洛書通信(らくしょつうしん)

すこし変わった占い関係のブログです。管理人:洛書

漢訳妙法蓮華経を全巻真読した(その7)

また、法華経を、真読で全巻読み終えた。


法華経も読み慣れていくうちに負担が少なくなっていく。体にどんどんなじんでいくのかもしれない。


真読と訓読の対応関係は、明確に把握できるようになりたい。まだまだくりかえし読み続けないといけないだろう。


英文の法華経を読んでいて意味の取れないところがいくつもある。訓読と真読の法華経が頭に入っていないからである。法華経を読むことそのものは、記憶の鍛錬にはならないのかもしれない。


法華経を繰り返し繰り返し読み返すことで、超人的な能力が獲得できるのだろうか。この辺りはわからない。自分程度の読み直し方では、凡人の能力の範疇から抜け出られないのであろう。


なんにせよ肝心なのは記憶である。法華経が体にしみこまないと仕方がない。何度も何度も繰り返し読み直す。それだけである。

法華経読誦の功徳

法華経には様々な功徳があるという。即物的に、心意的能力の向上という側面だけを見ても、法華経読誦の効果は偉大なもののはずである。


法華経を声を出して読み上げると、霊的、知覚的、知的に人間に作用する。


法華経には数多くの仏教語や神仏の名前が出現する。これを声に出すだけで、霊的に人間を変革する作用がある。


法華経を、できれば漢文真読すると、法華経は美しい韻文なので、知覚的能力、審美的能力を拡大する。法華経を読むことで、イマジネーションが豊かになる。これも、法華経の知覚的能力に対する功徳である。


法華経を、漢文真読し、漢文訓読し、英訳も読み、できればサンスクリット原典にも触れれば、法華経を通して、知的能力の鍛錬ができる。ここまでの作業は万人には難しいかもしれない。しかし、肝心なのは熱意である。法華経を通して、知力の鍛錬も可能なのである。


法華経をツールとして、人間の精神的、霊的な向上も、知覚的、審美的な能力の向上も、知的な向上も可能である。現代社会にとって、法華経は、ものすごく有用なツールになっている。かつての偉人達も法華経を通して優れた人間に変容した。現代でも未来でも、法華経は、人間改造の有用なツールであり続けるのである。

人間の最高の業績が

人間の持つ最高の能力が霊的能力で、最高の業績が霊的業績なら、自分の2つのブログも、人類にどれほどかは貢献しているのだろう。どちらも霊的問題をずいぶん扱っている。

人間は知的存在であるが、霊的存在でもある。価値や美意識の感受性のある存在である。

そのうちに、自分のブログも世間に取り上げてもらえるようになるのかもしれない。時間をかけて待っていれば、そのうちにいいこともあるのかもしれない。

2017年の大暑を過ぎた

渡辺美里さんに関係があるようなので、国府弘子さんと高嶋ちさ子さんと真心ブラザーズのCDを図書館から借りて聞いてみた。申し訳ないけれど、印象があまり強くなく、強調して取り上げる気持ちにならない。自分がたまたま聞いたCDが、あまり自分と相性が良くないだけかもしれない。今後、態度を改めるかもしれない。


自分のブログも読者の少ないブログである。当然、社会的影響力は小さい。インターネットというのも流通経路であって、流通経路にはのるものとのらないものがある。いくら自分が天文と社会の関係に言及しても、カンブリア爆発の原因を多細胞藻類の出現に求める発言をしても、学会誌に論文をのせるか、学会発表をしない限り、自分の言説には権威がないので、世の中には受け入れられないのであろう。インターネットに意見をのせている限りは、自分の評価は現状のままなのであろう。


中論をいま、サンスクリット原典で読み直しているのだけれど、サンスクリット文を音読するだけでなく、和訳の訳文を読むようにしている。いままで、そうする余裕がなかった。あらためて、竜樹菩薩の議論を知って、その分析の精密さと周到さに驚いているところである。もちろん、議論に何かしらごまかしもあるような気もしている。法華経をサンスクリットで読み直すときも、これからは、訳文もきちんと読むようにしようと思った。


今の生涯だけを考えていると、見えなかったり、見誤ったりすることが多いはずである。今の生涯を今の生涯にしている原因は、今までの生涯の中に見つかるのだろうし、今の生涯での努力は、これからの生涯に通じていくはずである。自分のできない努力は誰もできないけれど、自分にできる努力は、続けていきたいと思う。

[書評] 女運がつく本  (福富太郎;ごま書房)

大した内容の本ではないので、ペラペラめくってみた。それでも、結構面白い。もちろん、それほど奥深い内容はない。世間というのは、たいていはそれほど奥深いものではないのだ。世間に順応しようとしたら、あまり奥深いのは不利なのだろう。


占いについては、これは、当たるかもしれないし、当たらないかもしれないと思ったほうが良いようである。占いに関心をもつのはいいことだが、占いに依存したら、人生を破壊する。たしかにそうだと思う。もし、高島易断の暦がバッチリ全てを言い当てていたら、日本中の人がみんな高島易断の暦を頼りにして生活するはずである。世の中には、神宮館の暦を知らない人も多いし、知っていても関心のない人も多い。神宮館の暦など、そんな程度のものなのである。それでも、神宮館の暦を利用できるというのは、高度な情報処理能力を身に着けているということでもあるのだ。


読書の習慣はよいことだそうだ。女運だけでなく、金運も、不動産運も、社会的な運勢の基礎は、読書と言って良いみたいである。どういう本を読むかにもよるのだろうが、活字に馴染む習慣は、運勢を改善する源泉のようである。


自分なんかは、いま、ぱっとしない冴えない人生を営んでいるが、実は、自分はひどく幸運な人間なのかもしれない。随分読書をしてきたからである。これからも読書を重ねるだろうし、案外、思わぬところから開運できるのかもしれない。
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