「国家と憲法」補講
●「考察 国家と憲法」は行政調査新聞社社主・松本州弘が平成3年までに纏めあげた論文である。松本社主はこの論文執筆後に、関連する2つの小論文を書き上げ、周囲にいた者たちはそれを読んで「国家と憲法」の論を深めていった。その2つとは、「新国防論と戦争論」及び「世界情勢と日本」である。共に平成3年、4年頃に書き上げられたもので、今回もこの論文に手を加えることなくここに掲載する。「国家と憲法」をお読みになられたところで、ぜひこの2論文も熟読いただきたい。
「新国防論と戦争論」 (7)
「世界情勢と日本」 (7)
新国防論と戦争論
一、国 防 と 戦 争
国防と戦争とは不可分の関係にありながら、その目的とするところと方法は、対極した本性を所有している。国防とは平和の探求であり、建設的な国家行為である。これに対して戦争の本性は、破壊であって、非平和的な国事である。
国防と戦争を論じるに当たって、必然的に引用される言葉は「二頭の象が戦うとき、傷つくのは草だ」というケニアの格言である。象とはすなわち国家の情念であり、草とは国民である。前出したクラウゼヴィッツの言葉ではないが、戦争とは国家情念の衝突であり、国家同志の決闘である。
この論旨について、反論の出ることは当然である。その反論の主旨は、概念的にいって、戦争は、侵略しようとする国と、その侵略から自国を防衛しようとする国との戦いであるから、本質的にみて、決闘とは異なるものであると言及するであろう。だが世界の戦争史のなかで、純粋に非決闘的な戦争というものは、極めて限られた戦争に過ぎない。数多くの戦争は、何らかの形態で相互に戦争を誘発する原因をともなっている。その典型例は、強国における弱国への植民地化戦争である。これは戦争論的定義に従えば決闘ではなく、強国の一方的な圧力であって、双務的意義での戦争とは定義し難いものである。
双務的戦争でない戦争、すなわち侵略は、純粋な意味で戦争とはいえない。戦争の字句を言語論理学的に解釈すれば、戦って争うことであり、相互に争うことが前提とならなければならない。侵略は争うことでなく、一国の情念が、単に対象国を「強制」の支配下に置くことにほかならない。このことは、侵略戦争が、戦争論で示された戦争でないことの根拠である。
かつての日中両国は、15年の長きにわたり戦争状態にあった。だが、日本の戦争を、侵略と断定した中国側は、戦争でない戦争を理由として宣戦の公布を敷かず、終始「事変」として扱い通した。また仕掛人である日本側も、侵略侵攻を戦争化する大義名分が得られず、国際上では「日支事変」としてとらえざるを得なかった。
一見矛盾した「戦争でない戦争」の論理は、国防と戦争を理解することによって重要な意義をもち、またこの論理を正当に理解したうえでなければ、すべての国防問題、戦争問題を見極めることはできない。
戦争とは、相互的、双務的な国事行為である。これに反する基盤のうえに立った戦争は、戦争ではなく単なる侵略行為である。現在世界各国の政府は、「国防省」なるものを所有しているが、戦争省を所有している国はない。このことは、自からの立場に立って「侵略」を遂行しない意志の現出であり、ひいては双務的、相互的な戦争を拒否した国家理念の表象である。世界の諸国が「国防」しか思考しない「世界」にあって、世界の各地で日常的に「戦争」が行なわれている現実は、すべてここに示した「戦争の論理」を曲解し、さらに人類の原罪に属する国家の情念が、世界を支配していることの証明である。
戦争を形而上学観点から考察すれば、人類社会を浄化する、絶対唯一の聖的現象である。いかなる悪も、またいかなる国家の野望も、戦争によって滅ぼされることは必定である。人類が自らの英知によって遂行できないことがらも、戦争は容易に達成することができる。
古代から中世、そして近世から近代は、人類社会発展の歴史である。中世では易々と首を落された咎人も、現代では法によって保護され、正当な扱いを享受できる。また、女人禁制であった諸習俗は歴史の前に崩壊して、男女同権が闊歩する社会を生んだ。
人類の生活環境もいちじるしく進化し、以前には下層階級人が垣間見ることも許されなかった上流階級の生活も、現代では彼らをその階級の主人とし、彼らに与えられた眼が、ただ自分の足元を見るに過ぎなかったものを、今日では、ダイヤや、ルビーを見る眼に進化させている。現代社会のこのような変化と変貌をもたらしたのは、人類の英知ではなく、歴史の必然に支配された戦争によってもたらされた恩恵である。
戦争論で定義された戦争とは、実にこのような「本性」に即したものであり、単に人々を殺戮し、国家の野望を満すための戦争は、戦争にして戦争に非らずの論理を生む根拠にすぎない。
「二頭の象が戦うとき、傷つくのは草だ」という前出の比喩は、本来の戦争に対するものであるが、戦争は、宇宙時間という範疇において、人類に多大な恩恵を付与する一方で、同時代の人類には破壊と悲惨をもたらす何物でもない。戦争は「本性」性の戦争においても人類にいく多の犠牲を強制する。
このことは、本性格をともなわない戦争が、片務的ないし独善的に多大極まりない犠牲を当事国の国民に強制するということは、当然の帰着である。
二頭の象が戦うとき、国民が傷つかないように計ることは、戦略上の最高課題である。クラウゼヴィッツは、このことに関して、戦争術と戦争学を援用し、そのための方画を明らかにしている。彼の主張は時代的な差違もあり現代的ではないが、要は「自分の草の上」で戦争をするなということであって、そこには、クラウゼヴィッツ時代の戦争観がある。
現在の世界軍事情勢は、最早、古典中の古典となった彼の戦争学を踏襲する方向に傾いている。すなわち、如何にして「自国内を戦場にしない」かであり、自国民を戦争の惨禍から乖離するかということである。
戦争は避けることのできない事実であるという前提に立って、自国民を戦場から隔離することは、今日的な意味での「国防の大本」である。国防の大本は、単に「負けない」軍備をもつだけのものではなく、国防の本質たる戦わずして平和を確保することに次いで、国民を戦争の渦中にまきこまないことが重要なのである。
各国が模索する戦争学の深淵もこのことに凝縮され、そのことの発見と、実現は、それぞれの国の運命を左右する課題となっている。従前に見られたイギリス、フランス、イタリアなど北大西洋条約機構主要構成国が、いずれもNATOと等距離的軍事関係を進めているのも、自国民を来たるべき世界大戦の戦場化から守るためのものであった。彼ら諸国の求める道は、集団世界戦争からの隔絶であり、戦争学に基く国家防衛の大本である。
以前フランスを中心に、NATO戦域区の諸国に、左翼政権が相次いで誕生したのも、この間の事情を物語るものであり、そこには、なんとしてでも自国だけは「国防」の本意を貫徹したいという国民の悲願があった。中世以後、彼らの歴史は、戦争に明け暮れる歴史であった。百年戦争を経験し、三十年戦争その他多くの戦争を体験し尽した彼らは、東洋人が想像することもできないほどの「国防意識」をもち、その観念性が、現実に即した国防への道を選択させるのである。
彼らは国防の任にあるものを「天使」として尊敬する。この言葉は、彼らの辿ってきた歴史からもたらされたもので、彼らの生命も、また文化も、守られることなくして維持することはできないとする本能感から延長されたものである。それゆえ、「天使」たちも、国家と国民のためには、真に国防的「気概」を傾注して、国民の尊敬という付託に答えようとする。
このような「天使」たちにとって、国防は聖職的なものであり、従って、これを犯す者、ないし、私利私欲に利用する者等は断じて許さじの気魄がある。このことがまた、国民の信頼をかちとる源泉となり、国防当局と国民の関係に「理解と支持」が維持される。
西欧諸国におけるこのような「国防感覚」は、歴史という背景を基盤として培われたものであるが、その側面では、関係者による自浄努力と、国民に君臨してはならないとする精神的修練の努力が間断なく注がれている。このような彼ら国民の気概を支える観念は、ウェリントン(注1)が述べた「戦争で一番ひどいのが負け戦さで、次にひどいのが勝ち戦さ」の言葉である。名戦略家であり、かつ戦術家であった彼は、ナポレオン戦争に大勝した直後前出の言葉を述懐している。
戦争とは、空間的な時限からみれば、勝者にも、そして敗者にも大きな不幸をもたらす。このことを体験から熟知しているヨーロッパ人は、戦わずして国を護ることに全力を傾倒する。一旦戦火が交わされてしまえば勝っても負けてもすべてが灰になることを、彼らは歴史の教訓から知り尽しているのである。従って、彼らにおける国防の意義は、戦うことでなく、戦いを「しない」ことである。
このことは、彼らの軍備感覚からも明確に見い出すことができる。彼らの軍備は戦争に勝利するためのものではなく、戦争を抑止するためのものである。西欧諸国のうち、フランスとイギリスは、早くから核保有国となった。核兵器に関する彼らの観念は、使用しないことを前提したものであり、核を所有することによって、核戦争から自からを護ろうとする意志の表明である。「孤独になりて、これを平和と称す」はタキトウス(注2)の遺した格言である。核問題がいかに世界世論の注視を集めようが、自からの選択によって核兵器を所有することは、冷厳な孤独性の選択である。
真の国防は、人間における人間実在と同じく、国家が「実在」してはじめてその本義を達成できる。国家の実存とは、すなわち、いずれの国の助けも借りないことであり、同時にいずれの国からも干渉されないことである。自立とは、孤独性の強調であって、この孤独にはあらゆる難苦が前提化されている。しかし、この難苦を、国家国民が一体となって、一つ一つ開拓して行くところに気概の源泉がある。国民の気概なくして、国防はあり得ないと同時に、この気概こそ、戦わずして国防の本義を顕現化する活性源である。
注 釈
(注1)ウェリントン イギリスの軍人。初代ウェリントン伯爵。1769年~1852年。イギリスのインド進攻戦争に参加し戦功を立てる。その後、いく多の戦いに従軍し活躍する。ナポレオン戦争では、連合軍総司令官として指揮をとり、1815年のワーテルローの戦いでナポレオンを破り大勝利を博す。晩年は政界に入り、トーリー党の党首として内閣を率いる。イギリス保守主義の政治家で、首相に在任、中学校教育に力を注いだことは有名。
(注2)タキトウス 古代ローマの歴史家。55年ごろ~120年ごろ。前半は政治家として活躍し執政官・総督を歴任する。世界最初にゲルマン民族の研究に着手しゲルマンの本質を解明した。「ゲルマニア」はゲルマン民族研究の著書で現代においてもゲルマン民族研究の貴重な文献となっている。政治における共和制を主張し専制政治を批難したことでは有名。世界著名歴史家の一人に列せられている。