2019年09月14日

  発端は昔から誰でも感じてきた悲しみ


この日はカレーを作る事にした。

使ったルウは四種類であった。


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この日の材料は『イズミヤ交野店』に入っている『じゃんぼスクエア交野店』の

精肉店で買って来た極々普通の国産牛約3.2㎏と玉葱であった。


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これらをいつもの大きな鍋の中にルウと一緒に入れた。

後は鍋が勝手に美味しく作ってくれるのであった。


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この日もパール金属の寸胴鍋(満水容量:6.3L)×2杯分のカレーを作った。

そんな感じのカレー。


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皆と一緒に食べるカレー。

これがむちゃくちゃ美味しかった。

ほんまにえげつないほどに美味しいのであった。

この絶品のカレーを食べると幸せ一杯の気持ちになる。

まさに至福の喜びを感じるカレーなのであった。

カレーは2013年6月28日の金曜日から作り始めた。

中原中也の悲しみというのは、発端は昔から誰でも感じてきた悲しみ。

それはこの世が自分の思い通りにならないということ。

その中でも自分に来る大きな運命をどうしようも出来ないという悲しみ。

具体的に言えば最も強い悲しみは子供を喪ってしまった、ということになるわけ

だけど、中原は詩人の鋭い感性によってその悲しみを歪めてしまうものに

気付いた。

それが「近代化」というものだった。

何故近代化が悲しみを歪めるのかと言えば、人間の崇高さから離れようとするこ

とにその原因があった。

中原の前の世代、つまり江戸時代というのはガチガチに厳しい世界であった。

何もかもが厳格に決まっていて、自分の思い通りに生きることが出来なかった。

まあだから現代人はひどい時代だと思ってもいる。

でもそれは捉え方の違いで、昔の人間には自分勝手に生きたいという発想が無い

から。

そんな奴はクズだとみんなが思っていたから。

誰も自分勝手に生きたいと考えてない。

現代人のような「自由」なんてものは醜すぎて出来ない。

嫌なの。

クズになりたくないから。

日本には「世間」という概念があった。

昔は良く「世間様に顔向けできない」と言ったものだ。

世間って何なのかと言えば、日本人が抱いていた正しさのこと。

自分勝手ではない、社会に役立つことによって社会の中で生きていける資格、

ということ。

それをみんなが当たり前のこととして大事にしてきた。

だから外れると猛烈に恥ずかしくてどうにかしなきゃ、と思う。

そこから西洋に接して移行したのが明治・大正時代。

その中で中原はどんどん変わって行く世の中、人心というものを見つめ続け、

そして反発して来た。

中原は太宰が大嫌いだった。

あれが何かと言えば、太宰が近代化をどんどん受け入れて行こうとした人間だか

らなんだ。

だから太宰のことを三島も毛嫌いしていた。

また中原はいろんな人間と喧嘩している。

あれも近代的(現代的)な要素を見出しては頭に来ていたため。

しかし中原は酒にやられてしまった。

肝臓を弱らせてしまい、そのために「やる気」というものを弱らせてしまった。

肝臓は人体の様々な人体に必要なたんぱく質や酵素の合成をしているが、同時に

体内の有害な物質の分解解毒も行なっている。

だから酒を大量に飲み続けると肝臓の機能が分解解毒に傾くから、人体に必要な

合成物が出来なくなる。

でも当然、生命維持に関することは最優先だから。

最優先するから他のものはますます足りなくなる。

それが「やる気のなさ」というものになる訳だ。

取り敢えず生かすことを優先して、活性化するのは二の次にするからだ。

多少不足して元気がなくなったっていい、という順番になる。

そういう状態が慢性的になっていったために、中原はあの深い悲しみから抜け出

せなかった、とも考えられる。

中原ほどの人間が立ち直れないわけはない。

最終的には結核性の脳膜炎で死んだ。

まあ、あれで死ななければ肝硬変にでもなってたんじゃないか。

あれは寿命だった。

近代化というのは人間が中心になって全てを規定する、ということだから。

神様とかじゃなくて。

日本の場合はそれが「旧き日本の美」と私が呼んでいるものから離れた。

日本人が段々と自分を中心にして考えるようになったことが中原の悲しみを

深めた。

まあ矛盾するようだけど、酒を飲んで悲しみを紛らわそうとする自分をまた中原

は嫌った。

だから「汚れちまった悲しみ」なのだ。

本当はそんなことはしたくない。

でも今の世の中でそうしてしまう自分への怒りがあった。

だから中原の酒は荒れる。

まあ、フランス語への傾倒は親友によっての導きであったわけだけど。

ああやって中原は西洋への憧れを抱きつつ、西洋化によっておかしくなっていく

日本への怒りがあった。

だからこそ相当強烈なストレスになった。

他の教養人も同じストレスに襲われていた。

あの時代の教養人はみんなそうだ。

太宰なんていうのは思い切ってドップリと浸かってみようを考えた。

わかってはいた。

だから太宰も物凄く深く悩んだわけだ。











昨日のお昼に用意されたのは『五味五法 番匠』と言うお店の

『男前御膳』であった。


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男前御膳


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さわらやらタコやらが美味しく味付けされて結構満足する弁当だった。

これならリピートしてもええと思った。











『トップワールド香里園店』で『鹿児島産 炭火焼き うなぎ』を買って来た。

あっつあつの御飯の上に『鹿児島産 炭火焼き うなぎ』を乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

繊細かつ大胆な味わいと放つ鰻の蒲焼の美味しさにただただ喜びを感じる。

斬新な焼き方には相当な歴史と伝統を感じざるを得ない。

熟練された鰻職人の腕前が発揮される味わいこそがここにある。

『鹿児島産 炭火焼き うなぎ』も納得する味わいで最高に美味しいのであった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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目玉焼きが最高に美味しいのであった。











そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。











9月7日の土曜日に『ハラミ真理教の会』があった。

この時に『ヤフオク』でのポロシャツのバク買いが話題になった。

『ヤフオクの多くは中古品じゃないの』とか。

俺にとってはそれは大きな問題ではない。

俺が『お盆休みはほんまにヤフオクに嵌まってしまった』と言った。

何がそんなに嵌まるのか。

『ヤフオク』の殆どの落札する締め切りの時間が午後の11時~12時である。

ところが俺はほぼほぼ毎日午後の10時前には寝てしまう。

だから今まで一度も『ヤフオク』の落札時間に立ち会った事がない。

自分が落札したかは翌日の朝一のパソコンを開けて初めて知る。

パソコンで『ヤフオク』のページを開けた瞬間に『おめでとうございます!! 

あなたが落札しました。』を見た瞬間に思わずガッツポーズを朝からしてしまう。

この瞬間が堪らなく気持ちが良い。

それがお盆休みに続いた。

ところが……。

実は、その行動が今週も続いている。

ポロシャツだけではなくてジャケットやコートや。

今週になって既に15点ぐらいの商品をゲットしている。

ここまで来ると『ヤフオク』中毒に完璧に嵌まってしまっている自分がそこに

立っている事に客観的に十分に垣間見る事が出来る。

全くの依存症的買い物中毒そのものである。

その事を昨日うちのスタッフに言うと。

『もう、止めとき。ほんまに止めときって。

ヤフオクの策略にのめり込まれているわ』と連呼された。

確かにもう止めた方がええと思っている。

だた、もう一点だけ気になっている商品がある。

それは『HERMES エルメス 最高峰リアルムートンファー毛皮コート

☆52サイズ』と言うコート。

即決価格は『269,800円(税込 291,384 円)』 である。

ここで立ち止まって完全に止めるか。

それともこの商品を最後に止めるか。

毎週金曜日に『アルピナ・ハッピー』がここにやって来る。

それで俺が『アルピナ・ハッピー』にどうしようか相談した。

いろいろと相談した。

そして来週にいつもの様に『アルピナ・ハッピー』がここに来た時にもう一度

相談しましょうと言う結論になった。

『HERMES エルメス 最高峰リアルムートンファー毛皮コート☆52サイズ』の

出展者にメールで質問した。

いろいろと聞くと定価は100万円以上するらしい。

100万円以上の『エルメス』の羽織物が30万弱で手に入れば安い物とちょっと

考えるが。

でもやっぱり全く目的もない半場衝動買い的で30万円はちょっとお高い買い物に

しか思えない訳で。

ほんまに、全く目的がない。

さーっ、どうしたものか。

兎に角、この一週間、ゆっくりと考えたいと思っている。

結局ポロシャツは35点ぐらいになったわ。(^^♪

ところで、午後の10時前に寝ると言っても素で寝る訳がない。

そこには酒の力が必要だ。

先ずは350mlの缶ビールを3本一気に飲み干す。

引き続きサントリーのXOの水割りを飲み始める。

この時点では全く酔っぱらってはいない。

サントリーのXOの水割りをグイグイと3~4杯飲むとわりとええ感じで

酔っぱらって来る。

ええ時間になるとそのまま寝る。

ぶっちゃけある意味『アルコール依存症』的な感じは否めない。

幸い肝臓には迷惑はかけていない。

と言うか、毎日『青汁』や『古代酵素』や『健康茶』を補充はしているが。

そこまでしてまで酒が必要である。

毎日、毎日、寝る瞬間の行動を全く覚えていない。

この辺が結構難儀になって来る。

何もしていなければなんら問題はないが。

これが例えば『ヤフオク』をやりながらサントリーのXOの水割りをグイグイと

飲んでいると。

翌朝。

パソコンの開けてみると。

『なんじゃー、これは!!』と真剣にびっくりする。

そこには全く記憶のない入札した商品の山が。

こんな行動してたんや。

こんなヘマをやっちまうエピソードが山の様にあるから嫌になっちまう。

はんまに酒の失敗話だけは山の様にあるからな。

皆様も酒の失敗だけは気を付けて美味しく飲んで下さい。

飲む時の『ウコンの力』等の滋養強壮剤はめっちゃ効きますよ~~!!

翌朝が全く違って来るのは間違いない!!







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ナロードニキ運動。

ロシア革命の前史に位置づけられる革命運動。

「君主制を倒し、資本主義をすっとばし、社会主義体制を樹立する」という目的

のために、農奴解放令で生まれた大量の小作農を自分達エリート革命家が啓蒙し

革命運動に動員して体制を倒そう、という趣旨の運動。

だが、小作農にとって皇帝は政治と宗教両方の権威であり、小作農たちが使う

ロシア語すら話せない彼らエリート層(ロシア帝国のエリート層はドイツ語や

フランス語を主要言語にしていた…)の口車に乗って「皇帝様」に逆らうという

選択をする小作農はあまりいなかった。

そこでナロードニキの運動家たちは、「皇帝もしょせん人間だ、何故なら俺達が

殺せるから」という理屈で皇帝を暗殺することに奔走するようになった。

ニコライ1世の末期のクリミア戦争で敗北したロシア帝国は、自分達の国がイギリ

スなどに比べて遅れていると感じた。

そこで、後継皇帝のアレクサンドル2世は農奴解放令を始めとする諸改革を始めて

近代化を行おうとした。

しかし、近代化を支える柱ともいうべき工業化、労働者の創出と育成、啓蒙思想

をどのような過程で、どの程度行うものかは定めていなかった。

また、ロシア帝国は農奴解放は訴えたものの地主制度そのものは否定するつもり

はないために、農奴解放令は出したものの、その農奴たちをどうするのかが

定まっていなかった。

結果として農奴たちは混乱してさらなる困窮に喘ぐものが続出した。

これに対してロシアの近代的知識人や学生は、ロシア政府の放任した農民に対し

て自分達が農民に啓蒙思想を伝え、近代化を促進する担い手になろうと考えた。

知識人たちは「ブ=ナロード」(人民の中へ)を唱えて、啓蒙思想・初期の社会主

義・新しい生活方式などを伝えていった。

これがナロードニキ運動である。

ところが知識人や学生の説く知識は困窮に喘ぎ、この間までただの農奴であった

人々には突飛的な夢物語でしかなく、あまりの価値観の違いに反発を覚える人も

いた。

また、アレクサンドル2世らも知識人たちの行動が下手すると自分達の政権基盤を

脅かしかねないと警戒して弾圧を加えた。

結果、ナロードニキ運動は社会の変革には結びつかず、ただ農奴たちを混乱させ

ただけで終わってしまった。

農奴からすれば、突飛的な話を持ってきただけで何の成果もないので物理的

・精神的に被害を受けただけだとして「自分達を苦しめた敵」と評価したものも

いた。

結局農奴はミール(地域共存隊)に依存する小作人のまま変化しなかった。

このナロードニキ運動の挫折は知識人や学生の方にも挫折を与えた。

皇帝アレクサンドル2世の改革は口先だけであり、農奴たちは自分たちの理解を

示すどころか拒絶した。

ここから激しい絶望と挫折感を味わったものがアナーキズム(無政府主義)、

ニヒリズム(虚無主義)、テロリズムに傾倒してしまった。

その後、アレクサンドル2世はアナーキズム・テロリズムに染まった学生に暗殺さ

れてしまい、改革は半ばにしてまた保守的な国家に戻ってしまった。





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h_t_tomoto at 06:28 

2019年09月13日

  episode-44「陸軍の一部署」


日産自動車は9日、取締役会を開き、西川社長などが、株価に連動した報酬で

上乗せした額を受け取っていた問題について協議する。

西川社長は9日朝、世代交代をできるだけ早く進めたいとする考えを示した。

ゴーン前会長の時と騒ぎ方に温度差がある感じやな。

昨夕そんな事を考えていた。

すると横浜コタジがここへやって来た。


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そして『お疲れ様です』と言って私の横に勝手に座りやがった。

私が『世代交代をするみたいやな』と言った。

横浜コタジが『日産では社内調査の結果、西川社長をはじめ複数の幹部が、株価

に連動して報酬を受け取る制度で権利の行使日を変更し、当初より多い金額を受

け取っていたことがわかっているみたいです』と言った。

横浜コタジは千葉ロッテ・マリーンズのファン。

私が『涌井 秀章は今年も頑張るんか』と言った。

すると横浜コタジが『西郷従道は陸軍から海軍に転向しました。

陸軍でも中将になっているはずなのに。

最終的に西郷従道は海軍大将になり海軍大臣も務めています。

この当時の海軍は、事実上「陸軍の一部署」でしかなく、後のように陸軍と全く

異なるキャリアパスをもつ独立した官僚組織というわけではありませんでした。

はっきり言えば帆船時代の見識から抜け出せない幕末期の人間から、藩閥の力で

ポストを獲得しただけの人間まで玉石混交の未整備状態だったんです。

草創期の組織はそんなもんですが。

西郷従道という人は元々薩摩藩士から陸軍軍人になった人ですが、この頃は西郷

隆盛亡き後の薩摩藩閥の重鎮の一人です。

で、初の内閣である第一次伊藤内閣の成立時に、それまで無かった「海軍の独自の

代表」である海軍大臣になってくれないかと頼まれるわけです。

伊藤は若い頃から西郷従道に一目置いていた様子で、そして従道は「君を見込んで

頼みたい」と頭を下げられたら断らない人です。

そんなわけで海軍の代表に横滑り的に就任した次第。

別に海軍の経験があった訳でも何でも無く、あたらしい海軍を構築する土台作り

のために藩閥の一人としてやってきたに過ぎません。

従道という人はこのように畑違いの役所のトップにぽんと置かれることが

多かった人です。

如何にもぼーっとした外見と言動で、藩閥の力でやってきただけにしか見えない

おっさんに対し、この時代の若手官僚たちの中には真っ向からぶつかって「大臣の

不明をただしてやる」と意気軒昂にやる奴が出てくるわけです。

そういうやる気のある若手官僚の中から次代のリーダーとなるべき人を見つけ出

し、その人を徹底的に信頼し自分の藩閥重鎮としての影響力を貸してやって官僚

機構全体のグランドデザインを作らせてやる。それが西郷従道の「大臣のやり方」

でした。

ですから、本人はその官僚機構の細かい仕事とか一切知りません。

それを当人もよく自覚しており、他の政府首脳からいろいろ聞かれても「俺はぜん

ぜん判らんが、よく判ってる部下の誰それが居るから彼から説明させよう」と返答

するのが常でした。

こうして若手官僚に政界重鎮とのコネを作らせ、仕事をやりやすくさせてやった

わけです。

海軍大臣時代の次官・山本権兵衛はまさにこのやり方が最もうまく当てはまった

名コンビでした』と

言った。

私が『ところで、最近の売り上げはどう』と聞いた。

すると横浜コタジ『ビームフラッシュで他社を圧倒します』と言って

ウルトラマンの光線のポーズを取っていた。


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その瞬間、沈黙となった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は外食だったが、まあー、写真を撮る必要はないと思い、撮ってい

なかった。

こんな日もあるわな。(^^♪





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h_t_tomoto at 06:34 

2019年09月12日

  ビールが進むくん


『烤肉 浅間農場 勝手に焼肉 天神橋店』の厚切りのタンはほんまに真剣に

美味しかった。

その後京阪香里園まで移動した。

そして向かったお店は『鶏焼肉酒場 とりジャック香里園』であった。


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ここも一応予約は入れておいた。

店内に入ると結構お客さんが入っていた。

我々は入り口近くのテーブル席に座った。

早速注文をした。

鶏のハラミとセセリであった。

直ぐに瓶ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!


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鶏のハラミとセセリ

塩昆布と一緒に食べるのであるがこれがほんまに美味しい。

昆布の旨味成分と鶏肉のジューシーさは相まって最高の演出を込み上げてくれる。

この味わいがあるから繰り返し何度も訪問する。

なんぼでもビールが進むくんの美味しさだ。

『鶏焼肉酒場 とりジャック香里園』は今後も大いに利用したいと真剣に思った。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『鶏焼肉酒場 とりジャック 香里園』であった。




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ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は鍋をする事にした。


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イカフライを食べながらの鍋が最高に美味しいのであった。











タチヤマ・レオンチェフ

恐らくタチヤーナ・レオンチェヴァ(Леонтьева Татьяна

 Александровна)のことだと思われる。

タチヤマはタチヤーナ(タチアーナ)のことだろう。

この女性も革命テロリスト。

ヤクーツク県副知事の娘だったが、ボリス・サヴィンコフの率いる「社会革命党

(エスエル)戦闘団」に加わる。

その後、1906年8月にスイスでロシアの内務大臣ドゥルノヴォを暗殺する指令が

彼女に出され、ホテルの朝食時に隣に座っていた別人の年老いたフランス人旅行

者を射殺し、逮捕された。

ドゥルノヴォかどうかを写真で判断したため人違いをしたようだ。

1907年にスイスの裁判所は4年の懲役刑を宣告し、その後すぐに精神病院に

移された。

ロシア帝国では1880年代にナロードニキ運動の流れを汲む「人民の意志」に

よって皇帝アレクサンドル二世がソフィア・ベロフスカヤらによって殺害される

など政治的テロリズムが吹き荒れた。

暗殺後しばらくはテロリズムが静まっていたのですが、1900年代にエスエルに

よって再び政治的テロリズムが復活する。

そして、1905年から1908年までの間にエスエルの女性メンバーたちによって11件

もの暗殺事件が起こされた。

このエスエル戦闘団メンバーの一人がタチヤーナである。

はっきり言って他の二人と比較して一般的知名度は非常に低い(革命への影響力

自体が低い)ので、ロシア革命史というよりもロシアの革命テロリズム史を専門的

に取り扱った書籍(主に洋書)で稀にしか、お目にかからない名前である。

*ローラ・ブリューゲルト

ローラ・ブリューゲルトは、この名前通りで存在するとしたらロシア系ではなく

ドイツ系なので、恐らくロシアのドイツ系貴族の娘であろう。

ただ、英語読みのローラ(ドイツ人やロシア人ならラウラと発音する)はあり得な

いので、正しくは別の名前(リョーニャ、レイラ、ドーラ、ローマなど)の聞き違

いであると考えられるし、ブリューゲルトも聞いたことのない姓で、別の音が

入れ替わっている可能性が高いため、特定するのが難しい。

もしかしたらと思ったのはドーラ・ブリリアント(Бриллиант, Дора
 
Владимировна)で、この女性もエスエルのメンバーである。

1879年ヘルソン県生まれでユダヤ系商人の娘。

助産婦を目指していたが、1902年にエスエルに入党。

ボリス・サヴィンコフ(サビンコフ)率いる戦闘団に加わった。

彼女はジュネーヴに滞在していて、ダイナマイトの製造所で働いていた。

内務大臣プレーヴェとセルゲイ大公の暗殺に使われた爆弾は彼女が直接製造に

関わっていたようだ。

その後逮捕されて、ペトロパヴロフスク要塞監獄に収監されて1909年10月に

亡くなっている。





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h_t_tomoto at 06:31 

2019年09月11日

  失礼な事を聞きまして


『焼肉 浦江亭 福島店』のホルモンはほんまに真剣に美味しかった。

その後JR環状線に乗って天満まで移動した。

そして向かったお店は『烤肉 浅間農場 勝手に焼肉 天神橋店』であった。


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ここは事前に予約を入れておいた。

また、ここは鶴橋の『勝手に焼肉 鶴橋店』の姉妹店みたいであった。

その事は『食べログ』で調べて知った。

生まれて初めての訪問であった。

システム的には鶴橋店と全く同じで店内に陳列されたお肉をチョイスしてそのま

ま支払いをしてテーブルに運んで後は美味しく焼いて食べるだけ。

我々がチョイスしたお肉はタンと厚切りのタンであった。

厚切りのタンは包丁の切り込みをお願いした。

この包丁の切り込みがないと厚切りのタンは硬くて食べれたもんではないからだ。

先ずは『ウコンの力』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き瓶ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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タンと厚切りのタン

『鶴橋店』と全く同じぐらいに美味しい。

歯応えがありながら噛むと柔らかさを感じる。

基本的にはタンには独特の臭みがある。

それをレモンの酸味で何とか誤魔化しながら美味しく頂く。

厚切りのタンは炙るのではなくて焦げが出来るぐらいまでしっかりと焼く。

するとその臭みが全くなくなってしまう。

レモンの酸味を感じながらしっかりとモゴモゴ食感で美味しく頂く。

これが厚切りのタンの醍醐味だと思っている。

厚切りのタンはほんまに真剣に美味しい。

この食感なら『烤肉 浅間農場 勝手に焼肉 天神橋店』は今後も大いに利用したい

と真剣に思った。

ちゃんとトイレもあったし。

と言うか予約をした時に横浜コタジがトイレがあるかないかの確認をしてくれて

いた。

その横浜コタジ『失礼な事を聞きましてすいませんでした』と予約をした時に

謝ったそうだ。

ほんまに真剣に横浜コタジは真面目で実直で真っ直ぐな人間だと改めて思った。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『烤肉 浅間農場 勝手に焼肉 天神橋店』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は鍋をする事にした。


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アジフライを食べながらの鍋が最高に美味しいのであった。











アレクサンドル2世の農奴解放令で農奴解放後も地主への従属が続いてしまう理

由は「土地は買い戻す必要があり、また、農民個人にでなくミールに渡されるこ

とが多かったから。」とある。

地主という言葉が宜しく。

混乱を招くだけ。

ミールはロシアで伝統的な農村共同体。

日本の農村における「村の寄合」みたいなもの。

農奴が解放されたといっても、その土地はミールが主に取得する、すなわち

「村の寄合」による共同地でしかない。

これまで農奴だった人間が村の共同体でいきなり主役になれるわけもなく、

そして農奴から解放された時点で土地代金を「立て替えた」政府に対するでかい

負債が元農奴には科せられることになっている。

農奴が合法だった時代は土地所有者である貴族達は農奴に対してほぼ何でもやり

たい放題で、家族を農奴売買のために引き裂いたりするとかだけでなく、

殺人・暴行・性的虐待といった非道な行為までも全く問題とされなかった。

その頃に比べればまだ「帝国の臣民」として認められ、人格的な隷属をせずに済む

ようになっただけマシになった。

しかし貴族達に好き放題にされなくなる代わりに、国に対して背負った借金と

農村共同体での発言力の乏しさに苦しめられ続けることになった。





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2019年09月10日

  すっきりと納得


『中華料理 みわ亭』は本当に美味しかった。

その後向かったお店は『焼肉 浦江亭 福島店』であった。


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ここも『ハラミの会』でのレギュラー的なお店である。

兎に角ここはリーズナブルな価格で美味しいお肉が頂ける。

店内に入るとほぼ満席状態であった。

ここも事前に予約を入れておいた。

我々は中央辺りの座敷に案内された。

早速注文をした。

注文は、塩タン×二人前、ツラミ×二人前、上ミノ×二人前、コリコリ×二人前

生センマイ×二人前、キムチの盛り合わせ×二人前であった。

先ずは『チオビタゴールド』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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塩タンとツラミと上ミノとコリコリと生センマイとキムチの盛り合わせ

ここのホルモン系は事前に味付けがされている。

この味付けされた塩加減が全くの絶妙で食べていてその味加減が無茶苦茶最高に

美味しくて気持ちが高ぶるのであった。

ここが福島区で超人気の焼肉店である事にすっきりと納得するのであった。

遠赤外線効果で美味しく焼く焼肉には独特の美味しさがある。

旨味と甘味がたっぷりと味わえるから堪らないのである。

『焼肉 浦江亭 福島店』はJR福島駅界隈では人気のある焼肉店である。

実食するとそれも納得できる。

予約を入れないと中々入れない人気店。

それが『焼肉 浦江亭』なのであった。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『焼肉 浦江亭 福島店』であった。

一応ここで『第28回 ハラミ真理教の会』は終了。

次回の『第29回 ハラミ真理教の会』は令和2年の2月8日の土曜日の予定です。

皆様、宜しくお願い致します。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は鍋をする事にした。


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牛タンを食べながらの鍋が最高に美味しいのであった。











ロシアのピョートル1世は当時はヨーロッパの中でも遅れていたロシアを何とか

する為に、自ら偽名でオランダの造船所で働いたり、身分がばれても気さくに対

応して最後はロシアを改革しました。

秀吉は農民から大名になり官位を得た人間である。

ピョートルは元々高貴な出であるにも関わらず西洋の進んだ技術を内偵するため

に一般人の職を経験してきた。

言うなれば留学。

権力を努力で奪い権力に目が眩んだ秀吉とは全然違う。

ピョートルは大帝とされているほど自国(ロシア)では敬愛されているし、

スターリンは批判されても、ピョートルはスターリン下でその名を口にするのも

憚られていたのに今でも国民に人気がある。

長期政権を築けなかった、ただの権力の上り詰めしかしなかった秀吉とは違い、

各種改革をしロシアを世界強国の一員にした英雄。

日本のみならず世界からもすごい人物として評価されて当然。

日本にはこのような人物がいない。

あまり皇帝とか元首というような人が、リーダーシップを発揮して外国に攻めて

いって改革を推し進めるようなことは国民性からかあまり許されず、現れないか

らである。






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2019年09月09日

  第28回 ハラミ真理教の会


9月7日の土曜日『第28回 ハラミ真理教の会』があった。

この『ハラミの会』は平成17年の5月からのスタートである。

早いもので今回で28回目で14年も続いている。

14年も続いている事に改めて感慨深いものを覚えるのであった。

年に2回だけの会だがこれ程長く続くのも珍しいと思う。

本当に凄いと真剣に思っている。

一番最初に集まったお店は北新地の『エクウス』と言うイタリアン・レストラン

であった。

このお店は朝山さんの馴染みのお店であった。

あの時は朝山さんとゲゲゲの壷屋が入れ替わりで引き継ぎのタイミングだった。

また親友がカリフォルニアのサンディエゴから日本に帰って来たばかりだった。

ここから物語が始まった。

そんなゲゲゲの壷屋も2013年の10月から東京へ転勤になってしまった。

ゲゲゲの壷屋の存在があったからこそドン引きタツジや横浜コタジの今がある

訳で……。

そんな感じの『第28回 ハラミ真理教の会』

今回も集まった場所は前回同様のJR福島駅前の福島6南の交差点にある

『中華料理 みわ亭』であった。


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今回で4回目の『中華料理 みわ亭』であった。

2017年まで集まっていたお店は『創作串カツのpancotei』だったがその年の

12月末日で閉店になってしまった。

それで2018年の一月から『中華料理 みわ亭』で集まる事になった。

集合時間は5時半であった。

私はJR福島駅の改札口前でドン引きタツジと横浜コタジの二人で5時15分に待ち

合わせをした。

私は5時5分頃に到着をした。

すると二人は既にそこに立っていた。

流石であった。

Tちゃま倶楽部のメンバーは無茶苦茶真剣に時間厳守なのであった。

そこから3人で歩いて『中華料理 みわ亭』に向かった。

私とドン引きタツジと横浜コタジは5時20分頃にお店の前に到着した。

この日は京都のKが仕事の関係で遅れる事が事前に了解していた。

我々は入り口近くのテーブル席に案内された。

早速注文をした。

注文は、特製ギョーザ、春巻き、えびのパン巻き揚げ、エビのチリソース、

牛フィレ肉とごぼうのオイスターソース炒め、鯛の中華風お造りであった。

先ずは私が持って来た『トップグロンEX』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き瓶ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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特製ギョーザと春巻きとえびのパン巻き揚げとエビのチリソースと牛フィレ肉と

ごぼうのオイスターソース炒めと鯛の中華風お造り

ここが福島区で超人気の中華料理店である事に無茶苦茶納得するのであった。

ほんまに真剣に美味しい。

これ程に美味しい中華料理には中々巡り合えないのではないかと思っている。

本当にええお店に出会えたと真剣に喜んでいる。

優しい味わいの中でしっかりと美味しさを醸し出す。

食べれば食べる程に中華料理の奥深さを実感できる。

それをむき出しに教えてくれるのが『中華料理 みわ亭』だと思う。

『中華料理 みわ亭』は今後も大いに利用したいと真剣に思った。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『中華料理 みわ亭』











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は鍋をする事にした。


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納豆を加えたハヤシライスを食べながらの鍋が最高に美味しいのであった。











先週の木曜日に『コストコホールセール 京都八幡倉庫店』に行って来た。

そしていつもの様に一本のタンやら肩ロースの塊肉やらミスジの塊肉を買って

来た。

昨日はミスジの塊肉を使ってローストビーフを作った。


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これが無茶苦茶柔らかくて最高に美味しいのであった。











エジプト・トルコ戦争の西欧諸国の外交。

(第一次エジプト・トルコ戦争)→土・露 vs エジプト・英・仏・墺

(第二次エジプト・トルコ戦争)→土・露・英・普・墺 vs エジプト・仏

というのがエジプト・トルコ戦争の外交の構図。

ロシアはこの頃南下政策推進真っ最中だった。

ここでトルコに恩を売っておくことで黒海・バルカン半島への進出を図るという

のがトルコ支援に回ったロシアの目論。

第一次で英・仏・墺がエジプトを支援したのは露の南下政策を防ぐためだった。

しかしその後、イギリスとロシア、さらにフランスが地中海東部地域の主導権を

めぐって激しく対立して行くことになる。

その際フランスは逆にエジプトに接近する道を選んだ。

このフランスの抜け駆けを阻止するために、イギリスはオスマン帝国に接近して

その領土保全策に転じ、さらにロシア・プロイセン・オーストリアとも協議して

同盟を結成した。

そして1839年、この対立構造を元に第二次エジプト=トルコ戦争が始まる。

この戦争でフランスは孤立化し、全面的なエジプト支援をあきらめざるを得なく

なった。

一方のイギリスはオスマン帝国を全面的に支援しエジプトを破り、1840年の

ロンドン会議でエジプトはオスマン帝国の支配下にとどまることとなった。

ただし、ムハンマド=アリーはエジプト統治の世襲権は与えられたので、

これをもってエジプトは独立したものと判断する場合もある。

(ムハンマド=アリー朝エジプトの成立)

またこのロンドン会議では、あらゆる国の軍艦のボスフォラス・ダーダネルス海

峡通過が禁止されたので、ロシアの南下政策も阻止された。

つまりイギリスは、フランスのエジプト進出とロシアの南下の両方を阻止する

ことが出来たので、外交的主導権を掌握することに成功した。

これを「パーマストン外交の勝利」と言ったりする。





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h_t_tomoto at 06:37 

2019年09月07日

  半七捕り物帖


この日はカレーを作る事にした。

使ったルウは五種類であった。


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この日の材料は『イズミヤ交野店』に入っている『じゃんぼスクエア交野店』の

精肉店で買って来た極々普通の国産牛約3.2㎏と玉葱であった。


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これらをいつもの大きな鍋の中にルウと一緒に入れた。

後は鍋が勝手に美味しく作ってくれるのであった。


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この日もパール金属の寸胴鍋(満水容量:6.3L)×2杯分のカレーを作った。

そんな感じのカレー。


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皆と一緒に食べるカレー。

これがむちゃくちゃ美味しかった。

ほんまにえげつないほどに美味しいのであった。

この絶品のカレーを食べると幸せ一杯の気持ちになる。

まさに至福の喜びを感じるカレーなのであった。

カレーは2013年6月28日の金曜日から作り始めた。

「半七捕り物帖」の半七は実在の人物。

ならば半七も岡っ引きの仕事の裏でヤクザ稼業もしていたのか。

作者岡本綺堂の養子、岡本経一氏によると…。

…半七の生い立ち、暮らし向きが具体的に書かれているから、モデルがいたに

違いないと思われて、いろいろ取りざたされた。

しかし綺堂は「実在の人物か、架空の人物か、それは想像に任せておいた方が

よかろう」と明瞭に答えたことは無い。

もっとも、江戸末期に丸屋半七とゆう副業に絵草紙屋を営む岡っ引きが赤坂表伝

馬に住んでたことは事実だ。

高野長英の隠れ家を襲った捕り手の中に半七とゆう名がいた記録もあるし、また

勤王浪士に家族を襲撃されて兄を殺され、妻も深手を負わされた半七もいる。

この半七は明治5年に病死したらしい。

それらのことはむろん綺堂も知っていたであろうが、綺堂老人から私は何も聞い

ていない。

ただ「シリーズで書くから、主人公の名は何度も書くから、字画の多い名では

やりきれない」と言っていた。

実際の岡っ引きの中には脅しやゆすりをかける、民衆にとっては暗い印象がつき

まとっていた。

しかし『お文の魂』で作者は「彼は江戸時代における、隠れたシャーロックホー

ムズであった」と書く。

端役であった岡っ引きを、主役に引き上げて想像した理想像が半七であった。

(『歴史百科』80年4月号、新人物往来社)

当時綺堂がホームズ物を読んで、自分でも探偵物を書いてみよう、江戸時代を

舞台にすれば面白かろう、と作り出されたのが『半七捕物帖』。

小説の半七はやはり綺堂が創造した、理想的なヒーローであり、実在した岡っ引

き半七(ありふれた名前なので、かなりいたと思われる)とは無関係で

あったと思う。

歴史ミステリには大きく分けると2種類がある。

一つは過去の世界を舞台にしたミステリ。

日本で言うと「捕物帳」などがこれに当たる。

このタイプを細かく分けると完全に過去だけを舞台にしたものと、現代の人間が

何らかの方法で過去とつながりを持って過去の事件に関わるものに分けられる。

もう一つは現代の人間がいろいろな資料にあたって過去の歴史上の謎に挑むとい

うタイプ。

一つ目のものではやはり捕物帳が代表的なものとなるが、捕物帳も時代風俗やそ

こで生活する人の人情などを中心にしたタイプと、トリックや謎解きを中心にし

たタイプがある。

捕物帳の元祖である岡本綺堂の「半七捕物帳」はこの2つのバランスがとれた

作品だし、他に謎解き型としては横溝正史の「人形佐七捕物帳」や都筑道夫の

「なめくじ長屋の捕物さわぎ」などが挙げられる。

また、捕物帳以外では明治維新以後に作られた警察組織に江戸時代の奉行所の

組織が知恵比べを挑む山田風太郎の『警視庁草紙』や、同じく明治を舞台にした

『明治断頭台』、江戸時代の芝居の世界を舞台にした松井今朝子の『非道、行ず

べからず』、また、笹沢左保の「木枯し紋次郎」シリーズもどんでん返しの強烈

な時代ミステリの秀作である。

海外でも大変に人気の高いジャンルで、中世イングランドを舞台としたエリス

・ピーターズの「修道士カドフェル」、ローマ時代を舞台にしたリンゼイ

・ディヴィスの「密偵ファルコ」、中世イタリアを舞台にしたウンベルト

・エーコの『薔薇の名前』など数多くの作品が書かれている。

また、現代人が過去とつながるものとしては精神が明治の国文学者折口信夫に

ジャンプして猿丸額といろは歌に秘められた謎(と現代の殺人事件)の謎を

解く井沢元彦の『猿丸幻視行』や、受験に失敗した高校生が二・二六事件の東京

にタイムスリップして蒲生大将自殺の謎を解く宮部みゆきの『蒲生邸事件』、

中世の殺人の謎を解きたいがために悪魔と契約をしてその時代の貴族に乗り

移った歴史学者が様々な事件に混こまれながらも殺人事件の謎に挑むジョン

・ディクスン・カーの『ビロードの悪魔』あたりが代表的なところ。

歴史上の謎を解くパターンとしては、足を骨折して入院した警部がシェイクスピ

アの『リチャード3世』などで残虐な極悪人として描かれているイギリス王リチ

ャード3世は本当に悪人だったのかという謎を、様々な資料を集めて解き明かす

ジョセフィン・テイの『時の娘』が有名。

日本でも高木彬光がこの作品の影響を受け、入院した名探偵神津恭介が源義経と

ジンギスカンは同一人物なのかという謎に挑む『成吉思汗の秘密』、邪馬台国は

何処にあったのかを調べる『邪馬台国の秘密』、日本の古代史の謎を探る

『古代天皇の秘密』などが書かれている。











昨日のお昼に用意されたのは『きゅうろく鉄板焼屋 香里園』と言うお店の

『ハンバーグ弁当』であった。


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ハンバーグ弁当


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名物のハンバーグだけあって結構美味しかった。

これならリピートしてもええと思った。











『トップワールド香里園店』で『鹿児島産 炭火焼き うなぎ』を買って来た。


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あっつあつの御飯の上に『鹿児島産 炭火焼き うなぎ』を乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

鰻の蒲焼はその下に敷かれた鰻のタレが染み込んだあっつあつの御飯と一緒に

食するのが極々普通の当たり前の食べ方である。

タレを染み込ませた御飯がこれまた食欲をあのずと旺盛を呼び込む。

絶え間無く燃え上がる食欲が無限の力と化す鰻の蒲焼に感謝を込めつつ。

美味しい鰻の蒲焼を食せる喜びがここに存在するのであった。

『鹿児島産 炭火焼き うなぎ』も納得する味わいで最高に美味しいのであった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は鍋をする事にした。


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ローストビーフを食べながらの鍋が最高に美味しいのであった。











そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。











エジプトトルコ戦争。

まず、トルコとはオスマン帝国のことであり、エジプトとは、オスマン帝国領の

エジプトのこと。

ムハンマド・アリーは帝国のエジプト総督に就任して以来、独自の近代化政策を

実行し、帝国からの自立を目指すようになった。

その結果、起きたのがエジプト・トルコ戦争である。

同時代の日本でいえば、幕府と薩摩藩や長州藩が戦争したような感じ。

(実際に、幕府による長州征伐がありましたが…)

1回目はイギリスとオーストリアはエジプト側。

ムハンマド・アリーはアジア諸国の中でいち早く近代化(つまり西欧化)を目指

した人物だった。

つまり、早い段階から西ヨーロッパ諸国と交流があった訳だ。

また、英仏などの西欧列強からすれば、オスマン帝国の弱体化や分裂は、

介入する好機だった。

第一次エジプト・トルコ戦争において、イギリスなどがエジプト側を支援したの

は、オスマン帝国を弱体化させるという目的から考えれば当然のことだった。

このあたりは、幕末の日本史で、薩長の背後にイギリスがいたことを考えれば、

同じ理由だと分かるはず。

一方、ロシアがオスマン帝国を支援したのは、支援というより、弱みにつけ込も

うとしたというのが正解であろう。

元々ロシアとオスマン帝国は宿敵であり、エジプトの強大化のために窮地に

陥っていたオスマン帝国に対して、いろいろ恩を売りつけることがロシアの

目的だった。

そして、このロシアの南下政策を警戒していたのが英仏だった。

対ロシア戦略という意味で、ロシアが支援するオスマン帝国の敵であるエジプト

を支援するのは、英仏からすれば当然のこと。

いわゆる「敵の敵は味方」という理論である。

(この場合は、敵の味方の敵を味方に、となりますが)

2回目はオスマン帝国側についている。

19世紀前半のムハンマド・アリーによる近代化改革によってエジプト軍は強化さ

れすぎた。

エジプト対オスマン帝国(トルコ)では、エジプト軍が圧勝するくらいの力の差

がついてしまった。

エジプトが強くなりすぎて、オスマン帝国以上の勢力に成長すれば、イギリスな

どが西アジア(中東)に介入しにくくなる。

オスマン帝国とエジプトが適度なバランスで潰しあってくれたほうが、イギリス

には有利だった。

もう一つは、エジプトとフランスの関係がより深まっていた事が問題になった。

イギリスからすれば、ライバルのフランスがエジプトを支援して、勝ちすぎてし

まうことも面白くなかった。

そのため、第二次エジプト・トルコ戦争においてエジプト軍が快進撃を続け、

オスマン帝国が惨敗しそうになると、イギリスをはじめとした列強は、この戦争

に介入しオスマン帝国側に付いた。

エジプトの台頭を抑え込むためである。

そこで、英・露・墺・普の4か国でロンドン4か国条約を結び、それをエジプトに

力づくで受け入れさせた。

4か国条約にフランスが入っていないことがポイント。

プロイセンが2回目にオスマン帝国側についた。

オーストリアとプロイセンはおまけ程度。

列強をリードするイギリスの数合わせと思ったほう分かりやすくなる。

4か国条約も、イギリスが、残りの参加国を誘って結んだもの。

結局、フランスもエジプト支援から手を引き、イギリス側に付いてしまった。





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h_t_tomoto at 06:28 
プロフィール

T-SIRLOIN

Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
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