Bloga enneagramica (ブロガ・エニアグラミカ)

IT革命の先にある社会の創造に貢献することを目的として、拙いながらも文章を紡いでおります。 (管理人:enneagram)

努力して、わたしたちみんなが欲するような知識社会を未来に生み出したいものです。

ソ連崩壊の3つの予言

ソ連の崩壊を予言した有名な3つの言説を知る日本人は、今では少なくないようである。


最初は、1976年にフランスの人口統計学者のエマニュエル・トッド氏があまり目立たないやり方で学説を発表したということらしい。


トッド氏は、1950年以降は、先進国だけでなく、発展途上国でも乳幼児死亡率が著しく低下し、それが、先進国では出生率低下による少子化を、発展途上国では人口爆発を喚起していた状況で、ソ連を始めとする東側の共産圏では、乳幼児死亡率がごまかしようがなく増加している事実を突き止めたそうである。この乳幼児死亡率の増加の原因は、少し調査を試みただけでも、共産圏での医療と公衆衛生と栄養摂取の停滞と麻痺的状況にあることが明白であり、そこからトッド氏は、共産圏では文明の維持と成立が困難になっており、そのうちにいつかは、ソ連は自壊することになるという意見を発表してみたということである。この学説は長い間等閑に付されていたらしいが、ソ連崩壊後にトッド氏の名声を高めることになったそうである。


つぎに、我が国の小室直樹先生が、「ソビエト帝国の崩壊」という名著で、1980年の時点でソ連の崩壊を見事に予言してみせた。小室先生の立論は、それほど難しいものではない。ソ連という国は、建国の際に、共産党が、まず給付の平等の実現を公約し、そのあとには、就業機会の平等と参政権行使の平等も実現することにしているはずであった。そういう政治方針のソ連の経済は、恐慌も失業もなく、国民全員の生活水準を年々向上させることができるように計画されているはずであった。


ところがソ連の社会の実態とは、社会全体にあらゆる不平等がはこびり、すべての国民は経済後退を実感していた。そして、様々な機会の平等どころか、情報入手の自由も、物品購入の自由も著しく制限される日常生活が、国家全体に定着してしまった。


こんなふうに、社会の統治理念と社会の運営実態があまりに乖離してしまうと、どんな社会も、政治体制として持ちこたえるのが不可能になるから、だからソ連は遠からず自壊する他ないというのが、1980年における小室先生の結論であった。この意見に衝撃を受けた朝野の人々は当時は少なくなかったようである。


1989年には、ピーター・ドラッカー先生が「新しい現実」という著書でソ連の近未来の崩壊を予言してみせた。


ドラッカー先生の場合は、民族問題に焦点を当てた。ロシア皇帝の宮廷は、支配下の異民族に、ロシア語教育とロシア文化の受容を強制したそうである。しかし、レーニンは革命を成功させるために、ロシア帝国に支配されていた多くの異民族に、自民族言語の教育とそれぞれの民族の文化行事の随意の実行の認可を公約した。


このことがのちに種々の民族紛争と宗教紛争の火種になることを予測した、当時のソ連の代表的な有識者たちは、スターリンに、ある程度の水準のロシア語教育とロシア文化の受容の全国民への強制を具申したそうである。それに対して、スターリンは、有名な論文である「マルクス主義と言語学の諸問題(原題を示すと、И.В.Сталин[イ・ヴェ・スターリン]:Маρkсизм и вопρосы языkознания)」を発表して各民族固有の言語の教育とその継承の正当性を承認し、ロシア語を文明語として、それが非支配民族の諸言語に優越するという判断を退けたそうである。そして、ロシア語を、知的側面での優越的な指導的文明言語であるとする論者たちの一斉の粛清を敢行したのだそうである。


そういう経緯の結果が、ロシア語の使用の不得手な各民族の有力実業家たちの自治権拡大運動に実際に繋がって行って、それがいずれは、至るところで政治的な独立運動に転化していくのは間違いないと考えたのが、1989年の当時のドラッカー先生で、実際のところは、その2年後には、ソ連の15の構成共和国は、すべてロシア連邦から独立する運びとなった。


1989年に「新しい現実」が刊行されたあとの、その同じ1989年の年末近くにベルリンの壁の崩壊が起きていたというわけなのだが、この時期に至っても、「ソ連の政治も軍隊も依然として強固である」という見解を堅持していて、そのためにドラッカー先生によるソ連の分裂解体はもうすぐのことだろうという意見を受け入れられなかった人たちは、当時は少なくなかったようである。


なんというか、思いも寄らないことを言い当てるのは、通常のものの見方から外れた視点を持つ人達なのだろうと思う。


ダーウィンが生物の進化論学説を整理して理由付けして発表するためには、ガラパゴス諸島で種分化したある種の小鳥たちを観察する必要があった。更にそれだけでなく、彼は、伝書鳩の育種の仕方も知っていたし、石炭紀の化石についての知識まで持っていた。そして彼は、ミミズの地下での生活のあり方にまで関心を寄せてみたような人でもあった。


結局、常識外のことをなにか発見することができるためには、さまざまの常識外のことにも普段から関心を寄せるような強い好奇心を携えることが必要だということなのであろうかと思われる。

誤認逮捕!

1989年11月に発生した事件の坂本弁護士一家殺害事件は、その年の7月の、いわゆる「平壌祝典」のあとに起きた事件である。「平壌祝典」とは、ソウルオリンピックに対抗して、北朝鮮がその翌年に開催した共産圏の参加国が中心の国家的大行事のスポーツイベントであった。


このときの坂本弁護士一家の拉致の事件の発生現場の坂本弁護士の自宅には、オウム真理教信者の会員バッジが落ちていたということらしいが、この事件の捜査については、当時の警察当局は、オウム真理教の幹部たちに追及を集中させず、関係のありそうな捜査対象を幅広く、逆に言えばオウム真理教に対しては手薄に、捜査を進行させていたということだったらしい。坂本弁護士とその共同作業者の弁護士たちが共産党関係者だったので、捜査対象は、かなりの広がりを見せていたということだったらしい。


1994年の松本サリン事件だと、最初の通報者の河野義行さんが犯人と疑われて誤認逮捕されるということが起きた。長野県警は、河野さんを犯人と推定して立件する努力をしていたそうだが、ある方面からのなにかしらの働きかけがあって、河野さんは犯人ではなく、警察は誤認逮捕をしてしまった、ということになったらしい。一つ間違えれば、ここでも冤罪事件が発生するおそれがあったようである。この松本サリン事件が起きたのが、羽田内閣の末期の頃で、あと数日で村山内閣が誕生するという時期のことだったそうである。


その翌年の1995年3月の国松警察庁長官狙撃事件は、地下鉄サリン事件が起きた直後に発生した大事件であった。このとき、警察当局は、オウム真理教関係者の犯行であると断定し、そちらに集中して捜査活動を行ったそうである。しかし、後に確認できたことだそうだが、この事件の発生の直後に、北朝鮮の工作員と思われる複数名が日本の空港から海外に渡航しており、それらの不審人物たちは、いくつかの空港を乗り継ぎしながら、北京などに到着していたということが判明したとかいう話があるそうである。


国松警察庁長官が銃撃されて重症を負った事件は、長官の当時の自宅近くの荒川区南千住が犯行現場だが、荒川区というのは、朝鮮総連や朝鮮労働党と関わりがあるとされる地域金融機関が複数存在するとされていたらしい場所で、かつ、その三河島駅の近くには、朝鮮半島国籍のための施設が複数目立って散見されるような自治体である。


国松長官がわざわざそういう場所を自宅としていたということは、日常から、その種の事柄の探索に容易な環境を自発的に選択して職務に精励されていたと考えることが妥当であると思われ、にもかかわらず、長官の殺害を目的としたはずの事件の捜査から北朝鮮関係者を当初は外しておくというのは、そのようにした警察当局の態度のほうが不自然だったような気がする。そういう捜査活動が初動で実施されたためか、この重大事件は、結局は迷宮入りの事件になってしまった。


そして、この事件の発生のときの東京都知事が鈴木俊一知事で、その翌月に、東京都知事が青島幸男知事になる。上記の事件の直後の、青島都知事誕生の直前に、石原慎太郎氏が自発的に衆議院議員を辞職していた。


私が入手できたニュースソースは、どれもがどれだけ信用できるものなのかはわからない。ただ、自民党に経世会(竹下派)が出現したあとの日本の治安というのが、肝心な事柄ではひどく信頼性の乏しいものになったのは、どうもたしかのようである。


田中角栄元首相は、1993年に逝去された。刑事被告人としての他界だったために、正二位の大勲位遺贈の叙勲の処遇は受けられなかったそうである。


オウム真理教による都市での大量破壊兵器によるテロの実施というのも、田中角栄元首相の他界のあとに起きた出来事であった。


細川内閣の出現というのも、田中角栄元首相の他界がほぼ目前になったころに起きた出来事であった。

構成人数

クラシック音楽の楽団でも、舞台演劇の劇団でも、大人数の集団というのは少なくない。そういう大人数の演者を動員する優れた音楽作品も舞台芸術作品も多い。


ジャズの本来のあり方から考えれば、指揮者が存在するビッグバンドにより演奏されるジャンルのスイングジャズというのは、実は全くの邪道という扱いになってしまうはずだけれど、実際には、スイングジャズの名曲はいくつもあるし、楽譜に忠実な演奏をする優れたスイングのビッグバンドというのも、見つけることは困難なことではないらしい。


テレビの歌番組では、以前から、花柳糸之社中やスクールメイツみたいな、主役の歌手をサポートする舞踊結社あるいはダンスユニットを起用する場合だと、舞台に出演する演者たちは、普通は決して少人数というわけではなかった。しかし、AKB48などのように、主役のユニットの構成メンバーが大人数となり、しかも、その中身の人員たちの内容が時期とともに流動的になるケースというのは、なかなか出現することはなかったし、また、そういう企画がこれほど成功することも想像されなかった。


その種の大掛かりな話ではなくて、人気のあるロックバンドで、持続性もあって、独創性も発揮しやすい人数構成という話になると、どうも、4人で構成されているバンドがうまくいく場合が多いということになるみたいである。


4人編成のロックバンドだと、大抵は、リードギターとリズムギターとベースギターとドラムスのパートで構成されているか、ギタリストとベーシストとドラマーとキーボードプレイヤーで構成されるという感じである。あるいは、リードヴォーカルの担当者は、スタジオでは楽器を演奏しないで、ライブだと、タンバリンを叩いたり、マラカスを振ったり、ホイッスルを吹いたりする演出をすることがある、という感じになるバンドも少なくないのだろうとも思う。そのような楽器の演奏の苦手なリードヴォーカリストでも、もう少し気が利くバンドメンバーだとすると、ブルースハープを吹くことができたり、イントロだけは数小節フルートを演奏してみせたり、間奏ですこし、ビブラフォンかマリンバを叩いて演奏することができるという芸を見せて、観客を喜ばせるような人もいるのだろうと思う。とにかく、ロックバンドというのは、どういうものだか、4人編成が一番座りが良いみたいである。ビートルズが優れた前例を示し、レッド・ツェッペリンとピンク・フロイドがそれに続いたからだろうか。


クラシック音楽でも、不思議と、少人数のユニット向けの作品というと、弦楽四重奏曲に名曲が多いようである。これは、演奏する側の問題だけでなく、作曲者にとっても、作曲を成立させやすい楽器編成なのかもしれない。


これまで、この記事では音楽活動の楽団編成の話をしてきたけれど、そこから演芸の方に話題を移すと、「ソロのプレイヤー」でない場合は、二人組がどうも、圧倒的に仕事がしやすいようである。漫才でも、コントでも、二人のコンビの成功例が圧倒的多数だと思う。


古典芸能ではなく、色物芸でピン芸人として身を立てるというと、やはり、楽器を使うとか、マジックを披露するとか、腹話術師として芸をするというように、なにか道具を扱うほうが仕事をしやすいようだし、お客の反応を制御しやすいようである。それゆえ、新山真理先生とか、ねづっち先生とか、なっきー先生とか、語りだけで勝負するいろもののピン芸人というのは、かなりの自信と創意工夫の努力の継続がないとできないということのように思われる。


もうすこし、色物芸の複数の人数のユニットの話を続けるけれど、三人組というと、長期間の成功例は少なくなるような気がする。レッツゴー三匹とか、かしまし娘とか、宮川左近ショーとか、ダチョウ倶楽部などは、そういう希少な実例だと思う。漫画トリオとてんぷくトリオは大きな人気を得たが、ユニットとしての活動期間は長くはなかったと思う。そういうことだから、コント青年団には、これからも、ぜひ頑張り続けてほしいと思っている。


色物芸の4人組で長い成功を実現できた人たちというと、私は、玉川カルテットと電撃ネットワーク位しか知らない。こういうのは、掛け値無しに本当の「偉業」だったのだろうと思う。


ロックバンドでも7人編成で成功できたシカゴとエレクトリック・ライト・オーケストラみたいな例外もあるけれど、シカゴの場合も、ブラスセクションがあることには、ピーター・セテラはいつも大きな不満を持っていたみたいだし、ELOの場合は、たぶん、リーダーのジェフ・リンが独裁的に方針決定していたようなバンドだったからある期間なんとか成立できていたのだろうと思われる。


こういう話というのも、野暮ったい言い方だけれど、たぶん、「マネジメント」に関する話題の一種のはずで、おそらく、こういう話というのは、医薬品の開発チームの編成の話とか、あるいは半導体製品の開発チームの編成の話などと、全く無縁の事柄というわけでもないような気がしているようなところである。

「よくぞ申したぞ、サンチョ」

タイトルに示したセリフは、集英社版世界文学全集第3巻の、会田由先生により翻訳された「ドン・キホーテ」の第1部・正篇の中で、ドン・キホーテが従卒のサンチョ・パンサに最後に語りかける場面のセリフの引用である。その短いセリフの全部を引用すると以下のようになる。


「よくぞ申したぞ、サンチョ」と、ドン・キホーテが答えた。「それに、今流れる星の悪い力をやりすごすというのは、きわめて賢明な策と申すものであろう」


次に、PENGUIN CLASSICSの英訳書の「ドン・キホーテ」の上記該当部分のJohn Rutherford先生による英語の翻訳文と、スペインのバルセロナに本社のある出版社であるEspasa Librosから2010年に刊行された、Alberto Blecua先生による校訂のペーパーバック版のスペイン語の「ドン・キホーテ」から、当該部分を引用して示すことにする。


'You are speaking sound sense,' replied Don Quixote,'and it will be wise indeed to wait for the presently prevailing malign influence of the stars to dissipate.'


―Bien dices,Sancho ―respondió don Quijote―, y será gran prudencia dejar pasar el mal influjo de las estrellas que agora corre.


この台詞を取り上げたのは、他にたいした理由があるわけでなく、ここでも、天文とか星辰とかが、主人公やその周囲の人達の強い関心事であることが表示されていることに関心を持ったからである。


これは「ドン・キホーテ」の著者のセルバンテスだけでなく、シェークスピアも「リア王」の中で、王様の3人の王女たちの誕生時の星辰の配置の話題を持ち出しているし、シラーの戯曲の「ヴァレンシュタイン」でも、ヴァレンシュタイン将軍の進軍の経過のある時点での星辰の配置の状況がいくつか示されているということである。ゲーテの自伝の「詩と真実」などは、著作の導入部の開始から、自身の出生天球図を示している。こんなふうな感じで、ヨーロッパの大文豪には、占星術に強い関心を持った人たちがとても多いみたいである。


地動説の提唱者のコペルニクスは、イスラム教徒の自然学者たちの(アラビア語から)ラテン語に翻訳されたいろいろな著作に強い関心を持っていた人だったそうで、これはどうも、そのコペルニクスの地動説の最初の支持者たちの一人で、惑星の公転運動の3法則の発見者のケプラーも同様だったようである。


そのコペルニクスとケプラーは、生きた年代がそれほど隔たりがあるわけではなく、セルバンテスも、シェークスピアも、ベーコンも、ガリレーも、生きていた時代は、ケプラーとほとんど同時代の人たちだった。


そういう、コペルニクスやケプラーが持っていたような天文とか占星術への、イスラム教徒の知識人経由の関心は、きっと、セルバンテスも、シェークスピアも、ベーコンも、ガリレーも、誰もが多かれ少なかれ共有していたと思う。


イスラム世界発の中世のヨーロッパへのよく知られていると言える顕著な影響というと、中世の教会の建築様式であろうし、また、西洋の宗教音楽についての様式でもある、ルネサンス期の直前の時代にある期間存在した中世後期のゴシック様式とか、ゴシック調(☆工芸美術だと、ゴシック→ルネサンス→バロック→ロココというように、ヨーロッパでは様式の主調の傾向の時代的変遷があったようである)とかいわれるものは、12世紀になってからいろいろなアラビア語の書物がラテン語訳されるようになり、13世紀になってから、そういう、イスラム教徒の知識人の発想がヨーロッパの知識人たちに普及してから、ヨーロッパの諸都市で顕著に採用されはじめるようになったものらしい。


たぶん、12世紀のヨーロッパで、イスラム教徒の知識人たちの著書の影響を強く受けた最初の思想家たちであるロスケリヌスやアベラールのような唯名論者のスコラ哲学者たちがもてはやされるようになる前というのは、ふつうの西洋人の発想とは、人間の運命や気質は、天文や天体に強く規定され、拘束されていると考えるよりも、地霊だとか、妖精だとか、先祖霊だとか、天魔や鬼神の仕業だと考える傾向が強かったのではないかと思われるし、仮にかれらが望外の慶び事に遭遇できると、その場合は、たいていは、そういう滅多に起きない「聖母からの恩恵と祝福」に、素直に屈託のない感謝を捧げていたという感じだったのだろうと思う。


中世後期やルネサンス期の西洋の知識人たちを魅了したらしい、それ以前の時代のイスラム教徒の知識人たちが熱心に探求した占星術の成果というのは、こだわりのある奇抜な手法が随分数多く散見されるもののようである。それだけかつての時代のイスラム教徒の知識人たちは、天文に対して強い関心を持っていたということだったのであろう。これは、今も活力を維持して存在するインド特有の占星術からの影響もあったのではないかと思われる。


中世後半からの西洋世界で、長い間ずっと異端審問や魔女裁判が熾烈を極めたのも、それまでは生活そのものは貧相で過酷ではあっても、知的な側面のことではどれも、ひどく呑気で大雑把でいい加減だった西ローマ帝国の滅亡の跡地に、ひどく凝り性なイスラム教徒の知識人たちに由来する諸学問がいきなり流入し、広がりを見せたためのそれらへの拒絶反応だったのかもしれないような気がする。


私たちの時代でも似たようなことは起こっていて、ロシアでも、中国でも、カンボジアでも、共産主義化すると大粛清や大虐殺が行われたのは、上記の話と似たようなものなのではないかと思われる。さらに、アフリカの民族紛争でしばしば起きた大虐殺も、やはり、同様の社会現象なのではないかと考えたりしている。

明治維新の「世界史的な意味」

ピーター・ドラッカー先生が、その1989年刊行の著書の「新しい現実」の中でも、日本が明治維新を敢行して、単に西洋世界の学術と産業と制度を調査し、探求するだけでなく、自発的に国家体制の西洋化を実現できたことを高く評価されている。しかも、その西洋化のプロセスは、自前の流儀で、日本民族自身の国家主権を維持し、厳守しながら進行させ、そうやって、他国にはできなかった水準の西洋化を達成したわけである。かつての日本の、この決意とその成功が、西洋列強の覇権をくじき、共産主義体制を破綻させたのは間違いないらしい。


それで、ドラッカー先生の、論文集ではない次のまとまった著書である、1993年刊行の「ポスト資本主義」では、1983年版のドラッカー先生の著書(初版は1969年刊行)である「断絶の時代」に示した5つの断絶、すなわち、(1)少子高齢化、(2)20世紀型の新技術と新産業の出現と成長、(3)経済のグローバル化、(4)社会統治に関する社会機関の機能の多様化と高度専門化の進展に由来する社会の多元化、(5)各分野の専門知識の文化的および政治的機能に加えて経済的な機能と効能の著しい向上のために、従来型の商品生産および商品流通を中心的とする図式に明確に収まるような近代資本主義は超克され、その後の過渡期の「ポスト資本主義社会」の経過が終了すると、経済運営にとっての資源、経費、資本の中心が知識の配賦と利用となる「知識社会」が到来するはずであるという見通しが示されている。この、「ポスト資本主義」のあとの「知識社会」の出現と、その「知識社会」が全世界的にいかなるものになるのかは、日本のあり方、特に国家的意思決定により大きな影響を受けるはずであるというのが、この書物でのドラッカー先生のご意見である。


その「知識社会」だけれど、これは、反資本主義社会でもなければ、非資本主義社会でもない、ということは明らからしい。金銭も労働もなくなることは考えられないし、金融機関も金融市場も、それまでと役割は変わってもなくなりはしないはずだろうと想定できる。しかし、社会を統治するうえでの指導理念は変えざるを得ないし、各種制度も大きく変更されるのは間違いないらしい。資本主義社会のあとにやってくる社会は、社会主義社会でも、無政府社会でもないけれど、資本家と営利事業が社会の中心ということはなくなり、きらびやかな繁華街が金融街であるという現象も珍しくなるようである。マスコミは存在しても、もはや「権威」ではなく、大学も、卒業者の専門性の保証は意味していても、卒業証書により(知的な、および実務的な)優秀性を担保する社会機関ではなくなるということになるみたいである。


そんな「知識社会」は、反資本主義でも、非資本主義でもないことに加え、仮に「脱西洋」あるいは「反西洋」の価値観と世界観を持つようになってそれにより従来型の近代科学中心主義を克服はしても、社会の運営方式の構成要素の大半が「非西洋」になることはありえないというのが、ドラッカー先生による予測である。これについては、西洋が生み出した社会運営の諸制度や、様々の学術での学習と研究のための方法論や標準規範と評価基準の多くが、今後蒸散して消失することはほぼありえないと断言されている。


そんなふうなこれからの「知識社会」が、商工業中心の社会ではなくなっても、近代資本主義が編み出して残していくことになる社会運営手段や概念装置の多くを今後の「知識社会」もやはり活用しつづけることになり、社会運営のための指導理念は非西洋的になるとしても、社会運営のための手続き的な側面の枠組みは西洋的なままであることがほぼ通常ということになるようならば、我が国の明治維新とその後の日本の歴史のあゆみがすでに達成したことというのは、過去の話というだけではなく、未来の創造のためのかけがえのない優れた教材の宝庫なのであろうと思われる。
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