美穂「小日向美穂、一期一会」 中編

622: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:14:17.49 ID:b9Fq4I+K0
「そうか……。3人とも本当にプロデューサーのことが好きなんだね」

「うん。好きだよ。だからあの人と一緒に、トップを目指したい。そのためには、後ろを向かないって決めたから」
「もたもたしてたら、アンタら置いてくからね? 悪いけど、止まる気がしないし」

「奇遇だね。俺らもここで満足するほど目標は低く設定していないよ」

「ふふっ、期待しといてあげる。それじゃ、行こっか。そろそろ家に帰らないと、お母さんが心配しちゃうし」

「今度はちゃんと家まで送らせてくれよ?」

2人同時に立ち上がり、服に付いた土を叩き払う。

「あっ、流れ星」

車に戻ろうとすると、キラリとこぼれる一筋の流れ星。

「――」

「願い言えた?」

「心の中でね。なんとかギリギリ」

引用元: 美穂「小日向美穂、一期一会」  


624: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:18:25.20 ID:b9Fq4I+K0
トップアイドル、トップアイドル、トップアイドル。色々省略してるけど、伝わってくれただろう。
これで俺がトップアイドルになるなんてオチは勘弁願いたいが。

「ねぇ、凛ちゃん」

「ん? 何?」

「どうして、俺をここに連れて来たの?」

NG2とそのプロデューサーにとって、ここは犯すことの出来ない聖域のはず。なのに彼女は、俺を招待してくれた。

「……何でだろう? なんとなく、かな」

「なんとなくって」

「なんとなくはなんとなく。それ以上でも以下でもないよ。私もよく分からないや。良いじゃん、私が良いって言ったんだしさ。でも、アンタは特別なのかな」

「へ?」

「そうだ。美穂でも連れてきたらいいよ。きっと喜ぶから」

「その一言が余計だって……」

でもまぁ、美穂は喜ぶだろうな。

626: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:21:20.37 ID:b9Fq4I+K0
『メープルナイト。この番組は高垣楓がお送りします』

丘から車で走ること20分。ラジオから流れるしっとりとした音楽が良いムードを作るけど、俺たちは会話を交わすことなかった。

「ここで良いよ」

凛ちゃんの指示に従って車を走らせていたが、花屋に着く前に止めて欲しいと言われた。

「ん? 良いの? 花屋はまだ先じゃ」

「大丈夫。花屋の前にスタンバってるかもしれないし」

パパラッチか。いつもと違う車で、しかも別事務所のプロデューサーが送っていたとなると、
あちらさんに好き勝手邪推されちゃいそうだしな。

「あー。そういうことね。でも大丈夫? ストーカーとかいたら」

「これでも私たち、護身術は教えて貰ってるから。アンタより強いと思うよ?」

卯月ちゃん未央ちゃんはともかく、凛ちゃんは本当に強そうだから困る。

『キェェェェェ!!』

木刀とか持って暴れてても違和感があまりないな。言ったら怒られそうだし黙っておこう。沈黙は金だ。

629: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:27:29.25 ID:b9Fq4I+K0
「そうですかい。それじゃあ、またね」

「うん。ありがとう。おやすみ」

「おやすみ」

手を振る彼女が家に入ったことを確認して、俺も帰ることにする。

「とりあえず明日は美穂を迎えに行かないとな」

川島Pから送られていたメールを見て住所を確認する。なんだ、川島家結構近いじゃん。

『ブラックホールに消えたやつがいる~』

「懐かしい曲だな……」

ラジオから流れる歌を口ずさみながら、俺は闇夜の中を車で駆けて行く。
何となく今日は、1人で当てもなく流したい気分になったのだ。

631: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:32:03.99 ID:b9Fq4I+K0
――

「ブラックホールに消えたやつがいる~」

デレデレデレデレデ

「あ・れ・は なんなんじゃ なんじゃ なんじゃ にんにんじゃ にんじゃ にんじゃ」

「川島さんやっぱり上手いなぁ」

「でもなんでこの曲歌ってるんだろ……。時代を感じるよ」

「ノリノリですねー」

「三味線ロック……。有りですね!」

夜も遅いというのに何盛り上がっているかというと、川島さんの部屋には家庭用カラオケがあったのだ。

『今日は寝ずに恋バナ大会だよ! ま・ず・は! 恋するはにかみ乙女みほちーから!』

『わ、私!?』

『そりゃあねぇ。あの後何が有ったか、根掘り葉掘り聞かせてもらいますよ!』

最初こそは乙女のパジャマパーティーらしく、私に対して集中砲火を放っていたけど、
川島さんがゲーム機を持ってきた頃から雲行きが変わってきた。

633: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:35:40.55 ID:b9Fq4I+K0
『あれ、これカラオケじゃないですか!』

『ストレス発散にはちょうどいいのよ。折角だからする?』

『え? 良いんですか? 近所迷惑とか』

『このマンション防音がしっかりしているから、どんなに騒いでも聞こえることは無いわよ』

『良いですねー! 私カラオケ好きですよ! 何歌おっかな……』

『それじゃあ一番! 本田未央! 持ち曲歌いまーす!』

『待ってましたー! フッフー!』

と言った風に恋バナはいったん中断、川島さんプレゼンツのカラオケ大会が始まったのだ。

『あ、あれ!? み、みんなの恋の話は!?』

『カクレンジャー 忍者 忍者』

『え、えー!? 酷い!』

私に聴きたいことだけ聞いておいて、自分たちの話題には全く触れなかったことにムッとしたけど、
カラオケなんて久しぶりだ。騒いでも問題がないというのなら、目一杯楽しんじゃおう。

635: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:38:09.12 ID:8QFbjOP/0
『忍者戦隊カクレンジャー』

「ふぅ、気分が良いわね。スッキリしちゃうわ」

「流石川島さん! 実にロックで痺れましたよ!」

「どの辺がロックなのかしら?」

「次みほちーだよ?」

「あっ、うん。それじゃあ……」

この曲にしよう。リモコン取出しポパピプペ。

『Dazzling World』

「おっ、ダズリンじゃん」

「コホン。so I love you I love you♪」

ああ、そうだったんだ。今になってようやくパズルがそろった。気付くのが遅いぐらいだよ。
タケダさん、アキヅキさん、そして私。世代を超えて、思いは受け継がれていく。グルグルと輪り、人々の心に残っていくんだ。

アキヅキさんの託した思いを、私は大事にしていかなくちゃ。

637: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:39:55.39 ID:8QFbjOP/0
「え、えっと。ありがとうございました?」

「美穂ちゃん良かったですよ。次は私ですね!」

「あれ? メール来てる」

歌い終わって一息つくと、携帯が光っていることに気付いた。アドレスは……、さっきの名無しさんだ。

『ごめんなさい。名前を書くのを忘れていたわね。服部瞳子です』

「瞳子さん!!」

予想外の名前に思わず叫んでしまう。もしこの部屋の防音設備が整ってなかったなら、隣の部屋の人が怒って殴り込みに来ていただろう。

「へ? トウコサン?」

「あっ、ごめん。大声出しちゃって」

「そう言えば、本番中も瞳子さんって言ってましたよね」

「小日向さんの知り合い?」

「はい。私にとって、初めての先輩なんです」

639: ◆CiplHxdHi6 2013/02/22(金) 23:40:51.21 ID:8QFbjOP/0
本当は卯月ちゃんだけど、彼女は同級生なのであまりそんな気にならない。

「服部さんのことですか? 私のプロデューサーが、私の前にプロデュースしていたアイドルなんです」

「とときんの前の女ってとこだね!」

「その言い方はどうかと思うわよ」

「えっと……。これ、瞳子さんが見てくれてたってことだよね? 良かった……」

ホッと一息ついて、彼女に返信する。

『見てくれたんですね! ありがとうございます! もし今日の放送で、またアイドルに戻りたいって思ってくれたなら凄く嬉しいです』

「かえって来るかな……」

歌え騒げと皆が盛り上がる中、私は落ち着いた気持ちでいた。
今日の放送で、彼女を勇気づけることが出来たなら。

眠くなるまで宴は続く。私は彼女からの返信を待ち続けたけど、プロデューサーが迎えに来ても、返事は来なかった。

644: 11話 Time after time~花舞う城で~ ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:02:11.56 ID:lFXqKYyj0
――

「き、緊張するな……」

「そ、そそそうですね!」

「2人とも、緊張しても仕方ないですよ。ほら、堂々と待ちましょう!」

「うむ。人事を尽くしてきたはずだ。後は、天命を待つしかないよ」

「そ、そうですね。よーし、深呼吸深呼吸……」

私と彼は思いっきりちひろさんに背中を叩かれる。それでも私のドキドキは止まることを知らず、加速していく。
世間では大学の合格発表が行われているのだろうけど、私にとっても合否発表の日だった。
IAノミネートのカギを握る、運命の36週。それが今日のランキングだ。

「どっとっぷTV今週のランキング発表!」

「来たっ!」

「うぅ……」

天に祈るような気持ちで、私は結果を待つ。お願い、どうか――。

645: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:08:15.17 ID:LZSWfxJX0
43位 New 小日向美穂 Naked Romance

「43位……」

今まで積み上げてきたものが、砂のように崩れ落ちていくように。私はガックシと項垂れてしまう。

「クソッ、力及ばず、か……」

「落ち込まないでくださいよ、2人とも。初登場でこれは結構すごいことですよ? ね、社長!」

「ちひろくんの言うとおりだよ。たらればの話をするのは趣味じゃないが、もし君たちが出会うのがもっと早ければ、20位以内には入っていただろうね」
「それでも、デビューで43位というのは誇ってもいいことだよ。胸を張りたまえ。君たちは良く頑張った」

社長たちはそう言うけど、私は嬉しさよりも悔しさが勝っていた。

「私、悔しいです」

「悔しいと思えるのは、それだけ必死で頑張って来たってことだよ。私たちは、君たちの活動をよく知っている。私から賞を与えたいぐらいだよ」
「それに、これで君たちのプロデュースが終わったわけじゃない。これからリベンジのチャンスはいくらでも有る。IUでトップを目指して、頑張って行こうじゃないか」

「……はい!」

646: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:10:28.75 ID:/C8ZBh1Q0
IAはダメだった。したくないけど、時間が足りなかったと言い訳ができるかもしれない。

だけどIUはそうもいかない。純粋な実力勝負だ。

私だって、もう新人という括りにはならないだろう。

「美穂、今まで以上に大変な日々を過ごすことになると思うけど、1つ1つ着実にこなしていこうな」

「プロデューサー、お願いしますね!」

「それにさ……。こういうこと言うと怒られそうだけど、IAに受からなくてよかったかなって思ってるんだ」

「へ? どういう意味ですか?」

「IAにノミネートされたアイドルのプロデューサーには、ハリウッドで1年間研修を受ける権利を得るんだ。だからノミネートされていたら、彼はアメリカへ飛び立っていただろうね」

初耳だった。IAにノミネートされたら、何かしらご褒美が有るんじゃないかと思ってたけど、
プロデューサーがアメリカに行くことになっていたなんて。

凄く名誉なことのはずなのに、私は受からなくてよかったかな、なんて思ってしまった。

本当に甘いよね、私は――。

647: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:15:24.52 ID:LZSWfxJX0
「ふむ、1位はNG2か……。それに21位に十時君も入っている」

「本当に恐ろしいですね。愛梨ちゃん、普段はポンコツな子なのにステージ映えするしなぁ」

「ポンコツって……言い過ぎですよ」

ランキングはホームページでも見ることが出来るそうで、1位から100位までサッと眺めてみる。
栄えある1位はやはりというべきかNG2だ。そして個人として、3人とも20位以内に入っている。
言い換えれば、20ユニット中4組がNG2というわけだ。流石としか言いようがない。

「過去にユニットと個人でランクインするということもあったけど、3人というのは初めてかもしれないね。新たな世代、か。私も歳を取るわけだ」

感慨深そうに社長は漏らす。

「でも、愛梨ちゃんは凄いです」

「うん。こいつは驚いたよ。あの子は本当に底が知れないな」

驚くべきは、21位の愛梨ちゃん。ボーダーラインの20位までにギリギリ入っていないけど、
デビューしてわずか2、3ヶ月でここまで上り詰めたことが、彼女の才能の恐ろしさを物語っている。
言い換えれば、愛梨ちゃんの才能と努力以上に、20位以上のアイドルは努力しているってことだ。

648: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:26:53.90 ID:rnkhTBvv0
「服部Pも鼻が高いだろうな」

「この勢いで、瞳子さんも戻ってきてくれればいいけど……」

「そうだね。服部Pにとって、服部さんは特別なアイドルなんだろうしね。もちろん、愛梨ちゃんがおざなりってわけじゃないよ?」

服部Pも愛梨ちゃんに真摯に向き合っていることぐらい分かっている。そうでもないと、ここまでの結果は残せない。
だけど愛梨ちゃんのことを思うと、歯がゆくも思う。

愛梨ちゃんの原動力であるプロデューサーの原動力は、今でなお瞳子さんなんだから。

携帯のバイブが着信を知らせる。一瞬だけ彼女から返事が来たことを期待したけど、内容はくだらない迷惑メールだった。
瞳子さんから返信は未だに返って来そうにない。こちらから催促する話でもないし、
彼女の気持ちが整理出来るまで、気長に待つしかないよね。

「さぁ、今日は帰りなさい。明日から、また頑張ろうではないか」

「はい。失礼いたします」

「バイバイ、美穂」

事務所を出て、誰もいない最終バスに乗る。私1人だけ乗せているのに、わざわざ一番後ろの席を選んでしまうのは、
誰に対して遠慮してしまっているのだろうか。

649: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:30:36.68 ID:LZSWfxJX0
――

美穂が帰った事務所で、残った仕事を片付けていると社長が声をかける。

「さっきのことだが」

「? なんでしょうか?」

「君は、本当にアメリカに行く気はなかったのかい?」

ハリウッド留学は非常に魅力的な話だ。ショービジネスの世界で生きる者なら、
一度は夢見る輝かしい世界だ。
事実俺も、プロデューサーという仕事をしていくにつれて、ハリウッドへの憧れは生まれてきた。
ポンとお金を出されたら、喜んで飛ぶだろう。英語だって必死で勉強し直す。

だけど皮肉なことに、ハリウッドへの憧れが強くなると同時に、美穂に対する思いも変質していった。
俺は彼女に恋している、独占したいと思っている。それは否定しようのない事実。
「俺のすべきことは、美穂をトップアイドルに導くことですから」

その言葉に他意はない。彼女に出会った時から、変わることのない願いはたった1つだ。

650: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:32:27.99 ID:rnkhTBvv0
「そうか……。しかし、君も分かっているはずだ。いずれ、小日向くんだけを見ることが出来なくなる日が来ることを」
「事務所の経営の軌道が乗ってこれば、新たなアイドル候補生とプロデューサーをスカウトしようと考えている。君にとっては耳にタコが出るぐらい聞いた話だろうが、我が事務所は小日向くんの個人事務所じゃないからね」

「それは……、分かっています」

何度も言われて、何度も自分に言い聞かせたことだ。

俺たちは現状に満足しちゃいけない。美穂にも偉そうに言ったことなのに、自分に跳ね返ってくる。

「でもまあ、逆に言えば他に手を回す余裕が出来たぐらい、小日向くんは活躍してくれているということ。彼女を導いたのは、他でもない君だよ」

「ありがとうございます」

「さてと、私も帰るとしようか。どうかね? 一杯」

「奢っていただけるのなら」

「言うようになったじゃないか。ちひろくんも来るかい?」

「いえ。今日中に仕上げないといけない仕事が有りますので。御2人で楽しんで来てください!」

「では、今日は男同士の飲みと行こうか!」

「お供します」

あーだこーだ考えても進まない。今はIUに向けて、頑張って行かないと。

651: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:37:31.04 ID:LZSWfxJX0
――

3月20日。天候は晴れ。熊本城は満開の桜に包まれていた。

「カーット! 小日向さん今のは最高だった! それじゃあいったん休憩取りましょう!」

「ふぅ……」

春の強い風が吹き、桜のシャワーが私たちに降りかかる。

「なんというか、なかなか幻想的な光景だな。タイムスリップしたみたいだ」

「やっぱりそう思いますか?」

今回は歴史ものの映画の撮影なので、出演者は皆時代劇衣装を着ている。カメラが回れば、一瞬にして戦国時代にタイムスリップしちゃうんだ。

「うん。しかし……よく似合ってるよ、その着物」

「えへへ。紗枝ちゃんに着付けを教えて貰ったんですよ。どうですか?」

くるりくるりと回ってみる。この歳になって自分で着付けが出来ないのもどうかなと思っていたところなので、
紗枝ちゃんの存在は実にありがたかった。

「紗枝ちゃんって……。あぁ、小早川さんね。一緒のレッスンスタジオにいた着物の子……で当ってるよね?」

「そうですよ。私の後輩アイドルです」

後輩の部分を強調して答えてやる。

652: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:39:46.44 ID:rnkhTBvv0
小早川紗枝――。京都言葉を流暢に操り、マイクの代わりに扇子を持ち舞い踊る、前代未聞の純和風アイドルだ。

彼女の名前を知ったのはファーストホイッスルオーディション。私の後にパフォーマンスをしたのが彼女だった。
その時はそんな子もいたなぁって程度だったけど、ある日のレッスンスタジオにて。

『あれ? あなたは……小日向はんではおまへんどすか』

『へ? おまんがな?』

『私です。憶えてはりますか? 小早川紗枝どす』

『小早川紗枝……あっ、前のオーディションにいた!』

名前が分からなくても、姿を見れば一発で思い出せる。レッスンスタジオというのに、彼女は着物を着ていたからだ。

『光栄どす、小日向さん』

『えーと、でも小早川さんがどうしてここに……』

『それはレッスン以外にないでしょう!』

トレーナーさんが言うには、彼女がいつもレッスンをしているスタジオが、急な都合で使えなくなったらしく、
今日だけレッスンを代わりに見て欲しいと頼まれたらしい。

確かに、レッスンスタジオにアイドルが来る理由なんて、それしか無いだろうけど。

653: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:44:31.26 ID:LZSWfxJX0
『そういうことです。よろしゅう頼んます』

『こ、こちらこそよろしくお願いします! 小早川さん』

『紗枝でええですよ』

『そうですか? じゃあ、紗枝ちゃんって呼びますね』

『そうだ! これも何かの縁。折角ですので、小日向さん。小早川さんに色々教えてあげてください』

『わ、私がですか!?』

『ええ。教えるのも良いレッスンになりますよ、先輩さん』

『あんじょう頼んます』

と交流が生まれて今に至る。

ちなみに紗枝ちゃんは佇まいから大人っぽく見えるけど、
私の方が芸歴も年齢も上だったみたいで、いろいろ教えて欲しいとちょくちょくメールが来る。
本当の意味での後輩は、彼女が初めてだ。
相馬さんも愛梨ちゃんも私より年上だったしね。

654: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:50:28.56 ID:n6CXJYLk0
『れっすんみてもらえまへんか?』

見た目に違わないというと失礼な気もするけど、機械関連は苦手なのか、
メールはいつも全文字ひらがなというのが、なかなかに微笑ましい。

「紗枝ちゃんも一緒に仕事できれば良かったんですけどね」

「今回は縁がなかったな。小早川さんに合う役が有るかと聞かれあら、微妙なところだし」

「残念です」

流石に紗枝ちゃんのためだけに役を作ってくださいとは言えない。今のスタッフ、キャストがベストメンバーであれば、
私はそれに恥じない演技をするまでだ。

「まっ、小早川さんもこれから台頭してくるだろうし、今後に期待だね」

「ですね」

いつか一緒のステージに上がることが出来るのかな? 想像しただけで楽しみになってくる。

「休憩終わりまーす! それじゃあシーン72から……」

「よしっ、美穂行って来なさい」

「はい。プロデューサー」

撮影再開。台本もちゃんと読み直したし、みんなの足を引っ張ら無いよう頑張らなくちゃ!

655: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:54:34.08 ID:LZSWfxJX0
――

「カーット! カットカーット!!」

「ホント、可愛いな」

赤い着物を着こなし手毬をつく彼女を見て、心の中で思ったことがそのまま出てしまう。

「IAのノミネート発表が良い感じに作用してくれたかな」

IUで戦える力をつけるべく、美穂と毎日を全力で駆け抜けてきたが、ここ最近の彼女の仕事に対する情熱は並々ならぬものじゃない。

やっぱり親友たちがノミネートされたことが、美穂にとっていい刺激となったのだろう。

ダントツの支持を得てノミネートされたNG2と、20位以内に食い込むことは出来なかったものの、
IA協会による予備選考を1位通過したことで選ばれた愛梨ちゃん。

特にこの2組のノミネートは、美穂のハートに火をつけるのには十分なぐらいだった。

『愛梨ちゃんにも先を行かれちゃって悔しいですけど、IUでは絶対リベンジして見せます! プロデューサー、一緒に頑張りましょう!』

656: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 00:56:01.91 ID:n6CXJYLk0
愛梨ちゃんの超スピードノミネートに少なからずショックを受けてしまうんじゃないかと危惧したが、
そう力強く宣言する美穂を見ると、杞憂に終わってしまった。

「強くなったのかな」

いや、初めて出会った時からそうだった。彼女は自信なさげで気の弱い性格だけど、
これと決めたら貫き通す芯の強い子だったじゃないか。

高校も卒業して、美穂はより一層大人へと近づいていく。いつの日か、一緒にお酒を飲んだりするのだろうか。

「発想がお父さんだな……」

ここ4か月ほどで一気に老けたような気がする。気のせいかな?

ああ、お父さんといえば。

「母さん! 美穂が! 美穂が!」

「美穂ちゃーん! 可愛いぞー!!」

「お父さん、あまりはしゃぎすぎると怒られちゃうわよ? ねえ、プロデューサーくん?」

「ほ、程々にお願いしますね? 君らも、あんまり叫ばないの!」

657: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:01:52.91 ID:LZSWfxJX0
撮影場所が美穂のホームグラウンド熊本ということで、小日向パパとママ、小日向美穂応援団の皆様が応援に駆け付けてくれました。

彼らとはクリスマス以降だけど久しぶりに会ったけど、相も変わらず美穂バカっぷりを発揮していて安心してしまう。

今日は生で美穂の仕事振りを、しかも戦国姫小日向美穂を見れるということで、みんなテンションが高く、
さっきも騒がしくし過ぎてスタッフさんに注意を食らったところだ。

どうにも美穂の周りには、本人以上に喜び騒ぐ人が集まるみたいだな。俺も含めて。

「でも七五三も恥ずかしがってた美穂が、お姫様の服着て映画に出るなんてね」

「美穂ちゃんは最高です! よ」

「ああ、涙腺が弱くなってきたよ……」

「もう、お父さんったら」

恥ずかしからと七五三を嫌がるロリ美穂か……。容易にシチュエーションが想像出来て頬が緩んでしまう。

「やっぱり、君に美穂を預けて正解だったよ。ありがとう、プロデューサーくん」

「そうね。最初は少し不安だったけど、美穂とも上手くやってるみたいだし。合格点を上げて良いかしらね?」

658: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:05:50.93 ID:n6CXJYLk0
「合格点?」

御袋さんはニタニタといやらしい笑みを浮かべる。あー、この笑顔は良くないことが起きる前兆――。

「それはもちろん、美穂の旦那さんに決まってるじゃない」

「許さんぞおおおおお!! 一〇〇年早いわあああ!」

「のわっ!」

案の定親父さんが噴火する。そういや最近阿蘇山噴火してないなぁ。

「美穂を嫁にしたければ、私を倒してからにしろおおお!!!」

「お、落ち着いてください!!」

「ラウンド1……ファイッ!」

「君らも煽らないで!! お願いだから!」

「一撃で仕留めてやるぞおおおお!」

「カーット! その人たち! 騒ぐんならどっかに行ってくれ!! 撮影の邪魔!」

659: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:11:37.64 ID:LZSWfxJX0
「あっ、すんません」

そりゃ監督も怒るだろう。ちらりと美穂を見ると申し訳なさそうに俯いていた。美穂は悪くない、悪いのは俺たちだ。

「はいはい、お父さん。殺り合うなら邪魔にならない所でしてくださいね」

「良し分かった!」

「解説は私がしますよー!」

「いやいや止めてくれませんか!? ぎゃおおおおん!」

「カーット! いい加減にしてくれー!」

その後俺と親父さんは監督にこってりとしぼられましたとさ。

「もう……。プロデューサー、お父さんが迷惑かけてごめんなさい」

「いや、俺も同罪みたいなものだよ。クランクアップお疲れさん」

撮影がひと段落ついて、美穂の登場パートの撮影は終了する。
初の大役ということで、最初の内は緊張のあまりガチガチだったけど、次第に場の空気にも慣れていき、
小日向美穂にしか出来ない、お姫様を演じることが出来たんじゃないかと俺は思う。

監督も、この役は美穂が演じたことで命が生まれた! と太鼓判を押してくれた。もしかしたら、次回作にも呼ばれるかもな。

660: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:15:11.40 ID:n6CXJYLk0
「それ歩きづらくない?」

「歩きづらいですけど……、でももう着ることがないのかなぁって思うと寂しく思えちゃって。ちゃんとスタッフさんの許可は得てますよ?」

桜散る道をぎこちなく姫装束で歩く彼女は、とても現実離れした可愛さを持っていて。
着ている服が物珍しいのもあってか、観光客の視線を集めてしまう。

「ママー、お姫様がいるよー!」

「あら、本当ね」

ふふん、ボウヤ。この子をアイドルの世界に連れて行ったのは俺なんだぜ。と心の中で自慢する。

「私がお姫様だったなら、プロデューサーはお殿様かもしれませんね」

殿様かぁ。殿様って言ったら、真っ先にバカ殿が出て来てあまりいい印象が無いんだよな。
でもこんな可愛いお姫様と一緒に入れるなら、殿様というのも悪くない。

「その服、汚さないように気を付けなよ? えっと、この辺に……。おっ、いたいた」

「こっひはほー!」

「お父さん、もうお酒飲んでる……。プロデューサーは飲み過ぎないでくださいね」

父親のだらしない姿に呆れたように溜息をつく。でもその言葉、ブーメランだよ。

661: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:20:04.46 ID:LZSWfxJX0
「ああ、うん。美穂も間違えて飲んじゃわないようにね」

「?」

あの日みたいなことが起きたら、言い訳のしようがない。間違いなく親父さんに阿蘇山に投げ込まれてしまう。

咲き誇る桜の下、小日向家と小日向美穂応援団は花見をしていた。撮影を見て帰るだけじゃ味気ないと、御袋さんが提案したみたいだ。
「さぁ! プロリューシャーくん! 君も飲たまへ!」

「は、はぁ。ではいただきます」

親父さんにお酌してもらいちびちびと飲む。今日は車じゃないので、お酒は解禁だ。
しかし何でこう桜の下で飲むお酒は美味しいんだろうね。

「こうやってお花見するのって久しぶりです」

「俺もだな。地元民なのに熊本城で花見したことなかったし」

「それは、熊本県民失格ですね」

「そ、そこまで言われるとは思ってなかったな……」

「ふふっ、冗談です。プロデューサーの熊本城での初花見を一緒に過ごすことが出来て、私は嬉しいですよ」

662: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:25:25.59 ID:n6CXJYLk0
お酌を注ぎながらそんなこと言う彼女に不覚にもドキリとしてしまう。

「なぁ、美穂」

「どうかしましたか?」

「今からさ、2人で」

「よーし! お父さん歌っちゃうぞぉ!」

「フー!! お父さーん!!」

「曲はぁ、マイプリティドーターの持ち曲のぉ、Naked Romance!」

「待ってましたぁ!!」

「お父さん!?」

言葉の続きはかき消されて、黄色い声援が残る。

小日向美穂応援団はわいわいと騒ぎ、親父さんはどこから取り出したのかマイク(ラムネ)片手に、娘の曲を歌い始める。
カラオケ音源はというと、スマホから流れているみたいだ。

663: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:30:45.42 ID:LZSWfxJX0
「チュチュチュチュワ! 恋しちゃってるぜぇ!」

「いよっ! お父さん日本一ー!」

「お、お父さん……」

美穂からすれば堪ったもんじゃないだろうが、この光景は笑われても仕方ない。
顔を真っ赤にしたおっさんが、あの恥ずかし可愛い歌を熱唱するというシチュエーションの破壊力は抜群だ。
どこからかともなく写メられた音もしたし。着物を着ている美穂よりも目立ってしまっている。

撮るべきはむしろ美穂じゃないのかね。まぁ隠し撮りしてるようなら、プロデューサーとしてガツンと言うけどさ。

「チュチュチュチュワ! テンキュー!」

歌い終わると周りから笑いと喝采が生まれる。親父さんは至って満足げだ。娘の方はというと、
「あ、穴が有ったら入りたいです……」

スコップを渡したら、そのまま掘り進んじゃいそうなぐらい顔を真っ赤にしている。

「あー、なんと言うか……。ドンマイ?」

「プロデューサぁ……。逆勘当ってありますか? もしなければ願いを1つ使ってお父さんを一撃でシトメテ……」

訂正、スコップを渡したら切りかかってしまいそうだ。だんだんと彼女の瞳からハイライトが消えていく。ヤバいって!

664: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:35:09.34 ID:vZA7jksj0
「早まるな! そ、そうだ! この辺散歩しないか? あの人らは勝手に盛り上がるから、俺らだけでさ」

親父さんたちに邪魔されて言えなかったけど、ようやく言えた。

「2人でですか?」

「そう! ほら、撮影も終わってるだろうし、城に行ってみない? 撮影じゃなくて、普通に。観光客としてさ」

「え、えっと。分かりました。2人でか、えへへ……」

なんとか思いとどまってくれたみたいだ。美穂にそんな病んだ表情は似合わない。
誰かを幸せにする笑顔こそが、彼女の最高の武器だ。

「おじ様素敵ー!」

「アンコール行くぞー! だいたいどんな雑誌をめくったってダーメー」

「溜め息出ちゃうわー! フォー!!」

そんな俺の苦労はどこ吹く風、諸悪の根源の親父さんと、煽り続ける応援団はさらに盛り上がる。
あの子ら、酒飲んでないよな? 素面だよな?

「私もうここにはいたくないです。恥ずかしい……」

「……ですな」

665: ◆CiplHxdHi6 2013/02/24(日) 01:40:24.07 ID:LZSWfxJX0
「あら、2人でどこかに行くの? 良いわねぇ、青春よねぇ。私もこういう服着てデートしてみたかったわねぇ」

「あはは……」

「こっちは気にしなくていいわよ。お父さんマイクを持つとなかなか離さないから」

こっそり抜け出そうとするも、御袋さんに捕まってしまう。どうやら邪魔する気は更々ないようだ。

「あっ、ちゃんと節度を守ったお付き合いをしてね! プロデューサーくんもオオカミさんにならないようにね!」

「じゃあ美穂、行こうか」

「あっ、はい」

御袋さんの戯言は無視するのが一番だ。きっと振り向けばあの悪戯っぽい笑顔をしているんだろうな。

「ギリギリじゃないと僕ダメなんだよぉ!」

異様な盛り上がりを見せる小日向パパリサイタルをBGMに、俺たちは歩き出した。
目指すは熊本城。お姫様の帰還だ。

668: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:03:29.53 ID:WS8XI9rC0
――

「はぁ、お父さん……」

どうにも私の周囲には私以上に騒がしい人が集まるみたいで、やはりというべきか、
騒ぎ過ぎて何回も撮影が中断してしまったぐらいだ。

『カーット!』

あの時の監督の顔は思い出したくない。鬼と形容するのも生易しい位の形相だった。

その怒りを向けている相手が、スタッフや私たち出演者じゃなくて、私のお父さんとプロデューサーだったというのも、なんとも情けなくなる。

撮影は無事終わり、監督さんも、

『娘の晴れ舞台だから舞い上がったのかね?』

と笑ってくれたけど、それでも申し訳なさでいっぱいだった。

「もういっちょ行くぞー!」

お酒に酔って熱唱する父親と盛り上がる友達を背に、プロデューサーと一緒に歩き出す。目指すは熊本城だ。
あの場所に居続けたら、羞恥心のあまり我を失ってしまいそうだった。

669: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:09:20.30 ID:YM2VWW+t0
「やっぱり歩きにくいですね」

着物が似合うのと着慣れるのはまた別の話だ。私はこれまでてんで着物に縁が無かった。
有ったとしても七五三ぐらいで、だいぶ前の話。

撮影中は動くシーンも少なく、なんとか出来たけど、はた目から見れば、ぎこちなく歩く私は滑稽に映ることだろう。

「着替えた方がよかったんじゃないの?」

「い、いえ! 今日はこの着物でいるって決めたんです」

1日中着続けたら願いが叶うなんてことは無いけど、なんとなく返却するのが勿体無く感じた。
どうか今日1日だけは、戦国姫でいらせてください。

「まぁそう言うなら無理強いはしないよ。そうだなぁ……。背中、貸そうか?」

「へ?」

「ほらっ。おんぶする形になれば美穂も歩かなくて済むでしょ? こけて足をくじく前にさ」

そう言って彼は、乗ってくれと言わんばかりに手を後ろに回してしゃがむ。

670: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:14:48.90 ID:WS8XI9rC0
「え、えーと……」

「ほら。お乗りくださいまし、お姫様」

「わ、分かりました。それじゃあ、失礼します」

こうやって負ぶってもらったのって、小学校の時以来だ。
足をくじいて泣いた私を、お父さんは背負って歩いてくれた。
調子外れな鼻唄を一緒に歌いながら、家へと帰る。あの時のお父さんの大きな背中は忘れることが出来ない。

ふとお父さんの背中と、目の前の彼の背中が重なって見えた。
もちろん2人は別人だ。共通しているのは、私に対して厳しいようで甘いところ。私の喜びを、私以上に喜んでくれる人。
だからこそ、私は彼に惹かれていったのかな。

「よっと」

「重く、ないですか?」

ホイホイ言われるままに乗ってみたけど、大丈夫だよね? 最近少し太った気もするけど……。

「いや、全然。気にするこたぁないよ。軽い軽い」

「そ、それなら! 良かったです!」

彼も強がっているようには見えないので、一安心。

671: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:26:07.27 ID:YM2VWW+t0
「それでは美穂姫、お城へと参りましょう」

紳士的な口調でそんなことを言うもんだから、急に恥ずかしさがこみあげてくる。
顔は見えないけど、彼は笑いながら言っているんだろう。

「み、美穂姫は恥ずかしいです!」

「あはは、ごめんごめん」

私が来ている衣装のせいもあるけど、プロデューサーが馬のように思えてきた。
ニンジンを吊るせば走ってくれるのかな?

「プロデューサーの背中、大きいですね」

「そう? 中肉中背とは言われるけど、背中が大きいなんて初めて言われたや。というより、こう誰かをおんぶしたこと自体そう無いから、言われようもないんだけど」

「お父さんみたいです」

「お父さん、か。喜んでいいのかな?」

「はい。喜んじゃってください」

きっとそれは、私から彼へと送る最大級の褒め言葉だ。

672: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:35:02.06 ID:WS8XI9rC0
「~♪」

「鼻唄歌って。上機嫌だね」

男の人の背中に負ぶさっているだなんて、恥ずかしくて気がどうにかしちゃいそうなシチュエーションなのに、
服越しに伝わる彼の温度が私の心を落ち着かせる。

彼の体温の効能はランダムだ。ある時は私をドキドキさせて、またある時は安らかにしたり。
本当に不思議な生き物だ。学会に提出すれば、きっと人類の役に立つことだろう。

「ふふっ」

「どうかした?」

ノーベル賞を受賞する彼の姿を想像するだけでおかしくて、笑ってしまう。

「お城に着けば」

「ん?」

「お殿様の服って借りれますか?」

「さぁ。どうだろうね。そもそも有るのかな? スタジオじゃないし」

「もし借りれたら、プロデューサー、着てみてください」

「オレェ?」

673: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:48:38.29 ID:YM2VWW+t0
「あだっ! 筋違えるかと思ったよ」 

素っ頓狂な声をあげてこちらに振り向くけど、首が曲がりきらず痛そうな顔をする。
「はい。私が着ても、仕方ないと思います」

「それは違いないけどさ」

「それに、お姫様がいれば、お殿様がいてったいいじゃないですか」

「俺なんかで良いの?」

「プロデューサーだから良いんですよ」

「まっ、借りれたら着てみるか。似合わないからって、笑わないでよね」

「笑いませんよ」

熊本城は撮影スタジオじゃないから貸してくれると思えないけど、
彼がお殿様の服に着替えたら、お城の高い所から夕暮れの桜並木を2人っきりで見下ろしてみよう。

「さてと、着いたよ」

きっと、何物にも代えることの出来ない光景が待っているはずだ。だって隣に、彼がいるから。

674: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 17:54:55.52 ID:WS8XI9rC0
「夕暮れやっとあの子といい感じ、ってか」

「それ、どこかで聞いたことあります」

川島さんが歌ってたっけ。不思議と今の状況にマッチして、恥ずかしさがこみ上げてきた。

「昔の戦隊ヒーローの歌だよ。しかし、壮観だなぁ」

「はい。こんな光景を今まで見てこなかったなんて、勿体無かったです」

「同感だよ」

2人揃って地元民失格だなと小さく笑う。
結局お殿様の服を借りることは出来なかったけど、隣に彼がいることに変わりはない。それだけで十分だ。

沈みゆく夕日が照らす桜並木は、ほんのりと紅に染まり神秘的で。
ここから飛び込んだら、そのまま異次元へと飛び込んで行けるんじゃないかと思えたぐらい。

「えいっ」

こんな光景はもう二度と見ることが出来ない。そう思うと自然に携帯を取り出して、何枚か写メっていた。

675: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 18:17:50.17 ID:YM2VWW+t0
「少し遠いですね」

「写真に残すより記憶に残したいよね、こういう光景はさ」

距離があるので、大きくは撮れなかったけど、私はこれでも満足だった。

網膜に深く焼きついた光景は、忘れろという方が無理な話だ。

そうだ。後でブログにアップしてみよう。記念すべき初投稿にふさわしい写真だ。

「そうだ」

「ん? どうかした?」

いつまでも見ていても飽きの来ない光景だけど、ここに来て桜を見るだけと言うのも何か勿体なく感じた。
だからこんな突拍子のない提案もしちゃうのも、仕方ないことだろう。

「ここで踊ってみて良いですか?」

「踊る? その恰好で?」

「いえ。折角の衣装なんですし、踊ってみようかなって思って」

676: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 18:28:08.09 ID:WS8XI9rC0
激しい踊りは無理でも、紗枝ちゃんのように緩やかな舞は問題ないよね。
何回かレッスンを一緒にしたので、それっぽい動きは出来るはず。

「じゃあ見てて上げるよ」

「はい。それじゃあ……」

BGMは遠くから聞こえる花見客の喧騒。きっとお父さんはまだはしゃいでいるんだろうな。
記念だからと貰えた撮影小道具のセンスを開き、紗枝ちゃんっぽく踊ってみる。

アイドルたるもの、何事にもチャレンジだ。余裕が出来てきたら、日舞を学んでみるのも面白いかも。

「あっ、プロデューサー。お酒、どこから持ってきたんですか?」

「ん? 本当はダメなんだろうけどさ、気分だけでも殿様になろうかなって」

「もう、殿。飲み過ぎはダメですよ?」

「ふふっ、苦しゅうないぞ」

なんて言ってみるけど、目の前の彼にちょんまげが生えたみたいで、お城で2人っきりという異常な状況も手伝って、
私もムードに酔ってしまう。身も心もお姫様になって、彼を喜ばすように舞い続ける。

今だけはお殿様だけのお姫様、あなただけのアイドル。

678: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 18:35:18.41 ID:YM2VWW+t0
「どうでした?」

緩やかな舞も、見ていた以上にしんどいもので、息も切れ切れに彼に尋ねてみる。

「うん。舞も結構良かったね。今後のプロデュースの参考になったよ」

うんうんと頷く彼も満足そうで、小さくガッツポーズをする。

「さあて、あんまり長くいるわけにもいかないし、そろそろ親父さんが禁断症状おこしそうだ」

どうだろう? お父さんのことだから、歌い疲れて寝ているんじゃないかな?

「帰りますか。ほいっ」

行きと同じように、おんぶをする準備は万全だ。

「それじゃあお言葉に甘えて……」

正直に言うと、負ぶってもらう必要は全くない。

歩きにくいのは確かだけど、そこまで距離があるわけでもないし、彼も軽いと言っても、
女の子1人背負って歩くんだ。しんどいことに変わりないだろう。

だけどこう、彼とくっつくと心が満たされるようになってしまったので、
私からすれば願ったり叶ったりだったりする。

日に日に意地悪な女の子になっていくのは、貴方のせいですよ?

681: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 21:04:15.21 ID:WS8XI9rC0
「あら、美穂。足怪我したの?」

「何々? 美穂ちゃんプロデューサーに乗っちゃってるの?」

「え、えっと。着物だと歩きにくいだけ、だよ」

「ぐごー、ぐごー。美穂はわたしゃない……ぐごー」

花見のシートに戻ると女性陣が迎えてくれた。周りを巻き込んで騒ぎ倒したお父さんはというと、
気持ちよさそうにいびきをかいて眠っている。
起きていても騒音、寝ていても騒音。普通にしている分には真面目な人なんだけどな。お酒って怖い。

「嘘だぁ。本当は美穂ちゃん。プロデューサーさんの背中に胸を押し付けてたんじゃないの?」

どうなんどうなん? と小突きながら、友達が囃し立てる。

「え、ええ!? そ、そそそんなことないよ! で、ですよね!?」

「そ、そうだね! な、何もなかったね!」

目は泳ぎ、声は上ずるプロデューサー。本当にこの人ときたら、正直な人だ。

って私無意識のうちに押し付けてたってことだよね!?

682: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 21:14:01.02 ID:YM2VWW+t0
「プ、プロデューサー!?」

「お、俺は知らないよ! 何も!」

声から顔まで、彼のあからさますぎる対応は、周囲を煽るのに十分な材料だった。

「ははぁん。これはクロですなぁ」

「美穂も女の武器を自覚し始めたころかしら?」

「うぅ……、そんなつもりなかったのにぃ」

「あはっ! あははははっ! 笑っとけ笑っとけ!」

「プロデューサーも笑ってないで助けてくださいよー! 気をしっかりしてください!」

お母さんたちに囲まれて逃げ場を失った私たちは、やいのやいのと良いように弄られる。

「ぐごー、ぐごー」

救いがあるとすれば、迷惑なぐらい騒ぎ立ててもお父さんが起きなかったことかな。
もしお父さんに胸を押し当てていたなんてことが耳に入ったら、プロデューサーは桜の下に埋められちゃう。

683: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 21:17:05.09 ID:WS8XI9rC0
「ふぅ、今日も疲れたなぁ」

花見から帰って、久しぶりに実家に帰る。
殆どの荷物は東京にあるけど、やっぱり17年間過ごした部屋は落ち着く。

懐かしい匂いが有ると言えばいいのかな? いつ帰ってきても、私を優しく迎え入れてくれるのだ。

「直ぐに東京に戻らないといけないか……」

ファーストホイッスルに出たことで、私のスケジュール帳はギッシリと埋められるようになった。
仕事が増えてウハウハなんだけど、こう実家に帰る時間が取れなくなったのは寂しい。

今回だってそう。映画の撮影という仕事で熊本に来ただけ。
ホテルよりも実家の方がいいだろうと言うプロデューサーの配慮があって、私は実家に帰ることが出来た。
この仕事がなければ、東京で他の仕事をしていたはずだ。

毎日忙しいけど、アイドル活動も軌道に乗って来て、とても充実している。

だけど悲しいことに、人間は満足できない生き物。売れ始めたら売れ始めたで、いつもどおりの日々が恋しくなってきた。

それは単なるわがままだ――。自分にそう言い聞かせてベッドに横になる。

684: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 21:40:41.57 ID:YM2VWW+t0
「あっ、ブログだ」

今日撮った写真を眺めていると、ブログに投稿しようと考えていたことを思い出す。

小日向美穂Official blog。投稿件数は0。出来立てだから仕方ないよね。

タイトルの名前は、事務所のみんなで考えて決まったものだ。こういうのって、名前決める時が一番楽しかったりするよね。
『クマさんダイアリー』、『美穂さんは明日も頑張るよ』、『こひなたですが?』……と色々な案が出たけど、
悩みに悩んで私が選んだのは、

『小日向美穂、一期一会』

映画のタイトルから名前を借りたけど、自分でもいいタイトルだと思う。

この業界に入ってから、私は多くの出会いと別れを経験した。
それは私たちが生きていくうえで、これからも避けては通れないことだ。

確かに別れは辛いことだ。だけどその度、新しい出会いに期待する。

これからも素敵な出会いがたくさんありますように、本気の私を見て貰えますように――。
そんな願いを込めてブログのタイトルに決めた。

「うーん、でもどう書けばいいかな? 日記なんてつけたことないし……」

685: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 21:58:34.90 ID:WS8XI9rC0
プロデューサー曰く、業界内ではゴーストライターを使って、ブログをやっていることの方が多いみたいだけど、
私は自分の言葉でファンと交流を持ちたいから、助けを借りずに自分で書くことにした。
プロデューサーも私ならそう言うと思っていたみたいだったけど、いざ書こうとなるとなかなか言葉を紡げない。

「他の皆はどういうこと書いているんだろ?」

そう言えば未央ちゃんはブログやっているって言ってたよね。本田未央と検索っと。

本田未央 不憫
本田未央 ブログ
本田未央 ミツボシ
本田未央 NG2
本田未央 本田味噌

検索結果には思わず首を傾けたくなるようなワードもあったけど、ブログはキチンと見つかった。

『ガチャをひいたら私です!』

「どういう意味なんだろう、このタイトル……」

プロフィールには語感で決めたと書いてるけど、妙にリズム感が有って面白いタイトルだ。

686: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 22:10:58.54 ID:YM2VWW+t0
「えっと、顔文字かぁ……」

タイトルの意味は分からなかったけど、ブログの書き方は非常に参考になる。私も真似してみよう。
仕事のこと、友達とのこと。テレビでは見られない素の未央ちゃんが、ありありと書かれていた。
コメント数もビックリするぐらい多く、彼女の人気っぷりを物語っている。

「あっ、オーディションの後の写真だ」

参考として読むつもりだったけど、読んでいくうちに夢中になっていき、最初の投稿まで読破してしまった。

『今日から頑張ります!』

そう名付けられた初投稿には、卯月ちゃんと凛ちゃんと見覚えのある女性が写っている。
というよりも、この写真は見覚えがある。卯月ちゃんに見せて貰ったものと同じだ。
だから4人目の彼女はNG2のプロデューサーさんだよね。結局今の今まで会ったことは無いけど、
3人の話を聞くに、厳しいけど優しい人と言うのは共通認識みたいだ。

「このころはまだコメントが無いんだね」

デビューして数ヶ月の間は、コメントも片手で数えるぐらいしかなかったけど、徐々に増えていって、
IAノミネートした今となれば、コメント数も4ケタをゆうに超えている。

「凄いな……」

何気ない彼女の日常に、これだけ多くの人がコメントしている。実際見ているだけの人もいるから、
読者はもっともっといるだろう。ただただ感嘆の溜息だけがもれるばかりだ。

687: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 22:24:10.11 ID:WS8XI9rC0
「いけない! 夢中になっちゃった!」

時計を見るとまだ日は変わってないものの、どうやら長い間読み更けいたようだ。

「えーと……。変に難しい言葉使わなくていいよね?」

頭の中で思いつくままに書いていく。

「こんな感じで良いかな? プロデューサーに確認してもらおうっと」

書き上げた内容をコピペして、彼にメールする。一応誤字脱字は無いよう確認したつもりだ。

「~♪」

音楽プレイヤーで李衣菜ちゃんおススメの洋楽ロックソング集(実は同じ事務所の別の子が作ったらしい)を聞きながら待っていると、
曲が終わったと同時に彼から返事が帰って来た。何と言うナイスタイミング。

『読んだよ。問題はないと思うよ? 美穂らしさが出てて。強いて言うなら、初投稿だからこれから応援してくれる人に向けて自己紹介的なのをした方がいいかもね』

「あっ、本当だ。忘れてた」

いきなり投稿して桜が綺麗でしたって言うのも変だよね。自己紹介文も考えなくちゃ。
事務所のHPに載っているプロフィールを引用して……、こんな感じで良いかな?

688: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 22:35:58.14 ID:YM2VWW+t0
自己紹介

シンデレラプロダcクション所属アイドルの小日向美穂 (コヒナタ ミホ)と申します!
主にお仕事情報や、日常のワンシーンの写真を載せて、コメントとかを書いていこうかなと思ってます!
タイトルの一期一会は、私の好きな言葉です。これからもたくさんの出会いがあること、
そして読んでくださった皆様にも素敵な出会いがあって欲しいと願って付けました。
よろしくお願いします!
プロフィール

ニックネーム 美穂
性別 女性
誕生日 20??年12月16日
血液型 O型
職業 アイドル
出身地 熊本県
将来の夢 目指せ、トップアイドル!

689: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 22:51:07.59 ID:exWCFwMn0
20XX年 3/20

『初めてでドキドキしますね!』

始めまして、小日向美穂ですっ(*´(ェ)`)ノ
アイドルやってます!

こうやってブログを書くのも、少し恥ずかしいんですけど、ファンの皆様と近い距離で交流出来たらなと考えています
お仕事情報とか、写メが中心になるかなと思いますが、頑張ってやっていきたいです
この写真は今日私の地元熊本で撮った写真です! 熊本城から見る桜って、凄く綺麗ですね。ロマンチックでお勧めです

後この姿は、今年の夏に全国で放映される映画『戦国SAGA』での私の役どころ戦国姫です!
初の映画出演と言うことでドキドキ(/(エ)\)していますけど、凄く面白い映画になっていますので、公開を楽しみに待っててくださいね!

ブログのこともアイドルのことも、まだまだ始まったばかりですが、よろしくお願いします!(。・(エ)・。)/

690: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 23:06:57.34 ID:fzxEJmZw0
完成したものをもう一回彼に送る。今度はOKの指示が出たので、そのまま投稿する――

「こ、このボタンを押せば……」

はずだったけど、やれ見られるのが恥ずかしい、やれコメントで文句言われたらどうしようと葛藤して、
書き込むまでに洋楽ロックが2曲終わってしまった。

「せーのっ」

投稿。最初だから緊張しているだけ、次からはちゃんと出来る! と自分を鼓舞する。

「コメントとかちゃんとつくかなぁ……」

未央ちゃんのブログを見た後なので、余計心配になってくる。

「み、見ない方がいいよね! うん! 明日見よう!」

反応が有れば嬉しいけど、もしコメントが無かったらと思うと怖くなり、布団に潜り込ん夢の世界へと逃げ込もうとする。

「眠れない……」

ひだまりの下じゃいくらでも寝れるのに、こういう時に限って眠れなくなるのはどうしてだろう。

「確認……しちゃおうかな?」

691: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 23:25:22.46 ID:exWCFwMn0
投下したのが2時間程前。おっかなびっくり携帯を開けて、ブログへと飛ぶ。

『初めてでドキドキしますね!』コメント(373)

「ええっ!? ウソっ!」

多くて10有れば良いかなぐらいで考えていたから、この数字には驚きを禁じ得なかった。

「え、えっと……。どういうこと? え?」

予想外のコメント数に意識が飛んでしまいそうになるけど、何とか持ち直す。最初の投稿なのに、なんでこんなに……。

「ま、まさか……。炎上している!?」

炎上するような要素は無いはずだ。それなのに、このコメントの数。一体何がどうなって……。

「確認しなきゃ……」

恐る恐るコメント欄を見る。

1 トミコさん
ブログ開設したんですね
小日向さんの姿、いつもテレビで見ています
頑張ってください。私も頑張ってます

2 F見Y衣さん
初コメです! 小日向さんのブログが始まると公式HPに書かれていたので、飛んできました
毎日が忙しいと思いますが、お体に気を付けて頑張ってくださいね!

3 キバゴさん
キバー!(頑張ってください!)

692: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 23:41:00.56 ID:fzxEJmZw0
「炎上、してない?」

一通りのコメントを確認して、ホッと一息。事務所の方でフィルターがかかっているのか分からないけど、
私に対する中傷コメントは今のところ0だった。

「公式HPに書かれていたって……。もしかしてリンク貼ったのかな?」

正直なところ突発的にブログを始めたようなものだから、方々にアナウンスが出来ていなかったけど、事務所のHPを確認すると、
私のブログへのリンクが新しく出来ていた。こんな遅い時間なのに、ちひろさんがしてくれたのかな。

「ありがとうございます、ちひろさん」

このお礼はお土産でしよう。く○モングッズとか喜ぶかな?

「私も世間に認知され始めたってことだよね?」

373件。もしかしたらこれからも増えていくと思うけど、これだけのファンが私を応援してくれている。

「えへへっ、やる気出ちゃうな」

このまま小躍りしたい衝動に駆られたけど、夜も遅いのでやめておく。

「これ1件1件コメント返しってのは、難しいかな……」

出来ることならしてみたいけど、一度やると今後も続けなくちゃいけないし、プロデューサーも首を縦に振らないだろう。
直接交流できるツール故に、それに伴う危険も重々承知している。

693: ◆CiplHxdHi6 2013/02/25(月) 23:50:36.09 ID:exWCFwMn0
「今考えても仕方ないかな?」

流石にこんな時間に彼にメールをするのも気が引ける。疲れているだろうし、明日相談してみよう。

「結構時間立っちゃったな。起きれるかな?」

目覚まし時計をちゃんとセットしたことを確認し、布団を被る。
明日も朝の便で帰らなくちゃいけないし、心配事も解消されたので、今度こそ眠気に従って夢の世界へ飛び込もう。

「ごめんね、眠かったでしょうに」

枕元には東京から持ってきたプロデューサーくん。結構大きな荷物で持ち運びには不便だけど、
これが有ると気持ちよく眠れる気がするので、遠くの仕事の時は持って行くようにしている。

「おやすみなさい」

「」

当然彼はしゃべらないけど、なんとなくおやすみって言ってくれている気がして。
心地良い眠りへの切符を持って、夢の世界に。良い夢見れると良いな――。

694: 11.5話 Dream×Dream ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 00:05:07.54 ID:FxRNNXYJ0
??

ゴーン、ゴーン……

「あれ? ここ、どこだろう?」

「みほちー、なにボーっとしてるの?」

「そうだよ。今日の主役なんだから、シャキッとしないと」

「へ? 何が?」

「またまた惚けちゃって! 今日は美穂ちゃんの結婚式でしょ」

「えっ、結婚式!?」

鏡を見ると、私の着ている服は一点の穢れの無い真っ白なウェディングドレス。
一緒に映るNG2の3人も大人っぽくなって……。

「ユメってことで良いんだよね?」

じゃないとこんな突拍子もない展開はやってこない。結婚式って……、誰と?

「美穂も綺麗になったわね。いきなり我が血族の定めとか言って、吸血鬼を狩りに行ったきり帰ってこないお父さんも喜んでいるでしょうね」

「お父さん居なくなったの!?」

そもそも吸血鬼って何? どういうこと?

695: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 00:10:28.95 ID:/oQmBj3h0
「そう言う設定なのよ」

「意味が分からないよ……」

夢だからなんでもありってことで良いのかな?

「美穂ちゃん、時間ですよー」

「相変わらずでかいよねー、とときん」

「肩凝っちゃうんですよ?」

未来の話だから、周囲の皆も成長している。愛梨ちゃんの胸はまだ成長しているみたいだ。

「じゃあ私たち、客席で見ているね」

「じゃねー」

「美穂ちゃん、可愛いよ!」

「本当はお父さんとバージンロードを歩くはずっだったんだけどね……。プロデューサーくんさんと一緒に、ね?」

「クマー」

あっ、プロデューサーくんだ。お父さんの代わりなのかな。

「……よしっ」

何がよしっなのか自分でも分からないけど、とりあえず式場へ行こう。

696: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 00:24:17.03 ID:FxRNNXYJ0
「小日向さん、おめでとう。先越されちゃったわね……分からないわ……」
「川島さん、顔怖いですって! にしても結婚かぁ。なんつーか、ロック魂を感じるね」
「おめでとう! 新婚旅行の際は、○○航空をお願いね!」
「小日向さん、あなたの頑張りで私はもう一度アイドルとして輝けたわ。本当に、ありがとう」
「結婚おめでとうさんさん。新婚旅行に京都はいかがどすか?」
「良い結婚式だ、掛け値なしに」
「おめでとう、小日向さん。旦那様と幸せにね。今度は結婚ソング作ってみようかな?」
「今なら2倍ケーキと合わせて6倍のブーケをGETできます!」
「小日向美穂応援団は永遠に不滅だよー!」

「えへへ……」

両脇の皆から祝福の言葉を投げかけられて、私はバージンロードを歩いていく。

「クマー」

隣を歩くのは何故かお父さんじゃないけど、きっとお父さんもどこかで私の結婚を喜んでくれているはずだ。

「コホン! これより、挙式をとりおこないますアーメン」

神父役は社長だ。妙に似合っているのが何ともおかしい。

697: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 00:31:06.47 ID:ssI7i8cT0
「……」

神父様の前で隣に立つ彼は、私以上に緊張しているのかガチガチに固まっている。
タキシード姿も似合っていて、

「ふふっ……。緊張してるんですね。私もですっ」

「一緒、だな」

「はい」

いつも2人で緊張して、喜んで悲しんで。時々仲たがいすることもあったけど、それでも最後には彼が隣がいて。
これからも、そんな素敵な思い出を増やしていくんだね。

「新婦、小日向美穂。貴女は、うんたらたらして、永遠の愛を誓いますか?」

「誓います」

「新郎、プロ田デュー太郎。貴方は以下略して、永遠の愛を誓いますか?」

「誓います」

「それでは、誓いのキスをアーメン」

698: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 00:39:37.45 ID:FxRNNXYJ0
「行くよ、美穂」

「はい。あなた」

小日向美穂、改めプロ田美穂。
彼の顔が近づいてきて、距離が無くなり影が1つに――。

「キャンユーセレブレイッ? キャンユーキスミトゥナイッ?」

「へ?」

「ウィーウィルラブロングロングアゴー」
「永遠と言う言葉なんて知らなかったよねぇ……」

突然ドアが開くと、ウェディングドレスを着た妙齢の女性が……、誰?

「だ、誰かね!?」

「わ、わくっ、和久さん!?」

「へ? わくわくさん?」

和久さんと呼ばれた女性は、プロデューサーを睨みつけるように見ている。

「あの時の言葉は……、何だったのかしら?」

「えっ、あのっ、その……」

「私より彼女を選ぶと言うの?」

「な、何この展開…?」

699: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 00:44:03.75 ID:ssI7i8cT0
「プロデューサー、これは……」

「いや、そのですね……」

「Pは誰とキスをするー? わーたしそれともわーたし?」

和久さんは歌いながらこちらへとにじり寄ってくる。夢とはいえ、あまりの超展開についていけなくなる。

「クマー!」

「噴ッ!」

「クマー!?」

「プロデューサーくーん!?」

取り合抑えようとしたプロデューサーくんが和久さんの放ったブーケに吹き飛ばされる。

「もしかして、私以外に好きな人がいたんですか?」

「違うよ! 俺が好きなのは、美穂だけだよ!」

「プロデューサーさん……」

現実では絶対言ってくれないだろうセリフだ。夢の中のお話だけどそう言って貰えただけで、
天にも昇りそうな気持ちになる。

700: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 00:50:12.52 ID:FxRNNXYJ0
「どうして私じゃなくて、彼女なの?」

自失呆然状態で取り押さえられる和久さん。その表情はとても物悲しげで。
不謹慎だけど、それがとてもセクシーに思えた。

「和久さん。美穂は……」

「私は?」

「俺にとって大切な人なんだ。だから、他の誰かを選ぶなんてできない.。ごめんなさい」
「……そう、私は負けたのね……。お幸せにね」

「ありがとうございます、和久さん」

「私たち、こんな形じゃなかったら、いい友達になっていたでしょうね」

「……はい」

固く和久さんと握手を交わす。

「アーメン! ちょっと変なことになったけど、気を取り直して誓いのキスを」

『チッス! チッス!』

701: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 00:53:31.47 ID:ssI7i8cT0
会場の皆が囃し立てて、2人して赤くなる。本当に、私たちはそっくりだ。

「行くよ、美穂」

「はいっ、貴方」

そして2人は幸せなキスを……

ポロッ。何かが落ちた音。

「え?」

「美穂……」

えっと、プロデューサーの、お面?

「プロデューサーかと思った? 残念、小日向パパでした!」

超至近距離に、吸血鬼を追って消えたはずのお父さんの顔が――。

「いやああああああ!!」

~~

「いやああああああ!!」

「あだっ!」

702: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 00:57:47.29 ID:FxRNNXYJ0
「はぁ、はぁ……夢で良かった……。って何か頭にぶつけちゃった……」

恐ろしい夢だった。それだけしか言えない。

「いたたた……」

「お、お父さん!?」

「お、おはよう美穂……」

「な、なんでお父さんが部屋にいるの!?」

「何でって、美穂が一向に起きないからだよ。時間見てみなさい」

「へ?」

目覚まし時計を見ると、8時過ぎ。飛行機に乗る時間は、9時24分。

「ええええ!!」

「昨日夜更かししただろう? 目覚ましが鳴っていても気付かなかったみたいだし。ほら、着替えなさい。来るまで空港まで送ってあげるから」

「う、うん……」

どうも私は夢の世界に長くいすぎたみたいだ。

703: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 01:02:00.49 ID:ssI7i8cT0
「空港までって、プロデューサーは?」

「彼は一度迎えに来たんだが……。美穂が起きなかったんだ。彼まで遅刻させるのも悪いと思って、先に空港に行ってもらったよ」

「そうなんだ……」

それならちゃんと起きるべきだったかな。

「あの夢で起きろって方が難しいよね、プロデューサーくん?」

「」

返事が無い。ただのぬいぐるみの様だ。
実際にはお父さんの変装だったとはいえ、プロデューサーから好きと言って貰えたことは嬉しかった。

「いつか言わせることが出来るのかな……」

そのためにも、もっともっとアイドルとして輝いて、誰もが認める女の子にならないと!

「美穂、朝ごはんはパンを用意しているから。それを持って行きなさい」

「ありがとう、お母さん! それじゃあ行ってきます!」

「行ってらっしゃい、頑張ってね」

次いつ熊本に帰ってこれるか分からない。でもこの町には、私の居場所が有る。

704: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 01:07:07.74 ID:FxRNNXYJ0
「ビックリしたよ? 美穂の家に言ったら、まだ寝ててさ」

「うぅ、ごめんなさい……」

なんとか予定していた便に間に合って、彼と2人で飛行機に乗ることが出来た。

「でもあんなにぐっすりと寝てて。良い夢見てたかな?」

「良いと言えば、良いんでしょうか?」

「? なんだ? 釈然としないな」

最後の最後で台無しになったから評価するには微妙なところだ。
だけど、和久さんなんてどこから出てきたんだろう……。

「ところでプロデューサーは! 和久さんってご存知ですか?」

「和久さん?」

「はい。名前は分からないんですけど、物憂げな美人です。ウェディングドレスが良く似合う……」

「随分アバウトな説明だな。和久さんねぇ……。俺の交友にはいないな。もしかして」

「もしかして?」

心当たりあるのかな?

「最近結婚式雑誌のCMやってるの知ってる?」

705: 結婚式雑誌×→ウェディング関連雑誌 ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 01:16:12.55 ID:ssI7i8cT0
「えっと、最近テレビ見れてないんで分からないです」

忙しくなって露出が増えたがいいものの、そのせいでテレビを見る時間も減ってしまった。
家にいるのは大抵寝るための時間だ。

「忙しいから仕方ないかな? まあもしかしたら、街頭のテレビとかで見たことあるかもしれないけど……。あっ、ナイスタイミング」

「あっ! この人です!」

機内のテレビをつけると、ウェディングドレスを着て、女性向け雑誌のCMに出ている和久さんが映っていた。
確かにどこかで見たことが有るかもしれない。下の方にも和久井留美と書かれている。

あれ? 和久井?

「和久じゃなくて、和久井さんだったね。まぁうろ覚えでしたって話か」

私がうろ覚えだったため、夢の中の彼は和久さんと呼んでいたのか。

「ごめんなさい、和久井さん……」

「名前は知らなくても、顔は知っているって人の代名詞かな。このCMの評判が良くて、和久井さんも売れて来ているんだけど」

「プロデューサーは知り合いじゃないんですね!」

「う、うん。でも同業者だから、何時かは一緒に仕事することもあるかもね」

「良かった……」

706: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 01:25:23.74 ID:FxRNNXYJ0
予知夢にはならなさそうなので今のところは一安心。

「そうだ、プロデューサー。私のブログ、凄いことになっていました」

「ああ。俺も驚いたよ。あの時間帯で、あれだけのコメント数。今でも増えていってるんじゃないかな? コメント数は……、おお、400超えてる。投稿し始めがピークだったみたいだね」

「な、なんだか実感が湧かないです」

「そんなものだよ。それだけ美穂が注目されているってことだよ。だから自信持って!」

「えっと、そのことなんですけど」

「?」

私は寝る前に考えていたことを彼に話した。コメントに返信するのはどうか? ファンとの交流としては一番手っ取り早い方法だと思っていたけど、

「やらない方がいいと思うな。難しい所だけどさ、10件とかならまだ大丈夫だけど、これだけのコメントを毎回捌くのは相当疲れるよ? 今だってテレビ見る余裕すらないでしょ?」
「それに、ちひろさんがある程度フィルターをかけてくれてるとは言え、どんなコメントが来るか分からないからね。匿名の怖いところで、無責任な発言だってオブラートなしで飛んでくる」
「今はまだないけど、心無いコメントが書かれることだってある。YouTubeの低評価みたいに、ファンがそれに対して怒ってコメントを書いて、マイナスのスパイラルに陥る可能性もあるしね」

やっぱり彼は手放しで頷いてくれなかった。

「そうですか……」

707: ◆CiplHxdHi6 2013/02/26(火) 01:40:14.72 ID:FxRNNXYJ0
「そう気落ちすることないよ。ファン皆もそりゃ美穂からのコメント返しがあれば嬉しいと思うよ? でも、それよりも彼らが望んでいることは、美穂の活躍」
「トップアイドルを目指して日々頑張ることが、美穂からファンの皆に出来る最高の恩返しじゃないかな? ブログアイドルとかプロブロガーとか言われないようにね」

「私の活躍……」

「そっ。でも、その心意気は大切だと思うな。美穂のそう言うところに、ファンは惹かれているんだよ」

王道に近道なし。ブログでの交流も大切だけど、活躍しなくちゃ本末転倒だ。

「アイドルはみんなの憧れだ。ブログやツイッターの台頭で、その憧れとも気軽にコミュニケーションが取れるようになったけど、その全てが上手くいくわけじゃない」
「実際その手のブログではコメントを載せないってのも多いからね。それを否定するつもりはないけどさ。まぁ難しい所だな」

何が正しいか、私達には判断できない。もしかしたら、この先もっと良いツールや手段が生まれるかもしれないし。
今出来ることは、彼らの声を受けて前に進むこと。

「分かりました。私、直接ファンの声に答えることは出来ないかもしれませんけど、皆の期待を裏切らない様に頑張りますっ」

「いや、裏切っても良いんだよ。より良い結果を出せればね」

「……はいっ!」

小日向美穂、一期一会。私たちはまだまだ、始まったばかり。

713: 12話 プラダを着たアクマ ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 01:12:27.42 ID:Bi81cavA0
『それではこれより、第○○回IA大賞授賞式を執り行います』

「み、見ている方も緊張しますね……」

「だな」

「はい、お茶でも飲みながら気楽に見ましょう!」

「ありがとうございます、ちひろさん」

陽気麗らかな4月。世間一般じゃ入学式や入社式と出会いのシーズンだ。
私はというと大学に進学せずアイドル活動に専念しているため、
出会いの春という定型文がいまいちしっくりと来ずにいた。

そろそろ後輩が出来てもいいんじゃないかと、密かに思っていたり。

他の業種も似たようなところだと思うけど、アイドル業界に携わる人からすれば4月は終わりと始まりの節目でもある。
というのも、栄えあるIAの授賞式が行われるのが4月なのだ。

テレビでは連日IAノミネートアイドルが引っ張りだこで、日本全国お祭り騒ぎ。
誰もかれもが浮かれて、あらゆる世代の人々がどのアイドルが受賞するかで盛り上がる。
ある意味この国が最も活気づく時期ともいえるだろう。

714: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 01:19:08.54 ID:hgCpXxDh0
今この瞬間の日本を沸かしているのが、私とそう年齢の変わらない男女というのもまた不思議な話だ。
うち一人は、隣のクラスの生徒。

『わ、私たちがここまで来れたのは、ひとえに応援してくださったファンの皆様のおかげです! 本当に、ありがとうございました!』

『え? 私の番ですか!? え、えーと……。すみません、特に考えていませんでした……』

「卯月ちゃんも愛梨ちゃんも、緊張していますね」

「日本中が注目しているからね。NG2ぐらいの売れっ子でも震えるってもんさ」

私の交友からは、今年度IA大賞最有力候補のNG2の3人と、今年度のダークホースと呼ばれる愛梨ちゃんがノミネートしている。
こんな凄い人たちと同じステージに上がったんだと思うと、私まで誇らしくなってきた。

『まずは部門賞の発表です。部門賞は、日本全国を5つのエリアに分けて、その地域で最も輝いたアイドルに与えられます』

「えっと、5つの地域って言うのは?」

説明を受けた気もするけど、昔のことなのでおさらいとして聞いておく。

「一応北東、中央、上方、西、南でブロックごとに分けて、そのブロックでの最優秀アイドルを決めるってことだね。トライエイトのうちの5つだよ」

「あっ、思い出しました」

715: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 01:23:38.01 ID:Bi81cavA0
私も仕事という名目で日本中のあちこちに行ったっけ。その積み重ねが賞に繋がるんだ。

『ではまず、南地域で最も輝いたアイドルに送られる、OCEAN BLUE賞の発表です! 受賞するアイドルは……』
『5番、New Generation Girls!』

アナウンサーが発表すると同時に、NG2の3人にスポットが当たる。

『へ?』

急にカメラを向けられて3人は一瞬何が起こったか分からないみたいにポカンとしたけど、
直ぐに自分たちが受賞したと分かると大きくガッツポーズをして喜びを表現する。

「やった! 卯月ちゃんたちですよ!」

「流石NG2だな。歴史上2度目の部門賞、大賞全取り行けるか?」

「2度目って……、それまでいなかったんですか?」

「うん。IAが出来てからの歴史で、全部門制覇したユニットは1つしか知らないな。それも俺が小学生高学年ぐらいの頃だし、10年近く出てないはず」
「しかもその頃は、ファーストホイッスルは前番組のオールドホイッスルだったし、トライエイトって言う概念も無かったんだ」

それを聞いてますます親友として鼻が高くなる。

716: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 01:29:16.82 ID:hgCpXxDh0
このまま彼女たちが新たな歴史を作るのか?
それとも他のアイドルが意地を見せるのか?

解説者みたいに番組を楽しんでるけど、私だって悔しい。本当はあの会場に行きたかった。
選ばれなかった多くのアイドルが思っていることだろう。

だからIUの予選は混戦激戦が予想される。みんな最高に輝けるチャンスを狙って必死になる。
私もそう。持てる力を出し切ってIUに挑みたい。

今度はNG2にも愛梨ちゃんにも勝利したい。

『さぁ、これまでNG2の3人が部門賞を独占しています。果たして、北東地域のSNOW WHITE賞も得ることが出来るのか? はたまた意外な展開が待っているか!? それでは、発表いたします』
『北東地域で最も輝いたアイドルは……、13番十時愛梨さんです!』

『ふぇ? わ、私ですか!? ええ!?』

「愛梨ちゃん! 愛梨ちゃんが受賞ですよ! 愛梨ちゃん秋田出身でしたもんね!」

愛梨ちゃん愛梨ちゃん! と興奮して連呼してしまう。プロデューサーも驚きを隠せないようで、テレビを食い入るように見ている。

「これは……、本当にあの子は化け物だな。NG2とデビュー時期が重なっていたら、どうなっていたか……」

愛梨ちゃんが受賞したことは嬉しい。だけど裏を返せばNG2の全部門制覇が途絶えたということだ。
一瞬映った彼女たちは愛梨ちゃんの受賞に拍手を送っていたけど、それでも3人とも悔しそうな表情を浮かべていた。

717: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 01:37:16.36 ID:Bi81cavA0
「NG2か愛梨ちゃんか……。大賞はどっちに渡る?」

「部門賞の数で決まるって訳じゃないんですね」

「うん。俺も詳しくは知らないけど、大賞は大賞で選考基準が違うみたいだ。だから部門賞を受賞出来ずに大賞を受賞したユニットだって少なくないんだよ」

成程、最後の瞬間まで分からないのか。

「部門賞はその地域のファンがカギとなる。大賞はそれだけじゃなくて、これまでの活動全部をまとめて評価する。きっとテレビに映らない部分も評価対象なんだろうな」

大賞を受賞するには、品行方正でなければいけないと言うことかな。
アイドルはみんなの憧れだ。良い行動も悪い行動も模範になってしまう。
だからこそ、私たちは常に気を付けていなくちゃいけないんだ。

「他の19組のアイドルにも十分チャンスはあるけど、今回はこの2組が突出している。ここから飛び出てくるのは難しいか?」

「どっちになるんだろう……」

『これにて部門賞の発表を終了いたします、引き続いて、本年度一番輝いたアイドルに送られる、IA大賞の授与を行います』

聞き逃すまいと聴覚をテレビに集中させて、瞬きもせずに画面に見入る。
会場を包む一瞬の静寂の後、司会者は口を開く。

『それでは、発表いたします。IA大賞を受賞いたしましたアイドルは……』

718: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 01:39:06.51 ID:hgCpXxDh0







『5番! New Generation Girls! おめでとうございます!!』







719: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 01:40:52.48 ID:Bi81cavA0
「NG2か! こりゃめでたいな」

「おめでとう卯月ちゃん、凛ちゃん、未央ちゃん!」

テレビの向こうに届くぐらいの拍手を2人して送る。ちひろさんが言うには、私とプロデューサーは似てきたらしい。

どっちがどっちに似たのかまでは教えてくれなかったけど、多分私が彼に似てきたんだろうな。

『え、えっと……。夢じゃない……んだよね?』
『うん。未央ちゃん、私たち……』
『やったよ、プロデューサー』

『それではIA大賞を受賞したNG2の3人のパフォーマンスをお楽しみください!』

今まで以上の歓声の雨の中、3人は最高のパフォーマンスを見せる。
1人では出来ないことも、3人なら可能になる、か。

なら私は、3人分頑張らないと彼女たちに勝てないということだ。

「美穂はさ」

「なんですか?」

「仲間が欲しいと思ったこと、ある?」

720: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 01:52:16.20 ID:hgCpXxDh0
祝福ムードから一転、神妙な顔つきで尋ねる。

「急にどうしたんですか。改まって」

「今まで1人で頑張って来たじゃんか。友達はいても、同じステージに立つ仲間じゃない」
「喜びも苦しみも分かち合える仲間がいれば、美穂も……」

そんなことを気にしていたのか。無い物ねだりをしても仕方ないと言うのに。
そもそも私に仲間がいないというのは大きな誤解だ。

「居るじゃないですか。目の前に」

「え?」

「1人より3人の方が、より輝けるかもしれません。ですが、私にはプロデューサーがいます。高め合えるライバルがいます。応援してくれる皆がいます。それだけで、私は頑張れるんです」
「だから、そんな顔しないでください。プロデューサーの困った顔は好きですけど、落ち込んだ顔はあまり好きじゃないですから」

「美穂……。そうだね。少しセンチメンタリズムになってしまったよ」

「ふふっ。今は、3人のパフォーマンスを見ましょう」

「だな。IUでは、彼女たちを超えなくちゃいけない。覚悟は出来ているかい?」

「はい。私負けたくないですから」

721: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 02:00:43.46 ID:Bi81cavA0
『ありがとうございました!』

パフォーマンスが終わり、3人は晴れやかな表情で壇上を降りる。
あの大舞台で歌えるなんてさぞかし気持ちが良いんだろうな。

『NG2の3人でした! ここで、彼女たちのプロデューサーにお話を聞いてみましょう』

『大賞受賞、おめでとうございます』

『ありがとうございます。彼女たちの輝きが、新たな時代を切り開いたということは嬉しく思いますね』

続いて壇上に上がったのはNG2のプロデューサー。卯月ちゃんの写メの通りプラダのスーツが決まっている。

「ふふっ、良く似合ってます」

ちひろさんも同じ意見みたいだが、不思議と嬉しそうにNG2Pを見ている。NG2よりも関心が強いのかな。

「プラダのスーツですか。NG2フィーバーの影響で売り切れそうだな」

「プロデューサーの服まで流行しちゃうんですか!?」

いくらIA受賞アイドルのプロデューサーとは言え、あくまで裏方なんじゃ……。

「NG2の仕掛け人! って文句で取材が殺到するだろうな。それにさ、美人だし。理想の上司ランキングとかに顔見せるんじゃない?」

722: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 02:07:14.86 ID:hgCpXxDh0
『ところで。これは見ている皆が気になっていることだと思いますが。これからの活動方針というのは?』

『惜しくも全部門制覇と行きませんでしたが……、夏にあるIU。その頂点に立ち、NG2は新たなステージへと上り詰めるとでも言っておきましょう』

『新たなステージ?』

『はい。PROJECT SOUTHERN CROSS。現段階ではお話出来ませんが、IU優勝のトロフィーを持って皆様に続報を提供することになるでしょう。その時を、お楽しみください』

『なんとも強気な発言ですね! PROJECT SOUTHER CROSS、気になりますね! 続報とNG2の活躍に期待しましょう!』

「サザンクロス、どういう意味なんだ……?」

「プロデューサー?」

「あっ、うん。何でもないよ」

嘘だ――。プロデューサー、貴方は自分が思っている以上に嘘が下手なんですよ?
彼の嘘は優しさの裏返しなのに、私はどうしてもその裏にある何かを邪推してしまう。

「さぁ、番組も終わったし。今日は帰ろうか」

「そうですね。明日も朝から仕事が有りますし。お疲れ様です」

「お疲れさん」

とは言え、心配よりも親友たちの大躍進の方が嬉しかったわけで。
事務所を出てバスに乗るころには、さっき見た彼の複雑な表情はすっかり忘れてしまっていた。

723: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 02:14:25.01 ID:Bi81cavA0
――

「PROJECT SOUTHERN CROSS、か……。無視できないな」

IAの中継も終わり、事務所で残った仕事を片付けながら呟く。
気にしないようにしていたけど、こうも大々的に言われると気にするなという方が無理だ。

既にネット界隈では、その言葉がどういう意味なのか議論が繰り広げられているようで、スレッドも乱立している。

>新ユニット結成か?

「これ、だろうな」

その答えに行きつくことは決して難しくなかった。NG2PはIU優勝を手土産に、新たなプロジェクトをスタートさせる。
そう考えるのが妥当だ。むしろ他の答えが出てこなかった。

「じゃあ美穂は……なんなんだ?」

松山久美子
神谷奈緒
小日向美穂
それとちゃんと読めなかったけど、2人の名前

凛ちゃんのメモ帳に書かれたアイドルたち、それとPROJECT SOUTHERN CROSS。
その2つが重なる時、俺たちは選択を強いられることになる。

例えそれが俺と美穂を引き離すことになっても――。

727: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 19:27:27.91 ID:IUil+3EI0
――

「『私……ずっと貴方のことが…!』うーん、違うかなぁ……」

レッスンスタジオ近くの公園の木陰で、台本片手に私は悩んでいた。

『今度さ、ドラマのオーディションが有るんだ。受けてみない?』

と彼に言われるままに承諾したが、台本をめくってみると今時珍しい位のストレートなラブストーリーだった。

セリフの1つ1つがド直球で、愚直なまでに恥ずかしいワードのオンパレード。読み進めるたびに私は恥ずかしさにさいなまれていった。
どうやら一昔前の少女漫画の実写化らしく、仕方ないと言えば仕方ないのかな。

『えっと、馬で登校するんですか?』

馬も学生というよく分からない世界だけど、少女漫画ってそう言うものだしね。

Naked Romanceを歌った人が何泣き言を思われるかもしれないけど、今回は相手役がいるんだ。
オーディションはセリフを言うだけだったので、恥ずかしいなぐらいで済んで合格したから良かったものの、
一度カメラが回れば至近距離に相手役のイケメンアイドルの顔が来るわけで。

728: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 19:31:46.56 ID:HX5V8y7T0
「緊張しちゃうなぁ……」

撮影はまだだけど、覚悟しておかないと撮影を何度も中断させてしまいそうだ。

「よしっ。もう一回読んでみよう『私……ずっと貴方のことが……!』うーん、告白なんてしたことないから、よく分からないなぁ。好きな人に向けて、か……えへへ……」

「そんなに頬を緩ませてどうした美穂?」

「はっ! プロデューサー……み、見ました?!」

「何のこと?」

「な、なら良いです!」

良かった、聞かれてなかったみたい。

「えっと、プロデューサーはどうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも。時計見てみ」

「えっと、14時7分です」

「レッスンの時間だよ?」

729: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 19:37:30.31 ID:IUil+3EI0
「へ? あっ、本当だ!」

台本を読むことに夢中で、レッスンのことを完全に失念していた。今頃トレーナーさんの頭には角が生えていることだろう。
一気に全身の血が凍っていくような感覚に囚われる。本能的に私はまずいと感じ取っていた。

「台本に夢中だったみたいだし、あまり強くは言えなかったけどさ。何、トレーナーさんには俺からも謝るよ」

「その……、すみません」

「まあ少し遅れるって連絡しておいたから、焦らなくても大丈夫だよ。えっと、この後のスケジュールは……あっ」

捲られたスケジュール帳から、ふわりと白い羽が落ちる。

「この羽……! 私の頭についていたやつですか?」

「うん。俺たちが初めて会った日に拾った白い羽だよ」

あの日のことは今でも夢に見る。陽だまりのバス停で眠る私の頭に降ってきた白い羽、私を膝枕する彼、アイドルへの誘い。
寝ていて知らないはずの光景でも、夢の中の私は知っている。それがなんだか羨ましかった。

「何となくさ、お守りみたいにずっと持ってるんだ。あの頃の気持ち、忘れない様にってさ。栞にもちょうどいいし。あっ、勿論綺麗に洗ってるよ?」

730: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 19:42:47.40 ID:HX5V8y7T0
あれから何ヶ月が経っただろう。ひとり暮らしにも慣れて、自炊もなんとか出来る様になって。

そう言えば――。

「私、お弁当作ったことないです」

「ん?」

「あっ、いやっ、その……。レッスン場に急ぎましょう!」

「おっと! そうだった! 走るよ、美穂!」

お母さんは冗談めかして言っていたけど、私も彼にお弁当を食べて貰いたいなと思っていた。
学生生活とアイドル活動が忙しく今の今まで作れなかったけど、学生生活が終わったので少しだけ時間に余裕が出来た。
ここは1つ、何時も頑張ってくれている彼に感謝の気持ちを込めてお弁当を作ってみようではないか。

「しかし、腹が減ったなぁ。後でなんか買っとくか」

プロデューサー、基本的に外食かコンビニの弁当で生活しているみたいだし。
多忙な生活で仕方ないかもしれないけど、栄養が偏りすぎるのも困り者だ。
なんだか私、お母さんみたいなこと考えてるな。それならば彼は子供だ。素直だけど手のかかりそうな子供。

731: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 19:51:32.37 ID:IUil+3EI0
時間があれば彼を相手にドラマの練習をしたかったけど、そんな暇はない。

「っと!」

「プロデューサー、負けませんよ!」

「おっ? やるか? 臨むところだ!」

春の香りが鼻をくすぐり心地良い陽光を浴びながら、私たちは全力で駆け抜ける。
この後のレッスンはダンスレッスンだというのに、そんなこと知ったこっちゃないと言うように。ばてたらばてたでその時は謝ろう。

こうやって2人並んで皇居外苑を走ったことも、へばって倒れそうになったことも今では良い思い出だ。
あの頃は右も左も分からずにがむしゃらに頑張って来た。それは今でも変わらない。

「ゴ、ゴール……」

「ぜぇぜぇ……。足速くなったな、美穂」

「プロデューサーこそ」

「何がゴールですか。そこの2人、レッスンに遅れても青春する余裕はあるみたいですね」

レッスン場の床に倒れこむ私たちを見て、トレーナーさんは呆れたように言う。
その後、いつも以上にスパルタなレッスンが待っていたのはまた別の話。

732: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 20:01:55.82 ID:HX5V8y7T0
「えっと、こんな感じかな?」

始めて作ったお弁当は見てくれこそイマイチだけど、味はまぁ大丈夫だと思う。
眠たい眼を擦りながら作ったので、味付けを間違えてないか心配だったけどこれなら大丈夫かな。
肉じゃがの味付けも彼好みの濃い目だ。これは自信がある。

「驚くかな? ふふっ」

困った顔で受け取る彼の姿を想像するだけで、私の心は軽くなる。

『お昼ご飯買わないでくださいね』

メールを送るだけでも躊躇したけど、一度送ればもうどうってことは無い。今日も1日良い日でありそうだ。

「行って来るね、プロデューサーくん」

「行ってらっしゃい」

子供っぽい声でアフレコしてみる。さぁ、靴を履いて今日も頑張ろ……。

「あれ?」

履こうとしたら靴底がめくれて穴が開いていることに気付く。昨日までこんなことなかったのに。

733: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 20:18:54.49 ID:IUil+3EI0
「ショックだなぁ……」

熊本にいたころからのお気に入りのシューズで大切に扱ってきたつもりだったけど、どうにも寿命が来ちゃったみたいだ。
仕方ない、ちゃんと供養してあげないと。

「はぁ、ツイてないよ」

仕方なしに、いつもと違う靴を履いて事務所へ向かう。

「うーん、やっぱり何か違うな」

本当に些細なレベルだけど、いつもと違う履き心地にどうしても違和感を覚えてしまう。

「同じ靴売ってるかな?」

今日のスケジュールが終わったら、買いにでも行こう。

「プロデューサーを誘って!」

そうだ、彼にも見て欲しいな。靴だけじゃない、服を選んでもらおう。
アイドルとしての私だけじゃなくて、1人の女の子の私も知って欲しい。そう思うと憂鬱な気持ちは消えてなくなる。

「えへへ……」

これが怪我の功名ってやつかな?

734: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 20:30:18.94 ID:HX5V8y7T0
――

「ふぅ……」

「どうかしましたか、プロデューサーさん」

「いや。少し考え事をしていたんです」

「考え事ですか?」

「はい。NG2の事務所に有力なアイドルが移籍している話、知っていますか?」

「えっと、松山さんと神谷さんでしたっけ?」

「はい。どちらも最近力をつけてきた新気鋭のアイドルなんですが、電撃移籍をしまして。それも2人ともNG2の事務所に行ったんです」

うちと規模があまり変わらなかったNG2の事務所だが、凛ちゃんたちの活躍と敏腕Pの金策が上手く行ったのか、
何時の間にやら大規模な会社へと発展していった。
前にあった公開新人オーディションも150人を超えた応募があったみたいだし、今一番勢いのある事務所というのは疑いようのない事実だ。

とは言え、我が事務所も指を咥えて見ているわけじゃない。近いうちに新人アイドルオーディションを行うことになっているのだ。
流石にNG2の事務所に比べると規模は劣るも、美穂の活躍もあって結構な応募が来ている。

735: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 20:35:12.62 ID:IUil+3EI0
「オーディションに合格した子は確か……、五十嵐響子さんって言ったかな?」

記憶が正しければ、サイドポニーの女の子だったはず。普通のオーディションではなく公開オーディションと言うあたり、これから事務所も推してくるだろう。

「大々的にテレビでも放送していましたしね。IA受賞と言う看板は私たちが思っている以上の効果があるみたいです」

「ええ。1、2ヶ月でここまで力をつけるなんて、普通の手段じゃまず無理です」

当然事務所を大きくするに際して所属アイドルを充実させるために他社から引き抜きということも有るのだが、この2人に関しては引っ掛かりを憶えていた。

「この2人、美穂が合格したファーストホイッスルのオーディションに参加してたんですよ。その時、凛ちゃんが書いていたメモ帳に書かれていたのが、この2人なんです」

「メモ帳ですか?」

あの時はまだ疑惑程度だったけど、彼女たちが動いたことで確信へと変わった。
3人目は……美穂だ。

「はい。PROJECT SOUTHERN CROSS。IA授賞式でプロデューサーさんが言っていた言葉なんですけど……」

「……」

「ちひろさん?」

736: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 20:38:49.38 ID:HX5V8y7T0
「あっ! すみません、ボーっとしてました!」

「熱が有るとか?」

「いえ! 何でもないですよ!」

何でもないとは言うものの、ちひろさんはその言葉を聞いて複雑そうな表情を浮かべていた。
いつも笑顔を浮かべてきびきびと仕事をし、一度たりとも油断を見せなかった彼女が見せた一瞬の憂い。

もしかして、ちひろさんはこのことに関して何か知っているのだろうか?

「ちひろさん、貴女は」

「あっ、電話が。失礼しますね!」

「っと」

肝心なことを聞こうとすると、邪魔するかのように事務所の電話がけたたましく鳴りちひろさんは対応に追われる。

「気にし過ぎかな……」

電話の邪魔にならない様に作業に戻る。そろそろ、美穂も来るころだ。
お昼ご飯買わないでくださいとメールが来たけど、どういうことだろうか。外食をするってこと?

737: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 20:43:54.51 ID:IUil+3EI0
「お電話ありがとうございます! シンデレラプロです! えっ? はい、お久しぶりです。プロデューサーはいますけど……。分かりました、お待ちしております」

「知り合いですか?」

「はい。知り合いと言うよりかは……どう説明すればいいんでしょうね。とにかく、プロデューサーにお客さんです」

「俺にですか?」

誰だろう。アキヅキさんとかかな?

「失礼します」

急な話だなと考えていると、相手方はすでに事務所の中に入っていた。
プラダのスーツを身に纏い、クールな立ち振る舞いの彼女は、今日本で一番有名なプロデューサー。

「貴女は……、NG2のプロデューサー」

「ええ。よくご存じで」

テレビで見たことは有ったけど、実際にこう目の当たりにするのは初めてだ。
NG2との仕事でも、タイミングが合わないのか会ったことは無かったし。

738: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 21:12:20.40 ID:HX5V8y7T0
「IA制覇の裏の立役者ですよ? この業界の人間で、貴女のことを知らない人はいないと思いますけど?」

「私も有名になったものですね。あの頃と大違い。皮肉な話です」

「あの頃?」

「小日向さんはいないみたいですね」

意味深なことをぼやき1人感傷に浸っているけど、どうやら俺の疑問に答える気はないらしい。

「ええ。もうすぐ来るかと思いますが」

時計を見るとお昼前。いつもなら今日の昼ごはんを考えているころだけど、今はそれ所じゃない。

「まぁ良いでしょう。ちひろ、失礼するわよ」

「はい、お茶用意しますね」

「貴女も事務員姿が絵になって来たわね。お似合いよ」

「褒め言葉として受け取っておきますね。センパイも様になってますよ! どうぞ」

「ありがとう」

さっきの電話の主がNG2Pだとすれば、ちひろさんとは知り合いということになる。
それを裏付けるかのように、彼女もちひろさんの前ではホンの少し表情を緩めているし、ちひろさんもセンパイと親し気に呼んでいる。

739: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 21:17:37.80 ID:HX5V8y7T0
「ちひろさん、お知り合いなんですか?」

「ええ。私のセンパイなんです」

「センパイ? 事務員仲間ですか?」

「いえ、そう言うんじゃないんですけど……」

「まぁ、それは今は関係ありません。本日はビジネスのお話しで来ましたので」

その話題は聞かれたくないみたいだ。後でちひろさんに聞いておこう。

「ビジネス? そう言うのは社長の方が」

「いえ。用が有るのは、あなたと小日向さんです。それにデレプロの社長は、決定権を貴方達に委ねるでしょうし」

「俺と美穂、ですか?」

ここまで言われて俺の中で嫌な予感が駆け巡る。ずっとずっとこうなるんじゃないかと恐れていたことだ。
そして残念なことに、悪い予感は外れて欲しいと願った時に限って見事的中してしまうのだった。

「ええ、単刀直入に言いましょう」

740: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 21:18:47.25 ID:IUil+3EI0






「小日向さんを我がプロダクションに引き抜きたい」






741: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 21:23:51.33 ID:HX5V8y7T0
「何ですって?」

覚悟していたとはいえ、ストレートすぎる物言いに一瞬たじろいてしまう。

「PROJECT SOUTHERN CROSS。新時代を切り開くアイドルユニットの最後のメンバーに、小日向さんの力が必要なんです」

「一体なんなんですか、そのサザンクロスってのは。IAでも意味ありげに言って、他事務所から有力なアイドルを引き抜いて。貴女は何がしたいんですか」

「さっきも言った通りです。私たちが目指すのは、アイドルの新時代。ヒダカマイ、876、1052、ジュピター、そして765プロ」
「過去の伝説たちが残してきた記録を超え、新たな伝説となるユニット……」

「それがPROJECT SOUTHERN CROSSってわけですか」

「ええ。まあ正式名称は長いので、サザンクロスって呼んでくれて構いません。イチイチプロジェクトってつけるのも億劫なので」
「NG2はその序章に過ぎません。彼女たちは、私が想像していた以上の結果を出してくれました。全部門制覇まであと一歩という所で、十時さんに持って行かれたのは、本当に惜しい話ではありますが……」
「残すはIU制覇。それを終えて、心置きなく次のステージへと向かうことが出来ます」

先の引き抜かれたアイドルも、サザンクロスのメンバーということになるのだろう。
となると、凛ちゃんのメモも意味が生まれてくる。あれは品定めをしていたんだ。

新たな伝説を作るにふさわしいメンバーかどうかを。

742: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 21:33:20.11 ID:IUil+3EI0
あのページに書かれていた松山さんと神谷さんは、彼女のプロダクションへと引き抜かれた。
相手は天下のNG2のプロダクションだ。決して悪い話じゃない。むしろまたとないビッグチャンスだ。

恐らく今の俺と同じような説明を受けたのだろう。伝説を作るなんて妄言と捉われかねないが、それすらも実現させることが出来る環境が、彼女たちにはあった。

「仮に美穂をそちらのプロダクションに預けるとして。その場合どうするおつもりで?」

もちろん預ける気などさらさらない。彼女をトップに導くのは、俺の仕事だ。そう誓ったじゃないか。

「断言するのはまだ早いのでは? まあ、良いでしょう。もちろん無償というわけじゃありません」

「お金、ですか」

「いいえ。それ以上の価値があるかと。尤もいくらお金を積んだところで、貴方は認めないでしょうし。ですから、もっと価値のあるものを用意しました」
「小日向さんを我がプロダクションに預けていただけた場合、デレプロのプロデューサーに、私の持つハリウッド行きのチケットを譲るとしましょう」

「なっ!?」

今ハリウッド行きのチケットを譲るって言った? 業界人にとっちゃ喉から手が出るほど欲しいような代物なのに、
その権利を放棄するだなんて。この人どういうつもりだ?

743: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 21:40:05.20 ID:HX5V8y7T0
「放棄って、そんなことが出来るんですか?」

「飽くまで与えられたのは権利です。義務ではありませんし、行使しないという選択もありますよ」

尤も、そんな物好きなプロデューサーは今までいなかったみたいですがと小さく付け加える。

当たり前だ。IA協会から出資金も出るし、何より向こうはショービジネスの本場だ。
毎日が刺激と興奮の連続で、研修を終えて戻って来たプロデューサーたちのインタビューも実にタメになるものばかりだった。

「本当に物好きな人ですね」

「海を越える理由もありません。私はこの国でやり残したことが有りますので。それに、そちらにとっても悪い話じゃないと思いますが?」
「サザンクロスは最高レベルのレッスン環境とスタッフを用意しています。今所属している事務所がいくら儲かったとはいっても、赤字は覚悟の上ですが、それ以上の経済効果は十分に見込めます」
「今までソロで活動してきた彼女にとっても、仲のいいNG2の3人をはじめ、レベルの高いアイドルたちと共に、最高の環境で活動が出来る。それは魅力的な話じゃないですか?」

確かに悪い話じゃない。彼女にどのような目的があるか知らないが、俺はハリウッド行きの権利を得ることが出来るし、
美穂も今以上にレベルの高い環境で活動出来る。

テレビでやっていたNG2特集で見たレッスンは非常に高水準なもので、美穂も圧倒されていた。
向こうの事務所も、ホンの少し前までうちとそんなに変わらなかったはずなのに、いつの間にか大きなビルを建てて、
社内にエステルームやサウナ室、果てにはカフェテリアまで用意していた。もはや一種の娯楽施設だ。

悔しいが、今の俺たちではあそこまでの環境は用意出来ない。金もコネもありゃしないのだ。

744: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 21:42:36.76 ID:IUil+3EI0
「ですが……」

「どうでしょうか? そちらにとって、マイナスはないはずです。理想的なWin-Winの関係だと思いますが?」
「勿論小日向さんを引き抜いて飼い殺しにするなんて無粋な真似はしませんよ。貴方と同じように、私達も彼女の可能性に賭けてみたいと考えているんです」

「……」

「まあ困惑するのも無理は有りませんね。何分急な話で、油断していたのでしょう。出来ればこの場に、小日向さんもいてくれれば良いんですけどね」

彼女の言葉に嘘はないだろう。口ぶりや態度こそ冷淡に感じるものの、NG2の成長を誰よりも喜んでいた彼女なら、
美穂も大切に育ててくれるはずだ。

移籍と言っても悪いことじゃない。寧ろ前向きな交渉だ。
美穂の未来を思えばどうすべきか一目瞭然。悩む理由など、どこにもないだろ。

なのに。なのに俺は……。

「断る……」

「? 今何と言いましたか?」

「ことわ」

「そこまで。熱くなりすぎだよ」

「社長! それに、美穂……」

「プロデューサー。その、聞いてしまいました……」

聞こえるかどうかの小さな声で言うと、申し訳さそうに下を向いた。

745: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 21:50:12.68 ID:HX5V8y7T0
――

「小日向さんを、我がプロダクションに引き抜きたい」

「え?」

お弁当片手に事務所のドアを開けようとしたとき、中からそんな言葉が聞こえてきて、私の動きは止まってしまう。

「どういう、こと?」

ドアの向こうから聞こえてくる、プロデューサーと女の人の声。
相手は誰か分からないけどその声はとても冷たくて、4月というのに肌寒さすら感じていた。

「プロデューサーがアメリカに? 私を引き抜く? サザンクロス?」

次から次へと断片的に聞こえてくるワードが私の不安を煽っていく。
蚊帳の外。その表現がしっくりと来た。

言葉を集めていくうちに、相手がNG2のプロデューサーさんということが分かって来た。
なるほど、どこかで聞いたことある声だなと思ったわけだ。

NG2のプロデューサーはハリウッド行きの切符をプロデューサーに譲渡する代わりに、私をプロダクションへ引き込む。
シンプルな取引だ。

746: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 21:52:52.88 ID:IUil+3EI0
「どうして?」

どうして私なんだろうか。もっと他にも魅力的な女の子がいるはずなのに。

「小日向くん、どうしたのかね?」

「あっ、社長。その……」

聞き耳を立てることに夢中になって、社長が事務所に入りたそうにしていることにも気付けなかった。

「おや、誰か来ているのかい?」

ドア越しの会話が漏れてきて、社長も状況を把握したみたいだ。

「多分、NG2のプロデューサーさんです」

「ほう。彼女が……。何年ぶりになるのかな」

「彼女? お知り合いなんですか?」

「知り合い、か……。それならば君と彼も、知り合いと言う関係になるのかな?」

「えっ?」

その言葉の意味が分かったのは、数分後のことだった。

747: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 22:07:42.68 ID:HX5V8y7T0
「さぁ、入ろう。春と言っても、まだ風は強いからね。油断していると風邪をひいちゃうよ」

そう言うと社長は事務所のドアを開ける。理解が追い付かないまま、私も事務所へと入る。
事務所の中には涼しげな表情のNG2Pと、悔しそうに歯を食いしばるプロデューサー。2人をちひろさんが心配そうに見つめていた。

「――」

「? 今何と言いましたか?」

「こと」

「そこまで。熱くなりすぎだよ」

「社長! それに、美穂……」

私たちの顔を驚いたように見る。彼にとっては、この話は私に聞かれたくないことだったのだろう。

「プロデューサー。その、聞いてしまいました……」

虫の羽音の方がまだ大きいと思えるぐらいの声しか出ず、目を逸らしてしまう。

748: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 22:15:16.84 ID:IUil+3EI0
「しかし……久し振りだね。IA大賞受賞、おめでとう」

「ええ、お陰様で。尤も、私がしたことなど微力なものです。大賞を勝ち取ったのは、彼女たちの力ですよ」

「君が彼女たちを正しく導いたからこその結果だよ。願わくば、君たちがアイドルの時に貰いたかったものだが」

「へっ? 社長……。まさかさっきの言葉」

私と彼女が知り合いならば、君と彼も知り合い――。同じだったんだ。

「うむ。彼女と、ちひろくんは、私が昔プロデュースしていたアイドルだったのだよ」

「えっ? 社長、今何と?」

プロデューサーは社長の言葉が信じられないといったように、ポカンと開いた口が閉まらないでいる。
かくいう私もだ。NG2Pは社長の言葉で分かったけど、ちひろさんもだったなんて。
きっと私も彼みたいに間抜けな顔を晒していることだろう。

「ア、アイドル!? 彼女と、ちひろさんが? 初耳でした……」

「プロデューサーさん。今まで黙ってて申し訳ないんですけど、私元々アイドル候補生だったんです。社長がプロデューサーで、ユニットを組んでいたのが」

「うむ。彼女だよ」

749: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 22:19:58.27 ID:HX5V8y7T0
「まあ知らなくても無理はないでしょう。夢を見たものの、私たちは叶えることが出来ませんでした。私たちは、憧れのステージに上がることなく終わったんですから」

「そうだったんですか……」

「だけどその経験はプロデュースに大いに役立ちました。NG2をはじめ、私のプロデュースしてきたアイドルに、同じ踵を踏んでほしくないですからね」
「形は違えど、ファーストホイッスル出演、IA制覇という夢を叶えることは出来ましたから」

NG2Pは寂しそうに語るも、その眼は光に満ちていた。NG2の3人は彼女から夢を託されていたんだ。

「しかし、一体どういう用件かね? 私は途中から来たから話が読めないんだが……」

「ちょうどいい。小日向さんも居ますし、もう一度言わせていただきましょう」
「私たちの進めるプロジェクトに、小日向さんもメンバーの一人として参加していただきたい。早い話、引き抜きです」

「私を、ですか」

「ええ。他ならぬ小日向さん、貴女です」

「それがサザンクロスだね」

「ええ。その通りです」

「でもそれでは、君はアメリカに……。ああ、そうか。忘れていたよ。君はアメリカに行けないんだったね」

750: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 22:22:55.00 ID:IUil+3EI0
「えーと、どういう事ですか社長?」

「そ、その話は今は不要ではないでしょうか?」

さっきまでの余裕はどこへやら、『アメリカに行けない』と言われて、NG2Pは突然狼狽え始めた。
それをちひろさんはニコニコと見ていて、社長も相手の弱みを握ったかのように、嫌な笑みを浮かべている。

「彼女はね、この国を出ることが出来ないんだ。だから、ハリウッドにも行けない」

「はい? この国を出ることが出来ないって、鎖国してるんですか?」

「どういう意味ですか?」

「それ以上はいけない!」

必死な形相の彼女を無視して社長は続ける。

「ああ、彼女はこう見えてね」

「こう見えて?」

「ストーップ! 冷静になりましょう! ここは1つ、まぁ眼鏡どうぞ!」

そして私たちは知ったのだ。彼女の衝撃の真実を――。

752: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 22:27:16.84 ID:d/YGMK210



「飛行機恐怖症かつ、船舶恐怖症。どうやらまだ治っていなかったみたいだね」



「はぅっ!」





753: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 22:30:49.95 ID:IUil+3EI0
「なんだ、相変わらずなんですね。あの頃のこと思い出しちゃいますね、社長」

「ああ。沖縄で仕事が入ったのに、彼女は飛行機も船も怖いからと嫌がって……」

「あ、あんな鉄の塊が空を飛ぶなんてむーりぃーって……」

「ストップ! それ以上は止めてください! ちひろも悪乗りしないでー!」

クールで理知的な彼女はどこへやら。恥ずかしい過去と秘密を暴露されそうになって、涙目で止めようとしている。
そんな彼女の姿に、不覚にも萌えてしまったのは秘密だ。

「つまり貴女は、アメリカに行くのが怖いけど、それを知られたくないから日本で新たなプロジェクトを発足した、と。権利も誰かに譲渡すれば問題ないみたいですし」

「そんな単純なことではないだろうが、まぁ要因の一つだろうね。特に彼女の飛行機恐怖症は相当なものだったよ」

「意地でも乗ろうとしませんでしたもんね。何でも良く分からないトラウマが有るとかで。なんでしたっけ?」

「か、勘違いしている様なので! この際はっきりと言わせてもらいますが!」

想い出話に花を咲かせる2人を遮るように、聞いたこともないような大声で叫ぶ。よっぽど知られたくなかったんだろうな。

「私は飛行機とか船が怖いからなんて理由で、日本に残りたいわけじゃありません! この国で出来ることを最大限したい、それだけです!」

754: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 22:40:15.70 ID:d/YGMK210
「そらほんなこつな(本当かよ)」

プロデューサーは信じていないのか、思わず方言が出てしまっている。そう言えば彼の方言って初めて聞いたかも。

「信じて貰えないならそれでも結構です! ですがアメリカに行くことよりも、この国で活動することにこそ意味が有ると考えているのは事実です」

「なるほど、それで小日向くんを……」

「ええ。どうやらプロデューサー殿は良い顔をしていないみたいですが」

「当たり前です!」

「そう、怒らないでください。取引はクールに行きましょう」

さっきまでの彼女は無かったことにしたいようだ。緊迫した状況なのに、ギャップのせいで彼女が可愛らしく思えてくる。

「2人とも。どれだけアピールしたところで、最終決定のボタンを押すのはほかでもない彼女だよ」

社長は私に目配せする。どうやら私の意志を曲げてまで引き入れさせる気はないみたいだ。

「仕方ありません。今日のところは引き揚げさせてもらいましょう。ですが、最後には双方にとって最良の結果が訪れる。私はそう確信しています」

そう言い残して、NG2Pは事務所を出る。残された私たちは、その姿を只々見続けることしか出来なかった。

755: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 22:44:20.18 ID:IUil+3EI0
――

「しかし、弱りましたね……」

「うむ。引き抜きたいというのは、それだけ彼女を評価しているということだ。実に誇らしいことではあるが」

「納得しろって言われて出来るものじゃありません」

彼女の言いたいことは分かるけど、分かりたくなかった。さっきも社長が止めなければ、俺は断っていただろう。

俺たちからすれば、彼女は分かりやすいぐらいの悪役だ。それと同時に彼女の夢と野望からすれば、俺も悪役でしかない。
要は見方次第。俺にしろNG2Pにしろ、最良の結果を求めているだけの話だ。

でも今の俺は、美穂との別離を認めたくない余り、その事実を受け入れようとしなかった。
彼女を一番上手にプロデュースできるのは俺だ、トップアイドルに導くって約束したじゃないか。

何度もそう自分に言い聞かせて、現状から逃げていた。
悲劇のヒーローを気取っていたのだろう。全く、情けない。

今のままじゃロジカルな思考は出来そうになかった。感情だけでどうにかしていい話でもない。
ちゃんと冷静に考えないと。

756: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 22:50:23.75 ID:d/YGMK210
「センパイは、私たちの叶えることが出来なかった夢を、今を生きるアイドルに託そうとしているんです」
「きっと今日まで、その思いで頑張って来たんだと思います」

「ちひろさん……」

「センパイのこと、悪い人だと思うかもしれません。あの人は、どうしようもなく不器用なんです」

「すみません、どうしてアイドルを辞めちゃったんですか? あれだけ夢を叶えたいと思っていたのなら……」

誰かが夢を叶えることが出来たなら、誰だって夢を叶えることが出来るはず。美穂の持論だ。

だから美穂の眼には、あれほどの意欲を持つNG2Pがトップアイドルになれなかったことが不思議に映っているのだろう。

美穂はまだ、大人の事情を知らない。生まれたての子供みたいに純粋だ。

服部さんも帰ってくると信じているし、IU制覇という夢に向けて日々活動している。
俺は最初から、美穂のことも、美穂の夢だって叶うと信じている。

だけどそれは、根拠のない詭弁なんだ。美穂はもはや普通の女の子じゃない。

美穂は、特別な存在なんだ。

757: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 22:56:20.44 ID:IUil+3EI0
「どうしようもなかったんです」

「えっ?」

ちひろさんは泣きそうになりながらも続ける。

「これでも、私たちは精力的な活動をしていたんですよ。ローカルテレビだったり、小さな仕事の連続でしたがそこそこ売れて、このまま頑張れば夢も叶うんじゃないかって。3人とも信じていました」
「ですが……、センパイはケガをしたんです。最初は小さな違和感だったかもしれません。私たちにそんなことおくびにも見せませんでしたから」
「だけど、無理をおして活動して……。気づいた時には、彼女のアイドル生命は断たれていたんです」

「そんなことが……」

「そしてそのまま私たちは表舞台からフェードアウトしました。珍しいことじゃないです。この業界のサイクルなんですから」

私1人じゃ何もできなかったんですよ。ちひろさんは自嘲するように付け加える。

「それから何年が経ったんでしょうか? プロデューサーが会社を設立したと聞いたのは今年の夏のことでした。わざわざ私の働いていた職場まで押しかけて来たんですよ?」
「それまでこの業界から離れて普通の女の子として過ごして、普通に社会に出ていましたが事務員としてアイドルの皆をお手伝いして欲しいと。そう言われて」
「最初は戸惑いました。だけどセンパイがプロデューサーとしてあの日の夢に決着をつけようとしていたことと、もし私の力で誰かの夢を叶えることが出来るなら。そう思って入社しました」

入社して半年ほどが立って、ようやく彼女のことを知ることが出来た。
もしNG2Pが来なければ、知ることもなかったのかな。

758: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 23:00:48.67 ID:d/YGMK210
「でも私は後悔していません。決して恵まれた活動ではなかったですけど、私たちが輝いていたあの頃は、お婆ちゃんになっても忘れることが出来ると思えませんから」

「そう言ってもらえると、私も救われた気持ちになるよ」

「社長は、いえプロデューサーは私たちにとって最高のプロデューサーですよ」

「ありがとう。君たちも私にとって最高のアイドルだ」

誰にでもドラマはある。大きかろうが小ささかろうがその人にとっては、ダイヤモンドよりもキラキラとした記憶なのだ。

「さて。懐かしい話はこの辺にして。これからのことを考えるとしよう。社内ミーティング、こう全員で行うのは、初めてだったね」

社長はおどけるように言うけど、それでも目は笑っていない。何時になく真面目な表情に、俺の気持ちも引き締る。

懐かしい思い出と、今俺たちの目の前に聳え立つ問題は別の話だ。

「小日向くん、正直な話を聞かせて欲しい」

「正直な話ですか……」

困惑の二文字が、美穂の可愛らしい顔に書かれる。

759: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 23:06:44.84 ID:IUil+3EI0
「うむ。こればっかりは、大人が決めることじゃないからね。責任を押し付けているようで悪いが、君には最良の選択をしてほしいんだ」

「急に言われても、混乱しちゃいます……」

「無理もないか。君のアイドルとしての運命を大きく変える事態だからね。幸い時間はまだ有る。恐らく彼女がプロジェクトをスタートさせるのは」
「IU直後。NG2の優勝が、その合図だろう」

俺もそうだと考えている。IU制覇を果たしたアイドルが、新たなユニットを組んで連覇を目指す。
当然世間の関心も高くなるだろう。

おまけに新たに加わるメンバーも、美穂をはじめとしてファーストホイッスルに出演したような実力者ばかり。
伝説を超えると豪語するにふさわしい布陣だ。

「我が社の現状も説明しておこう。今週末だが、アイドル候補生オーディションを行うことになっている」

「オーディションですか?」

「ああ。だからその日は美穂のスケジュールはオフになっている。俺は審査をしなくちゃいけないけど」

「縁が有って入社してもらうアイドルには当然プロデューサーも必要だ。これは今探しているところだよ」

「後輩アイドルが出来るんですね」

少しだけ美穂の表情が緩む。やっぱり同じ事務所の仲間が欲しかったんだろう。

「そうなるね。本来なら俺は美穂の担当と新人Pの指導、新人Pが後輩アイドルをプロデュースするという方針だったんだ」

760: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 23:16:21.90 ID:d/YGMK210
「だけどNG2Pの介入……、って言うと言い方が悪いけど、彼女のプランに乗った場合は」

「小日向くんはサザンクロスへ、彼は新人プロデューサーの研修とアメリカ行きの準備をすることになる」

「すぐにアメリカに行くわけじゃないんですね」

「ああ、そうみたいだ。そういや服部PもIAノミネートアイドルのプロデューサーだ。彼もアメリカに行くのかな」

服部さんとのことは解決したのだろうか。一度連絡を取ってみよう。

「アメリカに行くのはIUの終わった後だね。それまでは他のプロデューサーもIUに向けて活動しているだろうし」

「じゃあ夏までってことですか」

「だな。ちょうど9月か10月になるはずだ」

奇しくも美穂と初めて出会った季節だ。

「以上がこの事務所の今後の方針だね。彼女はどういう方針を立てているかまでは分からないが、近いうちにアプローチが有るはずだ」

彼女の性格なら今日にでもしかけてきそうだな。

「小日向くん。これだけは約束して欲しい。決して焦らないで自分自身のために選択するんだ。自分の夢に正直になるんだ。良いね?」

761: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 23:18:05.23 ID:IUil+3EI0
「……分かりました」

やっぱり美穂の表情は浮かないままだ。これは美穂にとっても俺たちにとっても最大の選択。
事務所内を支配する緊張は、未だ晴れずにいた。

「さてと。難しい話は終わりにしよう。それよりもお腹が空いたね」

沈黙を最初に破ったのは社長だった。言われてみると、さっきから小さく腹の虫が鳴いている。
今あれこれ考えても仕方ない。ひとまず、お昼をどうしようか……。

「あのっ、プロデューサー」

「ん?」

変わらず美穂は深刻な顔をしていたけど、その頬に赤みが増す。
どうしたのかと思えば、美穂は事務所に入った時から持っていた物体を俺に渡して、

「お弁当、いりますか?」

「はい?」

「えっと! 作って来ました!」

恥ずかしそうに目を逸らしながらそんなことを言うのだった。

762: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 23:21:58.53 ID:d/YGMK210
――

「うー……」

今日の予定はすべて終了。私は重力に逆らわず、ベッドへと倒れ込む。

「今日は疲れたよ」

「」

枕元が定位置なプロデューサーくんは何も返してくれない。返事が来たら来たで怖いけど、この子ならまぁ大丈夫かな。

「お風呂入らないと」

このまま眠りたかったけど、お風呂にはちゃんと入らないといけない。
今にも夢の世界へ行ってしまいそうな身体を起こし、なんとか意識を保って浴室へ。

「冷たっ!」

シャワー浴びようとノズルを回すと、冷水が容赦なく私の身体を襲う。
急いで止めて、お湯が出るように調節する。おかげで眠気はどこかへと飛んで行ってしまった。

763: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 23:25:20.96 ID:IUil+3EI0
「ふぅ……」

浴槽につかりホッと一息。暖かなお湯が、今日一日の疲れを流してくれる。
でも心の疲れはその限りじゃない。お風呂に入っても、眠りについても、歌っていても。私が選択を果たすその時まで、きっと残り続ける。

「複雑な一日だったなぁ……」

お気に入りの靴は壊れて、NG2Pが私を引き抜こうとして、選択を強いられて、彼にお弁当をあげて。

最後の1つで全部が帳消し、となればよかったけど、どうも上手く行かないみたいだ。それでも――。

『いやぁ、ホントこの肉じゃが好きだ。ありがとう、美穂。全部美味しかったよ』

肉じゃがを美味しそうに食べてくれた彼の顔を思い出すだけで、私の気持ちは軽くなる。

「そんなの、嫌に決まってるよ……」

迫る選択に対する私の答えはNo。理由は褒められたものじゃないだろう。
だってそこに、プロデューサーがいるから。それだけだ。

私の夢は彼と出会ったことから始まって、楽しいことも苦しいことも2人で乗り越えてきた。
アイドル小日向美穂の半身は、彼と言っても過言ではない。同時に、プロデューサーである彼の半身は私なんだ。
冷静な判断じゃない、どうかしている。そんなもの、言われなくても理解している。

卯月ちゃんたちと一緒に活動することよりも、彼と共に歩いていくことこそが夢への一歩。
そんな脆い論理に、私は疑いもせずに縋っていた。

764: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 23:31:34.53 ID:d/YGMK210
「あれ? トレーナーさんからだ」

風呂上りに携帯を確認すると、トレーナーさんから電話がかかっていた。こんな夜分にどうしたんだろう。

「もしもし?」

『あっ、夜遅くに申し訳ありません。今時間大丈夫でしょうか?』

「はい。えっと、どうかなさいましたか?」

『今週末なんですけど、予定が入ってませんでしたよね』

「仕事もレッスンもお休みって聞いてますけど……」

『ええ。その日はデレプロさんのオーディションですから。私も参加することになってます』

社長が言うには、今週末デレプロは新人アイドルオーディションを行うらしく、既に数十件の応募が来ているらしい。
私の活躍が後押しとなったみたいだけど、余りそんな実感がわかない。

どんな後輩アイドルがやって来るか分からないけど、今日のことが有ったため素直に喜んでいいのか良く分からなかった。

とは言え久方ぶりの一日休みだ。自由な時間が取れるのは嬉しいけど、却ってやることが無くて困ってしまう。

765: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 23:33:34.84 ID:IUil+3EI0
『もしご予定が有るのなら、そちらを優先しても大丈夫なんですが、私の姉のレッスンを受けてみませんか?』

「へ? トレーナーさんのお姉さんですか?」

そう言えば姉がいるって言ってたっけ? あまり憶えていないや。

『はい。話したことありましたっけ? 実は私の家計は4姉妹で、私は3女なんですけど、まぁそれはいいですね』
『一番上の姉が、ぜひ受けてみないかと。小日向さんに伝えて欲しいとのことでした』
『率直に言わせてもらうと、長女はNG2のレッスンを見ているトレーナーなんです』

「NG2のトレーナーさん……」

いくら鈍い私でも、どういう事か理解できた。

『はい。小日向さんも察しがついたかと思いますが』

「サザンクロスということですか?」

『そうなりますね。判断材料として、レッスンを受けて欲しいといった所でしょう。これはデレプロのプロデューサーからも、小日向さんさえよければと話が付いています』
『小日向さん自身こうしたいといった考えが有るかと思いますが、一旦それを取っ払って受けてみては如何でしょうか? 単純に数ランク上のレッスンを受けるという感覚で大丈夫です』

プロデューサーも許可を出しているのが少し意外だった。諸々の事情を無視してでも受ける価値があるってことだよね。

766: ◆CiplHxdHi6 2013/03/01(金) 23:37:50.03 ID:d/YGMK210
「分かりました。受けてみます」

『分かりました。姉に伝えておきます。後で場所をメールで送りますので、遅れないようにお願いいたします。それでは失礼いたします』

「失礼いたします。レッスンか……」

NG2のレッスン環境はテレビで見たことが有る。日本一のアイドルを育成する環境だけあって、素人目から見ても厳しいものだった。
その分アイドルへのきめ細やかなフォローも徹底していて、ここのレッスンを受ければずぶの素人でもトップアイドルを目指せるんじゃないかと思えたぐらいだ。

「不平等だもんね」

私とプロデューサーとの付き合いは半年ほどだけど、一緒に過ごして来た時間は濃密なものだ。
その状態でどちらかを選べと言われれば、間違いなく彼を選ぶ。

だけどそれは選択肢がないからだ。彼しか知らないから、躊躇する理由もない。
焦るな、冷静に判断しなさい。社長の言葉がリフレインする。

「日曜の9時。場所はそこまで遠くないかな」

トレーナーさんからメールが届く。卯月ちゃんたちはこのことを知っているのかな? もしかしたら驚かせちゃうかも。

「ブログは……、今日は良いかな」

毎日更新してみようと意気込んだブログも、忙しさを言い訳に飛び飛びになってしまった。
楽しんでくれている人には申し訳ないと感じながらも、私は睡魔に流されるまま夢路へと旅立つ。

769: 13話 フレンズ ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 00:22:08.50 ID:38U5tvBX0
「えっと、ここだよね」

8:30。トレーナーさんに教えられた住所にたどり着く。少々早く来すぎたような気もするけど、遅刻するよりかはマシだ。

「にしても大きいなぁ……」

この事務所が本当に、つい最近まで私たちと同じぐらいの規模だったとは。俄には信じられない。
まだ出来て日が浅いためか、内装もとても綺麗で床もつやつやしている。
間違ってテレビ局に入ったんじゃないかと勘違いしたぐらいだ。

「おはようございます」

受付が有ることにもビックリ。デレプロの全社員は私含めて4人。その半分の数が受付だなんて。
尤も、デレプロは規模もそこまで大きくないし、比較対象としては適切じゃない気もするけど。

「あのー、すみません。小日向ですけど……。その、レッスン体験で来ました」

「小日向様ですね。お待ちしておりました。レッスン場は右手のエレベーターで4階になります」

「あ、ありがとうございます!」

マニュアル通りの受け答えかも知れないけど、そうもにこやかに対応されるとこちらまで気分が良くなる。

770: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 00:27:26.46 ID:UFOrtcVA0
「えっと、4階4階……」

「待ってくださーい!」

エレベーターに乗り、4階のボタンを押す。ドアが閉まりそうになると、遠くから声が聞こえて来る。
私もよく知る、いや日本全国民が知っているだろう声だ。

「はぁ、はぁ……。すみません……。ってあれ? 美穂ちゃん!?」

「卯月ちゃん! おはよう」

「おはよう。ってどうして美穂ちゃんが……?」

走って来たためか、レッスン前というのにヘトヘトな状態の卯月ちゃんは、私の顔を意外そうに見ている。
ファンに捕まらないように変装してたのかな。見慣れない眼鏡と帽子を被っていている。意外と似合っていて可愛らしい。
そのまま卯月ちゃんと思わずスカウトされそうだなと思ったり。

「えっと。NG2Pさんにレッスンを受けてみないかって誘われて」

「レッスンを? 美穂ちゃん、まさかサザンクロス」

「ううん。まだ結論は出せないかな。でもレッスンは受けてみたくて」

なんとも都合の良い話だなぁと自分でも思う。だけど相手の好意を断るほど胆が据わっているわけでもなかった。

771: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 00:31:18.36 ID:38U5tvBX0
「あっ、そうだよね。仮入部、みたいなもの?」

「になるのかな?」

そんな気軽なものじゃない気もするけど、何も構えずに臨むとしよう。

「でも一緒にレッスンって初めてだね。美穂ちゃん、頑張ろう!」

「うん!」

卯月ちゃんと拳を突き合わせて気合を入れる。今日のレッスンは特別なものだ。ちゃんと自分で消化して、持って帰らないと。

「おはようございまーす!」

「えっと、おはようございます?」

レッスンスタジオは思っていたよりも大きくなかったけど、機材が色々と揃っていた。
ビデオカメラは分かるけど、パッと見何に使うのか分からないものまで置いている。

「君か……。相変わらず早いな」

「やる気だけは負けたくないですからね!」

卯月ちゃんの気持ち良い返事がレッスン場に響く。仕事の関係上高校を卒業してから久しぶりに会ったけど、何一つ変わっていなくてホッとする。

772: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 00:39:35.84 ID:UFOrtcVA0
「良い心構えだ。そして小日向くん、初めまして。いつも妹が世話になってるね」

「こ、こちらこそお世話になってます!」

この人がトレーナーさんのお姉さんかな。確かにトレーナーさんにベテランの風格が備わったみたいで迫力が凄い。

「なに、そんなに緊張しなくてもいいよ。妹から聞いていると思うが、私はNG2及びサザンクロスを担当するトレーナーだ。周囲からはマスタートレーナーだなんて呼ばれているが、まぁ好きに呼んでくれ」

トレーナーのマスターさんかぁ。なんか凄そうだ。

「えーと、それじゃあ」

「私らはマストレさんって呼んでるよ」

「そうなんだ。じゃあ私もマストレさんで。よろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしく。しかしマスターと言うにはまだまだな気もするんだがなぁ……。まあそれは良いか」
「さて。折角早く来てもらったところ悪いが、まだ30分近くあるな。皆が来るまで、島村くんと一緒に柔軟をして身体をお暖めていてくれ」
「レッスン中に怪我をしたんじゃ元も子もないからな。特に君は他事務所の子だ。こういうことを言うのもあれだが、怪我をされてデレプロとの関係を悪化させるわけにいかないしね」

「はい、分かりました」

なるほど、それは大変だ。少しだけ某国から贈られてきたパンダの気持ちが味わえた。
パンダで思い出したけど、ある程度仕事を選べる立場になったのに、まだクマの赤ちゃんと仕事していないなぁ。
もしかしなくてもプロデューサー、忘れてる?

773: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 00:47:57.57 ID:38U5tvBX0
「美穂ちゃん、しよっ」

「うん」

卯月ちゃんと一緒にストレッチをして過ごす。そうこうしている内に、レッスン参加者が部屋に入ってくた。

「おっはよー! 今日も一日頑張っちゃうよー! ってあり? 何故にみほちー?」

「あっ、本当に来たんだ。別に良いけどさ。よろしくね」

「うん、よろしくお願いします」

NG2の2人はもちろん、テレビで見たことあるアイドルたちが大集合。みんな一様に私の顔を見て驚く。

「彼女は体験レッスンと言ったところだな。もちろんみんなと同じメニューをこなしてもらうから、そのつもりでいてくれ」

「はいっ」

時間になって整列する。どうやらサザンクロスは私を入れて9人構成らしい。
南『十字』だから1人足りないなと考えたけど、NG2Pも入れれば10人になるか。強引な解釈だけど、そんな気がする。

「小日向さん、来てくれると信じていましたよ」

最後にNG2Pが部屋に入る。着ている服はいつものプラダスーツではなく、みんなと同じようにジャージを着ていた。
紫色のジャージだけど、元アイドルと言うこともあってか良く似合っている。
見た感じ服部さんとか相馬さんとあまり変わらなそうだし、怪我さえなければ今でも活躍していただろう。

774: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 00:58:15.13 ID:UFOrtcVA0
「もしかして……。みほちーがサザンクロス最後のメンバーだったり!?」

「あのっ、私は……」

「合同レッスンだよ。美穂のトレーナーがマストレさんの妹なんだって。でしょ?」

未央ちゃんに勢いよく聞かれてたじろいだけど、凛ちゃんがフォローしてくれた。さっきの反応を見た感じ、凛ちゃんは事情を知ってそうだった。
プロデューサー代行を任されたり、今日のことを聞かされてたりとNG2Pからの信頼は厚いみたいだ。

「う、うん。そうみたい」

「それじゃあみほちーは違うんじゃん?」

「仮入部みたいなもの、かな?」

「今回のレッスンは判断材料にしていただければ結構です。サザンクロスとして活動をすることのメリットも知っておいて欲しいので」

NG2Pは飽くまで私の意思を尊重するつもりみたいだ。
それでもこの余裕は、最終的に私がサザンクロスを選ぶと確信しているからか。

「それに妹がどういう指導をしているかも気になっていたしね。君への指導が不十分と感じた場合は、妹にオシオキしなくちゃいけなくなるから、そのつもりで頼むよ」

「わ、分かりました……」

オシオキって何をされるんだろう……。私のせいでトレーナーさんがひどい目に合うのは勘弁願いたい。ちゃんとしないと。

775: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 01:08:14.87 ID:38U5tvBX0
「それではレッスンを始めようと言いたいところだが、これも何かの縁だ。よく知らない者とレッスンをするのも気まずいだろうし、まずは自己紹介タイムと行こうか。では小日向くん、よろしく頼む」

「えっ、私ですか?」

「君以外は既に一緒に活動をしている面々だからね。君はこの場において新参者だ。もちろん君の活躍を知らない人はいないと思うが」

トレーナーさんの言葉にみんな肯く。肯きのタイミングがピッタリだったから少し驚いた。
これも一緒にレッスンをこなした成果なんだろうか。

「それじゃあ簡単に。えっと、シンデレラプロダクションから来ました、小日向美穂です。その! 今日はよろしくお願いしますね!」

何回やっても自己紹介は苦手だ。この業界では致命的な弱点だけど、これでも私なりに治すように努力しているんだ。

「ありがとう。それじゃあサザンクロスの皆も。時計回りで行こうか」

「渋谷凛……、って知ってるから大丈夫だよね。残りの面々紹介しよっか。まず、この眉毛が特徴的なのが」

「眉毛言うな! あー、コホン。あたしは神谷奈緒。その、よろしくお願いします」

「それと、この目つきの悪いのが」

「目つきは凛に言われたくないって。北条加蓮です。芸歴はまだまだ浅いので色々不便かけると思いますけど、よろしくお願いします」

「こ、こちらこそよろしくお願いします!」

紹介された2人は、なんとなく凛ちゃんと同じ雰囲気を醸し出していた。それは3人の仲が良いというのもあるのかな。

776: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 01:26:26.87 ID:qwZbaBdY0
「追加で説明しておくと、サザンクロスは9人ユニットでの活動だけではありません。基本的には3人ユニットを3つ作り、それらの総称がサザンクロスとなります」
「まぁ早い話、序列が同じなAチームKチームBチームみたいなものですね。話を戻しますが、先ほど自己紹介をした3人でユニットを組む予定になっています。名称はまだ決まってませんが……」

「奈緒が言ってたのなんだっけ?」

「ゴシックメイデンじゃなかった?」

「ちょ! 今それは関係ないって! プロデューサー、忘れてくれー!」

凛ちゃんと加蓮ちゃんがニヤつきながら奈緒ちゃんを横目で見る。ユニット名かな? 格好良いと思うけど、奈緒ちゃんは恥ずかしそうに慌てふためく。その姿に不思議とシンパシーを感じたり。

「ではゴシックメイデンで」

あっさりとユニット名が決まってしまった。ゴシックメイデン、どういう意味だろう。

「それアニメの名前くっつけただけなのに……」

「まぁなんか格好良いしいいんじゃない?」

「私らの服もゴシック調だしさ」

「そうだけどさぁ……。あー! 小日向さん! 今日のことは他言無用でお願い!」
「は、はいっ!」

777: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 01:32:57.70 ID:38U5tvBX0
顔を赤らめて頼み込む彼女に有無を言わさず肯かされる。

「奈緒、美穂が引いてる」

「へ? あー……、すみません」

「ごめんなさい、驚かせちゃって。奈緒は羞恥心が勝ると自棄を起こしちゃうんだ」

「い、いえ! 大丈夫ですよ。奈緒ちゃんのこと、良く分かりましたし」

「そ、そう!? なら、オッケーか!?」

やっぱり奈緒ちゃんは恥ずかしがり屋さんみたいだ。恥じらい仲間が出来て嬉しかったり。

「んじゃ次はアンタらだね」

凛ちゃんは未央ちゃん達にバトンを渡す。

「うーん、目つき悪いのは3人とも……。というのは冗談で、自己紹介だよね! 本田未央でーす! って今更する物でもないよね。それじゃあ私らのチームを紹介するね。こちらの綺麗なお姉さんが」

「松山久美子よ、よろしくね。ビジュアルには自信が有るの。芸歴はそこまで変わらないから、敬語じゃなくても良いわよ」

松山さんはオーディションで一緒になった記憶がある。そう言えば奈緒ちゃんもその時にいたっけ。
当時の参加者が4人もいるなんて、本当に奇妙な縁だ。

778: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 01:40:00.53 ID:qwZbaBdY0
「で、こちらのメイソウしてそうなのが」

「……」

返事が無い。

「おーい、美羽さーん? 美羽ちゃーん? みーうーさーぎー?」

「……」

呼び方を変えてみても返事がない。目を瞑って、合掌をして。えーと、メイソウしてそう?
迷走、名僧、めいそう……。頭の中で変換していくと、1つの言葉に行きついた。

「……これはどう反応すればいいんだろ」

「もしかして、瞑想しているんじゃ」

「は? メイソウ? あー! 瞑想ね、瞑想!」

瞑想――目を閉じて深く静かに思いを巡らせること。

「って分かるかー!!!」

779: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 01:53:28.74 ID:38U5tvBX0
「もしかして、分かりにくかったですか?」

「分からないよ! いきなりダンマリ決め込まれたらさすがに不安になるよ! どういうキャラを目指しているの!? いやいきなり迷走してそうだなんて振った私も悪いけどさ! 瞬発力は認めるけど回りくどいよ!」

「うーん、難しいなぁ。あっ、矢口美羽って言います!」

「ど、どうもです……」

未央ちゃんの渾身のツッコみを受けながら、美羽ちゃんは自己紹介をする。未央ちゃんじゃないけど、私も大体似たような感想を盛った。
美羽ちゃんからすればギャグだったみたいだけど、変に凝りすぎて伝わらなかった。ギャグって難しいんだなぁ。

「美羽ちゃんはまだキャラクターが定まっていないの。そこが魅力なんだけどね」

久美子さんは苦笑いを浮かべながらもフォローを入れる。キャラが定まっていないって裏事情を言われても、どうリアクションを取ればいいか分からなかった。

「キャラが定まっていないというよりかは、ブレブレと言うか……」

「好意的にとれば、どんなアイドルにもなれるということですね。今自己紹介してもらった3人も、ゴシックメイデンと同じようにユニットを組んで貰います」
「サザンクロスの最年長アイドルと最年少アイドルが一緒のユニットに所属するというと、異色の組み合わせと感じるかもしれませんが、彼女たちの長所を最大限生かしたメンバーになっています」

「長所ですか?」

「ええ。それはレッスンを受ける中で分かってくると思いますよ」

そう言われると気になってしまう。3人の長所が何か、見ぬいてみよう。

780: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 02:03:51.01 ID:qwZbaBdY0
「それじゃあ最後に卯月たちね」

「はい! 隣のクラスの島村卯月ですっ! なんちゃって! 今日は頑張ろう! で、この子が」

「五十嵐響子って言います! よろしくお願いしますね!」

「あっ、公開オーディションで合格した……」

「見ててくれたんですか? ありがとうございますっ」

彼女の合格の瞬間は事務所でみんなと並んで見ていた。
100人超の応募者の中から、審査員特別賞を受けて鳴り物入りでデビューしたのが彼女だ。

「響子ちゃんはまだデビューしたてだけど、凄いんだよ。料理も掃除も上手だし、近い将来お嫁さんにしたいアイドルランキング1位になるんじゃないかな?」

「言い過ぎですよ!」

五十嵐響子と呼ばれたサイドテールの彼女は卯月ちゃんの言葉にはにかむ。

「よろしくお願いします」

「敬語じゃなくても大丈夫ですよ。芸歴も年齢も私の方が下ですし」

「えっと……、それじゃあよろしくね」

とりあえずこの場にいる人の名前と顔は把握出来た。揃いも揃ってアクの強い面々だ。
それぐらい個性が強くないと、この世界では生きていけないんだけど。

781: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 02:46:40.83 ID:38U5tvBX0
「ここまで来ると小日向さんも予測していると思いますが」

「はい」

卯月ちゃん、響子ちゃん、そして私。サザンクロス最後のユニットは私たちだ。

「言われてみればバランス良いもんね。しまむーセンターって感じ?」

「未央の言うように、卯月を中心に並びを考えました。勿論3人ともセンターを張れる実力は有るので、曲やダンスの構成に分けて並びを変えていくつもりです。タイプをつけるなら、キュート。可憐な正統派アイドルユニットとして機能してくれることでしょう」
「以上がサザンクロスのメンバーです。すみません、時間取らせてしまって」

「いえ、お気になさらず。さてと。自己紹介も済んだようなので、レッスンに移るとしよう。小日向君は初めてだから説明すると、さっき説明を受けたユニットごとにレッスンを行う形式を取っている」

つまり卯月ちゃんと響子ちゃんと一緒にレッスンするってことだよね。

「小日向くんにとっては誰かと合わせる練習は初めてだと思うが、遅れることなくついて来て欲しい」

「あっ……」

言われてみるとそうだった。事務所に所属しているアイドルは私だけで、紗枝ちゃんと一緒にレッスンをしたといっても、やっていることは全然違う。
合わせること自体初体験なのに、しかも相手はあの2人。NG2でユニットパフォーマンスを極めた卯月ちゃんに、新人ながら実力は折り紙つきの響子ちゃん。

私が来るまでにもレッスンをこなして完成度を高めているはずだ。そこに新参者の私が入ると和を乱すようなことになりかねない。

782: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 03:02:20.21 ID:qwZbaBdY0
「不安?」

「うん。私初めてだから」

「大丈夫だって! 私と響子ちゃんだってまだ合わせだして日が浅いし、サザンクロスとしてのレッスン自体始まったばかりなんだよ?」

「私もここに所属したの最近ですし!」

「卯月達の言う通りですよ。正式な発表までは個人個人で活動してもらっています。だから本当はこのレッスンはオフレコなんです。不用意に周りに話さないでくださいね」

「えっと、気を付けます」

「だがやってみないことには始まらないな。準備は良いかい?」

「はいっ」

マストレさんの言うとおりだ。やったことが無いからって逃げないで、前向きに頑張らなくちゃ。

「ではまずボーカルレッスンと行こうか。今から渡す歌詞カードを見て欲しい。パートわけをしているから、その通りに歌うことだ」

「あっ、この曲……」

「小日向君にとっては馴染みが深いかな?」

783: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 03:16:27.29 ID:qwZbaBdY0
「そうですねっ」

手渡された歌詞カードに書かれていた曲は『HALLO!』。私がまだ幼稚園ぐらいの頃の曲だ。
今でも懐メロとして取り上げられたりして、当時のことを知らない子でもカラオケで歌っていたりする。
タケダさんの理想とする世代を超えて愛される曲の1つと言えるだろう。

「どういうことですか?」

「Naked Romanceの作詞作曲を担当したのが、この曲を歌っていたアイドルなんです」

「えっと、アキヅキさんだっけ? 876プロの涼ちゃん」

「うん。私もそうとは知らなかったんだけどね。割と最近になって知ったんだ」

あの頃は気付かなかった。まさかあのアイドルが男の子だったなんて。
しかもその男の子が、私に曲を提供したなんて。きっとみんな信じてくれないだろうな。

「876プロや765プロの竜宮小町はトリオのレッスンには良く使われるんだ。現段階で曲が完成していない以上、当分の間はこれらの曲を使うことになるだろうね」
「レッスン内容はシンプルだ。音楽を流すからそれに合わせて歌うこと。歌っている間のピッチ等はこちらの機材で確認できるようになっている。終わった後に確認して、どこの部分が上手く歌えなかったかを自分で消化してほしい」

カラオケみたいな感じかな。でもパートごとに強く歌ったり抑えたりとやることはたくさんある。今までよりも考えながら歌わないと、ハーモニーを壊してしまうだろう。
私の担当パートは偶然にもアキヅキさんのパートだ。彼とは音域も近いからまだ歌いやすいかな。

「それでは、レッスンスタート!」

785: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 12:09:06.41 ID:v+GcT0IX0
「はぁ、疲れたぁ……」

レッスン場の冷たい床に横になり、満身創痍という言葉を全身で表現する。
今まで受けてきたレッスンが楽だったとは言わない。ただそれ以上にハードなもので、カリキュラムの半分も終わってないというのにヘトヘトになっていた。

「なんだ、もうへばったのか? まあ無理もない。私のレッスンは業界内でもスパルタとして評判だからな。まだまだ妹たちはこの域に達していないよ」

たち、ってことはトレーナーさんの4姉妹は皆この仕事をしているのかな。

「立ち上がれないかい?」

「少し、休憩してます……」

「そうだ、良いものが有るよ。門外不出のスペシャルドリンクだ。疲労回復に効果がある、はず」

はずってどういうことだろうか……。渡されたのはスポーツドリンク……、何だろうけど色が少し変だ。

「さぁ、飲みたまえ。一気飲みしては効果が無いからね、ちびちび飲む方がいいよ」

「あ、ありがとうございます……」

色を見るだけで嫌な予感がしたけど、好意を無駄には出来ない。料理でも見た目に寄らず美味しいってよくあるし。

786: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 12:23:10.21 ID:IqQPsJsJ0
「頂きます……。あれ、意外にイケる?」

喉を鳴らしてドリンクを飲む。今まで味わったことのないような不思議な味だけど、体中の疲労が見る見るうちに取れていく。

「これ、凄いですね。疲れがなくなっちゃいました。味も不味くないですし」

「なるほど。効果覿面か。調合成功のようだな。貴重なデータが取れた、感謝するよ」

「え?」

「いや、今のは忘れてくれ」

調合成功って私実験台にされた!?

「しかし、私の妹が指導しているだけあって、基礎能力は高いな。初めてのレッスン続きで困惑が見て取れたが、すぐに順応している。その調子で精進してもらいたいものだ」

「マストレさんに褒められるなんて光栄です」

これなら妹さんもオシオキされることもないかな?

「君は大丈夫だったが、売れっ子になってくると仕事にかまけて基礎が疎かになりがちだからね。今テレビに出ている売れっ子アイドルでも、昔の方が良く出来ていたと思う子も多い」
「活動の比重をレッスンに置くのも難しい話だが、その短い時間でどれだけ消化して自分のものに出来るかが重要なんだ。毎回毎回リセットされたら時間の無駄だからね」
「その点君のプロデューサーは管理がよく出来ている。レッスンと営業をバランス良くスケジューリングしているはずだ」

787: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 12:32:42.25 ID:v+GcT0IX0
余り気にしたことは無かったけど、彼女がそう言うのならそうなんだろう。
言葉には出さないプロデューサーの気遣いに胸がキュンと来ると同時に、彼が褒められたことが自分のことのように嬉しかった。

「? どうかしたかい? にやけているが」

「あっ、いえ! 何でもないです!」

「そうか。では引き続き頑張りたまえ」

もう一口特製ドリンクを飲んで体力回復。癖になる味だけど一体何が入っているんだろう。

「小日向さん、首尾はどうかしら?」

「NG2Pさん。えっと、ボチボチです。でもレッスン内容は凄いと思います」

「そう? 気に入ってくれたのなら幸いですね」

レッスン環境としては最高峰と言われるだけあって内容も非常に密度が濃いし、周りの皆もレベルが高い。言ってしまえばエリートアイドル集団だ。
ボーっとしていると、そのまま置いて行かれそうになる。ついて行くのも必死なんだ。

「連絡は来てないか」

レッスンが再開される前に携帯を確認。プロデューサーから何か連絡来てないかなと期待したけど、残念ながら受信メールは0だ。

788: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 12:39:52.30 ID:IqQPsJsJ0
「プロデューサーはオーディションを見てるのかな……」

こんな時でも頭の中に浮かんでくるのは彼の顔。とうとう私にとって切っても切れない存在になっていた。

事務所では新人アイドル発掘目的としたオーディションをしているみたいだけど、果たしてどんなアイドルがやって来るのか。

「オーディションですか。デレプロさんも新規アイドルを雇用するということですね」

「はい。良く分からないですが、応募も結構来ているみたいで。流石に100人超は無いみたいですけど」

「あれは流石に驚きました。ですがおかげで響子と言う逸材を見つけることが出来ましたし」

仲良くなれるかな?
舐められたりしないかな? 新参アイドルへの不安は尽きない。

「それではレッスンを再開する。さっきのパートから始めるぞ!」

「はいっ!」

考え事はいったん中断。隊列を組み流れてくる軽やかな音楽に合わせて、私たちはステップを取る。

レッスンが終わったのは夕方18時。ハードなレッスンの繰り返しで、2度と立ち上がれないんじゃないかと思ったぐらい体に疲労が溜まう。
でもこの疲れは心地良い。やりきった後の爽やかな気持ちが私の中で芽生えた。

789: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 13:07:05.60 ID:v+GcT0IX0
――

「中々疲れるなぁ……」

レッスン場の近くの公園でコーヒーを飲みながら一息つく。春の陽気は暖かでこのまま眠りたくなるけど、そういうわけにもいかない。
なんせ参加者は全員夢を掴むため本気でかかってきてる。それなのに審査員が寝てしまうなど言語道断。最低だ。

「しかし、選ぶってのもキツイな」

これまで俺たちは選ばれる側だった。オーディションにしろ営業にしろ、俺たちは向こうの希望に合うかどうかを判断されてきた。
星の数いるアイドルの中から、美穂を選んでもらえるよう頑張って来た。

だけど今度は俺たちが選ぶ番だ。応募してくれた全員を合格させたいところだけど、現実と照らし合わせると不可能な話。
美穂が破竹の勢いで活躍しているとはいえ、まだまだ零細企業の域を出ない。候補生として入社出来る子も片手で数えれるぐらいだ。

今回縁がなかった子たちに関しては、他事務所を紹介するなどフォローを入れるつもりだが、それでも落とすというのは申し訳なく感じてしまう。

「これが選択するって事なんだろうけど」

会社にとって最大の利益を出してくれるだろう子を選ばなければいけないというのに。
どうにも俺は甘い人間らしい。口に残る苦味がそれを際立たせるような気がした。

790: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 13:11:47.13 ID:IqQPsJsJ0
「後プロデューサーだよな」

そして彼女たちを導くプロデューサーの存在。

今まで美穂専属で活動してきたけど、新人アイドルのプロデュースも担当することになる。と考えていたが、どうやら社長の構想は違うらしい。

『新人プロデューサーも入社させようと思う』

俺と美穂がそうだったように、新人アイドルには共に喜びを分かち合え成長するプロデューサーの存在が必要だと言うのが彼の考えだ。
アイドルを大量に雇えずともフリーのプロデューサーと契約するぐらいの余裕はあるのに、それでもなお新人同士に拘るのは、俺と美穂と同じように進んでほしいからか。

俺としても1人で賄える量にはどうしても限界があるため、後輩プロデューサーはまさしくカモがネギをしょって来たような話だ。
だが裏を返せば、俺と美穂がいなくなっても事務所が機能するようにするということ。

社長が言うには、既に何人かプロデューサー候補を見つけたらしい。俺の時と同じように強引に拉致でもするんだろうか。

「つまりアメリカに行っても大丈夫って事だよな」

俺がハリウッド研修に行けば、同時に美穂はサザンクロスへと加入する。
事務所の柱を2本失っても、会社が成り立つようにしておきたいというのが社長の狙いだろう。
口にこそ出していないが、そう考えるのが妥当だ。

791: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 13:19:07.51 ID:v+GcT0IX0
社長は俺よりもロジカルに物事を解決する。彼自身の感情は分からないが、俺達がそれぞれの道を歩むことこそが、事務所にとっても最大の利益に直接繋がる。
ハリウッド研修を経験したプロデューサーと、一大プロジェクトに参加するアイドル。嫌でも世間の関心も高くなるって寸法だ。
それに向こうの事務所とも提携が組める。美穂のサザンクロス入りは、俺が思っている以上に色んな所に多いな影響を与えるみたいだ。

「俺は……」

プロデューサーを始めてから、寝ても覚めても考えるのは美穂のことだった。
どうすればもっと美穂が輝けるか、どうすればもっと上手にコミュニケーションが取れるか。

この半年間、ひたすらに美穂の存在に心をかき乱されてきた。

ふと思う。

もしも美穂のプロデューサーじゃなかったなら、美穂のファンになっていただろうか? 
もしもプロデュースしている女の子が美穂以外の誰かだったなら、同じような思いを持っただろうか?

なかなかに意地の悪い質問だ。アイドルをたらればの天秤にかけるなんて。
「おっと、時間だ。戻らなくちゃ」

答えは風の中、と格好付けてレッスン場へと戻る。美穂は今頃レッスンにひぃひぃ言っているところだろうか。
彼女の性格なら問題ないはずだけど、ちゃんと馴染めているかな。

792: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 13:30:23.63 ID:IqQPsJsJ0
「ありがとうございました。これにて本日のオーディションを終了いたします。結果は追ってご連絡します。なお、今回縁のなかった方には、別事務所の紹介をする場合もございますので、ご理解いただけたらと思います」
「長丁場でしたが、皆様今日は一日お疲れ様でした」

『ありがとうございました!』

「ふぅ……、終わったぁ」

応募者たちが退出したのを確認して、ぐでーと机に突っ伏す。

「お疲れ様です、プロデューサーさん」

「トレーナーさんこそ。お疲れ様です」

「うむ、ご苦労様。君も審査員の気持ちが分かったんじゃないかね?」

「社長。よーく分かりましたよ。これを毎回するって尊敬しますね」

「今日来てくれた子にも事情はある。だが審査員はそれに左右されちゃいけないんだ」

「ですね。胃が痛い日々が続きそうだ……」

審査はただ見るだけじゃない。その子にどんな素養があるかを見抜かなくちゃ意味がない。
どうしてもその人その人に適正というものがある。今日来てもらった子の中には、正直アイドルとして大成しないだろうなと思えた子も多かった。

793: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 13:39:14.70 ID:Ee2gkeR60
だがそれは才能の有る無いで左右されるものじゃない。
最近になって1つ考えが改まったことが有る。才能というものは頂点に上りつめる人間が持つものではない。

本気になれる何かを見つけることが出来る力こそが才能だ。だからアイドルの才能って言うのは、アイドルを続けることが出来る力だろう。
どんな苦境が待っていても、めげずに前に進めるか。最後に勝るのは、やっぱりハートなんだ。

「それでは、始めようか。我がシンデレラプロダクションの新たな風となるアイドルは……」

「なるほど。私もその2人が良いんじゃないかと思っていたところです」

「俺もです。ですが2人を並べるならもう1人いてもいいかと」

「君たちも同じ意見で嬉しいよ。彼女たち一際輝いていたからね。だが、君の言うように、もう1人いれば嬉しかったが……」

「ええ。イメージとしてはポストNG2。他事務所のアイドルを引き合いに出すのもあれですけど、彼女たちのバランスは理想的と言えます。ここ最近トリオユニットが増えてきたのは彼女たちの影響もあるでしょう」

ただ今回のオーディションでは最後のピースは見当たらなかった。
理想を言えば、やんちゃな2人を窘めれる大人なイメージを持つ子が必要だ。

既存のアイドルに例えるなら、凛ちゃん。トレーナーさんがNG2を引き合いに出したのも、その2人が卯月ちゃん未央ちゃんと近しい印象を持っていたからだろう。
何番煎じと言われるかもしれない。だけど俺たちは彼女たちに可能性を感じていた。

新たな世代にうねりを上げるニューウェーブ。時代はすでに動き出していた。

794: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 13:46:13.60 ID:IqQPsJsJ0
「後は彼女たちと共に前に進むプロデューサーの存在だ。1人活きのいい子がいてね。彼なら受けてくれるだろうし、最後の1人も見つけてくれるだろう」

活きが良い奴か。そいつは楽しみだ。

「あはは……。可哀想に」

「君だってしたことだ。私だってしたんだし、誰でも出来るだろう」

「社長もですか?」

「うむ。NG2Pもちひろくんも、町に繰り出してスカウトした子だ」

それは良き風習なのか悪しき風習なのか判断に困るな。

「何、彼なら大丈夫だ。ティンと来た子を見つけるまで、外国だろうがウサミン星だろうが行って貰うつもりだよ」

「ウサミン星ってどこですか……」

「なんだい、知らないのかい? ウサミン星はウサミン星だよ」

「常識ですよね、社長」

「トレーナーさんまで!?」

結局最後までウサミン星が何かは分からなかった。しかし可哀想なことに、新たなプロデューサーも俺と同じレールを歩むことになっちゃいそうだ。

796: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 13:53:05.58 ID:Ee2gkeR60
――

「美穂ちゃん、お疲れ! 今日もいい汗かいたね」

「お疲れ様です! 今日は色々勉強になりましたよ!」

レッスンが終わりマストレさん製のドリンクを飲んでいると、卯月ちゃんと響子ちゃんがやって来る。

「うん、お疲れ様。卯月ちゃんたちいつもこんなレッスン受けているんだね」

「そうかなー。それでも今日は緩めだった気がするけど」

これで緩めというのか。普段はもっとスパルタだということを聞いてビックリしてしまう。しかしレッスン内容は非常にバランスが良く、効果の高いものだった。

マスタートレーナーと呼ばれるだけあって、マストレさんの指導は的確で目からうろこが零れ落ちる。トレーナーさんよりも経験が豊富な分、いつも以上の成果を得ることが出来たと思う。

なにより9人でのレッスンだ。これまではソロ活動としてのレッスンだったが、今日は周囲と動きを合わすということにも気をつけなくちゃいけなかった。
だけど非常に勉強になった。ダンスにしろボーカルにしろ学ぶことが多すぎて、ちゃんと消化しないと時間の無駄に終わってしまいそうだ。

『よろしくね、美穂ちゃん』
『よろしくお願いいたします!』

ジャージにピンクのバッジを付けた私、卯月ちゃん、響子ちゃん。
NG2Pが言うように3人で並ぶとバランスよく見えた。

他の2組も同様で、黒いバッジの凛ちゃん奈緒ちゃん加蓮ちゃんの3人はクールに纏まっているし、
活動的な性格のオレンジバッジをつけた未央ちゃん久美子さん美羽ちゃんの3人も並んで見ると中々絵になる。

797: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 14:03:24.52 ID:IqQPsJsJ0
ダンス、ボーカル、ビジュアル。それらの3要素を補える形で3つのユニットを作り、それらが1つになりサザンクロスとなる、か。
本当に抜け目のない人だ。ここまで考えていたなんて。

「どうでしたか? 今日一日レッスンを受けてみて」

「えっと……、大変でした。すみません、気の利いたこと言えなくて」

「それでも小日向さんはついて来ている。ここのレッスンを耐えれたら、どこのレッスンだって乗り越えられると思いますよ?」

NG2Pさんの言う通りかもしれない。恐らく今後トレーナーさんのレッスンでここまでへばることは無いはず。
一度限界までやってしまえば、今までしんどいと思ってたことも実は楽だったということになってしまう。
今日1日でもこれだけ疲れたのに、サザンクロスはこれを何回もこなしているのか。本当に凄いや。

「その……。まだ答えは出せそうにないです」

「ええ。これは飽くまで判断材料にしてくだされば結構ですので」

この環境でレッスンを続けるというのは本当に魅力的な話だった。
気心の知れた卯月ちゃんたちもいるし、周りの皆に置いてかれまいと必死にならざるを得ない。
危機感を持ってレッスンが出来ると言うのは恵まれているのかも。

トップアイドルになるには、ここまでしなくちゃいけないんだ。目指す道は果てしなく険しいことを改めて痛感させられる。

798: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 14:14:32.13 ID:Ee2gkeR60
「みっほちー! 晩御飯食べて帰らない?」

「えっ? 私も」

「一緒に川島家に泊まった仲じゃんかぁ。ほら、皆もみほちーの話聞いてみたいだろうし! ね、美羽ちゃん」

「そうですね! 私もキャラの方向性を相談したいですし」

「美羽ちゃん。そういうのはみほちーにはハードルが高いんじゃないでしょうかね」

未央ちゃんに強引に引っ張られて皆と合流する。未央ちゃんには私をサザンクロスに引き入れたいと言った下心はないだろう。
それはきっと、ここにいる皆がそうだと思う。それが少しありがたかった。

10時間ほどの付き合いにも拘らず、私はずっと一緒に頑張ってきた仲間みたいな居心地の良さを感じていた。
デレプロとは違う、厳しくも暖かな環境に、戸惑いながらも私は順応していった。

「分からなくなっちゃった」

「美穂、どうかした?」

「ううん。何でもないよ」

そんな自分にまた戸惑って。戸惑いのループから逃げれなくなってしまった。

799: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 14:32:44.64 ID:IqQPsJsJ0
「やっ、お疲れ様」

「プロデューサー。すみません、迎えに来てくれて」

「いや。気にすることは無いよ。結構遅いしね」

「連絡気が付かなくて……」

「それだけ楽しい時間だったって事だよ」

「すみません……」

さっきまで久美子さん行きつけの美容にいいレストランで、サザンクロスの皆とわいわい過ごしていた。
楽しい時間というのは時の流れを気にしなくなってしまい、気づいたらかなり遅い時間になっていて、心配したプロデューサーから連絡が入っていた。

終わったら迎えに行くつもりだったみたいだけど、私が彼からの連絡に気付いたのは連絡先を交換しようと携帯を弄った時。

すでに連絡から2時間ほど経っていたけど、彼はずっと待ってくれていたみたいだ。
こんな時間まで待たせてしまい申し訳なさでいっぱいになるけど、彼は笑って気にするなと言ってくれる。

いつだってそう、彼は私にとって居心地のいい存在であり続けた。
私がそう望んだ結果かもしれない。だけど彼だって自分の夢があるはずだ。

800: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 14:35:17.95 ID:Ee2gkeR60
「プロデューサーは」

「ん?」

「夢ってありますか?」

「夢? 唐突にどうしたの?」

「少し、気になって。そう言えばちゃんと聞いたことなかったなぁって」

「そうだな。俺の夢は美穂をトップアイドルにすることだよ。日本一、いや世界一の女の子にすること」

「じゃあ私がトップアイドルになったら?」

「それは……。考えてなかったな」

彼のことだ。その時になれば、また夢を見つけるだろう。……その夢にはきっと私はいないはず。

「でも……、1つあるのかな。子供の時からの夢だけど」

「え?」

信号は赤になり、車はスピードを落として止まる。運転席の彼は恥ずかしそうに笑うと、

「可愛いお嫁さんを迎えること」

801: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 14:40:35.31 ID:IqQPsJsJ0
純粋な目をしてそう答えた。

「えっと……」

「あっ、い、今の! は無かったことにして欲しいな!」

「そ、そうですね! わた、私はなにも! 聞いてなひですっ!」

車内という逃げ場のない密室で、2人して悶絶する。信号が青になってもそのままだったものだから、後ろの車両がクラクションを鳴らす。

「……」

「……」

気まずい沈黙が続き家に着くまで一言も言葉を交わせなかった。彼も私も話しかけようとしていたけど、恥ずかしさが勝って一歩先に進めなかったんだ。
車内の鏡に映る顔は、やっぱり赤くなっていて。完熟林檎が2つ並んでいるみたいだった。

「その、ありがとうございます」

「こちらこそ? それじゃあ、バイバイ」

「さようなら!」

夜道を駆けていく車を見送って部屋へと入る。部屋にはプロデューサーくんが朝と同じ場所で私を迎えてくれた。

802: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 14:45:22.63 ID:Ee2gkeR60
「お嫁さんかぁ」

彼の口からそんな言葉が出たものだから、あの夢がフラッシュバックする。お父さんには結末以外は素敵なものだった。結末以外は。

「久美子さんと響子ちゃんは興味津々だったっけ」

家事全般が得意なお嫁さん系アイドルの響子ちゃん、お母さんの結婚式の写真を見てキレイになろうとこだわり続ける久美子さん。
脳内でウェディングドレスを着せてみると、なるほどよく似合う。
特に久美子さんはアイドルになる前から美容に対して並々ならぬこだわりを持っていたみたいで、撮られ方や化粧の仕方をレクチャーして貰えた。

「でもみんな凄かったな……」

月並みなことしか言えないけど、メンバー1人1人が強い個性を持っていて、それを上手く纏めるNG2Pの手腕は見事としか言いようがない。

良くも悪くも1人だけでもインパクトが強いのに、8人もいたんだ。並みのプロデューサーならそうもいかなかっただろう。

今日一緒に活動してみての印象だけど、オレンジバッジの3人はビジュアルに特化していたと思う。
天性のアピール上手の未央ちゃんにキレイの探究者の久美子さん。美羽ちゃんもまだ方向性が定まっていない分、なんでも器用ににこなせるみたいだ。

3人とも眩いオレンジ色がよく似合う。一言で言い表すなら、パッション。
燃えんばかりの情熱に溢れて勢いのあるパフォーマンスを魅せてくれた。

803: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 14:54:23.87 ID:W0ncyik00
「凛ちゃんたちはバランスが良かったな」

あくまで本人の申告になるけど、ダンスは得意だけど歌が苦手な凛ちゃん、ビジュアルに自信があるけど激しい踊りは遠慮したがってる加蓮ちゃん、
そしてアピールポイントは歌だけどビジュアルには自信がない奈緒ちゃん。

黒バッジの仲良しトリオはそれぞれの弱点を補うような構成だった。互いにカバーし合い、得意な部分で勝負する。
体格や年齢も近く、理想的な組み合わせでユニットとしての完成度は一番高かったと思う。

「私たちは……、どうなんだろう?」

自分のことを客観的に見れるようになるのは、まだまだ先のことみたいだ。
オレンジトリオのように華やかさに特化しているわけでもなく、黒バッジトリオほどバランスが良いわけでもない。
言ってしまえば普通。だけどそれがマイナスかと聞かれるとそうではない。

ピンクバッジの3人は突き抜けた個性が有るわけじゃないけど、親しみやすい『アイドル』という点では1番だったと思う。
卯月ちゃんや響子ちゃんの人柄もあるけど、居心地の良さを感じた理由は彼女たちにあると思う。

「分析するのって大変だな……」

軽く考えるつもりが、結構がっつりとしてしまった。みんなから届いたメールに返信して、寝る準備をする。

804: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 14:57:46.81 ID:Ee2gkeR60
「そうだ。今日は書かないと」

部屋の電気を消す前にブログのことを思い出した。毎日書くのはしんどいから、書ける時に書こうと決めたんだった。
今日のレッスンのことを書こう。

でもあんまり詳しく書きすぎると、ファンの皆にいろいろ邪推させてしまいそうだ。

サザンクロス自体まだ正式に発表されていない、水面下で動いているプロジェクトでしかない。
前々からブログに登場しているNG2はともかく、響子ちゃんたちの名前を出すのはまずいかも。

「そうだ。あのお店のことを書けばいいか」

名前は伏せてと。折角写メも撮ったんだし、それも載せて。




20XX年 4/28
『キレイの秘訣は?』

こんばんわ(/・(ェ)・)/
今日のレッスン帰り、美容に良いと評判のレストランに行ってみました!
美味しくてキレイになれるっていいですよね( ・(エ)・)ノ
これからもキレイになった? 私をよろしくお願いしますね!


805: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 15:02:50.57 ID:W0ncyik00
「っとこんな感じかな?」

最近はブログも慣れてきて、驚くほどいた閲覧者数もまだまだ増えつつあるみたいだ。
流石にコメントは初回が一番多かったけど、それでもいつもコメントを残してくれる人がいて、その名前を見つけると嬉しくなる。

「あっ、トミコさん」

ブログに投稿して数分で早速コメントが付く。1番乗りはトミコさん。記念すべきこのブログのコメント一号であり、いつも応援コメントを残してくれる人だ。
あまり詳しくは知らないけど、ブログを提供しているサイトに登録していればお気に入りに入れたブログが更新するたび、メールが送られるみたいだ。
それでもこのスピードは速すぎるかも。

1 トミコさん
キレイになる秘訣は早寝早起きですね
体調管理に気を付けて頑張ってくださいね

2 フライングソーマさん
また1番取られた! 今度私もそのお店行ってみようかな?

3 ぼやいてばっかりマン↑さん
とんだ茶番ですよ

4 6億円BIGマンさん
6億円ビーム!

806: ◆CiplHxdHi6 2013/03/03(日) 15:07:48.39 ID:Ee2gkeR60
「ふふっ」

コメントで会話していたりと、私のファン同士のコミュニケーションツールにもなっているみたいだ。
皆のコメントに返信したいけど、それは無理な話だ。だから私は、彼らの期待を良いように裏切り続けなくちゃいけない。

一通りのコメントに目を通して、トミコサンの言うように早く寝ることにする。
それでもすでに日が変わってしまっているけど。

「お嫁さん……」

何度も何度も彼の言葉と恥ずかしそうな顔が浮かんでくる。

「もう! 恥ずかしいよ……」

逃げるように布団を深くかぶる。そんなことしなくても、私の顔を見る人はこの部屋にいないのに。

「またあの夢、見たいな……」

今度は邪魔が入らずに、ちゃんと彼と最後まで行きたいな――。

810: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 14:13:06.21 ID:7Zb4VCD60
時は流れて6月。IUの予選が始まる時期だ。昔は1年かけて行っていたみたいだけど、
IAが始まったことも有って、その期間は短くなったらしい。

それでも6月の頭から8月まで行われるアイドルの祭典は、始まったばかりというのに既に大盛況。
テレビでは歴代のIUの再放送を流したり、優勝予想をしていたりとIAの時以上の盛り上がりを見せていた。

私たちはどうだったかというと、最初の予選オーディションを危なげなく通過することが出来た。

勝因は何かと問われると、サザンクロスとのレッスンを上手く消化出来たことだと答えるだろう。
彼女達とのレッスンはあの日だけだったけど、そこで得たモノは私を大きく成長させたと思う。

しかし私の中でしこりとして残り続けるものが有った。

それはサザンクロスのこと、プロデューサーとのこと。

NG2Pからの誘いを受けて数か月たったというのに、私たちは結論を出せそうになかった。
意図的にその話題から逃げようとしていたのかもしれない。そんなことしても何も変わらないのに。

理屈と感情のシーソーは止まることなく揺れている。少しぐらいの重石じゃ、どちらにも転ばないだろう。

とどのつまり、私たちは切っ掛けが欲しかったのだ。
誰かに背中を押して貰って、貴女は正しい、間違っていないと言って欲しかったんだ。

811: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 14:19:02.96 ID:Kg88FCld0
そしてもう1つ。やっぱり4月は出会いの月だった。我が事務所に新たな風が吹いたことを忘れちゃいけない。

『今日からプロデューサーとして働くことになりました! 夢はでっかく、トップアイドルに導いてみせます!』

『村松さくらです! わたしの特技は、えーと……えへ、えっへへー♪ え、笑顔いっぱい、3人でアイドル頑張りまぁす♪』

『大石恵です。プロデューサーに声をかけられてアイドルにさせられてしまいました。私、キャラじゃないけど……まぁ、やってみます。2人と一緒なら出来ると思う。アイドルってやつ』

『土屋亜子! アイドルになって、目指せ一攫千金! アタシら3人に任せてよ! 大船に乗ったつもりでシクヨロ!』

念願の事務所所属アイドル(+プロデューサー)が増えました。

自社オーディションに合格したさくらちゃんと亜子ちゃん。
そして私と同じように、新プロデューサーに静岡でスカウトされた恵ちゃん。
同じ年齢、全員静岡出身という奇跡としか言いようのない3人だ。ユニット名はずばりNW(New Wave)。

NG2と名前と構成が似ていて、3人の雰囲気もどことなく彼女たちを彷彿とさせるけど、実際はそんなことない。
NG2の3人にはない、彼女達の魅力で溢れている。これから彼女たちがステージに上がると言うことを考えると、私も楽しみになってくる。

『美穂さん、よろしくお願いしますね!』

と頼ってくる彼女たちを見ると、自然と先輩アイドルとしての自覚が出てくる。
こんな私を慕ってくれる彼女たちのためにも、IUで1番のアイドルにならなくちゃ。

812: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 14:21:43.65 ID:7Zb4VCD60
そんなある日のこと。

「あら、小日向さん! 私のこと憶えている?」

「えっ? 相馬さん!」

テレビ局での収録が終わり、休憩ゾーンでボケーとしていると久しぶりに聞く声が。

今までメールでは連絡を取っていたけど、こうアイドルとしての相馬さんに会うのは初めてだ。
ステージが終わったばかりなのか、淡く輝く衣装を着たままの彼女はCA時代とはまた違う魅力を見せていた。

「おキレイです」

「そう? 小日向さんに言われたら、自信出ちゃうわね。ねえ、今から時間ある?」

「えっと、プロデューサー打ち合わせの最中なんです。次の仕事まで1時間半ぐらい暇ですね」

「それじゃあお茶でもしばかない?」

「良いですよ」

「ちょっと待ってて、着替えてくるから」

813: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 14:24:07.79 ID:Kg88FCld0
「お待たせ。待たせちゃったかしら?」

カジュアルな私服で走ってくる。相馬さんは綺麗なだけあってどんな服でも似合ってしまう。
うちの高校の制服は……、考えるのをやめよう。適性と言うものはどうしてもあるし。
逆に相馬さんの服なんかは私にはミスマッチだと思う。

「いえ、全然! こちらこそ着替えを急かしちゃったみたいで……」

「気にすることないわよ。さっ、行きましょう」

相馬さんに連れて来てくれたのは、テレビ局の近くのお洒落なカフェテリア。1人で入るのには勇気がいりそうだ。

「コーヒーは美容に悪いだなんて言われるけど、質の良いコーヒーを上手く飲めば体にも良いらしいわ」

「そうなんですか」

コーヒーが体に悪いというのも初耳だった。どちらかといえばコーヒーより紅茶派だったし。

「ええ。小日向さん、最近美容に凝ってるみたいだし」

「え? どうして知っているんですか?」

「ブログ、その話題が多かったから。私毎回読んでるのよ」

814: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 14:27:32.12 ID:wV03dcyw0
「あっ」

「フライングソーマさん。そのままよね」

言われてみればそうだ。ソーマはそのままだし、フライングも彼女の前職を考えれば一発で分かる。

「でも凄いわね、コメント数。私も始めたけど、まだまだ1桁台だし。嫉妬しちゃうわ」

「これからですよ!」

「そうね、気長に待つわ。小日向さんみたいに一気に増えたらビックリしちゃうだろうし」

「お待たせいたしました。スペシャルブラックコーヒーです」

「ブラック……」

相馬さんのお勧めを言われるままに注文したけど、出てきたのはブラックコーヒー。どの辺がスペシャルか分からないけど、
苦いのはあまり得意じゃなくて、少し戸惑ってしまう。

「もしかしてブラックは苦手?」

「すみません、飲んだことないです」

「そう? でもこのお店のは飲みやすいわよ? 体に良いし、小日向さんが思っているよりかは苦くないと思うわ」

815: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 14:30:09.67 ID:Kg88FCld0
「じゃあ……」

折角のご厚意を無駄にするのも失礼だ。覚悟を決めて一口――。

「あれ?」

「言ったでしょ? 小日向さんが思っているようなものじゃないって」

「はい……。なんだろう、ミルクが入っているみたいにまろやかな」

上手く表現できないけど、立体的な味が口の中で広がる。オーケストラが響きあうような、そんな感覚。
川島さんならもっと上手にリポート出来るんだろうけど、私にはこれが限界だった。
驚く私を相馬さんがドッキリ大成功と言わんばかりの笑顔で見ている。

「それはね、塩なのよ」

「塩、ですか?」

どんな手品にもタネが有る。このコーヒーが飲みやすくなる手品のタネは、塩だという。

「ええ、ソルトよ。ブラックが苦手な人でも飲みやすくなるの。ダイエットにも良いのよ?」

「へぇ、そうなんですか。でも塩って塩分じゃ」

「意外かもしれないけど、塩を一振り程度まぶしたぐらいなのよ。だからそこまで気にするものでもないかな」

816: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 14:33:58.29 ID:i3r0C2oh0
「詳しいんですね」

勉強になるな。そうだ、NWの皆にも教えてあげよう。

「CA時代から美容には気を付けてきたしね。なんたってCAは美を求められるのよ。みんな口には出さないけど、結局顔だなんて業種だし」

夢のない話だけど、それはアイドル業界も同じだろう。求められているものは常に高い。
可愛い、綺麗、格好良い。そこにはその人のパーソナルは求められない。
人の良さよりも、ビジュアルや実力が勝る世界だ。

「顔や外見は情報そのものなの。そしてお客様とのコミュニケーションツールでもあるの。お客様から見たCAがイマイチそうな顔していたら、空の旅も楽しくないしね」
「それはCAからお客様に向けても同じ。気分が悪そうな人、お腹が空いている人。色々あるけど、CA時代に顔を見て相手が何を考えているかだいたい分かるようになったのよ」

コーヒーを飲み干すと、私の顔をまじまじと見てくる。まるで心の中を見透かされているような感覚――。

「だから今、小日向さんが何か悩みを抱えているってことも、分かっちゃうのよね」

「え?」

「悩みの内容までは分からないけど、お姉さんに話してみなさんな」

「えっと……」

「遠慮はいらないわよ。ほらっ、芸歴は浅いけど、人生経験はそれなりに積んできてるからさ」

817: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 14:37:57.02 ID:Kg88FCld0
見抜かれていたのなら仕方ない。私は相馬さんに悩みを打ち明ける。

サザンクロスのこと、プロデューサーとのこと。
話すだけで重荷になっていたものが降りたように、気持ちは楽になっていく。

「なるほど。美穂ちゃんはどうしたいか分からなくなったって事ね」

いつのまにか私への呼び方が美穂ちゃんに変わっていた。

「はい……。ダメですよね、優柔不断で」

「そんなことないわよ。皆いろいろな悩みを持って生きてるの。私だってそうだし、そこの席の人だってマスターだって」
「悩むってのはいいことよ。選択肢があるって事なんだから。その選択肢に振り回されるのもまた楽しいのよ」

「そうでしょうか?」

「ええ、そんなものよ」

楽しい、か。私にはよく分からない感覚だ。2つを天秤にかけて玩ぶぐらいの余裕が有れば、
こんなに悩まずに済んだのだろうに。

つくづく自分の意志の弱さが嫌になる。

818: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 14:43:12.32 ID:nnPg4qOX0
「まあ1つ言葉を送るとすれば! 何事も案外なんとかなるもんよ。私の経験上ね」

「なんとかなる、ですか」

「ええ。どうしようもないことなんてないはず。だから私はアイドルとして大成するって信じているの。自分だけでも信じないと、前に進めないし」

オーディションになかなか受からないけどね、と自嘲的に付け加えるも相馬さんの顔には一点の曇りもなく、
堂々した態度で自分の目標を見据えていた。

「ごめんなさい、あんまりいいこと言えなくて」

「いえ! とんでもないです。少し私も選択肢を楽しんでみようと思います」

「そう思ってくれたなら嬉しいわね。あら、もうこんな時間。それじゃあ私次の仕事が有るから! じゃあね、美穂ちゃん」

「さようなら、夏美さん。そろそろプロデューサーも戻って来るかな……」

時間を確認するために携帯を見ると、2通のメールが。

『申し訳ない! ちょっとこっちでやっかいなことになった。もしかしたら行けないかもしれないが、先に局の方へ行って欲しい』

『お久しぶりです! 急な連絡で申し訳ないんですけど、小日向さんの都合の良い日は有りますでしょうか? いくつか曲を作ったので、聞いて頂きたいんです。現役アイドルでこのようなことを頼めるのは、小日向さんぐらいですし』

1通目はプロデューサーからで、2通目は意外なことにアキヅキさんだった。

819: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 14:53:27.69 ID:Kg88FCld0
「先に行っててくれか。忙しいのかな」

次の現場のラジオ局までここから歩いて5分もしない。今すぐ行かなくても十分間に合うけど、
卯月ちゃんのソロ番組にゲスト出演だ。もしかしたら卯月ちゃんのことだから、もう既に着いているかもしれない。
お互いに忙しくて会うのも久しぶりだし、色々と積もる話もあるかな。

NG2はというと、IA優勝以降も破竹の勢いで記録を立てていた。IUの予選もパーフェクトで通過したし、日本一のアイドルの名は伊達じゃない。

私の親友たちもIUに挑んでいる。NG2に並ぶもう一つの優勝候補と言われる愛梨ちゃんは、IAでのリベンジを誓って活動しているし、
同じ日にCDデビューした李衣菜ちゃんと川島さんも同じ事務所のアイドル達とユニットを組んで参加している。
彼女たちの他にも実力のあるアイドル達が犇めいており、IUは混戦を極めていた。

「アキヅキさんからは……、新曲? 感想が欲しいって……私?」

どうやらNaked Romanceだけじゃなくて、今後も作曲家としても精力的に活動していくみたいだ。
現役アイドルからの意見も欲しいなんて言われても、本当に私なんかで良いのかな?

でも一般に流れる前に彼の作った歌が聴けるのはラッキーなことだ。

はい、分かりましたと二つ返事で快諾し、ラジオ局へと歩き出した。

820: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 15:09:00.21 ID:p4h6KyEQ0
「ふぅ、緊張したぁ……」

ラジオの仕事は何回かこなしたけど、公開録音は初めてのことだったので結構緊張した。
ガラスの向こうにファンの皆がいて、ダイレクトに私の声が届く。

手を伸ばせば届きそうなぐらい距離が近く、1時間の間緊張しぱなしだった。
でも相手が卯月ちゃんでラッキーだったかも。普段から気心の知れた相手なので、いつも通り話すことが出来たと思う。

リスナーのみなさんはと言うと、休日だからか子供連れのご家庭も多くて、卯月ちゃんがあらゆる世代に愛されているというのがよく伝わる。

放送の後は握手会だ。ファンとの交流も大切で、卯月ちゃんが言うには公録の後はいつも行っているらしい。

そう言えば。

『はぅ! 柔らかい……』

『へ?』

『アイドルになれば女の子と触れ合い放題……こうしちゃいられない!』

『あっ、行っちゃった……』

妙にわきわきとしていた子がいたけど、なんだったんだろう。アイドルになればって言ってたけど……。

821: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 15:17:37.20 ID:Kg88FCld0
「みーほちゃん! お疲れ様!」

「きゃあ!」

「あはは、驚かせちゃった?」

卯月ちゃんの声が聞こえたかと思うと、いきなり後ろから抱きつかれて悲鳴を上げてしまう。
相手が卯月ちゃんだったから良かったけど、他の人なら間違いなく失神していたと思う。

「酷いよ、ビックリたぁ」

「ごめんごめん。美穂ちゃんと仕事できたのが嬉しくて。喜びを全身で表現してみました」

悪気なく笑う卯月ちゃんに毒気がすっかり抜かれてしまう。こういう子だから私も好きになったんだし。

「あれ? プロデューサーさんは?」

「打ち合わせがまだ続いてるみたい。そろそろ終わったと思うけど……」

携帯を確認すると彼から一通。どうやらトラブルはまだ解消していないみたいで、彼も処理に追われているみたいだ。
今日はそのまま帰って欲しいか。最後にごめんなさいと謝っていたけど、忙しいのなら仕方ない。タクシーを拾って帰るかな。

822: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 15:29:13.45 ID:Ee6/0iwP0
「まだみたい」

「大変そうだね。そうだ! 美穂ちゃんこの後って仕事有る?」

「ううん。今日はこれで終わり。卯月ちゃんは?」

「私も同じだよ。ねぇ、久し振りにデートしようよ」

「デートって……卯月ちゃん! そう言う趣味で」

勿論ちゃんと分かっているけど、さっきのお返しだ。

「違うよ! 私はノーマルだって!」

「ふふっ、冗談だよ」

「酷いよ美穂ちゃん。ほら、遊びに行こうよ。最近オフがなかったし」

卯月ちゃんに急かされるように楽屋を出て街へ繰り出す。
2人とも変装しているため、歩いている人はアイドル2人が手を繋いで歩いているなんて思っちゃいないだろう。

こうやって卯月ちゃんと遊びに行くのも久しぶりのことだった。
私も売れ出してから、誰かと遊ぶ機会が減って来たので今日はとことん楽しんでやろう。

823: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 18:04:44.63 ID:wDbUYB/t0
気分の赴くままに遊ぼうと決めた私たちは、ゲームセンターに寄ったりボーリングに行ったりして普通の女の子と同じように遊び倒した。
エアホッケーでは結構いい勝負をして、シューティングゲームでは2人してゾンビにやられたり、ボーリングでガーターを連続で出したり。

「私たちボーリング下手だよね」

「うん。久しぶりにやったけど、ここまでスコア酷かったかな……」

どんぐりの背比べとはまさにこれのことを言うんだろうな。隣のレーンでしている花柄の服を着た女の子が、私たちの合計スコアの3倍近く叩き出しているので、
この結果が余計惨めに思えてきた。

「ボーリングのお仕事が来たら受けないようにしようかな……」

「うん。私もそうするよ」

「「はぁ」」

恐らくもう二度とボーリングには行かないだろう。新鮮なトラウマを背負ったまま、私たちはスーパーへ。

『前は美穂ちゃんの家に泊まったから、今度は私の家に遊びにおいでよ!』

と卯月ちゃんが言うものだから、お邪魔することにした。なんでも高校を卒業して独り暮らしを始めたんだそうだ。

824: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 18:16:47.70 ID:faPeLc1K0
「えーと、鍋のつゆは……。美穂ちゃんはどのお鍋が好き?」

「うーん。家では水炊きが多いかな」

「水炊きかぁ。悪くないね。でもトマト鍋も一回試してみたいんだよなぁ。キムチ鍋も有りかな」

「トマト鍋かぁ。面白そうだね」

「でしょ? じゃあトマト鍋に決定で!」

梅雨時期に鍋は少し暑くなりそうな気もするけど、お泊りと言えば鍋だ! という卯月ちゃんの良く分からない持論が炸裂して、
島村家でお鍋を作ることになった。

「これだけあれば十分かな?」

「だと思うな」

「よしっ、それじゃあ家に案内するよっ!」

まあ2人でつつきながら食べるのも楽しいだろうし、私もトマト鍋は興味がある。
確か締めにパスタ入れるんだっけ?

825: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 18:40:43.87 ID:wDbUYB/t0
「うん、美味しいよ」

「どれどれ。結構いけるね!」

初めてのトマト鍋は、具にトマトスープがよくしみ込んでいてお箸を止める手が止まらない。
それなりの量が有ったにもかかわらず、お腹を空かせた2人はあっという間に平らげて、締めのパスタを食べていた。

「今度はさ、みんなで食べたいよね」

「みんな?」

「そう! サザンクロスの皆……あっ、そっか。美穂ちゃんはまだ分からないんだよね」

「うん。ごめんね、まだ結論は出せそうにないかな」

「ううん。美穂ちゃんのことだもん。しっかりと考えてくれてるって信じているよ」

卯月ちゃんは100点満点中150点を上げたくなるような笑顔を浮かべる。
この笑顔はどう頑張っても真似出来そうにない。

「ねえ、卯月ちゃんはさ」

「ん?」

「私、どうするべきだと思う?」

826: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 19:20:24.23 ID:OkY0vsM+0
サザンクロスに入ることはプロデューサーがアメリカに行くこと。理屈で考えれば、私にとっても彼にとっても旨みのある話だ。
事務所にしたって、1年後に効果が出るけどアメリカで経験を積んだプロデューサーを迎え入れることが出来る。

私だって理解はしている。だけど感情と照らし合わせた時、どうすればいいか分からなくなる。
自分のことすら分かっていないのに、卯月ちゃんに委ねるなんて卑怯だよね。

きっと私は、このことで卯月ちゃんとすれ違うのが嫌だったんだ。この町に来てから最初に出来た友達を、無くしたくなかった。
卯月ちゃんがこうしろと言えば、私はそれに従って――。

「うーん、そうだね……。入って欲しいけど、入って欲しくない、かな。正直に言うと」

「えっ?」

「一緒に活動出来たらいいなって出会った頃から思ってた。だって一番最初に出来た同世代のアイドル仲間だから。レッスンも一緒にしたけど、凄く楽しかった」
「だけど私は美穂ちゃんがプロデューサーさんのことが好きなのを知っているから、おいでよって言えないんだ」
「プロデューサーさんのことを話す美穂ちゃんってさ、本当に可愛いんだよ? 見ている方までニヤニヤしちゃうぐらい」
「だから離れ離れになっちゃうと、辛いんじゃないかなって。私は美穂ちゃんの悲しい顔は見たくないから……」

「卯月ちゃん……」

卯月ちゃんの悲しそうな顔が私の心に突き刺さる。
この顔は前にも見た。初めてのオーディションで大失敗した時も、私のせいで悲しい顔をさせてしまった。

結局あの日から何も変わっていないじゃないか。卯月ちゃんの笑顔を奪って私は――。

827: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 19:32:48.21 ID:f42NWrq/0
「でも私は、ううん。サザンクロスの皆は美穂ちゃんの夢を応援するよ。だって私たち、友達だから! その夢が私たちと同じものだったら、それはそれで嬉しいけどね」
「御免ね! なんだか私らしくない顔しちゃって。ほら、美穂ちゃんもそんな顔しないで!」

「ううひひゃん(卯月ちゃん)?」

「笑う門には福来るってモモ○ロも言ってたし!」

口元を引っ張られ無理やり笑顔を作らされる。

「えいっ」

「痛いよ卯月ちゃんっ!」

「美穂ちゃんがしかめっ面してるからだよーだ!」

「もう卯月ちゃん! やり返してやるっ!」

「あははっ! く、くすぐらないで! 反撃だはぁ!」

「ふふっ!」

落ち込みムードは一瞬にして消えてなくなった。ベッドの上に倒れ込んで猫のようにじゃれ合うと、
さっきまで悩んでいたのが馬鹿らしく思えてきた。

828: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 19:55:56.11 ID:S7lhJSwZ0
「はぁはぁ、笑い疲れたね」

「うん。なんだか凄くスッキリしたかな」

「ねえ美穂ちゃん」

「なに? 卯月ちゃん」

「ユニットが違っても、ずっと友達でいようね」

「うん」

ずっと友達、か。卯月ちゃんがいてくれたから、私は頑張って来れた。
まだまだその域に達していないけど、私にとって追い越すべき目標であるとともに、最高の親友だ。

これから何が待っているか分からない。だけど卯月ちゃんとの絆は、アイドルを引退しても寿命が切れたとしても、
絶対に切れない自信が出来た。
一瞬でも、卯月ちゃんとの絆が切れるんじゃないかと思ってしまった自分に怒っておく。
卯月ちゃんは、そんな子じゃない。逃げているのは、私だって。

「さてと! お風呂はいろっ! 2人は入れる大きさはあるよ」

「あっ、パジャマ持って来てなかったや。どうしよう」

829: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 20:18:00.07 ID:f42NWrq/0
「私の借りる? サイズ的にもちょうどいいかも」

「うん。そうしようかな」

そう言えば前卯月ちゃんが泊まりに来たときは、私のクマさんパジャマ貸したっけ?

「さてと! 夜は長いからね! 美穂ちゃんの恋のお話、聞かせてもらおうかな?」

「私ばっかりじゃ不公平だよ! 卯月ちゃんは無いの?」

「私は仕事が恋人ですから?♪」

「ずるいっ! じゃあ私も仕事を恋人にする!」

「プロデューサーさんは良いの?」

「うっ……、両方恋人にするっ!」

「この浮気者ー!」

「違うよー!」

やっぱり卯月ちゃんといると、楽しいです!

830: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 20:22:47.94 ID:f42NWrq/0
――

「ふぅー、疲れたぁ」

公園のベンチに座って一息つく。局の方でのトラブルに巻き込まれ、解放されたのは18時過ぎだ。
時間も時間なので多少涼しくはなっているけど、この時期にスーツは辛いものがあるな。帰ってシャワー浴びないと。

美穂は卯月ちゃんの家に泊まるって言ってたっけ。俺の目から離れちゃうけど、卯月ちゃんがいるなら安心かな。

「さて、晩御飯どうしよう……」

今日も今日とて外食かね……。

「あれ、デレプロのプロデューサー?」

「ん? その声は……凛ちゃんか」

「うん。私だよ」

「あらま、今日はNG2じゃないんだね」

「あっ、そうだね。アンタと2人が会うのは初めてかな」

831: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 20:53:55.29 ID:rmeCmC1k0
いつもとは違う2人を連れてベンチの方へとやって来る。

何気に凛ちゃんとはよく会うな。と言ってもIA以降は忙しさが勝って、彼女に会ったのもかなり久し振りだ。

夏服なのか、涼しげな私腹を着ている。意外かもしれないが、私服の凛ちゃんを見たのは初めてのことだったりする。いつも学校の制服着ていたし。

「前は美穂がお世話になったね」

「こちらこそ。美穂のパフォーマンスを間近で見れて勉強になったよ」

前の合同レッスンは美穂だけじゃなくて、サザンクロスの面々にも良いレッスンだったみたいだ。

「ところで、君は神谷さんだよね?」

「えっ? アタシのこと知ってるの!?」

「そりゃあプロデューサーしていたら知らないわけがないよ」

眉毛が特徴的な彼女は神谷奈緒、先日サザンクロスのプロジェクトに引き抜かれたアイドルだ。
本人は名前を言われて驚いているけど、ファーストホイッスルにも出場したんだから、知名度がないわけがない。

832: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 20:56:09.86 ID:f42NWrq/0
「君が思ってるより、君の名前は知られているよ」

「そ、そうか? それは嬉しいな……ってニヤニヤするなよ!」

「ごめんごめん。奈緒のリアクションが微笑ましくてつい。ねっ、加蓮」

「うん。鏡見てみたら? 顔紅いよ?」

加蓮と呼ばれた気の強そうな少女は手鏡を神谷さんに渡す。

「へぇ、これはまた良い色合いで……う、うるせー!!」

「おーい、漫才されても困るんだけど……」

神谷さんはどことなく美穂と似ているオーラが出ていた。恥ずかしがり屋で顔を赤くしちゃうところが似ているのかな。
それと不意にサンタ服が似合いそうだと思ってしまった。なんでだろう。

「それより凛、この人が小日向さんの……」

「うん。所属アイドルに手を出した変態プロデューサー」

「ハァ!?」

変態とはなんだ変態とは。

833: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 21:10:45.50 ID:m30lpLs30
「へぇ……、パッと見普通だね」

「そう言う人に限って変態なんじゃねえの?」

後ろの2人も俺が変態という前提で話をはじめだした。一体どういう説明をしているんだ?

「凛ちゃん、その紹介に異議を唱えたいんだけど」

「却下するよ。だって事実じゃん。ね?」

「あのねぇ。アレはそもそも君のブランデー入りチョコが原因で……」

「そうだったっけ?」

惚けるように返された。女子高生に良いようにあしらわれるスーツの男の絵は、実に情けないものだ。

「そうだよ! それ以外に考えられないよ! まあおかげで美穂も高いテンションを保ったままパフォーマンスが出来たから、万々歳なんだけどさ」

「キスできたから良いんじゃないの?」

「な、なんてことを言うんだ!」

ほらねっ、と凛ちゃんはにやりと笑う。この場において、俺は主導権を握ることは出来ないみたいだ。

834: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 21:16:54.72 ID:f42NWrq/0
「うおっ、本物だこの人……。本物の変態だ……」

「でも小日向さん可愛いから仕方ないよね」

「でもさ、こういう時男なら止めるべきだよね」

「君ら俺に何か恨みでもあるの!?」

3人は息を合わせて俺に攻撃してくる。女子高生諸君の恨みを買ったつもりないんだけどな。

「そうだ。今から私たち晩御飯食べに行くんだけど、一緒にどう?」

「へ? 俺が君らと? 晩御飯を?」

意外な申し出だ。この場には美穂はいないのに、俺と行こうと言ってるのか?
1対1じゃないだけ、ゴシップにもならないだろうから大丈夫か?

「うん。アンタ相手なら問題ないだろうし。あっ、何かするようだったら容赦なく警察呼ぶけどね」

すでに110番が押された携帯を見せてくる。後は通話ボタンを押すだけで、俺は警察のお世話になってしまう。
そういや最近この町に赴任してきた婦警さんが滅茶苦茶怖いと評判だが……。それは良いか。

835: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 21:23:33.54 ID:ZLT9cvlZ0
「しないって! 行くのは良いけど、どこ行くのさ」

「イイトコロだよ」

「はい?」

「行くよっ」

よく分からないまま、凛ちゃんたちについて行く。

彼女たちはアイドルということもあってか、どうしても目立ってしまう。
歩いているだけで視線を集めてしまうぐらいだ。

気が付けば俺は無意識のうちに彼女達から距離を取っていた。まるでこれじゃあその辺の一般人と何ら変わりない。

「ほら、早くしないと。間に合わなくなるよ」

凛ちゃんの言葉が俺に投げかけられていると分かると、道行く男性たちはぎろりと睨んで来る。

皆様の思っているようなのではございません! と心の中で謝りながら、彼女たちの後を歩いていった。

836: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 21:33:25.91 ID:f42NWrq/0
「ここだよ」

「ここって、バイキング?」

「うん。リニューアルオープンしたみたいで、今日まで4名以上で安くなるんだって。一度行ってみたいなって思ってたらアンタがいたから」

「それで誘われたと。結局人数合わせじゃないか」

「仕方ないよ。他の皆都合が有ったし、卯月は美穂とお泊り会だし。プロデューサー呼ぶわけにもいかないでしょ?」

「俺もプロデューサーだよ……」

何故かガックシとしてしまう。内心何かを期待していたんだろうか。

「アイドル3人が誘ってるんだから、もっと喜んでよね。まあアンタの話なら退屈せずに済むだろうし、加蓮も奈緒も一度会ってみたいって言ってたからさ」

「あー、凛がいつも話す人だったしさ。どんな人かなって」

「そうそう。凛ったらデレプロのプロデューサーの話をするとき楽しそ」

「加蓮、少しおしゃべりが過ぎてるよ?」

「むぐー!」

837: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 21:40:15.34 ID:7s3TuSh40
少し恥ずかしそうな顔をして、加蓮ちゃんの口を塞いだ。

「4名様でお待ちの渋谷様、お席にご案内します」

「はいっ。とにかく、今のは加蓮の戯言だから。気にしないでよね」

「はいはい」

「ぷはっ! 病み上がりに酷いことするよね」

「変なこと言う方が悪いんでしょうが」


「ふぅ、食った食った……」

「おっさん臭いよ?」

「俺はまだまだ20代だっての」

バイキングということで少し食べ過ぎた。歩くのも億劫なぐらいで、ウーロン茶を飲みながら回復するのを待つ。

「どんな感じって言うのは?」

「あっ、ちゃんと出来てたかってこと」

「それなら心配いらないよ。スパルタに定評のあるうちのレッスンも乗り越えてたし。マストレさんがアンタのこと褒めてたよ? スケジューリングが完璧だって」

838: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 21:47:07.85 ID:f42NWrq/0
そこまで褒められるものなのかな。確かにスケジュール組みに関しては、
営業とレッスンをバランスよく取っているけど。

「アンタはさ、どうするの?」

「どうするって?」

「ハリウッドに決まってるじゃん」

やっぱり知っていたか。あんまり他言して欲しくないが、凛ちゃんとその仲間なら問題ないかな。

「断言しとくけど、私らのプロデューサーはアメリカに絶対行かないからね」

「あの人本当に飛行機嫌いだもんね。北海道に営業行った時もわざわざ電車で行ってたし、沖縄から依頼が来たときなんか凛に全部任せてたし」

「飛行機恐怖症かつ船舶恐怖症ってまんま千秋様だよなぁ。漫画みたいな人って本当に居るんだなって感心したっけ」

「あっ、これ本人は隠しているつもりだから。あんまり触れないであげてね」

残念ながら、元パートナーと元プロデューサーがうちの事務所にいるから既に知ってます。
しかし酷い言われようだ。彼女の飛行機恐怖症は相当なものらしい。

839: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 21:49:59.85 ID:7s3TuSh40
「美穂が欲しいっていうのもあるにせよ、アンタのことを高く評価しているから、こうやってハリウッド行きのチケットを渡そうとしていると思う」

人を見る目は凄いからね、と付け加える。それは疑う理由もない。NG2の3人を見つけただけでも、芸能界の歴史に名を残していいような快挙なんだから。

「それは嬉しいけど……」

「美穂が心配? それとも、他の誰かにプロデュースされるのが嫌だとか? アンタのことだから、後者だろうけどさ」
「きっと美穂も同じ事思ってるよ。私たちと活動することよりも、アンタと一緒にトップを目指したい。それも一つの道だと思うけど」
「……本当にそれで後悔しない?」

「俺は……」

言いよどむ俺に、凛ちゃんは冷たく言い放った。

「混乱させたみたいでごめんね。だけど、これだけは言っておくよ。……多分今のままじゃ、美穂とアンタに未来はないよ。ただただ依存し合って、勝手に墜ちていく。私はアンタらに負ける気がしないから」

「凛、それは言い過ぎじゃない?」

「言い方ってのが有るだろ!?」

ハッキリと切り捨てた凛ちゃんに2人は慌てふためくが、俺は不思議と落ち着いていた。
それは自分自身でも、そうなる未来が見えていたからか。

840: ◆CiplHxdHi6 2013/03/04(月) 21:59:28.50 ID:f42NWrq/0
「いや、良いんだ。むしろそうキツク言ってくれたのは君が初めてだからね」

「オブラートに包んでも仕方ないしね。あのさ、今はサザンクロスのこと抜きで言わせてもらうけど」
「IUのライバルがふがいないんじゃ、こっちだって張り合いないし。美穂は私たちにとって負けたくないライバルなんだから」

「ライバル、か」

凛ちゃんは揺らぐことのない炎を心に宿している。クールに見えて、実はNG2の中で、いや全アイドルの中でもトップレベルに負けん気が強く、熱い性格をしているんだ。

その炎は、人から人へと燃え移っていく。奈緒ちゃんも加蓮ちゃんも、凛ちゃんのそんな所に惹かれたんだろう。
こんなこと言われたらこっちだってやる気が出てくる。

「アンタらの答え、決勝で見せてよ」

「だな。俺たちも負けるつもりはないよ」

「期待しておくね。さっ、帰ろう」

年下の女子高生に喝を入れられるなんて、俺もまだまだだな。

「あっ、ゴチになります」

「それとこれとは別問題!」
勿論割り勘です。どうも女子3人に失望されたみたいだけど、これも男女平等だ。
白い目×6なんて気にしない気にしない。
君らの方が稼いでるんだから、これぐらい良いでしょうが。

845: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 16:15:44.67 ID:Md6TRCWU0
「あれ? 服部Pからだ」

凛ちゃんたちと別れて夜風を浴びていると服部Pから電話がかかって来た。

「もしもし?」

『あっ、もしもし! デレプロさんですか?』

「はい、そうですけど。どうかなさいましたか?」

『もしご予定がなければ、一杯どうかと思いまして』

「そうですね。今日は車じゃないんで、お邪魔しますか」

お腹いっぱい食べても、お酒が入れば空いてしまうもんだ。それに、こういう付き合いはどの世界でも大切なこと。
飲みニケーションだっけか? 俺はあまり強くないからちびちびと飲むつもりだけど。

「すみませんね、お呼びしちゃって」

「いえ! お気になさらず服部Pと飲むってのは初めてですかね?」

「そうですね。では、お疲れ様です!」

「お疲れ様ですっ」

847: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 16:20:03.44 ID:F3ggEod/0
乾杯もそこそこに酒を飲む。忙しなく動き回る店員たちの声をBGMに、俺たちは近況を報告し合った。

「なるほど。サザンクロスのことは聞いていましたが、最後の1人が美穂ちゃんだったんですか」

「ええ。一応他言無用でお願いしますね」

普通なら喋っていなかっただろうが、お酒が入っている間は饒舌になってしまう。
この場に芸能記者がいなければいいが。

「ってことはハリウッドに行くって事ですか。僕と同じですね」

「それじゃあ服部さんは……」

「実はですね、僕最初は断るつもりでいたんです。ハリウッドに行ったら、瞳子さんのプロデュースが出来なくなりますからね」
「でも、怒られちゃいました。私にこだわらないで、もっと世界を知って欲しいって。瞳子さん、僕がハリウッドに行くならばアイドルに戻るって脅してきたんですよ?」

「それは……複雑ですね」

服部Pの本願は叶うけど、それに携わることは出来ない、か。彼からすれば苦い喜びだな。

「しかも、愛梨ちゃんまで僕がハリウッドで経験を積まないとアイドル辞めるって脅して来ちゃって。嫌われてるんじゃないかなって泣きそうになりましたよ」

そんなことあるわけないのに。愛梨ちゃんも瞳子さんも彼のことを慕っていることを俺は知っている。
心臓に悪い言い方だけど、それだけ彼に経験を積んで来て欲しいんだと思う。

848: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 16:22:13.15 ID:Md6TRCWU0
「瞳子さん言ってましたよ。小日向さんの活躍を見て、勇気が出てきたって。少し前まで悩んでたみたいですけど、予選を通過した美穂ちゃんを見て、こうしちゃいられないって」
「瞳子さんのプロデューサーは1年ぐらいお預けですけど、アメリカで彼女たちの活躍を楽しみにしようかなって考えてます」

単身赴任みたいですね、と笑う彼の顔は晴やかで見ていて気持ちのいいものだった。

「尊敬しますよ」

「まさか。アイドルに背中を押して貰えなかったら結論を出せなかったんですよ? デレプロさんも、最良の選択をしてくださいね」

「最良、か……」

彼だって俺と同じ気持ちだったはずだ。いや、俺以上に担当アイドルにこだわっていた。
それでも彼は、前に進むことを選んだ。その一歩は小さくても、後に大きな一歩となるに違いない。

結局俺は女々しいだけじゃないか。美穂に恋心を持ってしまって、それを捨てきれずにいて――。

「もう一軒行きましょう!」

「ええ、今日は飲みましょうか」

酒、飲まずにはいられない。翌日二日酔いで出社し、美穂に心配されたのはまた別の話。

849: 14話 キミハイルカラ ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 16:29:52.67 ID:F3ggEod/0
――

7月も終わりに差し掛かり、元気いっぱいな太陽は私たちを容赦なく照りつける。
木陰にいても暑いので、日向ぼっこにはイマイチ向かない季節だ。
お洒落な白い帽子を被ってみても、暑いものは暑い。汗もかいちゃうし、冷たいアイスクリームが恋しくなる今日この頃。

だけど年がら年中アツいアイドル業界ではそんな暑さはなんのその。IUの決勝がもうすぐ始まり、アイドルたちが熱く激しいバトルを繰り広げる。

私もそのアイドルの中の1人だ。IUを盛り上げるための応援番組の取材を受けたり、
最高のパフォーマンスが出来る様に営業よりレッスンに力を入れたりと準備は怠っていない。

ただ相も変わらず、私を悩ませる事柄は解消されそうになかった。色んな人の話を聞いて、色んなことを経験して。
それでもまだどうすべきかウジウジと悩んでいる自分がいる。それは彼も同じなんだろうか?

どういう形であれ決着をつけなくちゃいけないのに、私たちはあと一歩が踏み出せずにいた。
こんなんじゃ皆にヘタレだと笑われちゃう。

うやむやなまま毎日を過ごして、タイムリミットまで1週間を切った日曜日。私は久々のオフを取ることが出来た。
一日休養にあてても良かったけど、約束が有ったのでそちらを優先する。結局1ヶ月ぐらいたってしまったな。

「小日向さん! 待ってましたよ!」

「すみませんアキヅキさん。今まで時間が取れなくて」

850: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 16:32:03.10 ID:Md6TRCWU0
「仕方ないよ。今をトキメク売れっ子だからね。IUにむけて忙しかっただろうから、来て貰った僕の方こそお礼を言わないと。ありがとう、来てくれて」

「いえいえ! とんでもないですっ!」

お礼を言われるようなこともしていないのに、丁寧に言われるとなんだか申し訳なくなる。

「えっと、ここがアキヅキさんの作業場ですか」

「ええ。今お茶入れますね」

新曲のデモテープを聞いて欲しいとアキヅキさんに頼まれてここまで来たけど、引っ越したばかりみたいに部屋は綺麗に片付けられていた。

「写真だ」

きょろきょろと見渡すと写真立てを見つける。こっそり見てみると、若かりし頃のアキヅキさんが可愛い女の子たちに挟まれて女装で写っていた。

「ああ、これですか? 昔の写真なんです」

「えっと、女装されていた頃の……」

「あはは……。そうなりますね。あの頃は色んな所を恨みましたけど、今となってはいい思い出……になるのかな?」

困ったようにはにかむ彼の顔は、写真に写る美少女(?)の面影が残っていた。今でも女装が抜群に似合いそうだ。少し嫉妬しちゃう。

851: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 16:38:04.64 ID:F3ggEod/0
「小日向さん、前に僕が生放送で私信を送ったって話しましたよね」

「えっと、はい。どんな話かまでは知りませんが」

「結構色んな所が混乱したんだけど、小日向さんぐらいの歳の子は知らないかな? NG大賞とかでも出てこないし、局としても忘れたがってるのかなぁ」

懐かしむように目を細めて写真を見る。この中に彼に救われた人がいるのかな。

「女の子アイドルとして活動しているときに、夢を見失ったアイドルがいてさ。僕はその子のためにも、自分に夢を叶えなくちゃって思った」
「格好良いイケメンアイドルになる。そのつもりで事務所に入ったら女の子アイドルにさせられたんだ」

無茶苦茶な話だけど、アキヅキさんが話を盛るとも思えない。事実は小説より奇なりというのは、本当みたいだ。

「だから夢のために、男の子だって暴露したんだ。だけど大人の事情はそれを許さなかった。それで一時期干されて」
「タケダさんの協力もあって、もう一度チャンスを貰えた。だけどそれは、今まで女の子アイドルのアキヅキリョウを応援していたファンや事務所の仲間たちを裏切ることでもあって」
「そんな時にさ、タケダさんはこう言ったんだ」

「空気など読むな、ってね」

「空気など読むな……」

自然と反復してしまう。短い言葉だったけど、その言葉の裏に隠されたものは大きい。

「小日向さんの移籍問題は僕も耳にしているよ。NG2Pが週刊誌などに情報統制を徹底しているから、外に漏れるなんてことは無いと思うけどね」
「これからのこと、事務所のこと、プロデューサーのこと。悩みは尽きないよね。周囲が型にはまった答えを求めて来ても、例えそれがファンを裏切ることだとしても」

852: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 16:41:14.99 ID:Md6TRCWU0
「逃げずにちゃんと夢を見続けなくちゃいけない。それが夢を語る人の資格だと僕は思うな」

眼鏡越しの真剣な眼差しが、私の心を丸裸にする。
言葉自体は厳しいものでも、彼なりに私を導いてくれようとしているんだ。

「さて、その話はここまでにしようか。いくつか曲を作ったんだけど、是非とも小日向さんに聞いて欲しいなって思って」
「もしその中に気に入った曲が有れば、使っていただけたら僕としても嬉しいな。あっ、強制じゃないよ? 小日向さんの一ファンとして、新たな曲も見てみたいってだけだからさ」

慌てて言い直すけど、私もそろそろ新曲を歌ってみたいと考えていたところだ。
Naked Romanceに飽きたわけじゃないけど、周囲の活躍に影響を受けて新たな一面を皆に見せたいと思うようになった。

「えっと、お勧めは有りますか?」

「お勧めかぁ。そう言われたら全部お勧めって答えちゃいそうだけど……、これとかどうかな? 割と自信がある曲なんだ」
「親戚のつてで一度録音してもらったけど、結局お蔵入りになったという裏事情はあるけどね」
「その時はアルバムの構成上似た曲が有ったからってだけで、この曲自体が否定されたわけじゃないよ。むしろ勿体無いわねってボヤいてたかな」

そう言ってデモテープを渡す。シールに書かれたタイトルは……。

「『キミハイルカラ』ですか」

「ええ。『黄身入るから』って読み方じゃないよ? 一応言っておくけど」

「それは分かります! どんな曲だろう……」

「小日向さんにピッタリな曲だと胸を張ってお勧め出来るかな?」

853: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 16:50:17.67 ID:F3ggEod/0
聞いてみないことには話が進まない。音楽プレイヤーに入れて歌詞カードを見る。



「この歌声は知ってるんじゃない? アイドルからは転向したけど、今でも精力的に活動しているし。しかし、師匠は本当に声変わらないよなぁ」

「この曲……」

不思議だった。アキヅキさんの作る曲は、どうしてこうも私の心に響く曲ばかりなんだろう。
そして何より、美しい旋律を彩る歌詞が私たちのことを歌っているみたいで。曲が終わるころには、この歌の紡ぐ世界に夢中になっていた。
Naked Romanceを聞いた時と同じ衝撃が、私の身体に心にガツンと響く。

「どうかな?」

「アキヅキさん! 私、この曲歌ってみたいです。この歌詞に想いを乗せたいんです」

一緒に成長できる曲がNaked Romanceなら、この曲は私に決意を与えてくれる曲だ。
私は強くならなくちゃ――。

「小日向さん、良い目をしているよ。覚悟を決めた目、って言うべきなのかな。きっと君は、まだまだ輝ける。そう信じていますよ」

「はいっ! ありがとうございます。あれ?」

854: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 16:52:56.39 ID:Md6TRCWU0
お辞儀をして初めて気づいた。彼の薬指にキラリと輝くリングが有ることに。

「アキヅキさん、それって……」

「あっ、ばれちゃいました? なんだか恥ずかしいな……」

照れ隠しに目線を逸らされる。その姿が何だか可愛くてニッコリしてしまう。

「えっと、おめでとうございます!」

「あはは、どういたしまして」

アキヅキさんの奥さんになる人なんだ。素敵な人に違いない。幸せな家庭を築いていくんだろうな。

「結婚式に呼んでくださいね」

「はい。是非とも来てくれると嬉しいです」

幸せな気持ちのまま私は歩き出す。覚悟は決まった。後は彼と決着をつけるだけだ。

「もしもし、プロデューサーですか?」

決戦は今日の夜。全て、伝えるんだ――。

855: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 17:01:40.93 ID:F3ggEod/0
――

どうにもこの国の夏はカラッとしなくて気持ちいいものじゃないな。うだるような暑さの中、営業の帰りに公園の木陰で一息ついていると、
なにやら聞き覚えのある声が。そろそろ日が沈むというのに、随分と元気なこった。

「Pちゃん! そこやもっと大胆に! 攻めの姿勢や!」

「イズミンも強気に攻めるべきだよ! そこだっ、行っちゃえ!」

「……君ら何やっとるか」

草に隠れて身をかがめているわが社所属アイドル2人。こんなところにいたら虫に刺されるぞ。

「あっ、小日向Pさんっ! 今イイトコロなんですよ!」

「イイトコロって……あれはNWPと泉ちゃん?」

「ふっふっふ、ええ感じやと思いません?」

「いい感じって?」

「ほらっ! イズミンってNWPさんがスカウトした子じゃないですか」

「はいはい、そういうことね」

856: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 17:05:06.69 ID:Md6TRCWU0
よく分からないまま連れてこられたNWPは、社長&ちひろさんの話術に引っかかってプロデューサーになった。
こう聞くと俺と同じパターンなんだけど、実際のところは渋る彼に美穂の名前を出したら喜んでハンコを押したみたいだ。

そう言えば彼の美穂を見る目はプロデューサーというよりかは、1人のファンとしての目つきだった気がする。
あんまり調子に乗るようじゃお仕置きもやむを得ないな。

と勝手な心配もしていたけど、彼の前にも運命の出会いは有ったみたいだ。

さくらちゃんと亜子ちゃんは事務所主宰のオーディションで発掘したアイドルだけど、泉ちゃんだけは事情が違う。

俺が美穂を見つけたように、放り出されたNWPが静岡でスカウトしたアイドルが彼女なのだ。
俺は彼に対して、失敗続きの末熊本で美穂をスカウトしたから、静岡で見つかって良かったねって感想を持っていた。

まぁ奇遇なことに、NWの3人はそろいもそろって静岡県民で同い年というNG2以上のマッチングっぷりを見せている。
仲が良いのも肯ける。逆に言えば。ぎくしゃくしたときにどうなるかは心配ではあるけど。

また3人とも同じ学校に編入したらしい。新人アイドルとはいえ3人もアイドルが来たため、学校ではちょっとしたお祭り騒ぎになったとか。

そして一番奇跡染みていると思ったのは、彼も俺と同じなのだ。

857: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 17:16:26.93 ID:50GxzHDL0
「あー! じれったいなぁ! 小日向Pさんだってもっと美穂さんと自然に接してるのに!」

「いつやるか? 今やろっ!」
「言いたい放題よね、君ら……」

彼女達から見て、俺たちはどう映っているんだろう。聞くの怖いな。

「イズミンもなんだかんだ言って満更じゃなさそうなのにねー!」

「しゃーない、ここはNWPちゃん相手にいっちょ商売やったろか! いずみの好みのタイプで1000円や!」

「程々にしときなよ?」

色恋沙汰は本人たち以上に周囲が盛り上がる。あんまり無責任なことするなよと注意して事務所へと戻った。
クールで人を突き放すようなオーラを持つ泉ちゃん(実際喋ってみるとただ口下手なだけだったけど)と、
俺が鏡に映ったみたいに純情なNWPのラブコメは、まだまだ始まったばかりのようだ。

「でもそれって……」

彼も俺と同じ道を歩むということ。今の俺のように、苦渋の選択を強いられることになるだろう。
その時、彼はこう思いやしないだろうか?
こう苦しむぐらいなら、好きにならなければ良かった――。

「違うっ」

ネガティブな自分を否定するように呟くも、燦々と降り注ぐオレンジ色の夕陽は俺の心まで照らしてはくれなかった。

858: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 17:20:09.45 ID:Md6TRCWU0
「ただ今戻りました」

「ああ、君か。お疲れ様」

冷房が効いて程よく涼しい事務所には、社長しかいなかった。ちひろさんは買い出しに出かけているみたいだ。
どうせならNWPたちに行かせればいいのに、と中学生みたいなことを思ったり。

「なんだ、あの子らも今日はオフだったんだ」

ホワイトボードを確認すると、NWの予定は休養になっていた。まああの子らも入社してから休みなく頑張って来たし、こう羽を伸ばすのも大切だな。
ってことは、あの2人わざわざ会いに来てたのか。

「NWP、泉ちゃんにご執心なようで」

「まあ仕方ないさ。それは君の小日向くんへの態度と被るものがあるけどね」

「そこをつかれると痛いですね」

「悪いことじゃないさ。よくアイドルとプロデューサーの関係について、ネットなどでも議論されるが、私は恋愛は有りだと考えているんだよ」

「意外ですね」

社長は俺たちに理解が深い一方で物事を冷静に見ていたから、こう感情と理性を並べられた時に感情を優先するとは思っていなかった。
それもアイドルとの恋愛だ。タブー中のタブーなのに。

859: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 17:27:22.97 ID:50GxzHDL0
「うむ。大袈裟に言えば、そもそもアイドルをプロデュースすること自体、自分が好きになった女の子を、日本中に自慢することなんだと私は思うんだ」

「それは……考えたことなかったですね」

「プロデュースしたいって気持ちには、理屈も打算もない。ただただ、この子が輝いている姿を見たい、その一心だったんじゃないかね?」

だから、最初から恋愛感情ありきじゃないのかな? 最後にそう付け加えて、社長は窓の外を見る。
隣に並んで見ると、気恥ずかしそうに並んで歩くNGPと泉ちゃんの姿が。案の定、後ろから野次馬二人が追っかけていた。

「良い顔をしていると思わないかい?」

「ええ。それはとても」

それでも今の泉ちゃんの可愛さは、どんな衣装を着てどんなメイクをしても叶わないぐらいに輝いていた。

「決して許されることじゃないかもしれない。だけど、女の子が輝くのが恋している瞬間ならば。私は咎めやしないよ」

「それは……社長がそうだったからですか?」

「さあ、どうだったかな。忘れたよ」

在りし日を思い返し寂しそうに笑う彼の姿がとても印象的で。遠くから聞こえる飛行機の音が、余計物淋しさを引き立てていた。

「さて。仕事に戻ろう。ちひろくんにどやされるのは勘弁だよ」

「ははっ、そうですね。それじゃ俺もいっちょ頑張るか」

準備しなくちゃいけないことは多い。時間は余りないが、出来る限りしておこう。

860: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 17:29:01.87 ID:Md6TRCWU0
「~♪」

「プロデューサーさん、電話ですよ?」

「おっと、どうもです」

静かな事務所に響く着信音はNaked Romance。美穂からの電話だ。気付けば結構長い間仕事していたのか。

「もしもし?」

『あっ、プロデューサー』

「どうかした?」

『はいっ。その、今から時間ありますか? お話したいことが有るんです』

「奇遇だな。俺もだよ」

『えっと、それじゃあ……』

「迎えに行くよ。美穂に紹介したい場所が有るんだ」

『? 分かりました』

「それじゃあ、後でね」

『はいっ』

861: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 17:34:40.94 ID:50GxzHDL0
電話が切れたことを確認して、ふぅと息を吐く。まさか美穂から来るとは思わなかった。
彼女も彼女で、腹をくくったって事だろう。

もう俺たちに逃げ場はない。いつやるか? 今でしょ。

「決着をつけるのかね?」

「はい。俺たちが夢見た次のステージへ、一歩踏み出さなくちゃいけないんです」

「そうか……。月並みな言葉だが、頑張りたまえ。男を見せてくるんだよ」

「ええ、そのつもりです」

「プロデューサーさん! 私は2人が最良の選択をするって信じていますよ」

「ちひろさんもありがとうございます。それじゃあ行って来ます」

戻れない時まであともう少し――。

「うっし!」

両頬を叩いて気合を入れる。頬に残る痛みなど、これから背負う痛みの前では可愛いものだ。

862: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 17:39:16.79 ID:Md6TRCWU0
――

「ふぅ……」

彼と出会ったばかりの頃、電話をかけるのに何時間もかかってしまった。
彼と出会って半年、電話するのに躊躇がなくなる。
そして今。出会った時以上に緊張してしまった。

いつものように呼び出すだけなのに、舌は乾いてしまい、心臓は大きな音で鼓動を鳴らして。
彼が来るまで、もう少し時間が有る。その前に、しなくちゃいけないことが残っていた。

「あっ、もしもし。お父さん?」

『おや、美穂じゃないか。どうしたんだい?』

「少し話したいことが有って」

『話したいこと?』

私の声がいつもと違うことに気付いたのか、電話越しに真剣な声色が聞こえる。

「うん。私、自分の夢に正直になるって決めたんだ」

『美穂の夢?』

「最初の頃とは違っているかもしれないけど、本当に叶えたいものを見つけたんだ。アイドルとして、1人の女の子として」

863: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 17:43:58.68 ID:50GxzHDL0
いきなり何を言っているんだと言われても仕方ない。突然電話して、勝手に宣言しているだけなんだから。
だけど私は、お父さんとお母さんには聞いて欲しかった。
今まで私を育ててくれて惜しみない愛情を注いでくれた2人に、娘の覚悟を見せたかったんだ。

『そうか。その夢はとても素敵なものなんだろうな』

「うん。きっと世界が輝いて見えるような、そんな夢」

『私たちの夢は、美穂の夢が叶うことだよ。胸を張って、夢に正直になりなさい。母さんに変わるよ』

『美穂……、今のあなたを見れなくて残念ね。きっと凛々しい顔をしているんでしょうね』

「分からないけど……、でも逃げるなんてことは無いよ」

『行って来なさい。貴女のためにも、彼のためにもね』

「お、お母さん!」

絶対電話を持ってニヤニヤしていると思う。

『なにっ!? その夢には彼も』

「あれ? もしもし?」

焦るお父さんの声だけが耳に残って、電話が切れた。

864: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 17:49:30.57 ID:Md6TRCWU0
「ありがとう。お父さん、お母さん」

私は貴方達の娘で、本当に良かったです。

ツーツーと電子音を鳴らす携帯の時計は19時。そろそろかと思って窓の外を覗くと、車から手を振る彼の姿が。
――もう振り向かない、怯えない。

「行ってくるね」

枕元に2つ並んだクマのぬいぐるみが頑張れって言ってくれている気がして心強い。

「うんっ」

不安を吐き出すように深呼吸をして、頬を叩いて気合を入れる。

「待たせたね。それじゃあ行こうか」

「行くって、どこにですか?」

「それは着いてからのお楽しみだよ。さっ、乗ってください、お姫様」

「お姫様だなんて、それじゃあプロデューサーは王子様ですね」

「王子って歳でもないんだけどな……」

865: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 18:01:52.32 ID:50GxzHDL0
「……」

車の前で軽いやり取りをするも、運転が始まるとやっぱり黙り込んでしまう。

「ラジオつけよっか」

「はい」



ラジオから流れる音楽は格好良いロックナンバー。誰の歌かは分からないけど、静寂を破るその歌詞が私たちのことを応援しているみたいで。
気が付いたら自然とリズムを取っていた。李衣菜ちゃんなら知っているかな? 今度聞いてみよう。

「さっ、着いたよ」

車を走らせること数十分。辺りは暗くなり始め、星の瞬きが私たちを見ている。ここはどこだろう? 丘の上みたいだけど。

「あれが私たちの住んでいる街ですか……」

「うん。あの光の数だけ、人が生きているんだよ」

高いところから見下ろすと、街の明かりが輝いて見える。私の家はどこだろう。事務所はあの辺かな?

「驚くのはまだ早いよ。寝転がってごらん。よっと」

「? はい」

866: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 18:06:24.17 ID:Md6TRCWU0
車から降りるなり彼は地面に寝転ぶ。スーツ汚れちゃいそうだなと思いながら、私も彼を真似て仰向けで横になる。

「わぁ……、凄いです!」

寝転がって空を仰ぐと、満天の星空。この町に来ていくつもの夜を超えたけど、こんなに星が有ったなんて。

「あれがデネブアルタイルベガ。夏の大三角形だ」

「ふふっ、デネブとベガを間違えてますよ?」

「あり? そだっけ」

プロデューサーは惚けたように言うと、身体を起き上がらせた。砂がスーツについているけど、彼は意に介さないみたいだ。

「ここさ、凛ちゃんに教えて貰ったんだ」

「凛ちゃんにですか?」

「うん。ファーストホイッスル収録後のことかな? NG2の4人にとって特別な場所なんだって」

「特別な場所……」

それを彼だけ知っていたというのが、少しだけ悔しかった。だってそれって、凛ちゃんと彼だけの時間があったってことだから。
でも凛ちゃんとここに来なければ、私はこの光景を見れなかったんだよね。なんだか複雑だ。

867: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 18:10:24.20 ID:50GxzHDL0
「いつか美穂と一緒に見たいなって思ってたけど、ずいぶん遅くなっちゃったな。冬の大三角形は見れない代わりに、夏の大三角形で勘弁してくれ」

このままずっと2人で星を見ることが出来たなら、どれだけ幸せなんだろう。
でも決めたんだ。私は前に進むって。変わらなくちゃいけないって。

「プロデューサー」

「ん?」

「私、新しい歌を手に入れたんです」

「新しい歌?」

「はいっ。アキヅキさんに託された、強くなれる歌です。プロデューサーに一番最初に聞いてもらいたくて」

「それは光栄だな。観客が俺一人ってのも淋しいもんだけど、目一杯応援するよ」

「今日は私のために来てくれて、ありがとうございます。そんな貴方のために、新曲です。曲は……『キミハイルカラ』」

音楽プレイヤーを再生して、カラオケ音源を流し歌う。アキヅキさんの紡ぐ優しい歌詞が、美しいメロディに乗せられて命を得たように輝きだす。

その輝きは、キラキラと光る星達に負けないぐらいで。星空のステージを包み込んだ。

869: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 18:21:17.90 ID:Md6TRCWU0
♪ずっと一緒だと 指切りしたあの日 思い返してる

♪青く澄んだ空 ポツリ浮かぶ雲が 見慣れた君の笑顔に見えた

♪一人ぼっちに慣れるのは ちょっと先かな…側にはいつも『当たり前』の君がいたから

♪私もっと 強くなっていかなきゃどんな遠回りでも「ありがとう」を君に伝えるために

♪夢をきっと 叶えてみせるからずっと見守っていてほしい もう泣かないよ 君がいるなら


「不思議ですよね。アキヅキさんの歌って、いつも私たちに光をくれます」

「違うと思うよ。それは曲が与えたんじゃない、美穂が見つけたんだ」

そう言われると自信が出ちゃうな。IU優勝だって夢じゃないことを証明してみせるんだ。

「この曲でIUに挑もうと思うんです」

「ああ、それは素敵だね。今までとは違う美穂を、みんなに見せつけるんだ」

「それと……。お話が有ります。私決めました。だから……」

「……そっか。俺もだよ」

「え?」

「俺も決めたんだ」

彼の眼には迷いなど微塵もなく、私のことを試すかのように見つめている。

871: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 18:25:41.24 ID:DLbxikLs0
「そうですか……。えっと! 私からして良いですか? レディファーストです」

彼の言葉を最初に聞いちゃうと、揺らぎそうだったから。

「ああ、聞かせてくれ」

「私、これまでプロデューサーと一緒に頑張って来ました。貴方とならどんな困難も乗り越えられるって明るい未来が待っているって信じていました」
「だけどそれって、貴方に甘えてばかりだったんです。プロデューサーがくれるものに満足していたんです」
「サザンクロスでレッスンして気付きました。どれだけ私が大切にされてきたか。凄く嬉しかったです。でも……」
「私は強くなりたいんです。いつまでも貴方に依存していないで、自分の足で歩きたいんです。遠回りしたって、きっと私たちはそれぞれの道を歩むべきなんです」

「……」

「我儘言ってごめんなさい。でもこれが私の夢への旅路です」

私の夢は、最高のアイドルになること。皆を笑顔にして、幸せな気持ちを伝えて。タケダさんとアキヅキさんの意志を継いで、私は歩くって決めたんだ。

裏切ったと言われたら否定出来ないだろう。だけどこれが未来への一歩だと思ったから。
彼に失望されたとしても文句は言えない。どんな罵倒も受け入れる覚悟はあった。

なのに彼は、優しく微笑んでくれて。

「……そうか。強くなったね、美穂は」

872: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 18:33:33.76 ID:50GxzHDL0
「え?」

「俺なんかよりもかなり強いよ。もう君は、立派なアイドルだよ」

「私は……。まだまだです」

「そんなことないさ。実はさ、俺も同じことを言おうと思っていた。美穂に先に言われちゃったから、なんか後出しみたいに聞こえるかもしれないけど」

「プロデューサー?」

「俺、アメリカに行こうと思うんだ。そこで1年間ミッチリ勉強して、最高のプロデューサーになって帰ってくる」
「だからその時は……、もう一度君をプロデュースしたい。今度は強くなった美穂を、日本中、いや世界中にお披露目するんだ」
「俺が好きになった女の子は、こんなに可愛いんだ! 凄いだろっ! ってね」

子供みたいに無邪気な笑顔は、私の心をいつも掻き乱して。

「それが俺の夢。可愛いお嫁さんは、その後で良いかな?」

「プロ、デューサー……」

「美穂?」

卑怯ですよ、そんなこと言うなんて。

873: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 18:37:32.11 ID:DLbxikLs0
「のわっ!」

抱きしめて感じるのは優しい彼の体温。いつもなら落ち着くのに、今日に限って私の気持ちを加速させる。

「ずるいですよ……! 決心、鈍っちゃうじゃないですか……」

嬉しさと悔しさ、色々な感情が混ざり合って名前を付けることの出来ない気持ちが膨れあがる。
我慢していたのに、もう止まらない。感情のダムが決壊して、心の中の想いをすべて出し切るように彼を強く抱きしめた。

「私だって! 私だってプロデューサーのことが大好きなんです! もう貴方しか見えないって……そう思えたんです!」

いつからだろう。彼に対して恋心を抱いたのは。クリスマスパーティーの時かな? いや、本当はずっと前から。
きっと彼に出会った時から、私の気持ちは走り出していたんだ。一目惚れって、なんだか私らしくないかも。

「俺もさ、美穂に初めて出会った時から、ずっと夢中だったんだ。だからアイドルになった美穂を応援したかった。変だよな。恋愛は禁止されているのに、恋した相手をプロデュースしたいなんて」

「ふふっ、私たち本当に似た者同士ですね」

「ああ。ビックリするほどね」

「変な2人ですね」

「世界一ね」

世界一変な2人なんだ。世界一のプロデューサーにもアイドルにだってなれる気がして来た。

874: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 18:49:17.88 ID:50GxzHDL0
「プロデューサー、もう少しこうしてて良いですか?」

「うん。俺も美穂とこうしていたいから」

「えっ? んっ……」

彼の腕が私の背に回され、唇が重なり合う。二度目のキスは少しだけ塩っぽくて、だけど優しく暖かなキス。
多幸感に包まれて、身体がふわふわと空に飛んでいきそうで。

「プロデューサー、もう一回……」

覚えたてのイケない遊びみたいに何度も何度も繰り返す。彼の暖かさが伝わる度に、甘くとろけそうな気持でいっぱいになる。

こんなところパパラッチに見つかれば一発でアウトなのに。私たちはそんなことすら気にせず、2人の時間を過ごしていた。

幸せな時間が永遠に続いて欲しいと思う反面、流されちゃダメだと反論する自分もいる。
だけど今だけは、彼と共にいたかった。一生忘れられないぐらい、彼の匂いを暖かさを感じていたかった。

そんな私たちを、数えきれないお星さまだけが見ていた。

875: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 18:50:52.76 ID:DLbxikLs0
「んーっ」

窓の外から聞こえる小鳥たちのさえずりが目覚まし時計の代わりとなる。上を見るといつもと違う天井。

「あっ、そっか……」

寝ぼけている頭がはっきりしていくにつれて、今どういう状況にいるかを思い出した。

「目、覚めた?」

「は、はい……。おはようございます」

「うん、おはよう。朝ご飯作ってみたんだけど、食べる?」

「は、はいっ。喜んで」

昨日告白合戦の後別れるのが惜しくなり、晩御飯を一緒に食べて、そのままの流れで彼の部屋に泊まったんだった。
泊まったというのは言葉通りの意味しかない。そもそも彼とはすでに同じ部屋で一夜を過ごしたことだって有る。

でもあの時よりも意識してしまいなかなか寝付けなかった。彼はというと、気が付いたら夢の世界へ旅立っていた。

「少しぐらい緊張してくれても良かったのに……」

「何か言った?」

「い、いえ! 何でもないです! そ、それじゃあ朝ご飯頂きましょうそうしましょう! ん? これって」

876: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 19:02:31.01 ID:50GxzHDL0
「あっ、見つかっちゃったか。この世に二つとない、小日向美穂コレクション。いやあの親父さんなら負けてなさそうだな……」

ベッドから体を起こすと、私のCDがキレイに片付けられていることに気付いた。
それだけじゃない。私が出演した番組のDVDや、インタビューを受けた雑誌まで。
大きなものから小さなものまで、中には私自身ほとんど覚えていないものすら、彼は大切にしてくれたんだ。

「これはデパートで買ったやつかな。いやー、あの日は本当にひどい目にあったなぁ。でこれは……」

懐かしそうに1つ1つ並べていく。子供がお気に入りの玩具を集めているみたいで、ちょっと可愛らしい。

「っと! 今日は普通に仕事が有ったな。さっ、朝ご飯を食べて頑張るとしますか! さぁ一杯食べようっと」

『頂きます』

彼が作ってくれた朝食は大雑把な大きさのフレンチトーストとコーンフレーク。これは作ったって言っていいのかな……。

「美穂は紅茶で良いかな?」

「あっ、たまにはコーヒーを飲んでみたいなって」

「おっ? コーヒーの良さが分かってくれたかな? 嬉しいなぁ。ミルクは」

「ブラックで大丈夫ですよ」

少しだけ大人になった記念だ。ファサーと塩をまぶして飲む。

877: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 19:03:31.63 ID:DLbxikLs0
「へ? 塩かけるの?」

信じられないと言った顔で私を見る。彼にとって塩コーヒーは異文化なんだろうな。

「はい。美味しいですよ? 飲みますか?」

飲みさしのコップを彼に渡し勧める。

「んじゃ……。おっ、意外とイケるじゃん」

「美容に良いって夏美さんが言ってました」

「夏美さん? ああ、相馬さんか。これを飲めば俺ももちもち肌になれるのかな?」

「それは面白いですね!」

「どういう事?」

想像するとおかしくて笑ってしまう。彼は一瞬ムッとするも、すぐにつられて声を上げゲラゲラと笑う。

「ご馳走様でした」

「はい、お粗末様でした。それじゃあ行こうか」

着替えがなかったため一度家に戻ろうと考えたけど、そうしている時間はない。彼の車に乗って事務所へと向かった。

878: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 19:13:21.36 ID:50GxzHDL0
「あれ? 美穂さんとプロデューサーさん」

駐車場に車を止めようとすると、NWの3人が駆け寄ってきた。今日も今日とて3人とも仲良しだ。微笑ましいな。

「おやおや? もしかしてこれは一緒に来ちゃった感じやないですか?」

「美穂さんも隅に置けませんね!」

「あんまり美穂さんたち虐めない方が良いよ?」

ニヤリと笑う亜子ちゃんとさくらちゃんがじりじりと寄ってくる。泉ちゃんはやれやれとため息を吐くけど、私たちを助けるつもりはないみたいだ。

「え? あっ、これは……」

助けてくださいと目で合図する。

「そ、そこで拾ったんだ! なっ、美穂」

困ったみたいに汗をかくも、何とか切り抜けるための策を出してくれた。私も彼に合わせて言い訳を紡ぐ。

「そ、そうだよ! 私が歩いていたら偶々……」

「へ? 美穂さんいつもバスですやん」

「えーとそれはね」

「怪しい……」

879: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 19:20:06.75 ID:DLbxikLs0
その時、泉ちゃんが動いた。

「ふーん。でもプロデューサーと美穂さんから同じシャンプーの匂いするよ?」

「ええ!? わざと違うシャンプーを使ったのに……ハッ」

「美穂っ!?」

言ってから気付く。今思いっきり自白したことを。

「語るに落ちたね」

「2人ともさすがにチョロすぎやないですか。そんなんじゃ、秘密の交際出来ひんよ?」

「顔真っ赤にしちゃって、イズミンとプロデューサーさんみたいですね」

「さ、さくら!?」

思わぬフレンドリーファイヤーに泉ちゃんはたじろいだ。普段クールな分、こう崩れると可愛らしくなるよね。

「ホンマ、デレプロは恋の嵐が吹きまくってえらいこっちゃ」

「亜子まで……!」

「おーい、みんなー。何してんだー?」

その後NWPが一向にやってこない私たちを探しに来るまで、亜子ちゃんさくらちゃんによる尋問ショーは続いた。
はぁ、活動が始まる前からヘトヘトだ。

880: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 19:33:51.10 ID:50GxzHDL0
「よしっ、そこまでにしましょう。あんまり動きすぎて、本選で力が出ないなんてことになれば本末転倒ですからね」

「ありがとうございましたっ」

IU本選に向けて最後のレッスンは、案外あっさりと終ってしまった。というのも本選が近いので、調整といった方が正しいかな。

「しかしこの曲を1日でモノにするとは。姉が一目置くだけありますね」

「いえ、そんな……」

「小日向さんは私が教えてきたアイドルの中で、一番人との出会いに恵まれていたアイドルだと思っています」

人との出会いに恵まれていたアイドルかぁ。自分でもそう思っている。この世界で走り続けてこれたのも、色んな人との出会いと別れがあってこそだった。
時に笑い、時に悲しみ。その掛け替えのない一瞬一瞬を生きること。それが私の一期一会。

「私が教えれることはもうありません。これからは、もっと上を目指して頑張ってください。私も貴女を指導したトレーナーということを誇りに、頑張って行きますから」
「たまには遊びに来てくださいね。NWの3人も小日向さんにいろいろ教えて貰いたいでしょうし」

「トレーナーさん、ありがとうございます。私、トレーナーさんからの教えを絶対忘れません」

トレーナーさんと固く握手を交わす。キリっとした目が心なしか潤んで見えたのは、気のせいかな――。

883: 最終話 一期一会のその先で ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 20:26:34.25 ID:DLbxikLs0
「本選が始まるな」

「そうですね。まだ実感がわかないです」

IU本選。これから3連戦が3日かけて行われる。

「昔は3週間だったみたいだけど、実際に本選を行うのはうち3日間だけだしね。この方がスピード感もあっていいんじゃないかな?」

とはプロデューサーの談。子供の頃は確かにそれぐらい長かった気がする。日程が短縮された分、この3日間は日本中が大いに盛り上がるみたいだ。

「参加者もやはりなという面々だ。油断せずに行こう」

IAの覇者NG2はもちろん、ダークホースと呼ばれた愛梨ちゃんも今回は本命の1人。

他にも川島さんがリーダーのクインテットユニット、李衣菜ちゃんのロックなデュオ、
アイドルというよりかは歌手と呼んだ方が良い歌唱力の持ち主や、身長差45cm超の凸凹コンビに姉妹ユニットなど、揃いも揃って強烈なインパクトを持っている。

前夜祭で出場者が集合したとき、あまりに強烈な面々ばかりだったため、却って普通な私が浮いてしまったぐらいだ。

『その、みんな凄いね』

『だよね……。個性って何だろう……』

『『はぁ……』』

卯月ちゃんと2人ため息を吐いたのは覚えている。他の子がソースなら、薄味の醤油になろうって約束したっけ。

884: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 20:31:29.71 ID:oZCWv4Q/0
「私、埋もれてしまいそうです……」

「恐れることは無いよ。いつものように、ステージを目一杯楽しむ。それがこのIUの攻略法だよ。それに」

「それに?」

「美穂の輝きは眩しすぎるぐらいだから、それぐらいがちょうどいいハンデになるんだ! ぐらいに構えておこうよ」

強気な発言に、私の薄れかけた自信は輪郭を取り戻す。

「……はいっ!」

「美穂さん、頑張ってくださいね!」

「応援しています」

「これで勝てば経済効果が……うっしっし! 負けないでくださいよ!」

「おいおい、何そろばん弾いてるんだ? 小日向さん、俺たちも舞台裏から応援していますね」

NWの皆も来てくれた。先輩アイドルとして、何一つ教えることは出来なかったけど、このステージで何か彼女たちに伝えることが出来たら嬉しいな。

「ありがとうみんな! 私頑張ります」

「開会式が始まるね。行こうか」

「ええ。それじゃあみんな、行ってくるね!」

885: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 20:36:27.92 ID:DLbxikLs0
時間になり、開会式がスタートする。前回のIUの優勝ユニットがトロフィーを返還して、協会の会長さんのお話が合って。

『まぁ私の話を長々としても、ネットではよ終われと言われるだけなので、本番に行っちゃいましょうか!』

そうだそうだとヤジが飛び、会長さんは一瞬泣きそうになるも、すぐに持ち直してIU本選の始まりを告げた。

『これより、IU本選1回戦をスタートいたします!』

「わぁ……」

大きく花火が空に打ちあがり、お祭りの始まりを盛大に祝う。ステージはまだ始まっていないのに、会場のボルテージはこれまでにないぐらいに上がっていた。

「プロデューサー、行って来ます」

「ああ、行ってこい!」

拳を突き合わせて、ステージへと上がる。

「ふぅ……」

大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。この日のためにレッスンもこなして来た。舞台慣れするため色んなオーディションにも参加した。
それでも気を抜くと、緊張が体を支配しちゃいそうだ。だけど私は、今からここでパフォーマンスできることの方が嬉しかった。

「行きますっ」

見ていてください。私の夢のステージを――。

886: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 20:43:28.56 ID:oZCWv4Q/0
――

『レディースエーンドジェントルメーン! 大変長らくお待たせしました。それではIU最終戦をスタートいたします!』

「……」

人生で一番長かった夏も終わりを告げようとしていた。IU本選決勝。世間の注目がこのステージに集まっている。

「緊張しているってところですか」

「ええ。そう言う貴女も、浮ついて見えますよ」

クールなNG2Pも今日という日は特別なのか、小刻みに震えている。

「当然です。彼女たちに出会う前も何人かプロデュースしてきましたが、NG2はやはり特別なんですよ」
「私たちの夢を継いで、新たな伝説を作ることが出来る女の子たち。彼女たちに出会えたことで、私はもう一つの夢、サザンクロスを手に入れることが出来ましたから」
「デレプロさん。貴方には感謝しています。小日向さんを私たちに託してくれて」

「託すんじゃりません。1年間預けるだけです。俺が帰ってきたら、その時は返してもらいますからね」

約束したんだ。最高のアイドルを、最高のプロデューサーとしてプロデュースするって。

「ええ、1年間あれば十分です。尤も、1年後に貴方のところに帰りたいだなんて言うかどうかは保証しませんが」

「言ってくれますね!」

887: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 20:49:25.33 ID:DLbxikLs0
ステージを映し出す巨大な液晶には、NG2と愛梨ちゃんと美穂の姿が。決勝はこの3組で行われる。
どのアイドルも本選で素晴らしいパフォーマンスを見せた。この中から勝者を選ぶなんて審査員たちも難儀したことだろう。ファンの声援なども考慮したうえで、3組は決勝に勝ち上がった。
多くのファンの予想通り、二大優勝候補のNG2と愛梨ちゃんは決勝へコマを進めた。だけど美穂は意外だったみたいで、今度は美穂がダークホースと呼ばれてしまった。

しかしなんでだろうか。美穂と関わりのある相手ばかりだ。

「ああ、こっちにいたんですか」

「服部Pに……、服部さん!」

「久し振り、って言えばいいのかしら?」

服部Pの後ろからひょっこりと姿を現す。夏だというのに、少し暑そうな服を着ている。
だけどあの頃と違って、少し余裕を持てているみたいに表情は柔らかかった。

「彼から聞きました。再デビュー、したんですよね」

「ええ。また1からのスタートだけど、小日向さんや十時さんを見てたら、いてもたっても居られなくなっちゃって」
「不思議な物よね。縛られ続けていた夢から解放されたと思ったら、心にぽっかり穴が開いちゃったみたいで。少し時間がかかっちゃったけど、まだ夢は取り返せると思うから」
「プロデューサーは彼じゃないけど、新しい子と一緒に頑張って行くつもり」

「そうですか……。それは朗報です。美穂も喜んでくれると思いますよ」

最後の最後で美穂の願いは叶ったんだ。やったね、美穂。

888: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 20:59:44.93 ID:oZCWv4Q/0
「想い出話もいいけど、そろそろ始まりますね」

NG2Pがそう言うと、並んでいる3組にスポットライトが当たる。

「おっと。緊張してきた……」

「貴方がしてどうするの? 十時さんなら大丈夫よ」

「平常心だよ、美穂」

パフォーマンスは3つのステージで同時に行われる。そのステージを、ファンは行ったり来たりして、一番素晴らしいパフォーマンスをみせたアイドルにポイントを入れる形式だ。

審査員は3つを同時に見なくちゃいけないから大変だろうな。ちなみに、今回ボーカル審査員としてタケダさんが来ていたりする。
美穂のことを高く買ってくれているけど、この場ではそんなものは邪魔なだけ。厳正で公平なジャッジを下すだろう。

「では、それぞれのステージへ行きましょうか。ご武運を」

「ええ。勝っても負けても恨みっこなしですよ?」

「最後に笑うのは、俺たちですよ」

俺達は自分のアイドルが待つステージへと歩き出す。美穂の夢のステージは、今開こうとしていた。

889: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 21:02:15.81 ID:DLbxikLs0
――

「私たちここまで来たんだね」

「うん。私たちの最後の戦いだよ」

「あー、やっぱ緊張しちゃうなぁ!」

「うーん、でもまだ実感わかないかも。それにしても暑いなぁ……」

「とときん脱いじゃダメ! 見てるから!」

「ふふっ」

思えば長い間頑張って来たよね。盛り上がる歓声の中、走馬灯のように思い出がよみがえる。

友達の代理で委員会に参加したことが、全ての起点だった。バスに乗れなくて眠っちゃって。
目が覚めたら、彼がいた。『アイドルにならないか』ってそう言って、私は東京へ飛んだ。
家族や友達と別れることは悲しかったけど、永遠の別れじゃない。新しい出会いに胸を躍らせてた。

東京でも素敵な出会いが有った。社長とちひろさんはいつでも温かく迎えてくれて、トレーナーさんも厳しく私を指導してくれた。
最近は後輩も出来た。みんな私なんかを尊敬してくれて、なんだか気恥ずかしい。

友達もたくさん出来た。卯月ちゃんたちNG2に愛梨ちゃん、夏美さん。皆私にとって、大切な人たちで、負けたくないライバルだ。

アキヅキさんは歌を託してくれた。彼の歌が、私を強く輝かせる。血脈と言っても良い彼の願いを受け継いで、私はステージに立ちあがる。

890: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 21:06:41.23 ID:oZCWv4Q/0
「あっ……」

観客席に見えた服部P。その隣の彼女に、私は視線を奪われた。

「瞳子さん、来てくれたんだ……」

私のつぶやきが聞こえたのか、瞳子さんは私の顔を見ると柔らかく笑う。誰もが心奪われるような笑顔に、私の中で曇っていたものに光が射す。
瞳子さん。見ていてくださいね。

「時間だ。みんな、負けないからね!」

「うん。私たち負ける気しないから」

「そういうこと! じゃねー!」

「勝つのは私ですよ!」

そして……、いつも私のそばにいてくれたプロデューサー。どんなに辛い瞬間でも、貴方がいれば乗り越えていけた。
だけど甘えてばかりじゃいけないから。
私は自分の足で歩きます。プロデューサーも自分の夢を叶えてください。
私も夢を叶えますから。

「覚悟、決めました!」

音楽が始まる前の張りつめた空気。緊張は消えないけど、私はこの瞬間が好きだ。
音響さんに目配せして、パフォーマンスを始める。

曲は、『キミハイルカラ』

891: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 21:19:46.23 ID:DLbxikLs0
http://youtu.be/KWJ4E__jAH8



♪時は残酷で 忘れたくないことも洗い流してく

♪これからきっと私は たくさん貰って覚えてたくさん失くして 忘れていくんだろう

♪だけどそれでも 失いたくないものがある こぼさぬように 大切に胸に抱きしめた

♪どれだけの 時間が過ぎ去っても決して色褪せないのはあの日々と そこに君がいたこと

♪歳をとって おばあちゃんになっても一生 変わらないお守りは私の心(ここ)に 君がいること

♪険しく長い 旅路(みち)の果てにゴールがある私は行くよ 夢にみてた次のステージ

♪たとえどんな つらいことがあってもちゃんと乗り越えられる それはきっと 心(ここ)に君がいるから

♪たとえどんな 距離が離れていてもきっと寂しくないはずさ いつでも心(ここ)に 君はいるから


膨れあがる気持ちは、パフォーマンスに昇華される。スポットライトも歓声も、私のためにあるものだ。
きっと今の私は、世界で一番素敵な女の子なんだろうな。普段ならそんなこと恐れ多くて考えないのに、ステージの上だと自信が出来ちゃう。

プロデューサー、アイドルってすごく楽しいです!

892: ◆6ewi402t16 2013/03/08(金) 21:30:26.54 ID:oZCWv4Q/0
「あ、ありがとうございましたー!」

歓声の海の中、私は全てを出し切った。このままここで死んだとしても、後悔はないぐらい。

「あっ……」

そんなことを考えていたからか、足がふらつき倒れそうになるも寸でのところで止まる。

「お疲れ様、美穂。最高だったよ」

舞台裏から飛んで来た彼が、私を抱きかかえてくれたんだ。ファンの前で抱かれているから、凄く恥ずかしい。

「プロデューサー!」

1人で頑張るって言っておいて、これだもんね。少し格好付かなかったかも。

「さっ、メイン会場に戻るか」

「はい」

観客の皆に手を振りながらメイン会場へ。審査結果発表をドキドキしながら待つ。

「ふぅ」

やり切るだけやり切ったから、ここから先は天命に身を任せるだけ。

893: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 21:31:41.00 ID:DLbxikLs0






『さぁ、これにて審査結果が出そろいました。栄えあるIU優勝アイドルは――』






894: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 21:40:01.32 ID:oZCWv4Q/0
『小日向美穂さん! おめでとうござます!!!』

「え?」

い、今私の名前が呼ばれた? 小日向美穂って……!

「やっ」

「っしゃあああああ!! やった! 美穂が一番だぁ!!!」

「たぁ?」

未だ夢見心地な私を尻目に、プロデューサーは私の手を取りぶんぶん振り回す。

「美穂が優勝したんだよ! 君は、最高のアイドルになった」

『あのー、小日向P? 少しお静かにお願いできますか?』

「あっ、すんません……」

ドッと会場が笑いに包まれる。私まで一緒に笑われている気がして、一気に恥ずかしくなった。

『小日向さん、こちらへどうぞ』

「あっ、は、はいっ! キャッ!」

緊張と喜びのあまり、ロボットみたいにぎこちなく歩く。そんなことをしたら、当然足が絡まるわけで。
どんがらがっしゃーん! 今度はプロデューサーも間に合わず、私は全国中継の前でズッコケてしまう。

895: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 21:47:38.35 ID:DLbxikLs0
「いたた……」

「美穂ちゃん、大丈夫!?」

「うん。ごめんね、卯月ちゃん」

卯月ちゃんの手を取り立ち上がって、表彰台に上る。私が今ここにいるなんて実感が全くわかない。夢だけど夢じゃなかったんだ。

「みほちー、おめでとう」

「負けちゃった、か……。私らもやり切ったんだけどね。プロデューサーにどんな顔すればいいんだろ……」

「美穂ちゃんがそれ以上に輝いていたって事ですね」

NG2と愛梨ちゃんも拍手をくれる。やがて拍手のリズムは重なって行き、会場が一つとなる。

「アンコールだよ。みんな待ってるから行ってきなよ」

「うん。行ってくるね」

目を赤くした凛ちゃんに背中を押され、再びステージに立つ。

「えっと……。それじゃあ聞いてください!! Naked Romance!」

皆、ありがとう。また1つ、夢への一歩を踏み出せた。

896: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 21:51:26.94 ID:oZCWv4Q/0
「美穂さん、本当に行っちゃうんですか!?」

「寂しくなりますね」

「ゴメンね。今まで全然先輩らしいこと出来なくて」

「いやいやそんな! アタシらに良くしてくれましたよ美穂さんは!」

NWの3人は私の移籍発表に驚きを隠せなかったみたいだ。
当然だろう、IUの優勝者インタビューで、あまりにテンパってしまい勢いのまま移籍宣言と、世間には発表されていなかったサザンクロスのことを口走ってしまったんだから。

おかげでアイドル業界は大混乱だ。なんだってIA制覇アイドルとIU制覇アイドルが組むという、他のアイドルからすれば迷惑極まりないことをしでかしたんだから。

『デレプロ崩壊序曲!? 小日向美穂移籍! 担当Pとの関係がこじれたか!?』
『IU優勝アイドル乱心!? まさかの新ユニット結成!』
『謎のプロジェクトサザンクロスの秘密が今明らかに!』

マスコミも黙っちゃいない。裏付けなんか一切なしに、こんな風に好き放題報道してくれた。
全く、担当Pとの関係がこじれただなんて言いがかりにもほどがあるよ。……あながち間違ってはいないけど。

と、この日のトップニュースにもなってしまうぐらいで、事の大きさが計り知れる。ほかに報道することも有るはずなのに、なんとも平和な国だ。

897: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 21:55:11.28 ID:DLbxikLs0
「私たちがどんくさくて、嫌になったとか……」

えっぐえっぐと涙を流すさくらちゃんに決心が揺るぎそうになる。後輩を泣かせるなんてダメな先輩だな。

「ううん、違うよさくらちゃん。私の力がどこまで通用するか、確かめてみたくなって。だからそんな顔しないで、ね?」

「うぅ、でも寂しいよ……」

ハンカチで彼女の涙を拭いてやる。拭いても拭いても流れる涙は止まらない。

「そうだよさくら。今生の別れじゃないんだし、美穂さんの家はいつでも遊びに行けるよ」

「ホント? イズミン……」

「い、いつでもは流石に無理かな……。出来れば何日か前に言ってくれるとありがたいかも」

「ほら、美穂さんも言ってくれてるんだし」

でも3人が遊びに来るのは楽しみだ。一晩中寝させてくれなさそうだけど。

「そうそう! だからほら、笑って見送ってやろうじゃないの! うちらの笑顔が、美穂さんへの最高の餞別やねんから!」

「アコちゃん……、うん。そうだよね。泣くなんて私らしくないもんね」

898: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:01:31.85 ID:oZCWv4Q/0
涙をこらえて、目一杯の笑顔をくれる。そう、その笑顔。3人とも人を幸せに出来るよ。

「さくらちゃん、良い笑顔しているよ」

「えへへ……。褒められちゃった」

「よしよし……」

甘えんぼな妹が出来たみたいだったから、私も分かれるのは寂しい。だけど彼女たちは大丈夫だ。

「美穂さんがライバルになるって少し変な感じですね。でも」

「アタシら負けるつもりないですからね!」

「美穂さんに追いついて、じゃなくて追い越して見せます!」

きっと彼女たちは、これからこの時代に新しい波を起こしてくれる。先輩として、ライバルとして3人の成長を見守って行こう。

「うん。楽しみにしている!」

目指す場所は違っても、いつか交わる日が来る。今よりも輝いている彼女たちと同じステージに立つ日が早く来ますように。

899: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:03:21.18 ID:DLbxikLs0
――

「この事務所も寂しくなりますね」

「うむ。創設時からの2人がいなくなるなんてね」

しみじみと語る社長とちひろさんの声色は憂いを帯びたブルー。その元凶は他ならぬ俺たちだ。

「その、すみません。俺の我儘を通しちゃって」

「謝ることは無いさ。寧ろ喜ばしいことだよ。入ったばかりの頃は右も左も分からなかったような二人が、それぞれ明確な目標を見据えて旅立つんだから。父親としてこれほど嬉しいことは無いよ」

「だから……、顔あげてください。服汚れますよ?」

「先輩、流石に土下座は……」

土下座を解除して立ち上がる。後輩Pに恥ずかしいところ見られちゃったな。

「それに1年後、またみんなで集まるんだ。少しの間、旅行に行ってるようなものだよ」

「美穂ちゃんがアメリカに仕事に行けば会えますしね!」

「うーん、アメリカ広いからどうなんでしょ……」

たかだか365日ちょいで潰れるような事務所じゃない。ずっと働いていた俺が言うんだから間違いない。

900: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:11:17.12 ID:oZCWv4Q/0
「NWP、これからは君がデレプロを引っ張っていくんだ。アイドルと一緒に成長して、彼女たちと一緒に君の夢を叶えて欲しい」
「先輩としていえることはこれだけだな。ホント、何にも教えてなかったな、俺」

「いえ、十分です。先輩の姿から学ぶこと多かったですし。留守は俺達に任せてください!」

「そう言ってくれると、俺も安心してアメリカに行けるよ」

NWPの目は覚悟を決めた男のそれだ。彼ならNWの3人を正しく導いてくれるだろう。
サザンクロスにも愛梨ちゃんにも負けないアイドルになることを願って、NWPと固く握手をした。

「さてと。そろそろ彼女たちも帰ってくるだろう。それでは、送別会と行こうか! 今日は私の奢りだ、遠慮せずに楽しみたまえ!」

「ただ今戻りましたー!」

「さくら、手を繋いでどうしたんだ?」

「なんでもありませーん! ねっ、美穂さん」

「うん、さくらちゃん」

しばらくして、アイドルたちも帰ってきた。3人とも美穂に負けず劣らずの笑顔を見せて、先輩アイドルの旅立ちを祝った。
彼女たちは美穂ではない。だけど美穂が信じた夢の力とアキヅキさんから受け継いだ意志は、3人の中に根付いている。
こうして廻って、アイドルは輝いていくんだ。

901: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:13:32.02 ID:DLbxikLs0
――

「もうすぐアメリカなんでしょ? こんなところにいていいの?」

「ん? 凛ちゃんか。仕事はどうしたの?」

「私は今日はオフ。ここんとこ働き詰めだったしね。プロデューサーが気を効かせてくれた」

「そっか、お疲れさん」

アメリカ行きのフライトまで後数時間。俺は街を一望する丘の上に来ていた。そういえばここに日中出来たの初めてだったかも。
遠く水平線まで見えて、アメリカまでどれぐらいあるんだろうと適当な計算をしてみる。

「美穂はいいの? 最後なんでしょ。デートしたって誰も咎めないよ。パパラッチが来ても、あの人が解決しちゃうだろうし」

「NG2Pね」

彼女の管理能力は凄いからな。今まで担当して来たアイドルに、一切のスキャンダルが起きなかったってのも彼女ぐらいだ。

「美穂はお仕事だよ。移籍したばかりでスケジュールを空けるわけにもいかないしね。見送りには来てくれるみたいだけどさ」

「それもそうだね」

IU優勝の効果は凄まじく、美穂は休む暇もない位に仕事が入ってしまう。流石のNG2Pもこれにはてんやわんやしているはずだ。
ざまぁ見ろ! と心の中で毒づいてやる。とはいえ、美穂を預けることが出来るのは、彼女か服部Pぐらいしかいないけど。

902: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:18:27.46 ID:oZCWv4Q/0
「前にさ、なんでアンタにここを教えたか分からないって言ったよね」

「あー、うん。そうだね」

曖昧な返事だったので、ホントに憶えてる? と突っ込みを食らう。

「今なら分かる気がするな」

「そう?」

「アンタがプロデューサーでも、楽しかったんだろうなって。美穂を見ててそう思った。美穂以上に喜んで、美穂以上に悲しんで」
「そんな子供みたいなプロデューサーなのに、不思議と憎めなくて。私たちのプロデューサーは、いつも答えを持っている。だけどアンタは何時だって美穂と一緒に答えを見つけてさ。少し美穂に嫉妬したのかな? 」
「か、勘違いしないでよ? 私にとって最高のプロデューサーはあの人なんだから。アンタはそうだね、2番目?」

「2番目か……。そいつは光栄だな」

「1番に上がることは絶対無いからさ。せいぜいその位置、キープしててよね」

「頑張らせてもらいますよっと」

最後まで凛ちゃんとはこんな感じだった。互いに軽口を言い合って、それが可笑しくて笑って。この子をプロデュースしていても楽しかったんだろうな。

「頑張れ、変態プロデューサー」

「そっちもね、毒舌JK」

時間は刻一刻と近づいていく。俺は空港へとタクシーを捕まえた。

903: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:26:11.59 ID:DLbxikLs0
――

「弱音を吐くつもりはないけど、こんなに大変になるとは私の想像以上ね……」

途切れない仕事の連続に、流石のNG2Pにも疲れが見え始めた。今まで3人同時にプロデュースしていてそれでも大変だったのに、今度は9人プロデュースと来たんだ。
しかも極力自分でプロデュースしたいからと言って、自分の仕事を他の人に割り振ることはほとんどなかった。

「大丈夫ですか? NG2Pさん」

「水買って来ましょうか?」

「美穂、響子、ありがとう。気を使わせちゃったかしら?」

「いえ、全然! むしろこっちこそ、大変な目に合わせてしまって」

「気にしなくていいわよ。この仕事は体力勝負なんだし、1番のプロデューサーになるには1番頑張らないといけないの」

「こう見えて熱血キャラだからね!」

「卯月、悪い?」

「なんて言ってませんよ?」

ふくれっ面のNG2Pを見て、卯月ちゃんがからかうように言う。私が今まで見ていたNG2Pはクールで落ち着いた人だったけど、実際は負けず嫌いで熱い人だ。
私のことも小日向さんから美穂に呼び方を変え、敬語一辺倒だったのもいつの間にやら砕けた口調になっている。
ちひろさんのセンパイ時代も、こんな感じだったんだろうな。

904: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:29:52.72 ID:oZCWv4Q/0
「でもIUのインタビューで美穂ちゃんがサザンクロスのこと言ってくれると思わなかったな。私たち負けちゃてタイミング逃しちゃったし、それどころじゃなかったし」

「本当は勝って宣言したかったんだけどね。でも美穂が言ったことで、宣伝効果は絶大だったから結果オーライになるかしら」
「トライエイトは果たせなかったけど、このメンバーでなら不可能じゃない。私はそう信じているわ」

今年こそね、とNG2Pは小さく付け加える。

「ようやく美羽の迷走も止まったし、こっからが本番ね」

キャラクターをどうしようか悩み続けていた美羽ちゃんだけど、結局いつも通りの自分に行きついたみたいだ。

『最初からそうしようよ!』

とは未央ちゃんの談。その突っ込みも分からなくはない。久美子さんも美羽ちゃんの迷走っぷりには半分呆れていたし。

「それじゃあ美穂はお見送りの時間ね。車出しましょうか?」

「大丈夫です! タクシー拾って行きますから」

「それじゃあお疲れ様、明日の予定はまた連絡します」

「美穂さん、行ってらっしゃい!」

「乙女のハート、ぶつけちゃえ!」

3人に手を振って別れテレビ局を出る。えっと、タクシータクシー……。

905: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:30:54.38 ID:DLbxikLs0
「ねぇ、乗ってかない?」

「へ? と、瞳子さん!」

クラクションがリズミカルに鳴り、窓から瞳子さんが顔を見せる。

「こうやって顔を合わすのは久しぶりになるわね。ごめんなさい、メール返さなくて。聞いたのは私だったのにね」

「そんなことないです! 瞳子さんだって忙しかったんでしょうし……」

「まあ積もる話は車の中でしましょう。私たちも空港に行くの。さっ、乗って乗って」

「えっと、それじゃあ失礼します……」

ドアが開いたので後部座席へ。瞳子さんの隣にはスーツ姿の服部Pが座っていて、

「こんにちわ、美穂ちゃん」

「愛梨ちゃん! そっか、お見送り」

「はい。そうですよ」

先客がいた。愛梨ちゃんは既に1枚服を脱いだみたいで、涼しげにしている。
最初から着てこなければいいような気がするけど、そこには触れちゃダメなのかな?

906: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:34:32.48 ID:oZCWv4Q/0
「それじゃあ行きましょうか」

「はい、お願いします」

瞳子さんの運転で空港を目指す。話を聞くと、免許はアイドルを引退している間に取ったみたいだ。

「色々あったのよ。免許を取ったり、お見合いをしたり。それでも私は燻り続けて」
「この年で再デビューなんて無茶もいいとこだけど、貴女達を見ていたらやれそうな気もしてきて。だから感謝しています」

「瞳子さん……」

「まずはファーストホイッスルに合格しないとね。恥も外聞も全部捨ててでも、がむしゃらに頑張るつもりよ」

「私応援しています。いつかステージに一緒に立てる日が来ると信じています」

「私もね。はぁ。忙しくなったらあれも出来なくなるわね」

「あれ?」

「日課よ。と言っても、結構飛び飛びだったりするけどね」

日課で飛び飛び……。私のブログみたいだ。ブログ?

「毎回コメントしてるのよ? いつも1番乗りを目指して」

「あっ!」

907: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:36:59.60 ID:DLbxikLs0
瞳子さん、ひとみこさん……。

「トミコさん!」

初投稿の日から毎日コメントをしてくれていたトミコさんが、瞳子さんだったなんて。

「正解。最初ブログを見つけたのは偶々だったけど、なんだか放っておけなくて。気が付いたらいつもコメントしてるのよ」

「そうだったんですか……」

「私も見てますよ? コメントの仕方が分からなかったのでしてませんけど……」

意外と知り合いに見られているみたいだ。そろそろ更新しなきゃ。

「いつか私も、小日向さんぐらいのコメントを貰えるように頑張るわ」

「ブログ始めたら教えてくださいね。遊びに行きますから」

「さっ、着いたわよ」

わいわい喋っていると時間の流れは早く感じる。いつのまにやら空港へと着いていた。

「ありがとうございました! 私、行きますね!」

「こちらこそ。次に会う時は、私も新たな一面を見せたいわね。一緒のステージで会いましょう!」

「はいっ!」

もう瞳子さんは夢を見失わないだろう。彼女の役に少しでも立てたことがすごく嬉しい。

908: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:40:42.48 ID:oZCWv4Q/0
「プロデューサーは……、いた」

ロビーで彼を探していると、事務所の皆と夏美さんに囲まれていた。

「プロデューサー!」

人の波をかき分けて彼のもとへと進む。

「美穂ちゃん、待ってたわよ!」

「美穂さんも来たんですね!」

嬉しそうにさくらちゃんが私に抱き着いてくる。撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。

「こら、さくら。美穂さん困ってるよ」

「困ってないよ。ちょっと恥ずかしいけど……」

私もまだまだ妹離れが出来ていないな。

「それを困ってるゆうんですよ」

「まあ亜子、良いじゃんか。さくらも会いたくて仕方なかったんだし多少はね?」

「これでみんな揃ったみたいだね。シンデレラプロ全員集合ってところだ」

「集合写真なんてどうですか? 私カメラもってきたんです!」

909: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:43:02.23 ID:DLbxikLs0
「じゃあ私撮りますよ? デレプロの人間じゃないですし、ここは元職場。空港内でのご要望なら私にお任せあれってとこで」

「じゃあお願いしようか」

ちひろさんからデジカメを受け取り、カメラを構える夏美さん。

「もう少し全体的によってー。あー、美穂ちゃんとプロデューサーはもう少しくっついて!」

「く、くっついてって……」

「な、なんだか私たちだけ特別みたいですね……」

「私も美穂さんとくっつきたいですっ!」

「後でね。今はほら」

「そういうこっちゃ!」

「あはは……。恥ずかしいな、美穂」

「そうですねっ」

私たち2人を中心に取り囲むように並ぶ。まるで結婚式の写真みたいで、この期に及んで赤面してしまう。

「んじゃ撮るわよ? IU優勝アイドルは? はい、みほ」

『ちー!』

皆で撮った写真は私の一生の宝物だ。

910: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:45:59.52 ID:oZCWv4Q/0
彼の出発まで後数十分。彼はアメリカで私は日本でそれぞれの夢を叶える。1年の間、お別れだ。
皆が気を使ってくれたのか、出発までの時間を2人で過ごす。

「そろそろですね」

「ああ、そうだな」

「英語ちゃんと喋れますか?」

「そ、それはまぁ現地調達、かな?」

「その国の恋人を作れば上手くなるって、夏美さんが言ってました。でも作らないでくださいね」

「分かってるよ。どっちにしても出来そうにないし」

「ふふっ」

心地よい時間はゆるやかに流れる。これからのこと、今までのこと。話題は泉のように湧き出てくる。

「あのっ、プロデューサー」

「なあ美穂」

2人同時に口が開く。互いに真剣な顔をしていたから、それが却っておかしくて。

911: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:49:07.59 ID:DLbxikLs0
「プッ……、変な顔……」

「貴方だって負けてませんよ。今度はプロデューサーからお願いしますね」

「えっとだな……、これを貰って欲しいんだ」

そっと掌に何かが落ちる。とても軽くてそのまま吹き飛んでいきそうな。

「羽……、ですか?」

私と彼が出会った日のシンボルだ。ずっと大切にしていたのに私にくれるなんて。

「うん。俺と美穂が出会った記念の羽。いつも俺がお守り代わりにしてたけど、美穂に持っていて欲しいんだ。えっとだな……、コホン! それを俺と思って、大切にして……あー! 恥ずかしいって何の!」

うがーと奇声を上げて取り乱す彼に、行きかう人々の視線が集中する。

「み、見られてますよ!」

「す、すまない……。どうにも慣れてなくてさ。とにかく! この羽、大切に預かっててくれ! 以上! 次美穂!」

強引に話を切って私に促す。恥ずかしさのせいで、なるだけ私の目を見ようとしていないのがなんともいじらしい。

912: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 22:59:39.21 ID:oZCWv4Q/0
「私もプロデューサーと同じです。アメリカに行くときに、預かっててほしいんです」

「これは封筒?」

「開けてください」

何だろうと言いながら不思議そうに封筒を開ける。

「えーと、100万円小切手……ってはぁ!? 100万円ってええ!?」

「こ、声が大きいです!」

100万円というワードに、人の波がピタリと止まる。

「え、えーと……小日向さん。これ何?」

「私が熊本から出た時に。両親から100万円もらったんです。結局使わなかったんですけど、プロデューサーに託します」

「いやいやいや! アメリカじゃ円は使えない……じゃなくて! そ、そんな大切なもの俺に渡して」

「プロデューサーだから渡したんです」

「美穂?」

913: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 23:02:05.44 ID:DLbxikLs0
「それは両親が私の夢を叶えるために託しました。私の夢はプロデューサーの夢でもあるんですから」

「でも……」

「それじゃあその羽を買い取ったってことで」

「100万円の羽って……、その辺の鳥の羽なんだけどなぁ」

納得いかないと言った面持ちで小切手を見ている。

「なら、1年後返してください。無事に研修を終えて、帰ってきてください。ランプの願いはまだ2つありますよね。命令は、必ず帰ってくることです」
「帰ってきてから、一緒に夢を叶えましょう。可愛いお嫁さんが欲しいって夢叶えるた」

最後まで言うことは出来なかった。だって彼が唇を塞いだから。

「……うぅ、恥ずかしい……。プロデューサー……」

「情けなすぎるだろ、俺。美穂に言わせるなんてさ。予約しておくよ? 俺はアメリカから帰ってきて最高のプロデューサーになる。美穂はこの国で頑張って最高のアイドルになるんだ」
「皆に認められた時、俺は美穂にプロポーズする。だからその時は、俺のお嫁さんになって欲しい」

「わ、私も……! 一番のアイドルになって、一番のプロデューサーにプロデュースされたいです」

最後の願いは、いつだって叶えて貰えるか。じっくりと考えておこう。

914: ◆CiplHxdHi6 2013/03/08(金) 23:12:42.59 ID:NzbgKMc/0
最後の最後まで照れてちゃんと顔を見れなかったな。でも良いんだ。私たちのスピードで、歩いて行こう。

「だから……待っててくれ、美穂。その夢、一緒に叶えたいから」

「待ってます。プロデューサー」

出会いと別れは相乗りのバスの様なもの。だから寂しくなんかない。どこかで降りても、1つの終着駅を目指して、またいつか乗り合わせるんだ。

その度に、きっと大切な思い出が刻まれていくはず。

「これが私の、一期一会ですっ」

人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみるまで分からない。次の出会いは、どんな素敵なものだろう。

「行ってらっしゃい、プロデューサー」

遥か遠くの空へ、夢を乗せた飛行機が飛んで行った。

Fin.

921: ◆CiplHxdHi6 2013/03/09(土) 00:24:34.39 ID:xjj/PK1Z0
レス下さりありがとうございます。エピローグになるか分かりませんがちょっとだけ

922: ◆CiplHxdHi6 2013/03/09(土) 00:26:10.99 ID:jiN0Ki+c0
「すみません、隣良いですか?」

「あっ、お邪魔でしたか?」

「いえいえ、とんでもない! バスを待っているんですか?」

「そうですね。でもまぁ、そのバスに乗っている人を待っているって言った方が正しいですね」

「次のバスまで結構時間ありますね」

「暇を持て余しちゃいますね」

「あれ? 携帯の電池がもうないや。時間潰せないな……」

「食べますか?」

「へ? チョコレート?」

「はい。お母さんの友達が送ってくれたんです。美味しいですよ? あっ、でも中身は見ないでくださいね。どんなチョコが出るか分からないのが楽しいんですよ」
「お母さんが言っていました。人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からないって」

「それじゃあ1つだけ……。あっ、イチゴのチョコレート」

「当たりですね!」

923: ◆CiplHxdHi6 2013/03/09(土) 00:39:33.64 ID:xjj/PK1Z0
「あれ? 羽ですか?」

「これですか? お守りみたいなものです。ただの羽にしか見えませんけど、両親にとって大切なものなんですよ」
「私からも質問しますね。バスに乗ってどこに行くんですか?」

「空港なんです。明日から遠くの大学に通うことになって」

「それは大変ですね」

「ええ。でも、私知り合いが誰1人いないので心細いですね」

「大丈夫ですよ。どんなに離れていても、貴女の心には大切な人はいますから」

「そうですよね。話したら少し勇気が湧いてきちゃいました」

「なら嬉しいです。そうだ、これも何かの縁。ちょっとお話しましょうか? 暇つぶしにはなると思いますよ」

「お話ですか?」

「いつもこう一緒になった人にはしているんです。変な顔されることの方が多いですけどね。まあこれも一期一会ってことで1つ。お母さんも人との出会いは大切にしなさいってうるさいですし」

「面白そうですね。少し聞かせて貰っていいですか?」

「はい。それじゃあしますね。このバス停から始まった、恥ずかしがり屋なアイドルとプロデューサーの思い出話を――」

fin.

932: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2013/03/09(土) 01:30:13.77 ID:jiN0Ki+c0
画像ありがとうございます! 
>>926
長富さんの誕生日にあげるつもりでいる