洛書通信(らくしょつうしん)

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ベルクソンの「道徳と宗教の二つの源泉」をフランス語の原書で読んだ

ベルクソンの「道徳と宗教の二つの源泉」をフランス語の原書で読んだ。


用いたテクストは、Quadrige GRANDS TEXTES Henri Bergson Les deux sources de la morale et de la religion  pufである。


和訳を読んでいきなりフランス語の原書に取り組んだので、英訳を読んでいない。そんなわけで、フランス語の文章のイメージもなかなかつかめない。いつも通り、意味などつかまず、「あ、この単語知らない、この単語知ってる」方式の外国語の書物の通読である。


次は、ベルクソンの「物質と記憶」のフランス語の原書の挑戦である。この本は、英訳を今読んでいる。英訳を読んでからフランス語の原書への挑戦である。


「物質と記憶」を読んだら、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」に挑戦しようと思っている。この本は、和訳は読まないで、いきなり英訳に挑戦して、それからスペイン語の原書に挑戦しようと思っている。読み通せるかどうかわからないが、スペイン語への挑戦も楽しみである。ある程度フランス語ができれば、スペイン語は、類推が容易だそうなので、英訳である程度意味が取れれば、スペイン語でも、まったくわからないということはなかろうと思う。


ドイツ語の書物については、当分、ルドルフ・シュタイナーの「神智学」を繰り返し読むようにしようと思っている。「神智学」は、和訳も繰り返し読むつもりでいる。


英語の書物をはじめ、外国語の書物は、なかなか読み進められない。それでも、自分にできる精進と努力を重ねていきたいと思っている。

英訳の「大学」と「中庸」を読み終えた

英訳の「大学」と「中庸」を全巻音読で読み終えた。


用いたテクストは、PENGUIN CLASSICS  Ta Hsueh and Chung Yung  (The Highest Order of Cultivation and On the Practice of the Mean)  Translated with an Introduction and Notes by ANDREW PLAKS   Preface by XINZHONG YAOである。


「論語」と「孟子」は何回も繰り返し読んだけれど、「大学」と「中庸」は一度だけしか読んでいないので、内容の記憶がない。英語で読んでも、なんとなくも意味が取れなかった。大量のNotesの記載があるのだが、これは活字が小さいので読まないことにした。


つぎは、英語で「論語」を音読してみるつもりである。こういう挑戦も、物事に対していろいろな視点を持つ訓練になると思う。


英語で読みたい中国古典は、ほかにも、「老子」とか「易経」とか「孫子」とかいろいろある。英語で読んだ後は、フランス語やドイツ語でも中国古典を読んでみる経験をしたいと思っている。

あすは2017年の小満である

秋篠宮眞子さま、ご婚約おめでとうございます。この話題は詳しく知らないので、これ以上言及しません。どうぞお幸せに。


韓国の大統領選だけれど、なんと、文在寅氏が大統領になってしまった。韓国人は、どうしても自分の国を滅亡させたいようである。ノムヒョン大統領でこういう種類の指導者というのは国家をどういう風に破滅的に運営するかはわかっているようなものと思うが。韓国人は懲りないようである。


むかしは、国家の優勝劣敗は明らかだった。弱いところは植民地化された。今の時代は、侵略の心配は少なくなったが、政治的経済的にダメなところはどんどん脱落していくようになっている。国家レベルでも、企業レベルでも、学校レベルでも、地域レベルでも、個人レベルでもである。


社会が本当に変わらない。というのは、社会の運営システムに恒常性が組み込まれているからだろう。しかし、新しい環境に適応する努力をして、進化する取り組みをしないと、絶対に環境に打ちのめされる。安倍首相がいろいろなことをどういう風に考えているのかわからないけれど、今のところ日本は世界で一番ましなところの一つである。ということは、すでにずいぶん変化したということであろう。大改革者の小泉首相など、今になって顕彰されるべきなのかもしれない。

シュタイナーの「神智学」は、大胆な改訳が必要かもしれない

ルドルフ・シュタイナーの「神智学」は、自然科学の結論と一致するのではなく、自然科学の対象外の事柄を記述しているのである。


シュタイナーの「神智学」の文体は、数学的文体ではなく、単なる誠実であろうと努力する報告である。


シュタイナーも当時のドイツの思潮の下で、いろいろな偏見や先入観を抱えていた。彼の先入観に基づく発言が、自然科学や数学に無知な人文系の人々にずいぶん迷惑な誤解を生じさせているようである。


かれの「神智学」は、自然科学の専門家も交えて、かなり大胆な改訳と注釈が必要とされているような気がする。そうしないと、いつまでも、ルドルフ・シュタイナーの名誉回復はできないかもしれない。


自分がシュタイナーの「神智学」をドイツ語の原書でそれなりに理解できる水準になったら、もしかしたら、自分が「神智学」の改訳に乗り出すかもしれない。

かつて高田好胤先生は

かつて、高田好胤先生は、観音経を、訓読と真読で両方読経を行うと、思わぬ優れた効果があるとおっしゃっていた。


それなら、自分みたいに、法華経全巻を、訓読と真読と、2種の英訳とサンスクリット原典で繰り返し読んでいる人間には、絶大な読経の効果があるはずである。


しかし、いまのところ、それらしきものはない。自分はつまらない匿名の人間である。自分のこれまでを振り返っても、他人に褒められることより、大勢の笑いものになったことのほうが遥かに多い。


しかし、死んだあとのことはわからない。自分も、死んだあとは鬼才、奇才として、天才か偉人の仲間入りができるのかもしれない。


ブログも随分記事を書いている。もちろん、たくさんの記事を書いた割には、このブログは世間一般ではひどく無名である。
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