2005年05月
2005年05月14日
無価値ほど残酷な現実は存在するだろうか。
真実を綺麗な言葉だけで表現しようなんて無駄な努力だ。
確かに倫理的に美しいと思われる真実だけを取り出して、それを綺麗な真実として語れば、真実がそういうものであるかのように見えるかもしれない。
だが美しい現実だけを取り出している時点で、それは真実の全体像を捉えていない。
もともと現実とは残酷な部分のほうが多いのだ。
死ぬことが人生を完成させるための最終試練だ?
くだらない。
それは死というものに対する現実逃避だ。
そうやって現実から目を背けて強がっていても、そこから何の進歩もないと思うのだが。
死という残酷な現実を捉え、それを恐がっている弱い自分を認めるところから、自分がこれからすべきことが見えてくるんじゃないの?
宗教に頼って自分は幸福だと思っている人は勘違いしている。
宗教は思考停止と現実逃避を促す、最低レベルの哲学に過ぎない。
生命科学が進歩していなかった時代においては、それに頼って生きるしかないのは分かるのだが、今となっては宗教というのは古い思想だ。
これからの時代は、時代に相応した新しい哲学を持つべきだ。
それは残酷な言葉でしか表現できないものかもしれないが。
生きる意味を見つけようとしても見つからず、一生を使って見つけていくものなのだ、と考えるのはただの思考停止だ。
もともと人間が存在する意味などというものは存在しない。
そういう真実を綺麗な言葉で飾っているだけだ。
それどころか人間は価値すらも持ち続けることはできない。
正確に言うと、生きている間における一定の時間枠においては、存在することによる一定の価値を持つが、死とともにその価値を全て失う。
ここでは存在するという事象を1、存在しないという事象を0として、それぞれの事象の継続時間の積を足したものを価値として定義している。
ならば、一定時間においてでも存在すれば、時間全体という枠から見ても、価値を持っているように思える。
確かに価値は0ではないが、無限時間において一定時間の存在が占める価値は、無限小である。
有限寿命の人間が持つ価値は無限小なのだ。
(一般的に言われる価値は、有限時間枠において存在が占める価値を言っているため、人間には価値があるという議論ができているのであろうが)
無限時間枠においては、人間は半永久的に生きることができるということが証明されて初めて、価値を持ちうる。
それでも永遠に生き続けるという保証はないので、人間が持つのは仮想的一定価値に過ぎないのだが。
それでも人が自分は価値のある存在だと信じているのは、人は誰もがバカみたいにナルシストだからだ。
日記。
相変わらず毎日実験続きの日々ですね。
五月祭も近づいてきたので、模擬店の準備とか展示の準備もしないといけないようなのですが、はっきり言ってやる時間ないです。
来週は検見川運動会という、薬学部全体の運動会もあるので5月は暇な時間がなさそうです。
今日は昼頃起きてサイトの更新作業をやってました。
薬学研究ファイルというサイトのリンクを貼っておきました。
自分が作ったサイトですが、内容は薬学部の人達が協力して作ったものです。
何気に自分の本名が書いてあったりします。
コエンザイムQ10+αリポ酸について。
毎日飲んでいるわけですが、この1週間くらい肌の調子が良くなく、疲れ気味です。でもこれだけ実験やってれば疲れて当然なので、実験のせいでしょう。
薬の効果があるのかどうかはよく分かりません。
自我空間分裂による無限回転生。
ヒトデは身体をばらばらにしても自己再生能力により完全な固体に戻ることができる。ヒトデを二つに切ってみたとき元の自我は脳を含んでいる方に留まり、脳を含んでいない方は新たな自我が形成されると考えられる。
ここで自我はいつ形成されるか、自我は空間的に分裂することはありうるかという疑問が出てくる。
クローン人間は遺伝子が同じでも自我は異なる。
自我が異なるということは自我を決定する因子のうち、どれかが異なるということが考えられる。
それではその因子とは何か。
考えられるものを全て挙げてみる。
遺伝子g、自我形成における空間的位置x、自我形成される時点における時間tである。
仮に全く同じ遺伝子の人間を同時刻に作ったとする。
しかしそれぞれ自我は異なるものであろう。
これは自我決定因子のうちxが異なるためであると考えられる。
また一卵性双生児が別々の自我を持つことを考えると、自我形成時点は脳の形成過程のどこかである可能性が高い。
人間の遺伝子が時間とともに変化していくことを考えると、遺伝子は自我形成時点における初期状態が自我決定因子として機能しているか、もしくは自我形成に全く関与していない可能性がある。
それでは一人の人間を一瞬で真っ二つに切ったら、自我はどちらに留まるのか。そのまま放っておけば即死するが、二つに切ってから微少時間においては意識が存在していると思われる。
そしてその場合、おそらく自我は両方の身体に留まった状態である。
だとすれば空間的に離れた場所で1つの自我が存在することが可能ということになる。
つまり自我は空間的に分裂可能であると言える。
そうなると、人間を一瞬で真っ二つに切り、瞬時に失われた部分を再生することができれば、一つの自我で二つの脳と身体を持つことが可能となる。
記憶が失われる可能性はあるが、記憶情報をコンピューターに保存しておいて、後で記憶情報を脳にインストールすれば、同一自我でかつ記憶を維持した人間が作れる。
これは自我決定因子において同一自我であることに矛盾していない。この場合、脳の再生を行ってはいるが、もともとの脳形成時点における自我形成時点は同じであり、tは同一の値である。
空間的位置x、遺伝子gも全く同じ値である。
これを繰り返せば自我を無限に分裂させることも可能かもしれない。
ここでまた疑問が生じる。
自我が分裂可能なら、この世界に一つの自我で二つの身体を持っている存在が生じる可能性もないとはいえない。
つまり、g、x、tというパラメーターが全て異なる2個体に同一の自我が入ることがありうるかということである。
このパラメーターから自我を同定することはできても、自我からパラメーターを決定することはできないかもしれないのだ。
仮に2固体に同一の自我が入っていたとしても、それぞれの固体で記憶を共有することはできないので、判定しようがないのだが、単純に存在していない可能性が高い。
おそらく自我の数は無限大に存在している。
有限であれば、同一自我・複数固体の存在が生じるか、または固体に自我が存在しないかという現象が起こるはずである。
だがそのような現象が起こっていることを示唆する証拠は知られていない。
自我が無限に存在するならば、自我がすでに肉体を持って存在するという状態で新たに肉体を持つ条件付き確率は無限小である。
つまり単一自我・複数固体は実際には確率的に存在しないと考えることができる。
もしくは、人工的に単一自我・複数固体を作ることは可能でも、自然にそのような存在が生ずるのは物理的に、つまりエネルギー的に不可能であるということも考えられる。
人工的に作り出せれば問題はないわけであるが。
(つづく)
確かに倫理的に美しいと思われる真実だけを取り出して、それを綺麗な真実として語れば、真実がそういうものであるかのように見えるかもしれない。
だが美しい現実だけを取り出している時点で、それは真実の全体像を捉えていない。
もともと現実とは残酷な部分のほうが多いのだ。
死ぬことが人生を完成させるための最終試練だ?
くだらない。
それは死というものに対する現実逃避だ。
そうやって現実から目を背けて強がっていても、そこから何の進歩もないと思うのだが。
死という残酷な現実を捉え、それを恐がっている弱い自分を認めるところから、自分がこれからすべきことが見えてくるんじゃないの?
宗教に頼って自分は幸福だと思っている人は勘違いしている。
宗教は思考停止と現実逃避を促す、最低レベルの哲学に過ぎない。
生命科学が進歩していなかった時代においては、それに頼って生きるしかないのは分かるのだが、今となっては宗教というのは古い思想だ。
これからの時代は、時代に相応した新しい哲学を持つべきだ。
それは残酷な言葉でしか表現できないものかもしれないが。
生きる意味を見つけようとしても見つからず、一生を使って見つけていくものなのだ、と考えるのはただの思考停止だ。
もともと人間が存在する意味などというものは存在しない。
そういう真実を綺麗な言葉で飾っているだけだ。
それどころか人間は価値すらも持ち続けることはできない。
正確に言うと、生きている間における一定の時間枠においては、存在することによる一定の価値を持つが、死とともにその価値を全て失う。
ここでは存在するという事象を1、存在しないという事象を0として、それぞれの事象の継続時間の積を足したものを価値として定義している。
ならば、一定時間においてでも存在すれば、時間全体という枠から見ても、価値を持っているように思える。
確かに価値は0ではないが、無限時間において一定時間の存在が占める価値は、無限小である。
有限寿命の人間が持つ価値は無限小なのだ。
(一般的に言われる価値は、有限時間枠において存在が占める価値を言っているため、人間には価値があるという議論ができているのであろうが)
無限時間枠においては、人間は半永久的に生きることができるということが証明されて初めて、価値を持ちうる。
それでも永遠に生き続けるという保証はないので、人間が持つのは仮想的一定価値に過ぎないのだが。
それでも人が自分は価値のある存在だと信じているのは、人は誰もがバカみたいにナルシストだからだ。
日記。
相変わらず毎日実験続きの日々ですね。
五月祭も近づいてきたので、模擬店の準備とか展示の準備もしないといけないようなのですが、はっきり言ってやる時間ないです。
来週は検見川運動会という、薬学部全体の運動会もあるので5月は暇な時間がなさそうです。
今日は昼頃起きてサイトの更新作業をやってました。
薬学研究ファイルというサイトのリンクを貼っておきました。
自分が作ったサイトですが、内容は薬学部の人達が協力して作ったものです。
何気に自分の本名が書いてあったりします。
コエンザイムQ10+αリポ酸について。
毎日飲んでいるわけですが、この1週間くらい肌の調子が良くなく、疲れ気味です。でもこれだけ実験やってれば疲れて当然なので、実験のせいでしょう。
薬の効果があるのかどうかはよく分かりません。
自我空間分裂による無限回転生。
ヒトデは身体をばらばらにしても自己再生能力により完全な固体に戻ることができる。ヒトデを二つに切ってみたとき元の自我は脳を含んでいる方に留まり、脳を含んでいない方は新たな自我が形成されると考えられる。
ここで自我はいつ形成されるか、自我は空間的に分裂することはありうるかという疑問が出てくる。
クローン人間は遺伝子が同じでも自我は異なる。
自我が異なるということは自我を決定する因子のうち、どれかが異なるということが考えられる。
それではその因子とは何か。
考えられるものを全て挙げてみる。
遺伝子g、自我形成における空間的位置x、自我形成される時点における時間tである。
仮に全く同じ遺伝子の人間を同時刻に作ったとする。
しかしそれぞれ自我は異なるものであろう。
これは自我決定因子のうちxが異なるためであると考えられる。
また一卵性双生児が別々の自我を持つことを考えると、自我形成時点は脳の形成過程のどこかである可能性が高い。
人間の遺伝子が時間とともに変化していくことを考えると、遺伝子は自我形成時点における初期状態が自我決定因子として機能しているか、もしくは自我形成に全く関与していない可能性がある。
それでは一人の人間を一瞬で真っ二つに切ったら、自我はどちらに留まるのか。そのまま放っておけば即死するが、二つに切ってから微少時間においては意識が存在していると思われる。
そしてその場合、おそらく自我は両方の身体に留まった状態である。
だとすれば空間的に離れた場所で1つの自我が存在することが可能ということになる。
つまり自我は空間的に分裂可能であると言える。
そうなると、人間を一瞬で真っ二つに切り、瞬時に失われた部分を再生することができれば、一つの自我で二つの脳と身体を持つことが可能となる。
記憶が失われる可能性はあるが、記憶情報をコンピューターに保存しておいて、後で記憶情報を脳にインストールすれば、同一自我でかつ記憶を維持した人間が作れる。
これは自我決定因子において同一自我であることに矛盾していない。この場合、脳の再生を行ってはいるが、もともとの脳形成時点における自我形成時点は同じであり、tは同一の値である。
空間的位置x、遺伝子gも全く同じ値である。
これを繰り返せば自我を無限に分裂させることも可能かもしれない。
ここでまた疑問が生じる。
自我が分裂可能なら、この世界に一つの自我で二つの身体を持っている存在が生じる可能性もないとはいえない。
つまり、g、x、tというパラメーターが全て異なる2個体に同一の自我が入ることがありうるかということである。
このパラメーターから自我を同定することはできても、自我からパラメーターを決定することはできないかもしれないのだ。
仮に2固体に同一の自我が入っていたとしても、それぞれの固体で記憶を共有することはできないので、判定しようがないのだが、単純に存在していない可能性が高い。
おそらく自我の数は無限大に存在している。
有限であれば、同一自我・複数固体の存在が生じるか、または固体に自我が存在しないかという現象が起こるはずである。
だがそのような現象が起こっていることを示唆する証拠は知られていない。
自我が無限に存在するならば、自我がすでに肉体を持って存在するという状態で新たに肉体を持つ条件付き確率は無限小である。
つまり単一自我・複数固体は実際には確率的に存在しないと考えることができる。
もしくは、人工的に単一自我・複数固体を作ることは可能でも、自然にそのような存在が生ずるのは物理的に、つまりエネルギー的に不可能であるということも考えられる。
人工的に作り出せれば問題はないわけであるが。
(つづく)
2005年05月02日
雨が降ってるな。
将来必要になりそうだから今やっておくとはどういうことだ?
あと教養として、というのもよく意味が分からない。
こういうことを言ってる人はアホにしか見えない。
そんな暇があったら今必要なことのために今必要なことを学んだらいいと思う。研究者になりたいから参考書を今読んでおくとか言っているが、じゃあ何の研究をやりたいのかと聞くと、それはまだ考え中とか普通に答えてくる。
それはやりたいことがないのと同じだ。
別にやりたいこと(将来の夢とか言っているもの)がない人だって沢山いるし、やりたいことを持っている必要も意味もないと思う。
ただ社会的な風潮に流されてそれがやりたいことなのだと思い込んでいるだけなら、それは自分にとって何のプラスにもならない。
だいたい人間の欲求は将来の夢みたいな大きなスケールのものだけではなく、今持っている欲求も全て今やりたいと思っていることではないのか。
スポーツとか音楽をやりたいとか小説を書きたいとか、熱中したいことがあれば、積極的にやっていけば良いと思う。
単位を心配したり、何をやるのか分からない研究のために、その他のことに消極的になっていたら、何もやっていないのと同じだ。
そもそも大きいスケールでも小さいスケールでも、熱中できるものには寝る時間を削ってでもひたすら打ち込むものだ。少なくとも俺の中ではそうなのだ。
結局長い時間が経った後に、自分の生き方について最終的な結論を下すのは自分以外の誰でもないのだ。後になって、あの時あれをやっておけばよかったと後悔しても自分の責任だ。周りの人にバカな奴だと言われても、体裁を気にして無難なことしかしないならば後に後悔が待っているだけだ。
将来必要になりそうとかやりたいことを見つけるために、という言葉は中身のない人が中身のないことを隠そうとして使う効率の良い逃げ道なのだ。
ここから今日の日記。
いや〜、なんか3連休あっという間ですね〜。
明日また学校があると思うと面倒くさいです。
その後また3連休があるのはうれしいですが。
この3連休はぐだぐだしたかったところなんですが、五月祭の編集長にどうせなら原稿をネット上にアップした方が、パンフレット貰えなかった人も見れるし、便利でいいんじゃない?と提案してしまったことから、自分がそれ用のホームページを作ることになり、その作業をやっていたのです。
今のところデザインの工夫とかが何もなくて、かなり見にくいのでもうちょっと手を加える必要がありそうです。作るのけっこう大変でした。
そんなわけで全く休めなかったので、次の連休は思いっきりぐ〜たら生活がしたいです。
コエンザイムQ10+αリポ酸について。
αリポ酸はやせる効果もあるらしいですが、やせているという実感はないですね。逆に太ってきたかも?
副作用は全くないです。
全自動化社会から真の永遠へ。
脳の情報処理機構が解明されたら、ロボットの人工知能に人間の思考情報を送り、自分の身体のように操れるということを以前書いた。
これはメインコンピューターが信号を送ることで、ロボットを動かし統率するということも可能である。
メインコンピューターが全ロボットの動きを把握し、命令を出すことで存在する全てのロボットを管理することができる。
存在するロボットは視覚情報をメインコンピューターに常に送信し、コンピューターは世界中の公共スペースを常に監視している。視覚情報専用のロボットも動き回り、常に空間を把握している。
それにより、メインコンピューターは自動車一台一台の動きとロボット、人間の居場所を常に把握していて、その情報から交通事故を未然に予測し、近くのロボットに命令を出し、個人を救い出すか、犠牲になることによって人身事故を防ぐ。
飛行機が墜落する場合にも、墜落場所を予測して、その場所に衝撃を吸収する素材を敷いていくなどして、事故を最小限に抑える。
この作業は使用可能なロボットを総動員して行えば早く対処できる。
時間がなければ、ロボットが束になってクッションの役割を果たすかもしれない。
殺人などが起こりそうな場合も、人間が刃物を一定以上の速度で一定以下の距離まで人間に近づけたり、銃などを人間に向け、引き金を引こうとした時点でロボットが銃でその武器を的確に打ち落とす。
地震などで人間が建物の下敷きになろうとしているときはロボットが人間をかばい犠牲になる。
こうして事故死の確率はコンピューターの統制社会においてはかなりのレベルまで下がっていく。
また宇宙ステーションの建設や宇宙開発など巨大な建造物を作る際も、ロボットをコンピューターで管理し、最高の効率で作業を進めることができる。
これはロボットだけではなく人間どうしでも応用できる。
人間どうしで脳の思考情報をリアルタイムで転送するのだ。
それにより自分の考えていることが相手に一発で伝わる。
これは現在のチャットが進化したものと言える。
仕事において複雑な手順を伝えたいときも、リアルタイムの自我転送により簡単に伝えることができる。
集団作業の際にも、上司など上の人が自我転送で命令などを伝えることで作業が効率的になる。
単に遠くの相手と会話をしたい時などにも、テレパシー感覚で会話することができる。
さて、人工知能はどんどん進化していき、人工知能が自ら何らかの発想をすることができるようになる。
コンピューターが何かを無から生み出すことができるようになるのだ。
この技術が進歩すると、ロボットは自分から高度な発想力を持つことができるプログラムを開発していき、勝手に進化していく。
人間の能動進化速度は、人間自体がどんどん頭がよくなっていくため、指数関数的に上昇していくが、ロボットはそれ以上の速度で進化していくかもしれない。
こうなると人工知能が運動媒体を持つ場合、人類を滅ぼしかねないので、自立発想型の人工知能は運動媒体を持たせず、他の運動媒体との通信手段も一切絶つようにする。こうしてロボットが進化方法を発想したとしても、実際の作業は人間が行い、ロボットが暴走しないようにする。
自立発想型ロボットは世界の行政機関の中枢となり、この人工知能が世界の進む方向を決めていく。
それにより人智を超えたアイデアが次々に生まれ、完璧な社会が形成されていく。
また研究用の人工知能が開発され、その高度な発想力で技術の進歩が爆発的に速くなる。
一時間前の科学知識がもう古いものである、という状態になるのである。
最も人間自体の脳も能動進化により、高性能になっているのでその変化の速さに余裕でついていける。
ところで、人類は宇宙の崩壊をどう食い止めるのか。
だが、宇宙の崩壊を食い止めることが物理的に可能なのかどうかは今は分からない。もしくは宇宙が崩壊しても何とか自我を存続させ続ける画期的な方法があるのかどうか分からない。
宇宙自体も何らかの物理的現象により生じたものだ。ならば宇宙を新しく作りだすことはできるだろうか。
また宇宙全体のエントロピーはどんどん大きくなり続ける(宇宙の物質は均一に分散していく)。そうなったら再び生物が生まれることはありえないが、この宇宙が何もないところから、エネルギーの揺らぎにより出来たものだとすれば、その巨大なエネルギーの揺らぎを仕事に変換して再びエントロピーの低い(物質が均一でない)状態に持っていけるかもしれない。
それは能動進化により高度な知能を手に入れた人間と自立発想型人工知能が何らかの解決方法を導き出すかもしれない。
そしてその解決に巨大な労働力を必要としても、メインコンピューターによる全ロボットの制御や人間全体の自我転送による意思統率によって、必要な労働力を供給できるかもしれない。
人類が宇宙の崩壊に対する解決索を見つけ出したとき、人類は真の永遠を手にする。そして人類は進化速度を高めながら永遠に進化し続けていく。そして世界は完璧に理想の形態に近づいていく。人類は宇宙の物理現象を完全に知り尽くし、宇宙の地理を隅から隅まで把握していく。エンターテイメントの質ははるかに高く、暇な瞬間なんてものは存在しない。
今までの歴史の中で人類は自らの願望を科学により実現してきた。
この世界は人類が願望し続けてきたものの一部が、実現された社会であると言える。だが技術的な願望だけではなく、人類は自分自身に対する願望も持ち続けてきた。
人類が神という存在を創り出し長い歴史の中で崇拝し続けてきたのは、それが人類の願望してきた自分自身の姿だからだ。
あと教養として、というのもよく意味が分からない。
こういうことを言ってる人はアホにしか見えない。
そんな暇があったら今必要なことのために今必要なことを学んだらいいと思う。研究者になりたいから参考書を今読んでおくとか言っているが、じゃあ何の研究をやりたいのかと聞くと、それはまだ考え中とか普通に答えてくる。
それはやりたいことがないのと同じだ。
別にやりたいこと(将来の夢とか言っているもの)がない人だって沢山いるし、やりたいことを持っている必要も意味もないと思う。
ただ社会的な風潮に流されてそれがやりたいことなのだと思い込んでいるだけなら、それは自分にとって何のプラスにもならない。
だいたい人間の欲求は将来の夢みたいな大きなスケールのものだけではなく、今持っている欲求も全て今やりたいと思っていることではないのか。
スポーツとか音楽をやりたいとか小説を書きたいとか、熱中したいことがあれば、積極的にやっていけば良いと思う。
単位を心配したり、何をやるのか分からない研究のために、その他のことに消極的になっていたら、何もやっていないのと同じだ。
そもそも大きいスケールでも小さいスケールでも、熱中できるものには寝る時間を削ってでもひたすら打ち込むものだ。少なくとも俺の中ではそうなのだ。
結局長い時間が経った後に、自分の生き方について最終的な結論を下すのは自分以外の誰でもないのだ。後になって、あの時あれをやっておけばよかったと後悔しても自分の責任だ。周りの人にバカな奴だと言われても、体裁を気にして無難なことしかしないならば後に後悔が待っているだけだ。
将来必要になりそうとかやりたいことを見つけるために、という言葉は中身のない人が中身のないことを隠そうとして使う効率の良い逃げ道なのだ。
ここから今日の日記。
いや〜、なんか3連休あっという間ですね〜。
明日また学校があると思うと面倒くさいです。
その後また3連休があるのはうれしいですが。
この3連休はぐだぐだしたかったところなんですが、五月祭の編集長にどうせなら原稿をネット上にアップした方が、パンフレット貰えなかった人も見れるし、便利でいいんじゃない?と提案してしまったことから、自分がそれ用のホームページを作ることになり、その作業をやっていたのです。
今のところデザインの工夫とかが何もなくて、かなり見にくいのでもうちょっと手を加える必要がありそうです。作るのけっこう大変でした。
そんなわけで全く休めなかったので、次の連休は思いっきりぐ〜たら生活がしたいです。
コエンザイムQ10+αリポ酸について。
αリポ酸はやせる効果もあるらしいですが、やせているという実感はないですね。逆に太ってきたかも?
副作用は全くないです。
全自動化社会から真の永遠へ。
脳の情報処理機構が解明されたら、ロボットの人工知能に人間の思考情報を送り、自分の身体のように操れるということを以前書いた。
これはメインコンピューターが信号を送ることで、ロボットを動かし統率するということも可能である。
メインコンピューターが全ロボットの動きを把握し、命令を出すことで存在する全てのロボットを管理することができる。
存在するロボットは視覚情報をメインコンピューターに常に送信し、コンピューターは世界中の公共スペースを常に監視している。視覚情報専用のロボットも動き回り、常に空間を把握している。
それにより、メインコンピューターは自動車一台一台の動きとロボット、人間の居場所を常に把握していて、その情報から交通事故を未然に予測し、近くのロボットに命令を出し、個人を救い出すか、犠牲になることによって人身事故を防ぐ。
飛行機が墜落する場合にも、墜落場所を予測して、その場所に衝撃を吸収する素材を敷いていくなどして、事故を最小限に抑える。
この作業は使用可能なロボットを総動員して行えば早く対処できる。
時間がなければ、ロボットが束になってクッションの役割を果たすかもしれない。
殺人などが起こりそうな場合も、人間が刃物を一定以上の速度で一定以下の距離まで人間に近づけたり、銃などを人間に向け、引き金を引こうとした時点でロボットが銃でその武器を的確に打ち落とす。
地震などで人間が建物の下敷きになろうとしているときはロボットが人間をかばい犠牲になる。
こうして事故死の確率はコンピューターの統制社会においてはかなりのレベルまで下がっていく。
また宇宙ステーションの建設や宇宙開発など巨大な建造物を作る際も、ロボットをコンピューターで管理し、最高の効率で作業を進めることができる。
これはロボットだけではなく人間どうしでも応用できる。
人間どうしで脳の思考情報をリアルタイムで転送するのだ。
それにより自分の考えていることが相手に一発で伝わる。
これは現在のチャットが進化したものと言える。
仕事において複雑な手順を伝えたいときも、リアルタイムの自我転送により簡単に伝えることができる。
集団作業の際にも、上司など上の人が自我転送で命令などを伝えることで作業が効率的になる。
単に遠くの相手と会話をしたい時などにも、テレパシー感覚で会話することができる。
さて、人工知能はどんどん進化していき、人工知能が自ら何らかの発想をすることができるようになる。
コンピューターが何かを無から生み出すことができるようになるのだ。
この技術が進歩すると、ロボットは自分から高度な発想力を持つことができるプログラムを開発していき、勝手に進化していく。
人間の能動進化速度は、人間自体がどんどん頭がよくなっていくため、指数関数的に上昇していくが、ロボットはそれ以上の速度で進化していくかもしれない。
こうなると人工知能が運動媒体を持つ場合、人類を滅ぼしかねないので、自立発想型の人工知能は運動媒体を持たせず、他の運動媒体との通信手段も一切絶つようにする。こうしてロボットが進化方法を発想したとしても、実際の作業は人間が行い、ロボットが暴走しないようにする。
自立発想型ロボットは世界の行政機関の中枢となり、この人工知能が世界の進む方向を決めていく。
それにより人智を超えたアイデアが次々に生まれ、完璧な社会が形成されていく。
また研究用の人工知能が開発され、その高度な発想力で技術の進歩が爆発的に速くなる。
一時間前の科学知識がもう古いものである、という状態になるのである。
最も人間自体の脳も能動進化により、高性能になっているのでその変化の速さに余裕でついていける。
ところで、人類は宇宙の崩壊をどう食い止めるのか。
だが、宇宙の崩壊を食い止めることが物理的に可能なのかどうかは今は分からない。もしくは宇宙が崩壊しても何とか自我を存続させ続ける画期的な方法があるのかどうか分からない。
宇宙自体も何らかの物理的現象により生じたものだ。ならば宇宙を新しく作りだすことはできるだろうか。
また宇宙全体のエントロピーはどんどん大きくなり続ける(宇宙の物質は均一に分散していく)。そうなったら再び生物が生まれることはありえないが、この宇宙が何もないところから、エネルギーの揺らぎにより出来たものだとすれば、その巨大なエネルギーの揺らぎを仕事に変換して再びエントロピーの低い(物質が均一でない)状態に持っていけるかもしれない。
それは能動進化により高度な知能を手に入れた人間と自立発想型人工知能が何らかの解決方法を導き出すかもしれない。
そしてその解決に巨大な労働力を必要としても、メインコンピューターによる全ロボットの制御や人間全体の自我転送による意思統率によって、必要な労働力を供給できるかもしれない。
人類が宇宙の崩壊に対する解決索を見つけ出したとき、人類は真の永遠を手にする。そして人類は進化速度を高めながら永遠に進化し続けていく。そして世界は完璧に理想の形態に近づいていく。人類は宇宙の物理現象を完全に知り尽くし、宇宙の地理を隅から隅まで把握していく。エンターテイメントの質ははるかに高く、暇な瞬間なんてものは存在しない。
今までの歴史の中で人類は自らの願望を科学により実現してきた。
この世界は人類が願望し続けてきたものの一部が、実現された社会であると言える。だが技術的な願望だけではなく、人類は自分自身に対する願望も持ち続けてきた。
人類が神という存在を創り出し長い歴史の中で崇拝し続けてきたのは、それが人類の願望してきた自分自身の姿だからだ。