皆様こんばんは,ご無沙汰してます,ひさしです。僕は元気にやってますよー。

何となくブログ更新する気分になれず,書きかけの記事が溜まった状態でだらだらしてます,ごめんなさい。ひさしぶりのエントリーですが,またクサくて長い話になってしまった。
お暇な方はご覧ください。


今回は尊敬する内田センセイのブログにあった問題提起?と僕なりの回答を書き留めてみました。
「人間の質が劣化しているのである。」というのがズドンときたことば。
重いひとことだー。これに対する僕なりの対処法を書いてみたいと思います。


日本人の質が劣化しているのである,という事実を丁寧に説明されて,ぐっと頭を押さえつけられるような心持ちになりました。それはよくわかるのだけど,でも「はいそうですか」と流したくはない。
それが事実だということは分かるし実感として感じる部分もある。
でもなんとかしたいなあ,と僕は思います。
きっと内田センセイもそうだと思って書いておられるんじゃないかなあ。


よく話す人には言ってると思うけど,不動の一万円札である福沢諭吉がすごいなあと僕が思うのは,
学問のすすめの中で「俺がスバラシイ人間の見本を示すから,お前ら俺の真似をしろ」って言ってる点です。読んでないひとは読んでみてよマジで。

そこまで言い切ってしまうわけだから,自分の行いが日本を変える,という当事者意識(責任といってもいいのかも)のもとで諭吉は一日を過ごしてたんだろうなあ。
人間にはそれくらいの気概があるべきだ,というと言い過ぎかもしれないけど,僕はそうありたいと思うし,人を導く立場の人はそうあるべきだろうと思うわけです。

自分が手本になるべき人間だ,ってのを自分で信じとかないと,自分を高みへと登らせる日々の思考や行動を無意識に選択できん。覇気,というのにもこれたぶん関係する。俺はすげえんだぜ。みてろよ,でかくなるんだぜ。俺の力で世界をハッピーにするんだぜ。そういう意識を無意識にキープしたい。たぶんそういう意識が周囲を幸せにするような価値判断のもとになるんじゃないかな。

このあたりが,内田センセイのいう「質」に直結してくるような部分なんじゃなかろうか。



「自分の力が届く範囲にいるひとを幸せにする」
あんまし実践できてないんだけども,これは僕が生涯大事にしたいと思ってることばです。
こういう感覚って,どのくらい共感してもらえるものなんだろう。
このことばも,自分の「質」を高めるというか,そういうセンスの言葉だと思います。
大事にしたい。



ちょっと話はかわるけど,Steve Jobs が言ってたことば。



The technology alone is not enough.
It's technology, married with liberal arts, married with humanities, that yields us the result that makes our hearts sing.

テクノロジーだけでは足りない。
リベラルアーツや人間性,そういったものと一体になったテクノロジーこそが,我々の心をふるわせるのだ。

Jobsさすがだー,分かってるねえ(笑)!


この「テクノロジー」の部分は何にでも置き換えて使うべきだとぼくは思う。
知識でも科学でも技術でも権力でも地位でも富でも名声でも発言力でも。
ものすごい努力を重ねて,すごいレベルのそういうものを手にしたときに,それをどう使うのか。
〇〇にモノを言わせて悪事を働く,というのはよくある話。
でも当然ながらそれじゃいかん。

だからテクノロジーとか〇〇だけじゃ足りない,それを支えるものが必要になってくる。
それが人間性だったり,正しい価値判断の基準だったり,そういうものを支える哲学みたいなもんじゃないかな。ジョブスはこのへん分かってるのが偉い(←僕は何様だw)。
高いレベルの〇〇を身につけるにもそれなりの人間性が必要だけど,その使い方を方向付ける土台の部分の深さ,大きさを育てること。これこそが教育の一番大事な仕事だと僕は思う。
(もうひとつは「しつけ」レベルでの厳しい倫理観の教育が必要だと思うけどもそれはまた今度。)

世の中に及ぼす影響が大きい人ほど,つまり「偉い」人ほど,広い土台,正しい価値判断の基準をもっていなくちゃいけない。偉い人が悪い奴だったら大変なことになるから。
んで,それはたぶん,普通の受験勉強では身に付かない(んだけども基本は受験勉強が得意なひとが偉くなりやすい価値観が皆の頭に居座っちゃってるのが問題よね)。

幅広い教養,体を鍛えたり(肉体こそが人間にとっての神殿である,って村上春樹は言ってるけど,肉体の話を始めるとまた長くなっちゃうので今回はカット。),文化,芸術,歴史に触れて感動すること。平たく言えば「一生懸命生きること」。これこそが人間の質を高めるということだと,いろいろ考えてみるとそこに行き着いた。そこにはアンパンマン的幸福論も含む。

んで,身体鍛えてアンパンマンをやっていろんなものに触れて感動したら,今度はそういうのをもとにして自分の人生をどう組み立ててゆくか,世の中をどうやって良くしていくかというのを論理的に考えて積み上げてゆくためのスキルが必要になってくる。

しかし論理的思考力はともかく,人間性とかって教えようとして教えられるものじゃあたぶん無いよね。教科として知識を教えることを通してその底にある人間力みたいなのを伝えるなんてのは,こりゃあ相当なモノを持ってなきゃできませんぜ。たぶん普通に大学4年生卒業してのセンセイじゃ結構厳しいんじゃないか。もともとそれだけのモンをもってる人間なんてそう居ないし,相当な経験積まんと伝えるだけの中身は簡単には作れんもんだ。


じゃあ結局どうするかというと,自分が一生懸命生きて,より優れた人間になろうとする,その背中で伝えるしかない。こうやって生きるんやぞ,という姿を見せて,マネさせる。
ここで諭吉に戻るわけです。
今の自分はそりゃカンペキじゃないけども,自分自身が諭吉イズム的に「お前ら俺のマネをしろ」と言えるだけのよい生き方をすること。これが「人間の質が劣化している」ことに対抗するための一つの答えなんじゃないかと僕は思うわけです。
全然具体的でもないし効果を測ることもできんような答えだけども,結局これに尽きると思う。



なんかダラダラした文章になっちゃったんでまとめます。
人間の質が劣化している,と内田センセイがご指摘。
それを食い止めるためにどうしたらいいかという僕の答えは,リベラルアーツと論理的思考力をもとにしたより良い生き方を自分がすること。んで「お前らそんな俺様のマネをしろ」といいながら生きること。と,こんな感じになりました。


時代が変わっても意味のある普遍的な答えを,140年前にあのお方は用意してくれてたというわけだ。
諭吉すげえ。
大事なものは時代を経ても変わらん,っつーことなのかもしれんですね。

そんなわけで,まだへなちょこな自分ではあるけど(こういう話をつらつらと書き綴ってる時点でけっこう下品だなあというのは自覚してます)もっと色んな知識をつけて色んなことを経験して大きくなって,背中で語れるような人間になりたいと思います。

うん,もっと努力しなくては。
先は長い。
とりあえず走ってきます!だー!