2005年06月03日
壊れていく。
孤独の中でただ壊れていく。
だが生命はそんなにもろいものではなく、深い闇と静寂の中でも確固とした輝きを持ち続ける。
それは最高に美しく、そして儚い。
真実という終着駅を目指すなら、光も音も存在しない空間を独り苦しみという線路に沿って歩き続けるしかない。
後ろを振り返れば目標を失う。
時の経過により生命は闇に飲み込まれ消え去っていく。
それでも人は平気な顔で生きている。
幻の中に苦しみなどは存在しないのだ。
死という状況に対し、人は諦め、思考停止、現実逃避という方法で対処する。
「どうせいつか死ぬのだから生きたいように生きる」というのは結局のところ死に対する諦めである。
哲学や宗教で死の解釈を無理やり作りだすのは現実逃避だ。
また、そもそも死について何も考えないという場合もある。
それは単なる思考停止だ。
確かに何も考えなければ楽だ。
そうした方が結果的に楽しく生きられるかもしれない。
しかし、寿命延長の技術が進歩しつつある現状において何も考えないというのは、後に待っている無限の絶望を受け入れるということだ。
そんなことをしても一瞬の安息が得られるだけだ。
それに15年以上もずっと死について思考していた自分にとって、今持っている死生観を忘れた状態で生きることは、自分の全てを失うことだと思っている。
毎日死んでしまいたいと思っていた時も、死の恐怖故に自殺する勇気もなく、
ひたすら苦しむだけという結果に終わってしまう。
そのせいか、命の儚さや死の残酷さはよく理解している。
だから思考を停止して生きることが、最終的に死という絶望を受け入れることであり、これが非常に恐ろしいことであることも知っている。
その結果として、死の本質を常に直視し、それに必死に抵抗しようとしているのだ。
人は集団の中にいると思考能力を失う。
多数の人が持っている思想体系を前提として会話が展開されるため、誰にでも分かる単純な思想体系が採用されるのだ。
そこでは大抵死に対する思想はないも同然だ。
その方が楽なのだ。
大勢の人が持っている思想体系は人から人へと伝わり、社会の大多数を占めていく。
(これを低レベル思想体系の集団感染と呼ぶ)
その思想体系において健全な生き方というのは、「自分の好きなこと・分野について仕事・趣味としてどんどん挑戦していく」というものであると思う。
これは寿命が有限であるか無限であるかに関わらず、有意義な生き方であると思う。
だが結局この中に死に対する抵抗という要素は入っておらず、「(最終的に死ぬことを前提として)生きている間にやりたいことを全てやって天寿を全うする」ということなのだ。
この生き方は自分には最適解であるとは思えない。
真実を追求することなく快楽に満ちた幻想の中で一瞬の時を生き、一定の時間が経過すると幻が消えるように人も消えていく。
しかし、自分が最も望む生き方は、残酷な真実をはっきりと捉えそこから理想の世界をつくるために抵抗し続けることなのだ。
死、不平等、悲しみが存在する現実に対して抵抗し続けるということだ。
これは苦しく、そして孤独だ。
だが、これは自分が最も納得できる道を進むうえで仕方のないことだと思う。
賑やかな幻想の世界から離れ静かな闇の中にいることで、自分のすべきことがはっきり見えてくるものなのだ。
そのまま深い闇へと沈んでいったとしても後悔はない。
日記
しばらくサイトの更新が滞っていましたね。
なんかいろいろあって凄く忙しい時期でした。
暇な時間がないとゆっくり何かを考えることができないので、今は時間が欲しいです。
五月祭は意外と沢山人がやってきたので良かったです。
このサイトを見て来てくれた方もいてかなり嬉しかったですね。
展示した内容は時間がなくて大したものが作れなかったので、そこは残念だったね。
模擬店のほうは利益が出たので大成功といっていいのではないかな。
年によっては薬学部の五月祭はあまりうまくいかないこともあるようなので、相当頑張ったほうだと思う。
そんな感じで五月祭はいろいろな人に会えて良かったと思います。
と今回の日記は久々に健全なことを書いてますね〜。
自分の中で何らかの精神的な変化があったのでしょうか。
少し考え方が前向きになってきたような気もします。
老化研究も前向きにやっていけそうな気がします。
五月祭でそれ系の研究をやってる院生がいるというのが分かったのも結構大きいですね。
大学院はおそらく薬学部を出ますが(老化系の研究室がないので)、もう孤独感に苛まれることもないでしょう(何気に苦労してます)。
コエンザイムQ10+αリポ酸について。
特にこれといって変化はないですね。
元気になるかといえば、毎日実験で疲れきってしまうのでそこのところはよく分からない。
分かるのは自分が凄く疲れているということかな。
自我の空間分裂の話は眠いのでまた今度書きます。
さすがに寝ないともたないので。
だが生命はそんなにもろいものではなく、深い闇と静寂の中でも確固とした輝きを持ち続ける。
それは最高に美しく、そして儚い。
真実という終着駅を目指すなら、光も音も存在しない空間を独り苦しみという線路に沿って歩き続けるしかない。
後ろを振り返れば目標を失う。
時の経過により生命は闇に飲み込まれ消え去っていく。
それでも人は平気な顔で生きている。
幻の中に苦しみなどは存在しないのだ。
死という状況に対し、人は諦め、思考停止、現実逃避という方法で対処する。
「どうせいつか死ぬのだから生きたいように生きる」というのは結局のところ死に対する諦めである。
哲学や宗教で死の解釈を無理やり作りだすのは現実逃避だ。
また、そもそも死について何も考えないという場合もある。
それは単なる思考停止だ。
確かに何も考えなければ楽だ。
そうした方が結果的に楽しく生きられるかもしれない。
しかし、寿命延長の技術が進歩しつつある現状において何も考えないというのは、後に待っている無限の絶望を受け入れるということだ。
そんなことをしても一瞬の安息が得られるだけだ。
それに15年以上もずっと死について思考していた自分にとって、今持っている死生観を忘れた状態で生きることは、自分の全てを失うことだと思っている。
毎日死んでしまいたいと思っていた時も、死の恐怖故に自殺する勇気もなく、
ひたすら苦しむだけという結果に終わってしまう。
そのせいか、命の儚さや死の残酷さはよく理解している。
だから思考を停止して生きることが、最終的に死という絶望を受け入れることであり、これが非常に恐ろしいことであることも知っている。
その結果として、死の本質を常に直視し、それに必死に抵抗しようとしているのだ。
人は集団の中にいると思考能力を失う。
多数の人が持っている思想体系を前提として会話が展開されるため、誰にでも分かる単純な思想体系が採用されるのだ。
そこでは大抵死に対する思想はないも同然だ。
その方が楽なのだ。
大勢の人が持っている思想体系は人から人へと伝わり、社会の大多数を占めていく。
(これを低レベル思想体系の集団感染と呼ぶ)
その思想体系において健全な生き方というのは、「自分の好きなこと・分野について仕事・趣味としてどんどん挑戦していく」というものであると思う。
これは寿命が有限であるか無限であるかに関わらず、有意義な生き方であると思う。
だが結局この中に死に対する抵抗という要素は入っておらず、「(最終的に死ぬことを前提として)生きている間にやりたいことを全てやって天寿を全うする」ということなのだ。
この生き方は自分には最適解であるとは思えない。
真実を追求することなく快楽に満ちた幻想の中で一瞬の時を生き、一定の時間が経過すると幻が消えるように人も消えていく。
しかし、自分が最も望む生き方は、残酷な真実をはっきりと捉えそこから理想の世界をつくるために抵抗し続けることなのだ。
死、不平等、悲しみが存在する現実に対して抵抗し続けるということだ。
これは苦しく、そして孤独だ。
だが、これは自分が最も納得できる道を進むうえで仕方のないことだと思う。
賑やかな幻想の世界から離れ静かな闇の中にいることで、自分のすべきことがはっきり見えてくるものなのだ。
そのまま深い闇へと沈んでいったとしても後悔はない。
日記
しばらくサイトの更新が滞っていましたね。
なんかいろいろあって凄く忙しい時期でした。
暇な時間がないとゆっくり何かを考えることができないので、今は時間が欲しいです。
五月祭は意外と沢山人がやってきたので良かったです。
このサイトを見て来てくれた方もいてかなり嬉しかったですね。
展示した内容は時間がなくて大したものが作れなかったので、そこは残念だったね。
模擬店のほうは利益が出たので大成功といっていいのではないかな。
年によっては薬学部の五月祭はあまりうまくいかないこともあるようなので、相当頑張ったほうだと思う。
そんな感じで五月祭はいろいろな人に会えて良かったと思います。
と今回の日記は久々に健全なことを書いてますね〜。
自分の中で何らかの精神的な変化があったのでしょうか。
少し考え方が前向きになってきたような気もします。
老化研究も前向きにやっていけそうな気がします。
五月祭でそれ系の研究をやってる院生がいるというのが分かったのも結構大きいですね。
大学院はおそらく薬学部を出ますが(老化系の研究室がないので)、もう孤独感に苛まれることもないでしょう(何気に苦労してます)。
コエンザイムQ10+αリポ酸について。
特にこれといって変化はないですね。
元気になるかといえば、毎日実験で疲れきってしまうのでそこのところはよく分からない。
分かるのは自分が凄く疲れているということかな。
自我の空間分裂の話は眠いのでまた今度書きます。
さすがに寝ないともたないので。
h_kanata at 01:28│Comments(0)│TrackBack(0)