やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている ) その3

639 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:29:08.48 ID:ymAshzYk0

第37章






7月11日 水曜日






・・・・・どうやら俺が助けに入らないとわかり、諦めたのか、雪乃の反抗は弱まる。

一方、陽乃さんの方も横目で俺の動向を伺っていたので、

俺が手を出さない事を理解したのだろう。

ん? あれ? もう終わり?

俺が再びカップに口につけようとすると、目の前の惨劇はトーンダウンし、

二人とも静かに自分の席へと戻っていくではないか。

あら? なんだか二人ともコーヒー飲み始めちゃったぞ。

どうなってるんだ?



陽乃「ねえ、雪乃ちゃん」

雪乃「なにかしら、姉さん」

陽乃「もしもの話なんだけどさ、もしもよ、もしも」

雪乃「ええ」

陽乃「もし、目の前で彼女が、それも愛おしい彼女が困っていたら、

   彼氏だったら、たとえどんなに困難であっても彼女を助けるものよね?」

雪乃「姉さん。何を当たり前の事を言っているのかしら。

   仮に、仮にだけれど、私がお付き合いする彼氏だとしたら、

   たとえ自分の命を引き換えにしてでも、私を助けに来るに決まっているじゃない」

陽乃「そうよねぇ。彼氏なんだし。

   もし、もしもだけれど、彼女を見捨てることなんてあったら、彼氏失格よね」

雪乃「当たり前じゃない。これも仮定の話なのだけれど、彼女が困っているのを

   目にしながらも、それを平然と横目で見ながらコーヒーなんて飲んでいるとしたら

   死刑ものね」

陽乃「そうよねぇ・・・・・・。もしもだけど、雪乃ちゃんがそんな彼氏と付き合って

   いたとしたら、即刻別れるわよね?」

雪乃「そうね」



あれ? なんで、こうなった?

なんでこんなときだけ息ぴったりなんだよ!

そりゃあ、雪乃を見捨てて、陽乃さんから逃げ出したけど、それは、俺が加わると

二人して被害にあって、それも、その被害が倍どころじゃすまないって

雪乃も知ってるじゃないか。


転載元:やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている )


640 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:29:36.99 ID:ymAshzYk0

だから、俺は黙って嵐が過ぎ去るのを待っていたのに。



陽乃「だってさ、比企谷君」

八幡「え?」



陽乃さんは、そう弾むような声で言うと、後ろから俺の首元に両腕を絡みつけてきた。

そして、今度は雪乃ではなく、俺の頭をその豊満な胸で抱きかかえてくる。

ほどよい弾力を持つそのクッションで俺の頭を包み込むと、

ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。



陽乃「比企谷君、雪乃ちゃんに振られちゃったねぇ」

八幡「え? あの・・・」

陽乃「だ・か・ら、私と付き合っても問題ないね。

   だって、比企谷君は、今フリーでしょ。彼女いないんだったら

   私と付き合っても問題ないし」

八幡「えっ、えっ? 陽乃さん?」

陽乃「もうっ。陽乃さんじゃなくて、陽乃でいいよ。

   あっ、私の比企谷君じゃなくて、八幡って言ったほうがいいかな?」

雪乃「姉さん」



怒涛のごとく進む展開についていけない。

いつしか陽乃・雪乃連合は決裂していた。

いや、最初からこうなる運命だったのか。陽乃さんだったら、ありえる。

雪乃も気がついたときには遅く、陽乃さんのペースについていけてはいないようだった。



八幡「陽乃さん? あの陽乃さん、ちょっと待って」

陽乃「もうっ。陽乃さんじゃなくて、陽乃でしょ。

   ほら、言ってみて」

八幡「え? はい。陽乃」

陽乃「はい、八幡。・・・・・・あぁ~、いいわ。なんか彼氏彼女ってかんじがするぅ」



陽乃さんは、勝手に舞い上がって、勝手にはにかんで、勝手に身悶えていた。

ただ、問題があるとしたら、どの行為であっても陽乃さんの動きに連動して

胸が大きく揺れ動き、その結果、俺の頭もその胸の恩恵を受けるわけで・・・・・・。

うん、・・・・・柔らかくて、気持ちいいっす。

と、陽乃さんの精神攻撃を直撃されていると、遠方から致死性の精神攻撃が準備されていた。

もしトリガーが引かれでもしたら、俺の精神はすぐさま崩壊するだろう。

しかし、まだトリガーに指をかけた状態だというのに、雪乃から漏れ出る冷気だけで

俺を圧迫していた。陽乃さんは、雪乃の冷気を感じ取っているはずなのに、

まったく意に関せずで我が道を突き進んでいた。
641 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:30:08.36 ID:ymAshzYk0



雪乃「姉さん」



ほら、陽乃、雪乃が呼んでますよぉ。

・・・・・・・訂正。陽乃さん、雪乃が呼んでいます。



陽乃「もう、八幡ったら。もう一回陽乃って呼んで。・・・きゃっ」

雪乃「姉さん」

陽乃「ほらぁ、八幡も照れないで。陽乃って、言ってよぉ」

雪乃「姉さん」

陽乃「ほら、ほらぁ」

雪乃「姉さん」

八幡「陽乃、そろそろやめた方がい・・・・・ぐっ」



俺は最後まで言葉を紡ぐことができなかった。

顔を雪乃の手で掴まれ、そのまま陽乃さんの胸へと押しやられる。

クッションが効いていて気持ちいいだけだが、

前からの迫りくる圧迫はその心地よさも全て帳消しにしてしまう。

いったい雪乃の細い指のどこに俺の顔をしっかりと掴む力がやどっているのか疑問に思う。

見た目通り線が細い雪乃の体に、俺を抑え込む力があっただなんて、

到底想像なんてできなかった。

俺の顔を掴み取り、じりじりと俺の皮膚に爪が食い込んでいく。

爪が食い込んで痛いのか、それとも、指による圧迫が痛いのかわからない。

おそらくその両方なんだろうけど、とにかく救いがあるとしたら、

雪乃の手によって目が半分以上おおわれて視界を奪われている為に、

雪乃の顔を直視しなくていい事だった。

それでも雪乃の手の隙間から覗き込む雪乃の顔を見ると、ほんのわずかでもその顔を

見た事を後悔してしまう。

だって、その表情だけでも致死性の精神攻撃が備わっているんだぜ。

もし、これを直視していたんなら、俺は石になっていた自信がある。

心を堅く閉ざして、必死に嵐が去るのを待つしかない。

陽乃さんくらいなら、笑いながらその嵐の中でサーフィンをやってのけてしまう馬鹿者

だろうけど、あいにく俺にはそんな度胸も卓越した能力も持ち合わせてはいなかった。



雪乃「ねえ、八幡。今、陽乃って言いませんでしたか?

   たぶん、私の聞き間違いだと思うのだけれど」



たしかに思わず「陽乃」って言ってしまった。でもさ、雪乃。

それは、陽乃のプレッシャーというか、いや、訂正します。


642 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:30:53.83 ID:ymAshzYk0

陽乃さんのプレッシャーからくるもので、心の底から呼び捨てにしたいって

思ったわけではないんだって。



八幡「あ、・・・ぐっ」



だから、言い訳になってしまうけれど、俺の本心を雪乃に伝えようとはした。

だが、雪乃によってアイアンクローを喰らっている俺には口を動かす余裕もなく、

ただただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。



陽乃「ゆき・・・の、ちゃん?」



陽乃さんの声もくぐもっていく。

なにせ、雪乃の握力だけで俺を陽乃さんの胸から引き離してしまったのだから。

俺は雪乃に顔を引っ張られるまま、抵抗もせず、腰を椅子から浮かす。

そして、雪乃の誘いのまま雪乃の胸へと収められた。



雪乃「姉さん。おふざけにしても、限度があるのよ?

   私の八幡にちょっかい出さないでくれないかしら」

陽乃「あら? いつ雪乃ちゃんと比企谷君が結婚したのかしら。

   せめて婚約したのなら問題だけど、ただ付き合ってるってだけじゃねぇ。

   比企谷君の所有権を主張するんなら、それくらいの根拠を示してほしいわ」

雪乃「あら。姉さんにとっては、法的根拠など意味をなさないのではなくて?

   そんな曖昧で、紙切れ一枚の根拠など、寂しいだけだわ」

陽乃「あら。気が合うわね。私もそう思うわ。

   だ・か・ら、比企谷君が望む場所を選ぶべきよね?」

雪乃「それが姉さんの所だとでも言いたいのかしら?」

陽乃「べっつに~・・・。でも、比企谷君は、私の胸の中で幸せそうにしていたわよ。

   今いるゴツゴツしているだけの場所よりは、気持ちよさそうだったわ」



おっしゃる通りで。だからといって、それを認めるわけにはいかない。

認めたら最期。今度は冷たい箱に俺が収められてしまう。



雪乃「そうかしら? 姉さんの場合は、無駄に八幡を圧迫しているだけだったようだけれど。

   それに、たとえ肉体的優位性があったとしても、それがなんだというのかしら?

   それこそ一時の快楽にしかならないわ。

   そのような浅いつながりで八幡を繋ぎ止めておけはしないわ」

陽乃「雪乃ちゃんも、言うわねぇ。そこまで比企谷君を信頼しているっていうことかしら。

   でもね、それだったら、肉体面だけでなく、精神面での優位性も確保すれば

   いいだけじゃない。すでに肉体面では雪乃ちゃんは白旗を上げたんだし、

   あとは精神面しか残っていないとも言えるわね」
643 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:31:22.24 ID:ymAshzYk0



雪乃は少し悔しそうに唇をかむ。

肉体面だけならば、一般的に見れば明らかに陽乃さんが有利だ。

出るところは出ているし、引っ込むべきところは引っ込んでいて、

優美な曲線が女性らしさを際立たせている。

それはある種の理想的な女性美なのだろう。

誰もがうらやむその肉体を独占できるのならば、男としては本望だ。

だけど、それは一般的な意見でしかない。その一般に俺が含むかは別問題だ。

たしかに俺も陽乃さんの女性らしい美しさは認めるし、見惚れてしまう。

こればっかりは雪乃には足りない。いくら新月のような儚い美しさと、

満月のような引き込まれる笑顔を持っていようとも、

圧倒的な太陽の前ではかすんでしまう。

でもな、雪乃。俺は一般的な意見には含まれない。

なにせ捻くれているからな。

若干線が弱いか細い肉体も、優美さが多少弱かろうと、それがなんだっていうのだ。

精神面の絶対性があるのなら、その肉体の持ち主のそのものを受け入れるのに。

まあ、その精神面での絶対的持ち主から、強烈なアイアンクローを現在進行形で

喰らっているのは、どうしてなんだろうなぁ・・・・・。

ちょっとだけ涙が出てきているのは、アイアンクローが痛いせいなんだよ、きっと。

けっして、ひょっとして愛すべき人を間違えちゃったって

疑問に思ったわけじゃないんだから、ね!



雪乃「そう、かもしれないけれど、だからといって、八幡を姉さんに渡すわけないじゃない」



雪乃はそう宣言して、きつい目つきで陽乃さんを威嚇すると、さらに手の力を強める。

きっと誰にも渡さないっていう意思表示なのだろう。

陽乃さんも、その強烈すぎる雪乃の主張を見て、不安を覚えてしまったらしい。

そして、雪乃は、陽乃さんの戦意喪失していっているのを見て、勝ち誇ってしまう。

だけどな雪乃・・・・・・。



陽乃「ねえ、雪乃ちゃん」

雪乃「なにかしら? もう何を言っても意味をなさないわ」

陽乃「そんなことじゃなくて」

雪乃「なんだっていうのかしら? もう姉さんの戯言には聞く耳をもたないわ」

陽乃「そうじゃなくって」

雪乃「勝ち目がないからって、見苦しいわよ」

陽乃「ねえ、そうじゃなくって。見苦しいわよは聞き捨てならないけど、

   そうじゃなくってね」

雪乃「もうっ、歯切れが悪くてイライラするわね。はっきり言ったらどうなのよ」


644 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:31:50.74 ID:ymAshzYk0



雪乃は、陽乃さんへのいらつきを、さらに手に力を加えることで発散する。

その雪乃の発散を見て、陽乃さんの顔はさらに不安げになっているようだった。



陽乃「はっきり言ってもいいのかしら?」

雪乃「ええ、どうぞ」

陽乃「たぶん、そのままだと、比企谷君に愛想を尽かされるわよ」

雪乃「なにを言っているのかしら?」



雪乃は勝ち誇った顔で陽乃さんを見つめ返しているらしい。

おそらくそうなんだろう。

実際目の前で見ているのだから、確定情報だろうって?

いや、違うね。重大な事を忘れられちゃこまる。

なぜなら、雪乃のアイアンクローによって、意識が朦朧としてきている俺に

とっては、今何が起きているかはわからなくなってきているのだから。

そう、陽乃さんが気にしていたのは、俺の意識。

消えゆく俺の命のともしびを心配していたのだ。

そりゃあ、顔をわしづかみにされているんだから、今も痛いさ。

でもな、ある水準以上の痛みを加えつけられていると、意識がとぶんだよ。

これが落ちるっていうやつなんだろう。

愛する人の腕の中で眠るのを夢見るやつは数知れず存在するだろう。

だけど、愛する人の手で顔を鷲掴みにされて落とされることを

想像したことがあるやつなんているのだろうか?

薄れゆく意識の中、初めて落とされて意識を失う前に思ったのは、

そんなくだらない現状確認であった・・・・・・。

遠くの方で雪乃の声が聞こえる。

もういいや。このまま眠らせてくれよ。

もう疲れたんだよ。精神を抉る会話戦はこりごりだ。

俺は、ふわりとした優しい温もりに包まれていくのを感じたのを最後に、意識を失った。









俺が意識を取り戻すと、心配そうに俺を見つめる雪乃と陽乃さんがそこにはいた。

どうやら五分ほど意識を失っていたらしい。

やはり俺の意識がとんだ事態までなってしまったことに、二人とも反省していた。

だから、雪乃が俺を膝枕していても、とくに言い争いにはなってはいない。

もしかしたら、俺が意識を失っている間にひと悶着あったのかもしれないが、

そこまで気にしていたら、この二人の間で生きてはいけないだろう。


645 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:32:18.96 ID:ymAshzYk0


八幡「いつっ」



さすがに雪乃によっての被害だとしても、膝枕をして、顔をタオルで冷やしてくれて

いたのだから、一言お礼を言わなければならない。

だけど、顔に多少の歪みがあるのか、うまく口がまわらず、痛みのみが俺に襲い掛かる。



雪乃「大丈夫? まだ顔が腫れているわ。無理に話さない方がいいと思うわ」

陽乃「ほら、じっとしてるのよ」



陽乃さんは、そう俺に優しく語りかけると、顔から滑り落ちた濡れタオルを

再び俺の顔に当て、冷やしてくれた。

最初は、雪乃が原因なのだから、陽乃さんは雪乃をからかうのではと身構えていた。

普段の陽乃さんならば、きっとしていたはずだ。

だけれど、俺のこの状況を見て、さすがに停戦協定を結んでくれたらしい。

まあ、いつ停戦破棄がなされてもおかしくないけど・・・・・・。



陽乃「それにしても、雪乃ちゃんったら、比企谷君に関してだと、

   リミッターが外れちゃうのね」

雪乃「もう・・・、それは姉さんが悪いのよ」

陽乃「ごめんなさい。さすがにやりすぎちゃったわね。

   でも、雪乃ちゃんも気をつけたほうがいいわよ。

   いい方向にリミッターが外れるのならばいいのだけど、

   悪い方向に外れたとしたら、今日のことが可愛い失敗だと

   思えてしまう事態になりかねないわ」



雪乃は、陽乃さんの指摘に息をのむ。

そして、唇を引き締めると、しおらしい小さな声で呟いた。



雪乃「そうね。気をつけるわ」



それっきり、俺にとっては多少気まずい時間が進んで行く。

雪乃と陽乃さんは、甲斐甲斐しく頬笑みを浮かべながら俺を介抱してくれているので

なんだかんだいっても充実していた。

そんな二人の姿を見ていれば、俺も微笑ましい気持ちになるかといえば、そうでもない。

陽乃さんは、なにをしたいのだろうか?

今までずっと、俺と雪乃の仲を取り持ってくれて、なにかと協力してくれていた。

多少行きすぎた場面や、冷やかしなどは受けていたが、それは許容範囲に収まる。

けれど、最近の陽乃さんは、

陽乃さん自身が自分の感情に振り回されているんじゃないかって疑問に思ってしまう。

646 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:32:48.15 ID:ymAshzYk0

本人もそれを自覚しているみたいであったが、だからといって、

俺が何かできるわけでもない。

陽乃さん本人でさえ制御できていないのに、俺が何かできるとは到底思えもしなかった。

だから、雪乃に対して言ったリミッター云々の話は、雪乃に対してではなく、

むしろ自分自身に言ったのではないかと思わずにはいられなかった。



陽乃「せっかくコーヒー淹れたのに、さめちゃったわね。

   もう一度淹れなおすわ」



陽乃さんは、床から立ち上がり、コーヒーを淹れなおしに行こうとする。



八幡「冷めてても大丈夫ですよ。それ飲みます」

陽乃「え? でも」

雪乃「姉さんのコーヒーは美味しいのだから、冷めていても美味しいわ。

   だから、私もそれで構わないわ」

陽乃「そう?」



陽乃さんは、持ちあげたトレーを再びテーブルに置くと、再び俺の横へと戻ってきた。

なにやら少し嬉しそうにしているのは、俺の気のせいではあるまい。

今まで料理を作ってあげる相手がいなかったのだから、

コーヒーだとしても、ハンドドリップで淹れた陽乃さん特性のコーヒーを

誉められて、陽乃さんが嬉しくないわけがなかった。



八幡「そうですよ。こんなに美味しいコーヒーは、飲んだ事はありませんよ」

陽乃「そっかぁ。だったら、また淹れてあげるね」



たしかにお世辞抜きに美味しすぎるコーヒーなのだから、本心からの発言ではあった。

これでも、ここまで陽乃さんが心を開いてくれてるとは思いもしなかった。

まるで童女のような、無垢な頬笑みに、俺は心を全て奪われてしまう。

その年初めて雪が降った翌朝。

足跡一つない雪原のような真っ白な心。

汚れがないっていうのは、こういうのだって初めて目の当たりにした。

もちろん陽乃さんは、人の汚い部分を俺以上に知っている。

小さい時から大人の世界に投げ込まれてきたのだから、その場数は相当なものだろう。

しかも、人の心を敏感に察知して先回りすることができる陽乃さんの事だ。

必要以上に、普通の子供なら体験できないような、仮に体験できたとしても

小さな体では受け止められないようなプレッシャーを抱え込んできたと思う。

だから、汚れなら、誰よりもその醜さも、いらだちも理解しているはずだ。

けれど、俺が言いたい事は、他人の汚れではない。


647 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:33:25.51 ID:ymAshzYk0


陽乃さんの汚れがない感情表現について語ってしまいたい。

こんな事を言ってしまうと、心変わりでもしたか、もしくは陽乃信仰者とも勘違いされて

しまいそうだが、陽乃さんに汚れがないわけでもない。

最近の情緒不安定な陽乃さんの行動からすれば、汚れがあるといえてしまう。

なんだかまとまりがない論文のようになってしまったが、俺が言いたいのは

陽乃さんが、今、初めて、自分の心が汚されてしまう事を考えもせずに

ありのままの心をさらけ出しているっていう事だ。

普通の人間ならば、自分の心を守ろうと自己防衛が働いて、

どんな言葉であろうと自分の心を守りながら発言する。

よくあるのが、一応頑張ったけど、難しい試験だし、次頑張ろうとか、

あらかじめ先回りして自分を慰めたりすることといったところだろうか。

これは発言ではないけれど、言葉自体に意味があるのだから、言葉を発した瞬間に

身を危険にさらしてしまう。

だから人は、自分が傷つかないように殻にこもった言葉を発する。

つまり、今の陽乃さんは無防備すぎる。

まあ、誰にでも心を開いているってわけではないので、今のところは大丈夫だとは思うが、

危うい状態であることにはかわりがない。

おそらく、特定の人間一人。多くても4人だと考えられる。

・・・一人と考えてしまうのは、恐れ多いか。

これでは雪乃には勝ち目がないとさえ思えてしまう。

直線的に、相手の心に飛び込んでくるその姿に、誰が抗う事が出来るっていうのだ。

しかも、汚れがない、無垢で、純粋すぎるその心をむき出しにしたまま。

こんな事を言ってしまうと、処女信仰者とも思われてしまいそうだが、けっして違うと

一応言っておこう。

されど、真っ白な心を目の前にして、その雪原への招待状をプレゼントされて

喜ばない男がどこにいるというのだろう。

なんて、回りくどい事をくどくどしく考えてしまったが、

もしかして陽乃さん、本当に自分の感情を制御できなくなってません?

感情を抑え、表面に出さない事は長年の生活で当たり前のようにできるようになっており、

偽りの感情表現は豊かだと思う。

一方で、その反作用で本心を素直に出すことができなくなり、

本心からでる感情表現が制御できなくなってしまったのではないだろうか。

だから、陽乃さんが感情を表に出す時は、常に全力で、

それが隠しもしない丸裸の本心になってしまう。

俺は、今目の前にいる陽乃さんに見惚れていた。

・・・・・・俺は、思わず身震いしてしまう。

いや、なに。陽乃さんに対してではない。

俺と一緒に陽乃さんを見ているであろう雪乃に対してだ。



648 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:33:59.57 ID:ymAshzYk0

俺が陽乃さんに見惚れているのだから、雪乃だって陽乃さんの溢れ出る魅力に

気が付いているはずだ。

つまり、魅力的な陽乃さんに俺が見惚れてしまうと勘づくはずだった。

俺は、そっと視線だけを雪乃に向けて、様子を伺う。

雪乃は俺の方を見てはいなかった。

念のためにもう一度しっかりと確かめたのだから見間違えてはいなかった。

雪乃は、固く唇を噛んで陽乃さんを見つめていた。

別に雪乃は恐れを感じていたわけでもないだろうが、きっと複雑な心境なのだろう。

なにせ陽乃さんが本心を見せたのだ。

もちろん今までも陽乃さんが作り上げた感情を、偽物の感情表現を見てきた。

けれど、雪ノ下陽乃という剥き出しの生身の感情を雪乃に見せた事はない。

それを初めて雪乃は見たのだから、言い表せない感情が雪乃の中で渦巻いているはずだ。



八幡「はい、是非お願いします」

陽乃「いつでも気軽に言ってね」

八幡「はい」

陽乃「雪乃ちゃん?」

雪乃「・・・・・・あ、はい。私も姉さんのコーヒー、また飲みたいわ」



雪乃は、陽乃さんの呼びかけに、どうにか笑顔を作り上げて返事をする。

意識の底辺から一瞬で表情を再構築するあたりは、さすが雪乃だ。

でも、作り上げた笑顔はあまりにも急ごしらえすぎたようで、

すぐさま崩れ落ちようとしていた。

雪乃の驚きようは、わからないまででもないにしろ、ここは俺が話をつないでおくかね。



八幡「そういえば、このコーヒーって、コナコーヒーなんですよね?」

陽乃「そうよ。私の一番のお気に入り。比企谷君も気にいってくれているみたいで

   すっごく嬉しいわ」

八幡「ずっと銘柄も気にしないで飲んできましたけど、名前を意識すると

   なんだか急に実感してくるというか、明確な存在感が出てきますね」

陽乃「たいていの物には名前があるんだし、名前によって比企谷君の記憶に

   明確なまでもコナコーヒーが刻まれたんじゃない?」

八幡「名前がある方が印象深いですからね」

陽乃「それに、コナコーヒーの注意書きには、私も含まれているしね。

   雪ノ下陽乃の一番のお気に入りコーヒーって」

八幡「まあ、そうかも・・・しれませんね」



ちょっと陽乃さんっ。その発言危険ですって。ついさっき同じような状況で

雪乃に締め落とされたばかりなんですよ。ちょっとは気をつけてください。


649 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/05(木) 17:34:33.21 ID:ymAshzYk0


・・・・・・・と、雪乃の方の様子を伺うと、まだ立ち直れてなかった。

どうにかセーフか。やばいですよ、陽乃さん。こんなラッキー、次はないですから。





第37章 終劇

第38章に続く















第37章 あとがき






八幡「今週もいるんだな」

千晶「仕事だからね」

八幡「まあ、いいけどさ」

千晶「今週も、ずぅっと胸ばっかり見ているんだね。見てないふりをしてるけどさ」

八幡「・・・・・・」

千晶「そんなにサラシが気になる?」

八幡「え? はい(そういう事にしておこう)」

千晶「じゃあ、とるね」

八幡「おぉっ! (でかい)」

千晶「やっぱきつきつに巻いていて苦しかったから、楽になったわ。

   ねえ、このサラシもう使わないけど、いる?」

八幡「え? (いいの? もらっちゃっても)」

雪乃「ええ、八幡を縛りあげるのにちょうどいい縄になりそうだから

   ありがたく使わせてもらうわ」

八幡「ゆ・・・雪乃!?」

雪乃「来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので

   また読んでくださると、大変うれしいです。

   さあ、八幡。今週も、楽しい話し合いをしましょうね」





黒猫 with かずさ派




662 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:30:01.77 ID:0xDrLxJ20


第38章








7月11日 水曜日





八幡「そうだ。コナコーヒーって、どんなコーヒーなんですか?」

陽乃「どんなって?」

八幡「この際だから、もうちょっと詳しくなっておこうかなって思いまして、

   生産地とか特徴とか知ってみたなと」



本当は、このまま陽乃さんの話の流れに乗るのは危険だと思ったから

別の話題をふっただけなんですけどね。

コナコーヒーにまったく興味がなかったわけではないけど

話題を強引に変えたって、陽乃さんは気が付いているみたいだった。

それでも陽乃さんが俺の意図に乗ってくれたのだから、使わせてもらいますが。



陽乃「そうねぇ・・・・・・。生産地がハワイということは有名じゃないかしら?」

八幡「ええ。そのくらいなら知っていますよ」

陽乃「ブルーマウンテンまでとはいかないまでも、高価なコーヒーなのよね。

   たしかに味も香りも私好みだわ。でも、値段が高い理由は、人件費などの

   生産コストなのよね」

八幡「人件費って、特殊な作業員でも必要なんですか?」

陽乃「違うわよ。純粋に人件費が高いだけよ。ほら、ハワイってアメリカでしょ。

   だから、発展途上国で作るよりも人件費が割高なのよ。

   ただ、それだけよ。

   一応世界最大の先進国なわけでもあるのだから、人件費もお高いわよね。

   だから、どうせ作るのならば、人件費が安い発展途上国よね」

八幡「でしたら、ブルーマウンテンは値段が安くなるんじゃないですか?」

陽乃「ジャマイカの詳しい賃金は知らないけど、アメリカよりは安いはずよね。

   でも、生産量が少ないのよね。だからじゃないかしら?」

八幡「希少価値ってやつですね。

   でも、アメリカは農業国でもあるわけじゃないですか。

   小麦とかトウモロコシなどの大規模経営は有名ですよ」

陽乃「たしかにね。まあ、私も詳しく調べたわけでもないから、実情はわからないわ。

   まあ、ブランドの維持も関わってくるじゃないかしらね」

八幡「ブランドですか・・・・・・」


663 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:30:43.76 ID:0xDrLxJ20

陽乃「だって、日本人だってブランド物大好きでしょ?

   合成の革だったり、ビニールのような化学繊維で作られた鞄が何万も何十万もの

   値がつくのよ。同じコストで生産できるのなら、高いブランド力を維持して、

   値段を高いままにしておきたいのが、経営者というものじゃないかしら」

八幡「そこまで身も蓋もない事を言われてしまうとなんですがね。

   日本人って、行列ができていれば並んでしまうし、価値がないものを

   価値があるって思う心理もあるから、その辺をうまく売りにすれば、

   商売ぼろもうけですね」

陽乃「だよね。美味しいってわからないのにならんじゃって、何十分も並んで

   実際食べてみたら期待外れだっていう人も多いし」

八幡「美味しくないものを美味しいように見せるのは犯罪ですよ。

   だから、TVのグルメ番組は信じません」

陽乃「そう? あれはあれで無知な群衆に売れない商品を売り付けるいい商売方法だと

   思うんだけどなぁ」

八幡「陽乃さんは、食べてみたいと思った事はないんですか?」

陽乃「さすがにあるわよ。でも、どうしても食べていって思う事はないわね。

   友達が買ってきたのを貰ったりとかで、食べる程度よ」

八幡「それだと、陽乃さん自身は被害にあってないじゃないですか」

陽乃「まあ、ね。でも、私の場合は、たとえまずくても、料理をする上での

   サンプルになってしまうだけね」

八幡「だったら、まずい料理でもかまわないってことですか?」

陽乃「それは、美味しいものを食べたいわよ。

   私も好き好んでまずい料理は食べたくはないわ」

八幡「そうですよね」



ここで、陽乃さんはイエスといったら、どこまでストイックな料理人なんだよと

ちょっと意外すぎる評価をくだしそうではあった。



陽乃「あれ? なんでまずい料理の話になったんだっけ?」

八幡「ブランドものとか、TVの評判の話からですよ」

陽乃「そっか。コナコーヒーもある意味ブランドものだしね」

八幡「このコーヒーの美味しさには罪はないんでしょうけど・・・・・・」

陽乃「まあ、ね。私もこのコーヒー大好きよ」

雪乃「はぁ・・・・・・」

陽乃「どうしたの、雪乃ちゃん?」



陽乃さんにコナコーヒーの事を聞いていたら、

雪乃が突如としてため息を漏らすものだから、気になってしまう。

雪乃にかまってあげずに、陽乃さんと話していたから拗ねたのか?


664 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:31:16.52 ID:0xDrLxJ20

そう全く方向違いの勘違いをしていると、もう一度ため息をついてから雪乃は語りだした。



雪乃「どうしたもこうしたもないわ。どうして美味しいコーヒーを飲みながらも

   擦れた会話をしているのかしら?

   上品な会話をしてくださいとは言わないけれど、もう少し周りにいる人間が

   聞いていても楽しい会話をできないのかしらね?」

八幡「俺は、けっこう今している会話を楽しんでるけど?」

陽乃「私もよ」



俺も陽乃さんも、雪乃が言っている意味が訳がわからないといた顔を見せるものだから、

雪乃はさらにため息をついてしまった。



雪乃「もういいわ。楽しい会話を邪魔してしまって、ごめんなさいね。

   続けてくださってもけっこうよ」

陽乃「あぁ・・・、雪乃ちゃん」

雪乃「なにかしら、姉さん?」



陽乃さんは、口角を釣り上げて、意地が悪い笑みを浮かべるものだから、

雪乃は陽乃さんの挑発にのってしまう。

二人とも安い挑発だってわかっているはずだ。それでも出来レースのごとく挑発を

売り買いするんだから、けっこうこういう関係を気にいってるのかもしれなかった。



陽乃「もしかしてぇ、やいちゃってる?」

雪乃「はぁ?」

陽乃「私の比企谷君が、楽しく、弾んだ会話をしているものだから、

   雪乃ちゃんは、一人でコーヒーを飲んでいないといけなものね」

雪乃「私は、やいてなんていないわ」

陽乃「そうかしら?」



陽乃さんは、さらに口角をあげて、雪乃に迫りくる。

雪乃も雪乃で、引いたり、かわしたりすればいい所なのに、

自分から一歩前に出るんだもんなぁ。

二人して負けず嫌いだから、しゃーないか。



雪乃「そうよ。私はただ、二人が世の中に擦れ切った人間の会話をしていて、

   そっと一人でため息をついていただけよ」

陽乃「そうかしらね。まっ、いいわ。それで」

雪乃「なにかしら。なにか馬鹿にされているような気がするのだけれど」

陽乃「ええ。馬鹿にしているわ」


665 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:31:46.23 ID:0xDrLxJ20

雪乃「姉さんっ」

八幡「おいおい、雪乃。その辺にしておけって。それと、陽乃さんも」

陽乃「は~い」

雪乃「八幡は、どちらの味方なのかしら?」

八幡「今は、どちらの味方でもないよ。コーヒー飲んで、会話しているだけだろ?」

陽乃「そうよねぇ。比企谷君の言う通りだわ。

   つっかかってきたのは、雪乃ちゃんじゃない?」

雪乃「あっ、そう・・・よね。ごめんなさい」



たしかに、つっかかった内容の発言を最初にしたのは雪乃だ。

でも、その原因を作ったのは陽乃さんでしょ。

だから、ここで雪乃のフォローもしておかないとな。



八幡「陽乃さんも、雪乃を挑発させるような発言は控えてくださいね」

陽乃「は~い」



ちょっと面白くなさそうな顔を陽乃さんは見せるが、まったく反省してないんだろうなぁ。

明日になったら、いや、数分後には再び雪乃を挑発してそうだ。

それが二人の関係を維持するのに必要な儀式みたいなものでもあるから仕方ないといえた。



八幡「でも、雪乃。コーヒー豆の生産コストについて話していたんだし、

   擦れた内容ってわけではないんじゃないか?」



雪乃は目を丸くして俺を見つめる。

そして、再度ため息をつこうとしたが、無理やり大きく息を吸う事でため息を打ち消した。

そして、呆れ果てた顔つきで、言いかえしてきた。



雪乃「日本人のブランド好きとか行列好きの話をしていたじゃない。

   しかも、商品価値が低いとか、味がまずいのが前提で話していたわ」

八幡「そうか?」

雪乃「そうよ」

陽乃「そうかしら? 

   でも、実際問題、商品価値が実売価格よりも低くなるのは当然の事よ。

   そもそも原価よりも安い値段で販売なんてできないのだから。

   まあ、たしかに商品そのものの価値と販売価格が釣り合っていないのは

   詐欺だと思うわね」

雪乃「それが擦れているというのよ」

八幡「でも、事実だろ?」

陽乃「事実よね?」


666 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:32:13.87 ID:0xDrLxJ20

雪乃「はぁ・・・・・・」



今度こそ雪乃はため息を打ち消すことができなかった。

雪乃は、あきれ顔で俺達を見渡すと、そっと瞳を閉じる。

そして、数秒後にその瞼を開けた時には、陽乃さんにも劣らない意地が悪い瞳をしていた。



雪乃「私だけいいこぶってもしょうがないわね。

   今日は、二人の会話に乗ってあげるわ」

八幡「べつに、俺達は特殊な会話をしていたわけじゃないぞ」

雪乃「そう感じているのは、あなた方二人だけよ。一般人には、十分特殊で、

   十分すぎるほど異常だったわ」

八幡「だったら、一般人の感覚がおかしいんじゃないか?

   TVのグルメリポーターの言う事は信じるなって、小さい時に親から教わるだろ?」

雪乃「そのようなことは教わらないわ」

八幡「うそ?!」

雪乃「嘘じゃないわ」



あれぇ? 俺は、小さい時に親父から何度も言われてたんだけどなぁ。

グルメ番組見ていたら、必ずといっていいほど言ってたし。

どの辺が美味しくない根拠とか、夫婦そろって言い争ってたりしていたのが

小さい時からの家族の団らんだったんだけどな。

けっして美味しいとは思わないくせに、なんであの夫婦はよくグルメ番組なんて

みていたんだろう? ちょっと不思議だ。



八幡「知らない人から声をかけられたら逃げろとかは言われただろ?」

雪乃「ええ、言われたわ」

八幡「街で行列を見たら、笑いながら指をさしてスルーしろ。

   けっしてならんじゃいけないは?」

雪乃「言われた事はないわ」

八幡「グルメ番組に出てくるお店は、TV局にコネがある店しか出ないから、

   けっして美味しい店は出てこないは?」

雪乃「ないわ。・・・・・・でも、よく姉さんが言ってた気がするわね」

陽乃「ええ、言ってたと思うわ」

八幡「じゃあ、そうだなぁ・・・・・・」

雪乃「もういいわ。あなたの性格形成の一端がよくわかったから」

陽乃「面白いご両親だったのね」

八幡「そうかな? くそ親父だったと思うぞ」

陽乃「用心深くなったのは、両親のおかげよ。

   だから、偽物ではなく、本物を手に入れられたのではないかしら、ね、雪乃、ちゃん」


667 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:32:45.25 ID:0xDrLxJ20

雪乃「な・・・なにを言っているのかしら? もう・・・」



雪乃は頬を赤らめる。そんな雪乃を見て、陽乃さんは満足そうにしているけど、

さっきした反省はもう忘れたのですか。それでこそ陽乃さんだけれど、だけどなぁ・・・。



八幡「まあ、偽物も磨き続ければ、本物とは違う輝きを放つと思いますから

   一概に偽物が悪とは思っていませんよ」

陽乃「え? そうなの? だったら、雪乃ちゃんに、もう飽きてしまったとか?」



なんなんだよ、この人は。せっかく話題を変えようとしているのに、

まだ雪乃をターゲットにするのか? 

今は分が悪いと思ってか、雪乃は静かにしているけど、さっき散々面倒な事に

なってたじゃないですか。



八幡「一般論を言っただけですよ」

陽乃「もうっ・・・、ちょっとからかっただけじゃない」



陽乃さんは肩をすくめると、ちょっと残念そうに息をつく。

俺も、もろに嫌そうな表情が顔に出てただろうしな。

でもなぁ、このまま陽乃さんが拗ねてしまうのも、気が引けるし。



八幡「そういえば、コーヒーも偽物が多いそうですね」

陽乃「たしかに、偽物も多いわね。でも、一概に偽物とは言えないものもあるのよ」

雪乃「それは、先ほど八幡が言っていた偽物でも上質な物もあるということかしら」



俺がもう一度話題を振ると、雪乃も俺の意図を察してか、話に乗って来てくれる。

そうなると陽乃さんも俺達の意図を理解してくれてか、にこやかに語りだしてくれた。



陽乃「それともちょっと違うわね。だいたいはあってるんだけどね」

八幡「だいたいですか」

陽乃「そもそもブルーマウンテンもコナコーヒーも生産量が少ない希少な品なのよ。

   それなのに日本中にあふれているじゃない。

   希少な品なのに日本にあふれているって、異常だとは思わない?」

八幡「そう言われてみれば、異常ですね」

雪乃「だとすれば、名前だけの別ブランドなのかしら?」

陽乃「それともちょっと違うわね。

   まず、ブルーマウンテンだけど、ブルーマウンテンと名前をつけることができるのは

   ブルーマウンテン山脈の標高800~1200メートルの特定の地域だけ

   らしいわ。だけど、日本に輸入されている豆の多くは、標高800メートル以下の

   本来ならばブルーマウンテンとは名乗れない豆なのよ」
668 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:33:52.07 ID:0xDrLxJ20


八幡「だとしたら、偽物ってことですか?」

陽乃「どうなのかしらね? それなりに美味しいわけだから、飲んだ人が知らなければ、

   幸せなんじゃないかしら?」

八幡「ま、ブルーマウンテンっていう名前だけでコーヒーを飲んでいる奴らばかりだし

   問題ないかもな」

陽乃「ええ、そうね」

雪乃「あなたたちって・・・・・・」

八幡「事実だろ?」

陽乃「事実よね?」



陽乃さんとは、どこか俺と近い感性がある気がする。

二人して顔を合わせると、思わず笑みが浮かんできてしまった。



雪乃「知らないからといって、許されるわけではないわ」

陽乃「知らないから、幸せって事もあるわよ」

雪乃「詭弁だわ」

陽乃「そうかしら? これはコナコーヒーのことになってしまうけど、

   ホワイトハウスの公式晩餐会では必ずコナコーヒーが出るそうよ」

八幡「アメリカを代表するコーヒーってことだからかな」

陽乃「どうでしょうね? 

美味しいからというのもあるだろうけど、見栄もあるのでしょうね。

   極論を言ってしまえば、コナコーヒーでなくても、そこそこのコーヒーでも

   それが慣習のコーヒーになってしまえば、銘柄なんて気にしないんじゃないかしら」

雪乃「それは、外交上の、アメリカから信頼の証として、コーヒーをふるまわれたと

   いう意味かしら」

陽乃「そうね。アメリカとしても、まずいコーヒーを出して信頼の証なんて

   プライドが許さないから、しないだろうけどね」

八幡「そこは、わざとまず~いコーヒーを出して、アメリカの信頼を得たいのならば

   飲み干せって脅迫するのも手ですね」

雪乃「はぁ・・・。そんなこと考えているのは、あなたくらいよ」

八幡「そうか?」

雪乃「・・・あと一人いそうね。はぁ・・・・。八幡と姉さんくらいよ」

陽乃「よくわかっているじゃない。でも、わたしでも、まずいコーヒーなんて出さないわよ」



たしかに、陽乃さんなら、まずいコーヒーなど出さないと思えた。

料理が趣味で、コーヒーを愛している陽乃さんが、信頼を得る為にわざとまずいコーヒーを

出すなんて事はないはず。

むしろまずいコーヒーを出されたら、信頼されていないとみるべきかもしれない。



669 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:34:30.32 ID:0xDrLxJ20


雪乃「それを聞いて、ほっとしたわ」

八幡「全然ほっとしたようには見えないのは、俺の気のせいか?」

雪乃「気のせいよ」



あっ。これ以上つっこむなって、凍りつく笑顔で俺を見てる。

これは危険信号だ。これ以上の刺激は、極めてやばい。



八幡「・・・・・・そうだな。えっと、ブルーマウンテンでも偽物が多いって事は、

  コナコーヒーでも偽物多いんじゃないですか?」



俺は、身の危険を感じて、顔を引きつらせながら話題の軌道修正を図る。

頼む、陽乃さん。俺の命がかかってます。

俺は、命のバトンを陽乃さんに託すと、陽乃さんはじっと俺を見つめ返す。

そして・・・・・・。



陽乃「コナコーヒーは、もっと酷いわよ。コナコーヒーほど、偽物が多いといえるわ」



通った。やった。通じた。俺は、天に感謝をしつつ、陽乃さんの機嫌が変わらないように

相槌を的確にうっていった。



陽乃「コナコーヒーはね、日本で出回っているほとんどが、コナ・ブレンドと

   表記すべき混ざりものよ。だから、純粋なコナコーヒーは、価格が高いし、

   あまり出回っていないんじゃないかしら?」

八幡「だったら、これこそ知らない方が幸せって事ですかね」

陽乃「そう考えるのも幸せになる方法だとは思うわ」

八幡「じゃあ、今飲んでいるこのコーヒーは?」

陽乃「どう思う?」



陽乃さんが俺を試すような瞳を俺に向ける。

きっと陽乃さんが俺達にふるまってくれたのだから、本物だとは思う。

しかし、ホワイトハウスの話の時に話題に上った、わざと偽物をということもあるし、

本物だとは即座に決めることができない。

まだ、判断できない・・・。

判断を下せないまま、俺は陽乃さんの瞳を見つめ返す。

どちらとも目をそらさず、重い時間だけが過ぎていく。

どうやって判断しろっていうんだよ。

俺にはコーヒーの違いを区別できるほどの知識も舌もない。

わかる事があるとしたら、陽乃さんが喜んでコーヒーを淹れてくれた事だけだ。

だったら俺は、こう答えるしかないじゃないか。

670 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:35:06.50 ID:0xDrLxJ20


八幡「俺は、・・・俺は、陽乃さんが淹れてくれたコーヒーを飲んで、すっごく幸せですよ。

   だから、このコーヒーの銘柄がコナコーヒーでも劣悪なコナ・ブレンドでも

   どちらでもかまいせん」

陽乃「そう? でも、コナ・ブレンドといっても、全てが劣悪ってわけでもないのよ。

   偽物を売ってるのだから、お店の良心は疑ってしまうけれど、

   それなりには美味しいのよ」

雪乃「そうよ、八幡。もし劣悪なコナ・ブレンドが出回りすぎたら、

   それこそアメリカの威信が失墜して、コナコーヒーのブランド力が落ちてしまうから

   お店の方もその辺は考えてはいるはずよ」

八幡「たしかにそうだな。でも、俺が言いたいのは、そんなことじゃなくてだな・・・」

陽乃「わかってるわよ」

八幡「そうなの?」

雪乃「そうよ」



陽乃さんは、恥ずかしそうに俺から顔を背けてしまう。

さっきまでの俺を試そうと堂々としていた態度はどこにいったんだよ。



八幡「え? えぇ?」



雪乃は俺の耳元まで顔を寄せて、小さく呟いた。



雪乃「姉さんは、照れているのよ」



思わず陽乃さんの顔を見ると、俺の視線を感じて首をすくめると、

さらに顔を赤くして俯いてしまう。

そして、雪乃を見ると、なにやら満足そうに陽乃さんを見つめていた。

あっ、そうか。さっきまで雪乃は陽乃さんにやられっぱなしだったもんな。



陽乃「でもね、比企谷君。コナコーヒーみたいに、あなたが普段見ている私も、

   偽物かもしれないのよ?

   本物だと思っていたら、混ざりものが入った偽物かもしれない。

   出来はいいかもしれないけど、本物ではない」

八幡「えっとう・・・、どういう意味で?」

陽乃「この際だから認めてしまうのだけれど、私って自分を作っていたでしょ?

   母が求める私。父が求める私。姉としての私。そして、雪ノ下陽乃としての私」

八幡「ええ、まあ。そうですね」



ここにきて急に自分の立ち振る舞いを認めるだなんて、どうしたんだ?



671 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:35:59.68 ID:0xDrLxJ20

俺としたら、最近は素の陽乃さんを見る機会が出てきてもいるし、

そう考えると悪い傾向とは思えないけど、雪乃はどう思っているのだろうか?

俺は雪乃の方に視線をずらしてみたが、その表情からは心情は伺えない。

もう少し陽乃さんの出方を見るべきかな。



陽乃「だけど、最近、二人には素の私を見せてしまってるって

   あなた達は思ってるのではないかしら?」

雪乃「そうね。最近の姉さんは、どこか今までとは違うかもしれないわね。

   けれどね、姉さん」

陽乃「ん?」

雪乃「それが本当の姉さんの本性かは、見破れてはいないのだけれど、

   今の姉さんの行動は、特に私達二人に対しては遠慮がなさすぎよ」

陽乃「それはね。二人が私にとって特別だからよ。

   だからこそ、雪乃ちゃんが言う通り素の私を見せてるとは思うのよ」
  

 
これは驚きだ。素の陽乃さんを見せているって本人が認めるとは。



陽乃「でもね、自分を作らなくなっていいと思うと、

   どれが本来の自分かわからなくなるのよね。

   ほらっ、だって、いくら自分を作っていてとしても、どれも自分が望んで演じて

   いたわけでしょ。だから、一概に全てが偽物というわけでもないと思うのよ」

雪乃「たしかに、姉さんほどではないにしろ、

   どんな人であっても自分を作っている部分はあるわね」

陽乃「でしょう。

   だからね、二人の前だと、どうすればいいかわからなくなっちゃうのよねぇ」



陽乃さんは、なにやら複雑そうな苦笑いを浮かべる。

悲しいでも、自嘲でもない。

嬉しいのだろうけど、どう扱っていけば分からないからもどかしいといったところか?

たしかに、俺だって素の自分を、さあ見せろと言われても困ってしまうし、

たとえ雪乃の前だとしても本性だけで行動しているわけではない。

けれど、それでも雪乃の前だとリラックスできるし、心を許した行動もする。

つまり、陽乃さんは、俺達に心を許しているけど、どうすればいいかわからないってことか。

小さいころから雪乃のお姉さんをしていて、雪ノ下家の長女もして、

そして、あの母親が求める優秀な雪ノ下家の継承者を演じ続けていたんだしな。

人に甘えることなんて、できなかったのだろう。

だからこそ、甘え方なんてわかるわけないのか・・・・・・・。






672 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/12(木) 17:36:28.91 ID:0xDrLxJ20





第38章 終劇

第39章に続く













第38章 あとがき





八幡「(今週も違う相手かよ)」

かずさ「・・・・・・・・」

八幡「(しかも、ずっと睨んでるし。

   しかしなぁ、先週の和泉千晶にしろ、今週の冬馬かずさにしろ、

   胸でかすぎだろ。しかも、ルックスだけでも雪乃レベルなのに

   胸の大きさがエベレスト級って、化け物だよな)」

かずさ「・・・・・・」

八幡「(睨んでばかりで、何も言ってこないな。

   これだったら、先週までいた和泉千晶の方が、適当にしゃべってくれて

   よかったよな。厄介事をわざわざ仕掛けてくるのは勘弁だけど。

   やっぱ、胸、でかいよな。しかも綺麗だし)」

かずさ「・・・・・・・」

八幡「(視線が下に・・・。こればっかりは重力には逆らえない)」

かずさ「・・・時間か。

    来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので

    また読んでくださると、大変うれしいです。

    ・・・・・・はい、これ」

八幡「ん? 首輪?」

かずさ「そこで飼い主様がくるまで、5~6時間待ってろってさ。

    じゃあ、あたしは春希のところに帰るから」

八幡「ちょっと、え? 首輪が外れない。鎖に繋がれてて、帰れねぇじゃねえか」






黒猫 with かずさ派




678 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/19(木) 17:29:10.77 ID:4sp8M6Yt0

第39章





7月11日 水曜日





陽乃「作っていた自分も自分の一部で、・・・・・・あぁ、何を言いたいんだろ、私」



おおげさに両手で頭をかくと、そのままソファに身を沈め、

両手両足をソファーの外に大げさに投げ出す。

ある意味降参ってことかと見てとれる。照れ隠しともいえるが。

けれど、今回の陽乃さんが照れてしまった流れを作ってしまったのは俺なんだよな。

しかも、陽乃さんが誤魔化そうとしても失敗しちゃってるし。

これは、あとで倍返し以上の仕返しが来るんじゃないか?

いやいや、こんなにも照れまくっている陽乃さんなんて初めてなんだから、

倍じゃ済まないだろ・・・・・・。

やっぱ、ここはフォローしておいて、後々の禍根を断っておくか。

そうしておかないと、俺の精神がやばいっす。

と、後々のことを考えて効果があるとは思えない対策を練る。



八幡「陽乃さんは、陽乃さんですよ。今も昔も同じ陽乃さんです。

   包丁を見て、目を輝かせていた陽乃さんも、もうちょっとはまりすぎていたら

   怪しすぎる人だと思いましたが、一緒にいて微笑ましかったです。

   高級食器売り場に俺を連れていって、俺が売り場を恐る恐る見学して、

   あたふたしているのを意地が悪そうな目で見つめていたのだって、

   ・・・・・・少し手加減してくれると助かりますが、

   一緒に見ていて楽しかったですよ。

   そうですねぇ、あとは、初めて俺の為に手料理を作ってくれたときなんて、

   あまりにも料理が美味しすぎてびっくりしましたよ。

   料理をしている陽乃さんを飽きもせず眺めていたのを今でも覚えています。

   どれも初めて見る陽乃さんでしたが、今までの陽乃さんがいたからこその

   感動ですし、今も、今以前も、陽乃さんの事を嫌ったことなんてないです。

   むしろ、今では一緒にいてワクワクしますよ。

   ただ、まあ、もうちょっと手加減だけはして欲しいですけどね」



ちょっと臭すぎる演説を終えると、聴衆の反応をみるべく陽乃さんの様子を見る。

すると、いつの間にかにソファーの上で膝を抱えてこちらをじっと見つめていた。

ソファーの上で、トドみたいにぐてぇ~って横たわっているよりは、回復してるようだった。

これならば、俺も雪乃もこの後に陽乃さんからの仕返しを受けずに済みそうだ。


679 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/19(木) 17:30:01.37 ID:4sp8M6Yt0

よかったな、雪乃。少しは俺に感謝しろよ、と、雪乃に視線を向けると、

あろうことか、身を凍らすような冷徹な瞳で俺を射殺そうとしていた。

えっとぉ、何故? 俺は、雪乃がこれから被るであろう被害を回避したんだけどなぁ。

それとも、何かまずいことでもいったか? でも、当たり障りのないことしか言ってないし。

訳がわからず陽乃さんの方に再び目を向けると、事態は急変していた。

陽乃さんは、目を丸くして俺を見つめ、そして、

鯉が餌を求めるがごとく口をパクパクさせている。

よく由比ヶ浜がパニクっているときに見る表情だけれど、あの陽乃さんがパニクってる?

これこそ俺が初めて見る陽乃さんであり、俺の中で想像できうる陽乃さんの中で

一番遠い場所に位置する陽乃さんでもある。

つまりは、パニクっている陽乃さんを見て、陽乃さん以上に俺はパニクってしまった。

なんなんだよ!

俺は助けを求めるようと雪乃を見るが、・・・・・・駄目だ。殺される。

あれは見ただけで人を殺せる瞳をしている。見ちゃだめだ。

俺は、凍える吹雪がこれ以上侵入しないように扉を閉め、

すぐさま陽乃さんの方へと視線を戻す。・・・・・・・・なんなんだよ。もう訳わからん。

顔や首元だけじゃなくて、その腕さえも真っ赤に染め上げている陽乃さんが

とろんと蕩けきった顔で俺を見つめていた。

そして、俺が陽乃さんを見ていると気がつくと、一瞬目をあわせはしたが、

猛烈な勢いで顔を膝で隠し、そのまま膝を抱えて小さく丸まってしまった。

・・・・・・これって、もしかして、何か俺がフラグ建てちゃった・・・のか?

そんなことはないよな? だって、なぁ。どうしよう。

これ以上何か俺が言っても火に油を注ぐだけだよな。

だったら、一回死ぬ覚悟で雪乃に助けを求めるしかない。

このまま何もしないと、確実に殺されるし。

せぇので雪乃の方に振り向くぞ。せぇのだ。せぇの。

勢いでやれば、半殺しくらいで済むかもしれないんだ。

だから、何も考えないで、・・・・・・・せぇのっ!



八幡「えっ?」



俺は、思わず声を洩らしてしまった。陽乃さんは陽乃さんで急展開すぎたが、

雪乃も雪乃で危なすぎるほどの急展開をみせていた。



雪乃「何を馬鹿な顔をしているのかしら? あら、もともとお馬鹿だったわね」

八幡「おい。馬鹿なのは認めてはいいが、どうなっているんだよ」

雪乃「どうなっているとは、どういう意味かしら? 何がどうなっているかを

   しっかりと示さなければ、お馬鹿の同類ではない私にはわからないわ」

八幡「いや、もういい。今の質問は忘れてくれ」


680 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/19(木) 17:30:43.56 ID:4sp8M6Yt0

雪乃「そう?」



雪乃は、もはや興味なさげに肩にかかった黒髪を優しく払うと、じぃっと俺を見つめてくる。

いったい「なんなんだよ」を何回繰り返せば済むんだよ。

急展開がフル回転で俺を揺さぶるから、ついていけないって。

ただ、致死性をもった雪乃の瞳が閉じられたのは幸いか。

しかし、今も何かしらの審判が継続されているんだろうなぁ。

一度殺意を持った雪乃が、簡単に俺を許してくれるとは思えない。

何について殺意を抱いているかを知らないままで死ぬのだけは勘弁だけれど。



八幡「俺がこれ以上陽乃さんに何か言っても、フォローにはならない気がする。

   だから、俺の代りに何かフォローしてくれないか?

   ほら、このままほっとくと、後が怖いだろ?」

雪乃「そうね? このままだと、後が怖いほど面倒になるわね」



雪乃は、そうわずかに致死毒が漏れ出した発言をこぼすと、席を立ち、

陽乃さんの元へと向かう。

またなにか俺が雪乃の癇に障る発言をしたか?

ちょっと雪乃の毒にあてられたみたいで、息苦しい。

それでも、雪乃は陽乃さんの前まで来ると

膝を折ってかがみ、陽乃さんの耳元で何やら呟いたようであった。

陽乃さんは、雪乃の声にピクリと肩を震わせて反応すると、顔を膝から上げ、

正面にいる俺と目が合ってしまう。

すると陽乃さんは逃げるように視線を俺から外すと、なにやら雪乃の耳元で囁いた。

その陽乃さんの発言の結果として、雪乃は首を横に振る。

それを見た陽乃さんも、その答えを予想していたのか驚きもしない。

そして、雪乃も陽乃さんも不敵な笑みを浮かべて、いつもの二人へと戻っていったのだが、

その陽乃さんが何か囁いた直後の二人の反応が、どうしても気になってしまった。

どうしてっていわれても、勘だとしか答えようがない。

まあ、勘といっても、生命の危機を感じるほどのインパクトがあったのだから、

おそらくは俺の勘は当たっているのだろう。

陽乃さんの発言を聞いた直後の、雪乃の痛みを抱えたまま永久に氷漬けにさせそうな笑顔。

一方、陽乃さんのその死を選びたくなるほどの氷の拷問を笑って払いのけてしまう挑発的な瞳。

二人の側には一般人たる俺もいることも気にかけて欲しいところだけれど、

これ以上近づくと、死ぬ事さえ許されなくなってしまいそうで怖い・・・です。

なにか話題を振って、現状を打開しないと、確実に死ぬ。

なんでもいい。セクハラ発言で二人からひんしゅくをかってもいい。

もうこの際なんだっていい。とにかく、生きたい。

このまま命を、精神を削られて、病んでいくのだけは、回避せねば。


681 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/19(木) 17:31:21.13 ID:4sp8M6Yt0

こうどんな話題でもいいという時こそ話題は見つからない。

普段だったら、どうしようもない事をぽろっと言って、雪乃のひんしゅくを買うほどなのに。

それさえも出てこねぇ・・・。

焦れば焦るほど、精神が擦り減って、じわじわと自分がつぶれていくのがわかった。



陽乃「私がコナコーヒー好きなのは知ってもらえたけど、

   雪乃ちゃんがどのダージリンが好きか知ってる?」



陽乃さんの突然すぎる発言に、驚きを感じ得ないが、喜びの方が上回る。

女神きたぁ~。心の第一声は、この一言に尽きるだろう。

死神が女神の仮面かぶってるだけかもしれないけど、この際問題ない。

もう、死にそうだったんだよ。だったら、死神にさえすがるって。



八幡「ダージリンは、ダージリンじゃないんですか?

   なにか生産農園が違うとかですか?」

陽乃「農園の違いはあるかもしれないけど、もっと根本的な事よ」

八幡「だったら、コーヒーと同じように偽物が多いって事ですか?」

陽乃「それとも違うわね。もちろん日本に出回っているダージリンのほとんどが偽物だけどね。

   コナコーヒーよりも劣悪な混じりものが多いと思うわよ。

   コナコーヒーよりも紅茶のダージリンの方が日本では有名だしね」

八幡「やっぱり偽物ばっかりが流通してるんですね」

陽乃「当然でしょ」



当然すぎる事を聞くなというような目はしていない。

むしろ、俺が話にくいついたことを嬉しそうに感じていた。

だから、雪乃が訝しげに冷たい視線で見ていた事も、陽乃さんが何かを企んでいた事も

死神にすがってしまった俺には、気がつくことなんてできやしなかった。

だって、女神だよ。死神が女神の仮面をかぶっていたとしても、

その笑顔は最高だし、なによりもスタイルが素晴らしすぎるし。



陽乃「ダージリンはね、葉を摘む時期によって値段も味も香りも色も違うのよ」

八幡「そうなんですか。一年で何度も収穫できるんですね」

陽乃「そうね。でも、狙った季節で一番美味しいのが収穫できるようには

   調整しているのではないかしらね。

   それでは、雪乃ちゃんが好きな季節の葉はどの季節でしょ~か。

   はい、比企谷君、どうぞ」

八幡「じゃあ、冬で」

雪乃「え?」

八幡「不正解か?」


682 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/19(木) 17:31:51.31 ID:4sp8M6Yt0

雪乃が思わず声を洩らすものだから、不安になってしまう。

雪乃「何故冬なのかしら?」

八幡「雪乃の誕生日が一月で冬だし、名前にも雪ってついているから、冬かなと」

陽乃「面白い解答よねぇ」



雪乃は、俺の説明を聞くと、手で頭をおさえる仕草をわざとらしくする。

あまりにも俺の解答理由がお粗末ってことを伝えようとしているみたいだけど、

雪乃から伝わってくる気配で、十分すぎるほど理解できるからなっ。



雪乃「ねえ、八幡」

八幡「なんだよ」

雪乃「冬にどうやったら収穫できるほどの葉が成長するのかしら?」

八幡「あっ」

雪乃「どうやら、根本的なことを忘れていたようね。いくらなんでも冬は難しいわ。

   秋摘みでさえ、なかなか成長してくれないのに」

陽乃「雪乃ちゃんにからませて冬を選んだあたりは悪くはないけど、

   さすがに冬はねえ」



雪乃も陽乃さんも、ちょっとお馬鹿すぎる解答を聞き、

俺を可愛そうな人認定してしまったらしい。

せめて苦笑いをして、聞くに堪えない罵倒を受けたほうがましだった。



陽乃「今度は、各季節の特徴も教えておくわね」

八幡「はぁ・・・」



特徴って言われてもね。

普段雪乃が紅茶を淹れてはくれているけど、いろんな種類のを淹れるんだよな。

どれも美味しいし、なんとなくの特徴くらいはわかる。

だけど、なんで今まで雪乃が一番好きな紅茶の銘柄を聞かなかったんだよ。

聞く機会ならいくらだってあったのに。

雪乃は紅茶が好きなんだし、大好きな銘柄の一つや二つくらいはあるはずだ。

それなのに、なぜ俺は聞かなかったのだろうか。

・・・・・・答えは簡単か。

俺は、紅茶を淹れる雪乃そのものが好きだったわけで、

どの紅茶を淹れるかは問題にはしてこなかった。

さっき陽乃さんが言っていた偽物のコーヒーではないけれど、

これもやはり、誰が紅茶を淹れたかが重要なのだろう。



陽乃「気のない返事ねぇ。まっ、いいわ。では、雪乃ちゃん、解説して」


683 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/19(木) 17:32:23.45 ID:4sp8M6Yt0

雪乃「姉さん。自分で言っておきながらも、重要な所を人に丸投げしないでくれないかしら。

   でも、まあいいわ」

陽乃「じゃあ、お願いね」

雪乃「まずは、三月から四月に収穫するファーストフラッシュ。

   爽やかな香りが特徴の一級品よ。カップに注いだ時の色が淡いオレンジ色で

   ストレートティーがよくあうわ。そうねぇ・・・。

   春の季節にふさわしい、さわやかな感じかしら」

八幡「それって、俺も飲んだことあるよな?」

雪乃「ええ、もちろん。八幡は、覚えてないかしら?」

八幡「すまん。毎回違った紅茶が出てきて、それ自体は新鮮で、毎回美味しい紅茶を

   淹れてもらってるのを感謝してるんだけど、どれがどれだかまでは、ちょっとな」

雪乃「そう」

八幡「ごめんな。せっかく雪乃が淹れてくれているのに。

   だから、これからはさ。紅茶を飲むときに葉の特徴とか話してくれると助かる。

   だって、雪乃が好きなものだし、知りたいんだよ。

   いつまでも雪乃が紅茶を準備している姿ばかり目で追って、見惚れているのも

   あれだしなって、今になって痛感した。

   やっぱ、どんなものが好きかとかも知っておきたいしさ」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?

無・・・反応?

と、無反応と思っていたら、急激に雪乃の表情が変化していく。

急に立ち上がったかと思うと、ソファーの周りを歩き出す。

どこかに向かうわけでもなく、早足で歩きだしたかと思えば、

急に止まって顔を両手で覆って座り込んでしまう。

それもすぐに立ち上がったかと思えば、再び歩き出した。

今度はどうするのかなって様子を見ていると、顔を真っ赤にしたまま俺を見つめ、

目が合うと、ぷいっと目をそらして、両手で顔を仰いで冷やそうとする。

これはまた、なにか言っちゃったか?

陽乃さんに打開策を求めて視線を送ろうとすると、不機嫌そうに頬を膨らませている。

おいおい。今回に限っては、陽乃さんには何も言ってないだろ。

それなのに打開策をくれないだけでなく、睨みつけるって、どういうこと?

俺は困惑するしかなかった。



八幡「なあ、雪乃。落ち付けって」



俺が声をかけても逆効果で、雪乃の足を速めるくらいにしか効果がない。

俺が雪乃を捕まえて落ち着かせるか、それとも、落ち着くまでほっとくのがいいのか。

悩むところだけど、早く決断しないとやばそうだ。


684 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/19(木) 17:32:50.16 ID:4sp8M6Yt0

そうこうして、次の手を決めかなていると、陽乃さんが雪乃の元へと向かった。

ここは、陽乃さんの出方を見るのが得策かな。

火に油を注ぐ事態になるんなら、強引にでも介入しないといけないが・・・・・・・。

それだけは、ないですよね?

じわりと嫌な汗が額から顎へと滑り落ちた。



陽乃「・・・・・・・」



陽乃さんが、なにやら雪乃の耳元で何か囁くと、雪乃は、急に電池が切れたおもちゃのように

動きを止めて立ち尽くす。

そして、ゆっくりと陽乃さんの方へと首を動かす。

こちらからは雪乃の表情は見えない。

また、陽乃さんの表情を読み取っても、雪乃がどんな表情をしているかなんて

わかることなんてできやしなかった。

だから、俺は、いつもよりゆっくり進む時計の針を、心臓を抑えながら待つしかなかった。

どのくらいの時が経っただろうか。

陽乃さんはすでに自分の席へと戻ってきている。

コーヒーカップを優雅につまみ上げ、

残り少なくなった冷え切ったコーヒーを楽しんでさえいた。

やはり、待つしかないのか。

と、俺もコーヒーを飲んで落ち着こうとカップに手を伸ばす。

しかし、全て飲みきっていては、飲むことなどできなかった。

俺は苦いコーヒーを飲む代わりに、渋い顔でカップを眺める。

そんなことをしてもカップからコーヒーが沸きだすわけでもないのに、

やることがないと人間、なにかしら無意味な行動をしてしまうのかもしれなかった。

なんか陽乃さんなんて、俺の三文芝居を面白そうに見てるんだよなぁ・・・。

俺を見ていて、カップにコーヒーがないのをわかっているんなら、

お代わり淹れてくれないか?

自分勝手な催促だってわかっているけれど、陽乃さんが淹れてくれるコーヒーの前では、

自分で淹れたコーヒーなど飲みたくはない。

3段階評価が落ちるどころか、7段階位は美味しさの差が出てしまう気がする。

俺と陽乃さんが、無意味すぎる空中戦をやっていると、ついに待望の進展がみられた。



雪乃「では、春摘みの次は、五月から六月に摘む夏摘みね」



え、えぇ~・・・・・・。

雪乃は、自分の席に戻ってくると、

空になっているコーヒーカップを勢いよくもう一度全て飲みきる。

カップの中身など気にもせず、ソーサーにカップを戻すと、雪乃は話を再開させてしまった。


685 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/19(木) 17:33:21.59 ID:4sp8M6Yt0


まあ、このまま再起動しないよりはましか。

ここで何か言って、再びフリーズされて、再起動不能になるよりは、

ここは雪乃にあわせるのが得策だと考えがいたった。



八幡「あぁ、そうだな」

陽乃「そうねん」



陽乃さんも俺に続いて陽気な声で相槌を打つ。

けれど、腹の底で何考えているか、わからないんだよな。

陽乃さんは陽乃さんで、面白そうに雪乃と、ついでに俺を眺めているだけだし、

・・・・・・これ以上ひっかきまわされるよりはいいか。



雪乃「夏摘みは、セカンドフラッシュともいわれ、ダージリンの中でも最高級品に

   分類されているわ。マスカットフレーバーと言われているセカンドフラッシュ特有の 

   香りが楽しむ事ができ、この香りを楽しむだけでも価値があると思うわね」

陽乃「これもストレートティーがいいわね」

雪乃「そうね。ミルクなどを加えるのならば、秋摘みのオータムナルをお勧めするわ。

   十月から十一月に収穫するとあって、なかなか葉が成長しないのが難点ね。

   でも、その分味は強めで、しっかりしているわ。

   甘みもあって、セカンドフラッシュやファーストフラッシュのような

   際立った特徴がないのが特徴かしらね。

   だから、紅茶らしい紅茶ともいうのかしら。

   一般的な紅茶の味というのならば、オータムナルが一番近いかもしれないわ。

   でも、ダージリンの中では値段が安いのだけれど、それでも

   ミルクティーにすれば、他の二つを圧倒する味なのよね。

   これも好みだから、私の意見が絶対とは言えないのだけれど」

八幡「いや、雪乃の意見は参考になるよ。もちろん人の好みってのもあるだろうけどさ」

陽乃「これで全て出そろったわね。

   モンスーンフラッシュっていうのもあるけど、これは味も香りも価格も落ちるから、

   今回は考えなくてもいいとしましょう。

   ではでは、比企谷君。もう一度解答をどうぞ」



もう一度俺に恥をかけってことですか?

なんか、さっきの可愛そうな人認定も俺の精神を深くえぐる為に、

二人してわざとやった気もするんですけど、どうなんでしょうか?

・・・・・・でも、本気で可愛そうな人認定されるよりも、わざとの方がいいか。

いや、まて。こんな風に俺が思い悩む事まで想定にいれて精神攻撃してるってこともないか。



686 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/19(木) 17:33:48.67 ID:4sp8M6Yt0


陽乃「ちょっと比企谷君。そんなに考え込まなくてもいいから。

   さっきみたいに、なんとなくの解答でいいわよ」



俺も、さくっと解答したかったんですけどねぇ。

なんだか深読みしなければいけない状況に追いやられてるんですよ。

ふだんがふだんだけに、それは大変なんですよ。

まあ、馬鹿にされたり、おもちゃにされるのはなれてるから、考え込んでエネルギーを

膨大に消費するよりは、流れに任せて痛めつけられた方が被害が少ないかもな。

だったら、さくっとお馬鹿な解答見せて差し上げます。

八幡「だったら、夏摘みで」

陽乃「ほう・・・、その理由は?」



陽乃さんは、面白い解答を聞けたと目を細めるが、解答が正解しているかは読みとれない。

雪乃にいたっては、無表情なまでの沈黙を保っているから、こちらも無理だ。



八幡「まず、消去法で秋摘みを消します。理由は、紅茶らしい紅茶だからかな」

陽乃「それは、雪乃ちゃんが捻くれてるっていいたいのかな?」

八幡「違いますよ。もちろん紅茶らしい紅茶も好きだとは思いますよ。

   だけど、なにか違う気がするんですよ」

陽乃「何が違うのよ?」

八幡「それを言葉にするのが難しいから困ってるんじゃないですか。

   まあなんですか。今まで雪乃と一緒に暮らしてきて得た勘みたいなものですよ」

陽乃「それは、値段が三つの中では一番安いから?」

八幡「それは絶対ないと思いますよ。雪乃は、値段よりも自分の舌と鼻を信じると

   思いますから」

陽乃「つまらないわね。雪乃ちゃんは、値段どころか、銘柄さえも知らないで

   選びとったわよ」

八幡「へぇ、そうなんですか」



俺は感嘆の声を洩らして雪乃の方を向くと、雪乃は首をすぼめてはにかむ。

なんだか雪乃の彼氏でいられる事を誇らしく思えてきてしまう。

値段も名前も判断材料にせず、自分の感性のみで選びとるか。

なんだか雪乃らしいな。

けっして人の意見や先人たちの知識を否定するわけではないだろうが、

むしろ知識は喜んで吸収しているけど、最終判断は自分ですべきだ。

どんなツールであっても、それが世界最高のツールであっても、

使う人間が使いこなせなければ世界最低のツールになり下がってしまう。

だから、どんな時も自分を持ち続ける雪乃を見て、誇らしくもあり、

羨ましくもあった。

687 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/19(木) 17:35:48.30 ID:4sp8M6Yt0

俺は、この先、雪乃と同等の強さを持つことができるだろうか?

不安を感じずにはいられなかった。


第39章 終劇

第40章に続く

692 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/26(木) 17:29:22.02 ID:XApkFNfO0

第40章




7月11日 水曜日




陽乃「はい、はい。そこ、いちゃつかない。さっ、比企谷君、解答の続き、続き」

八幡「あ、はい。次は、春摘みが違うかなって思います。

   これも勘なんですけど、爽やかな感じっていうのがちょっとちがうかな、と。

   もちろん春っていうと、さややかな感じがすっごくして

   雪乃のイメージにも合うとは思うんですけど、夏摘みと比べると劣るかなと」

陽乃「それはなぜかな?」

八幡「これは、俺の願望かもしれないんですけど、いいですか?」

陽乃「もちろん」

八幡「マスカットフレーバーでしたっけ?」

陽乃「ええ」

八幡「夏摘みだけ、なんか仲間外れみたいじゃないですか」

陽乃「え?」

八幡「だから、秋摘みは、紅茶らしい紅茶だから、一般的な紅茶ですよね」

陽乃「ええ、そうね」

八幡「それから、春摘みは、いくら爽やかな感じとはいっても、

   夏摘みよりは紅茶らしい紅茶なんじゃないかなって、思ってしまって」

陽乃「だから、夏摘みを?」

八幡「ええ、まあ、そうですね」

陽乃「あのね、比企谷君。いくら味や香りに特徴があるといっても

   フレーバーティーじゃないんだから、紅茶の専門家が聞いたら怒りそうだけど、

   紅茶は紅茶なのよ」

八幡「それはわかっていまうすよ。だから、なんとなく思った、勘みたいなものだって

   言ったじゃないですか」

陽乃「まあ、そうね」



陽乃さんが、つまらなそうに呟く。

もしかして、正解を引き当てたか?



陽乃「でも、それだけじゃ、セカンドフラッシュを選んだ理由にはならないんじゃない?」

八幡「そうですね。これだと一番紅茶らしい紅茶から遠いのを選んだだけですからね。

   そうですねぇ・・・・・・」



俺は、一度雪乃の顔を見やる。

急に雪乃の方を向いたものだから、雪乃は驚き目を丸くした。


693 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/26(木) 17:29:55.27 ID:XApkFNfO0

すると、すぐに反撃とばかりに、驚かすなと睨みつけてくれではないか。

こればっかりは俺のせいだし、ごめんと目で合図して、再び陽乃さんの方へと向き直った。



八幡「孤高・・・ですかね。孤高ともいえる独特の香り。

   ダージリンに限定されなければ、

   本当に何が好きかだなんてわかりそうもないですけど、

   雪乃なら、自分はこれが好きっていう香りをもってそうかなと。

   最高級品といっても、マスカットフレーバーが苦手な人も

   いるかもしれないですけどね。

   まあ、だから、右になおれじゃないですけど、

   誰もが飲み慣れた紅茶らしい紅茶よりは、独特な香りを有するセカンドフラッシュを

   選んだんですよ。そうですね。こう考えると、捻くれているっている意見も

   あながち間違いではないかもしれないですけど」



俺は、自分で建てた推理に、おもわず心地よい苦笑いをする。

陽乃さんから正解をまだ聞いたわけではないが、なんだか俺の心には満足感が

満たされていっているようだった。

捻くれている?

上等じゃないか。似た者同士が惹かれあって何が悪い。

普段は、俺も雪乃も、お互い似てなんかいないって言いはってはいるけれど、

やっぱり俺達って似た者同士なのかもしれない。

そう思うと、なんだか嬉しくなってしまった。



陽乃「ちょっと二人とも、二人してニヤニヤ笑っているなんて、気持ち悪いわよ。

   もういいわ。正解よ、正解」



俺と雪乃は顔を見合わせて、初めてお互いがニヤついている事に気がつく。

どうやら雪乃も俺と同じ意見らしい。

悪くはない。いや、むしろ嬉しくもあるのだけれど、

雪乃が捻くれてしまったのは俺のせいか。

でも、セカンドフラッシュが好きになったのは、おそらく俺と付き合う前からだろうし、

雪乃が仮に捻くれているとしても、それは元からというわけで。



雪乃「答えにたどり着く過程がめちゃくちゃなのだけれど、

   それでも正解にたどり着くなんて、ある意味才能ね」

八幡「そりゃどうも」

雪乃「いいえ。まったく誉めてはいないわ」



雪乃は、そっけなく言った割には、嬉しそうにほほ笑む。


694 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/26(木) 17:30:42.93 ID:XApkFNfO0
確かに誉められた解答過程ではないかもな。

捻くれている俺だからこそ辿った過程であり、捻くれているらしい雪乃だからこそ

俺がたどり着けたのだから、けっして世間から見れば好ましい関係ではないのかもしれない。

でもさ、一組くらい俺たちみたいな関係の彼氏彼女がいたとしてもべつにいいだろ?



八幡「悪かったな」

雪乃「でも、いいわ。それでこそ八幡なのだから」

八幡「それも誉めてないだろ?」

雪乃「わかったの?」

八幡「当然だろ」

陽乃「はい、はい。そこの二人。勝手にいちゃつかない。

   でも、やっぱり雪乃ちゃんは今も昔も最高の物を見つけ出すことができるのね。

   それに、比企谷君は本物を見つけ出すことができるみたいだし」

八幡「そうですか? でも、本物も素晴らしいとは思うけど、

   でもやっぱり、たとえ偽物であっても、俺にとってそれに価値があるのならば、

   世間では偽物だと評価されようと、本物以上の価値があると思いますよ」

陽乃「そうなの?」

八幡「だから、さっきから何度も言ってるじゃないですか。

   本物だけに価値があるなんて、それこそ偏見ですよ」

陽乃「・・・・・・そっか。コーヒーのお代わり淹れてくるわね」



陽乃さんは、そう小さく呟くと、パタパタと床を響かせながらリビングを後にする。

その後ろ姿がなんだか可愛らしく思えて、

その可愛らしさは本物ですよって、念を送ってしまった。



雪乃「鼻の下が伸びているわよ」



振り返ると、不機嫌そうに睨む雪乃が俺を出迎える。

なんだか二人して喜怒哀楽が激しすぎないか。

俺は小さくため息をつくが、この微笑ましい仮初めの幸せに身を任せずにはいられなかった。








なかなか俺達を離してくれない陽乃さんを、後ろ髪ひかれる思いのまま

マンションまで戻ってきたのは午後11時近くになっていた。

お風呂も雪ノ下邸で入ってきたので、あとは寝るだけなので問題はない。

勉強にしたって、雪ノ下邸でいつもと同じようにやり遂げてもいた。

雪乃に関しては、同じ学科の先輩たる陽乃さんもいるわけで、

雪乃は必要ないと言いながらも、陽乃さんがさりげなくサポートしていたので

自宅マンションで一人で勉強するよりもはかどっていた気もする。
695 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/26(木) 17:31:17.77 ID:XApkFNfO0


まあ、雪乃本人はけっして認めはしないだろうが。

それでも、陽乃さんも嬉しそうにかまっているので、どうにか姉妹間バランスは

うまい具合にバランスがとれているのだろう。

しかし、それも一定の距離感を保てる勉強に限るかもしれない。

お風呂に関しては、どうもうまくいかなかったらしい。

俺は、自宅マンション以上に広くて、どでかい檜の湯船を堪能できたことで

すこぶる満足できるバスタイムではあった。

純日本風の檜の香りに包まれる風呂。

俺も、噂レベルでは聞いた事はある。

高級旅館や、今はやりの各部屋に作られている室内備え付け温泉なんかでは、

もしかしたら、めぐりあうことができるかもしれないと思ってはいた。

けれど、個人宅で、しかも、ここまで豪華な檜の風呂に入れるとは、夢にも思わなかった。

豪華でありながらも、厭味を感じさせないわびさびを反映させた日本の風呂文化。

俺がどうこういうのもあれだし、風呂にわびさびなんか求めてなんか

いないのかもしれないけど。

ただ、俺がこうまではしゃいでしまうほどの風呂に入れたってことだけは確かだった。

そして、この雪ノ下邸の風呂場は、湯船だけでなく、洗い場もすこぶる広かった。

大人二人が一緒に入ったとしても、十分すぎるほどのスペースが確保されている。

だから、雪乃と陽乃さんが一緒に入ったとしても、風呂における人間の占有領域

からしてみれば、十分すぎるほどの空き領域を確保できていた。

そんな最高級のお風呂であっても、入浴直後の雪乃の感想を聞くと、

次に俺がこのお風呂に入れるのは、当分先かもしれないと思ってしまった。



雪乃「もう絶対に姉さんとはお風呂に入らないわ」

八幡「そういいながらも、けっこう長い時間入ってたじゃないか?」

雪乃「姉さんが離してくれなかったのよ。姉さんとお風呂に入るのなんて久しぶりだから

   油断していたわ。姉さんも年を積み重ねて大人になったのだから、少しは落ち着きを

   もった人間になったと考えたのが甘かったみたいね」

八幡「そうか? なんだか肌がつやつやしてて、満足そうにみえるんだけどな」

雪乃「それは・・・、それは、姉さんがあれもこれもと、マッサージやオイルなど

   色々としてきたせいよ」

八幡「だったらよかったじゃないか?」

雪乃「それが、肌や髪の潤いを与えるだけならば、私も考えなくはないわ。

   けれどね八幡」

八幡「なんだよ」



俺に問いただすように詰め寄る雪乃の顔には、

はっきりと修羅場を潜り抜けた人間にしか持ちえない決意が秘められていた。



696 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/26(木) 17:31:47.25 ID:XApkFNfO0


雪乃「お風呂は、一日の汚れを流し、リラックスする為の場だと考えているわ」

八幡「それは、俺も同意見だよ」

雪乃「そうね、一般的に言ってもほとんどが同意見でしょうね。

   けれど、姉さんはその一般的回答に含まれていないのよ」



ある程度は予想はしていたが、雪乃にこうまで堅い決意を抱かせるほどとは。

たしかに雪乃の肌のつやや、髪の艶は素晴らしいほどに整っている。

しかしだ、その肌と髪の持主たる雪乃は、明らかに疲れ果てていた。

雪乃が言う風呂でのリラックスは、どう見ても出来ていないといえる。



八幡「へ・・・えぇ」

雪乃「八幡は、姉さんの過剰すぎるもてなしを経験していないから

   そんなふうに他人事として言えるのよ」

八幡「いや、俺も、雪乃ご苦労さんって気持ちをもっているぞ」

雪乃「そうかしら? 八幡も一度経験してみればわかると思うわ」

八幡「それは、さすがに駄目だろ」

陽乃「あら? そうかしら。私はいつでもウェルカムなんだけどな。

   それに、雪乃ちゃんのお許しもでたわけなんだから、何も問題ないでしょ」



俺達が振り返ると、ちょうどキッチンからペリエの瓶を三本持ってきた陽乃さんが

そこにはいた。

そして、俺達に瓶を手渡すと、俺達の向かいのソファーへと身を沈めていく。

これは雪乃には言えないのだけれど、妖艶さに磨きをかけた大人に成長した陽乃さんの

湯上りの姿は、直視できないほど色っぽく、艶やかさを振りまいていた。

陽乃さんも久しぶりの雪乃とのバスタイムともあって、

大人の慎み深さは霧散してしまったのだろう。

俺も、雪乃の背中を両手で押して風呂場に消えていく陽乃さんを目撃していたので、

ある程度は陽乃さんのはしゃぎようは予見はしていた。

ただ、今目の前にいる頬が上気した湯上りの陽乃さんは、

想像以上の大人の色気を備え持っていた。



八幡「問題ありまくりですって」

雪乃「私は許可した覚えはないのだけれど」

陽乃「だって雪乃ちゃんが、八幡も一度経験してみればわかると思うわって言ったじゃない。

   だったら、比企谷君には、是非とも経験してみるべきよ。今後の為にも」

八幡「なんのためにですか。俺を捕まえてどうしようっていうんですか」

陽乃「そんなの決まっているじゃない。

   それとも、私の口から生々しい詳細を聞きたいのかしら?」



697 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/26(木) 17:32:19.22 ID:XApkFNfO0


陽乃さんの入浴後効果120%増しの色っぽさは、もはや回避不可能レベルに達していた。

一度捕まってしまえば、どこまで引きづり込まれるかわかったものじゃないっていうのに、

今日の陽乃さんはなんだかリミッターが外れた強さを持っていた。

常に常識外れの強引さはあるけど、いつもは今一歩踏み込んでこない弱さがある。

しかし、今日はその弱さがややかすんでいる。

今話題になっているお風呂の話だけではなく、俺は、今朝陽乃さんを迎えに行った時から

なにか違和感を感じていた。



雪乃「姉さん、そこまでにしておきなさい。

   これ以上の事となると、私も本気にならざるを得ないわ」

陽乃「あら、雪乃ちゃんはいつも本気じゃない?

   もしかして、いつも余裕があったのかしら?」



雪乃は、ほんのわずかの時間目を丸くしたが、それを打ち消すように毅然と姿勢を正す。

その行為が、その気持ちの切り替えが、雪乃の敗北を強く示していた。

いつだって雪乃は本気だ。どんな時であっても、試合開始直後だろうと雪乃は

実力を100%近く発揮している。

これはある意味気持ちの切り替えが早いから、わずかな時間でさえも集中して勉強できる点で

非常に優れているといえる。

俺なんかからすれば、勉強に集中する為には多少の時間がかかるわけで、

10分くらいの空き時間さえも全力で勉強できる雪乃をいつも羨ましくも思い、

コツを教えて欲しいといったものだ。

一応コツを聞き、かえってきた言葉は、特に意識してやってるわけではないとの事だが。

そう、だからこそ雪乃には、余裕がない。

常に全力だからこそ、実力の天井を晒してしまうし、力の余裕なんてあるわけがない。

これが格下相手ならば問題ないのだろう。

けれど、相手が陽乃さんであったり、雪乃の母親なんかの化け物級の相手となると

状況が一変してしまう。



陽乃「それとも、雪乃ちゃんは、自分が言った言葉に責任を持てないのかしらね」

雪乃「家族の会話で、冗談を言ってはいけないのかしら。

   たしかに私は八幡に一度経験してみればいいとは言ったわ。

   でもそれは、経験する事はないだろうけど、もし経験したら逃げ出したくなるような

   経験だっていう意味で言ったまでよ」



たしかに、常識的な話の流れからすれば雪乃の言い分が正解なのだろう。

・・・でも、相手は陽乃さんであった。



陽乃「そう?」

698 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/26(木) 17:32:54.48 ID:XApkFNfO0

雪乃「そうよ」



目を細めて雪乃を見つめる陽乃さんの眼光が、雪乃の体を縮みあがらせてしまう。

もはや勝負はついているのだろう。ついているんだろうけど、雪乃はきっと逃げないはずだ。



陽乃「だったら、同じ事を母にも言えるかしら?」

雪乃「それは・・・」

陽乃「もし、大学での成績が下がってしまって、比企谷君との交際を認めてもらえなく

   なった場合、その時、交際は男女間の意思のみで成立するから、母の指示には

   従わないって言えるかしら?」

雪乃「成績は今のレベルを維持するわ」

陽乃「それは覚悟であって、未来での確定事項ではないわ。

   でも言ったわよね? 二人が母に交際を認めさせる条件として。

   それさえも、家族間の冗談としてすますのかしら」



強引な論理の入れ替えだ。

あの時の俺達の宣誓と、さっき雪乃がいった言葉の背景には大きな隔たりがある。

強引すぎる。それは雪乃だってわかっている。

わかっているけど、それを指摘する気力が雪乃からは消えかかっていた。

まあ、あの女帝相手に冗談なんて言えやしない。

きっと言えるのは、親父さんくらいだろうな。

俺は、想像もできない女帝と親父さんのやり取りを無理やり想像して

苦笑いを浮かべてしまう。

雪乃も陽乃さんも一歩も引く事をせず、時間だけが過ぎ去っていく。

このあと女帝が帰ってくるまで冷戦状態が続いたのだが、

このとき初めて雪乃の母親に会えた事に喜びを感じてしまった。

あの俺の事を人として見ない蔑む目を見て、

ほっとしてしまう日が来るとは夢にも思わなかった。

それほどまで重苦しい雰囲気だったと言えるのだが、それはいつもの姉妹の会話と

言ってしまう事も出来た。

しかし、なにかが違う。ほんの少しだけれど、今日何度目かの違和感を覚えた。

とはいっても、女帝が帰ってくると、雪乃も陽乃さんもいつもの調子に

戻っていたので、俺の考え過ぎだったのかもしれないと、この時は思っていた。














699 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/26(木) 17:33:26.21 ID:XApkFNfO0


7月12日 木曜日






コーヒーの香りが俺の鼻をくすぐる。

雪乃のマンションで朝起きると、コーヒーの香りが俺を出迎えてくれるようになったのは、

いつからだっただろうか?

そもそも雪乃がコーヒーを豆から用意してくれるだなんて想像した事もなかった。

奉仕部では、いつも紅茶を淹れてくれていたので、どうしても雪乃というと

紅茶と結び付けてしまう。

それでも俺の為にコーヒーを準備してくれているのは、俺がマックスコーヒーを

好んで飲んでいるせいなのだろう。

だったら練乳も用意してくれればいいのに、ミルクだけって、

おそらくコーヒーに関しては、雪乃は陽乃さんの影響を受けているのだろうと結論付けた。



雪乃「どうしたの? 朝から渋い顔をして」

八幡「いや、なんでもない」

雪乃「なんでもないという顔ではないと思うのだけれど」



俺の適当すぎる返答に、雪乃は訝しげに首を傾げて、俺の顔を覗き込んでくる。

朝から人の心の奥底まで見通してしまうような目で見つめられると、

ちょっと腰を引いてしまいしそうになってしまう。

以前同じような状況で実際に腰を引いてしまったら、雪乃が悲しそうな顔をしたのを

脳裏によぎってしまった。

俺からすれば、適当に相槌を打ってしまった後ろめたさからくる逃げ腰だったのだが、

雪乃からすれば隠し事をされたと感じてしまったようだった。

今まで俺が一人で厄介事を抱え込んでしまう前科が山ほどあるわけで、

いくら恋人になり、同棲までしたとしても、

雪乃は、その前科を忘れることができないのだろう。

以上から、俺が今すべきことは、雪乃が納得すべき回答を胸を張って答える事だった。



八幡「いや、な。このコーヒーって、いつもと同じだよな?」

雪乃「ええ、そうよ。八幡が毎朝飲む為に買ってきた百グラム三百円のブレンドコーヒーよ。

   しかも、賞味期限一カ月前から3割引きになるお買い得品。

   普段から目が腐っているのだから、少しくらいエコに目覚めて、

   廃棄ロスを減らすべく、環境に優しい行いをと、選んでいるわ」

八幡「俺の目が腐っているのと、スーパーの廃棄ロスとの間には、

   少しも因果関係ないだろ」

雪乃「そうかしら? てっきり八幡は腐りかけのものが好きなのだと思っていたわ」


700 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/02/26(木) 17:33:53.60 ID:XApkFNfO0

八幡「そもそもスーパーのお買い得品は、腐ってないだろ。

   もし腐っていたら、それこそ大問題になってしまう」

雪乃「そうね。八幡の存在自体が大問題だったわね」

八幡「俺の存在自体を否定するなよ。俺の目がたとえ腐っていようと、

   俺自身が腐っているわけではない」

雪乃「訂正するわ」

八幡「ありがとよ」

雪乃「性格が腐っているから、その腐った心が外に漏れ出てしまったために、

   目が腐ってしまったのね。

   頑丈な体で産んでくださったお母様に申し訳ないわ」

八幡「俺の体は、腐敗を抑え込む為の器かよ」

雪乃「器としては不十分ね。げんに漏れ出ているじゃない」

八幡「俺の体が欠陥品だっていいたいのか。

   ・・・もういいよ」



早朝からのこのハイテンションはさすがにきつい。

俺は、降参の合図として両手をあげてから、コーヒーカップを手に取り、喉に流し込んだ。

それを見た雪乃は、満足そうにほほ笑むと、自分の為に用意したブラックコーヒーを

一口口に含んだ。



八幡「昨日は、コナコーヒーって言ってただろ?」



百グラム三百円が高いかどうかは判断しかねるが、インスタントコーヒーと比べるならば、

高いと言えるのだろうか。

いや、まてよ。この前、陽乃さんとコーヒー豆を買っていた時は、

百グラム1400円くらいだったはず。

一番高いのが1800円くらいで、コナコーヒーが2番目に高い豆だって印象が残っていた。

そうなると、300円は安いのか?

頭の中で試算しようとしたが、幾分コーヒーの知識が足りな過ぎる。

インスタントコーヒーやマックスコーヒーについてなら、わかるんだけどな。

なんて、頭の中で考え事をしてしまって、ちょっと難しい顔をしていると、

雪乃が心細そうな顔色をみせてくる。

だったら初めから毒舌吐くなよと言ってやりたいものだが、

これが俺たちなのだから、しょうがないか。








第40章 終劇

第41章に続く

710 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:29:51.36 ID:MZPnThgr0

第41話





7月12日 木曜日





雪乃「そうだったかしら?」



雪乃は俺の顔色を伺いながら、精一杯の虚勢を張ってとぼける。

その、頑張っていますっていう顔つきが可愛らしくて、思わず笑みがこぼれてしまう。

すると雪乃が俺の反応に気がついて、頬を膨らませるのだが、

雪乃が安心していくのを如実に感じ取ることができた。



八幡「とぼけるなよ。昨日、その口が言ってただろ」」

雪乃「その口と言われても、どの口かわからないわ」



すっかり調子を取り戻した雪乃は、俺をからかうような瞳を投げかけてくるものだから、

俺としては条件反射でしっかりと大事に受け取ってしまう。

もう一生消えない癖になってしまったな、・・・なんて教えてあげないけど。



八幡「あくまでとぼけるつもりなんだな。・・・わかったよ。

   だったら、雪乃が理解できるようにいってやる。

   雪乃の可愛い口が言ったんだ。

   いつもは罵詈雑言ばかり乱れ撃ちするその唇が、

   しっかりとはっきりと言葉を形作ったんだよ。

   陽乃さんとコーヒーの話を聞いたときは、拗ねちゃって口をとがらせていたくせに、

   家に帰って来てからは、俺の唇を求めてしおらしく泣いてたっけな。

   その俺が大好きな雪乃の口が、コナコーヒーって断言したんだ」

雪乃「・・・そうね」



雪乃はきょとんとした目で俺を見つめて小さく呟いた。

そして、俺の目とかち会うと、恥ずかしそうに頬を赤く染めながら視線を斜め下にそらす。

視線をそらした後も、挙動不審さ全開で、瞳を揺れ動かしながら俺の挙動を観察していた。

ある意味自爆覚悟の攻撃だったが、ここまで効力があるとは恐れ入る。

ナイス俺! 毎日負けてばかりではないのだよ。

連敗記録を更新するだけが取り柄じゃないところをたまには見せつけられたことに、

俺はちょっとばかし天狗になってしまう。



八幡「雪乃?」


711 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:30:53.64 ID:MZPnThgr0

俺の呼びかけに、雪乃は腰をよじって、緩く握った拳で口元を隠すことしかしない。

なんだか、俺の攻撃が威力がありすぎて、

・・・こう言っちゃなんだけど、雪乃、可愛すぎないか?

さっきまで勝ち誇っていた勢いはどこにやら、すでに敗戦ムード一色に塗り替わっていた。

もうさ、俺の負けでいいです。だから、これ以上の拷問はやめてください。



八幡「雪乃さん?」



俺の再度の呼びかけに、小さく肩を震わせると、雪乃は喉に詰まっていた言葉を

猛烈な勢いで吐き出してきた。



雪乃「そうだったわね。私がコナコーヒーだと言ったわ。

   私は紅茶なら詳しいのだけれど、コーヒーについては疎いのよね。

   確かに姉さんが好きなコーヒーの銘柄で、コーヒー好きの姉さん一押しの銘柄なら

   八幡も喜ぶと思って選んだのだったわ。

   でも、八幡も毎日飲んでいるのだから、自分が飲んでいるコーヒーの銘柄くらい

   覚えて欲しいわ。だって、私が淹れているコーヒーなのよ。

   だったら、私が教える前に自分から聞いてくるべきだったのよ。

   それと、たしかにコーヒーも悪くないわね。

   八幡に合わせて朝食のときに、私も飲むようになったのだけれど、

   目覚めの一杯としては効果がある飲み物である事は認めるわ。

   やはりカフェインの効果なのかしら? でも、紅茶の香りもいいけれど、

   コーヒーも最近いいかなって思うようになったのよ。

   ふふっ。一緒に暮らしていると、似てきてしまうのね。

   だけど、アフタヌーンティーともいうわけで、

   ゆっくりと落ち着きて会話をしながら飲むのならば、やはり紅茶をお勧めするわ。

   コーヒーは香りが強すぎて頭をすっきりさせるのには最適なのだけれど、

   リラックス効果は紅茶の方が上ね。

   これは私の偏った評価だけが示している効能ではないと思うわ。

   朝の目覚めのコーヒーというのように、同じような効果として、

   眠気覚ましのコーヒーというじゃない。

   つまり、眠気が飛ぶような強い効能があると言えると思うわ。

   だから、リラックスしたい場面で、そのようなインパクトがあるコーヒーは

   あわないと思うのよ。そうね、あわないというのは狭量すぎるわね。

   あわなくはないと思うのだけれど、私としては紅茶が好きだから、

   紅茶を飲みながら八幡と会話をしたいわ。

   あと、鳥と同等の脳みそしか有さない八幡に、

   こうまで強気に断言される日が来るなんて、今日は雪が降るわね。

   夏なのに雪だなんて、今日の異常気象は八幡のせいね。

   だから、八幡は、日本国民に対して謝罪する義務があると思うわ」
712 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:31:22.63 ID:MZPnThgr0


と、どこまで理解できたかわからないが、最後の方は肩で息をしながら雪乃はそう言った。



八幡「・・・えぇっと、雪乃は自分の彼氏の事を何だと思ってるんだよ?」

雪乃「ペットの鳥かしら?」

八幡「だったら、籠の中にでも入れておく気かよ」

雪乃「・・・・・・・それがもし可能ならば、実現させたいものね」



どうにも本気とも冗談ともとれる怖い発言を目を光らせて朝からのたまうものだから、

明らかに雪乃の様子がおかしいと、脳みそ鳥並みの俺であっても判断できた。

もちろん雪乃のいつ息継ぎしたか質問したくなるご演説もおかしいけれど、

これは雪乃なりの照れ隠しだ。だから、問題はない。

一方、雪乃が俺を鳥のように閉じ込めておきたいと言った時の表情は、

照れ隠しには当てはまらない。

むしろもっと内に秘めた葛藤なのだろうか。

彼氏彼女だからこそ言えない一言が含まれている気がした。

これでも雪乃の彼氏であり、今までも、そしてこれからもずっとやっていきたいと

思っているわけで、雪乃が抱えている悩みを一刻も早く解決したい。

悩みなんて人それぞれ抱えているものだし、ましてや自分の悩みでさえ簡単には

解決できるものではない。

ならば、自分の彼女だって、簡単に解決できるものではないのだろう。

そもそも偉そうに人の悩みを解決してやるだなんて言う方がおこがましい。

でも、今回の、俺の彼女たる雪ノ下雪乃の悩み限定ならば、完全に解決できるとまでは

言えないまでも、それなりに悩みを軽減させる自信が俺にはあった。

なにせ、その悩みの原因は、おそらく俺自身なのだから。



八幡「雪乃も喋りすぎて喉が渇いただろ。ちょっと喉を潤わせる為に休戦にしないか」

雪乃「そうね。私も喉が渇いてしまったわ」



そりゃそうだろ。あれだけ喋ったのだから。

雪乃は、俺の勧めに従って、コーヒーカップを取ろうする。



八幡「雪乃のお勧めでもあるし、紅茶を淹れてくれないか?

   雪乃とゆっくりとリラックスしながら朝食をとりたいんだ。

   そうだな、明日からはコーヒーじゃなくて、紅茶にしないか?」



雪乃は、俺の真意を探ろうと見つめ返してくる。

どこか訝しげで、触ってしまったら泣きだしてしまいそうな瞳に吸い寄せられてしまう。

だから、俺は雪乃からの視線に逃げることなく、視線を受け止める。

さすがに演技かかった発言だったと思う。

713 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:31:49.62 ID:MZPnThgr0


しかも三文芝居だったしな。けれど、俺の真意だけは雪乃に伝えたい。

伝えなければならない。

やはり陽乃さんが淹れてくれるコーヒーと比べてしまうと、

同じコナコーヒーの豆を使っていても、違いがわかってしまう。

俺の味覚がすごいわけではない。

そもそも陽乃さんはハンドドリップであり、雪乃はコーヒーメーカーを使っているのだから

味の違いが出て当然だ。

もちろん俺は缶コーヒーも飲むし、喫茶店のコーヒーや、チェーン店のコーヒーも飲むし、

最近はコンビニのコーヒーだって飲む。

さすがにインスタントコーヒーは、練乳たっぷりのマックスコーヒーもどきを愛飲しているが、

だからといって、陽乃さんが淹れてくれるコーヒーが絶対であり、

他のコーヒーを認めないと考えているわけではない。

ただ、朝の目覚めで飲むコーヒーとしては、一緒に暮らす雪乃に対して失礼だと

俺が思ってしまう。

彼氏であって、同棲している彼氏でもある恋人が、雪乃の実の姉であろうと

朝一番で違う女性の事を考えてしまうのは、けっしてよろしいとはいえない。

むしろ裏切り行為だとさえいえるだろう。

そもそも朝一番にコーヒーを飲む習慣を作ってしまったのも、

雪乃の勘違いから始まったものだ。

普段から俺がマックスコーヒーばかり飲んでいるわけで、

そのせいで俺がコーヒー好きだと雪乃が思ったらしい。

もちろん間違いではない。厳密にいえば、マックスコーヒー限定なのだが、

その辺の違いを熱く語ったとしても、俺が論破されてしまうだけだろう。

まあ、いってみれば、俺が好きなマックスコーヒー関連について雪乃に論破されるのが

嫌だったという、器が小さすぎる俺に今回の騒動の小さな原因があったのかもしれない。

若干こじつけ臭いが、嘘は言ってないとはずだ。

俺からしたら、コーヒーではなく、朝は、雪乃が淹れてくれた紅茶でよかった。

むしろ最初から雪乃の紅茶がいいと選択したほうがよかったとも今なら思えるが、

いろんなところでコーヒーを飲むと言っても、

そのほとんどがインスタントコーヒーか缶コーヒーくらいしか飲まない俺からすれば、

雪乃が用意してくれたコーヒーメーカーで淹れてくれたコナコーヒーならば、

目が覚めくらいうまいコーヒーであった。

だからこそ、俺は雪乃が用意してくれた最初の一杯のコーヒーを皮きりに、

その翌日も雪乃が用意してくれるコーヒーを飲む習慣を作ってしまった。

だけど、その習慣も今日で終わりだ。

やはり俺の偽らざる裸の真意を伝える為には、オブラードにくるまずに

ストレートに言おう。

きっと雪乃も、それを望んでいるはずだ。



714 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:32:20.58 ID:MZPnThgr0


八幡「どうしても陽乃さんのコーヒーと比べてしまうからな。

   でもさ、朝一番に感じたいのは雪乃だから。

   それが一杯のコーヒーであろうと、それは雪乃に対して不誠実だと思うんだよ。

   だから、これからは、雪乃が淹れてくれるダージリンのセカンドフラッシュを

   毎朝飲みたい、と思っている」

雪乃「ええ、わかったわ。・・・・・・ありがとう、八幡」



蕾がゆっくり開くように微笑みかける雪乃に、俺は見惚れてしまう。

儚く、美しい花びらが、一枚、また一枚と、しっかりと自己主張していく。

他人から見たら、温室育ちのか弱い花だっていうのかもしれない。

花は他人を寄せ付けず、花の管理者さえも厳重に他者を寄せ付けないように

薄いビニールハウスを張り巡らせている。

でも、俺はわかっている。

しっかりと根を張って、外に出ようとしているその花は、気高く、強いって。

けれど、今降り注ぐ夏の陽差しは強すぎる。

陽は、花にとってなくてはならない存在だ。

しかし、強すぎる陽差しは毒にこそあれ、しまいには花を枯らせてしまう。

ならば、管理者たる俺が、うまい具合に調整しなければならない。



雪乃「紅茶、淹れてくるわね」

八幡「頼むよ」



もう一度小さく微笑んだ雪乃は、くるりと華麗にターンを決めると、

キッチンへと一歩踏み出そうとした。



雪乃「・・・そうね」



雪乃は何か思い出したらしく、一つ確認するように呟くと

再びターンをきめると、俺の方へと歩み寄ってくる。

椅子に座る俺の目線に合わせるようにかがみこんでくると、

すっと俺の瞳の奥まで侵入してくる。

朝日を背にする雪乃の表情はよく読みとれなかった。

気がついたときには、雪乃はキッチンへと消えていた。

雪乃が残していった香りをかき集めて余韻に浸っていると、

いつもの朝がこれで終わった事を実感した。

これからは、今までとは違う朝を毎日過ごす事になるんだと思う。

テーブルの上には、飲みかけのコーヒーカップは存在していなかった。





715 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:32:50.48 ID:MZPnThgr0






今日も今日とて大学の講義はある。

今朝の出来事のおかげか、雪乃はすこぶる上機嫌で俺の隣を闊歩している

昨日の雪乃と陽乃さんの衝突を心配してはいたが、陽乃さんにいたっては、

昨日の事など微塵も感じさせない様子であり、俺の方がかえって戸惑ったほどだ。

一方雪乃はというと、陽乃さんを迎えにいって、陽乃さんが車に乗り込んだ直後までは

緊張してはいたみたいだが、陽乃さんがいつも通りの雰囲気である事を確認すると、

雪乃からはとくに昨日の事を蒸し返そうなどしなかった。

もちろん雪乃は、表面上はいたって普通であることを演じてはいたが、

俺や陽乃さんは雪乃のぎこちなさに気がついたし、

陽乃さんもそのことに触れようとはしなかった。

そして現在、俺を挟んで雪乃と陽乃さんは、いつもの激しい会話を繰り広げているが、

俺はそんな微笑ましくもあり、精神を削り取られる会話を楽しむ気にはなれないでいた。

なにせ今日はいつもの登校時間より30分も早くして、

橘教授に会いに行かねばならないのだから。

さすがにいつもの登校時間ではないともあって、雪ノ下姉妹の登校風景に見慣れていない

人たちがほとんどであり、振り返る奴があとを絶たない。

本来の俺ならば、興味半分にその数を数えたりしたりもするが、

今日はそんな気にさえなれなかった。

一応昨日の弥生の話からすれば、俺の解答が橘教授に悪印象を与えてはいないらしい。

悪印象は与えていなくても、好印象を与えているとは限らないところが面倒だ。

つまり、個人的には面白い好意かもしれないが、講義の小テストとしてはNGであり、

レポートの提出を義務付けるなんてこともありうるわけで。

そんなマイナスイメージばかりを昨日から幾度ともなく考えていれば憂鬱にもなってしまう。



陽乃「雪乃ちゃんも比企谷君も、今朝は心ここにあらずって感じで、つまんな~い」



陽乃さんは、つまんな~いと言いながら、腕をからませてくるのはやめてください。

いくら平凡な朝の光景だとしても、そこに核兵器を実装しては不毛の地になるだけですって。

現に隣の国の雪乃さんのレーダーは、緊急事態を察知して、俺に絡める腕の力を

限界まであげていますよ。

だから俺は、肩にかかった鞄をかけ直すふりをして、

さりげなく陽乃さんの誘惑を退けるしかなかった。



陽乃「ねえ雪乃ちゃん」

雪乃「なにかしら?」

水面下で高度すぎる外交取引があったというのに、二人の顔は崩れる事もなく会話を進める。

陽乃「今度私の誕生日会を開いてくれるらしいわね」

716 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:33:24.74 ID:MZPnThgr0


雪乃「ええ、由比ヶ浜さんが企画したのよ」

陽乃「それだったら、雪乃ちゃんが具体的な準備をまかせられたってところかしら?」

雪乃「その認識で間違っていないと思うわ」



異議あり。たしかに雪乃が具体案を作り上げるだろうが、

こまごまとした準備は俺の方に回ってこないか?

と、不満をぶちまけそうになるが、結局は、料理なんかの重労働は雪乃がやるわけで、

一番大変なのは雪乃なんだよな。

料理だけは由比ヶ浜に手伝ってもらうわけにはいかない。

むしろ由比ヶ浜を料理から遠ざけねばなるまい。

いくら最近少しは上達してきたといっても、まだまだ戦力には数えられないだろう。

となると、俺がヘルプに入るわけか。それはそれで楽しいからいいんだけどさ。



陽乃「だったら、リクエストしたいことがあるんだけど、いいかな?」

雪乃「もちろん構わないわ。姉さんが主役のパーティーなのだから、

   その主役の要望にはできるだけ応じるつもりよ」

陽乃「だった・・・」

雪乃「でも、出来る事と、出来ない事があるから、その辺の事は察してほしいわ」



さすが雪ノ下雪乃さんっす。

陽乃さんが無理難題を突き付ける前にシャットダウンするとは。

長年陽乃さんの妹をやっているわけではないっすね。

俺だったら、ずるずると陽乃さんの雰囲気にのまれて、

無理難題を意思不問で押しつけられていた所だ。

しかし、陽乃さんも雪乃が生まれた時から雪乃の姉をやっているわけで、

一呼吸つくと、再度の攻勢に取り掛かった。



陽乃「もちろん出来ない事ではないから安心してほしいわ。

   雪乃ちゃんに頼む事ではないしね。

   私がリクエストしたい事・・・・・・」

雪乃「却下よ」



雪乃の冷たく重い言葉が、陽乃さんの声を遮る。

雪乃が陽乃さんを見つめる瞳は黒く輝いていて、

何人たりとも国境からの侵入をゆるさない決意を漂わせていた。

一方陽乃さんも、一瞬のすきを伺うその集中力は、まさに狩人といったところだろう。

こえぇ~。陽乃さんは、まだ何もリクエストしてないだろ。

それでも雪乃には、陽乃さんが何をリクエストしたいかわかっているのかよ。



717 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:33:52.80 ID:MZPnThgr0

陽乃「えっと、ねぇ・・・」

雪乃「却下」

陽乃「だか・・」

雪乃「不許可」

陽乃「そのね」

雪乃「不採用」

陽乃「ちょっと聞いてよ」

雪乃「不受理」

陽乃「むぅ~」



雪乃は、あくまで陽乃さんに言わせない気かよ。

そこまでして聞き入れたくない内容なのだろうか。

だとすると、陽乃さんだってこのまま引き下がるわけがないと思うのだが・・・。

と、陽乃さんの出方を伺っていると、陽乃さんはさっそく俺の腕にしがみつき、

俺の耳に口をあて、俺だけに聞こえる声でリクエストを伝えてきた。

急すぎる不意打ちに、俺も雪乃も対応できないでいる。

今までは、雪乃に対してのアプローチだったので、俺に来るとは思いもしないでいた。

ただ、たしかに雪乃が聞き入れたくない要望だと納得せざるを得なかった。

なにせ・・・。



陽乃「一日、比企谷君をレンタルしたいな」



だったのだから。



雪乃「姉さん。いくら八幡に直接言ったとしても、私が許可しないわ」

陽乃「えぇ~。これは比企谷君が決めることでしょ?」



雪乃には、陽乃さんの囁きは聞こえなかったはずなのに、

それでも許可申請をしないところをみると、

やはり雪乃には陽乃さんのリクエストが詳細にわかっていたってことか。

ただ、このまま陽乃さんが引き下がるとは思えないし、

ましてや雪乃は徹底抗戦しかしないはずだった。

だとすれば俺が調停役にならなければ、この騒動は終息しない。

はぁ・・・。なんで朝っぱらからため息ついてるんだろ。

おい、俺の事を見て羨ましがってるそこのやつ。

俺の苦労も知らないで、俺の事を睨むなよ。

と、通りすがりの美女二人を眺めている男に八つ当たりをしてしまう。

けっしてこの苦労を譲ろうとは思わないし、手放しはしないけれど、

一方的決めつけだけはやめてくれ。いや、お願いします。


718 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:34:18.30 ID:MZPnThgr0

じゃないと、心が折れそうです。

俺が周囲を観察中も、あいかわらず雪乃達の外交交渉は続いていた。

さてと、このままでは核戦争まっしぐらだし、俺が交渉の場につくとしますか。



八幡「いくら陽乃さんであっても、俺をレンタルする事は出来ませんよ」

陽乃「えぇ~。いくら雪乃ちゃんに悪いといっても、一日くらいはいいじゃない」

八幡「それも違いますよ」



俺の発言に、陽乃さんに戸惑いが浮かべるが、

援護されていたと思って浮かれ気味だった雪乃の表情にまで戸惑いが広がる。



陽乃「どういうこと?」



陽乃さんは、意味がわからないと聞き返してくる。

雪乃も陽乃さんと同じ気持ちらしく、ちゃんと話してあげなければ、

今にも詰め寄りそうなので、雪乃に対して優しく目で制しておく。

一応その牽制で雪乃は落ち着きをみせてくれるが、

納得していないのは目を見れば明らかだった。



八幡「そもそも俺は雪乃の所有物ではないですよ。もちろん彼氏ではありますけど」

陽乃「ふぅ~ん。逆のたとえとして、雪乃ちゃんが比企谷君の恋人であっても、

   その体は雪乃ちゃんの物であって、比企谷君が自由にできる事はないっていいたいわけ?

   案外比企谷君も常識すぎる事を言うものなのね」

八幡「そういう言い方をされると、俺が非常識人みたいじゃないですか」

雪乃「あら? 八幡が一般人と同じレベルだと思っていたのかしら?

   その認識こそ非常識よ」

八幡「おい、雪乃。雪乃は俺に援護してもらいたいのか、それとも殲滅したいのか、

   はっきりしろ」

雪乃「援護してもらいたいけれど、間違いは訂正したくなるのよね。

   潔癖症なのかしら?」

八幡「可愛らしく首を傾げても、今は無駄だぞ。なにせ魔王が目の前にいるんだからな」

陽乃「あら? 魔王って私の事かしら?」

八幡「そうですよ。自分では認識していなかったのですか?

   そう考えると、陽乃さんも非常識人ですね。

   あっ、魔女っていう認識でもいいかまわないですよ」

陽乃「へぇ・・・、比企谷君が私の事をそんなふうに思っていたなんて、予想通りよ」



だから、陽乃さんも可愛らしく首を傾げても、怖いだけですから。

もう、両方の腕に絡まる細い腕をふりほどいて逃げだしたい。


719 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:34:55.53 ID:MZPnThgr0

俺の状態は、いわば護送中の容疑者の気分よ。



八幡「そう認識していただいてもらえて助かります」

陽乃「どういたしまして。で、まだ一般常識をご高説していただけるのかしら?」

八幡「そんな上から目線のことなんて言いませんよ。

   ただ、俺をレンタルしたいなんて言わないでも、直接俺に付き合ってくれって

   言ってくれれば、遊びにも買い物にも、いくらでも付き合いますよ」

陽乃「え?」



おいおい・・・、あの陽乃さんの目が丸くなったぞ。

真夏だっていうのに、本当に雪が降るかもしれない。

俺は、あまりにも失礼な感想を思い浮かべているが、雪乃も同様みだいだった。

もしかしたら、別の意味も含まれているかもしれないが。



八幡「だから、貸し借りなんて考えないで、素直に誘ってくれればいいんですって。

   そうすれば、いくらでも付き合いますよ。

   あっ、でも、時間がない時は無理ですからね。

   陽乃さんもわかっていると思いますけど、ご両親との約束がありますから

   勉強に忙しいんですよ。ですから、その辺の事情も考えたうえで誘ってください。

   出来る限り時間を作りますから。

   そうじゃなかったら、今朝だって車で迎えに行きませんよ。

   つまり、陽乃さんと一緒にいるのもいいかなって思っているから、

   こうやって登校しているんです。

   あぁっ、・・・なんか恥ずかしすぎること言ってますけど、

   まあ、あとは察してください」



俺は、あまりにも恥ずかしすぎるご高説は演じてしまう。

もし両腕が自由だったら、すぐにでも顔を両手で覆っていたはずだ。

だが、無防備にも顔を晒している今のこの状況は、ある意味羞恥プレイすぎるだろ。

なんとか視線だけ動かし雪乃を見ると、一応ほっとした顔を見せていた。

雪乃だって、俺と同じ気持ちで陽乃さんといるんだし、納得はしてくれるとは思っていた。

けれど、全てが納得できるかと問われれば、

そうじゃないのが雪乃の立場たるゆえんなのだろう。

一方陽乃さんはというと、何を考えているかわかりません。

だって、普段からわからないんだから、突然今だけわかったほうがおかしいってものだ。

まあ、その顔色を見てみると、プラス方向に傾いているようなので、

このままその外交交渉の落とし所は見つかったって事でいいのか、な?



八幡「俺は、今日こっちだから」


720 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/05(木) 17:35:23.18 ID:MZPnThgr0


俺は、終戦を確認すると、この後に待っている本来の目的を遂げようと行き先を告げる。

俺が急に歩くのを緩めたものだから、雪乃達に腕を引っ張られる形でその場に止まった。

本来ならば、もう少し先まで一緒に行くが、今日は橘教授に会いに行かねばならない。

だから、今日はここでお別れだ。

橘教授に呼ばれた事は、雪乃にも話してはいなかった。

呼ばれた事ばかり考えていたせいで、

雪乃に話す事をすっかり忘れていたのが原因なのだが、

そのせいで、雪乃は訝しげに俺を見つめてきた。



八幡「橘教授に会いに行かないといけないんだよ。昨日呼ばれていたな。

   今の時間だったらいるらしいから、面倒事は早めに済ませたいんだよ」

雪乃「聞いていないわよ」

八幡「ごめん、すっかり忘れていた。あまり行きたくない用事でもあったんでな」



俺は、ご機嫌斜めの雪乃に、誠意を持って素直に謝る。

その謝罪があまりにも自然すぎて、雪乃はこれ以上の追及はしてこなかった。



陽乃「で、なんで呼ばれたの?」

雪乃「そうね。理由くらいは教えて欲しいわ」



ですよねぇ・・・、陽乃さんに続いて、雪乃も理由開示を求めてくる。

陽乃さんは簡単には撒けませんよねぇ。

雪乃も、すっかり復活してるし。

わかってはいましたけど、理由を説明すると全部言わないといけなくなって、

きっと二人は笑うんだろうな。

ようやく訪れるはずだった静かな朝。

こうして再び乱世へと舞い戻っていく運命だったんだな。

さっきまで核戦争開戦間近だったのに、今は同盟ですか。

この二人のタッグを目の前にして、俺は開戦直後に白旗をあげるのだった。








第41章 終劇

第42章に続く










728 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/12(木) 17:29:14.51 ID:GjFUVEDS0

第42章





いつもより少し遅い時間に到着した教室内は、あらかた席が埋まっている。

しかしもう7月ともあってこの講義も終盤であり、

毎回違う席を狙って座る変わり者以外はたいてい同じような場所に座るわけで、

俺がいつも座っている席も空席のままであった。

まあ、由比ヶ浜が先に来ていて、

俺の分の席も確保しているみたいだったせいもあるみたいだが。



八幡「よう」

結衣「あ、おはよう、ヒッキー」



ノートとにらめっこしていた由比ヶ浜は、俺が隣の席に着くまで気がつかないままであった。

よく見ると、弥生の鞄らしきものも置かれているので、弥生はすでに来ているみたいだ。

ここにはいないのは、きっと奴の事だから誰かと情報交換でもしに行っているのだろう。

あいつは頭がいいんだし、面倒な情報交換なんてしなくても

今の成績をキープできると思うんだけどな。

不安要素を潰したいっていう気持ちだったらわからなくもないが、

あいにくそういう理由で行っている行為とも思えない。

まっ、俺からその辺の詳しい事情を聞く事はないし。

それに弥生だって聞かれたくはないだろう。



八幡「朝から復習とはお前もしっかりしてきたな」

結衣「まあ、ね。そろそろ期末試験だしさ」

八幡「それはいい心がけだ。わからないところがあったら早めに聞いてこいよ」

結衣「うん、ありがと」



俺はひとつ頷くと、授業の準備に取り掛かる。

ノートにテキスト。それに筆箱っと。

由比ヶ浜との会話でわずかながらであっても気分転換できたはずなのに、

どうも朝の後遺症が俺の腕を重くする。

いや、朝の雪乃と陽乃さんの衝突も神経を削りとられたが、それはいつもの光景にすぎない。

このイベントを慣れてしまうのはどうかと思うが、

一種の姉妹のコミュニケーションとして受け入れはしている。

俺の手を鈍らせていたのは、橘教授に呼ばれた事に原因があった。

・・・もう忘れよう。終わった事だ。問題はなかったし、ただ疲れただけだ。



昴「おはよう、比企谷。橘教授はなんだって?」


729 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/12(木) 17:30:00.75 ID:GjFUVEDS0

俺が忘れた事にしたばっかりなのに頭の上から声をかけてきたのは、

席を離れていた弥生だった。

こいつ、人が忘れようとした事を数秒も経たないうちに思い出させやがって、

と心の中で愚痴るが、こいつには全く悪気あったわけではないし、

むしろ本当に俺の事を心配しての事だとわかっている。

そんな弥生の性格をわかっていも俺の顔は引きつってしまい、

その顔を弥生が見たものだから、弥生は勘違いしてしまった。



昴「なにか問題でもあった? 昨日の感触ではけっこうよさげだったんだけどな」

八幡「教授はいたって友好的だったよ」



俺の返事に弥生は訝しげな瞳で見つめ返してくる。

そりゃあ懸念対象たる橘教授に問題がなければ、なにも問題を抱える事はないと思うし、

俺だってそうだ。



昴「だったらなんでそんなにも疲れた顔をしてるんだよ?」

八幡「雪乃と陽乃さんが一緒についてきたんだよ」



俺の簡潔すぎる説明に、弥生は全てを納得したといった顔を見せる。

それと、俺が雪乃達の名前を出したとたん周りの喧騒がボリュームアップした事は

この際無視しだ。

正確にいうならば、雪乃ではなく、陽乃さんに期待してのものだろうが、

実被害を受けないで外から眺めているだけの奴らは、きっと楽しいのだろう。



昴「なるほどね」

八幡「俺が呼ばれたはずなのに、ほとんど陽乃さんが話していたよ。

   それはそれで助かったんだが、ときおり爆弾発言投げつけてくるから

   ひやひやものさ」

昴「でも、問題はなかったんでしょ?」

八幡「ないけど、疲れたよ」

結衣「どんなこと話していたの?」

八幡「別に大した事はない世間話だったよ。

   さすがに解答時間ゼロ分で提出したやつは珍しくて、

   どんなやつか話したかったんだと。

   一応昨日の試験を採点したのを見せてもらったけど、満点だった」

昴「よかったね」

結衣「・・・ねえ、私のはどうだったかな?」



にこやかな表情の弥生とは対称的に由比ヶ浜の表情はどんよりと沈んでいて、

その声に覇気はない。
730 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/12(木) 17:30:35.69 ID:GjFUVEDS0


八幡「いや、俺の解答しかみせてくれなかったな。

   そもそも他人の答案用紙は見せてくれないだろ」

結衣「だよね」

八幡「なあ由比ヶ浜」

結衣「ん?」

八幡「出来が悪かったのか?」



由比ヶ浜からの返答はなかった。つまりそういう事なのだろう。

隣の席で俺と弥生が真面目に授業に参加して、さらには

必死に山をはっていたっていうのに、

こいつは何をやっていたんだって呆れそうになってしまう。

その内心が露骨に態度に出てしまったのか、由比ヶ浜は慌てて自己弁護を開始しだした。



結衣「ヒッキーが想像しているほど悪くなかったって。

   ただちょっとだけ自信がなかったから、聞いただけだし」

八幡「へぇ・・・」



俺は条件反射的に訝しげにな声を返してしまい、由比ヶ浜はますます取り繕おうと

やっきになってしまう。



結衣「ほんとうだって。試験なんて自信がある方がおかしいんだって。

   ふつうは答案用紙が戻ってくるまでドキドキするものなのっ」

八幡「ふぅん」

結衣「だから、ほんとうに出来が悪かったわけじゃないんだって。

   ねえ、弥生君も見てたからしってるよね?」



俺が信じてないと思ってしまっている為に隣で見守っていた弥生にも援護を求めてきた。

俺だって一応由比ヶ浜の成績は把握しているわけで、

昨日の小テストの出来だってある程度の予想もできている。

おそらく由比ヶ浜が主張するように悪くはない出来なのだろう。

ただ、俺の返事に元気がないのは由比ヶ浜が懸念している原因とは違って、

まじで陽乃さん達の相手をしていて疲れ切っていたわけで・・・。

その辺も教室に来た時に話したのに、

由比ヶ浜はすっかりとそのことを忘れてしまっているらしい。



昴「僕も昨日のテストは早めに教室から出てしまったから

  由比ヶ浜さんの解答を全てチェックしたわけではないけど、

  それなりに書けていたと思うよ」

結衣「ほら、弥生君だって悪くなかったって言ってるじゃん」

731 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/12(木) 17:31:01.70 ID:GjFUVEDS0

八幡「別に疑ってるなんて言ってないだろ。

   そもそもお前が聞いてきたんじゃないか」

結衣「そうだけど、ヒッキーのその目は私の事を信じてないって感じだし」

八幡「この目はいつもこんな感じなんだよ」

結衣「でも、でもぉ・・・」



俺が人を信じているっていう目があるんなら、どんな目なのか俺の方が聞きたい。

散々腐った目とか言ってたくせに、こういうときだけ疑うなんて都合がよすぎないか。



昴「比企谷は、陽乃さんの相手をして疲れてただけだよ。

  さっき言ってたじゃないか」

結衣「え? そうなの? だったら早くいってくれればよかったのに」
  
八幡「最初に言っただろ」

結衣「そうだっけ?」



俺と弥生は顔を見合わせて苦笑いを浮かべてしまう。

それでも由比ヶ浜なりに勉強していたんだし、俺達の会話を全て聞いていろって

暴言を吐くほど暇じゃあない。



八幡「そうだったんだよ」

結衣「そっか、ごめんね聞いてなかった」

八幡「別にいいよ。勉強してたんだろ?」

結衣「うん、期末試験もあるし頑張らないとね。

   それはそうとヒッキー・・・」



由比ヶ浜の声質ががらりと変わり、

どこか俺を探るような意識がにじみ出ているような気がしてしまう。

だもんだから、由比ヶ浜からのプレッシャーに押し負けて、

俺の方もほんのわずかだけ体を引いてしまった。



八幡「な、なんだよ」



ちょっとだけどもってしまったが、それを気にしているのは俺だけで、

由比ヶ浜はそんな俺を失態を気にもせず、俺へのプレッシャーを解こうとはしなかった。



結衣「うん・・・、ねえヒッキー」

八幡「ん? 言ってみ」

結衣「う、うん。だからね今日ヒッキーがお弁当当番でしょ。

   ちゃんとヒッキーが自分だけで作ってきたかなって」


732 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/12(木) 17:32:09.46 ID:GjFUVEDS0
由比ヶ浜の視線を改めて辿っていくと、

俺が普段使っている通学用の鞄とは違うバッグに向けられていた。

そのバッグは、通学の為の用途とは違い、底の部分が広めに作られており、

弁当など底が広い物を入れる分にはちょうどいいバッグではあった。

ぶっちゃけ俺一人で作ったみんなの弁当が入っているわけだが、

おそらく由比ヶ浜が気にしているのは、雪乃が手伝ったかどうかなのだろう。



八幡「俺一人で作ったつ~の。お前だけでなく、陽乃さんや雪乃まで俺一人で作るのを

   強要したからな。いくら雪乃に手伝ってくれって頼んだって、

   雪乃が俺一人に作る事を強要しているのに手伝ってくれるわけないだろ」

結衣「それもそうだよね。ゆきのんも楽しみにしているもんね」

八幡「なにが楽しみなのかわからないけどな。俺としては、雪乃か陽乃さんに

   作ってもらったほうが断然美味しいと思うんだけどな」


俺の不用意すぎる発言を聞いた由比ヶ浜は口をとがらせ、すかさず俺に非難を向けてくる。

いや、まじで怒っているのか、俺に詰め寄り、席が隣でただでさえ近い距離なのに、

顔の表情の細かいところまでわかるほど近寄ってくる。

いいにおいがしてくるのはなんでだろう?って、毎回思ってしまうのはこの際省略。

いやいや、まじで近いですって、ガハマさんっ!

二重のプレッシャーをかけてくる由比ヶ浜に対して、俺はひたすら動揺するしかなかった。


結衣「むぅ・・・。あたしが作ったのは美味しくないっていうのかな?

   そりゃあゆきのんや陽乃さんの料理と比べたら、まったく比べ物にならないくらいの

   差ができているのはあたしだって認めるけど、それでも前よりはうまくなったよ。

   プロ並みなんて当然無理だし、主婦レベルだってまだまだ遠い目標になっちゃうけど、

   それでも、それでも・・・」


一気に言いたい事を撒くしあげると、

最後の最後には唇を噛んで泣くのを我慢しているように感じられた。

別に由比ヶ浜の言っているような事を意図的に言ったわけではなかった。

雪乃と陽乃さんの料理の腕がとびぬけてうまいのは事実ではあるが、

由比ヶ浜の料理であっても、普通に食べられるレベルまでは上達してはいる。

だけど、今ここでそのことを指摘するのは場違いなような気もしてしまった。



八幡「悪かったよ。俺は由比ヶ浜の事をお前がいうような目では見ていない。

   雪乃は雪乃の料理だし、陽乃さんも陽乃さんの料理だ。

   だから、由比ヶ浜が作る料理だって、由比ヶ浜にしか作れないんだよ。

   いくら陽乃さんの腕がずば抜けていても、由比ヶ浜が心をこめて作った料理を

   再現することなんてどだい不可能なことなんだ。

   そして俺は由比ヶ浜が作ってきた弁当を楽しく食べていただろ。

   文句なんて言ってなかったろ?

   それに、俺はまずそうに食べていたように見えたか?」
733 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/12(木) 17:32:48.94 ID:GjFUVEDS0

結衣「だけどぉ・・・」



なおもぐずつく由比ヶ浜に、さすがに俺もお手上げ状態になりつつあった。

ただ、今ここにいるのは幸い俺と由比ヶ浜の二人だけではない。

運がよすぎる事に、弥生が隣にいた。

つまりは、友人関係を円滑に丸めてくれる弥生に俺は由比ヶ浜の事を丸投げしようと

画策しただけなんだが・・・、まあ、弥生が自分から助け船を出してくれるようだし、

丸投げっていうわけではないかも、しれない、かな?



昴「比企谷も由比ヶ浜さんのお弁当を楽しみにしているだけよ。

  別に他の人のお弁当と比べる為に作っているわけじゃあないでしょ?

  食べてもらいたい人がいて、その人の為に作っているんだから、

  その食べてもらい人が満足していれば、

  由比ヶ浜さんは自信をもってもいいと思うよ」

結衣「ほんとうに美味しかった?」



弥生の言葉に平静さを取り戻しつつあった由比ヶ浜は、

俺の表情を探るように下から覗き込んでくる。

んだから、その女の子っぽい仕草、NGだからっ!

威力ありすぎ、効果てきめん、防御不可、回避不能、胸でかすぎ。

つまりは陥落寸前の比企谷八幡ってわけで、

俺はしどろもどろに返事を返すのがやっとであった。

やっぱ夏の薄着であの胸のでかさは、脳への刺激が強すぎだろ・・・。



八幡「美味かったよ。だいぶ上達してきたのがよくわかったし、これからも頑張っていけば、

   だいぶうまいレベルまでいくんじゃないか?」

結衣「うん、頑張ってみるね。それと弥生君もありがとうね」

昴「僕は別に・・・。それにしてもお弁当っていいね。僕は、お弁当は無理だからさ」

八幡「毎日は無理でも、たまにくらいなら弁当作ってきてもいいんじゃないか?」

昴「あいにく僕は料理ができなくて」

八幡「だったら家の人に作ってもらえばいいんじゃないか?

   まあ、弁当作ってもらうのに気が引けるんなら、

   夕食のおかずを多めに作ってもらっておいて、

   それを朝自分で詰めてくるのも手だと思うぞ」

昴「まぁ、それもいい考えかもしれないけど・・・」

八幡「ん? それも駄目か?」



どうも弥生の反応が鈍い。どうやら俺は地雷か何かを踏んでしまった気がする。

それもそのはず、弥生は苦笑いを浮かべて、丁寧に俺の案を退けてきた。


734 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/12(木) 17:33:17.55 ID:GjFUVEDS0


昴「いや、比企谷のアイディアはいいと思うんだ。

  でも、うちの家族は僕と同じように料理が苦手で、

  だから、もし作ったとしてもそれをお弁当にして持ってくるのはちょっと・・・」

八幡「すまん、無神経な事言って」

昴「ううん、いいんだって」



ちょっとばかり俺達の間に気まずい雰囲気が漂ってしまう。

だが、空気を読むのに優れているのは弥生だけではなかった。

ここにはもう一人の元祖空気人間たる由比ヶ浜がいる。

空気人間っていってしまうと存在感がない人みたいに思われてしまうは、

まあ、空気を読んで、その場の空気を安定方向にもっていく属性を持っているって意味では

似たようなものかな? いや、全く違うか。

どちらにせよ、今回はそんな空気を読める由比ヶ浜に助けられてしまった。

もしかしたら、先ほど助け船を出した弥生への恩返しかもしれないが。



結衣「あっ、そだ、弥生君。テスト対策の方はどうだった?」

昴「あぁ、うん。なんだか歯切れが悪い対応ばかりで、なんだか調子悪いっていうかな」

結衣「そっかぁ・・・。でも、弥生君なら過去問とかなくても独学だけでも

   すっごい点、とっちゃうんじゃないの」

昴「しっかりと時間をかけて勉強すれば可能かもしれないけれどね」

結衣「ふぅん・・・。やっぱり弥生君でもてこずるんだ」

昴「そりゃあね」



由比ヶ浜ではないが、今度は俺の方が二人の会話を飲み込めないでいた。

わかっている事といえば、弥生がさっきまでいなかったのは、

期末試験の過去問コピーを手に入れる為の交渉をしに行っていたらしいことと、

そしてその交渉は失敗したらしいってことだ。

珍しい事もあるんだな。弥生との取引に応じないなんて

ちょっとどころじゃないほどに珍しい事件と言えるはずだ。



八幡「過去問って、今度の期末試験のか?」

昴「うん、そうだよ。既に持っているのもあるけど、いくつか抜けていてさ。

  それを手に入れたくてお願いしてみたんだけど、振られちゃったかな」

八幡「珍しい事もあるんだな。弥生の期末対策ノートが交換材料だろ?」

昴「うん、そうなんだけどね」

八幡「だったら、他の奴に頼んでみたらどうだ?」

昴「それがさ・・・」



弥生が醸し出す重い雰囲気に、思わず由比ヶ浜に事情を説明してほしいと目で求めてしまう。

735 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/12(木) 17:33:46.14 ID:GjFUVEDS0

しかし、由比ヶ浜が説明する前に弥生自身が説明をしてくれた。



昴「なんか避けられているっぽいんだよね。

  8月の初めから期末試験が始まるからそろそろ本格的に過去問やノートのコピー、

  対策プリントなんかが出回るはずなのに、僕のところには表立っては回ってこないんだ」

八幡「表立ってはって?」

昴「うん。僕が作った対策プリントなんかは今回も好評で出回っているんだけど、

  そのおかげでか、プリントを渡した時には過去問を貰う事は出来ないけど

  後になってメールで送られてくる事があるんだよ。

  やっぱりサークルとかに所属していないから僕は先輩とのつながりが希薄で、

  過去門は手に入りにくいからね。

  その点サークルに所属している人たちは無条件で先輩から回ってくるから

  その辺の強みはでかいね」

結衣「サークルはサークルで人間関係っていうの? 上下関係も厳しいから

   大変みたいだよ。それでもサークルが楽しいから続いているみたいだけど」



由比ヶ浜のいい分もわかるが、だからといって、

試験の為だけにサークルに参加したくはない。

たしかに俺や弥生みたいな一匹オオカミは試験だけでなく講義を受けるだけでも

デメリットが生じてしまう。

教室の変更や急な提出物なんか講義にしっかり参加して、こまめに掲示板を

チェックしていれば問題はないが。

もちろん試験対策やレポートは、一応一人でもいい点が取れるようにはなっている。

そもそもテストは一人で受けるものだが。

しかし、一人でやってもいい点は取れるが、

一人でやると時間がかかってめんどいとも言える。

その点友達を総動員して取りかかれば楽ってもので、

もし俺なんかが参加したら、あり得ない事だが、比較的楽そうなところを見つけて、

やっかいごとは人に任せてしまう自信がある。



八幡「そんなにサークルって楽しいか?」

結衣「ヒッキーは所属していないからわからないだけだよ」

八幡「お前だって所属してないだろ」

結衣「まあ、そうなんだけど・・・」



といっても人気がある由比ヶ浜は、俺とは事情が違う。

サークルに所属はしてはいないが、飲み会やらバーベキューやら

海やら・・・、リア充死ねって感じのイベント事には随時招待されていた。

普段も時間があれば遊びに行っているみたいだし、

それなりにサークルの先輩との繋がりもあるみたいだ。
736 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/12(木) 17:34:18.51 ID:GjFUVEDS0



八幡「サークルなんて面倒だから俺は絶対にやりたくない。

   そもそも向こうも俺を入れてくれないだろ」

結衣「それは・・・」



苦笑いしながら目をそらすなって。繊細な心の持ち主たる俺は、傷つきやすいんだからな。

もっと丁寧に扱ってほしいものだ。

特に、雪乃とか陽乃さん、おねがいしまっす。



結衣「でも高校の時、奉仕部は好きだったよね。

   こればっかりはヒッキーであっても否定させないんだから」

八幡「それは・・・、例外だよ。

   奉仕部は部活っていうよりも、よくわからない集まりだったからな。

   だから、あれだよあれ。

   うんっと・・・そうだな、例外事項だ、例外事項。

   一応部活動って定義であっても、奉仕部は例外にすぎない」

結衣「ふぅ~ん」

八幡「何ニヤニヤしてるんだよ」



俺を見つめる由比ヶ浜の表情は喜び成分半分。

これからからかってやろう成分半分ってとろこだろう。

わかってる。わかってるって。俺にとって奉仕部は特別だった。

口が裂けても言えないけど、雪乃や由比ヶ浜。それに平塚先生がいたから

俺はぼやきながらも卒業式のその日まで奉仕部の部室に通っていたんだよ。

こいつ絶対わかっててニヤついてるだろ?

居心地が悪い俺は、話を元に戻そうと、弥生の話の続きを促す事にした。



八幡「んで、弥生。後からこっそり過去問メール送ってもらえてるんなら、

   問題ないんじゃないのか?」



だから由比ヶ浜。こっち見るなって。わかったから今はスルーということで。

そして、さすがは俺を気遣ってくれる弥生昴。

俺の情けない取り組みを感じ取ってくれたのか、弥生は俺の要求に素直に応じてくれた。



昴「今は問題ないかもしれないけど、きっと問題の先送りにしかならないと思うんだ」

八幡「レポートの方にも問題が出たとか?」

昴「いや。過去レポは、4月にはそろえていたから問題なかったけど、

  おそらく後期日程には反応が鈍くなると思うんだ」

結衣「どうして? 前期日程のが手に入ったんだから、後期日程のもあるんじゃないの?」


737 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/12(木) 17:34:52.62 ID:GjFUVEDS0


昴「過去レポ自体はあると思うよ。あると思うけど、4月みたいに、同一レポートに対して

  複数の過去レポは手に入りにくくなるとおもうんだ」

結衣「へ? 過去レポなんて一つあれば十分じゃない?」

八幡「お前わかってないな」

結衣「何が?」

八幡「みんなが同じ過去レポを参考にしてレポート作成しちまったら、

   全部似たようなレポートが出来上がっちまうだろ。

   それでも参考程度ならいいんだけど、なかにはまる写しってやつが何人かいるから

   同じ過去レポを参考にしたやつらは、その不届き者の煽りをくらっちまうんだよ。

   レポートの再提出にはならないだろうけど、減点対象になりかねない。

   教授たちも馬鹿じゃないんだよ。伊達に長年教授職をやってはいない。

   過去レポの写しなんてすぐにばれるんだよ。対策だってしているはずだ。

   だから、過去レポ写したのがばれたら最後。

   即刻評価減点対象に認定される」

結衣「そっか」

八幡「だから複数の過去レポがあると便利なんだよ。

   キーワードだけを抜き取って、

   あとはなんとなく自分の言葉でレポートをまとめられるからな」

昴「それに複数の視点からのレポートを研究できるから、

  より深みのあるレポートを作成できるしね」

結衣「ふぅ~ん・・・」



こいつにとっては、レポートが仕上がるか仕上がらないかが最重要課題だったか。

レポートの評価を気にしないのであれば、提出期限のみが問題であって、

そこそこまともなレポートができるのであれば、レポートの中身を気にする必要なんてない。

どうせレポートを提出する頃には、レポートに何を書いたかさえ忘れているはずだしな。

まあいい。話が脱線気味だし、元に戻すか。









第42章 終劇

第43章に続く











744 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/19(木) 17:29:55.61 ID:Q9EWgt+u0

第43章




八幡「弥生の話を聞いていると、試験対策委員会が機能しなくなったんじゃないかって

   思うんだけど、あそこってサークル活動停止したのか?」

結衣「経済研? この前も食事会に誘われたから、活動していると思うよ。

   これから期末試験だし、決起集会みたいな感じだとかいってたかな?」

八幡「決起集会? 合コンの間違いじゃねぇの?」



俺は、由比ヶ浜の訂正に訝しげな視線を送ってしまう。

経済研って、試験対策やレポート対策の為に、大量の資料を毎年収集して、

部室に歴代の過去問、過去レポを保管してあるんだよな。

あれさえあれば俺の勉強も楽になるにはなるけど、その分厄介事も増えるから

経済研はやっぱ遠慮したいサークルに分類される。

いや、全サークルから遠慮されているのは、俺でした。



結衣「合コンは、いかないし」



俺の問いかけに、由比ヶ浜は全力で否定してくる。

あまりの勢いに、俺が悪い事を聞いちゃったんじゃないかって、

すぐさま謝ろうとしてしまうほどであった。



八幡「でも、この前行ったんだろ?」

結衣「あれは、知らなかったの・・・。

   ただ食事してカラオケ行くって話だったのに、行ってみたら合コンだったってだけで」

八幡「騙されたってことか」

結衣「その言い方面白くないぃ」

八幡「でも実際は合コンだたんだろ?」

結衣「そうだけど・・・」

八幡「だったら騙されただけじゃないか」

結衣「だから・・・」

八幡「違うのか?」

結衣「そうだけど・・・」

昴「そろそろ話しを戻してもいいかな?」



弥生は、このまま俺と由比ヶ浜の押し問答を続けさせるのはまずいと感じたのか、

会話の途切れを狙って、話の軌道修正に入った。



結衣「うん、ごめんね。変なふうに話がたびたび脱線して」

昴「いやいいよ。楽しいし」

745 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/19(木) 17:30:23.77 ID:Q9EWgt+u0


楽しいのはお前だけだろうけど。でも、これ以上由比ヶ浜を虐めてもしゃーないか。

ここまでお人よしっていうのも美徳だけれど、もう少し友達は選んだほうがいいぞ。

合コンの餌の為にお前を巻き込んだっていう事は、だしに使われたってわけだ。

お前を連れてった自称友人は、合コン会場のトイレで、由比ヶ浜早く帰らねぇかなって

きっとぼやいているはずだしな。

雪乃じゃないが、施しは人の為にはならないってやつだ。



八幡「じゃあ、経済研は、活動してるってことか。

   だったら今の時期のあいつらは、はりきって活動してるんじゃね?」

昴「らしいね」

八幡「らしいねって、あいつらとも情報交換してなかったか?」

昴「してたんだけど、急にサークルに所属している者以外には、

  過去問を配布することはできないって言われたんだよ」

八幡「は? 今までなんか、こっちがお願いしなくても過去問ばらまいていた連中だっただろ」

昴「そうなんだけどね・・・」



どうも弥生の表情は芳しくない。

なにか裏事情を隠していますって顔をしてるから、聞いてくださいって言ってるようなものだ。

けれど、空気を読むのがうまい俺としては、

そっとしておくっていう選択肢をチョイスしておこうと判断した。

期末試験やらレポートやらでとにかく忙しいこの時期。

やっかいごとに巻き込まれるのだけは勘弁だ。



結衣「あれ? 私は経済研の子から過去問もらったよ」



おい、由比ヶ浜さん。空気が読める子じゃなかったんですか?

わかっていますよね? 時間がないんですよ。

英語のDクラスみたいなことだけは、やめていただきたいです。

・・・・・・お願いします。



八幡「由比ヶ浜は、あれじゃね? えっと、おこぼれをもらたってういか、

   経済研の合コンにも誘われているわけだし」

結衣「合コンは行ってないし」

八幡「わかったよ。合コンは行ってないでいいな」

結衣「うん」



由比ヶ浜は俺の回答に満足したのだろう。とびきりの笑顔で短く答えた。



結衣「じゃあ、ちょっと経済研の子の所にお願いしてくるね」

746 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/19(木) 17:30:52.79 ID:Q9EWgt+u0


って、おい。



昴「ちょっと、ゆいが・・・」

八幡「やめとけ」



俺の低い声が弥生の声を上書きする。

それ以上に、俺が由比ヶ浜の腕を掴んだ手の方が威力があったのかもしれなかった。

戸惑い気味の由比ヶ浜は、とりあえず席に再び腰をおろして、俺の出方を伺った。



八幡「すまん。強く握りすぎちまったな」

結衣「ううん。別に痛くなかったから大丈夫」



俺は、わかってしまった。弥生昴が話したくない裏事情ってやつを。

伊達に人間観察が趣味っていうわけではなのだよ。

ようは、簡単に言ってしまえば縄張り争いって奴だ。

俺や弥生は、そんな面倒な縄張りなんて放棄してしまいたいが、

当の本人達はそうではないらしい。プライドっていうやつか。

そんなくだらないプライドなんて捨てちまえっていいたいものだが、

プライドなんて人それぞれだから、声高に馬鹿にする事はしないでおこう。

ま、面倒事に巻き込まれたくないだけなんだけど。

事の発端は、俺や弥生のノートやレポートだろうな。

過去問、過去レポ以上に価値があるものといえば、生レポートしかない。

今年の、しかもまだ提出していないレポートほど価値があるものはない。

さすがに完成したレポートをそのままコピーして学部内に出回らすことはしないが、

参考資料やキーワードなどを詳しく記載した設計図みたいなものは

誰だって欲しくなるものだ。

過去レポは、過去レポでしかなく、教授によっては、まったく違う課題を出題したり、

微妙に変化をつけてきたりする。

だから、誰だって今年の生レポートは欲しくなってしまう。

それが学年主席と次席の生レポートなら、なおさらだ。

しかも、俺は由比ヶ浜に勉強を教えている都合上、試験対策ノートや

普段の授業対策までもプリントを用意している。

気のいい由比ヶ浜は、その対策プリントを友達に見せたりするものだから

通称ガハマプリントは経済学部では知らないものはいないほどの地位を確立していた。

弥生も自分用に対策ノートを作っており、俺と情報交換するようになったのも

こうやって弥生と話をするようになったきっかけの一つといえるかもしれない。

まあ、こうやって俺と弥生が生レポートや対策プリントを

経済学部に出回らしているのを気にくわない奴らがいるっていうのが

今回弥生が過去問を手に入れにくくなっている理由なのだろう。

747 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/19(木) 17:31:21.81 ID:Q9EWgt+u0

つまりは、経済研。試験対策委員会との縄張り争いに巻き込まれてしまったってことだ。

・・・・・・・残念なことに。



結衣「ヒッキー、その・・・」



由比ヶ浜の視線が下の方に俺を誘導する。

先ほどまで戸惑いを見せていた由比ヶ浜の顔色は、今や赤く染まりつつあった。

俺は、由比ヶ浜の視線の先を見つめて、ようやく現状を把握した。



八幡「すまんっ」



言葉とともに、勢いよく由比ヶ浜の腕を掴んでいた手を放す。

勢いをつけようと、急いで放そうと、いまさら現在俺が直面している状況を

改善してくれるわけでもないのに慌てて行動してしまう。

結果としては、俺の行動がさらなるさざ波を立てて由比ヶ浜の頬を赤く染め上げてしまった。



結衣「うん。・・・大丈夫だから」

八幡「あぁ、悪かったな」



どうしたものか。こういったアクシデントは、時たま起きてしまう。

今回のそれは、運よく弥生が危惧する由比ヶ浜と試験対策委員会の対立を回避してくれた。

ただ、それは偶然であり、今後起こらないとは限らない。

俺や弥生は、過去問や過去レポがなくとも評価そのものには影響ないはずだ。

俺は今年も主席を取らなければならないし、弥生も次席をきっちりキープすると思われる。

由比ヶ浜に関しても、俺や弥生がサポートすれば、全く問題はない。

そう、表面上は、まったく問題ないように見える。

だから、困ってしまう。

多くのクラスメイトに愛されている由比ヶ浜ならば、今後も試験対策委員会との関係は

何事も問題がなかったかのように続いていくだろう。

・・・合コンにもきっと、こりずに誘ってくるはずだろうし。

しかしだ。高校時代の文化祭や体育祭のような恨みをかう事態までとはいかないまでも、

いや、人のひがみなんて底がしれないから用心に越した事はないが、

ぎすぎすした人間関係のど真ん中に放り込まれてしまうのだけは勘弁してほしい。

ただでさえ雪乃の母君様から、卒業後も役立てられる人間関係を築いてこいと命令されて

いるのに、試験対策委員会のせいで、

今以上に人が寄りつかない状態を作ってもらいたくはない。

まあ、今も俺に寄ってくる人間なんて、由比ヶ浜と弥生くらいで

時々由比ヶ浜にノートを渡しておいてくれって、由比ヶ浜の友人に頼まれることくらいだ。

そのノートを渡してくれレベルの接点さえも稀だというのに、

どうやってこの学部で人間関係を作っていけばいいんだっていうんだ。
748 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/19(木) 17:31:47.51 ID:Q9EWgt+u0

さて、現実逃避はさておき、由比ヶ浜の対処はどうしたものか。

由比ヶ浜をこのままほっておいたら、

いずれは俺達と試験対策委員会の関係に気がついてしまう。

弥生の意見はどうなのだろうかと、弥生に目を向けると、

俺の長々と費やしてしまった熟考を解決してしまった。



昴「実は僕は、試験対策委員会に嫌われてしまったようなんだよ。

  ちょっとしたすれ違いだと思うんだけど、今はそっとしておいてほしいんだ。

  ごめんね、由比ヶ浜さん。少しの間、迷惑かけることになると思う」



ストレートすぎないかい?

俺は、目を丸くして、弥生を見つめてしまう。

俺の視線に気がついた弥生が、悲しそうな笑顔を俺に向けると、

俺の体温が熱くなっていくのを実感した。

こいつが何をしたっていうんだ。

たしかにギブ&テイクの関係であるようには見えるが、実は弥生の方が損をしているとも

考える事も出来る。

ある程度のシステムが出来上がってしまった現在では、

弥生は中継地点としての機能ばかりが注目されてしまう。

でも、俺は知っている。

無数に集まってきてしまうデータを解析して、使えるデータと使えないデータを

ふるいにかけなくては、使えるデータ集は提供できない。

ただ集まってくるデータを、そのまま提供するのでは信用力が築かれないはずだ。

だから、今あるコピー王の地位も、中継地点としての機能も、

すべては弥生昴の能力によるものが強いと思っている。

まあ、そんあ中継地点なんかやらないで、自分の勉強のみに集中したほうが

よっぽどいい点が取れそうな気もするし、時間もかけないで済むとも考えられる。

ならば、何故、弥生はこうまでして中継地点をやり続けているのだろうか?

これこそが、女帝が言っていた人間関係の構築とでもいうのだろうか?

・・・わからない。

わからないけど、今の弥生と試験対策委員会の関係をこのままにしておくことはできないと

いうことだけは確信できた。










講義が終わり、ほどなく出口付近には帰ろうとする生徒がつまりだす。

まだ教壇の上にいる教授は、そんな混雑を避ける為か、

黒板に塗りたくったチョークをゆっくりと拭っていく。

749 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/19(木) 17:32:16.03 ID:Q9EWgt+u0

チョークの粉っぽいほこりと、教室の出入り口から侵入してくる夏の熱気を

不快に感じながら、俺も教授にならってのんびりと今日習った部分を見直していた。



結衣「今日はごめんね」



由比ヶ浜は、ぽつりと謝罪の言葉を呟く。

自分の鞄を見つめる瞳には、後悔の念が漂っていた。

ここまでくれば、由比ヶ浜が何について謝罪しているかなんて問い返さなくたって

わかるものだ。

由比ヶ浜が気にしているのは、弥生と試験対策委員会の事だろう。

お前がいくら弥生の事を気にしても、俺達に出来ることなんて何もない。

むしろ俺達がしゃしゃり出ることで、話はさらに複雑化してしまうほどだろう。

なにもしないよりはしたほうがいいとか、やってみなければわからないなんて

少年漫画の王道を恥ずかしくもなく叫ぶ奴がいるが、

俺はそんなやつは何もわかっていないと反論する。

なにもしないのではない。今はなにもできないのである。

今無駄に動けば事態は悪化するだけだし、時間が経ってチャンスが来た時に

無駄に事態をひっかいたために動けなくなる事さえあるのだ。

様子を見て、特に何もしない行動を冷めた大人の判断だって子供は笑うが、

本当に解決を望むのならば、今は何もしないが正解の時がある。

まあ、由比ヶ浜が一時の自己満足だけで納得するのならば、俺も付き合わない事もないが。

だから俺は、あえて別の話題にすりかえる。

それに、今回はちょうどネタもあったしな。

授業前に、あろうことか俺との勉強会を断ってきたのだ。

それも、真面目に勉強するかわからない友達との勉強会に参加するという理由で。

心の広い俺は、今回の事は気にしないでおいてやるか。

だから俺は、これ以上の議論はさせない為に、これ以上の心労を由比ヶ浜に負わせない為に、

ぱたんとノートを閉じてから道化を演じることにした。



八幡「いいって。俺からすれば、きっちりと予定範囲の勉強をしてくるんなら

   どこで勉強していようと問題はない。

   むしろ俺の方こそ自由にできる時間ができて助かっている方だよ」



案の定、俺のわざとらしすぎる話題のすり替えに、由比ヶ浜は訝しげな視線を俺によこす。

しかし、ほんの数秒俺の事を睨むと、肩の力が抜けていくのがわかった。

そして、俺の意図はわかったが、納得はしていないという典型的な結論を

俺に瞳で訴えかけながら、言葉だけは俺のすり替えにのっかってくれた。



結衣「そういわれると、なんだか複雑なんだけど」


750 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/19(木) 17:32:41.58 ID:Q9EWgt+u0


由比ヶ浜は、そうちょっとぶっきらぼうに言い張ると、

教科書などを鞄にしまう作業を再開させる。



八幡「複雑な事ないだろ。勉強なんて結局は自分がやらないといけない事だからな。

   ただ、ちょっと俺の方にも複雑な気持ちがあることにはあるけど」



俺は、ノートを鞄の中にしまおうとする手を止めると、由比ヶ浜を悲しそうな目で見つめる。

俺の言葉が途絶えた事に気がついた由比ヶ浜は、俺の方に視線をやり、

当然のごとく俺の視線にも気がつく。

目がかちあうとまではいかないが、視線が軽く絡まると、俺はそっと視線を外して

手元にある鞄を適当な目標物として見つめた。



結衣「え? ・・・やっぱりヒッキーも悲しいと思う事があるの?」



由比ヶ浜は、俺の瞳の色を見て呟く。

そして、照れた顔を隠そうとするふりをして、俺を覗き込んできた。

ここで強調して言っておきたい事は、あくまでふりであって、

由比ヶ浜はやや赤く染まった顔を本気で隠そうとはしていないってことだ。

こういう女の武器を露骨に使おうとする奴ではなかったが、そうであっても、

経験があろうとなかろうと、女の色香を自然と発揮してしまうところが

由比ヶ浜が大人になっていっているんだって実感してしまう。



八幡「そりゃあ、悲しいに決まってるだろ」



これは、俺の本心。嘘偽りもなく、心の底から思っている事だ。

雪乃にだって、正直に答えることができるって確信している。



結衣「ほんとにっ?!」



由比ヶ浜の声には、嬉しさが溢れ出ていた。

実際その表情を見れば、誰だってその心が表すものを理解するはずだ。

由比ヶ浜の声に反応して、その声も持ち主を見やった男子生徒は、ことごとく由比ヶ浜に

対してだらしない視線を送った後に、俺に敵意を向けてから通り過ぎていく。

女子生徒は、温かい目で由比ヶ浜を愛でた後に、これまた俺に厳しい視線を浴びせてから

通り過ぎて行った。

どちらにせよ、俺に対してはあまり宜しくない反応だが、これも毎回の事などに

とうに慣れきった予定調和といえよう。



八幡「当たり前だろ」

751 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/19(木) 17:33:09.54 ID:Q9EWgt+u0

結衣「そっか・・・。寂しいって思ってくれているんだ。そっか、・・・へへ」



お団子頭をくしゅっと掴み、にへらっと笑う。

こうして見ていれば、十分魅力的だって俺でも評価してしまう。

雪乃を毎日のように見ていれば、採点基準が厳しくなってるんじゃないかって

言われた事もあるが、そんなことはない。

由比ヶ浜は、雪乃とは違った華やかさと柔らかさがあり、

大学内でどちらを実際恋人にしたいかというアンケートをとれば、

由比ヶ浜が勝つのではないかと思っていたりもする。

けれど、俺の眼の前で極上の笑みを浮かべている美女に言わなければならないことがある。

お前の笑顔は勘違いによるものだと、強く言わねばならない。



八幡「寂しいとは思わんけど」

結衣「は?」



極上の笑みが停止する。

未だ絵画のごとく笑みが描かれているところを見ると、機能が停止しただけかもしれない。



八幡「寂しいかぁ・・・。ある意味寂しいと思うかもしれないけど、

   どちらかというと悲しいの方があってる気がするかな」



由比ヶ浜の笑みが徐々に消え去っていってるのを横目に見ながら俺は言葉を紡ぎ続ける。

由比ヶ浜からの反応はないみたいだが、聞いてはいるらしい。



八幡「そりゃあ、勉強会行って、しっかり理解してきてくれたものだと思っていたのに、

   後になって全く理解していませんでしたってわかったら、

   悲しいに決まっているだろ。

   しかも、先に勉強する範囲を理解もしていないのに、その先の勉強を進めて

   いるんだ。当然前提となるものを理解もしていないで次の事を勉強しても

   ろくに理解できないに決まってるじゃないか。

   時間を無駄にしたとは言いたくないけど、

   遠回りしちまったなって思ってしまうだろうなぁ・・・」

結衣「悲しいって・・・、そういう意味のこと」

八幡「まあ、な。勉強見てるのに、理解が不十分だって後になってわかったら悲しいだろ?」

結衣「そうだねー。ヒッキーは、そう思うよねー」



なんか、いわゆる棒読みってやつじゃないか。

どこかそらそらしく、まったく感情がこもっていない。

俺を見つめる目に、魂がこもっていないことが、手に取るようにわかってしまった。


752 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/19(木) 17:33:35.76 ID:Q9EWgt+u0


八幡「どう勘違いしたかは知らんけど、勝手に勘違いしたのはそっちのほうだろ」

まあ、俺は鈍感主人公ではないので、由比ヶ浜がどう勘違いしたか理解している・・・、

が、理解はしているけれど、あえてそれをわかっていると教えるほど、優しくはない。



結衣「なんか、最近のヒッキーって、意地悪になってない?

   陽乃さんと一緒にいるからうつっちゃったんじゃないの?

   ゆきのん、ヒッキーと陽乃さんが楽しそうに話しているのを見ている時、

   悲しそうにしてるもん。隠そうとしているみたいだけど・・・」



俺の表情が一瞬沈み込んで、立て直してことに由比ヶ浜は気がついてしまう。

大学に入って、ずっと一緒にいるから気がついたとも言えるし、

高校時代からの付き合いだからとも言える。

ましてや、人の機微に敏感な由比ヶ浜の事だから、当然の結果とも言えるのだが、

この際どうでもいい情報だ。

俺と由比ヶ浜の間に、気まずい雰囲気が横たわってしまったのだから。

しかし、俺も由比ヶ浜も、それなりに交友を深めているわけで、

リカバリーの方法を心得ていた。



八幡「すまんな、心配掛けさせて。それに、俺の方も配慮が足りなかった」

結衣「ううん、あたしの方もごめんね。ヒッキーなら気が付いていたもんね」

八幡「まあ、な。でも、雪乃も理解していることなんだし、

   俺も出来る限りのフォローもしているはずだったんだけど、

   由比ヶ浜が口に出してしまったのだから、配慮が足りなかったんだろうな」



自嘲気味に呟く様をみて、由比ヶ浜は慌てて俺に対してフォローをしだしてしまう。

俺なんかじゃなくて、その心配りは雪乃にやってほしいって心から願ってしまう。

別段邪魔というわけではなく、雪乃を癒してほしいという意味でだ。



結衣「ううん。あたしが出過ぎたまねしただけだから。

   ヒッキー頑張ってるもん。ゆきのんの為に勉強頑張ってるのだって

   ずっと隣で見てきたんだから、わかるもん」

八幡「そうだな」

結衣「でも、ね・・・」

八幡「ん?」

結衣「陽乃さんの気持ちも、わかっちゃうんだなぁ。

   一度は通った道というかな・・・・・・」



由比ヶ浜が言いたい事は、痛いほどに、俺の胸を締め付けるほどにわかってしまう。

俺の何倍も、何十倍も苦しんできた由比ヶ浜の前で、痛み自慢なんてしないけれど。

753 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/19(木) 17:34:07.91 ID:Q9EWgt+u0


だから俺は、由比ヶ浜が次の言葉を発するのを黙って待つしかなかった。

俺には、由比ヶ浜にかける言葉を何一つもちあわせていない。

時が解決してくれるだなんて、甘い事は考えていないし、

人として成長していけば解決するだなんて、ご都合主義も持ち合わせていない。

だから俺は、黙って由比ヶ浜が突き付ける切れないナイフを身に沈めていく。

いくら突き出しても体を割くことができないナイフを永遠に受け止め続ける。

由比ヶ浜が顔をあげて、歩き始めるまでずっと。



結衣「そろそろあたしも行かなくちゃいけない時間かな」

八幡「頑張って勉強してこいよ」

結衣「うん! あとでヒッキーにお小言言われないように頑張ってくる」



由比ヶ浜にまだ固さが残っているが、あえてそれを指摘するような顔を見せる事もないだろう。

由比ヶ浜が頑張っているのに、俺の方が水を差すべきではない。



八幡「お小言なんか言わないから、わからないところがあったら、

   いや、怪しいと思ったところがあったら、すぐに言えよ。

   これもまた俺の復習になるんだから、問題ない。想定内の出来事すぎるんだから、

   お前はいらない心配などせずに、俺を使い倒せばいいんだよ」

結衣「うん、ありがとね」



今度の笑顔には固さはみられなかった。

俺が見分けられないほどの作り笑いではなかったらという条件付きだが。

人は痛みと共に成長していく。

それはまた、痛みを隠すのもうまくなるって事なのだろう。








第43章 終劇

第44章に続く







760 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/26(木) 17:30:56.07 ID:Ux4V/0K+0


第44章






八幡「気にするな。で、いつものメンバーか?」

結衣「そだよ」



あいつらって、どいつも由比ヶ浜レベルなんだよな。

真面目に勉強をしようと取り組んでいる由比ヶ浜の方がややおりこうとさえ思えたりもする。

とはいっても、うちの学部では平均的な学力ではあるはずだ。

俺や雪乃とは違って交友関係が広くい由比ヶ浜結衣は、

いたって順調に我が経済学部においてもすくすくと友人関係を築いている。

高校時代の三浦や海老名さんのような気の知れた友人というか、一歩踏み込んだ友人関係

までとはいかないまでも、健全な友人関係を作り上げていた。

三浦や海老名さんとは今でもちょくちょく会っているらしいので、

高校卒業イコール友人関係まで卒業となっていないことからしても、

深い友情を高校時代に積み上げることができたレアなケースだと思う。

ましてや、高校時代とは違って規模も条件も大きく異なる大学生活。

大学時代の友人関係は、雪乃の母親に言われるまでもなく今までとは違うことくらい

俺でもわかっていた。

まず、規模については全国区ということがあげられる。

高校までだったら、それなりに中学までの友人関係が使える場合が多い。

高校からいきなり北海道から東京に引っ越してくる奴なんて少数派だ。

たいていの奴が地元の高校に進学して、

ちょっと離れた高校であっても1、2時間くらいで通える範囲の高校を選択しているはずだ。

しかし、大学ならば地方から東京に、ちょっと離れた県から有名私立大学に

なんてケースはざらである。

つまり、大学入学は今までの友人関係をリセットされる場合が多いといえよう。

ただ、高校は同じレベルの生徒が集められているわけで、同じレベルならば同じレベルの

大学に行くのも当然であり、俺や由比ヶ浜のように高校時代からの顔見知りも

継続して大学でもお世話になる事はある。

けれど、同じレベルの大学であっても、学部や学科が違うことは当然に発生する。


それは将来を見越しての選択なのだから、当然の結末といえよう。

そう、将来を見越しての選択は、自分の選択学部・学科だけではない。

友人関係も最後の選択だと俺は考えている。

一応社会人になっても、普通の人間ならば友人を作ることができる。

俺が普通の人間にカウントされていないことは、雪乃に言われるまでもなく認識しているが。

但し、社会人になってからの友人関係は、どうしても仕事を介しての交友と

考えてしまう嫌いがある。



761 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/26(木) 17:31:53.27 ID:Ux4V/0K+0

学生時代だって同じ学校という枠を介しての交友だと反論されてしまいそうだが、

そうであっても、金銭面の損得や職場の先輩後輩といった生活に必要な仕事に

直結した関係ではない。

一応これもフォローしないといけないが、中学・高校時代なんて、

学校が世界のすべてだと考えている奴らが大勢いることは、

友人がほぼゼロだった俺でも認識はしている。

なんていうか、実際社会人になってみないとわからない事だろうけど、

金銭面が全く絡んでいない友人関係は、大学で最後って気がしてしまうのも

俺の思いすごしではないと思われる。


なんて、そんな大事な大学生活において、大学に入学してからまともな友人を一人も

作っていない俺が大学生活の友人作りの大切さを力説しても、

ましてや社会人になってからの友人関係に危機感を抱いたとしても、

まったく意味のないことだって雪乃の痛い視線をぶつけられなくても理解はしていた。

つまり、先ほどまで俺の隣で講義を受けていた弥生昴は、

いつものように毎時間俺の隣で講義を聞いてはいるものの、

俺は弥生昴を友人ですと紹介できるレベルの関係までは発展していないと

自信を持って言えた。



八幡「そっか・・・。まっ、がんばれ」

結衣「うん」

八幡「そういや弥生って、交友関係広いくせに講義が終わるとすぐに帰るよな」

結衣「そだね。昼食の時も、うちの学部の人と食事をしているわけでもないみたいだし」

八幡「そうなのか?」



これは初耳だ。

弥生の事だから、特定の誰かと毎回食事をしてはいないとは思っていたが、

情報交換も兼ねて誰かしらと食事をしているとは思っていた。

たしかにレポートなどの課題は、常にどれかしらの講義からの提出を求められており、

手元に全く課題がないという状態はほぼない。

ほぼないと言えるが、だからと言って

毎日のように情報交換するほどでもないのも事実である。



八幡「あいつの事だからてっきり誰かと食事しているものと思っていたんだけどな。

   でも、他の学部の、高校の時の同級生と会っているってこともあるんじゃないか?」
   
結衣「どうだろ? 弥生君の高校の時の友達って聞いたことがないかも」

八幡「県外から来たんだっけ?」

結衣「うぅ~ん・・・、どうなんだろ? 高校の時の話も聞いたこともないけど、

   今どこに住んでいるのも知らないんだね」

八幡「ま、そんなもんじゃねぇの? 俺も高校の時もそうだったし、

   大学に入ってからも、その初心は忘れずに実行しているぞ」

結衣「はは・・・」


762 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/26(木) 17:32:46.07 ID:Ux4V/0K+0


乾いた笑いをするんじゃねぇよ。繊細な心の持ち主の俺が傷ついちゃうだろ。

自虐的なギャグをうまくさばくのがお前の持ち味だろ、

と勝手に役割を決めつけちゃったりする。

・・・別にいいけどさ。



八幡「でも弥生は交友関係広いんだし、

   誰かしらあいつんちに行ったことがあるんじゃねえの?」

結衣「それはないと思うな。だって、弥生君ってもてるじゃん」

八幡「そうなのか?」



つい見栄?を張ってしまって、とぼけてしまった。

いや、俺だって弥生が女性うけするルックスと性格の持ち主だって理解している。

しかも背は高いし、物腰も柔らかい。

どこかの雑誌アンケートを元に作りだした理想の男っていっても過言ではないかもしれない

と、思っていたりもする。

まあ、実際の生活感がないというか、大学外での行動が全くわからないところが

アクセントとしてのちょっとした秘密を有している危ない男に該当しているかは疑問だが。



結衣「そうだよ。もてもてだよ。頭もいいし、勉強も優しく教えてくれるんだから

   もてないわけないじゃん。

   だから、狙っている子もけっこういるんだけど、

   実際家に上げてもらった子はいなかったし、

   デートまでこぎつけた子さえいなかったんだよ」

八幡「へぇ・・・」



由比ヶ浜の指摘は、俺の予想通りだった。

あいつがもてないわけがない。

本来なら、俺と仲良く並んでお勉強なんてする相手でもないってことも自覚している。

ん?・・・・・・いなかった?

いなかったってことは、今はいるってことか?

俺の顔の変化を察知したのか、由比ヶ浜は俺が問いかける前に俺が求める答えをくれた。



結衣「うん、でも、なんだか最近弥生君が彼女といるところを見た子がいるんだって」



由比ヶ浜の顔を見ると、いたって平然としている。

よくある噂話の延長なのだろうが、見たという奴がいるのならば事実なのかもしれない。

まあ、噂の伝聞なんて信用なんてできないし、

根も葉もない噂話など、今回の由比ヶ浜から聞いた話のように出来上がっていく

のかもしれないが、ここは素直に驚いておこう。


763 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/26(木) 17:34:07.02 ID:Ux4V/0K+0

八幡「あいつの彼女を見たって言っても、噂話じゃないのか?」

結衣「ううん。大学構内で一緒に歩いているのを見たって言ってたから本当みたいだよ」

八幡「まじかよ。でも、たまたま一緒に歩いていただけかもしれないだろ」

結衣「何度も見かけてるらしいから確かな情報だと思うよ。

それに、二人が仲良さそうに歩いていて、

   友達同士の距離感ではなかったみたいだよ」



こいつはまじで驚いてしまった。

大学構内って事ならば目撃者も多いだろうし、信憑性が高くなってしまう。

友人だと思っていたやつが、自分には教えてもらってないけど恋人がいましたっていうのは

こういう事をいうのか? こういう立場を言っているのか?

・・・落ちつけ。落ちつけ、俺。

ここはクールに、・・・クールにいくべきだ。



結衣「やっぱヒッキーも聞いてなかったんだ?」

八幡「やっぱってなんだよ」



頬と唇と手や足と・・・

体中がぴくついて、俺が挙動不審な動きをしてしまっているのはこの際無視だ。

頭だけはクールに冷静で沈着な頭脳を有していれば、クールな俺で立ち振る舞えるはず。



結衣「でも、あたしもちょっとショックだよね」

八幡「そうか?」

結衣「そうか?って、ヒッキーすっごくきもいよ」

八幡「はぁ? どうして俺がきもくなるんだよ?」

結衣「だって、いかにも変質者っぽく共同不審なんだもん。

   そりゃあ、ヒッキーの大学での唯一の友達って言ったら弥生君しかいないもんね。

   その弥生君に彼女がいたって教えてもらえなかったらショックだよね。

   うん、あたしだったらショックを受けるもん」

八幡「まあ、そうかもな」



俺の顔を見て呆れていたはずなのに、それが急に由比ヶ浜の顔からこぼれ落ちる。

俺と雪乃が由比ヶ浜に交際の報告をしたときの事を思い出してしまったのだろう。

悲しそうな顔をして、ここではない遠い過去の事を見ているような瞳をしていた。

しかし、それもすぐに切り替わり、今目の前にいる俺に同情がこもった目を向けてきやがった。



結衣「ヒッキーがいつも弥生君に冷たい態度取るから拗ねちゃったんじゃないの?

   この前の橘教授の講義を早く抜けられてのだって、まだお礼してないでしょ」

八幡「今朝会ったときにありがとくらいは言ったさ。

   それにあいつは見返りが欲しくてやってくれたわけじゃないと思うぞ。

   もちろん勉強に関しては色々と手伝ったり手伝わされたりしているけど、

   お互いに見返りがなければやらないってわけじゃあない」

764 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/26(木) 17:34:42.13 ID:Ux4V/0K+0

結衣「そなの?」

八幡「そんなの意外ですっていう顔するなよ。

   たしかにお互いの勉強効率が上がるっていうのは事実だ。

   でも、それが直接見返りを求めているかと聞かれると、違うって答えたい」

結衣「でもでも、ヒッキーが一方的に勉強を教えるってことだったら

   ヒッキーは協力関係を解消するでしょ?」

八幡「お前のその設定だと、そもそも一方的な施しにならないから協力関係とは言わない」

結衣「そっか」

八幡「でも、由比ヶ浜が言いたい事はなんとなくだけどわかるよ。

   弥生がたとえ学年次席じゃなくても俺はあいつのと関係を

   今と同じように続けていたと思うぞ。

   あいつはしっかり期日までにやってくるからな。しかも、気遣いがすごいっていうか、

   他人が嫌がる事は、一度わかれば二度とはしない」

結衣「ヒッキーがそこまで人を誉めるだなんて、珍しくない?」

八幡「そこまで俺の採点は厳しくねえよ」

結衣「そうかなぁ・・・」

八幡「まあいいさ。彼女がいたとしても驚く事じゃあない。

   俺が言うのもなんだけど、あいつはいいやつだからな。

   だから、彼女がいてもおかしくない」

結衣「そだね」

八幡「それに、もし彼女がいるんだったら、そのうち紹介してくれるかもしれないしな」

結衣「うん、あたしもそう思う」



由比ヶ浜は、笑顔でこの話題を締める。

ただ、俺からすると、弥生に彼女がいようがいまいがどちらでもよかった。

彼女がいたとしても、その彼女を紹介しなければいけないというルールはない。

むしろ会う機会がないのだったら紹介なんてしても意味がないとさえ思えている。

だから、どちらかというとこの話題。

弥生の彼女の事というよりも、俺と弥生の関係の方が気になるっていうか、

知り合い以上友人以下であるかもしれないことに軽いショックを受けていたりする。










由比ヶ浜とは友達と勉強会という名の免罪符を得たお喋り会に行くという事で

教室の前で別れた。

あいつの場合は気がしれた友達よりも、勉強をするように睨みつけてくれる監督が

必要だとは思うんだが、毎回俺が睨みつけるのは、さすがに俺の方が疲れてしまう。

ちょうどいい機会だ。俺の方も休暇が必要だし、とくに何も言うことはなかった。

由比ヶ浜が今日の俺たちとの勉強会を休む事情をかいつまんで説明している間、

雪乃は何も口を挟んでこなかった。

俺は袖を二度引っ張られるのに気が付いて、歩く速度を落とす。
765 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/26(木) 17:35:11.51 ID:Ux4V/0K+0
顔を後方に向けると、一歩遅れて雪乃が付いてきていた。

すぐさま雪乃の歩幅に合わせてその隣を歩く。

ときおり俺が考え事や話すのに夢中になって歩幅が大きくなってしまう事があって、

その時は雪乃が俺の袖を二度引っ張ることで知らせてくれる。

俺の方が雪乃のペースにあわせていても、

以前までは俺の歩幅が大きくなってしまうと、雪乃が俺の速度に合わせてくれていた。

だけど俺と雪乃の歩く速度は違うわけで、無理をしないで早く言ってくれと、

俺は雪乃に言ってしまう。

ただそうすると、ちょっとばかし気が強い雪乃と

どちらの歩く速度に合わせるかという微笑ましいひと悶着に繋がってしまう。

お互い相手を思いやっての行動なんだろうけど、それで喧嘩をしては意味がない。

その結果として、面倒な思いやりを回避するために決められたルールが、

雪乃が俺の袖を二度引っ張って知らせる事であった。



雪乃「そう・・・。今日は由比ヶ浜さんの勉強を見てあげる必要はないのね」

八幡「たまにはいいんじゃねぇの? あいつもいつまでも俺達に頼りっぱなしって

   いうわけにもいかないし、一人でも勉強できるようになってくれないと困るだろ」

雪乃「今日は勉強会ではなくて?」



雪乃は俺の言葉を聞き、訝しげな瞳を横から向けてくる。

二人して横に並んで歩いているので、やや下の方から覗きこむ形になっているが、

俺は素知らぬ顔をして前を向いたまま歩き続けた。

俺と雪乃はもう一コマある陽乃さんの講義が終わるまで時間をつぶす為に

喫茶店に向かっている。

本来ならば由比ヶ浜の勉強を見て時間を潰していたが、今回はそれができない。

だから学外の駐車場近くにある喫茶店に向かっていた。

大学にあるカフェでも学食でもよかったが、雪乃がいるとどうしても視線が集まってしまう。

その応急処置として選ばれたのが学外の喫茶店だった。



八幡「たしかに勉強会だとは言っていたな」

雪乃「だとすれば、一人で勉強するわけではないと思うのだけれど」

八幡「あいつが行く勉強会だからこそ、一人で勉強する為の強靭な精神力が必要なんだよ」



雪乃はあえて言葉を挟まず、俺に話を続けろと目で訴えてくる。

俺の方も前を向いたままだが、横目で雪乃の反応だけは確認していた。



八幡「別に勉強会が悪いっていうわけでもないんだが、あいつらが集まっても

   30分も経たないうちに休憩に突入して、お菓子食べながらのおしゃべりタイムが

   ずっと続く事になると思うぞ。

   さすがに試験直前ならば違うだろうけど、まだ試験直前というには早すぎるからな」

雪乃「まるで見てきたことがあるかのような発言をするのね。

   もしかして一度くらいはお呼ばれしたことがあるのかしら?

   でも今回呼ばれていないという事は、一緒にいることが不快だったようね」
766 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/26(木) 17:36:01.11 ID:Ux4V/0K+0


八幡「ちげぇよ。一度も呼ばれた事はないし、呼ばれたとしても行かねぇって」

雪乃「負け犬の言い訳ほど見苦しいものはないのよ」

八幡「だからそんなんじゃないって」

雪乃「だとしたら、どうして由比ヶ浜さんが参加する勉強会の様子がわかるのかしら?」

八幡「あいつらが教室でミニ勉強会っていうの?

   授業前にわからないところとかを教え合っている事があるんだが、

   いつも問題解決する前に別の話題、主に雑談に突入しているんだよ。

   だから、結局はわからないところはわからないままになっちまってる」

雪乃「そう・・・。八幡もその会話に参加したかったのね。かわいそうに。

   いくら由比ヶ浜さんの隣の席にいたとしても、会話には参加できないのね」

八幡「それも違うから。あいつらの声が大きいから聞こえてくるだけだ。

   まあ、本当にわからないと困るところは弥生に聞いたりしてるから問題ないけど」

雪乃「そういうことにしておきましょうか。・・・あら?」

八幡「そういうことにしておくんじゃなくて、そうなんだって。

   って、店の入り口で急に立ち止まるなよ」



喫茶店の扉を開け、先に店内に入った雪乃は、俺達よりも先に席に座っている客に

視線を向けていた。

俺は雪乃の視線を辿ってその席に着く二人の客に目を向ける。



雪乃「彼って、弥生君よね?」

八幡「弥生だな」

雪乃「一緒にいる女性は、彼女かしら?

   だとしたら、別の店にしたほうがいいのかしらね?」



雪乃は首を傾げ思案する。

一応雪乃にも由比ヶ浜から聞いた弥生に彼女がいるらしいという事を伝えていた。

だから雪乃は、まだ弥生から恋人を紹介もされていないことに配慮して

店を変えたほうがいいかと提案してきたのだろう。

たしかにあいつが恋人の存在を隠しているのならば、

ここは知らないふりをして立ちさるべきなのだろう。
しかし・・・。



八幡「あの人って、弥生准教授じゃねえの?」

雪乃「弥生准教授? でも、どう見ても私たちより年下ではないかしら?」



たしかに弥生准教授には似ているが、今いる女性は俺達よりも年下に見える。

だとしたら、弥生准教授の妹ってことになるのだろうか。

そういえば雪乃は、1年Dクラス担当の弥生夕准教授とは面識がなかったはずだ。

弥生って苗字は珍しいとは思っていたが、もしかして兄妹か親戚かなんかなのだろうか。

俺も弥生准教授と直接会話をしたのは一回きりだから、すっかり忘れていた。


767 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/26(木) 17:36:31.66 ID:Ux4V/0K+0

だとすれば、由比ヶ浜の友達が見たっていう弥生の彼女は、

弥生准教授の妹か弥生准教授本人ってことになるんじゃないだろうか。

でも、何度も大学で二人で歩いているところを見たという情報があることからすると、

妹というよりは弥生准教授の可能性の方が高いと思えた。

年は准教授ということから推測すると20代後半だと思えるが、

見た目以上に若く見え、なによりも美人だ。

弥生昴と同じ血筋かもしれないというのも頷ける容姿だった。

違いがあるとすれば、弥生昴の髪質がややくせ毛がある為に緩やかなウェーブを

作りだしていることだろう。

弥生准教授のほうは同じ黒髪でも、真っ直ぐ伸びた素直な髪質を有していた。

どんな姉弟であっても、よっぽど似ていないと姉と弟なんてわかるわけがない。

ましてや、髪質が全く違っていたらなおさらであり、由比ヶ浜の友人が

恋人同士であると勘違いしても、責める事なんて出来なやしない。

そして今、俺達の目の前にいる妹らしき人物は、

どういうわけか俺が准教授と会った時に准教授が着ていた服装に似ている。

濃紺のスーツのパンツルックできめていた。高校生にしてはやや大人めいた服装ではある。

それとも社会人なのだろうか。

座っているので身長の方はおおよその見当しかできないが、低くはないように見える。

准教授の身長もたしか170は超えていたので、身長が180近くもある弥生昴と並んで歩けば、

とても絵になったことだろう。

たしかに弥生と准教授、もしくは妹が並んで歩いていたら、注目されない方がおかしなほどだ。

まさに美男美女なんだし。

准教授の雰囲気は、雪乃が図書館司書になったらこんな感じかもしれないと思ってたりする。

綺麗にとかされたまっすぐな黒髪は、雪乃よりは短いが、

准教授の柔らかい面影にすこぶるはまっていた。

妹の方も似たような雰囲気を醸し出しており、姉との違いがあるとすれば、

細いメタルフレームのメガネをかけていないことくらいだろう。

なんて事を考えていたら、弥生が俺達の事に気がついて、声をかけてきた。



昴「比企谷じゃないか」



席から立ち上がる弥生は、一緒のテーブルでどうかと誘っているようだ。

同席の弥生准教授も俺の事を知っているせいか、同じ意見のようだった。

だから俺は軽く頷き返事を返すと、雪乃の意見を聞くべく視線を雪乃のほうにスライドさせる。

雪乃も軽く顎を引いたところからすると、雪乃も同席は問題ないらしい。



八幡「偶然だな」

昴「そうだね。僕たちはよくここに来ることがあるんだよ」

八幡「そうか。俺達はそばの駐車場を借りているんだが、

   ここの喫茶店はいつも素通りしているだけだったな」


768 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/03/26(木) 17:37:55.77 ID:Ux4V/0K+0
昴「そうなんだ。それはもったいない事をしたね。ここの紅茶は美味しいよ」

八幡「へぇ・・・」



俺は弥生の隣に席を移した彼女に視線を向けると、

そのことに察知した弥生がテンポよく彼女を紹介し始めた。



昴「比企谷は、姉さんには会ったことがあるよね?」

八幡「姉さん?」

昴「あれ? 姉さん。比企谷に僕たちの事言わなかったの?」



弥生は慌てて隣の席の彼女に確認を求めるが、

当の本人たる弥生准教授?はほんわかとした笑みを浮かべるだけだった。

あれ? なんだか雰囲気が違くないか? それに妹じゃなかったのかよ。

この前はもっと、神経質そうな雰囲気を匂わせていたけど、弟が一緒だと違うのか?

それともあの時は緊張してしただけともいえるし、それに今は

メガネをかけていないことで、それだけでも柔らかい印象を感じられた。

メガネをかけているときでも大学4年生くらいには見えていたが、

メガネをはずした今は、高校3年生でも十分通用しそうな気さえした。

だからこそ俺も雪乃も、年下だと思ったわけで。

ただ、若くは見えるが幼くは見えない。

ある意味ちょうどいい具合に成長が止まったとも考えることができるが、

人間がもっとも若々しい時期や美しい時期なんて個人の主観でしか成り立たないし、

なおかつそんな事を考える事自体が無意味だ。どんな人間であっても老いるのだから。

ただ、目の前にいるこの人においては、俺の主観によれば、ちょうど美しさのピークで

成長が止まっているように思えた。



第44章 終劇

第45章に続く
773 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:29:46.71 ID:RpzwNEHw0

第45章





夕「どうでしたっけ?」



そうにこやかに俺に問いかける姿に、俺も自然と頬の筋肉が緩んでいく。

以前会った時は話をするうちに打ち解けて硬さが抜けてはいったが、

ただ話していた内容が大学教育や勉強論が主な内容であった為に

准教授としての面だけが表に出ていた。

その時の印象は真面目で一生懸命。

熱血指導とはいかないまでも、教育にひたむきな姿勢が感じられて好印象であった。

しかし、今目の前にいる弥生准教授はほんわかとしており、

由比ヶ浜以上にフワフワしていて年下の女性としか見えない。



八幡「俺に聞かれても・・・。まあ、以前会った時にはDクラスの事が中心でしたよ。

   大学の教育についてとかも話しましたけど、

   あとはこの辺のラーメン屋についてくらいですかね」

夕「そうでしたか。それは失礼しました。

  あの時は、なかなか面白い意見を思っている方だという印象が残っております。

  とても楽しかった時間でしたよ」

八幡「それは、どもです」



にかっと軽く首を傾げる姿に、俺もにやっと硬くく首を傾げて返事をする。

・・・・・・いい人だ、絶対いい人に決まっている。

弥生の姉?だからというわけではないが、俺の不気味な笑みを見ても引いていない。

あろうことか、俺の笑みを見て、さらに笑みを返して下さったではないか。

これは、恋だな。きっと恋だ。俺は今自分が恋に落ちる瞬間を目撃してしまった。

・・・・・・あっ、雪乃の厳しい視線が恋を焼き払っていく。

恋は儚い。儚いからこそ恋。恋に焦がれ、恋は焼き払われていく。

短い恋だったが、後悔はしていない。

うん、恋っていいなぁ。



昴「じゃあ、僕が比企谷の予定を教えて事も言わなかったの?」



弥生は俺の短すぎる青春を気にもせずに姉と話を進めていく。

いいんだ、俺の事は一人のものさ。



夕「そうなるのかしらね」

昴「ごめん、比企谷。いきなり姉さんが話しかけたんで、びっくりしたんじゃない?」



今は妹じゃなくて姉だったという事にびっくりしているけどな。

まじで若く見え過ぎだろう。

774 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:30:25.73 ID:RpzwNEHw0

雪乃のかあちゃんも若く見えるけど、弥生の姉さんは女帝とは違う方向で若く見える。



八幡「ちょっとだけな」

昴「姉さんもいきなり面識がない人に声をかけられたら警戒するでしょ」

夕「ごめんなさい。でも、あの時は私も緊張していて、いっぱいいっぱいだったのよ」



弥生が姉をたしなめる姿は、どっちが年上なんだよとつっこみを入れたいくらい自然だった。

これがこの二人の通常の関係なのかもしれない。

だとすれば、やはり以前会った時の硬さは、本人が言うように

緊張から来るものだったのだろう。



昴「本当にごめん。姉さんも悪気あったわけじゃないみたいだし、許してほしいな」

八幡「気にしてないからいいって」

昴「そう?」

八幡「あんまり責めると、泣きそうだぞ」

昴「え?」



俺の指摘を聞き、弥生は慌てて隣の姉に顔を向ける。

実際泣いてはいないし、泣きそうでもない。

それでもしょげてしまって俯く姿は、どうしても年下の女の子に見えてしまう。



昴「姉さん、ごめんね。僕が強くいいすぎたよ」

夕「ううん、いいの」

八幡「ま、もういいんじゃないか。俺の隣にいる雪乃のことも、早く紹介してあげないと

   居心地悪いみたいだしさ。

   弥生は面識あるけど、弥生准教授は初めてでしたよね?」



ようやく出番とばかりに雪乃は綺麗にお辞儀をしてから自己紹介を始める。

背筋がまっすぐ伸ばされた背中がゆっくりと傾倒していく様はいつみても美しかった。

丁寧過ぎる挨拶のような気もするが、厭味ったらしさがまったく出ていないのは

雪乃の気品と育ちのおかげだろう。



雪乃「はじめまして、工学部2年の雪ノ下雪乃です」

夕「はじめまして雪ノ下さん。英文科で准教授をしている弥生夕です。

  比企谷君には英語の講義でお世話になっています」

雪乃「比企谷君がご迷惑をかけていなければいいのですが」

夕「いいえ、とても助かっていますよ。

  ・・・そうですね。弥生が二人いると不便ですので、私の事は夕でいいですよ。

  弟の事は昴でいいですから」



ぽんっと手を合わせて、名案が閃いたとばかりに訴えてくる。

たしかに弥生が二人もいたら面倒なことは面倒だ。

775 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:30:57.37 ID:RpzwNEHw0
だけど、いきなり名前で呼ぶ事は俺にとってはハードルがやや高い気もする。



夕「駄目ですか?」



俺が苦い顔をしたのを察知して不安に思ったのか、

瞳に薄い涙の膜を作って弱々しく尋ねてきた。

別に虐めているわけではないのに、

虐めてしまったと感じてしまうのはどうしてなのでしょうか?

雪乃も雪乃で、弥生さんをいじめるなと鋭い視線を送ってきているような気がしてしまう。



八幡「だめじゃないですよ。でも、俺が夕さんって言ってもいいんですか?」

夕「はいっ。問題なしです」



にっこりと元気よく返事をする夕さんに、昴は横でちょっと困った顔をする。

なんとなくだが、二人の位置関係がわかった気もした瞬間でもあった。



八幡「昴もそれでいいのか?」

昴「まあ、いいんじゃないかな。僕としては名前で呼ばれでもいいと思っているし」

雪乃「なら、私の事も雪乃とよんでください。

   おそらく私の姉の陽乃にもそのうちお会いする可能性が高いと思いますから」

夕「たしか陽乃さんは大学院に行っていらっしゃるのですよね。

  雪乃さんの事も陽乃さんの事も昴から聞いているんですよ。

  とても賢くて綺麗な方だと」

雪乃「いいえ、私などまだまだです。姉は大学院にいっていますから、

   姉ともども宜しくお願いします」

夕「いいえ、こちらこそ。雪乃さんと呼ばせてもらいますね」



なんだか夕さんを前にすると、これが当然という雰囲気になってしまう。

ふんわかとした雰囲気というか、穏やかな空間というか。

悪い気はしない。なにせ雪乃の事を知っていると言っていたが、

昴から聞いたとしか言わなかった。

これはある意味思い込みが激しいと言われるかもしれないが、

雪ノ下姉妹はうちの大学では有名すぎるほど有名な姉妹だ。

生徒の間だけでなく、

教授たちの間であっても知らない人はいないレベルにまで達していた。

教授レベルまで達してしまったのは、

陽乃さんの行動によるものなんだが今はまあいいだろう。

噂なんて、眉をひそめてしまう内容まで作りだしてしまうのが現実だ。

たしかに陽乃さんの行動は、噂以上にぶっとんでいるのもあるから

あながち嘘ではない気もするが、噂で知っていますと言われるよりは、

共通の知人、ここでは弥生昴から聞いていますと言われる方がよっぽど信頼できる。

これは勘ぐりすぎかもしれないが、こんな小さな気遣いができるのが弥生昴であり、

その姉の弥生夕も当然同じレベルの気遣いができる人間であるのだろう。
776 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:31:36.06 ID:RpzwNEHw0

一応自己紹介を終えた俺達は、俺と雪乃の分の紅茶とケーキを注文する。

・・・まあ、なに。俺の事は比企谷で定着していることは、まあ、いいさ。

いじけてなんかいないんだからねっ!

注文後、しばしの静けさの中少しばかりいじけてはいたが、

夕さんの視線に気が付くと、どういうわけか自分まで晴れ晴れとした気持ちになってしまう。

というわけではないが、このまま夕さんに見惚れてしまうのはやばいと本能が

察知した俺は、適当な話題を振ることにした。



八幡「そういえば、今日はメガネかけていないんですね?

   以前会った時はメガネかけていましたよね」

夕「ええ、普段はかけていないんですよ」

昴「僕はメガネをかけなくても問題ないって言ってるのに、

  わざわざ伊達メガネをかけているんだよ」

八幡「じゃあ、目が悪いっていう訳じゃあ・・・・・・」

昴「両方視力2.0だよ」

八幡「だったら、なんでかけてるんです?」

夕「それは・・・・・・」



俺の問いかけに、夕さんは頬を少し赤く褒めあげながら視線を斜め下にそらした。

そんないじらしい恥じらい姿に、雪乃が隣にいるっていうのに今度こそまじで見惚れてしまう。

おそらく意識してやっていないんだから、ある意味陽乃さん以上にたちが悪いというか

注意すべき存在だと認識してしまう。



昴「メガネをかけたってたいして変わり映えしないのに、顔が幼く見えるのが嫌だって

  メガネをかけて伊達威厳をかけているんだってさ」

八幡「はぁ・・・・・・」



たしかにメガネなしだと高校生でも通用しそうだが、これって平塚先生が聞いたら

泣いちゃうぞ、きっと・・・・・・。

人によっては想像もできない悩みがあるんだなって思い、

今度こそ雪乃の存在を忘れて夕さんの顔をまじまじと観察してしまった。

・・・・・・一応テーブルの下での血の制裁があったとこだけは示しておこう。




俺達が注文した紅茶とケーキが運ばれてくる。

身なりをしっかりと整えた渋い初老の男性店員がティーポットとカップを

必要最低限の騒音だけをたてて置いてゆく。

ふいにカップに手が伸びカップを手に取ると、カップから温かさが感じ取れた。

おそらく客に提供する前に暖めたのだろう。

小さな気配りが、昴がお勧めする店であることに納得してしまった。

雪乃もそれに気が付いているようで、口角を少しあげながら

嬉しそうに紅茶が注がれていくのを見守っていた。


777 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:32:10.32 ID:RpzwNEHw0


紅茶を飲み、ケーキが食べ終わるまで俺達の会話は弾んでいたと思う。

ケーキも想像通り美味しかったし、

なによりも雪乃が自分以上の腕前だと紅茶を誉めた事に俺は驚きを隠せないでいた。

これならばきっと陽乃さんも気にいるだろう。

そうなると、この喫茶店で待ち合わせという事も今後増えるのだろうかと

お財布事情を考えなければ素晴らしすぎる未来に思いをはせる。

雪乃や陽乃さんは、財布の中身なんか気にしないで好きな物を注文するんだろう。

俺はついこの間も馬鹿親父に申請した小遣いアップ申請を即時却下されたばかりなのに。

まあいいさ。雪乃も陽乃さんも、その辺の俺の懐具合はわかっているから、

無理に俺を誘ったりはするまい。

いや、俺だけ水で、二人だけ紅茶とケーキってことはあり得ないか?

よくて俺だけ紅茶だけとか。

まあ昴も未来の俺の同じように紅茶だけのようであった。

昴はこの中でただ一人ケーキを注文していないが、

紅茶だけで十分満足している様子である。

さすが普段から俺の相手ができる昴とその姉というべきか。

夕さんも話をする端々に相手を思いやる繊細な心づかいが伺えた。

雪乃もそれを察知してか、柔らかい頬笑みを浮かべながら今も夕さんと会話を楽しんでいる。

だが、雪乃がティーポットに残っていた紅茶をカップに注ぎ終わった時、

それは突然訪れた。

今までほんわかいっぱいの雰囲気を振りまいていた夕さんが、

俺に初めて声をかけてきたとき以上に緊張した面持ちで

俺と雪乃の前で姿勢を正して語り始めようとしていた。

俺と雪乃も、目の前から発する重たい空気を感じとる。

ただ事ではないプレっっシャーに、夕さんと同じように姿勢を正し、

これから語り始めるだろう夕さんの言葉を聞き洩らすまいと

身構えるように耳を傾ける。

そして昴は、これから何を語るのかに気がついたようで、

やや青ざめた顔で夕さんを見つめていた。



昴「姉さんっ」



重い沈黙をやぶったのは昴だった。

ここまで昴が取り乱しているところは見たことがなかった。

この事から、これから夕さんが話す話題の中心は

昴の事だって推測するのはたやすかった。

夕さんは手元にあったケーキ皿とティーカップを少し横に寄せてから、

再び俺達に視線を向ける。

俺達は、昴には申し訳ないが夕さんを止める事は出来ない。

それだけの意思がその瞳には込められていた。

昴も夕さんの意思が固いとわかっているのか、これ以上の抵抗はよしたようだった。


778 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:32:49.34 ID:RpzwNEHw0
夕「比企谷君たちには、いずれは話そうと考えていましたよね」

昴「そうだけど・・・・・・」

夕「それとも今日はやめておきます?」

昴「いや、任せるよ」



ここで話を切られても、重大な何かがありますって宣伝しているものだ。

仮に話を切ったとしても、俺は見ないふりをするだろうし、

雪乃も態度を変えることはないだろう。

でも、弥生の顔色を見ていると、どうも俺の懸念は考えてはいないように見えた。

ここまで話したから話の流れで話を進めるというよりは、

姉に背中を押されたから決心できなかったことにようやく決心できたという方が

正しい気がした。



夕「どこから話せばいいのか迷ってしまうのですが、手近なところからお話ししましょう」



そうゆっくりとだが、しっかりとした口調で語りだす。

俺達は軽く頷き、聞く意思を示した。



夕「ありがとうございます。

  ・・・・・・まず、昴がケーキを頼んでいないのに気がついたかしら?」

雪乃「ええ、気が付いていました」



俺も首を縦に振って肯定する。



雪乃「甘いものが苦手だったのかと」

八幡「いや、弥生は・・・、昴は甘いものが好物だって言ってたと思う。

   由比ヶ浜が美味しいケーキ屋について話していたときに昴もケーキが好きだって

   言ってたと思うし」

昴「よく覚えてるね」

八幡「たまたまだ。・・・たしか昴が紹介してくれた店に行ったはずだからな」

昴「どうだった?」



昴が間髪いれずに店の事を聞いてくる。

それを聞いて夕さんは話がそれていると瞳で注意を促す。

けれど昴は夕さんの意向を踏みつぶして話を続行するようである。

おそらく昴はいまだ決心ができていないのだろう。

ならば・・・・・・、俺は夕さんに向かって一つ頷いてから昴の話にのることにした。



八幡「ん? 美味しかったと思うぞ。雪乃も好きな味だって言ってたはずだし」

雪乃「ええ、たしか歯科大の近くのレストランだったわね」



雪乃も俺の意図に気が付き、話に合わせてくる。

もはや夕さんも納得したようで、もう何も語ってはこなかった。
779 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:33:23.88 ID:RpzwNEHw0
昴「道がわかりにくい場所で大変だったでしょ?」

八幡「大丈夫だったよ。あの時は昴が地図書いてくれたからな」

昴「地図がお役にたててよかったよ」

八幡「いやいや、こっちが書いてもらったのだから、

   お礼をしないといけないのはこっちだよ」

雪乃「ありがとう、昴君」

昴「あそこのパスタやピザも、なかなか美味しかったんじゃない?」



昴が紹介した店は、パスタとピザのレストランである。

本来ならばパスタやピザの方が有名なのだが、昴一押しはメインの品ではなく

デザートのケーキであった。

中でもチーズケーキを勧めされていて、レストランの中では色々なケーキをシェアして

食べたが、テイクアウトではチーズケーキのみを選択したほどであった。



八幡「ああ、あれから何度行ってるよ。

   車がないと不便な場所っていうのが難だけどな」

雪乃「今は車があるから気軽よね。またおねだりしようかしら」



と、夕さんが見守る中、俺達3人は意図して話を脱線させたままにする。

けれど、それであっても夕さんは話を無理やり勧めようとはしなかった。

じっくりと昴が決心するのを待ってくれていた。



昴「ごめんね姉さん。大事な話の途中で腰を折って」

夕「ううん。これも話したいことの一部でもあるから問題ないわ」



その返答に、俺と雪乃は訳がわからず顔を見合わせてしまう。

一方昴だけは理解していたみたいであったが。



夕「そのレストラン。相変わらず美味しいですか?」

八幡「はい、美味しいです」

雪乃「そうですね。リピーター客が多いみたいで、相変わらず繁盛しているみたいでした」

夕「昴はね、今はそのレストランでは、ケーキしか食べられないの」

八幡「え?」

夕「正確に言うのでしたら、テイクアウトのケーキしか食べられない、かしらね」



俺と雪乃は、自分達と夕さんのケーキ皿を見てから、

ティーカップしか置かれていない昴の手元を確認した。

たしかに、テイクアウトではないケーキはこのテーブルには用意されていない。

つまりは、テイクアウトではないから、今昴はケーキを食べていないって事になる。



八幡「それって、どういう意味ですか?」



俺は問わずにはいられなかった。聞かなくたっていくつか仮説は立てられる。
780 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:33:53.99 ID:RpzwNEHw0

つまり、外での食事ができないという事なのだろう。

どうやらドリンクは大丈夫みたいだが、どの程度の食事までが無理かはわからない。

由比ヶ浜が言っていた昴が昼食時には消えるというのも関係あるのだろう。

今手にしている情報からでも結果だけはわかる。

では、どうして食事ができないか。原因だけはわからない。

だから俺は、平凡すぎる問いしかできなかった。



夕「そうね・・・・・・。基本的には、外食は無理です。条件次第では改善している点も

  あるのだけど、それでも普通に外食をするのは無理かな」

雪乃「理由を聞いてもよろしいでしょうか?」



雪乃も問わずにはいられなかった。けれど、好奇心からではない事は

その意思が強い瞳から感じ取ることができた。

ようは雪乃も昴と正面から向き合うってことなのだろう。



夕「ええ。これから話しますけど、昴が高校3年生になる春休みの時まで遡ることになります。

  それでもいいかしら?」

雪乃「中途半端な情報よりは、しっかりと聞きてから・・・・・・、

   どうお力になれるか考えさせて下さい」

夕「それで構いませんよ」



夕さんは俺達の顔をもう一度確かめたから小さな笑顔で返事をした。

先ほどまでの柔らかい印象は損なわれてはいないが、強い決意が宿っており、

日だまりのような温もりが満ち溢れている。

しっかりと冷房が効いているはずなのに、窓から降り注ぐ真夏の陽光が

ちりっちりっと皮膚を焼き、ひんやりとした汗が背中を這う。

決意なんてものは聞いてみなければわからないって返すしかないのが実情だ。

しかし、親しい人間が痛みを隠して笑ったり、平気なふりをしているのを

見ないふりができるほど精神は腐ってはいないし、鈍感ではない。

俺は一度瞼を閉じて、すぐに瞼を開ける。別にこれで頭がリセット出来るわけではないが、

リセットしたと思う事くらいは効果はあるはずだ。

さて、雪乃も俺と同じように理由がわからないことに焦点を当てていたらしい。

ただ、その原因を聞いたとして、どう判断するか、どう接すればいいのか。

実際俺達にできることなんて限られている。

雪乃だって、力になれるのか考えさせてほしいと慎重な姿勢だ。

実際聞いてみなければわからない。

こういうシリアスなときほど言葉のニュアンスを選びとるのは大変だ。

期待だけさせておいて、話を聞いたら突き放すだなんて、雪乃にはできやしない。



夕「私たちの実家は東京なのですが、昴も高校を卒業するまでは実家で暮らしていました。

  私は既に実家を離れ、千葉で暮らしていたので当時の事は話を聞いただけなのですが、

  今思うと、あの時実家に戻っていればと後悔せずにはいられません」

781 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:34:22.64 ID:RpzwNEHw0
昴「姉さん・・・・・・」



弥生姉弟が軽く視線を交わらすが、俺達は話の腰をおらないように黙って続きを待った。



夕「東京だけではないですが、移動となれば電車ですよね。

  数分おきに来る電車に乗ったほうが車より早く着きますし、高校生となれば

  移動の手段の主役は電車となるのは当然でした。

  しかし昴は、高校3年生になる春休みを境に、電車に乗れなくなりました。

  一応薬を飲んで無理をすれば乗れない事はなかったようですが、

  高校3年の1年間は、今でも夢に見るほど苦痛だったようです。

  なにせ、高校に行くには電車に乗らなければ無理ですからね。

  便利なツールがある分、それが使えないのは苦痛でしかなく、

  しかも人には言えない理由となれば、高校生活も暗くなるのは当然だと思います」



ここまで一気に話きると、夕さんは昴の様子を伺う。

2年前の話であり、昇華できるいる問題とは思えない。

それでも昴の顔には苦痛は見えず、むしろ俺達を気遣っているとさえ思えた。



夕「電車に乗れなくなった原因はパニック障害です。

  昴の場合は電車限定ですが、薬を飲んで無理をすれば乗れる分

  他の人よりは軽かったと言えるかもしれませんが、だからと言って

  正常な生活を手放した事には変わりはないのです。

  きっかけは予備校に通う電車の中で気分が悪くなって倒れ、そして、

  救急車で搬送された事だと思います。

  ただ、なぜ倒れたかはいくら検査を受けてもわかりませんでした。

  昼食で食べたものが悪かったのか、それとも風邪気味だったのか。

  もしくは胃腸に問題があったのか、あとで胃カメラものみましたが、

  結局は根本的な原因はわかりませんでした。

  でも・・・・・・」



夕さんは一度話を中断させ、ティーカップを選ばずに水が入ったグラスを選択して、

冷たい水で喉を潤した。

やはり重い内容であった。聞いた事自体は後悔してはいない。

運悪く面倒な奴と喫茶店で出くわしたなんて思いもない。

ただ、ここまで辛い思いを昴が隠していたことにショックを覚えた。

まだ話の途中だが、昴はどう気持ちの整理をして俺と接していたのだろうか。

俺はなにか無意識のうちに昴を傷つける事をしていなかったかと不安になる。

無知は救われない。知らなかったからといって許される事はない。

むしろ、無知は罪だ。



夕「比企谷君。辛いですか? ここで引き返してもいいのですよ」



夕さんはあくまで低姿勢で、大事な弟よりも俺達他人を気遣っている。
782 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:35:14.10 ID:RpzwNEHw0

昴さえも同じ意識のようだ。

俺はそれがたまらなく辛かった。自分よりも他人を気遣うこの姉弟に、

俺はあなた達が気遣う必要がある人間ではないって教えてあげたかった。



八幡「違いますよ。・・・知らなかった事とはいえ、なにか昴を不快な目にさせなかったかなと

   思い返していただけです」

昴「大丈夫。慣れ・・・問題なかったから」



昴らしからぬミスに、俺の気持ちは沈んでゆく。

昴ならば、相手が気がつかないように言葉を選択するはずだ。

それなのに、今の昴は精神が追いこまれていて、それができない。

つまり俺は、昴に対して無神経な言葉を吐いたことだ。

さっき言葉を飲み込んだのは、慣れてしまった。

無神経な言葉に慣れてしまった、と言わないでおこうとしたのだろう。


八幡「そうか」



だから俺は短く言葉を返す。

言い訳は当然のこととして、意味がないフォローはそれこそ不快にしかならない。

これが最低限使える返事だと思う。

ベストでもベターでもない、どうにか役に立つかもしれないボーダーラインぎりぎりの言葉。



夕「では、話を進めても?」

八幡「お願いします」

夕「では・・・・・・。結局体の健康上の問題はすぐに回復しました。

  ただ、精神的な後遺症を残したのが大問題でした。

  つまり、電車で倒れたトラウマで電車に乗ると気持ち悪くなってしまうのです。

  しかも、電車に乗って吐いてしまうのを避けようとする為に、外での食事さえも

  避けるようになり、食べると吐きそうになってしまうのです。

  実際吐く事はほとんどありませんでしたが、動けなくなるという点では

  大きな問題を抱えてしまったわけです」

雪乃「無理をすれば電車に乗れるのですよね。

   では、どのくらいの無理を強いられるのでしょうか?」



雪乃の眼には憐みは含まれていない。凛とした背筋で問う姿が何とも心強かった。



783 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/02(木) 17:38:29.65 ID:RpzwNEHw0

夕「ええ。今では精神安定剤を飲まなくても、どうにか電車に乗れるようにはなりましたが

  当時は精神安定剤なしでの乗車は不可能でした。

  できれば座って乗車したいほどで、満員電車を避けるべく、

  部活に入っているわけでもないのに朝早く高校に登校していました。

  ただ、下校は家に帰れる、安心できる場所に逃げられるという意識のせいか、

  比較的楽に帰ってこられたそうです。

  でも、精神的余裕のなさから予備校には通えなくなりましたが」

八幡「それはきついですね。高3で、まさしく受験生なのに」



一般の受験生以上の負担を強いられるわけか。

由比ヶ浜の指導も大変だったが、

それとは違う角度での負担は漠然とした想像しかできなかった。



夕「その点は、弟自慢ではないですが、勉強面では不安はありませんでしたよ」

え? なにこの弾んだ恥じらいの声?

昴「もうっ、姉さんったら」

ええ? なにこのデレている弟?

夕「だって、昴だったら、どこの国立大学でもA判定だったじゃない」

昴「そうだけど、さ」

夕「予備校だって、友達といたいから通っていたって言ってたじゃない」

昴「予備校で知り合った友達は、高校の雰囲気とは違って新鮮っていうか」



あれ? シリアス展開だったんじゃないの?

俺からしたらシリアスよりも、目の前で展開中のブラコン・シスコンカップルの

萌えを見ている方が和むんだけど、見た目があまりにもお似合いのカップルすぎて

ちょっと引き気味になってしまう。

・・・・・・雪乃は苦笑いを噛み殺して話を続きを待っていたけどさ。

じゃあ俺は、生温かい視線でも送っておくよ。



第45章 終劇

第46章に続く
788 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/09(木) 17:29:29.15 ID:efeD18EI0

第46章





夕「こほんっ・・・。話がそれましたね」



俺の腐った目が生温かい熱のせいで腐臭を増していくのに気がついたのか、

夕さんは上擦った咳をしながらも場を収めにかかる。



八幡「いえ、大丈夫ですよ」



俺の方もたぶんクールに言葉を返せたはずだが、若干声が上擦っていたかもしれない。

なにせ一瞬であろうが恋に落ちた相手が目の前でいちゃついてたんだもんな。

しかも姉弟でだし・・・・・・、リアルでこういうのってあるだな

と、変な所で感心しつつ興奮を隠せないでいた。



夕「それでですね・・・・・・」



つえぇなぁ・・・・・・。もう立ち直ってるというか、マイペースなのかもしれないけど、

健気に立ち上がろうとするその姿に俺は心を激しく揺さぶられてしまいますよ。

つまりは、やっぱまだ恋は続いているそうです。

一応俺は誰にも見せられない夕さんプロフィールをこっそり更新させておく。

むろん雪乃プロフィールは墓場まで誰にもみせないで持っていくつもりだ。

小町や戸塚のならば本人に延々と可愛さを訴えてもいいけど。



夕「本来ならば、昴は東京の実家に残って東京の国立大学に入る予定でした。

  その実力もありましたしね。でも、実際選択したのは千葉の国立大学です。

  そして私が所属している大学でもあります。

  理由はお察しの通り私がフォローする為です。

  住むところは電車に乗らなくていいように

  私も大学まで徒歩で来れるアパートに引っ越しましたし、

  昼食も食べないわけにはいかないので、私の研究室で一緒に食べられるように

  リハビリしてきました」

昴「大学1年の冬になりかけた頃に、やっとどうにか食べられるようになっただけだけどね。

  高校の時は全く食べられなかったから、それと比べれればずいぶん進歩したって

  姉さんは誉めてはくれているけどね。

  高校の時は学内では全く食べられなかったけど、受験生ということで昼食の時は

  図書館にこもっていても不審がられないのは運が良かったというのかな」

八幡「考えようだな」

昴「だね」

雪乃「では、昴君は夕さんと一緒に暮らしていらっしゃるということでいいのですね」

夕「ええ、そうです。その方が自宅でのサポートができますからね。

  それに、大学で体調を崩した時も家が近いと便利ですからね」

789 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/09(木) 17:29:54.45 ID:efeD18EI0



雪乃の質問に夕さんは誠実に答えていく。

まっすぐ雪乃を見つめ返すその瞳は、隠し事をしないと意思表示しているようであった。



昴「もう一生姉さんには恩返しができないほどの恩を貰ってしまったかな」

夕「いいのよ。私が好きでやっているだけですもの・・・・・・」



だから、そこっ! 見つめ合わないでっ。

シリアスな展開なら、最後までシリアスで通してくれよ。

どうして途中途中でブラコン・シスコンカップルを眺めなければならないの。

しかし、俺の視線に気がついたようで、夕さんはすぐさま話の軌道修正を図った。



夕「今は私と研究室で食事をすれば対処できていますが、いつまでもそれができるわけでは

  ないでしょう。それに、この問題を解決しなければ、昴の夢を諦めなければならなく

  なるので、それだけは絶対に避けたいんです」



力強い意思がこもった言葉に、俺は夕さんの想いの強さを感じ取る。

いい姉弟だと思えた。陽乃さんと雪乃もやたらととがっているところがあるが、

これもいい姉妹だと最近では思えるようになってきている。

そもそも誰であっても何かしらの問題を抱えている。

俺はもちろんだが、

あの陽乃さんだって大きすぎて一人では抱えられないほど巨大な問題を抱えていた。

普段の行動だけでは真意はわからないって陽乃さんのことで経験したはずなのに、

今回の昴の事でも気がつかないでいた事で自分の未熟さを痛烈に実感させられてしまった。



雪乃「東京の大学も夢の実現の一部だったのではないのでしょうか?」

昴「絶対行きたい大学だとは思っていなかったけど、夢を実現する為に通るべき道だとは

  思っていたかもしれないね。でも、千葉の大学に来て、比企谷や雪乃さんに

  出会えた事を考えると、こっちにきてよかったと、心から思えているよ」



柔らかい笑顔を見せるその姿に、戸塚以外ではあり得ないと思っていた男に惚れそうになる。

いや、まじでこれを見た女どもはほっとかないだろ。

皮肉でもなんでもないが、これは強烈だと思えてしまう。

浮かれている自分を不審がられていないかとちょっと、いや、

やたらと心配して雪乃を状態を盗み見る。

・・・セーフ、かな? どうやら雪乃も昴の発言を嬉しく思っているようだが、

感動止まりらしい。それに俺の事も不審には思ってはいないみたいだ。

これはこれで安心したのだが、もしかして俺って変なのか?と、

顔が青くなるくらい本気で自分の嗜好を疑いそうになってしまった。



昴「迷惑だったかな?」



790 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/09(木) 17:30:25.74 ID:efeD18EI0
俺の自分勝手な暴走に昴は勘違いして不安を覚え、声がか細くなってしまう。



八幡「いや、俺も昴に出会えてよかったよ。

   ・・・もし昴がいなかったら、由比ヶ浜以外に話す相手がいなかったなって

   思えてさ。男友達となるとゼロだったんだなって」

昴「そう? 比企谷ならきっと友達できたはずだよ。

  最初はぶっきらぼうな人だと思っていたけど、思いやりがある人だってわかったし、

  それに惹かれて近寄ってくる人がきっと現れたはずさ」

八幡「そうか?」



思わぬ誉め言葉に俺は頬を緩め顔を崩す。これは恋かもしれない。

なんて、もう言ったりはしないが、心地よい温もりを感じさせてくれる言葉に酔いしれる。

だからといって友達が欲しいわけではないのは今でも、これからでも変わらないだろう。

ただ、側にいて苦痛にならない人間ならばいても悪くないと、

・・・・・・居て欲しいとさえ思えるようになったのは、

人として成長しているかもしれないと柄にもなく思ってしまった。



昴「でも比企谷の事だから、自分からは友達作らないんだろうけどね」

八幡「おい・・・。誉めるのか貶めたいのかはっきりしろ。

   精神的に疲れるだろ」

昴「そうかな? なら、比企谷は友達ほしいって思ってる?」

八幡「どうかな・・・・・・」



これは率直な俺の意見であり、嘘も建前もない。

わからない。今はそう判断するのが正しいと思えた。

自分では判断できないのが、今俺が出せる結論であり、限界でもある。

いくら雪乃という彼女ができたからといっても俺が今まで築いてきた人生観が

変わるわけではない。

ぼっちをなめるなとか言うつもりもない。

好きでぼっちをやっていたわけであり、後ろめたい感情も持ち合わせてもいない。

だけど、雪乃が紅茶を愛していても、コーヒーが嫌いではなく、むしろ好きな飲み物で

あったように、俺もぼっちであった自分を誇りに思っているのと同時に、

誰か自分の側にいて欲しいと思ってしまったとしても、俺のアイデンティティーが

崩壊するわけではないと考えることができる。

それが一見すると矛盾しているように見えたとしても、人間の感情はロジカルでは

ないのだから・・・と、自己弁護したことも付け加えておこう。



昴「だろうね。比企谷ならそう言う思った」

八幡「まあな」

夕「昴は、比企谷君の友達ではないの?」



夕さんの素朴すぎる疑問に息を飲む。これが由比ヶ浜あたりの問いならば、

いくらでも適当すぎる回答ができたはずだ。
791 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/09(木) 17:30:57.16 ID:efeD18EI0
でも、今目の前に問うているのは昴の姉である夕さんだ。

ごまかしがきかない。

俺をまっすぐと見つめ、瞳の奥深くにあるかもしれない俺の心を射抜いてくる。



八幡「わかりません」



そう言うしかなかった。これも俺の本音だ。



八幡「今まで友達なんて欲しいとも思わなかったし、

   いたとしても人間関係が面倒だって思っていましたから。

   でも雪乃と出会って、自分勝手な偶像を押し付けるのは

   相手にとっても、自分にとっても、視野を狭めるしかないってわかりました」



雪乃を見ると、首を傾げて俺を見やり、「そうなの?」って訴えかけてくる。

これは雪乃にも話したことはない偏見。

勝手に雪乃を理想化して、勝手に裏切られたと思って、そして、

自分の馬鹿さ加減を直視した昔話だ。

雪乃だって嘘をつく。隠したいことだってある高校生であるはずなのに、

俺の理想で塗り固めてしまった。

俺が作り上げた雪ノ下雪乃を通して雪乃を見ていたって言えるだろう。

雪乃にとっては、はた迷惑極まりなかっただろうに。



八幡「雪乃の一面しか見ていないのに、勝手に知ったかぶってもたかが知れているんですよ。

   今でも知らない部分の方が断然多いでしょうし、それで構わないと思っています。

   えっと・・・つまり、何が言いたいかといいますと、

   今知っている面と、これから知る面。そして、一生かかっても知ることがない面の

   全てを兼ね合わせて雪乃が出来上がっているわけなんですが、

   たぶん新たな面を知って戸惑う事があるでしょうし、また、

   知っていたとしても苦手に感じてしまうところも正直あります。

   そんな面倒すぎる相手であっても、雪乃となら一生付き合っていきたいなって

   思ってしまったわけで・・・。すみません。

   今、自分で何を言っているかわからないっていうか、まとまってないところが

   多分にあって、それでも、雪乃とだったら、うまくやっていける・・・、

   そうじゃないな、側にいたいって思ったんです。

   あと、雪乃以外でも由比ヶ浜っていう面倒すぎる奴もいますが、

   こいつは色々と俺の平穏な日常をかき乱すんですけど、今ではかき乱されるのも

   いいかなって思ってしまっている自分がいまして。

   あとは、雪乃の姉の陽乃さんって人もいまして、この人は由比ヶ浜以上に台風みたいな

   人でして。でも、陽乃さんに対しても、ほんのわずかな側面しか

   見ていなかったんだなって、最近知ることができたんです。

   今では新たな一面を見せてくれるたびにハラハラして、新鮮な毎日を送っています。

   えっと、だからですね・・・。弥生に対しても・・・・、昴に対しても、

   そういうふうになっていくのかなって、なったらいいなと、思っています」
792 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/09(木) 17:31:25.06 ID:efeD18EI0

夕さんの問いかけに、うまく答えられただろうか。

言っている自分でさえ矛盾だらけの演説だって落胆してしまう。

今思うと、けっこう俺、恥ずかしいこと言ってなかったか。

今となっては雪乃の反応さえ見るのが怖い。

ましてや、俺の事を多くは知らない夕さんや昴に対してはなおさらだ。

喉がいがらっぽい。長く話しすぎたせいだけではないってわかっている。

でも、冷めきった紅茶を飲むことで喉を潤せられるならばと、カップをぞんざいな手つきで

掴み取ると、一気に喉に流し込む。

やはり紅茶だけでは喉は潤わない。だから、まったく手をつけていなかった水のグラスも

強引に掴むと、これもまた一気に喉に流し込む。

氷がほぼ溶けてしまった水はほどよく冷えていて、

喉に潤いと爽快感をもたらしてくれた。

血が頭に上っていた俺をクールダウンさせるには最適なドリンクではあった。

と同時に、張りつめていた緊張を自動的にほぐす効果もあったわけで・・・、

俺は何も心構えをしないまま顔をあげ、弥生姉弟と対面することになった。

俺は無防備なまま弥生姉弟を直視する。

普段の夕さんを見た事はないが、

教壇に立つときのように毅然とした態度で俺を観察しているように思えた。

一方昴は、相変わらずいつも俺に接しているときのように、柔らかい表情を浮かべていた。

ついでにというか、一番結果を知りたくない雪乃はというと、

顔がかっかかっかしていまだ確認できていない。

だけど、知らないままではいられない。俺に似合わない独白までしたんだ。

しっかりと見ておく必要があるようと強く感じられた。

首を回すとグギグギって擦れてしまうそうなのを強引に回して様子を伺う。

見た結果を述べると、よくわからないであっているだろう。

なにせ俯いていて、雪乃の後頭部しか見えなかったのだから。

でも、テーブルの下で俺の膝上まで伸ばされた指が、俺の手の甲をしっかりと

握りしめていることからすれば、けっして悪い印象ではなかったのではないかと思えた。



夕「それはもう友達ということでいいのではないかしら?

  普通そこまで考えてくれないと思うわ。  

そこまで考えてくれているってわかって、よかったといえるかしらね。

  ね、昴?」

昴「あ・・・、うん。やっぱり千葉に来てよかったよ」

八幡「そう、か・・・? 昴がそう思うんなら、よかったの、かな?」

昴「だね」



テーブルの下で握られていた手がよりいっそう強く握られる事で雪乃の存在を確認し、

そっと雪乃の方に瞳をスライドさせる。

まあ、いいか。なにかあるんなら、あとでゆっくり聞けばいいし。

聞くまでには心の準備もできているだろうしな。



793 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/09(木) 17:31:57.88 ID:efeD18EI0

雪乃「でも、昴君は何故八幡と友達になったのかしら?

   自分の彼氏を貶すわけではないのだけれど、八幡は元々積極的に友好的な

   関係を築く方では・・・、いえむしろ交友関係を断絶しているといっても

   いいほどだといえるわ。

   だから、そんな内向的な人間に、どうして昴君のような人間として出来ている人が

   接してみようと思ったのかしら?

   そもそも八幡に近づくメリットなど皆無だし、むしろデメリットの方が・・・」



俯きながらも透き通る声はくぐもる事を知らずに響き渡る。

雪乃は貶さないと初めに断っておきながら、

デメリットばかりあげていくのはどうしてだろうか。

ここで俺が口を挟んでも、雪乃の的確すぎる指摘は止まらないだろうし、

俺は精神を削り取られながら雪乃が飽きるのを待つしかない、か。

ただ、雪乃が誉めるほどの人格者の昴は、雪乃の暴走を止めるべく、

話の流れを引き戻してくれる。



昴「比企谷と初めて話した時、比企谷について何か意識したわけではなかったと思うよ。

  授業でグループでレポート出さないといけない課題があって、

  その時のグループの一員がたまたま比企谷のグループの人と友達だっただけで、

  その接点でたまたま比企谷が近くにいただけだったと思う。

  たしか一人で黙々とレポート取り組んでいたのは、今でも覚えているよ」

雪乃「はぁ・・・。やはりどこにいても八幡は八幡なのね」



ナイス、昴!と、心の中でガッツポーズをとるが、雪乃の間髪を入れずのご指摘に

俺は小さく拳をあげるのが精々だった。



八幡「グループ課題なんて、自分の分担はとっとと終わらせておくのがいいんだよ。

   遅れると文句出るだろ?」

昴「あの時も比企谷はそう言ってたよ」



昴は懐かしそうに語るが、俺は顔を引きつるしかなかった。

もちろん雪乃があきれ顔であった事はいうまでもない。



八幡「そんなこと言ったっけな。昔の事だから、忘れたな」

昴「まあ、あの時の比企谷は本当にレポートで忙しかったみたいだけどね。

  後で聞いたんだけど、比企谷が他の人の分のレポートまで押しつけられてたって」



あぁ、思いだした。早く自分の分担終わらせたせいで、

他の奴の分までやるはめになったんだっけな。

そのことだったら、今でも覚えている。

あのくそムカつく女。

あいつのせいで俺のレポート提出期限が守れなくなるところだったんだよな。

794 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/09(木) 17:32:39.49 ID:efeD18EI0
グループのうちで誰かしら一人が分担部分の仕上げ期限を守らないと、

自動的に俺までもがレポートの提出期限を守れなくなる。

これがグループ大きな弊害だ。

一番の弊害は、他人と一緒にレポートをやらなくてはならない事だが、

これと同じように足を引っ張られるのもたまったものじゃない。



八幡「いつも面倒事を押し付けられ慣れているから、いちいち全部は覚えてねえよ」



俺は嘘は言ってはいない。

いちいち「全部を」覚えていたら、ストレスが解消されなくなっちまう。

だから、面倒を持ちこんでくる「危険人物だけ」は覚えていて、

そいつらには近づかないようにしている。

まさしく日本人の典型パターンといえよう。サイレントクレーマーとは俺の事よ。

ただし、悪評を人に流す事がない分善良的かもしれないが。

ま、言う相手がいないだけなんだけど・・・・・・。



昴「比企谷ならそう言うと思ったよ。でも、自分の役割はしっかりとやるんだよね。

  たとえそれが理不尽な内容であったも」

八幡「買い被りすぎだ。それに世の中の8割は理不尽でできているから、

   あんなのありふれた日常だ」

昴「それでもだよ」

昴は困った風に笑って反論する。

昴「雪乃さんの問いかけの答えに戻るけど、その出来事で比企谷に興味を持ったんだけど、

  僕はがもともとレポートとかを収集して情報交換をしていた関係で、

  比企谷に話しかけることが増えていったんだ。

  比企谷は、レポートとかの課題は、提出期限よりも比較的前にやりおえていたしね」

八幡「そういやそうだったな。俺の方も昴から使いやすい参考文献とかの情報貰えるんで

   重宝していたけどな。まさしくギブ、アンド、テイク。悪くはない。

   最近の昴はコピー王とか言われるくらい有名になったしな」

昴「そのあだ名は恥ずかしいからやめてよ」

八幡「そう思うんなら由比ヶ浜に文句を言えよ」

昴「それはもう言ったとしても意味がないから諦めているよ」



一応弁解しておくと、今は由比ヶ浜はコピー王などとは言ってはいない。

由比ヶ浜がそのあだ名を使ったのは、おそらく一週間もないと思う。

しかし、名前って言うのは独り歩きするもので、

昴が流した情報と共にあだ名までもが広まってしまい、由比ヶ浜一人があだ名を

使わなくなったとしても、コピー王の名前は定着されてしまっていた。



八幡「あいつも悪気があってじゃないしな・・・・・・」

昴「それに、今は有名になりすぎた自分にも問題があるみたいだしね」


昴は独り言のように自戒する。

795 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/09(木) 17:33:53.06 ID:efeD18EI0
おそらく試験対策委員会のことだろう。

しかし、昴が今その話題を持ちあげてこないのならば、議題にすべきではない。

今はもっと切迫した問題が目の前にあるのだから。


夕「それで昴は、比企谷君と仲良くなっていったという事でいいのね?」


夕さんはおかしくなりかけた話の流れを修正する。

昴が夕さんに試験対策委員会との確執を話しているかはわからないが、

昴が何か抱えている事だけは気が付いているようではあった。


昴「どうかな? きっかけにはなったけど、決定的な要因ではないかな」

雪乃「と、いうと?」


雪乃も昴の異変に気がついてはいるみたいだが、昴の言う決定的な要因に

関心を示した様であった。


昴「比企谷は人の心に踏み込んでこないからね。

  ある程度の距離を保ってくれるというか、踏み込んできてほしくないところには

  けっして踏みこんでこない。
  そういうところが、問題を抱えている僕にとっては都合がよかったんだよ。

  それに人との関係もあるけど、勉強に関してもね」

八幡「当時は昴の事情なんて知らないだけだったけど、そもそも俺は人の内側に

   好き好んで踏みいれたりしないだけだよ。面倒だからな」

昴「それも、比企谷を見ていて気がついたよ。

  でも、最初は本当に都合がいいだけだったんだけど、いつの間にかに

  僕の方から比企谷の方に踏み込んで行きたいと思ってしまったけどね」

八幡「そ、そうか・・・」


どういえばいいんだよ。俺は好意を向けられるようなことなんてしてないと思うんだが。


夕「比企谷君の側にいる事によって昴も比企谷君の魅力に気がついていったって

  ことだと思うわ。表面上のうわべだけで判断したのではないと思うから、

  それだけ昴も比企谷君に惚れたってことではないかしらね」


と、夕さんがまとめてくるんだが、どうも男同士の友情っていうよりは、

男女間の恋愛話に聞こえてしまうのは気のせいだろうか。

まあ、深く考えたら負けだと思うので、俺にとって都合がいい部分だけ記憶して、

後の部分は聞かなかった事にしておく。


夕「昴と仲良くしてもらっている比企谷君には悪いとは思っているのですが、

  きっといいように利用しているって思われる事でしょうが、

  少し話を聞いてくれませんか?」


夕さんがうまく話をまとめてくれたと思っていたら、

夕さんの固く引き締まった声が俺に投げかけられてくる。

あの昴でさえ顔を引き締めていて、心細げに俺を見つめていた。


八幡「いいですよ。利用っていうなら、この前も昴に俺の身勝手なお願いを

   聞いてもらったばかりですし、お互い様ですよ」
796 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/09(木) 17:35:03.39 ID:efeD18EI0
この前雪乃の父親との会談に間に合うようにと昴には助けてもらったばかりだ。

あの時昴は、楽しげに恨み事を言いながらも手伝ってくれた。

ギブ、アンド、テイク、ではないが、人に頼られるっていうのも悪くないって

教えてくれたのは由比ヶ浜のおかげだろう。

たしかに、由比ヶ浜の性格がよくなければ、いい人すぎなければ、

由比ヶ浜の為に大学受験の家庭教師なんてするわけがなかったとは言い切れる。

それでも合格まで見届け、さらには今でも面倒見ているなんて、

俺が面倒と言いながらも楽しんでいなければ続きっこない出来事だ。

まあ、由比ヶ浜には絶対に楽しんでやっているなんて教えてやらんけどな。


第46章 終劇


800 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/16(木) 17:29:34.34 ID:sScYBCVF0
『はるのん狂想曲編』追加エピソード(第15章)


由比ヶ浜結衣誕生日(前編)



6月18日 月曜日



 大学の講義が終わり、

俺達のマンションに集まった一同は由比ヶ浜の誕生日パーティーを楽しんでいる。

ちなみに俺も楽しむ予定だったのだが、どうして食事の用意をしているのだろうか。

今も雪乃の指示に従って芳ばしい香りが鼻をくすぐる唐揚げが盛られた大皿を

運んでいる途中であった。

一方、俺の苦労も知らずに楽しんでいるメンバーといえば、由比ヶ浜、小町、

それに平塚先生があげられる。

この日の主役たる由比ヶ浜と役に立たない平塚先生は最初から除外されたとしても、

料理が得意な小町くらいはせっせと働くお兄ちゃんを手伝っても罰は当たらないよ?

でも、いいか。

小町も受験勉強でストレスがたまっているのだろうから、息抜きも必要だし。

この日ばかりは大学受験勉強中の小町も大義名分を盾にパーティーに参戦したけど、

そんな言い訳しなくても来てもらったのに。

ただ、小町を家に迎えにレグサスで行った時マジでひいてたけど、

それだけはマジでやめてくれ。


小町「本当にゴミいちゃん、雪乃さんのヒモになっちゃったんだね。

これもお兄ちゃんが選んだ人生だし、小町煩くは言わないよ。

お兄ちゃんがレグサス乗ってる事お父さんが悔しがるかもしれないけど、

小町だけはお兄ちゃんの味方だからさ」


 よよよっとわざとらしく崩れるのはいいとして、でも玄関先でやるのだけはよしてくれ。

これでも元主夫志望の身としては近所の目というのには気にしてるんだからよ。

たしかに俺もレグサスが家の前に横付けされていたら、親父が会社の金でも横領して、

ちょっとやばめの人が家ん中をひっかき回しにきたと思ってしまう。

そしたら貴重品だけ手にとって小町を連れて雪乃の所に批難だな。

おっとカマクラも釣れていていかないと小町と雪乃に怒られるな。

母親の方は弁護士頼んで離婚手続きで忙しいだろうし、俺が家族を守らないとな。

あまり頼りたくないけどこういうときは陽乃さんに相談するのが最善か。

勝手に親父をぐ~てれの悪者に仕立て上げてシミュレーションしてみてはみたが、

案外小心者で堅実な親父だから可能性としては低い未来だろう。

 よし、俺の家族で犯罪者になりそうな奴はなし。

ただこう言う事を考えるあたりは兄妹なんだな。俺も小町の事を言える立場でもないか。

そう考えると俺と小町の反応は似てるっていったら似ているんだろう。

さすがは兄妹ってところか、と変な所で感動してしまう。

 一方その点由比ヶ浜の順応性は高い。あほの子といえどもびっくりしたのはほんの一瞬。

すぐさまおつむを再起動した由比ヶ浜は、そんなこともあるよねぇ的なノリで、

あとは何事もなかったように雪乃と共に後部座席に乗り込んだ。

801 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/16(木) 17:30:42.15 ID:sScYBCVF0

 はた目から見ると俺は若い運転手って感じがしてしまったのは事実だが、

それに気がついてわざわざつっこんでくるあたりが由比ヶ浜らしくもあった。
 

静「さあケーキも食べたし、この辺で本日のメインイベントに入ろうか。な、雪ノ下」


 誕生日恒例のケーキに立てたろうそくの灯を消して、

誕生日プレゼントを各々献上するという由緒正しき典型的な誕生日パーティーイベントを

消化してきた俺達は、平塚先生の声に耳をむける。しかし、由比ヶ浜と小町の視線は俺と

雪乃が用意している料理のほうへの意識が強く、

正直平塚先生が言っている事を理解しているかは怪しかった。


雪乃「平塚先生。メインイベントとはなんでしょうか? 

  このあとは食事にしようと思っていたのですが」


 食事の準備をしながらも、一応平塚先生の事を忘れてはいなかった雪乃は、

とりあえずほっとくと面倒だからというオーラを隠す事もなく身にまとい、

平塚先生の相手をかってでる。

 いや、一度は俺に相手をしてあげなさいよと雪乃は視線を送ってきてはいたが、

こっちは今小町の相手を忙しいと首を振って辞退していた。なにせ小町ったら唐揚げを

盗み食いするんですもの。兄としては、めっ、と睨みをきかせないとな。


小町「も~らいっ・・・・・・・。ん、美味しいぃ。これ雪乃さんが作った唐揚げだよね。

  外はカリカリなのに固くなくてサックサク。
 
  しかも中はじゅわぁっとっと肉汁が溢れて来て、なんなのこれ。

お店でもこんなに美味しいの食べられないって。雪乃さんの料理の腕もさることながら、

誕生日ともあってやっぱ使っているお肉が違うのかな?」

八幡「ん? いつも買っている普通の鶏のもも肉だったと思うぞ」

小町「えぇ~、じゃあ味付けとか揚げ方が違うのかな?」

八幡「どうだろうな。でも最近唐揚げにこっていたから、その影響かもしれないけど」

小町「ふぅ~ん・・・・・・」


 おい、俺が役に立つ情報を提供出来なかったとしても、

もうちょっとは俺に敬意を払ってくれよ。

俺が勝手に小町の仕打ちにへこんでいると、由比ヶ浜が横からひょいと現れて、

唐揚げを一つつまんで口に放り込む。


結衣「そういえばゆきのん。津田沼の唐揚げ屋の味がどうとか言ってたよね」


 ちゃんと口の中のものを全部飲みこんでから話しなさい。

雪乃お母様が平塚先生の相手をしていなかったら口うるさく注意していたはずだぞ。

その口の中でもぐもぐしてはふはふしている姿が可愛いって言う奴がいうかもしれないが、

雪乃は甘くはないからな。

と、由比ヶ浜に注意してやろうと身構えていたら、

小町がもうひょいっともう一つ唐揚げをかすみ取ると、

由比ヶ浜のようにもぐもぐはふはふと食べながら話しだした。

なにこれ、可愛い。やっぱ可愛いは正義。つまり小町は正しい。

802 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/16(木) 17:31:48.86 ID:sScYBCVF0
小町「あぁゴミいちゃんが雪乃お義姉様の気持ちも考えないで暴言を吐いたやつですね」


 やだ、なにその冷たい目。雪乃直伝かよ。


結衣「なになに? ヒッキー、ゆきのんに何か言ったの?」


 俺に詰め寄る由比ヶ浜は、怒りと共にもう一つ唐揚げをとっていく。

非があるかもしれない俺としては強く出れないわけで、

由比ヶ浜のつまみ食いに注意さえ出来ずに皿が寂しくなっていくのを

眺めているしかなかった。


八幡「俺は別に何か言った覚えはないぞ。それに雪乃だっていつも通りだったし、

小町の勘違いって・・・・・・」

小町「ううん、それはゴミいちゃんが気が付いていないだけだって。
 

だって雪乃さん家に来て、比企谷家の唐揚げを食べさせてほしいって来たもん」


八幡「え? 初耳だけど」

結衣「やっぱヒッキー、ゆきのんにひどいこと言ってたんじゃない」

八幡「だから知らないって。で、小町どういうことなんだよ」


 俺の詰問に、今度は小町の方が「やばっ」と顔をしかめる。

どうせ雪乃に内緒にしておいてほしいとでも言われているんだろうけどな、

おそらく雪乃はいずればれるのを承知で一応口止めしているだけにすぎないと思うぞ。


小町「ん、まあどうせ雪乃さんもずっと内緒にするつもりではないと

   思うから言っても大丈夫かな」


 さすがは我が妹。自分の性格と雪乃の行動パターンを読んでいらっしゃる。

でも、自分のことをしっかりと分析できているんなら、もうちょっと頑張ってみようよ。

ほら、大学受験とか。

 俺の思いやりも知らないで小町はしれっと雪乃の方に目をやり、

特に確認を求める事もなく勝手に判断を下す。

俺としては小町も最初から雪乃の判断をわかっているあたりが問題だと思うんだが。

身内なら可愛い小町で済ませられるが、世間はけっこう秘密をばらした事が

ばれるのが早いし、恨みも買いやすいからお兄ちゃんとしてはその辺が心配だ。

ただ小町も、俺達相手だからセキュリティレベルを下げているんだろうから、

その辺は心が許されているって事で今日のところは納得しておくか。


小町「お兄ちゃん、津田沼の唐揚げ屋さんをべた誉めしたでしょ。

   しかも、前日の夕食で雪乃さんが唐揚げ作ったのにも関わらず」

結衣「それはひどいよヒッキー。夕食で食べたばかりなのに、

   次の日にまた唐揚げ食べるのもひどいのにさぁ」


 痛い。この四つの視線が痛いのはやっぱ俺のせいなのか。

これは二人のシンパシーによる共闘なのだろうけど、

俺としては別に酷い事をいったおぼえはないんだけどな。


八幡「いや、まて」
803 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/16(木) 17:32:40.38 ID:sScYBCVF0

小町「見苦しいよお兄ちゃん。ここは素直に謝るべきだと思うのです」

結衣「そうだよ。小さな不満が大きな決裂をうむんだよ」

八幡「だから、ほんとうにちょっとまってくれ」


 皿を両手に持った俺は、二人の気迫に押されて一歩後退する。

後退しても二人が一歩詰め寄ってくるので、俺達の距離は変わらない。

けれど、散々文句を言いながらも唐揚げを食べる手だけは止まる事もなく、

皿一杯に盛られていた唐揚げは半分ほどまで激減していた。


小町「ん、まあいいよ。じゃあ、見苦しい言い訳を言ってみて、お兄ちゃん」

八幡「ああ、まあそのな。だから唐揚げを買ったのは珍しい場所に

出店していたからなんだよ。普通人通りが多い所に出店するのがセオリーなのに、

大通りから一本中にはいった人通りがややすくない場所に出店していたんだよ。

しかも踏切前で車もとめにくい場所だったしな。だからどんなもんかなと

思って買ってみたんだけど、それが思いのほか美味かっただけだ」

小町「ふぅ~ん、それで?」

八幡「まあ俺としてはラーメン食べに行く途中にある場所だし、

   俺としては悪い場所ではないんだが、出店場所の意外性と新しいお気に入りの店が

   見つかったことで、ちょっと大げさに美味しいっていっちゃったのかもしれない、

   気もしないこともないような、あるような・・・・・・」

小町「そのとき雪乃さんも一緒だったんでしょ」

八幡「そうだな」

小町「その時の雪乃さんの反応はどうだったの?」

八幡「普通だったと思うぞ。雪乃も美味しいって言ってたし」

結衣「そうなの? 今度あたしも連れて行ってよ」


 ようやく一人脱落か。これで痛い視線の攻撃力も1割ほど減ってはくれた。

自他共に認めるシスコン、いや小町命の俺からすれば、

由比ヶ浜が抜けた事での攻撃力低下は1割くらいしかないと断言できる。


八幡「ああいいぞ。小町もどうだ?」


 となると、一番のネックの小町を攻略すべきだよな。俺は知っている。

小町も唐揚げが大好きだって知っているんだぞ。

あの雪乃でさえ認める唐揚げを小町がスルーできるかな?

 俺は不敵な笑みを心のうちで浮かべるが、ここは兄妹。

長年の一緒に生活してきた事とあって、

小町は俺のいやらしい笑みを心の目で感じ取っていた。


小町「まあ、小町としても実況見分しなければいけないか。

   雪乃さんの為にも行ってみようかな」


 籠絡完了。唐揚げの前には小町であってもちょろいもんだ。

あとは敗戦処理をうまくして、

ほぼ空になりつつある唐揚げの皿について雪乃に怒られるだけだ。


804 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/16(木) 17:33:51.55 ID:sScYBCVF0
八幡「それで構わないぞ。だったらラーメン食べた帰りに買って帰るっていうのはどうだ。

   もちろん買ってすぐに食べると熱々でサクサクなうえにジュワジュワで最高だから、

   二、三個はデザート代りで食べられるぞ」

結衣「それは、ちょっと・・・・・・」

小町「さすがにお兄ちゃんの妹でもある小町でも、

   そのチョイスは女の子の事をわかってないと言わざるを得ないよ」


 俺の最高の提案に賛同するばかりかげんなりしている姿に、

俺は幾分ショックを隠せないでいた。

 ラーメンで油で、唐揚げでも油。どう考えたって最高の組みわせだろうに、

これにどこが問題があるっていうんだ。


結衣「あたしはちょっとカロリーが気になるっていうか、

   食べ過ぎはよくないって思うなぁ」

小町「そうだよお兄ちゃん。美味しいものを食べ過ぎていると太っちゃうよ。

   ただでさえ雪乃さんの料理は美味しいんだから、このままの食生活が続くと、

   きっと太るよ・・・・・・・、ん? でもなんだかお兄ちゃんの体、

   引き締まってきてないかなぁ・・・・・・・んん?」


 両手に皿を持っているせいで小町が俺の体をなめるように観察していく姿は

直接見えはしないが、それでも視線で体を舐めるように這わせられては、

こすばゆいったらありゃしない。しかも、ついには手で直接触ってくるなんて。

……お兄ちゃん、禁忌さえも乗り越えてしまいそうだ。


八幡「ちょっと小町やめろって。料理運んでいる途中なんだし、落としたら危ないだろ」

小町「ちょっと黙っててよ。結衣さん、この脚触ってみてください」

結衣「え? どうして?」

小町「いいから触ってみてくださいって」

結衣「うん、まあ、ごめんねヒッキー。失礼しま~す」


 由比ヶ浜は小町に手をひかれて俺の太ももからふくらはぎまで触ってその感触を

確かめる。最初は恐る恐るって感じだったのに、数秒後には大胆に触りやがって。

こっちが動けないのをいい事におもちゃにしやがって。あぁ、俺の体が汚れちゃう……。


結衣「うそ、ヒッキーいつ筋トレしてるの?」

八幡「別にトレーニングなんてしてねえけど」

結衣「うそだぁ、だって脚の筋肉しっかりとついてるじゃん」

八幡「だから特別なにかトレーニングとかしてるわけじゃないって」


 疑惑の追及をやめない由比ヶ浜は引き下がろうとはしない。

それどころか疑惑がますます深まっていくようでもあった。


小町「たしかに高校の時から自転車通学してたけど、

ここまでの筋肉はついていなかったと思うんだよなぁ」


 なおも遠慮もなくぺしぺし脚を叩きながら呟く。

 最初に見せていた恥じらいはどこにいったのかなぁ……。

805 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/16(木) 17:34:51.41 ID:sScYBCVF0


小町「たしか大学入る前にロードレーサー買ったよね。もしかしてお兄ちゃん、その影響?」

八幡「どうだろうな? 雪乃も買ったんで一緒に走りに行ってるから、

   もしかしたらその影響下もな」

結衣「あっ、うん、そうだよ。ゆきのんの体も引き締まってきてたもん。

   今まではゆきのんだしそういうこともあるかな程度で気にしなかったけど、

   やっぱり裏があったんだね。でもゆきのんずるい。あたしがダイエット頑張ってるって

   知ってるし、相談もしてたのに、それなのに自分だけ自転車で痩せてたなんて」


 両肩を落とし、頭はうなだれ、しまいには絶望しきった声で悲壮にくれている奴が

目の前にいると、自分が悪いってわけでもないのに、どうしてもありもしない罪悪感を

感じてしまう。これが他人だったら見ぬ振りができるけど、

さすがに由比ヶ浜相手となるとそうもいかない。


八幡「雪乃も秘密にしていたわけではないと思うぞ。

   そもそも雪乃のロードレーサー買いに行ったときにはお前も一緒だっただろ。

   ロードレーサー見ててもすぐに興味を失って、ウエアばかり見てはしゃいでいただろ。

   覚えてないか?」


 ピタッとしたウエアを見て、●●すぎるぅとか言ってたんだよな。

由比ヶ浜が言うものだから、ほかの客がドキってしていたのを今でも覚えているぞ。

ほとんどの男連中が試着しろ~って邪な念を送っていたが、

見るだけで試着はしなかったんだよな。


結衣「たしかに……。でも走りに行く時誘ってくれないじゃん」

八幡「いや、それも誘ったぞ。でも早すぎてついていけないからって

   初回でリタイヤして、次誘っても来なくなっただろ」

結衣「え? そだっけ?」


 絶対覚えているって顔してるぞ、こいつ。


八幡「そうなんだよ。それに痩せたいんなら食事制限とか、

   ほかにもいろいろ面倒な事はやらないで運動すれば痩せるんだよ。

   体を動かせばエネルギーを消費して痩せる。当然のことだろ」

小町「お兄ちゃんはわかってないなぁ」

八幡「なんでだよ?」

小町「みんなが定期的な運動をできればダイエット産業がここまで

   繁栄するわけないじゃん」


 なに馬鹿なこと言ってるのっていう目が、

ちょっとばかし癪に障って殴り手てぇと思ってしまったが、

小町を殴ることなんて論外なので事なきを得る。

たしかにダイエットしてますって言う奴に限ってダイエット本とか何冊も持っているよな。

ダイエット始める宣言しては失敗し、より簡単なダイエット方法見つけてきて

再チャレンジしては再びダイエットに失敗する。そして永遠にダイエット方法を

何度も変えては失敗を繰り返すと。

806 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/16(木) 17:35:36.34 ID:sScYBCVF0

そう考えると、ダイエット本って、本気でダイエットしたいやつは買ってはいけないもの

なんじゃないの? だけど、ダイエット失敗させる為に本を売っているとしたら、

最高の商売方法だよな。最初の一週間だけやる気にさせて、最後には失敗させる。

んでもって、数ヵ月後には新しいダイエット方法を開発しましたとか言っちゃって

新たなダイエット本を発売。

あらやだ。これやったら生涯生活安定じゃないの? 

新興宗教の教祖よりもこっちのほうがあってる気がするぞ。

 まあ、俺が本気でダイエット本書いたら「毎日汗だくになるまで走れ」の一行で

終わっちまうか。だれかゴーストライターが本一冊分くらいになるくらい肉付けして

くれねえかなって馬鹿な事を考えながら平塚先生の相手を任せていた雪乃を盗み見ると、

やはりというか今もなお押し問答と言うか平塚先生をなだめることに成功していなかった。



由比ヶ浜結衣誕生日(前編) 終劇

由比ヶ浜結衣誕生日(後編) に続く
811 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:30:39.99 ID:6NGd0T+00


『はるのん狂想曲編』追加エピソード(第15章)


由比ヶ浜結衣誕生日(後編)


静「誕生日と言えば、食事の前に乾杯があるだろう。

 「私」と雪ノ下が用意したプレゼントを渡すべきだと思うのだが」

雪乃「そうですね。では、料理を全て運び終わってからにしましょう」

静「そうだな」


 すっごくうれしそうっすね、

平塚先生。視線が「雪乃」が用意しようとしたプレゼントに釘付けですよ。

だってねえ……。本来平塚先生は今日のパーティーを欠席する予定であった。

一応先に「若手」に割振られる他校の教員との懇談会の資料を準備する予定が

組まれていたので、俺と雪乃と共に買いだしだけ一緒にし、

パーティーに出られないお詫びとして支払いだけするつもりでいたらしい。

 俺達はマンションの下にあるいつものちょっとばかしお高いスーパーで

買いだしをしていた。店内に入ってすぐ目の前に広がる野菜売り場で、

その中でもひときわ目立つ変わったキノコまで取り揃えてあるコーナーで目を

輝かせるのはよしてくれませんか、平塚先生。

 俺はカートを押しながら雪乃の隣をついていき、

このままでは大量のキノコを持ってきそうな平塚先生を牽制することにした。


雪乃「変わったキノコがあって面白いのはわかりますけど、

   今日買うのは決まっていますから雪乃に任せた方がいいですよ」

静「え?」


 いや、わかりますよ。俺も初めてここに来た時、目にとまりましたから。

馬鹿でっかいキノコからテレビで紹介されても普通のスーパーでは

売っていないようなキノコまで、当然のように陳列されていたら興味を持つのは

当然だとは思いますよ。でも、生のキノコって変色しやすいのもあるし、

そんなにはたくさん買い置きしないんだってよ。

だから、平塚先生が既に手に持っているキノコを全部買うことなんてないですからね。

経験者が語るってやつなんだが、俺も若かったなとたそがれてしまいそうになる。


雪乃「今日使うのはマッシュルームだけですから、他のは元に戻しておいてください」

静「いや、これなんて焼いて食べるだけでも酒のつまみになりそうでいいんじゃないか?」

雪乃「たしかにお酒にあうかもしれませんが、

   今日この後平塚先生はお仕事にお戻りになるのですよね」

静「そうだけど、そうだけど……」


 ちょっと平塚先生。でっかいキノコを握りしめて涙ぐまないでくださいって。

これでも顔とスタイルだけは抜群なんですから、

そんなキノコを愛おしそうに見つめていたら、他の客の注目を集めちゃうじゃないですか。

ただでさえ雪乃と平塚先生が店内に入っただけで注目されてざわついているのに。


812 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:32:05.96 ID:6NGd0T+00

雪乃「はぁ……、わかりました。平塚先生が自宅用に買うという事でどうでしょうか。

   それならば食材を無駄にする事もないでしょうし」

静「ほんとうか? じゃあ、好きなの買ってもいいんだな」

雪乃「えぇどうぞ」


 どっちが年上かわからないな。

まるで小さい子供がお菓子を勝手に買い物かごに入れようとするようにキノコを

カートに詰め込んでいく姿、まさしくそれと重なっていますよ。

本来なら平塚先生がお母さん役をやるべきなのに……。
 
ぐすっ、平塚先生ぇ。俺が代りに泣いておきますからね。立場は逆でしょうけど、

自分では体験できない貴重なほのぼのとした親子の買い物のシーンを体験してください。


八幡「買うものって案外少ないんだな」


 俺は雪乃が手に持つ買い物リストに肩を寄せ覗きこむ。

すると雪乃はメモ書きを俺が見やすいように肩を傾けてくれた。

ただ、聞こえるはずなんてないのに、

かすかに揺れて擦れあう雪乃の黒髪の音を耳が拾ってきてしまう気がする。

もちろん幻聴だってわかっている。

だから俺はそのさらっさらでつやっつやのその黒髪をじかに触って確かめようと手を

伸ばした。肩が触れ合うほどに寄りそっているわけで、すぐにでも触れることができるが、

臆病な俺は一度雪乃の表情を確認しようと視線をずらす。

やはりというか俺の異変に敏感に察知してしまう雪乃は俺の手の行方を目で

追っており、俺はたまらず軌道修正してメモ書きをもつ雪乃の手に手をそわせた。

 なんというか、意気地なしとでもいうのだろうか。

それとも雪乃の手で我慢したともいうのか。

もう一度雪乃の表情をちらっとだけ確認した時、その口元がほころんでいたような気がした。

けれど、再々度雪乃の口元を確認する勇気だけはいまだに持ち合わせてはいないようであった。


雪乃「そうね。事前に準備していたのもあるから、

  今日は新鮮なお魚や野菜くらいかしらね。

  あとは由比ヶ浜さんへのプレゼントも買う予定ではあるのだけれど」


 数秒にも満たないやり取りがあったというのに雪乃にいたって平然とした声を発する。


八幡「やっぱあれにするのか?」


 俺の方はというと、当然ながらやや上擦った声を発生してしまうのは御愛嬌だ。


雪乃「ええ、一応二十歳になったお祝いでもあるのだから、

   記念もこめてあれにすることにしたわ」


 俺達は去年に続いて今年も大型ショッピングセンターに由比ヶ浜のプレゼントを

買いに出かけていた。しかも、長々と探索した結果はここでは買えないであり、

あろうことかマンションの下にあるスーパーで買う事になっていた。

だったらわざわざショッピングセンターまで行く必要がないといわれそうだが、

そこはまあ、デートだと思えば問題ない。
813 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:32:42.26 ID:6NGd0T+00

 彼女の買い物が長くて疲れると言っている諸君。対処方法をお教えしよう。

一番いい解決方法は一緒に楽しんでしまうだが、

それが無理なら彼女の表情の変化を観察する事をお勧めする。

けっこう今まで知らなかった表情とか知ることがあるし、

好みとかもリサーチできて有意義な時間がすごせるはずだ。

人間観察が趣味である俺って、いい事思い付くだろ?

 ……まあ、この事を小町に口を滑らせてしまったら、みごとに砂糖を吐きまくられたが。


静「あれとはなにかね? 

   誕生日プレゼントとして分厚いサーロインステーキでも買うのかね?」


 どこまで豪快な男性思考なんですかとつっこもうとしたが、

その前に雪乃が説明をはじめてしまっていた。


雪乃「今日はステーキは用意しませんよ」

静「では、なにをプレゼントする予定なのだね」


 平塚先生は勝手に物珍しそうに棚を見て回っていたのに、

俺達の会話の方が面白そうだと判断したのか寄ってくる。

だけど、どうして俺を間に挟んで会話しているんですか。

たしかに雪乃が棚側ですけど、ぴったりと俺に寄りそう必要はないですよね。

 ちょっとばかし自己主張がお強いお胸が俺の腕で形をかえてしまっているのを

どうにかしていただけませんか。

このままでは、俺の命の形も雪乃に変えられそうなんですよ。

そんな俺の不安なんてよそに、平塚先生はぐいぐいと詰め寄りながら話を進めようとする。


静「私はパーティーには出られないんだ。教えてくれてもいいじゃないかね」

雪乃「わかりました。お教えしますから、八幡と腕を組まないでください」


 その指摘を受けて俺達は顎を引いて下の様子を確認する。

あんまりにも柔らかい感触がすると思っていたら、

俺の腕を抱え込むように抱いているんじゃないですか。

やっぱり普通の状態ではないとは思っていましたけど、

怖くて確認できていませんでした。……いろんな意味で。

 俺達ははっと息を飲んで視線を水平に戻す。

そして平塚先生がぱっと腕を離し、半歩横にずれることで終焉を迎える。

その代わりというわけでもないが、

本来俺の隣に収まるべき雪乃が反対側の腕に吸い寄せられた。


静「す、すまない」

雪乃「大丈夫ですよ、平塚先生」

静「雪ノ下・・・・・・」


 大丈夫じゃないですって。その綺麗すぎる冷たい笑顔が不気味なんだって。

周りにいたはずの客たちも、俺達の不穏な気配を察知して散っていってるぞ。



814 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:33:39.95 ID:6NGd0T+00

雪乃「平塚先生は大丈夫ですよ。意思を固く貫けなかった八幡に問題があって、

   本来なら八幡がうまく声をかけるべきでしたから。

   だから、罰を受けるとしたら八幡だけです。ねっ、八幡」


 冷凍食品売り場にいるから寒いってわけではない。

ここのスーパーの冷凍庫は全て密閉型で、冷気は漏れない仕様だ。

だから、冷気を感じるとしたら冷凍庫以外からと言うわけで。

おそらくドライアイスよりも熱く冷えきった雪乃の腕が俺の腕を

凍傷に導かんと柔らかくその腕を抱いている。

けっして逃げる事が出来ない甘美にぬくもりに俺は溺れながら、

後ほど訪れるであろう罰を覚悟した。


静「そ、そうか」

雪乃「ええ・・・・・・。それで私が何をプレゼントするかですよね?」

静「あぁ、そうだったな」


 雪乃の見事なスマイルに、平塚先生は口を引きつりながらも笑顔を捻りだして返していた。


雪乃「ちょうど二十歳になってお酒も飲めるようになるので、

   その解禁記念も兼ねてシャンパンを送ろうと思っているんです」

静「それは洒落ていて由比ヶ浜も喜ぶんじゃないか」

雪乃「だといいのですが・・・・・・」


 一応プレゼントを決めたとはいえ、雪乃はまだ迷っているようだ。

散々他のも見て回ったけど、これといって二十歳を記念する品は見つかる事はなかった。

たしかに年に一回訪れる一つの記念日ではあるけど、真剣に雪乃が考えてくれたものなら、

あいつは何でも喜んでくれるんだろうに。


雪乃「でも、今日は平塚先生が一緒でよかったです。

   本当は姉さんも誕生日を祝いに来る予定だったのですが、急に予定が入ったらしくて」


大学の講義も途中で切り上げて、

陽乃さんは俺達にお詫びのメールだけを残して一人で帰ってしまった。

だから、どんな用件で欠席するかは知らない。教えてくれないのならば、

俺達には関係なのだろう。ただ、由比ヶ浜は陽乃さんが来ないことを寂しがってはいたが。


静「そうらしいな」

雪乃「それでシャンパンを買うにしても未成年でもある私と八幡では

   どうしようもなかったんです。だから平塚先生が一緒で助かりました」

静「それは役に立てて何よりだ。で、買う銘柄は決めてあるのかね?」

雪乃「はい、トン・ペリニヨンの199X年ものをプレゼントしようと思っています。

   ちょうど由比ヶ浜さんが生まれた年のシャンパンを八幡が売っているのを

   見つけていたんです。ほんと、お酒なんて飲めはしないのに、

   なにが面白くてお酒の棚を見ていたんでしょうね」


 面白いだろ。


815 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:34:35.71 ID:6NGd0T+00
普段名前は聞いても親父なんかじゃ買えもしない銘柄がしれっと並べられているんだぞ。

しかも、普通のスーパーどころか酒屋だってあまり売ってないんじゃないかって

いうやつだぞ。

それが普段から棚にそろえられているってのは普通ではない。

だから、それを見ていたとしても、一般人にとっては面白いんだよ。

 さすがはマルエヅの高級店バージョンだよな。

こことか東京の超高級マンションで有名な所とか限られた地域にしか出店してないけど、

案外中を覗けば普通なんだよな。

・・・・・・見た目だけは。でも、よく見ると普通のスーパーでは売っていない高級品を、

さも当然でしょってごとく売っているから、

俺も初めて来たときは今の平塚先生みたいにはしゃいだっけな。

 なんて昔の俺と目の前にいる平塚先生とを重ねていると、

はしゃいでいた顔がわくわくを通り越して驚愕へと変貌していた。


雪乃「どうしたのですか、平塚先生? なにか問題でもあるのでしょうか?」

静「あるに決まっているではないか。問題どころか大問題だ」

雪乃「先生、唾を飛ばさないでください。興奮するのは勝手ですが、

   周りへの迷惑も考慮してください」


 唾は駄目でも、両肩を掴まれて揺さぶられるのは問題ないんだな。

いまいち最近の雪乃の判断基準がわからなくなってきているんだが、

由比ヶ浜の絶え間ない努力が実ってきているんだろうか。

高校の時、既に由比ヶ浜がくっついても文句いわなかったしな。

 だけど、周りの客からは小姑が新妻にいちゃもんつけて

いびっているようにしか見えてませんよ。あら、恥ずかしい。

となると、俺が夫か。こりゃ照れるなぁ・・・じゃない! 

なんか俺の方まで小町に洗脳されていそうで怖くなってしまう。

・・・・・・悪くはないけど。


静「それはすまない。しかし、興奮するに決まっているではないか」

雪乃「だから、なにに問題があるのでしょうか?」


 雪乃は一歩も引かずに平塚先生をまっすぐ見つめて問いを繰り返す。

凛と背中を伸ばして立ち向かうその姿を見た若奥様たちが、

雪乃の事をこっそり応援している事は黙っておこう。

無言の声援の中に旦那さん頼りなさそうっていう冷たい視線は、

とりあえず今後の検討課題として家に持ち帰らせてもらいます。

 持ち帰るイコール対処しないだけど、

それでも期待を捨てないのはどうしてなんだろうか。絶対いい返事なんてこないのに。


静「トンペリだぞトンペリ。

  二十歳になったばかりの酒の味も全くわからない若造が飲む酒ではない」


 あぁ墓穴を掘っちゃったよ、この人。

自分で自分は若手ではないって思ってるんじゃないですか。

そりゃあ年が気になるお年頃だけど、こういう地が出やすい時こそ気をつけないと。
816 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:35:34.85 ID:6NGd0T+00
俺がやや明後日の方向の心配ごとをしていると、

いまや顔がくっつくほど迫りまくった平塚先生を雪乃が冷静にいなしていた。


雪乃「だからこそですよ。

   一番最初に良いものを飲んで覚えておくことが大切だとは思いませんか。

   たしかに由比ヶ浜さんもお酒の味はわからないでしょう。

   でも、今日という日の思い出としては最高の味を感じてくれると信じています。

   それに、お祝い事ですので、味よりも気持ちが大切だと思いますよ」


 毅然としながらも最後は柔和な笑顔でしめると、

周りの奥様方から小さな歓声が沸き上がる。強くて美しい。まさに若奥様の理想だな。


静「いや、そうかもしれないが・・・・・・」


 でも、まじで正論すぎるだろ。

普通感情的になっている相手に正論で迎撃しても感情で押し返されるのが関の山なのに、

雪乃の鉄の意思で真摯に訴えかける温もりで、

あの平塚先生の昇りきった熱を冷ましているじゃないか。


雪乃「でしたら問題ないですね」

静「そうだが・・・・・・、いやそれでも、なあ。

  やはり若いのにあのトンペリだぞ。私でさえ飲んだ事がないのに飲んじゃうのか」


 後半小声で愚痴っているようですけど、ちゃんと聞こえていますからね。

たぶん最後の愚痴が本音だろうけど、

ちなみに雪乃もしっかりと聞こえているみたいっすよ。


雪乃「はぁ・・・、ではトン・ペリニヨンだけは今日由比ヶ浜さんに

   プレゼントしますけれど、

   乾杯をするのは平塚先生がいらっしゃるときにします」

静「それでは由比ヶ浜に悪いだろう。今日から酒が飲めるというのに、

  私の都合で乾杯を遅らせるのはよくない」

雪乃「では、乾杯だけでも顔を見せていただける事は出来ないのですか?」

静「うぅ・・・・・・」


 何に葛藤してんだよ、この人は。仕事が終わってから来てもいいんだし、

そんなに悩む事か?


雪乃「あの、お仕事ですから無理にとは言いませんけれど」

静「いや、行く。誕生日会に出席させてもらおう」

雪乃「え? でもお仕事が」

静「大丈夫、大丈夫。本当は後輩がやる予定だった仕事だったのに、

  合コンだからって拝まれてな。

  しかも今度合コンするときは呼んでくれるなんて餌まで……、いやなんでもない。

  つまりは後輩の遊びの為に由比ヶ浜の誕生日会を駄目にするなんてできないな。
 
  ちょっと待っててくれ。今電話してくる。なぁに若手ごときにいいように使われんさ」


 平塚先生は俺達の返事も聞かずに店外に電話をしに小走りで出ていく。
817 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:36:28.52 ID:6NGd0T+00

そんな子供すぎる大人を見ている俺達ができる事といえば、

その後ろ姿を生温かい目で見送ることくらいしかなかった。

 でもさ、先生。ついに若手が現れてしまったんですね。

実際にはけっこう前からいただろうけど、もう自分は若手じゃないって事を受け入れて! 

もう見ていて辛いからっ。受け入れる事は辛いでしょうけど、一緒に泣いてあげますって。

今は一緒に飲む事は出来ないけど、

俺が二十歳の誕生日を迎えたら一緒に酒と涙を飲んであげますから、

そろそろ若手のラベルの返上を真剣に御検討お願いします。


小町「それでは皆さんグラスを持ちましたかぁ。まだの人をお急ぎを」


 小町がはきはきとした声が狭くはないリビングに響きわたる。

準備を促さなくても若干一人はフライングする勢いの気迫がみなぎっているが、

この際水を差すまい。


雪乃「ちょっと待って小町さん。由比ヶ浜さんと平塚先生はいいのだけれど、

   私はもちろん、八幡と小町さんもお酒は飲めないわよ」

八幡「いや、乾杯くらいいいだろ、お祝いの形だけなんだし問題ないと思うぞ」


 珍しく俺が場を収めようとするも、雪乃の毅然とした姿は崩れない。

意思が強いその眼光は、俺を捉えたまま離さないでいた。

 俺も絶対飲みたいってわけでもないんだけどさ、ほら。

平塚先生とかが早くしろって唸っているだろ?


雪乃「いいえ、こういうことはしっかりとしておくべきよ」

結衣「そっか、そうだよね。じゃあさ、ゆきのんの誕生日の時に乾杯しない? 

   ほら、その方がなんだかいい感じっぽいし」

小町「そうですね。小町はまだまだ先ですし、雪乃さんの誕生日が一番いい感じですね」


 やっぱ由比ヶ浜が空気読んじゃうだろ。

だから俺が自分の立ち位置を変えてまで場を収めに出たのに、

今日が由比ヶ浜の誕生日って事を忘れてたな。

ほら、お前が由比ヶ浜の言葉を聞いて申し訳なさそうにするのだってわかってたんだよ。


静「雪ノ下。一口口につける程度では誰も文句は言わんよ。

  それに車も乗らないのだろ? 

  だったらお祝いとしての形式的な乾杯くらいならいいのではないかな」


 おいおい・・・、まだあんたは諦めてなかったのかよ。

由比ヶ浜と小町がせっかくこの話題を終わらせようとしてるのに。

たしかに平塚先生がいうことが一般論としては正しい。

また、雪乃がいうことも法を厳守する上では正しい。

どちらも正しいのに結果だけ見れば大きく違うのは、ルールの使い方というか、

悪く言えばダブルスタンダードに陥ってしまうからだろう。

ようは適材適所で、その場にあったほうを選択すればいいんだろうけど。

 ただ、今回ばかりは癪だけど、平塚先生が正しい。お酌だけに。

818 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:37:31.01 ID:6NGd0T+00
……やべっ、平塚先生が酒を飲むのを付き合ってる影響で、つまらないすぎるダジャレが

うつっちゃったじゃねえか。こっちは酒が飲めないのに毎回付き合っているというのに、

あのねちっこいダジャレとか絡んでくるのとかどうにかなりませんかね。


八幡「そうだな。せっかく由比ヶ浜の誕生日プレゼントとしてシャンパン用意したんだし、

   形だけでもお祝いしといたほうがいいんじゃねえの。グラスに酒ついだとしても、

   乾杯した後に平塚先生が責任もって処分してくださるだろうし」


 ・・・って、平塚先生を援護したのに、なにぽけっと突っ立ってるんですか。

パスを送ったんだから、しっかりとゴール決めて下さいって。

俺の執拗な視線をようやく理解した平塚先生は、

とってつけたようにたどたどしくシュートをうちにいった。


静「そ、そうだぞ。乾杯だけでもやるべきだと思うぞ。

  それに今日の主役は由比ヶ浜だからな。

  二十歳になったお祝いとしてトンペリをわざわざ用意したんだろう? 

  だったら今日の記念として由比ヶ浜はお酒を飲むべきだ」


 どうにか空振りにはならなかったようだけど、雪乃に向かって一直線って、

キーパーの正面に蹴ってどうするんですか。

 雪乃は平塚先生の弁を飲み込み、しばし由比ヶ浜を見つめる。

そしてちらりと俺の事を睨みつけてから由比ヶ浜に申し訳なさそうな笑顔を見せた。


雪乃「ごめんなさいね、由比ヶ浜さん」

結衣「ううん、別にゆきのんが言ってる事正しいもん」

雪乃「それでもみんなが楽しいでいるのに、その空気を壊してしまったのは私のせいよ。

   だから謝らせてほしいわ。ごめんなさい由比ヶ浜さん。小町さんもごめんね」

結衣「だからいいって、ほんとゆきのんが言ってる事もわかるから」

雪乃「許してくれるのかしら?」


 小さい子供のように恐る恐る見つめる様は、

ほんと由比ヶ浜には弱いって事を印象付ける。そうでもないか。

弱いというよりは怖いのだろう。

ちょっとした事どころか大変な出来事だろうと由比ヶ浜は雪乃を受け入れるだろうに、

それをわかっていても雪乃は失うのを怖がっているとさえ思えてしまう。

 二人は固い友情を築き上げてきたと思う。

俺なんかには縁がない友情を雪乃は築き続けてきた。

だけど物は、硬く、強く、強固になっていくほど壊れるときはあっけなく砕け散る。

それは形がないものであっても同様だろう。

ちょっとしたひびが入り、そこから亀裂が走りだせば、

硬く固まってしまった分再結合なんてできやしないで一気に砕け散ってしまう。

おそらく友情も同じなのだろうと、俺はなんとなく雪乃の顔を見て思ってしまった。


結衣「許すも許さないも怒ってないから。

   ゆきのんはあたしたちのことを思って注意してくれただけでしょ。

   だったら怒ることなんて全くないよ」

819 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:38:26.38 ID:6NGd0T+00
雪乃「そうかもしれないけれど・・・・・・」

結衣「もういいじゃん。ほら乾杯しよっ。

   それともあたしの誕生日お祝いしたくない、かな?」


 小首を傾げると顔にかかる髪が揺れ、視線を邪魔する。

ただ、由比ヶ浜にはその髪の毛さえ視界には入っていないのだろう。


雪乃「いいえ、今日は由比ヶ浜さんの為に用意したのよ。

   お祝いしたいに決まってるじゃない」

結衣「じゃあ決まりだね。・・・ねえゆきのん。お願いがあるんだけど、いいかな?」

雪乃「ええいいわ。水を差してしまったお詫びにはならないかもしれないけれど、

   私に出来る事なら何でも言ってくれて構わないわ」

結衣「ううん、そんなに難しい事じゃないから大丈夫だって。

   んとね、乾杯の音頭をとってほしいんだ。

   せっかくゆきのんがプレゼントしてくれたんだから、

   やっぱりゆきのんが乾杯って最初に言ってほしいな。駄目かな?」

雪乃「いいえ、是非やらせていただくわ」

結衣「じゃあ決まりだね」


 そうと決まれば小町のやつ行動が早いな。

あいつもあいつなりにこの状況を見守っていたってことか。さすが俺の妹。


小町「さあさあみなさんシャンパン持ちましたね。

   さ、さ。雪乃さん。心に残る一言お願いしますね」

雪乃「心に響く言葉をおくれるかは自信がないのだけれど、そうね。

   由比ヶ浜さんの誕生日をお祝いしたい気持ちだけでも伝えたいわね。

   ・・・これで由比ヶ浜さんが一番早く二十歳を迎えたという事なのよね。

   やはり成人を迎えるとなると責任を持った行動が必要になるわ」


 雪乃らしくちょっとお堅い出だしだけど、

由比ヶ浜も喜んで聞いているみたいだし別にいいか。・・・ん? 携帯のバイブか? 

 俺は棚の上に置いてあった携帯が静かに震えているのを確認すると、

静かに移動して携帯を手に取る。

メールみたいだし、後で確認すればいいか。

俺に急ぎの用がある暇人なんていないだろうしな。


雪乃「ただ、当然の事なのだけれど、由比ヶ浜さんが一番の年上になるのよね」


 平塚先生は除くけどな、って心の中で突っ込みを入れたのは俺だけか。

って、平塚先生睨まないでくださいよ。

声に出していないのにどうして俺の周りの連中は俺の心の中がわかるんですか。


結衣「そだね。でも、あまりそういう実感わかないけどね」

雪乃「たしかに数カ月程度の差は気にならないわね」


 俺は雪乃が一番上のお姉さんで、由比ヶ浜が一番下の妹って気がいつもしていたけどな。

実際は雪乃が一番下で、俺が真ん中になって、そして由比ヶ浜が一番年上だもんな。

820 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:39:31.96 ID:6NGd0T+00

これも口に出していないのに、どうして全員俺の事を睨むんですか。

・・・・・・もう、心まで沈黙しておこうかな。


雪乃「今日二十歳を迎えたからといって、

   すぐには大人としての自覚を持つ事は出来ないでしょうけど、

   もしよかったら私と一緒にこれからも学んでいってほしいと思うわ。

   まだまだ未熟な私たちだけれど、

   こういうみんなが集まる機会をきっかけにお互いの存在をたしかめあっていきたいわ。

   そうやって年を重ねていけたら素敵ね・・・・・・来年も、その先もずっと。

   お誕生日おめでとう由比ヶ浜さん。乾杯」


 雪乃が由比ヶ浜に向けて小さくグラスを傾ける。

柔らかく微笑むその様は、先ほどまで見せていたおどおどした感じが抜けきっていた。

由比ヶ浜が見せる柔らかくも眩しいほどの笑顔につられたのだろう。

 きっと硬いだけの友情は弱い。

けれど、それを包み込む柔らかい緩衝材があれば問題ないって気がしてしまう。

その緩衝材が何かはわかれないけれど、今こうして由比ヶ浜をみていると、

こいつの底抜けに明るい笑顔に俺も雪乃も救われてきたんだよなって、

思わずにはいられなかった。

 俺が雪乃と正面から向かい合えたのも、俺達三人の関係が消滅していないのも、

全てはとはいわないけど、必要不可欠なファクターであることは俺でも理解できる。

・・・・・・まあ、なんだ。きっと今の俺がいるのは俺だけのおかげではない。

雪乃や由比ヶ浜、小町に平塚先生。

他にもちょっとばかし関わってくる奴らがいてこその俺なのだろう。

だから由比ヶ浜。こんな俺とつるんでくれてありがとよ。声に出しては言えないけど。

・・・でも、これだけは声に出して言っても恥ずかしくはないはずの言葉を

俺は由比ヶ浜に送る。


八幡「由比ヶ浜、誕生日おめでとう」


 俺は恥ずかしい気持ちを押し殺して由比ヶ浜にしっかりと届く声で伝えた。

 その時ちらりと四人の顔がほころんだのは気のせいだろうか? 

もしかしてこの心の声までも読まれてはいないよね?

 俺は火照る頬を隠すように俯き、わざとらしく携帯の画面を確認する。

一応さっきメールきてみたいだし、乾杯終わったからいいだろう。

 俺は画面をクリックしていき目的のメールを表示させる、

そこには陽乃さんから短くて簡潔なメッセージが記されていた。


陽乃「誕生日会の後に連絡します」


 あまりにも簡潔なメールがどこか温かい現実とはかけ離れていて、

俺は体温が下がっていくのを実感できた。



由比ヶ浜結衣誕生日(後編) 終劇

次回は第47章に戻ります

821 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:40:14.84 ID:6NGd0T+00


おまけ

なんといいますか、思い付きで・・・・・・。



折本「あれ? 比企谷?」

八幡「・・・・・・折本」

折本「え、比企谷って総武高なの?」

八幡「あ、ああ」

折本「へー。いっがーい。頭良かったんだー! 

   あ、でもそういえば比企谷のテストの点とか全然知らないや。

比企谷、全然人と話してなかったもんね。・・・・・・・彼女さん?」

八幡「いや、その・・・・・・」

折本「だよね~! 絶対ないと思った!」

八幡「はははっ・・・・・・」

陽乃「もしかして、八幡のお友達?」

八幡「中学の同級生です」

折本「折本かおりです」

陽乃「ふーん。・・・・・・あ、わたしは雪ノ下陽乃ね。

八幡の・・・・・・八幡の・・・・・・、ねえ、私って八幡のなに?」

八幡「や、俺に聞かれても」

陽乃「わたしと恋人っていうのも変だよね。うーん、彼女のお姉さんとか? 

   いや、あるいはお義姉さん・・・・・・。あ、間をとって愛人っていうのはどう?」

八幡「ふつうに恋人でいいんじゃないですか」

陽乃「それじゃあ正妻の雪乃ちゃんに悪いじゃない」

折本「なんか姉妹っていいですよね~」

陽乃「でしょー? まあ、八幡が姉妹ともども手篭めにかける猛獣なだけなんだけどねー」

折本「あぁ・・・・・・・」

陽乃「しかし、八幡と同じ中学かー。なんか面白いことなかったの? 

   ほらー、なんかあるでしょー? あ、コイバナ! お姉さん、

八幡のコイバナ聞きたいな」

八幡(誰も気が付いてない。陽乃さんの目が本気だって。

   獲物を狙うその冷酷までも冷たい視線に気が付いてない。

   実際見た目だけじゃ笑っているようにしか見えないから、初見じゃ無理か)

折本「あー、そういえば私、比企谷に告られたりしたんですよー」

仲町「うそー」

陽乃「それ気になるなー」

八幡(ぞくり・・・・・・。あ、今夜死んだかも)

折本「それまで全然話した事なかったから超びびってー」

陽乃「へえ、八幡が告白ねぇ~ー」

八幡(確実に死んだな。せめて雪乃にだけは知られないようにしないと)

八幡「まあ、昔のことなんで・・・・・・」

折本「だよね!昔の事だし別にいいよねー」


822 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/23(木) 17:41:02.40 ID:6NGd0T+00

折本「あ、そうだ比企谷」

八幡「ん?」

折本「ていうかさ、総武高なら葉山くんって知ってる?」

八幡「葉山・・・・・・」

陽乃「・・・・・・・ふーん、面白そう」

八幡「へ?」

陽乃「はーい、お姉さん紹介しちゃうぞー」

八幡「は?」

陽乃「ちょっと電話してくるから待っててね」

八幡「・・・・・・」


・・・陽乃離席・・・


陽乃「あ、隼人? 今すぐ来れる? ていうか、来て」

葉山「どうしたんですか急に・・・・・・またですか」

陽乃「うん、またお願いね」

葉山「まあ、いいですけど」

陽乃「じゃあ、ちゃっちゃとやっちゃってね」

葉山「でも、面倒なのは勘弁して下さいよ。この前の相模なんてしつこくて、

   なかなか別れてくれないんですよ。

   こっちは比企谷に近づく女を遠ざける為だけに寝てるっていうのに。

   もう鬱陶しいから顔も見たくないっていってるのに、

   それさえもわかってくれない」

陽乃「ごめんねぇ、隼人。でも、そういうのも含めて楽しんでるんでしょ?」

隼人「そうですけどね。今度はどんなのが獲物なんですか?」

陽乃「ん? 八幡の中学の同級生だってさ。まあまあ可愛い方かな。

   でも、ちょっとお馬鹿そうなんだけど、ま、その方が後腐れなくていいんじゃない?」

隼人「そうかもしれませんね。お礼はいつものやつでお願いしますよ」

陽乃「わかってるって。じゃあ、八幡が待ってるから」

隼人「はいはい」



えっと・・・・・・、ごめんなさい。









829 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/30(木) 17:29:18.12 ID:X2mOQ2ue0

第47章


夕「ありがとう」

昴「ありがとう、比企谷。でも、聞いた後でやっぱり引き返したいって思っても

  かまわないから。だから、変な責任感だけは持たないでほしい」


 夕さんに続いて昴までもが硬く引き締まっていた顔を緩めてほっと肩を下ろす。

俺の立場からすれば簡単な事なのに、きっと当事者となれば違ってくるのだろう。

しかも俺には昴達が考えているほどの価値なんてないという思いもあるが、

それもここで言うべき言葉ではないはずだ。


八幡「そこまで俺は責任感の固まりじゃない。

   逃げたくなったら自分の意思でとっとと逃げているさ」

雪乃「困ったことに逃げて欲しくても逃げないでいるのよね」


雪乃の声は小さく、隣にいる俺にさえ声はかすれて聞きづらいはずなのに、

どういうわけかはっきりと俺の耳まで届けられる。

しかも、なぜか弥生姉弟にまで届いてしまっているようで、柔らかい笑みが眩しかった。


夕「では、本題に入りますね。

  昼食会を開いているそうですが、それに私たちも参加させていただけませんか?」

八幡「俺は構わないけど、・・・問題ないと思うぞ。な、雪乃」


弥生姉弟を昼食会に参加させることに、俺個人としては問題ない。

だけど、俺一人の一存で決まれらる事ではないので、隣にいるもう一人の参加者の

意見を聞くべく問いかける。


雪乃「もちろん私も歓迎します。ただ、由比ヶ浜さんと姉さんの意見も聞かなくては

   いけませんので、今すぐ正式なお返事をする事は出来ません。

   ・・・でも、由比ヶ浜さんと昴君は友人同士ですし、夕さんも昴君の

   お姉さんなのですから、おそらく反対意見は出ないと思いますよ」

八幡「それに、昼食会なんてお上品な昼食の集まりではないですよ。

   ただたんにその日の弁当当番が弁当作って、みんなで食べているだけですから。

   だから都合が合えば一緒に食べればいいし、逆に用事があるんなら無理をして

   参加する必要もない。そんなありふれた食事ですよ」


雪乃はごくごく常識的な回答をしたが、雪乃自身受け入れないわけではないのだろう。

むしろ・・・考えたくはないのだが、俺の数少ない友人を確保すべく、

積極的に動いてさえいるようにも見えた。

・・・それほどに俺に友達なんて呼べる人間ができたことが奇跡だといえるのだが。


夕「ありがとうございます。

  ・・・でも、言いにくいのですが、二つだけ問題がありまして」


夕さんの恥じらう姿に見惚れてしまう。いや、大丈夫。もう恋なんてしないって誓ったから。

なんてドギマギしていたが、夕さんが述べた二つの問題のうち、二つ目の問題が気になった。

おそらく高い確率で一つ目の問題は、昴の食事についてだろう。

830 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/30(木) 17:30:20.27 ID:X2mOQ2ue0

今は夕さんの研究室で食べる練習をしていると言っているが、

今回の昼食会はそのステップアップだと考えられた。


八幡「たぶん二つとも大丈夫だと思いますよ。・・・一つ昴の事ですよね?」


俺が夕さんが言い淀んでいる内容をズバズバ言ってしまうものだから、

雪乃は無言で非難の声をあげる。

細められた雪乃の目からは、見るからにして凍傷になりそうな視線が送り込まれてきていた。

背筋がぞくりと伸びきったが、俺はそれを我慢して前を見続けようと努力する。


八幡(だから、そんなに睨むなって。ほら、夕さんも言いにくそうだったし、

   どうせ言わなければならない事なら、俺の方から後押しすべきだろ?)


しかし、俺の健闘は空しく敗戦を喫し、俺はとぼとぼとアイコンタクトで

弁解の意を返したが、雪乃から返ってくるアイコンタクトは

さらに100度ほど下がった凍てつく視線のみであった。

俺があたふたと雪乃の対応に困っていると、昴から温かく見守っている視線も感じ取れる。

ただ、そんな外野の思いやりは今回ばかりは無視だ。

夕さんは少し困った風な表情を浮かべているだけであったが、

昴はニコニコと頬笑みまで浮かべていた。

お前の事で困っているだぞって突っ込みを入れたいほどだったが、やはりそれも却下。

そんなことをしたら雪乃からさらなる非難が降りてくることが必至である。

だが、俺の置かれている状況に察してくれたのか、夕さんは話を進めようとしてくれた。


夕「ええ、昴の事です。先ほどもお話ししましたが、現在昴は

  普通に外食することができません。

  私の研究室での食事はどうにかできるようになりましたが、それ以外は全く・・・」

雪乃「飲み物を飲む事は出来るのですよね?

   げんに今は飲んでいますし」


雪乃が昴の前に置かれたティーカップに視線を向けながら話すので、自然と残りの3人も

雪乃の視線を追いかけて、そのティーカップに意識を向けた。


夕「はい、飲み物は比較的問題はありません。

  ただ、大丈夫だと言っても、水やお茶くらいですね。

  コーヒーや炭酸飲料は飲めなくはないみたいですけど、控えているようで」

昴「そうだね。飲めなくはないのだけど、胃を痛めると思ってしまうものや

  刺激が強いものは無意識のうちに・・・、意識をしてともいうかな、

  やはり避けてしまう傾向があると思う。

  あとは甘いのもやはり避けてしまうかもね。

  胃に残るというか、甘ったるい感じが残るのが怖いというか」

雪乃「わかりました。ありがとうございます」

夕「いいえ。こういうことは初めに言っておいた方がいいですからね。

  もちろん聞いた後であっても、やはりお断りというのも問題ありません。

  私達家族の問題を無理やり押し付けようとしているのですから」


831 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/30(木) 17:31:04.11 ID:X2mOQ2ue0


雪乃「無理やりだなんて、そんなことは思っていません。

   少なくとも私は迷惑だとは思っていませんし、ここにいる八幡も

   わりとお人よしで、自分が認めた人間はけっして見捨てる事はしない人間ですから」


雪乃はどこか誇らしげにない胸を張って目の前の姉弟に俺の事を自慢する。

その誇らしげな瞳が曇らないような人間になろうとは思うのだけど、

ちょっとばかし持ちあげすぎじゃね?、と照れが入ってしまう。


夕「そのようですね。昴もそういうことを言っていましたから」


俺を持ちあげないでくださいって。

期待にこたえたくなっちゃうでしょうが。

だから俺は照れくささを隠す為にぶっきらぼうに答えるしかなかった。


八幡「出来ることしかやれませんよ。過剰に期待されても困るだけですけど、

   まあ、出来る限りの事はやるつもりです」

昴「比企谷らしいね」

八幡「お前も俺を誉めるなって」

昴「誉めてないよ。事実を言っただけだよ」

八幡「それを誉め・・・、もういいよ」


俺は照れ隠しの限界を感じて雪乃とは逆の通路側に顔を向けて戦略的撤退を試みた。

ただ、人の良すぎる彼ら彼女らの事だから俺の顔色を見れば、

俺の現状を把握なさっているようですが。

まあ、いいさ。いじりたければいじってくれ。

俺は無抵抗で身を捧げますよっと。ちょっとばかし斜め下に捻くれた感情をむき出しにして

頭を冷ますべく店内を見渡す。

すると、当然ながら自分たち以外の客も紅茶を飲んでいるわけで。

そして、俺はその紅茶を美味しそうに飲んでいる知らない客の姿を見て、

過去の過ちに気がついてしまった。


八幡「昴。前にマッカンを布教しようと奢ったことあったよな。

   あれはやっぱり・・・迷惑だったんじゃないのか?

   知らなかった事とはいえ、本当にすまなかった」


俺は昴の方に視線を戻すと、すかさず過去の過ちを懺悔する。

昴は一瞬目を見張ったが、すぐにくすぐったそうに笑みを浮かべる。

つまりは俺が指摘した事実を覚えていたって事だった。

嫌がらせをした方が忘れて、された方がずっと覚えている。

俺のは意図的にしたわけではないからといって免責されるべき罪ではない。

固く握りしめる拳から不快な生温かい汗が手を濡らしていった。


夕「比企谷君。その缶コーヒーのことがあったことも、

  今回昼食会の参加をお願いしようと決心した原因の一つでもあるのですよ」

雪乃「どういうことでしょうか?」


832 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/30(木) 17:32:09.77 ID:X2mOQ2ue0

いまいち夕さんの言葉を素直に飲み込めない。それは雪乃も同じ感想であり、

すかさず質問した事にも出ているのだろう。

だから、無言で夕さん達を見つめ返す俺を助けるべく、

雪乃が話の相槌を代りに問いかけてくれた。

昴達の話によれば、胸やけをしそうな甘すぎるマッカンは、

昴が避けるべきドリンクの一つと考えるべきだ。

ましてや気持ち悪い症状を避けるようにしている昴が、

積極的に飲むべきものとはどのように分析しても導くことができないでいた。


昴「僕は甘いものが苦手というわけではないから、マッカンが嫌いというわけで

  はないよ。むしろ自宅であったならば、好んで飲んでいるからね」

夕「そうですね。比企谷君に布教されてからは、昴は好んで飲んでいるほどですから。

  今ではいつも常備しているんですよ。よっぽど嬉しかったんでしょうね」

昴「姉さんったら・・・」


夕さんの暴露話に、照れ半分、拗ね半分で甘える昴。

どこのほのぼの姉弟だよって、今度こそつっこんでやりたかった。

・・・が、つっこんでやらん! 勝手にやってろ。こういうのは関わったら負けだ。

・・・・・でも、どういうことなのだろうか?

甘いのも駄目だと言っていたし、コーヒーも避けると言っていた。

なのに、どうしてマッカンだけは大丈夫だったのか、どうしても疑問に残った。


八幡「どうしてマッカンだけは大丈夫だったのでしょうか?」


聞かずにはいられなかった。俺の過去の過ちが昴を傷つけていたかもしれないのに、

どうして大丈夫だったのだろうか。

俺の姿が必至すぎたのか、夕さんは姿勢を正して、先ほどまでの姉弟のじゃれつきを

きっぱりとぬぐいさってから、頬笑みを交えて答えを開示してくれた。


夕「それは、比企谷君がくれたものだからですよ。

  もし比企谷君がくれたものが他の飲料水であったのならば、

  それがよっぽどのものでなければ、昴は嬉しく思っていたはずです」

昴「もともとマッカンは知っていたけど、

  それほど手に取ろうとする品ではなかったからね。

  それほど販売に力を入れている商品というわけでもないし、

  コーヒーは新商品がどんどん出てくるジャンルでもあるからさ。

  でも、比企谷に勧められて飲んでみたら、美味しかったと思ったのは嘘じゃないよ」

八幡「でも、体調の方はどうだったんだよ」


これが一番聞きたい事であった。味の方はマッカンだから心配はしていない。

むしろ味を否定する奴は味覚が狂っていると判断すべきだ。


昴「それも問題ないよ」

八幡「でも・・・」


俺はなおも信じられないと疑問を姉弟に投げかける。

833 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/30(木) 17:33:15.23 ID:X2mOQ2ue0
いくら大丈夫だと言われても、自分の過ちは許されない気がした。


夕「本当に問題なかったんです。むしろ好調すぎて、私の方が疑ってしまったほどで」


夕さんが笑いながら驚き体験を思い出すものだから、

俺だけでなく雪乃までも次の言葉を紡げないでいた。


夕「そんな顔をしないでくださいよ。本当の事なのですから」

八幡「でも・・・」

雪乃「どうして大丈夫だったのでしょうか?」


なおも信じられないという顔で雪乃が問い直す。


夕「それは先ほども言いましたが、比企谷君がくれたものだからです。

  この説明だけでは不十分ですね」


俺達がまだ納得していないと判断したのか、夕さんはさらに話をすすめた。


夕「つまりですね、私の研究室では食べられるようになった理由はわかりますか?」


俺と雪乃はそろいもそろって首を横に振る。

考える事を放棄したわけではないが、答えが見えてこなかった。


夕「これは昴の感覚的な問題なのですが、私の研究室が疑似的な自宅の一部と

  認識しているみたいなのです。

  そもそも家でならば、安心できる。

  家でならば、いくら吐いたとしても問題を世間に隠したままにしておける。

  家でならば、家族が助けてくれる。

  そういった守られた空間があるからこそ昴は家でならば食事ができているのだと

  思います。

  そして私の研究室が家の延長線上と考えることができれば、

  そこでならば食事ができると考えましたし、実際徐々にではありましたが

  食事ができるようになってきました。

  そもそも外出先での食事だけが無理であって、自宅では問題なく食事が出来ている事に、

  研修室では食事ができるのは不思議に思わないでしたか?」

八幡「そう言われてみればそうですね」

昴「それでも病院に担ぎ込まれた直後は、家であっても外出直前の食事は気を使ったけどね。

  食べてしまったら、外出先で吐いてしまうかもっていう強迫観念があるから」

夕「たしかにそういう段階もありましたが、今では私の研究室でならば一人でも

  食べられるようにはなったんですよ。

  さすがに毎日必ず私が研究室にいることなんてできはしませんから」


今では困難を乗り越えた結果のみを俺達に伝えてくるが、

その過程をみてきたわけではないが、きっと挫折の繰り返しに違いない。

今だからこそ話せる事であって、

今だからこそ俺達に告白できるようにまで前進したと推測することができた。

だから、夕さんが俺達に打ち明けるときの緊張も、その突然の告白を聞いた時の昴の驚きも、

今となっては十分すぎるほど納得できるものであった。
834 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/30(木) 17:33:53.27 ID:X2mOQ2ue0

八幡「それで今度は俺達と一緒の食事にステップアップということですか?」


たしかに合理的で、よく考えられたリハビリ計画ではある。

だけど、それがどうして俺が布教したマッカンに結び付くのだろうか?


昴「比企谷達には悪いとは思っているけど、今回ばかりは甘えさせてほしい」

八幡「いや、ぜんぜん迷惑だとは思ってないから、改めてかしこまられると

   そのせいでむずがゆくなっちまうよ。

   だから、俺達をばんばん使い倒してくれればいい。

   それに、俺達に出来ることなんてたかがしれている。

   昴の問題は、昴本人にしか解決できないからな」


酷い事を言っているようだが、事実だから仕方がない。

由比ヶ浜の勉強であったも同じことが言えるが、俺や雪乃がいくら一生懸命勉強を

教えたとしても、結局は由比ヶ浜が勉強しなければ学力は向上しない。

これと同じ事が昴にも当てはまってしまう。


昴「まあ、そうだね。それでも感謝しているって事だけは覚えておいてほしいんだ」

八幡「感謝されているんなら、遠慮なく貰っておくよ」


と、やはりぶっきらぼうにしか感謝の念は受け取れない。

こればっかりは慣れていないのだからしょうがない。


雪乃「それでは、先ほどの缶コーヒーがどうして関係あるのでしょうか」


雪乃は俺達の●●●●しい、いや断じて拒絶するし、雪乃がそう思うはずはないが、

状況に耐えかねて、話の続きを夕さんに促した。


夕「はい、そのことですが、本来ならば昴は甘すぎる缶コーヒーは飲めないはずでした。

  例えば、貰ったとしても、この後歯医者に行かなければいけないから飲んではいけない

  とか、病院の検査があるから無理だとか、あとは、

  このあと長時間電車に乗る予定があって、

  トイレが近くなるような飲み物は口にできないなど、

  適当な理由を述べて断っていたはずなんです」


おそらく今まで幾度となく繰り返してきた言い訳の一部なのだろう。

覚えてはいないが、もしかしたら俺もその言い訳をされた対象なのかもしれない。


夕「でも、比企谷君がくれた缶コーヒーはその場で飲んだそうです」

昴「比企谷からすれば、由比ヶ浜さんに勉強を教えている途中のいつもの

  休憩にすぎなかったようだけど、僕からすれば画期的な事件だったんだ」

八幡「すまん。なんとなくしか覚えていない」

昴「仕方がないよ。

  比企谷からすれば、普段勉強を教えている日常のうちの一つにすぎないんだから」

雪乃「それにしても八幡が缶コーヒーを奢ってあげる友達がいた事の方が驚きね」

八幡「俺の彼女なのに、どうしてそう自分の彼氏を悲しい目で見ているんだよ」

雪乃「あら? 事実を述べただけなのだけれど」

835 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/30(木) 17:34:54.21 ID:X2mOQ2ue0
雪乃はとくに表情を変える事もなく、淡々と悲しすぎる事実を述べあげていく。

その淡々と口にするその瞳に、少しばかり嬉しそうな光が宿っていた事は、

俺や陽乃さんくらいしか気がつかない事だろう。


八幡「わぁったよ。もういいよ」

雪乃「ええ、理解してくれたのならば、もう何も言う必要はないわね」


雪乃は上品に笑顔を作りあげると、最後にもう一度くすりと笑ってこの話を締める。

だが、今回は俺達二人だけではないということを雪乃は失念していた。

目の前に二人も観客がいるのに、雪乃は雪乃らしくいつも通りに俺に甘えてしまった。

だから、目の前の観客の受け取り方は人それぞれではあるが、

雪乃が観客の視線に気がついてしまえば、

照れて体を委縮させてしまう効果は十分すぎるほど備えられていた。


夕「仲がよろしいのですね」

昴「そうだね。いつも一緒にいる由比ヶ浜さんでさえついていけない時があるみたいだよ」


由比ヶ浜についてはこの際どうでもいいことにしよう。

付き合い長いし、今さら意識して隠したって、既に知られてしまっていることだ。

だから、気にしたって意味がない。

しかし、夕さんに関しては別である。

いくら昴の姉であっても、会って話をしたのがこれで二回目であるし、

雪乃においては初対面でさえあった。

そんなほぼ初対面の相手に、こうまでも雪乃が警戒心を解いて素に近い言動を

晒してしまうだなんて、これはある意味異常事態だといえた。

これはおそらく弥生姉弟が持つ雰囲気が影響しているはずだ。

この姉弟はどことなく無意識のうちに話しやすい雰囲気を作り上げる傾向がある。

これが詐欺だったら問題ではあるが、俺に詐欺を働いても利益など得られはしないだろう。

まあ、雪乃相手であれば、雪ノ下の財産を狙うという自殺行為でもあるわけだが、

詐欺師相手に命の大切さを説くなど必要はない。

・・・陽乃さんに、その母親たる女帝。

親父さんもこの前の事で陽乃さんに近い存在であると、

性格そのものというよりは策略家という意味で、わかったわけで、

その怪物たちが住む雪ノ下に手出しをするなんて、

はっきりいって自殺行為としか思えなかった。

なんて、俺が頭を冷やすべく現実逃避をしていると、

雪乃が俺に助けを求める視線を送って来ていた。

しかし、その雪乃の視線さえも恋人たちのアイコンタクトには違いなく、

さらなる温かい視線を加算する行為にしかならないでいた。

そして雪乃は自分の自爆行為に気がつくと、

さらに顔を赤くして、俯くしか取れる手段は残されていない。

とりあえず落ち着きを取り戻そうとしている雪乃は、

氷が溶けきった水をゆっくりと何度も口元に運んで頭の再起動を始める。

目の前にいる弥生姉弟も俺達を冷やかす気などさらさらないようで、

雪乃と俺が話に復帰できるのを黙って待っているだけであった。
836 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/30(木) 17:35:50.21 ID:X2mOQ2ue0

一応自爆行為をしたのは雪乃だけあり、軽傷?だった俺の方が雪乃より先に

立ち直れたのは当然だったのかもしれない。

このまま沈黙を続けるよりは、なにか会話をしていた方が雪乃も回復が早いと

ふんだ俺は、夕さんが言いかけたままでいた事を聞くことにした。


八幡「色々話を脱線させてしまってすみません。

   それで、先ほど言っていた昴に奢ったマッカンなんですが、

   どういう意味合いがあるんですか?」


俺の復帰に、夕さんは顔色を変えることなく応じてくれる。

先ほどの夫婦漫才さえも見なかった事にして話を再開してくれたのは、

雪乃よりダメージが少ないといっても、とてもありがたかった。


夕「それはですね、比企谷君が昴が安心して食事ができる空間を作り上げていたと

  考えることができることです。

  もちろん食事そのものはまだ未経験ですが、警戒していた甘いコーヒーを

  自分から飲んだことは、私からすれば驚くべき事態なのです。

  そうですね、ちょっとだけ妬けてしまいましたね」

八幡「・・・それは、友情っていう意味でよろしいのでしょうか?」

夕「ええ、そうですね」


夕さんはさも当然という顔で答えてくれた。

そこには他の意味合いなど含まれてはいないようであり、

俺は心の中でゆっくりと胸をなでおろした。

これは、一応確かめなければいけない事項である。

いや・・・、ないとは思うのだけれど、

海老名さんと同類の腐女子っていう可能性は捨てきれなかった。

そもそも腐女子の存在を考えてしまう事自体が

海老名さんの影響を受けている証拠だが、まあ一応用心ってことだ。

とはいっても、そんな用心をする事自体が悲しい事であり、

また、用心しなくてはいけない事自体が俺自身が正しい道を歩いているか不安に

させてしまうものであった。

まあ、俺がアブノーマルなわけがない。

そして、そんな嫌疑がかかったとしたら、雪乃が黙っちゃいないだろう。



第47章 終劇

第48章に続く




おまけという名の妄想



八幡「ずっと前から好きでした。俺と付き合って下さい」

海老名「ごめんなさい。今は誰とも付き合う気がないの。

   誰に告白されても絶対に付き合う気はないよ。話終わりなら私、もう行くね」


837 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/30(木) 17:36:45.87 ID:X2mOQ2ue0





雪乃「・・・・・・あなたのやり方、嫌いだわ。うまく説明できなくて、

   もどかしいのだけれど・・・・・・。あなたのそのやり方、とても嫌い」

結衣「ゆきのん・・・・・・」

雪乃「・・・・・・先に戻るわ」

八幡「ちょっと待てよ」

雪乃「なにかしら? 今はもう話す事はないわ」

結衣「そ、そうだね。いったん頭を冷やすっていうか、あ、あたしたちも、戻ろっか」

八幡「・・・・・・そうだな」

結衣「いやー、あの作戦は駄目だったねー。確かに驚いたし、

   姫菜もタイミングのがしちゃってたけどさ」

八幡「そうか? あれを待っていたような気がしたけどな」

雪乃「え?」

結衣「けど、うん。結構びっくりだった。一瞬本気かと思っちゃったもん」

八幡「んなわけないだろ」

結衣「だよね。あはは・・・・・・、でも。・・・でもさ、

   ・・・・・・こういうの、もう、なしね」

八幡「あれが一番効率がよかった、それだけだろ」

雪乃「由比ヶ浜さんはそういうことを言っているのではないのよ」

八幡「わかったよ。でもな」

雪乃「なにかしら?」

八幡「言わせてもらえば、この中で一番葉山に近い由比ヶ浜が葉山の異変に気が付いて

   いなかったのって、なんなんだろうな? お前一応は友達なんだろ?」

結衣「ヒッキー?」

八幡「しかも、海老名さんとも友達なのに、ぜんっぜん気が付いてやってもいない。

   海老名さん、葉山に戸部のこと相談していたぞ。告白されたくない。

   今の関係を壊したくないってな。だから葉山が不自然な行動をしていた。

   だから俺達のサポートを邪魔するような事をしていた」

結衣「ほ、本当に?」

八幡「ま、三浦あたりはなんとなく気が付いていたみたいだけどな。気が付いていないのは

   由比ヶ浜、お前だけだったよ」

結衣「そんな・・・・・・」

雪乃「比企谷君、仮にその事が事実であったとしても由比ヶ浜さんに言いすぎよ。

   あなたは気がついていたかもしれないけれど、私たちに相談も報告もしなかったじゃない」

八幡「そうか? もし相談していたら、何か解決策を出してくれたか?」

雪乃「仮の話をしてもしょうがないじゃない」

八幡「そうだな。もう結果は出てしまってるしな」

結衣「ごめんね、ヒッキー。あたしのせいだ。あたしが気がついていたらヒッキーに辛い目に

   合わせることなんてなかったよね。ごめんね」

雪乃「由比ヶ浜さん。あなたが謝る事はないわ。もし落ち度があったとしたら、

   それは奉仕部全体の問題よ」

838 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/04/30(木) 17:37:35.59 ID:X2mOQ2ue0

八幡「そうだな。でもな雪乃。おまえもおまえだよな。さっきの言葉訂正するよ。

   この中で葉山に一番近い人間は由比ヶ浜ではなく、雪乃。お前だったんだからな」

雪乃「八幡?」

八幡「いわゆる幼馴染らしいじゃないか。しかも家族ぐるみの。だったら葉山の事だって

   わかっていたんじゃないか。わかっていて黙っていたんじゃないか。いや、考えないように

   していたんじゃないか。もしかしたら、最後には俺が泥をかぶるって、な」

雪乃「あっ、・・・・・・・はぁ・・・、葉山君の事を黙っていた事については謝罪するわ。

   でも、私は気がつかなかった。それにあなたにそこまで言われるすじあいはないわ」

八幡「そうだな。俺は部外者だ。赤の他人だから気がつく事ができたのかもしれない。

   それは今までも、そしてこれからもかわらない」

結衣「ヒッキー、それは言いすぎだよ。ヒッキーは奉仕部の仲間で、それに、と、

   友達だとも思ってるし」

八幡「由比ヶ浜は優しいな。でも、そういうんでもないんだよ」

雪乃「ごめんなさい、八幡。葉山君の事を黙っていたのは、・・・その怖くて。

   あなたに嫌われるんじゃないかって」

結衣「ゆきのんも謝ってるじゃん。ねえ、ヒッキー」

八幡「そうだな。最初雪乃と葉山が幼馴染って聞いたときはかっとなってどうしたらいいか

   わからなかった」

結衣「・・・・・・あれ?」

八幡「だから海老名さんの事に気がついたときは喜んじまった。駄目だってわかっていたのに、

   喜んだ。これで雪乃に仕返しができる。焼きもちを焼かせる事が出来るって、な。

   そんなことないのに。そんなことしても雪乃が悲しむだけって、

   心の奥底では気が付いていたのに」

結衣「あのぉ・・・ヒッキー、どういうこと?」

八幡「いくら海老名さんへの告白が嘘でも、雪乃は焼きもちなんて焼かないで、

   ただ傷つくだけだってわかっていたのに。俺って最低だ」

結衣「あぁ・・・・・・」

雪乃「・・・ばか」

八幡「雪乃?」

雪乃「傷つきもしたけれど、でも嫉妬もしたわ。

   あなたが葉山君のことで嫉妬してくれたようにね」

八幡「雪乃、ごめんな」

雪乃「ううん。私の方こそごめんなさい。そろそろ行きましょうか。

   ここは八幡が嘘でも海老名さんに告白なんてしてしまったから落ち着かないわ」

八幡「そうだな。冷えてきたし戻るか」

雪乃「ええ」(にっこり)

八幡「お、おい。くっつきすぎだぞ」

雪乃「だって、冷えてきたのではないのかしら?」



結衣(ぽっつぅ~~~ん・・・・・・)



えっと、ごめん。今回もごめん。

844 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/05/07(木) 17:29:36.23 ID:K1/j9s740

第48章 




八幡「ということは、マッカンが大丈夫だったのならば、弁当も大丈夫かも

   しれないと考えたわけですか。

   俺からすればかいかぶりすぎだって思えてしまう事態なんですけどね」


俺が確認を込めて夕さんに問いかけると、昴と夕さんはやや興奮気味に反論してくる。


昴「そんなことはないよ。あの時は無意識のうちに飲んでしまったんだから。

  飲んだ事に気がついたのは、家に帰って姉さんにコーヒーの事を話した時なんだ。

  その時までは自分がしでかしたことにさえ気がつかなかったんだから、

  そういう意味では僕はリラックスできていたって思えるんだ」

夕「本当ですよ。昴がそんな悲しい嘘をつくはずはないってわかっていましたけど、

  なかなか昴の言っている事が信じられなかったほどなんですよ」


 前のめり気味に話す二人を見ていると、その喜びは真実であり、

本当に長く険しい道のりだったのだろうと推測できる。

パニック障害なんてネットでならばよく見る言葉であり、

ありふれた症状にすぎないが、当事者を目の前にしてしまうと

自分の浅はかな認識が悲しくなってしまう。

日々のニュースの中で交通事故などもありふれた日常ではある。

また、台風などの天災も身近な存在ではあるが、どうしても活字になっていたり、

TV画面の向こう側の情報として知覚してしまうと、

自分とは関係ない世界の出来事にすり替わってしまう。

実際はいつ自分に降りかかってもおかしくない出来事であり、

極論を言ってしまえば、戦争であってもいつ自分が巻き込まれてしまっても

おかしくはない事態ではある。

それなのに俺はいつも隣にいる弥生昴の日常にさえ気がつかないでいた。

目の前まで、あと数センチまで迫ってきていた日常であるのに、

俺は一年以上も無関心に過ごしてしまい、そのことがどうしようもなく歯がゆく思えた。


八幡「どこまで効果があるかなんてわかりませんけど、

   俺に出来る事なら遠慮せずに言って下さい」

夕「ありがとうございます」

昴「すまない、比企谷」

八幡「気にする事はない。俺ができる事を出来る範囲でやるだけだからな。

   だから、そんなのは俺の日常生活の範囲内だし、

   その影響下に人が好き好んで身を置いたとして、

   そこで得られる利益があったとしても俺はとくに何もやっていないといえる。

   つまりは、その、俺がもし利益を生み出しているんなら、

   それを享受してくれるんなら俺も嬉しい、かもしれない。

   その代わり、俺は昴の事を気の毒だなんて思わないからな。

   腫れものに触るようなことなんてしないから、その辺だけは覚悟しておけよ」


845 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/05/07(木) 17:31:41.67 ID:K1/j9s740
昴「比企谷・・・」


これは俺自身への宣戦布告みたいなものだ。

どうしても弱っている人間に対しては、人は上から目線になってしまう。

使わなくてもいい気づかいをして、かえって相手を傷つけてしまう。

だから俺は今まで通り昴と接する事に決めた。

どこまでできるかなんてわからない。でも、実際言葉にして本人に伝えてしまうと、

なんだか本当にできてしまいそうな気がしたのは気のせいかもしれないが。


八幡「食事を一緒にするだけだ。あんま気追わないで、たとえ箸が進まなくても

   その場の雰囲気だけでも楽しんでればいいんじゃないか? 

   そうすれば夕さんの説明でもあったようにそこが昴の安心できる場所へと

   変化していくかもしれないだろ。もちろん保証なんてできないけどな。

   ・・・・・・まあ、昴の大変さなんて俺が経験してないからわかるわけないけど、

   それでもできることがあるんなら協力するし、

   それに、できることからしか始める事は出来ない」

昴「そうだね」


俺が言うのもなんだが、ここで話が終わっていれば感動のシーンだったのだろう。

友情ものの映画のオファーがきちゃいそうな雰囲気も作ってしまったし、

俺自身も少しはりきってしまった感もあった。

しかし、どうにか頭の再起動を完了できた雪乃の一言が、

俺を巻き込んで事態を一変させてしまった。


雪乃「八幡と食事をする効能についてはわかりました。

   お二人が気になさっている昴君の体調面も、由比ヶ浜さんもうちの姉も

   人に言いふらす事もないでしょうし、サポートも進んでしてくれるはずです。

   でも、さきほど仰っていた二つの問題のうちの二つ目の問題とは

   どのような問題なのでしょうか?」


雪乃の問いかけに夕さんは顔を青くして固まり、

昴はそんな姉を見て、なにか残念そうな視線を送っていた。


雪乃「いいにくいことでしたら、無理にいわなくてもかまいません。

   しかし、言なわないでいることで食事に支障をきたすのならば、

   ヒントくらいはいただけないと対処のしようがありませんが」


雪乃の気遣いを聞いても、やはり夕さんの瞳は揺らいだままであった。

もともと年より若く見えるのに、今はさらに若いというか幼くさえ感じられる。

そこまで動揺している姉を見ては当然のごとく昴はサポートする奴なのだが、

今回ばかりはなかなかフォローする間合いを取れないでいた。


八幡「いや・・・、俺達が覚えておく必要があるのは昴のことぐらいだろうし、

   後の事は多分問題ないと思いうぞ。一緒に食事をしてみないと気がつかない

   ような事はたくさんあるけど、今気にしていることだって、後になってみれば

   気にする必要がないことかもしれない。だから、もし実際食事をしても問題に

   なっていると感じたのでしたら、その時話せばいいんじゃないか」
846 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/05/07(木) 17:32:40.52 ID:K1/j9s740

昴「比企谷もああいってくれているし、それでいいんじゃないかな?」

夕「そうね・・・、ごめんなさい。今はその言葉に甘えさせてもらうわ」

八幡「はい、遠慮せずにそうしてください」


俺は夕さんの顔から堅さが抜けていくのを見て、ほっと一息つく。

それは自分から話をふった雪乃も同じようで、俺以上にほっとしているようであった。

しかし・・・雪乃の何気ない一言が核心に迫ってしまう。


雪乃「私の方こそすみませんでした。プレッシャーを与えるような発言をしてしまって」

夕「元々は私が問題は二つあるなんて言ったのですから、

  一つ目の問題しか説明しなければ、二つ目が気になるのは当然の事ですよ」


夕さんは照れながらも雪乃に謝罪の言葉を返す。

柔らかな笑みを纏ったその姿は、どうやら立ち直れたらしい、


雪乃「いえ、配慮が足りなかったのは私の方です。

   本来ならば歓迎の意もこめて明日のお弁当を私が作ることができれば

   よかったのですが、あいにく姉が当番なんですよ。

   でも、姉は私以上に料理が得意なので、きっと夕さん達も満足すると思います。

   そうね、夕さん達のお弁当当番どうしようかしら?

   姉さんが月曜日と金曜日を兼務していて一人だけ二日も当番なのだから、

   姉さんが当番の日を夕さんに担当してもらおうかしら?

   あっ、すみません。もしかしたら昴君からはお聞きになっていらっしゃるかも

   しれませんが、私たちはお弁当を作ってくる担当日を決めて

   お弁当を用意しているんです。

   もしよろしければ、夕さん達も参加してくれませんか?

   八幡も参加できているのですから、気楽に考えてくださってかまいません」


しかし、雪乃が俺達のお弁当当番について説明すると夕さんの顔からは安堵は流れ落ち、

無表情なまでも堅い表情を作り出してしまう。

雪乃も突然の夕さんの変化に対応できないでいた。

それはそうだ。雪乃はさっきの二つ目の問題のことも、今の発言だって

話の流れ上当然出てくる話題であり、話しておかなければならない内容である。

そのことを忘れずに発言しただけなのに相手がその発言を聞いて戸惑ってしまっては、

雪乃の方が困惑してしまうのは当然であった。

雪乃も夕さんも気まずそうに視線を彷徨わせ、

昴は夕さんを気遣いつつも何もできないまま心配そうに見つめている。

・・・そこで俺は気がついてしまった。そして、思いだしてしまった。

昴が何故夕さんを心配そうに見つめていて、夕さんがどんな問題を抱えているかを。

そもそも昴は人の繋がりを大切にし、相手を思いやるやつだ。

人と群れるのが苦手な俺ともうまく具合に距離をとってくれているのだから、

その技量は相当なものだと思われる。

それなのに、今昴が気遣っているのは雪乃ではなく夕さんであった。

むろん弟が姉を気遣うのは普通だし、違和感はない。

しかし、弥生昴ならば身内よりも先に友人を気遣うのが先のはずだ。
847 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/05/07(木) 17:33:17.12 ID:K1/j9s740

でも、実際には雪乃ではなく夕さんを心配そうに見つめているだけで、

雪乃の事は意識はしていても、フォローする余裕がないようであった。

もちろん俺がいるから雪乃のフォローは後回しでもいいという考えもできるが、

それでも一言ぐらいはフォローするのが弥生昴だろう。

だからこそ俺は違和感を感じてしまい、それがあったからこそ昴が何を心配していて、

夕さんが何を問題にしているかを思い出してしまった。

以前俺達が弁当である事を昴が羨ましいと言ったことがあった。

もしかしたらお世辞も混ざっていたかもしれないが、ごくありふれた日常の会話ではある。

ただその時昴は言ったのだ。俺の発言に対して苦笑いを浮かべていたはずだった。


八幡「だったら、家の人に作ってもらえばいいんじゃないか?

   まあ、弁当作ってもらうのに気が引けるんなら、

   夕食のおかずを多めに作ってもらっておいて、

   それを朝自分で詰めるのも手だと思うぞ」

昴「あぁ、それもいい考えかもしれないけど・・・。

  比企谷のアイディアはいいと思うんだ。

  でも、家の人も僕と同じように料理が苦手で、

  それをお弁当にして持ってくるのはちょっと・・・」


って、会話があったことを思い出してしまった。

その時は母親が料理が苦手だと勝手に思いこんでしまっていた。

しかし、昴が今一緒に住んでいるのは夕さん一人だけだ。

つまりは、母親が料理を作ってはいないってことになる。

なにせ一緒に住んでいないのだから当然無理だしな。

だから自動的に「僕と同じように料理が苦手」な人は、夕さんとなってしまう。

ここまでわかればあとは簡単な理屈だ。

夕さんが気にしていた二つ目の問題。

きっと夕さんは昴から聞いていたのだろう。

俺は昴には話してはいないが、由比ヶ浜が話していたのを俺は覚えていた。

弁当当番があり、由比ヶ浜も頑張っており、俺の料理も楽しみにしていると。

二つ目の問題。それは、夕さんは弁当当番を任されても料理が出来ないって事だろう。

そりゃあ夕さんも気まずいにちがいない。

自分の方から昼食会に参加させてほしいといっておきながら、

弁当当番は出来ないと言うのは勇気がいる告白である。

たとえ誰も無理やり弁当を作ってほしいと強制しないとわかっていても

気が引けてしまうはずだ。

俺としては、無理やり弁当当番の一員に任命されてしまった俺の事も

弁当当番を免除してほしいと訴えたいが、おそらく全員一致で却下されるだけだろうけど。

ただし、弥生姉妹は除く。


八幡「えっと、その・・・。夕さんたちは弁当を無理に作らなくてもいいですよ。

   弁当を食べる機会は週五回あり、陽乃さんはそのうち二回作りますけど、

   俺と雪乃と由比ヶ浜は一回ずつでして、もし作ってくれるのでしたら

   俺の登板と交換っていうのでもいいですけど」
848 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/05/07(木) 17:33:56.44 ID:K1/j9s740


俺は凍りついた雰囲気にさらなる災厄が降り注がないようにと、恐る恐る提案してみる。

すると、さすが昴といったところか。

俺の意図にいち早く気付き、この場を丸めようと参戦してくれた。


昴「僕はもともと料理が全くできないし、姉さんも大学の事だけでも大変なのに

  僕の事もあるわけだから、ここは甘えさせてもらってはどうかな?」

八幡「甘えるといっても、そんな大層な事はしてないですから」


雪乃はといえば、自分の発言が発端となった事もあり、

未だに困惑を身にまとったままでいるが、事の推移を見守ろうと沈黙を保ってくれていた。

ここで雪乃が今ある状況も理解しないままなにかしら発言でもしたら、

俺と昴の苦労は一瞬にして泡ときす。

しかし、交友関係を活発に広げようとはしない雪乃であっても、

自分がおかれている状態を読みとる能力が乏しいわけではなく、

不必要に人間関係に波風を起こさない術くらいは学んできているようであった。

まあ、学んではいるけど、気にくわない相手に対しては好戦的ではあるが。

それが雪乃らしいといえばらしすぎるわけで、その辺を無理に隠す必要もないとは思う。

とりあえず、この場は俺に任せるといった視線を雪乃から受け取った俺は、

目の前で未だぬ動けないでいる夕さんに意識を集中させた。


昴「姉さん?」


いくら昴のサポートがあっても、弁当に関しては夕さんの言葉がなければ話は進まない。

昴が夕さんの意識を揺り動かそうと声をかけると、聞き慣れた声に反応した夕さんは

唇と軽く噛むと、俺達向かっていきなり頭を下げてきた。


夕「ごめんなさい。私も料理が全くできません」


俺と昴はどうしようかと目を交わすも、夕さんを見守るしか手が残されてはいなかった。

一方雪乃はやっと今置かれている事態を全て理解したようだ。


夕「比企谷君はわかっていたみたいだけど、昴から聞いたのかな?」


顔をあげて俺を見つめる夕さんは、頬を上気させて潤んだ瞳で俺に問いかけてきた。

これはやばい。女の色気がぷんぷん撒き散らすタイプではないが、

自然と男を引き寄せる魅力が俺を惑わそうとする。

俺の中の夕さんのイメージは、英語の講義に一生懸命取り組んでいる真面目な講師で

ほぼ固まっていた分、このギャップはすさまじすぎる。

いくら雪乃が隣にいたとしても、魅力的な女性の魅力を否定する事は出来ない。

いや、どことなく雪乃と雰囲気が似ているせいもあるのだろうか。

年も違うし、性格は全く違う。見た目は若く見えるせいもあって年齢を感じさせないが、

俺が初めて弥生准教授と会った時に抱いた生真面目さと言うか清潔感?

几帳面さというか芯が通った力強い美しさが雪乃とダブらせる。

なんて夕さんに見惚れていると、隣の本物の雪乃が訝しげに俺の顔を覗き込んできて、

はっと息を飲んでしまった。


849 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/05/07(木) 17:34:43.92 ID:K1/j9s740

雪乃「八幡? 大丈夫?」

八幡「えっ、あぁ、うん。問題ない。えっと、ストレートに夕さんが料理ができないと

   聞いたわけではなくて、なんとなく料理がうまくないって話を聞いたことが

   あっただけですよ」

夕「そうなの?」


昴に首を傾げて聞く姿、本当に30歳くらいなのですか?

実際の年齢を聞いたわけではないけど、昴の年齢と

准教授っていうことを考えれば30前後ってきがするだけだが、

どう見ても雪乃よりも幼く見えてますって。しかも、かわいすぎるし。

本当に初めて夕さんを見たときに感じた几帳面そうな講師の印象を

どこに忘れてきたんですかって聞いてみたい。


昴「うん。ごめんね」

夕「ううん、いいのよ。私が料理ができないのは事実だから。

  本当は私が料理が出来るのならば、もっと昴の食事面でのサポートもできるし、

  もっと早く回復していたかもしれないのに、本当に駄目なお姉ちゃんでごめんね」


今度こそ本当に涙を瞳に貯め込んだ夕さんは、昴に向けて許しを乞う。


昴「そんなことないよ。夕姉はいつも僕の為にがんばってくれているよ。

  僕の方こそ迷惑ばかりかけていて、申し訳ないって思ってしまっているんだ。

  仕事だって大変だし、それなのに僕という負担までしょいこんでしまって、

  感謝は毎日しているけど、夕姉の事を駄目だなんて思ったことなんてないよ」

夕「昴・・・」


駄目だ・・・。二人だけの世界作っていやがる。

なんだか、見ているだけで胸やけがするっていうか、これが砂糖を吐くっていう場面なのか?

砂糖を吐くってラノベでしか体験できないことだったんじゃないのかよっ!

とりあえず、げんなりとした顔だけは見せないように俯いて顔を隠し、

俺は雪乃の様子を伺うべく目だけ隣にスライドさせた。

すると俺の視線に気がついた雪乃は、とくになにか訴えかけてくる事もなく、

視線は目の前で繰り広げられ続けている甘ったるい光景に向けられた。

まっ、しゃーないか。

冷めてしまってはいるが、砂糖がなくても甘くなりすぎた紅茶を飲みながら待つとしますよ。

こういう場面に介入してもろくな事はないからな。

と、諦めモードで視線だけは甘さを避けるべく店内を眺めることにした。

ただ、そんな甘ったるい時間はそう長くは続くわけはなかった。

一つ目の理由としては、喫茶店の中ということで公共の場であること。

二つ目としては、目の前に俺と雪乃がいることだが、おそらく3つ目の理由が本命だろう。

それは、弥生姉弟のその場の空気を読む能力が由比ヶ浜並みであるっていうことだ。

そりゃあ、いくら蕩けるような雰囲気を作っていようと、

目の前で気まずそうな雰囲気を隠そうとしているのが二人もいたら気がつくに決まっている。

いくら俺と雪乃が平静を装ったとしても、

平静さを強く装うほどに気がついてしまう二人なのだから。
850 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/05/07(木) 17:35:27.45 ID:K1/j9s740

昴「えっと、その・・・、待たせてしまったみたいでごめん」

八幡「いや、気にするな」

夕「比企谷君に雪乃さん。恥ずかしい姿を見せてしまってごめんなさいね」

雪乃「いいえ。私は気にしていませんから大丈夫です。

   むしろ八幡がいやらしい目で夕さんを見ていたみたいなので、その方が申し訳ないです。

   彼女として、彼氏の不始末をお詫びします」


と、雪乃は丁寧過ぎるほど丁寧に頭を下げて謝罪する。

絶対雪乃は俺が夕さんに見惚れてしまった事を怒ってるな。

って、いつ頃から気が付いてました?

でもそれは雪乃とダブらせてしまった部分が大きいわけで・・・、はい、ごめんなさい。

隣から発せられる局所的な冷気が俺だけを襲う。

きっと昴も夕さんも、雪乃の冷気に気が付く事は出来ても、

その身を凍らせる冷気を感じる事はできないのだろう。

それだけピンポイントに俺だけに嫉妬を向けられていた。


夕「いいえ、比企谷君はとくに・・・」

雪乃「それは夕さんが気が付いていないだけで、

   八幡が巧妙にいやらしい視線を隠していただけです」

夕「本当に大丈夫ですから」

雪乃「そうですか? 夕さんが大丈夫と仰ってくださるのでしたら」

昴「僕たちのせいで話を中断させてごめん。

  それで話を戻すと、僕と姉は料理ができないんだ。

  だから、僕たちは自分たちの分のお弁当だけは用意するよ。

  それでもいいかな?」


俺の窮地を察知した昴は、ちょっと強引だけど話を元に戻そうと努める。

俺だけじゃなくて夕さんも若干雪乃に引き気味だったのも、

強引に話を戻した原因かもしれない。

ただ、昴が強引な手を使った為に、さらに雪乃の機嫌を悪くしてしまうかという不安

だけは残っていた。

再び視線だけをぎこちなく雪乃に向けると、さっきまで申し訳なさそうな表情を

作っていたのに、今は少しだけ頬笑みを浮かべて昴の話に合わせてきた。


雪乃「お弁当を用意するといっても、

   それはコンビニかお弁当屋さんで買ってきたものですよね?」

昴「そうだね。その日の気分で店は変えてはいるけど」

雪乃「だったら、私たちが昴君たちの分もお弁当を用意しますよ」

昴「それは悪いよ」

夕「そうですよ。私たちはお店で買いますから、これ以上のご迷惑は」

雪乃「いいえ。これは昴君の為でもあるんですよ。

   お店のお弁当よりは手作りのお弁当の方が食べやすいと思います。

   もちろん健康面においても違いがあるでしょうし」



851 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/05/07(木) 17:36:35.11 ID:K1/j9s740

たしかに雪乃の言う通りだ。いくら店の弁当で野菜を多く取って健康面を考えようとしても、

家庭で作った健康を考えた手料理には敵わない。むしろ大きな差があるはずだ。

それに、外で食事ができない昴の症状を考えれば、少しでも刺激が少なく

胃の負担が小さい料理を選ぶべきでもある。



第48章 終劇

第49章に続く






おまけ『がんばれ葉山君』


アパレルショップ


折本「さっきの、友達?」

葉山「ああ、同じサッカー部のやつら」

折本「わかるっ! そんな感じする!」

折本「葉山くんもサッカーって感じ。昔からやってたの?」

葉山「ああ。でも、ちゃんとやったのは中学からだよ」

仲町「昔からスポーツが得意だったんだね。だからか・・・、

   胸板とか腕の筋肉もすっご~いっ」

葉山「どうだろ?」

折本「ううん、細身だけどしっかりと筋肉ついているし、

   ただでさえかっこいいのにますます目が離せなくなっちゃうよ。・・・だからかな?」

葉山「なにかな?」

折本「うん、人の視線を普段から意識しないといけないから自然とだとは思うんだけど、

   葉山君が制服の下に着ているインナーのシャツもなんかおしゃれしてるなって。

   でもでも、おしゃれしているのを前面に押し出してるんじゃなくて、

   さりげなく着ているところがいいんだよね」

葉山「そうかな?」

仲町「そうだよ。うん、葉山君だからこそだよ」

折本「比企谷もそう思うよね?」

八幡「どうだろうな・・・」

折本「ほらぁ、もっとちゃんと見なさいよ」

八幡「わぁったよ。・・・ん? なあ葉山」

葉山「なんだい比企谷」

八幡「そのシャツってさ、どこで買ったやつ?」

葉山「どうして?」

八幡「いや、俺もそのシャツと似ているのを最近まで着ていたからさ」

葉山「そ、そうだったのか。偶然だな。比企谷と趣味が合うんだな」

折本「比企谷はともかく、葉山君のセンスはちょういいかんじでしょ」

葉山「だとすれば、同じ服を選んだ比企谷もセンスがいいってことかな」

仲町「どうだろうね?」


852 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/05/07(木) 17:37:18.33 ID:K1/j9s740

八幡「服のセンスがいいっていうのなら、雪乃を誉めてやってくれよ。

   以前まで着ていた服は全て雪乃に回収されて、

   今持ってるのは全部雪乃が用意してくれてるやつだからな」

折本「もうっ、比企谷が背伸びしないの。いくら比企谷がまったく同じのを着たとしても、

   葉山君みたいにはならないって」

八幡「・・・まっ、そのシャツ今はどこかいっちまったからどうでもいいけどよ」




カフェ


葉山「そういうの、あまり好きじゃないな・・・・・・」

仲町「あ、だよね!」

葉山「ああ、そうじゃないよ。俺が言っているのは君たちのことさ」

折本「え、えっと・・・・・・」

葉山「・・・・・・来たか」

八幡「お前ら・・・・・・」

結衣「ヒッキー・・・・・・」

八幡「なんでここに・・・・・・」

葉山「俺が呼んだんだ。・・・・・・比企谷は君たちが思っている程度の奴じゃない。

   君たちよりずっと素敵な子たちと親しくしている。表面だけ見て、

   勝手な事を言うのはやめてくれないか」

折本「ごめん、帰るね」

雪乃「選挙の打ち合わせ、と聞いていたけれど」

八幡「選挙って、生徒会のか?」

雪乃「・・・・・・。由比ヶ浜さん、やってくれないかしら?」

結衣「らじゃ~・・・・・・。くんくん、くんくん」

葉山「ちょっと結衣。何を急に!」

八幡「おい由比ヶ浜。なんで葉山の服を嗅いでるんだよっ」

結衣「やっぱり隼人がワイシャツの下に着ているシャツってヒッキーの臭いがする」

葉山「・・・・・・」

結衣「でも、どうしてゆきのんと陽乃さんの臭いもしてくるんだろ?」

八幡「ちょっと待て! 俺は葉山と抱き合ったことなんてないからな。

   けっして海老名さんが喜ぶような展開なんてなかった。わかってくれ雪乃。

   俺がそんなことするわけないって、お前が一番わかってくれるよな」

雪乃「わかってるわ(にっこり)」

八幡「お・・・ありがと」

雪乃「でも、そんなに慌てて否定されると、ほんのわずかだけれど、疑いたくなってしまうわ」

八幡「ゆきのぉ・・・・」

雪乃「嘘よ(極上の笑み)」

八幡「勘弁してくれよぉ」

陽乃「ふーん、なるほどねぇ。雪乃ちゃんが妙にガハマちゃんのことを大切にしているのって、

   そういう理由もあったわけか」

雪乃「姉さん・・・・・・」

853 :黒猫 ◆7XSzFA40w. 2015/05/07(木) 17:39:15.36 ID:K1/j9s740
陽乃「ガハマちゃんの犬みたいな嗅覚を味方につけたってわけね」

雪乃「姉さん」

陽乃「なにかな?」

雪乃「愛人は愛人らしくしていられないのかしら?」

陽乃「あら? 愛人だからこその行動じゃない」

雪乃「はぁ、まあいいわ。・・・葉山くん」

葉山「・・・どうしたのかな?」

雪乃「生徒会の話なのだけれど」

葉山「あぁ、そうだったね」

雪乃「生徒会長については一色さんが「自主的に」立候補して生徒会長になることを

   泣き叫んで?、泣いて?、命乞いをして?、・・・了承してくれたわ」

葉山「そ、そうか」

雪乃「えぇ、葉山君が自分にできることならなんでもしてくれると

   言ってくれたのがきいたみたいね」

葉山「自分には大した事なんてできやしないよ」

折本「さすが葉山君」

雪乃「謙遜だわ。葉山君には生徒会副会長としての立候補届けを出しておいたわ。

   葉山君の推薦人は簡単に集まったから問題なかったのだけれど、書記をやりたいって

   言ってきた相模さんの推薦人がなかなか集まらなかったのが大変だったわ」

八幡「よく相模がやるなんていってきたな」

雪乃「どういう風の吹き回しかしらね? でも、これも奉仕部への依頼だから協力したまでよ。

   だから葉山君。一色さんと相模さんと生徒会がんばってね(にっこり)」

葉山「ははは・・・」

雪乃「それと、葉山君の体操服やサッカー部で使っているスパイクやユニフォーム。

   手違いでなくなってしまったから新しいのを用意しておいたわ。一応みんなに声を

   かけて探すの手伝ってもらったのだけれど、駄目だったわ。でも、さすが葉山君ね。

   葉山君の私物だとわかったら飛ぶように手が挙がったもの」


今回もごめんなさい。



次回  やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている ) その5