洛書通信(らくしょつうしん)

すこし変わった占い関係のブログです。管理人:洛書

一方の英訳法華経の五度目の読み直しを終えた

立正大学の村野宣忠教授の英訳による妙法蓮華経の五回目の読み直しを終えた。


英訳の法華経を読み直していつも思うことは、真読と訓読の漢文の法華経を何回も読み直しても、記憶に残っていないということである。情けないことである。自分は悪業を積み重ねていて、法華経が心にしみこまないのである。これは、法華経だけでなく、論語も同様である。漢文の論語を何回も読み直したつもりでも、英訳の論語を読むと、漢文の論語がまるっきり身についていないことがよくわかる。結局、自分も、愚劣な大衆の一人なのが、論語や法華経の英訳を読み直しているとよくわかるということである。


ドストエフスキーの「罪と罰」も、和訳と英訳と仏訳と独訳とロシア語の原書で読んでみようと思っているが、自分の心の中にはふかく刻み込まれないということなのであろう。情けないことである。

それでも、法華経の修業は、これからも続けていくつもりである。自分は、低劣な人間である。大したとりえもない。自分に対して、ひどい侮辱と嘲笑を加えてくる知的に優れた人たちも何人もいる。それも仕方ないことである。今の自分には、他人に道理を説くのに説得力がない。法華経をこれからも読み直していくことで、人間らしい人間、人間が神的に変容するすべについて、どれほどか説得力を持てるような根拠を獲得したいと思う。


自分も、まだ53歳、還暦を過ぎるまでには、いろいろな経験を蓄積できるだろうと思う。孔子も孟子も、人類の教師らしい人類の教師になれたのは、高齢になってからのことなのである。

あすは2017年の小雪である

先日の葛飾区議選で驚いたことは、全国ニュースになったことである。都民ファーストの会が惨敗なのが話題だった。投票率40%くらいの地方議会選挙が全国ニュースになることはめったにないと思う。


その葛飾区議選で、私の支持する小林ひとしさんがまたトップ当選であった。小林さんは、たいていトップ当選である。


その小林さんの応援に、参議院議員の石井苗子(いしいみつこ)さんが、いつも張り付いていてくださっていた。参議院選挙で、自分が有権者として石井さんに投票できるなら、次は、石井さんに投票しようと思った。


区長選のほうは、現職の青木克徳区長が大差で当選したが、共産党の候補の批判票も多かった。今の葛飾区政というより、国政に対して不満のある人が多いということなのだろうと思う。

ガルシア・マルケスの「百年の孤独」のスペイン語の原書を読み終えた

文字が小さいので、読むのがつらかったが、とうとう、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」のスペイン語の原書をとりあえず読み終わることができた。もちろん、スペイン語が分からないので、内容はほとんどわからない。しかし、先に英訳を読んでいるので、大体の内容はわかっている。


用いたテキストは、Gabriel Garcia Marquez   CIEN ANOS DE SOLEDAD  EDICION 1992  MEDELLIN - COLOMBIA  Impreso por:EDITORIAL GRAF. COL  LTDA.  IMPRESO EN COLOMBIA である。


現代の英語というのは、どうも、表情の乏しい言語のようで、一般的説明には向いても、文字化すると、微妙な情緒の表現が困難なもののようである。かつて漢文がたどった運命を、現代の英語もついて行っているような気がする。スペイン語で読んでみると、よくわからないなりに、屈折や抑揚が感じ取れる。ガルシア・マルケスのこの名作でさえそうなのだから、マヌエル・プイグの小説なんかは、英訳すると、下品な同性愛文学になってしまうのかもしれない。たぶん、プイグの小説は、スペイン語だと、微妙な陰影のある、妖艶な叙情文学なのだと思われる。いずれ、機会に恵まれれば、プイグの「ブエノスアイレス事件」や「蜘蛛女のキス」も、英訳とスペイン語で読み比べてみたい。


「百年の孤独」をスペイン語で読み終えたので、次は、「罪と罰」をフランス語訳で読みたいと思っている。たぶん、ひどく時間がかかると思っている。自分も、読み終わるのを焦る気持ちもない。


「神智学」をドイツ語で3回読み終えたら、「自由の哲学」もドイツ語の原書に挑戦したいと思っている。「自由の哲学」をドイツ語で読み終えたら、「罪と罰」のドイツ語訳に挑戦するつもりである。

訓読の法華経の七回目の読み直しをした

法華経を全巻、また訓読で読み終えた。もちろん、声に出して読み終えた。


自分は、ずいぶん根性がゆがんでいるのか、法華経を十何回か、何十何回か読み直した程度では、それほどのものにはならないのであろう。こういうものは、幼児からなじむことが大切で、いい大人になってから法華経を読むようになっても、大した効果は期待できないのであろう。


それでも、法華経を読み直すたび、法華経に登場する諸仏諸菩薩諸天の名号をお唱えしているわけで、いろいろな仏様や神様と縁を結んではいるのであろう。今まで法華経を繰り返し唱えていた立派なお坊さんたちとも法華経を読誦することでご縁を結べているのであろう。この生涯でどれほど法華経を繰り返し声に出して読経できるか、それが、自分のこの生涯の価値なのであろう。


また、今度は、真読で法華経を読み直す。ほぼ毎日、中論をサンスクリット原典で読んでいる。これも読み終えたらまた、法華経のサンスクリット原典を読み直すことにしたい。


そろそろ、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」も、スペイン語の原書で読み終えられそうである。こちらを読み終えたら、ドストエフスキーの「罪と罰」のフランス語訳に挑戦したい。

たとえ読者はいなくても

たとえ私の記事の読者はいなくても、私がなにかに集中して何かを取り上げ、思考作業をし、ブログの記事にすれば、どうも、エーテル場というか、時代霊の舞台というか、そういうところに私の思念が送られ、私の考えを受信する人がこの世には何人もいるようである。


そんなわけで、私の記事を読む要請のある人は、いつか私の記事を探し当てるようなのである。


こういう神秘的見識というのも大切なもののようである。こういう話は、ルドルフ・シュタイナーもトラインもしている話みたいである。


私が探し当てたいろいろな資料も、多くの人の思念を自分が受信した結果かもしれない。みんな、霊界に、送信したり受信したりして世の中は成り立っているようである。
記事検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

livedoor プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
楽天市場
  • ライブドアブログ