、それを「支配」することは、核兵器という未知の破壊力を潜在する存在に対して、最良の策といわなければならない。支配することは、支配されるものが具有する「皆徳性・罪悪性」を制限するものであり、その足らざるを「補い・補足」するものである。支配の命題は、善悪の中庸にあり、行き過ぎ、足らざるを制御統制することである。

 前出した諸例証のごとく、すべての存在物は、その発展進歩の過程で、存在物自体の意志を形成し、やがて創造主を脅かす存在となる。存在物が形成された以上、それを支配し、コントロールすることは、創造主たる人間の義務にほかならない。それも、存在がより以上巨大化する以前に行なわなければならず、一日遅ければ一日だけ存在するものは発展進化し支配を困難にする。それでなくても諸存在物は、支配権を人間より奪取し、人間の支配を「究極」の目的としている。

 

 核兵器の存在は、人間がそれを支配するか否か、ないし支配できるか否かによって、大量殺戮の兵器となるか、戦争を抑止する究極の武器となるかが決定される。だが、この論理は実際に核兵器を製造し、さらに実戦配備されることが前提で、他国が所有する核兵器に対して適用されるものではない。

 現に、第二次大戦終結以後46年間、第三次世界大戦の発生を抑止できたのは、米ソ両国が所有する核兵器の威力であり、この意味において、米ソ両国は核兵器を支配し核兵器の持つ善悪両面のうち善の部面を、第三次世界大戦抑止として「善用」してきたといえる。17世紀のイギリス文学界を代表するフランシス・ベーコン(注1)は、学問に関して「悪賢い人は学問を軽蔑し、単純な人は学問を称賛し、真に賢い人は学問を利用する」と述べている。この場合、学問に近代科学の結晶たる核兵器を置き代えると、核兵器に対して人類がとるべき道が明らかとなる。すなわち、悪賢い人間は核兵器を軽蔑する。単に核の恐怖・脅威を唱えることによって、平和主義者の偽善をプロパガンダする。

 単純な人間は、核兵器の存在・威力を単に称賛し、核兵器のもつ破壊性・殺戮性に盲目となり、やみくもな核兵器装備論を正当化しようとする。最後に、真に賢い人は、まず、核兵器を利用する。だが、真実賢い人間は、核兵器を核保有国の国策ないしエゴのために利用することを否定し、人類のために利用することを主張する。核兵器の利用とは、一時脚光を浴びた自然の破壊、開発などという愚かなものではなく、核兵器だけが具有する核兵器だけが成し得る、核兵器による核兵器使用の抑止である。毒をもって毒を制するとは使い古された諺である。

 だが、使い古されたということは、それだけ社会通念に密着したことを意味し、自然の真理性を証明する。超近代科学兵器を、使い古された「教訓」によってコントロールすることは、近代と古代のドッキングである。

 日本は憲法によって「戦力」の保持と、国際紛争解決手段としての「戦争」を否認し、国家としての「交戦権」を放棄している。戦力もなく、戦争もすることなく、かつ、交戦権もなく国防の意をまっとうすることは、通常の概念に照らしてみて不可能である。

 しかし、核兵器に関する問題について日本が国際社会の領域で大いなる発言力を持つことは、核兵器が固有する核抑止の機能を最大限に発揮させることの政治的手段となる。

 

 核兵器による唯一の被害国は日本だけである。この特殊性に鑑みれば、核戦力行使の禁止と現有核兵器を核戦争抑止のために機能させるための発言は日本に課せられた国際的な義務であり、核問題に対する日本の基本的な立場としなければならないものである。

 第二次世界戦争終結を機に発現した米ソ両超大国の戦後史は、核戦略時代であったと定義すべきものである。

 だが、1986年期よりソ連国内で発芽し始めた政局転換の動きは、戦後一貫して継続維持してきた米ソ両国間による核戦略に直接間接の影響を可及するに至った。直接的な影響とは米国レーガン政権とソ連ゴルバチョフ政権による戦略核兵器の削減交渉と、交渉結果に基づく実際的な核兵器の削減である。

 間接的な影響領域は「ソ連邦崩壊」による、政権自体の核兵器管理能力の喪失である。

 このことによって、最早一方の大国として核分野に君臨したソ連の力は失われ、その現実は米国とソ連を軸にした国際間の核に対する戦争脅威が事実上回避されることになった。

 しかし、ソ連邦における核管理能力喪失の経過は、他方において国際的核管理の要となっていた「核拡散防止」に重大な問題を投影する事態を招いた。

 即ち、従来ソ連邦政権に全権が集中されていたソ連邦の核管理機能が連邦の崩壊によって各共和国に委譲されることになり、それによるところの核拡散が国際社会における重大な問題として提起されるに至ったことである。

 連邦中央より「核基地」の暗黙的委譲を受けた各共和国は、それぞれ共和国議会で「非核三原則=作らず、持たず、持ち込ませず」の取り決めを図っているが、現実的には連邦が各共和国内に構築した戦略用・戦術用核基地は今世紀中そのままの形態で維持温存される見通しとなった。

 この現実は一方の軍事超大国であったソ連邦が崩壊したとはいえ、依然人類社会が核戦争の渦中に位置していることを示すものであり、この事実関係を踏まえれば、日本による核兵器削減と将来的な全面廃棄に向けての主張は依然として国際社会で重要な意義を有することになる。

「唯一の被爆国」である日本の責任と義務の自覚は、20世紀末期における日本の最大的要諦でなくてはならない。

 唯一とは、他に類似がないことと同意語であり、この語意の持つ意義からすれば20世紀の「核時代」にあって日本が核問題に対する発言を国際社会で繰り返し行う必要があった。

 しかるに日本のこの間における核問題に関する発言は無きに等しいものであり、義務とすべき「唯一被爆国」の責任は完全なまでに放棄されてきた。

 日本が国勢上の経済大国を自認する一方で、政治的には発展途上国並みと国際社会から目されている原因は、帰すところ日本の斯かる姿勢に根を措くものであり、主権国家としての日本が政治領域で当然とも言える責務を果たして来なかったことの典型例である。

「核問題」に関して発言の義務と責任を有する日本が、その義務と責任の一端おも果たし得なかったことの理由は日本の「政治」にある。

 戦後の核問題に関する最大の当事国は米国である。しかも、この米国はわが国の「被爆問題」と直接関わる相手国である。

 全ての政治選択を米国の動向に配している日本としては、直接に関わりを有する核戦力問題について発言することは「控えなければならない立場」に置かれてきた。

 

 核戦力問題については多様な領域で議論しなければならない問題を抱えている。核戦力の廃絶が核問題に関する究極的な目標値とするならば、この究極目標に至る核実験の禁止、核不拡散の国際取決め、並びに船舶航空機による核兵器の移動等に関する問題も、当面する核戦力問題にとって欠くことのできない議論対象である。

 しかし、斯様な問題について「他の国」では多くの討議が行われ、この討議が国際社会に少なからざる影響を与えたにも拘らず、わが国では斯様な核戦力問題に関する発言や討議自体がタブー視され、唯一の被爆国である日本の立場は、国際社会で何らの意義も示すものとはならなかった。

 日本は既に衆参両院で「非核三原則」の決議を採択し、核戦力問題に関する日本の立場を解明化している。

 だが、斯様な日本の立場は国際社会で「有言無実」なものとして扱われ、非核三原則を謳った核戦力問題に対する日本の立場は尊重されたものには至っていない。

 その根本的な理由は、全世界に戦略展開する米軍に対して日本が査察権を放棄していることにある。

 条約に基づき当事者国に駐留ないし入出国する他国戦力に対して査察権を保持することは、主権国家に与えられた最高の権利である。

 この当事国の権利は、そこにいかなる相互的な条約が取り交されている場合においても最高に優先されなければならない「国際公法」上の原則である。

 ニュージーランド政府は、この国際公法上の原則に基づき、米国との間に取り交した全オセアニア安全保障条約に優先してニュージーランド国内の港湾施設に、入港する米国艦船に対する査察権を主張すると同時に査察権の行使を行った。

 ニュージーランドは既に「非核三原則」を核戦力問題に関する国家方針と定めた国であり、ニュージーランド政府はこの国家方針に従って米艦船に対する査察権を主張し、かつ行使したものである。

 

 ブッシュ米国大統領は91年12月8日ハワイ島で行われた「真珠湾攻撃50周年式典」で、最早「戦後は終わった」と発言した。この発言趣旨に従えば、他国領内に入国ないし駐留する米軍に対する当事者国の査察を拒否することは国際法の主旨に従ってもできないことになる。

 

 現在、米国ないし米軍当局が自国軍に対する当事者国の査察を拒否している根拠は、それぞれの国との間に締結した安全保障条約上の問題にあるとしているが、純粋に条約の有する意義を検証するならば、斯かる拒否に関わる根拠は成立しない。

 条約の有する意義を超えて、米国が自国軍に対する当事者国の査察権行使を拒否するとするならば、その拒否理由は戦争上の勝者対敗者の関係、ないしは宗主国と隷属国の関係に求める以外にはない。

 仮にも米国大統領が自ら進んで戦後は終わったと自覚する以上、米国は核戦力問題に関しても各主権国の主権に目を配さなければならない。

 戦後の「終結」を前提にするならば、日本もこれに即した核戦力問題への対応と国防戦略に対する新たな決定を必要とする。

 核戦力問題への新たな対応は、唯一被爆国の立場を基本に据え、核戦力に関わる諸問題について国際社会に向け積極的な発言を為すことであり、究極的な核戦力に至る諸方策について日本が主導的な責任を果たすことを措いて他にはない。

 激動する現状下にあって、日本が従来進めてきた国防戦略についても大幅な修正を加える必要がある。しかもその要旨とするところは主権国家に即した国防体制の確立でなければならず、徒らに日米安保条約に拘束された状態での国防体制の構築であってはならない。

 クラウゼヴィッツ(注・前出)の指摘を引用するまでもなく、戦争は政治の一環に包含されるものであって、政治と乖離した戦争はあり得ない。

 即ち、日本が日米安保条約の規制内において国防体制を構築維持することは、日本の政治全般が米国の政治範疇内に組み込まれることを意味付けている。

 国際公法上、日本が日米間で締結された日米安保条約を順守することは当然であるとしても、日本が日米安保条約の枠外において独自の国防体制を構築することは、日米安保条約を日本が尊重遵守することとは異次元のものである。

 いかにして国家国民の安全を保障するかは国政に託された至上命題であって、この至上命題と国際間の条約を遵守することとは次元の異なる政治の命題である。

 

 国防体制の構築に臨んで日本が最大に配慮を尽くさなければならないことの基本は「憲法」問題にある。憲法は第二章第九条において戦争の放棄を謳い、軍備及び交戦権の否認を謳っている。

 即ちわが国現在の国防は、憲法に掲げる戦争・軍備・交戦権の否認と実際に為行されている年間4兆円にも及ぶ「軍事費」との関係に如何なる整合性を配し得るかとした問題から出発しなければならない。

 

「戦後の終結」を基本理とするならば、世界最強級の装備を有する自衛隊を軍隊ではないと呼称することはできず、同時にまた交戦権を有しない武力集団とすることもできない。

 政治とは常に「明白」なものでなければならない。

 政治の明白化原理に即せば、国防問題について現行の政治に託されている命題は、現存する自衛隊と憲法の関係について政治自身が明確な方針を国民に示すことをおいて他にはない。

 政治が解釈改憲を基本に配して国防の衡を今後も継続して行く限り、わが国における国防体制の確立はあり得ない。

 しかも、国家国民の存立にとって不可欠要因である国防について、この運用を政策運用と混同化することは断じてあってはならないことである。

 憲法と自衛隊の関係に関して国民世論が統一されていない現在、国際貢献の理由を配して自衛隊を政治目的に利用することは、国防の大義上主客転倒の事柄としなければならない。

 日本が名実共に国防力体制を確立することの前提は、年間四兆円にも及ぶ国家予算を費消する自衛隊に、国防軍としての位置を与えることであり、彼ら自衛隊をして国防の任に就いていることの誇りを付与することである。

「当面する自衛隊の海外派遣」は歴史の流れからすれば一過性の問題にすぎない。

 一過性の問題に関して、政治が一時的な思惑配慮に従って「交戦力」を有しない自衛隊を海外に派遣することは、既に発足以来四十年の歴史を有する自衛隊を、改めて国民世論の前にその是非問題を問い掛ける事態に及ぶだけではなく、国際間の信義上からも多くの問題提起を行うことになる。

 政治は常に大局を見据えたものでなければならない。政治に課されたこの大義に即せば、いま政治が為すべきことは、勇躍して海外に出兵し得る国軍を創設することであり、わが日本の輝ける栄光を背にして海外で活動できる国軍を造り出すことである。

 国軍創設の前提は憲法を改正することである。この政治目的に即して政治が最大限に努力することが、当面する政治に課せられた最大任務である。

 政治が当然としてすべき努力を払わずして、徒らに自衛隊を政治目的に利用しようとしている現実は、国防の本義上重大な誤りとしなければならないものである。

 政治が自衛隊を利用せんとする目的の背後に、国防とは直接関係を有しないその他の要因が配されているとするならば、政治の誤りは更に重大である。

 戦争は政治の一環なりとした場合においても、この関係には諸々の要因が絡み、他国との関係を良好に保持するが故に戦争の主体者である国防組織を利用するが如きことは、戦争は政治の一環なりとした論理を支持することにはならない。

 現行において政治が人的な国際貢献を必要としているならば、その対象を現在の自衛隊に配すのではなく他の分野にその対象を求めることが現行政治の良識である。

「手っ取り早い」対象として現行政治が自衛隊を国際貢献の主体者として選択したものとするならば、わが国の国防体制確立にとって、この行為は消し去ることのできない汚点を刻みつけたことになる。

 

 国防力の発動は、政治がこれを容易に行わざることに真の意義がある。政治が国防力の発動を軽々に行えば、その軽々の意味においても国防の本義が国民から軽視されることになる。

 国防とはあくまで国防の本義を貫徹することであって、外交の分野で国防力を利用することとは異なるものである。その原則理においても、経済活動を補完する目的を配して、現在国防力の中心的存在になっている自衛隊を国際貢献の名のもとに政治利用することは、許されることではない。

 呼称形態が自衛隊であっても、また国軍であっても、国家国民の生命財産を保全する任務を担う国防組織体は国家国民の中心を占めた存在でなければならない。

 即ち、それは国防組織が基本的に有しなければならない尊厳であり、軽々に政治に利用されることのない国防組織の権威である。

 事あるごとに政治領域に持ち出される自衛隊の存在は、文民統制(注2)に弄ばされる自衛隊とすべきものである。文民統制には両極が存在する。正常な理由に基づき文民統制される国防組織が一極とするならば、政治の恣意に従って、政治に利用される文民統制は他の一極である。

 国際貢献の名によって動員される国防組織の存在は、明らかに政治の恣意に利用される国防組織のそれである。国防組織が自らの恣意に従って行動すること以前に排除しなければならないものであるが、同時に、政治の恣意によって利用される国防組織も排除しなければならない。

 全ての選択が多極化し、その責任が一国一国の政治に委ねられるに至った現在、国防についても一国の政治の重要性が問われる時代になった。

 斯かる時代にあって、日本が自らの選択によって国防の衡に当たることは極めて当然の理としなければならない。しかも、斯かる政治選択の基本は変動する国際政治の動向を適格に見定めることであり、国際政治の動向に即して国家国民の安全を確保する国防戦略と国防体制を構築することである。

 

注  釈

(注1)フランシス・ベーコン イギリスの文学者・政治家・思想家。1561年~1626年。弁護士から下院議員となる。ジェームス一世の下で検事総長、大法官、国璽尚書等を歴任。汚職事件で官界、政界から身を引き文学活動に就く。イギリス経験主義の祖で主唱した「帰納法」は知識の向上に大きく貢献した。主著は「新機関」「科学の威厳および進歩について」新しいイギリス思想を育てた功績は多大である。「知識は力なり」の名言で知られる。シェイクスピアと同時代人で、一部にはシェイクスピアとベーコンのペンネームだとする説もある。

 

(注2)文民統制 シビリアン・コントロール。軍人に対し文民が最高の指揮権を持つ原則。文民優越という場合もある。近代政治の特色は、軍人が政治に介入すると民主政治が危機に陥ることにある。戦前の日本は「軍部」が最高の権力を持ち、政治が軍部の権力に従属するとした政治体制を構成した。この政治体制は結果として日本を「軍国主義国家」として、日支事変を通して太平洋戦争に至る戦争の原因を作った。この経験を踏えて戦後の日本は自衛隊に対するシビリアン・コントロール(文民統制)を重視し続けてきた。しかし、シビリアン・コントロールを重視することによって、逆に政治が自衛隊を政治目的のために利用するとした弊害も出始めている。

二、国家的利害と国際的利害

 

 諸個人がもつ幸福への価値性は、「諸個人の幸福は常に他者の不幸を基底として生まれる」ものである。この法則性をさらに国家次元にまで延長しても、そこに求められる命題は変るものではない。

 過去数次、十数次にわたり繰り広げられた大戦争は、当事国の国家民族に多大な惨害をもたらしたが、第三者的非当事国の国家国民には、「戦争ならでは」の利益をもたらした。近い所では第一次、第二次の石油「経済」戦争があり、その先には世界的な軍事景気をもたらしたベトナム・朝鮮戦争等々がある。

 このような例証は、人類の原理的法則である「社会全体の受難は、特定の個人に多くの利益を付与する」の延長したもので、前出した幸福の価値性と軸を同じくしたものである。何人といえども戦争での惨害を歓迎する者はいない。然るに、このように人類全体にとって共通した観念である嫌戦観が存在するにもかかわらず、人類は果てしなく戦争を追求し、一段とその惨害の惨たるものを追い求めている。何是か、いうまでもなく前出した例証に準拠した「利益」を求めるためであり、自からは常に第三者的立場を保持できる可能性があるからである。

 

 中世から近代にかけての戦争は、もっぱら領土の拡大、支配地域の拡大、膨大な戦利品の獲得などを主要な目的とした。戦争は戦勝国にとって常に犠牲を上回る利益をもたらし、その基底には、「正当な利益は不当な利益を凌駕することはできない」の経営原理があった。数十年におよぶ「正当」な国家経営は、数年にして黒白を決し、そのうえ勝利すれば膨大な利益をもたらす戦争におよぶことはできなかった。ここに勝利の語源があり、勝つことはすなわち「利益」をもたらすものであった。したがって「強国」にとって戦争は一つの経済活動という賭であると同時に、最も安全確実な投機であった。

 

 このような「国家的利害」に転機をもたらしたのは、第二次世界大戦だった。第二次世界大戦は文字通り世界全域の諸国をその渦中に巻き込んだ戦争である。戦中・戦後を問わず戦争の惨害を直接的に被ったのは、日本、ドイツを中心とした枢軸国であったが、同時に、アメリカ・イギリスを主軸とする連合戦勝国も多くの犠牲を払わなければならなかった。それも戦争による利益なくしてである。

  1955年7月イギリスで開催された世界主要諸国首脳会議で、チャーチルの後を襲いイギリスの宰相となったイーデン(注1)は、かの有名な演説を行った。

「昔の戦争は利益を目的とした。だが今日の戦争は犠牲の他は何もない。特にイギリスは今次大戦の主役を果した勝利国だが、結果はインド、・エジプトをはじめとする植民地のほとんどを失い、その上巨額の戦費負債を背負うこととなった。……いかなる戦争も、最早勝利者に戦利品をもたらすことはあり得ない。戦争は勝利者にも、また敗者にも等価な犠牲を要求するのみである……」。

彼は偉大な政治家として、第二次世界大戦を戦い、そして戦後の「世界」を見た人間である。

 その彼は経験主義者の立場から戦争を論じ、さらに今後の「戦争」を見抜いたのである。だがその彼も、国家的利害を前面に押し出してスエズ動乱に臨まなければならなかった。結果は彼が予想した以上に厳しいものとなり、イギリスはスエズの利権を失い、また彼自身も宰相の地位を失うとともに、政治生命さえも棒に振ってしまった。

 第二次世界大戦は、敗戦国はもちろんのこと、戦勝国にも数々の「悲劇」をもたらした。この悲劇はとくに強国としての史的伝統を具有する国に厳しく覆い被さり、彼らの国威を凋落せしめた。植民地保有国は植民地を失い、経済的利権国は海外利権を失うこととなった。この間戦争による悲劇を最少限度にとどめ得たのは歴史も伝統も有しない新興国で、彼らは新しい時代に対応できる思想によって国造りを進めた「新勢力」だった。彼らが新時代に即応できた第一の理由は、戦争から直接的利益を引き出すことなく、戦後に、それも軍事的なものからではなく、経済的な領域からであった。

 

 戦利を目的とした戦争は、必然的に軍事優先とならざるを得ない。これに対して、戦後を目的とした戦争はその帰結に経済を優先する。ここに古典的な戦争論と、現代的な戦争論の根本的な差異が存在する。さらにこの論理の新旧対照は、社会思想の在りかたにも顕著な影響をおよぼし、あらゆる思想に、「旧時代」と「新時代」の分岐を決定づけるものとなっている。この論理が典型的に示す思想上の変換は、今日世界の思想を代表する資本主義に対する社会主義に見い出すことができる。

 戦争論から延長された資本主義は、経済が軍事に優先すると同時に、軍事力の行使はすべて経済的目的を達成するための政治的行為化する。そこには帝王権の拡大もなく、領土的野心さらに戦利品獲得の目的性もない。あるのはただ市場拡大の目的と、自由貿易思想の浸透である。このような「思想」を形而上学的範疇からみれば「唯物論」的なもので、物ないし金がすべてを支配する社会の建設である。資本主義の一側面には、従来型の軍事戦争を経済戦争という新しい型の戦争に置き代えようとする「歴史の意志」があり、人類が基本的に具有する闘争心「万人に対する万人の戦い(注2)」を、殺し合いから取り引き合いに変換しようとするものである。人類思想のこのような発展は、古代の人類がすべて力を唯一の武器として戦いそして生き残ってきたのに対して、近代の人類は、狭い範囲に限定された意味での「文明」を武器として戦い、その中から自然淘汰(注3)の原理を見い出そうとすることへの「進化」にほかならない。

 

 これに対して社会主義的な領域における戦争観は、軍事が経済を優先し、経済の発展はより強大な軍事力を整備しそれを持続するための手段として位置づけるものである。社会主義の経済活動は、その領域に内包される社会的、市民的な営み、さらに諸個人的な営みのすべてが全体主義的な軍事に直結し、軍事的な強力性が、諸個人を単位とする全体を支持しようとするものである。この思想の根源には「観念論」的な形而上学があり、「社会全体のために諸個人は犠牲になって当然」とする「社会主体観」が大きく基本化されている。

 社会主義が教条化している「集合・集団」の論理は、前出した人間固有の情念である「万人に対する万人の戦い」を集団による集団との戦いで吸収しようとするもので、軍事が絶対の原理とする「集中・集合力」に最も適合した社会構成である。観念論的な視野から集団を考察すれば、集団それ自体が既に一つの「武器」であり、社会的勢力である。世界の思想を二分するかかる状態は、すなわち地球上に「二つの世界」を形成する必然となる。

 

 しかし、このような主義思想の在りかたに関して、どちらが善でどちらが悪であるとする峻別はできない。いずれの思想とも、その基底には民族の歴史があり、かつそのような思想を形成するにいたった伝統があるからである。物質文明、貨幣価値を至上とする資本主義、また全体主義、その存在を支柱とする諸個人の観念的な存在観によって形成される社会主義にも、人類が最も嫌悪しなければならない素因を内包している。

 いかなる主義思想といえども、その内容において矛盾と偽善を否定することのできないものを潜在化している。資本主義の「物」優位と、社会主義の「全体」優位は、ともに非人間性を強要するものであるが、また同時に、かかる非人間的な存在は、それぞれの思想にとって人間性を顕現化する主要な「原因」ともなっているのである。

 だが、現実に二つの世界が存在することは、否定できない事実である。

 現実政治における国際紛争は、直接、間接にこのような思想上の関連において生起している。また世界通商の分野についても、一見純経済的である貿易にも思想上の問題が影響をおよぼしていることは明らかである。その原因の第一は、当事国の国家的利害の主張があり、さらに、古典的な軍事観と現代的な経済至上主義が混同された状態で、自国の利害を、国際政治の場に持ち込んだための混乱がある。

 戦争による「利益」が国家として期待できなくなった現在、「利益」の源泉をどこに求めるかは今日の超大国が新たに探究しなければならない命題である。しかし、前出したごとく利益は、反面において他国の不利益を前提としなければならない。超大国の大きな利益は、必然的に非超大国の大きな不利益の原因となる要素を含むものとなる。

 しかし、現在の世界諸国に課されている主題は、他国に不利益を波及しない利益の追求である。それぞれの民族が個有する民族性を尊重し、さらに、当事国に利益をもたらす国際関係の樹立が、国家的利害を超越して、国際的利害へ移行しようとする国家の理性である。人類の闘争史は、自然的な闘争から軍事的闘争へと進化し、さらに思想的闘争が経済的闘争に発展し、そして新しい闘争の形態を生み出そうとしている。人類の本性が闘争である以上、人類から闘争を除去することはできない。だが、この本性的闘争を、人類の尊厳を維持するために有効化する「闘争」までも否定すべきではなく、そのために人類は最大限に理性を活用しなくてはならない。

 その道標は、諸大国が国家的利害を圧縮して、大国の大義を国際的相互利益に求めることを除いて他にはない。きたるべき二十一世紀に超大国として人類の先端に立つ国家は、国際的相互利益を国家の国是とする国家である。

 

注  釈

(注1)イーデン イギリスの政治家。1897年~1977年。貴族の家に生まれイートン校、オックスフォード大学卒とエリートコースを歩む。第一次大戦には大尉として従軍。その後下院議員に当選。保守党の下院議員からボールドウイン内閣の外相となる第二次大戦直前チェンバレンのナチス融和政策に反対して閣僚を辞任する。大戦勃発とともにチャーチルの組閣に協力し外相に就任する。1955年チャーチルの後を受け保守党党首となり、合せて首相に就任する。在任中スエズ動乱の捨収に当るが処置に失敗し首相を辞任する。その後政界からも去ることとなった。後任の首相にはマクミラン氏が就いた。

 

(注2)万人に対する万人の戦い トマス・ホッブズが著書「リヴァイアサン」の中で述べた言葉。

この言葉は彼が「自然法」とは何かを論じるに当たって使用したもので「ナチュラリ的には、各人はあらゆるものごとに対して権利をもつ。そして人間の状態は各人の各人に対する戦争の状態であるから、この場合には各人は彼自身の理性によって統治され、そこには彼が利用し得るものごとで、彼の生命をその敵に対して維持するために、彼の助けとなりえないようなものはなにもない。したがって、このような状態においては、各人はあらゆるものごとに対して、相互の身体に対してさえ、権利を有するのである。そしてそれゆえに、各人のあらゆるものに対する、この自然権が存続するかぎり、そこには、いかなる人にとっても自然が通常、人々に対して生きるのを許している時間を、生き抜くことについての保障はありえない……」と続く(水田洋氏訳・岩波書店版)。

要するに彼は、人間の状態を万人に対する万人の戦いとみなして、社会契約説に立脚した国家の必要を論じたのである。人間の幸福と平和は、本来的に国家の権威によってのみ達成されるもので、そのためにも絶対主義的な国家、すなわち「リヴァイアサン」が必要であると説いた。

 

(注3)自然淘汰 イギリスの博物学者ダーウインが、著書「種の起源」で人間の進化についてもちいた用語。ダーウインは、人間の進化は、環境の変化にともないそれに適合したものだけが生き残る「自然淘汰」に依存すると主張した。そしてこの自然淘汰から生き残ったものが、性質を遺伝発展させていくことに、人間進化の法則があるのだと論じた。彼は、自然淘汰を研究的に実証することによって、得てして神秘的になり易い問題を「科学」として扱うことに成功した。

世界情勢と日本

 

 

一、窮地に立つ国家主権

 

 第二次世界大戦以後に歴史が、諸民族・諸国家にもたらした必然は、大国とか、列強国とかが具有する国家主権の権威を下落せしめ、代わって非大国、非列強国の存立権を国家主権のレベルにまで高めるものであった。謂うなれば、全世界諸国の平等化であって、それぞれの民族性が、それぞれの立場において、世界の構成員として認知されるものだった。

 斯かる世界情勢の変化は、現象論的にみれば、第二次世界大戦が大きな契機として発動したものであるが、その背景には、人類が歩み続けてきた歴史の「発展」があり、さらにその発展を主導してきた超自然の「必然」がある。超自然の必然とは、すなわち全宇宙の意志であり、全観念性、全唯物学的論理ないし強力性をもってしても覆すことのできないものである。

 人類がいかなる強力性をもつ破壊力を駆使しても、また、全人類の全英知を結集しても、数十億年にわたり営々と繰り返される地球の自転、俗語でいうならば、何の変哲もない昨日・今日・明日の連続運動を例え一時といえども変えることのできない事実からみても明らかである。

 自然は全宇宙の存在に時間と空間を与えた。時間は無限の永遠性をもつと同時に、時間にかかわり合う存在に対して、一切の無限と永遠性を拒否している。また空間は果てることのない広大無辺性を持ちながらも、存在物に対しては限られた空間しか与えていない。時間の一側面は、存在に対して限られた事実を与え、空間の真理は、人類に無窮の虚を与えるのみである。

 宇宙の法則とは、すなわち無から虚への永劫回帰であって、栄華は立ち止まることを知らず、同時に、貧困も定着することを拒否する存在である。

 

 宇宙の一存在物にすぎない国家民族も、当然事としてこの法則より免れ出ることはできない。アーリアが衰退しゲルマンが興り、サラセンが滅亡しキリスト・ヨーロッパが栄えたのも一つに宇宙法則の回帰によるものである。

 古典的形態の大戦は例外なく戦後に新たな新興国と衰退国との色分けを鮮明化した。現象的には戦勝国が新興国となり、その反対に敗戦国が衰退国となる。この「色分け」が、すなわち戦争当事国の目的で、新興国にとって、戦争は「新興国」を確かなものとする手段であり、その目的性を達成するための絶対条件であった。

 だが、時間と空間を法則の主軸とする歴史の展開は、必然的に歴史の流れを機械論的なものから弁証論的なものへと変えて行った。フランス大革命を端初とする人類の「新時代」は、戦争の帰結を機械論から弁証論へと移行し、戦勝が単に支配権拡大に直結しないことを論拠づけるものとした。

 近代に入り戦争のもつ帰結性は、漸次的にこの傾向性を強くし、戦勝国すなわち新興国、敗戦国すなわち衰退国へのパターンは、弁証法的に多様化の帰結を招来するものとなった。このような戦争論的な歴史の展開は、第二次大戦以後に典型化し、戦勝国は好むと好まざるとにかかわりなく敗戦国の救済を義務化させられ、その結果は戦勝国に新たな負担を課すものとなった。

 反対に国内の膿を戦争によって排除することができた敗戦国は、あたかも神経症患者が電気ショック療法によって身中の癌源を取り除かれ、新しい活性体となり替った如く、新興の萌芽を生み出し新興国への道を歩み始めるにいたっている。

 戦争に勝利することによって、支配権力を拡大するという「戦争」は既に古典化し、敗戦にともない国勢が衰退の一途を辿るという政治外交上の「常識」は、共に歴史の彼方に霧散しなければならなくなった。

 歴史の弁証法は、戦争をこのようなものとし、その延長線上に国家主権の消長が置き代えられた。

「戦争は政治的手段とは異なる手段をもって断続される政治にほかならない」と語ったのはクラウゼヴィッツである。戦争とはあらゆる意味を包含した政治であり、その消長は政治的行為の帰結である。

 戦争という「政治」の目的は、国家意志を他国に強制して受容させるものであり、そこには国家の主権を最大限に高揚し尊大ならしめるためのものがある。従って戦争とは、国家意志相互の衝突が物理的強力性の基において存在しなければならない。国家意志の衝突とはすなわち相互的なもので、第三者の介入を拒否する絶対条件が必要である。しかし、「現代化」された国際環境は、この戦争論的戦争の条件たる相対的国家主権の衝突を排除し、主権の集合体たる「集団」によって新たなる主権の高揚と尊大性を樹立しようとしている。集団化した国家主権とは、集団安全保障化した国家主権のことであり、集団によって統一されたところの国家意志である。

 

 集団の論理は調和と協力である。この論理を持続するためには譲歩と妥協が必須の要因とならざるを得ない。譲歩は個体が具有する意志の一部を犠牲に供すことであり、妥協は意志に反する事象の承認を前提とする。このような「調和」の前提において形成された集団が真の集団である。これに反して、特定の個体ないしある一国の意志が集団の総合意志化され、他の国の意志がすべてこの意志に左右される状況においては集団の意味は滅却され、その集団は単に、支配と隷属の法則に基づく「小世界」を形成する主従関係にすぎない。この論理は、地域集団、ないし世界集団においてそれぞれの国家主権が制限されなければならないことの根拠であって、超大国の国家主権が、非超大国の主権に譲歩しなければならない前段的論理の帰結である。

 

 この意味において「集団安全保障」を捉えるならば、ある軍事超大国のみが安全保障に関わり、他の諸国がこれに依存する形態は集団の論理に反するものといわなければならない。この状態のもとで「集団」を維持することは、前出の上下関係を虚偽の名目によって糊塗するものである。

 集団の理念は等価性の結合である。力のある者と力のない者の結合に集団の熟語をもちいることは、前出の比喩の帰着を招くのみである。

 

 世界連邦構想が提唱されて既に一世紀以上が経過している。しかし理論的にユートピア的内容をもつこの構想も、提唱がいずれも非超大国であることと、この構想の根源に超大国の国家主権制限の前提があることによって実現をみるにいたっていない。それどころか近代の国際政治は、世界連邦構想に反する方向、すなわち民族主義の台頭、イデオロギーに準拠した個別化、利害得失を優先した地域ブロック化の強化など、人類のユートピア建設とは裏腹な道を歩み続けている。

 国際政治のこのような動向は、そのいずれにおいても、超大国が自国の主権を制限されることを忌避するためのものであり、国際政治の場において、超大国が依然「支配」の論理から脱出できないことの表われである。

 一世紀以上の歴史を有する世界連邦政府構想の一端は、現在国連憲章の一部として具現されている。

すなわち国際連合に加盟する各国は、大国小国の別なく平等の国家主権を認知され、その行使に関しても超大国が占有する「拒否権」を除いては、別段の制約を受けていない。地球上に存在するいかなる小国といえども「……この憲章に掲げる義務を受諾し、且つ、この機構によってこの義務を履行する能力及び意志があると認められる他のすべての平和愛好国に開放されている」もので「前記の国が国際連合加盟国となることの承認は、安全保障理事会の勧告に基づいて、総会の決定によって行われる」のである。

 

 国連機構上超大国の投票権も、超小国のそれも一票の比重において変るものはない。1票は1票であって、1票の上に出る1票はなくまた1票を下回る1票はない。これが世界連邦政府構想が究求する精神なのである。しかし、現実の国連は、その構成上超大国の主権を安全保障理事会という聖域の場において特権扱いし、このため、実際の国連機構は既に形骸化しつつある超大国の主権を尊重する矛盾を内包している。

 一面で現代化しつつある国連も、その側面ではかつての国際連盟という亡霊を引き継ぐ要因をもち、1933年3月日本の国際連盟脱退、1935年3月ヒトラー・ドイツが、ベルサイユ条約破棄宣言を行った時代の古典性を、超大国のエゴの表われとしてもち続けている。当時の日本とドイツは、列強の強烈なエゴに反発して国際連盟を拒否した。この時代における列強の彼らは、国際連盟を調和と妥協の場とすることなく、反対に国家主権を主張する場としたのである。

 

「……われらの一生のうち二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い……」は国際連合憲章の序文に明記された言葉である。ここで定義された、悲哀を人類に与えた戦争とは、すなわち同時代の国家主権がもたらした惨害である。

 

 国連の史的発展は一部超大国の思惑と異なり着実な歩幅をもってそれぞれの国家主権を制限し、さらに否定する道を歩み続けている。

 この時代にあって、このような状態を国家主権の危機とみるか、ないし国連憲章の精神に則るものとみるかは、それぞれの国家・民族に投企された選択の課題である。その延長線上には、国家的利害と国際的利害の対立があり、さらにあらゆるイデオロギーの根源たる民族の「英知」が潜勢化されている。国家主権とは民族意思の総合であって、国家が国民と乖離した次元で占有すべきものではない。

三、世界の軍事事情と情勢の推移

 

 世界の軍事事情は現在激変中である。しかも、この激変は軍事事情の要である軍事戦略、軍事戦術が変動したとする次元の激変ではなく、世界の軍事事情に根本的な変動をもたらした激変である。

 1988年時の世界軍事事情は西側陣営の集団安全保障機構と、東側陣営の集団安全保障機構が世界の軍事事情を二分する形で対峙構成されてきた。この構成は一時代的なものではなく1945年8月の第二次世界戦争の終結を基点にして始まったものであり、ヤルタ協定(注1)に即して東西分割体制に基づくものであった。

 世界を自由・資本主義国で構成する西側と、社会主義国で構成する東側とに分割し、それぞれの構成国の主軸に米国とソ連を配すとしたヤルタ協定は、軍事面にも多大な影響をもたらし、軍事的な東西対立構図の要諦となった。

 

 大戦終結以来43年間、世界軍事事情の要諦とされてきた東側対西側の軍事対立は期間中若干の情勢変化を見せたものの、大勢は冷戦状態を維持して世界の軍事事情を二分してきた。

 対立を基本とする軍事事情は軍備の面にも多くの影響をもたらし、西側と東側は軍備拡充競争を日常茶飯事的に繰り返すことになった。この軍拡競争によって格段の発展を遂げたのが核兵器であり、同時に核兵器を敵地に搬送するミサイル技術である。

 現在多くの人工衛星が地球外周を飛び回り、現代社会に多大な貢献的役割を果たしている。だが、斯様に人類に貢献の任を果たしている先端技術的衛星も、その基点は東西両陣営が繰り広げる軍備拡張競争にあり、人類への貢献は軍備拡張競争が生み出した副産物とすべきものであった。

「冷戦状態」は側面において人類に多くのものを与えたが、冷戦状態は際限のない処方で人類滅亡の危機をも生むことになった。人類の危機を自覚した両陣営の首脳者たちは、1980年代に入り人類滅亡の直接的原因になり得る戦略核兵器の削減交渉に臨むことになった。だが、この交渉も全面的に「人類の危機」を取り除く交渉には至らず、現勢以上の戦略核兵器の生産を抑えるための交渉が主軸となり、削減廃棄の合意に至った領域は、既に時代を経過し使い物にならなくなった核弾頭・ミサイルに対してのものにとどまった。

 しかも、数度、十数度繰り返された米ソ両超大国による核兵器削減交渉も、その基本は核兵器を主軸にした戦力の相互均衡に置かれ、その均衡を以て東西両陣営のデタント(緊急緩和)を図るとしたものであった。

 

 戦力の均衡は核兵器の脅威から人類の危機を回避するものではないにしても、ヤルタ体制のもとで持続されてきた東西両陣営の際限のない軍備拡充競争に、一つの影響をもたらしたことだけは事実であり、同時代の世界軍事事情にとって画期的な出来事として評価するものがあった。

 核兵器分野での拡充競争の制限化は、危機に直面した人類にとって朗報とすべきものであるが、この朗報が人類の英知によってもたらされたものでないことは、人類的な悲劇である。

 即ち、東西両陣営が核兵器の削減に取り組み出した動機の主要は、米ソ両国の経済力に関わる問題が中心となった。特にこの問題に関しては、一方の当事国であるソ連の経済的疲弊があった。

 軍事拡充競争の継続が不可能となったソ連は、同一の問題に直面した米国に交渉を持ち掛け、結果としてこの分野での合意に達した両超大国の立場は、人類の英知に即して戦略核兵器の削減に合意したのではなく、両国が抱える経済上の諸問題によって核兵器の削減に合意したにすぎないものである。

 しかし、自然の摂理は斯様な恣意に満ちた両超大国の姿勢を許すはずもなく、自然は自然の摂理を以て一方の超大国であるソ連に史上未聞の変革をもたらした。

 ソ連ゴルバチョフ大統領の進めるペレストロイカ政策は、その政策が目標とするところの体制改革に反してソ連邦崩壊の現実をもたらした。

 この現実は、ソ連が最早軍事大国としての能力も機能も失ったことを示すもので、戦後ソ連邦が維持し続けてきた超軍事大国の立場が消滅したことを意味している。

 あらゆる現実的資料を総合しても、ペレストロイカ政策以前のソ連邦を軍事的に崩壊させることは不可能事であった。仮に軍事的にソ連邦を崩壊させたとしても、それにはソ連邦が受けたであろう損害以上の損害を攻撃側が受けることになったはずである。

 ソ連邦を敵と想定した机上作戦では、常に核攻撃による損害は攻撃側が上回るとされてきた。

 その主因は一にソ連側の有する核戦力にあり、二には攻撃される双方の地理的条件があった。即ちソ連は全面的核攻撃に対して有利な地理的条件を持ち、これに対して攻撃する側にとっては核攻撃に対する不利な地理的条件があったことになる。

 全面的な核戦争には勝者も敗者もなく、直ちに人類滅亡の結果があるのみではあるが、一時的な現象として核攻撃に弱い西側と、核攻撃に強い東側という図式が第三次世界戦争を想定した机上演習では出されていた。さらに、机上演習を拡大延長するならば、核戦争の結末は地球上に「冬の時代」をもたらし、その冬の時代の継続によって人類は滅亡するという演習上の結論が出されていた。

 斯様な意味を基点にして検証するならば、自らの手によってソビエト社会主義共和国連邦を崩壊に導いたソ連ゴルバチョフ大統領は、人類の救世主的意義を持った大統領と評価することができる。

 ただしソ連ゴルバチョフ大統領に対する斯かる評価は一面的にして逆論的な評価にすぎず、事実を事実として評価したものでないことは当然の事柄である。

 ソ連邦の実質的崩壊は世界の軍事事情に重大な波紋をもたらすことになった。一方においてこの波紋は「世界の軍事的平和」に寄与するという事実関係をもたらすことになるが、その事実関係を事実として受け止め得ないところに現在の世界軍事事情がある。

 軍事は常に対立を前提にして構成される宿命を帯びている。

「哲学的」対立がなければ「軍事」の必要はなく、軍事が常に必要としているのは俗世的な対立である。歴史を通して人類は対立を肯定的なものとし、それによって社会的にも経済的にも大きな発展を遂げてきた。前出した先端技術の異常な進化についても、この進化に対立が大きな役割を持って関与し続けたことは否定し難いものである。

 二者の同時的存在は対立を前提にし、その対立を収納するところに人類は発展の基礎を置く歴史を刻み続けてきた。20世紀の歴史を特色づける「戦後」は、米ソの対立を主軸にして進化の歴史を歩み続けてきた。

 即ち、戦後46年の歴史を総括すれば、それは東側対西側の対立史であったと定義付けることが可能である。

 人類は未だ対立のない歴史を刻んだ経験がなく、この歴史経験からすれば、今後の人類はソ連邦の軍事的崩壊をいかにして収納し、その対立のない軍事事情から何を生み出すかに生存の命題が掛けられている。

 対立を長期に及び肯定的に受け止めてきた現代にとって、超大国間の対立が霧消した現在、今後如何なる軍事事情を構築するかは、世界人類に課せられた新たな命題である。

 皮相的な観点に立脚すれば、ソ連軍事力の崩壊は軍事産業に多大な影響を波及する。

 戦後の軍事産業界は冷戦状態の持続を軸にした軍備拡張競争から多くの恩恵を受けてきた。極言すれば、世界経済の主要部分は斯かる軍需産業によって維持されてきたとすることも可能である。

 即ち、この事実は年間1兆ドルを費消する全世界軍事費の総額から試算しても明らかである。

 従って、ソ連軍事力の崩壊は世界の軍需産業に多大な影響を波及することとなり、事と次第によっては軍需産業の存在事態に問題を提起することになる。

 ソ連邦の崩壊とこれに連動したソ連軍事力の崩壊に関して現在二面的な解釈が行われている。

 その一面は対立のない軍事事情を指摘するものであり、他の一面は旧ソ連邦の各共和国に分散配置された「核の脅威」を指摘する解釈である。

 現在旧ソ連邦内の各共和国には戦略用各兵器1万基余、戦術用核弾頭1万5000発余が配備されている。斯様な問題に関して、核兵器の配備を国内に持つ各共和国は非核三原則方針を打ち出し現在配備されている核兵器の廃棄に関する姿勢を示している。

 各共和国が示す核兵器に対する基本姿勢に関して米国は改めて核の脅威を取り上げ、世界の軍事事情が緩和に向かうとする他国の指摘に反発する発言を行っている。核の脅威を新たな次元で取り上げる米国は、他方で対イラクとの湾岸戦争で使用したウラン処理砲弾(通常砲弾の弾身をウラン処理し破壊力を強化した新型砲弾)による核放射能汚染問題に目を閉ざし、米国だけの核に対する脅威を強調している。

「ソ連邦の崩壊は、全世界に新たな核に対する脅威を招いた」とする米国の主張は、現実を無視したものであり、世界の軍事事情が依然として不安定な状況のもとにあることを強調しようとするものである。一歩譲って、米国の主張に一理ありとする場合においても、ソ連邦崩壊の現実に直面した各国は旧ソ連邦内の各共和国が現有する各兵器を使用しないでも済む環境形成に協力することであり、徒らに各共和国の核脅威を取り上げることではない。

 ソ連軍事力の実質的崩壊は、観点を変えれば世界の軍事情勢に超軍事大国として米国だけが残ることを意味している。

 湾岸戦争を引用するまでもなく、世界の軍事事情にとって今後の課題は米国が「恣意」を通すために軍事的行動を選択した場合、如何なる対応ができるか否かである。

 

 米国の軍事に関する「思想」は依然として「強きは正義なり」にある。

 応じない相手には説得で対応する。説得しても応じない相手には武力行使もやむをえないとするのが、現在の米国が固有する思想である。

 強き者は常に忍耐強く謙虚でなくてはならないとする基本的な倫理観に対して、今後の米国が如何なる方策を選択するかについて監視の任に当たるのも今後の世界軍事事情の役割である。

 実勢から見ても小国のイラクに対して最大規模の軍事力を行使し、更に戦術面において核汚染をもたらす新型砲弾を使用した米国軍事力の姿勢は、現在の世界軍事事情から見ても「信頼」に値するものではない。

 

 ソ連軍事力の実質的崩壊は、戦後46年間持続されてきた世界の軍事事情に新たな「変革」の必要をもたらした。即ち、この変革はヤルタ体制「以後」の世界軍事情勢の将来的方針の決定を促すものでなければならず、全て新しい次元に立った世界軍事事情の構築でなければならないものである。

 しかも、その変革の基本は「強きは正義なり」とした従来の大国的思考パターンを払拭したものでなければならない。

 

 

 注  釈

(注1)ヤルタ協定 第二次世界戦争の末期1945年2月、米国ルーズベルト大統領、英国チヤーチル首相、ソ連スターリン首相の連合国三首脳が、ソ連ウクライナ共和国クリミア半島南岸の都市ヤルタで会合し、第二次世界戦争終結後の世界構成について取り決めた協定。

この協定では戦後の世界を東側と西側に分割することが話し合われ、東側をソ連主導のもとに置き、西側を米国主導のもとに置くことが決定した。

またこの会談では戦後の「北方四島」をソ連の領有とすることと、ドイツを東西分割し西を西側に帰属させ東を東側に帰属させることも決定した。

そのほか戦後の諸々の事柄が話し合われ決定されたことによって、第二次世界戦争後の世界構成を「ヤルタ体制」と呼ぶことになった。日本の「北方四島問題」はこの協定を発端にして発生している。


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