洛書通信(らくしょつうしん)

すこし変わった占い関係のブログです。管理人:洛書

そろそろ2017年の秋分である

秋のお彼岸である。気温は安定しない。


ちかく、1年間続けていた管理組合の理事長の役割から解放される。


大変といえば大変だったけれど、やっぱりやってみて、得ることは多かったと思う。自分たちの住環境にどういうトラブルが起きているのかいろいろわかったし、いろいろなマンションの住民たちと知り合いになれた。本当に世の中にはいろいろな人がいるものである。


自治会の行事に積極的に参加してよかったと思う。自分の所属する自治会の役員の方々が、地域の親善親睦と地域の活性化のために、こんなに努力し、心を砕いてくださっていることを今まで自分は知らなかった。


マンションの管理組合の理事長をすることで、職場にも迷惑をかけた。やはり、理事長の役割を引き受けた以上はしっかりと責任を果たしたかったから、職場より、理事会のほうを優先させてもらった。理事長でなくなったら、もっと職場に重みづけをすることになると思う。


理事長の役職を退いても、理事会には、監事として残る。せっかくもう一年役員をするのだから、自治会行事には積極的に参加して、地域の事情をもっといろいろよく知りたいと思う。


今の住まいの悪くはないけれど、できれば、新居に引っ越したい。住居を変わると運命も変わる。今の運命も悪い運命とは思わないけれど、なにか、新しいことに遭遇したいという気持ちは常に強い。

神宮館の通信鑑定料

暦の神宮館で、通信鑑定を行っているのだが、これが、料金が、家相が4万円、命名改名が4万円、会社名鑑定が10万円、縁談鑑定が4万円である。いいお値段である。こんな値段で鑑定してもらいたい客がどれほどいるのだろうか。直接鑑定だともっと料金が高いということであろう。


そういえば、かつて存在した西荻窪のアタール本店での西谷泰人氏による手相鑑定が、たしか、1時間30万円だったと記憶する。


評判がよくて、客さえたくさんつけば、たしかに、占い商売はいい商売である。

油脂はたいてい種子からとる

植物油を製造するとき、たいていは、種子を原料にする。


植物も、子孫には、栄養価の高い油脂を土産につけてあげるのである。植物でさえ、子孫には優良資産を与えて世の中に送り出す配慮をする。


根菜にはでんぷんが多い。無性生殖器官であるサツマイモの塊根やジャガイモの塊茎には、でんぷんが大量に蓄えられる。生殖器官とはいっても、無性生殖器官は、有性生殖ほど扱いは手厚くないということである。炭水化物は油脂ほど栄養価は高くない。


生殖器官ではないゴボウやダイコンやニンジンの根は、セルロースだらけ、水分だらけである。


植物も動物同様、生殖には手厚いのである。子孫には配慮する。栄養期間は粗末な扱いをされる。その生殖も、無性生殖より、有性生殖が優先である。


植物にも立派にみられる親心である。

かつて池田大作氏は

かつてではなくて、今でもかもしれないけれど、池田大作氏は、個人が信仰対象だった。今でも彼自身が信仰されているのだと思う。


多くの創価学会の会員は、法華経や日蓮上人を信仰しているのではなく、池田大作氏を信仰していたし、しているのだと思う。


たしかにスターリンや毛沢東が個人崇拝されていた時代があったわけだが、これは、すごいことである。法華経や日蓮上人は口実で、池田大作氏が信仰対象なのである。


現代における宣伝広告の効果と重要性というのは、こういうことからもわかる。心理というのは、文化事象なだけでなく、経済事象であり、政治事象でもあるわけである。

ジミー・ペイジやエドワード・ヴァン・ヘイレンは

かつて、バッハやヘンデルは、大作曲家にして大演奏家として世界史に名を刻んだ大音楽家だった。


こういう巨匠たちが西洋音楽史の中で出現する最後の光芒が、リストとショパンだったのだろうと思う。かれらも、大作曲家にして大演奏家として、世界史に名を刻むことができた。その後は、大作曲家か大演奏家かどちらかである。


では、我々の時代の巨星といえるジミー・ペイジとエドワード・ヴァン・ヘイレンは、大作曲家にして大演奏家として、世界史に名を残せるであろうか。


記録され、記憶されることは間違いない。しかし、ジミー・ペイジとエドワード・ヴァン・ヘイレンの扱いが、バッハとヘンデル、リストとショパンと同格の扱いになるとはとても考えられない。


どうしてそうなのか、というと、ある時代区分の中での文化史における音楽の扱いの違いもさることながら、演奏家、作曲家の側だけでなく、それを受容する鑑賞者の質がまるっきり違うからである。おそらく、これまでのスペインには、まるっきり無名でも、演奏家としては、ジミー・ペイジやエドワード・ヴァン・ヘイレンに負けない技量を持ったギタリストはたくさんいただろうと思われる。彼らは世界的に有名になる機会を持てなかっただけなのである。そういう演奏家や編曲家のギタリストたちと同水準のジミー・ペイジやエドワード・ヴァン・ヘイレンは、マスコミや流通機構のおかげで世界的な有名人になれても、音楽家としての評価は、バッハやヘンデルとは同格にはなりえないのである。


芸術の評価というのもなかなか厳しいもので、それなりに客観性は保証されているのである。歴史の審判はそれなりに公正なもので、単に技量が優れた人気者であるだけでは、大芸術家の仲間入りはさせてもらえないわけである。
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