LiPPS「MEGALOUNIT」 前編

264: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:15:32.98 ID:78VDBhPt0
「彼?」

 アタシは首を傾げた。
 演技なんかじゃない。一瞬、ホントに誰の――いや、どっちの事を言ったのか分からなかった。

 そして、思いついた。

「あぁー会った会った! いやーホント偶然そこで会ってさー。
 それに志希ちゃんにもこんなトコで会うなんて、こんな日もあるんだねーっていうか?」

 とぼけることにした。

 そうだ。一緒に来ていたワケではないフリをまずしてみよう。
 実際、“前の”プロデューサーに会ったのは本当に偶然だったし、彼の事を差してるつもりで話を合わせてみよう。
 志希ちゃんだって、アタシの前のプロデューサー――チーフとは面識があったはずだ。

「にゃははー、ホントだねー」

 志希ちゃんは、にへらと笑った表情を崩さない。
 ヘンに思ってる様子はなさそうだ。


「それでさ、彼からヒジョーに興味深い話を聞いたんだけど――むふふ、聞きたい?」


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1513384979

引用元: LiPPS「MEGALOUNIT」 


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265: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:17:25.83 ID:78VDBhPt0
 彼――志希ちゃんがさっきまで会ったのは、今のアタシ達のプロデューサーだ。

「あの人が? どんな?」
 話を合わせたつもりは無い。純粋に、気になった。


「あのサマーフェス、ホントはアタシ達が優勝するはずじゃなかったって話」


 志希ちゃんの一言は、アタシの胸を途端にざわつかせた。
「――どういう意味?」

「まぁ有り体に言えばヤラセって事になるのかな?
 偉い人達が決めた台本通りに事が進んで、勝つ事を望まれた人がなるべくして勝つ」

 ヤラセ――ヤラセが、ウチのフェスで?

「楓さんが優勝するはずだったんだって。
 ほら、映画の公開も良い時期に重なるっていうから、宣伝もしやすいとゆー。
 そりゃー確かに話題性に勝る宣伝要素は無いよねー?」

266: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:20:43.19 ID:78VDBhPt0
「だとしたら、何でアタシ達が勝ったの? おかしいじゃん」

 志希ちゃんが悪いワケじゃないのに、つい口調が尖ってしまった。
「ご、ゴメン」
「んーん、いーよ気にしないで、そりゃそう思うもんね。アタシも思う」


「アイドル部門の統括常務ってヒトが、新しい人に変わったんだって。フェスの直前に」

 人差し指を立てると、志希ちゃんの笑みは悪戯っぽいそれに変わっていく。

「凝り固まった役員のオジサン達が、その常務さんには気に入らなかったんだろうね。
 組織票など断じて許さん、って役員会議でバッサリ言い渡して、もー上層部は混迷極めたり、ってね♪」

 彼女はとても楽しそうに笑った。

 大人の争いを皮肉めいて笑い飛ばす、というより、すごく単純な笑い方だった。
 空に浮かぶ雲が人の顔に見えるよ、なんて、どうでも良い事に指差して笑う子供のようだった。

「勝手な話だよねー。あの人達にとって、主役はアイドルなんかじゃない。
 それが悪いとまでは言わないけどさ」

267: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:22:28.83 ID:78VDBhPt0
 ヤラセ――アタシ達は、勝つ事を望まれてはいなかった。

 それを、あの人は知っていた。
 知ってて、それを隠した――そして、それでもなお、より良いステージにしようと、彼なりに最大限力を注いだ。

 なぜだろう。なぜ――?

「んふふー、美嘉ちゃん」
 黙り込んだアタシの顔を、志希ちゃんは興味深げに下から覗き込んだ。


「アタシが彼に興味を持った理由、分かってくれたカンジかにゃ?」

「えっ?」
 この子の話はいつも突拍子が無くて、アタシは間抜けな返事をするばかりだ。


「条件と方法が一緒なら、誰がやっても同じ事象になるの。これを再現性とゆー。
 お鍋に火をかけると、中の水は100度で沸騰するでしょ? そーゆーのを一つ一つ明らかにしていくのが化学」

268: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:26:56.90 ID:78VDBhPt0
 ほら、こうして突然難しそうな話を語り出した。
 アタシは物理専攻だったけど、この間返却されたテストの苦い思い出が、頭のむず痒さと一緒にぶり返す。
 志希ちゃんに勉強の邪魔をされた記憶も。

 そんな気も知らず、志希ちゃんは手すりから身を起こし、ブラブラと歩きながら右手の人差し指をあっちこっちに振ってみせた。

「あーすればこーなる。じゃあこーするとどーなる? 予測した通りにそーなる。
 そんな化学、っていうか科学の行き着く果ては、究極の目標は何かっていうとさ」

 立ち止まり、足元の落ち葉を屈んで手に取り、ニコッと笑う。

「未来予知、なのかもね」


 手を離すと、落ち葉は潮風に乗ってぐんぐん上昇――する事はなく、元いた居心地の良い住処へ急ぐように地べたに吹き降ろされ、転がっていった。

「ありゃ、なんだ。もっと飛ぶかと思ったのになぁ」

 にゃははーという志希ちゃんのそれは、誘い笑いなのか、他意の無い単なる笑いなのか分からない。

「風向きと風速、角度、落ち葉の向き、放す位置――条件を細かく設定すれば、再現性はより高まる。
 美嘉ちゃんち、埼玉だっけ?
 ゆくゆくはさ、この落ち葉をココから美嘉ちゃんちのポストに入れるための条件も導けるようになるんだろうね」

269: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:30:13.43 ID:78VDBhPt0
「アタシは落ち葉なんていらないけどね」

 冗談っぽく返した。これ以上、志希ちゃんのペースに乗せられるのも癪だ。

 でも、志希ちゃんはそんなアタシの答えすら期待していたかのように、ますます嬉しそうに笑った。

「そう。なぜいらないのか? それなの、美嘉ちゃん。アタシが知りたいのはね」
「へっ?」
 また出てしまった。

「どうしても化学で再現できない、解き明かせない、たぶんたった一つのもの。
 それが介在することで、全ての理屈は意味を無くしちゃう。
 ちょうど、楓さんの勝利を望んだオジサン達と、それでも奮闘した彼がいたように」


「――人の心?」
「せーかいっ♪」

 ピョンと跳ね、アタシの真ん前で着地すると、志希ちゃんは――。

「えいっ」

270: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:33:10.17 ID:78VDBhPt0
「!? ど、わあぁっ!?」

 アタシの胸にタッチしたのだ。なっ、な――!
「何すんのっ!!」

「イヤ?」
「当たり前じゃん!!」
「何で?」
「何でって、イヤなものはイヤ! こんなのにいちいち理由なんて無いから!!」

  ――理由が無きゃ好きになっちゃいけねェのかよ。

 この間事務室で聞いた、ヤァさんの言葉がふっと頭をよぎる。


「そうなんだよねー、明確な定義なんて無いよねー、そしてそれが最高ってゆーか♪」
「はぁ?」

「好きとか嫌いとか、可愛い、綺麗、美しい、そんな抽象的な言葉が飛び交って、数え切れないほど人の意思に溢れた場所。
 不明瞭で、無秩序で、ともすれば虚実さえ曖昧なものになり得るアイドルの世界って、この世で一番ワケ分かんないトコなんじゃないかにゃって、アタシ思ったんだ。
 だからね――?」


 志希ちゃんは、指をピッと差した。
 アタシではなく、よく見るとその後方を向いている。その先には――。

「その混沌の中にあってアイドルを導くプロデューサーには、そりゃー志希ちゃん興味、持っちゃうよね♪」

271: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:35:43.81 ID:78VDBhPt0
 振り返ると、ムスっとした表情でこちらに歩いてくるあの人が、遠方に見える。

「にゃははー♪ やーっぱり怒ってる。人を怒らせるのは案外簡単かもね、これも一つの再現性。
 美嘉ちゃん、心当たり無い?」

「“やっぱり”?」
 志希ちゃんには、心当たりがあるのかな。
 アタシには何も――。

「例えば、予定されたせっかくのデートを誰かさんに邪魔されたとしたら?」

「えっ?」


 含みのある笑いを向けてくる彼女に、アタシは強がってみせる余裕すら無くなっている。
「そ、そんな――っていうかデートじゃないし! アタシとプロデューサーはただ――!」

「そうだね。美嘉ちゃんが今日のデートの本来の相手だという“仮定”に立つと、アタシが邪魔者になるよね」
「そっ――」

 ――は?



「本当は今日、アタシがあの人とデートする予定だったとしたら?」

272: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:38:44.23 ID:78VDBhPt0
 ――ど、どういう事?

「ウブな“誰かさん”に気づかれないよう、せっかく段取りをしていたのに、余計なお節介から今日その子に誘われちゃって、断るに断りきれず、無理矢理ダブルブッキングを敢行していたとしたら?」



 ――アタシが、邪魔?


「にゃはは、あくまで仮定の話だよ美嘉ちゃん。確かめたいならあの人に聞いてみるのがいいんじゃないかにゃ?
 まーどこまで正直に答えてくれるか分かったもんじゃないけどねー、あの人って♪」


 自分にとって都合の悪い事は、決して言わない人だというのは分かってる。

 つまり――アタシが今日、本当はあの人を誘うべきではなかったとしたら。

 一日中、不機嫌そうな顔をしていたのが、余計な邪魔者に振り回されていたためだとしたら。



「あ、おい城ヶ崎さん」

 彼が呼び止める声から逃げるように、アタシはその場を飛び出した。



 公園を出て、信号を渡り、息を切らして振り向くと、志希ちゃんの両手が彼の腕に絡みついているのが見えた。

273: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:42:09.16 ID:78VDBhPt0
「いやいや、そんな器用な人じゃないと思うよさすがに」


 夕食時という事もあり、ふらっと入ったファミレスは十分広いにも関わらず、ほとんど満席だった。
 それでも、さほど順番待ちもしないで、ちょうど窓際の奥の方に座れたのはラッキーだったと思う。

 お忍びで来ているにも関わらず、フレデリカちゃんは大きな声で店員さんにスープバーの場所を問いかけ、ウロウロ怪しく彷徨っている。

「私も周子に賛成ね。考えすぎよ」
「だとしたら、志希ちゃんは何であんな事をアタシに言ったのって話なんだよねぇ」

「単にからかいたかっただけとか? 美嘉ちゃんってほら、マジメやん。
 混乱させるだけさせて、オロオロするのを見るのが楽しかったんと違うかな。◯◯◯◯触ったのだってそうでしょ」
「◯◯◯◯言うな!」
「ホントの事やん」

 コホン、と咳払いをして、奏ちゃんがその場を制した。

「プロデューサーには他意は無かったと思うけれど、志希のその言動に引っかかるものがあるのは確かね。
 いくら興味本位で美嘉をからかうためとはいえ、少々タチが悪い気がするわ」
「だよね? さすがに、いくら志希ちゃんでもそこまでするかなって」

 あまり、あの子の事を悪く言いたくないのは、奏ちゃんも周子ちゃんも同じなんだ。
 もちろん、席にいないけど、フレデリカちゃんも。ていうかまだ帰ってこないの?

274: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:44:58.68 ID:78VDBhPt0
「おっ。はい、奏先生」
 ひょうきんに周子ちゃんが手を挙げた。
「何かしら、周子さん?」

「逆に考えたらどう? ほら、元々美嘉ちゃんは志希ちゃんとプロデューサーの仲を取り持とうとしたワケでしょ?
 心配するまでもなく、ホントは二人の仲が良かったんだとしたら、それはそれで結果オーライって事で、ダメ?」

 言った瞬間、あっ違うな、と周子ちゃんは首を傾げた。
「珍しく、的外れな意見ね、周子」
「志希ちゃんが何であんな事をアタシに言ったのか、って疑問に全然答えてないんですけど」
「今のはアカンかったな。ゴメンゴメン」

「そういや美嘉ちゃんさ」
「何?」
「あの人から、何かメールとか来てないの?」

 周子ちゃんから言われ、ハッと思い携帯を取り出した。
 そうだ、今日とりあえずデー――じゃない、一緒にいたのに、急にアタシ飛び出して、何も連絡してなかった。

 ファミレスに入る前は、何も連絡無かったけど、何かしら反応があってもおかしくない。
 ていうか、本来ならアタシがゴメンってメール送らなきゃいけないヤツだ。


「――今日はごめん。買い物付き合ってくれてありがとう。また明日から頑張ろうな。だって」
「ふっつ~~~! 何やソレ」
 周子ちゃんは大袈裟に仰け反ってケラケラ笑う。

275: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:48:11.35 ID:78VDBhPt0
「ごめん、って謝ったということは、あの人にも後ろ暗い、やましい思いがあったのかも知れないわね」
 アタシの携帯の画面を見ながら、冷静に奏ちゃんが分析をすると、周子ちゃんが蠅を払うように手を振った。

「無い無い。何かよく分からないけどとりあえず謝っときゃいいだろ、ぐらいなもんでしょきっと。
 あたし自身そうだから分かるけど、あの人思った以上にテキトーだよ」
「あなたがそう言うと、説得力増すわね」
「おう任せて」


 ――あの人の事を正しく理解している人は、この中にどれだけいるだろう。

「あのさ」
「オボン☆ボヤージュ!」
「うわぁっ!?」

 突然、スープバーから帰ってきたフレデリカちゃんがアタシの隣に着き、お盆を置いた。

「みんなの分も取ってきたよー♪ どれにする? あ、フレちゃんコレにするから周子ちゃんコレね。はい奏ちゃん」
「残ったこれが美嘉の、という事ね」
「元から選ばせる気ゼロやん」

 ――そもそも、アタシはこの子達の事すら、ちゃんと理解できていないのかも。
 えぇい、気後れしてもしょうがない!

276: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:51:05.77 ID:78VDBhPt0
「あのさ、皆。一つ確認なんだけど――あの人にスカウトされたのって、この中だと誰がいたっけ?」

 スプーンを持つ手を止め、皆がアタシの方に顔を向けた。

「えーと、あたし――あれ、あたしだけ?」
 周子ちゃんが手に持ったスプーンで皆を差してみるが、反応は無い。

「フレちゃんは?」
「アタシはチーフさんにトゥギャザーしないって言われたよ?」
「私は、元々いたから違うわね」
「アタシも、チーフの担当から、こっちに移ったし」

「志希――は、スカウトと言えばスカウトかしら。あの人に無理矢理くっついて、私達に加わった」


 私は、もう一度、プロデューサーに言われた事を皆に話した。

 アタシ達の夢を否定し、哀れみ、ともすればアイドルを辞めろとさえ言いかねない彼の話を。


「志希ちゃんはともかく――何であの人は、周子ちゃんをスカウトしたんだろう?」

277: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:54:09.37 ID:78VDBhPt0
「えっ? い、いやぁ――」
 一瞬戸惑い、周子ちゃんは首の後ろを掻いて、天井を見上げた。

「あら、照れているの?」
「そりゃーねぇ? っていやいや違うって」
「シューコちゃん可愛い上に和菓子屋の娘だもんねー♪」
「そっちかー、やっぱあたしのアイデンティティそっちかー」

「トップアイドルにさせる気が無いのに、どうしてスカウトなんてしたのかな」

 どうしても、それが分からない。
 それに――。

 あの人は、アタシ達があのフェスで勝てない――勝たない事を、予め知っていた。


「ミカちゃん、ムニッ☆」
「ふぇっ!?」

 フレデリカちゃんが、アタシの頬を両手で引っ張った。

「んもー考え過ぎだよー。楽しい事が嫌いな人なんていないよ?
 楽しそうな子スカウトして、良いフェスにしようって頑張るの、そんなにヘンじゃないってフレちゃん思うなー」

278: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 00:59:17.48 ID:78VDBhPt0
「じゃあフレちゃんさ、志希ちゃんが美嘉ちゃんにヘンな事言ったのも楽しいから?」
 周子ちゃんが尋ねると、フレデリカちゃんは笑顔で答える。
「フレちゃんもおんなじ事するかも?」

「えぇっ!?」
 サラッと言うなぁこの子は!

「シキちゃんと一緒にいると、アタシ自身そうだから分かるんだー♪
 あれだけ自由に振る舞えるの、シキちゃんが皆のこと大好きで、安心しきってるからだよ」

 当然のように、自分のと周子ちゃんのスープを取り替えて、一口啜るとフレデリカちゃんはニッコリと笑った。

「イヤな思いしちゃったら、シキちゃんに怒ってあげると、ちゃんとシキちゃん謝ってくれると思うよ? 優しい子だもん。
 あっ、シューコちゃんコレおいしいからそっちあげるね♪」
「こらぁ、フレ公えぇ加減にせぇよ」
「うわーん、怒られリカ☆」

 頭を両手で抱え、ペロッと舌を出しながら、フレデリカちゃんは横目でアタシの顔を見て微笑みかける。


 そっか――アタシ、志希ちゃんの事、まだ知らないだけなんだよね。

 満足に直接話もしていないのに、勝手に想像を膨らませて、変に思っちゃうのは筋違いだ。


 コントのようにふざけ合う二人の横で、奏ちゃんは呆れるようにフッと笑い、アタシに向けて肩をすくめてみせた。

 アタシも、鼻でため息を漏らし、やっぱり笑うしかなかった。

279: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:03:55.45 ID:78VDBhPt0
 翌日のレッスン前、昨日の事を話してみると、志希ちゃんはアッサリと白状した。

「いやー美嘉ちゃんホントごめんね? まさかあそこまで真に受けるなんて予想外でさー」

 話を聞くと、志希ちゃんはアタシの真面目さ、純粋さがどれほどか確認してみたかったのだという。
 彼女曰く、想定され得る中でよりエグいシチュエーションを試し、アタシが感づく事を期待していたみたい。

 その日の更衣室で、アタシは他のLIPPSの子達から散々茶化されるハメになった。
 だーもう、触るな!


 一応プロデューサーにも聞いてみたけど、彼はため息を大きく吐いて「当たり前だろ」と言い捨てた。
「不機嫌だと思われたなら謝るが、俺は別に何とも思ってないから大丈夫だよ」

「――あのさぁプロデューサー、そういうトコがデリカシー無いんだよね」
「何が?」
「一緒にいた女のコに面と向かって、何とも思ってないってフツー言う?」
「あ、うん――悪かった。楽しかったよ」

 今更遅いっての! もう、無駄に心配したアタシが丸っきり馬鹿みたいじゃん。

 癪だから、負い目につけ込んで、あの日買わせたグラサンを今度の仕事の時にかけてくるようプロデューサーに言ってやった。

 皆すごく喜んで、特にフレデリカちゃんはめちゃくちゃ写メ撮って、あの人は心底イヤそうだったな。
 えへへ、アタシばかり弄られキャラはヤダもんね★

280: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:06:17.81 ID:78VDBhPt0
 あれ以来、お仕事はすごく順調にこなしている。

 冬物のお仕事が増えたのもあるけど、拓海さんのアドバイスもあって、胸をそれほどコンプレックスに思わずにいられた。

 出演する全国ネットの音楽番組に向けたレッスンでは、アタシが皆に気づいた点をアドバイスする事で、ユニットに貢献できている。

 その甲斐もあってか、収録本番は大成功。出演者の人達にもディレクターさん達にも、たくさん褒めてもらえて――。

 LIPPSが確実に、成長出来ているなって。そう思えたんだ。


 次のアタシ達の大きな目標は、もちろん『アイドル・アメイジング』。

 ホントはアタシ達が出るはずじゃなかったとか、そんな大人の事情なんて関係無い。

 アタシ達は、346プロの代表として大一番のフェスに出て、最高のステージを披露する。
 ゴチャゴチャ余計な事を考えなきゃいけない理由なんて、アタシには無かった。

281: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:09:13.06 ID:78VDBhPt0
 その日は、大会本番で歌う新曲の試聴会を皆でする事になっていた。

 事務室に行くと、奏ちゃんと周子ちゃんがソファーでくつろいでる。
 プロデューサーが見当たらないから二人に聞いてみると、偉い人に呼ばれてどこかに行ったみたい。

 あの人も、忙しそうだな。


「あ、フレちゃんからラインだ」

 周子ちゃんがそう言うので、携帯を取り出してみた瞬間、アタシの後ろのドアが勢いよく開いた。
「うひゃあっ!?」
「おはよー! 呼ばれてないのにフレデリカー♪」

 ラインで来たのは、何の意味も無いただのスタンプで、それに気を取られた瞬間にコレ。
「ん? ミカちゃんどうしたの、ケータイ無くした?」
「ビックリさせるの止めてよ、マジで心臓止まるって」


「不意打ちとは、フレちゃんやるねー。一杯食わされたわ」
 周子ちゃんがニヤニヤしながら携帯を弄る。
 その向かいの席では奏ちゃんが、やはり微笑を浮かべながら手元の雑誌に目を通していた。

 未だにペースを乱されちゃうの、何とかならないかな。

「あれ、アタシケータイどこやったっけ?」
「足元に落ちてるよ」
「ワォ♪ ミカちゃんありがとー! ケータイって結構難しいよね、持つの」

282: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:14:32.00 ID:78VDBhPt0
「シキちゃんいないカンジ?」
 フレデリカちゃんが辺りをキョロキョロ見回し、冷蔵庫を開けた。

「いやいや、そん中にはおらんでしょ」
「シキちゃんたまにすごいことするからねー」
「そこにあるプリンなら、適当に食べていいわよ。私が買ってきたものだから」
「さっすが奏ちゃん♪」

 言いながら振り返ったフレデリカちゃんは、既にプリンを二つ取り出していた。
「ミカちゃんも食べるでしょ?」

「あ、アタシは今日はいいかな。明日ちょっと大事なオーディションあるし」
 せっかくだけど、明日のお仕事終わった後でゆっくりもらおう。

「じゃあ冷蔵庫に入れとくね☆ あ、ねーねーペン無い?」
 そう言いながら、フレデリカちゃんは勝手にプロデューサーの机の引き出しからマジックを取り出して、プリンにアタシの名前を書いた。

「直前にプリン一コ食べたくらいで、急におデブちゃんにはならんと思うよ?」
 周子ちゃんが首を傾げる。

「実際どうかってより、気持ちの問題っていうか。一度自分に甘えちゃうと、ずっとダメになりそうだし」
「美嘉は本当に真面目ね」

 そうかも知れない。
 でも、アタシを育ててくれたのは仕事でありファンだから、妥協したくないし、そういう礼儀?はちゃんとしないとって思うんだ。
 皆には、それを押しつける気は無いんだけどね。

283: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:17:30.74 ID:78VDBhPt0
「しかし、遅いわね、プロデューサー」
 奏ちゃんがチラッと壁に掛かった時計に目を向けた。
 予定された時間から、15分ほど経っている。

 志希ちゃんが時間、というか予定そのものにルーズなのは知ってるから別にいいけど――いや良くないけど。
 何かあったのかな。

「アタシ、ちょっと探してこようか。たぶん常務の部屋でしょ?」
 バッグをソファーに置いた。
 最近は課長どころか、その上司である部長、のさらに上司――夏頃に来たっていう常務とも直接話を進めてるって言ってた。

「そう言ってたわ。よく分かるわね」
「伊達に正妻やっとらんな」
「まっ――ち、違うよっ! 最近そういう話たまたま聞いてたから知ってるだけ!」
「早くしないとプリン無くなるよー、って言っといてねー♪」

 本番が近づいてるっていうのに、緊張感をちっとも見せない皆を置いて、部屋を出る。
 うーん、ある意味頼もしいというか――。


 ううん、気にしない気にしない! 常務の部屋は、っと。

284: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:20:00.57 ID:78VDBhPt0
 確か事務所棟の、上から二つ目の階だったはず。

 ボタンを押して、到着したエレベーターに乗ると、後からもう一人、男の人が入ってきた。

「何階ですか?」
「いやぁ、すみませんね。あ、その階なんでいいや」

 アタシと同じ階?


 ――ウチの事務所の人じゃない。ていうか、来客用のネームプレート着けてるし。


 チラッと容姿を観察すると、そこそこ高そうだけど悪趣味な濃い紫色をしたダブルのスーツ。
 黄土色の革靴。
 顔は、薄めの髪をオールバックにして、細いフレームの眼鏡と顎が、何となく神経質っぽそう。

 あまり言っちゃいけないけど――ちょっと、イヤなカンジだなって思った。


 事務所棟は、上の階の事務室や会議室ほど、上役の人しか利用できないルールがある。
 この人は、ウチのどんな人に呼ばれてきたんだろう?

285: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:24:46.89 ID:78VDBhPt0
 エレベーターが止まった。
 開くボタンを押して、先に勧めると、その人は不揃いな前歯をニカッと見せて手刀を切った。

 たまたま歩く方向が一緒だから、何となく後ろをついて行く形になる。
 ますます気になる。わざとペースを落とし、距離を取った。

 やがてその人は、とある会議室の前で立ち止まり、ドアをノックして部屋に入っていく。

 通り過ぎざま、チラッと中を横目で覗くと――。


 気のせいだと思うけど――いや、見間違うはず無い。

 あの小麦色で白髪頭の人は、ウチの事務所の、どこか遠い所の支社長。

 そして、チーフ――アタシの前のプロデューサーが、たぶんいた。


 歩きながら、また疑問が増える。

 え、何で、何で?

 そう言えばあの人、今、誰か担当してたっけ――?

286: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:27:49.12 ID:78VDBhPt0
 考えているウチに、前の方にある部屋の扉が開いた。

 あ、プロデューサーだ。

 いつの間に、常務の部屋の近くまで歩いてたんだ。
 また余計なこと、考えちゃってた。

 部屋の中にいるであろう常務に一礼して、扉を閉め、プロデューサーはアタシの方に向き直ると、ビックリした様子だった。
「おっ、城ヶ崎さん。どうしたんだ?」

「遅いから、迎えに行こうかなって。何話してたの?」
 そう聞くと、プロデューサーは頭をクシャクシャと掻いて難しそうな顔をした。

「別に。今度の『アイドル・アメイジング』頑張れよって話と、問題行動が散見されているから気をつけるようにって」
「問題行動?」

「まぁ、普段の宮本さんや一ノ瀬さんとかのアレもあるが――ほら、この間の、俺と城ヶ崎さんの」


 あぁ――あの事、誰かに見つかって、良くない事言われたりしたのかな。

「ウチの会社、そこは大手だけあって、そういう煙が立つ前にあの手この手で火消しをする事にも長けているらしい。
 今回は、そういう火消し部隊の尽力に救われたようだが、以後慎めとのことだ」

「ごめんなさい、アタシ――」
「城ヶ崎さんが謝る事じゃない」

287: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:29:06.35 ID:78VDBhPt0
「あ、そうだ。常務、城ヶ崎さんとも話をしたいって言ってたぞ」
「えっ?」

 常務が? アタシと何を――?

「ちょうど良いから、今済ませとくか。どうせまだ一ノ瀬さんも来てないんでしょ?」
「あ、うん。よく分かったね」
「そんな気がした」


 プロデューサーがノックすると、「どうぞ」と中から声が聞こえた。

「失礼致します」



 美城常務――何度か事務所の中で見かけた事はあったけど、実際に話すのは初めてだ。

「常務が先ほど仰っていた城ヶ崎が、たまたま近くにおりましたので、お話ができればと」

288: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:30:54.58 ID:78VDBhPt0
「そうか」


 椅子に腰掛け、机の上で手を組み、アタシをジッと見定めている。

 居心地悪いなぁ。


「では、私はここで」
「君もいたまえ」

 部屋を出ようとした所を常務から呼び止められ、プロデューサーは首を傾げる。

「何、すぐに終わる。城ヶ崎美嘉――カリスマギャル、か」


「歳はいくつだ?」
「は?」

「今年で18歳の、高校三年生です」
 一瞬戸惑ってしまったアタシの代わりに、プロデューサーが答えた。


「聞いた所では、自身の路線に迷っているそうだな」

289: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:36:04.19 ID:78VDBhPt0
「ま、迷ってる、っていうか――」

 どこからその話を聞いたんだろう。
 プロデューサーにチラッと視線を送る。彼は、知らないと言いたげに首を傾げてみせた。

「あと半年ほどすれば、君は高校を卒業する。
 デビュー当時から長らく君に課せられてきた“カリスマギャル”という役割を、終える時が来る」

「そう――当時の横暴な幹部連中から、それを担う事を一方的に余儀なくされてきた偶像を、演じる必要も無くなる訳だ」


 立ち上がり、常務はアタシの前に歩み寄った。

「無理矢理に過度な期待を押しつけてしまい、君にはすまない事をした。
 これからの進路について、君の希望があれば聞いておきたい」

 よく分からないけれど――。
 つまり、偉い人がアタシにカリスマギャルになる事を強いてきたのを、常務は申し訳なく思っていて――?

「路線変更したいなら、その償いとして希望を聞いてくれるって事ですか?」

「私も経営者だ。何でもという訳にはいかない。
 だが、それが我が社の成長に繋がる選択であるなら、可能な限り答えたいと考えている」

290: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:39:28.50 ID:78VDBhPt0
 いきなりそんな事聞かれても、すぐに答えられないよ。

「どうしたらいいかな――?」
 プロデューサー、さっきから黙ってないで何とか言ってよ。


「――今、結論を出さなくてはなりませんか?」
 渋々プロデューサーが聞くと、常務は首を振った。

「無論、今日この場での回答は求めていない。ユニットの一員としての大仕事も控えているだろう。
 まずはそれに専念すべきだ。ただ――我々にはそういう意向がある、という事だけ心に留めておいてほしい」

「ありがとうございます」

 お辞儀をすると、プロデューサーもそれに合わせてくれた。
「珍しく、礼節を持ち合わせているな」
「プロデューサーに仕込まれましたから」

 常務が「ほう」と言った様子でプロデューサーを見る。
「私ではなく、私の前に彼女を担当していた者の事です」
「そうか」

「それと、さっきの話ですけど――」


 アタシは顔を上げ、常務に向き直った。

「アタシ、自分が偉い人達からそういう役割を与えられた事を、何もネガティブに思ってません。
 例えゴリ押しでも、無理矢理だったとしても、ここまでアタシを育ててくれたのは“カリスマギャル”としてのお仕事だし、関係するスタッフさんやファンの人達だったから。
 だから――むしろ、感謝しています」

291: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:41:09.38 ID:78VDBhPt0
 常務は表情を変えずに、アタシの言葉に応える。

「自分で道を選択する事のできなかった不幸を、君は正しく捉えていない。
 私は、事象を不当にねじ曲げる行為を好まない」


「Knock Knock♪ Knock Knock~♪」

 ふと、ドアの向こうで賑やかな声が聞こえる。
 と思った瞬間――。


「――お、いたいた♪ 志希ちゃんの思ったとーりだねー」

 ドアを開け、志希ちゃんがヒョコッと顔を覗かせた。

292: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:45:18.52 ID:78VDBhPt0
「えっ?」
 と思ったら、志希ちゃんだけじゃない。

「呼ばれてないのにフレデリカー☆」
「さすが、こういう時の志希の嗅覚は頼りになるわね」
「にゃははー♪ 志希ちゃんすっかりワンコ扱いだねー」
「お利口さんやねー。あ、どうも、LIPPSの白い方です」

「ど、どうして皆まで――!?」
 咄嗟に言葉だけがついて出た。プロデューサーもさすがに驚いてるみたい。

「そういえば常務ちゃんに挨拶してないなーって、シキちゃん来た後皆で話してたの☆」
「じょ――!」

 フレデリカちゃんの無邪気な回答に、プロデューサーの顔が青ざめた。
 常務との間に、遮るように立って、皆をさっき入ってきたばかりのドアの方に追いやっていく。

「お騒がせしてすみません、すぐに出ますので――おい、もう行くぞ」
「待ちなさい」


 常務は、なおも表情を崩さず、黙って立っている。


「『アイドル・アメイジング』本番では、どうか君達5人全員がステージに立てる事を期待している」



「私が言いたいのはそれだけだ。下がりなさい」


 常務は、自分の席に戻り、腰掛けると、それ以上何も話さなかった。

293: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:47:11.42 ID:78VDBhPt0
「さて。じゃあ新曲、聴くか」

 皆が事務室のソファーに座ったのを見て、プロデューサーがラジカセの再生ボタンを押す。

 サンプルを聴いても、ハッキリ言って、何も頭に残らなかった。
 何となく、あーアップテンポの曲なんだなーって事くらいしか思えなかった。


 どういう意味――? 当たり前じゃん、5人全員で立つのなんて。

 アタシ達のうちの誰かが、脱退でもしない限り、そんなの――。


 ――脱退?


「へぇー、なんかカッコいい曲だね。ダンサブルなカンジなの?」
 周子ちゃんがプロデューサーに聞いた。彼女は気に入ったみたい。

「専門的な事は俺には分からないけど、作曲した人の考えでは、せっかくの5人ユニットでバラードはもったいない、との事だ」
「人数によるインパクトを活かしたダイナミックなステージを、という事かしら」
「ふーん」


「にゃるほど。じゃあもし4人とかになっちゃったらせっかくの曲が台無しだねー♪」

294: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:48:42.87 ID:78VDBhPt0
 思わず目を見開いて志希ちゃんを見る――むしろ、睨んじゃったかも知れない。
「おーう美嘉ちゃん、冗談だって。アタシも常務の一言が気になっててさー?」


「君はサラッと爆弾を踏み抜いていくな」
 プロデューサーは、頭をクシャクシャと掻いた。彼も敢えてその話題を避けていたみたい。

「フツーに考えて、メリットが無い事をわざわざする必要なんて無いからね。
 どんな条件があり得るのかなって。例えば、アタシ達が4人にならざるを得ないシーンってさ」

「考える必要無いじゃん」
 ついぶっきらぼうに答えてしまったアタシに対し、志希ちゃんはなおも食ったような笑みを絶やさない。
「にゃはは、まーそうなんだけどさ。どーしても定義づけしたくなるんだよね、職業病っていうか?」

 また難しい話を始めそうだな――そう予感した次の瞬間、急にフレデリカちゃんがポンッと手を叩いた。

「そっか!」

295: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:52:28.99 ID:78VDBhPt0
「すっごいこと気づいちゃった、フレちゃん天才かも! ねーねー、LIPPSって5文字だよね。しかも5画」

「それが?」
 奏ちゃんが聞くと、フレデリカちゃんはなお鼻息を荒くした。

「えっ、カナデちゃん気づかない? アタシ達も5人なんだよ!?
 すごいよね、チョー偶然フレちゃん感動しちゃった!」

「――それが?」
「えっ、それだけだけど?」

「やっぱ天才やわ、フレちゃん」
「イェーイ☆」
 周子ちゃんが呆れ顔で、でも楽しそうに拍手すると、フレデリカちゃんは得意げにピースした。

「ていうか、正確には5画じゃなくない? Pは2画だと思うけど」
「ひと筆で書ける、と言いたいのかもね」
 野暮なことを突っ込んでしまったアタシを、奏ちゃんがフォローしてくれた。
 な、なるほど。


「にゃははー! フレちゃん的にはやっぱ5人かー」
「そりゃあねー、LIPPSは5文字でしかも5画だからねー☆」

 まるで小学生か幼稚園児のように単純な話に、志希ちゃんはすっかり牙を抜かれたといった様子だ。
 アタシまで馬鹿馬鹿しくなってしまった。


「無事に話がまとまったようで何よりだ」

 プロデューサーは、心底呆れるようにそう言った後、アタシ達の帰宅を促した。
 そっか、今日はレッスン無いんだ。

296: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:55:09.76 ID:78VDBhPt0
「ほんじゃさ、たこ焼きパーティしない?」

 随分久しぶりに5人で一緒に帰っている時、周子ちゃんがふと提案した。

 そう、前からやろうやろうと皆で言っていたんだけど、最近忙しくなって、空いてる日が合わなくなってたんだよね。
 確かに、今日は絶好の機会だ。

「あ、じゃあじゃあ、アタシんちでやろーよ!」
 志希ちゃんが後ろから手を挙げた。
 普段は皆に甘えるだけ甘える彼女が、ホスト役を買って出るの珍しいね。

「なーんか企んでない、志希ちゃん?」
「にゃははは、やっぱ分かる?」
「言うなや」

 楽しそうに掛け合う二人の横で、奏ちゃんは穏やかに笑いながら携帯を弄ってる。
「あぁいいよ調べなくて、奏ちゃん。買い出しなら志希ちゃんちの近くにスーパーあるから」
「そう。ありがとう」
「詳しいね、シューコちゃん」
「何せあたしもちょっと前まで同じマンションに住んでたからね。しかも志希ちゃんのお隣」

「もうちょっと早めに気づいてればなー、周子ちゃんにもアタシの実験に付き合ってもらえたのになー」
「いや絶対それアカンやつやん、美嘉ちゃんに言って?」
「うぇっ、アタシ!?」
「そっかそっか、美嘉ちゃん豊胸薬とかキョーミ無い? もしくは惚れ薬」
「ほ、ほうきょ――! いや、どっちも要らないよ!」
「あら、胸はともかく、惚れ薬は今の美嘉にピッタリだと思うけれど」
「ホレデリカ?」
「全っ然どーでもいいってば!!」


 ――楽しいなぁ。やっぱアタシ、皆の事が好きみたい。

297: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 01:58:24.10 ID:78VDBhPt0
 周子ちゃんが言っていたスーパーは、そこそこ規模が大きくて、料理の材料だけでなく、必要な道具類も一通り揃える事ができた。

 自動でたこ焼きが回るたこ焼き器の実践販売を、奏ちゃんが興味津々に眺めていたのは秘密。

 具材は、タコ以外は皆が一つずつ選ぶ事にして、アタシが選んだのはソーセージ。
 他は、奏ちゃんがチョコ――うえぇ、大丈夫それ?。
 周子ちゃんが納豆――アタシは食べないけど皆食べたいかなぁと思って、とのこと。
 志希ちゃんはキムチ――意外と手堅いチョイス。
 フレデリカちゃんはガム――いやいや!?

 ガムじゃなくてミンティアにしてもらった――それでも大概だけど。


 たこ焼き器は、結局普通のを買って、志希ちゃんちに寄贈する事にした。

 次にやる時も志希ちゃんちだ。LIPPS恒例のパーティになるといいな。

 と、思っていたんだけど――。

298: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 02:01:53.33 ID:78VDBhPt0
 甘かった。

「えっ、ちょっと志希ちゃんちお皿無いの!?」
「そうなんだよねー、なのでそこにあるシャーレをさ、テキトーに使って?」
「絶対ヘンな薬品付いてるじゃん! 洗って!!」

「美嘉ちゃーん、とりあえず小麦粉アレしてタネ作ったけど飲む? ぐいっと」
「飲まないよ! 何で!?」
「意外とお玉よりこのビーカーの方が注ぎやすそうやねー」

「奏ちゃんも、テレビばっか観てないで手伝ってよ!」
「そうは言っても、皆が働いてくれるものだから、アタシやる事が無いのよね」
「周子ちゃんくらいしかまともに働いてないよ!」

「ってごめん、フレデリカちゃんも油引いてくれたんだね、ありがとう」
「割り箸にティッシュ巻き巻きしてやると便利だよー♪」
「あぁ、フレデリカちゃんが聖人に見える」
「ミンティアは一粒ずつでいい?」
「入れないで!! 全部には入れないで!」


 焼く前からこんなカオスなパーティ、恒例になってたまるか。

299: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 02:04:12.71 ID:78VDBhPt0
 でも、始まると意外と皆真剣にやるもんだね。

 一番上手なのは、意外にもフレデリカちゃん。アタシと奏ちゃんが一番下手だった。

「やっぱこういうのは心の綺麗さが現れるもんやねー」
 そう言いながら、周子ちゃんは空いた穴にソーセージを放り込んで、竹串で炒めてる。

「ちょっと、ちゃんと数えて切り分けたんだから勝手に無駄遣いしないでよ」
「まーまー、足りなくなった分はあたしの具無しでいいからさ?」

 奏ちゃんは、自分のチョコを一生懸命強がって食べてた。
「この美味しさが理解できないだなんて、皆が可愛そうでならないわ」

 さすがリーダー。何だかんだ責任感強いよね★


 鼻歌交じりにクルクルとたこ焼きを器用に回すフレデリカちゃんを、志希ちゃんは両手で頬杖ついて楽しそうに眺めてる。

「シキちゃん、どれがいい?」
「んー、そっちのキムチとミンティア」
「ミンティアねー、ビックリするくらいマズいよ?」
「フレちゃんが選んだんじゃないんかーい」

300: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 02:06:42.34 ID:78VDBhPt0
 前言撤回。すごく楽しい。
 皆でこうして他愛の無い時間を過ごせるなら、このパーティーはやっぱり恒例にしたい。

 そう思っていると、ふと志希ちゃんが甲高い声を上げた。
「きゃあっ!」


「だ、大丈夫シキちゃん!?」
 ビックリしてフレデリカちゃんが真顔で気遣う。ちょっと新鮮だ、なんて悠長な事を言ってる場合じゃない。

 フレデリカちゃんからたこ焼きを受け取ろうと、お皿代わりのシャーレを差し出した志希ちゃんの手が、うっかりたこ焼き器に触れちゃったみたい。

 程度は軽いけど、彼女の手は火傷してしまい、こぼれたたこ焼きとソースが床のカーペットにこぼれちゃった。

「ありゃー、ごめんね汚くなっちゃって」
 火傷した本人は、特に気にも留めない様子でにゃははと笑っている。

「とにかく、お水で冷やしてきたらどうかしら。それと、何か雑巾とかは?」
「あ、雑巾なら洗濯機の横にあるよ。美嘉ちゃん取ってきてー♪」
「何でアタシが――いいから、志希ちゃんは早く冷やして」

 忙しいなぁこのメンバーは本当に――えぇと、雑巾雑巾、あった。



 ――――ん?

301: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 02:09:27.95 ID:78VDBhPt0
 ――――。


 ――――――。



 覗く気は無かった。



 脱衣かごに脱ぎ散らかされ、放られた中には、明らかに男性用の下着があって――。

 そして、その横にあるゴミ箱の中には――。



「んー? 美嘉ちゃーん、どうかした?」



「志希ちゃん――これ」


「? ――あぁ~~ソレねー」

302: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 02:12:46.93 ID:78VDBhPt0
「いやーさすがの志希ちゃんも、男の人をホイホイ自分ちに招くもんじゃないと思ったよ。
 普段の彼と違ってさ、もう野獣かオオカミかなってくらいすっごいアタシの体に襲いかかるもんだから、ちょっとビックリしてさ。
 そりゃ、最初は抵抗したんだけど、やっぱ力ではどうしたって勝てないからさ、途中から諦めて、でも不思議だよね。
 メスってのは元来オスに屈服させられる事を本能的に望んでいるのかにゃ、ってくらい、こっちも盛り上がっちゃって」


「こ、この――これ、ってさ。まさ、まさかって、思うけど――」

「どこに捨てようかアタシも迷ったんだけどさ、結構匂いキツイよね?
 とりあえずゴミ箱に捨てたんだけど、トイレに流した方が良かったかにゃ?
 でも詰まったらヤダしね。洗うのはもっとヤだし。んー困ったけれど、でもそれもカレの匂いだしね♪
 アタシとカレの心が繋がるカンジ、結構ヤミツキになりそうで、すごく楽しかったよ」


「何で、こんな――」

「ん? 何でって、にゃっはっは美嘉ちゃん、野暮な事聞くねー。
 生き物の本能に何でなんて理屈は無いでしょ。考えるより先に欲するんだから、ある種の心をすら超越した原始の姿だよね。
 そりゃー、もしバレたらカレも大変になるかもだけど、そんな損得勘定を飛び越えた世界があるのを知れて志希ちゃん満足」

「自分のしたことの意味分かってんの!!?」

303: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 02:14:22.69 ID:78VDBhPt0
 アタシの大声にビックリした三人が、脱衣所に集まってきたのがチラッと見えた。それどころじゃない。


「志希ちゃん、こんな、こういうの、絶対しちゃ――応援、してくれてる人が、どれだけ――!!」

 心臓がバクバクと破裂しそうに脈打ってる。呼吸をするのも辛い。

「にゃははー、大丈夫だよ346プロはメディアにも相当なコネクション持ってるみたいだし。
 この間の美嘉ちゃんとカレのデートだってさ、ヤバい出版社に取り上げられそうになったけど、346プロが圧力をかけて握りつぶしたって話だよ?
 この件だってそんな心配するほど大事にはならな」

「そういう問題じゃない!!! アタシは、志希ちゃんが、何でこんな、ファンや、皆を裏切るような――!!」

「裏切る? ははーん、にゃるほど美嘉ちゃん」

304: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 02:20:30.87 ID:78VDBhPt0
「美嘉ちゃんも愛しの“アリさん”に愛されたい純な乙女だもんねー? にゃははー♪」


 破裂音が鳴り、志希ちゃんの体が大きく横に揺れた。

「美嘉っ!!」

 後ろから誰かに羽交い締めにされ、我に返った時にはもう遅かった。

 左の手の平がヒリヒリと痛む。アタシは――。


 志希ちゃんは、アタシに張られた右の頬をそっと撫で、少し――どこか寂しそうな笑みを浮かべると、アタシに向き直った。

「にゃはははー♪ ぐっじょーぶ♪」



 アタシは、周子ちゃんの腕を振り解き、彼女の家を飛び出した。

 エレベーターも使わずに階段を降り、脇目も振らず一目散に駆けた。
 通りの信号の色なんて、全然気にしていられなかった。

 逃げるように、小雨が降り始めた夜の街を、どこへともなく――。

 それを目の当りにしたフレデリカちゃんの、ギョロリと覗く大きな瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。

305: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 02:22:34.30 ID:78VDBhPt0
今回はここまで。
次回は12/18、夜の9時~12時頃を目標に更新したいと思います。

レスありがとうございます。励みになります。

314: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 20:45:44.71 ID:78VDBhPt0
【6】

 (◇)

 うーん、なんだかなぁ――こういう空気、あたしあんま好きくない。
 もちろん、好きな人なんていないと思うけど。

 昨日の一件から、美嘉ちゃんも志希ちゃんも、全然来る気配ないし、連絡も取れない。
 LINEでメールしても電話しても、既読にすらならない状態。

「どうしたもんかね、奏ちゃん」

 問いかけても、奏ちゃんは腕を組み、脚も組んでジッと思案してる。

 ヘイヘーイ、何か喋ってくんないと場が持たんて。
 フレちゃんもどっか行ってるしなぁ。


 しょうがないから携帯でも弄ろうかと思った時、事務室のドアが開いた。

「――宮本さんは?」
「分かんない、どっか行ってる」

 プロデューサーさんは、ドアを後ろ手に閉めながら舌打ちし、かぶりを振った。

315: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 20:48:18.03 ID:78VDBhPt0
「偉い人達は、何て?」
「聞きたいか?」

「あなたには、私達に聞かれるまでもなく、知っている事を全て話す責任があると思うのだけれど」

 姿勢を崩さず、目線も合わせずに、奏ちゃんは静かに言い放つ。
 めっちゃくちゃ怖い。

「君達がそれを信じてくれるのなら」

 プロデューサーさんも負けじと皮肉を返した。あーあ、最悪やん雰囲気。

 ウンザリしかけたその時、今度は事務室の奥のドアが勢いよく開いて――?


「おいお前っ! 常務との話は一体どうなった!!」

 あぁ、この人あれか、上司の課長さんか。何度か見たことあったっけ。

 明らかにプロデューサーさんの顔が、不機嫌さを増していく。

316: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 20:51:02.50 ID:78VDBhPt0
「すまない、君達は外に行っててくれるか?」
 そう言ってあたし達の退室を促すプロデューサーさん。

 たぶん、オトナ同士、あたし達に聞かせたくないような綺麗じゃない話もあるんだろうな。

 課長さんは、それには気にも留めず、プロデューサーさんをひたすら糾弾する。
「おいっ、聞いてるのか!! 何度も言っているだろ、さっさと報告をしろ報告をっ!」


「――常務からは、本件についてマスコミ各社から取り上げられる事は無いだろうと、お話をいただきました。
 広報部が根回しをしたところ、まだ本件についてネタを掴んでいる業者はいないらしいとのことです。
 仮にいたとしても、これまで通り、諸々の斟酌を確約する代わりに、346が不利になる記事を書かないよう働きかけを行うと」
「本当だろうな!?」
「嘘だとお思いであれば、常務と直接お話をされるのがよろしいかと」

 釈然としない様子で頭を乱暴に掻いた課長さんは、
「それで、お前達はこれからどうするんだ?」
「どうする、とは?」
「これだけ我が社を騒がせているんだ。何かケジメは必要なのではないかね?」

「仰る意味が分かりかねます」
「何だと!?」
「事実が確認できていない以上、我々が誰かに頭を下げたり、まして活動を自粛するなどといった判断が必要とは思えません」

317: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 20:53:15.54 ID:78VDBhPt0
「き、貴様――当事者でありながらよくもぬけぬけと!!」
 顔を真っ赤にして怒りっぱなしの課長さんとは対照的に、プロデューサーさんは淡々としている。

「私は当事者ではありません。彼女と関係を持つ事などありません」
「だというなら、誰なんだ!」
「まずは事実を確認させていただきたいのです。先ほど、常務にも同様のお願いをして、ご了承をいただきました」

「なら今日中に報告をあげろ、いいなっ!!」
 そう言って課長さんはズカズカと元来たドアの奥の部屋へ、バタン!と乱暴に帰って行った。



「――外行くか。空気悪いしな、ここ」

 プロデューサーさんはそう言って、後ろにある入り口を親指で差してみせる。
 あたしは、奏ちゃんの顔色を何となく伺うと、彼女も了承したみたい。

 落ち着いて話すには、あたし的にも断る理由は無かった。

318: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 20:57:25.95 ID:78VDBhPt0
 連れられて来たのは、事務所からちょっと歩いた所にある喫茶店だった。
 事務所の人達も、例えばアイドルとプロデューサーなんかも、ここでミーティングをしているのをたまに見かける。 

「やれやれ――マジでアイツ、どっか行ってくんねぇかな」

 席に着くなり、プロデューサーさんは肩と首を慣らして盛大にため息を吐いた。
 アイツっていうのは、たぶんさっきの課長さんだろうな。

「何か、大変そうだね」
 上司がああいううるさそうな人だったのを初めて知って、ちょっと同情してみせる。
「仕事の邪魔されてばかりだよ」
 ソリも合わないみたい。力無く彼が誘い笑いをしたところで、コーヒーが運ばれてきた。

「それで――本題に入ろうか」


 砂糖とミルクを入れ、かき混ぜる。
 一変した重たい空気から少しでも逃れるための時間稼ぎではあったんだけど、そう長くかかるもんでもない。

「そうね――まず、本当の事を話して、プロデューサー」

 奏ちゃんはブラックのまま一口啜り、静かに置いた。
 うわーオトナやね、なんて、茶化せる雰囲気でないのはさすがにあたしでも分かる。


 プロデューサーさんは、表情を崩さずに奏さんを真っ直ぐに見つめている。

「俺は一ノ瀬さんと肉体関係を持っていない、と俺が言ったら、君達は信じてくれるのか?」

319: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:00:42.67 ID:78VDBhPt0
「信じたいと思っているわ」

 奏ちゃんの回答は意外だった。
 カップを持つ手がピタッと止まった辺り、プロデューサーさんにとってもそうだったみたい。

「あなたには感謝しているの。
 個人的な話だけれど、候補生のまま燻っていた私を、あなたは導いてくれた。
 周子や美嘉、フレデリカや志希といったすごい子達とも引き合わせ、お仕事も見る間に増えていった」

 フッと笑い、俯いて、記憶を辿るように言葉を紡いでいく。
「最初は、私達の事なんて、この人は何も考えてくれていないと思っていた。
 でも、それは間違いだったと、あのフェスで気づいたのよ。こんなにも真摯に私達の事を思ってくれているのだと」


「――いきなりどうしたんだ。持ち上げて落とす気でいるのか?」
「ううん」
 奏ちゃんは首を振った。

「信じたいだけ。あなたを信じようと思った、私自身を。だから、そう――全て、私のためよ」


 ニコッと笑う奏ちゃんに、プロデューサーさんはしばらく呆然と見つめ、改めてカップを手に取った。
「動機としては、不純かしら?」
「俺がどうこういう話じゃない」


「塩見さんは、どうだ? 俺を信じるか?」

 プロデューサーさんが、さっきから黙って聞き役に回っていたあたしに振った。
「あたしは――」

320: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:04:15.96 ID:78VDBhPt0
「ぶっちゃけ言うと、信じられない」

「えっ」
 奏ちゃんにとっては意外だったのかな。
 対照的に、プロデューサーさんは眉一つ動かさず、そのままカップを口元に運んだ。

「だってこの人、自分にとって都合の悪い事は絶対話さないやん」

 あたしだって、あまりこういう事を言いたいワケじゃない。
 いつだって何だって、適当に済ませられるならそれに越したことは無い。

 でも、今回のは、そういうんじゃないんよね。


「うん、そうだな」
 カップを置きながら、プロデューサーさんはゆっくり頷く。

「塩見さんの言う通りだ。わざわざ自分が不利になるような事を言う必要なんて無いからな。だが――」

「だが?」


 腕を組み、天井を見上げて少し考え込むような仕草を見せた後、プロデューサーさんはあたしに向き直った。

「何をもって、俺がそういう人間である事を塩見さんが判断したのか、それが気になる。
 この際正直に言うが、他の子達には確かに、俺は割と隠すべき事は隠して話していた事実はあったよ。
 だが、塩見さんに対しては、それはあまり無かった。気兼ねなく話せる相手というのもあるが、重要度の低い、他愛の無い話をすることが多かったからだ」

321: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:07:01.65 ID:78VDBhPt0
「そうだね」

 確かに、プロデューサーさんとあたしとの話は、くだらないどうでもいい話ばかりだったと思う。

 レッスンキツいなー、お仕事メンドっちぃなー、って愚痴をお互い言い合ったり。
 志希ちゃんが所望する辛い飲み物とはなんぞや、って話だったり。
 それから、あたしの実家の和菓子屋の話や、他の子達のプロデューサーの話。

 あたしはもちろん、この人も根は不真面目だから、仕事について真剣に話をしたことなんて、数えるほども無かった。


 でも――。

「美嘉ちゃんから聞いたんだ。正確には、志希ちゃんからの情報だけどね」
「一ノ瀬さんの?」

 ここまで言っても、まだプロデューサーさんには合点がいっていないみたい。思ったより鈍いな。

「あのサマーフェス、ホントはあたしらじゃなくて楓さんが勝つはずだったの、プロデューサーさん知ってたんでしょ?」


 そう言った途端、プロデューサーさんは固まった。

「――なぜそれを知っているんだ」
「へっ? いや、だから志希ちゃんがそう言ってたって」


「なぜ、一ノ瀬さんがそれを知っているんだ」

322: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:11:23.10 ID:78VDBhPt0
 ――は?

「何言ってんの? プロデューサーさんが志希ちゃんに言ったんじゃないの?」
「言う訳無いだろ、そんな事。
 第一、俺は都合の悪い事を言わないヤツだって、君がさっきそう言ったばかりじゃないか」
「そ、それは――」

 言われてみればそうやな――? あれ?

「志希に色目を使われてつい漏らしちゃったとかは、無いの?」
 横で聞いていた奏ちゃんが、代わりに尋ねてみても、プロデューサーは呆れるように手を振る。

「言って俺に何のメリットがあるのか、考えてもみてくれ。
 君達は混乱するし、俺だって、何で隠してたんだって君達から責められるだろうし、良いこと無いだろ」

「――確かに、そうね」


 ――ほんの少しだけ、沈黙が流れ。

「じゃあ――何で志希ちゃんは、それを知っていたの?」

 当然の疑問にたどり着いた。

323: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:12:37.13 ID:78VDBhPt0
「当事者に聞いてみない事には、どうしようもないな」

 プロデューサーさんは席を立ち、伝票を手に取った。
「えっ、どこ行くの?」

「一ノ瀬さんの家に行ってみようと思う」

「家にいるとは限らないわ。第一、いたとしても中に入れてもらえないかも」


 制止しようとする奏ちゃんに、プロデューサーさんは振り返り、フッと笑う。

「彼女とは、もう会いたくないか?」


「――馬鹿言わないで」

 勢いよく席を立つ奏ちゃん。

 プロデューサーさんも、奏ちゃんの扱いが上手くなったもんやね。

324: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:15:12.39 ID:78VDBhPt0
「346プロダクション事業部事業三課と申します。
 303号室にお住まいである一ノ瀬志希さんの、仕事上の監督をしている者です」


 事務所から志希ちゃんのマンションまでは、大体30分くらい。

 あたしも住んでたから知ってるけど、ここの管理人のおじちゃん、結構難しい人なんだよね。

 プロデューサーさんから渡された名刺を見ても、ほら――なんか、すごく怪訝そうな顔してる。

「それで、本日はどんなご用件で?」
「実は――」

 急に芝居がかった表情で俯き、少しだけ黙り込んだ後、プロデューサーさんは顔を上げた。


「今朝方から、彼女と連絡が取れない状態が続いております。
 彼女は普段からとても真面目で、無断欠勤などするような者では決してございません。
 それが、急にこのような事になり、電話にも出ないため、彼女の身に何かあったのではと不安になったのです」


「――それは本当ですか」
「嘘を言っていられるほど、今の我々には余裕がございません。
 彼女が在宅かどうかだけでも、まずは確認できればと思ったのですが」
「ちょ、ちょっと待っててください」

 プロデューサーさん――涼しい顔してよくもいけしゃあしゃあとウソ言えるな。感心するわ。
 隣にいる奏ちゃんも、呆れたように肩をすくめている。

325: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:17:46.21 ID:78VDBhPt0
 奥に引っ込んだ管理人さんが、慌てた様子で戻ってきた。
 管理人さんからの電話にも出ないみたい。

 管理人さん立ち会いの元で、部屋を開けてもらえないかお願いすると、OKしてくれた。
 たぶん、すごく良くない事を想像しちゃってんだろうな。


 いや――でも、そういう可能性も否定しきれない事にあたしはふと気づき、背筋が凍った。

 いやいや、確かに志希ちゃんはあたしらが及びもつかない突拍子も無い行動に出るけど――!
 そんなはずは無い。絶対に無い。理由が無い。思いつかないもん。

 そうだよね、志希ちゃん――?



 緊張が走る。
 管理人さんは部屋の鍵を開け、そっと中を覗き、声を掛けた。

 返事は無い。

326: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:20:00.90 ID:78VDBhPt0
「中に入っても、よろしいでしょうか」

 プロデューサーさんが聞くと、管理人さんは自分の後に続くよう促したので、それに従いあたしらも入った。



「――いないわね」
「あぁ」

 もぬけの殻だった。
 ベッドの布団が多少乱れている以外は、昨日美嘉ちゃんが飛び出し、あたし達で片付けした、その状態のまんまだった。


「――失踪、か」

 失踪――そう、志希ちゃんが度々得意技と自称する行動だ。
 実際、レッスンの休憩中にどっかへ出て行き、そのまま帰って来ない事も何度かあった。

 仕事の時も、集合時間になっても顔を見せず、散々プロデューサーさんが肝を冷やしきった所でふらっと現れる事もしょっちゅうみたい。


 でも今回のは、これまでのとは明らかに異質だ。

327: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:23:51.47 ID:78VDBhPt0
「彼女の足跡の手がかりとなるものが無いか、調べさせていただけませんか」

 我々だけで――と、最後にプロデューサーさんはそう付け加えて、管理人さんに頼み込んだ。
 第三者には見られたくないものも、ふとした拍子に出てくる可能性もあるよね。

「もし何か持って帰りたいものがあれば、部屋を出る時に確認させてください。
 簡単な覚え書きも書いていただく事になりますけど、よろしいですかね?」
「結構です。ありがとうございます」

 お詫び以外で、誰かに深々と頭を下げるプロデューサーさんは、何か新鮮かも知れない。


「プロデューサーでも、お礼を言う事ってあるのね」
 同じ事を思ったらしい奏ちゃんが、プロデューサーを茶化した。
 ジョークを飛ばして、少しでも場の空気を和らげたいんだろうな。

 それには答えず、リビングの中央に立ち、ぐるりと辺りを見回してから、プロデューサーさんは言った。


「まず俺が知りたいのは、どういう話の流れで「俺と一ノ瀬さんがそういう事をした」という話題になったのか、だ。
 きっかけとなるものは、今、この部屋にあるのか?」

328: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:25:43.79 ID:78VDBhPt0
「そ、それは、さ――」

 気まずくなったあたしは、奏ちゃんに助けを求めてみるけど、彼女も俯いてだんまりを決め込んでいる。


「――? 教えてくれ。話しづらい内容かも知れないが、黙っていては話が進まない」

 年頃の女の子に振る話じゃないでしょうよ。悪気は無いのかも知れんけどさぁ。


「アレを――」

 奏ちゃんが俯いたまま、やっとの思いで指を差した。
 それは、例のアレが入った脱衣所のゴミ箱に向けられている。

「――ゴミ箱。中身を見ろ、と言うことか?」

 何も知らなそうなプロデューサーさんが、すたすたと脱衣所の方に向かっていく。
 あぁ、分かったよ。もうプロデューサーさんが当事者じゃない事は分かったからさ。

 こんな話、もう止めにしたいんだよね。こう言っちゃなんだけど、ほら、すごく、その――。


「――――」

329: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:35:43.62 ID:78VDBhPt0
 ところで、話変わるけど――あたし達の事務所に、小早川紗枝ちゃんって子がいるんだよね。

 あたしと同じ京都出身の子で、紗枝はん、周子はんって呼び合う友達同士。


 ただ、地元トークで盛り上がる事はあまり無いんだよねーこれが。

 何でかっていうとさ。お里がどっちって話になると、下手すりゃランク付けが始まるのよ。
 洛中かどうかとか、ホントに京都人のメンド―な所でして。

 うっかりそんな話をして喧嘩になったり、微妙な間柄になるのも嫌だからね。
 そこはあたし達、暗黙の了解で、お互いにそういう話はしないし、詮索もしないようにしてる。

 あたしと同じで、紗枝はんもそんなつまんない事を気にする子じゃないんだけど、汲み取ってくれる辺り、優しい子なのよこれが。

 そう。すっごく良い子。京都人には珍しく。



 で、何でこんな、今と全く関係ない話を唐突にしたのかと言うと――。


 プロデューサーさんの話が、ホンットーにお下品メガ盛りといいますか。

 アレの話を割と事細かに説明しだして、これは俺がナニしたものではないとか、釈明するためにまーそれはそれは。

 コレは精巧に作られた偽物であり、ただ本物とはこういう点が違って、今なお乾燥していないのはあり得ないとかまぁ~~それはそれはっ。

 聞くに堪えないアレだったので、思わず奏ちゃんは平手で、あたしはグーパンでプロデューサーさんを殴った。思いっきり。

 なので、ちょっと綺麗な話をして中和しないとね。少しはね。うん――ね、奏ちゃん。

330: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:39:18.01 ID:78VDBhPt0
「――ありがとう、よく分かったよ」

 両方の頬を交互に押さえながら、プロデューサーさんはヨロヨロと立ち上がった。

「私達に殴られても良いように、わざわざ自分から近づいてきた事については認めるわ」
「それ以外はホンットに最低だったけどね」


「自覚している。本当にすまない」

 この期に及んで、この人は一体何を考えているんだろう。

「だが、一番気にしなくてはならない点は、コレのあった位置だ」

「位置?」
 あたし達は揃って首を傾げた。


「それが数日前の出来事なら、何で昨日のゴミの一番上にコレがあったんだ? これ見よがしに」

331: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 21:43:39.86 ID:78VDBhPt0
「!? それは――」

 確かに、そうだ。
 ザッと見渡して、志希ちゃん家にはゴミ箱が3つある。
 でも、台所のそばの脱衣所にあるゴミ箱には、あの日あたし達はたこ焼きパーティーで散々ゴミをそこに捨てた。

 それらのゴミの上に、アレが乗っていたのだ。
 プロデューサーさんの言葉を借りるなら、“これ見よがしに”だ。


「――昨日」
 奏ちゃんが、ふと思い出したように声をあげた。

「たこ焼きパーティーを志希の家でやろうって提案したの――志希自身だったの」

 その一言に、プロデューサーさんの眉がピクッと動いたのが分かった。


「志希は――わざと、それを私達に見つけさせるように仕向けた、という事?」

「それも“作り物”をな――ただのジョークにしてはタチが悪い」
 プロデューサーさんは深いため息を吐いた。この人も、精神的に疲弊してる感じだ。

332: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:02:18.95 ID:78VDBhPt0
「だとしたら」

 そして、もう一度あたし達は当然の疑問に帰結する。

「何で、志希ちゃんはこんな事をしたんだろう」


「たぶん、志希ならもっと精巧に仕立てる事も出来たんじゃないかしら」

 自ずとあたしらの目が、思案を進める奏ちゃんに向けられる。
「それでも、見る人が見れば偽物だとバレるようにわざわざ作って、見つけさせた理由――」


「バレてほしかったからとしか、私には考えられない」


「作り物だって、バレてほしかった――わざわざ作ったものをか?」

 プロデューサーさんが問いかける。
 あたしは、何となくだけど、察しがついてきた気がする――。


「気づいてほしかった。あるいは、見抜いてほしかった――。
 不自然な言動に、何かしらの意図が無いはずがないし、それにもし――」

 もう一度、部屋をぐるりと見渡して、奏ちゃんが続ける。

「そんな強い意図でもって、志希は失踪したのなら――たぶん、誰にも知られずに何かをしようとしている。
 でもこれは、そんな自分を捕まえてほしい、止めてほしいという気持ちの裏返しかも知れない」

333: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:08:47.51 ID:78VDBhPt0
「全ては志希ちゃんが残した、何かしらのメッセージって事?」
「私は、そう思う」

 奏ちゃんの言う通り、普段は皆に甘えきりの彼女が、自分ちでパーティーやろうなんて、珍しいと思ったんだよね。


 そして、そうだ思い出した――美嘉ちゃんがソレを発見したきっかけは、雑巾を取りに行ったからだ。

 志希ちゃんが“うっかり”零したソースを拭くために、“志希ちゃんが美嘉ちゃんに”雑巾を取りに行かせたんだ――!

「そう――それが、真面目で高潔な美嘉に見つけさせるために、わざと仕向けた事だとしたら?」


 ひょっとして、美嘉ちゃんに思わせぶりな事を言って混乱させたのも――。

 あたしらの中で一人だけ、プロデューサーさんから聞いたでもなく、サマーフェスの裏事情を知っていた志希ちゃんが――。

 美嘉ちゃんを怒らせ、わざと溝を作って――でも、どこかで気づいてほしいと願った? 何を? どうして?


「今の志希には、とてつもなく大きいものを一人で背負い込んで、何かをやろうとしている気がしてならない。
 それも、決して良からぬ事を」

 奏ちゃんの表情は、今まで見たことが無いほど強張っている。
 あたしも、考えれば考えるほど分からなくなって、不安で胸が一杯になってきた。

334: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:13:55.70 ID:78VDBhPt0
「――さて。俺の疑いを晴らすために、ここでやれるべき事があるとすれば、何だろうな」

 プロデューサーがあたしらの顔を交互に見る。あたしらの判断を促している。


「もう必要は無いわ。あなたはこの件に関わっていない」

 奏ちゃんが力強く言い放つ。プロデューサーは頷いて、「もう一つ質問いいか?」と聞いてきた。
 もちろん、と答えると――。

「一ノ瀬さんがサマーフェスの件について誰から情報を得たと、城ヶ崎さんは聞いていたんだ?」


「えっ? いやだから、プロデューサーさんから聞いた、って――」

 そう言いかけた所で、プロデューサーさんは何か合点がいったかのようにゆっくりと顔を上げた。


「出よう。当事者に話を聞きに行くとするか」

335: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:17:34.63 ID:78VDBhPt0
 (■)

「今日、城ヶ崎さんはオーディションを受けに行っているんだったな」

 志希のマンションを出て間もなく、プロデューサーは独り言のようにふと呟いた。

「速水さんか塩見さん。どちらでも良いんだけど、ここで分かった事を彼女に伝えてもらえないか?」


「それが、美嘉、メールにも電話にも全然反応してくれなくて――」
 私が小さくそう言いかけた時、周子が急にポンッと私の肩に手を置いた。
「ひぁっ!?」

「そうじゃないでしょ、プロデューサーさんが言ってんのはさ」


 周子はプロデューサーの方に顔を向け、ニッと笑ってみせた。
「あたしが行くよ。オーディションの場所、確かここからそう遠くないでしょ?」

「どうかな――これ、渡すから、タクシーで行けよ」
 そう言って、プロデューサーは財布を取り出し、一万円札を一枚引き抜いて周子に渡した。

「おっほっほ、お釣りもらっちゃっていいん?」
「好きにしろ」
「へへっ、毎度♪」

 そうか、直接会いに行けば良い――私は、何て浅はかなのだろう。

336: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:19:46.32 ID:78VDBhPt0
「んじゃ、ちょっくら行ってくるね」
「頼んだぞ」
「あいよー」

 軽い返事とは裏腹に、そこそこに強く地面を蹴り、周子は大通りの方へ駆けて行った。

 あの子も――今回の一件を重く受け止めている。
 それでいて、なるべく表には出さず、あくまで飄々とした姿勢を崩さないよう努めている。

「どうした?」


「私は――リーダーにふさわしかったのかしら」

 こんなに周りが見えていないのに。何一つ寄与できていないのに――。

「どうだろうな」
「フフッ――慰めてくれないのね」
「安い慰めを求めて言ったんじゃないんだろ?」
「それはそうだけど」


「第一、君達の事をロクに面倒見てこなかった俺に、答える事はできないよ。すまないが」

337: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:22:07.55 ID:78VDBhPt0
 そう言ったきり、彼は黙り込んでしまい、私もつい、言葉を返すタイミングを失ってしまった。


 そんな事は無い、って、言い返すべきだったのか――それは、慰め?
 この人がそう言って、喜んでくれたかどうかは分からない。

 そもそも、私はこの人を、喜ばせたかったのかどうかすら、未だに判然としない。

 信頼関係を構築する努力をしてこなかった、と言われれば、それを否定する事は難しい。
 私は――。


  ――もうたくさん。


 私の方から一度、三行半を突きつけてしまったのを今でも思い出す。

 そして気づくのは、私は彼を、必要として来なかった。求めようとしなかった。

 面倒を見てこなかった、という彼の言い分は、正しいと同時に、私がそれを望んでしまっていた事なのだと。

338: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:24:38.07 ID:78VDBhPt0
 彼は私を連れ、黙って周子が向かった方とは逆の通りへ向かい、タクシーを拾った。

「渋谷駅へお願いします」
「あいよ」

 渋谷? ――事務所の最寄駅だ。

「事務所へ戻るの?」
「いや、そこで張り込む」

 私達に何の連絡も寄こしてこない志希が、今さら事務所に来るだろうか?
「見つけられるかは難しいが――とりあえず、事務所からの最短ルート上の出口付近で待つよ」

 プロデューサーには失礼だけど、私は、あの子を捕まえられる可能性は低いと思う。
 私が彼女なら、もっと私達の及びのつかない――少なくとも、事務所から遠い所へ、逃げる――と思う。


「ずっとさ、妙だなと思ってはいたんだ」
「えっ?」

 ふと、プロデューサーが思い出したように私に言った。

「君達5人が、なぜ集まったのかってな」

339: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:27:01.36 ID:78VDBhPt0
「なぜって――偶然集まったからでしょう?」

 プロデューサーにスカウトされた周子が、たまたま私と一緒になったのも。
 たまたま一緒に地方営業の仕事をした美嘉が、それがウケたおかげで私達と一緒になったのも。

 あの日駅のホームで会ったフレデリカが、たまたまチーフにスカウトされ――。

 志希がたまたまプロデューサーにくっついてきたのだって――。


“たまたま”――。


「古畑任三郎ってドラマで、印象に残ってる台詞があってさ――“たまたま”が続いて良いのは2回まで、ってな」

340: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:30:25.41 ID:78VDBhPt0
 プロデューサーは脚を組み、頬杖を付いて窓から流れる景色をボーッと眺めている。

「何か変だな、って違和感はあったんだ。あまりにも展開が急すぎた」
「急?」


 景色を眺めたまま、プロデューサーは心の膿を丸ごと吐き出すかのように、滔々と語りだした。

「俺が塩見さんをスカウトしたのは、たまたまだ。本当に偶然、見かけたのを声かけた。
 そこまではいい、だが――なぜ無名の君達が、城ヶ崎さんのイベントのバックダンサーに抜擢されたのか」

「彼女のプロデューサーの気まぐれ? それはそうかも知れない。
 ではなぜ、アイドル個人が勝手にSNSで発信する事も許さない我が社が、誤って城ヶ崎さんがツイッターで拡散した君達の動画が広まっていくのを黙認したのか」

「その方が宣伝になる? 百歩譲ってそうだとしよう。
 だが、あのタイミングでなぜチーフは、君達と城ヶ崎さんの三人ではなく、新たに二人追加しようと言い出したのか。
 大事なサマーフェス前だ。俺は三人での練度を高めるべきだと主張したが、聞き入れてもらえなかった」

「そして、そこへおあつらえ向きに現れた二人。
 いずれも何より、曲がりなりにも担当プロデューサーである俺の意思などまるで無視だったのが不可解でさ」

341: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:33:12.47 ID:78VDBhPt0
「――誰かの恣意的な意思が働いていた、って言いたいの?」
「感じずにはいられない。杞憂であってほしいとは思うが、たぶんそうならない気はしている」


 ひとしきり喋って気持ちが少し落ち着いたのか、ため息を一つ吐いて、彼はすっきりした顔を向けてきた。

「悪いな、俺ばかり好き勝手喋って。何だコイツ、って思ったでしょ?」
「まさか」

 知らず笑みが零れる。フフッ、と握り拳を口元に寄せて、何とかそれを押し殺した。

「あなた、ずっと何考えているか分からない人だったから、そんなに私達のために色々考えていたんだって、何だか嬉しくて」

「今の話の何を聞いてそう思ったのか知らないが、君達のためではないよ」
「そうかしら?」
 照れ隠しとしか思えない吐き捨て方に、今度は苦笑が漏れてしまう。

「あのな」
 何か言いかけた時、携帯が鳴ったので、プロデューサーは舌打ちをして画面を見た。


「――城ヶ崎さんだ」
「えっ?」


 彼の表情が、途端に緊張感を露わにしていく。慎重に、電話を取る。

「――もしもし」

342: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:37:23.94 ID:78VDBhPt0
 (♪)

 シキちゃーん? シキちゃーん?

 あ、ちょっともしもし、そこのおにーさんしるぶぷれ~♪

 こんなカンジの子、見ませんでしたかー?

 あ、そうそう! シキちゃんって言うんだーよく知ってるね!

 えっ、有名? そっかーアタシもシキちゃんも有名人かー。これでも一応芸能人だもんねー。

 サイン? いいよ、どこに書く? おでこ? ダメ?

 フンフンフフーン♪ っと、はい! 皆にはナイショだよ?

 それで、ふむふむ、シキちゃん見なかったんだねー。ありがとー!

 シキちゃーん? シキちゃーん?

 あ、ちょっとしもしも、そこのおばーちゃんしるぶぷれ~♪

 えっ? アハハハ! そうなのおばーちゃん、アタシ日本語うまいでしょ?

 この金髪も天然のおフランス産だよ。触ってみる? サラサラだよ?

 えっ? 何でこっち側のモミアゲの方が長いかって?

 そりゃどっちも同じだとどっちが右か左か分からないもんね!

 お箸を持つ方が分からなくなったらタイヘンでしょ?

 アハハハ! うんうん、大事だよね♪ で、何の話だっけ? あ、そうそう!

343: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:40:59.55 ID:78VDBhPt0
 (★)

 昼過ぎには会場に到着していた。
 お昼ご飯は、とってない。というより、食べる気になれない。


 控え室に、ヒソヒソと囁く声が周りから聞こえてくる。

 既に一時間以上、腕と脚を組み、ジッと微動だにせず目の前を睨んでるアタシを、他のコ達は大いに誤解したと思う。


「346プロの城ヶ崎美嘉ちゃんだ――」
「さすがカリスマギャル、恐ろしいまでの集中力だわ――」
「そこまで、このオーディションに入れ込んでいたなんて――」


 ハッキリ言って、今のアタシに、このオーディションはほとんど頭の中に無かった。

 その理由はもちろん、昨日のこと――。


 志希ちゃんの言ったこと――志希ちゃんを叩いてしまったショックが、胸の奥にこびりついて離れない。

344: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:44:45.99 ID:78VDBhPt0
 アイドルは恋愛禁止、というのは、アタシ達の世界では常識だ。

 なぜなら、アイドルは皆のためのものでなければならないから。
 愛を、特定の誰か一人に向けてしまったら、それは他のファンへの裏切りにも等しい行為だ。

 ――というのが通説。


 アタシ個人としては、正直言って、そういう考えは持ち合わせていない。

 だって、たぶん人っていつかは誰かを愛するのが当然で、そういう感情を抑えるのってナンセンスじゃない?

 それに、愛はその気になれば数限りなく与えることだって出来るんじゃないかなって思う。
 誰かを愛する事が、誰かを切り捨てる事になるなんて、誰が決めたんだろう。


 でも、自分自身の考えよりも、周りがどう思うかを考えて、アタシ達は行動しなくちゃいけないことも知ってる。

 受け取る側の気持ちを、常に優先させなきゃいけないんだ。

 それをする事で不快に思ってしまう人がいるのなら、アタシ達アイドルはそれをするべきではない。

345: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 22:56:46.97 ID:78VDBhPt0
 それが、ファンの人達や、この業界に携わる人達――アタシ達を応援してくれる人達への礼儀。

 そして、志希ちゃんはそれを裏切った。

 あまりに軽薄としか言えない形で――。


 アタシは、どうしたら彼女の事を許せるのか、ずっと考えている。

 許すなんて、偉そうなこと、本当は死んでも言いたくない。

 でも――あんな事を、何で平気な顔してできるんだろう、って、考えたら――!


「えっ――」
「な、泣いてる――!?」


 アタシは、アタシを育ててくれた全ての人達に感謝していて、それに報いるために一生懸命仕事をした。

 他のコ達にまで、アタシの覚悟を押しつける気なんてサラサラ無い。
 彼女は、そんなアタシの覚悟まで、踏みにじった。


 でも――傍から見ればデートと受け取られかねない、アタシのあの行動も、やっぱりアイドルとして軽率だったんだ。

 感謝とか礼儀とか、偉そうに言ってるクセに、アタシは結局何も分かっちゃいなかった――。


 組んだ腕の中、もう片方の腕を掴む手に、知らず力がこもる。

 悔しくて、たまらない――。

346: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:00:16.76 ID:78VDBhPt0
「お待たせしましたー。
 えーそれではですね、番号順にお呼びしますので、呼ばれた方は控え室出て左手の――」


 どうやらようやく始まるみたい。

 今回のオーディションは、全国ネットの音楽バラエディ番組の準レギュラー枠を決めるもの。

 アタシ達にとっては業界の先輩に当たる、賑やかし役の元アイドルが、以前はその大役を務めていた。
 その人が、一般男性との結婚を機に近々芸能界を引退するために、急遽公募があったのだ。


 元とはいえ、女性アイドルが務めていた枠なら、アタシにもチャンスはある。
 色々な現場で鍛えられてきたから、トークもそれなりに自信あるし、共演者もアタシに良くしてくれてる人ばかりだ。

 応募人数は全部で約20人。
 倍率20倍か。悪くはないかな。

 アタシは14番だから、たぶんあと2時間くらいしたら呼ばれるんだろうと思う。


 そう――このお仕事は、アタシの新たなフィールドを確立させるための、第一歩になるかも知れないんだ。

 もう志希ちゃんの事は一旦忘れよう。気持ち、切り替えないと。


 一つ息をついて、脚を組み直した時、携帯が鳴った。

347: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:01:20.93 ID:78VDBhPt0
 誰かからのメールだろうな。皆、心配してくれてるんだろうと思う。

 でも、今は誰とも話したくなかった。
 志希ちゃんとはもちろん、奏ちゃんや、周子ちゃんフレデリカちゃん。プロデューサーとも。

 さっきまで来てたLINEだって、画面に映った本文だけチラッと見て、未読スルーを貫いている。

 今は、一人にしてほし――。


 ――?

 やけにうるさいな。誰?


 メールじゃなかった。通話だ。
 しかも――フレデリカちゃん?

 ある意味で、志希ちゃんよりも分からないコだ。

 たまに彼女は、グループLINEにスタンプを無意味に、しかも唐突にバンバン送りまくるのはあったけど――。


 しかも、LINEじゃない。普通に、あたしの番号に掛けてきてる。

 何か、重要な意味が――?

348: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:02:49.46 ID:78VDBhPt0
 席を立ち、部屋を出て少し歩いてから、その電話に出た。

「――もしもし?」
『あ、ミカちゃん! フレちゃんだよー元気?』
「あ、うん」
『ねぇ見てみて、これ、さっき歩いてたら看板があってね? ケーキ屋さんなんだけどその書いてるアレがさ、ほら、これ』

「いや、あのさフレちゃん、電話だからアタシ見れない」
『えっ? あ、そっかそっかごめん! そうだよねじゃあ後で一緒に行こうよ、ケーキ屋さんなんだけどその書いてるアレがさ、ほら』
「フレちゃん、ごめん。あたし、今オーディション中なんだけど」
『うん、そうだね』

「そ、そうだね、って――」
『ごめんね。ミカちゃんの声が聞きたかっただけなの。元気そうで良かったー♪』
「そ――」

『出てくれてありがとね! オーディション頑張って! んじゃ、あでゅー☆』



 ――一方的に電話してきて、一方的に切られた。

349: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:05:13.29 ID:78VDBhPt0
 全く内容の無い、フレデリカちゃんらしい会話だったな。

 珍しく電話してきたものだから、何事かと少し心配したこっちが馬鹿に思えるくらい。

 そうでなくても、「何で連絡してくれないの」「皆心配してるんだよ?」くらいの事は言われるかと思った。


 でも、そう――明らかに、いつも通りのフレデリカちゃんでは、決して無かった。

 彼女には、いつも通りの実の無いやり取りの中に、彼女なりに持たせたかった意味があったんだ。きっと。


  ――ミカちゃんの声が聞きたかっただけなの。


 彼女は今、どこで何をしているんだろう?
 確か、一日丸々オフでは無かったはずだ。グラビアのお仕事が午後に入ってたのを、何となく記憶している。

 ――えっ、ちょっと待って、もうその時間じゃん!
 フレデリカちゃん、ちゃんとお仕事行ってるんだよね!? えっ、大丈夫!?

 あの子、ひょっとして今一人なんじゃ――!

350: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:06:45.54 ID:78VDBhPt0
 急いで電話を掛ける。相手は――。

『もしもし』
「プロデューサー! 今、フレデリカちゃんと連絡取れる!? ていうかあのコ今どこにいるの!?」
『どこって、仕事じゃなかったか?』

 プロデューサー、自分トコのアイドルの同行くらいきちんと把握しときなよ!
 って怒ろうと思ったけど、相手がアレだと、ちょっと同情する。

「さっき、アタシに電話してきたの。フレデリカちゃん。ケーキ屋さんがどうとか言ってて、外にいるっぽかった」

『マジか』
「まさか、お仕事サボってたりしないよね?」
『一応、確認してみる。ありがとう』
「お願いね」

『あぁ、それとな。塩見さんが今そっちに向かってる』

「えっ?」
『連絡の取れない君に、今分かった真実を伝えるためだったけど、こうして連絡取れたらそれも無駄だったのかもな』

351: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:08:01.86 ID:78VDBhPt0
「な、ど、どういう事?」

 一向に連絡に出ないアタシに、業を煮やしたんだろうな。
 ただ、直接会ってでもすぐに伝えたい事、というのが何なんだろう――?


『君が見た物は、全て一ノ瀬さんが仕組んだ嘘だ。
 一ノ瀬さんは淫行などしていない。君を怒らせるために、わざと一芝居打ったんだ』


「ちょ――」
 アタシを――怒らせるため?

『それが何故かは分からない。だが、彼女は何かを背負い込んでいる。
 それを俺達が明らかにするまで、彼女を悪者にするのは待ってほしい』


 アタシは、言葉が出なかった。
 もし、それが本当だとしたら、どうしてそんな事を――?

 そんな事をさせるような、志希ちゃんの覚悟って、何だったの?

352: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:09:36.83 ID:78VDBhPt0
『混乱させてすまない。だが、そういう事なんだ。また連絡するよ。
 とりあえず、君が思ったより元気そうで良かった。オーディション、頑張ってな』

 プロデューサーは、アタシの事を何も叱らなかった。

「うん――教えてくれてありがとう。こっちの仕事終わったら、連絡するね?」

『あぁ、それじゃあ』

 連絡も寄こさないアタシを、応援もしてくれた。

 彼にとっては、他愛の無い、特別に意味を持たない事だったのかも知れない。それでも――。


 ちょっとだけ日常を取り戻せた気がしたのが、何だか無性に嬉しい。


「――ふぅ」

 志希ちゃんが何を考えていたのか、なんて余計な事を考えるのは後にしよう。

 志希ちゃんを恨まなくて良いのかも知れない――今はそれが、何よりもありがたい。

 そしてもちろん、許すだなんて、偉そうな事を言っていた自分を恥じる心構えもしておかなきゃ。

353: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:11:21.82 ID:78VDBhPt0
 オーディションが着々と進行していく。
 一人10分くらいかかると思っていたけど、早い人は5分もかからず終わっちゃってるみたい。

 つまり、その人達は不合格だ。

 経験から言って、採用する気がない人に、主催側が時間をかけるとは思えない。
 今回のオーディションは、特に第一印象の勝負と見た。

 アタシは、あまり行儀の良い方じゃないから、ちょっと不利かも知れない。
 できる限りお喋りして、本当ならその場で軽くステップを踏ませてもらえたら御の字だけど、期待は出来なさそうだ。

 ううん。そういう空気に自分が持っていかなきゃ。
 何せバラエティだもん。この程度の面接で空気作れないでどうすんのさ。頑張れアタシ。


 アタシの前の人が呼ばれ、部屋を出て行く。

 彼女もキャリアはそう短くはない。
 何度か仕事でも会ったけど、とても気さくで良い人だ。

 でも、お喋りしてる余裕なんて無いのはアタシと一緒。

 返事こそ元気だったけど、カメラの前では絶対見せたこと無いだろうなってくらい、厳しい顔だった。

354: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:13:00.92 ID:78VDBhPt0
 アタシの出番が来たのは、それから大体5分後。

 部屋に戻ってきた、その沈んだ顔が全てを物語っている。
 彼女も、不合格だったのだ。

 会場となる部屋に向かう途中、その子と一瞬目が合った。
 アタシに向けられたエールなのか、一緒に落ちろと呪っているのか、分からない。

 気にしている余裕は、アタシにだって無かったから。


 ふぅ、とドアの前で息をつく。
 メイクはバッチリ。何度もチェックした。
 コーデも髪型も番組の雰囲気に合わせて、あんまり主張しすぎないヤツにしたつもり。


 よし。


 ノックをして、中から返事が聞こえたのを確認して、最初の第一声は元気よく――。

355: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:15:22.49 ID:78VDBhPt0
「どうもー、こんに」
「美嘉ちゃん待ったぁぁぁーっ!!」
「ちわあぁぁぁあぁっ!!?」


 元気よく――いや、息を切らしてアタシの後ろから飛び出してきたのは周子ちゃんだった。

 何で、えっ!? 何でっっ!?

 二人同時に入ってきたアタシ達を見て、番組プロデューサーはじめ、主催側の人達は目が点になっている。

「どうしたの!? 何でココに、っていうか何で一緒に入って来てんの!?」
「美嘉ちゃん、よぉく聞いてほしいんやけど!
 とりあえず結論から言うわ。このオーディションはブッチして!」
「はぁっ!?」


「今すぐ志希ちゃんに会いに行って欲しいんよ!
 どうかこのとおり、この塩見周子一生のお願い!」

356: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:18:38.39 ID:78VDBhPt0
 (■)

「勘弁してほしいよ、また俺アイツに怒られるじゃん」

 どうやら、フレデリカが仕事を放り出して外をフラフラしているみたい。
 ほとほと困った様子で、彼は頭を抱えているけれど、運転手さんは特に気に留める様子は無い。

「お客さん、どこに停めましょうかね」
「えっ? あぁ、適当にロータリーの手前で――あの歩道橋の前辺りでいいです」

 しばらくして、ちょうど駅が見えてくる所まで来ていた。

「美嘉、元気そうだった?」
「あぁ。割と声もしっかりしていた。安心したよ」
「私達の中でも、人一倍プロ意識高いもの。美嘉が仕事に穴を開けるはず無いものね」
「宮本さんにも見習ってほしいよ」
「そうね、フフッ」


 タクシーを降り、駅に向かって歩く。
 これから夕方頃にもなれば、若者だけでなく家路につく人達でさらにごった返す、慌ただしい場所だ。

357: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:23:18.20 ID:78VDBhPt0
「さっきの美嘉とのやり取りを聞いて、改めて思ったけれど、あなたはやはり気ぃ遣いね」
「仮にそうだとして、大人が子供に気ぃ遣わなくてどうする。って前にも似たような事言ったな確か」
「えぇ、でも」

 今の私は、この間それを聞かされた時の私とは、捉え方が異なってきている。

「今回の一件だって、あなたはこんなにも事態の解決に率先して取り組んでくれているわ」
「当たり前だ。俺自身の釈明のためだし、何より身のある報告をしないとあの課長うるさいからな」

 私は顔を覗き込む。彼は歩みを止めない。
「それだけ?」
「――ここまで来ると、真相を究明するという事自体に興が乗っているというのも、正直ある。
 誰か裏で悪い事を企んでいるヤツがいるんだとしたら、そいつと話をしてみたい、とかさ」


 私がプロデューサーの前に立ちはだかると、ようやく彼は止まった。

「本当に、それだけかしら?」
「――君は俺に何を言わせたいんだ。君達のためにやっていると言えば、それで満足か?」
「生憎だけど、安い慰めは求めていないの」
「気が合うな。じゃあこの話は終わりだ」

 プロデューサーは、顎で駅の方を促した。

「この歩道橋の上から、出口の様子を見張ろう」

358: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:26:03.59 ID:78VDBhPt0
 今日のプロデューサーは、随分とよく喋ると思う。
 それだけ、実は内心、彼も追い詰められているという事なのかも知れない。

 何より、普段よりもいくらか不機嫌だ。元々、機嫌が良い時の方が少ないけれど。


「見つけたら、何て声かけるの?」
 深い意味は無いのだけれど、黙っているだけでは据わりが悪いから、それとなく聞いてみる。

「何て言おうかな――まずは、「おい」って呼び止めるんだろうな」
「あら、怖い」

 でも、実際ここまで自分が引っ掻き回されている事は、彼にとっておそらく不愉快なのでしょうね。


「転職を繰り返していたのも、自分にとっての安住の地を求めていたから?」
「まぁ、そうだな」


「なぜ、プロデューサーになったの?」

 美嘉が一番気になっていた事だった。私も、言われてからずっと不思議に思っている。
 こんなに後ろ向きな人が、なぜ――?


「大した話じゃないさ。スカウトだよ。この会社に来たのだって、元はと言えば手違いだ」

359: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:27:56.65 ID:78VDBhPt0
「えっ、手違い?」

 どういう事。何があったというの?

「それとな。君達が大きく誤解している事が一つある」
「誤解?」

 次々に飛び出してくる彼の新情報に、私は内心夢中になり、柄にも無くワクワクしてしまう。
 でも、対照的に彼はいつも通り、疲れた顔だ。

「あのサマーフェス、俺がより良いステージ作りのために足繁く現場に通っていたと思われているけどな、違うんだ」
「? 違うって、何が?」


「そうじゃないんだ――本当は、俺は君達のステージを、台無しにしようとしていた」


「――――え」


 その時だった。

 どこか悲しげに踊るウェーブがかった長髪が、駅に向かって歩いていくのが見える。

360: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:29:53.36 ID:78VDBhPt0
「皆には、後で詳しく話すよ」

 そう言い残し、プロデューサーは動いた。私も釣られてそれに従う。

 静かに、しかし威圧的とも取れる強い意志を滲ませて、彼は歩き出し、そして――。



「おい」


 そう呼び止める彼の声は、今まで聞いたどんな声よりも鋭く、重く――少し怖かった。

361: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:31:04.22 ID:78VDBhPt0
 (♪)

 ワォ♪ おばーちゃんすごーいコレー!

 こんなリッパなミカン、アタシ見たことないよ? ホントにいいの? ありがとー!

 ううん、切符買うことくらい何でもないよ。違ってたらごめんね?

 そうそう、京王線はあっちだよ。分かんなかったら駅員さんに聞いてね。あでゅー♪

 おぉ、そうだそうだシューコちゃんにも電話しなくちゃ。

 シューコちゃん出るかなー?

 あ、シューコちゃん! フレちゃんだよー元気?

 でね? 見てみて、これ、さっき歩いてたら看板があってね?

362: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:32:42.29 ID:78VDBhPt0
 (★)

「ブッチしろ、って、どういう事!?」
「そりゃーえっと、キャンセルしろとか、すっぽかしちゃえっていう」
「いや意味は知ってるって! 何でそんな事を言うのって話!!」

 ここまでめちゃくちゃにされちゃったら、どのみちこのオーディションはダメだろう。

「おい君達。用が無いならこの部屋を出て行ってくれないかね?」

 でも今は、周子ちゃんに台無しにされた事よりも、周子ちゃんがここまで切羽詰まっている事実が一層気になった。
 正直、完全に蚊帳の外にしちゃってる審査員さん達の冷たい反応は、もうどうでも良い。


「フレちゃんから電話があってさ。さっき。
 あぁコレ、美嘉ちゃんが行かないとアカンヤツやなと」

 口調やトーンこそいつもの彼女だけど、表情は本当に、今まで見たことが無いくらい真剣そのものだ。

「教えて。何があったの?」


「志希ちゃん、たぶん346プロを――アイドルを辞めようとしてる」

「えっ」
「たぶん、それだけに収まらない。あのコずっと、何かを抱え込んで、一人でそれをやろうとしてる。
 分からないけど、絶対良くない事だと思う。だって――」

363: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:40:52.12 ID:78VDBhPt0
「ずっと、申し訳無かったって――そればっかり繰り返し、話してたって」

「――誰に」

「フレちゃんもその誰かから聞いただけだから、詳しくは知らないって言ってた。でも――」


「美嘉ちゃんに、悪いことをしたって、すごく悔やんでたみたい」



「―――――」

 悔やむくらいなら最初からするな、というのは一つの本音ではある。
 だけど――。

 彼女は、テキトーではあるかも知れないけど、アタシみたいに単純じゃない。
 理由や考え無しに行動は起こさない子であると、今なら分かる。


 瞬時に色々な事を考え、取るべき行動を導き出せるが故に、テキトーに見えていただけなのだとしたら――。

 そして、理屈を超えた事態に彼女自身が直面し、良からぬ手段による打開策を講じようとしているのだとしたら――?

364: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:42:41.24 ID:78VDBhPt0
「――とりあえず、フレちゃんに電話してみる。場所分かる?」
「それがさ、肝心な情報言わんのよフレちゃん。らしいっちゃらしいけどさ」
「ハハッ、そうだね」

「おい、聞いてるのか。後もつかえているんだ、いい加減つまみ出すぞ」

 痺れを切らした偉そうな人が、立ち話を延々と続けるアタシ達に鋭い言葉を向ける。

 アタシはその人に向き直り、頭を下げた。

「ごめんなさい。アタシ、このオーディション降ります」

「フム、なら良い。さっさと――」
「その代わり、アタシ以上にもっと適役がいるので、その子を審査してあげてもらえないでしょうか?」
「――何だと?」



 頭を上げ、アタシは周子ちゃんの方に向き直り、ニカッと笑ってみせた。

「この場は任せたよ、周子ちゃん★」

365: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:45:10.12 ID:78VDBhPt0
「ん、何の話?」

 ラジオのパーソナリティとして人気を集める理由の一つである、ゆるいながらも上手に空気を読む立ち回り。
 タイミングの良いパスも、適当にいなしつつ時には盛り上げる受け答えも、彼女のコミュ力の高さあってのものだ。

 最初から分かっていたけど、この番組にはアタシよりも周子ちゃんの方が合ってる。

「分かってるクセに」
 アタシがそう茶化すと、周子ちゃんはケラケラと笑う。

「アハハ、まーね。ていうかこんな状況で受かれって方がムリでしょ」
「最初のライブを思い出して。周子ちゃんならやれるよ」
「そういや、アレも美嘉ちゃんがブッチしたからだったよね。ホント、始末に負えんなぁ美嘉ちゃんは」

 懐かしい思い出を共有しながら、お互いに顔を合わせ、何だかおかしくなってクスクスと笑い合った。


「事前に申請もなされていない者を審査など出来るか。さっさと帰りなさい」

 シッシと蠅を払うように手を振る審査員さんに対し、周子ちゃんは向き直り、堂々と前に躍り出た。


「まーまー、そう言わずに。
 美嘉ちゃんはシャレでお仕事をブッチするような子じゃないから、ここは一つ大目に見てやってくれませんかねぇ?」

366: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:46:46.15 ID:78VDBhPt0
「あ、もういーよ。ここはあたしが引き受けるからさ、美嘉ちゃんは急いで」

 憤慨する大人達を尻目に、周子ちゃんは笑顔で後ろ手に振ってアタシを送り出す。

 これ、後でプロデューサーにも怒られるんだろうなぁ。
 そう思いつつ、その後ろ姿に力強く頷いて、アタシは部屋を飛び出した。



 外を出てビックリしたのが二つあった。

 まずは、天気が見違えるほど悪くなっていたこと。
 そういえば、関東は大荒れとか天気予報言ってたっけ。今にも土砂降りの雨が降りそうな空だ。

 そして、もう一つは――。


 爆音を轟かせて、大型バイクがドリフトをキメながら入口の前に迫り、停車した。
 居合わせた周囲の人達がビックリして身じろぎする。もちろんアタシもだ。


「おう間に合ったか。さっさと乗れ」
「た、拓海さんっ!?」

 拓海さんが、迎えに来てくれたのだ。

367: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:50:23.03 ID:78VDBhPt0
 何で、ってさっきから言い飽きたくらい、今日は色んなことが起こりすぎてワケ分かんない。

「夏樹から連絡があった。適当に流しに行こうとしたら、街中でフレデリカを見かけたらしい。
 奏に連絡を取ったら、仕事をすっぽかしたらしいってんで、後をつけてもらってんだ」

 拓海さんが、アタシに向けて自分のスマホを見せた。
 GPSか何かだろうか、地図上に赤いマークが動いてる。

「夏樹の現在地だ、ここにフレデリカもいる。たぶん近くに志希もな。お前を連れてきゃいいんだろ?」


「あ、あの、何でこんな――」
「何でもクソもねぇんだよっ! よく分かんねぇけど志希んトコ行ってビッとかましてくんだろうが!!」
「――っ!」

 胸ぐらを掴み、拓海さんはアタシの顔をグイッと引き寄せる。

「テメェはな、志希に自分の本音を隠されて、おまけに庇われたんだ。ナメられてんだよ。
 ナメられっぱなしはカリスマギャルの柄じゃねぇだろ。それともケンカの仕方も知らねぇか?」

「ケンカ――ナメられてる?」
「本当の仲間なら、思いやりなんてチャチなモンいらねぇんだよ。分かったらさっさとコレ被って乗れ」


 志希ちゃんが――アタシを思いやった?

368: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:53:04.60 ID:78VDBhPt0
 ピンクのヘルメットを被り、拓海さんの体にしっかり捕まって、夕暮れ時の幹線道路を疾走する。

 爆音はすごいし、スピードも完全にオーバーしてるカンジがする。
 警察に捕まらないのコレ? 大丈夫かな。

 走る間、拓海さんはアタシに、周子ちゃんや奏ちゃんから聞いたらしい情報や詳しいいきさつを教えてくれた。

 フレちゃんが仕事をドタキャンした事を、夏樹さんと奏ちゃん達が知ったのはおそらく同時くらいだということ。
 夏樹さんが奏ちゃんに電話をしてる間に、フレちゃんはタクシーで移動中の周子ちゃんに電話をしたらしいこと。
 その周子ちゃんから拓海さんに、ソッコーでアタシの送り迎えをするよう頼まれたこと。

「アタシらだって『炎陣』の初ライブを昨日終えて、今日がたまたま休みじゃなけりゃこんなんに付き合わねぇよ」
「エンジン?」
「アタシらのユニット名だ。あの野郎、ロクでもねぇ男だが良いヤツらと組ませてくれたぜ」

 ちなみに、フレちゃんの仕事の穴は、たまたま夏樹さんと一緒にいた里奈ちゃんが急遽代わりに対応したみたい。
 頭が上がらない。


 どうやら夏樹さん――つまりフレちゃんがいる所は、ここから結構あるみたい。
 しばらくかかりそう――。

 と思った時、パトカーのサイレンが聞こえてきた。

 どこかで事故でも起こったのかな?


「そこの二人乗りバイク、止まりなさい。えー赤とピンクのヘルメット、止まりなさい」

369: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:55:35.77 ID:78VDBhPt0
 えっ――ウソ。

「チッ、こんな時についてねぇぜ」
「ちょ、ちょっと拓海さん、ヤバイって止まろうよ!」
「アァ? すっトロい事言ってんじゃねーよそれでもカリスマギャルか」
「関係無いし!!」

 パトカーの警告も、アタシの言う事もまるで無視して、拓海さんはむしろ思い切り加速する。
 振り切るつもりだ。ちょっと待ってマジでヤバイってコレ!!

 交差点に差し掛かると、応援に来ていたらしい白バイが2台、左右から同時に割って入ってきた。

 爆音とサイレンで、一帯がすごい騒ぎになっているのが分かる。
 たぶん沿道の人達は皆アタシ達のカーチェイスを見てるんだろうけど、視界が狭まる高速の世界では、一瞬で通り過ぎていくその人達を見分けることができない。

 やがて、雨が降ってきた。
 ポツポツと、大きい雨粒がアタシ達の体に当たり、10秒も経たないうちにそれはバケツをひっくり返すような大雨になった。

「美嘉、やっぱついてるぜ」
「えっ何!?」

「悪路でのケンカ走りはアタシの十八番だからな!」
「雨で聞こえない!!」
「体を左に倒せ!!」

 ようやく聞き取れたそれに従い、反射的に体を左に倒した。
 すると、拓海さんのバイクはサーフィンみたいな水しぶきを上げてドリフトし、幹線道路から細い道へと滑り込んでいく。

370: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:57:17.29 ID:78VDBhPt0
 住宅街の中に入り込んでも、拓海さんのスピードは一向に緩まない。

「ちょっと拓海さん! もういい、もういい!!」
「何が!!」
「事故るって!! 警察だってもう来ない!!」

 サイレンは鳴り止まない。サイドミラーを覗き込むと、白バイはなお追いかけてくる!

「諦めていいって!! 死んじゃうよ!!」
「馬鹿言え、マッポが怖くてアイドルできっかよ!!」
「何言ってんのか分かんないし!!」
「聞こえねーよ!!」

 いつ人や車が曲がり角の向こうから飛び出して来るか分からない。
 その角に目がけて拓海さんはハンドルを切る。
 ヘルメットが住宅の塀や、その向こうの電信柱をすり抜けたかのような錯覚に陥る。それくらいギリギリだった。

 ホッとしたのもつかの間で、比較的広めの公園に突入し、泥を巻き上げ進んだ先にあったのは――。


「拓海さん!! そっち行き止まり!!」
「階段だ!! 行ける!!」

 そういう問題じゃな――!

371: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/18(月) 23:58:58.30 ID:78VDBhPt0
 階段を飛び出し、アタシ達の体は宙に放り出された。

 差し詰めスキーのジャンプ台のようなその階段は、思っていたよりずっと段が多くて、一番下まではゆうに5mはありそうな高さだった。

 つまり――5mの高さからこのバイクは落ちるのだ。今この瞬間。

「ちょ――」
「喋ると舌噛むぜ! ケツを浮かせろ、歯ぁ食いしばれ!!」


 う、ウソでしょ――ムリ、絶対ムリだって。


 死ぬ間際は、時間の流れがスローモーションになるって、よく言うけど、コレのことかな?


 この土壇場で、そんなのんきな考えがふと頭をよぎったのを戒めるかのように、次の瞬間、猛スピードで下のアスファルトが迫ってくる。

372: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:01:36.68 ID:Ae62FiCR0
 (♪)

 んー、フレちゃん予報だと雨降りそうだねーこりゃ。

 実際降ってるけど。

 リナちゃんに言われてビニ傘買っといて良かったー♪

 シキちゃんの分も買っとけば良かったかなぁ?

 あ、でも二つ持ってたらおかしいよね?

 あれっ、あの人右と左が分からない人なのかな? それともエスタークかな?

 って思われちゃうもんね、知らない人が傘二つ持ってるフレちゃん見たらね?

 まいっか。シキちゃん見つけたらフレちゃんの隣にしるぶぷれしてあげよっ♪

 シキちゃん濡れてなきゃいいけどねー。おっ?

 おぉっ?

373: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:03:54.56 ID:Ae62FiCR0
【7】

 (♡)

 秩序とは、現実を覆い隠すための虚像。

 そんな表現は、やはり稚拙だろうか?

 分かるのは、アタシの取った行動は、決して正解ではなかっただろうということ。

 そして、アタシにはそれ以外の解を導くことができなかったということだ。

374: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:08:00.13 ID:Ae62FiCR0
 自分が“天才”かどうかはともかく、“特殊”であるのは分かる。スペクトルの極限にいるという事を。

 幼い頃からそれなりにチヤホヤされてきたものだから、言い訳がましいけど、多少なり調子に乗るのも無理は無かった。

 おまけに自意識過剰で、傲慢で、言うこと聞かなくて、だのに何でも上手くこなせる存在は、万物平等を是とするコミュニティの中にあってはどうしようも無くうっとおしい。

 概ね周囲の反応はそんな所で、そういう風に扱われることが普通なのだとアタシも解釈していたから、ごく自然とマジョリティから外れていく。

 それで不都合は無かった。お互いに不干渉を貫くことで、アタシと彼らはWin-Winでいられた。


 だからだろうね。人としての豊かな心を育む機会を失ったから、人の心に興味を持った。

 一丁前に、それが欲しかったのだと思う。誰もが自然と持ち得るそれを。

 では、人の心が最もむき出しになる場所はどこだろう? そしていつ、どのように?

375: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:13:38.80 ID:Ae62FiCR0
 海の向こうの退屈な講義に飽きて帰国したアタシの目に飛び込んできたのは、行儀良く並んだビルのとある一面。

 まるで花火のように、存在をこれ見よがしに主張する極彩色のモニターだった。

 次の瞬間気づいたのは、極彩色なのはモニターそのものではなく、それに映る会場と人であったこと。

 そして、夢中になって、やはりカラフルなペンのような何かを必死に振るう無数の人、人。

 道行くお兄さんを適当に捕まえて聞いてみると、どうやら大きな芸能事務所のアイドル達によるライブ映像らしい。


 にゃるほど。

 例えばスポーツの世界でもそう。人がホンキで何かをする姿というのは、人の心を打つものらしい。

 あっちでも、野球とかアメフトの大きな試合があると、ウン万人という規模の人が会場に詰めかけ、その百倍以上の人達がテレビに齧り付き、翌日のティータイムでの話題に華を咲かせていた。


 ホンキ――本気、か。

376: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:16:32.64 ID:Ae62FiCR0
 本気を出したことが無い、なんてことは無い。

 ダッドと暮らしてた頃、彼はすっかりアタシが何でもできるものだと信じ込んで、無茶な要求を際限なく突きつけた。

 応えられなかった要求こそ無かったけれど、アタシでさえ常軌を逸していると思えたそれに、付き合うのはもうウンザリで、だから逃げた。

 彼の期待に潰される前に。


 ダッドは本気のアタシを見て、多少なり心を動かされていただろうか?

 その結果としてアタシはますますマジョリティーから外れ、心を育む機会を失ったのは皮肉だろうか。

 一つだけ分かるのは、アタシはテレビに齧り付く彼らを軽蔑していたと思う。

 本気で頑張る誰かを応援するなんて、自分で本気になれない人達が他者の威を借りて頑張った気になりたいだけの自己満足でしかないからだ。

 実にくだらないと、それまでは思っていたのだけれど――。

 Hmmm……にゃるほど。

 マジョリティーから外れた自分が見向きもしなかった世界に、自分以外の誰もが持つ心がむき出しに存在し得るのは、一つの論理的帰結を得ていると言えなくもない。


 346プロ――。

377: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:21:12.94 ID:Ae62FiCR0
 アイドルになるには、大きく二つの方法があるらしい。

 事務所に直接申し込んでオーディションを受けるか、スカウトされるか。

 後者の方が簡単だ。


 とある昼下がり、匂いをかぎ分けて出会ったその人は、狙い通り芸能事務所のプロデューサー。
 しかも、いつぞや見た例の346プロときてる。

 匂いをかぐだけで、どうして狙った人種を補足できるかって?

 正確に言うと匂いだけじゃないけどね。挙動とか雰囲気もあるし。

 ただ、経験則から言わせてもらうと、イイ匂いをさせてる人は大抵の場合、その時の自分にとって“都合の良い”人だった。

 話を聞くと案の定、どうやら新規ユニットの立ち上げに向けて、2人の追加補充人員を探しているらしい。


 ――ただ、都合の良い人であることと、良い人かどうかは別である。

 彼はたぶん、良くない人だろうと直感した。

378: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:22:45.05 ID:Ae62FiCR0
 彼の指示に倣い、強引に取り入ってその世界を覗き込み、分かったことは二つ。

 一つは、彼女達を夢中にさせるものの正体。

 トップアイドルという、魅力的かつ抽象的なそれは彼女達の夢であり、そこへ至るアプローチも様々だ。

 ビジュアルを活かす子もいれば、ボーカルで魅了する子、ダンスで魅せる子。

 いずれの能力が秀でていなくとも、トークと体を張ってそれを目指す子もいるようだ。

 ひとえに抽象的であるがこそ、自由にそれを目指すことができ、彼女達は皆自分の武器を探して到達し得る道を探す。


 そしてもう一つは、この世界の闇。

 トップになれるのは、ほんの一握り。

 誰かが華やかな舞台に立って光を浴びるその裏で、数え切れないほどの子達が涙を飲むのが実態だ。

 誰もそれを望んでいないにも関わらず、誰もがそれを目指すが故に悲劇が繰り返される。

 そして、プロデューサー達はその感覚にすっかり麻痺しているようだった。

 でも、彼らを責めることはできない。状況がそうさせているのだから。ただ――。


 アタシが出会ったその人は、その状況を変えるために、力を貸して欲しいと言った。

379: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:24:43.62 ID:Ae62FiCR0
 どうやって? とアタシが聞くと、彼は真面目な顔を崩さずにこう言った。

「まず、君達には今度のサマーフェスで負けてもらいたい」

 正確には、高垣楓さんという人を優勝させたいのだという。

 話を聞くと、どうやら利権が絡んでいるとのことだった。


 つまり楓さんは、身も蓋もない言い方をすれば、この事務所、ひいてはこの業界で言う所の“金の成る木”だ。

 モデル出身の美貌に加え、ダンスやボーカルも並外れた実力を発揮する彼女は、いずれの分野にも精通し、確かな実績を残す。

 そんな彼女には黙っていても仕事が舞い込む。それどころか、楓さんがもし今引退すれば、業界への影響を鑑みると、職を失う人まで出てくるだろうとのことだ。

 もはや産業だね。楓さんという一大産業。


 生え抜きの上層部の中には、その恩恵に預かり、関連する業界と太いパイプを築き上げた人もいるらしい。

 楓さんが優勝しなくては、その後のビジネスにも大きく影響を与えかねないのだ。

 なーんだ、そんなことか。くだらないとは言わないけどさ。

380: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:28:26.02 ID:Ae62FiCR0
 それで、キミもその甘い汁を吸いたいワケだ、と茶化したら、彼は首を振った。

「言っただろう、状況を変えたいのだと。
 少なくとも、大人達の都合で彼女達が振り回されていくのを見るのはもう嫌なんだ」

 どういう事だろう?

 今まさに、キミは恣意的な理由で楓さんを優勝させるべく、アタシ達に負けろと言っているのに。


「君の言う一大産業をぶっ潰すのさ。一旦持ち上げた上でな。“楓降ろし”だ」


 彼にはどうやら、高垣楓の次期プロデューサーという話が既に偉い人から内々で通達されていたみたい。

 だから、今の彼女のプロデューサーと同行する機会も多く、そういう、いわゆる政治的な会合にも度々出席していた。

 楓さんが優勝した後は、そういう、まー、黒い黒いミーティングなり意見交換会に出席する機会はもっと増えるのだろう。


 その瞬間を、こっそり記録に残し、内部告発する。

 社内のイベントとはいえ、346プロのサマーフェスはもはやアイドル業界の動向を占う試金石であり、業界人にとっては大きな関心事だ。

 週刊誌はこぞって一大企業たる346プロのヤラセとその裏に潜む“政治とカネ”を取り上げ、世間の劣情を煽るだろう。

 そうなれば、楓降ろしどころではない。

381: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:30:19.99 ID:Ae62FiCR0
 彼がアタシにその計画を告白した理由は結局聞けずじまいだったが、強引に推察するとこうだろうか。

「欲望こそ人の心の根幹であると、アタシに伝えたかった」とか、ね。

 彼は真面目だ。協力を求めるからには、アタシに何かしらのギブをしたかったのだろう。


 だが、それが正しいかどうかは分からない。

 一つだけ分かるのは、スマートではない。


 アタシはそういう黒々とした心のやり取りを観察できるのは、とっても興味深くて楽しいから良いのだけど、当事者達はどうだろう?

 渦中の楓さんは? 取り巻く人達は? 職を失うとされる人達の行方はどうなるの?

 LIPPSの皆だって、負けたらどうなるだろう?

 腐らずに、次も頑張ろうという前向きな姿勢を維持できると、どうして言い切れるのか?


 あまりに無責任なのはもっともだが、それについてアタシが言えた義理ではない。

 でも、たぶんそーゆーのはなんか違うんだよねー。

382: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:32:16.48 ID:Ae62FiCR0
 計画は、思ったよりも原始的だったようだ。

 誰かが音声プラグを引っこ抜くことで、アタシ達のステージを台無しにしようという算段だったみたい。


 アカペラでのアドリブを皆に提案したのは、彼からその話を聞かされた翌日だった。

 当たり前だけど、何の意味があるのかと、フレちゃん以外の皆は訝しんでいる。

 でも、試しに実践してみせると、どうやらそれなりのクオリティだったらしく、シャレでも悪くないとのことだった。

 そう、何なら元々そういうアカペラ音源にしてしまって、逆に会場を驚かせようという“ジョーク”でも良いのではないか?

 実にLIPPSらしい、ファンキーなステージになるだろうと、美嘉ちゃんと周子ちゃんは結構ノってくれた。

383: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:34:17.86 ID:Ae62FiCR0
 あんなに上手くいくとは思わなかったし、楓さんが優勝しなかったのはそれ以外の理由もあったのだろう。


 でも、一つだけ分かるのは、そう――とても楽しかったのだ。

 きっと、楓さんを勝たせて失脚させるよりも、遙かに上回る達成感がアタシを支配していた。

 どれだけ退屈な研究を行い、上っ面な論文を書き上げプレゼンし、偉い人達と仲良く握手しても得られなかったそれは、今ここにある。


 ステージの上のアタシを、皆が祝福してくれている。

 そんな彼らが、アタシにはとてもありがたくて、例えようもなく愛おしい。

 これが心なんだ――嬉しいとしか、言いようがなかった。

384: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:38:03.07 ID:Ae62FiCR0
 行動に対する責任を負うという覚悟が、アタシには足りていなかったのだと、気づいたのはその後だった。


 想定外の事態を受け、混迷を極める上層部を尻目に、アタシ達は爆発的な人気を集め、サイコーに楽しい状態。

 そして、正しくそれを利用しようとする者達がいたのだ。

 新しいトップ、引いては346プロへの背信行為を企む生え抜きの役員が。


 持ち上げて落とす、という行為がしばしばこの国では取り沙汰されるけれど、まさにそれだ。

 LIPPSは、体よく泳がされていたのである。

 346が傾く程度には世間の関心を集めるまで――すなわち、一定の落差が得られるまで。

 高垣楓に代わる新たな346プロの象徴となったがための、『LIPPS降ろし』だ。


 彼からそれを聞かされた時、アタシは混乱した。

 予期せぬ事象に出会うことは、研究者時代から日常茶飯事ではあった。

 だが、恣意的な意志に振り回されることは、人との心のつながりを持たなかったアタシにとって未知なる経験だったのだ。

 理解はできるが、納得ができない。無論、肯定のしようも無い。

 だが、それを打開する術をアタシは導くことができずにいた。どんな理不尽な要求にも応えてきたはずのアタシが。

385: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:45:19.66 ID:Ae62FiCR0
 こういう時に大事なのは、視点を変えること。

 アタシをLIPPSの一員として存続させるケースを念頭に置くから無理が生じてくる。

 では、アタシはLIPPSではないとしたら?

 この仮定に立った時、たどり着いたのは、驚くほど簡単な解だった。


 アタシが彼らと一緒に『LIPPS降ろし』を画策していたことにすれば良い。

 背信者は、役員連中だけではなかったということだ。

 そして、それを内部告発するのもアタシ――こういうのを二重スパイと言うのかにゃ?

 つまり、LIPPSに対し悪いことを企んでいた人達の仲間になって道連れにするってこと。

 LIPPSは、役員達と一ノ瀬志希にそのアイドル人生を振り回されかけた被害者になれる。


 たぶん、まともにこの話をしたら、LIPPSの皆は納得しないだろう。

 特に、とても純粋で高潔で、曲がったことが大嫌いな美嘉ちゃんは。


 手応えは、二人で話す機会を得た時に大体把握することができた。

 だから、アタシは彼女を利用した。利用してしまった。


 かくして人は自己嫌悪に陥るのである。

386: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:46:53.66 ID:Ae62FiCR0
 ――まーいっか! にゃっはっはー!

 正しいかどうかはともかく、現状ではそこそこベストに近い手段ではあったはずだろうし。

 アタシはいつも通り失踪し、彼女達は面目を保ってこれからも活躍し続けられる。

 一ノ瀬志希による人の心の観察は一定の知見を得たとゆーことで、ま、そんなもんでしょ。


 問題があるとすれば、次の興味の対象を見つけないとなんだけど――。

 うーん、何かイイのないかなー?


「あのー、ちょっと、もしもしそこのおじょうチャン?」

「?」



 振り返ると、どうやらやはりアタシを呼んでいたらしい。

 ショルダーバッグと、右手には風呂敷包みを持ったそのおばあちゃんは、しかしアタシの知り合いではなかった。

387: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:50:05.76 ID:Ae62FiCR0
「ん、アタシですか?」
「そうそうあのネ。ちょっと道が分からなくテネー困ってたのヨ。息子のウチを探していテネー」

 話し方がゆっくりで、何やら不思議なイントネーションのおばあちゃんだ。

 でも、不快な不思議さではなかった。とても優しい感じの人だ。


「息子さんの家? 場所はどこ?」
「んーとどこだったかネェ。えぇと、ささ、なんとかいう、ささづ」
「笹塚?」
「あーそうそう! その笹塚ってトコに住んでるみたいデネェ、どうやって行ったらいいんダベ」

 笹塚なら、京王線の駅が近くにあるから、そこから電車に乗ればすぐだ。


 でも、アタシも正直、日本に来てからというもの、こっちの電車の乗り方を未だによく理解できていない。

 仕事上の送り迎えは基本的にプロデューサーの車だし、皆と遊ぶのもテキトーについて行くだけで、道程を意識したことなど無かった。

「タクシーに乗ってったら?」
「エェー、タクシーはネェ、せがれが東京のタクシーはボッタクリで怖ぇから乗るなってネェ。だから怖いのヨネェ」

 ――? 随分偏屈な息子さんだね。

388: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:51:56.09 ID:Ae62FiCR0
 まぁ、それならしょうがない。電車の駅まで連れてったげよう。

「アラ~、いいのカイ? ありがとうネェ、おじょうチャン。東京にも良い人いるノネェ」
「アタシもぶっちゃけ東京に来てまだ日は浅いけどねー♪」

 スマホで地図を見ながら、おばあちゃんの手を引いて歩く。

「アラ、そうなノ? どこの人?」
「アタシ? アッメェ~リカだヨー♪」
「ヒエエェェ、アメリカ? すごいワネェ、日本人にしか見えないワ~」

 小さな体で大袈裟に驚くおばあちゃんは、思っていたよりも実にユニークでプリティーだ。


「にゃははは、ウソウソ! ホントはね、岩手なんだ。生まれは。
 アメリカには留学してただけ。あ、荷物持つよ?」

 ぶっちゃけ、岩手で住んでいた時の記憶はあまり無かったけど、言った途端おばあちゃんが食いついた。

「アラ、そうだったノ~。あたしもとーほぐから来たんダァ。荷物ありがとネェ」
「へぇー」


 生返事しちゃうと、興味無いのバレちゃうかな。

 日本の都道府県なんて半分も知らないし、岩手で暮らしてた時の記憶もあまり無い。
 岩手の隣には何があっただろう。

389: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:53:55.65 ID:Ae62FiCR0
「ところで、はて、おじょうチャンは、女子高生カイ? その歳で留学だなんて偉いワネェ」

 ペースを合わせてゆっくり歩いていると、ふとおばあちゃんがアタシの服装を見て言った。

 偉い?

「あっちの大学に通ってたんだ。でもつまんなくてさ。
 何も偉い事なんて無いよ、途中ですっぽかしてきたんだから」
「アラ~、そんな事無いワヨ~。飛び級してたノネ、すごいワ。せがれにも分けてやりたいネェ」


「息子さんって、今は何をしているの? 学生?」
「ウウン、働いているって聞いたケドネェ。何をしてるのかしらネェ」

 顔をしかめながら、おばあちゃんは明るく笑ってみせる。
 年季の入った白髪と、力を込めればポキリと折れちゃいそうな小さい肩。

 でも、この人は見た目以上にエネルギーがある。

「親にまで、内緒にしなきゃいけねぇ話も無いだろうニ、本当、好き勝手やる息子で困っちゃうワ、オホホ」


「仲、悪いの?」

 そっと聞いてみると、おばあちゃんの笑い声は一層大きくなった。

「良いや悪いで決められるモノでも無いワヨネェ、家族って。どんなに悪くても、家族だものネェ」

390: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:55:22.98 ID:Ae62FiCR0
「――そっか」

 当たり前のように言われると、改めて自分は他の人と違うのかと思い知らされる。

 家族の絆さえ、アタシは育んで来られなかったことを。


「羨ましいな」

「ン?」
「その息子さん、こんな素敵なお母さんがいてさ」

 ふと、ダッドやママの事を思う。

 気づいたら大学から、しかも国を飛び越えて失踪したアタシに気づいた時、彼らはどう思っただろう。

 勝手に手続きを済ませた、編入先である東京の高校からも、一度くらい彼らに連絡は行ったはずだ。

 見つけに来てくれる事だって、やろうと思えば彼らにはできるはずなのに。

 ――――。


「はぁぁ~、何だか疲れちゃったワ~」
「えっ?」

 歩みを止め、腰をトントンと叩きながらおばあちゃんは大袈裟にため息を吐いた。やっぱり、笑顔で。

「ちょっと、そこのお店でお茶でもどうかシラ?」

391: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:57:01.91 ID:Ae62FiCR0
 おばあちゃんは、自分のコーヒーにミルクを三杯入れた。砂糖は入れなかった。

「変わった飲み方だねー」
「アナタこそ、タバスコいつも持ち歩いてるノ?」
「にゃはは、まぁねー♪」

 コーヒーフロートにマイタバスコを振るアタシを見て、おばあちゃんはまた笑う。


「おじょうチャンの名前、聞いても良いかシラ?」
「アタシ? 一ノ瀬志希っていうの」
「シキ」
「こころざしに、きぼう」

「アァ~、希望を志すで志希ちゃん。良い名前を付けたのネェ~志希ちゃんのご両親は」

 カップを両手で持ち、ニッコリと笑いながらおばあちゃんは、ミルクたっぷりのそれを美味しそうに啜って、ホッと息をついた。


「そうかな」
「えっ?」

「アタシは、自分に見合わないご大層な名前を押しつけられたとしか思ってない」

392: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 00:58:53.39 ID:Ae62FiCR0
「そう」

 おばあちゃんは、否定も肯定もしなかった。黙って、アタシの次の言葉を待っているようだった。

「アタシは――」

 別に、さっき会ったばかりの他人に、こんな話をしてもしょうがないのに。


「親が嫌い――ううん、たぶん皆には、アタシの事なんてほっといて欲しいんだと思う。
 希望は十分志した。もうたくさんなのに、ダッドをはじめ、周りはアタシが立ち止まるのを許さなかった。それで」

「家出しちゃったのネェ」


「海の向こうのキャンパスライフはラクだったよ。安上がりの論文さえ書いてればイイ子でいられた。
 権威と呼ばれる知らないおじさん達と「ないすとぅーみーちゅー、みすたー♪」なんて握手してればさ」

「お友達はできた?」

「ううん」

「そう」

393: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:01:17.19 ID:Ae62FiCR0
 頬杖をつき、窓の外を眺める。

 アタシと同い年くらいの女の子三人グループが、キャッキャと笑いおどけながら歩道を歩いて行くのが見える。

「ラクだけど、つまんなかった。
 それは、学校の講義だけじゃなくて、やっぱりそういう、友達? が欲しかったのかな。
 こっちに来て、ようやくそれを得たと思ったんだけど――」

「だけど?」


 奏ちゃん、周子ちゃん、フレちゃん――怒りに震えた美嘉ちゃんの顔が浮かぶ。

「結局、アタシはそれを手放したんだ。友達に、なれそうだったのに、その子達を――」

「喧嘩しちゃったノ?」

「アタシが、一方的に酷い事を言っちゃったの。そうした方が良かった。
 元々、煙たがられるのは慣れてるしさ」

「ただ――美嘉ちゃんに、謝れなかったのが残念、かな」


「お友達なのネェ」

「お友達に、なりそびれちゃった子、だね」

「いいえ、お友達ヨ」

「えっ?」

394: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:03:54.77 ID:Ae62FiCR0
 外に向けていた顔をふと正面に直すと、そこにはやっぱり笑顔があった。
 何でこんな――。

「何があったかは知らないケレド、そのミカちゃんって子と志希ちゃんはお友達だと思うワ」

 ――こういうの、ホントは言いたくないけど。

「勝手なこと、言わないでくれるかな。
 アタシがどれだけ美嘉ちゃんに酷い事を言っちゃったのか、まるで知らないクセにさ」
「謝りたいんデショ?」
「もう謝れない」

「後悔する心さえあれば、十分ヨ」

「――えっ」


 おばあちゃんは、カップを置き、テーブルの上で手を組んだ。

「仲直り、したいんでショウ?
 そうでなきゃ、酷い事を言っちゃった、なんてこと言えるはず無いワ」


「――もう、仲直りできないから、言ってるんだよ。後悔は、取り返せないから後悔なんだし」

395: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:06:20.68 ID:Ae62FiCR0
 美嘉ちゃん――きっとまだ、怒ってるんだろうな。
 ストイックに仕事と向き合ってきた彼女にとって、アタシの言動は許されざるものだったはずだ。


 ダメだよ。

 取り返しがつかない方が良いんだ。それが一番上手く収まるのだから。後悔は正しい。

 でも――何でアタシが、後悔しなきゃいけないんだろう? それは――。

「アタシは、皆の事が、き――嫌いだからさ」
「うん」

「皆だってさ、ほら! 皆も、アタシの事、嫌ってるだろうし、だから――」


「どうしたいかだけでもいいノヨ?」

「どう、したい――?」


 ウンウン、と、おばあちゃんは優しく頷いた。

「人生はネ。本当に良い事も、嫌な事も、いっぱい色んな事があるノヨネ。
 でも、長い目で振り返ると、結局は人生、思うようにしかならないものナノヨ」

396: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:08:25.62 ID:Ae62FiCR0
「何でも思いようになるなら、アタシ、こんな嫌な思いしてるはずないと思うよ?」

「自分の気持ちに正直に生きる、という事ヨ」

 おばあちゃんは、組んでいた手を解き、それを私に差し出した。

「――手?」
「ウン」

 アタシが差し出してみた手を、おばあちゃんは両手で握る。

 かさついた彼女の手は、飲み終わってすっかり冷めていたはずのカップをさっき握っていたにも関わらず、ぬくぬくと温かい。


「やりたい事を、やりたいようにやりなサイ。人間はネ、図々しく生きたもんの勝ちナノヨ」

「やりたい事――」

「えぇ、そう。仲直り。
 失敗してもいいじゃナイ。やりたい事をやれたなら、結果なんてオマケデショ」


 オマケ、という語感が自分で楽しかったのか、おばあちゃんはしきりにオマケ、オマケと古い玩具のように繰り返して笑い、

「――アラ、外が暗くなってきたワネェ、出まショ」

 と手を合わせて席を立った。

397: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:09:39.66 ID:Ae62FiCR0
「雨が降るね」

 外に出ると、空気が湿っている。風が運んでくるそれは、嵐の匂いだ。

「天気予報?」
「ううん、匂いで分かるの」
「アラ、志希ちゃんは本当にすごいワネェ」

 そう言って笑った後、おばあちゃんは、「ここでいいワ」と言った。

「えっ、いいの? 駅までまだあるけど」
「えぇ。志希ちゃん、これからやることあるでショウ」

「やること――」


 アタシが、やりたいこと――?

「えぇ、やりたいことヨ」


「おばあちゃんさ」
「ん?」

398: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:12:18.84 ID:Ae62FiCR0
「図々しく生きたモン勝ちだ、なんてさっき言ってたけど――アタシ以上に図々しい子なんて、いないよ」

 おばあちゃんの半歩先を歩く。向こうに見える大通りは今日も、どこへ向かうというのか、人も車も慌ただしい。


 いつだって、周りに迷惑ばかりかけてきた。

 あっちのラボではメンバーの意見に耳を傾けたことなんて無かったし、こっちの高校でも授業はサボってばかり。

 それでも結果さえ残せば、とりあえずはアタシも彼らも、問題は無かった。

 それは、アイドルやってる時だって一緒。

 レッスンをサボったり、お仕事に遅れたり、イベントの当日には台本に無いことをやらかしてばかりだった。


 小さい頃、ダッドの期待に応えようと、良い子になって頑張ってた反動もあったのかも知れない。

 ――なんて、ダッドのせいにする必要なんて無い。アタシがそうしてきた。

 そう、全ては結果を残したモン勝ち。売れたモン勝ちだ。

「周りを省みる必要も、余裕も無かったもん。だから、アタシは勝ててきた」


 振り返り、いつもの志希ちゃんスマイルで――たぶんアイドルとしては最後になるであろう――にゃはっ♪ と彼女に笑いかけた。

「今回も、長い目で見れば勝ちだよ♪」

399: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:14:51.83 ID:Ae62FiCR0
「志希ちゃんは、優しい子ネェ」

 せっかく笑ってみせたのに、おばあちゃんの笑顔は先ほどとそんなに変わらない。
「優しい?」

「本当に図々しい人は、自分の事を図々しいナンテ、言わないワヨ」

「――そうかな」


「友達になれたんだモノ。
 一度くらい喧嘩したッテ、仲悪いままでいたくないッテ、ミカちゃんも思ってるワヨ、きっと」

「美嘉ちゃんも――?」


「たとえ、そうじゃなくタッテ、志希ちゃんがそうしたいなら、そうすれば良いノヨ。
 本当に図々しいのは、そういうコトヨ」


 おばあちゃんは、風呂敷の中をゴソゴソと漁り、中から一つのミカンを取り出した。

「はい、ウチのミカン。ちょっと若いけレド、今日親切にしてくれたお礼」

 おばあちゃんは歩み寄り、あたしの手にそれを握らせて、ニコッと笑った。

「ありがとうネ、志希ちゃん。頑張ってネ」

400: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:17:33.31 ID:Ae62FiCR0
「おばあちゃん――」

 大通りに向かって、おばあちゃんは歩き出す。

「やっぱり、タクシーに乗るワ。膝が痛くテネェ、ボッタクリでもいいカラ、ラクしたいノヨネェ、オホホ」


「アタシ、捕まえて来るよ」

 おばあちゃんを追い越し、大通りに出ると、歩道から身を乗り出し、精一杯大きい声でそれを呼んだ。

 ちょうど良いタイミングで止まってくれる辺り、さすが東京だ。


「来たよ、おばあちゃん」
「ありがとうネェ、何から何まで」
「いいの、これくらい」

 その小さい体を後部座席にゆっくり乗り入れると、おばあちゃんはアタシに手を振った。


「志希ちゃんは、もっと図々しく生きていいノヨ。それジャアネ」

 アタシも、返事をする代わりに、手を振った。

 ドアが閉まり、タクシーが走り去った後、駅へは逆方向の車線だったことに気づき、舌打ちした。


「図々しく、か――」

401: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:18:17.09 ID:Ae62FiCR0
 おばあちゃんを見送ってから、アタシは当初の目的地へ再度歩き出す。

 彼らに一部始終を伝えれば、悪い人達は世間の目によって裁かれ、LIPPSは救われる。

 多少は346プロも揺れるだろうけど、マスメディアにも強いパイプを持つ事務所の力を考えれば、さしたる問題は無い。


 これでいい。いいはずなんだ。

 だけど――。


 それは、アタシにとっての“勝ち”なのだろうか?

402: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:22:26.99 ID:Ae62FiCR0
 ――たとえそれが、勝ちで無かったとしよう。

 では、アタシが勝つことに、何の意味があるのか?


 人智の及ばない、為す術が無い事象にレッテルを貼ることが、古来より人は大好きだ。

 そうやって考えを放棄し、恐怖から目を背け、逆に崇めることで秩序を形成させた文化だってある。

 これまでのアタシには理解できなかったけれど、今なら少し、分かる気がする。


 程度は異なるけれど、今回のだって――少なくとも今のアタシには、どうしようも無い混沌だった。

 だから、アタシなりの解をもって、この混沌に秩序を与える。

 現実を覆い隠すための、まさしくアタシは虚像だ。

 皆には、それを知ってほしくない。

 始末に負えない一ノ瀬志希という問題児が、笑えない問題を招いてクビになったのだ。

 そう思ってもらえたらどんなに楽だろう。

403: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 01:25:29.23 ID:Ae62FiCR0
 やっぱり、おばあちゃん――それが、アタシにとっての勝ちなんだよ。

「ごめんね」

 何を謝る必要があるの?

 おばあちゃんだって、きっと分かって――いや、たとえ分かってくれなくたって――。


 ふと、手に持ったミカンを見つめる。

 特に、好きでも嫌いでも無いそれは、普段そう気に留める存在でも無いはずのものだ。



 駅が見えてきた。

 目的地は、ここからそう遠くはない。乗り換えも1回くらいで済むはずだ。


 よし――と、改めて覚悟を入れ直した時だった。



 後ろから、呼び止められた。

 迂闊だった。



 でも、それはたぶん、アタシにとっては予想外ではなくて――期待していたんだろうと思う。

 その人から呼び止められることを。

408: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:15:55.52 ID:Ae62FiCR0
【8】

 (■)

「――何か、用でしょうか」

 呼び止められたその人は、ウェーブがかった黒髪を揺らしながら振り返った。

 訝しがる訳でも、プロデューサーのトゲのある声に対して怒る訳でも無い。
 ただ無表情なのは、そう努めているに過ぎないことが、私から見てもよく分かった。


「――俺が聞きたいこと、何だか分かるよな」

 プロデューサーは、厳しい表情をさらに険しくさせている。
 感情を抑えきれていない。

「僕に、ですか」
「そうだ。言いたいことだってたくさんある」

 彼は鼻を鳴らした。ため息だった。無表情は変わらない。

 いや――少し、寂しそう?


「奇遇ですね。僕もあなたに言いたいことがあるんです」

409: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:17:31.53 ID:Ae62FiCR0
「俺に?」
「えぇ。立ち話もなんですし、場所を変えましょう」

 そういうと、彼はタクシー乗り場へと向かった。

「一度、事務所に戻りましょうか。その方がたぶん、話が捗るかと」


 言われるがまま、私達は先ほど来た道を引き返すように、タクシーで移動した。

 私とプロデューサーは後部座席に。
 チーフは、助手席に座る。


 事務所に着くまでの間、車内は終始無言だった。

 プロデューサーは、腕を組んでジッと窓の外を睨んでいる。
 ピリピリした雰囲気を醸し出している彼は、ボンヤリしている普段のそれとは明らかに異質だ。

 チーフは、どんな心境なのか――ここからでは表情も読み取れない。
 シートにもたれ、ただまっすぐ進行方向に顔を向けたまま、微動だにしない。


 何か、二人の間にあったのかしら。

410: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:20:26.52 ID:Ae62FiCR0
「ふぅ。さて――」

 事務所に着く頃には、車軸を流すような大雨になっていた。

 本棟1階のラウンジに3人席を見つけ、そこに腰を下ろしたところで、ようやくチーフは一声を発した。

「何からお話しましょう。いや――そもそも僕に用があったのは、あなた方でしたね」


「まず、単刀直入に聞くが、一ノ瀬さんと何があった? というより」

 運ばれてきたコーヒーに手もつけず、プロデューサーは身を乗り出した。
「一体何をした。何を彼女に吹き込んだ」


「吹き込んだというのは、誤解です」
「誤解?」

 ゆっくりと、コーヒーを一口啜ってから、チーフはかぶりを振った。

「志希ちゃんと僕はお互いに利害が一致していた。協力関係を結んでいただけです。
 人の心を理解すべく、たまたまアイドルの世界を覗いてみたいという彼女に、その機会を提供する代わりに協力を仰いだんです」

 そう言って、彼は私の方をチラッと見た。
「奏ちゃんにも、聞かせて良い内容なのかどうか、ちょっと僕には自信が無いんですが」

411: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:23:42.36 ID:Ae62FiCR0
「いいえ、最後まで聞かせてもらうわ」
 ここまで来て、事の顛末を私だけ知り得ないなんて許されない。
 何より、私の仲間――LIPPSのメンバーに関することなら、なおさら聞かせてもらう他は無いもの。

「あなたは、それで良いんですか?」
 彼がプロデューサーに尋ねる。

 プロデューサーは、ようやくコーヒーにミルクを入れながら、答えた。
「彼女に聞かせられないような内容なら、そもそもこんな人目に付く所で話さなきゃいい」

「分かりました」


 チーフは、一つ息を吐いて、少し俯いたまま語り出した。

「個人的に、僕がすごく嫌だなと思っていたのは、いわゆる業界の裏側でした。
 アイドル業界なんて、結局は予定調和ばかりで、お偉方のお気に入りがいれば、その子ばかりが重用されていく。
 もちろん、そういう側面が全てとは言いませんが、その余波でチャンスを得られずに涙を呑む子達があまりに多いんです」

「あんたが以前担当していた城ヶ崎さんは、そうではなかったはずだが」
 プロデューサーが質すと、彼も首肯した。

「もちろんです。美嘉ちゃんは僕が手塩にかけて育てた子ですが、それ以上に彼女には才能も、向上心もあった。
 一方で、美嘉ちゃんはそれこそ、事務所の都合でキャラ付けされ、ゴリ押しで売り出されたようなものでした。
 それでも、彼女は全てを理解して、腐らず、弱音も吐かず、一途にコツコツと実力と実績を積んで来たんです」

412: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:26:43.46 ID:Ae62FiCR0
「美嘉が――」
 私は、一瞬言葉を失った。
 あの子がゴリ押しで、というのも含め、そのような泥臭い時期もあったのかと、今更思い知らされた。

「ゴリ押しされずとも美嘉ちゃんは十分評価されるはずなのに、不自然な売り出し方になったのが僕には悔しくてならない。
 何より、彼女のプロデュースに事務所の力が不当に働いたということは、一方で、誰か犠牲になった子がいたはずでした」

 美嘉が売り出された一方で、表舞台に立てなかった子がいるという事かしら?
 一体、誰が――。


「島村さんかな」

 プロデューサーの一言に、私はハッとした。えっ――!?
「経歴的に考えると、だが」


「そうです」
 チーフは頷き、テーブルの上で手を組んだ。

「実は本来、卯月ちゃんは僕が担当するはずでした。
 資料を見ると、随分長い間候補生のままで、そろそろ担当が付いても良い頃合いでしたが」

「城ヶ崎さんの担当になるよう言われたからか」

 小さく頷きながら、プロデューサーはため息を一つ吐く。
「それだけあんたは上から認められていたってことだ」
「からかわないでください」

413: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:29:37.03 ID:Ae62FiCR0
「彼女達は知っています。自分が大人達の勝手な都合に振り回されていることを。
 僕達プロデューサーが考えている以上に、彼女達は賢く鋭い。
 本当は、僕達に不満の一つでもぶつけてもらえたらどんなに楽だろう」

 気づくと、彼はテーブルの上に置いた拳を握っている。

「美嘉ちゃんも卯月ちゃんも、不満は言いませんでした。しょうがない事だと、笑って僕を励ましてくれさえしました。
 でも、その健気に微笑む彼女達を見て、僕がどれだけ自分を惨めに思ったか。
“売る子と売らない子”の二極化を意図的に作り上げた上層部を、どれだけ許せなくなっていったことか」


「話を急くようで悪いが、俺はあんたの愚痴を聞きに来たんじゃない」
 小さくかぶりを振り、プロデューサーはコーヒーを一口啜った。

「俺の質問に答えてくれ。あんたは一ノ瀬さんに何をした」


「簡単に言うと、高垣楓を潰すのに一役買ってくれと、そう持ちかけました」


 ボソッと零したチーフの一言に、私だけでなく、プロデューサーも固まる。

「当初は、ですけどね」

414: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:32:33.90 ID:Ae62FiCR0
「どういう意味だ」

「ご存じの通り、この事務所は今や高垣楓に頼りきっている。
 彼女の起用を前提としたプロジェクトが未だにいくつもあるんです。
 それを絵に描いた餅で終わらせてしまったら、多方面の業界で信用が落ちるどころか、下手すりゃ廃業する末端企業まである」

 馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに、彼は鼻で笑った。
「泳がせ続けないと死んでしまうんです。346だけでなく、業界そのものが」

 ――何だか大きな話になって、据わりが悪くなってきたわね。
 本当に私が聞いて良かった話なのか、確かにチーフが気にした理由も分かる。

「業界そのものが死ぬってのは言い過ぎじゃないか?」
「それくらい馬鹿げた実態があるという事です。先ほど僕が言った二極化の最たる例ですね」


「ヤバい事になると知りながら、高垣楓を潰すというのは、矛盾を感じるが――それは置いといて、どう潰そうと?」

 プロデューサーに問われ、彼は改めて背を伸ばした。

「サマーフェスで、彼女に勝たせようとしました」
「LIPPSに?」
「いえ、高垣楓に、です」

「――持ち上げて落とす、ということか」
「そうです。フェスに勝った彼女の周りには、きな臭い蠅共がウジャウジャ沸いて出ますから」

 だんだん、言葉遣いも刺々しくなってきたかしら。

415: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:37:48.09 ID:Ae62FiCR0
「その黒々しい“意見交換会”の現場を内部告発して、業界の裏側を暴くということか」
「えぇ」

 ただ――チーフに協力を依頼された志希は、サマーフェスで何をしようとしていたの?

 あの時は、志希がおふざけでメンバーに提案した、アカペラ用にアレンジした振付で、私達は勝てたようなものだった。


「音源を蹴飛ばす役は、卯月ちゃんが買って出てくれました。
 心根の優しい彼女に本当に出来るのか心配でしたが、上手くやってくれました。けれどね」

 そう――卯月のアレは、ワザとだったのね。この人に仕組まれて。

「あのステージは想定外でした。志希ちゃんの、いえ、LIPPSのあのパフォーマンスは、僕の予定に無かった。
 結果として、僕らの計画は大幅に軌道修正しなくてはならなくなりましたが」


 音源が飛んだことも含め、当日フェスの裏側で起きたことが、もし予め彼の計画にあって、それを志希も承知していたのなら――。

 志希は私達を負けさせるどころか、敢えて勝たせようとしたことになる。
 彼の計画への、反抗としか思えない。


「誓って言いますが、僕はLIPPSもニュージェネも悪いようにする気はありませんでした。
 志希ちゃんには、悲劇のヒロインを演じてもらいたかったんです。
 ステージの上で本気で戸惑い、泣き出す姿などを見せれば、同情するファンもいるでしょう」

416: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:42:06.87 ID:Ae62FiCR0
「真正面から高垣楓と戦って負けたのではなく、不慮の事故のために負けた――ということにしたかったのか」

 プロデューサーは、なぜかフフッと笑った。

「言い訳や予防線は、使い所さえ間違えなければ、その身を守る盾になります。
 あなたも良くご存じのはずでは?」

 彼にそう聞かれたプロデューサーは、どことなく不適な笑みを浮かべているように見える。


「でも」

 二人が私に顔を向ける。気づくと、私は控えめに右手を挙げていた。
「どうぞ、奏ちゃん」

「楓さんを持ち上げて潰すことが、どうして美嘉や卯月のためになるの?」
「だよなぁ」
 プロデューサーも腕を組みながら頷いている。

「楓さんだけじゃない。346プロが後ろ暗いことをしていると知られたら、所属するアイドル皆が後ろ指をさされるわ。
 当然、プロデューサーや社員さん達だってそうでしょう?」



「実は、新しい事務所を立ち上げようという話がありましてね」

 チーフは握り拳を解き、両手をテーブルの上で組みながら、プロデューサーと私の顔を交互に見た。

「賛同するアイドルや社員達は、皆その事務所に移籍するよう手配するつもりなんですよ」

417: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:47:23.35 ID:Ae62FiCR0
「――クーデターってことか?」
 腕を組みながらプロデューサーが問うと、彼は手を振った。

「いや、そんな大それたものでは。
 ただ、一方的にゼロクリアだけして、影響のある人達に何もフォローしないというのは筋が違いますからね。
 もちろん、LIPPSやニュージェネの子達も、新しい事務所へ匿うつもりでした」


 ――彼は、気づいていないのかしら?

 346プロを糾弾し存在を揺るがせた上で、一部の人間を誘って新しく事務所を立ち上げる。

「むしろLIPPSは、新事務所での旗印を担ってもらおうと思っていたんです。
 だから、僕も有望な人材のスカウトに走った――そうして出会ったのが、フレデリカちゃんと志希ちゃんです。
 志希ちゃんには、あなたと偶然を装い出会うように仕向けたものでした」

 それは、彼が先ほど自分で憎いと言っていた、一部の勝手な都合で多くの人を振り回すこと、まさにそのものだということを。


「新しい会社が第二の346プロになる可能性は?」

 知らずテーブルの下で拳を握っていた私が声を荒げるより先に、プロデューサーが腕を組みながら彼に問い質した。

「業界の不正を暴くとかもっともらしく言っているが、俺にはそれを建前に346を潰して、自分達が取って代わろうとしているようにしか見えないがな」

418: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 21:52:06.40 ID:Ae62FiCR0
「ぼ、僕は――」

 チーフは、今日初めて動揺した。

「僕は、美嘉ちゃんや卯月ちゃんに、償いをしたかったんです。
 新しく整えた環境で、もう一度しっかりとプロデュースしてあげたかった」

「本末転倒だよ。大体、新しい事務所に転身したとしても、経歴を調べれば“後ろ暗い346プロ”にいたのは誰にだって分かる」
「それがあるから早期に立ち上げて移籍させて、実績を積ませる必要があったんです!」

 訴えるような目で、彼はプロデューサーの顔を食い入るように見つめる。

「甘い汁を吸いたいとか、そんなつもりは無いんです決して。
 僕は、努力するアイドル達が真っ当に評価される環境を作りたかったんです。それがプロデューサーの本分でしょう?」


 ――改めて、目を見ると何となく分かる。
 どうやら彼は、本当に美嘉や卯月が――アイドルが好きなのだ。


「プロデューサーの本分は、どんな環境にあってもアイドルを真っ当に育てることじゃないか?
 環境を作り変えるのはお偉方の仕事であって、俺達下っ端は環境に応じた仕事をするだけだと俺は思っている」

 一口啜ってカップを置き、プロデューサーは彼の目を見てニヤリと笑った。


「結局、あんたも担当に惚れ込んじゃったってことか。なぁ、アリさん?」

419: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:02:08.56 ID:Ae62FiCR0
「惚れますよ、そりゃ」
 アリさんと呼ばれた彼は、恥じることも、悪びれる様子も見せず、毅然とプロデューサーを見返している。

「彼女達のためになるなら、どんなことだってしたいんです。
 身を取り巻く環境を変える努力をしないのは、怠慢ですよ」

「耳が痛いね」
 表情を崩さず、プロデューサーは冷め切ったコーヒーをもう一度手に取ろうとして、止まった。


「さっき、LIPPSやニュージェネを匿うつもり“だった”と言ったな。今は違うのか?」



 ――急にチーフが口ごもる。



「おい、アリさん」


「LIPPSは、売れすぎてしまったんです」

420: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:04:15.29 ID:Ae62FiCR0
「売れすぎた?」

 それの何がいけないというの? 私は、彼の次の言葉を待った。

「現時点で言えば、LIPPSは高垣楓を脅かすほどに、急激に成長を遂げてきています。
 メインステージに立っている者を潰すことが、僕らの計画でした。
 そして、世間の関心事は変わりつつある」


「まさか――高垣楓ではなく、LIPPSを潰すつもりか。346の不正の象徴として?」


「――――」

 チーフは、無念そうに俯き、肩を震わせている。
 たぶん、演技ではない。美嘉を擁するLIPPSが標的になるのは、彼にとって決して本意ではないのだ。


「どういう不正をしたとして、おたくらはLIPPSを潰そうと?」

 プロデューサーは、平静を装っているが、内心は決して穏やかでは無いはずだ。
 私だって、誰かに後ろ指を指されるようなことをしたつもりなんて無い。

 彼は、重い口を開いた。



「淫行をした、ということに――僕と、美嘉ちゃんとで」

421: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:17:11.71 ID:Ae62FiCR0
「何だと――!」
「僕だって嫌なんですよこんなの! でも、一番信憑性があると、上が一方的に決めたんです。
 それだけは勘弁して欲しいとお願いしたのですが、聞いてもらえなくて――!」

 テーブルの端を両手で掴み、体を前に乗り出させ、彼は泣きそうな顔で懇願する。

「あの日美嘉ちゃんに会ったのも、真実を告げて、一刻も早くLIPPSを抜けさせなくてはという思いからでした。
 でも、あんな真剣に考えている彼女を目の当りにしたら、LIPPSとしての美嘉ちゃんを、僕自身諦めきれなくて――。
 だから、あなたに相談したかったんです」
「自分で撒いた種だろうが」

「今回立ち上げる新事務所の代表は、奥多摩支社の支社長です」

 そう彼が言った瞬間、プロデューサーが固まった。

「この計画の首謀者は、あなたのかつての上司です。
 親交のあったあなたからも、どうか彼を説得してほしいんです」


 プロデューサーは、固まったまま動かない。
 この人の経歴は未だによく知らないけれど、相当な動揺を受けている様子から、たぶんその上司を信頼していたのだと思う。

「――なぜ、あの人が」
 やっと絞り出されたその声は、先ほど怒気に満ちた同じ人のそれとは思えなかった。

「ご存じの通り、ウチのかつての事業部長ですし、業界のコネも相当ありますからね。
 パイプを繋ぎ直して鞍替えすることができるのは、彼くらいしか出来ません」

「誰が吹き込んだんだ。俺には、あの人が自分からそんなことをするとは思えない」

「いえ、彼は乗り気でした。もっとも、その話を持ちかけたのは187プロですけどね」

422: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:20:04.58 ID:Ae62FiCR0
「馬鹿な」
 プロデューサーはテーブルをドンッと叩いた。驚いた同じフロアの何人かがこちらを見る。
「それは346の転覆を謀る187プロの計略だ。まんまと乗せられているんだ」

「もしそうであるなら、それをそのまま彼に説得してほしいんです。どうかお願いします」

 彼が頭を下げるより先に、プロデューサーは席を立った。

「支社長の予定は分かるのか?」
「今日、本社に来ているはずです。役員会議がありますから」
「事務所棟の上の方の会議室のどれかだな」

 足早にそこへ向かおうとするプロデューサーを、私は呼び止めた。


「――速水さんは、事務室で待っていてくれるかな。雨が止んだら、帰っても構わないから」


 精一杯、私に優しく声を掛けるプロデューサーの態度が、無性に腹立たしい。

「ここまで来て、仲間外れにするつもりなの? 私はLIPPSのリーダーなのよ」

423: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:25:21.46 ID:Ae62FiCR0
「――すまない」


「お、アリさん達じゃないスか」

 声がした方を振り向くと、男の人が二人、並んで立っている。

 この人達は、プロデューサーの同僚の人達だったわね。
 大きくて柄の悪い方がヤァさんで、小さくて貧乏くじ引いてそうな人がチビさん。


「何か、あったんですか?」

 私達のただならぬ雰囲気を察してか、チビさんが心配そうに言葉を重ねた。
 プロデューサーが控えめに手を振る。

「あぁ、いや――何でもないよ」
「いやいや絶対何でもなくは無いでしょ。どっか人殺しに行きそうな顔ッスよ」
「そういう顔見たことあるんですか、ヤァさん」
「うっせェなチビ太」


「まぁアレですよ、その――ほら、業務改善。最近、よく言われてるでしょう?
 ちょっと、こういう仕事の仕方はいかがでしょうか、って、お偉いさんに直談判してみましょうかって」

 見かねたアリさん――チーフが、はぐらかそうとフォローを入れる。
 しかし、それを聞いたヤァさんは、俄然鼻息が荒くなりだした。

424: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:27:32.44 ID:Ae62FiCR0
「おっ? マジッスかイイッスねー! オレもクソ上司に言いたい事山ほどあるんスよ!」

「いや、本当大丈夫だって。俺とチーフだけで話に行きたいんだ」
「何だよツレねェじゃないッスか! イイッスよ行きましょ、場所どこ? あっち?」
「いや、ヤァさん、あの、ヤァさんが行くとまとまる話もまとまら――」
「うるっせぇんだよチビ太黙ってろテメェは」
「な、何で俺だけ」


「おっ、誰かと思えば奏ちゃんじゃねェか。相変わらず◯◯ェ~なオイ」

 ふと私の存在に気づいたヤァさんが、私の頭をガシガシと乱暴に撫でた。

 プロデューサーよりも遙かに、私に対する距離感が近い。
 何がおかしいのか豪快に笑っている。セクハラで訴えても勝てると思うのだけど。

「ごめんね奏ちゃん。この人、悪気は無いはずだから、気を悪くしないであげてね」
「えぇ、あの、大丈夫です」

 チビさんがそっとフォローを入れてくれる間に、気づくとプロデューサーはスタスタとその場を離れていた。

 アリさんが黙ってそれに続き、「あ、おいっ!」とヤァさんと、チビさんもそれを追いかける。

 もちろん、私もだ。

425: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:29:56.64 ID:Ae62FiCR0
 本当の事情は何なのか、とチビさんに聞かれたので、エレベーターの中で私は説明した。

 プロデューサーとアリさんが一瞬、私に振り向いたけれど、諦めたように視線を直す。
 どのみち、こうなってしまったら隠す方がナンセンスだもの。

 さっきまでおちゃらけていたヤァさんまでも、急に押し黙り、顔を強張らせた。



 エレベーターが到着すると、開いた先に、男の人が一人立っていた。

「おや」

 入れ違い様、その人はプロデューサーの姿を認めるとニヤリと笑った。


 濃い紫の、ダブルのスーツ。
 黄土色の革靴。
 オールバックにさせた髪は薄めで、細いフレームの眼鏡と、細い顎。


「――――」

 プロデューサーの表情を見て、直感した。

 この人が――187プロの人ね。

426: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:31:27.81 ID:Ae62FiCR0
「お久しぶりです。どうも、以前どこかでお会いしましたよね?」

 並びの悪い歯をニカッと見せて握手を求めてきた。
 そんな彼を、プロデューサーは露骨に無視して足早に去る。

「あれ、ちょっとぉ? ツレねぇなぁ?」


 後ろから声がするけれど、肩を揺らして歩くプロデューサーは止まらない。
 背中越しに、明らかにそれと分かる怒気が伝わってくる。

 ただならぬ敵意を醸し出す彼に、私をはじめ、他の皆も気安く声を掛けられずにいた。

 その勢いのまま乱暴に、目に付いた会議室を手当たり次第に、プロデューサーはノックし扉を開けていく。


 もう少し丁寧に、とチビさんが進言しようとした所で、ちょうど目的の人物がいる部屋を見つけた。



「? おぉ、誰かと思えば。元気でやっているかね?」

427: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:32:41.36 ID:Ae62FiCR0
 恰幅の良い、白髪のオールバックで、やや小麦色の肌をした茶色いスーツの老人は、プロデューサーに気づくとにこやかに手を挙げた。

「ご無沙汰しております」
「ハハハ、この間ウチに来てくれたばかりじゃないか」

 丁寧に頭を下げるプロデューサーに対し、彼は穏やかな笑みを返す。
 随分と、雰囲気の良い人。

 この人が、さっきアリさんが言っていた、LIPPS潰しの首謀者――?


「ん――?」



 そのアリさんの姿を認め、少し体が止まる。

 やがて、もう一度にこやかに、しかしどこか納得したように笑った。


「フフ、なるほどな」

428: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:34:34.26 ID:Ae62FiCR0
「支社長、折り入ってお願いがあります」

 神妙な面持ちで切り出したアリさんの次の言葉を待たずに、支社長は鋭く言い放った。
「どこまで話した?」

「――大体の事は」
「そうか」

 頷いて、彼は私達の顔を代わる代わる見つめる。


「まるで、私を悪者か何かに見るような目だねぇ」


「悪者じゃなけりゃなん――」
「ヤァさん、マジで黙った方がいいですたぶん」

 喧嘩腰のヤァさんを、チビさんが本気で制した。

429: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:39:43.00 ID:Ae62FiCR0
「念のため聞くが、私にお願いしたい事とは?」

 ポケットに手を突っ込み、机におざなりに腰掛けながら、支社長はアリさんの顔を覗き込むように見た。

「先日、申し上げた事です。LIPPSを陥れる事を、どうか考え直していただけないでしょうか」


「腐った環境を変えたいと言ったのは、キミではなかったかね?」

 深々と頭を下げるアリさんを一笑に付す。
「それとも、自分が割を食うのは嫌だから降りるか?」

「私は、アイドル達のためを思って」
「高垣楓が標的だった時には日和らなかった癖に、良く言う。それとも、彼女はアイドルではないと?」
「で、ですから、彼女も何らかの形で救えればと」
「ハッハッハッハ!」

 豪快に高笑いをする支社長に、アリさんの表情が凍るのが見て取れた。


「子供かねキミは。
 信用を売り物にするこの業界で、一度ミソが付いたアイドルを再利用する手段がどこにあるというのだ」

430: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:42:41.35 ID:Ae62FiCR0
「し、支社長は、アイドルのためを思っていたのでは――」
「思っているさ。大事なビジネスの種になるのならな」

 鼻を鳴らし、足を組み替えながら支社長は続ける。

「業界を刷新するという発想は、実に興味深い。
 何事にも旬はある。かの高垣楓にしたって同じ事だ。これ以上マンネリ化が進めば、我が社の自浄作用も失われる。
 新しい事務所を立ち上げ、346に代わる存在として台頭する事は、引いては古くなった業界の血を改める事にもなるだろう」


「そのためにヒドい目に遭う子達が出てくんのはいいンスか?」

 たまらずヤァさんが身を乗り出した。今にも殴りかかりそうだ。

「もちろん、彼女達には悪い事だとは思っている――あぁ、そこのキミもLIPPSだったか」

 ハハハ、と私を見て彼は笑った。一切の熱も湿り気も感じられない笑いだった。


「だが困った事に、我が社は大きな会社でね。無策のまま対抗馬となるだけでは、巨象に挑む蟻にすらなれんだろう。
 攻略するには、その足元を揺るがす爆弾が必要だ。信用を失墜させる、スキャンダルという名の爆弾がね」

431: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:45:36.00 ID:Ae62FiCR0
「LIPPSの子達はどうなるんですか?」

 アリさんが食い下がる。

「当初の計画では、高垣楓の周りの大人達が良からぬ企みをしていた、というものでした。
 つまり、彼女自身に非は無い。振り回された側の人間として、同情を得られる可能性もあったでしょう。
 ですが、今回の計画は、LIPPS自体が悪者になってしまいます。印象があまりにも悪すぎます!」

「じゃあ無理矢理キミが強姦した事にでもすれば良い」

「なっ――」
「そうすれば、城ヶ崎美嘉はめでたく被害者だ」


「は、速水さん、待って落ち着いて!」

 コレが落ち着いて聞いていられるとでも思うの!?
 どこまでアイドルを、いいえ、女をバカにすれば気が済むのか――!!


 チビさんが私を引き留めるその横を、鬼の形相をしたヤァさんがヌッと歩み出る。

 しまった、とチビさんが小さく呻いたけれど、もう遅いわね。



「支社長」

432: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:48:34.22 ID:Ae62FiCR0
 やや後ろから聞こえた声に、皆が振り返る。

 いつの間にか、プロデューサーは私達の後方に立っていた。
 というより、私達が彼を置いて、知らず身を乗り出していた、と言う方が正しいのでしょうね。

「何かね?」


「それ、私がやったって事に、なりませんか?」


「は?」

 皆の顔が点になる。
 一方でプロデューサーは、真顔で支社長の顔を真っ直ぐ見つめていた。

「いや、強姦とかそういうのではなくて、何かしら――例えば賄賂とか、私が勝手に不正をした事にして。
 ほら、一応彼女達の担当プロデューサーですし、それなりに話題性もあるでしょう」


「なかなか面白い意見だね。LIPPSの皆にも、火の粉は直接降りかからないし、と?」
「私も会社辞められますし」

433: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 22:51:05.46 ID:Ae62FiCR0
「や、辞められるって――!」

 アリさんがプロデューサーの前に歩み出た。
「ちょっと待ってください。それはあまりに無責任じゃ――」

「引継書はちゃんと作るから、LIPPSはあんたが引き継いでくれ。新しい事務所でも、どこでもいいから。
 城ヶ崎さんのプロデュースもできるし、Win-Winでしょ」

 オイオイオイ、とヤァさんも穏やかならない表情で彼の肩を掴む。
 チビさんは、私とプロデューサーの顔を交互に見て明らかに困惑していた。

 あの口ぶりから察するに、どうやら前々から辞めたかったようね。


 辞める――あの人が、私達のプロデュースを?


「魅力的な提案だが、それには及ばんよ」

 えっ、とプロデューサーが小さく声を漏らした。
 支社長は机から腰を上げ、ニヤリと下品な笑みを浮かべている。

434: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:00:34.63 ID:Ae62FiCR0
「一ノ瀬志希、という子がいたね。彼女が今、どこにいるか知っているかね?」


 思わぬ人物の名前が出て、私達の表情が固まる。
 特に、プロデューサーと、おそらく私の顔も、相当に緊張が走った。

「とある出版社の門戸を叩こうとしているようだ。
 城ヶ崎美嘉ではなく、自分が346のプロデューサーと淫らな行為を行ったのだと。
 そう話を作り変え、これによるLIPPS潰し、346潰しが計画されていたのだと、告発しようとしているらしい」


「何ですって――」

 アリさんの顔が青ざめた。

「今回のLIPPS潰しを企てた者達を、自らの芸能生活と引き替えに陥れるつもりなのだろう」

 やれやれ、とでも言いたげに彼は顔をしかめ、B級洋画さながら、大袈裟に両手を挙げて肩をすくめた。


「だが、私とて黙って見過ごすほど間抜けではない。既に手は打ってある。
 彼女の告発をきっかけに、LIPPS及びその関係者は淫行集団として報道される事になるだろう。
 私には何も火の粉はかかってこない。全て、彼女自身が彼女の大好きなLIPPSを陥れる事になるのだ」

435: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:06:52.09 ID:Ae62FiCR0
「か――彼女の大好きな、って――?」

 息が苦しい。視界が歪む。
 やっとの思いで、私の口から言葉と呼べるものが発せられた。

 この男が何を言っているのか、よく分からない。
 それくらい、この男は酷い。

 でも、それ以上に気になるのは、志希がLIPPSを、大好きと――?


「彼女はね、以前私と、そこの彼に言った事があったんだよ。
 もっと彼女達と一緒にいたい、そのために出来る事があるなら何でもしたい、とね。
 よほど楽しかったのだろう。海の向こうの研究生活より、愛憎渦巻くこの業界と、その中で切磋琢磨する仲間達との日々が」


 芝居がかった動作で、支社長は目頭を押さえた。

「泣かせるねぇ。自分が悪者になり、悪い大人達を道連れにする事で、彼女は大好きなLIPPSを守ろうとしたのだろうに。
 結局は、彼女も子供なのだ。我々の立ち回りを理解しきれぬまま、手の平で踊らされる事しかできんという訳だな。
 だが、良い勉強にはなったろう。まともな心を持てない化け物が、一丁前に“お友達”を望むべきではないとな。ハッハッハッ――!!」

436: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:07:53.76 ID:Ae62FiCR0
 突然、鈍い音が鳴り、遅れて支社長の体が後方にもんどり打って倒れた。


 外は気が狂ったかのような豪雨で、時折雷も鳴っている。
 その音かと、最初は聞き間違えた。

 けれど、違った。



 稲光のように私達の間をすり抜け、支社長に飛びかかったのは、プロデューサーだ。

437: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:14:55.54 ID:Ae62FiCR0
 呻き声を上げながら、支社長は顔を右手で押さえ、その場でうずくまっている。


「この野郎――ふざけるな、この野郎、お前」

 うわ言のように、プロデューサーは小さい声で、しかし、随分と荒い息を繰り返している。

「あの子、まだ――まだ18だぞ。お前、そんな子に、お前はっ、そんな覚悟をさせたって事がなぁっ」

 アリさんがプロデューサーの肩を掴み、引き留めようとする。
 しかし、プロデューサーは乱暴にそれを振り払い、うずくまったままの男に歩み寄る。


「恥を知れ。ふざけやがって、俺達のようなっ。俺や、お前のような、腐った大人のせいで!」

 どんどん声が大きくなってくる。
 チビさんが彼の腰の辺りを両腕で抱きかかえ、体づくで引き留めようとするが、止まらない。

「なんて道義の無い――くそぉ、ふざけんな」


 普段の彼からは考えられないほど、その言動は無骨で、一切の飾り気も気遣いも、余裕も無かった。

「ふざけるなよ。俺達が、彼女を追い詰めたんだっ! 分かってんのか!! ふざけんなっ!!
 くそっふざけやがって! ちきしょう、離せ、ちきしょう、ふざけるなぁ!!!」



 ククク――と、うずくまったままの支社長から、小さく笑い声が聞こえた。

438: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:17:38.34 ID:Ae62FiCR0
「とんだお笑い草だな?」

 ゆっくりと立ち上がり、支社長がプロデューサーに向き直る。
 口が切れているらしく、血が少し出ていた。


「上司を殴って、キミはめでたく会社をクビになる。
 LIPPSも、“暴力プロデューサー”のせいで一躍脚光を浴びる。
 我々はそれを契機にLIPPS潰し、引いては346潰しにかかる事ができる」

 ハッハッハッハッハッ!! ――と、豪快な高笑いが会議室に響き渡る。

「何とも愉快な話だ! 私の望んでいた事がアッサリと訪れた。
 そしてもちろん、キミにとってもな。良かったじゃあないか、めでたく会社を辞められるなぁ!?」


 プロデューサーは、ギリギリと音が聞こえてきそうなくらい、歯を食いしばっている。
 口の端からは涎が出ていた。体裁など、まるで気にも掛けていなかった。

「し、支社長――あなたという人は」

 アリさんが、呆然と立ち尽くす。
 チビさんも、プロデューサーの体を掴んだまま、笑い続ける男を青い顔で見上げていた。


 そんな――こんな事って――。



「持ってろ」

439: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:19:38.33 ID:Ae62FiCR0
「えっ?」

 ふと、私の手元に眼鏡が――いや、正確に言えばサングラスだ。

 掛けていたそれを、乱暴に私に預けるのは、ヤァさんしかいなかった。


「おい」

 大笑いする支社長の前に歩み出たヤァさんは、彼の頭を上から引っ掴んだ。
「えっ」

 次の瞬間。


 ヤァさんは、自身の頭を大きく後ろに振りかぶり、思いきり支社長の額目がけて叩きつけた。

440: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:22:03.43 ID:Ae62FiCR0
「グッ、ウアァァ――!!?」

 支社長は額を両手で押さえ、蹈鞴を踏みながら二、三歩後ずさり、堪らずしゃがみ込んだ。

 ヤァさんも、痛そうに頭を押さえている。

 少しして、ヤァさんが立ち直って姿勢を正すと、まだ立ち上がれないでいる彼に向けて言い放つ。


「アンタに暴力働いたこの人をクビにするっつーんならよォ。オレもクビにしてくれや。
 ただよォ、ただでクビになる訳にはいかねェからよォー。暴力しとかねぇとなぁ?」

 笑いながら、ヤァさんは支社長の髪を掴んで無理矢理持ち上げた。


「つーかオレも怪我しちゃったから、オレもアンタに頭突きされたっつーコトでいいんスかね?
 そうなると、アンタもクビか? 怪我させちゃったもんな、オレによォ? どうでもいいけどな」

 言い終わらないうちに、もう一度後ろに振りかぶり、先ほどよりも強く頭突きをお見舞いする。


「アガァッ――!!」

441: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:24:35.70 ID:Ae62FiCR0
「うぅ、我ながらキクぜぇ」

 今度はヤァさんも蹈鞴を踏んだ。
 まるで農作業の間に休憩でもするかのように、天を仰ぎ、額を片手で押さえている。

 支社長は、ヒィヒィと痛みとも恐怖ともつかないような声を発しながら、小猿のように身を縮こませた。

「痛ぇか? 彼女達はもっと痛いぜ?」


 ヤァさんが、再度歩み寄る。
「や、止めろ――」

 誰も、止める人がいない。

 恐怖からなのか、呆然としているのか――それとも私達が、それを心の奥底で是としているのか。


 なぜ、この人はこんなにも慣れているの? 単純に、怖い。
 チラッと後ろから見えた彼の顔は、どちらによるそれかは分からないけれど、血まみれだった。

 意気揚々と、まるでパンチングゲームに興じるかのように、ヤァさんは先ほどと同様に支社長の髪を引っ張り上げた。
「い、痛いっ! 止めてくれぇ!」

「おう、立て。次は頭蓋骨行くぞコラ」

442: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:28:00.91 ID:Ae62FiCR0
「ごめん、ヤァさん。ストップ」

 いつの間にか、プロデューサーは私達の後ろに回っていた。

 振り返ると、どうやら普段通りに落ち着いた様子のプロデューサーと、もう一人――。



「随分と、物騒なミーティングですね? 奥多摩支社長」

 この女性、何度か見たことがある。
 夏頃に新しく来たという、アイドル事業部の統括常務だ。

「み、美城常務――!」


 ボーッと常務を見つめるヤァさんの隙を突いてその手をふりほどき、支社長は常務に走り寄った。
「そ、そうなんです助けてください! あの男がいきなり私に乱暴を働いた次第でして!」

「私が物騒と言っているのは、奥多摩支社長」

 血まみれの顔で、必死に助けを求めようと頭を下げる彼を、常務は上から冷徹に見下ろしている。

「ここでの話の内容。そして、ここで行われていた会合のことです」

443: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:31:25.43 ID:Ae62FiCR0
 えっ――と支社長の口から蚊のように小さい声が漏れ出る。

「私の留守中を狙って熱心に外部の人間を招き、この会議室で良からぬ相談事を行っていたようだな?」

 そして、常務の口調からは、年上の部下に対する丁寧さが消えた。


「そ、それは、誤解です! ヤツらが私に脅迫まがいの事をして、この事務所を潰そうと――!」
 そう支社長が反論したのを最後まで聞かないまま、常務は黙って手近にあった机に手を掛けた。

 おもむろに机の裏側に手を伸ばし、戻した彼女の手には何かが握られている。

 ゆっくりとそれを開くと、手の中から出てきたのは、小さな機械だった。


「ま――まさか」

 支社長の顔が見る見るうちに青ざめる。


「情報は何よりも重要なものだ。取り分け、信用を売り物とする我々の業界ではな」

 鼻を鳴らし、腰に手を当てて常務は淡々と話を続ける。

「私の部屋と同じ階で繰り広げられる不穏な動きを、私が悟らないとでも思ったか。
 もっとも、事務所の外で密会が行われようと、草の者がとうに知らせていただろう」

444: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:33:45.62 ID:Ae62FiCR0
「草の者、って」
 小さく突っ込んだのはチビさんだ。私も、どこの時代劇だと突っ込みたくもなる。

 だが、常務は真顔だった。意外と、この業界では普通――なのかしら。


「わ、私は――」

 消え入りそうな声で支社長が何かを取り繕うとした時、常務の携帯が鳴った。


 スッと取り出して一瞥すると、彼女は支社長を見て、次に私達の顔を見た。

「一ノ瀬志希について、その者から今し方連絡があった。
 ここからそう遠くない公園で、見つかったそうだ」


「志希が――!」

 私の胸が、カァッと熱くなる。

 どうやら、彼女が事に及ぶ前に保護することができたらしい。良かった。本当に――!


「さて」
 一息ついて、常務は次に、ヤァさんと、プロデューサーの顔を交互に見た。

「君達は、見たところかすり傷とは言えない怪我をしているようだが、何があった?」

445: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:37:51.53 ID:Ae62FiCR0
 ヤァさんは、額から流れた血で顔中が真っ赤だ。
 一方で、プロデューサーは――よく見ると、右手の甲が血で滲んでいた。

「あぁ、これッスか?」
 ヒヒッ、と笑いながらヤァさんは手で血を拭う。


「支社長サンと俺らでプロレスごっこしてたら、ちょっと盛り上がっちゃったんス。ねっ?」
 そう言って、ヤァさんがプロデューサーにウインクをしてみせると、彼も頷いた。

「名前は思い出せませんが、ウォーズマンの、ぐるぐる回る必殺技の真似をして」

「ぶははっ!」
 真顔でプロデューサーがくだらないウソを語ったのを見て、チビさんが堪らず笑い、慌てて口をつぐんだ。


「ば、馬鹿な事を言うな!
 常務、この期に及んで反省の色を見せず、こんなふざけた態度を取るヤツらなど即刻――!」


 フッ――と、常務の口角が僅かに上がった、ように見えた。

「じょ、常務――?」

446: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:40:02.18 ID:Ae62FiCR0
「次からは気をつけるように」

 呆れたように言い捨てた常務に、ヤァさんは「ウッス」と雑に会釈した。

「じょ、常務!? 馬鹿な――!!」


「あなたを解雇します。支社長。
 堂々と背信行為を行う者の面倒を見れるほど、346プロは寛大ではない」


「ひ、そ、そんな! 後生です、どうか、どうか今一度お考えを!!」

 慌てて膝を折り、両手を床に付ける男を一瞥すらせず、常務は指をパチンと鳴らした。
 すると――。


 ドアがガチャリと開き、入ってきたのは数人の黒服の男達。
 ――どう見てもカタギとは思えない、屈強で強面の人ばかり。

 え、ひょっとしてヤクザかしら――?

「な、何だこの男達は!? 離せ、離せっ――えっ」
「お静かに願います」


 最初こそ必死に抵抗していたが、黒服の襟に付いていた金縁のバッジを見て、支社長の顔が引きつった。

447: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:41:57.36 ID:Ae62FiCR0
「む、村上――う、うわぁ!?」

 そのままズルズルと支社長を引きずり、男達は部屋の外に退場していく。
 最後の男が律儀に深々と頭を下げ、丁寧にドアを閉めて去って行った。


 ――突然の出来事に、私達の誰もが、そのドアに視線を固定し、呆然と立ち尽くしている。
 ヤァさんだけ、ゲラゲラと腹を抱えているけれど。


「じょ、常務――今の人達は、一体何なのでしょうか」
 アリさんが、おそるおそる尋ねた。

「知りたいか?」
「い、いえ――」

 私も、今のは知ってはいけないような気がするわ。


「君達二名も、お咎め無しとはいかない」
 ヤァさんの笑いがピタッと止まった。


「一週間、謹慎処分とする。良いな?」

448: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:44:07.03 ID:Ae62FiCR0
「え、そんだけ? やった、ざっス」

 ヤァさんに倣うように、プロデューサーも黙ってお辞儀をしてみせる。


「わ、私も、処分していただけませんか?」
 震えながら、それでも勇気を出して切り出したのは、アリさんだった。

「私も、支社長と一緒に、計画に参加していました。
 彼らは、そのために今回その身を削ってくれたのです。
 私だけが、何も痛みを負わない訳にはいきません。どうか、お願いします」


「チーフ」

 深々と頭を下げるアリさんに、声を掛けたのは常務ではなく、プロデューサーだった。

 あえてチーフと呼んだのは、常務の手前だからかしら?

「チーフには、LIPPSの面倒を見てもらいたいんです。
 負い目を感じているというのなら、プロデュースという形で彼女達に返してやってほしい。
 でなければ、彼女達の世話をする大人がいなくなる」


 そう言って、プロデューサーは常務に向き直った。

「常務、お願いします。そういう訳で、チーフは見逃していただけないでしょうか?」

449: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:45:46.20 ID:Ae62FiCR0
 常務は大きくため息を吐き、プロデューサーを睨み付ける。
「私には、君が体よく厄介事を回避したがっているようにしか見えないがな」

「ハハハ」
 プロデューサーは何も答えず、バツが悪そうに頭を掻いた。

 どうやら、常務とプロデューサーはいつの間にか、そこそこに気心が知れている仲のようだ。


 常務はそのまま、踵を返して出口の方へと向かった。

 しかし、ドアを開けようと伸ばした手をふと止め、思い出したように私達の方へ振り返る。


「――新事務所立ち上げの話が事実上ご破算となれば、今後はおそらく187プロが何かしら妨害工作をしてくるだろう。
 あらゆる点で気を配っておきなさい。『アイドル・アメイジング』本番まで」

 そう言い残し、常務は部屋を出ていった。

450: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:48:19.74 ID:Ae62FiCR0
「妨害工作、ねぇ?」

 ヤァさんが首に手を当て、ゴキゴキと乱暴に関節を鳴らす。
「めんどっちぃよなぁ。ホント、ダセェ事しかしねェ、あの事務所」

 未だに顔が血まみれなのを見るに見かねて、私はポケットからハンカチを取り出し、彼に差し出した。

「ん、おっ? 悪ぃな、っておいこんなキレーなもん使えねェよ。ティッシュある?」
 ヤァさんは、私のハンカチを笑いながら断った。

「ヤァさん、ティッシュならどうぞ」
「おぉ、チビ太気が利くじゃねぇか、お前俺のカノジョか?」
「ち、違いますよ!」
「マジになってんじゃねーよひっぱたくぞ」

「さっきのアレを見たら笑えないっすよ」
 ゲラゲラと笑いながらティッシュで顔を拭くヤァさんに、チビさんはいくらか距離を置いている。



「さて――――なんか、疲れましたね」

 アリさんが、両手を腰に当て、大きくため息を吐きながら項垂れた。
「すみませんでした――本当に」

451: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:52:01.67 ID:Ae62FiCR0
「いや、うん――しかし、本当に疲れたな」

 プロデューサーは、いつの間にか携帯を弄っている。
「速水さん。何か着信残ってる?」

「えっ」
 慌てて私も携帯を取り出した。そう言えば、皆はどうしているだろう――。


 ――――。


「――何も、無いわね」
「そうか」

 携帯をしまい、プロデューサーは窓の外を見やった。


 相変わらず、外は大嵐だ。
 先ほどの騒ぎで気づかなかったけれど、大粒の雨が絶えず窓ガラスを割らんとばかりに叩きつけられ、時折雷の轟音が遠くに聞こえてくる。

「どうすっかな」

 考える素振りをしながら、プロデューサーはいそいそと財布を取り出し、中からお札を一枚引き抜いた。

452: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:54:35.50 ID:Ae62FiCR0
「付き合わせてすまなかった。今日はもう遅いし、外もこんなだから、タクシー呼ぶよ」

 そう言って、プロデューサーは一万円札を私に差し出した。

「あの、タクシーなら事務所と契約してる会社をそこから呼べますけど」
 チビさんがこそっと横からプロデューサーに進言すると、「あそっか」と彼は頭を掻いた。


「あなた――この期に及んで、またそうやって――!」

 あくまでも、私に対する接し方を変えようとしない彼に、また怒りがこみ上げてくる。

「あぁ――自分の事を仲間外れにするなとか、そういう話?
 そうは言っても、本当に遅くなっちゃったし、帰らせないと君の親御さんが」
「そういうのもあるけれど、そうじゃなくて!」


「あなた――私達のプロデューサーを、辞めるつもりなの?」


 アリさんも、黙ってプロデューサーの次の言葉を待っている。

 当人は、鼻でため息をつき、視線をもう一度外に逸らした。
 大方、私を言いくるめるための言葉を選んでいるのだろう。

「そんなに私達が、鬱陶しい?」

453: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:58:00.07 ID:Ae62FiCR0
「片や大事な仕事はすっぽかす」

 外を見やったまま、プロデューサーは思い出したようにポツリと呟いた。

「片やメンバーの頬をひっぱたき、片や遅刻の常習犯。何かにつけて噛み付いてくる、君のような子もいる。
 実害の少なさから、強いてまだマシと言えるのは塩見さんくらい。極めつけは今回のこの騒ぎだ」


 私に向き直り、プロデューサーは肩をすくめた。
「これ以上振り回されるのは、正直ウンザリでな。
 その手綱を上手く操るのがプロデューサーの本分だろうが、俺には君達は荷が重すぎる」

「無責任な事、言わないでよ」

 気づくと、私はプロデューサーの腕を両手で掴んでいた。

「私には、私達には――!」


 ――過去の事を思い出し、思わずキュッと口をつぐんでしまう。
 そんな私の様子を見て、プロデューサーも、どこか悲しげに首を傾げた。


「あなたが必要なのよ――あの時の事、謝るわ。
 だから、こんな中途半端な所で、私達を置き去りにしないで」

 謝るから、などと――よくもそんな勝手な事が言えたものだと、自分が恥ずかしくなり、俯いてしまう。

454: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/19(火) 23:59:54.90 ID:Ae62FiCR0
「いや、いいんだ。速水さん」

 プロデューサーが少し屈んで、私の両肩に手を乗せた。
 顔を上げると、今まで接してきた中で、一番優しい彼の姿がそこにあった。

「君には謝る必要が無いどころか、俺の方こそ君を苦しめた。今まで、すまなかったな」
「そんな事――」


「いいんだ。速水さんとの話がきっかけだった訳じゃない」

 肩から手を離し、屈んだ姿勢を起こすと、プロデューサーは室内に置いてある電話台へ向かい歩き出した。
 会議室内には、ゲストを早急に案内するため、契約しているタクシー会社の番号を記した電話帳が掛かっている。

「元々、自分からやりたいと思って飛び込んだ業界でもないしな。良い機会だよ」


 受話器を取り、淡々とボタンを押していく。
 やがてそこに掛かったらしい電話に向かい、事務的な依頼と応対を終えると、十数秒ほどで彼は受話器を置いた。

「あと5分くらいしたらエントランスに来るから」


「お願い、これだけ教えてもらえる?」
 私は、これ以上この人の事を理解できていないままでいるのが、我慢ならなかった。

455: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:02:16.50 ID:m6szqZZ10
「あなたは、どうしてプロデューサーになったの?」



「――後はアリさん、LIPPSをよろしく頼む」

 彼は私の質問には答えず、それだけ言い捨てると、逃げるように出口の方へ向かう。

「待ってよ!」


 そのままプロデューサーは、ドアの向こうに消えて行った。



 なぜ、あの人は私達と向き合おうとしないのだろう。

 思えば今日、駅でアリさんを捕まえる直前、あの人が言った言葉――。
 確か、本当は私達のステージを台無しにしようとした、と。

 それがもし本当なら――あなたは、本当に私達の事が、嫌いなの?


「あの人――どんな過去があったんですか?」

 部屋にいる人達に、聞いてみた。
 だけど――答えてくれる大人は、誰もいなかった。


 外の豪雨は、未だ収まる気配を見せない。
 まるで私を脅すように、稲光が絶えず瞬いては、世界が割れるほどの轟音が空っぽの胸の中で暴れ回る。

456: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:04:16.65 ID:m6szqZZ10
【9】

 (♪)

 シキちゃーん! シキちゃーん!

457: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:07:54.21 ID:m6szqZZ10
 (♡)

「――フレちゃん」

 振り返ると、案の定いつもと変わらない満面の笑みの彼女がそこにいた。

 携帯を握りしめていない方の手を思い切り挙げて、人目も気にせず大きく振りながら近づいてくる。


「ひさしぶりー元気してた? 一日ぶり? ん、何持ってんのソレ?」

 フレちゃんは、アタシの手の中にあったミカンを興味津々そうに上から、横から、下からも見つめる。

 この子はいつもそうだ。どんなにくだらない事でも大事件にしなければ気が済まない。

「んー、これー? にゃはは、何のヘンテツも無いオーゥレンジだよー♪」


「ワァオ♪ チョー奇遇じゃないシキちゃん?
 アタシもほら、この通りでっかいミーカンをボンボヤーだよー!」

 そう言うと、フレちゃんは手提げのバッグからサッと、タネも仕掛けも無いと嘯く手品のように得意げに取り出してみせた。

「どうしたのそれ? 買ったの?」
「それよりシキちゃん、外すんごい雨だよ? 何て言うんだっけこういうの、ゴリラ雷雨?」

458: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:09:51.10 ID:m6szqZZ10
 アタシの問いなど歯牙にもかけず、フレちゃんは外をチラッと見たので、アタシも一応それに倣う。

 途端、ピカッと空が光り、それを照らしたでっかい白熱電球がそのまま落っこちてきたような凄まじい轟音が鳴り響いた。

「うひゃあっ、ホントに雷鳴っちゃった! おヘソ隠しておヘソ!
 あ、でもだいじょーぶ♪ なぜならフレちゃん服着てるから。しかもヘソ出しじゃないんだなーコレが☆
 シキちゃんはどう? ゴリラにおヘソ取られてない?」

 今日もフレちゃん、飛ばしてるなー。

 元々彼女は、アタシが言うのもなんだけど、頭のネジがどこか飛んでいて、予想もしない角度から話題を提供してくれる。

 それが彼女の魅力であり、退屈を忌避してきたアタシにとって快い時間を絶えず提供してくれる人。

 でも――。


 今のアタシには、フレちゃんの存在は鬱陶しい事この上ない。

 なぜなら、アタシにはやるべき事があるからだ。

 そして、フレちゃんにはそれを知って欲しくないし、決して知られてはならない。

459: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:14:27.20 ID:m6szqZZ10
 フレちゃんのくだらなくて楽しいフリには答えず、アタシは踵を返して駅の改札に向かおうとする。

「お待ちください、一ノ瀬さん」


 振り返ると、フレちゃんはおかしいくらい真顔になって、慎ましくその場に立っている。


「一ノ瀬さん、貴女は――とても、大いなる事を、されようとしているのではありませんか?」

 おフザケなのに、言い得て妙な台詞だ。Hmmm……乗っかってあげよう。

「はい、そうなのです――私の大事な人を守るため、この一ノ瀬、巨悪を討って参ります」


「やはり、そうなのですね――それでは、これをお持ちください」

 そう言って、フレちゃんは手に持っていたビニール傘を厳かに差し出した。

「宮本さん。これは――?」

「これは、ビ・ニールの傘。
 予言者フジ・リーナの神託に従い、この宮本が、先ほどコンビニで、500円で買ったものです」

460: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:16:31.00 ID:m6szqZZ10
「まぁ――そのような、貴重な傘を、この私に?」

「はい。ですが――この傘を扱うには、ある条件が必要となります」

「それは、一体何でしょう?」

「私を、貴女の旅に、一緒にお供させてほしいのです」


「――ありがたいお申し出ですが、危険な旅になります。お連れすることはできませんわ」

「そうなると、私は、自分の傘が無くなってしまうのです」

「まぁ、それは難儀なこと。ですが、コンビニで買えばよろしいのでは?」

「この宮本、今月がそこそこにピンチなのです」

「私が、買って差し上げますわ。そこのコンビニまで、一緒に参りましょう」

「ホント!? やったー!」

「おーい、フレちゃん素になってるー♪」


 やはり、いつものフレちゃんだ。彼女のペースで振り回されるのは心地が良い。

 ただ――何故だろう。普段通りのはずなのに、今日のフレちゃんには、どこか違和感が拭えない。

 今のアタシが、正気ではないから?
 それとも、昨日の今日で、フレちゃんもアタシに気を遣っているからだろうか。

 ――――。

461: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:18:21.10 ID:m6szqZZ10
「シキちゃん千円ありがとー! んじゃ、ちょっと待っててね☆」

 二人で傘を差し、駅前から見えたコンビニにたどり着くと、フレちゃんは楽しげにそこへ吸い込まれていく。

 アタシは特に用も無いので、お店の前で傘を差してボーッと待つことにした。

 電車はちゃんと動いているだろうか。多少ダイヤに遅れはあるかも知れない。

 だが、高架に雷が落ちるでも無い限り、目的地までの経路に大きな支障は生じ得ないはずだ。

「シキちゃーん!」


 ――?

「シキちゃんヘンタイ! あっウソ、タイヘン! 傘無かった!」
「えっ?」

「売り切れちゃってたの! 次のコンビニまでトゥギャザーレッツゴー♪」

「あ、ちょ、ちょっと」

 傘の中にスイッと入り、携帯を持っていない方の手で傘の柄をアタシの手の上から掴み、フレちゃんはニコッと笑った。


 おかしいな。さっきチラッと見た時には、出入口の辺りにそこそこ陳列されていたように見えたけど。

462: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:19:57.45 ID:m6szqZZ10
 その次も、その次のコンビニでも――。


「シキちゃーん! 次行こ、次っ!」

「シキちゃーん、三度目! 三度目の正直! おフランスの顔も三度まで!」

「んー、残念っ! いやー残念デリカだよー☆」


 明らかにおかしい。

 敢えて指摘をしていないが、確かにコンビニに傘は置いてあるのだ。

 それを、悉く売り切れだの予約完売だの、テキトーな理由を付けてフレちゃんはそれをはぐらかす。


 ただ一つ分かることは、明確な意志で以てフレちゃんは、こんなふざけた振る舞いをしているということ。

 駅からも、どんどん遠ざかっていく。



「フレちゃん」

463: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:21:13.04 ID:m6szqZZ10
「ン?」

 このまま騙されたフリをして付き合ってみるのも、悪くはない。

 でも、生憎今のアタシには余裕が無いのだ。

 要点を、結論をさっさと教えてほしかった。


「ひょっとして、どこか行きたい所、あるの?」



「うん」

 フレちゃんは、静かに、優しく笑って、一緒の傘を持った。

464: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:25:39.64 ID:m6szqZZ10
 土砂降りの雨の中、連れられた場所――。

「ここは――」

 公園だった。それも、サマーフェスを行った所。


 何も言わず、ステージが設営されていた場所まで、アタシはフレちゃんの歩みに従った。

 フレちゃんも、何も言わなかった。ただ、その表情はとても柔らかかった。


 やがて、一応の目的地らしい東屋にようやくたどり着き、フレちゃんは傘を閉じた。

「いやーすごいねこりゃ。あの日も雨だったけど、今日はトビキリだね。
 まー何も無いけどゆっくりしてってよ☆」

「あれ、ここフレちゃんち? にゃはは」

 フレちゃんに倣い、中央のベンチに腰を下ろした。


 長い間歩かされて、靴だけでなくスカートも袖もビショビショ。髪はシナシナだ。

 それはフレちゃんも同じなんだけど、彼女を見るとどうやらそれを鬱陶しく思っている節は無さそう。

465: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:27:24.81 ID:m6szqZZ10
「アタシね? あのフェスが終わった後、結構ココに来てるんだ♪」

 東屋の手すりを掴み、広場の方を見やりながら、フレちゃんが語り出した。

 アタシは、ふっと顔を上げ、黙ってそれに耳を傾ける。


「天気の良い日は、ココじゃなくて、ほら、あそこにベンチあるでしょ?
 あそこに座ってボーッとしてたり、緑道をフラフラ歩いてみたり」

「散歩してるワンちゃんにコンニチハしたり、池にプカプカ浮かんでるカモ先生を、女の子と一緒にボーッと眺めたりするの」

「たまに男の子達から、キャッチボールとか、フリスビーに誘われることもあってね?」

「でもフレちゃん、ノーコンだからあっちこっちに投げちゃって、その子達から怒られてもータイヘンでさー☆」


 ケラケラと笑い声が聞こえる。

 ただ、フレちゃんは広場の方をずっと向いているから、どんな表情なのかは分からない。


「ここで出会う、全てのことが楽しくて、大好きで、愛おしいんだー。
 アタシにとって、きっと人生で一番ステキな瞬間を手に入れた場所だから」

466: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:29:28.50 ID:m6szqZZ10
「――フェス、楽しかったね」

 一応、同調してみせた。

 いや――一応ではない。疑いなく、それはアタシの本心だった。


 彼のナンセンスな提案を反故にして自前の計画を決行し、見事結果に結びつけた事が痛快だったのもある。

 しかし、それ以上に、こんな賑やかで愉快な仲間達と一緒に切磋琢磨して、その喜びを共有できた事が、アタシにとって何より得難いものだった。

 ここは確かに、アタシにとっても、特別な場所だったのだ。


 フレちゃんは、思い出したように鞄を漁り、先ほどのミカンを取り出した。

「――さっき、このミカンどうしたのって、シキちゃん聞いたじゃない?」

 クルッと振り返ると――あぁ、良かった。


 フレちゃん、やっぱりいつもの笑顔だ。

 いつもの――?

467: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:32:49.72 ID:m6szqZZ10
「このミカンね? ――通りすがりのおばーちゃんから、もらったの」


 その一言に、アタシはハッとした。全てを合点した。

「たぶん、シキちゃんも、おんなじ人からもらったんじゃないかなって。
 ヘンな喋り方した、おばーちゃん」


「――フレちゃん」

 やはり、そうだったのか。

 あのおばあちゃんに、アタシが美嘉ちゃんはじめ、皆に申し訳ないなんて吐露していた事も、フレちゃんは知ってしまっている。

 詳細な事実は知る由も無いはずだけど、彼女はアタシの事を心配して、引き留めたかったのだ。



 ダメなんだよ。それは。それ以上、知ってはならない。

468: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:38:11.43 ID:m6szqZZ10
 どんなに得体の知れないものでも解明できるという、根拠の無い驕りがあったのだと思う。

 だがそれは、アタシの想定以上に取り留めが無く、それでいて大きい、怖いものだった。

 アタシの愚かしいことには、それに気づくのが遅すぎたのだ。


 どうにかならないのかと、アタシは彼にすがった。

 ケミストの端くれでありながら一切の提案も打ち出せず、こんな漠然とした情けないお願いを人にするのは初めてだった。

 彼は、苦しそうに首を振るしかなかった――そうであろう事は、知っていたはずなのに。



 島村卯月ちゃんが、アタシに話したい事があると言って、コンタクトを取ってきたのは一月ほど前。

 にゃるほど、誰がどうやって音声プラグを引っこ抜くのかは知らなかったけど、そういう事だったのねー。

 泣きながら胸の内を吐露して謝る卯月ちゃんに、努めてアタシは冷静に、穏やかに声を掛ける。

 彼女も、大人の都合に振り回され、苦しい役どころを強いられた犠牲者なのだ。

 さらには、仲間達に――未央ちゃんや凜ちゃん達にも打ち明けられず、一人で抱え込んできた苦しみは、如何ばかりか。

 そして――。


 こんなに理不尽な事があって良いのか――!

469: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:40:30.89 ID:m6szqZZ10
 アイドルとは、まさしく虚像だ。

 彼女達は、夢を見て、夢を生き、夢を信じている。

 それが活力となり、輝きになる。理屈も捉え所も無いものが彼女達の糧であり、生きる道理なのだ。

 それを手の平の上で転がす輩がいると知った時、彼女達はどうなる――?


 現実を見せる訳にはいかないんだ。

 それを覆い隠すための虚像がアタシ。

 皆には、どーしようもない女が好き放題やって騒がしてくれたもんだと、そう思ってもらいたかった。

 あんな始末に負えないコがいなくなって清々した、と。

 だから――。


「柑橘系のあの爽やか~な香りの正体、フレちゃん知ってる?」

 誘い笑いをしながら、アタシは全然関係の無い話を始める。まずは話題を逸らすべきだと判断した。

470: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:43:00.57 ID:m6szqZZ10
「シトラスの香り、なんてよくシャンプーのCMとかで使われるよね。
 まさにシトラスってのが柑橘類を指す言葉なんだけど、それらの皮に含まれる代表成分がリモネンって言ってね?
 これを嗅ぐことでリラックスできたり、ドパミンとかの神経伝達物質をドバドバ出してくれたりするんだよねー♪」

 ズラズラとくだらない事を並べ立てながら、アタシは手元のミカンの皮に指をかける。

 若いとはおばあちゃんも言っていたが、思いのほか固い上に、手が悴んで上手く剥けない。

 フレちゃんの方へ視線を向ける事ができなかったから、首を傾げながらミカンに集中するフリをした。

「ただ、香りの元となる成分は? って話だと実はリモネンじゃなくって、オクタナールっていう脂肪族アルデヒド――」

 その時。


 ビカァッ!!

 と先ほどまで文字通り鳴りを潜めていた雷が、真っ暗な空間をアタシ達ごと追い出すかのように照らし尽くした。

「キャ――!」

 堪らず小さく悲鳴をあげてしまう。遅れて聞こえる轟音。



「シキちゃんはさ」

 一方でフレちゃんは、どこか淡々としている。

471: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:43:43.89 ID:m6szqZZ10


「雷は、好き?」




472: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:45:41.41 ID:m6szqZZ10
「えっ?」

 思わず顔を見上げる。

 相変わらずフレちゃんの表情は、とても穏やかで、優しい笑顔だった。


「す――」

 好きとか嫌いとか、そういう次元で雷を考えたことなんて無かった。

 自然現象だから、当然にアタシ個人の好みでどうこう出来るものでもない。

 空と地上の電位差による放電現象を、いつかは正確に予知し、あるいは意のままに操る事も出来るだろうか。

 そうなれば、それは恐怖の対象でなくなる。だけど――。


 テキトーそうに問うたフレちゃんの、そのテンションに合わせた回答をするなら、

「嫌い、かなぁ? だって当たったら死んじゃうでしょ?」


「アハハ、だよねー☆」

 フレちゃんはニッコリと満足げに笑った。彼女がアタシに何を期待したのか、分からない。

473: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:48:40.17 ID:m6szqZZ10
「でもね?」

 フレちゃんは、広場の方へ向き直った。


「アタシは、好きになりたいなって、思うんだ」


「好きになりたい?」

 どういう事だろう。

 好き嫌いは感覚であり、そうでありたいと努めようとして自身の感情をねじ曲げるのはおかしい。


「アタシもね。怖いよ、雷。
 あんなにビカビカーッ! って光って、ドドーッ!! ってもの凄い音が鳴ってさ。
 この世の終わりかってくらい、ホントにおヘソ取られちゃうんじゃないかって」

「フレちゃん――?」


「雷は、どう考えているのかな?」

「は?」

474: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:50:49.64 ID:m6szqZZ10
「たとえばさ――実は、雷も、友達が欲しいんじゃないかな、って、思うときがあるの」


 真っ白い世界が瞬間的に訪れ、先ほどよりも激しい轟音が、東屋を切り裂いていく。

「ホントは、ゴリラみたいにイカツい顔をした神様かも知れない。
 触れた人をみんな傷つけてしまうから、余計に怖がられちゃってるのかも知れない」

 フレちゃんは、東屋の外に向けて右手をサァッと挙げ、それを握ったり閉じたりしてみせた。


「でもさ――ホントは、握手をしたいだけなんだとしたら?」

「握手?」


「不器用だけど、友達がほしくて、お空の上から地上に向けて、一生懸命手を伸ばしているんだとしたら――」


 手すりを掴んでいる方の手をギュッと握りしめる。

「そうやって、勇気を出して伸ばしてくれた手を、たとえ怖くても、アタシは拒みたくはないの」

「自分が雷に当たって死んじゃうとしても?」

475: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:52:57.14 ID:m6szqZZ10
「その子の気持ちには、応えてあげられるからね。
 なーんて、フレちゃんカッコつけすぎ? アハハ!」

「フレちゃん」

 言わんとしていることが、分からない。

 一つ言える事は、フレちゃんは未だにアタシに好意を持ってくれている。

 アタシを引き留めようとしてくれている。

 それがありがたくて、それ故に苦痛で仕方が無い。


「アタシ、もう行くね? 傘ありがとう、フレちゃん」

 元々びしょ濡れだし、その辺でタクシーでも捕まえよう。風体を気にしてる場合じゃない。


 さようならだ。フレちゃんにも、ちゃんとアタシの事を嫌いになってほしかった。



「怖がらないで、いいんだよ」


「――――えっ」

 フレちゃんは、いつの間にかこっちを向いていた。やはり、笑っていた。

476: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 00:57:45.77 ID:m6szqZZ10
「シキちゃんがどんな風に思っていたとしても、アタシは手を伸ばし続けるよー☆ びよーん♪」



「フレちゃん――違うんだよ。もういいんだよ」

 言うな。言っちゃダメだ。


「アタシはもうアイドルなんてどうでもいいの。ダルいし窮屈だし、メンドくさくて」

 嫌だ――。

「皆の事だってウンザリ。なんで思うようにしてくれないの? どうしてアタシに協調を強いるの?
 ユニットだからっていう短絡的な理由でアタシを束縛したいなら、もうアタシの取るべき行動は一つしか無いじゃん」

 もっと一緒に――。

「フレちゃんだって、こんな雨の中連れ回して、何を言うかと思えば――ホント呆れちゃうよ。
 友達なら何でも許されると思った? お願いだから放っといて。
 おバカな美嘉ちゃんにもよろしく言っといてよ、アタシ失踪するから」

 でも――。

「だから――だからっ!」

 もう一緒に、いられないから――。


「もう、やめてよ――アタシの事なんか、好きになろうとしないで――!」

 これ以上は、辛いだけだから――。

477: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:00:08.72 ID:m6szqZZ10
「シキちゃん、アタシね?」

 フレちゃんの声が聞こえる。顔を上げることができない。


「LIPPSって、すごいユニットだって思うの。
 だってシキちゃんだけじゃなくって、カナデちゃんもシューコちゃんもミカちゃんもいるんだよ?
 すんごく楽しいし、皆がいてくれるからアタシもやりたい事だけをやれて、良いカンジのバランスで成り立ってるLIPPSが大好き、でっ、さ」


 ゴトッ――!

 と、音が聞こえたので、フレちゃんの足元を見ると、携帯が落ちていた。

 疑いなく、それはフレちゃんのものだった。えっ――?


 フレちゃんの携帯――今まで、どこにあったの? 鞄から落ちたとは思えない。


「LIPPS、大好きなの、アタシ――だから、手を、伸ばし、たいのっ」


 声が絶え絶えになりつつあるのを不思議に思い、顔を上げる。

 フレちゃんは――。


 ――こんな、フレちゃんの顔を見るのは初めてだ。

 こんな、一生懸命な笑顔を見るのは。そして――。

478: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:09:11.50 ID:m6szqZZ10
 違和感の正体を探るため、自分の携帯を取り出した。

 案の定、皆からの着信がすごい事になっている。その内容は――。


 ――そうか。


 フレちゃんが、皆と一生懸命、連絡を取り合ってくれていたんだ。

 携帯にずぼらなフレちゃんが、皆とのつながりを確かめるように。その手が離れてしまわないように。


 おかしいと思うはずだ。

 今日出会ってから、フレちゃんはずっと携帯を握りしめていた。

 それが無くても皆と一緒にいられるという安心感から、普段の彼女は携帯に頓着を示さない。

 しかし今、彼女はその携帯で、LIPPSがバラバラにならないよう尽力してくれていた。

 皆とのつながりが途絶えてしまう事への不安を、彼女は懸命に押し殺すように、ずっと握りしめていたのだ。


「楽しいから――好き、だから」

 フレちゃんは、ぱっと東屋を飛び出した。

479: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:10:46.38 ID:m6szqZZ10
「ふ、フレちゃ――!」


 ザァザァ降りの雨に打たれ、天を見上げる。まるで雷を待っているかのようだった。

 やがて、それがしばらく経っても来ないのを認めると、彼女はアタシに顔を向けた。



「好き、ってだけじゃ――ダメなのかなぁ――!」



 顔をクシャクシャにして、それでもフレちゃんは笑った。

 泣いているのかどうかは、彼女の顔が雨に濡れているから分からない。


 アタシはフレちゃんのもとに飛び出した。

 今にも溢れ出てしまいそうなそれを、遠目に悟られたくなかったから。

480: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:16:03.63 ID:m6szqZZ10
「フレちゃん――」

「うわぁ――何してんのシキちゃん、風邪引いちゃうよ?」
「――それ、フレちゃんが言う? にゃはははー♪」

 笑いながら、フレちゃんはその場で踊りだした。

 あのフェスで披露した、アカペラアレンジバージョン――の、フレちゃんアレンジだ。

 鼻歌に促され、アタシも負けじとステップを踏んでみせる。

 抑えきれない感情を誤魔化そうと、幾分ムキになってしまうおかげで、存分に泥は跳ね、スカートはベトベトだ。

 すごいすごいと、フレちゃんが嬉しそうに手拍子をしてくれるから、すっかりその気になって、気づくと二人とも泥だらけだった。

 お互いに指を差し合い、ケラケラと笑う。

 先ほどまで渦巻いていた負の感情が、すごくちっぽけに思えた。


 同時に、大音量の雨音の合間から、パトカーのサイレンの音が遠くで微かに聞こえる。

 どこかで事故でも起こったのだろうか?



「志希ちゃんっ!!」


 ふと、アタシを呼ぶ声がした。

 フレちゃんが嬉しそうに手を振るので、振り返ってみると――。

481: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:20:44.40 ID:m6szqZZ10
 まさか――。


「志希ちゃん――志希ちゃぁん――!!」

 なぜ持っていたのか、ヘルメットをその場に投げ置き、美嘉ちゃんがアタシ達の元へ駆け寄ってくる。

 遠目からでも、この子の感情は本当に分かりやすい。どこまでも、呆れるほどに真っ直ぐだ。

「志希ちゃん、全部――全部聞いたっ!! 周子ちゃんから! プロデューサーや奏ちゃんからも、全部――!!」



「――そっか」

 アタシの計画は、全部――知られちゃったかぁ。


 年貢の納め時、っていうヤツかにゃ?

「そっかじゃないよ!! 何で、なんでアタシ達に、しら、せ、えっ――ぐ――!!」


 雨の中でもそれと分かるほどに大粒の涙を流しながら、美嘉ちゃんはアタシに抱きついた。

「ごめん、志希ちゃん。ほんとに、アタシ――ほんとに、ひどかったよね――!」

482: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 01:23:29.76 ID:m6szqZZ10
「苦しい、苦しいよ美嘉ちゃん。にゃははー」

 アタシの胸の中でわんわんと泣く美嘉ちゃんに、かける言葉が見つからない。


 困ったなぁ。割とホントに、苦しいんだけどなぁ。

 胸の奥が、苦しくて――。


「あはは、は、は――」

 強く抱きしめられると、こんなに温かいものなんだって、知らなかったから。


 行き場を失った感情が、溢れ出てしまうのを、もうアタシは堪える事ができない。



「ひ、いっ――う、うぅ、わああぁぁ――!」


 まだアタシは、皆と一緒にいて良いのかな――。



 脅し立てるように打ち付けていた大雨が、万雷の拍手に変わっていく。

 ようやく出会えた友達に、稲光が喜びを告げ、フレちゃんは笑った。

488: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:24:03.66 ID:m6szqZZ10
【10】

 (・)

「外ヤベーッスねー、雨」
「今日は会社に泊まりますかね」
「京王線は動いてるんじゃなかったでしたっけ? 確か、家は笹塚でしたよね?」
「まぁまぁアリさん、ヤボな事言いなさんなや。今日は皆でパーッと酒盛りしようぜ」
「や、ヤァさんあれだけ出血しといて、お酒なんて飲んだら」
「心配すんな、チビ太よ。酒はひゃくやくのチョーだろうが」

「それで、どうするんですか? 奏ちゃんもあれだけ言ってたでしょう」
「下まで送りに行った時、彼女、ずーっとプリプリ怒ってましたよ?」
「プリプリ屁こいてた?」
「いや、屁はこかないでしょ」
「ギャハハハ!」

「不必要な事を言いたくない、という気持ちも分かります。僕も敢えて言う必要は無いと思いますし。
 ただ、彼女達に不信感を与えるような態度をいたずらに取る必要も無いと思うんです」
「まぁ、そうですよね、うん」

490: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:26:37.30 ID:m6szqZZ10
「まーあれッスよ、あの子達に言いたくないんなら、オレ達が聞きまスよ」
「ヤァさんは酒の肴にしたいだけでしょ?」
「よく分かったな、寝る前の恋バナみたいでおもしれーじゃん」
「人の話を面白いって」
「まーまーアリさん! オレらにまず話してみればさ、ほら、この人も何つーか心のハードルが下がってあの子達に言いやすくなるかも知んねーじゃないッスか」
「――そりゃあ、そうかも知れませんが」
「でしょ?」

「いーから、とにかくさっさと乾杯しましょ乾杯。ほら、持って持って」
「じゃあ、とりあえずアリさん、音頭を」
「え、あ、あの――本日は、本当にすみま」
「ウェーイ、クソ野郎の円満退社にかんぱぁーい!!」
「あ、えぇぇ――」


「大丈夫ッス。オレらは誰にも言わないッスから、ねっ?」

「実際、俺らも興味ありますし。過去のお話」

「誰かに話して、楽になる事もありますよ」


「――――」

491: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:28:08.76 ID:m6szqZZ10
 小さい頃は、親父の膝の上が好きだった。

 彼がデカンタにワインを並々と注いでいくのを、特等席で見るのが楽しみだった。


 だが、それも直に見れなくなった。

 親父が仕事で干されたのだ。

 当時の職長を殴ったらしい。


 めっきり仕事が減った親父は家に居座るようになり、安い酒を大量に煽るようになった。

 俺や母さんに暴力も振るいだした。

 出過ぎた真似をすれば拳が飛んでくることを知ったので、俺は大人しいイエスマンに徹した。

 反抗するだけ無駄だと、母さんも気づいていたのだろう。黙って彼に従っていた。

 甲斐性無しの癖に偉そうにふんぞり返る親父を、俺は心の中で軽蔑していた。

492: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:30:00.76 ID:m6szqZZ10
 我慢して地元の高校を出て、東京の大学に進学する際、ようやく俺は上京した。

 奨学金で学費を賄い、バイトして金を貯めるだけの4年間だった。

 実家の援助は断った。


 最初の会社は、一年目は現場に張り付くことになった。

 職人さん達の怒号が一日中飛び交う中、彼らの施工状況をチェックし、時には是正を指示する。

 だが、大卒の青二才が指摘した所で、百戦錬磨の職人さん方が二つ返事で話を聞いてくれるはずもない。

 お前に何が分かると、無視して自主検査がパスされ、監理者検査で案の定そこを指摘される。

 どこ見て仕事してんだと、監理者に怒られた上司から俺は怒られる。


 職人さんが帰ってからが俺達の仕事で、先輩に怒鳴られながら次の日の工程を見直し、書類を整える。

 席を立ち、少しでもサボる時間を作るために、タバコを覚えた。

493: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:33:40.95 ID:m6szqZZ10
 二年目は現場から離れ、一転して本社の営業に回された。

 クライアントと設計部を行ったり来たりして、案の定その板挟みに遭う仕事だ。

「こんな事もできんのか」とクライアントにはどやされ、「何でも首を縦に振ってくんじゃねぇ」と設計部からは突き返される。

 俺は何のためにいるんだろうと、何一つ誰にも言い返せない自分がむなしかった。


 このままこの会社にいたら、俺は人の心を失ってしまう――そう思い、一度目の転職を考えた。

 安定性と仕事量のバランスを求め、狙いを付けたのは公務員だ。

 地方は暇らしいという噂は、何度か聞いていた。


 学校なんて通える暇も金も無かったから、参考書を買って、仕事の合間を縫って勉強した。

 人生最大の努力だった。

 これを逃したら俺はこの会社に殺されると思ったら、人間こんなにも頑張れるものなのかと、自分に驚いた。

 天啓があったのか、入社して三年目の夏、翌年度の俺の市役所入りが決まった。

 退職届を出し、会社の人達からは盛大に送別会を開いてもらい、意気揚々と4月から入庁した。

494: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:35:54.59 ID:m6szqZZ10
 努力した先に輝かしい未来が待っていると信じていた。

 期待に胸を膨らませる俺を待ち受けていたのは、クソのような現実だった。


 公共工事を発注する際には、業者に対し公平性が保たれるよう、一定の入札ルールがある。

 特定の業者に肩入れするような発注の仕方はできないのだ。

 ところが、入庁して早々、俺に課せられた仕事がまさにそれだった。


 早い話、俺の勤め先は、いわゆる“先生”と呼ばれる地元の有力者とズブズブの関係だったのだ。

 その先生が贔屓にしている業者が受注できるよう、俺達は入札ルールをねじ曲げさせられた。

 代わりに、俺達にも一定の飴がもたらされるのだが、それは俺の上司が根こそぎ回収していった。

 定年退職が決まっていたジジイ共が、最後の年になって先生共とグルになり、甘い汁を吸ったのだ。

 官製談合が横行していた昔の感覚そのままに汚職をしたジジイ共の尻ぬぐいをするのは、俺だった。


 それが優良な業者だったらまだ救いもあったが、残念な事にお粗末で、挙げ句の果てには事故まで起こした。

 管理責任を問われるのは、監督員である俺だ。ジジイ共は退職前の有給を使い切るため、職場に来ていない。

495: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:38:28.65 ID:m6szqZZ10
 デスマーチを経てなんとか工事は終わらせたものの、待っているのは監査と会計検査だ。

 タチの悪い事に、東京都や国からの補助金を充当している工事であり、発注方法から何から説明を求められる。

 ルールをねじ曲げた、と説明できるはずが無く、かといって合理的な説明もできない。

 俺だっておかしいと思っているのに、経緯を知らない新しい上司からは、当時の発注方法について責められる。


 どうやって無事にそれらを切り抜けたのか、覚えていない。

 たぶん、どこも似たような事をやっている手前、それを指摘して大事になれば自分達も藪蛇であると、検査員側も考えたのかも知れない。

 上手くいったと、安堵した上司が胸をなで下ろす。

 おかしな事を言いやがる。上手に不正を隠匿するのが俺達の仕事なのか?


 役所勤めの二年間で学んだことは、言い訳の仕方と、そのための資料や書類の作り方。

 そして、自分が原因者にならないための立ち回りを――責任は負うものでなく、押しつけるものだということを。

 性格は、とことん悪くなった。

496: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:44:32.01 ID:m6szqZZ10
 世の中にはもっと苦しい事もあるだろうし、俺の受けた苦しみなんて屁みたいなもんだと言う人もいるだろう。

 俺も、今振り返ってみれば、やりようはどうにかあったし、それに耐えた先の未来もあっただろうと思う。

 だが、人の幸不幸や苦しみは、定量的に、相対的に量れるものではない。

 誰かにとっては蟻に噛まれる程度でも、当時の俺にとっては象に踏み潰されるほどの苦しみだったのだ。

 期待は裏切られるもの――調子に乗った奴は叩き落とされる事を思い知った。


 すっかり乾いた眼に一つの求人を見つけたのは、出張先のコンサートホールだった。

 老朽化した公共施設の修繕工事を発注するに当り、現地を下見しに行った際、そこの掲示板にスタッフ募集のチラシが貼ってあった。

 おそらく、バイトみたいなものだろう。


 水が上から下へ流れ落ちるように、楽な方へ、楽な方へと自分の体を預けていく癖が、既に出来ていた。

 こっそりチラシを手にし、腹が痛いからと午後は早退して、その日のうちに電話をする。

 聞いてみると、俺がいた役所の外郭団体らしい。要するに、施設管理を役所から受託している法人だ。

 俺が役所の人間であることを伝えると、そのツテでトントンと話は進み、来春からの配属がすぐに決まった。

 年明けには、役所に退職届を提出した。

497: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:46:10.40 ID:m6szqZZ10
 給料は下がったが、民間時代に使う暇も無いまま蓄えたものもあったので、それほど切迫感も無かった。

 電話応対、施設使用者への鍵の貸し出し、設備や備品の点検、チラシの張り出し。

 同僚のおじちゃん、おばちゃん達と菓子を摘まみ、窓口の客と世間話をしながら、ゆっくりと時間が過ぎていく職場だ。

 今までの職場を思えば、植物のように張り合いの無いこの生活が、天国のように思えた。


 当初は非正規の雇用形態だったが、職員の一人が病気のため退職すると、直にその穴埋めのため、二年目には正職員となった。

 やることは変わらない上に、給料はちょっとだけ上がった。それでも民間時代の半分だ。

 このまま俺は、火傷も感動もする事の無い、つまらない人生を送っていくのだろう。



 転機が起きたのは、そこに勤めて三年目の冬だった。

498: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:49:05.58 ID:m6szqZZ10
 俺が勤めていた施設は、規模が中途半端であった分、その利用者も微妙に幅広かった。

 爺さん婆さん達で構成される生涯学習サークルの、音楽やら演劇関係の発表会。

 うさんくさそうな大学教授や某企業の社長さんによる講演会。

 芸人のライブや、オケもあったっけ。オーケストラ。


 地元の学校の生徒さん達による、合唱部の練習に利用される事もままあった。

 もちろん、合唱発表会の本番に使われる事も。

 何度も利用してくれる学校の生徒さん達とは、俺はそこそこ仲良くできていたと思う。


 そんな中、俺は一人の少女に出会った。

499: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:50:59.53 ID:m6szqZZ10
 その子は、小学校の合唱発表会で来ていたようだった。

 ただ、周りの子達と溶け込めておらず、一際目を引く青みがかった綺麗な長髪が、余計に異質な存在感を放っていた。

 他の子達も、露骨にイジメている訳ではないものの、明らかに彼女の事を煙たがっているようだった。

 本番前の練習で、他の子達から数歩離れた位置に一人ぽつんと立ち、ギュッと口をつぐんで頑なに歌おうとしないその子が、見るに堪えなかった。


 普段は余計な事に首は突っ込まないのだが、あまりに刺激の無い生活に、内心飽きていたのかも知れない。

 休憩時間、ロビーでやはり寂しそうに一人座っている彼女を見つけ、気まぐれに声を掛けた。


 歌は嫌いかい? お兄ちゃんもな、人前で歌うの恥ずかしいから、よく分かるよ。



 だが、少女は首を振った。歌は好きだという。


 ――――?

500: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:54:33.36 ID:m6szqZZ10
 学校の皆とは、一緒に歌いたくない?  ――少女は、頷いた。

 一緒に歌ったことは、あるの?  ――少女は、首を振った。


 他の子達は、歌に対して真剣じゃないから嫌い、という。



 そっか――。

 じゃあ、試しに一度だけ、一緒に歌ってみてあげたらどうかな?


 そう提案すると、少女は顔を上げて、不思議なものを見るように俺の顔をのぞき見た。


 一緒に歌ったことが無いのに、真剣じゃないなんて決めつけて、心を閉ざしたらもったいない。

 一度だけだよ。皆のことを嫌いになるのは、それからでも遅くはないと思うよ。



 ――発表会本番で、彼女は俺の提案通り、歌ってくれた。

 小さい体に秘められた声量もさることながら、驚くほど綺麗で美しく、力強くも繊細な歌声が、強烈に印象に残った。

 演奏後、彼女は興奮気味の同級生達に取り囲まれて当惑していた。

501: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:56:30.80 ID:m6szqZZ10
 柄にも無くキザったらしい事をしてしまったが、まぁ――これはこれで、良かったのかな。

 そう、一人客席の隅っこに立って物思いに耽っていると、後ろから肩を叩かれた。

 誰だ、館長か? やべっ、サボッてるのがバレ――た訳では無かった。


 俺の肩を叩いたのは館長ではなく、茶色いスーツを着た壮年の男性だった。


 曰く、近くアイドル事務所の立ち上げを考えているらしく、その中心的スタッフであるプロデューサーなる人材を探しているらしい。

 そして、彼は俺をそのプロデューサーとして、ぜひスカウトしたいのだという。

 なんでも、先ほどの少女とのやり取りを見て、ティンと来たらしい。原文ママ。


 渡された名刺を見ると、何ともヘンテコな名前だが、それ以上に心配なのが、新規立ち上げという点だ。

 安定性を是とする俺の価値観と異にするこのシチュエーションは、当然に忌避すべきではあるのだけど、このおっさんが思いの外しつこい。

 まぁ、半日程度話を聞くだけなら良いですよ、と渋々了承した。

 話を聞くフリだけして「やっぱ無理です、ごめんなさい」と断ってさっさと帰ってやろう。

502: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:57:18.43 ID:m6szqZZ10
 マルチ等の勧誘を断る際のセオリーは、その場でキッパリ断ること。

 話だけ聞く、という半端な対応は御法度であるという。


 後にして思えば、俺はここで道を踏み外したのだ。

503: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 19:59:26.38 ID:m6szqZZ10
 渡された名刺の住所から最寄り駅を調べ、当日、その駅からタクシーで向かった。

 運ちゃんに事務所名を伝えると、小首を傾げた後「あぁ、あそこね」と合点した様子で車を走らせる。


 ――何だか、やけに駅から遠いな、とは思った。


 出向いた先は、天にも届かんとばかりの、随分と立派な高層ビルだった。

 新規に立ち上げたとは思えない、格式高いエントランスをくぐると、配慮の行き届いた案内嬢が出迎えてくれた。

 社長に呼ばれて来た旨を伝えると、少し疑問符を浮かべながら、案内の女性は奥へと消えていく。


 ロビーで待つよう促され、とりあえず座ってみたものの、あまり綺麗な空間なもので落ち着かない。

 スーツを着るのも久しぶりだったので、肩が凝って仕方が無かった。


 こんな自社ビルを所有するとは、飄々としていながらあのおっさん、何者だ――。

 そう思いながら待つこと20分、おっさんがやって来た。


 だが、そのおっさんは、俺がこの間会ったおっさんとは別人だった。

504: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:02:02.71 ID:m6szqZZ10
 え――!?


 曰く、ここは961プロという別の事務所で、俺をスカウトしたおっさんは765プロの社長だという。

 そんなん知るかよ! いや、ロクに調べもせず、行先を正確に運ちゃんに伝えなかった俺が悪いけども。

 だが、数字3文字のヘンテコな名前した芸能事務所がそう何社もあるなんて、普通は思わねぇべ!


「フン、間抜けが――だが、良い機会だ。キミにはとっておきの転職先を用意してあげる事にしたよ」

 歳の割に派手でキザったらしく、どうにも高慢なそのおっさんが、俺に一枚の紙を差し出した。


 見ると、それは別の事務所――346プロダクションとかいう所のパンフレットだ。

 また数字3文字? 何なんだこれは。


「予定を取り付けておいたから、暇であればこれから出向いてみるがいい。
 もっとも、この話を反故にしたら、キミの身の安全は保障できんがねぇ。ン~~?」

 脅しとも取れる高圧的な態度で、おっさんはそのパンフレットを俺の手に強引に握らせ、そのまま背を向けて去って行った。


 後になって、彼が961プロの社長だと知った。
 あんなオラついた人が社長かよ、大丈夫?

505: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:05:26.67 ID:m6szqZZ10
 ここまで来て何もせず帰ったら、何のために今日有給を取ったのか分からない。

 そんなくだらない貧乏性から、俺の足はその346プロなる事務所へ向けられていた。


 着いてみると、これはまた趣向の違う立派さが漂う建物だ。

 とにかく超高層ビルだった961プロと違い、346プロの事務所は驚くほどという高さは無い。

 一方で、外観の装飾は煌びやかで、門塀も格調高い。外構の植栽も手入れが行き届いているようだ。

 いたずらに高層でない事が、逆に敷地内の容積を贅沢に使用していることの証左でもあるかのように思える。


 エントランスに入ってすぐそばの、一流ホテルを思わせる受付に用件を伝える。

 丁寧に会議室に通され、10分ほど待つと、白髪頭の壮年の眼鏡の男性が、秘書と思わしき緑の制服を着た女性と一緒に現れた。


 アイドル事業部の今西部長と、総務部管理課の千川さんだ。

506: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:07:22.49 ID:m6szqZZ10
 今西部長の口から伝えられたのは、俺にとって驚くべき内容だった。

「それでは、4月1日よりよろしく頼むよ。何か分からない事があれば、彼女に聞くと良い」


 ――?

 さっそく分からない。どういう事だ?

 聞けと言われたその千川さんに目をやると、彼女は穏やかな笑みをたたえながら俺の前に用紙を差し出した。

「ご住所と、通勤経路をこちらに書いてご提出ください。
 旅費等の経費は翌月頭の精算払いになりますので、申告は漏れが無いようにお願いしますね」


 い、いや――ちょっと待ってください。
 いつの間にか、こちらで働くみたいな話になっていませんか?

「ん、違うのかね?」

 ちげーよ! と声を大にしてツッコみたい所をグッと堪える。

507: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:11:24.24 ID:m6szqZZ10
 どうやら、961プロから346プロへは、俺のことは優秀な人材として紹介されたらしい。

 明日にでも働きたいと、アイドル業界の未来を憂う期待のプロデューサーである、と。

 何考えてんだ、あのおっさん。


 と、これは後で知ったのだが――。

 当然、961プロは本心でそう思っていた訳ではなかった。むしろ、俺を一見して能無しと判断していた。

 それを346プロに、紹介という形で押しつける。当然、346プロは俺の扱いに困るだろう。

 だが、これを蔑ろにした時、961プロはそれを逆手に取り、346プロのイメージダウンを謀っていたようだ。


 同業他社からの好意的なビジネス提案を反故にするばかりか、求人にも後ろ向きで閉鎖的。

 事務所協同による業界の隆盛を望まない346プロは、自分本位の城を築こうとしている、と。


 あの短時間の間にそこまで算段を付け、346側とも段取りした辺り、961プロ社長の判断力と行動力には目を見張るものがある。

 ただ、少し飛躍しすぎじゃないかと思う――が、そこは信用に過敏な346プロである。

 ここで俺を叩き出した場合の、961プロの出方もよく承知していたのだろう。

 なので、一応のゲスト対応、というか、入社を受け入れる姿勢は示してみせたという事である。

 だが、最終判断は俺に委ねた――入社しなかった場合の原因者が346側にならないよう、彼らも老獪に立ち回ったというわけだ。

508: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:13:09.08 ID:m6szqZZ10
 曲がりなりにもコンサートホールの職員という事もあり、一般の人間よりは芸能分野に精通しているとでも思ったのだろうか。

 とはいえ、俺には当然、今の仕事がある。

 本来であれば、二つ返事でノーを突きつけるところであるが――。


 今一度考えてみてほしいという、穏やかかつ妙に熱のこもった今西部長の、去り際の一言。

 そして――。

 事務所を出る前、千川さんに促され、案内されたレッスンルームで目の当たりにした、一心不乱に汗を流す少女達。



 彼女達は、何のために、何を求め、斯様に苛烈な環境に身を置くのだろう?

 翌日以降も、俺はそれが脳裏に焼き付いて離れず、仕事が手につかない日々がしばらく続いた。


 見かねた館長が俺に声を掛ける。

509: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:14:35.88 ID:m6szqZZ10
「君には、おそらくここの仕事は退屈なんだろう。
 若く未来のある人間が、自分の力を持て余してはいけない」

 体良く自主退職を促しているのかとも思ったが、この館長さんは良い人だ。


 当時の俺は、刺激も抑揚も無いあそこの仕事によほど飽きていたらしい。

 魔が差すには、十分すぎるほどに。


 館長には、年度内いっぱいでの退職届を受け取ってもらい、346プロに電話をした。



 俺の人生観が決定的となったのは、この346プロでの一年目の仕事が全てだった。

510: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:17:58.28 ID:m6szqZZ10
 一年目、本社の事業三課に配属された。

 そこで一緒になったアリさんとは、当時から先輩後輩の間柄だった。

 彼は真面目で、俺は不真面目だから、アリさんはさぞかし扱いに困っただろうと思う。

 ただ、同郷だし同世代というのもあって、先輩でありながら気兼ねなく話せることもあった。

 同期入社にはヤァさんやチビさんもいたが、アリさんの方が割と付き合いは多かったように思う。


 そして、俺達はとある候補生に出会った。

 既に成人していた彼女は、候補生の中でも落ち着きのある女性だった。

 悪く言えば、自己主張をあまりしない子だったように記憶している。


 一応は俺が担当になったが、一年目の俺に全権が託される訳では無く、アリさんが副担に就いた。

 分からない事は全てアリさんに聞いて処理していたから、実質俺なんてプロデューサーとは名ばかりの連絡係のようなものだ。

511: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:20:27.02 ID:m6szqZZ10
 その子は、優秀だったと思う。

 ビジュアルはもちろん、ダンスもボーカルも、水準以上のものは優に備わっていた。

 オーディションを受ければ、同時期にデビューしたアイドル達などは相手にならず、楽々と合格できてしまう。


 オーディションを合格するたび、アリさんは子供のように喜んだ。

 仕事にもアイドルにも情熱を傾けていたから、それが認められた時の喜びはひとしおだっただろう。

 俺は、仕事が増えるのはあまり面白くないのだけど――でも、その子も喜んでいるように見えたから、別に良いかと思っていた。


 それで、調子に乗ったんだろうな。

 もちろん、勝てる算段があった上でのことだったが、その子をよりランクの高いオーディションに受けさせたのだ。


 そして、初めて負けた。

 緊張に押しつぶされて、彼女が本来の実力を出し切れなかったのは明らかだった。

512: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:21:45.75 ID:m6szqZZ10
 アリさんは彼女を励ました。もちろん、俺もフォローした。

 次は上手くいくさ、頑張ろう――そう言うと、彼女も微笑みを返してくれた。


 その次も、ダメだった。

 普段の彼女からは考えられないミスを、本番で犯した。

 どうにも様子がおかしいので、俺はアリさんに、しばらくオーディションは止めにしようと進言し、彼も了承した。



 仕事先への送迎や現場立ち会い、関係先との調整は、主担当である俺の仕事だ。

 アリさんまで全て付きっきりという訳にはいかない。

 つまり、彼女の異変に気づいたのは、俺しかいなかった。


 とある仕事帰りの車内で、彼女はひどく陰鬱な表情をして、ジッと俯いていた。

513: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:23:49.26 ID:m6szqZZ10
 最初は、仕事が忙しくて辛いのかな、と思った。

 無理しないで、キツかったらいくらでも休んでいいぞ。

 たとえ一日二日休んだ所で、今の君ならそう信用を無くすような事も無いだろう。

 アリさんはドタキャンなんて許さないだろうけど、俺は別に何とも思わないし、何なら俺も一緒に怒られるからさ。

 そう言ったけれど、彼女は首を横に振った。

 仕事は楽しいから大丈夫、と――。


 それから幾日か後、久々にオーディションを受けさせた。

 成功体験を積ませるためのものであり、彼女の実力なら、まず問題は無いレベルのはずだった。

 彼女は、アッサリと負けた。


 本社で待機するアリさんに報告すると、もっとオーディションを受けさせろと、上層部から迫られているという。

 後でゆっくり相談させてくださいと通話を切り、彼女の楽屋を開けると、荷物だけが置いてある。


 外に出て、建物の陰を覗いてみると、彼女は一人で泣いていた。

514: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:25:44.47 ID:m6szqZZ10
 彼女は言った。

 プロデューサーは、「これなら出来る」と私に期待して仕事を託してくれるのに、私はそれに応えることができない。

 私なりに頑張れば頑張るほど、どんどん自分が見えなくなっていく。

 私は、なんてダメなのだ――と。


 あまりに優しすぎる彼女は、物事を上手に割り切れるだけの器用さを持ち合わせていなかった。

 俺達の夢と期待を一身に受けてきた彼女の心は、ついに決壊してしまったのだ。


 俺は、彼女に引退を提案したが、彼女は泣きながら首を横に振った。

 自分の勝手な都合で、事務所に迷惑を掛ける訳にはいかない、と。

 何が迷惑なものか、自分の身を優先しろと説得したが、真面目すぎる彼女は聞く耳を持たない。


 早々に彼女を自宅に送り届け、その足で事務所に戻ってアリさんと相談をした。

 だが、上層部は彼女に“より一層の成長”を強いるつもりらしい。


 このままでは、彼女は本当に壊れてしまう。

515: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:27:34.96 ID:m6szqZZ10
 とあるライブの日だった。

 単独ライブではないが、そこそこ宣伝に金を掛けてもらっていた、小さくない規模のものだ。


 その当日俺は、ステージ衣装が注文していた仕様と全然違うと、スタッフに対して盛大にキレた。


 実際は、衣装は注文通りのもので、キレたのは当然、演技である。


 精一杯騒ぎ、喚き散らし、挙げ句の果てにはその衣装をビリビリに引き裂いてみせた。

 突然訳の分からない言い掛かりで怒り狂う俺を見て、スタッフはもとより、彼女もアリさんも相当驚いたと思う。


 止めに入ったスタッフの胸ぐらを俺が乱暴に掴み、グラグラと揺らした所で、アリさんが俺を取り押さえた。

516: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:30:29.12 ID:m6szqZZ10
 その日の仕事は、当然キャンセルとなった。

 それどころか、培ってきた業界への信用が台無しになったとして、346プロは彼女の起用を当面見送るとした。

 アリさんは上層部へ直談判しに行ったが、無駄だった。

 一人のプロデューサーが訳の分からない暴走をしたせいで、彼女は事実上、引退に追い込まれたのだ。


 あまりに突然だった俺の行動を、彼女がどう思ったのかは分からない。

 やがて彼女は事務所を去り、アリさんは俺を責めた。

 だが俺は、これ以上道義に反することをしたくは無かった。


 上層部は、当然に俺をクビにするつもりだったのだろう。

 だが、アリさんはそれについても進言をしていた。

 彼は精神的にかなり参っている。休ませる時間を与えてやってほしい、と。


 かくして俺は、人里離れた奥多摩支社に転属が決まり、悠々自適な社内ニート生活を送る事になる。

 メンタルを壊して離職した社員が相当数いると知られたら、業界に対して都合が悪いのだろう。

 そこは面目と体裁を気にする346プロ。そういう社員を匿う部署も用意している辺り、なんとも周到な事だ。

517: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:33:41.48 ID:m6szqZZ10
 この会社は――というより、この国は良くない意味で優しい。

 落ちこぼれの尻ぬぐいを、他の優秀な奴がやらされるシステムになっているのだ。

 正直者が馬鹿を見る、というのであれば、尻ぬぐいさせる側に回った方が良いに決まっている。


 そして何より――この業界は、何と残酷なことだろう。

 夢を見た者は、いずれ相対する非情な現実を前に打ちひしがれる。

 見る夢が大きいほど、それを手に出来なかった時の挫折は、非常な苦しみとなって彼女達を襲うのだ。

 俺自身、それを経験し、よく分かっていたはずなのに――それを彼女に強いてしまったのは、弁解の余地も無い。


 問題は、人が手にできる夢は限られるということ。

 そして、俺達プロデューサーは、彼女達に対し際限なく夢を煽り立てる側だということだ。


 俺達が彼女達に期待をさせてしまえば、それはいずれ待ち受ける挫折において落差を付けるための持ち上げにしかならない。

 俺自身、期待を裏切られる苦しみを味わってきたから、それを年端もいかない女の子達に強いるのはまっぴらゴメンだった。

 だから、辺境の事務所でずっと、そういう仕事からは遠ざかっていたかったのだけれど――。

518: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:36:46.35 ID:m6szqZZ10
 奥多摩支社に配属されて三年が経とうとした頃、翌年度の本社入りが決まった。

 鬱になった社員の穴埋めで、事業三課に戻る事になったのだ。

 上手いことやりやがって、と思ったが、どうやらソイツの鬱は本物だという。


 事業三課に戻って与えられた仕事は、候補生である速水奏さんの面倒。

 そして、新しい候補生のスカウトだった。


 今いる速水さんの面倒は、仕方が無い。

 できれば辞めさせてやりたい所だが、彼女自身が高い意識でもってそれを望むなら、何も言うまい。

 一方、新しい子をスカウトする――すなわち、非情な将来を約束された被害者を、俺自身が新たに引き入れるというのは、抵抗があった。

 だが、今度の上司は口うるさく不寛容で、適当に理由をつけて無視する訳にもいかないらしい。


 まぁ、そりゃそうか。それが俺達の仕事なんだものな。

519: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:43:09.58 ID:m6szqZZ10
 渋々街に繰り出して、めぼしい子を探してみる。

 と言っても、これだけ人がいる中で、誰か一人を特定するというのは非常に難儀な事だ。


 理想は、あまりやる気の無さそうな子がいい。

 レッスンや仕事が思いの外キツいとか言って、すぐ辞めてくれれば、その子が受けるダメージは少ないだろう。

 変に熱を持って、狭い視野でのめり込んでしまうような子は、後が怖い。

 アイドルに重心を傾けなさそうな子を、率先してスカウトするというのは矛盾を感じるが――理想は、それだ。


 そして、一人の女の子が目に付いた。

 透き通るような白い肌、銀色の髪に、整った顔立ち。スラリと伸びる長い手足。

 だが、容姿はこの際どうでも良い。


 その子は、駅ビルをボーッと見上げながら、東京ばな奈をモグモグと頬張っている。

 いかにも上京して間もない地方出身者――それに、あの若さだと自立して働いているようにも見えなかった。

 つまり、彼女に仕送りをやれるだけの、経済力のある後ろ盾が彼女にはいるらしい。

 差し詰め実家が裕福なのだろう。

520: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:45:58.64 ID:m6szqZZ10
 適当に声を掛け、喫茶店に招き入れる。

 話を聞くと、どうやら彼女は京都の和菓子屋の娘らしい。

 アイドルにもさして興味は無さそうだ。


 何という僥倖だろうか。

 アイドルを辞めたとしても、彼女には実家の和菓子屋という確固たる滑り止めがある。

 俺はこの子をスカウトすれば、上司に対して一応の面目は立つし、後で適当な理由で辞めてもらっても、この子自身が受ける傷は心身共に浅い。

 俺が求める理想の人材そのものだった。


 その子から、何で自分をスカウトしたのかと聞かれ、しどろもどろになりながら、俺は――。

「ティンと来たから」

 と答えた。


 きっと、馬鹿にしてるのかと思われただろう。

 俺だって、あの社長から言われた時は「はぁ?」と、今目の前にいるこの子と同じリアクションを返していた。

 だが、不思議なもんだよな。そうとしか答えようが無かった。

521: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:49:18.71 ID:m6szqZZ10
 その後については、特筆すべき事は無い。

 いつの間にか城ヶ崎さんが合流し、間もなく連中の意向により宮本さん、一ノ瀬さんも仲間入りして、今に至る。

 俺は、LIPPSの傍にたまたま居合わせたに過ぎず、能動的に彼女達を導いてきた事なんてただの一度として無かった。


 なぜなら、彼女達は今すぐにアイドルを辞めるべきだと思っているからだ。

 いや、彼女達だけじゃない。ほんの一握りの、本当のトップアイドル以外のアイドル達は、舞台を降りるべきなのだ。


 過信と期待は、身を滅ぼす。

 夢を追う限り、それはいずれ必ずやってくる。

 ああいう苦しみは、もう誰にも味わってほしくない。

 まして、あの支社長のように、クソみたいな輩の都合で弱い者が簡単に振り回される業界だ。


 逃れられない挫折に怯えながら、この腐った世界に長居しなきゃいけない理由がどこにあるというのか。

 俺は――もう何も期待できないし、彼女達も、何も期待しない方が良いのだ。



 ――――。

522: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:53:22.78 ID:m6szqZZ10
「――ふーーん?」
「重たい話ですねー」

「そうですね――服部さんの事は、本当に残念でした」

「服部さん、っつーんスか」
「高垣楓とは同世代、かつ同期でした。
 順当にいけば、今頃は彼女と双璧を成していたかも知れません」
「本当ですか? そんな人が――」

「僕もあの時、彼女の異変にちゃんと気づいてあげられたら――お偉方を説得できていたらと、後悔しない日はありません」


「ただね――彼女に期待をした、夢を託した、そのこと自体は、僕は間違いだとは思っていないんです」


「夢や期待が人を潰す、というのは、確かにそういう側面もあるのかも知れません。
 ですが、彼女の挫折は、夢や期待のせいではない。もちろん、彼女自身のせいでも」

「あれはやはり、僕達の力不足だったんです。
 しっかり導く事が出来なかった責任は、僕達が受け止めなくてはならない」


「彼女達が恐れること無く、夢を抱き続けられるよう、導いてやることこそが、僕達の仕事なんだと思います」

「だって、アイドルは夢見てナンボだし、夢を見させてナンボじゃないですか」



「ねぇ、周子ちゃん?」

523: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:54:09.14 ID:m6szqZZ10
「んー、あたしはプロデューサーさんの言うことも正直、分からなくもないっちゃーないんだけどね」


「奏ちゃんや美嘉ちゃんなんかは、今の話聞いたら怒るやろなー」

524: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:57:06.38 ID:m6szqZZ10
 (◇)

 ソファーの陰からひょっこり姿を現したあたしに、プロデューサーさんは目を丸くしてる。
 あたし、ずーっと寝そべって聞いてたのに、全然気づかないんだもん。

 まぁあの人からは見えない位置だけどさ、分からないもんなんだねー。あははっ♪

「でもさー、あたしのあのスカウトの仕方? あれさー、やっぱあたし、無いと思うわ」


「何で、君がここにいるんだ」
「いやほら、仕事終わって事務所に戻ったらさ、すごい雨降ってきたから、止むまでココで寝てよーって」
「確信犯だろ、絶対」

 プロデューサーさんは、チビさん達をギロリと睨み付けた。
「ちょ、ちょっと落ち着いてください。俺達は何もしてませんよ」
「そーそー、オレっち達は何も言ってないでしょ?
 たまたまここにいた周子ちゃんが、たまたまアンタの話を聞いちゃってただけっスよ。ねー周子ちゃん?」

「イェー♪」
 ヤァさんとピースサインを送り合う。
 いつの間にお前ら仲良くなってたんだ、とでも言いたげのプロデューサーさんの表情がすこぶる面白い。

 まー、同じ事務室にいるんだし、LINEくらいは交換するでしょ。
 プロデューサーさんのID知らんけど。ていうか教えてくんないし?

525: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 20:59:11.31 ID:m6szqZZ10
「とにかく、今タクシー呼ぶから、早く帰りなさい」
 そう言って、プロデューサーさんが受話器に手を伸ばすのを、チーフさんが制した。

「良い機会だと思いますし、彼女達と一度、向き合ってみてはいかがでしょう?
 周子ちゃんも、たぶん今の話を聞いて思う所もあるでしょうし、あなたも彼女が相手なら、比較的話しやすいのでは?」

「ちょうど酒も切れちまったしよォー」
「飲み過ぎっすよヤァさん、大丈夫ですか?」
「ひゃくやくのチョーっつってんべ」

 急にガタガタと席を立つチーフさん達に、プロデューサーさんが困惑の表情を浮かべる。
「あ、あの――」

「それじゃあ、僕達はこれで。どうぞごゆっくり」

 バタンとドアが閉まると、あたしとプロデューサーさん二人だけになった室内は、途端に静かになった。



「――仕事が終わって事務所に戻った、と言っていたけど」
 話題を選んだ風に、静寂を破ったのはプロデューサーさんだった。

「今日、塩見さん、何か仕事あったっけ? それとも、頼んでいた城ヶ崎さんへの伝令のことか?」

526: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:01:16.35 ID:m6szqZZ10
「んーん、ちゃんと仕事してきたよ? 美嘉ちゃんの代打でね」
「代打?」

「オーディション、あたしが代わりに受けてきたんよ。
 美嘉ちゃんを志希ちゃんのトコへ行かせる代わりにね」

 ムフフと笑ってみせたけど、反対にプロデューサーさんは頭を抱えてしまった。

「無茶苦茶だ――上手く行ったのか? というか、先方に迷惑はかけなかっただろうな」
「まぁー、飛び入り参加な上にあんな態度で、アレで合格しちゃったら、あたしは伝説になるだろうねー♪」
「勘弁してくれ」

 大きくため息を吐きながら、プロデューサーさんは缶ビールを流し込む。
「君達の相手は、本当に疲れるよ」


「プロデューサーさん、あたし達の担当を辞めちゃうの?」

 あたしが問いかけても、プロデューサーさんは黙って自分のデスクに向いたままだった。


「奏ちゃんから、その――メールで聞いてさ?」

「そうか」


「で――どうなのかなーって」

527: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:03:01.82 ID:m6szqZZ10
 プロデュ-サーさんは、缶ビールをもう一度煽って、それをデスクに置くと、頬杖をついた。

「塩見さんは――」

 そう言いかけて、プロデューサーさんは止まり、かぶりを振った。


「――何て?」

「いや――何でもない」
「いやいや、絶対何でもなくないやん、言ってよ」

「まぁ、その――塩見さんは、俺に続けてほしいのか、って、聞こうとしただけだよ」

 プロデューサーさんは、バツが悪そうに頭をクシャクシャと掻いて、またため息をつく。
「ただ、君達がどうとかじゃなく、俺が自分の勝手で担当を降りる訳だから、聞くだけ無駄だと思ってな」


「あたしがここで、続けてよ、って言っても、意志は変わらないってこと?」

「元々、俺には向いてない仕事だったんだ」

528: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:06:23.97 ID:m6szqZZ10
「あたし達のせい?」

 別に、無理に続けてほしいワケじゃない。ただ――納得したかった。

「言っただろ。君達のせいで降りる訳じゃないよ」
「本心とそうでないのを、あたしが見抜けないとでも思ってんの?」
「――――」

 プロデューサーさんの返答は、まだ、納得できるものじゃない。
 やっぱり、この人は隠してる――体の良い言葉で取り繕って、あたし達を躱そうとしている。


「自慢じゃないけどさ――あたし、LIPPSの中で、プロデューサーさんに唯一スカウトされた子なんだよね。
 美嘉ちゃんが教えてくれたんだけどさ」

「――自慢じゃないのか」
「まーまー。だから、って訳じゃないけど――っと」

 ソファーから立ち上がり、プロデューサーさんのデスクに、おざなりに腰掛けてみせる。
 プロデューサーさんは、驚いた表情であたしの顔を見上げた。


「あたしとプロデューサーさんの仲やん。
 ってことでさ。本音トーク、しちゃっていいんじゃない?」

529: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:09:50.22 ID:m6szqZZ10
「――もう君達が嫌いだ、顔も見たくない、だから辞める――と言えば納得するのか?」
「そーいう事じゃないってあーもー、ほんっと分かっとらんな」

 握り拳で膝をトントンと叩く。こんのオッサンときたら――。

「そういう、なんちゅーのかなぁ、打算的な返答は聞きたくないんだよね。
 本音を教えてよ。プロデューサーさんの本音をさ」
「本音」
「そう。あたし達、これでも割とけっこープロデューサーさんと仲良くしたいんだよ?
 よく分かんないまま降りてもらいたくないんよ。奏ちゃん達にも報告できんし」

「あっ――」
「報告?」


 げっ――いらん事言ったな、あたし。

「速水さん達に、ここでの話をバラすのは、勘弁して欲しいな」
「あはは、いやー少なくとも、奏ちゃんにはちゃんと話すべきだと思うよ?」

 何より、プロデューサーさんの情報を引き出せというのは、他ならぬ奏ちゃんからの厳命であったのだし――。

「奏ちゃん、未だに“君達には何も期待していない”発言を根に持ってるから、少しは誤解も解けると思う」


「何か、言い訳がましいから、いい」

 そう言って、プロデューサーさんは回転椅子をグルッと回して背を向けた。
 すかさずあたしもそっちに回り込んで、置いてあった空き椅子に座り直す。

「あたし、口軽いんだよね」
「だよなぁ」

530: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:12:46.09 ID:m6szqZZ10
「まぁ、悪いようにはせんて。で、話を戻すけど――」

「さっき話した通りだよ。俺は君達に、アイドルを辞めてほしいんだ。夢破れて苦しむ前にな」

 プロデューサーさんは、席を立ち、給湯器の方へ歩き出した。
「コーヒー飲む?」
「ううん、いいや」

「夢は破れるためにある。トップアイドルなんて、まさにそうじゃないか。
 それを目指したが最後、トップ以外の全てのアイドル達は敗者になるんだ。
 俺は、君達がそうなるのを避けたかった――それが望めないのなら、君達の行く末をこれ以上見届けたくはない」


 ははーん――こいつは、思ったより重症ですなぁ。随分とこじらせてはるようで。

「LIPPSは泥船だって言いたいワケ? リアリスト気取りのプロデューサーさん的には」

「LIPPSだけじゃなく、およそ夢を目指す全ての盲目的な人は、沼に片足突っ込んでると思うよ」


 カチャカチャとカップの中身をかき混ぜ、一口啜る。
 ホッと息をつくと、少し落ち着いたのか、プロデューサーさんはあたしの方に半分だけ身を向けた。

「――結構俺、酷いことを言ってるよな。気分を悪くさせて、すまない」
「いいって、あたしが本音言えー言ったんやし、それに」

531: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:15:12.92 ID:m6szqZZ10
「プロデューサーさんが思ってるほど、あたし達、そこまでヤワじゃないしさ」

 二口目を啜ろうとした手を止めて、プロデューサーさんはあたしの顔を見る。


「たぶんだけどね? 今度の『アイドル・アメイジング』であたし達、勝てなかったとしてもさ。
 志希ちゃんは、きっとそれを敗北だとは考えないと思う。アイドルを通して得るもの全てが、彼女の望む成果だから。
 フレちゃんだってそう。そもそもあのコ、勝ち負けなんて概念無いんやないかな?
 何でも楽しめちゃうコやし、きっと優勝したライバルを誰よりも盛大にお祝いしてると思う」

 自分で言いながら、その光景が目に見えるようで、思わず笑いが零れてしまう。


「美嘉ちゃん――美嘉ちゃんはたぶん、相当悔しがるんだろうね。
 でも、歯を食いしばって割とすぐに立ち上がると思う。そんな素振り見せないけど、色んな苦労乗り越えてそうだし。
 奏ちゃんはまぁ、ヘコみそうやなーあのコ。割と気張ってるトコあるし、それが報われなかった時は、ずーんってなりそう」

「俺も、速水さんにはそれが心配でな。城ヶ崎さんも、案外簡単にポッキリいくんじゃないかと」
「あはは、まぁそんな時はあたしやフレちゃんで上手くフォローしとくから、心配いらんて」


「塩見さんは?」
「ん?」

532: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 21:18:54.57 ID:m6szqZZ10
「君は、次のステージでもし勝てなかったら、どうなるんだ」

 恐れを隠すように、ひどく神妙な面持ちでプロデューサーさんがあたしに問いかける。
 そんなさ、大袈裟に構えんでもええのに。

「あたしは、うーん――分かんないな。その時になってみないと」
「玉虫色の回答だな。塩見さんらしい」
「あはは、そんなんじゃないよ。ホントに分かんないの。ただ――確かめたい、かな」
「確かめたい?」

 プロデューサーさんが小首を傾げる。

「まぁね。ほら、いつかプロデューサーさん、言ってくれたでしょ?
 あたしはあたしの仕事をすれば良いってさ。
 あの言葉、今でもあたしは正しいと思ってるし、これからもそれに従おうと思ってる。けど」

 グイッと椅子から立ち上がってみる。目線はまだまだ、プロデューサーさんよりも下だ。


「あたし、まだアイドルってなんなのか、よく分かってないんだよね。好きなのかどうかすら。
 適当って、それはそれで立派な処世術なんだけど、結局は一生懸命になってみないと、それの本質って分かんないのかなって思う。
 だからさ――」

 ふふ――あたしが本音を話す事になるとはね。まぁ、ギブアンドテイクか。

「お生憎様だけどあたし、今日のプロデューサーさんの話を聞いて、もっと一生懸命になろうって思ったよ。
 少なくとも、アイドルがあたしにとっての夢なのか、それだけは今度のフェスでハッキリさせたい。自分の中で。
 あたしにとっての負けがあるとすれば、それが分からなかった時だね、きっと」


次回 LiPPS「MEGALOUNIT」 後編