ひさしはあるくよどこまでも

硫黄島、好きだー!

My Way

取材を受ける中で、学生時代に熟読していた教科書を手に取った。
開いてみると、たくさんの線や書き込みがある。
地球の姿を少しでも知ろうと真剣に取り組んでいた当時の自分の姿が見えた。

ふと涙がこみ上げ、話ができなくなった。

あの感情はなんだったのだろうか。


退官を迎えた名誉教授の先生と時々お話しさせていただく機会がある。
先生は今でも真剣に研究をしていらして、自分の研究を通じて理解してきたことと、まだ理解できていないこと、知りたいことを楽しそうに語られる。お話を伺う度にその「豊かさ」に触れ、こみ上げてくる感情がある。

僕の心を動かしたあの感情は、一体何だったのだろうか。

自分が興味あることに没頭できる時間の尊さか、
知的探求の深みへ降りてゆくことの美しさか、
自分が今すすんでいる道の先に答えがないかもしれない、それでも進むことを選んでしまう好奇心か、
それとも過去に大切にしたものを慈しむ気持ちか。

研究、これほど人間らしい行為はないのかもしれない、とも思う。


研究をやめたことに後悔はないし、研究をしていたことにも後悔はない。
届かなかった未来に憧れる気持ちもない。

感情が動いたことの正体は未だによくわからないけど、それが自分にとって大切なものであることだけは確かだ。

僕は今ここにいて、新しい未来を創ろうとしている。
これが僕の道だ。




"we're our choices."

今の自分は、全て自分の選択の結果だ。
これからも、選択の結果が自分を作ってゆく。
これからの自分は、何者であろうとするのか。
そのために、何を選ぶのか。

10年後の僕は、今の選択をどんな気持ちで振り返るのだろう。



ハイブリッドに

うちにはクーラーがないので、昼間は滝のように汗をかきながら机に向かっています。

身体ってほんとすごい。南極にいたときもそうだったけど、ずっとその環境にいると、その環境にきちんと慣れてくるもんなんですね。汗かきまくってるからなのか、ここ10年くらいの中では最高に体調のよい夏を過ごしています。夏バテなんて皆無、食欲も絶好調。早朝に起きて涼しいうちに勉強や考えごとをしています。


まともな網戸がないので、夜には灯りにつられてやたら虫が入ってくるから、豆電球の光で生活しています。

部屋が暗いから月が満ちて欠けてゆくゆっくりとしたリズムがわかるし、稲光が空を一瞬照らす、深い青の美しさも感じられる。部屋にいても、空を見ていれば流れ星が見える。


クーラーに頼りすぎて体調を崩したり、人工光に頼りすぎてリズムが狂ったり、感覚器官が鈍ったりしていたことを、改めて思います。
自然が垣間見せてくれる美しさを感じたり、自分の身体が強くなってゆくことに充足感を感じたり、ということが人生の幸せの一つであるなら、「便利な生活」は僕たちに何を与えてくれるのだろう。
悪いのは便利さではない。文明でもない。自分たちが作り出した道具の奴隷にならないため自分を律する心を、僕たちは強くもたなくてはいけないのだろう。


鹿児島に行ったとき、空き時間にカフェに入って仕事をしてみると、喧騒の中で蝉の声が全く聞こえないことに気づく。自然と分断された環境、人工的な光。そこで僕は思う。

「クーラー最高!LED最高!!」


自分の感覚や身体能力を高めながらも文明をきちんと使いこなすハイブリッドになろうと思います。




この数ヶ月の自分の変化について。

「むすひ」を立ち上げて、もうすぐ3ヶ月。

「共感すること」の大事さが、自分に染み込み始めている。
CHAHOの研修に関わらせてもらったり、エンパシーサークルを繰り返す中で、胸に心地よい感情が広がるのを感じ、あの感覚をもっと味わいたいと思うようになってきた。

そういうコミュニケーションの方法を学び、自分の内側にあるニーズと感情の扱い方を学び始めた今、人や自分との接しかたが変わってきている。

僕が抱えていた痛みについても、そのときの怖れや弱さ、叶えられなかった願いに触れさらけ出すことで、癒しに変わった。傷つくことを恐れず、ネガティブな感情も含めて存在として自分や相手を受け入れることで、見え方が変わってきた。

痛みは癒しの入り口だったのだと、今は思える。



喜びや痛みを分かちあうこと。
そのことで、こんなにも幸福感に満たされることを、僕は知らなかった。
知らなかったのかな?忘れていただけなような気もする。
福岡にいた頃はこれができていたような。

誰かといるときに、自分のことを手放してこの時間の自分を相手のために捧げること。
そのことで、お互いに本当に満足できる時間を過ごすことができる。


「適者生存」
共感し、相手を思いやり、助け合うことができる人間が生き残る。
そういう個体が生き延びてきたからこそ、僕たちにはそういう機能が埋め込まれているし、そういうものをみたときに幸福感を感じることができるのだと思う。

もっと多くのひとがこのことに気づき、そういうコミュニケーションがひろがってゆけばと願う。

80年。

青年会と老人会の交流会。
80過ぎのじーちゃんたちと話す。

大好きなこの島でずっと生きてきた島のじーちゃんたちは本当に優しくて懐が深い感じがして、勝手にすごい親近感を覚えている。一人一人が魅力的で、もっと仲良くなりたいといつも思っている。

ええと、何を話しなたらいいんだっけ、と思春期の乙女のように多少どぎまぎしながら話題に詰まりながらも昔話の話題を振る。硫黄の鉱山の話。砂浜の話。昔の生活の話。それはそれで面白いんだけど、僕はもっとじーちゃんの人間が知りたいのにと、歯がゆく思う。


今ぼくは、悩んだり考えたり発見があったり不安になったりしながら日々を過ごしている。こういう今の僕と同じように、彼らにも若い頃があり、悩んだり笑ったりということを、80年も繰り返してきた人たちが目の前にいる。三味線を弾いて盛り上がるじーちゃん達をみながら、時間にしか成しえない深みを見た気がして、たまらなく大切に思えた。

50年後、僕はあんなに優しい眼差しで後輩達の眼を見れるだろうか。

新しい武器を。

島に帰ってきて一泊。

昨日、夕方の港沿いを歩きながら思ったのは、静けさ。
頭の中の雑音が静かになってきて、圧倒的に落ち着く感覚があった。
引っ越した翌日からカナダに行ってきたからまだまだ散らかり放題の家の中ですらこの感覚になれることが、今の自分にとって本当に大切なことだと感じる。

この数年、ブログを書くことがななかなできなかった。何度か無理やり書こうとしてきたけど続かなかった。今にして思うと、書きたいと思うときに書きたいことを書かなけりゃ意味がない。気持ちに無理させてきたなあと思う。もっと自分をいたわればよかったのに。いま、書きたいと思う気持ちがもう一度沸き起こってきたのはなぜだろう。この内側の静けさと関係があるんだろうか。


静けさ。
先月の垂水合宿のときにせーちゃんにコヒーランスを教わって以来、ときどき実践してみている。胸が感謝で満たされ体が温かくなり、「ごきげん」でいられる状態が続く。
むすひを立ち上げて以来、仲間たちとのミーティングとか、CHAHOの研修、NVCなんかを含めて、共感とか感謝で心を満たすことの大切さや効能、心地良さが深く実感として根付いてきていて、仲間を信頼し祝福することで胸に広がる心地よさを感じられるようになった。

これまで僕は本当に孤独に生きてきたなあ、その中でよく孤独に頑張ってきたなあと、これまでの寂しい自分への労わりや愛おしさを感じる。それを経て、いろんな人に愛情を向けられるようになってきた気がしている。



恭平から借りた "Into the Magic Shop" が心に響いた。
10年くらい前から「7つの習慣」「アファメーション」などの本を通じて自分なりに試してきたことが改めてこの本に書いてある。理想の未来を描くことを最近してなかったので、この機会にトレーニングしたい。




自分の夢のために、怖れる未来から逃げるために、多くのことを我慢して自分を縛りつけて進むのではなく、他者への愛情やいたわり、共感に基づいて、自然と足が前にでること。

新しい武器を手にいれた。

ジオパークカレンダー配布します!!

07


 毎年大好評で配布しています「三島村カレンダー」ですが、今年はジオパーク認定を記念して「三島村・鬼界カルデラジオパークカレンダー」として作成しました。もちろんジオの魅力満載!ですが、島々の風景の美しさが引き立つように、シンプルで美しいデザインにこだわりました!!
 このカレンダーを抽選で200名の方にプレゼント致します。

・申し込みはメール又はハガキに
1. 郵便番号
2. 住所
3. 氏名
4. 電話番号
 を明記し、下記まで申し込みをお願いします。

・メール:calendar◎mishimamura.jp ◎を@に変えてお送りください。
・はがき:〒 892-0821 鹿児島市名山町12-18 三島村役場 カレンダー係

12月10日17時を締め切りとします。
※ 当選は発送をもって代えさせていただきます。
 当選者の方へは 12 月中に到着するように発送致します。
 また、配布は着払いによる郵送のみとなります。
 役場に取りに来られてもお渡しできませんのでご注意ください。
 1世帯につき1部のみ申し込み可能です。
 問い合わせ:099-222-3141 三島村役場 カレンダー係 まで!

大地と生き物シンポジウムに参加しました2

3人目のスピーカー,日本生態系協会事務局の関さん。
「グリーンインフラ」について話をされていた。
僕はこれって全く知らなかったのだけど、すごく好きだなーと思った。

水害の危険が高い川沿いの土地を政府が買い取って湿地に戻す。すると大洪水があっても人が住まないので災害にはならない。コンクリで堤防作るよりも景観もよい。政府としても長期的には災害対応の支出が抑えられる。

本質は「氾濫するとこ津波来るとこには住まない」っていう昔ながらの知恵に従う考え方で、今後人口も予算も減少してくコト考えると、なかなか良いではないかと思える。

鹿児島に来て思ったけど、ありえへん斜面をガチガチに固めて無理矢理家建てまくってるから、劣化したコンクリがあちこちで一気に崩れる、なんてことが将来起こるんだろう。崖下は森とか公園にして人住ませないとか、火山のそばも公園にしちゃおうとか、そういうことも考えはじめていいんじゃないかなー、なんてことを考えながら聞いていました。


4人目のスピーカー、佐渡市役所の渡辺竜五さん、佐渡のトキ復活の立役者的な方。
まずはトキを絶滅させないために餌になるドジョウを育てて水田に放った取り組みをご紹介。
これは当然失敗。
ドジョウが居てもドジョウの餌となる生き物が居ないから。
じゃあどうすれば?
そうだ、ドジョウの餌となる生き物も復活させよう。
そのためにドジョウの餌となる生き物の餌となる生き物も復活させよう。
そのためにドジョウの餌となる生き物の餌となる生き物の餌となる生き物も復活させよう。。。
というふうに、食物連鎖の上の方にいるトキを絶滅させないためには、生態系全体を復活させなきゃいけない。結局それをやってなんとかトキ増えてきましたよ、というお話。

さらに復活したトキに絡めて、トキが歩いた田んぼで獲れた米(だったっけ?)とかって米のブランディングをやったりなど、生態系の復活に経済活動を絡めて具体的な動きにしました話がすごく面白かった!社会を動かすということ、自分のアタマの中を世の中に実装することって、結局は経済活動におとすこと、になる。お金だけが価値だとは全然思ってない、むしろお金じゃない等価交換不可能な価値の方が僕は大好きだけど、経済活動にのっけてそういうことも伝えてゆきたい、なんて思う。


今回のシンポ、会場に対して観客はめっちゃ少なかったのだけどそれは豊後大野市民めっちゃ損してるぞーーー!!と思った。大分豊後大野市の3本だてのとりくみ「ジオパーク」「エコパーク」「生物多様性戦略」ってに基づいての講演会だった(んだと勝手に思ってる)けど、これら全部実は「生き物も自然も大切にしながら、自分たちも楽しく、経済活動も含めて持続可能な社会を作りましょ」っていうところに貫かれてる。お互いにそこに気づいて、互いにうまいことリンクして大きな力になってけばいいなーなんて思うのでした。

それから最近友達がシェアしてたビートたけしの言葉に感動したんだけど、持続可能な社会を作ることに「清貧」ってすごくなじむ。そういう思想って確かに流行ってないけどほんとに重要だと思うなー。

(あと、今を生きることは重要だけど、夢もつなてのは異義あり。まさに清貧に生きたいって夢もあるだろうし、僕はわくわくできる夢がなきゃしぼんでしまう人間なので。)


話がそれたけども。
今回のシンポジウム、講師の3名の方々の話もすごく良かったしお知り合いになれたことがすごく良かったし、僕にとっては本当に!収穫多いシンポでした。

大地と生きものシンポジウムに参加しました

こんばんは、とってもお久しぶりです、ひさしです。
土曜日、大分県の豊後大野市で「大地と生きものシンポジウム」というのに呼んでいただき、話をしてきました。自分にとってものすごく学びが多かい経験で衝動的に書きたくなったので、忘れる前に書いてしまいます。

あ、その前に。ずっとライブドアの方でブログ書いてきた癖のせいなのか、やっぱり僕はさらっと短文を書くのがどうしても気持ちわるくて仕方ないので、最近晋作くんが書いてくれてる離島ブログの雰囲気とは全然ちゃうんですが、自分のスタイルで書いてしまいます。面倒だと思う方は読み飛ばしてくださいね。

というわけで、シンポジウム。

まずは登山家の戸高さんの話。
戸高さんは登山家で20代の頃から十数年ヒマラヤに通い続け、K2の単独無酸素登頂もされている方。所作の中に、自分のミスが自分の生命に直結する生活をしてきた登山家の方に特有の丁寧さ、みたいなものが見えたのが初対面の印象でした。

ご講演をうかがってとくに印象深かったのが、ブロードピークの縦走のお話。
最後の3連ピークにアタックしている途中、帰りに使うハーケンが足りないことが発覚。生きて帰るにはピークを越えて別のルートに合流するしかないと悟ります。その瞬間から、日常頭を占めている過去や未来のことが吹っ飛び、目の前の岩壁、氷壁を踏み外さないようにただ進む「いまの一瞬」を生きることだけの存在になったのだそうです。なんと食料も落としてしまいましたが5日間を白湯だけで踏破し無事に生還。その間、戸高さんはいわゆる「ゾーン」に入っていました。下山中、雪面に足を置いて踏み込みかけた瞬間、反射的にシャンプしたら、踏みかけた雪面が崩れて穴があき、そこがヒドンクレバスだったことが分かった、という経験もあったということ。

これ、とんでもない話です。雪の下にクレバスがあるかどうかを知るなんて、箱の中を開けずに当てるような話で物理的に無理。訓練して知覚できるものではありません。戸高さんは確か「身体が機能として持っている能力を引き出す」という表現をされていたと思うけど、全身の感覚を研ぎ澄まし、過去や未来に対する思考を外してただただ現在感じている感覚に集中することで、反射としてそれができた、ようなことをおっしゃってた気がします。あり得へん。また、そうして思考を外して感覚で身体を満たし、訪れる一瞬を感じ楽しむことで、生きている実感を得ることができたということも言っておられたと思います。うろ覚えだけど。

戸高さんは語られなかったけど、十数年に渡って毎年死の世界に行って無事に帰ってこられたということは、自分の身体能力と向き合った上で、行程、食事、エネルギーなど全てを設計し、刻々と変化し続ける自然を見極めてベストな判断を下し続けた、ということです。それができるようになるためには限界と言っていい努力が必要なことは明らかだし、酸素がない極限状態でも恐れや恐怖や虚栄心に思考を奪われないだけの最高に高度な知性、思考をもって生き抜いてきたことは間違いない。その上で訪れた本当の極限状態において自分を救ったのが、そうやって積み上げたものではなく「もともと持っていた身体の機能」だった、というのが本当に面白い。その機能とはつまり本能であり、僕たちも持っているものです。意図して簡単に引き出せるわけではないとはいえ、自分の身体にもそれが宿っていると思うとわくわくするし、やっぱり自分のそこに触れてみたい、とも思います。

この話に僕はすごく引き込まれ感動したのだけど、それは何故だろうってのを、帰りの車の中で改めて考えてみました。
自分は役場の職員でとかジオパークの人で、とかっていう社会的属性の前に、一個の生物の個体であって、生命を維持することを最優先する本能があります。

僕も転職や大きな決断をするときには、散々考え迷った後、最終的には自分の直感とか感覚を信じて決めてきました。それは、人生の目的である「幸せ」というのが多分に感覚的なものだからです。幸せは年収いくら以上だからとか社会的地位が高いからとかみたいな「条件」によって論理的に感じるものではない。「自分の好きなことをやっている」ということも、一見幸せっぽいけどやっぱり違うかもしれない。結局は自分がその状態に身をおいたときに幸せを感じられるかどうか、というとても曖昧で感覚的なものです。思考を挟まない本能に近いもの。だからそこ思考ではなく感覚で決めるべきだと僕は考えています。もちろん熟慮があった上で、の話だけど。で、それで決断した結果が今で、たぶん研究者続けてた時より自分らしい姿で、自分らしい人生を送れているという確信があります。だからこっちが自分にとっては正解だと思うわけです(あくまでも自分にとっては、ね)。

自分の経験と戸高さんのK2を比べるのはおこがましいけど、自分が本能に近い感覚に従って選択してきたことと、戸高さんが本能をもって危険を回避して生き抜いてきたことと、全く違うステージ・ジャンルでのそれぞれの経験が本質的に繋がっていることが、本当に、これすごくないすか?僕はめちゃくちゃ面白いと感じました。

身体が機能としてもっている、という話に戻るのだけど、以前ぼくのブログで紹介した甲野善紀さんの本や、尹雄大さんの本にも似たような記載がありました。身体がもともと知っている身体の使い方、「身体知」とかいう類のもの。彼らが目指している体術は、生命の個体としての本能を呼び覚ますような身体運用の方法なんだろうなあと想像して、すごく興味があります。それをやることで、もっと自分色を濃く人生を選びとれるようになるんじゃなかろーか。体得したいなあ。

そう、それで、戸高さんは山中湖のそばに自然学校を作って、子供たちに自然をありのままに「感じて」もらう活動をされているとのこと。とにかく「感じる」という行為は、過去とか未来とか思考を挟まず、まさに訪れる一瞬を生きる、というあり方。で、それがブロードピークでの身体知を引き出した方法論そのもので、そんなのこどもの時からやってたらどんな感覚が身に付くんだろう、とすごく知りたくなりました。自然学校遊びに行かせてもらいます。必ず。

そんで、自分も都会にいながら訪れる一瞬を感じる、楽しむ、という生き方ができれば(日々に追われるのではなく)もっと面白い感覚が開けてくるのかもな、ということも感じました。

それから歌の話。
戸高さんは後半で、自然に身を置くことで自然と身体の中にわき上がってくる音があり、それを歌として聞かせてくださいました。それは僕らが知っている、歌詞と旋律とリズムの決まった歌というより、うなりとか、原始的な音楽、きっと原始人はこうして歌うということを始めたのだろう、というようなものでした。身体を透明にするというか、自然に身体を同調させていったときに(戸高さんは「山になじむ」という表現をされてた気がする)、身体がその場の空気に呼応して喉が動く、それが歌になった、というような印象を受けた。身体の中にわき上がってくる音をそのまま外にだす、というような感じ。自分が感じた自然を歌にする、ってこういうことか、と。

ながくなっちゃった。

あと2人のスピーカーがいらして、この方々もすごく面白い話をされてたので書きたいのだけど、疲れたのでやめます。ふう。また近日中に続き書きます、たぶん。

やっぱり。

 きちんと日々の活動を記録すること、自分の考えを書くことはやっぱり重要。
 そんなことを感じたので、ひっそりと再開。

 ジオ認定審査の準備あたりからずっと走りっぱなしな感じで、全然落ち着くヒマがなかった。休みもときどきあったのだけど、昼寝したり仕事の体制整えるための家のことやったりってので終わってしまって、落ち着いてものごと考える体制に全然なれなかった。体力維持のための運動や坐禅の時間も全然とれず、気になる本は買っても読むほど集中できず。

 もっと詰めてやりまくったらもっと集中して仕事の質あげられるんじゃないかと思って詰めまくってみたのが10月。結果は逆で、質が落ちて全ての仕事が雑になって終わった。日々の仕事こなすことに追われて先に向けた準備、考えること、丁寧さ、見極めが疎かになった。自分の特技とか価値とか、やりたいこと、やるべきことが何なのかってのがわかんなくなってた。

 8月上旬にジオ認定の現地審査、9月上旬に認定通知、10月末に認定証授与。この流れの中でメディアの露出や情報発信が増え、応援してくれる人が増え、たのは良かったけど、地元とゆっくり時間とって話すことが減ってしまってたー。これよくないよね。

 自分のできること、できないこと、できる分量、できない分量をきちんと見極めて、できないことは人にまかす、やらない。ものごとに丁寧に向き合うことをきっちりやる。



 そんな中、大きな収穫もあった。TEDxKagoshimaでスピーカーとして登壇させてもらった!自分としてはひとつ階段登れた出来事だったので、ちょっと丁寧に記録しておく。

 打診をうけた時に感じたのは、チャンスだから絶対チャレンジたい!ということだった。福島さんとAlexとのスピーカーコーチングで決まったのは、いつもは90分くらいかけて話す講演の最後30分の部分を18分に縮めて話すこと。コーチングは自分にとって本当にわくわくするもので、僕のストーリーの中から”Idea worth spreading"をさがした。とはいえもともと詰め詰めだったスケジュールにさらにTEDxが入ってきたので充分に準備に時間がとれず、次のコーチングに合わせて準備がすすめられなかった。とはいえ内容には自信があるから大丈夫だろう…なんて思ってたら甘かった。

 迎えた前日リハーサル、スライドが完成していない状態で稲盛会館に入った瞬間緊張が。会場の雰囲気がいかにもTEDのあの感じ、階段教室のように観客席が高くて見上げるカタチでのトーク。薄暗くてスピーカーにスポットライト。スピーカーを緊張させるためにやってんじゃないかってくらいのセッティングにまんまとハマってド緊張。そのままリハーサルで話してみたけど全然話せず、頭真っ白になるしスライド切り替えのリモコンは壊れるしで散々な状態だった。

 終わってすぐ、コーチの福島さんと会議。リハでしゃべれなかった緊張した理由を分析。話す内容が固まってなくて自信もてなかったこと、自分が楽しめる&自分の言葉で話せる構成にできていなかったこと、だということでまとまった。なので自分が乗って話せるように冒頭に今やってる楽しいことを加え、構成も話してる自分が混乱しないようにシンプルに組み直した。

 リハの日の夜のスピーカー交流会も早めに切り上げてかえってスライドのチェックと練習。なんとか時間内に収まるように話しきれるとこまでこぎ着けて、自信もって安心して寝た。

 んで当日。昨日は万全のつもりで寝たのに、早めに会場にインして、仕上がってゆく会場をみたりしてる間にだんだんと緊張が増してくる。他のスピーカーが余裕だったり緊張したりしてるのをみながら僕も緊張が増す。開場して観客が入り始め、聞きに来てくれた友達に挨拶したりしても指摘されるくらいに緊張し顔が強ばって笑えない。緊張をとるには自信を持つこと。貴重な他のスピーカーのトークすら聞かずイヤフォンしてスライドみながら自分が話す内容を脳内リハ。しかし緊張しすぎて集中できず、、これはやばい。

 そう思ってたときに、見に来てくれた友達から外に出ない?のメール。話しながら銀杏並木を歩いてみて、テキメンに力が抜け、緊張がほぐれた。話すのは自分のストーリーだし、自分の頭の中にあることを吐き出すだけだし、自分をさらけ出すだけ。感動させてやろうとか面白がらせてやろうとか、自分を大きく見せようとする欲求を手放して、なるべくニュートラルに、自分の真ん中を保とうと。面白いとかつまらんとか、そういうのは向こうが判断することで、自分はただ自分であればいい、そう思ってハラが座った。完全に力が抜けた。よし、これでいける。

 落ち着きを取り戻したとはいえ他のスピーカーのトークは聞かず、控え室でスライドチェック。いよいよまわってきた自分の出番に、控え室を出て舞台袖に向かう、ところで再度緊張が復活。舞台裏で前の組のパフォーマンスを聞きながら、ここに来て緊張は過去最大限に。心臓がバクバクなる。座って深呼吸。ひと呼吸ごとに身体の力を抜くように意識し、成功を気にする意識から手を離す。観客が見たいのは緊張したガチガチのスピーカーではない。楽しみたくて来てる。何かを得たくて聞きにてる。自分は自分。力を抜いて自分をさらけ出す。それが面白いとか役に立つとかつまらんとかは向こうが判断すること。自分には関係ない。頭が真っ白になりそうなギリギリの緊張に持ってかれないように闘いながら、何故か顔には笑みが浮かんでくる。

 前の組が帰ってくる。音が出ないように労いの拍手。マイクを付け、舞台の入り口に立つ。歩き出す合図、背中に手が当てられるのを待ちながら目を閉じて深呼吸。力を抜く。ニュートラル。そして楽しもう。
 自分の名前が呼ばれ、背中に手をあてられてからは断片的にしか覚えていないのだけど、観客の一人一人と目を合わせながら、あ、あそこに友達がいるなーとかこの人には伝わってるなー、とか考えながら、伝えるために言葉を紡ぐことに集中していた。真っ白対策のために準備したカンペも結局全く見ず、下向いたら照明の関係で顔が暗くなるから目線はあの辺でって言われたなーとか、そういや身振りや表情が大事だって言われてたな、今のところ身振り少ないから少し入れたいな、とか、伝えるための諸々にも気を配っていた。楽しもうという意識が観客と繋がった感じで、言うつもりのなかった笑いの一言も出た。終わった感想は「出し切った」だった。

 終わって舞台裏で迎えてくれたスタッフの面々の笑顔と、コーチの永山さんとの固い握手、福島さんも抱き合って喜んでくれた辺りで、全力を出し切ったという自分の実感と観客としての評価が一致していたことを実感した。すばらしいお褒めの言葉も頂いた。

 自分のトークが終わってスピーカー席に座ったときに、先に終わって座ってたスピーカーの方々が本当に明るい顔で握手の手を差し出してくれて、自分の話が伝わったことを感じた。僕が自分の準備のために誰の話も聞かなかった申し訳なさがありながらも、やっと安堵感、安心感に力を抜いて椅子に身体を沈めた。

 スピーカーとしての打診うけてから話し終わるまで、本当に色んな感情が次々に現れて移り変わり、本当に面白かった。そして疲れた。笑。その中でもずっと根底にあったのは「わくわく感」。最高の結果が出せることを最後までカケラも疑わなかったからこそ、わくわく感をキープできたし楽しむことができたんだと思う。これがどちらに転ぶか分からない尾根筋を全力疾走するようなギリギリの緊張感との闘いに負けなかった理由、なんじゃないかと今ふりかえって思う。

 今からもっと大きな波がくるんだろうけど、この感じを覚えとけばうまいこと乗れる気がする。というわけで、だいぶ長くなったけども最近の諸々とTEDxでひと皮むけた話でした。

ブログ、こっちもはじめました。

これまで書き続けてきたブログ。ジオ関係はこちらのサイトでもはじめました。

http://mishima.link/?page_id=2040

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