2010年12月10日

この文章は2009年1月のもの。うまくまとまらなかったシリーズその3です。


すみません。
コレ、ベストでした。
2008ベストのエントリーで次点に置いてしまいましたけど、2巻読んだらベストになりました。
もう一ヶ月はやく出てれば……。

篠房六郎「百舌谷さん逆上する」第2巻読みました。

もしも“ツンデレ”というキャラクター属性が、精神疾患(ヨーゼフ・ツンデレ博士型双極性パーソナリティ障害)であったら?という、ほとんど冗談のような設定、つーか明確に“ネタ”として設定されたアイデアから、こんなに繊細で複雑な心理描写が表れるなんて嬉しくなってしまいます。
ギャグに爆笑しているうちに、気がつくととんでもない地点に連れて行かれてしまう。
いや、ホント凄い。

好意を抱いた対象に攻撃的な言動や行動をとってしまうという行為は、通常、過剰な自己防衛として行われる。それは他者に自己を預けることへの拒否反応であろう。だからこそ、その行為は“好き”という感情を認めることで解消される。自らの人格に他者が介入することを許すことこそ“ひとを好きになる”という状態なのではないか。
しかし「ヨーゼフ・ツンデレ博士型双極性パーソナリティ障害」によるツンデレ行為は自意識を介入させない自動的な反応であるがゆえに、このような解消のされ方がなされることがない。この障害においては、好きという感情を認めたところで病状は回復せず、むしろ、そこからこの病の本当の恐ろしさが始まる。この病の原因はあくまでも患者の身体的欠損にあり、患者自身の自意識とはなんの関わりもない。それゆえここで問題となるのは自意識と感情のすりあわせ(自分の気持ちを認めること)ではなく、病を前提とした自意識と感情の“制御”である。患者は、病を前提として自意識と感情を組み立てざるをえず、自らの感情がもたらす結果を絶えずメタ視点から検討しながら行動する必要にかられる。愛情が他者を傷つける攻撃性へと反転するがゆえに、好意を与えたい相手には好意を抱いてはならず、愛情の表現を行うためには相手に対して徹底的に無関心でなければならない。
「どうしていつもわたしにやさしくしてくれるの?
わたしのこと本当は―
本当はぜんぜん好きじゃないから
だから私にやさしくできるの?」

百舌谷さんは自らの感情を、「主人と下僕」などの関係性を用意したうえで、「表面上仲良くしているだけ」「いつか地獄に落としてやる」といった言いわけを通過することでしか表出することができない。それは彼女がつくりだした防壁であり、他者に対する思いやりでもある。彼女は“演技”というレイヤーを間にはさむことで、かろうじて正常な人間関係をとりつくろうことができる。演技をしている限り、彼女は普通の人間のように笑い、怒り、泣くことができる。
彼女は自らの好意を“演技”というレベルにおしとどめなくてはならない。心の底から相手に無関心にならなければならない。そうしなければツンデレの発作がおきてしまう。それは相手を慮かっての“演技の演技”であってもいけない。好きだからこそ無関心になるのだ、ということを自覚してしまったら、やはり発作がおきてしまうだろう。自分自身の感情を、自分自身に気づかせないようにしなければ、発作がすべてを破壊してしまう。
だが、これらすべての問題をクリアし、彼女が「演技」を上手くこなすことができたとするなら、結局のところ、いつか相手を「地獄に落として」やらなければならないことになる。

なんというツイスト!



(12:35)

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