Bloga enneagramica (ブロガ・エニアグラミカ)

IT革命の先にある社会の創造に貢献することを目的として、拙いながらも文章を紡いでおります。 (管理人:enneagram)

努力して、わたしたちみんなが欲するような知識社会を未来に生み出したいものです。

タイでは、まだ「ロッキー」のような映画は作られていない

タイの人たちにとって、キックボクシングへの関心は、まだ距離を置いて考えることができない事柄なのだろう。そういうわけで、タイではまだ、「ロッキー」のような世界的ヒット作のキックボクシングを題材にした映画は制作されていない。


同様、ロシアでも、ソ連のアフガン侵攻を題材にした「ランボー」のような映画は作られていないはずである。ロシアの映画人は、ソ連のアフガン侵攻について、詳細な事柄には無知な状態にいまだにとどめられているのかもしれない。


インドでは、インド系のシンガポール人が主人公になってビジネスで活躍する映画はすでに制作されただろうか。まだのような気がする。


そんなことを考えると、シルベスター・スタローンという人は天才なのだろうし、かつてのアメリカは、懐が深かったのだと思う。

エドマンド・バークと斎藤隆夫

バークも、斎藤議員も、国政重視で、選挙区への恩典は一切なしの議員活動をすることを宣言していた人たちだったという。


今の時代だと、選挙区無視の国会議員は、正義を主張していることにはならないと思われる。もちろん、地域への利益誘導に専念する議員は、国会議員の資格が欠如していると思うが。


国会議員も、地元の地域社会の問題に熱心に取り組むべきであろう。


田中角栄氏などは、まず、選挙区の抱える問題を一つでも解決してから、国家政策や外交の話をするべきであると、若い国会議員たちに教育していたそうである。

「中国製品なしで、あなたは生活できますか」

表題の問いは、邱永漢氏がかつて公言したものである。その問いは、日本人に対してだけ向けられたのではない。すべての先進国の国民に向けられた、ある意味、恫喝ともいうべき深刻な問いかけであった。


私たち日本国民は、もはや、中国製品に依存することなく生活できなくなっていることは明らかである。それは、アメリカ国民もカナダ国民も同様であろう。中国製品を拒否する選択肢は、いまでは、ベトナム製品かミャンマー製品を選択するというだけということで、それは、根本的解決にはならないということである。


私たちは、工業製品を中国に依存しているだけではない。


御徒町みたいな東京のいくつもの観光地は、中国人の観光客の消費なしには、もはや、成立できなくなっているのかもしれない。


そんな状況を考えると、私たちは、中国製品と中国人に敵意を持つことはいまやナンセンスであることを承知するべきである。


そして、それゆえに日本の多くの観光地を中国人の観光客にとって、さらに魅力的な場所にするように工夫を重ねないといけなくなっていることもきちんと認識しないといけない。


中国製品を買って、日本の通貨を中国に流出させる一方、中国人の観光客たちにもっと熱心に日本で多様な消費をしてもらう工夫も重ねていかないといけない。


中国に、外貨などの通貨が流出することは、いまではどうにもならないことである。そうである以上、中国人が日本にやってきて、日本で熱心に消費してくれる工夫も、多くの努力を重ねないといけない現実が、私たちの現状であるということをみんながきちんと承知しないといけないということである。

バブルのころの日本は、「アメリカ」を買った

日本の株バブルのころ、調子に乗った日本企業は、その後手放すことになる、アメリカの重要不動産や重要施設を熱心に購入して、それが世界的な話題になった。


そういう行動をとった後の日本は、アメリカの機嫌を悪くしないために、さかんに、製造業の生産拠点をアメリカに設けるようになったようである。


日米の産業関係がそんな風になると、どういうものだか、アメリカに留学する日本人が減少したとかいう話である。そういうのも時流なのだろうか。


最近では、日本では、流行の洋楽というのも極めて少なくなってきた。


バブル以降の日米関係というのは、民間レベルではどうもそんな感じである。しかし、政治的には、日米関係というのは、まだ、全世界にとって極めて重要なのであろう。


こういう日米関係になったということは、きっと、日本もアメリカもかつてよりも衰退したということなのであろう。それでも、世界的に見れば、まだ、日本もアメリカも随分みんなからあてにされていて、大国としての面目を保つことには成功しているというところなのであろう。

今考えれば「革命」?

かつて、三宅裕司さんのラジオ番組の「ヤング・パラダイス」で、ヤクザのヤッちゃんと首相の中ちゃんが、時間はずらされてはいても、一緒に話題にされていたことは驚くべきことだったと思う。あのころは、自然にそういう話が受け入れられていた。


ビートたけしさんが、村田英雄さんと三波春夫さんを笑いものにすることが通用してから、夜間のラジオの番組の制作の在り方が変わったのかもしれない。


かつてのフジ・サンケイグループは、いろいろな側面で、ずいぶん思い切ったことを手掛けたものだと思う。


早朝の文化放送の蟹瀬誠一さんのハイブロー路線は長続きしなかった。


そういうわけだから、ラジオというのは、下卑た話題のあつかいに向いているメディアなのかもしれない。ラジオ関係者は、その辺については、覚悟を決めて番組制作をしないといけないのかもしれない。
記事検索
月別アーカイブ
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

Naksatra

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
楽天市場