残酷人生論
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魂について,すこし。

塊(かたまり)ではありません。魂(たましい)です。

こないだ池田晶子さんの本を読み返してて魂ということについて考えました。

長くなっちゃったんで,電車の中とか,夜落ち着いてからとか,そんな感じでどうぞ。




僕とそういう話をしたことがあるひとは知ってると思いますが,アンパンマンが大好きです。
いや,正義の見方になりたいとか,ドキンちゃんせくしーとか,そういうことではありません。
始まりの歌の歌詞,あれです。
「なにが君の幸せ,なにをして喜ぶ?」
これです。…ふ,深い。

なにが「君の」幸せ?と。
歩けるようになったかどうか,物心ついたかどうかの子供に問うてるわけです。

幸せ。
会社学校に行きたくないとか引きこもってしまってるとか,そういうひと,沢山います。
もっと言えば,年間30000人もいる自殺者,彼らは明らかに幸せではないわけです。
彼らがそうなってしまってる一つの原因に,アンパンマン不足があるのではとぼくは思うんです。
なにが「君の」幸せ?という問いかけを,きちんとやらずここまで来てしまったのではと。

これ英語で伝わるのかな,あなた,も,あなたたち,もどちらもyouだから。
(でもアメリカとかはそれでいいのかな,言われなくても個人で好き勝手やってる感じだから。)
みんなこんな感じだから僕も,みたいな日本人的メンタリティといいますか,みんなと同じが正しい,というけっこうな勘違いをしているひとがたくさんいるんじゃないか,と思うんです。

流行,というのは僕がそう思う最たるもので,店にはいると「いちばん売れてるからおすすめですよ」と言われる。流行ってるかどうか,と,自分に似合うかどうか,は全く別次元なのに。
美しいものなんてそう毎年毎年変わるもんじゃないと思うけどなあ。
あれは「今年はコレが流行ることにしましょうね」なんて,デザイナーだかそういう人たちが決めてるんじゃないのか,って気がするんです。違うのかな。

いい大学,有名な会社に,とかいうのもそうで,そこに行けば絶対幸せというもんでもないでしょ。
そういうとこに行けば選択肢広がるし頭のまわる人の率は高いから面白いってのもありますし,
お金たくさんもらえると生活しやすいのは当然ですが,じゃあ高学歴高収入の人は必ず幸せ?


んで僕が何を言いたいかというと,
要は「自分の幸せとはどういうことか」をきちんと考え詰めるべきだ,ということです。
アンパンマンです。


あんまりこういうこと考えない人は全然ピンとこないと思うんですが,
端的にいうと何が好きか,どういうときに嬉しいと思うかってこと。

例えば音楽の趣味ってありますよね。
クラシック,ジャズ,レゲエ,ロック,ポップス,テクノ,たーっくさんの曲,歌手,ジャンル,ありますが,誰でもその中から自分が好きな音楽を選んで聞いていると思うんです。
それはどの音楽が一番優れている,とかそういうコトではなく,
その曲が,そのジャンルが,ぼくは好きだからそれをいつも聞いてるよ,ということだと思うんです。

じゃああなたは何故,その曲が,ジャンルが好きなんでしょう?
歌詞がイイ?メロディがステキ?
じゃあなぜイイと思うのか,ステキだと思うのか?
その歌詞が自分の経験に似てて心がふるえるから?メロディに心を動かされるから?
じゃあなぜそう感じるのか?

…と問いつめていくと,最終的には
「いや,好きやから好きやねん,もうこれ以上説明でけへん!」
ってとこに落ちてくるはずです。
それが音楽に関してあなたの幸せが落ち着くところ。

そういうのを,僕は「自分のカタチ」と名付けて呼んでいましたが,
こうしてぐるぐると自分の中に降りて行くことを,全てのことに対してやるべきだと思うんです。
そうすると,宇宙に対しての「自分のカタチ」というのが見えてきます。

電車の中で背中からぐいっと押された。どう反応したときに後味がいいのか。
舌打ち?押し返す?振り返って何が起きたか観察する?「大丈夫ですか?」と聞く?
反応は無限にありますが,どう反応したときに後味がいいのかは,
本当は自分は知っているもんだと思います。


ここでやっと冒頭,池田晶子さんの本の話にもどります。
ここまでの話でぼくが「自分のカタチ」と呼んでいたもの,これが彼女のいう「魂」の定義です。
理屈ではなく,自分はこういう風に生まれついたからそうなんだとしかいえない自分のカタチ。

それがどんなものかを,考えたことない人は今からでも考え始めるべきだし,
こどもは小学校高学年頃からは考え始めていいと思うんですがいかがでしょう?
しかし自問自答して作り上げた「自分がこうだと思う自分のカタチが」本当に本当の自分のカタチなのかどうか,ってのは,答えは誰も分かりません。しかもこれまでに刷り込まれてきた自分とは違うところにある偽物の答えがガードしてて,なかなか核心にたどりつくのは大変。
だからこれ考えるのは本当にしんどいです。

ぼくは博士課程3年で卒業できず,4年目に入ったことで考える機会と時間をもらえました。
先の見えない不安,どん底のなかで自分は何するために生きてんだ,と考えた。
夜も眠れないくらい考えた。ほんとにしんどかったです。
でもしんどいのを我慢して考えつづけたから多少の考える能力が身に付いたのではと思うんです。
そんで,自分のカタチ,魂がどんなものかある程度はっきりしてきた。
その自分の魂が喜ぶような行動を常に選ぶ,ということを中心に据えれば,あんまし間違ったことは起こらなさそうだ,というのも分かってきました。

これって誰にとってもすごく重要なことなんじゃないかと思いますが,
小中高の中で一度も,そういうことを習わなかった。道徳と倫理の違いすらも習ってない。
このあたりが頭に入っていないことが,日本中のいろんな問題の根っこに共通して潜んでいるのではと,僕は思うんです。このあたり,教育の現場にいるひとたちはどう考えてるんだろう?意見聞きたいなあ。
それとも僕の空論なのかな。


長くなりましたね。
アンパンマンをしっかり考え,自分のカタチ,魂がどういうものかを捉える。
そういうことを考える,教えるべきなんじゃないか,というのが僕の今日の主張でした。


またまた暑苦しい文章になってしまってすみません。
長文を最後まで読んで頂き,ありがとうございました。
みなさまのご意見おききしたいです。