1: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:23:43.39 ID:ooW4dNWw0
戯言シリーズと物語シリーズをクロスさせるssです
よかったら見ていってください

阿良々木さんと忍ちゃん仲直りおめでとう!
いーちゃんは今頃みいこさんに着替えを手伝ってもらっている頃でしょうかね羨ましい

引用元: ひたぎ「これも、また、戯言よね」 

 

2: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:24:38.34 ID:ooW4dNWwo
戯言×化物語 アダシノプロフェッショナル

        スチューデント
ひたぎクラブ 文房具遣いの戯言

3: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:27:43.88 ID:ooW4dNWwo
  登場人物紹介


戦場ヶ原ひたぎ (せんじょうがはら・ひたぎ)――――――――――蟹。
八九寺真宵 (はちくじ・まよい)―――――――――――――????
神原駿河 (かんばる・するが)――――――――――――― ????
千石撫子 (せんごく・なでこ)――――――――――――――????
羽川翼 (はねかわ・つばさ)―――――――――――――――????
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード ―――????
(きすしょっと・あせろらおりおん・はーとあんだーぶれーど)
阿良々木火燐 (あららぎ・かれん)――――――――――――????
阿良々木月火 (あららぎ・つきひ)――――――――――――????


ドラマツルギー (どらまつるぎー)――――――――――――????
エピソード (えぴそーど)――――――――――――――――????
ギロチンカッター (ぎろちんかったー)――――――――――????

忍野メメ (おしの・めめ)――――――――――――――――――平等。
忍野忍 (おしの・しのぶ)―――――――――――――――なれの果て。
忍野扇 (おしの・おうぎ)――――――――――――――――????
貝木泥舟 (かいき・でいしゅう)――――――――――――――????
影縫余弦 (かげぬい・よづる)――――――――――――――????
斧乃木余接 (おののき・よつぎ)―――――――――――――????
臥煙伊豆湖 (がえん・いずこ)――――――――――――――????

               ――――――――――――――――????
沼地蝋花 (ぬまち・ろうか)―――――――――――――――????


               ――――――――――――――――????

4: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:28:49.81 ID:ooW4dNWwo
井伊遥菜 (いい・はるかな)―――――――――――――――????
玖渚友 (くなぎさ・とも)―――――――――――――――――????
想影真心 (おもかげ・まごころ)―――――――――――――????
西東天 (さいとう・たかし)――――――――――――――――????
哀川潤 (あいかわ・じゅん)―――――――――――――――????


零崎人識 (ぜろざき・ひとしき)――――――――――――――????

阿良々木伊荷親 (あららぎ・いにちか)―――――――――――戯言遣い。

5: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:29:39.25 ID:ooW4dNWwo
新しい発明や構想、流行や様式が次々と生まれてはくるが、
自分の家族に取って代わるものを発明した人はこれまでになかったし、
またこれからもないであろう。――スチュワート・E・ローゼンバーグ

6: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:32:24.67 ID:ooW4dNWwo
「家族との思い出ってとっても大事だよね。今までどのように過ごしてきたか、寂しいと
きなんか小さい頃の出来事を思い出して一人暮らししたりするんだよね。まぁ――親不孝
者で忘れっぽい阿良々木君は、女の子のことしか考えていないんだけどね」
 その言い分はあんまりだと思ったが反論できないし、反論する資格もない。いつも僕は
親のことなんか考えていない。
 例えば、青いサヴァンの少年。
 例えば、橙なる友人。
 例えば、体重のない彼女。
 例えば、完璧な委員長。
 例えば、存在を知らなかった妹。
 例えば、僕が殺した吸血鬼。
 いつも自分の周りしか考えてない。いつも自分の罪しか見えていない。
「ねぇ、阿良々木君、どうして君はこんな所にいるんだい。親の元で仲良く暮らした方が
いいんじゃないかな」
 高校生の一人暮らしは珍しいのかもしれない。だが、僕には帰れない。あそこにいれば
常に考えてしまうだろう。妹のことを考えてしまうだろう。
 僕は彼女のように強くない。いやな記憶は思い出したくない。たとえどんなに大切でも。
「君は今、どうすべきなんだろうね。過去を背負いなおし真っ正面から自分と向き合うべ
きなのかね。それとも今まで通りこそこそ卑怯に生きていくのかな」
 真っ正面から思考し続ける方がいいのだろう。でも、僕はそれをやらない。結果は火を
見るより明らかだ。どうせろくでもない回答しかでてこないことを僕は知っている。
「自分を否定して、すべてを否定して、世界を否定しつづける。不幸にならない生き方だ
よね。そのかわり、不幸にもならない」
 まったく、いつも見透かしたように、なんでもかんでも正しいことを言ってくれる。
 見透かしているのに、好き勝手に言ってくれる。
 見透かしているからこそ、好き勝手を言ってくれる。
 だから、僕はただ黙る。何を言われても、黙り続ける。
 何を言ったとしても戯言になるだけなのだから。

7: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:35:12.56 ID:ooW4dNWwo
000
 幸福が不幸に変わることはあるが、不幸は幸福には変わらない

001
 戦場ヶ原ひたぎはクラスにおいていわゆる病弱な女の子という立ち位置に与えられてい
る――当然のように体育の授業なんかには参加しないし、全校集会でさえ、貧血対策とや
らで、一人だけ日陰で受けている。ひたぎちゃんとは、あの大統合全一学研究所を退学さ
せられて、とりあえず高校に行っとくかということで編入してから同じクラスなのだがおそ
らく一度も口を利いたことはない。
 まぁ彼女は友達を作らないタイプなのだから仕方ないのだろう――僕と違って――作れ
はするのだろう――僕の個人的な戯言はおいといてひたぎちゃんの話題に戻ろう。戦場ヶ原
ひたぎ、名前こそ恐ろしい彼女だが特に悪い噂は聞いたことがない。
 成績はトップクラス。
 戻って1ヶ月で英語を忘れてしまった僕とは違い優等生である。
 体は弱いが、おそらく普通に幸せに生きているのだろう。僕のような社会不適合者とは
違い、普通に卒業し、普通に生活し、普通に人生を終えるのだろう。と、またもや勝手な
考えでそう思っていた。僕の周りに普通の人間などいるわけがないのに―――――――
 僕にとって地獄のようだった春休みの冗談が終わり、僕にとって悪夢のようだったゴー
ルデンウィークの絵空事が明けたばかりの、五月八日のことだった。
 例によって遅刻気味に、僕が校舎の階段を駆け上っていると、丁度踊り場のところで、
空から女の子が降ってきた。ひたぎちゃんが降ってきた。 
 正確に言うなら、別に空から降ってきたわけではなく、階段を踏み外したひたぎちゃん
が後ろ向きに倒れてきただけのことだったのだけれど――避けることもできたが、僕はと
っさにひたぎちゃんを受け止めてしまった。
 避けるよりは正しい判断だっただろう。
 いや、間違っていたかもしれない。
 何故なら僕が受け止めたひたぎちゃんの身体は、とてつもなく軽かったからだ。
 戦場ヶ原ひたぎには体重がなかった。
 ここにいないかのように。
 存在していないかのように。
 ここにいるべきでないように。
 まるでこの僕のように。
 いてもいなくてもよいかのように。

8: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:37:06.18 ID:ooW4dNWwo
002
「戦場ヶ原さん?」
 僕の問いかけに、翼ちゃんは首を傾げた。いや、確かに唐突だったけれどもそんないき
なり何を言い出すんだと言わんばかりで見られても…
「そんなに怖い顔してないよ。戦場ヶ原さんがどうかしたの?」
「どうもしないのが気になるんだよね」
「ふうん」
「ただの戯言だよ。ほら、何か、戦場ヶ原ひたぎだ何て、変わった名前だよね」
「名前のことをあなたが言いますか」
 そうだった。忘れていたが翼ちゃんは、僕の偽名に出会ったときに気づいていたのだ。
「……戦場ヶ原って、地名姓だよ?」
「そっちじゃなくてひたぎってほう」
「そんな変わってるかな……ひたぎって確か土木関係の用語じゃなかったっけ」
「君は何でも知ってるね」
「何でもは知らないわよ。知ってることだけ」
 いつも通りの掛け合いだ。
「珍しいね、阿良々々木君が、他人に興味を持つなんて」
「良が一個多くない?」
 翼ちゃんのキャラじゃない。
「いいじゃない、名前なんて記号なんでしょ?」
 言い訳まできっちり覚えられていた。

9: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:39:23.24 ID:ooW4dNWwo
 羽川翼。
 クラスの委員長。
 本来僕ごときの戯言遣いが近づいてはいけない絶対的な優等生、きっちりとした眼鏡に
三つ編み。委員長の中の委員長の中の委員長と僕だけが呼んでいる。
 ひたぎちゃんは学年トップクラスだが、翼ちゃんは学年トップなのだ。五教科六科目で
六百点満点なんて嘘みたいな事を平気でやってのけるのである。
 そして、僕のような戯言遣いにとっては迷惑この上ないのだが、翼ちゃんはとても面倒
見のいい、善良な人間だったのだ。また、これは僕以外にも迷惑この上ない(と思ってい
るだろう)ことなのだが、とても思いこみの激しい人間でもあった。過度にまじめな人間に
ありがちなように、こうと決めたら梃子でも動かない。春休みに翼ちゃんとはちょっとした
顔合わせが済んでいたのだが、明けて同じクラスになったと知るや否や、彼女は、「君
を更生させて見せます」と、僕に宣言したのだ。
 少し不良でちょっとは問題児かもしれない欠陥製品で戯言遣いな僕だけれど、さすがに
そこまでではないと思うのだが、いくら説得しても翼ちゃんは妄想じみた思いこみはとど
まることを知らず、あれよあれよと無力な僕はクラスの副委員長に任命され、この五月八
日の放課後、六月半ばに行われる予定の文化祭の計画を、教室に残って翼ちゃんと二人
練っているというわけだった。以上。

10: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:41:51.50 ID:ooW4dNWwo
「文化祭といっても、私たちもう三年生だからね。さしてすることもないんだけれど。受験
勉強の方が大事だし」
 翼ちゃんは言った。(学年トップが勉強の心配をして落ちこぼれの戯言遣いがさほど気
にしていないというのも不思議な話だ)
「漠然としたアンケートじゃ意見がばらけちゃって時間がもったいないから、あらかじめ
私たちで候補を絞って、その中から、みんなの投票で決定するって言うので、いいかな?」
「いいと思うよ。一見民主主義っぽいし」
「相変わらず嫌な言い方するよね、阿良々木君は。ひねてるっていうか」
「戯言だよ。別に反対してるでもないしいいじゃない」
「参考までに、阿良々木君向こうの文化祭の出し物、何だった?」
 「向こうでは娯楽より研究のほうが大事だった」とは言えないのでありきたりなものを
言っておいた。
「お化け屋敷と、喫茶店」
「定番だね、定番すぎる。平凡と言っていいかも」
「まぁね」
「凡俗と言っていいかも」
「そうだろう、僕がいるクラスはいつも凡俗なんだ」
「あはは」
「でもこの場合は平凡な方がいいと思うよ。お客さんだけじゃなくこっちも楽しませなく
ちゃいけないんだからさ」
と、ここまで考えて僕は思い至る。ひたぎちゃんは・・・・・・戦場ヶ原ひたぎはこのようなイ
ベントに参加するのだろうか。

11: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:43:59.32 ID:ooW4dNWwo
「そんなに気になるの、戦場ヶ原さんのこと」
 翼ちゃんは怒ったようだった。文化祭のことを全く考えていなかったのが悪かったのだ
ろう。
「病弱な女の子、男子は好きだもんねー。あー、やだやだ。汚らわしい汚らわしい」
 からかうようにいう翼ちゃん。とりあえずそう言う対象ではないよと、言い訳をしてお
く。なんの対象かと聞かれればよくわからないけど。
 病弱―――そんな言葉で済ませていい現象なのかあれは。あの体重は。
 階段のほとんど一番上から、踊り場まで、細身の女子とは言え、一人の人間が落下した
のだ。通常ならば、受け止めた方でさえ、結構な怪我をしかねないようなシチュエーショ
ンだった。
 なのに――衝撃はほとんどなかった。
 あれは――――おかしい。
 本来遭ってはならないのだ。
 最弱が、病弱を受け止めるなど………
「戯言だけどね」
「戦場ヶ原さんか――やっぱり病気の所為なのかな。中学生のときは、もっと元気一杯で
明るい子だったんだけどね」
「中学生の時って――翼ちゃんは、ひたぎちゃんと同じ中学だったの?」
「え、あれ、それを知ってて私に訊いたんじゃないの?」
 こっちが意外だというような表情を浮かべる。ごめん、本当に何でも知っているだろう
からと。

12: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:46:28.10 ID:ooW4dNWwo
「うん、同じ中学出身。公立清風中学。もっとも同じクラスだったことはないけどね。戦
場ヶ原さん有名だったから」
 君以上有名な人はいないと思うよと言うのは自重。翼ちゃんは、有名人扱いされるのを、
ことのほか嫌うのだ。本人は自分のことを『ちょっと真面目なだけが取り柄の普通の女の
子』程度にしか捉えていないらしい。勉強なんて頑張れば誰でも出来るという、素敵な考
えをお持ちだ。
「すごく綺麗だったし、運動もできたから」
「運動も・・・・・・」
「陸上部のスターだったんだよ。記録も、いくつか残ってるはず」
「陸上部――か」
「すごく、・・・・・・・・・優しいって・・・・・・・・・努力家・・・・・・お父さんが外資系の企業のお偉い
さんらしくって、お家もすごい豪邸で、」
 つまり、中学生の時点ではあんな風ではなかったということ。
 ということは、高校に入ってから、突然ああなったということ。まてまて、考えろ僕。
答えは目の前だ。ということは、だとすると、こういうことなのか。こうなのか。
 噂は―噂。
 都市伝説。
 街談巷説。
 道聴塗説。
「…………………高みにあってさらに高みを……………当時の話……………………儚げで
………ちょっと、聞いてる?阿良々木君」
「ああ、聞いてる聞いてる。翼ちゃん、ごめん、忍野との約束があったのを思い出したん
で帰らなくっちゃ」
「えぇ?本当に?」
「本当だよ。この目が嘘つきの目に見えるかい?」
「見えるよ」
 ………嘘つきの目らしかった。まぁ、本当に、そろそろ血をあげに行かなくては思って
いたんだけど……
「まぁ、後日埋め合わせをするからさ。今日は勘弁してやってよ」
「何か台詞とられた気がするけど…いいよ。忍野さん待たせても悪いしね」
 忍野さんによろしくねと言われ、僕は教室を出た。

13: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:48:30.45 ID:ooW4dNWwo
003
 後ろ手で扉を閉じ、一歩進んだところで、背中から、
「羽川さんと何を話していたの?」
 と声を掛けられた。
 振り向く。
 振り向くときには、まだ僕は、相手が誰だか把握出来ていなかった。
「動かないで」
 その二言目で―――やっぱりわからなかった。目の前の女の子に、僕はまったく心当た
りがない。僕が振り向いたその瞬間、狙い澄ましたように、まるで隙間を通すように、僕
の口腔内にたっぷりとのばしたカッターナイフの刃を、通そうとしていたことも――振り
向くまでわからなかった。
 しかし、この表現は少し正しくないかもしれない。何故なら、教室から出た瞬間、強い
殺気を感じたからだ。あそこを離れてから全く感じなかったそれを。だから、僕はこの状
況で最善であると思われる行動を、事前にとれた。
 相手から距離を取り、ポケットから小型のナイフを取り出した。
 本来利き手である左手は、いざというときに自由に使えるようにしたいのでナイフは右
手で構える。
「……………っ!」
 彼女は驚いたようだが、カッターナイフを僕の口の中に入れようとした、そっちの行動
の方がこの場合おかしいのではないだろうか。何にせよ戯言かもしれないが。

14: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:49:08.33 ID:ooW4dNWwo
003
 後ろ手で扉を閉じ、一歩進んだところで、背中から、
「羽川さんと何を話していたの?」
 と声を掛けられた。
 振り向く。
 振り向くときには、まだ僕は、相手が誰だか把握出来ていなかった。
「動かないで」
 その二言目で―――やっぱりわからなかった。目の前の女の子に、僕はまったく心当た
りがない。僕が振り向いたその瞬間、狙い澄ましたように、まるで隙間を通すように、僕
の口腔内にたっぷりとのばしたカッターナイフの刃を、通そうとしていたことも――振り
向くまでわからなかった。
 しかし、この表現は少し正しくないかもしれない。何故なら、教室から出た瞬間、強い
殺気を感じたからだ。あそこを離れてから全く感じなかったそれを。だから、僕はこの状
況で最善であると思われる行動を、事前にとれた。
 相手から距離を取り、ポケットから小型のナイフを取り出した。
 本来利き手である左手は、いざというときに自由に使えるようにしたいのでナイフは右
手で構える。
「……………っ!」
 彼女は驚いたようだが、カッターナイフを僕の口の中に入れようとした、そっちの行動
の方がこの場合おかしいのではないだろうか。何にせよ戯言かもしれないが。

15: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:52:05.94 ID:ooW4dNWwo
「あ……あなた……どういうつもり?」
「先に始めたのはそっちじゃないかな」
 そう言うと彼女は黙り、ぶつぶつと何か独り言を言って、決心したように言った。
「ごめんなさい、不測の事態だったから対応に困っちゃってね。阿良々木君良いわ、そっ
ちがその気なら、戦争をしましょう」
 その両手には――カッターナイフを始めに、様々な文房具が、握られていた。ホッチキ
ス、先の尖ったHBの鉛筆、コンパス、三色ボールペン、シャープペンシル、アロンアル
ファ、輪ゴム、ゼムクリップ、目玉クリップ、ガチャック、油性マジック、安全ピン、万
年筆、修正液、鋏、セロハンテープ、ソーイングセット、ペーパーナイフ、二等辺三角形
の三角定規、三十センチ定規、分度器、液体のり、各種彫刻刀、絵の具、文鎮、墨汁。
 まぁまぁわかっていたことだが、彼女は僕のことを知っているようだ。このような攻撃
的な態度からすると、最悪僕の情報が漏れているかもしれない。ER3にいたことがばれてい
るのだとしたら――――確実にここで始末しておかなければ。
 一瞬の間の後、文房具が僕に向かって降り注いできた。四方八方どころではない。立体
的な、単純な斜線ではない面による攻撃まさしく全包囲攻撃。普通の人間ならば避け切れ
ない。避けられる筈のない攻撃だった。           ・ ・
 ―――しかしまずこの攻撃が決まる前提として相手が普通でなくてはならない――――

                ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
――そいでいて僕は今、普通ではなかった―――― 

17: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:54:38.89 ID:ooW4dNWwo
                                                     ・ ・
 跳躍――そう、地上に逃げ場がないのなら、空中に逃げればいいだけの話である。僕は
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
天井を走り抜け、一気に相手の前まで詰め寄る。
 さすがに相手も驚いたのか、動くことができないでいる。当然の反応、普通の反応だ。
 僕は足払いを仕掛け、相手を倒したあと、マウントポジションを取り、右手のナイフを
相手の首筋に当てる。
 当てて―――どうしよう。
 と、その時、教室のドアが開いた。
 僕はどうすべきか困っていたので一瞬安堵したが、その後翼ちゃんの吸血鬼のような冷
たい目ですべてを察した。そう、客観的に見れば、僕はただの強姦魔である。やはりここ
でも優柔不断な僕はどうすべきか困ってしまい、そして、翼ちゃんの第一声に心底驚いて
しまった。
 「戦場ヶ原さんに何をしようとしているのかな。アララギ君」

18: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:56:48.78 ID:ooW4dNWwo
004
 すべてがわかってしまえば、簡単な話である。推理小説で後少しのところで、間違えて
しまったときのようなものだ。ただ単純に僕の記憶力が悪かっただけの話である。
「いくらなんでも、戦場ヶ原さんの話をしていたのにその顔を覚えていないとは思わなか
ったわ」
と、翼ちゃんに言われたが、別に名前だけやたら印象に残っている人物だっていっぱいい
ると僕は思う。
 その後、翼ちゃんは、委員長の仕事で忙しいようなので、僕とひたぎちゃんで忍野の所
に向かった。僕としてはひたぎちゃんとは気まずいので、一緒に行きたくなかったのだが、
翼ちゃんが恐ろしい剣幕で僕に行くように命じたので、僕はひたぎちゃんと自転車で向か
った。ちなみに二人乗りである。
「……」
「……」
「……」
「……」
 まあ仕方ない、第一印象(正確には一ヶ月程同じクラスだったのだが)が悪すぎた。別に
嫌われるのは慣れている。
「……あ……あの……」
 意外にもひたぎちゃんの方から話し掛けてきた。僕は少し驚きつつ「なんだい?」と返
す。けれど、ひたぎちゃんは顔を赤くして、「何でもないわ……」と言うだけだった。ど
うしたのだろう。なにか言いづらい、恥ずかしいことでもあったのだろうか?

19: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 09:58:40.95 ID:ooW4dNWwo
「あ………」
そうだ。失念していた。ひたぎちゃんはスカートじゃないか。しかも体重がほとんど無い
のだから自転車は大変気の使う乗り物である。そういえば、僕のことを強すぎるくらいに
抱きしめている。
「二人乗り、やめようか?」
と、提案したのだが、ひたぎちゃんは、聞こえるか聞こえないか位で、もうすこしとか、
このままでとか言っている。
 まあ、彼女も早く着きたいのだろう。体重を、普通を取り戻せるかもしれないのだから。
               マイスウィートホーム
 そんなこんなで忍野の  廃   墟 にやってきた。ひたぎちゃんの制服がほつ
れないように大き目の入り口を探す。うん?………でも………ちょっと待てよ。
「ひたぎちゃん」
「なにかしら?」
「もし……文房具をまだ持っていたとしたら……全部出してくれないかな?」
「……え…………?」
「いや、ほら、今から会う忍野っていうのはさ、僕とつばさちゃんの恩人なんだよ。だか
ら、その、何と言うか……」
             スチューデント
「ああ。わかったわ。確かに文 房 具 遣 いの異名を持つこの私を、あなたの大切な
恩人に会わせる訳にはいけないわよね」
 ……ひたぎちゃんにそんな設定があったのか……
 ひたぎちゃんが今考えたかのような二つ名だが……すこし寂しそうにしているから周り
につけられたのかもしれない。
 こっちにきてから、妙な疎外感を感じていたのだが気の所為ではなかったようだ。この
クラスではいじめが横行している。翼ちゃんはこのことを知っているのだろうか?

20: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:01:17.64 ID:ooW4dNWwo
「受け取って」
そう言うと、ひたぎちゃんは全身から大量の文房具を取り出した。どうやら、さっきの二
人乗りの時に感じた重みや、落ちてきた時の衝撃のほとんどはこれの所為だったらしい。
あの時廊下で出してきた文房具も、ほんの一部だったようだ。
「じゃあ、行きましょう」
「う……うん………」
「か、勘違いしないでよね………あなたに気を許したわけじゃないんだからね!」
 言われなくとも、そんな勘違いをするほど僕は馬鹿じゃない。まったく、見くびられた
ものだ。
「もしもあなたが私を騙し、こんな人気のない廃墟に連れ込んで、いきなり襲撃された件
で仕返しを企んでいるというのなら、それは筋違いというものよ」
「……どう見たって筋はとおってるだろ」
「あ………い、いや、確かに私も悪かったかもしれないけど……でもそれだからってこん
ないきなり…………」
 ………うーん………ひたぎちゃん、こんなキャラだったっけ?こんな子、さすがに忘れ
られないと思うのだが……実際忘れていたのだから、新鮮な感じがするだけかもしれない
のだけど………

21: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:02:52.48 ID:ooW4dNWwo
            ・ ・ ・
 とにかく、多少の不死身を見せたところでどうやら僕は信頼されていないようだ(むし
ろ嫌われているような気がする)忍野は、こういうのは信頼関係が大事だと言っていたか
ら、その点から鑑みるに、この状況はあまりいいとはいえないみたいだ。
 まあ、仕方がない。
 ここから先は個人の問題。
 ひたぎちゃんの問題。
 戯言遣いの、傍観者の知ったこっちゃない。
 僕はただの案内人である。
 金網の裂け目を通り、敷地内に入って、ビルディングの中に這入る。まだ夕方だけれど、
建物の中だというだけで、かなり薄暗い。長期間放置されっぱなしだった建物だ、足元が
かなりとっちらかっているので、うっかりしていたら躓きかねない。
 ――と、そこで気付く。
 僕にとって、たとえば空き缶が落ちていても、それがただの空き缶だが、ひたぎちゃん
にしてみれば、十倍の質量をもった空き缶なのだ。ひたぎちゃんが警戒心をむき出しにし
ても、それは仕方がないのかもしれない。
「………こっちだよ」
 入り口辺りで、所在なさげに踏みとどまっていたひたぎちゃんの、手首を握るようにし
て、僕は彼女を導いた。ひたぎちゃんはすこし顔を歪ませる。
 ………本当に嫌われてんだなあ、僕………

22: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:03:40.28 ID:ooW4dNWwo
 しかし、嫌いでも気まずいのは嫌なのか、沈黙を破ったのはひたぎちゃんだった。
「それにしても、よく、こんな、今にも壊れそうなビルに住んでいるわね――その、忍野
って人」
「ああ……ずいぶんな変わり者でね」
「私よりも?」
「僕よりも」
「事前に連絡を入れておくべきじゃなかったかしら?今更だけれど、こちらから相談事を
しようというのなら」
「その常識人みたいな発言には驚かされるばかりなのだけれどね………残念ながら、携帯
とか持ってないんだよ。あれは」
「どうにも正体不明ね。不審人物と言ってもいいくらい。一体、何をやっている人なの?」
                                             ・ ・
「詳しくはわからないのだけれど――僕や、ひたぎちゃんみたいなのを、専門にしている
んだって」
「ふうん」
 全然説明になっていない説明だったが、それでも、ひたぎちゃんは追求してくるような
ことはしなかった。都合よく納得してくれたのかもしれない。

23: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:04:41.85 ID:ooW4dNWwo
「あら。阿良々木くん、右腕に時計をしているのね」
「ん?ああ。うん」
「ひねくれものなの?」
「先に左利きかどうかを聞いてくれよ」
「そう。で、どうなのかしら」
「両利きなんだ。期待に添えなくて申し訳ないね」
「……ひねくれものじゃなくて、皮肉屋だったのね」
「ただの詐欺師な戯言遣いだよ」
「――詐欺師……」
「どうかした?」
「いいえ、なんでもないわ。どうせそれも戯言なんでしょう」
 よく意味はわからないが、なにかを納得したようだった。
 そんなこんなで、四階。
 元が学習塾なので、教室めいた造りの部屋が、三つあるのだが――どの教室も、扉が壊
れてしまっていて、廊下まで含めて一体化している状態。さて忍野はどこにいるのだろう
と、まずは一番近場の教室を覗いて見たら、
「おお、阿良々木くん。やっと来たのか」
 と。
 忍野メメはそこにいた。
 真っ赤なアロハシャツをびっしりと着こなしたそいつは、ぼろぼろに腐食した机をいく
つか繋ぎ合わせ、ビニール紐で作った、簡易性のベッドの上に、胡坐をかいて、こっちを
向いていた。
 僕が来ることなどわかりきっていたという風に。
 相変わらず――見透かしたみたいな男だ。

24: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:05:55.54 ID:ooW4dNWwo
「なんだい。阿良々木くん、今日はまた違う女の子を連れているなあ――全く、ご同慶の
至りだよ」
「僕をそんな安いキャラ設定にしないでくださいよ……」
「ふうん――うん?」
 忍野は?
 ひたぎちゃんを、遠めに眺めるようにした。
 その背後に、何かを見るように。
「……へえ、初めまして、お嬢さん。忍野です」
「初めまして――戦場ヶ原ひたぎです。阿良々木くんとは、クラスメイトで、忍野さんの
話を教えてもらいました」
「はあ――そう」
 忍野は、意味ありげに頷く。
 俯いてから、煙草を取り出し、口に咥えた。ただし、口に咥えただけで、火はつけない。
全くわけのわからない奴だ。
「あ、あの……何よりもまず、私としては一番最初に訊いておきたいのだけれど……」
 忍野にというより、それは僕と忍野、両方に問う口調で、ひたぎちゃんはそう言って、
教室の片隅を指差した。
 そこでは、学習塾というこの場においてさえ不似合いなくらいの小さな、八歳くらいに
見える、ヘルメットにゴーグルの、肌の白い金髪の女の子が、膝を抱えて、体育座りをし
ていた。
「あの子は一体、何?」
と、ひたぎちゃんは言った。
「ああ、あれは気にしなくてもいいよ。ただあそこで座っているだけで、別に何もできな
いから――影も形もない。名前もなければ存在もない、そういう子供」

25: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:07:27.66 ID:ooW4dNWwo
「いやいや、阿良々木くん」
 そこで忍野が割り込むように言った。
「影と形、それに存在がないのはその通りだけれど、名前は今日、つけてやったんだ。ゴ
ールデンウィークには良く働いてくれたし、それにやっぱり呼び名がないと、不便極まり
ないからね。それに、名前がないままじゃ、いつまでたっても彼女は凶悪なままだ」
「へえ――名前ですか。なんて名前で?」
「忍野忍と名付けてみた」
「忍――ふうん」
 思い切り日本の名前だな。
 「逆に大陸風の名前ってなんだ?」と言われたら、答えようがないのだけれど……
「刃の下に心あり。彼女らしい、いい名前だろう?苗字は僕のをそのまま流用させてもら
った。そっちにも幸い、忍の一文字は入っているしね。二重にすることで三重の意味を持
つ。我ながら、最高のセンスだと思っているんだが」
「いいと思いますよ」
 どうでも。
「色々考えて、最終的には忍野忍か、忍野お志乃か、どっちかにすることにしたんだけれ
どね。言語上の統制よりも語呂の良さを優先してみた」
 いや、お志乃はねーよ。
「だから」
 いいかげん業を煮やした感じで、ひたぎちゃんが言う。
「あの子は一体何なのよ」
「だから――何でもないってば……強いて言えば、僕の彼女」
「……」「……」「……」「……」
 ………場が凍りついた………
 忍までおびえるような目で見てくる。どうやら外してしまったようだ……

26: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:09:00.30 ID:ooW4dNWwo
「そんなことより」
 またしても、ひたぎちゃんが沈黙を破った。
 実はなかなかにいい子かもしれない。
「私を助けてくださるって、聞いたのですけれど」
「助ける?そりゃ無理だ」
 忍野は茶化すような、いつもの調子で言った。
「きみが勝手に一人で助かるだけだよ、お嬢ちゃん」
 おお。
 ひたぎちゃんの目が半分くらいに細くなった。
 あからさまにいぶかしんでいる。
「私に向かって――同じような台詞を吐いた人が、今まで、五人いるわ。その全員が、詐欺
師だった。あなたもその部類なのかしら?忍野さん」
「はっはー。お嬢ちゃん、随分と元気いいねえ。何かいいことでもあったのかい?」
 だから何でお前もそんな挑発するような言い方をするんだ。
「ま、まあまあ」
 やむなく、僕が仲裁に入った。
 これでは全く話が進まない。

27: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:11:38.14 ID:ooW4dNWwo
 とにかく、状況説明。ひたぎちゃんが、どうしてこのような憂き目に遭ったのか、僕は
翼ちゃんと一緒に聞いている。
 小学五年生のとき、ひたぎちゃんは――本当に病弱な女の子だったらしい。
 あるとき、名前を言えば誰でも知っているような、ひどい大病を患った。九割方助から
ないというような、それこそ医者がさじを投げるような、病状だったそうだ。
 そのとき――
 ひたぎちゃんの母親は、心の拠り所を求めた。
 つけ込まれたというべきか。
 おそらくはそれとは何の関係もなく――「本当に関係ないかどうかは誰にもわからない
よ」なんて知った風なことを、忍野は言ったが――ひたぎちゃんは、手術の結果、九死に
一生を得たそうだ。ひたぎちゃんが一命を取り留めたことで、母親は――ますます、その
宗教の教義に、のめりこんでしまった。
 信仰のお陰で――娘が助かったのだと。
 完全に、型に嵌った。
 典型的症例という奴だ。
 それでも、家庭自体は――かろうじて保たれていた。それがどのような宗派のどのよう
な宗教だったのか、僕には知りようもないのだけれど、少なくとも基本方針としては、信
者を生かさず殺さず――だったのだろう。父親の稼ぎが大きかったことも、元々ひたぎち
ゃんの家が素封家であったことも、その助けになっていたけれど――しかし、年を追うに
つれ、母親の信仰具合、のめりこみ具合は、酷くなっていったらしい。
 家庭は保たれているだけだった。
 ひたぎちゃんは、母親とは不仲になったそうだ。
 小学校を卒業する辺りまではともかく――中学生になってからは、ほとんど口をきかな
かったらしい。だから、翼ちゃんから聞いた、中学時代のひたぎちゃんの姿が――それを
知ってからもう一度見ると、どれほど歪んでいたかが理解できる。

28: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:14:15.85 ID:ooW4dNWwo
 本当に――まるで釈明だ。
 超人。
 まるで超人だった、中学時代のひたぎちゃん。
 それは――ひょっとしたら、母親に、その姿を見せるためだったのかもしれない。そん
な宗教なんかに頼らなくても、自分はちゃんとできるんだから――と。
 不仲なりに。
 根本は活発な性格では、なかったのだろう。
 小学生のとき病弱だったなら、尚更だ。
 でも、それは、多分、逆効果だった。
 悪循環。
 ひたぎちゃんが、ちゃんとすればちゃんとするほど、模範であれば模範であるほど――
ひたぎちゃんの母親は、それを、教義のお陰だと、そう思ったに違いないのだから。
そんな逆効果の悪循環を繰り返し――
 中学三年次。
 卒業するかしないかというところで、母親が宗教に財産をすべて貢いだどころじゃ済ま
なくて、多額の借金まで背負ってしまった。そんなとき、中学校を卒業して、高校に入る
                                 ・ ・ ・    ・ ・ ・ ・ ・ ・
前の中途半端なその時期――に、ひたぎちゃんは、一匹の――蟹に出会って、重さを――
根こそぎ、持っていかれたそうだ。その後、母親とは去年の暮れに、協議離婚が成立し、
ひたぎちゃんは父親に引き取られ、二人で暮らしているそうだ。
 しかしまあ、翼ちゃんも、とんでもなく聞き上手である。ガードが固いひたぎちゃんか
らよくもここまで聞き出せるものだ。どうやら、翼ちゃんにできないことは無いらしい。
 どんな気分なのだろう。
  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・
 二週間程度の春休みの間だけでなく、高校生になってからずっとそうだっただなんて。
まあ、そんなこと、欠陥だらけの人の気持ちを理解できないこの僕がわかるはずがないの
だけれど……


29: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:16:15.70 ID:ooW4dNWwo
005
 二時間後。
 僕は忍野と忍ちゃんの居ついている学習塾跡を離れ、ひたぎちゃんの家に居た。
 ひたぎちゃんの家。
 民倉荘。
 木造アパート二階建て、築三十年。トタンの集合郵便受け。シャワーと、水洗のトイレ
は備え付け。いわゆる1k、六畳一間、最寄のバス停まで徒歩二十分。
 僕は――ひたぎちゃんの家、民倉荘の二〇一号室で、座布団に座って、ちゃぶ台に用意
された湯飲みに入ったお茶を、ぼおっと、見つめていた。
 僕は外で待つつもりだったのだが、ひたぎちゃんは部屋に招きいれてくれ、お茶まで出
してくれた。
「あなたを虐待してあげる」
「え……?」
「違った。招待だったわね」
「……………」
「いえ、やっぱり虐待だったかしら……」
「招待で正解だよ!それ以外にない!自分で自分の間違いを正せる何でなかなかできるこ
とじゃない、さすがはひたぎちゃんだ!惚れちゃうよ!」
 ……などと、精々そんなやり取りがあった程度なのだから、僕としてはもう、戸惑うし
かない。ただ、お茶を、見つめるだけである。

30: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:16:52.32 ID:ooW4dNWwo
 しかしまあ、なんというか、信頼されてんだか、されてないんだか……
 ひたぎちゃんは今、シャワーを浴びている。
 体を清めるための、禊だとか。
 忍野いわく、冷たい水で体を洗い流し、新品でなくとも良いから清潔な服に着替えてく
るように――との、ことだった。
 要するに僕はそれにつき合わされているというわけだ――まあ、学校から忍野のところ
まで僕の自転車で向かってしまった都合上、それは当然のことだった。
 ぼくはとても年頃の女の子の部屋とは思えない、僕の部屋に似て殺風景な六畳間をぐる
りと見、それから、背後の小さな衣装箪笥にもたれるようにして――
 先刻の、忍野の言葉を思い出す。

31: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:18:30.67 ID:ooW4dNWwo
「おもし蟹」
 ひたぎちゃんの事情を、順序だてて説明したところで、忍野は「成程ねえ」と頷いた後、
しばらく天井を見上げてから、ふと思いついたような響きで、そう言った。
「おもしかに?」
 ひたぎちゃんが訊き返した。
「九州の山間あたりでの民間伝承だよ。地域によっておもし蟹だったり、重いし蟹、重石
蟹、それに、おもいし神ってのもあるな。この場合は、蟹と神がかかっているってわけだ。
細部は色々ばらついているけど、共通しているのは、人から重みを失わせる――ってとこ
ろだね。行き遭ってしまうと――下手な行き遭い方をしてしまうと、その人間は、存在
感が希薄になるそうだ」
「………存在感……」
「存在感どころか、存在が消えちまうって、物騒な例もあるけれどね。似たような名前じ
ゃ中部辺りに重石石ってのもあるけど、ありゃ全くの別系統だろう。あっちは石で、こっ
ちは蟹だし」
「蟹って――本当に蟹なんですか?」
「馬鹿だなあ、阿良々木くん。宮崎やら大分やらの山間で、そうそう蟹が取れるわけない
だろう。単なる説話だよ。ちょっとばかし異国に居ただけで、もう忘れちまったのかい?」
 なぜ、日本を離れたことを知っているのか。今更そんなことは気にしない。こいつなら、
読心術くらい、朝飯前なのだろう。
「そこに居ないほうが話題になりやすいってこともある。妄想や陰口のほうが盛り上がっ
たりするもんだろう?」
「そもそも蟹って、日本のものなんですか?」
「阿良々木くんが言っているのはアメリカザリガニのことじゃないのかい?日本昔話を知
らないのかな。猿蟹合戦とか。」
 「知らない」とは、なんとなく言いづらい。

32: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:20:30.30 ID:ooW4dNWwo
「この場合、別に蟹じゃなくてもいい。兎だって話もあるし、それに――忍ちゃんじゃな
いけれど、美しい女の人だって話もある」
「へえ……月の模様みたいですね」
「まあ、お嬢ちゃんが行き遭ったのが蟹だっていうんなら、今回は蟹なんだろう。一般的
だしね。」
「なんなんですか、それは」
 ひたぎちゃんは強気な調子で忍野に問う。
「そうでもないさ。名前は重要だよ。阿良々木くんにさっき教えてやったとおり、九州の
山奥で蟹はないからね。北のほうじゃ、そういうのもあるみたいだけれど、九州じゃやっ
ぱり珍しいよ」
「サワガニなら取れるんじゃないかしら」
「かもね。でも、それは本質的な問題じゃない」
「どういうことですか」
「蟹じゃなくて、元は神なんじゃないのかってこと。おもいし神から、おもし蟹へ派生し
たって感じ――もっとも、これは、僕のオリジナルの説だけどね。普通は、蟹がメインで
神が後付けだと思われている。真っ当に考えると、確かに、最低でも同時発生ってことに
なるんだけれども」
「普通も真っ当も何も、そんな化物は知りません」
「知らないってことはないよ。なにせ――」
 忍野は言った。
 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「遭っているんだから」
「……………」
 ・ ・ ・    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「そして――今だってそこに居る」
 ・ ・    ・ ・ ・
「何か――見えるって言うんですか」
 ・ ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・ ・
「見えないよ。僕には何も」
 そう言って、忍野は実に爽やかに、実に快活に笑った。
「見えないなんて、まるで無責任ですね」
「そうかい?魑魅魍魎の類ってのは、人に見えないのが基本だろう。誰にも見えないし、
どうやっても触れない。それが普通だ」
「………」

33: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:21:48.48 ID:ooW4dNWwo
「ま、お嬢ちゃんは、運の悪い中じゃあ運のいい部類だよ。そこの阿良々木くんなんて、
行き遭うどころか助けたんだから。それに比べればお嬢ちゃんは全然マシだ」
「どうしてですか」
「神様なんてのは、どこにでもいるからさ。どこにでもいるし、どこにもいない。お嬢ち
ゃんがそうなる前からお嬢ちゃんの周りにはそれはあったし――あるいはなかったとも言
える」
「禅問答ですね。まるで」
「神道だよ。修験道かな」
 忍野は言う。                    ・ ・
「勘違いするなよ、お嬢ちゃん。きみは何かの所為でそうなったわけじゃない――ちょっ
と視点が変わっただけなんだよ」
「視点が?何が――言いたいんですか?」
「被害者面が気にくわねえっつってんだよ、お嬢ちゃん」
 唐突に、辛辣な言葉を、忍野は放った。
 ひたぎちゃんのリアクションが気になったが――しかし、ひたぎちゃんは、何も、返さ
なかった。
 甘んじて受けたようにも思える。
 そんなひたぎちゃんを、忍野は、
「へえ」
 と、感心したように見た。
「なかなかどうして。てっきり、ただのわがままなお嬢ちゃんかと思ったけど」

34: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:22:56.80 ID:ooW4dNWwo
「どうして――そう思ったんですか」
「おもし蟹に遭うような人間は大抵そうだからだよ。遭おうと思って遭えるもんじゃない
し、通常、触るような神でもない。」
 障らない――だって?
「襲うこともしないし、憑くのとも違う。ただ、そこにいるだけだ。お嬢ちゃんが何かを
望まない限り――実現はしないんだ。いや、もっとも、そこまで事情に深入りするつもり
はないけれどね。僕はお嬢ちゃんを助けたいわけじゃないんだから」
「………」
 勝手に助かる――だけ。
 忍野はいつもそういうのだった。
「まあ、でも――体重を取り戻したいというのなら、力になるさ。阿良々木くんの紹介だ
しね」
「……助けて――くれるんですか」
「助けない。力は貸すけど」
 そうだね、と左手首の腕時計を確認する忍野。
「まだ日も出ているし、いったん家に帰りなさい。それで、身体を冷水で清めて、清潔な
服に着替えてきてくれる?こっちはこっちで準備しておくからさ。阿良々木くんの同級生
ってことは、まじめなあの学校の生徒ってことなんだろうけれど、夜中に家、出てこられ
る?」
「平気です。それくらい」
「じゃ、夜中の零時ごろ、もういっぺんここに集合ってことで、いいかな」
「いいですけれど――清潔な服って?」
「新品じゃなくてもいいけどさ。制服ってのは、ちょっとまずいね。毎日着ているものだ
ろう」

35: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:23:50.85 ID:ooW4dNWwo
「……お礼は?」
「は?」
「とぼけないでください。ボランティアで助けてくれるというわけではないんでしょう?」
「ん。んん。」
 忍野はそこで、僕を見る。
 まるで僕を値踏みしているようだった。
「いいや、いらないよ。ボランティアというよりは事のついでという感じだ。高校生から
小銭を巻き上げるなんて趣味は僕にはないよ」
「僕のときとは随分対応が違いますね」
「そうだっけ?委員長ちゃんのときも無料だった気がするけどな」
 ………まあ、こいつに口で勝てるわけがないのはわかっていたので、ぼくはここらでや
めておく。無駄な議論は省くべきだ。
 戯言だけれど。
 回想終了。

36: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:24:57.34 ID:ooW4dNWwo
 そして、二時間後――今現在。
 ひたぎちゃんの家をもう一度――見回す。
 意匠箪笥と卓袱台、小さな本棚のほかには何も無い。
 まるで、本当に僕の部屋のようだ。
 僕のような人間もどき(精神的にも肉体的にも)とひたぎちゃんの共通点はなんだという
のだろう……本当に怪異だけなのだろうか?
 そんな戯言めいた思案に耽っていると、
「シャワー済ませたわよ」
 ひたぎちゃんは脱衣所から出てきた。
 ひたぎちゃんは素晴らしいセンスをしていた。
 目のやり場に困ってしまうような、そいでいてひきつけられてしまう鎖骨や大胸筋が見
えてしまうほどの露出度の多い上半身に、これまた過激な下半身はすらりと伸びた足とそ
の間のデルタを、恥ずかしげもなく晒している。そう、まるでこれは――
「全裸じゃねぇか!服を着ろ服を!」
「恥ずかしそうにしているけれどもう遅いわよ。じっくりと舐め回すようにじっとりとし
た目で情熱的に見ていたじゃない」
「断じてちがう!あまりの状況に頭がうまく働いていないだけだ!」
「嘘おっしゃい。十ページにもわたって詳細に書いていたじゃない」
「まるで読んできたかのように言うな!一度書いてみたけれどエロパロに近いから自粛し
たみたいじゃないか!」
 くそっ!何だこの子面白すぎる!
「とにかく、服を着たいのだけれど。どいてもらえないかしら。」
「そのことで質問なのですがひたぎさん……なぜあなたは服を着られてないのでしょう」
「持って入るのを忘れていたのよ」
「だったらタオルで隠すとかしろ!」
「嫌よ、そんな貧乏臭い真似」
 落ち着け……落ち着くんだ、僕……今までだってこんな修羅場(?)何度となくあったは
ずだろう。どこに居たって、どこに至って。

37: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:25:40.33 ID:ooW4dNWwo
 ひたぎちゃんはなんだかとてもご機嫌のようだった。まさか忍野を信頼しているわけで
もないだろうに……まあ、ただ単に、僕から会話の主導権を奪いたかっただけなのかもし
れない。
 僕は這いずるように意匠箪笥の前から離れ、本棚の前に移動し、並んでいる本を熱心に
読んでいるかのように集中してみる。
 いきなり、なんだろう、ほんとうに、
「清潔な服ねえ。白い服のほうがいいと思う?」
「知らないよ……」
「ショーツとブラは、柄物しか持っていないの持っていないの」
「知らないよ!」
「相談しているだけなのに、どうして大声で喚いたりするの。訳がわからないわ。あなた、
更年期障害なんじゃない?」
 ………本当に楽しそうだ………元気がいい。何かいいことでもあったのだろうか?
 箪笥を開ける音。
 衣擦れの音。
 ああ、駄目だ。
 脳裏に焼きついて離れない。

38: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:26:35.74 ID:ooW4dNWwo
「阿良々木くん。まさかあなた、私のヌードを見て欲情したのではないでしょうね。」
「……仮にそうだったとしても僕の責任じゃないと誰もが証言してくれるだろうよ……」
「私に指一本でも触れて御覧なさい。舌を噛み切ってやるんだから」
「どれどれ」
 太ももの辺りを揉んでみた。
 顎を殴られた。
 ここで忘れてはならないのが、僕は多少の後遺症で全身が健康な状態になっている。
 よって、歯はきれいに生えそろっており、多少の硬いものでも噛み切ることができる。
「ひっへぇ!!!!!!!!!!!!!!!」
 どくどくと、だくだくと、舌(があった部位)から血が流れる。血血血血血血血血血血血
血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血
「何をするのよくすぐったいじゃないの」
「何をするんだ痛いじゃないか」
「あなたの傷はすぐ癒えるのかもしれないのだけれど、私の心の傷は癒えないのよ」
「どうか僕の心のことも考えてやってはくれないかい?」
「無い物を癒すことはさすがの私でもできないわ」
 ……どうして、人にそこまでのことを言えるのだろう……
 ……いや……もう人ではないのだが……
 人間が人間でないものを理解できるわけがない。
 そんなのは……当たり前のことなのだ……と、つっこみを言えるくらいには、治ってい
る舌のありがたみと人外っぷりを噛みしめながら(この状況ほどこの言葉を使うにピッタリ
な状況はないだろう)これが戯言だったらどんなに良いかを考えてみる。

39: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:27:41.46 ID:ooW4dNWwo
「もういいわよ。こっちを向いても」
 僕は本棚から、ひたぎちゃんを振り向いた。
 まだ下着姿だった。
 やたら扇情的なポーズを取っていた。
「これ以上、ぼくを混乱させて、どうするんだ!何をたくらんでいるんだ!」
「何よ。今日のお礼のつもりで大サービスしてあげてるんだから、ちょっとは喜びなさい
よ」
「………………」
 ……お礼のつもりだったのか……
 ……ちっとも意味がわからない……
「ちょっとは喜びなさいよ!」
「まさか逆切れされるとは……」
「感想くらい言うのが礼儀でしょう!」
「か、感想って……」
 礼儀なのか?
 最近の日本の高校生は本当によくわからない。
「えーっと……。翼ちゃん程じゃないけれど、いい身体してるね」
「……え?」
 さっきまでノリノリだったひたぎちゃんは、そこで、硬直してしまった。
 ……なんだろう……なんかまずいことでも言っただろうか。
 どうもひたぎちゃんの地雷はわからない。

40: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:28:48.47 ID:ooW4dNWwo
「羽川さんも――忍野さんの、お世話になったのよね?」
「うん。まあね」
 ひたぎちゃんは、箪笥から白いシャツを取り出し、シャツのボタンを最後まで留めると、
その上から、白いカーディガンを着るようだった。どうやら、下半身より先に上半身のコ
ーディネートを済ませてしまうつもりらしい。なるほど、服には一人一人、別々な着衣順
があるものだと思った。もう僕の視線なんて全く気になっていないのか、むしろ僕に自分
の身体の正面を向けて、着衣を続ける。
「ふうん」
「だから―― 一応、信頼していいとは思う。ふざけた性格で、根明で軽薄な調子者だけ
れど、それでも腕だけは確かだ。僕だけじゃない、あのつばさちゃんもそうなのだから、
信用には足るだろ」
「そう。でもね、阿良々木くん。悪いけれど、私はまだ、忍野さんの事を、半分も信頼で
きてはいないのよ。彼のことをおいそれと信じるには、私は騙されすぎたわ」
「…………」
 五人――同じことを言って。
 全員が詐欺師だった。
 そして。
 それが全てでも――ないのだろう。
「病院にも、惰性で通っているだけだし。正直。私はもう、ほとんど諦めているのよ」
 「諦めて……」
 何を――諦め。
 何を、捨てた。
 二年間は――長すぎた。

41: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:29:42.57 ID:ooW4dNWwo
「この奇妙な世界には、決して、夢幻魔実也も九段九鬼子も、いてはくれない。峠弥勒くら
いなら、ひょっとしたらいてくれるのかもしれないけれどね」
 ありったけの嫌味を込めて、ひたぎちゃんは言う。
「だから阿良々木くん。私は――だからね、たまたま階段で足を滑らせて、たまたまそれを
救ってくれたクラスメイトが、たまたま吸血鬼に襲われていて、たまたまそれを救ってくれ
た人が、たまたまクラスの委員長にも関わっていて――たまたま私の力にもなってくれるだ
なんて、そんな楽観的な風には、どうしたって、ちっとも思えないの」
 言って――ひたぎちゃんはカーディガンを脱ぎ始めた。
「きみは今、ギャグパートを進めたいのかい?それともシリアスな中にある笑いって奴なの
かな」
「失礼ね。私にギャグパートなんて物は、そもそも無いわ」
「折角着たのに、なんでまた脱ぎだすの?」
「髪を乾かすのを忘れていたわ」
 ひょっとしてただの馬鹿なんじゃなかろうか。と、思ったその瞬間、ひたぎちゃんがなん
とも言葉では表しがたいとても冷たい目で睨む。どうやら心を読まれたようだ。
 あるはずの無い。僕の心を。
 ひたぎちゃんはドライヤーで髪を乾かし始めた。

42: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:30:27.20 ID:ooW4dNWwo
「楽天的――ねえ」
「そうじゃなくて?」
「そうかもしれないけどね。別に、いいんじゃないの?楽天的でも」
 僕は言った。
「世の中何にも考えないで生きていたほうがよっぽど幸せになれる。僕がいい例だろう?悪
いことでも、ましてやズルしているわけでもない。馬鹿みたいに生きていればいいと思うよ
今みたいに」
「やはり馬鹿だと思われていたのね」
 ばれてしまった。後半部分はいらなかったかもしれない……
「悪いことを――しているわけじゃない、か」
「だろ?」
「まあ、そうね。でも」
 ひたぎちゃんは、そう言ったあとで、続けた。
「でも――ズルはしているかも」
「え?」
「なんでもないわ。強いて言うなら、そうね、ただの、戯言よ」
 髪を乾かし終え、ドライヤーを仕舞い、ひたぎちゃんは、再び、着衣を開始する。濡れっ
ぱなしの髪で着た所為で、湿ってしまったシャツとカーディガンはハンガーに干して、別の
服を箪笥の中から探していた。

43: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:31:39.03 ID:ooW4dNWwo
「今度生まれ変わるなら」
 ひたぎちゃんは言う。
「私は、クルル曹長になりたいわ」
「…………」
 脈絡が無い上に、もう半分くらいなっているような気もするが……。
「言いたいことはわかるわ。脈絡が無い上に私にはなれっこないっていうんでしょう」
「まあ、半分くらいはそんな感じだけど」
「やっぱりね」
「……せめてドロロ兵長くらいでいいんじゃないかな」
「トラウマスイッチという言葉は、私にとってあまりにもリアル過ぎるのよ」
「大体みんなそうだと思うけどね」
「まあ、あなたほどじゃなさそうだけど」
「…………」
「ごめんなさい、ゾルルの方があなたには合っていたわね」
 ……勿論、何が言いたいのかはわかる。
 けれど………わからないと答えたかった。

44: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:33:29.51 ID:ooW4dNWwo
 そんな戯言を考えている内に、ひたぎちゃんは話題を変えた。
「ねえ、阿良々木くん。ひとつ訊いていい?どうでもいいことなのだけれど」
「何?」
「月の模様みたいって、どういうこと?」
「え?何の話?」
「言っていたじゃないの。忍野さんに」
「えーっと……」
 ……うーん……そんな話なんかしてただろうか……
「ほら、蟹のことで、兎にだったり美人にだったりするって話。忘れてしまったの?」
 ああ。思い出したけど……
「確かに、そんなはなしをしたけどね……」
「けど、何?」
「……月の模様の方を思い出せない」
「…………阿良々木くんに知識というものを少しでも期待した私が軽率だったわ」
 ……きみを忘れていた時点で期待など皆無だろうに……
 そう言って。
 着かけた新しい上着を、再び脱ぎだすひたぎちゃん。
「……もしかして、自慢の肉体を僕に見せびらかしたいだけ?」
「自慢の肉体だなんて、そんなに自惚れていないわ。裏返しで、しかも後ろ前だっただけよ」
 無駄に器用なミスだった。
「服を着るのは得意じゃないのよ――重たくって」
 そうか、鞄が重いなら、服だってそうだろう。
 十倍の重さとなれば、服であれ、馬鹿にならない。

45: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:34:59.82 ID:ooW4dNWwo
 反省。
 気遣いの足りない――不用意な発言だった。
「こればっかりは、飽きることはあっても慣れることはないわ――けれど、本当に記憶力が
無いのね。びっくりしたわ。やはり、頭の中に脳みそが入ってないのね」
「やはりとはなんだ。やはりとは」
「初めて会ったときから、不気味だと思っていたわ。その死んだような目は、脳が機能して
いないからね」
「僕はそんなレベルの馬鹿だと思われていたのか……」
「……いや、さすがにまだ二回も変身を残しているとは思わなかったわ」
「そんな宇宙の帝王みたいな特殊能力は持っていない」
 真心じゃないんだし
「ふむ。決めたわ」
 ひたぎちゃんは、白いタンクトップに白いジャケット、そして、白いフレアのスカートを
穿き、ようやく着衣を終えたところで、言った。
「もしも全てがうまく行ったら、北海道へ蟹を食べに行きましょう」
「北海道まで行かなくても蟹は食べられると思うし、全然季節じゃないと思うけれど、まあ、
ひたぎちゃんがそうしたいって言うんなら、それもいいと思うよ」
「あなたも行くのよ」
「なぜに!?」
「あら、知らなかったの?」
 ひたぎちゃんは微笑した。
「蟹って、とっても、おいしいのよ」

46: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:37:07.62 ID:ooW4dNWwo
006
 トラウマとは一体なんだろうか?
 精神的外傷。
 後遺症を残すような、激しい精神的ショック。
 しかし、多くの場合は後遺症を残すようなことは無い。
 人間、大抵のことは乗り越えることができるからだ。
 乗り越えられなければ忘れてしまえばいいし、どうしても乗り越えられなければ、別に、
乗り越える必要なんて無い。
 ただ、そこから逃げるだけで、どこかに押し付けてしまえばいい。
 つまり、本当にトラウマを抱えている人は、そのトラウマを普段、思い出すことは無いの
だ。すぐ、何かの拍子でトラウマを思い出すなんていう人は、実際、そんなにたいしたこと
はないことだ。
 トラウマという物は一切無いけれど、常に、何か大事なことを忘れているような気がする。
このような人間こそ、最もトラウマを抱えているはずだ。
 自分が鬱だと思っている時点で、鬱ではないような感じである。そのことに、本人が気付
いてないからこそ、それは、精神病たりえるのだ。

47: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:39:10.94 ID:ooW4dNWwo
 なんだか前置きじみた戯言を考えながら、夜中の零時を、少し過ぎたところで。
 僕とひたぎちゃんは、例の学習塾あとに、自転車で、戻ってきた。
 何も食べていないので若干空腹である。
 ここは地方の、さらに外れの町である。
 夜になれば、周囲はとても暗くなる。真っ暗な、暗闇。それこそ、廃ビルの中も外も、ほ
とんど区別がなくなるくらいの、昼間からの落差だ。
 むしろそっちの方が、本来の自然であるのだろうけれど、忍野辺りに言わせると、その落
差が――概ね、問題の根っこに絡まっていることが、多いそうだ。
 根っこがはっきりしている分やりやすい――
 「落差の分楽なのさ」などと、ふざけていた。
 自転車を夕方と同じ場所に停め、同じ金網の裂け目から敷地内に入ったら、入り口のとこ
ろで、忍野はもう待っていた。
 ずっとそこにいたという風に。
「……え」
 その忍野の服装に、ひたぎちゃんが面喰らう。
 忍野は、白ずくめの意匠――浄衣に身を包んでいた。ぼさぼさだった髪もピッタリと整え
られて、夕方とは見違えてしまうような、少なくとも見た目だけは小奇麗な意匠になってい
た。

48: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:40:28.21 ID:ooW4dNWwo
 ・ ・ ・ ・
 それなりに見えてしまうのが、少々不快だ。
「忍野さんって――神職の方だったんですか?」
 と、ひたぎちゃんが訊いたが、「いや?違うよ?」と、忍野は、あっさり否定した。
「宮司でもなければ禰宜でもないさ。大学の学科はそうなんだけれど、神社に就職はしてい
ない。いろいろ思うところがあってね」
「思うところって――」
「一身上の都合だよ。馬鹿馬鹿しくなったってのが真相かもね。何、この服装は、単純に身
なりを整えただけだよ。ほかに綺麗な服を持っていなかっただけ。神様に遭うんだから、お
嬢ちゃんだけじゃなく僕だって、きっちりしておかないとね。言ってなかったっけ?雰囲気
作り。阿良々木君のときは、十字架持って大蒜下げて、聖水を武器に戦ったもんさ。大切な
のは状況なんだ。大丈夫、作法はいい加減だけど、これでも付き合い方は心得ている。無造
作に御幣振って、お嬢ちゃんの頭に塩巻くような真似はしないさ」
「は、はあ……」
 ひたぎちゃんが、少し呑まれていた。
 確かに、面食らう格好でもあるが、しかしなんだか、彼女にしては若干反応のようにも思
えてしまう。どうしてだろう。まあ、僕には関係のないことだけれど。
「うん、お嬢ちゃん、いい感じに清廉になっているよ。見事なもんだね。一応確認しておく
けれど、お化粧はしていない?」
「しない方がいいかと思って、していません」
「そう。ま、とりあえず正しい判断だ。阿良々木君も、ちゃんとシャワー浴びてきたかい?」
「ああ。問題ないですよ」
 僕もその場に同席する以上、それくらいは仕方のないことだったが、その際ひたぎちゃん
が僕のシャワーを覗こうとしてひと悶着あったことは、秘密にしておこう。(セクハラにはセ
クハラだとかよくわからないことを言っていた)

49: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:42:19.80 ID:ooW4dNWwo
「ふうん。君は代わり映えしないねえ」
「無茶いいますね。どうも」
 同席するとはいえあくまで部外者、傍観者なのだから、代わり映えする必要がない。
「じゃ、さっさと済ませてしまおう。三階に、場を用意しているから」
「場?」
「うん」
 言って、忍野はビルディングの中の暗闇に消えていく。あんな白い服なのに、すぐに見え
なくなってしまった。夕方と同じように、僕はひたぎちゃんの手を引くように、忍野を追っ
た。
「しかし、忍野さん、さっさとなんて、気楽に構えて大丈夫なんですか?」
「大丈夫って、何が?年頃の少年少女を、夜中に引っ張り出すなんて真似をしているんだ、
早く終わらせたいっていうのは、大人としてあたりまえの人情だろう」
「その蟹だかなんだかって、そんな簡単に退治できるもんなんですか?」
「考え方が乱暴だなあ、阿良々木君は。何かいいことでもあったのかい?」
 忍野は振り向きもせず肩を竦める。
「阿良々木君のときの忍ちゃんや、委員長ちゃんのときの色ボケ猫とは、場合が違うんだよ。
それに忘れちゃいけないよ、僕は平和主義者だ。非暴力絶対服従が、僕の基本方針。忍ちゃ
ん達は、悪意と敵意を持って、阿良々木君と委員長ちゃんを襲ったわけだけれど、今回の蟹
はそうじゃないんだから」
「そうじゃないって――」
 事実、被害が出ている以上、そこには悪意なり敵意なりがあると、そう判ずるべきじゃな
いのか?

50: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:43:48.72 ID:ooW4dNWwo
「言ったろ?相手は神様なんだよ。そこにいるだけ、何もしていない。当たり前だから、そ
こにいるだけ。阿良々木君だって、学校が終われば家に帰るだろう?そういうこと。勝手に
お嬢ちゃんが、揺らいでいるだけなのさ」
 障らない、襲わない。
 憑かない。
 勝手にというのは酷い言い草だと思ったが、しかし、ひたぎちゃんは、何も言わなかった。
思うところがないのだろうか、それとも、今からのことを考えて、忍野の言葉に、あまり反
応しないよう心掛けているのだろうか。
「だから、退治するとかやっつけるとか、そんな危険思想は捨てなさい、阿良々木君。今か
ら僕達はね、神様にお願いするんだよ。下手に出てね」
「お願い――ですか」
「そう。お願い」
「お願いしたら、それではいどうぞと返してもらえるものなんですか?その――ひたぎちゃ
んの重み――体重は」
「あえて断言はしないけれど、多分ね。年末年始の二年参りとは訳が違うんだから。切実な
人間の頼みを断るほど、彼らは頑なじゃないさ。神様ってのは、結構、大雑把な連中なんだ
ぜ。日本の神様は特に適当だ。人間という群体そのものならともかく、僕達個々人のことな
んて、連中、どうでもいいんだ。実際、神様の前じゃ、僕も阿良々木君もお嬢ちゃんも、区
別なんかつかない。年齢も性別も重みも関係なく、三人とも、同じ、人間、ってことでね」
 同じ――
 同じような、ではなく、同じ、か。
「呪いとかとは、根本的に違うんですね」

51: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:45:00.48 ID:ooW4dNWwo
「あの」
 意を決したような口調で、ひたぎちゃんが言った。
「あの蟹は――今も私のそばにいますか?」
「そう。そこにいるし、どこにでもいる。ただし、ここに降りてきてもらうためには――手
順が必要だけどね」
 三階に到着した。
 教室の中の、一つに入る。
 入ると、教室全体に、注連囲いが施されていた。机と椅子は全て運び出され、黒板の前に、
神床――祭壇が設けられている。三方折敷に神饌、供物が供えられているところを見れば、
今日あれから、急遽作られた場というわけではないのだろう。四隅に燈火が設置されていて、
部屋全体がほのかに明るい。
「ま、結界みたいなものだよ。よく言うところの神域ってやつだ。そんな気張るようなもん
じゃない。お嬢ちゃん、そんな緊張しなくたっていいよ」
「緊張なんて――していないわ」
「そうかい。そりゃ重畳」
 言いながら、教室の中に入る。
「二人とも、目を伏せて、頭を低くしてくれる?」
「え?」
「神前だよ。ここはもう」
 そして――三人、神床の前に、並ぶ。
 僕のときや、翼ちゃんのときとは、ぜんぜん対処法が違うので――緊張しているというの
なら、僕が緊張していた。堅苦しい雰囲気というか――この雰囲気そのものに、おかしくな
ってしまいそうな感じだ。

52: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:47:06.34 ID:ooW4dNWwo
 身が竦む。
 自然、構えてしまう。
 僕自身は無宗教、神道も仏教も、区別がつかない最近の若いやつだけれど、しかしそれで
も、こういう状況そのものに、反応する、本能的な何かが、心の中にある。
 状況。
 場。
「あの――忍野さん」
「なんだい?阿良々木君」
「考えたんですけれど、これ、状況とか場とかって言うなら、僕、ここにいない方がよくな
いですか?どう考えても、邪魔者って感じなんですけれど」
「邪魔ってことはないさ。多分大丈夫だけれど、一応、いざってこともあるからね。いざっ
てことも、あるにはあるさ。そのときは、阿良々木君、きみがお嬢ちゃんの壁になってあ
げるんだよ」
「なぜ僕が?」
「その不死身の体は何のためにあるんだ?少しは考えてみろよ」
「…………」
 いや、少なくともひたぎちゃんの壁になるためではないと思う。
 大体、もう不死身じゃない。むしろあの感覚のままではすぐに死んでしまうだろう。
「阿良々木君」
 ひたぎちゃんがすかさず言った。
「わたしのこと、きっと、守ってね」
「なぜいきなりお姫様キャラに!?」
「いいじゃない。どうせあなたみたいな人間、明日くらいには自[ピーーー]る予定なんでしょう?」
「……その言葉が何より自殺級だ」

53: すごいな。NGワードは自動で消されるのか……人識の決め台詞とかどうなるんだろう 2011/07/30(土) 10:49:52.07 ID:ooW4dNWwo
「もちろんただとは言わないわ」
「何かくれるの?」
「物理的な報酬を求めるとは、浅ましい。その情けない言葉一つに、あなたの人間性の全て
が集約されているよいっても過言ではないわね」
 絶対に過言だ。
「…………。じゃあ、何をしてくれるの?」
「そうね……阿良々木君がドラクエⅤで、フローラに奴隷の服を装備させようとした外道で
あることを、言いふらす予定だったのを中止してあげる」
「そんな話、一生で一回も聞いたことないよ……」
 しかも言いふらすことが前提だった。
 恐るべし、戦場ヶ原ひたぎ。
「装備できないことくらい、考えたらわかりそうなものなのに……これぞ猿知恵ならぬ犬知
恵といったところかしら」
「ちょっと待って!うまいこと言ってやった、してやったりみたいな顔をしているけれど、
僕が犬に似ているなんて描写がこれまでに一度でもあったっけ?」
「二、三章前で言っていたわ。読みが足りないわね。もう一度読み直してきなさい」
 ……絶対にそんな場面はなかったと思うのだが……僕の記憶力は当てにならないので、も
はや真偽を見定める方法はない。
「そもそも、忍野さん。僕なんかに頼らなくても、忍ちゃんじゃ無理なんですか?」
「忍ちゃんなら、もうおねむだよ」
「……………………」
 伝説の吸血鬼が夜に眠るとは……。
 本当に悪いことをしてしまった。

54: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:51:46.49 ID:ooW4dNWwo
 忍野は供物のうちからお神酒を手にとって、それをひたぎちゃんに手渡した。
「え……なんですか?」
 戸惑った風のひたぎちゃん。
「お酒を飲むと、神様との距離を縮めることができる――そうだよ。ま、ちょっと気を楽に
してってくらいの意味で」
「……未成年です」
「酔うほどの量は飲まなくていいさ。ちっとだけ。」
「…………」
 逡巡したあとで、ひたぎちゃんはそれを一口、飲み下した。それを見取って、ひたぎちゃ
んから返還された杯を、もとあった場所に、忍野が返す。
「さて。じゃあ、ますは落ち着こうか」
 正面を向いたまま――
 ひたぎちゃんに背を向けたままで、忍野は言う。
「落ち着くことから、始めよう。大切なのは、状況だ。場さえ作り出せば、作法は問題じゃ
ない――最終的にはお嬢ちゃんの気の持ちよう一つなんだから」
「気の持ちよう――」
「リラックスして。警戒心を、解くところから始めよう。ここは自分の場所だ。きみがいて、
当たり前の場所。頭を下げたまま目を閉じて――数を数えよう。一つ、二つ、三つ――」
 別に――
 僕がそうする必要はないのだが、ついつい、付き合って、目を閉じ、数を数えてしまう。
そうしている内に、思い至った。
 雰囲気作り。
 その意味では、忍野の格好だけではない、この注連囲いも神床も、一旦家に帰っての水浴
びも、全て、雰囲気作り――もっと言うならば、ひたぎちゃんの、心のコンディション作り
に、必要なものだったのだろう。

55: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:52:48.11 ID:ooW4dNWwo
 言うならば暗示に近い。
 催眠暗示。
 不快になるほどのそれらしさ。
 まず自意識を取っ払い、警戒心を緩め、そして、忍野との間に信頼関係を生じさせること
――それは、やり方は全然違えど、僕や翼ちゃんのときにも、必要だったことだ。信じる者
は救われるなんていうけれど、つまり、まずひたぎちゃんに、認めさせることが――不可欠
なのだ。
 実際、ひたぎちゃん自身も言っていた。――忍野のことを、半分も信頼できていない――
しかし
 それでは駄目なのだ。
 それじゃあ、足りないのだ。
 忍野がひたぎちゃんを助けられず、ひたぎちゃんが一人で助かるだけ――という言葉の真
意は、そういうところにある。
 僕は、そっと、目を開けた。
 周囲を窺う。
 燈火。
 四方の燈火が――揺らぐ。
 窓からの風。
 いつ掻き消えてもおかしくない。――頼りない火。
 しかし、確かな明かり。

56: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:53:45.67 ID:ooW4dNWwo
「落ち着いた?」
「――はい」
「そう――じゃあ、質問に答えてみよう。きみは、僕の質問に、答えることにした。お嬢ち
ゃん、きみの名前は?」
「戦場ヶ原ひたぎ」
「通っている学校は?」
「私立直江津高校」
「誕生日は?」
「七月七日」
 一見、意味のわからないというよりは全く意味のなさそうな、質問と、それに対する回答
が、続く。
 淡々と。
 変わらぬペースで。
 忍野は、ひたぎちゃんに背を向けたままだ。
 ひたぎちゃんも、目を閉じた上で、顔を伏せている。
 頭を下げ、俯いた姿勢。
 呼吸音や、心臓の鼓動すら、響きそうな静寂。

57: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:54:25.86 ID:ooW4dNWwo
「一番好きな小説家は?」
「夢野久作」
「子供の頃の失敗談を聞かせてくれる?」
「言いたくありません」
「好きな古典音楽は?」
「音楽はあまり嗜みません」
「小学校を卒業するとき、どう思った?」
「単純に中学校に移るだけだと思いました。公立から公立へ、行くだけだったから」
「初恋の男の子はどんな子だった?」
「言いたくありません」
「今までの人生で」
 忍野は変わらぬ口調で言った。
「一番、辛かった思い出は?」
「………………」
 ひたぎちゃんは――ここで、答えに詰まった。
 言いたくない――でもなく、沈黙。
 それで、忍野が、この質問だけに意味を持たせていたことに、僕は気づく。
「どうしたの?一番――辛かった、思い出。記憶について、訊いているんだ」
「……お」
 沈黙を守ることのできる――雰囲気ではなかった。
 言いたくないと拒絶も出来ない。
 これが――状況。
 形成された、場。手順通りに――ことは進む。
「お母さんが――」
「お母さんが?」
「悪い、宗教に嵌ったこと」
 性質の悪い新興宗教に嵌った。
 そう言っていた。

58: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:56:02.95 ID:ooW4dNWwo
 財産を全て貢いで、借金まで背負って、家庭が崩壊するまでに至ったと。離婚した今でも、
 父親は、そのときの借金を返すために、夜も寝られないような生活を続けていると。
 それが―― 一番、辛かった思い出?
 己の重さが―― 失われたことより?
 ・ ・ ・ ・ ・ ・
「それだけかい?」
 忍野が切り込む。
 全てを見透かしたように。
「……それだけって」
「それだけじゃ、大したことではない。日本の法律じゃ、信仰の自由は認められている。い
や、信仰の自由は、本来的に人間に認められている権利だ。お嬢ちゃんのお母さんが、何を
奉ろうと何に祈ろうと、それはただの方法論の問題だ」
「…………………………」
 ・ ・ ・    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「だから――それだけじゃないだろ」
 忍野は――力強く、断定した。
「隠そうとするなよ。なにがあった」
「何がって――お、お母さんは――私のために、そんな宗教に、嵌ってしまって――騙され
て――」
「お母さんが悪徳宗教に騙されて――そのあとだ」

59: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:57:20.22 ID:ooW4dNWwo
 そのあと。
 ひたぎちゃんは、下唇を強く噛む。
「う――うちに、その宗教団体の、幹部の人が、お母さんに連れられて、やってきて」
「幹部の人。幹部の人がやってきて、どうした?」
「じょ――浄化、だと言って」
「言って――どうした?」
              ・    ・
「儀式だといって――私――を」
 ひたぎちゃんは、苦痛の入り混じった声で言った。
「わ――私に、乱暴を」
「乱暴――それは、暴力的な意味で?それとも――性的な意味で?」
「性的な――意味で。そう、あの男は、私を――」
 いろんなものに耐えるように、ひたぎちゃんは続ける。
「私を――犯そうとしたわ」
「……そう」
 忍野は静かに――頷いた。

60: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:58:28.32 ID:ooW4dNWwo
 不自然な形での貞操観念の強さや――
 警戒心の強さ。
 防衛意識の高さと攻撃意識の過敏さ。
 説明が――つく。
 素人のひたぎちゃんにしてみれば、神道もまた、宗教であることには――変わりない。
「あの――生臭」 
「それは仏教の観点だろう。身内の殺人を推奨する宗教だって、テロ活動をしている宗教だ
ってあるさ。一概に言ってはならない。でも、犯そうと――ということは、未遂だったんだ
ろう?」
「近くにあったスパイクで、殴ってやったわ」
「勇敢だね」
「額から血を流して――もがいていた」
「それで、助かった?」
「助かりました」
「よかったじゃないか」
  ・・    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「でも――お母さんは私を助けてくれなかった」
 ずっと、そばで見てたのに。
 ひたぎちゃんは――淡々と。
 淡々と――答える。
「どころか――私を詰ったわ」
「それ――だけ?」
「違う――私が、その幹部に、怪我をさせた所為で――お母さんは」
「お母さんは、ペナルティを負った?」
 忍野が、ひたぎちゃんの台詞を先回りした。
 ここは忍野でなくとも次の予想ができる、そんなシーンであったが――ひたぎちゃんにと
って、それは効果的であったらしい。
「はい」
 と、彼女は、神妙に――肯定した。

61: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 10:59:39.54 ID:ooW4dNWwo
「娘が幹部を傷つけたんだから――当然だね」
「はい。だから――財産。家も、土地も――借金までして――私の家族は、壊れたわ。完
全に壊れて――完全に壊れたのに、それなのに、まだ、その崩壊は、続いている。続いて
います」
「お母さんは、今、どうしている?」
「知らない」
「知らないということはないだろう」
「多分、まだ――信仰を続けているわ」
「続けている」
「懲りもせず――恥ずかしげもなく」
「それも、辛いかい?」
「辛い――です」
「どうして、辛い?もう関係ない人じゃないか」
「考えてしまうんです。もしも私があのとき――抵抗しなかったら、少なくとも――こん
なことには、ならなかったんじゃないかって」
 壊れなかったんじゃないかって。
 壊れなかったんじゃないかって。
「そう思う?」
「思う――思います」
「本当に、そう思う?」
「……思います」
「だったらそれは――お嬢ちゃん。きみの思いだ」
 忍野は言う。
「どんなに重かろうと、それはてめえで一生背負わなくっちゃならないものだ。他人任せ
にしちゃあ――ましてや母親と同じ――神頼みをしちゃ――いけないだろ」
 他人任せ――神頼みだって?!

62: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 11:00:39.99 ID:ooW4dNWwo
                     ・ ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・ ・
「目を背けずに――目を開けて、正面切って、見てみよう」
 そして――
 忍野は目を開けた。
 ひたぎちゃんも、そっと――目を開けた。
 四方の燈火。
 明かりが、揺らいでいる。
 影も。
 三人の影も――揺らいでいる。
 ゆらあり。ゆらあり。
 ゆらゆらと。
 ゆらあ――り。ゆらり――と。
「あ、ああああああああっ!」
 ひたぎちゃんが――大声を上げた。
 かろうじて、頭は下げたままだが――その表情は、驚愕に満ち満ちていた。身体が震え
―― 一気に汗が噴き出している。
 取り乱していた。
 あの――ひたぎちゃんが。
「何か――見えるかい?」
 忍野が問う。

63: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 11:03:07.67 ID:ooW4dNWwo
                                   ・ ・ ・ ・ ・  ・ ・    ・ ・ ・
「み――見えます。あのときと同じ――あのときと同じ、大きな蟹が、蟹が――見える」


「そうかい。僕には全く見えないがね」
 忍野はそこで初めて振り返り、僕を向く。
「阿良々木君には、何か見えるかい?」
「いいえ、何も見えません」
「だそうだ」
 ひたぎちゃんに向き直る忍野。
「本当は蟹なんて見えて、いないんじゃない?」
                        ・ ・ ・
「い、いえ――はっきりと。見えます。私には」
「錯覚じゃない?」
「錯覚じゃありません――本当です」
「そう。だったら――」
 忍野はひたぎちゃんの視線を追う。
「だったら言うべきことが、あるんじゃないか?」
「言うべき――こと」
 そのとき。
 特に、何か考えがあったわけでも、
 何をするつもりだったのでもないだろうけれど、
  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 ひたぎちゃんは――顔をあげてしまった。
 多分、状況に――
 場に、耐え切れなかったのだろう。

64: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 11:06:49.76 ID:ooW4dNWwo
 それだけだろう。
 けれど、事情なんて関係ない。
 人間の事情なんて、関係ない。
 その瞬間――ひたぎちゃんは、後ろにふっとんだ。
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 一度も床に足を着くことも擦ることもなく、ものすごいスピードで、神床と反対側の、
教室の一番後ろ、掲示板に、叩きつけられた。
 叩きつけられ――
 そのまま、落ちない。
 張り付けられたがごとく、そのままだ。
 磔刑のごとく。
「ひ、ひたぎちゃん――!」
       ・ ・ ・ ・ ・ ・    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 そんな、こんなことは――こんなことはもう嫌なのに、
            ・ ・ ・ ・ ・
 どうして、どうしてこんなことになってしまうんだ。
  ・ ・ ・ ・ ・              ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・     ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 こんなことは――もうごめんだ。こんなことはもう二度と――あんなことはもう二度と
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・                         ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
嫌だと言うのに――だから――こんなところまで――逃げてきたと言うのに。

65: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 11:08:13.73 ID:ooW4dNWwo
「全く。壁になってやれって言っただろう、あ、阿良々木くん!」
 忍野が落胆したみたいにこんなことを言ったとき、僕はもう走り出していた。
 考えるよりも先に、走り出していた。
 蟹の鋏の根元――人間でいうと、肩にあたるのだろうか?――に手を伸ばし。
 無理やりに引き剥がす。
 蟹を倒したあと、僕はマウントポジションを取り、ポケットから取り出したナイフを、
迷いなく甲羅に突き刺す。
 すると、甲羅は硬く、ナイフの刃が二つになってしまった。
 仕方なく、僕は思い切り、両の手で甲羅を殴りつける。
 殴る痛い殴る血が出た殴る痛い殴る治る殴る骨が折れる殴る治る殴る治る殴る治る殴る
治る殴るひびが入る殴るひびが大きくなる殴るもうすこしだ殴る甲羅が割れる殴るぐにゃ
っとした殴るぐちゃっとした殴るぐちゃりとした殴るぐちゃり殴るぐちゃり殴るぐちゃり
 殴る――がちん。
 拳が違和感を感じると同時に、僕は膝から着地した。階段を踏み外したかのように、い
きなり足場がなくなったような感覚を感じたので、僕はすこしよろけてしまった。
 身じろぎもせず、何も言わない忍野メメと。
 いきなりわんわんと声を上げて泣きじゃくり始めてしまった戦場ヶ原ひたぎを眺めるよ
うに見ていて。
 ああ、また、僕は、余計なことをしてしまったな。と、いつものように思った。


66: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 11:09:09.28 ID:ooW4dNWwo
007
 どうやら、僕と翼ちゃんはやはり全てを聞き出せていたわけじゃなかったようだ。
 まぁ、ほぼ初対面の人間に全てを話すほうが珍しいだろう。そこまで警戒心のない人間
が、今まで、誰にも気づかれないで暮らせるわけがないし。
「おもし蟹ってのはね、阿良々木くん。だからつまり、おもいし神ってことなんだよね」
 忍野は言った。
       ・ ・ ・ ・ ・            ・ ・   ・ ・ ・    ・ ・ ・ ・
「分かる?おもいし神ってことだ。また、思いと、しがみ――しがらみってことでもある。
そう解釈すれば、重さを失うことで存在感まで失ってしまうことの、説明がつくだろう?
 あまりに辛いことがあると、人間はその記憶を封印してしまうなんてのは、ドラマや映
画なんかによくある題材じゃないか。たとえて言うならあんな感じだよ。人間の思いを、
代わりに支えてくれる神様ってことさ」
 つまり、蟹に行き遭ったとき。
 ひたぎちゃんは――母親を切ったのだ。
娘を生贄のように幹部に差し出し、助けてくれもせず、そのせいで家庭も崩壊し、でも、
あのとき自分が抵抗しなければ、そんなことはなかったのかもしれないと、思い悩むこと
を――やめた。
 思うのを止めた。
 重みを無くした。
 自ら、進んで。
 ズルを――した。

67: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 11:10:14.29 ID:ooW4dNWwo
  ・ ・ ・ ・ ・ ・    ・ ・ ・ ・ ・
 心の拠り所を――求めたのだ。
 皮肉にも――母親と同じ――神様に――
「物々交換だよ。交換、等価交換。蟹ってのは、鎧を身に纏って、いかにも丈夫そうだろ
う? そういうイメージなんだろうね。外側に甲羅を持つ。外骨格で、包み込むように、
大事なものを保管する。すぐに消えてしまう泡でも吹きながらね。喰えないよねえ、あれ
は」
 忍野は蟹が嫌いらしい。
 軽いようで――何でもできるようで案外――不器用な男なのだ。
「蟹ってのは、解ったような虫って書くだろ?解体する虫ってことでもあんのかな。いず
れ、水際を行き来する生物ってのは、そういうところに属するものなんだよね。しかも連
中――大きな鋏を、二つ、持ってやがる」
 結論として。
 ひたぎちゃんは重みを失って――思いを失って、辛さから、解放された。悩みもなく―
―全てを捨てることができた。
 できたせいで。
 かなり――楽になったらしい。
 それが本音だそうだ。
 重みを失ったことなど――ひたぎちゃんにとっては、本質的な問題ではなかったのだ。

68: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 11:11:58.11 ID:ooW4dNWwo
                                         ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
しかしそれでも――そうでありながら、ひたぎちゃんは、そのことを、楽になってしまっ
・ ・ ・ ・
たことを、後悔しない日は、一日だって、なかったのだという。
 でも、周囲との不調和からではない。
 友達を作れなかったからでもない。
 全てを失ったからでもない。
 思いを失ったから――それだけだそうだ。
 五人の詐欺師。
 それは、母親の宗教とは関係ないところの五人だったそうだけれど――それでも、忍野
を含めて、半分も信用していないそんな奴らを、半分足らずとはいえ信頼してしまったの
も――それがそのまま、ひたぎちゃんの悔やみを表していると言える。惰性でずっと、病
院に通いつづけたことといい――
 何のことは無い。
 僕は最初から最後まで全く見当はずれだった。
 ひたぎちゃんは重みをなくしてからもずっと。
 何も、諦めず。
 何も、捨てていなかったのだ。
「別に悪いことでもないと思うんだけれどねえ。辛いことがあったら、それに立ち向かわ
なければならないというわけじゃない。立ち向かえば偉いというわけじゃない。嫌なら逃
げ出したって、全然構わないんだ。今回の場合、今更思いを取り戻したところで、何にも
ならないんだから。そうだろう?悩まなくなっていたお嬢ちゃんが、悩むようになるだけ
で、それで母親が帰ってくるわけでも、崩壊した家族が再生するわけでもない」
 何にもならない。

69: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 11:13:18.17 ID:ooW4dNWwo
「人間は――弱いよ。特に、すぐつけ上がって、自分が何でもできると思い込んでいる人
なんかは、とっても弱い。不思議なことなんだけどね。弱ければ弱いほど、強いことがあ
る。強ければ強いほど、弱いことがある。」
 忍野は言う。
「おもし蟹は、重みを奪い、存在を奪う。けれど、吸血鬼の忍ちゃんや色ボケ猫とは訳が
              ・ ・ ・ ・ ・       ・ ・ ・ ・ ・
違う――お嬢ちゃんが望んだから、むしろ与えたんだ。物々交換――神様は、ずっと、そ
こにいたんだから。お嬢ちゃんは、実際的には、何も失ってなんかいなかったんだよ。そ
れなのに」
 それなのに。
 それでも。
 それゆえに。
 戦場ヶ原ひたぎは――返して欲しかった。
 返して欲しがった。
 もう、どうしようもない、母親の思い出を。
 記憶と、悩みを。
 それがどういうことなのかは僕には、全くわからないし、わかろうともおもわないのだ
けれど、そして、忍野の言う通り、だからどうということもなく、母親も戻らず家庭も戻
らず、ただひたぎちゃんが一人、ひたすら、辛い思いをするだけなのだろうけれど――
 

70: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/07/30(土) 11:13:56.98 ID:ooW4dNWwo
 何も変わらない、いや、むしろ悪くなったのかもしれないのだろうけれど。
「何も変わらないなんてことはないし、ましてや、悪くもなってないわ」
 赤く泣き腫らした目で、僕に向かって。
「それに、決して無駄でもなかったのよ。少なくとも、大切な友達が一人、できたのだか
ら」
「……誰のことかな?」
「あなたのことよ」
 とぼけてみせた僕に対して、照れもなく、それに、遠まわしにでもなく、堂々と――ひ
たぎちゃんは、胸を張った。
「ありがとう、阿良々木くん。私は、あなたにとても、感謝しているわ。今までのこと、
全部謝ります。図々しいかもしれないけれど、これからも仲良くしてくれたら、私、とて
も嬉しいわ」
 ひたぎちゃんからのその不意打ちの笑顔は――彼女の笑顔にそっくりだった。
 ――純粋無垢で、天真爛漫な、あいつの笑顔に――
 蟹を食べに行く約束は。
 どうやら、冬を待つことになりそうだけれど。

91: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) 2011/08/16(火) 12:16:43.98 ID:4VTMtEH9o
008
 後日談というか、今回のオチ。
 翌日、いつものように二人の妹、火憐ちゃんと月火ちゃんに起こされ、(非常に礼儀の正
しい素晴らしい姉妹である。ご両親の育てがよいのだろう)学校へ行くと、教室は惨憺たる
様相だった。

 教室の机の半分が空席だった。

 ……世界の終わりでも近づいているのか。
 すわパンデミックかと慌てて近くの信濃さん(頭がゆるふわ愛され系)に訊くと、
「うお~あっくんおっす~
「えっ、なんでみんなやすんでるかって~?
「なんかね~みんなね~からだがだるいっていっていったような~
「あと~きゅうにとらうまおもいだしたとか~へんだね~みんなね~」
 
 ………………どうやら、本当に、僕は余計なことをしてしまったらしい。

Omoshikani is the END.
Hitagi Crab is the GOOD END.