久しぶりのエントリーですが,今日はちょっと暗いです。
どうしようもない,悲しいことがあったのです。
悲しみにまかせてどわーっと書いちゃったので,そういう気持ちになりたくない方は読み飛ばしてくださいませ。




こんなこと,僕の手の届く範囲では二度と起こしたくない。
次に友達の誰かがそういうことを考えたときに,どうやったら思いとどまってもらえるんだろう。
同窓会,バカな話ばっかりして楽しかったんだけど,会った時に楽しい話をするだけじゃなくて,がんばってるぞと2割増しで話すだけじゃなくて,「楽しいんだけど今こういうことがしんどくてさあ」ってのも少しは話す,とかになるのかなあ。
うーん,しみったれた雰囲気になるかもしんないけど,誰かがいなくなるよりはずっといい。


自殺に到る思考の道筋は理解できる,と僕は思っている。
放っておけばそこまで到るだろう思考のネガティブスパイラルは,僕も何度も味わっているから。
できないことへの苛立ちや,全力でやらなかった後悔,無力感,無能感,そういったものがカラダを固くして,解決に向けた次の一歩を踏み出せなくなる。普段なら簡単にできることでさえもできなくなってしまう。その事実がさらに気を重くし,ネガティブスパイラルに陥る。動けない。動きたくない。自分が生きている意味を見いだせなくなる。

これは僕にもよくある。
自殺しようとまでは本気で思わないけど,これも出来んくらいなら死んだ方がマシだ,くらいのことは自分に対する戒めとして軽く思うことがよくある。しんどい,こんなアホな自分から解放されたい,とよく思う。ほんとに。

解放されたいから自殺に向かう気持ちはわかる。
でも死んだらラクになるなんてのは多分ウソで,死んだら何も感じなくなるだけでそれは決してラクになるわけじゃない。むしろ死ぬ直前の痛みとか苦しみとか,必死で生きようとするカラダを抑えつける方が辛いんじゃないかとすら思う。
(むしろその,死に物狂いで生きようとする体を抑えつけてまで死のうとするその意思の力を,何か他にむけられたとしたら,もの凄いコトができるんじゃないか。)


こういう暗い話を聞いてもらったからと言って辛さの重荷が本当になくなるわけじゃあない。
自分の一個性からは絶対に逃れられないから,自分のネガティブな部分の重荷は誰かに代わりに背負ってもらうことなんてできない,全てをひきずって生きていくしかない。

でも,一時しのぎはできる。
話を聞く,隣にいて時間を共有する,一緒に涙を流すとか,そういうことが一時しのぎになる。
その一時しのぎが,本人が山を乗り越える体勢を整えるきっかけにもなるんだと思う。
自分だけじゃなく仲のいい友達も,決して無傷で前のめりじゃないけどそれでもがんばってるんやぞ,というのを知ることは,体勢を整えるきっかけになるはず。
キズの舐め合いかもしれないけど,キズを治さなければ長い距離は歩けないし,無傷で生きてゆくことなんてできないんだから,一時しのぎ,一息つくのは大事なことだと思う。



僕はそういう気持ちになっても恥ずかしくて友達になんて話せないので(なんて言ってるうちは余裕あるんだろうな)安西先生のことばを思い出すようにしてる。

「諦めたらそこで試合終了ですよ。」

諦めたら終了,ということは,諦めなかったら終了じゃない,ということ。
前に進んでいなくても,諦めなければ負けはしない。
人生の制限時間はバスケほどは短くないから,ひとまず諦めなければなんとかなる。
諦めないことを決める。踏みとどまる。
マイナスへの動きを止めたこと,これはプラスへのベクトルを自分でうみだした結果だ。
それを自覚することは前に進むための確実な最初の一歩。



大事なのは,そのキッカケをつかむこと。
ことばの隙間やふとした瞬間の表情から,ちょっとだけ見えてるそういう気持ちに気付ける自分でありたい。気づけなきゃ何もできないし,後悔しても何にもならない。
そういうのに気づけるためのセーフティネット,とまではいかないかもしれんけど,楽しいことだけでなくネガティブな事も話しておくというのは,相手のそういう気持ちを引き出すために有効なんじゃないだろうか。自分にできるのはたかが一時しのぎ程度かもしれんけど,それでもしないよりはマシ。
僕でよければしのいでってよ,茶ぐらいだすから。


ほんの数日前に笑ってた顔が動かなくなっているのをみて感じた,どうしようもない悔しさと無力感。
こんなの二度と感じたくないし,友達に向かってご冥福を,なんてもう絶対に言いたくない。
冥福なんて言葉はいらん,あの世じゃなくてこの世で幸せになってほしい。
いま幸せじゃなくても,せめて笑えるくらい楽しいことは絶対あるからさあ。

あーもう,書きながらなんだか泣けてきたので(笑)この辺でおわります。