3: ◆UiYaPp9XQQ 2018/06/28(木) 15:34:19 ID:jbgfRE0A0
 喫茶店の店主(身長163cm 体重 51.5kg B85W67H90 )は、しげしげと周囲を見回した。ついに手に入れた、自分の喫茶店。
 
 思い切って会社を早期退職し、学校へ通った。すっかり固くなった頭で勉強は大変だったが、夢を叶えるために、彼は挫けなかった。
 年老いた身体で、他の喫茶店のバイトも経験した。孫ほど若い子と一緒に働くのは苦痛ではなく、むしろ新鮮だった。
 
 コツコツ貯めたお金で郊外に構えた店は、彼のこだわりがぎっしりと詰められていた。
 
 椅子やテーブルは知り合いの家具職人と、納得がいくまで話し込んで作り上げた。
 照明もLEDではなく、あえて白熱電球を使って、明るすぎないようにしている。
 壁は赤レンガ、天井と床はアンティーク加工を施した木材で統一。

 だが彼がもっとも誇らしいのは、随所に配置した書棚だった。

 彼は、若かりし頃から本と珈琲を愛してきたのだ。それよりも大切だった家内はもういない。だから、彼は喫茶店に惜しげもなく費用を投じた。

引用元: 鷺沢文香のいる風景 



4: ◆UiYaPp9XQQ 2018/06/28(木) 15:43:46 ID:jbgfRE0A0

 今日はオープン初日。ひょっとしたら客はこないかもしれない。いや、一生誰もこないかもしれない。
 だが、彼はそれでもかまわなかった。彼にはもうこの店しかない。
 この店と共に朽ち果てる。その覚悟だった。

 彼のやや悲愴な決意をよそに、11時30分ころ、はじめの客がドアを開けた。

「いらっしゃいま……」

 彼は息をのんだ。

 濡れるように艶やかな黒髪が、目元を隠している。カチューシャ。
 いじらしい小ばな。しな、とした唇。
 
 季節は早春。まだ寒い。
 彼女は薄い青色のセーターを着ている。その上からストールが、彼女を守り、つつむようにまとわっている。

 彼は確信した。この子は文学少女だ。ついでに可愛い!

5: ◆UiYaPp9XQQ 2018/06/28(木) 15:54:20 ID:jbgfRE0A0
 軽く咳払いをして、席に案内する。

「……タンザニア、ブラックと……サンドウィッチのセットを……おねがいします……」

 たどたどしくも、はっきりと聞き取れる言葉で彼女が言った。
 彼は上機嫌になった。

 タンザニアもサンドウィッチも、彼が得意なメニューだ。そして声が可愛い!

 キッチンからは店内が一望できるようになっている。
 彼は手早く作業をしながらも、女の動向を見守っていた。

 どの本を取るのだろうか。どの本をとっても、それはすでに彼が読んでいるものであるから、コーヒーやサンドウィッチを出しつつ、ウィットに富んだ会話ができればいい。

 女ははじめに推理の棚へ歩き、迷わず一冊を抜いた。次に恋愛の棚へ、その次には随筆、詩、空想科学……。
 結局彼女は、大小10冊以上の本をテーブルに積んだ。

6: ◆UiYaPp9XQQ 2018/06/28(木) 16:05:40 ID:jbgfRE0A0
 コーヒーやサンドウィッチを置くスペースが狭いが、彼は気にしない。
 どれも格別に面白い本なのだ。ああなっても仕方ない。

 はじめにコーヒーをテーブルに運ぶ。

「タンザニアのブラックです」

 女はしっとりとカップを見つめた。コーヒーは熱々だ。
 カップを軽くもちあげて、口元へはこぶ。

 それだけの、当然な動作だと言うのに、彼女の姿は優雅で温かみがあった。
 仄かなため息。満足、ということだろうか。

7: ◆UiYaPp9XQQ 2018/06/28(木) 16:07:06 ID:jbgfRE0A0
 彼はキッチンに戻り、サンドウィッチを作り始めた。
 視線は女に注がれている。
 女は本を読んでいる。
  
 古時計がチク、タ、クと音を立てる。それ以外は、彼女が、白い指で本をめくる。
 彼の作り上げた世界。望外の来訪者。静かにながれていく時間。

8: ◆UiYaPp9XQQ 2018/06/28(木) 16:07:57 ID:jbgfRE0A0





彼は自分の夢が、まだ叶っていないということを知った。
それは掛け値のない喜びだった。

9: ◆UiYaPp9XQQ 2018/06/28(木) 16:08:47 ID:jbgfRE0A0
おわり