洛書通信(らくしょつうしん)

すこし変わった占い関係のブログです。管理人:洛書

興味深い古語

未醤(みそ)、糖(あめ)、堅魚(かつを)、芥子(からし)、年魚(あゆ)などの文字と言葉を見ると、「なるほど」と感心する。昔の人たちは、言葉に対して、鋭敏な感性を持っていたのである。


こういうような古語の探求と整理の体系化の努力などが、積み重なると、たぶん、古事記や万葉集の解読を可能にしていくのだろうと思う。


一つ一つの言葉をおろそかにしてはいけないということである。そこには、歴史と重みが潜んでいる。


こういう話は、ある意味データ整理の話だが、こういう作業をしっかりさせるから、高度のインフォメーション(情報)を形成できるし、ナレッジ(知識)の体系も広範で複雑にできるし、その先のストラテジー(戦略)も的を得た適切なものになるのだろうと思う。


言葉というのは、文章の部品である。優れた部品を使って組み立てるからすぐれた工業製品を作り出せるのであって、一つ一つの言葉に意識的であるから、含意の豊かな作文が可能になる。


言葉の探求をおろそかにすべきではないのだろう。言葉が優れていれば、心が優れたものになるというのは、本当のことなのだろうと思う。

漢字の訓読み

万葉集の時代にはすでに、漢字の訓読みは出現していることは明らかである。


漢文訓読を熱心に追求したのは、奈良仏教の僧侶たちだという。


奈良時代の仏教信者の豪族たちは、仏教理解に意欲があったようである。それゆえ、当時の上流階級の多くの人が仏典の理解を求めた。


漢字の訓読みは、当時なりの、教育の生産性向上の努力であった。


こういう教育の生産性の努力をしたのは、不思議と日本だけで、漢字の訓読みは、朝鮮半島からも、ベトナムからも、チベットからも、モンゴルからも出現しなかった。


日本では、漢字の利用は、仏教理解だけの問題ではなかったということである。


ほかの土地では、漢文は、外国語でよかったようである。本場の中国にしてからがそうだった。中国語は、文語の漢文と各地方の口語が全く異質である。日本だけが、漢文を日本語にしようと努力した。


その理由は、残念ながら、今となってはよくわからない。もしかしたら、百済の滅亡とそれによる漢字の呉音の大陸での消失もその一因なのかもしれない。

道鏡

自身が天皇になって日本を支配しようとした野心家の宗教家(似非宗教家?)の道鏡は、葛城山で修業した人で、修験道の開祖の役行者(役小角:えんのおづぬ)と何やら直接の関係がどうもあるらしい人である。役行者は、本物の超能力者だったようである。とはいっても、伝説の人物なのだが。


道鏡は、葛城山で修業した後、東大寺に入って華厳宗を学んだ人みたいである。奈良時代の人である。奈良時代には、華厳宗は、当時の日本の最大の知的権威であった。


道鏡の出現は、弘法大師や伝教大師が平安時代に密教を日本に持ち込む前の話である。


華厳宗など、実は教理の整然とした宗派で、まがまがしい感じなど少しもないが、それでも、呪術体系というより、催眠術的な要素はあるのだろうか。あるのだろうと思う。華厳宗には、「観法」という瞑想法が確立されているのだから。


とにかく、当時としては高齢の女帝の称徳天皇は、派手な祈祷師で呪術師の、そして実際にはただの詐欺師で野心家なだけの道鏡にまるっきり依存するようになってしまった。完全に騙され切ってしまったのであった。天皇は道鏡に翻弄されっぱなしだったようである。


おかしな宗教家というのは、いつの時代にも必ず現れるものである。唯識論とか華厳経とか、くそ坊主が年増の女性をたぶらかす要素は極めて乏しい抽象的な内容なのだが、悪意のある不届き者が高度な知識体系を悪用すると、社会にとんでもない迷惑をかけ、混乱を引き起こすようになる。これは、オウム真理教の場合と同様である。


成人になられた愛子内親王様は、極めて優秀な方で、多くの人たちから感心されている優れたお姫様だそうだが、だれか、変な魂胆のある青年が私に弟子入りの希望をして、そいつが、わたしからいろいろな神秘思想の知識の源泉を探り出して、それから、熟年になって迷いの多くなったころの愛子様を篭絡してだまして、国家に迷惑をかけないといいなとか、そういうことは今から思っている。


そう考えると、わたしは、一切弟子を取らないほうがいいのかもしれない。だいたい、高弟にだけ伝授できるし、伝授しなければならないような秘密知識など、私にはなにもないことだし。(笑)


付記:私は、女性天皇や女系天皇はだめだよくない、と言っているわけではない。しかし、女性天皇は、男性天皇よりも、高齢になってから心のスキを突かれやすい危険性は大きい、ということはあろうかとは思っている。女系天皇の是非については、私のごとき下郎が言及すべきことではない。責任ある立場の人たちに、慎重に考察、決定していただきたいと思っている。


付記:愛子内親王様は大変優れたお方らしいが、称徳天皇もとても優れたお方だった。孝謙天皇、称徳天皇として、二度即位されている。孝謙天皇時代は、東大寺の大仏の造営を完成されている。称徳天皇の父親は名君の聖武天皇で、母親は光明皇后である。聖武天皇は、中国の唐の華厳宗の思想的完成者の賢首大師の高弟の新羅の審祥尊者の華厳経についての極めて難解だった来日講義を、僧侶たちと一緒に聴講して、その内容を理解できたほど優れたお方だったということである。称徳天皇は、そんな聖武天皇から仏教についてのしっかりした教育を施されていた。そういう優れた称徳天皇が、道鏡などにたぶらかされてしまっている。知性の高い女性ほど、超能力者を偽装するほらふきの詐欺師的な知性の高い男性(そういうのはたいていは催眠術師かなんかであろう)に騙されやすいということは、称徳天皇に限らず、世間にはよくあることのようである。それで、今から余計な変な心配をしているというわけである。

冥王星と海王星の時代

1983年ごろから1995年ごろに、冥王星は、さそり座に存在していた。冥王星は、さそり座の守護星である。


2012年ごろから2026年ごろは、海王星がうお座にいる。海王星は、うお座の守護星である。


わたしたちは、そういう時代に生きているのである。1980年生まれが、いま、41歳くらいである。1964年生まれのわたしが今年58歳である。上記の両方の時代を経験している人は、世界中でずいぶん多い。


そんなわけで、私たちの生きている時代は、太陽系からの地球への働きかけは大変なものなのだろうと思われる。


私たちの生きている時代がとんでもない時代なのは、ある意味、占星術的にも当然のことなのだろうと思われる。

smileとlaugh

英語の「微笑」ということばのsmileは、中世になってから造語されて出現した言葉らしい。好意と冷笑の両面感情が成立するためには、文化の成熟が必要だったのだろうと思う。中世になって、イギリス人にも、遠慮という情緒が出来上がったのかもしれない。


「笑い」である英語のlaughは、本来は動詞で、名詞は、laughterだったようである。laughは明朗な笑いである。笑われる相手に対する配慮や気遣いはない。このことばは、語源が古英語にあるようである。古くからある言葉である。


「笑い」を意味する英語は多いようである。giggle,titter,chuckle,grinなどいろいろある。笑いも、男性の笑いと女性の笑いは社会的意味が違うようだし、笑い方で別の情緒が表現される。


このあたりの話も、微妙な含意を受信したり、解読したりするのは日本人には難しい。だから、日本人の作文する英語は、英米人にはよくわからないことが多いのだろう。かつて日本人が作文した漢文がたいていの場合中国人には意味不明だったのも、このあたりの生活感覚に立脚した教養が不足していたためだろうと思われる。
記事検索
月別アーカイブ
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

Naksatra

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
楽天市場
  • ライブドアブログ