ひさしはあるくよどこまでも

硫黄島、好きだー!!

おしらせ

大岩根 尚 の個人ブログです。
薩摩硫黄島で、遊んで暮らしています。

硫黄島でのガイド等のご相談は
planetary(アットマーク)musuhi.earth
までおねがいします。

奥義「暑いときには涼しいとこに行く」

夏になりましたねー。
やっぱ、夏はいいね!

みんな暑い暑いって言ってるけど、うまく付き合えば島の暑さは心地いいなーというのが最近の実感です。「暑いときには涼しいところに行く」という奥義を体得しました。笑

硫黄島の僕の家にはクーラーがなく昼間はくっそ暑いので、まず昼間は家に居ないようにする。笑。デスクワークが必要なときは、センター(公民館ね)の風通しのよい机をかりて仕事してます。窓際で明るく、風は通るから涼しいしベランダから絶景。遠くに屋久島。

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この環境はたまらんです。


誰かが道路の伐採作業(道路にも竹が生えまくるから自分たちで切らなあかんのです)やってれば手伝ったり、お客さん案内したり、カヤックのトレーニングしたり、すきなときに潜りにも行ける。暑いんだけど、ガンガン汗かいてガンガン水飲むから体調は最高。汗でミネラル出てるからか、お魚や貝が美味いのなんの!


昼間は暑いんだけど朝晩はちゃんと涼しくなるので、快適に寝られます。今夜は暑そうだな、という日は風通しのいいところにテント持ってって寝る。別に家で寝なくてもいいやん?島が家みたいなもんやん?これぞ奥義「暑いときには涼しいとこに行く」。なんか、、ほんと、いい暮らしさせてもらってます。毎日幸せ。

夕方の30分ほどの坂道ランニングもぼちぼち続けてて、くっそしんどいけどいい調子です。


こういう生活を1年間やってきて、不便な中に生活している方が小さな幸せに気づきやすいもんだなーってことがわかってきました。

掃除機もないので、ほうきと雑巾。
雑巾がけ、週2回くらいやってますが、なんか内側が整う感じあるのよね。

洗濯機はあと水道と排水の工事をちょっとやれば使えるんだけど、そこまでにいたってません。手洗いはさすがに面倒いけど、風呂入ったついでに洗っちゃう癖をつけたらなんとかなってきました。


いろいろとアナログな生活をしてて、気づいたり得たりしてるものも大岩根、というのが最近の実感。カラダを使う充実感、健康、小さな気づき。そういうものが幸福感を産んでる気がする。逆に、掃除機とかクーラーがあった鹿児島市内での暮らしでは、こういうこと感じられてなかったなあと振り返る。


便利になる代わりに幸せを感じる機会が減っているのであれば、それは一体何をやっているんだろうね?


とはいえ僕もPCは使ってるし、iPhoneも、アマゾンも利用して生活しています。鹿児島と硫黄島と、その他の各地を行ったり来たりしてるからこそ変化の一つとして面白く感じられてるのかな?便利さに飲まれないようにコントロールできる知性や見識を身につけたらええ感じだよ、ってことなのかな。


安定した収入とか目に見えた将来の保証、というのを一旦手放しリスクをとったからこそ得られてる素敵な暮らし。ほんと、やってみてよかったと今は思えてる。これから安定した収入と、将来の保証を自分で作る。自分個人で稼げて、どこでも暮らせるようになるのがいちばんのリスクヘッジだとおもう。助け合える仲間をつくることも。

自分にしかできないことをやる、というのもそれにつながる。
誰もやってないこういう生き方をすることで自分を売る、ってことも、ある意味仕事の一環なのかな、と思い始めた。まー、好きなように生きてるだけなんだけど。


こないだ石川直樹さんにお時間いただいて3時間くらい、散歩したり温泉入ったりしながら二人で話させてもらったのだけど、好きなように生きよう、とほんとに思った。これについてはまた書く。

南極で読んでたPole to Poleの本、今また読んでる。




そうそう、いまフィールド調査で長期滞在の大学生を同居人として預かってるのだけど、彼との共同生活もなかなかおもしろくていい感じです。こないだの台風で片付けちゃったけど、うちの庭にテント張って寝てました。気合い入っとる。
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もう2ヶ月くらい滞在してるんですが、最近髪が伸びてきて、寝起きはミスターサタンみたいなシルエットになってて毎朝じわじわくる。


3ヶ月前は逃げられてばっかりだったニャゴロとも仲良くなってきました。最近は呼んだら返事してくれるし、おさわりもできるようになってきた。

畑の作物はバッタとかカタツムリに食われまくってるけど、カボチャだけは超元気。
あいつらなんで雑草食ってくれないわけ?
もっとちゃんと育てられるようにしたいなー。



夏は始まったばっか。
気づいたらけっこう予定あって今年も忙しい夏になりそうだー。
バテんように、しっかり運動、しっかり食べる、しっかり寝る。
36才だけど、こっから頭もカラダもココロも強くしてくよー!

夏!!

地球と人とをつなぐお手伝いを。

こんにちは、尚です。
僕は相変わらず、硫黄島と鹿児島とを行ったりきたりしながら楽しく暮らしています。

最近は、学校で授業をしたり、硫黄島でテレビやwebや来てくださるお客さんに対してのガイドをしたりしつつ、そろそろ仕事しなきゃーとか思いながらあんましお金にならないようなこともいろいろやってます。硫黄島10日間ご案内したタッキーの番組はすげーよかったし、こちらのweb記事も、すげーかっこいい感じにわかりやすくまとめてもらってて嬉しい限りです。

とまあこんなことをいろいろやりながら、僕がやってるのは「地球と人とをつなぐお手伝い」なんじゃないかなのかなーということを意識し始めてます。

いったん職業としての科学者という立場を手放して様々な場所に行っていろんな方々と対話し感じながら、科学という大きな力を通して人やほかの生き物が幸せに暮らせるための『世界観』が僕たちには必要だと思うようになってきました。

それは自然と人間をつなぐ(別々のものでなく、ひとつのものとして捉える)考え方のことであり、かつては神話や伝説や宗教がその役割をもっていた、そういうものだと思います。そういう科学的でないとされるもの(検証できないもの、観測できないもの)のなかに、僕たちが失ってしまった意味(実用的な役割)は存在していたのだなということも、理解し始めています。だからそういうのも一概に否定できんな、というところに今僕はいます。


これからの人間がどんな世界観をもって地球上で暮らしてゆくのか。
自然や生命との間にどんな関わりを選びとってゆくのか。



字幕つきはこちらに飛んでみてね。

この映画の世界観が好きで、こういう仕事(ってよくわからないけど)をしたいなと思っています。
(ひとまず、この映画の関係者をお呼びして、硫黄島で上映イベントをやることになりました…笑。)

最近、脳科学とか神経科学の研究がずいぶん進んで、もともと宗教が伝えてきた瞑想とか慈悲の心の効能が科学的視点から明らかにされつつあり、マインドフルネスが流行してきてます。こういう動きがもっともっと大きくなって、科学と、人間が地球と調和して生きてゆくための知恵がちりばめられた神話や伝説などこれまでバラバラに各地で編まれていた物語とが融合し、無駄に生命を傷つけることがない世界観ができて広がってゆけばいいなあ、ということを考えています。

人類が生き残る道はそれしかないんじゃなかろーか。
そのために自分がやれる仕事はどんなことだろうと、思索の日々です。

授業、ガイド、メディア案内なんかの仕事もそいういう視点からやれたら、ということを考えています。このことには、地球の歴史や仕組みを深く学び、研究し、様々な場所に身を運び味わった自分がやることに意味があるんじゃないか、とも思っています。

ただ「通訳」するのだけでなく、知識を受け取った子供たちや一般の人たちが、人と自然がつながる世界観を取り戻してゆけたら。そのためには、知識としての理解とともに、自然には絶対に勝てないこととか、人間の生活が本当の意味で自然に支えられてしか有り得ないことを、どれだけの人が思い出せるかということかもしれない。

それは、自然の中に身をおき、そこで自分の内側に立ち上がってくる感覚から個人が得てゆくもののような気がしています。どれだけ検索しても寒さは味わえないし、ふやけた手足を岩場の牡蠣で切ってしまうこともない(こないだ素潜りしてて怪我したんですw)。現場に身をおかないと知り得ないことってすごく多い。

つーか、部屋のなかにいてばかりもつまんないっしょ。






石川直樹さんは、きっと僕がいま考えている思索の先にいるひとなんだろうなあ。
すべての装備、だけでなく、立場とかお金とか、そういうものも全て知恵に置き換えて生きてゆけたら。

もっといろいろ手放せるなー。

クインシャーロットにて

ちょうど一年前の今頃のはなし。

カナダのクイーンシャーロット諸島をカヤックで回るツアーに参加しました。

ここはファーストネイションたちが140年前くらいまで住んでいたエリアで、南の端にあるスカングワイ島はトーテムポールが残っている世界遺産

星野道夫が静かな浜辺にカヤックで着岸し、森の中を歩き回り、朽ちかけてゆくトーテムポールに対面するのはこの島でのできごとです。




関空、バンクーバーを経由して飛行機とゾディアックを乗り継いで行ったは良いが、天候が悪くて全然漕ぎ回ることができず。波も風も強すぎて、目的のアンソニー島にも到達出来ず。
結局ある無人島で数日間キャンプでの滞在をすることになりました。

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島にはスプルースが林立していて、倒れ、朽ち、倒れた木からさらに何本も育ち、分厚く苔が生えています。この一コマの写真に、おそらく数百年のときが刻まれています。
こんな豊かな森の中、テントを貼って滞在しました。

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苔がふかふかで、すごく寝心地のよい我が家。4泊くらいしたのかなあ。


結局こぎ回ることはできなかったのだけど、結果としてこれがすごく良かった。
ある程度の食料と燃料は持ってって、メンバーが釣り具やタモを持ってきてたのでお魚釣ったり巨大なウニを拾ったりして、それをいただきながらの生活でした。

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この写真は上代さんから。

海岸には、たぶん嵐とかで倒れた木が流されてきた巨大な丸太が転がっていて、焚き火し放題。

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何日もここでキャンプしてると、丸太をうまく並べて火力調節ができるコンロにしたり、温度上げるために朽ちた木の皮で火を覆ったり、着火のための枯れ枝がある場所のカンがわかってきたりと、身体が森に馴染むようになってきます。写真は野元さんから。

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ハクトウワシや鹿、アザラシ、アライグマ。そういう野生動物も多数遭遇しました。
ひとりで森を散策していてすこし心細くなっても、同じ土地を踏む彼らがいることで心が和みます。
上の2点の写真は上代さんから。

こういう生活をしていると、自然と心が静まってくるのを感じます。
余計な情報に心を奪われない安らぎや、
住みかがあり、食べものがあり、ここでどうにか自分が生きてゆけることへの安心感。


当時のファーストネイションたちは、どんな思いで日々を送っていたのだろう?
彼らも同じようにこの景色を見ていたのだろうし、
同じようにハクトウワシに敬意の眼差しを送っていたのだろうし、
そして同じように、魚を釣ったりウニを拾ったりして食べていたのだろう。


たった数日間でも僕たちは森の使い方を学び、体をなじませてゆくことができたのだから、数千年ここで暮らしていた彼らは圧倒的に高い技術や知恵を持っていたことは想像に難くありません。

そして、その知恵はもう失われてしまった。





今ここで生活しているぼくたちと彼らとの違いは、テントや燃料などを持ち込まず、ここにあるものだけで全ての生活を成り立たせ、数千年も生きてきたということ。家も、服も、船も、食器も、全てここにあるものだけで彼らは暮らしていた。

自分たちの暮らしが全て自然に支えられていることを知っているから、彼らは魚やウニが絶滅するような獲り方をしなかったし、林がなくなるような皆伐ももちろんしなかった。
自然が健全な状態であるおかげで自分たちが生きていられるという事実を、考えるまでもなく感覚として知っていたから。だから彼らは自分たちを生かしてくれる自然を敬い、大切にした。

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トーテムやカヤックに刻まれたどこか剽軽な印象のある独特の図柄は、彼らが尊敬と親しみを込めて自然界の仲間たちを表現したものだということが伝わってきます。丸太を少しずつノミで削りながら、その思いを刻み込んだのだろう、なんて想像します。



僕は、10年以上かけて地球の仕組みや歴史を学び、それを解き明かすための研究に携わってきました。その知識や経験から立ち上がった考えとして、自然を大切にしなくては、できるだけ環境負荷のない暮らしや文明を、ということを考え実践しているつもりだったけど、どこか自然と自分を切り離して考えていました。

生き物の命をいただいて生きている自分は、結局は自然の一部としてしか生きられない。
自然を大切にすることは、まさに自分のためだ。

そういうことが、この時初めて、体験の中から得た感覚として理解できました。




この経験は自分にとって大きかったなあ。




梅雨が始まって、静かな硫黄島の家で雨音をききながら思い出した話でした。






36才

 鹿児島に来てしばらく経った2015年、TEDxで話をさせてもらいました。先が見えない中でも必死に進み続けてきた日々が報われ、ヤッホー感が最高潮のときにお声かけいただいたTEDx Kagoshima。この動画、しばらくは恥ずかしくて見れなかったけど、なんか今なら見れるようになりました。ちょっと進んだからかなー。



 いつからだろう、ひょっとすると10年近く前からなんじゃなかろーか。自分が本当に好きだとか面白いとか思える仕事を作りたいなんて、この動画で話してたようなことをずっと考えながら動き続けてきたけど、昨年「むすひ」という会社をつくり、その器の中でようやくカタチになりつつあります。

 めっちゃ頭使って研究して、南極の寒さに耐えるために身体鍛えて、初めての強烈な寒さを身に染み込ませて昂りを覚えたり、同じ年の禅僧と出会ったことをきっかけに座禅をはじめてマインドフルな状態の心地よさを味わってみたり、むすひのメンバーの影響で深い共感のコミュニケーションを学んだり。そうやって、頭と身体と心を全部きちんと使って生きることが幸福感を高めてくれる、というのはこれまでの経験から確信していることです。そしてそれは、自然の中に身を置くことで得やすくなる。
 硫黄島ではそれができる。


 36才になりました。

 幸せな人生を送るための自分探しのお手伝いを仕事としてやってくよってことは、別にオープンにしてないのだけど、面白いことに人生相談が来るようになってきました…僕の方がもう戻れないレベルで人生の迷子になっちゃってるのにいいの?僕に相談したらもっと迷子になっちゃうよ??笑。一気に何件かそういうの受けたので、そのうちの1人を硫黄島のうちに数日預かって一緒に暮らして、元気になって帰ってもらったり、なんてこともやってみてます。

 みんな就職してるからとか、就活してるからとか、定職についてなきゃいけないとか、30才までに結婚しなきゃとか、そういうのに尻たたかれて頭の中で「こうあるべき」を作ってしまって苦しくなりがちだけど、それはやっぱりハラから出てくる本音じゃないから苦しいんだと思う。
 一方で何が本音かっていったら、やっぱり今この瞬間身体が感じてること。温泉とか、火山ガスとか、見たことない海の色とか、、硫黄島で感じられる五感以上のものを全身で浴びたときに出てくる「反応」って、本当の自分自身の姿なんだと思う。島に来たらみんなマジで本当にいい顔して笑うのって、やっぱそういうことだと思う。

 そんなわけで、人生の迷子だーとか、本当に好きなことがわからないとか、そんなこと考えてる方はご連絡ください。硫黄島先輩が、地球がきっとヒントをくれると思うので、そこを繋ぐお手伝いさせていただきます。社員が自分らしい姿で働くための研修を硫黄島でできないか?っていうお話も企業さんからいただいて、進めてます。
 自分が持ってる能力をフルに発揮して楽しく生きてくことって本当に大切なことだと思うから(その人のためにも、家族のためにも、社会のためにも)、僕も本気でこれを仕事にして食えるようになりたい。その中で、自分も生きるよろこびの実感に触れ続けたい。なので、ご紹介よろしくお願いしますね、みなさん。

 人様にそういうものを提供するためには、自分自身がこれからも本当の自分の理想の生き方、暮らし方を追い続け、変わりることが必要だともちろん思う。36才はそうやって内側も外側も高めてゆくことを、きちんとやりたいな。

 楽しみも苦しみもいろいろ全部ひっくるめて、地球にあそんでもらいましょう。
 

My Way

取材を受ける中で、学生時代に熟読していた教科書を手に取った。
開いてみると、たくさんの線や書き込みがある。
地球の姿を少しでも知ろうと真剣に取り組んでいた当時の自分の姿が見えた。

ふと涙がこみ上げ、話ができなくなった。

あの感情はなんだったのだろうか。


退官を迎えた名誉教授の先生と時々お話しさせていただく機会がある。
先生は今でも真剣に研究をしていらして、自分の研究を通じて理解してきたことと、まだ理解できていないこと、知りたいことを楽しそうに語られる。お話を伺う度にその「豊かさ」に触れ、こみ上げてくる感情がある。

僕の心を動かしたあの感情は、一体何だったのだろうか。

自分が興味あることに没頭できる時間の尊さか、
知的探求の深みへ降りてゆくことの美しさか、
自分が今すすんでいる道の先に答えがないかもしれない、それでも進むことを選んでしまう好奇心か、
それとも過去に大切にしたものを慈しむ気持ちか。

研究、これほど人間らしい行為はないのかもしれない、とも思う。


研究をやめたことに後悔はないし、研究をしていたことにも後悔はない。
届かなかった未来に憧れる気持ちもない。

感情が動いたことの正体は未だによくわからないけど、それが自分にとって大切なものであることだけは確かだ。

僕は今ここにいて、新しい未来を創ろうとしている。
これが僕の道だ。




"we're our choices."

今の自分は、全て自分の選択の結果だ。
これからも、選択の結果が自分を作ってゆく。
これからの自分は、何者であろうとするのか。
そのために、何を選ぶのか。

10年後の僕は、今の選択をどんな気持ちで振り返るのだろう。



ハイブリッドに

うちにはクーラーがないので、昼間は滝のように汗をかきながら机に向かっています。

身体ってほんとすごい。南極にいたときもそうだったけど、ずっとその環境にいると、その環境にきちんと慣れてくるもんなんですね。汗かきまくってるからなのか、ここ10年くらいの中では最高に体調のよい夏を過ごしています。夏バテなんて皆無、食欲も絶好調。早朝に起きて涼しいうちに勉強や考えごとをしています。


まともな網戸がないので、夜には灯りにつられてやたら虫が入ってくるから、豆電球の光で生活しています。

部屋が暗いから月が満ちて欠けてゆくゆっくりとしたリズムがわかるし、稲光が空を一瞬照らす、深い青の美しさも感じられる。部屋にいても、空を見ていれば流れ星が見える。


クーラーに頼りすぎて体調を崩したり、人工光に頼りすぎてリズムが狂ったり、感覚器官が鈍ったりしていたことを、改めて思います。
自然が垣間見せてくれる美しさを感じたり、自分の身体が強くなってゆくことに充足感を感じたり、ということが人生の幸せの一つであるなら、「便利な生活」は僕たちに何を与えてくれるのだろう。
悪いのは便利さではない。文明でもない。自分たちが作り出した道具の奴隷にならないため自分を律する心を、僕たちは強くもたなくてはいけないのだろう。


鹿児島に行ったとき、空き時間にカフェに入って仕事をしてみると、喧騒の中で蝉の声が全く聞こえないことに気づく。自然と分断された環境、人工的な光。そこで僕は思う。

「クーラー最高!LED最高!!」


自分の感覚や身体能力を高めながらも文明をきちんと使いこなすハイブリッドになろうと思います。




この数ヶ月の自分の変化について。

「むすひ」を立ち上げて、もうすぐ3ヶ月。

「共感すること」の大事さが、自分に染み込み始めている。
CHAHOの研修に関わらせてもらったり、エンパシーサークルを繰り返す中で、胸に心地よい感情が広がるのを感じ、あの感覚をもっと味わいたいと思うようになってきた。

そういうコミュニケーションの方法を学び、自分の内側にあるニーズと感情の扱い方を学び始めた今、人や自分との接しかたが変わってきている。

僕が抱えていた痛みについても、そのときの怖れや弱さ、叶えられなかった願いに触れさらけ出すことで、癒しに変わった。傷つくことを恐れず、ネガティブな感情も含めて存在として自分や相手を受け入れることで、見え方が変わってきた。

痛みは癒しの入り口だったのだと、今は思える。



喜びや痛みを分かちあうこと。
そのことで、こんなにも幸福感に満たされることを、僕は知らなかった。
知らなかったのかな?忘れていただけなような気もする。
福岡にいた頃はこれができていたような。

誰かといるときに、自分のことを手放してこの時間の自分を相手のために捧げること。
そのことで、お互いに本当に満足できる時間を過ごすことができる。


「適者生存」
共感し、相手を思いやり、助け合うことができる人間が生き残る。
そういう個体が生き延びてきたからこそ、僕たちにはそういう機能が埋め込まれているし、そういうものをみたときに幸福感を感じることができるのだと思う。

もっと多くのひとがこのことに気づき、そういうコミュニケーションがひろがってゆけばと願う。

80年。

青年会と老人会の交流会。
80過ぎのじーちゃんたちと話す。

大好きなこの島でずっと生きてきた島のじーちゃんたちは本当に優しくて懐が深い感じがして、勝手にすごい親近感を覚えている。一人一人が魅力的で、もっと仲良くなりたいといつも思っている。

ええと、何を話しなたらいいんだっけ、と思春期の乙女のように多少どぎまぎしながら話題に詰まりながらも昔話の話題を振る。硫黄の鉱山の話。砂浜の話。昔の生活の話。それはそれで面白いんだけど、僕はもっとじーちゃんの人間が知りたいのにと、歯がゆく思う。


今ぼくは、悩んだり考えたり発見があったり不安になったりしながら日々を過ごしている。こういう今の僕と同じように、彼らにも若い頃があり、悩んだり笑ったりということを、80年も繰り返してきた人たちが目の前にいる。三味線を弾いて盛り上がるじーちゃん達をみながら、時間にしか成しえない深みを見た気がして、たまらなく大切に思えた。

50年後、僕はあんなに優しい眼差しで後輩達の眼を見れるだろうか。

新しい武器を。

島に帰ってきて一泊。

昨日、夕方の港沿いを歩きながら思ったのは、静けさ。
頭の中の雑音が静かになってきて、圧倒的に落ち着く感覚があった。
引っ越した翌日からカナダに行ってきたからまだまだ散らかり放題の家の中ですらこの感覚になれることが、今の自分にとって本当に大切なことだと感じる。

この数年、ブログを書くことがななかなできなかった。何度か無理やり書こうとしてきたけど続かなかった。今にして思うと、書きたいと思うときに書きたいことを書かなけりゃ意味がない。気持ちに無理させてきたなあと思う。もっと自分をいたわればよかったのに。いま、書きたいと思う気持ちがもう一度沸き起こってきたのはなぜだろう。この内側の静けさと関係があるんだろうか。


静けさ。
先月の垂水合宿のときにせーちゃんにコヒーランスを教わって以来、ときどき実践してみている。胸が感謝で満たされ体が温かくなり、「ごきげん」でいられる状態が続く。
むすひを立ち上げて以来、仲間たちとのミーティングとか、CHAHOの研修、NVCなんかを含めて、共感とか感謝で心を満たすことの大切さや効能、心地良さが深く実感として根付いてきていて、仲間を信頼し祝福することで胸に広がる心地よさを感じられるようになった。

これまで僕は本当に孤独に生きてきたなあ、その中でよく孤独に頑張ってきたなあと、これまでの寂しい自分への労わりや愛おしさを感じる。それを経て、いろんな人に愛情を向けられるようになってきた気がしている。



恭平から借りた "Into the Magic Shop" が心に響いた。
10年くらい前から「7つの習慣」「アファメーション」などの本を通じて自分なりに試してきたことが改めてこの本に書いてある。理想の未来を描くことを最近してなかったので、この機会にトレーニングしたい。




自分の夢のために、怖れる未来から逃げるために、多くのことを我慢して自分を縛りつけて進むのではなく、他者への愛情やいたわり、共感に基づいて、自然と足が前にでること。

新しい武器を手にいれた。
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