2018年01月22日

  今年初めての『とらちゃん』


1月18日の木曜日『ホテルアゴーラ大阪守口』で大手ゼネコン主催の講演会が

あった。

講演会は5時過ぎから始まり6時前に終了した。

その後私は一人でタクシーに乗ってJR鶴橋駅前まで移動した。

そして向かったお店は焼肉の『本家とらちゃん 鶴橋駅前店』であった。


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この日のお供は所長と楽天のヒットちゃんであった。

所長と楽天のヒットちゃんとはJR鶴橋駅の改札口前で7時に待ち合わせをした。

私が到着したのは6時40分頃であった。

すると二人は既にそこに立っていた。

流石であった。

Tちゃま倶楽部のメンバーは絶対的に時間厳守なのであった。

そんな感じの焼肉の『本家とらちゃん 鶴橋駅前店』

店内に入ると大山主任がいつもの素晴らしい笑顔で我々を迎えてくれた。

平日だと言うのに店内は結構お客さんが入っていた。

流石は『とらちゃん』であった。

我々が案内されたのはいつものレジの横の個室であった。

早速注文した。




注文したオーダー

上塩タン×一人前

特選サーロインステーキ×二人前

特上骨付カルビ×一人前

特選ハラミ×一人前

並のロース×一人前

タンツラ塩にんにく味×一人前

特上ミノ×一人前

野菜サラダ×一皿

生ビール×飲めるだけ




我々が席に座るとTちゃま倶楽部専用の胡麻と葱の薬味と『とらちゃん』秘伝の

タレが用意されていた。


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Tちゃま倶楽部専用の薬味と『とらちゃん』の秘伝のタレ

この胡麻と葱の薬味はTちゃま倶楽部専用で他のお客さんに提供される事はない。

先ずは『トップグロンEX』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引く続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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上塩タン

薄過ぎず厚過ぎずの絶妙なバランスと保っている為に抜群の食感を生み出す。

食した瞬間から全く硬さは微塵も感じられずジューシーさと旨味がいきなり

襲い掛かって来る。

噛めば噛むほどに甘味が増して来るのを実感するのである。

一発目からの美味しさにただただ感嘆するのであった。


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特選サーロインステーキ

この日も鹿児島産黒毛和牛A-5の最高級のサーロインステーキであった。

焼く前からサーロインが潜めていたサシが滲み出ている。

このサシ事が旨味そのものエキスである。

ゆっくりと静かに焼く事でマッタリとした食感の中に旨味と甘味が詰め込まれて

無茶苦茶最高に美味しいのであった。

びっくりする程に美味しいサーロインはいくらでも出会えるが度肝う抜かれる

サーロインとはこの事を言うのであろう

まさに『至福の喜び』なのであった。


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特上骨付カルビ

部位は『ともばら』

キメの細かいサシが美味しいカルビの特徴である。

キメの細かいサシからは他を寄せ付けない甘味を生み出すのが特徴的である。

芳醇で豊かな旨味と甘味と深みを一気に味わえて最高に美味しいのであった。

これこそが完璧なカルビだと言える。

地上最強のカルビがここにあるだ。


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特選ハラミ

どんなに高級な焼肉店でのハラミ独特の癖だけは抜く事が出来ない。

それは癖だから仕方ない。

逆に言えばその癖がハラミの美味しさだと言える。

ところがこのハラミはその癖を全く感じさせてくれない。

ハラミと言うよりも他店で食する濃厚で上質なロースを食べている感じになる。

抜群の甘味と旨味に溢れ出す肉汁を味わえるのであった。

最高に美味しいハラミなのであった。


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並のロース

他店ならば上か特上レベルのロースである。

サシの入り方が美し過ぎる。

口の中に入れた瞬間から濃厚な甘味と旨味がガツンと襲って来る。

めっちゃ美味しい並のロースに出会えるのであった。


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タンツラ塩にんにく味

ホルモンでありながら全く臭味が感じられない。

食べた瞬間から泉の様な肉汁が満喫出来る。

少し食感を感じながら柔らさと旨味と甘味を感じられる絶品なのである。

ビールのアテとしては最高の逸品であった。


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特上ミノ

柔らかいモンゴイカの様な食感に爽快感を覚える。

一噛み一噛みがしっかりと噛み切れるぐらいに柔らかい。

これ程に柔らかきミノは中々出会えないであろう。

最高に美味しいミノなのであった。


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野菜サラダ

キューピーのドレッシングがかかった極々普通のサラダであった。

骨付カルビの筋を焼いて食べる事にした。


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骨付カルビは筋まで綺麗に焼いて食べるのが通である。

そして最後の最後は……。

最後の最後まで大切に残しておいたサーロインを焼いた。


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最後まで大切に寝かしていたサーロインはかなり熟成されている。

その為、サーロインがトロントロンになっていた。

これがほんまにえげつないほどに美味しいのであった。

あったかいコーン茶で乾杯をして〆る事にした。


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乾杯ー!!

このコーン茶を飲むと満足感でホットするのであった。

最後に皆で猛牛ポーズをする事にした。


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猛牛ポーズ!!

この日のお供の所長と楽天のヒットちゃんも『美味しい、美味しい』と喜んでいた。

私はこの二人の笑顔を見るだけで満足するのであった。

これが今年最初の『とらちゃん』であった。

楽天のヒットちゃんは大阪勤務では珍しく岩手県出身で大学が仙台市である。

当たり前の様に『東北楽天ゴールデンイーグルス』のファン。

東日本大震災の被災者でもある。

大手ゼネコン勤務二年目の楽天のヒットちゃん。

ようやく東北地方のなまりが抜けて来た。

岩手県出身の楽天のヒットちゃんと宮崎県出身のカズ・チンペイ。

どっちも田舎もん臭い。

特に顔がめっちゃ地味だ。

そんな感じの焼肉の『本家 とらちゃん 鶴橋駅前店』であった。




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ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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牛肉入りの寄せ鍋がむっちゃ最高に美味しいのであった。






←ここを押して下さい!!

よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!







 











四大文明は、エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明。

黄河文明。

長江流域に発生した長江文明の方が歴史が古いという説もあり、黄河文明と長江文

明をまとめて最近では中国文明と言われていると聞く。

黄河文明は乾燥地域の畑作で北方系民族。

長江文明は温帯地域の稲作で南方越系民族。

両文明は後年の殷王朝の時代に交流していったものと思うが色々と興味がある。

書道や習字で使う半紙の歴史。

先ず紙から……。

もっとも初めの頃(中国の殷の時代)は亀や獣の骨等に文字を刻んでいた。

甲骨文である。

その後、周・秦の時代になると絹の布や竹簡・木簡が使われ、漢代になって絹糸の

くずと麻が混ざった紙に近いものが生まれ(前漢時代)、後漢の頃、蔡倫らに

よって紙が誕生した。

次に墨。

紀元前4000年頃に赤や黒の色を使って彩陶されていたが、これらは赤土や黒鉛等が

顔料として使われていた。

この黒鉛が墨の起源と考えても良いかと思う。

殷の時代になって甲骨文などに墨を使ったと思われるものがあり、どのように作ら

れていたかは分からない。

ただ、紀元前2世紀頃には墨片や丸い硯のようなものがあったようだ。

墨といっても丸い塊で、丸く凹んだ石の上で水を加えて磨り潰すようにして使って

いたと思われる。

漢代になると松を燃やして作った松煙を丸く固めた丸墨を磨りつぶして使ったよう

である。

宋の時代、墨を一枚・二枚と数えていたことから、この頃には板状の形になったの

であろう。

その後、三国時代には墨の製造が盛んになり、唐代には舟のような細長い形のもの

が出来、明の時代には油煙の墨が多くなって形も色々のものが作られるように

なった。

最後に硯。

硯として現存しているのは、秦時代の前と推定されるもので、卵型平板の石硯で

ある。

今の硯のような意味を持ったものは漢代頃に出て来るが、この頃のものは硯の下に

台(足)が付いていた。

更に、漢代には石の硯以外に陶器の硯や銅の硯も作られている。

ただし、この頃の硯は硯で直接墨をするのではなく磨石具といわれる墨を磨り潰す

道具と共に使われていた。

硯が現在のように直接墨をする道具として使われるようになったのは、三国時代ぐ

らいからである。

固く焼かれた陶器の硯も生まれた。

唐の時代頃までは石の他に陶器や銅の硯も多く用いられ、やはり足の付いた形のも

のが多かったようである。

唐代になって端渓・歙州など硯に適した石が現われ、鋒鋩が良く耐久性があったの

で大いに用いられるようになり現在の形に近いものが作られるようになった。











殷の紂王は紀元前1,100年頃の人物。

世界史的にはバビロニアの王、ネブカドネザル2世が作ったとされるバビロンの

空中庭園。

王妃の為に作った世界初の植物園兼動物園が思い浮かぶが、その彼も紀元前600年

頃の人物で紂王の方が古い。

殷の紂王の悪行は夏の桀王【前1,819年~前1,766年】の丸写しだという説もある。

つまり紂王を滅ぼした周の武王が自らを正当化するためにでっち上げたものという

事である。

だとしたら宮殿内に動物園を作った最初の暴君は夏の桀王だったという事になるの

かも知れない。

動物を大切にすることが暴君の要素になるというのは現代人には中々分かりかねる

が、史記には衛の懿公【前660年】が愛鳥家で軍備より鳥を大切にし庭園を造って

放し飼いにしたため、民衆は王の奢侈に怒り防衛を拒絶したため懿公は蛮族の襲撃

に敗れ鳥と共に死に絶えた、という話がある。

日本でも徳川綱吉が犬将軍として蔑まれた実例があるし、過去に於いてはペットを

大切にするという行為はかなりの贅沢な奇癖とされていたという事になる。





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2018年01月20日

  柔らかさが実感できる


この日はハヤシライスを作る事にした。

使ったのは三種類のルウ×2であった。


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この日の材料は『業務スーパー 枚方高田店』で買って来た極々普通の国産牛

約3.0㎏と玉葱とじゃが芋であった。


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この日も鍋2杯のハヤシを作った。

材料をいつもの大きな鍋の中にルウと一緒に入れた。


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後は鍋が勝手に美味しく作ってくれるのであった。

そんな感じのハヤシライス。


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スタッフの皆と一緒に食べるハヤシライス。

これがむちゃくちゃ美味しい。

ほんまにえげつないほどに美味しいのであった。

19歳でまだ未成年だが居抜き物件で深夜食堂を経営したいと考えている。

従業員は雇わずメニューは殆ど簡易な物。

冷蔵庫や食器などは前使っていた物を使うつもり。

①かかる費用は上記と別途でなにが必要か。

②未成年でもお酒は提供できのか。

ダメな場合どうしたら提供できるのか。

③主なリスクは。

①税金。

雇われる側だと会社が税務処理をしてくれるけど経営者に成るわけだから消費税や

法人税などの税務処理を自分でやるか、税理士事務所にお金を払ってやって

もらうか。

税を計算に入れると、法人(会社)を立ち上げて申請書類を提出しないと、

赤字に成る。

会社の形を取らないと、仕入れに掛かる費用が必要経費として認められない。

会社を登記する書類作成の費用が20万ぐらいは掛かるだろう。

②午前0時を超えて酒を出すには風営法の許可が必要で、結構面倒くさい手続きが

あったはず。

毎月深夜の営業時間中に検査が入って違法な営業をしていないかチェックされる。

通常の飲食店より風営法の監視下だと厳しいチェックが入って、最悪、営業停止

処分が下される。

例えば、条例で18歳未満の22時以降の深夜徘徊が禁止されているのに、その時間帯

に店で未成年が食事をしていたらアウト。

かと言って、飲食店で客に18歳以上であることを示す身分証の提示を求めるという

のも現実的ではなく面倒な部分は色々あると思う。

③居抜きは以前の店が潰れた理由がその土地にあるはず。

競合する店が密集しているとか、逆にお客さんの流れがない店の前の道路に通行人

がいないとか。

その理由を明確にした上で対策を練らないといけない。

居抜きは潰れた店の悪いイメージを払しょくするために、内装・外装は総入れ替え

するのが普通。

黒い外壁なら白に改装して評判が悪くて潰れた以前の店とは全く違う新しい店に

生まれ変わった印象を作る。

内装外装を総入れ替えする費用を掛けるのか元の潰れた店のイメージを引きずって

営業するのか。

普通は自分がやりたい店に近い業態の店で一年以上働いて、ノウハウを身に付けて

からの出店に成る。

従業員を雇わず一人で調理と接客の両方をこなすのは大変だと思われる。

調理側:仕込み・調理・盛り付け・皿洗い。

接客:水を出して、注文を取って、注文を調理場に通して、料理を運んで、

会計をして、皿を下げる。

食品衛生法的に接客でお客さんが出した札や硬貨を触って調理場に戻る際には、

一度消毒液で両手を手首の上の方まで丁寧に消毒しなければいけない。

食券を売る券売機設置でその手の手間は省けるがメニューの品数が券売機の

スペックに合わせて20品ほどに成ってしまう。








昨日のお昼に用意されたのは『ステーキハウス 三ツ川』と言うお店の

『ステーキ&ハンバーグ弁当』であった。


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ステーキ&ハンバーグ弁当


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ステーキとハンバーグは入った典型的な贅沢弁当であった。

味わいも結構なお味でこれならリピートしてもええと思った。








『万代宇谷店』で買って来た焼き豚を使った焼き飯を作った。

それをおにぎりにした。


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この焼き飯のおにぎりが無茶苦茶最高に美味しいのであった。








『トップワールド香里園店』で鰻専門店の『魚伊』の鰻の蒲焼きを買って来た。


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あっつあつの御飯の上に『魚伊』の鰻の蒲焼きを乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

『魚伊』の鰻の蒲焼きは真空パックに入っている。

その袋を開けた瞬間から美味しい香りが立ち込める。

箸を入れた瞬間から食べる前から柔らかさが実感できる。

口の中に入れると余りの柔らかさに喜びを覚える。

『魚伊』の鰻の蒲焼きは無茶苦茶最高に美味しいのであった。








『万代寝屋川宇谷店』でマグロの切り身を買って来た。

マグロを漬けにした。


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とりあえず炊き込み御飯を作った。


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炊き込み御飯の上にマグロの漬けをトッピングした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

全く高級でない極々普通のマグロではあるがそれを漬けにする事で食感に高級感が

生まれる

このマグロの漬けと炊き込みご飯が絡み合って最高に美味しいのであった。








今週のおかず。





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ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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揚げ餃子が最高に美味しいのであった。








『第25回 ハラミ真理教の会』があったのは先週の土曜日。

あっと言う間に一週間が経った。

次回は10月13日の土曜日。

来週にドン引きタツジへ連絡する。

時間と場所は今回と全く同じ。

そんな感じ。








そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。






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大学入試に出る内容。

インドの王朝は正確な年代が不明な為年号の暗記は不要。

(試験にも出ない)

【マウリヤ朝】

○正式名称は「マウリヤ朝マガダ国」。

○チャンドラグプタがナンダ朝マガダ国を倒して建国したインド初の統一王朝。

○都はガンジス川中流域のパータリプトラ。

○初めてガンジス川流域からインダス川流域に及ぶ大国を建設したが南部は

支配できず。

(つまり全土統一はしていない)

○アショーカ王の時に全盛期を迎えた。

○アショーカ王が仏教を保護し(当初は仏教を弾圧していたがカリンガ戦争を

契機に仏教に帰依)、法(ダルマ)を普及すべく各地に石柱碑(石柱碑の台座の法輪は

現在のインド共和国の国旗に使用されている)・磨崖碑を建てた。

さらにブッダの遺骨を納めたとされる仏塔(ストゥーパ。特にサーンチーの

ストゥーパが有名)を各地に建てた。(このストゥーパは法隆寺五重塔に影響を

与えた)

第1回仏典結集。

(パーリー語を使用)を行い、息子のマヒンダをセイロン布教に行かせた。

後にセイロンから東南アジアのミャンマー・タイ・カンボジア・ラオスに上座部仏

教が伝播した)

○マウリヤ朝滅亡後、インド北西部にギリシア系のバクトリアが建国、バクトリア

は大月氏に倒され、大月氏の支配下からクシャーナ朝が起きインドに進出する。

【クシャン朝】

○中央アジアのイラン系民族の王朝で建国者はカドフィセス1世。

○都はガンダーラ地方の中心地プルシャプラ。

(現在のペシャワール)

○カニシカ王が仏教に帰依し仏教を保護した。

○ヘレニズム文化とイラン文化と中央アジアの文化が融合してガンダーラ美術が

開花した。

ガンダーラ美術で初めて仏像が作られた。飛鳥・天平文化に強い影響を与えた。

○仏教の革新運動としてナーガールジュナが登場し大乗仏教(菩薩信仰。ヘレニズ

ム文化の「世界市民主義=コスモポリタミズミ」の影響を受けている)が

成立した。

(後にシルク=ロード経由で中国・日本に伝播。ヴェトナムは中国の長い支配を受け

た為に大乗仏教国)

従来の仏教を「個人の解脱のみを目標としている」として「小乗仏教」と

蔑視するが、「小乗仏教」側は自ら「上座部仏教」と名乗る。

(現在は「小乗仏教」は使用していない)

第4回仏典結集(サンスクリット語を使用)を行った。

なお、インドネシアのジャワ島にあるボロブドゥールの仏塔は大乗仏教遺跡。

○クシャーナ朝時代は地中海をローマ帝国が支配していた時代で、ローマ帝国の

支配下のギリシア人商人がペルシア湾からアラビア海に進出し季節風貿易を

展開した。

○シルク=ロード交易を促進した。

○ササン朝ペルシアに圧迫され衰退した。

【グプタ朝】

○正式名称は「グプタ朝マガダ国」

○チャンドラグプタ1世がインド人の王朝として建国。

○都はパータリプトラ。

○チャンドラグプタ2世の時に全盛期を迎えた。

彼の下に東晋僧法顕が訪印し仏教を学んだ。

(往路は陸路、復路は海路を利用。帰国後に『仏国記』を著した)

○純インド風のグプタ様式の文化が栄えた。

特に美術の面ではアジャンターやエローラの仏教美術が開花し石窟寺院が

作られた。

(アジャンタの石窟寺院に描かれた壁画はは白鳳文化期の法隆寺金堂壁画に強

い影響を与えている)

○仏教も保護され仏教を学ぶナーランダ僧院が作られた。

○サンスクリット語が公用語となり、サンスクリット文学が最盛期を迎えた。

二大叙事詩の『マハーバーラタ』・『ラーマーヤナ』の原型が完成した。

カーリダーサが戯曲『シャクンタラー』と抒情詩『メーガ・ドゥータ』を著した。

他に説話集『パンチャタントラ』も完成してインドだけではなく東南アジアや

西アジアの説話文学に影響を与えた。

○バラモン教がヒンドゥー教として生まれ変わり登場して民衆に信仰されて

行った。

ヒンドゥー教は多神教で、三大神として、ブラフマー(宇宙・世界に実存。実在の

場を与える神)・ヴィシュヌ(宇宙・世界の維持、平安を司る神)・シヴァ(宇宙・世

界を創造しその寿命が尽きた時に破壊・破滅を司る神)が崇拝された。

なお、カンボジアのアンコール=ワットは当初ヒンドゥー教の寺院、後に上座部仏

教の寺院となった。

○『マヌ法典』が完成しヒンドゥー教の経典となった。

○エフタルに圧迫され衰退した。

【ヴァルダナ朝】

○正式名称は「ヴァルダナ朝マガダ国」

○ハルシャ=ヴァルダナが建国し彼一代で滅びた。

○都はガンジス川中流の現在のカナウジ。

○唐僧玄奘が訪印してナーランダー僧院で学んだが仏教は衰退期に入っていた。

(往路・復路も海路を利用した。玄奘は帰国後『大唐西域記』を著すが、これを

ベースに明代に小説『西遊記』が完成した)

○滅亡後インドは分裂期に入り唐僧義浄が訪印した。

(往路・復路も海路を利用した。帰国後『南海寄帰内法伝』を著した)

○後にイスラーム教徒が侵攻してイスラーム化が進みヒンドゥー教徒との対立が

始まった。











マヌ法典は紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけて成立したと考えられている法典で

12章からなりバラモン教、ヒンドゥ教の教義を表したもの。

伝説では創造主ブラフマーの子供で人類の始祖とされるマヌが表したと言われる。

特にバラモンの上位の身分を基底にしていてカースト制度の確立されたものとして

知られる。

実際に成立の基本になったのはヴェーダのマナヴァ派という一派と言われ、

その律法に沿う形で書かれている。

前述のように12章構成で法律的規定、宗教規定、道徳規定、宇宙論、輪廻・解脱な

どが書かれていて、各カーストの権利、義務が表されている。

このマヌ法典がヒンドゥ教の教えの根本になり未だ現代のインドの思想にも消えず

に残っている。











髪は、日に0.3~0.5ミリの割合で伸びる。

これを伸びるに任せ、頓着せずにいると、ぼさぼさの蓬髪となる。

好まれるかどうかは別として、この生え放題の蓬髪が、いわば最も自然なヘアスタ

イルではある。

その対局にあるのが剃髪である。

これは、自然に生えてくる髪をきれいに剃ってしまうのだから、考えようによって

は、最も不自然なヘアスタイルである。

だが、不自然であるだけに、メッセージ性が高いとも言える。

僧侶が剃髪するのは、釈尊が出家時に剃髪されたことに由来するが、剃髪はなにも

仏教に特有のものではなかった。

髭髪を剃って出家するというのは、当時、バラモン教以外の出家修行者(沙門)に

共通した習俗だった。

現在、禅宗の僧堂などでは五日ごとの剃髪が規定されている。

たとえば京都の東福寺では、四九日といって、四と九のつく日に頭を剃るという。

しかし、もともとは、それほどこまめに剃ったものではない。

律典には、剃髪の期間が「半月に一度」(『五分律』)とか「二ヶ月に一度」

(『四分律』)とか記されているが、「世尊は四ヶ月に一度髪を剃られた」

(『摩訶僧祇律』)という伝承もある。

四ヶ月に一度ということになれば、スキンヘッドの期間はほんのわずかである。

彫刻や絵画の世界で、剃髪した仏陀像というものがひとつも伝わっていないのは、

あるいは、そのせいかもしれない。

実際、仏弟子のなかで頭陀第一と称えられた摩訶迦葉(マハーカッサパ)などは、

髭も髪もぼうぼうに伸び放題のまま法座に侍ったこともあるが、釈尊はそれを一言

も咎めてはおられない。

やれ二寸までだの、いや指二本分までだのと、うるさいことを言うようになったの

は、ずっと後のことである。

心は形を求めるというが、では、剃髪という形を求めた心は何だったのか。

それは、社会を捨てるという決意、社会の枠組みの外に出るという決意だった。

というのも、社会という枠組みの内側は、「蓄髪」した世俗人の世界だったからで

ある。

当時は、「バラモンは、どんな罪を犯しても殺されることはなく、死刑の代わりに

剃髪して追放された」(『マヌの法典』)。

つまり、当時のバラモン社会では、剃髪には死刑の代わりに規定されるほどの意味

があり、罪人は、剃髪されて社会から捨てられたのだ。

そういう事情だったからこそ、出家者は、自ら剃髪することで、社会を捨てること

ができたのである。

本来、坊主頭のメッセージは、社会の枠組みの外にあるというものである。

つまりは、自ら剃髪して社会を捨てた「出家」か、強制的に剃髪されて社会から

捨てられた「罪人」を意味する。

坊主頭に、聖邪、明暗、好悪、正負といった相反するイメージがつきまとうのは、

そのせいである。

ただし、自ら剃髪したからとて「出家」とは限らない。

スキンヘッドには、校則に縛られた中学生も、賭に負けた人も、その筋の面々も

いる。

心は形を求めると言ったが、逆は必ずしも真ならずである。

坊主頭の胡散臭さは、このあたりにある。

鴨長明の歌に、「剃りたきは心の中の乱れ髪、つむりの髪はとにもかくにも」と

ある。

自ら剃髪せんとする人は、大いに味わうべき歌かと思う。




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2018年01月19日

  episode-117 「海老フライランチ」


野球殿堂入りを決める野球殿堂博物館の表彰委員会は15日、競技者表彰のプレー

ヤー表彰に巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(43)、現阪神監督の

金本知憲氏(49)を選出。

松井氏は43歳7カ月での選出となり、45歳4カ月で選ばれた野茂英雄氏を

抜き、史上最年少での殿堂入りとなった。

松井秀喜ってやっぱり凄いな。

昨夕そんな事を考えていた。

すると江戸っ子どんと姫がここにやって来た。


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そして「お疲れ様です」と言って私の横に勝手に座りやがった。

私が「史上最年少やな」と言った。

江戸っ子どんと姫「エトヴィン・フィッシャー(Edwin Fischer, 1886年10月6日

 - 1960年1月24日)は、スイス出身、主にドイツで活躍した名ピアニストで、

すぐれた指揮者、教育者でもありました。

バーゼルに生まれ、同地でハンス・フーバーに師事、1904年にベルリンに移り、

シュテルン音楽院でマルティン・クラウゼに学びました。

したがってクラウディオ・アラウとは同門ということになります。

翌年には早くも同校の教授となり、1914年まで勤めました。

後にはベルリン高等音楽院の教授にも就任しています」と言った。

私が「へ~っ、クラシック音楽にも精通しているんや」と言った。

江戸っ子どんと姫が「この辺は、ドン引きタツジさんとは違いますから」と笑い

ながら言った。

私が「ところで、野球には興味はないんか」と言った。

江戸っ子どんと姫が「愛媛県松山市グルメ&土産についてです。

松山のB級グルメ、お勧め飲食店、土産など松山のグルメや土産に関してです。

松山の地元B級的料理となれば……。

①鍋焼きうどん……店は「アサヒ」と「ことり」が知られてます。

店は二つは極めて近く、市内中心部の銀天街商店街から直ぐです。

夏に食べても美味しいです。

②三津浜焼き……一見広島風お好み焼きです。

店は松山港付近の三津浜地区になんだかんだあります。

人気店は「日の出」かと。

③かめ風焼きそば……夜の店になりますが飲食街の真ん中辺りにある「じゅん」で

いかがでしょうか。

これより松山でも食べれる愛媛地元グルメです。

①鯛飯……宇和島方面の鯛飯刺身即席ズケ丼タイプと瀬戸内海側の釜飯タイプの

二種あります。

宇和島風は道後温泉商店街や松山城麓の通称ロープウェー街に複数あります。

②じゃこ天とじゃこカツ。

さつま揚げみたいな感じなんですが、さつま揚げみたいに甘くなく原料の魚が

違っています。

揚げたてなら、道後温泉本館斜め前の谷本蒲鉾店道後店でいかがでしょうか。

隣には地ビールの道後麦酒館があります。

宿泊が道後でなく中心部なら、三番町通りの「五志喜」で愛媛の郷土料理、お酒が

いけるなら一番町通りの酒造組合のアンテナショップ「蔵元屋」で地酒です。

ただしスタンディングですから長居は無理です。

松山の滞在が金曜土曜となら、土曜の昼過ぎ辺りから中心部の大街道商店街の土曜

夜市が始まっているかと思いますのでそちらに三津浜焼きの露店も出てるかと。

愛媛ものではありませんが、「セラフィーナニューヨーク」と「サルバトーレ

クオモ」の松山店も一番町通りにあります。

松山まで来てピッツァもないかと思いますが。

さてお土産候補で松山で購入できる県産物です。

【菓子類】

タルト……メーカーが様々。

例えば、六時屋、一六、ハタダなど。

坊っちゃん団子、母恵夢、山田屋まんじゅう、霧の森大福。

(ロープウェー街に松山店)

【他の食べ物】

じゃこ天、松山揚げ、削り蒲鉾、柑橘のゼリー、五色素麺。

【食べ物以外】

砥部焼、今治タオル。

以上です」と言った。

私が「ところで、最近の売り上げはどうなん」と聞いた。

江戸っ子どんと姫が「今のところは何と頑張れています。

この調子でなんとかノルマーを達成したいと思っています。

この前早子町にある『ディセット』に行って来たんです。

ここは落ち着いた大人のビストロです。

わたくしはいつも“ビストロランチ”を注文しています。

“ビストロランチ”は多くの人が注文します。

わたくしがお店の中に入った瞬間死んでしまいそうなぐらいにえげつない悪臭が

したんです。

お店の中を見るとなんとあのハゲでエロの越後のちりめん性行為が奥のテーブル席

に座りながら真面目な顔をして生意気に“海老フライランチ”を食べているん

です。

あのハゲの越後のちりめん性行為が普通の真面目な顔をして食事を普通にしている

姿を見てわたくしは真剣に驚きました。

本当にびっくりしました。

あのハゲ頭の存在そのもので仁義愛将軍様の下痢便が虹の空に注がれると言う物

です。

わたくしは心の中で“ざっ!けんなよ!!このハゲ~!!”と叫んでいました。

わたくしは気づかれない様に別の席に座ったんです。

すると“やーっ”と言って、ハゲ頭の越後のちりめん性行為がトレーを持って

わたくしの横に座るのです。

横ですよ。

普通は向かいに座ると思うのです。

常識の微塵も感じられないハゲの越後のちりめん性行為の行動には呆れるばかり

です。

フライング・ニールキックでもくらわしてやりたいと思いました」と言った。

私が「フライング・ニールキックって。

なんじゃーそれは。

プロレスの技やんけ。

でも、何となく言いたい事は理解出来る」と言った。

江戸っ子どんと姫が「越後のちりめん性行為の余りのキショクの悪さに吐きそうに

なります。

わたくしが越後のちりめん性行為にちょっと聞いてみたんです。

“ねえ、ねえ、越後のちりめん性行為さんはどうしていつも2010年のアメリカ合衆

国のホラー映画である『インシディアス』のダルトンみたいな顔をしているん

ですか”って。

すると越後のちりめん性行為さんが“ダルトン顔には天才肌が多いんだ。

ダルトン顔は天性のものなんだ。

ジョシュとルネの夫婦は3人の子とともに新居に引っ越してから、屋根裏から物音

がするなどといった怪奇現象に見舞われた。

そんなある日、長男のダルトンが梯子から落ちて昏睡した。

しかし、ダルトンの身体に異常はなく、昏睡の原因ははっきりしなかった。

この新居が呪われていると考えた夫妻は別の家に引っ越すも、怪奇現象はおさま

らず、霊媒師や牧師に依頼しても事態は悪化していく一方だった。

僕の様な天才肌は最高のオナニーの道具(究極のアダルトグッズ)である

『TENGAバキュームコントローラー』を使って最強に興奮しながら大量に射精す

るんだよ。

僕の様なダルトン顔の天才肌が『TENGAバキュームコントローラー』を使いこなす

って凄いと思わないか。

『TENGAバキュームコントローラー』を使いこなすのは世間では僕だけだよ”と

意味不明な事をぬかすんです」と言った。

私が「ダルトンって。

何が言いたいのか全く理解出来ないな」と言った。

江戸っ子どんと姫が「越後のちりめん性行為さんはハゲ頭のアホみたいなピコ

太郎だと思いました。

アホみたいな顔をしたドン引きタツジさんは相変わらずクソ面白くありません。

それに会社の廊下でよく転んでいます。

わたくしはこのまま頑張って突っ走ります」と言って拳を突き上げた。


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相変わらずこのくだりがクソ面白くなくて笑いにもならない。

そう思った瞬間、沈黙となった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はカレーを食べる事にした。


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冷奴を食べながらのカレーが最高に美味しいのであった。











その後のほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は『セブンイレブン』でハンバーグ弁当を買って来た。


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一人だけの晩御飯。

まさに『孤独のグルメ』なのであった。

噂通り『セブンイレブン』の弁当も中々美味しいのであった。











総合スーパー(GMS)衣食住製品を幅広く扱う大型店舗>>中規模スーパー

(SSM)とはスーパースーパーマーケットの略で、食品と日用雑貨を主に

扱う>>小型スーパー(SM)スーパーマーケットの略で、食品を主に

一部日用品を扱う店舗のこと。

総合スーパーの上位に、超大型SCで(RSC)リージョナル型ショッピング

センターと云われる、現在主流のモール形式のショッピングセンターが

存在する。





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h_t_tomoto at 06:31コメント(0) 

2018年01月18日

  鶏ガラスープの提供


その後京阪香里園駅前まで移動した。

そして向かったお店は『うまいもん酒場まっさん』であった。


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ここは越後のちりめん性行為の女性先輩の旦那がやっている居酒屋である。

店内に入るとほぼ満席状態であった。

我々は中央辺りのテーブル席に座った。

早速注文をした。

注文は、炙りシメサバと出汁巻き玉子であった。

直ぐに瓶ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!


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炙りシメサバと出汁巻き玉子

気軽には入れてそれなりに料理が美味しい。

この気軽にが一番ええと思っている。

サービスに鶏ガラスープが提供された。

飲んだ瞬間俺は店主に向かって『これならあったかいお茶の方がええですわ』と

言った。

〆のサービスに鶏ガラスープって。

越後のちりめん性行為も変わっているけど……。

まあー、ええわ。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『うまいもん酒場まっさん』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は海鮮鍋をした。


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入れたには、海老、鮭、鱈であった。

まだまだ寒いから。

鍋が一番美味しい。











セブンイレブンに限らずコンビニの店舗は直営店とFC店がある。

直営店舗はその名の通り、セブンイレブンが直に経営している店舗でここで働く

人達の店長は幹部候補の社員。

だから店長はスーツ姿らしい。

FC店はいわば個人商店と同じで名前や商品に「セブンイレブン」という看板を

使わせてもらっているだけ。

コンビニのほぼすべてはFC店。

FC店というのは必ず夫婦がオーナーにならなければならず、アルバイトがいない時

は夫婦かもしくはその子供など家族がやっている。

大体退職金をつぎ込んで始めるケースが多いので年配の夫婦がやっていることが

多い。

アルバイトは売上が上がっている時は雇えるが赤字の場合は雇えない。

するとオーナーがやる必要がある。

24時間営業なので休む事ができず夫婦が体を壊すケースも多い。

要は個人商店をやりたいけど名もない個人商店では売れないからセブンイレブンと

いう名前を借りている訳。

それで定期的にセブンイレブンの本部の社員が「ああしろ、こうしろ」と指図して

きて来る。

ノルマもある。

また看板貸し料としてセブンイレブンに売り上げの30~50%持って行かれる。

セブンイレブンなどのコンビニはノルマがある。

ノルマというのは基本的に1月のおせち、2月の恵方巻き、7月のうなぎ、12月の

クリスマスケーキは有名。

オーナーによっては沢山買わされたりひどい所もあるので性格をしっかり見極める

べき。

自腹購入した人が食べきれずに近くの(流石に自分が働いている店舗には捨てられ

ないから)コンビニのごみ箱に捨てられる事が日常茶飯事の所もある。

一応、FCとはこういうものだという事を覚えておくといいと思う。






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インドで仏教が終わりヒンズー教に変わった。

仏教の衰退は7世紀後半から8世紀前半だと考えられる。

アジャンター石窟が開削途中で放棄されてる(仏教のパトロンがヒンドゥー化

した)のと、その前後からインド人僧が東南アジアやチベット、中国に向かって

いること、ガンダーラ以西でのイスラム化が始まっていることが証拠になる。

北インドでは、ヒンドゥー主義、つまり「汎インド主義」が台頭するが、これは

全インド宗教も共同してイスラム化を阻止しようとした外的要因もあったの

だろう。

インドで仏教が消滅したのは、密教を保護していたパーラ朝が12世紀になって

イスラムの攻撃を受け、ベンガルに残っていた3大寺院が焼き討ちされた時、と

される。

しかし、南インドに逃れたヒンドゥーの亡命王朝が、ハンピに仏教寺院を建立して

いるから、完全に滅亡したのはしばらく経ってから、という事になる。

ヴィクラマシーラ、パハールプル、ジャガッタラ。

ナーランダのパーラ系寺院。

アジャンタやエローラ石窟。

ハンピの寺院跡。

アフガンのイスラム化は、銘文が残る仏塔の一部が発見されている。

バーミヤン遺跡でのイスラム化は8世紀前半。

ハルシャ・ヴァルダナ(戒日王)は、古代インド、プシュパブーティ朝の王。

ベンガル王シャシャーンカに討たれた兄ラージュヤ・ヴァルダナの跡を継ぎ、

姻戚関係にあったマウカリ朝を併合して、ガンジス川流域北部にカーニヤク

ブジャ(現カナウジ)を首都とする王国を確立した。

アッサム王バースカラヴァルマンや西インドのマイトラカ朝と同盟してシャシャー

ンカと争いグジャラートからオリッサに至る北インドの広範囲に影響を及ぼした。

デカン遠征も企てるが、チャールキヤ朝のプラケーシン2世に阻まれる。

この時期にインドを来訪した玄奘の記述から仏教を保護した事が知られ、また幾編

かのサンスクリット文学作品(『ナーガナンダ』など)の著者でもあった。

彼の死後、王国はまもなく崩壊した。

玄奘と義浄の違い。

大きな違いは玄奘が訪印した際にはハルシャ=ヴァルダナ国王に厚くもてなされて

仏教を勉強し沢山の仏教書を持帰って着いたが、「柳の下の二匹目のドジョウ」を

狙って訪印した義浄の時にはヴァルダナ朝も滅亡し分裂時代になっており、誰から

も厚くもてなされなかった事。

大学入試の用の暗記法として、「インドに行くも誰もおらず、行った甲斐もなく

チキショー!」

つまり、「インドに行くも誰もおらず(分裂期)、行った甲斐(往復とも海路。

『南海寄帰内法伝』)もなくチキショー(義浄)!」になる。





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h_t_tomoto at 06:28コメント(0) 

2018年01月17日

  マグロのトロ


『焼肉 浦江亭 福島店』にて一応『第25回 ハラミ真理教の会』は終了である。

その後私はドン引きタツジと二人で飲み歩きをした。

先ずはJR環状線に乗って京橋まで移動した。

そして向かったお店は『焼肉やっちゃん京橋店』であった。


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今日は事前に予約は入れていなかった。

JR環状線の京橋を降りてからドン引きタツジが電話を入れた。

『もしもし、今から二人で行きたいのですが、空いていますか。

空いているんですか。

それでは今から直ぐに行きます。

はい、はい。

的屋のたっちゃんと申します』

こんな感じで席を確保した。

実際は的屋のたっちゃんではなくて的屋のたっちゃんの本名を名乗った。

店内に入るとほぼ満席状態であった。

『よー、入れたな』とつぶやいた。

我々は奥のカウンター席に座った。

早速注文をした。

注文は、上塩タン×300ℊであった。

直ぐに生ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!


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上塩タン

焼き始めは網の端っこに乗せてタンの芯をゆっくりとあっためるイメージを持って

優しく乗せる。

そろそろかと思ったらタンを網の中心に移動させて一気に焼き上げる。

するとまるでマグロのトロを食べている食感になる。

これはこのタンが余りにも新鮮過ぎるから生まれる食感と旨味なのである。

これ程の新鮮なタンは中々出会えないのではないかと思っている。

タンだけ目的もお店に大変失礼な行動とは十分に自覚はしているが。

しかしそれ程に美味しいタンなのである。

『焼肉やっちゃん』に来ればとりあえずのタン。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『焼肉やっちゃん京橋店』であった。





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ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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鯛の塩焼きが無茶苦茶真剣に美味しいのであった。











日々平凡でなんら心配事などなく生活できている。

ところが一旦なにかトラブルがあると滅茶苦茶動揺してしまう。

先週の金曜日やった。

家に帰ってみると車庫のシャッターが全く動かない。

直ぐに業者に電話を入れた。

結局2時間ぐらいでシャッターは普通に動く様になった。

シャッターにブロックがかかったみたいで原因は不明のまま。

油などの補強で今までよりもシャッターの動く音が静かになった。

しかし動かなくなった瞬間はどうしたらええのかと一瞬パニック状態になった。

普段から平和な生活を送っているからちょっとした事でパニクってしまう。

原因の一つはこう言う事態に慣れていない事だ。

それは超短気な性格がそうさせるのだと思う。

のんびりと身構える事が苦手だ。

ちゃっちゃと行動を起こさなければ気が済まない。

と言っても、多くの者にとってはいろいろなトラブルに慣れていないのが

当たり前だろう。

慣れたいないからどう対処していいのかが分からない。

身近で一番多いのが交通事故だろう。

いろいろなトラブルを想定しながらある程度瞬時に対処出来る様にしておく。

と言いながら、シャッターごときでいちいちパニクるとは。

いやはや。

おそまつな瞬間やったわ。










今日は1月17日。

あれから23年になる。

当時、俺は尼崎市に勤務していた。

命と触れ合う17日の朝は雨で明けた。

6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災から丸23年。

発生時刻の午前5時46分に合わせ、被災各地で追悼行事が営まれた。

俺はこの震災の日に合わせて、平成17年1月17日からタバコを止めた。

阪神・淡路大震災。

一生忘れない。

『幸せっていったいなんなんや』と真剣に考えてしまう。





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チャンドラグプタ1世およびチャンドラグプタ2世はグプタ朝の王。

チャンドラグプタ1世がグプタ朝の創始者で2世は3代目で最盛期の王。

マウリヤ朝の場合、歴代王の中でチャンドラグプタの名を持つ者が初代しかいな

かったから、わざわざチャンドラグプタ1世と呼ぶ必要性がない。

一方グプタ朝は、チャンドラグプタの名を持つ王様が2人現れたため、区別する

ためにチャンドラグプタ1世、チャンドラグプタ2世と呼んでいる。

あと、マウリヤ朝とグプタ朝は成立した場所こそ北インドと同じだが、時代も違う

し関連性も一切ない全く別の国家なのでマウリヤ朝にチャンドラグプタという王が

いたからと言ってグプタ朝の創始者であるチャンドラグプタを2世とカウントする

のはおかしい。

あくまでグプタ朝における初めてのチャンドラグプタだからチャンドラグプタ1世

と名乗っている訳である。

アジャンターやエローラの石窟寺院はわざわざグプタ朝の領域外に造られた。

どちらの遺跡も「最初に作ったのはグプタ朝の人ではなかったから」である。

サータヴァーハナ朝(~AD230)

→ヴァーカータカ朝(250頃~500頃)

→前期チャールキヤ朝(543~753)

→ラーシュトラクータ朝(753~973)

→後期チャールキヤ朝(973~1189)

……

というような感じで支配者が入れ替わっている。

アジャンターで最初の石窟寺院が作られたのはサータヴァーハナ朝、エローラの方

は前期チャールキヤ朝の時代になる。

※グプタ朝など日本で名前をよく目にする王朝の多くは、ヒンドスタン平原やイン

ダス川流域など「インド北部を本拠地とする」諸王朝になる。

ただ、グプタ朝の最盛期(5世紀前半)には、アジャンターの辺りが一時的にグプ

タ朝に征服されていたようだ。

また、それを抜きにしても、グプタ朝などヒンドスタン平原の諸王朝とマハーラ

シュトラの諸王朝は国境を接する関係にあった訳だから、グプタ朝の美術的な影響

を受けていたとしても、おかしい話ではないと思う。

①グプタ様式の仏像は、クシャーナ朝時代のガンダーラ様式(ヘレニズムの影響を

受けてギリシア風の彫刻が主流)と異なり、ギリシア的要素は一掃され、純インド

風の表現となっている。

つまり、ゾロアスター教の善の神アフラ=マズダの像は全く受けていない。

②法隆寺金堂の壁画にも影響を与えたのは、「アジャンター石窟寺院にみられる

グプタ様式の仏像」ではなく「アジャンター石窟寺院にみられる壁画」である。

③ゾロアスター教の善の神アフラ=マズダの像が影響を与えた像はない。

ゾロアスター教自体は、「最後の審判」がユダヤ教・キリスト教・イスラーム教等

の一神教に大きな影響を与えている。

また、創始者のゾロアスターは、「ザラスシュトラ=スピターマ」が本名で、

ニーチェの著作『ツァラトゥストラはかく語りき』の影響から「ツァラトゥス

トラ」として有名になっている。





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h_t_tomoto at 06:29コメント(0) 

2018年01月16日

  本格的な味わい


その後向かったお店は『焼肉 浦江亭 福島店』であった。


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ここは兎に角リーズナブルな価格で美味しいお肉が頂ける。

店内に入るとほぼ満席状態であった。

ここも事前に予約を入れておいた。

我々は中央辺りのテーブル席に案内された。

早速注文をした。

注文は、ロース、ハラミ、ツラミ、生センマイであった。

先ずは、ドン引きタツジが用意した『ウコンの力』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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ロースとハラミとツラミと生センマイ(生肉の写真を撮るのを忘れた)

柔らかくてジューシーで旨味が凝縮されている。

焼肉本来の本格的な味わいを食する事が出来る。

この味わいがあるからこそJR福島駅界隈で人気の焼肉店だと納得するのであった。

予約を入れないと中々入れない。

それが『焼肉 浦江亭』なのである。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『焼肉 浦江亭 福島店』であった。



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ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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ハンバーグが真剣に美味しいのであった。








またまたほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は豆乳鍋を作った。


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まだまだ寒さが続く。

鍋でも喰わんとやってられんわ。

ほんまに寒いわ。

おまけにふところも寒いわ。(^^♪





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古代インドでは「マウリヤ朝」→「クシャーナ朝」→「グプタ朝」

→「ヴァルダナ朝」と王朝が次々に変遷して行った。

紀元前317年にチャンドラグプタ王がガンジス川下流のアーリヤ人国家・マガダ国

を倒し「マウリヤ朝」を建国した。

首都パータリプトラは元々マガダ国が存在していた地域に置かれた。

マウリヤ朝はアショーカ王の時期に最盛を迎える。

彼はインド南端の半島部分を除き、インド統一を完了させた。

また仏教に帰依し、ダルマ(法)に基づく政治を行った。

各地に石柱碑を設置、第三回仏典結集(仏陀の死後バラバラになってしまった教え

を集約し、統一する)を支援、ストゥーパ(仏塔)建立など積極的に仏教に

介入し、インド南東のスリランカに仏教を布教するまでに至った。

しかし、王の死後マウリヤ朝は衰退し分裂してしまった。

45年になると北西からイラン系クシャーナ族が侵入し、ガンダーラ地方(インダス

川中流域)にクシャーナ朝を建国した。

首都はプルシャプラといい、ガンダーラ地方の中央辺りに置かれた。

この王朝の最盛期はカニシカ王の時代(130年~)である。

彼はローマとの交易を発展させる他、仏教を保護し、第四回仏典結集を実施した。

またこの時期にはガンダーラ美術という仏教美術が盛んになり、ヘレニズム文化

(東方に伝わったギリシア文化がオリエント文化と融合。ローマに大きな影響を

与えた)の影響で数多くの仏像が制作されて行った。

また、小乗仏教に対して大乗仏教が成立するなど、仏教絡みの話題には事欠かな

かった。

王朝の滅亡は245年。

ササン朝シャープール1世によりクシャーナ朝は征服された。

320年。

【チャンドラグプタ1世】がガンジス川中流域を制圧し、グプタ朝(首都はマウリ

ヤ朝と同じくパータリプトラ)を建国した。

本王朝は「チャンドラグプタ」という王の名前からも分かる通り、「インドを再興

しよう」という働きが目立った。

一つ前の王朝が外部から流れ込んだイラン系で構成されたので、マウリヤ朝時期の

あれこれを復活させようとした。

但し、マウリヤ朝のチャンドラグプタ王と血縁関係はなく全くの別人である。

チャンドラグプタ1世。

彼がした事はグプタ朝の建国ぐらい。

wikiにも大した情報が載っていないし学校でも名前だけ覚える程度の存在。

逆に言えば、彼の一番の功績は「純インドを再興しようとしたこと」

これに尽きる。

むしろ覚えるべきはチャンドラグプタ2世の方。

彼はアショーカ王時期の領土を取り返さんと躍起になり、グプタ朝領土を最大にま

で押し広げた。

また東晋の僧・法顕と接見し、仏教を中国に広めるお手伝いをした。

(法顕は『仏国記』を記している)

その他、サンクリット語を公用語とし、5世紀頃には仏学研究所のナーランダー

僧院を設立し……と、数々の「再生」が行われて行った。

本王朝はインド古典文化の黄金時代とされ、サンスクリット文学の発達、二大叙事

詩の完成、更には天文学・文法学・数学(10進法、ゼロの概念)が発展した。

これらはイスラムに伝わり、後に自然科学発達の契機となった。

因みにこれら以外にも、医学や暦法も発達した。

それから、この時期はグプタ美術も興っている。

有名なのがアジャンター石窟寺院やエローラ石窟寺院の壁画で、純インド的な仏教

美術が見られる。

しかし本王朝は480年、エフタルの侵入により衰退し分裂して終末を迎えた。





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2018年01月15日

  第25回 ハラミ真理教の会


1月13日の土曜日『第25回 ハラミ真理教の会』があった。

この『ハラミの会』は平成17年の5月からのスタートである。

早いもので今回で25回目で13年も続いている。

13年も続いている事に改めて感慨深いものを覚えるのであった。

年に2回だけの会だがこれ程長く続くのも珍しいのである。

本当に凄いと真剣に思っている。

一番最初に集まったお店は北新地の『エクウス』と言うイタリアン・レストランで

あった。

このお店は朝山さんの馴染みのお店であった。

あの時は朝山さんとゲゲゲの壷屋が入れ替わりで引き継ぎのタイミングだった。

また親友がカリフォルニアのサンディエゴから日本に帰って来たばかりだった。

ここから物語が始まったって感じだろうか。

そんなゲゲゲの壷屋も2013年の10月から東京へ転勤になったしまった。

ゲゲゲの壷屋の存在があったからこそドン引きタツジや江戸っ子どんと姫の今が

ある訳で……。

そんな感じの『第25回 ハラミ真理教の会』

今回集まった場所はJR福島駅前の福島6南の交差点にある『中華料理 みわ亭』で

あった。


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昨年までは『創作串カツのpancotei』に集まっていたが12月末日で閉店になった。

それで今回から『中華料理 みわ亭』で集まる事になった。

集合時間は5時であった。

私はJR京橋のホームでドン引きタツジと4時40分に待ち合わせをした。

私は4時30分頃に到着した。

するとドン引きタツジは既にそこに立っていた。

流石であった。

Tちゃま倶楽部のメンバーはほんまにめっちゃ時間厳守なのであった。

JR福島駅に到着したのは4時45分頃であった。

そこから『中華料理 みわ亭』に向かった。

私とドン引きタツジは開店の5時前に到着した。

お店の前でいろいろと写真を撮ったりした。

それでも5時前であった。

5時前だったがお店の中を覗いて『ちょっと早いのですが中に入っても

いいですか』と尋ねた。

すると中にいた店主が『どうぞ』と言ってくれた。

それで俺とドン引きタツジは店内に入った。

入り口近くのテーブル席に案内された。

早速注文をした。


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注文は、前菜三種盛り、特製ギョーザ、牛フィレ肉と白葱の強火炒め、牛フィレ肉

とごぼうのオイスターソー、特製エビのピリ辛ソースがけ、エビのチリソース、

春巻き、ソフトシェルクラブの唐揚げ香味ソース、カニ玉の野菜あんかけであった。

先ずは私が持って来た『トップグロンEX』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き瓶ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!

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前菜三種盛りと特製ギョーザと牛フィレ肉と白葱の強火炒めと牛フィレ肉とごぼう

のオイスターソーと特製エビのピリ辛ソースがけとエビのチリソースと春巻きとソ

フトシェルクラブの唐揚げ香味ソースとカニ玉の野菜あんかけ

途中で白ワインの飲んだ。


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全ての料理がほんまに真剣に美味しいのであった。

食べているとリッツやヒルトンの中に入っている高級中華料理店の味わいがする

感じで無茶苦茶真剣に美味しいのであった。

全体的に優しい味わいの中でしっかりとした旨味が凝縮されている。

ここは親友のお薦めの中華料理店。

流石やと真剣に思った。

最後はあったかいお茶で乾杯をした。


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乾杯ー!!

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『中華料理 みわ亭』であった。




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俺はこの日の為に2回『みわ亭』へ下見に訪れた。

一番心配したのは料理が提供される早さであった。

ところが提供される早さは全く心配する事はなかった。

飲み会で中華料理店を使う一番のポイントは食べたい料理を一気に注文しない事だ。

これは絶対にしてはならない。

先ずは3品ぐらい注文する。

それを食べ終えてから『じゃー、次は何を注文しようか』と言う感じで少し考える。

そしてゆっくりと次の注文をする。

その間はいろいろな会話を楽しむ。

折角貴重な時間を使って集まっている会なのだから。

中華定食を食べに来ているんじゃーないんだから。

『ハラミの会』のメンバーとの付き合いは長い。

だから個々の性格や人柄がお互い熟知している。

こいつはいつもこんな感じやって感じ。

俺とドン引きタツジは『中華料理 みわ亭』に向かって歩いていた。

すると後ろから声がした。

振り向くと今日のメンバーの一人の親友だった。

一緒に歩きながら俺は『今日の注文の仕方、ちょっと考えて来たんや』と言って

注文の仕方の例として書いて来たメモ用紙を見せた。

『みわ亭の下見の結果料理は結構早く提供される。

だから、先ずは3品注文して、全て食べ終えてから次の3品の注文をする。

待っている間にいろいろと喋ったりしたらどうか』と言った。

お店の中で親友が『いつも食べたい料理は一気に注文する。

しかもいちメニュー2皿ずつ注文する』と言った。

俺が『そんな食べからしたら、この会、40分ぐらいで終わってしまうで。

ここは2時間を予定しているから。

ゆっくりと食べようや』と言った。

親友が『そうなんや。

家族とここに来た時は早い時は20分ぐらいで食事を終えるわ。

夫婦でお寿司屋に行っても、食べたい物を一気に注文するから、お寿司が来たら

一気に食べるから、早い時は30分ぐらいしかおれへんねん』と言った。

俺は大笑いしならが『そんな食事したら、おそらくやけど、奥さん、

めっちゃ嫌がっていると思うで。

おそらく、口には出せへんだけやで。

絶対に嫌がっていると思うな』と言った。

そして笑いながら俺は『その辺の食べ方、相変わらずやな。

昔から、無言で、むさぼる様にガツガツと食事してたもんな。

何年か前の同窓会のビュッフェの時もむさぼってたもんな。

俺が“よー喰うな”と言ったら、“しーっ!!”と言って人差し指を唇に当てて

いたもんな。

昔からなんも変わらんな。

しゃーけど、ハラミの会だけは、ゆっくりと注文しようや』と言った。

京都のSが20分程遅れた事で最初の注文は4品だけだった。

その4品を食べ終えてから俺が『さてと、次はどれを注文するかな』と言って次の

注文をした。

次の注文をしてもほんと直ぐに料理は運ばれて来た。

俺は『なー、ちゃんと早く運ばれて来るやろーう。

俺は時間のことやらを調整する為に2回も下見をしたんや。

今後はこんな感じで行こうや。

この事、ブログに書いてもええか』と言った。

すると親友が笑いながら『ええよ』と言った。

許可を頂いのでこうして書かせて貰った。

ほんまに楽しかった。

次回は9月か10月やな。

早いうちに連絡するわ。

では、では。。。ニコニコ!!











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はカレーを食べる事にした。


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冷奴を食べながらのカレーが最高に美味しいのであった。








またまたほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はおでんをした。


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全粥を食べながらのカレーが最高に美味しいのであった。





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ヒンドゥー教は古代インドのバラモン教に端を発し仏教やジャイナ教。

後にはイスラム教やキリスト教などの影響を受けて発展し現在に至っているもの。

ヒンドゥー教の基礎が出来上がったのは紀元前300~200年頃のことで、この時点で

は仏教やジャイナ教への対抗心が原動力になっていた。

尚、ヒンドゥー教はインド世界における「民族宗教」であり、開祖によって築かれ

た「創唱宗教」ではない。

つまり、開祖はいないのである。

これは、日本の神道に開祖がいないのと同じ。

1. インドでは、紀元前5世紀頃に新しい宗教として仏教やジャイナ教が興り、

全土に流行した。

それまで主流だったバラモン教は、どんどん力を失い、民衆から支持されなく

なってきた。

そこで、バラモン教の司祭たちは、これら仏教やジャイナ教に対抗するため、

自分たちの宗教を改革して、民衆に人気が出るような宗教につくり変えた

――それがヒンドゥー教のはじまり。

2. ヒンドゥー教の祭りは、各地方によって大小様々なものがあるが、

「インド3大祭」と言われているのは以下の通り。

①ダサラー祭(9月~10月)

②ディワリー祭(同)

③ホーリー祭(2月~3月)

クシャーナ朝は元々イラン系。

熱烈に仏教信仰を推し進めたのは第3代カニシュカ王から。

ペルシアでは古くから太陽神ミスラ(ミトラはインドでの呼称)が崇拝されて

いたが、ザラスシュトラ(ゾロアスター)の宗教改革で光明神はアフラ・マズダー

だけとされ、排斥されている。

しかし、頭でっかちに捻り出されたこのような神学に一般大衆はついてゆけず、

開祖のザラスシュトラの没後、ミスラ神はゾロアスター教の諸神霊の一つとして

再定義され、復活する。

そして、更にその後、ミスラ神をアフラ・マズダーと同格にまで引き上げ、

ミスラ=アフラとして習合させた一派が、いわゆるミスラ教というやつ。

ミスラ神は、クシャーナ朝では「ミイロ神」と呼ばれていたようで、これが後に

仏教の弥勒となる。

クシャーナ朝が最大版図に達するのはカニシュカ王の時代で、西はアフガニスタン

から東は中部インドにいたるまでの広大な地域を治めていた。

国土面積だけで言うと、同時代のペルシアよりは若干小さいものの、引けを取らな

いくらいの大国だから、当然、隣国ペルシアにとっては脅威だった。

また、インドで悪魔とされたアシュラだが、ゾロアスター教やその流れをくむミス

ラ教では、アシュラに相当する「アフラ神族」が善神とされているので、クシャー

ナ朝の初期の支配層の間では、やはり善神として扱っていた可能性がある。

しかし、被支配層の人々にとっては、おそらく訳の分らん混乱した状態になったの

ではないかとも思う。

「アフラとダーエワ」「アシュラとデーヴァ」の問題は、イランからインドに

入ったら逆になった――というような単純なものではなく、子細に見ていくと、

時代によって、地方によって、かなりジグザグな紆余曲折を経ているらしい。





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h_t_tomoto at 06:34コメント(0) 
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