2: ◆YBm93b2VSc 2018/09/15(土)23:57:16 ID:c8u
 8月10日という日は、少なくとも私にとって良い日だ。

毎日が色んな人の記念日だとは言うけれど、やっぱり自分の誕生日というのは特別な1日に感じてしまう。大人になるとそれも薄れてしまうなんて事をよく聞くけれど、私の場合は、やっぱり特別な日になるんだと思う。

引用元: 凛「ありふれた1日」 



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3: ◆YBm93b2VSc 2018/09/15(土)23:57:45 ID:c8u

 いつも通りにかけたアラームで目覚めた朝は、他の日より少し眠たい朝だった。無理も無いかな。昨日は日付が変わってから色んな人からメールやラインが来ていたし、仲の良い友人達と少し長く話し込んでいたのだから。

それでも目元をこすってベッドから出るのは、私の誕生日なんて関係無く散歩を待ち兼ねる愛犬の為。いつも通り着替えて居間に出れば、ハナコもいつも通りリードを咥えて待ってくれていた。

キッチンから聞こえた音に目をやれば、もう既に起きて朝食の準備をしている母親がこちらに微笑む。手元にはフライパンとまだ割られていない卵と、水洗いされたレタス達。

流石に今日が私の誕生日だからと言って、朝から何か劇的な物が用意されているわけでも無く、普段と変わらないコーヒーの香りとおはようの声が私を迎えるのだった。

4: ◆YBm93b2VSc 2018/09/15(土)23:58:24 ID:c8u
朝食の前に散歩へ行ってくるね、と声を掛けて玄関へ。例年よりも更に暑くなってしまったこの季節は、朝方に散歩へ行かないとハナコも歩いていられないようだ。

たまに見かける、日中道路を歩いている犬達は相当頑張っているに違いない。もしくは肉球が耐熱構造に進化しているか、なんて。この前どこかで聞いた冗談だけど。本当に冗談なのかな?と思ったけれど、気になるほどでも無いし、調べる事も無いだろうなと頭の片隅から肉球を放り投げた。

5: ◆YBm93b2VSc 2018/09/15(土)23:59:30 ID:c8u
肉球の代わりに、靴箱からスニーカーを取り出す。この靴も随分くたびれてきたかな。毎日朝に履いているし、ランニングに行くときもこれを履いているのだから、他の靴と比べて消耗が早いのも当然か。

そんな事を考えていると、ハナコが痺れを切らしたのか足下に擦り寄ってくる。ハナコは偉いね、毎日同じ靴だもんね。と頭を撫でやる。あれ、肉球の話に戻ってしまった。ハナコがこちらを見上げて、行かないの?という顔をするものだから、私も立ち上がって玄関を開ける。

6: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:00:38 ID:jYq
 さあ、また1日が始まる。いつも通りでいて、ちょっと特別な1日が。

 なんて思っていたのだけれど。

未央「おっはよーう!しぶりん!」

 どうやら今日は、随分と特別な一日になりそうだった。

7: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:01:21 ID:jYq
未央「いやーごめんね!驚かせたくって」

凛「いや、それは別に良いんだけど……」

未央「うん?何?」

凛「わざわざ待って無くても良かったのに。インターホン鳴らせば良かったじゃん」

未央「お父さんとかお母さんとかに迷惑掛けてもあれだったしね。ほら、しぶりんは朝に必ず散歩に行くって言ってたじゃん」

凛「はぁ……。もし今日はたまたま行かなかったらどうするつもりだったの?」

未央「えー?しぶりんはハナコちゃん大好きだから、そんな事あり得ないでしょ?」

凛「……まあね」

 どうやら見透かされているらしかった。未央がハナコに、そう思うよねハナコちゃん?と聞くと、ハナコも元気よく返事をしていた。どうやらハナコにも見透かされていたらしい。

8: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:02:01 ID:jYq
凛「それで、サプライズ、みたいな物なのかなこれって」

未央「そーいうこと!今日はスケジュールがしぶりんと全く一緒でしょ?だから朝から会いに行こうかなって」

凛「そうだね。午前がレッスンで、午後が写真撮影。覚えてるよ」

未央「でもしぶりんったら、全然驚いてくれないんだもん!」

凛「いや、驚いたよ?玄関開けたら未央がいるんだから」

未央「ホントに?その割には驚いたーって表情じゃ無かったけど」

凛「未央がいるだけで顔に出るくらいは驚かないよ」

未央「つまんないなぁ」

9: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:03:44 ID:jYq
 実際、未央がいたことに関しては結構驚いていた、はず。でも顔に出なかったのはラッキーかも知れない。未央の期待通りのリアクションだったら、暫くはからかわれていただろうし。

ともあれ、こうして未央を連れての散歩はとても新鮮で。いつもの景色も少し違って見える気がする位だ。ハナコも心なしか元気だし。

……ちょっぴりだけど、大きな犬をもう一匹連れて歩いている気分だったり。本人に言うと、怒るだろうから言えないけれど。

10: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:04:23 ID:jYq
未央「お!帰ってきたね!」

凛「未央と話ながらだと、早く感じるね」

未央「そうなの?まあ誰かと話してると、結構すぐ時間が経っちゃうよね」

凛「経ってる時間は変わらないはずなんだけどね」

未央「ハナコちゃんも今日は楽しかったかな?」

ハナコ「ワン!」

未央「そっかそっか!楽しかったか~!」

凛「未央も、今日の散歩は楽しかった?」

未央「……」

凛「……」

11: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:05:15 ID:jYq
未央「しぶり~ん?今のはどういう意味かな~?」

 しまった。気を抜いていたら、つい。

凛「い、いや、深い意味は無いよ。うん」

未央「な~んか、未央ちゃんの事をハナコちゃんと同じ扱いしなかった~?」

凛「気のせいだって」

未央「ホントかなぁ」

凛「ほら、そんなにふくれてないでさ。よしよし」

未央「やっぱり犬扱いだよね!?」

12: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:05:43 ID:jYq
 いっそ開き直ってみる事にした。それが意外と功を奏したのか、未央は機嫌を直してくれたので一安心。その後、未央が駅前で待ってるなんて言うから、一緒に朝ご飯食べていくように言ったり、今日の服を一緒に選んだり。駅に向かう道すがら、普段未央は朝どうしているのか聞いたりして。

当たり前の話ではあるのだけれど、朝の一人で居る時間を未央と過ごすというのはとても新鮮で。それでいて落ち着くというのは、やっぱり未央の持つ雰囲気というか、人となりなんだろうなと思う。

13: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:07:24 ID:jYq
未央「お~い、しぶりん?」

 ハッと気がつくと、目の前で未央が心配するようにのぞき込んでいた。どうやら考え事をしている内にぼうっとしていたらしい。

未央に心配を掛けたくも無いし、何より今考えていた事を教えるのも恥ずかしいので、何でも無いよと言おうとしたその時、ふと匂いが鼻をくすぐってくる。とても心地の良い、花の香りが――

未央「しぶりんってば!大丈夫?」

凛「え?あ、ああうん、大丈夫だよ。ごめん、少し考え事してた」

未央「そうなの?何か一回気付いてくれたのに、もう一度止まったみたいだけど。そんなに
気になる事だったの?」

凛「い、いや、別にそんな大したことじゃないよ。ほら、行こう」

未央「ホント?ならいいけど」

 言えるはずも無い。未央から良い香りがしたんだよ、なんて。さっき私の家でシャワーを浴びていった時に普段私が使っているシャンプーを借りたのだろうけど、自分の毛先をそっと取ってみても変わりない自分の匂いしかしないし。

何とも言えない悶々としたものを抱えて、事務所へと向かうのだった。

14: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:08:14 ID:jYq
未央「おっはようございまーす!」

凛「おはようございます」

卯月「あ!凛ちゃん未央ちゃんおはようございます!それと凛ちゃん、誕生日おめでとうございます!」

凛「ありがと、卯月」

卯月「プレゼントもあるんで、レッスンの後に渡しますね!」

凛「うん、楽しみにしとく」

未央「って言うかしまむー、もう着替えてたんだ?」

そう言われて時計を見ると、時刻はレッスンの始まる30分前。と言うのに、卯月は既に着替えていたみたいで、汗をよく吸うTシャツと、下はいつものジャージという姿だった。

15: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:08:39 ID:jYq
凛「確かに早いね、卯月」

卯月「はい!今日はレッスン前にステップの確認をしておこうかなって」

未央「あー、今回の結構難しいもんね。私もやっとこうかな」

卯月「それじゃあ先に鍵を開けて……、あれ?」

凛「どうしたの?」

卯月「スンスン」

未央「どったのしまむー。急に鼻をひくひくさせて」

卯月「やっぱり!凛ちゃんと未央ちゃん、同じ匂いがします!」

凛「えっ」

未央「さっきシャワー借りたからね」

卯月「しゃわー?」

未央「いやぁ、実はさ……」


 そう言って未央は朝のサプライズを卯月に話す。何故か卯月は私以上に驚いていたけど。もしかすると、朝早くにサプライズをする、という考え自体が、朝に弱い卯月にとって驚く要因なのかも知れないけれど。

16: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:09:12 ID:jYq
と、それは兎も角。さっき、卯月は何て言った?私と未央が同じ匂い?私には自分の匂いと、未央から感じた香りが同じには思えないのだけど。でも卯月がそう言うって事は、やっぱり私と未央は同じ匂いがしてるって言う事だろうし。私の勘違い、という事でも無いはずなんだけど……。

未央「しぶりん?」

 まただ、またあの香りが私の鼻をくすぐる。

凛「え?何?」

未央「私達も着替えにいこ?」

凛「そ、そうだね」

17: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:10:14 ID:jYq
 気がつけば卯月はもう部屋を出ていて、私は未央に急かされるように更衣室へと向かったのだった。

今日はちょっと気が抜けすぎだな、と自分に言い聞かせる。誕生日だから、という事は言い訳にもなっていないのは分かっているけれど、どうにも今日は浮かれてしまっているらしい。未央のせい……かな?うん、そういうことにしておこう。

未央「ねぇ、しぶりん」

凛「何?」

未央「変な事聞くようだけどさ」

凛「どうしたの?」

未央「さっきさ、しまむーが私としぶりんが同じ匂いしてるって言ったじゃん」

 瞬間、心臓が跳ねる。何だろう、もしかして未央に心の内でも見透かされたんじゃ無いだろうか。いやいや、そんな訳無い。でも、さっきから私の様子が変な事には気付いていた訳だし――

18: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:10:57 ID:jYq
未央「あれ、どう思う?」

凛「ど、どうって、何が?」

未央「うーん……」

凛「ちょ、ちょっと、そこで言い渋らないでよ」

未央「いやぁ、まあうん、これちょっと恥ずかしいんだけどさ」

凛「気にせず言って?」

未央「私はさ、しぶりんの方が良い香りしてるなーって思ったんだよね」

凛「……え?」

未央「……わ、忘れて!ただその、あれだよ!なんかちょっと違うなぁって思っただけだから!」

凛「……ありがとう、なのかな?」

未央「ほ、ほら、急がないと!しまむー待ってるよ!」

19: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:11:39 ID:jYq
 そう言って、未央はそそくさと更衣室から出て行き、廊下をタタタッと駆けていく音だけが私の耳に聞こえてくる。部屋には誰もいなくなり、静まりかえった更衣室がドクンドクンと胸の音を響かせる。

どうしよう、私、変な顔してなかったかな。今日、未央の顔をまっすぐ見られるかな。少なからず真っ赤になってるであろう顔を冷ますために、取り敢えずは顔を洗ってくる事にした。

 その後のレッスンは、思ってたよりは動けたと思う。……未央の顔はあんまり見れなかったけど。

20: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:12:52 ID:jYq
――

卯月「それじゃあ改めて、凛ちゃん誕生日おめでとうございます!」

凛「ありがとう、卯月」

卯月「さあ、包みを開けちゃって下さい!」

凛「これは……化粧水?」

卯月「はい!凛ちゃんこの前、化粧水はあんまり使ってないって言ってたじゃ無いですか」

凛「そういえば言った気がするね」

卯月「その事がこの前話題に挙がった時に、それはいけないって言われて」

未央「へぇ、誰に言われたの?」

卯月「菜々ちゃんです!」

未央「ああ……」

凛「ああ……」

卯月「若い内から使っておいた方が良いらしいですよ?」

凛「それもそうだね。ありがとう、卯月。大切に使わせてもらうよ」

卯月「はい!」

未央「さて!それじゃあ私達は現場に向かおっか!」

凛「うん、それじゃ卯月、またね。今日はありがとう」

21: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:13:39 ID:jYq
卯月「はい、それじゃあ……。あ、そうだ凛ちゃん!」

凛「何?」

卯月「ちょっと耳を貸して下さい」

凛「いいけど……」

未央「?」

卯月(未央ちゃんからは、何か貰ったんですか?)

凛「え?」

卯月(あ、まだなんですね。実は昨日、未央ちゃんすっごい悩んでたんで、私も気になっちゃって)

 ちらりと未央の方を見る。私に忘れてと言った通りに、未央の方もレッスン前の事はどうやらすっぱり切り捨てたようで、変な雰囲気は残っていない。今は私を待つ間にスマホでラインをチェックしてるみたいだ。

卯月に言われて思い返してみれば、朝の一件はあったけれど、何かを貰ったりはしていない。

22: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:14:08 ID:jYq
卯月(今日は皆のスケジュールが合わないから、誕生日会は別日になったじゃ無いですか)

凛(うん、プロデューサーもそう言ってくれてたね)

卯月(だから未央ちゃん、この日は私が祝うんだ~って張り切ってたんですよ?)

凛(そうなんだ。……分かった、貰ったら教えるよ)

卯月「はい!それじゃあ二人とも行ってらっしゃい!」

凛「うん、行ってくるね。ほら未央、行こう」

未央「う、うん。じゃあしまむー、またね!」

23: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:14:47 ID:jYq
未央「ねぇ、しまむーと何の話してたの?」

凛「うん……。内緒」

未央「え~、気になるなぁ」

凛「今度教えてあげるから」

未央「ちぇ~。まあ待ってますよいっと」

 流石に、未央から誕生日プレゼントに何を貰ったか教えるという内容を、そのまま未央に伝えるのは催促しているようで言えなかった。未央から貰ったら、一緒に写真を撮って卯月に送ろうか。

24: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:15:20 ID:jYq
……それにしても。未央が散々悩んだ末のプレゼントというのは確かに気になる。未央はこういったイベント事に毎回参加しては、その人が欲しいものを持ってきているのを見かける。現に、私の左手に付けているブレスレットは去年未央に贈られた物だし。

私なんかは、いつも贈り物は何を贈ればいいのか分からなくて、花を包んでみたりしているけれど。勿論、花が悪い物だと思ってはいないけど、それでも「渋谷凛だから花を贈る」、といった印象は拭えないんじゃ無いかと思う。

比べて未央は「その人らしい物を贈る未央」といった印象だ。未央らしいというか、それだけ人の事をよく見ている証拠なのだろうけれど、その未央がプレゼントに悩んだという話は聞いた事が無い。だから、とても気になる。未央が私に贈る物を何にしたのかが。


 そんな事まで考えて、「誰かからプレゼントを貰えるのが当然」だと思っている事に気付く。……おかしいな、そんな卑しい人になった覚えは無いんだけれど。気がつかない内に、誰かに甘えっぱなしになってしまっている気がする。


……未央には、特に。

25: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:16:18 ID:jYq

――

「いいねー二人とも!その感じで撮っていこうか!」

カメラを挟んで聞こえてくる声に合わせて、ポーズを変えたり目線を送ったり。手を替え品を替え、っていうのとはちょっと違うけど、未央と並んであれやこれやと着替えては撮っていく。

今着ている服と、未央の着ている服を交互に見やり、ふぅ、とつい口から溜息が零れ出る。今日のテーマは、「夏の仲良しコーデ」だとか。……少しだけやり辛いな。普段なら気にならないだろうけど。それでも、いや、だからこそ今出来る全部で、カメラマンの要望に答えていく。

そんな風に撮っている間は、嫌な事が忘れられる気がして。

「凛ちゃーん、もうちょっと明るめでいこうかー!」

凛「っ、はい、こんな風ですか?」

「そーそー!それでお願いねー!」

どうやら顔に出ていたらしい。集中、集中。

未央「……」

26: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:16:51 ID:jYq
「お疲れ様でしたー!」

凛未央「「お疲れ様でした!」」

未央「いやぁ今日のは可愛い感じだったねしぶりん!」

凛「そうだね。未央はよく似合ってたよ」

未央「えへへー、そうかな?でもしぶりんも、青系だったし似合ってたよ!」

凛「未央が言うなら、安心だね」

未央「お?未央ちゃんもしかして褒められてる?」

凛「ちょっとだけね」

未央「なんだよう、もっと大きく褒めてもいいんだよ?」

凛「ふふっ、まだまだそのレベルでは無いのかもね」

未央「むむむ……。先は長そうですなぁ」

27: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:17:35 ID:jYq
 これはとても矛盾しているのかも知れないけれど。未央の事でもやもやしていたのだけど、それを一番忘れられる瞬間は未央と話している時なのかもしれない。

撮影中には結局振り払えずに、頭の片隅に残っていた悪い感情は、未央に話しかけられただけで消えてしまっていたのだから。いつもそうだ。私の悩みをさっと消し去ってしまう。そんな事だから、未央に甘えっぱなしなのだ。少し自立しなくては。

未央「……しぶりん」

凛「どうしたの?」

未央「……ショッピングにでも、行こっか」

凛「え?」

未央「この後少しだけさ、まだ早いから色々お店開いているじゃん?」

凛「うん、そうだね。じゃあ行こうか」

未央「よしっ!それじゃあ急ごう!」

28: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:18:34 ID:jYq
 気がつけばもう日も暮れていて、街に出る頃にはビルとビルの隙間からしか夕日が見えなくなっていた。8月の頭だから、まだ明るいのかもしれないけれど。

街を歩く人もこの時間がピークみたいで、気をつけなければすれ違う人と肩や腕がぶつかりそうになる。人、人、声、音、光。色んな物に溢れて埋もれそうな中で、そっと手が差し伸べられた。未央の手だ。

未央「人多いね!手を繋いでないとはぐれちゃうかも」

凛「そうだね。繋いでよっか」

未央「よーし、ばっちし!それでね、行きたいとこがあるんだ!」

凛「うん、付き合うよ」

未央「それじゃあしゅっぱーつ!」

 そう言って未央が連れて行ってくれたのはブティックでも雑貨屋でも無くて、少し広めの靴屋だった。それも、女性向けじゃなくて大衆向けのお店。

29: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:19:18 ID:jYq
未央「到着!」

凛「ここ?」

未央「そう!えっとね……、あの辺のコーナーかな?」

凛「あの辺って……、スポーツ用のコーナー?」

未央「ううん、これかな……。いや……、あ!ねえねえしぶりん!」

凛「どうしたの、えっと、その靴は?」

未央「どうかな、これ?しぶりんにピッタリだと思うんだけど!」

凛「私に?」

未央「うん!朝見た時さ、しぶりんの靴が結構履き古してるなぁって思って」

凛「え?あ……」

30: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:19:41 ID:jYq
未央「だから、未央ちゃんがこの靴をプレゼントしてしんぜよー!」

凛「……」

未央「あれ、もしかして気に入らなかった?」

凛「い、いや!そんな事無い!ただちょっと、その、驚いて……」

未央「ふっふっふ、これぞ、未央ちゃんサプライズその2だよ!大成功だね!」

凛「ふふっ、なにそれ」

未央「……やっと笑ってくれたかな」

凛「え?」

未央「何でもない!ほら、取り敢えず一回履いてみて!」

凛「うん。ありがとう、未央」

31: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:20:12 ID:jYq
 どこかでプレゼントを渡してくれるか、もしくは何か小物でも買ってくれるのかな、なんて思い込んでいたから、予想外の物で本当に驚いた。未央、見ててくれたんだね。やっぱり慣れてるんだろうな、こういう小さな事まで見逃さないようにする事。

今足下でサイズを調整してくれる未央の目は、とても優れものなんだろう。現に今、目算で測ってくれた靴が走るのに丁度良く足にフィットしているし。

なんて、そんな風に未央を見つめていたら、ふと顔を上げた未央と目が合う。ピッタリだったね、と微笑む未央の目には輝きが宿っていて、私には眩しい。

32: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:21:04 ID:jYq
 まだ時間はある、と言っても既に日は落ち、街は人工的な光でごった返していた。

もう未央とはぐれる程の人混みでは無くなっているけれど、店を出る前に自然と差し出された手を断る理由も無くて。私は何故だか何も話したくなくて、未央の方も喋りかけて来る事も無く。珍しく二人で黙ったまま駅まで歩くのだった。

すれ違う人、声、音、光、光。どれも目に映るけれど、どれも残らずに去って行く。感傷的になりすぎているのか、寂しいと思ってしまう自分がいる。どうしてだろう、いつも通りの日常を眺めているだけなのに。いや、そうじゃ無い。本当は……。

33: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:21:28 ID:jYq
未央「駅まで着いたーっと。あー、やっぱり混んでるか。皆帰るぐらいの時間だもんね」

凛「……そうだね」

未央「ねえ、しぶりん。まだ、時間ある?」

凛「えっと、うん。大丈夫だよ」

未央「それじゃあちょっと、寄り道していこうか。こっち!」

凛「えっ、電車?」

未央「大丈夫、すぐそこだから!」

34: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:21:53 ID:jYq
 未央に連れられて帰りとは反対方向の電車に乗り込む。5~6駅ぐらい過ぎたところで未央が、降りるよ、とまたしても手を引く。私はもう、それに一切の抵抗が無くなっていた。、手を繋いでいれば、未央と離れる事は無いのだから。

未央「よーし、ここからちょっと歩くよ!」

凛「もしかして、この山道の事?」

 降り立った駅はあまり人が使わないような駅らしく、それなりに人の乗っていた電車にも関わらず、一緒に降りる乗客はいない。改札は一応自動だったけれど、それが余計に利用率の低さを示すようだった。そして未央が指し示したのは、駅のすぐ目の前にある小さな山。

どうやらこの先に行くらしい。足下も暗いだろうけど、大丈夫だろうか。

35: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:22:14 ID:jYq
未央「ここはたまに来るけど道の上は結構綺麗だから、つまずいたりはしないはずだよ」

凛「そうなんだ。……じゃあ、行こう」

未央「うん!」

未央「ねえしぶりん」

凛「なに?」

未央「今日さ、何かずっと考えてたでしょ」

凛「……うん」

 隠さなくてもいいと思った。未央には全てお見通しだろうなと思ったし、何より未央に隠していたいとは思わなかった。木々が夜風に揺れて、虫や鳥の音が遠く聞こえる。私達以外に、未央以外にこの内の思いが零れる事は無いだろうから。

36: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:22:52 ID:jYq
凛「今日はさ、凄い嬉しかった。朝から未央に祝って貰えて、卯月にもプレゼント貰えて。他の皆は忙しかったから後日に祝ってくれるって話だったけど、それでもやっぱり今日って日に祝って貰えるのは嬉しかったんだ」

未央「……うん」

凛「でもさ、それって当たり前の事じゃ無いんだなって思っちゃって」

未央「当たり前じゃ、無い?」

凛「そう。私の誕生日を祝ってくれる皆、お父さんも、お母さんも、プロデューサーも、事務所の仲間も、それに、未央も。皆、いつか居なくなってしまうのかもって」

未央「しぶりん……」

凛「勿論さ、皆は優しいから私を見捨てて居なくなったりとかはしないんだろうけど。それでも、その優しさに甘えている自分に少し嫌気が差しちゃって」

未央「……そっか」

凛「なんだろう、上手く言えないんだけど、不安、なのかな。そう思うと、今日って言う日が特別な一日なんかじゃ無くて、何でも無いような、いつも通りの一日だったら気は楽なのかなって」

未央「それは、それは違うと思うよ、しぶりん」

凛「え……?」

未央「ほら、もうすぐ着くよ」

37: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:23:37 ID:jYq
 未央が歩調を強めて前に出る。木々を抜けて、開けた場所に出る。山の中腹辺りだろうか、少し高いところにある広場のようだ。柵の所まで駆けていった未央は私に微笑みながらこちらに手招きをする。

未央「ほら見て、ここからさっきまでいた街が見えるでしょ!」

凛「ホントだ……、すごい、綺麗……」

 未央が立つ横へ行ってみれば、光り輝く街並みが眼下に映る。見渡す限りキラキラ輝いていて、歩いていた時には分からなかった景色が夜の中に広がっていた。

未央「えへへ。ここ、前にたまたまロケの帰りに来たんだよね。だからしぶりんにも見せたくってさ」

 未央は照れくさそうにこちらへ微笑む。想像していた以上のものを見せられ少し呆けていたけれど、未央の言葉で意識が戻ってくる。

38: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:24:15 ID:jYq
凛「凄い良い景色だよ未央。ありがとう。始めは星でも見えるのかと思ってたけど……」

未央「あー、そうだね。私がここに立ち寄ったのもそんな理由。街明かりが強くて見えないな~って思ってたんだけど、その明かりが結構綺麗でさ」

凛「うん。……本当に、綺麗」

未央「……しぶりん、さっきの続きだけどさ。私はそもそもが違うと思うんだよね」

凛「そもそもが、違う?」

未央「そ。しぶりんはさ、今日がしぶりんの誕生日だからみんなが祝ってくれてると思ってるでしょ」

凛「え。……う、うん」

未央「あはは、やっぱり。そこが間違ってるんだよ」

39: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:24:38 ID:jYq
凛「間違ってるって、何が?」

未央「あのね、しぶりん。誕生日って言うのはさ、生まれてきてくれておめでとうって日だけどさ、それは生まれた事だけじゃ無くて、生まれてきて、それから私達に出会ってくれてありがとうって日でもあると思うんだ」

凛「……!」

未央「だからね、私からすれば本当は毎日でも言いたいんだよ。出会ってくれてありがとうって」

凛「……そっか。じゃあ、誕生日はいつもの感謝を込める日、なんだ」

未央「そういう事!だから、誕生日は確かに特別な一日だけど、それ以外の何でも無い一日だって、しぶりんはありがとうって思われてるんだよ」

凛「そんな風に思った事、無かったな……。確かに、そうなのかもしれないね」

40: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:25:13 ID:jYq
未央「でしょ?あ、後もう一つ!」

凛「もう一つ?」

未央「いつか私達が居なくなっちゃうかも、って言ってたでしょ?」

凛「……うん」

未央「それはまあ、確かにさ。私達だっていつまでも一緒に居られる保証はないからさ、否定は出来ないんだけど」

 そう言って未央は上を向いて頭を掻いた。あー、うん。と、照れくささを隠すように間を取って、こちらに向き直る。正面を向いて光に照らされた未央の頬は少し染まっていたけれど、どうやら言う決心が付いたらしく、続けてこう言った。

未央「少なくとも私はこれからもしぶりんの誕生日には祝いに来るつもり。でも私がもし、しぶりんの誕生日に来られない時が来たとしたらさ」

凛「……その、時は?」

41: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:25:40 ID:jYq
未央「あの街明かりを見て、私が今もどこかで輝いているって事を思い出して欲しいんだ」

凛「……」

未央「だからね、しぶりんの所に来られない時、私は絶対どこかで頑張ってるから。しぶりんに届くぐらい、街を照らすぐらい、輝いて見せるから」

凛「……そういうのって、普通星とかで例えるんじゃ無い?」

未央「うっ、で、でもさ!それだと星が見えない日だってあるじゃん!雨の日だったり!そんな時でも明るく輝ける存在こそが未央ちゃんなのです!」

凛「ふふっ、そうだね。そうかも。……ありがとう、未央」

未央「どう致しまして!あ、もちろん会える時は必ず会いに行くからね!」

凛「うん、分かってる。……伝わったよ」

42: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:26:01 ID:jYq
 そっと、隣に立つ未央の肩に頭を乗せる。ふと香る匂いはもう既に朝とは違って、いつもの未央に戻っていたけれど、それが今一番、世界のどこよりも心安らぐ場所を示すようだった。

凛「ねえ未央、私、この景色忘れないよ」

未央「うん」

凛「心の中にしまって、今日みたいに不安になったら思い出すよ」

未央「うん」

凛「毎日は思い出さないかも、だけどね」

未央「うん。そういうものだよ、きっと」

凛「そういうもの、だね」

未央「そうだ、しぶりん。しぶりんにはもう一つ、これをあげよう」

凛「何?」

43: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:26:19 ID:jYq
 ゴソゴソとカバンの中から取りだしたのは、さっきの靴屋と同じロゴが入った紙袋だった。

未央「未央ちゃんサプライズその3……、あれ、これだと4になるのかな?まあいっか、はい!」

凛「ありがとう……、えっと、中身は?」

未央「開けてのお楽しみ、って事で」

凛「なんだろう、凄い軽いし、でも靴屋のロゴだし……」

未央「いやぁ、私も買ってからちょっと恥ずかしくなって渡しそびれたというか……。まあでも、しぶりんの不安を少しでも解消できる物だよ!」

凛「私の悩みって……」

44: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:26:55 ID:jYq
――

 いつも通りかけたアラームで目を覚ます。今日の体調もいつも通り。変わらぬ日常に沿うように、支度をして、愛犬の持ってきたリードを手に取る。昨日そうだったように今日もこうして、きっと明日も同じ事をしているだろう。それがいつも通りというものだ。

 明け方はだいぶ涼しくなった。ハナコもここ最近は元気が良い。それもそうか、あれだけ暑かった真夏を越えたのだから。靴箱からランニングシューズを取り出す。

この靴もすっかり足に馴染んだ。履き始めて大体一ヶ月ぐらいだろうか。靴が変わったからといって劇的な変化は無いけれど、心の中の奥底はあの時と少し変わった。

45: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)00:27:08 ID:jYq
それでも、いや、それが今のいつも通り。玄関を開けても、そこには誰も居ないだろう。それがいつも通り。だから私はいつも通り、オレンジ色をした靴紐をしっかりと結んで、立ち上がる。

 さあ、また1日が始まる。いつも通りでいて、ありふれた幸せな日常が。

46: ◆YBm93b2VSc 2018/09/16(日)02:21:49 ID:jYq
こんな所で終わりです。
とてもとても遅くなりましたが、しぶりん誕生日おめでとう!
3周年の新曲も、かっこよかったね!