GAランブル! ~播磨拳児と芸術科アートデザインクラス~ 前編  

320: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:33:53.82 ID:RDHyYT7Ro

 何だか初々しいペアである。

 そして、播磨が目当てのノダミキは、

「ううう……」

「落ち着いてキサラギちゃん」

 怖がるキサラギを宥めていた。

「で、でも神隠しとか怖くないですか? ノダちゃん」

「そんなの迷信だよ」

「ったく」

 播磨と雅は、そんな二人の元へ向かう。

「あ、はりまっちとキョージュ」

 二人を見てノダミキは言った。

「大丈夫か」

 と、播磨は声をかける。

「キサラギちゃんがさっきからずっと怖がっちゃって。何とか言ってよ」

「何とかっつってもなあ」

「大丈夫だキサラギ殿」

 そう言って雅が一歩前へ出る。

「キョージュさん」

「大丈夫、浮遊霊は普通の人には見えない。現にここにも何体かいるが――」

「ひいいいい!!」

引用元:  GAランブル! ~播磨拳児と芸術科アートデザインクラス~ 

 

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321: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:34:23.07 ID:RDHyYT7Ro

「おい大道、お前ェは黙ってろ」

 そう言うと、雅を押しのけて播磨がキサラギの前に出る。

「山口」

「は、はい」

「こいつを貸してやろう」

 そう言うと、播磨は自分の持っている鍵からキーホルダーを外す。

 チャリンと金属音が鳴った。

「これは、鈴ですか?」

「ああ、鈴だ。古来より鈴は邪を払う法具とされていた。神社にもでっかい鈴があるだろう?」

 そう言うと彼はもう一度鈴を鳴らす。

「コイツを持っていれば平気だ。しっかり鳴らしとけ」

 播磨はキサラギの小さな手に紐の付いた鈴を握らせた。

「あ、ありがとうございます」

 心なしか、青ざめていた顔に赤みが差した気がした。




   *

322: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:35:07.59 ID:RDHyYT7Ro

 【闇の道】
 

 裏山へと続く暗い夜道。

 肝試しのルールは簡単で、二人一組で山の頂上にある祠へ行き、
そこに置いてあるノートに名前を書いて帰る簡単なもの。

 別段驚かせる役がいるわけでもない。

 ただひたすらくらい道を歩くだけだ。

 そして、足元が悪いから気を付けるようにも言われた。

「大丈夫かな播磨殿」

 ぼんやりとした提灯の光が大道雅の顔を照らす。

「大道、お前ェはローソクの光が似合うな」

「そうか」

 別に褒め言葉でもないが、黒髪と微かな光が何とも言えない雰囲気を漂わせていた。

「……」

 ただ、今播磨が感心のあることは、隣にいる雅ではなく自分たちのすぐ後に
出発したノダミキたちのことである。

「気になるの」

「え、何が?」

「キサラギ殿たちのこと」

「いや、別に」

「そう……」

323: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:35:46.76 ID:RDHyYT7Ro

「……」

 会話が続かない。

 雅と歩いている時はいつもそうだ。

 だからといって、別段困ったことはない。

 沈黙の時間も苦痛ではない。播磨にとっての雅は、そういう人間であった。

「時に播磨殿――」

「ん? どうした」

「キサラギ殿とナミコ殿、どちらが好きかな」

「はあ?」

「勿論恋愛的な意味で」

「何でいきなり」

「少し気になったもので」

 逃げ場がない。

 友人とか仲間とか、そういう曖昧な表現は許されそうにない。

「別に、どっちがどうってことはねェよ」

「それはどういうことだろう」

「いやだからよ、どっちも嫌いではねェが、恋愛的な感情はねェってことだ」

「そうか」

「ああ」

「だが二人とも可愛いとは思わないか?」

324: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:36:22.71 ID:RDHyYT7Ro

「可愛い?」

「そうだ。キサラギ殿は小動物のような可愛さがあり、ナミコ殿は胸が大きい」

「……」

「どうした」

「んなこと言ったらお前ェだってそうだろう」

「私?」

「お前ェも結構人気があるぞ。GAでも美人の部類なんじゃねェの」

「は……、播磨殿は、どう思う?」

「ん?」

「私のことを」

「どうって」

「好きでもない相手に、どう思われても意味のないことだ」

「そうだな」

「だから、キミは私のことをどう思っている?」

「え、そりゃあ――」

 播磨が答えようとしたその時、

「ん」

 雅は何かに反応する。

「どうした」

325: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:36:48.16 ID:RDHyYT7Ro

「しっ」

 闇の中で耳を澄ます。

 虫の声や、風で揺れる木々の音以外に、何かが聞こえる。

 それは、

「はりまっち! キョージュ!」

「なに?」

 それは、暗い山道を全力で走ってくるノダミキの姿であった。

「おい! どうした!」

「ああ、はりまっち! はあはあ……」

 息を切らしながらノダは喋る。

「どうした、何があった。キサラギは?」

 播磨がノダミキの両肩を掴んで聞く。

「それが、キサラギちゃんが」

「おう」

「神隠しにあった」

「何!?」



  *

326: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:37:15.08 ID:RDHyYT7Ro



 【神隠し】


 ノダミキの話だと、一緒に歩いており少し目を離したすきに彼女がいなくなっていたのだという。

「いなくなった場所は」

「多分、この辺り……」

 涙目になったノダミキが言った。

 彼女はいつも明るく楽天的なだけに、その深刻な表情から事態の重要性を理解する播磨であった。

「しかし本当に神隠しなんてよ。携帯は?」

「すまない播磨殿。ここいらは電波が届かないらしい」

 そう言って雅は「圏外」と表示された自分の携帯電話のディスプレイを見せる。

「くそ、俺のもか」

 そう言って播磨が携帯電話をジャージのポケットに押し込むと、

「あ、あれ」

 ノダミキが何かを発見した。

「ん?」

 彼女が懐中電灯で照らすその先に、何か光るものが見えた。

 近づいてみると、

「こりゃあ……」

327: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:38:00.34 ID:RDHyYT7Ro

 それはキサラギがかけていた大きなメガネであった。

「キサラギちゃんの」

「間違いねェな」

 こんな大きなメガネをかける人間はキサラギ以外にはありえない。

「ってことは、やはりこの近くか」

 播磨は周囲を見回す。

 よく見ると、山道のすぐ傍が傾斜になっている。ここから転がり落ちた、
と考えるのが妥当なところか。

「大道、野田。俺はこっから下におりて調べてみる。お前ェらは先生とか他の生徒に
知らせてくれ」

 メガネが無くなったキサラギの状況がまずいことは、播磨も雅たちも経験上知っている。

 早く見つけなければ。

 そう思った播磨が道を外れようとすると、

「播磨殿!」

 雅が呼び止める。

「どうした」

「懐中電灯、持って行ったほうがいい」

 彼女は懐からLEDの懐中電灯を取り出し、それを播磨に渡した。

「持ってるなら最初から使えよ」

「私はローソクの光のほうが好きだったもので」

328: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:38:41.76 ID:RDHyYT7Ro

「まあ、俺も好きだけどよ」

「そうか。あとそれと」

「ん?」

 袖から取り出したのは、小さ目のフェイスタオルである。

「これは?」

「恐らく必要になるだろう。持っていてほしい」

 播磨はなぜ必要なのか、その時すぐにはわからなかったけれど、
雅のことだから何か考えがあるもの、と思いそれも受け取った。

「よし、行くか」

 そう言うと、彼はキサラギの大きなメガネを首元の衿に差し込み、
そして傾斜を下りはじめた。

 かなりの傾斜だ。

 途中で木々にぶつかってけがをしている可能性もある。

 それに場所がわからない。懐中電灯はノダミキが持っていたので、
光で場所を見つけることは難しいだろう。

 だったら、音が。

(音?)

 不意に彼は思い出す。

 ついさっき、自分が彼女に渡した鈴のことを。

(まさか本当に役に立つとは)

329: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:39:07.83 ID:RDHyYT7Ro

 そう思い、彼は耳を澄ませた。

 虫の鳴き声が響く山の中。

 遠くに車の音も聞こえる。

 だがそれではない。

 彼は脳をフル回転してノイズをそぎ落とし、必要な音だけを抽出しようと神経を集中した。

(もし、途中で落としてなきゃ、あの音が聞こえるはずだ)


「……!」


 そして、彼の耳はわずかな音を拾った。




   * 

330: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:40:36.50 ID:RDHyYT7Ro



 【闇の中の光】


 ここはどこだろう。

 目の前は暗かった。

 微かに、草のようなものが見えるけれど、はっきりとしない。

(メガネ? そうか、メガネが)

 自分のメガネが外れていることに気が付くキサラギ。

(どうしよう)

 昼間なら、何とか安全な場所にたどり着けるかも知れないけれど、
この闇の中では致命的であった。

(怖い……)

 まるで真綿で首をジワジワと締め付けるように恐怖が襲ってくる。

 虫の声も風の流れも感じない。

 ただ、自分の中の鼓動が耳の奥で鳴り響く。

(どうしよう)

 泣きたくなる。

 でも、ここで泣いていても仕方がない。

 助けがくるまで大人しくするしかないのだ。

(誰か)

331: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:41:23.84 ID:RDHyYT7Ro

 手が震える。

「そ、そうだ」

 キサラギはあることを思い出して、ポケットの中に手を突っ込んだ。

(播磨さんに貰った鈴……)

 古来より鈴は邪を払う道具として使われていたと彼は言ったが。

 キサラギは、藁をもつかむ気持ちで鈴の紐を持って、それを揺らす。

 小さな、しかし高い音が鳴り響いた。

 少しだけ、ほんの少しだが心が落ち着く気がする。

(よかった、これがあって)

 そんな風に思っていたら、不意に足音が聞こえてきた。

 動物? 違う、人間の足音だ。

「だ、誰かいますか?」

 恐怖を押し殺しながら、必死に声を出すキサラギ。

「山口! そこか!」

 聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「播磨さん!?」

「そうだ、そこだな! よし、動くな」

 不意に目の前が明るくなる。

 懐中電灯か何かで照らされたようだ。

332: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:41:52.83 ID:RDHyYT7Ro

 そしてその光の中から大きな影が出てくる。

「播磨さん、あの」

「いいから、じっとしてる」

 そういうと、顔に何かを着けられた。

 驚いて一瞬目をつぶったが、次にゆっくりと瞼を開くと、

「どうだ、見えるか」

 そこには、見覚えのある播磨拳児の顔がしっかりとあった。

「あ、うわあああああ!!」

「お、おい!」

「怖かった! 怖かったんですよおー!」

「おい、わかった。わかったから落ち着け」

 キサラギは久しぶりに鳴いた。
 
 播磨拳児にしがみつきながら、脳の血管が切れるんじゃないかというくらい
泣きわめいてしまったのだった。




   *

333: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:42:27.64 ID:RDHyYT7Ro


  
 【後始末】


 随分高い傾斜から転落したにも関わらず、幸いキサラギにはほとんど怪我は無かった。

 播磨がキサラギを背中に抱えて宿舎に戻ってくると、多くの生徒たちが寄ってきた。

「大丈夫? キサラギさん」

「けがはない?」

「キサラギちゃん! 無事でよかった」

「山口さん」

 皆彼女の心配はしていたらしい。

 結局、肝試し大会はそこで中止となり、その夜は解散となった。




   *

334: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:42:53.91 ID:RDHyYT7Ro



 そして翌日、GA合宿らしくその日の課題は海の写生であった。

 できた者から自由行動と言われたけれど、その日は午後から帰ることになっていたので
ほとんど時間が無い。

 当然、画力の欠ける播磨は時間ギリギリまで描くハメになってしまった。

「くそお、折角海にきたのに何もできねェじゃねえか」

 悔やんだところで何もはじまらないことはわかっていたので、彼は筆を進めた。

 そして、正午。

 簡単な昼食を終えた彼らはバスで帰宅することになる。

(やっぱ、一泊二日じゃあ何もできねェよな)

 そんなことを思いながらバスに乗り込もうとすると、

「播磨殿」

 雅が話しかけてきた。

「どうした大道」

「帰りの席なのだが、少し変えてはくれないだろうか」

「ん? どういうことだ」




   *

335: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:43:37.53 ID:RDHyYT7Ro

 【勇 気】


 帰りのバスは大道雅(キョージュ)の取り計らいによりキサラギは播磨と
隣同士になることができた。

 昨夜は色々あって、彼とまともに話をすることができなかったから良い機会だと
彼女は思った。

「あ、あの。昨日はありがとうございました。本当に」

「別に大したことじゃねェよ。お前ェが無事ならそれでいい」

「播磨さんだけでなく、皆に迷惑をかけてしまって」

「別に迷惑かけてるのはお前ェだけじゃねェし、それに騒ぎが起こるのは今にはじまったわけじゃ
ねェだろ」

「でも」

「いつまでも気にしてんじゃねェぞ」

「あ、はい」

「……」

「……」

 会話が途切れる。

 キサラギも言いたいことを言ってしまったので、この後何を喋ればいいのかわからなかった。

「でもよ」

「はい?」

336: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/24(火) 20:44:27.59 ID:RDHyYT7Ro

「折角海にきたのに、時間も無かったし行事がたくさんあって全然遊べなかったな」

 窓の外に広がる青い海を見つめながら播磨は言う。

「そ、そうですね」

「疲れた」

「……あの、播磨さん」

「あン?」

「もしよかったら、また皆で遊びに行きませんか? 海に」

「海か……」

「今度はしっかり、海を楽しみましょう」

「そうだな」

 そう言って播磨は笑顔を見せる。

 それを見たキサラギはホッとしたと同時に、大きく胸が高まるのだった。




   つづく

342: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:44:13.93 ID:mFsRJlzko





      第十六話 総合芸術


 科白は矢である。文字を起こす作業=弓をひくこと。グーッと弓を引く。その姿がステキなのだ。

弓を引くパワー。できれば狙ったところに当てる。

 役者は役に応じて弓を持ちかえる。丈夫な弓を自分のなかに何種類も持っていなければならない。

それは生き方の問題だ。

                                     草野大悟(1939~1991年)俳優

343: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:44:53.50 ID:mFsRJlzko


 【決め事】

 時間は少し前後するけれど、期末テストが終わってから夏休みに入りGA合宿が行われる直前、
つまり夏休み前にクラスでは「とある議題」が話し合われた。

 それは、彩井学園で一年に一度行われる文化祭、彩井祭で行うクラスの出し物を何にするか、
ということである。

 学園には進学クラスもあるので、夏休みが終わってからすぐに文化祭が行われる。

 つまり、そこで何をやるのかはすでに一学期のうちに決めておかなければ間に合わない。

 GAでは、芸術科ということもあってクラス展示にもそれなりのクオリティが求められる。

 ただ、夏休みは休み明けにコンクールに出品したり、個人作品の出品も義務付けられているため
それほどクラスの出し物だけに時間を割くわけにはいかない。

「例年、巨大壁画や大きな彫刻などが出されているわけなのですが――」

 クラス委員の大塚舞が意見を求める。

 しかし、思うように話が進まない。

 夏休みを前に浮かれる者、自分の作品のことで頭がいっぱいの者。将来を不安がる者。
腹が減ってしょうがない者(播磨)。

 元々個性の強い面々が集まったGAなので、まとまるのは難しい。

「お化け屋敷なんてどうですか」

「それは去年美術部がやったって」

「マジっすか」

「だったら何? 釣り堀?」

「なんじゃそりゃ」

344: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:45:43.42 ID:mFsRJlzko

 非生産的な言葉が飛び交い、時間だけが無駄に過ぎようとしていた。  

 その時、一人の少女が出した小さな意見が大きな波紋を広げる。

「演劇を、やってみませんか」

「は?」

 全員が黙り込んだ。

 GAである。

 主に美術を学ぶ生徒たちが集まるクラスで、なぜ演劇という提案をすること事態意外であった。

 そして、その意見を言った生徒もまた意外であった。

 山口如月――

 一見すると大人しそうな少女。

「あ、あの、山口さん。どうして演劇なのかな」

 委員長が恐る恐る聞く。

「あの、前にテレビで見たことがあるんです。舞台演劇っていうのは、その、総合芸術だって」

「総合芸術……」

 ざわつく教室。

「だから、皆さんは色々な分野の藝術家を目指していると思うので、それらを一気にやってみたら
面白いのではないかと」

「一気にやる?」

345: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:46:14.51 ID:mFsRJlzko

「小道具とか舞台装置なんかは、確かに芸術(アート)だよな。いいんじゃないか?」

 そう言って真っ先に賛成したのはトモカネであった。

「ああいいかもね。GAの演劇って、あたしも見てみたいかも」

 ナミコがそれに続いた。

「可愛い衣装とか作ったりできるかな」

 ノダミキも、そんなことを言ってみる。

 彼女の意見は少しずつ支持を伸ばし、やがてクラス全体の意見としてまとまっていった。

 こうして、GA一年のクラスでの出し物は「演劇」と決まった。

 だがそれはGAにとって、その中でも播磨拳児にとっては苦難の始まりでもあった。




   *

346: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:46:40.95 ID:mFsRJlzko


 【キャスト】


 合宿の疲れがまだ完全に抜け切ってはいない夏休みの午後、播磨拳児は学校に来ていた。

 というのも、夏休み中に仕上げておかなければならない課題があったからだ。

 GAはとにかく課題が多い。

 それは夏休みとて例外ではない。

 というか、夏休みだからこそ、ここぞとばかりに課題を出されるのだ。

(普通の高校に入っときゃよかったかな)

 そんな後悔をしつつ、実習室に入るとすでに午前中から数人の生徒が登校していた。

 中には今鳥もいる。

 チャラい風貌とは裏腹に、意外と真面目なのだなと思う播磨。

 ふと、見覚えのある鞄を見つけた。

「よう。大鉄、来てるのか?」

 播磨は今鳥に聞く。

「ああ、来てるよ」

 ダルそうに絵筆を動かしながら今鳥は答える。

「ここにいねェみてェだが、便所か」

「いや、なんか劇の打ち合わせらしい」

「劇……、ああ演劇か」

347: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:47:15.16 ID:mFsRJlzko

「おう。よくやるよな、俺たちよりも課題を抱えてるくせによ」

「そうだな……」

 播磨はカバンを置いて、早速自分も課題に取り掛かろうとしたその時、
不意に誰かが声をかけてきた。

「あの、播磨さん?」

「あン?」

 見ると、見覚えのあるメガネの女子生徒がいた。

 山口キサラギだ。

「どうした山口」

 播磨は聞く。

 何だか面倒事になるような予感はしていたけれど、無視するわけにもいかない。

「お願いがあるんですけど」

「あン?」



   *

348: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:48:02.54 ID:mFsRJlzko


 実習室から出て廊下。

 播磨はキサラギと二人きりで向かい合った。

「何の用だ?」

 播磨が聞くと、キサラギは恥ずかしそうに眼を伏せる。

(まさか愛の告白。しかし俺にはノダちゃんが……って、んな訳ねェか)

 待っている間、彼は心の中でボケとツッコミをしていた。

「その、お願いなんですけど」

「ああ」

「文化祭でやる演劇の」

「おう」

「主役をやってもらいたいんです」

「はあ?」

「まだちょっと脚本は出来上がっていないのですが、原作はこの絵本です」

 そう言うと、キサラギはちょっと暗めの表紙の絵本を前に出す。

「絵本が原作……」

「え、はい。絵本なら、作品のイメージがしやすいって羽根川さんが」

「そうか」

(羽根川って誰だ?)

「それで、主人公がこの旅人さんなんです」

349: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:48:41.17 ID:mFsRJlzko

 薄汚れた服を着た青年。

 いや、中年と言ったほうがいいか。

 挿絵だけでは年齢はよくわからない。ただ、髭が生えていたので男だということだけは
わかる。

「この人をやってほしいんです。播磨さんに」

「どうして俺なんだよ。俺は劇なんてやったことねェぞ」

「それは、皆同じだと思います」

「確かに」

「お願いします」

「大鉄に頼んだらどうだ? 体格なら似たようなもんだろう」

「響さんは舞台装置の設定や演出方面をやってもらうことに決まりました。
だから役者との兼任はその……」

「だがよ、俺は……」

 人前で演技するような人間ではない。

 何より、頭が悪いので台詞が覚えられない。

「それ、私も出るんだよはりまっち」

「ん?」

 キサラギの背中からひょっこりと顔を出したのは、小柄なキサラギよりも更に小柄な
ノダミキであった。

「ノダちゃん」

350: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:49:31.65 ID:mFsRJlzko

「ノダ。どうしたんだ」

「実はこの劇、私も出る予定なんだ。妖精さん役でね」

(ノタちゃんの妖精……)

 播磨はノダミキの妖精姿を一瞬で想像する。

(うん。イケる!)

 そして心の中で拳を握った。

「つまり、ノダと共演ってことか」

「そういうことになるね」

「お願いします播磨さん。こういうの頼める人って、播磨さんしかいなくて」

 そう言ってキサラギは頭を下げる。

「私からもお願いするよはりまっち」

 ノダもそれに続く。

「……」

 播磨は考える。

 ここでノダミキと一緒の舞台に立てば。

(ノダちゃんと仲良くなれるチャンスか!)

 ドラマや舞台で共演した役者同士が付き合ったり結婚したりするケースは枚挙にいとまがない
(同様に離婚したケースも多いが、今の播磨にマイナスの情報は入ってこないのだ)。

351: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:49:58.97 ID:mFsRJlzko

「わかった、キサラギ。頭を上げろ」

 そう言って播磨はキサラギの肩を軽く叩く。

「播磨さん」

「やってやるぜ、主役」

「本当ですか?」

 キサラギの笑顔が花開く。

「やったねキサラギちゃん!」

 ノダミキも喜んでいるようだ。

(文化祭で男女が仲良くなる。学園ドラマでは定番じゃねェか)

 播磨は、課題のことを忘れて心の中でほくそえんでいた。




   *

352: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:50:43.63 ID:mFsRJlzko



 【稽 古】

 演劇に稽古はつきもの。

 今回は一か月弱しか期間もないし、同時に舞台装置なども作らなければいけないので、
スケジュールはいっぱいいっぱいだ。

 午後六時過ぎ、ジャージ姿の出演者たちが集められた。

 急造の脚本を持ち、演出全体を統括するのは響大鉄、小道具などは野崎ナミコ、
大道具や拝啓などの製作は大道雅などが担当していた。

「播磨さん、これ脚本です。遅くなりまして申し訳ありません」

 七月の終わり、その日はじめて播磨は劇の台本をキサラギから手渡される。

「おう、サンキューな」

「原作の本はもうお読みになられましたか?」

「まあ一応な。絵本だからすぐに読めたぜ」

 これが『戦争と平和』みたいな回りくどい作品だったらどんなに苦痛だったか。

「前にも言ったように、播磨さんの役はここの旅人です」

「ああ」

「セリフ、多いかもしれませんけど」

「台詞……。そういや」

 播磨はモノを覚えるのが苦手だ。

 普通の役よりも台詞の多い主役など勤まるのだろうか。

「頑張ろうねはりまっち!」

353: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:51:41.51 ID:mFsRJlzko

 下がジャージで、上がTシャツ姿のノダミキが言った。

「お、おう」

 ジャージ姿も可愛いと思う播磨であった。

 稽古初日は、全体的な説明と時間がないので本読みの稽古も入る。

 本読みとは読み合わせとも呼ばれ、台本を持った状態で台詞を言う稽古のことだ。

 本を読むくらい楽勝だろうと思っていた播磨だが、読めない漢字や読みにくいセリフ回しに
苦労してしまい、終わったころにはクタクタになっていた。

(くそ、芝居がこんな難しいなんて思ってもみなかったぞ)

 ノダミキの前でカッコイイところを見せるどころか、逆にかっこ悪いところを見せてしまう。

 極度の疲労もあって、彼のプライドはボロボロになってしまっていた。




   * 

354: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:52:43.06 ID:mFsRJlzko


 【沈 痛】


 努力して結果が出れば嬉しいものだが、それで結果が出なかった時ほど悔しいものはない。

 播磨拳児は今まさにそんな状況であった。

 昨晩、出演者全員の前で無様な姿をさらしてしまった彼は、早くも辞めようとすら思っていた。

 だが、彼は負けず嫌いの性格である。

(もしここで俺が辞めたら、誰か他のやつがノダちゃんとラブラブちゅっちゅしてしまうことに
なるじゃねェか。そんなのは許せねェ)※ そんなシーンはない。


 彼は寝室にも台本を持ち込み、赤鉛筆でルビをふりながらセリフを覚えていく。

「よう播磨、早いな」

 課題を済ますために学校に行った播磨だが、終日台本を読んで過ごす日々であった。

 そして二回目の本読み稽古。

「ああ、拳児。すまないがもう一回」

 演出の大鉄がやり直しを要求してきた。

 普段おとなしい癖に、なぜか演劇に関しては妥協を許さない性格のようで、播磨に対しても
初日から厳しい要求をしてきた。

「おう……」

 ここでキレても仕方がないので彼は我慢して稽古を繰り返す。

 だが上手くいかない。

 稽古も数日続いてくると、共演者も段々上手くなってくる。

 あの、キサラギですら恥ずかしがっていたのが、かなり上手く声を出せるようになってきた。

 そのことがより一層、彼を焦らせることになっていた。



   *

355: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:53:29.87 ID:mFsRJlzko



 【湿気た面】

 数日後の正午。

 空はアホみたいに晴れ渡っていた。

 ほんの数週間前までは雨雲でじっとりしていた空気も今は、太平洋高気圧の
影響ですっきりとしている。

 見上げると飛行機雲が一本の線を描いていた。

 播磨はその日も課題のために学校へ来ていたのだが、どうにもやる気が起きずに
実習室から屋上へと出た。

(暑い。やはりここに来たのは失敗だったか)

 気分を変えようと場所を移動したことを軽く後悔する播磨。

 身体も気分も重い。

 その原因は明らかだ。

(演技が上手くいかねェ……)

 何か一つのことが引っかかると、他のことも停滞してしまう。

 東大に行くような秀才なら切り替えも早いのだろうけど、播磨はそこまで器用ではない。

「お、ここにいたか」

「あン?」

 不意に聞き覚えのある声が聞こえた。

356: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:54:29.21 ID:mFsRJlzko

 振り返ると意外な人物がそこに立っている。

「野崎……」

 野崎ナミコだ。

「何やってんだ? ハリマ」

「昼休憩……」

「手ぶらでか?」

「……いや」

 そういえば昼食を用意していなかったことに気づく播磨。

「メシか……」

 播磨がゆっくり立ち上がろうとすると、ナミコは呼び止める。

「なあ、ちょっと待ってくれないか」

「どうした」

「弁当、作ってきたんだ」

「は?」

 ナミコはハンカチに包まれた弁当箱を播磨に見せる。

「作ったって、お前ェが?」

「そうだよ、悪い?」

「いや、それは」

 播磨の頭の中に、一学期の調理実習の様子が蘇る。

357: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:55:11.97 ID:mFsRJlzko

「今調理実習のこと考えただろう」

「確かに」

「ちょっと、まあ座ってよ」

「……」

 播磨とナミコは、屋上のやや影になる場所に腰を下ろす。

「何で俺に食わそうと思ったんだ? 実験台か?」

「失礼な、味見はしたさ」

「いや、腹減ってるからまあ嬉しいけどよ」

 そう言って彼は弁当箱のふたを開ける。

 すると、不格好な卵焼きやおひたしなどが入った、典型的(スタンダード)な
弁当が顔を覗かせる。

(見た目は、ちょっと悪いけど普通か)

 そう思いつつ、箸をつける播磨。

「……」

「どうだ?」

「……美味いな」

「そうだろ?」

「ちょっと塩味が効きすぎてる気もするが」

「な、夏なんだからそれくらいが調度いいんだよ」

358: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:56:07.16 ID:mFsRJlzko

 弁当が少しひんやりと冷たかったのは、痛まないために保冷剤で冷やしていたからだろうか。

「なあ、野崎」

「なに?」

「何で急に弁当なんて作ってきたんだ? しかも俺に食わせて」

 播磨がそう聞くと、

「はあ……」

 ナミコは大きく息をついた。

「どうしたよ」

「そのさ、アンタの湿気た面、見たくないのよ」

「俺の? 湿気た面?」

「そうだよ。梅雨はもう終わったんだよ? 夏なんだよ。なのに、そんなウジウジした顔を見たら、
こっちだってやってられないっての」

「俺が?」

 心当たりは……、ありすぎる。

「調理実習の時、あんた言ったよね。本当に怖いのは、できないことじゃなくて、
自分ができないと思って何もやらないことだって」

「……」

「あたしは料理が苦手だったし、だから全然やらなかった。でも、あれから家で
練習とかしてたんだよ」

359: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:56:48.76 ID:mFsRJlzko

「そうだったのか」

「それで、まだ全然ダメだけど、一応人が食べても大丈夫なものも作れるようになってきた」

「ちょっと塩味キツイけどな」

「そこは我慢しろ!」

「ハハッ」

「あんたがさ、何で悩んでいるのかだいたい想像できるけど、きっと解決できるよ」

「解決……」

「あたしもさ、料理のことを勉強するとき絵のことを考えたんだ。どちらも、上手くやるための基本は同じ。
そしたら、少しずつイメージできるようになってきた」

「……野崎」

「なに?」

「サンキューな」

「どういたしまして」

 そう言うと、ナミコは満面の笑みを見せた。

 まるでヒマワリのようだな、とその時の播磨は思ったのだった。





   *

360: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:57:17.70 ID:mFsRJlzko




 【本 物】

 昼食後、彼は早足で実習室に戻り自分のスケッチブックを開く。

 そして、削ったばかりの鉛筆を取り出してスケッチを始めた。

「どうしたんだ、急に」

 周囲に生徒たちは驚いているようだったが、播磨はあえて無視する。

「コイツでもいいか」

 目の前にはスケッチ用のプラスチックで出来た果物が見える。

 彼はそれを描く。

(演技というのが、何かを演じるということなら、それはスケッチにも似ているかもしれねェ。
なぜならスケッチは似せて描くことだから)

 彼はそんなことを考えつつ、鉛筆を走らせた。

 そして、途中まで描いたところでピタリと鉛筆を止める。

(ダメだ。偽物(イミテーション)をいくら模倣したところで、本物には近づけねェ。だったら、本物を描くべきか)

 そう考えた彼は、スケッチブックと鉛筆をしまい、再び実習室を出る。

 彼の向かった先は図書室だ。

「ホシノ、開いてるか」

「え? 播磨くん?」

361: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:57:53.87 ID:mFsRJlzko

 この日は運よく図書室の開館日で彼はずんずんと中に入って行く。

 そして、目的の絵本を見つけてそれを開いた。

『灰色の国と旅人』

 ストーリを概観した程度だった播磨は、改めてそれを読む。

 それまで彼は、セリフを言うことばかりに気を取られており、自分の演じる人物が
どんなことを考えているのか、とかどんな性格なのか、ということをほとんど考えていなかった。

 元々演劇は素人の連中ばかりなので、その点の指導は期待できない。

 だから、自分で見つけるしかない。

(本物を描くように、本物を演じる。これしか手はねェ。これでダメだったら本当に諦めよう)

 播磨はそう思い本を読み返した。

 何度も、何度も。




   *

362: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/25(水) 20:58:47.52 ID:mFsRJlzko



 そして夕方――

「凄いな、播磨」

「播磨さん素敵です」

 この日の読み合わせの稽古では、周囲の反応が明らかに違っていた。

「まあ、こんなもんよ」

 播磨はそう言って胸を張る。

「やるねえはりまっち。こりゃあたしも負けてられないよ」

 ノダミキはそう言って片目を閉じる。

(カワイイな、ノダちゃんは)

 そう思いつつ、教室の外を見ると数人の生徒たちが見物に来ていた。

 他のクラスの生徒もいれば、同じクラスでも役者ではない生徒たちがいる。

(野崎……)

 その中にナミコもいた。

 播磨は無意識のうちに親指を立てて彼女に見せる。

 それを見たナミコは、ちょっと照れながら口を開いた。

 声は聞こえなかったけれど、おそらく「ばーか」と言ったのだろう。

 あいつらしいな、と播磨は思った。



   つづく

367: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:28:55.61 ID:WlxvzYdjo




   第十七話 それぞれの視線

368: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:29:38.82 ID:WlxvzYdjo

 【休 み】

 夏休みといっても播磨はほぼ毎日学校に行っているので、それほどの意識の違いはない。

 ただ違うのは、登校時間が遅くなったことだろうか。昼から夕方にかけて課題をこなし、
夕方からまるで部活動のように演劇の稽古をする。

 そして家に帰ってから遅くに寝て、朝も遅くに起きる。

 一日の時間のサイクルがかなり夜にズレてしまったので、新学期からは辛いだろうことは
容易に想像できたけれど、かといって自身の生活を改めるほど彼も意識が高いわけでもない。

 それよりも、朝の涼しい時間はできるだけ寝ていたいというのが正直なところであった。

 そして日曜日。

 学校の校舎自体が閉まっているので、この日は課題も稽古もお休みである。

 夏休みなのに、一学期の時以上に忙しい日々を送っていた播磨にとっては、
好きなだけ惰眠をむさぼれるいい日だ。

 ただ、こういう日に限って身体の調子がよかったりするから、人生とはうまくいかないもの。

(さて、今日は何をするか)

 降ってわいたような暇な時間に心が躍る一方で、何をしたらいいのかわからない不安が彼を襲う。

 もっと寝ていたかったが、この日は朝から太陽さんがエンジン全開な上に妙に目が冴えていたので
結局起きることにした。

「ったく、何すっかな」

 本当なら新学期に向けて宿題なり予習復習なりをするべきなのだろうが、
今の彼にそんな選択肢は、当然ながらない。

369: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:30:06.24 ID:WlxvzYdjo

「ん?」

 不意に彼の携帯電話が鳴る。

 こんな朝に誰だろう。

 彼の携帯は、大道雅くらいしかかけてこないのだが。

「もしもし」

 通話ボタンを押した彼は、電話に出る。

『もしもし、播磨くん? 俺、冬木だけど』

「誰だよ、お前ェ」

『酷いよ! クラスメイトの名前くらい憶えてよ。ってか、このやり取りまたやったね』

「冬木? ああ、○○カメラマンか」

『○○は余計だよ。それより、今いい?』

「ん? 構わんけど」

 播磨はTシャツの中をかきながら答える。

『そっか。いいんだね。今日は学校にも行かないだろう?』

「学校自体が閉まってんのに、どうやって行けっつうんだよ」

『そうだね。それで今夜さ、学校近くの神社で祭りがあるんだけど知ってる?』

「あったかな、そんなのも」

『その祭りに行かないかい? 花火大会もあるんだ』

「なんで男と祭りに行かなきゃならねェんだよ」

『別に男同士とは言ってないよ』

370: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:30:59.41 ID:WlxvzYdjo

「ん?」

『実は山口さんとか野崎さんたちも来るんだ』

「なん……だと……?」

 その時、播磨の頭に浮かんだのは、キサラギでもなければナミコでもない――

『もちろん、トモカネさんやノダさんも来るよ』

(マジか!!!)

 播磨にとってのラブリーエンジェル、ノダちゃんことノダミキも来る。

 これは播磨にとって千載一遇のチャンスと言ってもいい。

『もし、暇だったら来たらいいかなって思ってたんだけど、忙しいな』

「行くぜ」

『え?』

「行くって言ってんだよ」

『そうか。よかった。皆も喜ぶよ』

「場所はどこだ」

『えーと、そうだねえ……』

 播磨は冬木から場所や待ち合わせ時間などを聞いて電話を切った。

「……いょおおし……!」

 播磨は極力声を押し殺しつつ、気合を込める。

(待ってろよノダちゃん。今度こそ、忘れられない夜にしてやるぜ)

 播磨はここ最近では一番燃えていた。



   *

371: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:31:42.35 ID:WlxvzYdjo



 【祭 り】

 夏の祭り。

 それは心躍るイベント。

 やや薄暗くなってきているけれど、まだ明るさの残る夏の夕方。

 昼間の暑さが残る空気。

 微かに感じる涼しい風、そして虫の合唱が昼の部から夜の部へと交代していく。

 近所で打ち水をしているせいか、神社までの道はかなり涼しかった。

 遠くから聞こえてくる祭囃子と、そこへ吸い寄せられるように歩いていく家族連れ。

 その流れの中に播磨はいた。

(待っていてくれノダちゃん。夏祭りといえば心が開放的になるイヴェント。俺はやるぜ)

 まったく根拠のない自信を胸に、彼は突き進む。

 播磨が約束した相手は冬木なのだが、今の彼に冬木のことを考えている余裕はない。

「おおーい、こっちだよー」

 その考える余裕のない男が遠くから声をかけてきた。

 メガネにTシャツ姿の冬木である。

 手にはやはり、ニコンの一眼レフがあった。

「おう、メガネか、他の奴は?」

 露骨にテンションを下げる播磨。

「そんなガッカリした顔しないでよ、播磨くん」

372: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:32:09.23 ID:WlxvzYdjo

「け、拳児……」

「ん?」

 よく見ると大鉄も来ていた。

「よう、大鉄。すげえな、浴衣か」

「お、おう。親戚のおさがりなんだけどな」

 大鉄は藍色の浴衣を着ていた。

 体格がいいので彼は何を着ても目立つ。

 ただ、浴衣姿の彼はどう見ても高校生には見えない。

「おい、冬木ー。ナミちんどこだよおー」

 ちゃらい感じの男、今鳥もいた。

「おいメガネ。何でコイツがいるんだ」

 播磨は冬木に顔を近づけ、低い声で聞く。

「いやあ、野崎さんたちが来るって言ったらどうしても来たいっていってさあ」

「早く行こうぜえー」

 今鳥はノリノリだ。

「うるせェな、大人しくしろや。高校生にもなってよ」

 さっきまで、彼も心の中ではノリノリだったのだが、それは秘密である。

「んじゃ、行こうか。今日はお祭りだし、いい写真が撮れそうだ」

 冬木はそう言って満面の笑みを浮かべた。

 ノダミキのいい写真があれば、それを譲ってもらおうと、播磨は密に思った。





   * 

373: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:32:40.07 ID:WlxvzYdjo


 【浴 衣】

 冬木達と合流した播磨は、本当の待ち合わせ場所へと向かった。

 そこには、

(て、天使だ)

 何と、浴衣姿のノダミキがいるではないか。

「あ、播磨さん」

 そう言ってキサラギが手を振る。

「おっす」

「よう、ハリケン」

 ノダミキだけでなく、キサラギもナミコも、そしてトモカネまで浴衣姿であった。

「すごい、可愛いよナミちん!」

 今鳥は大喜びでナミコの元に駆け寄る。

「ああ、ハイハイ。ありがとう」

 そんな彼をナミコは軽くあしらった。

「冬木さん、今日はお誘いくださいましてありがとうございます」

「いやあ、こっちこそ来てくれてありがたいよ」

 冬木は照れながら言う。

 普段見慣れない女子生徒の浴衣姿に気分が高揚しているようだ。

 顔も赤い。

374: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:33:17.69 ID:WlxvzYdjo

「どうだ、大鉄。俺の浴衣姿は。ちょっと動きにくいけどわざわざ着たんだぜ。夏だから」

「よ、よく似合ってるぞ、トモカネ」

「そういう大鉄もすげえ似合ってるな、その浴衣」

「そうか」

「お父さんみたいだ」

「う……」

 大鉄は顔が更けていることを気にしている。

 見た目に反して硝子の心(グラスハート)なのだ。

 そんな光景を見て播磨は思った。

(くそっ、ここは俺も自然にノダちゃんの浴衣姿を褒めた方がよさそうだな。よ、よおし)

 彼は腹をくくる。

「の、ノダ……。その浴衣……、似合ってるな」

 乾燥機にぶち込んだ雑巾をさらに絞ったような声で播磨はノダミキを褒めたのだったが……、

「おーいはりまっち! 早く行こうよー」

 すでに目的のノダミキは十数メートル先に進んでいた。

(ちっくしょおおおおお!!!)

 播磨は涙目になりながら一行の後を追った。
 


   *

375: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:33:45.65 ID:WlxvzYdjo




 【不参加?】

 全員でぞろぞろと歩いている時播磨はとある人物がいないことに気が付く。

「なあ山口」

「なですか? 播磨さん」

「大道はいねェのか?」

「あ、キョージュさんですか」

 ほんの少しだけ寂しげな表情を見せるキサラギ。

「キョージュさんも誘ったんですけど、今日は家の事情があってこられないと言われまして」

「そうか。ま、家庭の事情ならしかたねェな」

 播磨はその時、ふと以前雅と話をしたことを思い出す。

(確か前に、婚約者に会うとか……。いや、今は別にいいか)

 播磨は雅のことを頭から追い出し、目の前の目標(ノダミキ)に照準を合わせる。

「ほら! 皆ヨーヨー釣りだよ! ヨーヨー」

 ノダミキはゴム風船のヨーヨーを発見してはしゃいでいる。

「ったく、ノダはお子さんだなあ」

 それを見てトモカネは笑っていたのだが、

「ぬお! あれは射的じゃないか!」

 彼女も射的を見て元気が出てきたようだ。

376: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:34:19.43 ID:WlxvzYdjo

「ヨーヨーか、懐かしいな」

 播磨がそう言ってノダミキに近づこうとすると、

「ハリケン! 射的やろうぜ射的! ほら、大鉄も!」

 トモカネが播磨のシャツを掴んで引っ張る。

「おい待て! 伸びるだろ」

「ほら、やろうぜ」

「後にしろよ後に」

「ハリケン射的得意だろ?」

「そうでもねェよ」

 結局、トモカネの執拗な要求に根負けした播磨は、大鉄と一緒に彼女の射的に
付き合うことにした。

(くそ、トモカネめ)

 コルクを使った典型的な射的。

「よっしゃ! ってあれ?」

 トモカネは、どうも狙った目標が獲得できなかったらしい」

「ダメだ、全然当たらん」

 大鉄は一発も当たらずにギブアップ。

 そして播磨は、

「……」

「ギャハハハ、何だよハリケンそれ。可愛いなあ! ははは」

377: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:35:02.70 ID:WlxvzYdjo

 トモカネは播磨が獲得したぬいぐるみを見て笑っていた。

 茶色っぽいトラ猫のぬいぐるみである。

 男子高校生が持つには、少々子供っぽい。

「くそっ、戻るぞ」

 本当は悔しかったので、もう少しやっていたかったのだが、ノダミキとはぐれるのが
嫌だったので足早に戻ることにする。

「ったく、これどうすりゃいいんだ」

 播磨は右手に握られたぬいぐるみを見てつぶやく。

 別にこういうぬいぐるみを集める趣味はないので、家に持って帰っても邪魔になるだけだ。

「……」

「あン?」

 不意に、キラキラと輝く視線を感じる。

「……」

「山口」

「……は、はい?」

 キサラギであった。

 どうもさっきから、彼女は播磨の持っている猫のぬいぐるみをじっと見てたようだった。

「これがどうかしたか?」

 播磨はぬいぐるみを彼女に見せながら聞く。

「ああいえ、何と言うか、可愛いなと思って」

378: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:35:31.27 ID:WlxvzYdjo

「可愛い?」

 確かに年頃の女の子ならそう思うかもしれない。

「あのよ、山口」

「はい」

「よかったら貰ってくれねェか」

「え?」

「折角獲ったのに、こういうのは何だけどよ、俺には似合わねェっつうか」

「あの」

「だったら、本当に欲しがっている奴にあげたほうがいいんじゃねェかって思ってよ」

「いいんですか?」

「当たり前ェだろ」

「あ、ありがとうございます!」

 このまま持って帰っても、家の押入れの隅のほうに詰められることは目に見えている。だったら、誰か欲しがっている人にあげたほうが、この猫のためになるだろう。

 播磨はそう思った。

「はあ~」

 キサラギは嬉しそうに猫のぬいぐるみを眺めていた。

「おーいはりまっちー!」」

 ノダミキの呼ぶ声が聞こえる。

 どうやら播磨たちが射的をやっている間に、彼女もゴム風船のヨーヨー釣りが終わったらしい。

379: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:35:57.73 ID:WlxvzYdjo

「おう、ってはあ!?」

 普通に返事をしようとノダミキのほうを向いた瞬間、彼は度肝を抜かれる。

「見て見て、ナミコさーん」

 そう言ってノダミキは胸を張って見せる。

 ○○だった。

「何バカなことやってんだ!」ナミコの声が響いた。

「ふぎゃあ」

「……」

 どうやらノダミキは浴衣の下にヨーヨーを入れていたらしい。

「バカなことやってんじゃねえよ!」

 当然、すぐにナミコの制裁がくわえられたことは言うまでもない。




   *

380: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:36:24.43 ID:WlxvzYdjo



 【ナイスアイデア】


さて、一息ついたところで冬木からとある提案がなされた。

「花火大会にはもう少し時間があるから、ここいらで自由行動といかないか?」

(なに?)

 全員がメガネ男子に注目する。

「でも、折角みんなできてるわけだし、ほら、ちょうど男女が四人ずついるから、
二人一組になって行動してみない?」

「……!」

 播磨は密かに興奮する。

(ナイス、ナイスアイデアだメガネ! それはいい。その提案はいいぞお!)

 播磨の狙いは当然ながらノダミキだ。

 花火大会まであと一時間近くあるので、その間一緒にいられれば色々な話もできよう。

 次のデートを約束できるところまで行けるかもしれない。

 播磨は打ち震える心を宥めながら一歩前に出ようとする。

 しかし、

「ハリマ、行くぞ」

「は?」

 そう言って彼の肩を掴んだのはナミコであった。

「何すんだ野崎」

381: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:37:39.47 ID:WlxvzYdjo

「いいから」

「ちょっと待ってよナミちーん」

 今鳥の情けない声が聞こえた。

「一緒に行こうよ、ナミちん」

「そう言ってるけどよ」

 と、ナミコに言ってみる播磨。

 しかし、彼女は播磨に小声で言った。

「ああいうタイプは苦手なんだ。少しの間でいいから一緒にいてくれ」

「んだよそれ」

 播磨が視線を移すと、

「大鉄くん! 輪投げやろうよ」

「え? おう……」

 ノダミキはなぜか大鉄と一緒にいた。

(ああ、ノダちゃん……。でも大鉄なら安心か)

 不意にそんな確信が頭をよぎる。

「……」

 次にキサラギのほうを見ると、彼女は播磨があげた猫のぬいぐるみを抱えたまま、
何かを言いたげな目をしてこちらを見ていた。

「どうした、山口」

382: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:38:06.22 ID:WlxvzYdjo

 気になったので、聞いてみる播磨。

「あ、いえ」

 キサラギがそう言った時、

「山口さん、僕と一緒に回ろうよ」 
 
 冬木が声をかえてきた。

「え? はい」

 どうやらキサラギは冬木(メガネ)一緒に回るようだ。

「じゃあ、また後でな」

「あ、はい」

 キサラギは目を伏せながら返事をした。

「うわーん、俺も女子と組みたかったあー!」

「俺は女子だつってんだろうがバカ今鳥」

 今鳥とトモカネが喧嘩をしているけれど、あれは放置していても大丈夫そうだ。

(やはり注意すべきはノダちゃんか)

 大鉄と一緒に行ったノダミキを気にしつつ、播磨たちもでかけることにした。




   *

383: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:38:42.18 ID:WlxvzYdjo


 【本当の思い】

  
 キサラギは糊の効いた浴衣の衿を少し触りながら祭りの喧騒に耳を澄ます。

 手には先ほど播磨から貰った猫のぬいぐるみがあった。

「それ、気に入ってるんだね」

 一緒にいた冬木が言う。

「え? はい。可愛いですよね」

「播磨くんから貰ったんだよね」

「ええ。射的の景品みたいですけど」

 そう言うとキサラギは手に持ったぬいぐるみを眺める。

「……好きなんだね」

「え? いや、そういうわけじゃ、いい人だと思いますけど、その別に……」

「あの、猫が」

「へ? 猫? あ、はい。す、好きです好き好き」

 キサラギは顔を紅潮させながら答える。

「あの、冬木さん?」

「何?」

「ど、どうして私なんかと一緒に回ろうなんて思ったんですか?」

「え、どうしてって……」

384: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:39:14.41 ID:WlxvzYdjo

「だって、他にも可愛い子はたくさんいるじゃないですか。私、ナミコさんみたいに
スタイル良くないし、ノダちゃんみたいに可愛くない、地味だし」

「そんなことないよ!」

「え?」

 不意に冬木が強い口調になったので、キサラギは驚いてしまう。

「いや、ゴメン。ちょっと熱くなってしまって」

「あ、はい」

「そんなことないよ、山口さん。キミは十分可愛いと思うし」

「気をつかってくださってありがとうございます。でもやっぱり」

「山口さん……」

「自分でも変わらなきゃなって、思う時があるんです。今のままじゃ、
多分前に進めないことはわかっているし」

「それは、勉強のこと? それとも――」

「多分、全部です」

「……」

「一学期は色々あったし、何かと忙しくてゆっくり考える暇が無かったんですけど、
改めて振り返ってみると、自分に何があったのかなって」

「山口さん」

「はい」

「僕は、山口さんがGA(ここ)にいてくれてよかったと思ってるよ」

「え?」

385: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:39:48.22 ID:WlxvzYdjo

「いやだって、山口さんがいると皆勇気づけられるっていうか、元気になるというか」

「私、人に迷惑ばかりかけているし」

「でもそれは君が好かれているから、大丈夫だよ。君の友達だって、君のことを
迷惑だなんて思っていないから」

「そうでしょうか」

「そうだよ。僕が保証する」

「冬木さん」

「僕なんかの保証じゃあ物足りないかもしれないけど」

「そ、そんなことありません。ありがとうございます」

「いえいえ、それより山口さんはもっとこう」

「はい?」

「自信を持ったほうがいいよ」

「自信、ですか」

「だって凄く魅力的だから」

「そんなことはないですよ」

「いや、本当だって」

「だって、全然気づいてもらえないし」

「え?」

「ああいや、何でもないです。そ、それより綿飴食べたくありません?」

「綿飴」

386: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:40:38.18 ID:WlxvzYdjo

「ええ、綿飴です。そんなに美味しくはないんですが、なんだかお祭りにくると妙に食べたくなって
しまうというか」

「山口さんって、意外と子供っぽいんだね」

「意外ですか?」

「ああいや、見た目通り可愛いと言ったほうがいいのかな」

「そ、そんなことはないです」

 そう言うとキサラギは口を膨らます。

 ふと、露天のほうを見ると金魚すくいの店の前でしゃがんでいる播磨とナミコの姿が目に入る。

「ハハッ、下手くそだなハリマ」

「ちょっと待て、もう一回、もう一回」

 楽しそうに笑うナミコ。

 少し苦戦しつつも挑戦する播磨。

 二人を包む空気は、とても明るくて暖かいように思えた。

「……」

 キサラギは目線を落とし、自分の胸元を見る。

(ナミコさんのように大きかったら、魅力的になるでしょうか)

「どうしたの?」

「はひゃっ!」

「ご、ゴメン」

「ああ、いや。いいんです」

 恥ずかしいことを考えているところに声をかけられて驚いた、などとは言えないキサラギであった。




   *

387: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:41:20.76 ID:WlxvzYdjo




 【夏の花】


 祭りの時間はあっという間に過ぎ、すっかり暗くなった空を眺める人垣ができる。

 もうすぐ花火の時間だ。

「はりまっち、食べる?」

「お、おう」

 ノダミキからホットドックを貰い、彼は彼女にたこ焼きの残りを渡す。

「祭りの出店って高いよねえ。そんなに美味しいわけでもないのに」

「こらノダ、気分を壊すようなことを言うな」

 隣にいたナミコが注意した。

「そうだぞ、こういうのは気分なんだ。どうせ食べたものなんて数日後には出て行っちまうわけだし」

「汚ねェぞトモカネ」

 そんなトモカネの頭を播磨が抑える。

「何か微笑ましいな」

 それを見て大鉄が言う。

「何が微笑ましいってんだよ大鉄」

 と、トモカネを抑えたまま播磨が聞くと、

「野崎と拳児が夫婦で、野田と友兼が娘みたいな感じ」

388: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:42:06.72 ID:WlxvzYdjo

「はあ!? 何言ってんだ」

 真っ先に怒ったのは、なぜかトモカネであった。

「播磨が俺の父ちゃんなんてゴメンだね」

「俺だってお前ェみてェな娘は勘弁してもらいてェな」

「んだと?」

「アハハハ、ナミコさん、お母さんだって。お母さん、私焼きそばも食べたいなあ」

 ノダミキは特に怒っている様子もなく、楽しそうだ。

 しかし、

「……」

 ナミコはぼんやりしていた。

「どうした、野崎」

 播磨が声をかける。

「いや、何でもない。ああ確かに嫌だよな、播磨みたいなのが夫だと苦労しそうだし」

「お前ェ、いきなり何を」

「もっとしっかりしてくれなきゃダメってことさ」

 目を逸らしながらナミコは言った。

「おやおや、ということはもっとしっかりしたら、ナミコさんははりまっちと結婚してもいいって
ことですかい?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながらノダミキは聞く。

389: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:42:56.77 ID:WlxvzYdjo

「そんな訳ねェだろうノダ! 夫婦とかありえねェからな」

 ナミコの代わりに播磨が強く否定する。

「そうなの? ナミコさんって美人じゃん。胸も大きいし」

「女の価値が胸で決まるわけじゃねェだろ」

「お、男前発言」

「野崎の場合、見た目があれでも性格が」

「どういうことだハリマ」

「そういうことだよ! つか、シャツを掴むな」

「おー、やれやれー」

「トモカネ、応援してないで止めろよ」

「おーい皆。夫婦喧嘩もいいけど、そろそろ花火がはじまるよ」

 冬木が呼びかけると同時に、一筋の光が暗い夜空に飛び上がり、そして花開いた。

 少し遅れて音が響く。

「……」

「キレイ」

 不意に言葉が零れ落ちたのはキサラギだった。

390: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/26(木) 21:43:24.52 ID:WlxvzYdjo

 次々に打ち上げられていく花火。

 一同はしばらくそれを黙って見つめていた。

 こんな風に花火をじっくり見たのは随分久しぶりな気がする。

 播磨はふとそんなことを思う。

「キョージュさんにも見てもらいたかったですね」

 独り言のようにキサラギが言った。

「ま、キョージュの代わりに私らがしっかり見ておこうよ。来年は一緒に行けたらいいね」

 と、ノダミキは言う。

「来年ですか……」

 キサラギは、噛みしめるようにつぶやいていた。





   つづく

394: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:15:56.41 ID:BXy34YeUo





   第十八話 白 紙

395: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:16:34.56 ID:BXy34YeUo

 【距 離】

 ほんの数日しか会わなかったのに、もう何年も会っていないかのような気持ちになることがある。

 この日も播磨は課題をこなすために夏休みの学校に来ていた。

 すると、廊下でキョージュこと大道雅と担任教師の外間が話をしているのが見えた。

 別にそこだけなら大したこともないのだが、外間の深刻そうな顔が妙に印象に残っていたのだ。

 彼はそのまま外間たちを素通りして実習室に行き、課題をこなす。

「おっすはりまっち。今日も暑いね」

「お、おう」

 実習室にはTシャツ姿のノダミキが絵筆を持って何かを描いていた。

(今日も可愛いな)

 面倒くさがりの彼が毎日学校に来ている理由はこれなのだ。

 しばらくすると、先ほど外間と話をしていた雅が実習室に入ってくる。

「おはよーキョージュ。なんだか久しぶりだねえ」

 そう言って挨拶するノダミキ。

「おはようノダ殿。それに播磨殿」

 もう時間は昼近くなのだが、雅は普通におはようと言っていた。

「あれ? キョージュ。今日は描かないの?」

 周囲のクラスメイトたちに軽く挨拶を交わしていた雅は、しばらくすると荷物をまとめはじめる。

396: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:17:01.95 ID:BXy34YeUo

「うむ、少し用があってな」

 そう言うと彼女は不意に播磨のほうを見る。

「……どうした」

 その視線の意味がわからず、戸惑う播磨。

「いや、何でもない。今日は先に失礼させてもらう」

「そっか。じゃあね」

 そう言ってノダミキは手を振った。

「キョージュ、どうしちゃったんだろうね」

「……」

 さすがの播磨でも、今の雅がおかしいことくらいわかっていた。

 ただ、夏休みに入ってからも色々なことがあって忙しく、彼女のことを考える余裕は
なかったのだ。

(別に大道のことだから放っておいても大丈夫だとは思うが……)

 播磨は心の中で引っかかりを残したまま、再び課題に取り組む。




   *

397: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:17:47.31 ID:BXy34YeUo



 【舞台美術】


 その日の夕方もいつものように演劇の稽古であった。

 すでに稽古は、本読みから簡単な動作を入れて行う立ち稽古に移行しており、少しずつ
演劇らしくなってきていた。

 覚えの悪い播磨も、さすがに何度も台本を読んでいるうちに自然と台詞を覚えてくる。

「暑ぃなちくしょう……」

 温くなったポカリスエットを飲みながら播磨は座り込む。

 台本を朗読するだけでもわりと疲れるのに、さらに動作が加わってくるとさらにキツくなってくる。

 何度も読み返した、手垢や汗の染みついた台本を読んでいると、その先に女子生徒と話をする
大鉄の姿が見えた。

 彼は演出も担当しているけれど、演技だけでなく劇全体の進行もやっている。

 いわゆるプロデューサーのようなものだ。

「そ、そうか……」

 彼の表情から、あまりいい話でもなさそうだ。

「そりゃ」

 播磨はオッサンのように気合を入れて立ち上がると大鉄の元に歩み寄る。

「どうした、大鉄」

「ああ、拳児。実は……」

「ん?」

398: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:18:30.58 ID:BXy34YeUo

「舞台美術のほうが、少し遅れているようなんだ」

「あン? どういうことだ」

 舞台美術というのは、演劇のセットを作る作業のことだ。

 現代の演劇では装飾的にも優れたものが多く、美術を専門とするGAでは演技と同じくらい、

いや、演技以上に注目されるところである。

「遅れているって、どういうことだ。セットはGA(ウチ)の目玉だろうが」

「舞台美術の全般の責任者は、大道がやっているんだ」

「大道」

「だけど、最近あいつの様子がおかしい」

「お、おかしいのはいつものことだろう」

「先生から聞いた話なんだが」

「あン?」

「最近大道は、自分の課題も手を付けていないらしい」

「はあ?」

 播磨は昼間のことを思い出す。

 この日も絵を描いたりするどころか、さっさと荷物をまとめて帰ってしまった。

399: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:18:57.02 ID:BXy34YeUo

 夏休みに入ってからもう大分経つ。しかし一学期の時のように彼女が創作活動をしている
ところを、播磨はほとんど見ていない。

「しかし困ったな。まだ時間はあるが、大道(あいつ)は他にも色々と課題を抱えているからな……」

 個人の課題と違って、演劇にはたくさんの関係者がいる。

 どこか一つでも滞れば、そこで失敗していまう可能性もあるのだ。

「……」

「本番楽しみだねえ、キサラギちゃん」

 播磨が顔を上げると、そこには汗をふきながら稽古に勤しむノダミキの姿。

 それを見た彼は、一つの決心をした。




   *

400: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:19:33.37 ID:BXy34YeUo



 【 家 】


 この駅を降りるのは二回目だ。

 翌日、播磨は学校には行かず、大道雅の実家があるあの駅に降り立っていた。

 あのころはまだ梅雨の季節だったので、辛うじてさわやかさも残っていたけれど、
今は完全に夏色に染められていた。

(日差しが痛ェ……)

 そう思いつつ、彼は歩き出す。

 今日は出向かえもなし。

 とある住所の書かれたメモ紙を持って彼は歩く。

 歩く、歩く、ひたすら歩く。

「ああ、大道さんの家ならこの先まっすぐ言って、右へ曲がったところだよ」

 麦わら帽子を被った老婆に道を尋ね、彼は再び歩いた。

(こんな場所から毎日通っているのかよ)

 そんなことを思いつつ彼は顔を上げる。

(デカイ……)  
 
 大地主なのだろうか。

 田舎らしい大きな家がそこにあった。

 表札には「大道」と描かれている。

 住所も恐らく間違ってはいないだろう。

401: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:20:27.13 ID:BXy34YeUo

 ただ大きいだけでなく古い家に少し気後れしながら彼は門をくぐる。

「誰かいねェか!?」

 彼は少し声を張り上げて聞いてみた。

 しかし、帰ってくるのは蝉の声ばかり。

 敷地内を見回すと、中の屋敷は雨戸が開いており微かだが人の気配もする。

 とりあえず玄関に回ってみりゃ誰か出てくるだろう。

 そう思い、播磨は玄関らしき場所へと歩いた。

 すると、

 呼び鈴を鳴らすまでもなく、引き戸が開く。

「……播磨殿」

 少し意外そうな顔をした大道雅がそこに立っていた。

 もちろんあの時のように和服姿だ。



   *

402: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:20:53.64 ID:BXy34YeUo


 【理 由】


「麦茶ですが」

「おう、助かるぜ」

 ガラスコップに入れられた麦茶。ガラスの表面は微かに汗をかいており、
それが見た目にもつめたそうだった。

 一口飲むと、やはり冷たい。

 庭から吹き込む風と、それに吹かれて音を奏でる風鈴のコントラストが外の暑さを忘れさせる。

「来るとわかっていれば色々と用意できたのだが」

「構わないでくれ。勝手に来た俺が悪いんだ」

「しかし、せっかくこんなところまで来たのに」

「何言ってんだ。いいところじゃねェか」

「退屈ではないだろうか、何もないし」

「まあ、確かにコンビニとかはねェけど……」

 ふと、彼は外を見る。

 苔の付いた岩や木々のざわめき、そして遠くから聞こえるセミの声。

「何も無いってことは、ねェだろう」

 そう言うと、彼はもう一口麦茶を飲んだ。

403: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:21:20.02 ID:BXy34YeUo

「今日はどのような用件だろうか」

「お前ェもだいたいわかってんだろ」

「……」

 雅は播磨の目の前できちんと正座をして座る。

 対する播磨は胡坐をかいていたので、少しだけ背筋を伸ばして向きなおった。

「舞台の背景の件だ。全然進んでねェって大鉄から聞いたもんでな」

「……」

「それと、これは余計なお世話かもしれねェが」

「……」

「お前ェ、個人の課題も全然進んでねェみたいじゃねェか」

「……」

「一体どうしちまったんだ」

「播磨殿……」

「ん?」

「私は、描かないわけではないのだ」

「あン?」

「描けないのだ」

「描け……ない?」

404: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:22:20.46 ID:BXy34YeUo

「そうだ。ここ最近、まったく描けなくなってしまった」

「お前ェ、体調でも悪いのか」

「いや、そういうわけでは無いのだが、何と言うか。まったく描けない」

「彫刻とか版画もダメか」

「……」

 雅は首を横に振る。

 小学校時代から天才と呼ばれ数々の入選作品を創作してきたという彼女が、まったく描けない。

「こんなこと、今まで無かった……」

 表情はあまり表に出さないけれど、気分的にも明らかに沈んでいるのがわかる。

 こんな不安そうな雅を見るのは、もちろん初めてであった。

(おいおい、天変地異の前触れかよ)

 ふざけてそんなこを言いそうになったが、真剣な顔の雅を見るとそんな軽口も飲み込んでしまう。

「描けねェのは、いつごろからだ」

「夏休みに入ってから少し経ったころ。いつものように鉛筆を持ったのだが、
真っ白なスケッチブックを見た時途方に暮れてしまった」

「……」

「どう描いていいのか、わからなくなっていた」

「わからねェ?」

405: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:22:46.69 ID:BXy34YeUo

「不思議だと思うかもしれない。だけど、事実だ」

「その、スランプってやつか?」

「少し違うと思うのだが」

「うーん」

 スランプというのなら、播磨の場合は年中スランプだ。

「自分でも理由はよくわからない。ただ――」

「ん?」

「筆を握ると、自分が自分ではないような気がして不安になる」

「何言ってんだ。お前ェはお前ェだろう」

「そうなのだが……」

(コイツは……)

 自分ごとき三流ではどうしようもできない事態であることは、播磨にも容易に想像できた。

(くそ、この状況で俺には何もできねェのかよ)

 播磨に悔しさがこみ上げる。

 自分の無力さ、そして何よりまったく絵が描けなくなった級友の理不尽さに。

「播磨殿、その……申し訳ない。折角来ていただいたのだが」

 雅は気をつかって声をかける。

 その時だった。

 播磨の頭の中に一つの絵が浮かび上がる。

「そうだ、大道」

「ど、どうされた播磨殿」

「お前ェが描けねェなら、俺が描いてやる」

 そう言うと、自分が持っていたスケッチブックを取り出した。



   *   

406: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:23:37.93 ID:BXy34YeUo


 

 【徳川家康】


 雅の懸念を余所に、播磨は居間でスケッチの準備を進める。

「大道、少し時間あるか」

「今日なら、大丈夫だが。一体何をするつもりなのか」

「今からお前ェを描くんだよ。お前ェのその姿を」

「え?」

 雅は意味がわからない、という顔をしている。

 無理もない。

 播磨も、自分がいきなりこんなことを言われたら意味がわからなくなるだろう。

「大道、三方ヶ原の戦いって知ってるか」

「確か徳川家康と武田信玄の」

「知ってるじゃねェか。元亀三年の師走(旧暦)、遠江の国の三方ヶ原という場所で、
武田信玄率いる軍勢と、徳川家康の軍勢が激突した戦いだ」

「それが、何か」

「まあ聞け。その戦いで、後に天下人となる家康は大敗した。名のある武将は討ち死にし、
家康自身も命からがら逃げだすほどの大敗だ」

「……」

「家康は失禁した情けねェ状態で浜松城に逃げ帰ったと伝えられている。
もう大恥も大恥だな。そして城に帰った家康は何をしたと思う」

407: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:24:48.43 ID:BXy34YeUo

「……まさか」

「そう。失禁してボロボロになった状態の自分を絵師に描かしたんだよ。その後の戒めに
するためにな」

「それがどうして私の絵を描くことに?」

「んなもん決まってるだろ。今のお前ェが元気ねェからだ。それを俺が描いてやる」

 播磨は筆袋から鉛筆を数本取り出して準備を整える。

「大道、そこに座れよ」

 彼は場所も指定した。

 嫌がるかと思ったけれど、彼女は意外と素直にそれに従う。

「ほう、意外だな」

「ん?」

「もっと嫌がるかと思っていたけどよ」

「別に嫌ではない。確かに、今の私の表情は冴えないかもしれない。ただ――」

「ただ、何だ?」

「一度、キミには描いてもらいたいと思っていたのだ。このような形なのは少し残念だが」

「そおかよ。下手くそだけど勘弁してくれよ」

「なるべく努力して欲しい」

「わかった」

 雅は播磨の指定した場所に行くと、そこに座る。

「……」

 立ち姿もキレイだったが、座っている雅もまるで日本人形のように美しく見えた。

(こうしてみると、とても絵が描けずに困っているようには見えねェけどな)

 そう思いつつ、彼は鉛筆を走らせる。




   *

408: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:25:38.96 ID:BXy34YeUo




 静かに時間が過ぎてく。

 普通のスケッチなら授業時間の関係もあって一時間程度で終るのだが、
その日は三時間近くかけて描きこむ。

 何度も鉛筆を変え、角度を調節しながら少しずつ描き進めていく作業は、
大変ではあったけれど決して苦痛だとは思わなかった。

(こいつ、こんな顔してたか)

 絵を描くために改めて雅の顔を見た播磨は、何度かそう思った。

 具体的に何が変わった、というわけではないのだが、スケブを持って
描きながら彼女の表情を見ると何かが違って見える。

 大道雅ではあるのだが大道雅ではない。

 それはまるで雨が降ったことで表情を変えたあの神社の風景のように。




   *

409: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:26:18.85 ID:BXy34YeUo



「お疲れ」

 播磨は鉛筆を置く。

「終わったの?」

「ああ、すまねェな。随分長いことかけちまって」

「構わない」

 播磨も疲れたけれど、長時間何もせずにじっとしているというのは、決して楽ではなかっただろう。

 ふと外を見ると、いつの間にか日が傾いていた。

 強い日差しで白く染まっていた外の世界は、いつの間にか夕日で橙色に染まりはじめる。

「見せてくれないか」

「おう」

 雅の要求に従い、スケッチブックを渡す播磨。

 こうやって雅に自分の絵をじっくりと見せるのは初めてかもしれない。

 彼女はモデルをしていたときのキレイな姿勢のままで、播磨の描いた絵を見つめていた。

「私は、こんな表情をしているのだな」

「すまねェ、俺がもっと上手けりゃ、美人に描けていただろうに」

「……」

 冗談っぽく言ったけれど、彼女の反応は薄かった。

410: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:26:49.50 ID:BXy34YeUo

「……」

 次に何を言っていいのかわからずに黙っていると、

「播磨殿」

 不意に彼女は口を開く。

「どうした」

「この絵、貰ってもいいだろうか」

「あン? どうして」

「どうしてと言われても、記念だ」

「いや、別にかまわんが……、いいのか?」

「いいのか、とは?」

「いやだって、俺の絵だぜ? どうせだったら大鉄とかに描いてもらったほうが」

「君の絵がいい」

「ん?」

「播磨殿の描いた、この絵がいい」

 まっすぐに、彼女は播磨を見つめて言った。

「わかったよ。持ってきな。そんな絵だったらいつでも描いてやる」

「次からはもう少し早く描いてくれるとありがたい」

「ククッ、善処するぜ」

 少し、ほんの少しだけ雅の言葉から力が抜けた気がした。




   *

411: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:27:30.45 ID:BXy34YeUo


 【復 活】


 数日後、雅は学校に来ていた。

 それもかなり朝早くから来ていたようで、他のクラスでも話題になっていた。

「ああ、播磨くん」

 いつものように彼は昼近くに登校してくると、クラスの女子が寄ってきた。

「どうした」

「大道さんが来てるんだよ」

「それが?」

「なんていうか、朝からずっと実習室で絵を描いてるの。それも凄い勢いで」

「……そうか」

 実習室の近くでは、まるで珍しい動物を見に来ている動物園の客のように何人もの
生徒たちが、廊下から教室の中を覗いていた。

 播磨も同じように実習室の中を覗いてみると、絵画用のエプロンを着けた雅が黙々と
製作していたのだ。

(描けるようになったんだな)

 そう思うと安心する播磨。

「あ、はりまっち」

 聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 視線を下に向けると、体操服姿のノダミキが見えた。

「よう、ノダ」

412: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:27:59.27 ID:BXy34YeUo

「はりまっち、見た? キョージュが絵を描いてるよ」

「ああ、今見たところ」

「声、かけないの?」

「別に、必要ねェだろう。お前ェは?」

「なんていうか、凄い一生懸命で声かけ辛くて」

「だよな」

「はりまっち、今日も稽古するんだよね」

「ああ」

「頑張ろうね。時間ないけど」

「おう、任せとけ」

 播磨はそう言って親指を立てる。

 播磨と会話を終えたノダミキは走ってどこかへと行ってしまった。

 一体どこへ行くのだろうか。

 しばらく歩いたところで、彼は振り返り実習室の方向を見た。

(何かわかんねェけど、元に戻ってよかった)

 彼はそう思い、自分も課題をやりに向かう。




   *

413: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:28:35.24 ID:BXy34YeUo



 【安 堵】


 この日は、しばらく稽古ができていなかったので時間が少し長くなってしまった。

 夏の日は長いとはいえ、校舎の外はかなり暗くなっている。

 ただ、夏休みも後半になると、文化祭準備のために文化部が遅くまで残っている。

 そのため灯りのついている教室も少なくない。

「ん?」

 中庭越しに教室を眺めていると、実習室付近に灯りが残っていた。

 まさかと思いそこに向かってみると、微かに人の気配がする。

「おーい、誰かいんのか」

 そう言って播磨は教室の戸を開く。

「ああ、播磨殿」

 そこには絵画用のエプロンを畳む大道雅の姿があった。

「大道か。随分遅くまで残ってたんだな」

「今終わったところだ」

 少し疲れた感じだが、いたって元気そうな顔の雅。
  
「終わったのか」

「まだ製作予定の作品は多いが」

 そう言って、エプロンを机の上に置く雅。

414: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:29:15.98 ID:BXy34YeUo

「見てもいいか?」

「構わない、ここで座って見てほしい」

 そう言うと、雅は絵の前に椅子を置いた。

「そうかい」

 播磨は荷物を別の机の上に置き、雅に指定された椅子に座る。

 目の前には、ついさっき描いたばかりの雅の絵があった。

 雅は、なぜか当然のように播磨の隣りに椅子を持ってきてそこに座る。

「……」

 気を取り直し、播磨はもう一度雅の絵を見た。

「春みてェだな」

 思わずそうつぶやく播磨。

 これまでの雅の作品は、青や群青色など、寒色系の色がよく使われていたけれど、
今目の前にしている作品は、どちらかと言えば赤やオレンジに近い暖色系の色が
多様されているように見える。

 播磨が春のようだ、と形容したのはそのためだ。

 何かが変わっていた。

 それも意図的に変えたものではなく、自然な変遷。

 言うなれば、冬から春に移行する季節のように。

「播磨殿」

「ん?」

415: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/27(金) 21:30:08.14 ID:BXy34YeUo

「私は、変わることが怖かったのかもしれない」

「そうなのか」

「ああ。常に上を目指していたつもりだが、いつの間にか守りに入っていた」

「それが、描けなくなった原因?」

「いや、多分そんな単純なものではないと思う。でも――」

「……」

「今はそれでもいいと思う」

 そう言うと、雅は播磨にもたれかかる。同時に彼女のサラサラな髪が播磨の腕に当たった。

「おい、大道」

「少しだけ――」

「ん?」

「少しだけこのままでいさせてくれないだろうか」

「……」

「疲れてしまった」

「……仕方ねェな。今日だけだぞ」

「ありがとう」

 播磨は、雅が倒れこまないよう気を付けながらその姿勢を保った。 




   つづく


 

420: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 19:57:19.01 ID:g+HpzqIuo

 


  第十九話 準 備

421: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 19:57:45.94 ID:g+HpzqIuo


 【夏休みボケ】

 八月も終わり、ついに新学期となる。

「おはよう」

「おはよー」

 朝の教室では口々に挨拶を交わすクラスメイト達。

「なんか、新学期って感じがしないな」

 と、ナミコは言う。

「毎日のように学校きてたからなあ」

 そう言ったのはトモカネだ。

 夏休みの課題を学校でやるため、彼らの多くは夏休みにも登校していた。

 しかも文化祭の準備もあったため、あまり夏休みという感じではない。

「今日は早く目が覚めてしまいました」

 キサラギは笑いながら言う。

「もうすぐ文化祭だからねえ。新学期からもうラッシュだよお」

 ノダミキも言う。

「こんだけ学校に来ていれば夏休みボケも皆無かなあ」

 そんな話をしていると、副担任の宇佐美が入ってきた。

422: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 19:58:12.33 ID:g+HpzqIuo

「皆さんおはようございます。新学期ですね。夏休み気分からしっかり切り替えて行きましょう」

「先生、昨日もそんなこと言ってましたよ」

 笑いながらトモカネが言った。

「そうですね。新学期は今日から何ですけど、皆さんに休みボケは無縁かもしれません」

 始業式前のリラックスした空気の中で行われた朝のホームルーム。

 そこに、

 乱暴な足音が廊下に響く。

「どわっ!」

 どうやら全力疾走してきたらしい播磨の姿があった。

「すまねェ。寝過ごした」

「ああ……」

 夏休み中はいつも昼前に登校していた播磨は、どうやら寝過ごしていたようだった。

「やっぱり、気を引き締めて行きましょう……」

 宇佐美は自分に言い聞かすようにそう言った。




   *

423: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 19:59:03.38 ID:g+HpzqIuo
 【苦手克服?】

 宇佐美真由美は播磨拳児が苦手だった。

 だがそれも一学期の話。

 二学期になってわりと慣れてきた彼女は、彼に注意をすることにした。

「は、播磨くん。ちょっといいですか?」

「あン? なんっすか」

 始業式の後、廊下を歩く播磨を呼び止める。

(こういう子は、プライドが高いので人前で叱らないほうがいいかもしれませんね)

「ちょっとこっちに」

 そう言うと、彼女は階段の隅の一目に着かない場所に播磨を連れて行く。

「どうしたんっすか」

「は、播磨くん」

(恐れてはダメよ真由美。彼、こんな見た目をしているけど課題もちゃんとやっているし、
いい子なのかもしれない)

「いいですか、今日から新学期なんです。いつまでもお休み気分でいてはダメですよ」

「はあ……」

「時間ギリギリはいけませんからね」

「わかりました」

(言った、言ってやったわ。彼もわりと素直な子じゃない)

「よかった。播磨くんならわかってくれると思ったわ」

 思わず嬉しくなった宇佐美は、播磨の手を握ってピョンピョンと跳ねる。




   *

424: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 19:59:30.04 ID:g+HpzqIuo

 それからしばらくして。

「ねえ、知ってる? 宇佐美先生のこと」

「さめちゃん先生が何?」

「一年の播磨って生徒と付き合ってるんだって」

「ええ? それって禁断の愛?」

「さめちゃんって、押しに弱そうだから、ああいうタイプに心を開いちゃうのかな」

 学校で妙な噂が流れてしまう。

(しまったあああー!)

 職員室で頭を抱えた宇佐美は、播磨拳児のことを今までとはまた違う意味で怖いと
思ったのであった。
 

   *

425: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 19:59:57.37 ID:g+HpzqIuo



【衣装合わせ】

 GAのクラス出展である演劇は、すでに通し稽古から舞台稽古ができるまでになっていた。

 その一方、劇で使用する小道具や背景の絵など、大道具も着々と完成していた。

 芸術科のクラスだけあって、舞台美術は演劇とう同等か、それ以上に期待されている。

「衣装合わせやるよー!」

 始業式直後にも関わらずノダミキは元気よく呼びかける。

「何を隠そう、舞台の衣装デザインはノダちゃんもかかわっているのです」

 いつの間にか体操服に着替えていたノダがそう言って胸を張る。

「作ったのはあたしらだけどな」

 そう言ってノダの頭に手を置いたのはナミコであった。

「ほら、ハリマも早く着替えてきてよ」

 播磨のほうを見てナミコは言う。

「お、おう」

 当然主役の播磨にも衣装はある。




   *

426: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:00:44.20 ID:g+HpzqIuo


 
 演劇の内容にも関係するので、華やかな衣装ばかりではないのだが、
自分たちの作った衣装を着ることで生徒たち、とくに女子生徒たちのテンションは
上がっていた。

「うお、採寸通りだな」

「なんか素敵」

「ノダちゃん、回ってみて~」

 教室の中で演劇用の衣装に着替え終わった生徒たちが集まっていた。

 着ている生徒も、それを作った生徒たちも皆笑顔だ。

「どうだ、ノダ」

「ピッタリだよナミコさん」

 ナミコは衣装担当の一人で出演者の衣装を作っていた。

「ノダさん、山口さん。記念写真どう?」

 カメラを持った冬木が写真を撮りに来る。

「は、恥ずかしいです……」

 案の定、キサラギは顔を伏せた。

「ほらキサラギ、折角なんだから撮ってもらいなよ」

 そう言ってナミコはキサラギをカメラの前に出す。

「その衣装かわいいね、山口さん」

「いえ、そんなことは」

「ノダちゃんも可愛いでしょう?」

427: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:01:25.59 ID:g+HpzqIuo

 と、ノダミキはポーズをとりながら言う。

「うん。可愛いよ。本物の妖精さんみたいだ」

 本物なんて見たことないだろうが、とナミコは思ったけれど何も言わないことにした。

 GA合宿や文化祭の準備などを通じて、クラスは一つにまとまりつつある。

 これまで交流の少なかった生徒同士も同じ作業をすることによって、よく話すようになってきたのだ。

「そういえばはりまっちは?」

 ふと、思い出したようにノダミキは聞いた。

「まだ着替えている最中かな。あいつのことだから居眠りしてたりして」

 ナミコは笑いながら答える。

「じゃあ俺、呼んでくるよ」

 そう言うと冬木はカメラを持ったまま教室を出て行った。

「ところでナミコサン」

 不意に別方向から声が聞こえてくる。

「うおっ、びっくりした! なんだ、ツム……じゃなくてマリか」

 留学生のマリアンヌことマリである。

 彼女もナミコと一緒に衣装のデザインや製作を担当していた一人だ。

「どうした、マリ」

「ワタシ、気になることがありマス」

「な、なんだ?」

428: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:01:52.49 ID:g+HpzqIuo

 また難しいことを聞かれたらどうしようかと不安になるナミコ。今は物知りの
雅(キョージュ)もここにはいない。

(まあ、わからなければわからないって言えばいいか)

 ナミコは腹をくくってマリを見据える。

 どんな質問でも来い、という覚悟だ。

 しかし、



「ナミコとハリーマは、付き合っているのデスか?」



「…………はあ?」

「えー、何なに?」

「誰と誰が付き合っているって?」

 うわさ好きの女子生徒たちが集まってきた。

 数人の男子生徒も気になるのか、遠巻きにこちらを見ているようだ。

「何を言ってんだよマリ」

「だって、最近ナミコとハリーマ、仲が良さそうだったから付き合っているのかと思いマシテ」

「えー!? そうだったのー?」

「野崎さんが?」

429: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:02:30.80 ID:g+HpzqIuo

「やっぱりねー」

「ちくしょー! 俺狙ってたのにー」

「安心しろ、お前じゃ無理だ」

「……」

 パキッ、と音が鳴ったと思ったらキサラギが握っていたチャコペンを折っていた。

「ちょっとちょっとちょっと! マリ、どうしてそんな風に思うんだよ!」

 慌てたナミコはマリに詰め寄る。

「仲が良いから付き合うのではアリマせんか?」

「いや、だから付き合ってないから。というか、そんなに仲良くもないし」

「ホントウですか? でも、夏休みにハリーマのためにお弁当を作ってきたではアリませんか」

(しまった、見られていたか)

「おー、ナミコさんやるねー!」

 ノダミキが面白そうに手を叩いて煽る。

 彼女はこの手の話題が大好きなのだ。

(まずい、このままだとあたしとハリマが付き合っていることが既成事実化してしまう)

「あ、あのなーマリ! 誤解だなんだよ! 誤解」

「誤解?」

 マリは首をかしげる。

430: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:03:05.04 ID:g+HpzqIuo

 このまま誤解が広がっては不味いと思ったナミコは彼女だけでなく、
周囲にも聞こえるように声を強めた。

「いいか? あたしはハリマのことなんて全然好きじゃないし、あいつとは
ただのクラスメイトなんだよ!!」

 ナミコが言いきった瞬間、教室の戸がガラリと開いた。

「あ……」

 クラスメイトの視線が一斉に集まる。

 出入口にいたのは、演劇用の衣装に身を包んだ播磨の姿であった。

「……」

 一瞬の沈黙。

「何言ってんだお前ェ」

 そしてその沈黙を破るように彼は言った。

「ああいや、な、何でもないよ。コイツらがさ、ウチらが付き合ってんじゃないかとか
言うもんだからさ」

 ナミコはノダミキの頭を掴んで言う。

「ンな訳ねェだろ……」

 播磨はあっさりと否定した。

 本人も否定したところでこの話は終わる。

 しかし、教室内に微妙な空気が残ったことは否めなかった。




   *
 
  

431: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:03:49.00 ID:g+HpzqIuo
  

 【わだかまり】

 衣装合わせを終えた播磨は、すぐに実習室に行き自分の作品に取り掛かっていた。

 GAではクラス展示だけでなく、個人の作品を最低一つ文化祭に出すことが義務付けられて
いるからだ。

「……」

 播磨のいなくなった教室で、ナミコはノダミキのもう一つの衣装を見ていた。

「ねえ、ナミコさん」

 そんな彼女にノダは声をかける。

「なに?」

「ナミコさんは、“本当は”、はりまっちのことをどう思っているの?」

 彼女の言葉から冗談っぽい調子が消えていた。

 真剣に友を慮っている声。

 いつもふざけているノダミキだが、時々こうして真剣になるときもある。

 ただ、むらっ気があるのでそれが長続きしないだけだ。

「本当は、ってどういうことだよ」

「はりまっちのことだよ。好きなの?」

「いや、だから……」

 ノダミキの真剣な表情に、誤魔化すことを躊躇するナミコ。

「嫌いなの?」

「それはない」

432: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:04:17.22 ID:g+HpzqIuo

 ナミコは即答する。

「けど……」

「けど?」

「好きとか付き合いたいとか、そういうのとはまだ……」

「でもはりまっちってアレだからさ、結構モテそうじゃない?」

「そうか? あんなのを好きになる奴なんてそうそういないだろう、ハハ」

「悠長なこと言ってると、誰かに持ってかれちゃうかもよ」

「別に、それならそれで」

「いいの?」

「いや、その――」

「……」

 いつの間にかノダミキはニヤニヤしていた。

「素直になりなよナミコさーん」

「うるさい」

 そう言うと、ナミコは軽くノダミキの頭をはたいた。

「いたっ」

「あたしはいつだって素直だ」

「じゃあはりまっちに対しても素直な態度でいいじゃない」

「何がどう素直な態度なんだよ」

「それはナミコさんが決めることよ」

「なんだそれ」

「そうだ!」

「ん?」

「あたしがちょっと協力してあげる!」

「……は?」




   *

433: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:04:58.57 ID:g+HpzqIuo



 【期 待】


 実習室で播磨が出品作品の仕上げをしていると、後ろから誰かが声をかけてきた。

 振り返らなくてもそれが誰だか、彼にはその声の主がすぐにわかる。

(ノダちゃんが俺に声をかけてくるなんて! こりゃ脈ありやで)

 彼は飛び上がらんばかりの心の中を抑えつつ、ゆっくりと振り返った。

「どうした、ノダ」

「はりまっち、まだ演劇の練習までは少し時間があるでしょう?」

「おう、それが?」

「実はね、練習前に来て欲しいところがあるんだ」

「なに?」

 ここで普段使われない播磨の頭脳がフル回転を始める。

(ノダちゃんが会いたい? こ、これは。噂に聞く愛の告白というやつではないのか)

「あまり人には見られたくないから」

 恥らいながら言うノダミキの姿に播磨のボルテージは心の中で限界を振り切れる。

 ボイラーで言えば最高使用圧力(※注:構造上使用可能な最高のゲージ圧力)を
はるかに超えた状態だ。
 
(これは俺の時代だ)

 播磨はさっさと絵具などを片付けると、約束の場所へと向かった。




   *

434: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:05:30.20 ID:g+HpzqIuo



 彩井学園は敷地がきわめて広いので、人目につかない場所も無数にある。

 日の傾きはじめた夕方、中央広場から少し離れた場所にある大きな木の下にナミコはいた。

 ちなみにこの学園には「伝説の木」は存在しない。

(くそう、なんか本当に緊張してきた。別にそんなんじゃないのに)

 虫の声を聞いていると、その中から人の足音が聞こえてきた。

 播磨だ。

 夕日に照らされながらこちらに歩いてくる彼の姿は、ある意味幻想的であった。

「は、ハリマ」

 そんな彼にナミコは呼びかける。

「野崎か、こんなところで何やってんだ」

 播磨は周囲を見回す。

 それもそうだろう。

 彼を呼び出したノダミキはここにはいないのだ。

「ごめん。あたしがノダに頼んで、あんたをここに来るよう言ってもらったんだ」

「はあ? なんでだよ」

「悪かったよ、忙しいところ」

「当たり前ェだ。これから芝居の稽古もあるってのに」

435: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:06:10.32 ID:g+HpzqIuo

「ハリマ、あんたに言いたいことがあるんだ」

「何だよ」

 播磨はいかにも不機嫌そうに聞く。

「その、昼間はアンタのことを全然好きでもないとか言ったけど――」

「ん?」

(やばい、ドキドキしてきた)

 心臓が高鳴る。

 この先、どういえばいいのか。

(ええい!)

「べ、別に嫌いとかじゃないから」

「……は?」

「だ、だから。あたしはアンタのこと、嫌ってなんかないの。その、ちょっとバカだけど
いい奴だと思ってるから」

「そう、なのか」

「うん。だから、別にその……、いい関係でいたいとは思う」

「おう」

(何言ってんだあたしはー!!)

 ナミコは心の中で頭をぐしゃぐしゃかき回していた。

「別に――」

「へ?」

436: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/28(土) 20:07:18.88 ID:g+HpzqIuo

「別に俺もお前ェのことはキライじゃねェぞ」

「……」

「ちょっとガサツで乱暴なところはあるけどよ、面倒見もいいし、鉛筆とか貸してくれるし」

「……」

「弁当も食わしてもらったしよ」

「そう……」

「ちょっと塩味キツかったけど」

「……ハリマ」

「あン?」

「バーカ!」

「ンだよいきなり」

「おりゃ!」

 ナミコは播磨の肩を勢いよく平手打ちした。

「イテッ! どうしたんだよ」

「変に意識したあたしがバカみたいじゃん」

「何だって?」

「何でもない。それより、文化祭、絶対成功させような」

「あン? ったりめェだろ」

「早く稽古にいかないと、間に合わないぞ」

「んだよ、お前ェが呼び出してきといて」

「ほら、行こうよ」

 そう言うと、ナミコは播磨の背中をグイグイと押した。

 ワイシャツ越しに彼の体温が伝わってくる。

 大きくて、なぜか安心できる背中の温もりだと彼女は思った。




   つづく

444: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:26:16.83 ID:QhsMRVElo





  第二十話 嫉 妬


 

445: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:27:09.11 ID:QhsMRVElo

 【便利屋さん】

 彩井学園の文化祭、彩井祭が直前に迫り、忙しさもピークに達しようとしていた。

「播磨くん、これやって欲しいんだけど」

「わーったよ」

「播磨くーん、あれを運んできて」

「はいよ」

「はりまっち、打ち合わせなんだけど」

「あー、わかったわかった」

「拳児、舞台の時間なんだが」

「おう、ちょっと待て」

「播磨くん」

「はあ、はあ、はあ」

 播磨は若干オーバーワーク気味である。

「なんか俺ばっか動いているような気がするんだが」

 播磨がそう言うと、クラスの女子生徒がすまなそうに言う。

「ごめんね播磨くん。GAって男手が少ないからどうしても一部に頼っちゃって」

「そうだよね。重そうな荷物とか運べないし」

「だからって加減を考えろよ。やり過ぎだぞクソが」

 そう言って播磨が自分で自分の肩を叩いていると、

「邪魔するでー!」

 あまり見覚えのない小柄で髪の長い女子生徒が教室にたずねてきた。

446: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:27:34.54 ID:QhsMRVElo

「ハリマくんってのは、このクラスにおるやろうか!」

 怪しい関西弁のような言葉づかいの女子生徒はそう言って教室中を見回す。

「播磨くんなら、彼ですが」

 よせばいいのに、同級生の一人が小さい女子生徒に播磨のことを教えてしまう。

「おー、キミが播磨くんかあ! なんか聞いた通りやなあ」

 小柄な女子生徒はそう言ってズンズン教室の中に入ってくる。

「何っすか」

「いやあ、ウチ実は美術部の部長なんやけど」

「それが」

「ちょっと力仕事があるから手伝ってくれへんかなあ」

「どーぞどーぞ」

 そう言ったのは播磨ではなくトモカネであった。

「こら、トモカネ!」

「いやー、資源は有効に使わねえとな、ハリケン」

「ほな行こうか!」

「おいちょっと待て」

 部長は播磨の腕を引っ張ってグイグイと進んでいく。

「頑張ってね播磨くん」

「頑張れよハリケン」

 クラスメイトはそう言って手を振る。

「ちょっと待てお前ら!」

「時間ないんやから早うしてよ」

「畜生」

 結局播磨はその日、美術部の手伝いまでやらされる羽目になったのだった。




   *

447: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:28:46.90 ID:QhsMRVElo


 【気になること】

 夕方、演劇はほぼ最終段階に入り、出演者もジャージや体操服ではなく本番と同じ衣装で
稽古をしていた。

「ハリマ、ここの襟おかしいぞ」

「あン? どこだ」

 衣装担当のナミコが播磨の服をチェックする。

「ここ」

「ちゃんと作れよな」

「作ってるよ。それが衣装担当に言う言葉か。縫い針仕込むぞ」

「やめろ、洒落にならんから」

「こら動くな」

 播磨とナミコのやり取りを、キサラギは遠くからぼんやり眺めていた。

「播磨くんと野崎さんって、仲いいよねえ」

「付き合ってないとか言ってたけど、それなりに気があるんじゃないかな」

「あー、でも野崎さんモテるからなあ」

「スタイルいいもんね」

 女子生徒は恋愛絡みの話題が大好きなので、こういう話はよく出てくる。

「……」

 そんな話をキサラギは黙って聞いていた。

「キサラギちゃん」
 
「ふえ?」

 不意に声をかけられて驚くキサラギ。

「あ、ああ。ノダちゃん。どうしました?」

448: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:29:14.92 ID:QhsMRVElo

 声をかけてきたのは、キサラギと同じような衣装に身を包んだノダミキだった。

「どうしたの? さっきからボーッとして」

「あ、いえ。何でもないですよ。まだちょっと暑いから、頭が変になったのかなあ」

 そう言うと、彼女は右手を団扇のようにしてパタパタ仰ぐ。

「ふーん。ポカリ飲む?」

「ああいえ、大丈夫です」

「そうかー」

 そう言うとノダミキはトモカネの所へ歩いて行った。

「うーん」

 思わず親指の爪を噛むキサラギ。

「あ……、いけない」

 キサラギは小さいころ、イライラしたり悲しくなったりすると親指の爪を噛む癖があった。

 長い年月をかけて克服したと思われた癖が不意に蘇ってきたことに、彼女はショックを受ける。

(なんで私、こんなにイライラしているんでしょう)

449: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:29:40.97 ID:QhsMRVElo

 彼女の腹立たしさは、播磨の表情を見ると余計に増してきているようだった。

(なんで? 播磨さんは何も悪くないのに)

 イライラが、彼女の自己嫌悪をさらに拡大させていくことになる。

「山口、演劇の件だけどよ」

「え?」

 不意に声をかけてくる播磨。

 しかし、

「ごめんなさい、私ちょっと先生に用があって」

「おい、衣装のまま行くのか」

「失礼します」

 キサラギは逃げるようにその場を後にした。





   *

450: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:30:29.78 ID:QhsMRVElo

 【態 度】


(あんな態度をとっていたら絶対に嫌われますね)

 暗くなった帰り道にキサラギは自己嫌悪に苛まれながらぼんやりと歩いていた。

(でもどうすればいいんでしょうか。ああいう気持ちになるくらいだったら、

いっそのこと嫌われてしまったほうが気が楽かも)

 そんなことを何度も考えていると。

「あら、キサちゃん」

「あ……」

 振り返ると、二つ年上の幼馴染でGA三年の水渕(通称ぶちさん)がいた。

「どうしたの? 空も暗いけど、あなたの周りは特に暗いわよ」

「う……」

 同級生もいない場所で、昔からの知り合いに出会ってしまったキサラギは……、

「ちょ、ちょっとキサちゃん!?」

 おもわず瞳から涙が零れ落ちることを止められなかった。




   *

451: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:31:00.71 ID:QhsMRVElo


 近くの公園。ベンチに座ったキサラギは、水渕からしっかり冷えた缶コーヒーを手渡される。


「どう? 落ち着いた?」

「すみません」

 今まで我慢していたものが一気にあふれ出してしまったため、キサラギの胸中は恥ずかしさと
悔しさがごちゃ混ぜになって混乱していた。

 しかし、一通り泣くと落ち着いてくる。

「どうしたのよ。彩井祭はすぐそこよ。そんな浮かない顔をしていたら、楽しめるものも楽しめなくなるわ」

 そう言って、水渕は缶コーヒーのプルタブに指をかける。

「……」

 キサラギも同じように缶コーヒーのプルタブに爪をかけようとするのだが、

「あら、その親指」

「あ……」

 キサラギの親指の爪は、昼間に噛んだので少し傷ついていた。

「随分懐かしいわね、その癖。小学校以来かしら」

「これは……」

「お友達と何かあった?」

「そ、そんなことはありません……」

452: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:31:31.72 ID:QhsMRVElo

 キサラギは言葉を濁し、

「ありません」

 もう一度言った。

「そう……」

 水渕は優しい笑顔を見せつつ、それ以上は聞かなかった。

 助けを求めれば常に受け止めてくれるけれど、必要以上には踏み込まない。

 それが彼女の、水渕の昔からのスタイルであった。

「あの、少し聞きたいことがあるんですけど」

「なあに?」

「好きな人を見てイライラしてしまうってことは、あるんでしょうか」

「どういうこと?」

「いえ、その深い意味はないんですが、別に嫌いでもない、むしろ好きなお友達を、
見ているだけでその、何だか腹が立つというか、心の中にモヤモヤが滞るというか……」

「キサちゃん」

「はい」

「どうでもいいと思う相手を見て、腹が立つなんてことはないのよ」

「……」

「気になるってことは、何かあったのね」

「それは……」

「何か嫌なことでもされた?」

「そんなことないです!」

453: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:32:00.87 ID:QhsMRVElo

「?」

 思わず語気を強めてしまうキサラギ。

「ご、ごめんなさい」

 そして自分のしたことに気づいた彼女は目を伏せて謝った。

「その人には、その助けてもらってばかりで。感謝してもしきれないくらいです。
でも、その……」

「キサちゃん。その人のこと、嫌い?」

「いえ、全然嫌いじゃないです。でも」

「でも?」

「嫌いになれたら、楽になれたかも」

「そう」

 水渕はそう言うと、空を見上げる。

「ねえキサちゃん」

「はい」

「キサちゃんは、絵を描くのが好きだからGAに入ったのよね」

「え、はい。そうですけど」

 なぜ今更そんなことを聞くのか、キサラギにはすぐに理解できなかった。

「絵を描くことは楽しい?」

「はい、もちろんです」

「じゃあさ、ずっと楽しいことばかりだった?」

454: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:32:47.57 ID:QhsMRVElo

「え……」

「いつもいつも、楽しいことばかりだった?」

「……」

「悔しい思いとか、悲しい出来事とか、いろいろあったんじゃないかな。私もそうだったし」

 キサラギは思い出す。

 GAの体験入学(オープンキャンパス)の日に、デッサン講習で酷評され「合格は難しい」
と言われた日。

 自信のあった作品が佳作にも選ばれなかったこと。

 上手く色が出せずに、何時間も悩んだこと。

 そして、同級生たちの活躍を見て悔しいと思ったこと。

 嫌な思い出は無数にある。

「それでもあなたは、絵を、美術を嫌いになれたら良かったって思う?」

「それは……」

 キサラギは言葉にならない言葉を飲み込む。

「そんなことはありません。嫌な思い出もたくさんあるけど、私、絵が好きでよかった」

「そう。それと同じことよ」

「同じ?」

「ええ。好きの反対は嫌いではなく無関心って、よく言うじゃない?」

「はあ」

455: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:33:41.76 ID:QhsMRVElo

「何かを好きになるってことは、楽しいことばかりじゃないの。辛いこともあれば、
苦しいこともある。それくらいの覚悟がいるってことよ」

「……」

「それは、人も絵も変わらないわ」

「……はい」 

 キサラギは缶コーヒーに口をつける。

 握りしめていた冷たい缶コーヒーは、少しだけ温くなっていた。



   *

456: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:34:17.06 ID:QhsMRVElo

 【心 配】


 彩井学園高校第二美術室。今は美術部の部室である。

 ここでは毎年恒例(?)のお化け屋敷建設のため、急ピッチで作業が進められていた。

「しかし美術部がお化け屋敷って、なんか変ですよね」

 道具を運びながら奈良は言った。

「何言うとんの! お化け屋敷言うたら美術部の花やで!」

 小柄な体ながら、人一倍動き回る部長の芦原。

 ただ、その動きに比べて作業量はそれほど進んでいない。
 

「いや、まあこのゾンビの顔とか凄いですけど」

「おーい部長、こいつはここでいいか」

 冬木とはまた違う、メガネをかけた三年生が段ボールに入った材料を持て来る。

「おー魚住。ご苦労やねえ」

 芦原はそう言って手を振る。

「わざわざすいません、魚住先輩」

 奈良はそう言って頭を下げる。

「ったく、俺はもう引退してんだから、あんまり駆り出すなよ」

 魚住と呼ばれた三年生(普通科特進クラス)は面倒くさそうに答える。

「何言うてんの。あんたの籍はまだ残っとるんやで。それに、最後の文化祭くらい協力せんかい」

457: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:34:52.41 ID:QhsMRVElo

 魚住も美術部員だが、特進クラスは勉強や模試で忙しいためほとんど部活動には
顔を出さない。

「へいへい」

「へいへいちゃうわ! 返事は『はい』やで! やり直し」

「うるさいなあ、こいつはもう」

「こいつとは何やの!」

「アハハ、相変わらず仲良しだね、あの先輩二人は」

 奈良はそう言って笑った。

 それと同時に、少し羨ましいとも思う。

「夫婦喧嘩は犬も食わないダス」

 美少女フィギアの着色をしながら西本は言った。

「すいません、遅れました」

 そんな中、大分遅れて一年の冬木が入ってくる。

「遅いで冬木くん」

「申し訳ない、クラスの出し物も多くて」

「ああ、GAは個人とクラスの出し物が両方あって大変やもんねえ」

「お前はどうなんだ部長。お前もGAだろうが」

 魚住が言った。

「ウチはばっちりやで。伊達に美術部の部長をやっとらんし」

458: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:35:37.02 ID:QhsMRVElo
 
「アハハ、自身満々ですね部長」冬木は言った。

「冬木君の個人出品はやっぱり写真やの?」

「ええ、まあ」

 冬木はカメラバックをテーブルの上に置きながら答える。

「ええよなあ、写真ならパッと撮って終わりやし」

 芦原はカメラを撮る構えをしながら言った。

「そんな単純でもないですけど」

「お前の絵だってぱぱっと描いて終わりじゃないのかよ」と、魚住。

「アホか! そんなわけあるか。最後の彩井祭やで。魂込めとるやが」

「魂なあ」

「ムカー、バカにしとんのか!」

「うわっ、ちょっと待て」

「待ってください先輩! せっかく作ったゾンビの山田くん壊さないで」

 いつもよりも更に激しくなったドタバタが繰り広げられている美術部の部室に、
芦原の親友であり実質的な顧問ともいえる三年生、水渕が訪ねてきた。

「こんにちは。皆揃ってる?」

「ぶちさん聞いてえな、魚住がウチのことバカにする~」

 水渕が入ってくるなり、芦原は彼女の胸に飛び込んだ。

「ああよしよし。あーさん、早く片付けて準備済ませましょうね」

459: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:36:03.45 ID:QhsMRVElo

 水渕は慣れた手つきで芦原を引きはがすと、部室の中に入ってきた。

 そして一人の人物に目を止める。

 先ほどから真剣に美少女フィギアに着色している西本……、ではなく、

「あら冬木くん。GA(クラス)のほうはもういいの?」
 
 美術部の一年生メガネ、冬木であった。

「ええ、演劇のほうは大体。今、通し稽古してますけど、大道具のほうはもうやることがなくて。
メイキングの写真もたくさん撮りましたし」

「そうなんだ」

 水渕は話し終った後も、冬木の顔をじっと見ていた。

「どうしました?」

「冬木くん」

「はい」

「あなた“も”元気ないわね」

「え?」

「心配ごと?」

「そんなことはないんですけど」

「けど?」

「……実力不足って、ところですかね」

460: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:36:29.51 ID:QhsMRVElo

「あら」

 水渕は少し気にしている様子だったが、それ以上は聞かなかった。

 代わりに奈良が質問する。

「ねえ、冬木くん」

「ん?」

「クラスのほうで、何かあったの?」

「……いや」

 少し考えてから、冬木は否定した。

「何もないよ」

 そう言うと、力のない笑みを見せる。

「僕は、ロバート・キャパにはなれなかったのさ」

「え? どういうこと?」

「何でもない」

 彼はカメラセットを部屋の隅に置き、美術部の準備作業へと加わった。




   *

461: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:37:01.31 ID:QhsMRVElo



 【表 情】


 芝居の練習後、誰もいない教室でキサラギは一人ため息をついていた。

 もう本番直前だというのにまったく演技に身が入らない。

 この演劇は脇役から照明、小道具、衣装、それに背景を描く大道具にいたるまで、
すべての参加者がいなければ成功しないものだ。

 にも関わらず、彼女は演劇とまったく関係のないところで心を見出し、
そして集中できないでいる。

 モヤモヤ、苛立ち、そして仲間に対する罪悪感。

 それらすべてのキモチが彼女自身の自己嫌悪となって跳ね返ってくる。

(ああ、どうしよう)

 もう何もかも捨てて逃げ出したくなってきた。

 こんな気持ちになったのは生まれて初めてだ。

 どんなに緊張していたとしても、彼女は逃げなかった。だから、この学校にも入学できたし、
今までやってこれたはずなのだが。

「おお、ここにいた」

 不意に教室の戸が開く。

「ひっ!」

 驚いて振り向くと、そこには播磨がいた。

462: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:38:32.66 ID:QhsMRVElo

 廊下からの逆光で顔が影になってよく見えないけれど、間違いなく播磨だ。

「どうしたんだよ、電気もつけずによ」

「あ、あの……」

 播磨は手ぶらではなく、左手に大き目のスケッチブックを抱えていた。

「なあ山口」

「……はい」

 ここ最近、キサラギは播磨とまともに向かい合って話をしていなかったので、
どう接していいのかわからなくなっていた。

「これ、やるよ」

「え?」

 そう言うと、彼はスケッチブックの中の一枚の紙を取り出してキサラギに渡す。

「時間なかったからよ、あんま上手くはねェんだが」

「これは」

「……」

 廊下から差し込む微かな光の中で確認したスケッチブックに描かれていた絵は、

「私ですか?」

「ん? ああ。直接見てたわけじゃねェから、半ば想像になっちまったけど」

 播磨は恥ずかしそうに顔を背けた。

「播磨さん」

463: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:39:09.85 ID:QhsMRVElo

「あン?」

「わたし、こんなに美人じゃありませんよ」

「いや、別にそこまで美化したつもりは……」

 キサラギが見ている絵、それは鉛筆で描かれたキサラギの似顔絵であった。

 しかし、絵の中のキサラギは今の彼女とは違い満面の笑みを浮かべていた。

「最近、お前ェ元気なかったからさ」

「あ……」

 自分のことを見ていたのか、と思うと胸が締め付けられそうになる。

「前にどっかで聞いたことあるんだけどよ、赤ん坊がなんで笑うかっていうと、
周りの大人たちが笑っているから、それを真似するんだと」

「……」
 
「だから、お前ェが笑っている絵を描いたら、それを見てお前ェも笑うのかなって」

「私は赤ちゃんですか?」

「すまねェ。俺バカだから、あんまりいい考えが浮かばなかった」

「でも……」

 不意に目の前がゆがむ。

 メガネが無くなったわけではない。

「お、おい山口」

 播磨の慌てる声が聞こえてきた。

「ご、ごめんなさい」

464: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/29(日) 19:41:25.66 ID:QhsMRVElo

 キサラギは両手で必死に抑えようとするけれど、涙が止まらなかった。

「どうしたんだよ」

「播磨さんは、ずるいです」

「はあ? 何でだよ」

「それは……」

 キサラギはハンカチで涙と鼻水を拭う。

 そして、少しスッキリした顔で絵の中と同じような表情で彼女は言った。

「教えてあげません」

「なんだよそれ」

「播磨さん。覚えていますか?」

「なにを?」

「県立の美術館で、播磨さんが私の絵のことを好きだって言ったこと」

「ああ、そんなこともあったかな」

「私も好きですよ」

「ん?」

「播磨さんの絵」

「……そうか」

 播磨は少し戸惑ったような顔を見せつつ、キサラギの笑顔に微笑み返した。



   つづく 

471: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:00:33.56 ID:jZCNcaZMo
 




   第二十一話 彩井祭(前編)


    『灰色の国と旅人』

472: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:01:04.14 ID:jZCNcaZMo


 今は昔のこと。ここから離れた遠い場所で、一人の旅人がいました。

 彼は長い年月をかけて多くの国々をまわり、そして様々な人たちと出会ってきたといいま

す。

 しかし、とある国に足を踏み入れた時、彼は奇妙に思いました。

「どういうことだろう。この国には色がない」

 彼の目の前には、見渡す限り灰色の景色が広がっていたのです。

 そこには、色という色がありませんでした。

 土も木々も、そしてその木についた葉っぱにも色がありません。

 それから旅人はどこまでもどこまでも歩きました。

 川を越えて山を登る。

 しかし、一向に色が見えない。

 途方にくれた彼が腰を下ろして休んでいると、一人の少女が目に入りました。

 ここ何日も孤独な旅を続けていた彼は、その少女に話しかけます。

「すまねェが、私は旅の者だ。キミは何者だろう」

 少女は答えました。

「私は花の精です」

「たまたまこの国に足を踏み入れたのだが、この国には色がない。どうしてだろう」

 そう聞くと、花の精と名乗る少女は一輪の花を見せました。

 その花の花弁も灰色に染まっており色らしい色がありません。

473: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:02:06.97 ID:jZCNcaZMo

「花の精よ。どうしてキミにも色がないのか。花というのは色があるものではないのか」

 再び旅人は聞きます。

「この国にも昔は色がありました。しかし、度重なる戦争と災害の結果、人々の心は壊れ、

そして色が失われていきました」

「何ということか、それではこの国にもう色はないのか」

 旅人は再び聞きます。

 それに対して花の精は、

「いいえ。まだここにも色はあります」

 と答えました。

「それはどこにあるのか」

「この国のどこかにあると聞きました。しかし、どこにあるのかはわかりません」

 花の精は俯きながら答えます。

「旅のお方、お願いがあります」

「どうした、花の精よ」

「私の命はもう長くはありません。いずれ枯れてしまうでしょう。しかし、
花に生まれた以上は、一度色を見たいと思うのです」

「なるほど」

 旅人は少し考えます。

 ここで花の精の存在を無視することもできる。

 しかし、彼自身もう何日も色を見ていなかったので、この国の色を見たいと思うようにな

っていました。

474: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:02:33.01 ID:jZCNcaZMo

「わかった花の精。私もこの国の色を見たいと思ったところだ」

「ありがとうござます」

 こうして、花の精と旅人は一緒に、国のどこかにある色を探しに出かけました。




   *



 旅人と色を探しはじめてからしばらくして、彼らは蝶の精に会います。

 ヒラヒラと羽ばたく美しい蝶の羽根を持つ妖精。

 しかし、彼女の色もまた灰色でした。

「やあやあ、珍しいね。こんなところに旅人がくるなんて、いついらいだろう」

 蝶の羽根を持つ妖精はそう言って旅人たちに話しかけました。

「私たちは色を探している。この国のどこかにあるという色を」

 すると蝶の精は答えます。

「私は生まれてからずっと色を見ていない。もうこの国には色がないのではないか」

「あなたは探したのですか」

 と旅人は聞きました。

「探してはいないけれど、私の周りには色がない。だから色はどこにもないのだ」

 蝶の精は答えます。

「ならばこの周りには色がないことがわかった。別の場所を探そう」

475: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:03:00.26 ID:jZCNcaZMo

 と、旅人は言いました。

 こうして、旅人と花の精は別の場所を探すことになったのです。

「待ってください、旅の人。そして花の精」

 しかし、途中で蝶の精は呼び止めました。

「どうしたのですか」

 と、花の精は聞きます。

「私は生まれてからずっと、この辺りでしか暮らしていませんでした。そろそろ別の場所に

行ってみたいと思っています。ですから、あなたがたと言ってもいいでしょうか」

 花の精は旅人を見ました。

「構わないよ蝶の精」 

 と旅人は答えました。

「この先に、私も行ったことがない森があります。そこに住んでいる森の精ならば、
何か知っているかもしれません」

 旅人と花の精、そして新たに加わった蝶の精は、三人で森へと向かいました。




   *

476: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:03:31.91 ID:jZCNcaZMo



 しばらく行くと、彼らの前に大きな森がありました。

 その森も、ほかと同じように灰色です。

 入口に行くと、森の精がいました。

「ここから先は森だぜ。旅の人、危ないから入らないほうがいい」

 森の精はいいます。

「ありがとう森の精。しかし、私たちはこの国から無くなった色を探したいと思っている。

もしかしたら、この森の中にあるかもしれない」

「うーん」

 森の精は少し考えてから言いました。

「だったら、この森の中央にいる泉の精に聞いてみるといい。泉の精は物知りだから、
何か知っているかもしれない」

「ありがとう、森の精」

 そう言うと、旅人は森の中に向かいました。

「待ってくれ」

 と、森の精が旅人を呼び止めます。

「森の中は危険だ。俺、じゃなくて私が案内しよう」

 そう言うと、森の精は旅人たちを森の中央にある泉へと案内しました。

 森の精の案内により、森の泉にたどり着いた旅人達一行。

 そこには美しい泉がありました。

 しかしそこにも色はありません。

477: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:04:12.75 ID:jZCNcaZMo

 しばらく待っていると、泉の中央から美しい泉の精があらわれました。

「旅の人ですか。随分と久しいですね。何か用ですか」

 泉の精は聞きました。

「この国のどこかにあるという色を探している。何か知らないだろうか」

 と、旅人は答えます。

 すると泉の精は答えました。

「かつてこの国にはたくさんの人がくらし、たくさんの色がありました。長く続く争いと
それにともなう荒廃によって、この国から色が無くなってしまったのです」

 泉の精は話を続けます。

「一度失ったものを再び取り戻すことはできません」

「ではもう色を取り戻すことはできないのか」

 旅人は聞きました。

「確かに、失ったものを手に入れることはできないかもしれない。しかし、完全に無くなる

ということもありません」

「どういうことですか?」

「私はこの場所を動くことはできないので、何とも言えませんが、まだこの国にも色が残っ

ていると信じています」

 泉の精はいいました。

「ならば、どこに色があるのか」

 旅人は聞きます。

「それはわかりません。この国で一番高い場所に行けば、何かが見えるかもしれません」

478: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:04:38.23 ID:jZCNcaZMo

「高い場所?」

「この国で一番高い山の上です。空に近い場所であれば、色が残っている場所がわかるでしょう」

「わかりました。泉の精、ありがとう」

 旅人は泉の精に礼を言うと、森を後にしました。

 すると、森の精が後を追ってきました。

「どうしたのか」

 と旅人が聞きました。

「私も色が見たいと思います。いずれ枯れ果てるのならば、その色を取り戻したい」

「わかった」

 風の精の熱意を感じた旅人は、彼らと共にこの国で一番高いと言われる山へと向かいました。





   *

479: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:08:10.99 ID:jZCNcaZMo


 この国で最も高い山。

 そこに差し掛かると、風の精が行く手を阻みました。

「旅の人、どこへ行くのか」

「この国で一番高い山に登ろうと思う」

 旅人は答えます。

「山はとても危険だ。それなのにどうして登ろうとする」

「この国に残る色を探すためだ。森の中の水の精に教えられた。一番高い場所で探せば、
色のある場所がわかるのではないかと」

「もうこの国に色はない。わかったらさっさと帰るのだ」

 風の精は冷たく言い放ちます。

「無いというのならば、私はこの目でそれを確かめよう」

 強い意志を示す旅人に困った旅の精は、一緒についてきた妖精たちに目を向けました。

「花の精よ。お前も行きたいのか」

「はい、私も確かめたいと思います」

 花の精は答えます。

「だが山の上は風が激しい。お前の花びらがすべて散ってしまうかもしれないぞ。悪いことは
言わない。命が惜しければここから引き返すことだ」

 風の精は言いました。

 それに対して花の精は、

「私はこのままでもいずれ命が無くなってしまいます。

それならば、一度でいいのでこの国の色を見てみたいと思います」

480: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:08:56.11 ID:jZCNcaZMo

 と、答えました。

 これはダメだと思った風の精は、蝶の精に話しかけます。

「蝶の精よ、山の上は風が激しい。お前のその小さく脆い羽根では吹き飛ばされてしまうだ

ろう」

 それに対して蝶の精は言いました。

「私は花の精の蜜をわけてもらって暮らしておりました。花の精がいなくなるのなら、

私がいなくなるのと同じです。だから、どんな危険があろうとも、花の精と同じように

色を見つけたいと思います」

 面白くない風の精は、今度は森の精に話しかけます。

「森の精よ、なぜ彼らについていく。この先は風が強い。お前の持つ葉っぱはすべて

吹き飛ばされてしまうぞ」

 森の精は答えました。

「色の無い葉は、やがて着て落ちていくでしょう。ならばすべての葉が落ちる前に、この国

に残された色を見たいと思います。どうか、山に登らせてください」

 彼らの決意の前に、とうとう風の精は諦めました。

「行きなさい。ただし、この先にどんな困難が待ち受けようとも、一度上ると決めたのならば

頂上まで登りきらなければならない」

「わかっています」

 と、花の精は答えました。

「私もわかっています」

 蝶の精は答えます。

「わかりました」

 森の精も元気よく答えました。

「では行こう」

 旅人はそう言って、山道へと入って行きました。




   *

481: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:09:35.77 ID:jZCNcaZMo


 さて、風の精の言うとおり山はとても厳しいものでした。

 風が強く、吹き飛ばされそうになります。

 軽くて小さな妖精たちは、吹き飛ばされそうです。

「皆で手を繋ぐんだ」と、旅人は言いました。

 妖精たちは手を繋ぎ、風で吹き飛ばされないようにします。

 そしてゆっくりと上へ上ります。

「ああ辛い辛い。こんなことならば、地上でゆっくりとしておけばよかった」

 風で羽根をボロボロにした蝶の精が言いました。

 しかし花の精は言います。

「確かに地上にいれば、こんな辛い思いをすることはないでしょう。でもそれでは何も変わ

らない」

 旅人も言いました。

「一度踏み出した以上、上に行かなければ終わりはない」

「頑張れ頑張れ」

 森の精は励まします。

「行こう、後少しだ」

 彼らは互いに励まし合いながら山の上を目指します。

 その先に何があるか、誰もわからないにもかかわらず。

 こうして、彼らは激しい風の道を抜けて頂上へと到達しました。

 そこは視界が開けており、この国全体が一望できます。

「私たちの国はこんなにも広かったのか」

482: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:11:07.02 ID:jZCNcaZMo

 森の精は言いました。

「素敵な場所です」

 花の精も興奮気味に言います。

「でも色がないよ」

 と、蝶の精は言いました。

 確かに、蝶の精の言うとおり、高いところから見てもその世界は灰色のままでした。

 長く続く戦争と自然災害によって荒廃した土地は、完全に色を失っていたのです。

「あれは」

 しかしその時、旅人はある光を見つけました。

 色のない世界で輝く光。

「色は光から生まれると聞いたことがある。あそこに行けば、色が見えるかもしれない」

「本当ですか?」

 旅人の傍に駆け寄った花の精は聞きました。

「色が見えるの?」

 と蝶の精も元気を取り戻します。

「行こう、行ってみよう」

 森の精も言いました。

 こうして、旅人が見つけた光を頼りに彼らはその場所へと行ってみることにしました。





   * 
 

483: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:12:03.07 ID:jZCNcaZMo



 長い長い道のりを旅人と妖精たちは光を目指して歩きました。

 そして、道のりも半分を過ぎたところで彼は心配になります。

 厳しい旅の中で、花の精は花びらを散らし、蝶の精は羽根を傷つけ、そして森の精は

持っていた多くの葉を落としてしまっていたのです。

 日に日に元気を無くしていく妖精たちに、旅人は言いました。

「もうこれ以上歩くのは無理だ。お前たちはここで休んでいるといい。

色は、私が見つけてこよう」

 しかし花の精は言いました。

「ここまで来たのですから、最後まで見届けたいと思います。旅の人、どうか気になさらず、

進んでください」

 花の精の熱意に負けた旅人は、妖精たちを連れて歩き続けます。

 そして、彼らはついに目的の場所へと到着ました。


 そこには大きな湖があります。

 森の泉の何倍もある大きな湖です。

 しかし、

「ここに色なんて無いじゃないか」

 と森の精は言いました。

 確かに森の精の言うとおり、その場に色はありません。

 他の場所と同じように灰色の世界が広がっているだけです。

484: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:12:30.02 ID:jZCNcaZMo

「もう疲れた」

 そう言って項垂れた蝶の精は湖の湖面を見つめました。

 すると、

「花の精! 花の精!」

 蝶の精が呼びます。

「どうしました、蝶の精」

 蝶の精に呼ばれた花の精がそこに駆け寄ると、

「これは」

 なんと、湖に映る自分たちは、見たこともない色をしているのです。
 
「これはどういうことでしょう」

 生まれて初めて見る奇妙な姿に驚く妖精たち。

「これが色だ」

 と旅人は答えます。

「色?」

 初めて見た色に、妖精たちは戸惑いを隠せません。

「しかしどうして、湖に色が映るのだろう」

 旅人がそう言うと、

「それがあなたたちの本当の姿だからです」

 どこからともなく声が聞こえてきました。

485: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:13:01.30 ID:jZCNcaZMo

「誰だ」

 と、旅人が言うと、湖の中央に美しい妖精が現れました。

「泉の精? いや、違う」

 森の泉の精に似ているけれど、彼女の姿は灰色ではなく純白の光に包まれていたのです。

「私はこの湖を守る、湖の精です」

 湖の精はそう自己紹介をしました。

「なぜこの湖には色が映るのか」

 旅人はそう質問した。

 すると湖の精は答えます。

「色がうつっているわけではありません。色が見えるのです」

「色が見える?」

 旅人にはよく意味がわかりませんでした。

「この世の色というものは、そこにあるものではなく、そう見えるものなのです。

この国に色が無いというのは、色を見ようとしないからなのです」

「色を見ない?」

「この国では戦争、疫病、そして自然災害によって行くとし生けるものすべてが希望を

失ってしまいました。やがて、荒廃した心は色を見る気持ちを失ってしまったのです」

「つまりあれか? この国に色が無いのは、色が無くなったわけではなく、色があっても

それを見ようとしなくなったと」

「その通り。しかし、あの子たちは旅をすることで希望を見つけ、そして色を取り戻したようです」

486: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:14:35.42 ID:jZCNcaZMo

 その時、

「旅人さん」

 旅人を呼ぶ声が聞こえました。

「な」

 彼が驚いたのも無理はありません。

 そこには、鮮やかな赤い花びらを持った花の精がいたからなのです。

「旅の人」

 そして、黄色い羽根を持った蝶の精、そして緑色の葉を持った森の精も出てきました。

 旅人は言います。

「私はここで悟った。この国に色がないと思い込んでいただけだと。色はあったのだ」

 次の瞬間、彼の周囲がまるで壁が剥がれ落ちるように崩れて行き、そして花の溢れた森が

姿を現しました。

 湖は空の色に染まり、穏やかな風が吹く。

 花が、多くの花が咲いていたのです。

「キレイですね」

 いつの間にか旅人の傍に来た花の精がそう言いました。

487: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:16:30.59 ID:jZCNcaZMo

「キレイだな」

 と旅人は言いました。

「ありがとうございます、旅の人。おかげで色を見ることができました」

 花の精はそう礼を言います。

「私は何もしていない。色を見るのは自分自身だ」

「あなたがいなければ、色を見ることもなく消えて行ったでしょう。辛いこともありましたが、

動き出して良かったと思います」

 花の精はそう言うと笑顔を見せました。

「私も良いものを見せてもらった。ありがとう」

 そう言って、旅人は右手を差し出します。

「ありがとう」

 再び礼を言った花の精は旅人の手を握り、いつの間にか消えてしまいました。

「……」

 先ほどまでうるさいくらいはしゃぎ回っていた蝶の精や森の精も消え、

そこには旅人一人が残されます。

 気が付くと彼の手には、一輪の赤い花が握られていました。

 小さな小さな、赤い花でした。




  終わり

488: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/30(月) 21:17:30.13 ID:jZCNcaZMo



   キャスト

 旅 人:播磨拳児

 花の精:山口如月

 蝶の精:野田ミキ

 森の精:友兼

 風の精:今鳥恭介

 泉の精:大道雅

 湖の精:大道雅(二役)

 ナレーター:砺波順子


   スタッフ

 背景総指揮:大道雅

 脚本:大塚舞、響大鉄

 背景作画:冬木武一、菅柳平、梅津茂雄、他

 背景特別協力:外間巧真(教員)

 衣装デザイン:野田ミキ

 衣装製作:野崎奈美子、マリアンヌ・ファン・ティエネン

 メイク:吉川まりや、野崎奈美子

 衣装特別協力:宇佐美真由美(教員)
 
 照明:城戸円、鬼怒川綾乃、永山朱鷺

音響:三原梢

 小道具:石山広明、寄留野かおり

 小道具特別協力:芦原ちかこ(GA三年)

 スチール:冬木武一

 大道具アシスタント:GA一年全員



  総合演出:響 大鉄

496: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:24:13.92 ID:Ro7TKuT+o



 


   第二十二話 彩井祭(後編)
 

497: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:25:00.17 ID:Ro7TKuT+o


 【文化祭といえば】


「あの演出凄かったよね」

「背景の絵は大道さんが描いたんでしょう?」

「デザインだけ? でもすごく上手かったよ。ほんの少ししか出てなかったのが惜しいくらい」

「衣装も可愛かったよねえ」

 播磨たちGA一年の演劇は概ね好評のうちに終わることができた。

 しかし、文化祭はまだ終わりではない。

「さて……」

 舞台を終えたGAの生徒たちには、少しだけ余裕ができた。

 連日の準備で疲労困憊状態だった播磨だが、ここでとある決意をする。

(漫画とかだと、主人公が好きな女の子と一緒に文化祭を見て回るというシチュエーションが
よくあるな。よし、俺もノダちゃんを誘う)

 播磨は胸の中を下心でパンパンに満たしながらノダミキの元へと向かう。

 しかし、そう話がうまく行くはずもなかった。

「ノダちゃんならお友達と行くところがあるって言ってたよ」

「なん……だと……?」

 播磨の計画はのっけから躓くことになる。

(くそ、ノダちゃんのいない文化祭に何の意味があるというのか。だったらどっかで
寝ていようか)

498: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:25:48.80 ID:Ro7TKuT+o
 そう思った瞬間背中に衝撃が走る。

「ハリケン!」

「ぐほあっ」

「だ、大丈夫ですか播磨さん」

 背中をさすりながら振り返ると、トモカネとキサラギがいた。

「くそ、トモカネ! 何しやがる」

「湿気た面してんじゃねえよ。文化祭だぞ。彩井祭。楽しまなきゃな」

 舞台の緊張感から解放されたトモカネの表情はさわやかだ。

「んなもん、勝手に楽しんで来いよ」

「ったく、ノリ悪いなあ。そんなんじゃ女にモテねえぞ」

「大きなお世話だ」

「そうですよトモカネさん。例え女の人にモテなくても、人の価値はそれだけで
決まるものではありません」

「山口、何気にお前ェも酷いな」

「え? そうですか?」

「そんなことよりさ、他の出し物見て回ろうぜ」

「だから勝手に行けよ」

「俺じゃねえよ。キサラギが見たいものがあるって言うんだ」

 そう言ってトモカネはキサラギの方を見た。

「山口が?」

「あの、美術部の展示なんですけど、私の幼馴染も関わっているんで」

「そうなのか。でも何で俺が」

「それがさあ、美術部に出し物ってのが――」

「ん?」




   *

499: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:26:25.50 ID:Ro7TKuT+o

 【要注意】


 いや、文化祭では定番だとは思うが美術部がやるか普通。

「ウチのクラスの冬木も美術部なんだぜ」

 トモカネは得意気に言った。

「そうなのか」

「あとさ、今回の美術部の展示にはウチの兄キも関わっているらしくてさ」

「兄キ? ああ、あいつか」

「そ。身体弱いけど、工作とかは好きだから、美術部の手伝いをしたんだと」

「なるほど」

 だからトモカネも行きたいと言い出したのか。

 播磨は少しだけ納得する。

 しばらく歩くと、美術部が活動しているという第二美術室へ到着した。

 確かにあの場所には古い備品などが積み上げられた部屋があって、
普段からお化け屋敷っぽいところはあるのだが。

「すげェなあ、コレ」

「本当だ。大盛況だ」

 入口の前には長い行列ができている。

 普通、お化け屋敷ごときに、それも高校の文化祭のお化け屋敷にこんな行列が
できるだろうか。

「いやあ、楽しみだぜ」

500: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:27:02.16 ID:Ro7TKuT+o

 そわそらしながら身体を揺らすトモカネ。

 まるで小学生だ。

「うう……」

 そしてキサラギはそんなトモカネの後ろへしがみつくようにしていた。

「山口。怖いなら無理しなくてもいいんだぞ」

「ああいや、だだ大丈夫です。どうせつつつ作り物ですから」

(声震えてるじゃねェか)

 キサラギはお化けや幽霊などの類が苦手である。それはGA合宿の時によくわかっていた。

「大丈夫だぜキサラギ。何があっても守ってやるから」

 そう言って胸を張るトモカネ。

「播磨が」

「俺かよ!」

「うう……」

 しかしキサラギは顔を伏せていたので、聞いていたのかよくわからない。

「さあ、早く順番こないかなあ」

 と、トモカネが言っていると、播磨はある張り紙を見つける。

「おいトモカネ」

501: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:27:54.01 ID:Ro7TKuT+o

「ああ? なんだよ播磨」 

「これ」

 播磨は紙を指さした。

 そこには、

〈以下の生徒は入場をご遠慮ください



     GA1年 友兼

                美術部一同〉

「どーゆーことだあ!?」

「そういえば以前トモカネさん、美術部の備品を破壊したことがありましたね」

 と、キサラギは言った。

「お前ェ、そんなことを」

「あれは事故だあ!」

 結局、トモカネはお化け屋敷への入場が許されず、播磨とキサラギの二人だけが
入ることとなった。



   *

502: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:28:47.84 ID:Ro7TKuT+o

 【ダメージ】


 時間は少し進み、文化祭終了後の美術部である。

「いやー今日は大盛況やなあ!」

 ジュースの入った紙コップを持った美術部部長、芦原ちかこは上機嫌であった。

 彼女たちは歴代の美術部員たちが残していった膨大なガラクタ、もとい、特殊な
作品を利用したお化け屋敷を作ったのだ。

 お化け屋敷は好評で、多くの見学者が訪れた。

「くそ、模試の勉強で疲れてんのにコキ使いやがって」

 芦原と同じ三年の魚住はぶつくさ言いながらスポーツドリンクを持つ。

 彼もお化け役としてその日一日中働いていた。

「何言うてんの、最後のご奉公やないの。それに、勉強で鈍った身体を動かすには調度ええ」

「準備も手伝っただろうが」

「あかんよ、美術部員としては本番もちゃんと迎えんと。いい思い出になったやろ」

「色々言いつつ、ちゃんとあーさんを手伝ってくれる魚住くんはいい子よね」

 手伝いに来た芦原の親友、水渕(ぶちさん)はそう言って笑う。

「いやー、しかしこんだけ受ける理由ゆうたら、新入部員の友兼くんのおかげかな」

「いえ、僕はそこまでしていませんけど」

 芦原の視線の先には、いかにも生命力が弱そうな男子生徒がいた。

503: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:29:20.09 ID:Ro7TKuT+o

 彼の名は友兼。GAの二年生で、一年には一つしたの妹もいるらしい。

 二年生だが今年入部してきた新入部員である。

「友兼くんは、GAだけあってなんや化け物とか作るの上手いよなあ」

「あーさん、あなたもGAでしょう、一応」と、水渕はツッコミを入れる。

「いやしかし、こんだけ人が多いってことは、やっぱり宣伝の力は偉大や」

「そうですね。確か、水渕先輩が宣伝をしてくださったのでしょう?」

 と、友兼は聞く。

「ええ、まあ」

「どんな風に宣伝したんですか?」

「ああ、それウチも気になるわ」

 芦原はそう言って身を乗り出す。

「いえ、ちょっとした噂を流したのよ」

「噂?」

「そ、美術部のお化け屋敷に男女で行くと、その仲が良くなるという」

「は?」

504: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:29:51.11 ID:Ro7TKuT+o

「あくまで噂としてね。本当に仲が良くなるかは、本人次第だけど」

「ぶちさん何言うとんの。おぬしもワルよのおー」

 芦原はノリノリだ。 

「ま、恐怖状態ってのは心拍数が上がるから、まんざら嘘でもないかもな」

 そう言ったのは魚住であった。

「確かジェットコースターなどの絶叫マシンでも同じことが言えますね。つり橋効果とかいう」

 友兼も続ける。

「訪問者にカップルが多いと思うたら、そんな裏事情があったんかあ」

 芦原は関心したように歩き回る。

 すると、一年生三人の姿が目に入った。

「ああー、カップルばっか」

「幸せそうだったなあ」

 恋人のいない冬木と奈良は明らかに落ち込んでいるようだ。

「お前たち、修行が足らんダス」

 そんな彼らを、西本は窘めるのであった。




   *

505: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:30:43.35 ID:Ro7TKuT+o


 【クラスメイト】


 時間を戻そう。

 トモカネが入場禁止にされていたため、お化け屋敷は播磨とキサラギの二人で
入ることになった。

「……」

 もうすぐ順番が回ってくるのだが、明らかにキサラギの元気がない。

「なあ山口。嫌だったら別に入んなくてもいいんだぞ」

 播磨は気をつかって言ってみた。

「い、いえ。大丈夫です」

 明らかに無理をしているのがわかるのだが、キサラギは背筋を伸ばす。

「折角美術部の人が頑張って作ったお化け屋敷ですので、しっかり見て回ろうと思います。
何か参考になるものがあるかもしれませんし」

「そうか」

 播磨は其れ以上は何も言うまいと思った。

 自分たちの順番が来ると、受付に見知った顔が座っていた。

「お前ェは確か」

「やあ、播磨くん。お元気ですか」

「兄貴か」

「え? 播磨さんのお兄さんですか?」

 キサラギはそう言って驚く。

506: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:32:14.17 ID:Ro7TKuT+o

「俺のじゃねェよ」

「はは。僕は友兼です。妹が君たちと同じクラスだと思うけど」

「トモカネさんのお兄さんだったんですか? 初めまして、トモカネさんのクラスメイトの
山口如月です」

「どうも」

「トモカネさんのお兄さんですか。ははーん」

 キサラギは関心したように、彼の顔をまじまじと観察していた。

「お前ェ、美術部に入ったんだな」

 と、播磨は友兼(兄)に言う。

「うん。色々とやってみようと思ってね。でも運動はキツイから、文化系で」

「なるほどな、そりゃいいかもしれねェ」

「ところで播磨くん」

「あン?」

「そちらのお嬢さんは、キミのカノジョかい?」

「ええ!!?」

 播磨よりも先に驚くキサラギ。

「いや、違う違う。ただのクラスメイトだから。ただのクラスメイト」

 播磨は念を押すように否定した。

「ああ、そうなんだ。仲が良さそうだったから」

「ただのクラスメイト。そうですよね、ハハ……」

 キサラギは遠い目をしてブツブツつぶやいていた。

「それより、もう入っていいんじゃねェの?」

「あー、そうだね。じゃ、お二人様ご案内ということで」

 そう言って暗幕の張られた第二美術室へと案内した。




   *

507: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:33:00.25 ID:Ro7TKuT+o


 【荒ぶるキサラギ】

 お化け屋敷、ということもあって中は暗い。

 どうやら雰囲気を出すために入場を制限しているらしく、中に人は見えなかった。

「山口、大丈夫か」

「平気です」

「何怒ってんだよ」

「怒ってません」

 そう言ってキサラギはずんずんと前に進むが、

「ふぎゃあっ!」

 何かに引っかかって転んでしまったらしい。

「おい、大丈夫か山口」

「イテテテ、すみません」

 謝りながら起き上がるキサラギの目の前に、ヌーッと巨大な怪物の顔が現れた。

「ひゃああああああああ!!!」

 大きい顔の周りには木の車輪と炎を模した絵が描かれている。おそらくこれは火車だ。

 またマニアックな妖怪を作ったな、と播磨は関心する。

「立てるか山口」

「は、はい」

 先ほどまでの強気な態度は一瞬で消え失せ、キサラギは播磨にしがみついていた。

508: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:33:45.85 ID:Ro7TKuT+o

「落ち着け山口、作り物だ。おっ」

「な、何ですか。ひゃあっ!」

 一瞬理科室の人体模型かと思ったが、よく見ると表面が“ただれて”いる。

 いわゆるゾンビであった。

 しかも動いている。

 中に人が入っている、というわけでもなさそうだ。

 そういう仕掛けのようである。

 別に怖くはないが、夜中に自分の部屋にこれがあると眠れそうにない。

「あひゃああああ!!」

「落ち着け山口! 作り物なんだからよ」

「気持ち悪いです!」

「ほら、こっちは普通の絵だぞ」

「目があ! 目が光ったああ!」

「ん? なんだ豆電球じゃねェか。もう少し努力しろよ」

「ひゃわわわ……」

 生まれたての仔馬のようにぶるぶると震えるキサラギ。

 ここまで驚いてくれたら作ったやつも嬉しいだろうなと播磨は思う。

「血をよこせえええ!」

509: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:34:11.95 ID:Ro7TKuT+o

 今度は黒いマントをまとったドラキュラが現れた。

「きゃあああ!!」

 叫び声をあげたキサラギを強く目をつぶって播磨にしがみつく。

「おい、目を開けてねェとまた転ぶぞ」

「そ、そんなこと言ったってえええ」

 頑なに目を閉じるキサラギの首筋に、糸に吊るされた物体が。

「ひゃああ!」

 こんにゃくだ。

 こんな古典的な仕掛けもあるのか。

(にしても、ドラキュラにゾンビに火車に、あれはキョンシーか。和洋中の妖怪や怪物が
入り乱れてまとまりがねェな)

 播磨がそんなことを思っていると、彼にしがみついていたキサラギは、

「もう帰ります」

 と、涙目で言った。

「おいバカ。今戻ったら」

「もう進めません。帰ります!!」

 キサラギはそう言って、見学コースを逆走し始めた。

 そして、

「ふにゃ!」

510: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:34:43.70 ID:Ro7TKuT+o

「おっと」

 どうやら、後から来た見学者とぶつかったようだ。

「す、すいませ――」

 しかし、ぶつかった相手の顔を見たキサラギは、

「きゃああああああああああああ!!!」

「お、おお……。山口さん?」

 大声で叫ぶキサラギ。

 彼女がぶつかった相手は、

「おお、大鉄」

「播磨か?」

 お化けではなくクラスメイトの響大鉄だ。

 暗がりで見た巨体の大鉄は、確かに不気味だと思う播磨であった。



   * 

511: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:35:26.51 ID:Ro7TKuT+o


 【臨 時】


 何とかお化け屋敷を“脱出”したキサラギだが、叫び過ぎたためか
憔悴しきっていたので、保健室で休ませることにした。

「大丈夫か、山口さんは」

 大鉄が心配そうに聞いてくる。

「ああ、しばらく寝てれば問題ねェ」

 そう言って播磨は保健室を離れるのだが、

「お、ここにいたかハリケン」

 先ほどお化け屋敷の入場を拒否されたトモカネが声をかけてきた。

「トモカネか、どこ行ってたんだ」

「ちょっとな。キサラギはどうした?」

「保健室で休んでる」

「んあ? 何かあったのか」

「ちょっとお化け屋敷でハッスルし過ぎただけだ。問題ねェ」

「そうか。後で様子を見に行くか」

「今行けよ」

「それより、ちょっと来てくれよ。面白いもの見れるぜ」

「あン?」

 トモカネはそう言うと播磨の手をグイグイと引っ張った。

512: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:36:53.46 ID:Ro7TKuT+o

「どうしたんだよ」

「こっちこっち」

 トモカネに案内されたその場所は、賑やかな教室の一つ。

 色々と装飾されていた。

「喫茶店?」

「ほら、一名様ごあんなーい」

「!」

「おかえりなさいませご主人さま」

 フリルの付いたエプロン(エプロンドレスのこと)を着た女子生徒たちが並んで挨拶をする。

 そこは、メイド喫茶であった。

 近年文化祭でも定番になりつつあるメイド喫茶。

 店のメニューよりも店員の服装が注目されるメイド喫茶。

「なンでこんな場所に連れてくるんだよ」

「いいから。お、こっちに来た」

「何が」

 播磨が振り返ると、

「おかえりなさいませ~☆」

「な!!」

513: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:37:42.99 ID:Ro7TKuT+o

 メイド、それもちょっと変わった色合いのメイド服を着た、

「ノダ……」

「どうかな? はりまっち」

 ノダミキであった。

「くっ……」

 播磨は口元を抑える。

(これは凄い戦闘力だ。ポテンシャルが計り知れねえ)

 播磨は心の中で欲望が暴れ回るのを感じた。

 別に彼はメイドなどには興味はない。

 しかしそれがノダミキとなれば話は別だ。

「ノダ、その格好は」

「うふふ。いいでしょう。実は私がデザインしたんだよ、この衣装」

 そう言うとノダミキはクルリと回る。

「なに? お前ェそんなことまで」

 彼女は演劇で使う衣装もデザインしていた。

 本気を出すと、雅(キョージュ)以上の才能を発揮する、という噂はまんざら嘘でもなさそうだ。

 しかし気分屋なので、なかなかその才能が学校の成績やコンクールの入賞に繋がらない。

「ささ、座って座って」

514: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:38:48.93 ID:Ro7TKuT+o

「ああそうだ。俺、大鉄くんも呼んでくるから」

「おい、トモカネ」

「じゃあ、楽しんどけよ」

 そう言うとトモカネはどこかへ行ってしまった。

「ほら、こちらこちら」

「……」

 播磨は一つの席に座らされた。テーブルは授業用の机を組み合わせ、
その上にテーブルクロスをかけたものだ。

 実に文化祭らしい。

「しかし大盛況じゃねェか」

 よく見ると店の人は多い。

 廊下にも並んでいる生徒がいるようだった。
  
「演劇で頑張ったはりまっちに、プレゼントだよ」

(ああ、ノダちゃん可愛いなあ)

 播磨はそう思ったが、これを言葉にして伝える必要があると感じた。

「の、ノダ。その衣装……」

 しかし播磨が言葉を発しようとしたその時、

「ん? あ、もう準備できたみたいだね」

「は?」

「じゃあね、はりまっち」

515: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:39:39.31 ID:Ro7TKuT+o

「お、おい」

 裏に引っ込むノダミキ。

(こんなところに一人取り残されて、俺がバカみたいじゃねェかよ)

 周囲を見ると、他校からの生徒や一般の人も多いようだ。

 確かにこの店の制服の可愛らしさは筆舌に尽くしがたい。

 ただ、播磨にはノダミキの可愛さしか頭になかった。

(くそ、早くノダちゃん来てくれねェかな)

 そんなことを思い、少しイライラしてくると、

「お、お待たせしました」

 声が若干震えている女子生徒が紙コップに入った水を差し出す。

(誰だ?)

 そう思い顔を上げると。

「野崎……」

「う、うるさい。あんまり見るな!」

 野崎奈美子であった。

「お前ェ、何やってんだ」

「手伝いだよ手伝い。演劇の時に衣装で協力してもらったからな」

「ほう」

「だからあんま見るなって!」

516: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:40:21.88 ID:Ro7TKuT+o

「お前ェの服、ちょっとデザインが違うくないか」

「ノダのやつが細工しやがったんだよ」

「なるほど」

 ナミコの服は、胸の辺りがかなり強調されているデザインになっていた。

「しかもスカート短いし」

 恥ずかしがるナミコ。

 しかし客(男子生徒)には好評のようだ。

「うおおおお!! 野崎さんスゲー!」

「最高! 胸もいいけど足も(・∀・)イイ!」

「ヤバいよヤバいよ。これはヤバい」

「ぐっ、男子高校生には刺激が強すぎる……」

「タダクニ! しっかりしろタダクニ!」

 ナミコの登場で店内のボルテージは一気に上がったようだ。

「きゃあ、ナミコさん素敵」

「ノザキナミコ、やるわね」

「お姉さま?」

 女子生徒にも人気のようだ。

「お前ェすげえな」

「好きでこんな格好してるわけじゃないからな! そんなことよりもさっさと注文」

517: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:41:05.71 ID:Ro7TKuT+o

「ん? ああ」

 播磨は机の上に置いてあるメニューに手を取る。

 しかし、

「お待たせしましたー!」

 注文を言う前にノダミキが何かを運んでくる。

「おい野田。俺はまだ何も頼んでねェぞ」

「サービスだよはりまっち」

「あン?」

 ノダが持ってきたそれは、他のメニューとは明らかに違うものだ。

 丸っこいガラスのコップで、縁にフルーツが添えられており、何よりストローが二本。

「なんで二本?」

「お箸の国ですから」

「いやいやいや」

「ほら、ナミコさんも座って」

「え? なんであたしが」

 播磨とナミコは向い合せに座ることになる。

「何がどうなってるんだよ」

「こいつはこの店のスペシャルジュース、これを飲んだら二人の仲も最高潮」

 ノダミキは親指を立てた。

「おい、ちょっとまてノダ」

518: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:42:26.46 ID:Ro7TKuT+o

 この様子を見ていた外野が騒ぎはじめた。

「うおおお!!」

「何だあいつは」

「播磨が野崎さんの付き合っている相手なのか」

「勝手なことをするな」

「またまたナミコさんったら。これくらいしないと何もしないんだから~」

「何もしないって、どういうことだよ」

「本当にもう」

 ノダミキが戸惑うナミコを見ながらニヤニヤしていると、外野から一人の生徒が飛び込んできた。

「ナミちーん! 俺と一緒に飲もうよ!」

「うわ、今鳥?」

 今鳥恭介(Dハンター)だ。

「ああー、いいところで邪魔しないでよ今鳥くん」迷惑そうにノダミキが言う。

「酷いよナミちん、俺という者がありながら播磨なんかと」

「うるせえ! あっち行け」

「あーあ」

 播磨はナミコと今鳥がドタバタやっているスキに、喫茶店から逃亡することにした。

 本当はノダミキをもっと見ていたかったのだが、これ以上騒ぎに巻き込まれるのは、
疲れた播磨にとっては本意ではなかった。




   *

519: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:43:05.22 ID:Ro7TKuT+o


 
 【ベンチ】


 喫茶店のドタバタから逃げ出した播磨は、校内のベンチに座り込む。

 目の前には着ぐるみを着た生徒がヘリウムガスの入った風船を子供たちに渡している。

「しかし疲れた」

 落ち着いたところで、どっと疲れが出てしまったようだ。

 そんな彼に人影が近づく。

「誰だ?」

「播磨殿」

 顔を上げると、長い黒髪の女子生徒、大道雅が立っていた。

「おお、大道か。どうした」

「展示品のことで少し」

「ああ、お前ェはここいらじゃ一番の注目株だからな」

 彼女は県内外の教育関係者だけでなく、プロの画家からも注目されている、
という噂すらあるのだ。それほど彼女の実力は突出しているものがある。

「別にそれほどのことではない」

 しかし、雅自身はとりわけそれを意識しているようにも見えない。

「隣、座っていいだろうか」

「ん? ああ」

 播磨はそう言うと、ベンチの真ん中から少し左に寄った。

520: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:43:34.49 ID:Ro7TKuT+o

「疲れているように見えるが」

「ん? まあ少し」

「無理もない。播磨殿はよく頑張った」

「あんま柄じゃねェけどな」

「そうか」

「……」

「……」

 静かだった。

 いや、違う。

 周りはお祭り騒ぎでやかましいはずなのだが、なぜか播磨と雅のいる空間は、
とても静かに感じた。

 そしていつの間にか、本当に音が聞こえなくなっていた。



   *

521: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:44:04.10 ID:Ro7TKuT+o


「あ!」

「気が付かれたか」

「ん?」

 周りを見ると日が傾き、片づけをはじめている生徒たちもいる。

 そして隣には、相変わらず雅がいた。 

「大道」

「何か」

「俺、寝てたか」

「うむ」

「どのくらい?」

「二時間ほど」

「しまったあー! せっかくの文化祭が……!」

「……」

「いや待てよ」

「何か?」

「お前ェ、もしかしてずっとここにいたのか」

「……」

 雅は黙ってうなずいた。

「ウソだろ?」

「圧倒的事実」

522: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:44:49.37 ID:Ro7TKuT+o

「いや、別に俺のことなんて気にしなくていいからよ、どっか別の場所に行けば
よかったじゃねェか」

「行きたかったのだが、播磨殿がもたれかかっていたので、動くに動けなかった」

「は?」

「起こすのも悪いと思ったから」

「いやいやいや、そこは起こせよ。迷惑だろうが」

「……別に」

「ん?」

「別に迷惑ではない。播磨殿と一緒にいられたから」

「おい大道。お前ェ――」

「ハリケーン!!!」

 播磨の言葉を遮るように、トモカネの声が響いた。

「あ! キョージュもここにいたのか」

「トモカネ」

「探しましたよ播磨さん」

「山口も一緒か」

 トモカネとキサラギであった。

「クラスの片付けとかあるから、早く来いよ」

「もうそんな時間か。まったく」

523: ◆tUNoJq4Lwk 2012/07/31(火) 20:45:32.59 ID:Ro7TKuT+o

 そう言って立ち上がる播磨。

「あの、播磨さん?」

 キサラギが一歩前に出た。

「どうした山口」

「ここで、何をしてらしたんですか?」

「いや、別に何もしてねェ」

「何もしてない?」

 そう言うと、キサラギは雅のほうを見た。

「確かに、私と播磨殿の間には何もなかった」

「おい大道。妙な言い方すんじゃねェ」

「播磨さん?」

「ここで休んでただけだっつうの」

「おいおい、早くしろよお前ら」

 トモカネが駆け足の動作をしながら急かす。

「わーったよ。行こうぜ大道」

「心得た」

 四人は、少し早足で自分たちのクラスへと向かう。

 高校生活最初の文化祭にしては、実にあっけない幕切れだと思った播磨だが、
決して悪い気分ではなかった。



   つづく

527: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:20:07.10 ID:7MRZSwDxo





   第二十三話 告 白

528: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:20:52.66 ID:7MRZSwDxo
 

 【太平の眠りを覚ます】

 文化祭の興奮が冷めやらぬ中、秋の訪れとともにGAの学校生活も、日常に戻りつつあった。

 そんな中、一つの事件が起こる。

 ペリーの黒船が浦賀に来航した時、幕府要人はどんなことを考えたのか。

 播磨は一瞬だけそう思った。

「ノダミキが告白される?」

 突然の話に混乱する播磨。

「あ、相手は誰だ」

 なぜかこういう話題に一番疎そうなトモカネが食いついていた。

「いやあ、なんでも二年生の人らしいんだけどね。別にまだ告白と決まったわけじゃあ」

「だって、放課後に二人きりで話って、それ以外ありえないだろう」

「大丈夫なんですか、ノタちゃん」

 本人よりもキサラギが焦っている。

「フフフ、とうとう来ちゃったかな、私の時代」

「バカなこと言ってんじゃねえぞ、ノダ」

 そう言ってナミコがノダミキを窘める。

「いやだなあもう、嫉妬はよくないぞナミコさん」

「嫉妬なんてしてねないし」

529: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:21:21.36 ID:7MRZSwDxo

「ああ、ノダが一番のりかー」

「トモカネさん、仮に告白だとしても、付き合うと決まったわけでもありませんし」

「……」

「あれ? どうしたのはりまっち」

 様子のおかしい播磨に声をかけるノダミキ。

「いや、別に何でもねェぞ」

 播磨は努めて冷静に返事をする。

「体調悪いの? 保健室行く? 連れて行ってあげようか? ナミコさんが」

「何であたしがハリマを保健室に連れて行かなきゃならんのだ」

「……」

「それにハリマだったら大丈夫だよ。殺しても死なない男だから」

「うるせェな」

 そう言うと播磨は立ち上がる。

「あれ? どうしたのはりまっち。もうすぐホームルームはじまるよ」

「ちょっと顔洗ってくる。すぐ戻る」

「そうなんだ」

「……」

 播磨はその後、無言で廊下に出ると顔を洗うのだった。




   *

530: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:22:00.25 ID:7MRZSwDxo


 【悩み事】

 言うまでもなく播磨は焦っていた。

 本当ならもっと時間をかけて好感度を上げて行き、告白まで持っていく算段であったはずだ。

 しかし、もしここでどこの馬の骨とも知れない男に告白されて、あまつさえ付き合ってしまったならば、
彼の計画は破綻してしまう。

 好きな女の子を他の男にとられることを喜ぶ、そういう○○の持ち主もこの世にはいるらしいけれど、
播磨はそうではない。

(汚らしい男にノダちゃんが汚されてしまう。そんなことが許されるだろうか、いいや許されない)

 一人で反語を繰り返しながら彼は考えていた。

 ない頭を必死に絞り出して考える。

 そこで彼は、以前ピザ屋でバイトした時にそこで先輩の女子が言ったことを思い出した。


『そうね、友達の娘が言ってた事なんだけど、好きって言われると好きになっちゃうらしいよ』


(くそ、女ってそんなもんなのか)

 言うまでもなく、彼は朝からそんなことばかりずっと考えていたので、授業に身が入らなかった。




   *

531: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:22:44.26 ID:7MRZSwDxo
 

 【教師として】

 朝から様子のおかしい播磨。

 元々あまり授業に熱心なほうではないのだが、今日は其れ以上におかしい。

 何と言うか、心ここに非ずという感じだ。

 播磨の異常に気付いたのは、クラスメイトばかりではなかった。

 GA一年の副担任で絵画担当教員でもある宇佐美真由美は、彼の異常を素早く感じ取っていた。

「ね、ねえ播磨くん」

 授業終了後、宇佐美は恐る恐る播磨に話しかける。

 苦手は克服したとはいえ、いつになく厳しい表情を崩さない播磨に話しかけることは、
彼女でなくても勇気のいることであった。

「なんッスか」

 一応、返事はする播磨。

 だがやはり、授業中と同じく注意がこちらに向かない。

「何か心配ごとでもあるの? 先生で良かったら聞くわ」

 こんな白々しい科白を吐いたところで、拒絶されるのが関の山だ。

 それでも元来お人好しの彼女は聞かずにはいられなかった。

「宇佐美サンはその」

「なに?」

「意識してない相手に好きって言われたら好きになっちまうもんッスかね」

532: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:23:23.66 ID:7MRZSwDxo

「ふえ!?」

 予想外の質問に宇佐美は動揺する。

 動揺せざるを得ない。

(そそそそそ、そんなこと聞かれても)

 自慢ではないが、彼女は今まで男と縁のない生活をしていた。

 そして、

(はっ、こんなことを私に聞くってことは)




『宇佐美センセイ。いや、真由美。俺はお前ェのことが』

『ダメよ播磨くん。私たちは生徒と教師』

『だけど俺、我慢できねェ』

『やめて、先生初めてなの』

『そんな、その年で……』

 突然開くドア。

『宇佐美先生!』

『そ、外間先生!?』

 デザイン担当教師にしてGA担任の外間拓真だ。

『僕というものがありながら、あなたは生徒と』

『ち、違うんです外間先生。これは』

533: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:24:35.26 ID:7MRZSwDxo


「何が違うんッスか」

「ひゃあ!」

 脳内修羅場から一気に現実に引き戻される宇佐美。

「顔、赤いっすけど何か」

「何でもありません。あ……、あと質問の答えですけど」

「はあ」

「相手にもよるんじゃないですかね」

「ほう」

「あまり『いいな』って思わない人に好きと言われてもその」

「やはり顔っすか」

「べ、別にそんな。たしかに外間先生はカッコイイとは思いますけど、それとこれとは」

「ソトマさんがなんッスか?」

「しまった、心の声が」

「……」

「でもまあ、意識する、ということはあるでしょう」

「そうッスね」

「播磨くん」

「失礼します」

 そう言うと、播磨は荷物をまとめて教室へと戻って行った。

(頑張りなさい、青少年)

 そして、何かわからないけれど応援する宇佐美教諭なのであった。


   

   *

534: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:25:43.45 ID:7MRZSwDxo

 【心 配】

 
 言うまでもないけれど、播磨の異変に最初に気づいたのは、宇佐美ではない。

(播磨さんどうしたのでしょう、朝から何だか様子がおかしい)

 同じクラスのキサラギである。

 ずっと考え込んでいるようで、かと思えばイライラしているように思えた。

 授業後に、先生と何か話しこんでいる様子もあったけれど、何を話していたのかは聞いていない。

(ここはやはり聞くべきでしょうか。でも迷惑じゃないかな)

 昼休み、早々に昼食を終えたキサラギは一人で悩んでいた。

 その時である。

「あら、キサちゃん」

「あ、どうも」

 GA三年の水渕(愛称ぶちさん)であった。

「こんなところで会うなんて珍しいわね」

「そうですね」

 場所は学園の中庭である。

「今日は友達と一緒じゃないの?」

「ああいえ、今日は」

「また、悩みごと?」

「え? わかりますか」

535: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:26:17.63 ID:7MRZSwDxo

「そりゃ、長い付き合いだもんね。キサちゃんの考えることくらいわかるわよ」

「……」

「立ち話もなんだし、向こうで座って話そうか」

「はい」

 水渕とキサラギは、中庭のベンチに座って話をする。

 そういえば、こうやって学校で話をするのはキサラギが入学して以来初めてかもしれない。

 学年が違うので、こうして校内で会う機会も少ないのだ。

「あの、少し聞きたいんですけど」

「なに? 答えられる範囲で答えるわよ」

「友達が悩んでいる時に、それを心配するのは普通のことでしょうか」

「そりゃ当たり前じゃない。現に私はあなたのことを心配して、こうやって話をしているんだから」

「そうですよね。でも時々、迷惑じゃないかなって思うことがあるんです」

「……」

「その人にとって、もしそれが余計なお世話だったらって思うと、私」

「キサちゃん」

「はい」

「情けは人のためならず、って言葉は知ってるわよね」

「あの、他人を助けたら回り回って自分が助かるっていう、そういう意味ですよね」

536: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:26:57.51 ID:7MRZSwDxo

「うん、その通り。でもね、そんな回りくどいことでもないと思うの」

「回りくどい、ですか?」

「ええ。自分の仲良しの友達が辛そうにしている、それを見てあなたはどう思う?」

「それは、嫌です」

「その通りね」

「つまりどういうことですか」

「だから、“あなたの辛そうな顔を見るのは嫌”それでもいいと思うの。相手のことを考えたって、
上手くいかないこともあるの。だったら、自分の思う通りにやってみたらどうかなって」

「自分の思うとおり」

「そうよキサちゃん。あなたは人に気を使い過ぎなの。もっと自分を全面に出してごらん」

「でも、私なんかじゃ」

「ほら、そういうところ」

「人は人と関わらずには生きていけない者なんだから、なるべくストレスはためないほうがいいでしょう?」

「はい」

「ぶちさーん、大変やあー」

 遠くから声が聞こえてきた。

「あら、呼び出しみたいね」

「そうなんですか?」

「ええ、友達がまた問題起こしたみたいねえ」

537: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:27:23.31 ID:7MRZSwDxo

「……」

「ま、頑張ってキサちゃん。不安はあるかもしれないけど」

「はい」

「“彼”と上手く行くといいわね」

「え? べ、別に。その、ただのクラスメイトですよ」

 キサラギは友達が男とは一言も言っていない。

「そうだったかしら? じゃあね」

 にもかかわらず、水渕はそう言ってその場を後にした。

 一体彼女はどこまで知っているのだろう。

 よくわからないまま、キサラギは自分の教室へと戻るのだった。



   *

538: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:27:59.09 ID:7MRZSwDxo


 【勇 気】

 キサラギは大きく息を吸い込んでから教室に入る。

 別に教室内が臭いというわけではない。

 そうでもしないと、中に入れそうになかったのだ。

(こんなことをするのは迷惑かもしれない。でも、あなたのそんな顔を見るのは嫌なの)

 キサラギは心の中でそうつぶやく。

 そして、一人の生徒の前に立った。

「あ、あの。播磨さん」

「あン? どうした山口」

 播磨は昼休みにもかかわらず英語の課題をやっていた。

「その……、いい天気、ですね」

「今日曇ってるぞ」

「アハハ」

「なんか様子おかしいぞ、お前ェ」

(様子おかしいのはあなたのほうですよ播磨さん!)

 心の中でムキーッと怒ってみたが、それでは話が進まない。

「播磨さん?」

「なんだよ」

「今日はちょっと、いつもと違う感じがします」

539: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:28:25.81 ID:7MRZSwDxo

「んっ」

 播磨の眉がピクリと動く。

 疑問が確信に変わる瞬間だった。

「別に、何でもねェよ」

「ウソです。なんていうか、落ち着きがないっていうか、その」

「別に何でもねェよ」

 ここでキサラギは考える。

 今日はいつもと違う。

 では何が違うのか。

 今朝起こったことを、頭の中で遡った結果、

「ノダちゃんのことですか?」

「……あン?」

 播磨の動きが止まる。

「そういえば今日、ノダちゃんが二年生の人と会うとか」

「何でもねェよ」

「確か播磨さんもその話を聞いてましたよね」

「何でもねェっつってんだろ!!」

「……!」

 一瞬言葉を荒げる播磨。

540: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:29:07.00 ID:7MRZSwDxo

 怖そうな外見をしている播磨だが、教室内で大声を出したのはこれが初めてのことだった。

 一瞬で静まり返る教室。

 全員がこちらを見ていた。

 そして、播磨のあまりの迫力に、思わず目に涙がたまってしまうキサラギ。

「……悪ィ山口。課題あるから」

 播磨はばつが悪そうに、椅子に座りなおした。

「……ごめんなさい」

 キサラギは一言そう言うと、播磨の席を離れる。

(ノダちゃんの話をした瞬間、スイッチが切り替わったような感じ。もしかして、
播磨さんってノダちゃんのことを……)

  


   * 

541: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:29:53.32 ID:7MRZSwDxo

 【胸騒ぎの放課後(アフタースクール)】


 放課後――

 ついにノダミキが例の二年生と会う。

 今日一日ずっと落ち着かなかった播磨は、どうするか考えた結果、

(決めた! 俺も今日告白する)

 そう決意したのだった。

 確かにまだ心の準備はできていないかもしれない。

 だが、準備をしていたら、そのまま準備だけで終ってしまう可能性だってある。

 だったら玉砕覚悟で、いや、玉砕は嫌だが、それくらいのキモチで前に突き進む
必要性があるだろう。

 そう思った彼の行動は素早かった。

 放課後になったらさっさと身を隠してノダミキの姿を探す。

 これではまるでストーカーだが、今の彼にはそんな意識は微塵もないのである。

 待ち合わせの場所は、学園内でも人気の少ない場所。

 大学の敷地内にあるこの彩井学園は敷地も広く、人目の付かない場所は多くある。

 そのためか、そこで逢引き(デート)をするカップルも少なくない。

 いや、それはともかく事前に待ち合わせ場所の広場の位置を察知した播磨は、
待ち伏せしようと動く。

 しかし、ことはそう上手くは進まなかった。

「あ、ハリマ」

542: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:30:34.70 ID:7MRZSwDxo

「野崎か」

「ちょっと頼みがあるんだけど」

「今忙しい」

「何言ってんだ。暇そうじゃんか」

「あンだよ」

「宇佐美先生から荷物運ぶの手伝ってって言われたんだ。ちょっとあたし一人だと
キツイから、手伝ってくれよ」

「悪いが他をあたってくれ」

 そう言って通り過ぎようとしたが、奥襟を掴まれる。

「すぐ終わるからさ、頼むよ」

「だから今忙しいっつってんでだろ」

「二人でやればすぐ終わるって。頼むよ。ってか何急いでるんだ? 
これから帰るってわけでもなさそうだし」

 播磨は思った。

(まずいな。確かコイツはノダちゃんが今日、告白されることを知っている。ここで俺が
怪しい行動をとれば、俺の告白ぶち壊し作戦がぶち壊されてしまうかもしれねェ)

「わかったよ、手伝ってやる」

「うは。頼もしいねえ。じゃあ、こっちの教室なんだけど」

「早くしろよ」

「わかったわかった」




   *

543: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:32:36.07 ID:7MRZSwDxo

 【ちょっと待った】


 思わぬところで足止めを食らった播磨は、急いで約束の場所へと向かう。

(くそ、野崎のヤツ。すぐ終わるとか言いながら多すぎだろう。なんでキャンバスを
あんだけ持って行かなきゃならんのだ)

 近くに行くと、彼はバレないようにその場に隠れて現場の様子を伺う。

 そこには、見たこともない男子生徒が立っていた。

 恐らく、あれが告白しようとしている生徒だろう。

(あれ? まだノダちゃんは来ていない。もうこんな時間なのに。いや、むしろ好都合か)

 ここであの男をボコボコにしてしまうのも一つの手だ。

 そして気絶させた後に茂みに隠して、そいつの代わりに自分が待っている。


『あれ? はりまっち、なんでここにいるの?』

『野田、いや。ミキ。俺はお前ェのことが』

『拳児くん。実は私もあなたのことが――』


(そンな風に上手く行くはずがねェだろう)

 漫画じゃないんだから、短時間で人を気絶させてそれを草の中に隠すなんてことはできそうにない。

 割と現実的な考えの播磨。

 しかしその一方で彼は、自分の告白が上手く行かないとは微塵も考えてはいなかった。

(ここはヤナギサワ・シンゴじゃねェが、告白途中に割り込むしかねェ。あのチャラい二年生には悪いが、
俺の告白のための当て馬になってもらう)

 そんな黒いことを考えながら播磨は待つ。

 しばらくすると、人の気配を感じた。

544: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:33:03.46 ID:7MRZSwDxo

(ついに来たか!)

 播磨は思った。

 胸がドキドキする。

 こんなに緊張したのはいつ以来だろうか。

 文化祭の演劇ですら、そんなに緊張しなかったというのに。

「お待たせしてしまってごめんなさい」

「いや、いいんですよ。こっちが勝手に呼び出したんだから」

 と、男子生徒の声が聞こえた。

 播磨はタイミングを見計らう。

「その、話っていうのは」

「ええ、実は――」

(ここだ!)

 そう思った播磨は一気に飛び出した。

「ちょっと待ったあ!」

「うえ!?」

 男子生徒は驚く。

 しかし播磨はそんなことを気にしている暇はなかった。

「ノダア!! 俺はお前ェのことが好きなんだ!!」

 播磨拳児、一世一代の大告白の瞬間である。




   *

545: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:33:42.49 ID:7MRZSwDxo


   【心 配】


 放課後、ノダミキが例の二年生と会っている間、キサラギたちは教室で待っていた。

「大丈夫でしょうか」

 不安そうにつぶやくキサラギ。

「大丈夫だよ、ノダの奴はああ見えてしっかりしてるから」

 と、雅(キョージュ)と花札をやりながらトモカネは言った。

「うげ、また負けた。キョージュ、花札強すぎだぜ」

「いえ、そのこともあるんですけど……」

 キサラギにはもう一つ心配事があったのだ。

「あれ? まだ皆帰ってなかったの?」

 と、日直だったナミコが教室にもどってくる。

「ノダミキの告白の結果を聞くために残ってたんだよ」

 と、トモカネは言った。

「まったく、皆物好きだねえアンタら」

 ナミコはそう言いながら荷物をまとめていた。

「そう言うナミコさんだって気になるだろう?」 

 と、トモカネ。

「そりゃ、確かに気になるけど。あれ?」

 ふと、ナミコが何かに気が付いた。

「どうした」

「ああいや、まだハリマのやつ帰ってなかったんだと思って」

546: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:34:08.71 ID:7MRZSwDxo

「ハリケン?」

「は、播磨さんのこと見たんですか?」

 キサラギが身を乗り出して聞いた。

「どうしたんだよキサラギ」

「あ、いや。ちょっと」

「先生に頼まれごとをされたんだけど、それを手伝ってもらったんだよ。
なんか急いでいるようだったから、もう帰ったかと思ったけど。まだ学校内にいるんだな」

(播磨さん)

 キサラギの不安が高まる。

(もしかして、ノダちゃんの告白を邪魔するとか)

 ふと、そんな予感が頭をよぎる。

「おいキサラギ。どこ行くんだ?」

「ちょっと気になることがあるんで」

 そう言ってキサラギは教室を出ようとすると、

「やっほー皆。まだ帰ってなかったの?」

「え?」

 ノダミキが戻ってきた。

547: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:35:22.47 ID:7MRZSwDxo

「ノダちゃん、大丈夫ですか?」

 思わずノダミキの肩を抱いて問いかけるキサラギ。

「ん? 大丈夫だよ」

「なあノダ、ハリマ見なかったか?」

 と、キサラギが気になることを聞いたのはナミコであった。

「え? はりまっち? 見てないよ。もう帰ったんじゃないの?」

「いや、それは……」

 キサラギが口ごもっていると、

「それよりノダ。告白の件はどうなったんだよ。付き合うことにしたのか?」

 キサラギを押しのける様にしてトモカネがノダミキに聞く。

「いやあ、私も最初はちょっと期待したんだけどね、実は――」





   *

548: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:36:02.34 ID:7MRZSwDxo


 【勘違い】


「勘違いねえ」頬杖をつきながらナミコは言う。

「そうなの。その人わたしとお姉ちゃんを間違えて呼び出したんだよ。びっくりしちゃうよね」

 と、ノダミキは言った。

 今日も彼女は元気だ。

「ノダミキの姉ちゃんって美人なの?」

「うん。私から見てもキレイだよ。モデルのスカウトもされたとか」

「妹はこんなチンチクリンなのにな」

「ちっちゃくないよ。これから大きくなるんだから。ナミコさんみたいに」

「どこ見て言ってんだよもう」

 翌日の教室。ノダミキとナミコは、昨日の告白騒動のことを話していた。

 しかし、クラスの噂話の主役は“そこ”ではない。

「播磨のやつ、ノダの姉ちゃんに告白して振られたらしいぜ」

「うそお。播磨くんって、ああいうのが好みだったんだ」

「いや、でもノダの姉さんって凄く美人らしいし」

「意外と面食い?」

 自分に関する話があちらこちらでささやかれている状態にも関わらず、当の播磨は
真っ白な状態で机に突っ伏していた。

「……」

549: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:36:42.85 ID:7MRZSwDxo

「ほらほら、元気を出してよはりまっち」

 そんな播磨を励ますノダミキ。

 播磨にとって今はその優しさが二重の意味で痛かった。

「……」

「お姉ちゃんもさ、まだお互い何も知らない状態だから、お友達から始めましょうって
言ってるよ。ほら、完全に脈がないわけでもないし」

(違うんだ)

「え、何?」

「……」

(違うんだ、そうじゃないんだ)

 そう言いたかったが、それを言う気力は今の播磨にはない。

「あ、そうだナミコさん。はりまっちのためにデートしてあげるって」

「はあ? なんであたしが!」

「お断りだ」

 ムクリと起き上がった播磨がそう言った。

「なんだ、元気あるじゃない」とノダミキ。

「ハリマ、お断りとはどういうことだ」

 ナミコは播磨に詰め寄る。

「そのまんまの意味だ。暴力的な女とデートはできねェ」

「んだとコラ」




   *

550: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/01(水) 21:37:30.75 ID:7MRZSwDxo

 そんな彼らの様子を見つめるキサラギとトモカネ。

「しかしハリケンのやつ、ノダの姉ちゃんが好きだったとはねえ」

「はい、私も驚きました」

 とキサラギは言った。

「まあ確かに、あの姉ちゃんだったら仕方ないかな。俺も男だったら放っておかないかもしれないし」

「そうですね……」

「どうした、キサラギ」

「え?」

「何か様子おかしいぞ」

「いえ、何でもないですよ」

「そうか」

 播磨がノダミキの姉に告白して振られた。それで話は終わるはずであった。

 しかし、彼女の胸の内には、何かわからないモヤモヤが残るのだった。




   つづく

555: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:51:00.63 ID:UVgucx6Co




   第二十四話 人 形

556: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:51:51.19 ID:UVgucx6Co


 【報 告】

 それは一体の人形。

 泣きもせず笑いもせず、ましてや怒りもせず。

 文楽の人形ですら、その乏しい表情の中から喜怒哀楽を表現することもできたけれど、
その人形はそれすらしなかった。

 それでも彼女は幸せだった。

 わずかな自由の中で、大好きな絵が描けて、そして仲の良い友人ができる。

 喜びを顔に出すことは滅多になかったけれど、彼女は幸せであった。

 人形は人形なりの幸せを持っていたのだ。

 そしてその幸せの先に、一人の男性がいた。

「ん? どうした大道」

 播磨拳児。

 カチューシャでとめたオールバック、それとサングラスに髭という
およそ高校生らしからぬ風貌の彼は、彼女にとって大きな出会いであるとともに、
一つの希望でもあった。

 人形に魂を吹き込んだ者の一人。

 それもかなり熱く強い魂を。

「大道?」

「播磨殿に言っておきたいことがある」

「どうした」

「以前、私に婚約者がいると言っただろう」

557: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:52:18.05 ID:UVgucx6Co

「ああ」

「今週の日曜日、会うことになった」

「ああそうかい……。ん?」

「……」

「それってあれか、土砂崩れかなんかで会えなくなっていたっていう」

「そうだ」

 梅雨の終わりに彼と交わした会話。

 彼は覚えていてくれたようだ。

「でも何でそれを俺に?」

「いや、一応言っておこうと思って」

「ふうん」

「では、これで」

「ああ。じゃあな」

 自分は何を期待しているのだろう。

 そんな戸惑いはあったけれど、何か言わずにはいられなかった。

 でも、何も期待していなかった、と言えばウソになる。




   *

558: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:52:49.36 ID:UVgucx6Co

 【日曜日の予定】

 昼休み――

 キサラギたちは中庭で昼食をとっていた。

 ナミコの作った弁当を皆で食べていたのである。

 一学期のころ、調理実習で苦戦していたナミコだが、夏休みを境にそれなりに
料理をするようになったという。

「いやあ、もうすっかり秋だねえ」

 そう言いながらサンドイッチを頬張るノダミキ。

「ナミコさん、また上手になりましたね」

「いやあ、まだまだだよ」
  
 キサラギがそう褒めると、ナミコは照れながら笑う。

「俺はタダ飯が食えればそれでいいんだけどな」

 隅のほうで、播磨は言った。

「何だよ播磨。折角食わしてやってんのに」

「ああそうですか。ありがとうございます野崎さん」

「んで、味のほうは?」

「相変わらず濃い味」

「播磨……」

「でもまあ、この前よりは上手くなってんじゃねェの」

「……ならよかった」

559: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:53:33.21 ID:UVgucx6Co

「まあ、そんな急に美味くなることはねェんだから、気長にやれや」

「そ、そうだな」

 ナミコは恥ずかしそうに、自分の分を食べ始める。

「まだちょっと濃いかな」

 そんなナミコをノダミキはニヤニヤしながら見ていた。

「なんだよノダ」

「ナミコさ~ん、そんなお宝本を他の雑誌で挟むような真似してないで、
普通に誘えばよかったのに」

「何言ってんだ? あ?」

「イテテテ」

 ナミコはノダミキの柔らかそうなほっぺをつまむ。

 この日、彼女は久しぶりに後ろ髪を縛っていた。

「ウメーな大鉄」と、トモカネ。

「そうなのか」

「俺の半分食うか?」

「いや、大丈夫だ」

 隣では大鉄とトモカネが何か話をしている。

 そして、キョージュはいない。

「キョージュさん、今日は来られないんですね」

 と、キサラギは言う。

560: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:54:00.18 ID:UVgucx6Co

「ん? 雅(マサ)なら来月からの展覧会みたいなやつについて話があるって言ってたな」

「そうなんですか、お忙しいんですね」

「そだな」

「芸術の秋だね、ナミコさん」

 割り込むようにノダミキは言った。

「お前は食欲の秋じゃないのか」

「失礼な、読書の秋もするよ」

「ファッション雑誌じゃねェか」

 そんな話をしている二人に、キサラギは聞く。

「それじゃあ、今度の日曜日に用があるっていうことは、どこか美術館にでも行くんでしょうか」

「ん?」

「なにそれ」

 ノダミキとナミコが一斉にキサラギの顔を見る。

「ですからその、今度の日曜にキョージュさん、用があるって言ってたんですよ」

「何の用?」

「それは」

「何かお見合いみたいなことするらしいぜ」

 話に割り込んできたのは、意外にも播磨であった。

「お見合い?」

561: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:54:26.01 ID:UVgucx6Co

 全員が播磨の顔を見る。

「まあ、正式には顔合わせみたいなもんだけどよ」

「はい?」

「大分前に言ってただろう。婚約者がいるって。その婚約者と会うんだとよ」

「ええ?」

「何だお前ェら、聞いてなかったのかよ」

「えええ? 初耳ですよ!」

「え? 何々? 何の話? 面白いこと?」

 騒ぎを聞きつけて、トモカネが寄ってきた。



   *

562: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:55:05.18 ID:UVgucx6Co



 【好きなこと】


 播磨の話によると、大道雅(キョージュ)は日曜日に、未来の婚約者、
昔風に言えば許嫁と会うということだ。

 その話を俄かに信じられなかったキサラギは、二人きりで彼女に聞いてみることにした。

 そして放課後、

「すみません、こんな場所で」

「構わない。人気のない場所は嫌いではない」

「それで、聞きたいことなんですけど」

「日曜日のことか」

「え、はい」

 相変わらず、すべてを見透かしたように雅は言う。

「播磨さんから聞いたんですが、その……、婚約者さんですか。その人と会う約束があると」

「ああ、その通りだ」

 雅はあっさりと首肯する。

「キョージュさんは、その人と結婚するんですか?」

「そうなるだろう」

 何か突き放したような言い方。

 普段の雅なら、そんな言い方はしないはずだ。

563: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:55:43.93 ID:UVgucx6Co

 ほとんど表情の変化はないけれど、常に優しさのある行動をしていることをキサラギは
知っている。

「それでいいんですか?」

「……どういうことだ」
 
「いや、その。まだ会ったこともない人とけ、結婚するんですよね。まだ先のことかも
しれませんけど」

「そういう決まりになっている」

「キョージュさんは、それでいいんですか?」

「別にかまわない。家の決めたことだ。それに私は従う。それだけ」

「だ、だって。その、結婚って、好きな人とするものじゃないんですか? 家が決めたことが」

「キサラギ殿」

「はい」

「絵は好きか?」

「……好きです」

「私の知り合いに、絵の好きな人がいた。実際、才能もあった。おそらく努力していれば、
それなりの実力を獲得できていたかもしれない」

「……それが」

「だがその人は絵を辞めた。それでは食べていけないからだ。今は別の仕事をしている」

「……」

564: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:56:09.58 ID:UVgucx6Co

「キサラギ殿、好きなだけでは何もやっていけないのだ」

「キョージュさん」

「どうしようもないことだって、ある」

「酷いです。キョージュさんがそんなこと言う人だとは思いませんでした」

「事実だ」

「そんな」

「……今週の」

「え?」

「今週の日曜日、午後二時に矢神国際ホテルで、私はその人と会う」

「……」

「今度は延期もなし。私はその人と会うだろう」

「……」

「以上だ」

 そう言うと、雅はキサラギとすれ違い、階段室へと向かった。

 一人屋上に残されるキサラギ。

 それを嘲るかのように、秋の風が吹き抜けて行った。




   *

565: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:57:27.60 ID:UVgucx6Co

 【本人の意志】

 翌日、雅のいないところでキサラギは播磨と話をしていた。

「んだよ、昼休みだってのに」

 播磨は面倒臭そうな顔をしている。

「キョージュさんのことです」

「大道? あいつがどうした」

「キョージュさん、今週の日曜の二時に、矢神国際ホテルで婚約者の方と会うそうです」

「んなこと知ってるよ。だから何だ」

「何とか、できませんか?」 

「何とかって?」

「いやだから、何とかですよ。このままじゃ、本当にキョージュさんは、その家が決めたっていう
婚約者の方と結婚してしまうかもしれませんよ」

「別にいいんじゃねえのか」

「播磨さん?」

「あのさ、山口」

「はい」

 播磨は後頭部をかるくかきながら言う。

「その大道は、『嫌だ』って言ったのか?」

「え? 何がですか」

「だからよ、その婚約者と会うのを嫌がったのかって聞いてんだよ」

566: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:58:10.74 ID:UVgucx6Co

「いえ、別にそれは」

「親の決めた結婚が嫌だって言ったか?」

「……それは」

「なら別にいいじゃねェかよ。俺たちがどうこう言う問題じゃねェ」

「で、でも。おかしいですよこんなの。私だったら嫌です」

「お前ェは大道かよ」

「いえ」

「大道のことは大道が決める。あいつが選んだ道を他人である俺たちがどうこう言う
問題じゃねェ」

「わかってますけど」

 正論だ。

 圧倒的な正論。

 大道雅の話もそうだが、播磨もまた言い返すことのできないくらい正論を述べる。

 それでもキサラギは納得できないでいた。

 例え不条理だと言われても。

「それでも私は嫌なんです」

「だったら勝手にしろ」

 そう言うと播磨は歩き出す。

「播磨さん」

「俺には関係のねェ話だ」

 そう言うと、彼は自分の教室へと戻って行くのであった。

 再び取り残されたキサラギはある決心をする。

(矢神国際ホテル、午後二時……)




   *

567: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:59:08.47 ID:UVgucx6Co


 【スパイ大作戦】

 何をどうしたらいいのかわからない。

 そんな状況でキサラギは日曜日を迎えた。

(わからないなら、わからないなりに、何か行動を起こすべきです)

 そう思ったキサラギは、矢神国際ホテルに向かう。

 このホテルは駅前の寂れたビジネスホテルのような名前だが、実際は会議や結婚披露宴などに
利用される地元でもわりと有名なホテルなのだ。

 中でも広い日本庭園は、同ホテルの売りの一つでもある。

 キサラギはそんな日本庭園の外側にある茂みに隠れてホテルの中の様子を伺っていた。

(こんな場所からではわかりませんね)

 そう思い首を伸ばしたその時、

「おい、バレるぞ」

 大きな手がキサラギの頭を押さえる。

「ふえ!?」

 一瞬見つかったかと思ったけれど、その声には聞き覚えがあった。

「播磨さん?」

「しっ、静かにしろ」

 制服姿の播磨拳児であった。

「どうしてこんなところに。やっぱり播磨さんもキョージュさんのこと」

「勘違いすんなよ。俺はコイツらが行きたいっつうから、その監視のためだ」

568: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 20:59:45.46 ID:UVgucx6Co

「こいつら?」

「わたしです」

 そう言うと、ノダミキが播磨の背中からひょこっと顔を見せた。

「ノダちゃん」

「俺もいるぜ」

 忍者姿のトモカネもいた。

「と、トモカネさんはどうして忍者なんですか?」

「そりゃあ、スパイと言えば忍者だろうが。目立たないようにするためにもな」

「余計目立つような気がするんですけど」

「そんなことよりも皆、今はアレだよ。キョージュだよ」

 ノダミキがズレかかった修正する。

「でも、ここからじゃあ中の様子が……」

 キサラギがそう言った時、不意に二つの影が見えた。

「あれは」

 一人は長身の男性、もう一人は黒髪で着物姿の女性。

 しかも女性のほうには見覚えがある。

「ノダちゃん、キョージュさんですよ」

「あ、本当だ。キョージュってば、和服着てるよ」

「すげえ、高そうな着物だな」

569: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:02:00.42 ID:UVgucx6Co

「……」

 振袖と呼ばれる、華やかな柄と色の和服を着た雅。

 制服姿の時にはない気品に満ち溢れていた。

(キレイ……)

 ふと、そんな風に思ったキサラギは近くにいる播磨の顔を見る。

「……」

 播磨は無言だった。

 あえて何も言わないようにしているように見える。

「あの、隣にいる人が婚約者って人かなあ」

 ノダミキが言う。

「思ってたのと、違うな」

 と、トモカネ。

「そうですね」

 振袖姿の雅の隣りには、長身の男性がいる。

 スーツ姿で、長髪だ。

 キサラギのイメージだと、もっと細身の人かと思っていたが、上着の上から見ても
わかるほど、ガッチリとした体形であることがわかる。

 播磨に少し似ているかもしれない。

 雅と長身の男性はホテルの日本庭園を歩く。

「これは、『あとは若いお二人にお任せして』というやつではありませんかトモカネ殿」

「これからどうなるんでしょうな、ノダミキ殿」

 俄かに二人が興奮してきた。

「……」

 そして播磨は相変わらず無言である。

 雅と長身男性の二人はゆっくりと庭園を歩きながら、何か話をしているようだ。

570: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:02:42.28 ID:UVgucx6Co

 特に会話が弾んでいるようには見えない。

 というか、彼女がトモカネやノダミキのように楽しそうに話をしている状況が
想像できないだけなのだが。

「キョージュ、あの人と結婚しちゃうのかな」

 ふと、ノダミキが寂しそうに言った。

 確かに見た感じでは悪い人ではなさそうだ。

 ただ、その人と結婚ともなれば。

 キサラギは目を凝らして、雅の表情を見る。

 相変わらずの無表情だが、不意に影のようなものが見えた。

(キョージュさん)

 キサラギは決意する。

「ねえキサラギちゃん、どうしたの?」

「ノダちゃん、私行きます」

「え?」

 そう言うと、キサラギは立ち上がろうとする。

「おい待て山口。今出たら不味い」

「はなしてください播磨さん」

 キサラギは播磨たちの制止も聞かず、茂みの中から飛び出した。





   *

571: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:03:29.98 ID:UVgucx6Co

 【直 訴】

 いきなり茂みの中から飛び出す女子高校生。

 キサラギ自身もそれが異常なことはわかっていた。

 しかし、そうしないわけにはいかなかったのだ。

「キョージュさん!」

 大声で訴えるキサラギ。

 しかし、庭園の足元は不安定で上手く前に進めない。

 その上、苔で滑りそうだ。

「何者だ!」

「え?」

「不審者だ」

 不意に、どこからともなく現れた体格の良い黒いスーツ姿の男性二人組に、
キサラギは両腕を掴まれてしまった。

「痛っ……」

 どうやらこの黒服は男性のボディーガードのようだ。

 多少手加減はされているけれど、それでも強い力であることは変わりない。

「キサラギ殿?」

 彼女の存在に気付いた雅は少しだけ驚いた顔をした。

「何者だ?」

 隣の男性は言った。

572: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:04:55.05 ID:UVgucx6Co

「私のお友達です」

「だ、そうだ」

 と、長身の男性は言う。

 しかし、黒服はキサラギの手を離さなかった。

「これ以上は近づかないでください」と、黒服の一人。

「キョージュさん、お話があります!」

「後ではダメか」

「今じゃないとダメです」

「何か」

 雅は無表情のまま返事をする。

「キョージュさんは、その人と結婚するんですか」

「……無論だ」

「それでいいんですか?」

「何を今更」

「キョージュさん! あなた言いましたよね。好きなだけではどうしようもできないって。
でも、私は諦めません。どんなに辛くたって、自分が選んだ道だから!」

「……」

「キョージュさん!」

「言いたいことはそれだけか、キサラギ殿」

「キョージュさん……」

「なら帰ってくれ、私の邪魔をしないでほしい」

573: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:05:45.33 ID:UVgucx6Co

「そんな、本当にそれで、それでいいんですかキョージュさん」

「大人しくしてください」

 腕を掴む黒服の力が強くなる。

「イタッ……!」

 その時、


「――さっさと手を離せよ」

 
 不意に片手の圧迫感と痛みが無くなったかと思うと、黒服は手をねじられていた。

「播磨さん」

 播磨拳児。

「イテテ、くそ。誰だお前は」

「ふん」

 播磨が腕を振ると、百八十以上はありそうな巨体が宙を舞い、そして地面に叩き付けられる。

「テメー、何者だ」

 もう一人の黒服がキサラギから手を離し、彼に襲いかかる。

 しかし彼はその男の直進を受け流し、懐に潜り込むと、両手で強く押した。

 双掌打――

 何かの映画で見たことのある技だ。

「うわっ」

574: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:06:35.97 ID:UVgucx6Co

 まるで魔法のように男の身体が浮き上がると、そのまま吹き飛んで庭園の池に転落した。

 大きな水柱が立つ。

「ほう、なかなかやるな」

 ボディーガードが一瞬で倒されたにもかかわらず、男性は余裕だ。

 むしろ感心している風でもある。

「うお、人間ってあんなに吹き飛べるものなんだな」

「キサラギちゃん、大丈夫?」

 黒服たちが排除されると、葉っぱだらけのトモカネやノダミキが出てきた。

「私は大丈夫です。それより――」

 キサラギの視線の先で、向かい合う播磨と雅。

「播磨殿……」

 キサラギの登場に、眉一つ動かさなかった雅の様子が変わる。

 そんな彼女の様子を見た播磨が言った。

「なあ、大道」

「……」

「俺は別にお前ェが誰と結婚しようが構わねェ」

「……」

「ただよ、一つ気に入らねェことがある」

「……何か」

575: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:07:50.42 ID:UVgucx6Co


「思わせぶりな態度で悲劇のヒロイン気取ってんじゃねェぞ! お前ェが何考えてるかなんて、
こっちはわかんねェんだよ!」

「……!」

「助けて欲しいんなら助けてくれって言えよ! 今更そんな遠慮するような仲でもねェだろうがよ!!」

「……」

 雅は表情を崩さない。

 しかし、震えていた。

 そして、流れ出る涙。

「申し訳ない」

 そう言って雅は男性のほうを見た。

「ふん、構わんさ。俺も実際のところ、乗り気ではなかったからな」

「……」

 雅は大きく息を吸い、播磨たちのほうを見据える。

 そして、



「助けてください! 私を、ここから連れ出して!」



 日本庭園に、雅の声が響き渡った。

 彼女のこんな大きな声を聞いたのは、恐らくすべての人たちにとって初めてのことではなかったか。

576: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:08:25.68 ID:UVgucx6Co

「アホが、最初からそう言えっつうんだよ。トモカネ!」

「あいよ」

 播磨はピョンピョンと身軽に庭園内を移動すると、雅のすぐ傍へ到着する。

「悪いな、アンタ。こいつは、俺たちが貰っていくぜ」

「なかなかやるな。名前を聞こう」

「播磨……、播磨拳児」

「なるほど、播磨拳児か。覚えておくぞ」

「そういうお前ェは誰なんだよ」

「東郷だ。東郷雅一」

「まあ、覚えてたら覚えておくぜ」

「それはいいがお前たち、早くしたほうがいいな。警備員がさっきの二人だけだと思ったか?」

「ん?」

 遠くのほうから声が聞こえる。

 とても一人や二人ではない。

「播磨さん!」

 キサラギが呼びかける。

577: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:10:39.40 ID:UVgucx6Co

 これ以上ここでグズグズしていては大変だ。

「しっかし、この格好だとな」

 播磨が雅を見ながら言った。

 振り袖姿の雅に、早く走るのは無理そうである。

「どうすんだハリケン」

 トモカネが聞く。

「しかたねェ、今日だけだぞ」

 そう言うと、播磨は雅を抱え上げた。

「荷物とかねェな」

 播磨が聞くと、雅は少し顔を赤らめながら軽く頷く。

 何とも滅茶苦茶な話だが、キサラギたちはその後、麓のバス停まで駆け下りていく。

 夏も終わったというのに、バス停に着いた頃には雅以外、全員汗まみれになっていた。



   *

578: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:11:13.13 ID:UVgucx6Co



 【変 化】


 あの事件以来、変わったことと言えるものはあまりない。

 いつもの日常が続くだけだ。

 ただ、

「拳児殿――」

「あン?」

「お弁当を作ってきたのだが」

「重箱?」

「拳児殿の好きなものを作ってきた」

 大道雅は、播磨のことを下の名前で呼ぶようになっていた。



   *



 昼休みの屋上。

 かつて、キサラギと雅が話をした場所だ。

 そこで再び二人は向き合っていた。

「キサラギ殿には色々と迷惑をかけてしまい、申し訳ない」

「いえ、いいんですよ。それより――」

579: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:11:57.68 ID:UVgucx6Co

「拳児殿のことか」

「え、はい」

「彼には感謝している。もちろん、キサラギ殿やほかの皆もそうだが」

「いえ、そうではなく」

「何か」

「その、キョージュさんは、播磨さんのことが――」

 一瞬、躊躇するキサラギ。

 しかし、一度出た言葉は止まらない。

「好きなんですか?」

「……」

 雅はキサラギの目をまっすぐ見据えて言った。

「好きだ」

「え……」

「私は、播磨拳児のことが好きだ」

 はっきりと、女だけど男らしく彼女は答えた。

「で、でも。播磨さんには」

「それもわかっている」

「キョージュさん」

「わかっているけれど、それで諦めてしまうほど私の思いは弱くない」

「それって」

580: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:13:18.29 ID:UVgucx6Co

「自分はどうなのだ、キサラギ殿」

「私は……」

「……」

「私も、諦めません。だって、その――」

 好きだから、その言葉はまだ出せなかった。

 それは、本人に言いたいからだと、キサラギは自分に言い聞かせる。




   *



 そんなキサラギと雅の会話を、偶然に聞いてしまった生徒が一人。

(やべえ、雅(マサ)のやつ、ハリマのことが好きだったのか。まあ怪しいとは思っていたけど)

 野崎奈美子であった。

(何かあの様子だと、キサラギも好きっぽいけど、これはどういうことなんだ? 修羅場?)

 突然のことで頭が混乱するナミコ。

 しかし、

(播磨のやつ、一体誰が好きなんだろう)

 そう考えると、胸の辺りが痛くなる。

(いかんいかん、何考えてるんだアタシは。ったく、顔洗ってこよ)

 頭の中のモヤモヤを晴らすように彼女は階段を駆け下りた。

(……ハリマか)

 一人の男子生徒の名前をチラチラと思い出しながら。




   *

581: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:14:23.40 ID:UVgucx6Co



 【再 会】


 同じころ、播磨が学園内を歩いていると彼の前を一人の人影が立ちはだかった。

「誰だ」

 上級生でも彼の行く手を阻む者はいない。

「久しぶりだな、播磨」

「お前ェは」

 長髪でガタイの良い男。

「確か、大道と許嫁の」

「“元”許嫁だ。今は違う」

 東郷雅一であった。

 相変わらず長髪がウザい。あと喋り方も若干ウザい。

「つうか、お前ェ、その制服は」

「今日からこの彩井学園の特進クラスに編入することになった。

「なにい? お前ェ、高校生だったのか。見えねェな」

「お前には言われたくないぞ播磨」

582: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:15:30.06 ID:UVgucx6Co

「で、何でわざわざこっちに編入してきたんだ?」

「わが愛しの天使に会うために決まっているだろう」

「大道とは、もう婚約者の関係じゃねェだろう」

「ふん、雅の話ではない」

「はあ?」

「奇跡の出会いというものもあるのだな。この東郷雅一、一目惚れをしてしまった」

「一目惚れ? お米か」

「この人だ」

 そう言うと、東郷は内ポケットから写真を取り出す。


「な!!」


 そこに写っていたのは、彼もよく知っている人物である。

「野田ミキ……」

 ノダミキの生写真。

「ふふふ、一目見た時から、運命を感じたものだ。ちなみにこの写真はフユキという男から
買った」

「なん……だと……?」

583: ◆tUNoJq4Lwk 2012/08/02(木) 21:17:00.32 ID:UVgucx6Co

 播磨は焦る。

(冬木の野郎、あんな写真を売ってたのか。畜生、これはもう買うしかないじゃねェか)

「雅のことはお前に任せた」

「……はっ、何勝手なこと言ってんだテメェ」

「俺も家云々ではなく、自分のために生きようと思う」

「東郷!」

「ではさらば」

「おい、ちょっと待て!」

 播磨の呼びかけもむなしく、東郷は普通科の教室へともどってしまった。

 どうやら彼も、まともに話を聞かない人物のようだ。

「どうすりゃいいんだこれは……」

 新たなライバルの出現に、播磨の心は穏やかではいられなかったという。

 彼の戦いは、まだまだ続く。








   おわり