行政調査新聞別館

憲法改正について考える

カテゴリ: 国家と憲法・第三章 民族と国防

第三章  民 族 と 国 防


 

一、民族存立の原理


 民族の基本概念は、いかなる外的圧力によっても滅びることはないということである。このことは、キリスト教創成以来、被抑圧民族として生き続けているユダヤ民族を見れば明らかなことである。


 民族が外的圧力によって喪失するものは、固有の民族性を失うことと、民族自体の自決権を失うことの二点である。


 キリスト教を迫害したことからもたらされたユダヤ民族の悲劇は、反面で、ユダヤ民族に可塑性を与え、より強靭な民族への道を選択させた。中世以降、彼らは一般の白人社会から隔離されたゲットー(注1)に居住しつつ非人道的なあらゆる方略をもちいて、20世紀に至り、ついに世界人類の頂点に立つ地位を確保するにいたっている。一民族のこのような歴史的な足跡は、ただユダヤ民族だけのものではなく、その他多くの民族にも共通してみられるもので、この点、ユダヤ民族が特例的に歴史の俎上にあがったにすぎないものである。


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第三章  民 族 と 国 防



二、国家と国防

 

 前項では主に、国防上の物理的強力性、すなわち、物量で評価できる軍備について論じてきた。しかし国防については、前項でも一部触れたように「精神的」強力性も重要な意義をもつものである。


 極端なところでは、経済力さえ備っていれば、「有事」に先行して核兵器であろうが通常兵器であろうが、他国から購入して「軍備」化することができる。それでなくても、兵器輸出国は血眼になって買い手を求めており、またこのことに関連して、これらの「関連企業」には濡れ手に粟といった莫大な利益がころがり込むことは畢竟である。


 中世のヨーロッパでは軍備だけではなく、兵士まで含めた軍事力を売ったり買ったりした国家史は掃いて捨てるほどである。しかし、これらの国家の終着点は一様に国家の滅亡であって、「買う」ほどの力を具有していた民族が、「買われる」立場に変貌している。

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第三章  民 族 と 国 防




三、国民と愛国心


 

 国民と愛国心との関係は、自然的本性に従って発展せられた諸個人の徳性である。従って徳性の具有しない愛国心は、真の愛国心と呼ばれるべき資格はない。では徳性が支える愛国心とは何か、反対に徳性がない愛国心とは何か、について二、三の考察を試みることとする。

 

 本来愛国心とは、自愛心の延長されたものである。自愛心は、本性的な精神が主体のなかにとどまった状態を指すものであって、この主体観が客体観に止揚された時点で、愛国心に変容される。個人におけるこのような精神の発揚は、他者から付与された資料によって振りまわされるものではなく、文字通り個体のなかで醗酵され自覚されるものでなくてはならない。いうなれば個人によって自覚された意志が真の愛国心であり、主体から発展した超自我(注1)、すなわち「滅私」の思想にまで発揚した自意識が、真の愛国心というべきものである。


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第三章  民 族 と 国 防



四、国民と自衛隊


「体系を行なおうとする者は、大きなところに責任がある。また特殊問題に係わる者は、こまかなところに責任がある。この責任を負う者は常に正直で、忠実で、誠意であらねばならない」以上はマタイ伝(注1)の一節である。


 自衛隊の存在は、まさに、この体系を行なう者であると同時に、特殊問題に係わる者である。いうまでもなく今日の自衛隊に求められるのは、マタイ伝の教説通りである。なお、今一歩言を進めるならば、諸自衛隊員に要求されるのは、「格物、致知、斉家、修身、正心、誠意、治国、平天下」の大学八カ条(注2)である。

 

 法学上の法源が希薄な現在の自衛隊法のもとで構成されている自衛隊にあっては、よりこの教理を直視しなければならない責任がある。ただ、「既成事実」として存在する自衛隊にとって、その存在を顕現化する道、ひとえに前出した教理を固有の精神とすることである。


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第三章  民 族 と 国 防

 

 

五、国防と自衛隊

 

 国家における国軍の任務は、大別して二つに分類される。その一つは、外国の武力侵攻に対して、武力をもってこれを排除することである。その二は、国内の治安を破壊する反乱騒擾勢力を排除し、国民の生命財産を保全することである。このことは、国軍の所有する兵器は、時と場合により他民族と同邦民族を対象に使用され得るという性格をもつものである。


 この論理は、国軍至上主義者にとって、いささか耳を覆いたくなることであるが、いやしくも国軍である以上謙虚に受け止めなければならない現実である。フランス大革命における皇帝軍、ロシア革命における王室軍、中国革命の国民党軍、そしてベトナム戦争の南ベトナム軍、イラン革命の際の政府軍等々は、すべてこの「国軍」に属していたのである。国軍である以上、体制の破壊を目的とする反体制勢力に銃口を開くのは当然のことであり、かつその如くでなければならない。


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