Bloga enneagramica (ブロガ・エニアグラミカ)

IT革命の先にある社会の創造に貢献することを目的として、拙いながらも文章を紡いでおります。 (管理人:enneagram)

土地利用の仕方も、労働の在り方も、資本の充実度も

これまでの歴史を調べてみると、土地利用の仕方も、労働の在り方も、資本の充実度も、知識の抽象性と精密さと多様性に支えられているようである。


狩猟採集社会にも狩猟採集社会なりの土地利用、労働形式、資本というものがあった。これは、農業社会も工業社会も同様である。それゆえ、情報化社会、知識社会なりの土地利用、労働形式、資本というものがある。


情報化社会で付加価値のある土地は、農業社会や工業社会で付加価値のあるとされた土地とは異質の基準で判断される。情報化社会では、工業社会とは異質の労働が敬意を持たれることになる。情報化社会の重要資本は、基本的に情報を取り扱う機材や部品である。たんなる物品や機械ではない。しかも、その機材や部品のハードウエアよりソフトウエアのほうが重要で付加価値が大きい場合も多いことだろう。


知識の抽象性、精密さ、多様性の水準が変わり、そういう知識が普及するようになると、社会が根本的に変化するようになる。きっかけは、どういう分野の知識の研究から出現するかは事前には予想できない。しかも、一つの分野だけでなく、複数の分野の成果の複合が重要な効果をもたらすことが多い。


知識社会で取り扱われる知識には、知識に関する知識が増えることは間違いない。そうなると、知識社会は哲学社会であるということになろうかと思う。

経済生産は最初は

経済生産は、最初は、労働だけで行われた。これが狩猟採集社会である。あるものをとってくる。それだけだった。当然収穫は少ない。


ついで、土地利用というのが労働に加わった。これが農業社会である。収穫はいくらかは増えたが、たいしたことはなかった。豊かだといっても、たいていは、たかが知れていた。

その後、労働と土地利用に加えて、資本が発達した。これが工業社会である。多くの人がずいぶん豊かになれる社会がやってきた。普通の人にもいろいろ可能性が開け、余暇の充実という課題も生まれた。


そして、やっと、土地、資本、労働より知識のほうが重要な社会になった。これが現在の知識社会である。土地利用にしても、資本の整備にしても、労働にしても、知識の習得と改善が最大の課題になった。社会の発展の要件が、知識の資源、資本、経費としての性質に依存するようになった。結局、経済が社会を規定する時代は終わり、社会が経済を規定する世の中になった。社会の最重要関心事は、これから、教育になるというわけである。その教育も、幼児教育、青年教育に負けないくらい、成人教育が大切で重要になる。

先駆者としての宇能鴻一郎氏

東京大学文学部を卒業後、速やかに芥川賞を受賞した宇能鴻一郎氏。しかし、かれは、純文学から官能小説の世界に転身して人気作家となった。


当時、なんとも彼の心理を理解するのは困難だったが、今になれば、かれは、文学の価値そのものを追及するより、消費者が対価を払う知識を提供することを優先した、知識社会の先駆者だったことがわかる。


知識社会においては、知識は経済資源である。知識は、資本、資源、経費を意味する。知識社会においては、知識は、もはや文化的現象であるだけでなく、経済的政治的現実を駆動する最重要要素である。


文学畑、理学畑の人間には、美意識が強くて、なかなかこの辺がよくわからなかった。社会に関することに関心を持つより、実存の追及をするほうが文学者らしい、芸術家らしいと思われている時代は長かった。理学畑でも、応用化学より基礎科学のほうが高級感を持たれていた。そして、基礎科学の追及は、美意識の充足の手段でもあった。


ところが、商業性が濃厚であることそれ自体は、文学が無価値であることや野卑であることを意味しないことを宇能鴻一郎氏は速やかに見抜いた。


時代は彼を勝利者にした。そして老後、彼は安心して、今度は純文学を追及できるだけの財産の蓄積に成功した。

知的財産権のパリ条約は同盟条約だという

知的財産権の優先権の規定などを定めたパリ条約は、同盟条約であるとされている。


同盟条約というのは、通常、安全保障にかかわる多国間の法的取り決めのようである。


19世紀の知的財産権に関する国際的取り決めは、安全保障上の問題として処理されたということなのだろうか。


インドは、20世紀になってから、長い間、パリ条約のいくつもの条文項目を批准しなかった。インドにとって、知的財産権に関する安全保障については、国際社会からつんぼ桟敷に置かれても、それを受け入れるというのが長い間インドの国策だったということなのだろう。


インドは中国と違って、大国でありながら国連安保理の常任理事国になれていない。また、国際社会も、インドの常任理事国入りは歓迎していない。そういうことの背景には、こういう事情もあるのだと思われる。

小早川秀秋の裏切りとかいろいろ言われるが

関ケ原で徳川家康の東軍が圧勝したことについて、いろいろな話がされる。特に、小早川秀秋の裏切りの話は有名である。


しかし、家康の謀略戦での勝利云々以前に、徳川秀忠の3万人の大軍が、上田城で真田昌幸に足止めされていても関ケ原の合戦では、徳川家康が勝利しているのである。


この勝利の真の原因は、西国大名たちが、太閤秀吉の命令で朝鮮出兵をして疲弊していたのに対して、徳川方は、朝鮮出兵で消耗していない将兵が多かったということなのではなかろうか。


秀吉をいさめて朝鮮出兵ををしていなかった家康は、兵隊も軍資金も温存していたということであろう。


関ケ原の合戦もまた、基本的には、兵站の充実による勝利という、戦争の鉄則の反映なのではなかろうか。そんな風に思う。
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