今、スーパーやコンビニで市販されているようなおせんべいのほとんどは、一部例外を除いて、間違いなく、コーンスターチも原料に用いているはずである。
しかし、どのせんべいも、主原料はもち米で、コーンスターチの中に申し訳程度にもち米やうるち米を混ぜているような商品を見つけるのは極めて困難だろうと思う。
やはり、おせんべい屋さんには、おせんべい屋さんの自尊心があって、いくら大量生産向けの大工場でコストダウンを考えながら生産していても、コーンスターチが主原料のおせんべいを作ることには心理的抵抗があって、やはり、おせんべいは、たとえ輸入原料でも、もち米中心で製造したいのであろう。
これは、うどん屋さんだって同じだろうと思う。仮に、デュラム・セモリナ小麦で作ったうどんが人気が出て売れるのが分かったとしても、そういうのは、邪道のうどんで、お客さんには、やはり、従来の原料と製法のうどんを買ってもらって、食べてもらいたいはずである。
利益が大切な商売人でも、そこには、事業者の美意識というものがあるものなのである。お客さんたちに、「お前のところは、そんなにまでしても売りたいのか、儲けたいのか」と思われるのは、やはり心苦しいのである。
事業者たちに、そういう美意識が残っているうちは、その社会は持ちこたえられる社会である。日本のせんべいがどれを見ても、コーンスターチで作られたせんべいばかりになる日が来たら、その時は、おそらく、日本が日本でなくなる日なのではないかと思っている。
しかし、どのせんべいも、主原料はもち米で、コーンスターチの中に申し訳程度にもち米やうるち米を混ぜているような商品を見つけるのは極めて困難だろうと思う。
やはり、おせんべい屋さんには、おせんべい屋さんの自尊心があって、いくら大量生産向けの大工場でコストダウンを考えながら生産していても、コーンスターチが主原料のおせんべいを作ることには心理的抵抗があって、やはり、おせんべいは、たとえ輸入原料でも、もち米中心で製造したいのであろう。
これは、うどん屋さんだって同じだろうと思う。仮に、デュラム・セモリナ小麦で作ったうどんが人気が出て売れるのが分かったとしても、そういうのは、邪道のうどんで、お客さんには、やはり、従来の原料と製法のうどんを買ってもらって、食べてもらいたいはずである。
利益が大切な商売人でも、そこには、事業者の美意識というものがあるものなのである。お客さんたちに、「お前のところは、そんなにまでしても売りたいのか、儲けたいのか」と思われるのは、やはり心苦しいのである。
事業者たちに、そういう美意識が残っているうちは、その社会は持ちこたえられる社会である。日本のせんべいがどれを見ても、コーンスターチで作られたせんべいばかりになる日が来たら、その時は、おそらく、日本が日本でなくなる日なのではないかと思っている。