2018年05月28日

  カツオ出汁の濃厚さ


ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、鴨出汁そばであった。


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鴨出汁そば

カツオ出汁の濃厚さと鴨が絡み合って最高に美味しいのであった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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ピーマン肉詰めが滅茶苦茶柔らかて真剣に美味しいのであった。





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よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!











宋の国は武力が弱かった。

一つは相対的に強力な隣国を抱えていたから。

北宋時代の最大の敵であった遼はモンゴル系遊牧民の強力な騎馬軍団を有して

いた。

南宋時代は初期には金、後期にはモンゴルと相対した。

金は女真人の国で、女真人は1万人集まればかなわない、と称されるほどの強力な

騎馬民族だった。

モンゴルは説明不要。

元々春秋戦国時代から中国側の勢力は北方遊牧民に対して常に劣勢だった。

だから宋だけがやたら弱かったという訳ではない。

因みに、遊牧民国家というと中国側のバイアスがかかって野蛮人の国というイメー

ジがあるかもしれないが、実際は単純に野蛮という訳ではない。

遊牧生活は非常に合理性を重んじるので、柔軟で合理的という特徴を持っていた。

度々、北方遊牧民は中国にも侵入し、中国文化などを吸収しつつ成長していた。

遼は主力軍は重装騎兵で、製鉄などの技術力もかなりのものだったし、統治システ

ムもそれまでの遊牧国家のノウハウを生かした合理的なものを持っていた。

中国だから宋の方が圧倒的に文化レベルが高いと考えるのも先入観に惑わされて

いるというべきかもしれない。

ただ、宋代の軍隊の質が低かったのは事実。

宋代は募兵制によって兵を集めていた。

この募兵に応募した人々というのが、今でいえば失業者のような立場の人達だった

のである。

つまり、農民でしっかりと土地を持った人間ならわざわざ兵士などにならなくても

いい訳である。

社会的なエリートを目指すような人なら科挙受験を考える。

宋代のことわざに、「よい鉄は釘にならず、よい人間は兵士にならない」という

ものがある。

つまり、釘はクズ鉄から作ったということで、兵士になるように人間は社会的な

クズだという認識があった。

そのため、兵士の質が非常に低く、強力な軍事力をほこる遼や西夏との国境地帯に

は、膨大な兵士を配置しなければ防衛できないという悪循環を生み出した。

更に大兵力を必要としたため財政難を生み出し、それが北宋の致命傷となって

しまった。

因みに、科挙官僚が社会的エリートでしたので軍の指揮も主に科挙官僚が担いた。





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2018年05月26日

  心も薄っぺらくなりそう


この日はカレーライスを作る事にした。

使ったルウは三種類×2セットであった。


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この日の材料は『業務スーパー枚方高田店』で買って来た極々普通の国産牛

約3.0㎏と玉葱とじゃが芋であった。


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これらをいつもの大きな鍋の中にルウと一緒に入れた。

後は鍋が勝手に美味しく作ってくれるのであった。


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そんな感じのカレーライス。


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スタッフの皆と一緒に食べるカレーライス。

これがむちゃくちゃ美味しい。

ほんまにえげつない程に美味しいのであった。

使っている牛肉と野菜の量が物凄く多い。

それにより想像を越える美味しさが表現される。

これ程に美味しいカレーは中々簡単には出会えないだろう。

カレーは2013年6月28日の金曜日から作り始めた。

芥川賞が芥川龍之介を記念したものであることはだれでも知っている。

直木賞が直木三十五を記念したもの.

直木三十五の代表作というと、「南国太平記」しか残っていない。

それも長編だから、一般的ではない。

だから、読まれなくて、忘れ去られた。

直木三十五は、無名の作家ではない。

昔の人気作家も、時の流れで忘れ去られた作家になるということ。

直木三十五が亡くなってから、菊池寛は直木賞と芥川賞を創設した。

つまり、芥川龍之介が亡くなった時に芥川賞ができたわけではない。

ここが重要。

確かに現在の評価・感覚では、芥川龍之介と直木三十五を並べて置くのは無理が

あると思う。

芥川の作品はそれなりに読んでいるが、直木の物は一作も読んでいない。

二人の名前が文学賞に冠せられた理由の一つは、当時の知名度によると思う。

芥川についてはかなり知られた作家だったという事だろう。

但し現在のように日本人なら中学生でも大抵その名前を知っている。

と言う程ではなかった筈。

一方直木の方は映画制作活動などを積極的にやっていて、当時の一般的な知名度は

芥川よりも高いくらいだったのかもしれない。

もう一つ大きな理由は両賞を創設した文藝春秋社主・菊池寛にとって、二人がとも

に大切な友人だったからだと思う。

三人は学年で言えば同級生となる。

芥川とは一高時代からの親友で葬儀の際には弔辞を読んでいる。

直木とは上記の映画制作活動を長く一緒にやった“同志”である。

両賞は芥川の死後8年後・直木の死の翌年の1935年に設けられたが、菊池寛の亡き

友二人への思いを込めた命名だったと思う。

またよく言われる様に純文学と大衆文学を代表するという意味でも、二人を選ぶの

は据わりが良かったのだろう。

川端康成について言えば三人より7歳若く、菊池寛にとっては後輩格となる。

文藝春秋社の同人でもあり菊池とも親しかったので、もしもう少し早く生まれて

(そして実際よりもずっと若く死んで)いたら、「川端賞」も同時に誕生していた

かもしれない。

現在立派に「川端康成文学賞」があるので、当人に不満は無いと思うが。








昨日のお昼に用意されたのは『牛たん炭焼 利久』と言うお店の

『牛たん丼&牛たん炊き込み重』であった。


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牛たん丼&牛たん炊き込み重


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『利久』と言えば、仙台で超有名な牛たん専門店。

牛たんと言えば『利久』と言っても過言ではないぐらいに有名。

でも、まあー、有名かどうか知らんが。

薄っぺらい牛たん喰わされて全然旨いとは思わんかったわ。

薄っぺらい牛たん喰わされて心も薄っぺらくなりそうになったわ。

リピートは絶対にないなー。

的屋のたっちゃん曰く。

『利休のタンは元々薄いからどこれ食べてもあんなもんですよ』と言っていた。

利休が薄いのは俺は全く知らなかった。

大阪の牛たん定食はありと厚いもんな……。








『トップワールド香里園店』で『鹿児島産 旨水の鰻』を買って来た。


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あっつあつの御飯の上に『鹿児島産 旨水の鰻』を乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

見た目の濃厚な感じとは全く違って無茶苦茶柔らかくて優しい味わいである。

優しさの中でゆったりとした包容力に心が安心する。

『鹿児島産 旨水の鰻』は無茶苦茶真剣に美味しいのであった。








『万代寝屋川宇谷店』でマグロの切り身を買って来た。

マグロの切り身を漬けにした。


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とりあえず炊き込み御飯を作った。


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炊き込み御飯の上にマグロの漬けをトッピングした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

極々普通のマグロを漬けにする事で食感に高級感が生まれる。

このマグロの漬けと炊き込みご飯が絡み合って最高に美味しいのであった。








今週のおかず。





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ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は中華の素を使った中華鍋をした。


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水餃子と穴子を食べながらの中華鍋が無茶苦茶最高に美味しいのであった。








そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。





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うにゃうにゃとちゃんと言わん奴がいるとする。

最近はそう言う奴を。

『お前は日大かー!!』と言うらしい。

笑えんな。










894年、菅原道真の建議により廃止された遣唐使。

道真の頃は既に唐は黄巣の乱により消滅寸前にまで弱体化しており、907年に唐は

滅亡し、中国は五代・十国という分裂時代を迎える。

唐の滅亡とそれに続く中国の分裂・混乱時代、日本は王朝文化を栄えさせて

行く。

中国の混乱は朝鮮半島にも影響を与え、新羅も弱体化して後三国時代を迎え、

王建による高麗の建国へと繋がった。

中国の五代・十国の混乱を治めたのが趙匡胤による宋の建国(960年)である。

源氏物語がつくられ、藤原道長が活躍した西暦1000年ごろになって、中国はようや

く安定したことになる。

北宋によって中国が安定しはじめると日中の民間交易も盛んになり、奝然(ちょう

ねん)や成尋(じょうじん・阿闍梨の母集で有名)といった僧侶も宋へ渡って

いる。

宋は朱子学をはじめた朱熹が現れ、王安石による新法改革といった文治国家で

あり、武将は重んじられなかった。

宋は華北~満州に勢力をつけたモンゴル系遊牧民契丹(キタイ)には抗することが

できず、契丹を滅ぼした満州族の金にも叶わかった。

1127年、金は宋の首都に攻め込み、徽宗、欽宗をはじめとする皇族を拉致して

滅ぼし、中国の北半分を奪った(靖康の変)。

金に連れ去られた欽宗の弟が急きょ杭州(臨安)に建国したのが南宋である。

日本は摂関政治が終わり、院政が盛んな時期にまたもや中国は一時的ですが混乱

状態に陥った。

南宋は金を懐柔することで、何とか独立を保つことになり、再び中国大陸は平和に

なった。

宋の繁栄というのはこの南宋の繁栄のことを指す。

この南宋の繁栄に目をつけたのが平清盛だった。

平清盛の日宋貿易というのは南宋との私貿易のことを言う。

この頃の日本は西国を中心に商業活動が活発になっていて、南宋との交易から

決済手段に通貨を使うことがはじまっていた。

平清盛はこの通貨に目をつけ、南宋では使わなくなった古銭(北宋銭)を日本に

輸入することで莫大な富を得る。

朝廷に南宋の珍品(白磁や書画)を献上して、「南宋との貿易はこんなに素晴らし

いものが手に入って、儲かります!」と宣伝する。

しかし、国として公式に中国と貿易するには朝貢しなければならない。

朝廷が中国の皇帝にひざまづいて、弟のように振る舞うことで中国再度が貿易の

経費を持ってくれるので、朝廷は平清盛の貿易構想には否定的だった。

やがて、平氏は後白河院と対立し、源氏の挙兵によって壇ノ浦で滅亡。

時代は鎌倉を中心とする武家時代に突入する。

日本で鎌倉による武家政権が力を持ち始めたころ、大陸でも変化が起こる。

チンギス・ハンによるモンゴル民族の活動が活発化する。

鎌倉幕府が承久の乱により、朝廷の政治力を奪うようになった頃には金はモンゴル

によって滅ぼされ、中国大陸は北半分を支配するモンゴルと南宋に分かれる。

南宋では迫りくるモンゴルの攻撃から逃れるために日本に亡命する南宋の人も

増えた。

鎌倉時代にやってきた蘭渓道隆や無学祖元は南宋の亡命僧である。

ということで、北宋も南宋も軍事的には弱体であったため周辺民族の圧迫を受け

続けて苦しんでいた。

北宋も南宋も周辺民族の国に賄賂や買収を行って、アメを舐めさせて独立を維持さ

せていた。

日本は南宋を文化国として遇していたが、朝廷や鎌倉幕府は中国の中華思想は

拒否したので公的な国交はされないままだった。











宋、北宋、南宋の違い。

「北宋」は、960年に趙匡胤(ちょうきょういん)が建国し、五代十国時代を終わら

せて979年に中国を統一した王朝。

文治主義を取り、科挙を整備し、科挙官僚制を整備して皇帝専制政治体制を作り

上げたが、北方民族の遼・金の圧力を受け続け、それに対する軍事費が増大した

結果、国家財政難に陥り、11世紀後半に王安石が改革に当たりましたが

(「王安石の新法」)結果的には失敗した。

そして、1127年、金に首都開封を占領されて滅亡し、その一族が長江流域に移り

「南宋」を建国した。

その「南宋」は都を臨安(現杭州)に置き、長江流域の稲作等農業生産力を大発展さ

せたが、元のフビライ=ハンによって1276年に滅亡した。

「宋」は「北宋」・「南宋」どちらとも意味する。

例えば、以下の点では「宋」となる。

①支配者層は、地主階級(形勢戸)で、農民(小作人。「佃戸」)を雇い

「地主=佃戸制度」を確立する。

この地主制度は1950年の毛沢東による「土地改革法」迄続いた。

また、地主は「士大夫」・「読書人」と言われる知識人でもあり、科挙に合格した

官僚として支配階級を形成した。

また、地元では大商人でもあった。

②資源の開発・技術の革新が進み、各地の特産品と生まれて地域分業が行われ、

流通経済が発展した。

特に銅銭である「宋銭」が大量に鋳造されて国内だけではなく、海外に迄流出

した。

日宋貿易では平清盛が大量の「宋銭」を輸入している。

次第に銅銭が不足してくると、それを補う為に世界初の紙幣として「交子」(北宋)

・「会子」(南宋)が流通するようになった。

さらに地方には商業都市である多くの「草市」・「鎮」が生まれ、商工業者は

それぞれ「行」・「作」という同業者組合を結成した。

因みに「銀行」は銀を扱う商人の組合で、現在の日本の「銀行」の語源となって

いる。

③中国商人による盛んな海外との交易が行われて、商人の船(「ジャンク船」)は

遠くインド洋迄達した。

この海外との交易は元朝にも引き継がれて、ムスリム(イスラーム教徒)商人が広州

・泉州・広州等の港市に往来した。

④宋の時には、新しい庶民文化を生み出した。

その担い手は人口の大半を占める農民ではなく、学問・文学・絵画に秀でた

「士大夫」(上①での地主階級)だった。

飲茶(いんちゃ)の風習が普及して、青磁・白磁の陶磁器も景徳鎮で盛んに

製造され、高麗・李氏朝鮮及び日本にも輸出された。

特に儒学においては、唐までの訓詁学の形式的な理解にとどまっていた段階から、

「宋学」という世界観や精密な哲学的論理を極めていく学風が起こった(「南宋」

の時代に朱熹が朱子学として大成しました)。

そして、世界初の三大発明である、火薬・羅針盤・印刷術が生まれた

(但し「活版印刷術」を発明したのはドイツのグーテンベルクである)。





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2018年05月25日

  episode-134「アーモンドナンセット」


学校法人「森友学園」(大阪市)の補助金詐取事件で、詐欺罪などで起訴された

前理事長の籠池(かごいけ)泰典被告(65)と妻の諄子(じゅんこ)被告

(61)について、大阪地裁が23日に保釈を認める決定をしたことが、

関係者への取材で分かった。

弁護人によると、保釈金はそれぞれ籠池被告が800万円、諄子被告が

700万円。

検察側が決定を不服として準抗告する可能性がある。

とうとうあのうるさい夫婦だ出て来たな。

昨夕そんな事を考えていた。

すると江戸っ子どんと姫がここにやって来た。


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そして「お疲れ様です」と言って私の横に勝手に座りやがった。

私が「保釈されたみたいやな」と言った。

江戸っ子どんと姫「シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891年9月26日 -

1968年11月6日)は、当時ドイツ領であったアルザス・ストラスブールに生まれ、

のちフランスに帰化した指揮者です。

ルーテル教会のオルガニストで合唱指揮者のエルンスト・ミュンヒの息子として

生まれました。

一族には音楽家が多く、おじのオイゲン・ミュンヒ、従弟のハンス・ミュンヒ、

兄のフリッツ・ミュンヒは共に指揮者です。

またシャルルの姉のエマはアルベルト・シュヴァイツァーの弟のパウル・シュヴァ

イツァーと結婚しました」と言った。

私が「へ~っ、クラシック音楽にも精通しているんや」と言った。

江戸っ子どんと姫が「この辺は、ドン引きタツジさんとは違いますから」と笑い

ながら言った。

私が「ところで、野球には興味はないんか」と言った。

江戸っ子どんと姫が「ペリーの黒船来航について。

ペリーが鎖国している日本に開国しろと言って来ました。

なぜこんな遠い日本にわざわざ来て開国をせまってきたのか。

当時の日本を開国することでのメリットが何かあったのか。

ペリーが日本に開国を迫った理由は、カルフォルニアと中国とを結ぶ太平洋航路の

中継地点として日本が重要視されていたからです。

当時、アメリカでは北部の近代的工場により生産が急増、その中で綿製品の生産が

多かったことから、その余剰品の輸出相手として注目されていたのが清国であった

こと。

それと捕鯨業が盛んになり、19世紀の半ばになると捕鯨の漁場は大西洋から太平

洋に替り、捕鯨船の数も急増。カムチャッカ半島からオホーツク海まで進出するよ

うになったことから、東アジアに捕鯨船の寄港地を求める必要が生じたこと。

アメリカは蒸気船の造船ではイギリスと同等になったことから、最短距離でアジア

に達することができる太平洋航路の開発に乗り出したことから、日本を太平洋航路

の中継地としようとしたのです。

なおペリーは日本が開国を拒否した場合、琉球の占領と小笠原諸島の補給基地化を

狙っていました。

アメリカはアジア貿易で先行するイギリスを追い抜くため、どうしても寄港地の

確保が必要でした。

もし日本本土に寄港地を確保できなかった場合、琉球と小笠原諸島は必須であり、

占領するつもりでした(ペリーは琉球と小笠原諸島に寄港し、琉球は遠征の基地化

を容認。小笠原諸島は補給基地化として準備を整える)。

なおペリーには日本の開国の他に重要なミッションがあり、それは太平天国の乱で

混乱する清国において、アメリカ人を保護することでした」と言った。

私が「ところで、最近の業績はどう」と聞いた。

江戸っ子どんと姫が「今のところは何と頑張れています。

この調子でなんとかノルマーを達成したいと思っています。

この前ランチで香里新町にある『インド・ネパール料理&バー シワリラ』へ行って

来たんです。

ここはカレーとナンが美味しいと評判です。

わたくしはいつもAランチを注文しています。

わたくしがお店の中に入った瞬間死んでしまいそうなぐらいにえげつない悪臭が

したんです。

お店の中を見るとなんとあのハゲでエロの越後のちりめん性行為が奥のカウンター

席に座りながら真面目な顔をして生意気にアーモンドナンセットを食べているん

です。

あのハゲの越後のちりめん性行為が普通の真面目な顔をして食事を普通にしている

姿を見てわたくしは真剣に驚きました。

本当にびっくりしました。

あのハゲ頭の存在そのもので仁義愛将軍様の下痢便も果報は寝て待てみたいな物に

なります。

わたくしは心の中で“ざっ!けんなよ!!このハゲ~!!”と叫んでいました。

わたくしは気づかれない様に別の席に座ったんです。

すると“やーっ”と言って、ハゲ頭の越後のちりめん性行為がトレーを持って

わたくしの横に座るのです。

横ですよ。

普通は向かいに座ると思うのです。

常識の微塵も感じられないハゲの越後のちりめん性行為の行動には呆れるばかり

です。

頭突きでもくらわしてやりたいと思いました」と言った。

私が「頭突きって。

なんじゃーそれは。

プロレスの技やんけ。

でも、何となく言いたい事は理解出来る」と言った。

江戸っ子どんと姫が「越後のちりめん性行為の余りのキショクの悪さに吐きそうに

なります。

わたくしが越後のちりめん性行為にちょっと聞いてみたんです。

“ねえ、ねえ、越後のちりめん性行為さんはどうしていつも2014年のアメリカの

ホラー映画の『アナベル 死霊館の人形』に出て来るアナベルみたいな顔をしてい

るんですか”って。

すると越後のちりめん性行為さんが“アナベル顔には天才肌が多いんだ。

アナベル顔は天性のものなんだ。

作品は『死霊館』の1968年に若い女性2人と男性1人がエドとロレイン・ウォーレン

夫妻にアナベルという呪われた人形についての体験談を語る同じオープニングシー

ンで始まる。

1967年初期、ジョンとミア・フォーム夫妻は第一子を待ち望んでいた。

ある日ジョンは人形が好きなミアが探していたアンティーク人形を見つけてプレゼ

ントする。

その日の夜、ミアはお隣のヒギンズ夫妻の家から人が襲われているような物音を耳

にし、その直後ミアもプレゼントされたばかりの人形を手にした女と男の殺人鬼に

襲われる。

僕の様な天才肌は最高のオナニーの道具(究極のアダルトグッズ)である

『TENGAバキュームコントローラー』を使って最強に興奮しながら大量に射精す

るんだよ。

僕の様なアナベル顔の天才肌が『TENGAバキュームコントローラー』を使い

こなすって凄いと思わないか。

『TENGAバキュームコントローラー』を使いこなすのは世間では僕だけだよ”と

意味不明な事をぬかすんです」と言った。

私が「アナベル顔って。

何が言いたいのか全く理解出来ないな」と言った。

江戸っ子どんと姫が「越後のちりめん性行為さんはハゲ頭のアホみたいな

ピコ太郎だと思いました。

アホみたいな顔をしたドン引きタツジさんは相変わらずクソ面白くありません。

それに会社の廊下でよく転んでいます。

わたくしはこのまま頑張って突っ走ります」と言って拳を突き上げた。


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相変わらずこのくだりがクソ面白くなくて笑いにもならない。

そう思った瞬間、沈黙となった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はカレーを食べる事にした。


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焼きそばを食べながらのカレーが最高に美味しいのであった。






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日大アメフト部のラフフレー問題。

集団心理のようなものであろう。

そういう集団の中にいると、おかしいんじゃないかと思っても、声を上げて

それは違うとは中々言いづらい。

体育会は楽しむためではなく、勝つためにスポーツをするところ。

楽しみたい人はサークルに行く。

みんな勝ちたいから必死に練習するわけです。

学生スポーツとはいえ、近年特に日本一を目指す強豪チームでは、

現役の選手よりも監督やコーチ、OBが戦略を練り、次の試合への準備を入念に

進めます。

当然次の試合に出場する選手の選択も上が決定し、選手は出させてもらう感じ

ですね。

関学のようにずっと昔から「堂々と勝ち堂々と負けよ、勝負より大事なのは

この態度なのだ」という気風があれば良いのですが、残念ながらガラの悪い

粗暴なのが監督コーチ陣にはびこっているのが実情と言えるでしょうね。

何言ってるんだお前ぶっ飛ばされてーのかで終わりだと思います。

正直、今回のプレーの件に関しては、最初に見たときは「こりゃひで~わ(怒)」

という感じだったのですが、段々と「日大か~選手も逆らえないしちょっと

可哀そうな気もするな~」になってきましたね。

これを関学の選手がやったら、烈火の如く怒りますが、日大、となると~‥‥。

チームの雰囲気というのはチームごとに違いますし、だからこそ指導者は

しっかり指導してもらいたいんですがね。

栄氏のような筋肉脳が多いのが現状です。



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2018年05月24日

  腹パンパン状態


その後向かったお店は『炭火焼肉 炎KICHI』であった。


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店内に入るとわりとお客さんが入っていた。

我々は入り口に近いテーブル席に座った。

早速注文をした。

注文は、

ロース(680円)とカルビ(680円)であった。

直ぐに生ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!


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ロースとカルビ

正直『中華料理 大幸 香里園店』で八宝菜を半分ぐらい食べている時点で

腹パンパン状態になっていた。

『炭火焼肉 炎KICHI』の並の肉は見た目と違ってめっちゃ柔らかくて美味しい。

これは素直な感想である。

ところがこの日のこの時点でもう食べ物を見るのも嫌になるぐらいに腹パンパン

状態であった。

ほんまに無理からのそれでも焼肉食べるのかって感じだったので。

ほんまにごめんな的な感じで焼き肉を食べたもんやから

美味しいもくそおもなかった。

普通なら普通に美味しいと言いたいことろが。

ほんまにごめんやで『炭火焼肉 炎KICHI』

次回はちゃんとしたコンディションで訪問する。

猛牛ポーズをした。

猛牛ポーズ!!

そんな感じの『炭火焼肉 炎KICHI』であった。




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ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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マグロの漬け丼が想像を超える美味しさでびっくりした。





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自宅のパソコンから。

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① 唐滅亡後の中国を再統一したのが北宋

② 北宋、現中国東北区に建国された金国によって首都開封陥落時の皇帝や

皇族など金に連れ去られる (靖康の変という)

③ 北宋のある皇族が逃げ延び、臨安 (現杭州) を首都として南宋

 (およそ長江以南が領土) を建国











洗衣院は金の官営の妓院(売春施設)。

金王朝は女真族が建てた国で、女真族は後の満州族の先祖ですので、現在の国籍で

は確かに中国の中の少数民族のひとつ。

しかし、1000年前には漢族と別の民族とみなされていた。

漢族とは違う外国人の事。

1127年、金は宿敵・遼に対し同盟(海上の盟)を結んでいた北宋とその背信行為

(北宋は遼の残存勢力と結び金を牽制したりした)を理由に開戦し、北宋の

国都・開封まで陥落させる猛攻を仕掛けた。

これが靖康の変と呼ばれる事件。

国都が占領され、皇帝・欽宗をはじめ皇族もほとんど全員捕まった北宋は、

これによって一旦滅びますが、捕まった皇族や宮女・関係者たち11600人超

(『開封府状』の記載人数)は現在の中国東北部にある金の根拠地・会寧へと

連行されてしまいた。

上記の靖康の変は1127年だが、金の建国はそれから僅か12年前の1115年。

狩猟採取民であった女真族(初歩的農業や牧畜も行っていた)を完顔阿骨打が

統一し、僅か12年で大国・北宋を滅ぼしている。

靖康の変当時は第二代・太宗の治世だが、まだまだ北方遊牧・狩猟民族の気風を

十分に残している時代だった。

彼らの部衆統治の鉄則は、戦闘(戦争・戦役)に参加した者への戦利品の公平な分配

である。

中国(漢族)的な皇帝の絶対権を北方の遊牧民や狩猟民は持っていない。

褒美は皇帝(指導者)の恩恵によって“与えて貰う物”ではなく、公平な盟主(部族

連合の長)の公平な判断で、各自(各部族や支族、氏族などの単位)の功績によって

“分配されてしかるべき物”なのである。

金銀財宝、絹や工芸品、家畜、各種動産も貴重な戦利品ですが、捕虜も戦利品。

当然分配されてしかるべき戦利品として扱われることになった(我々日本人のよう

な農耕民にとって一番貴重な財産のひとつは土地・農耕地などいわゆる不動産

だが、遊牧民や狩猟採集民はこの意識が希薄。当時の金朝の有力者や部衆も

財産=隷属民や財貨などの動産と考えていた)。

『南征録匯』によると、捕虜となった女性達には値段が付けられた。

出自(皇室との近遠)や容貌で金額が設定された。平たく言えば、1万円の価値しか

付けられないブス10人より、11万円の価値を付けられた美女1人の方が、価値が

あった訳だ。「A将軍は100万円の手柄を立てたから、30万円分の金と50万円分の

絹、10万円の美女一人と1万円のブス10人を褒美に分配する」といった具合。

そうやって公平な戦利品の分配をした。

10万円と金額設定された女性をそのまま分配したら、受取る側(功労者である将軍

や部族長)には10万円しか分配しない事になるが、彼女を洗衣院に送り込んで1回

1000円の安値で100回以上客を取らせたら10万以上の“価値”を稼ぎ出す訳。

功労者に10万渡して、さらに自身で利益が取れるわけで、言うなればえげつない

公営の投資・利殖制度。

『呻吟語』や『燕人麈』には「戦利品の子女をもらった金の将兵は、そのほとんど

(90%)を娼婦として妓楼に送った」と記載されている。

つまり、捕虜女性は戦功者男性自身の性欲のためではなく(自分がもて遊んだあげ

くの他者への有料分配という場合もあったのだろう)、あくまでも利益を生み出す

財産として扱われた。

現在の道徳・倫理の基準で言ったらとんでもない事だが、当時の女真族をはじめと

する北方諸民族にある合理的な分配方法であり、揮下にある部族民の軍隊の統率と

社会秩序の公平な政策だった。

すでに首都を占領し滅ぼした異民族(女真族から見れば漢族は異民族)の敵国の権威

は十分に落ちていた。皇族や市井の子女を陵辱すれば、異民族の大衆の忠誠心は

失われるどころか逆に反感を生む。(実際に金は自身が支配地域とした華北の反乱

に手を焼き、北宋が南方に遷った南宋との戦争状態に苦しんだ)

敵国の皇族関係者の捕縛や捕虜女性の分配や売春強要は、敵国民の忠誠心に打撃を

与える目的の外交戦略の一環などではなく、自国の戦争功労者への利益分配という

国内問題を目的に行われたいわば内政政策だった。

『靖康稗史箋証』は南宋の確庵が編纂した捕虜女性達の消息。

複数以上の証言や典拠によっている点で現在の歴史学会でも高評価を受けて

いたが、それを見たであろう南宋の士大夫たちの憤懣も想像できる。

いつの時代であっても残虐で無慈悲な政策というのは長期統治や国勢の増大には

不利である。

近代以前に中国が日本を侵略するのは地理的・交通手段的に極めて困難。

元寇等など失敗例しかない。

実例がないので“日本が敗戦していたら”という仮定は全く無意味。





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2018年05月23日

  舌鼓が鳴り響く


その後向かったお店は『中華料理 大幸 香里園店』であった。


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ここもTちゃま倶楽部の飲み歩きのレギュラーのお店である。

いつもの様に事前に予約は入れておいた。

店内に入ると結構お客さんが入っていた。

流石は寝屋川市で人気の中華料理店だと思った。

我々は奥のテーブル席に座った。

早速注文をした。

注文は、八宝菜と餃子であった。

先ずは『ウコンの力』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!


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引き続き瓶ビールで乾杯をした。

乾杯ー!!


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八宝菜と餃子

優しい味わいの中でのしっかりした美味しさに舌鼓が鳴り響く。

本当に美味しい中華料理は何度食べても全く飽きない。

流石は北河内で一番美味しいと評判の大幸の力を感じるのであった。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『中華料理 大幸 香里園店』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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レンコンの天ぷらが真剣に美味しいのであった。





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読み逃げは厳禁ですよ――!!







 










女真族が中国東北地方(後の満州)で、完顔阿骨打を中心にまとまって、金という

国家を建設したとき、遼帝国は圧倒的な力を持っていた。

北宋との関係は、澶淵の盟以来、遼が宋から貢物をもらって平和を維持する

という遼が軍事的に有利な状態が続いていた。

実際に、北宋が遼と戦っても勝てなかった。

(北宋はさらに西夏などの外敵も抱えていた)

遼にとって、女真人の金の建国は野蛮な異民族の反乱程度にしか考えていない。

(契丹人も文明的になると、周辺の民族を見下した)

この金と北宋の間でひそかに軍事同盟が結ばれる。

これを海上の盟と言った。

胡散臭い人物を仲介にして、金と宋が同盟して遼を挟撃しようというものだった。

実際に行動に移したのだが、遼を軍事的に撃破したのは殆ど金が単独に行った。

北宋側は方臘の乱などがおこっており、それどころではなかったのだが、相変わら

ず軍事的に弱体で、遼への攻撃で成果を上げることが出来なかった。

宋の違約。

この違約とは金と宋の軍事同盟を結んだ際に結んだ約束をたがえたという。

北宋が望んでいたのは燕雲十六州の奪還。

特に燕は現在の北京で、遼にとっては南の首都(南京)の燕京だった。

これを奪還することが宋軍の最大の目的だったが、自力では奪還できず、

金がここを実質攻略した。

というような、領土の取り合いで、金と北宋はもめてしまい、金の側は宋が誠実で

ないと考え、この同盟を破って、宋を攻撃したということ。





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h_t_tomoto at 06:29 

2018年05月22日

  肌艶が素晴らしい


その後京阪香里園駅前まで移動した。

そして向かったお店は『炭火焼肉 牛味苑』であった。


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ここも事前に予約を入れておいた。

店内に入ると結構お客さんが入っていた。

我々はいつものドアの近くのテーブル席に座った。

早速注文をした。

注文は、ロースとカルビと伊万里牛ハツ(心臓)であった。

先ずは『トップグロンEX』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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ロースとカルビと伊万里牛ハツ(心臓)

全ての肉の肌艶が素晴らしい。

この肌艶を見ているだけで美味しさが単純に想像出来る。

肉質は柔らかさが主張されて甘味がそこに付いて来る。

後味の素晴らしさに笑みがこぼれる。

本当に美味しいと思える焼肉なのであった。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『炭火焼肉 牛味苑』であった。




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ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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牛のロースが無茶苦茶柔らかくて最高に美味しいのであった。






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自分の携帯電話から。

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会社のパソコンから。

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中国の宋(北宋)の時代で王安石が提唱した新法の一つ、募役法。

「免役銭」「助役銭」

免役銭も助役銭も「役」が入っている。

免役銭であれば、差役を免除するためのお金という意味。

ということで、差役(差役法)を理解しなければ意味がつかめない。

差役とは、宋代の徭役。

徭役は、力役や賦役などともいうこともある。

全般的に言えば、労役の一種ということになるだろう。

この辺りは一つ一つの言葉を辞書で調べる必要がある。

宋代の差役とは政府が必要とする労働力を民衆に割り当てるもの。

租税の運搬など、いろいろな仕事があった。

差役の「差」とは差配の意味で、これらの仕事を割り当てるということ。

基本的に一般庶民は資産などに応じて、それ相応の仕事を割り当てられた。

しかし、官僚の家(官戸)であるとか、寺院などは差役を免除されていた。

王安石の募役法は、この差役法にメスを入れる改革だった。

まず、差役を割り当てられていた家に対して、免役銭を徴収した。

つまり、差役を免除する代わりのお金を集めた。

そのお金で新たに人を雇って、仕事をしてもらうという。

これは、学校の清掃をイメージすると分かりやすいかもしれない。

放課後などに清掃をすると思うが、これは義務。

ボランティア的に掃除をしている。

海外の学校では、専門の業者が清掃を行うような学校が多い。

そこで、クラスで一人当たり月××円を集めて、そのお金で業者を雇って掃除を

してもらおうというのが、免役銭にあたる。

一方、助役銭とは、今まで差役を免除されていた人々にもお金を払ってもらおうと

いうもの。

王安石は、負担の公平化を図った。





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2018年05月21日

  まさに韓国屋台その物


5且19日の土曜日、京阪香里園駅前のビルの中で大手ゼネコン主催の講演会が

あった。

講演会は3時からであった。

私は1時間程だけ参加した。

その後タクシーに乗ってJR天満駅前まで移動した。

そして、いつもの様に飲み歩きをした。

この日のお供は『アルピナ8世』であった。

『アルピナ8世』とはJR天満駅前に4時50分頃に待ち合わせをした。

私は4時40分に到着をした。

すると『アルピナ8世』は既にそこに立っていた。

流石はTちゃま倶楽部のメンバーであった。

Tちゃま倶楽部のメンバーは無茶苦茶死ぬ程に時間厳守なのであった。

5時に待ち合わせをして、5時丁度かちょっと過ぎに来る奴はアウト。

もっと遅れて来る奴。

そんな奴は出禁じゃー!!

先ず向かったお店は『韓国屋台Mr.チージュ』であった。


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ここは生まれて初めての訪問であった。

店内に入ると開店と同時に入ったのでお客さんは我々だけであった。

我々は奥のテーブル席に座った。

早速注文をした。

注文は、『名物!チージュコプチャン(1人前)(1,680円)』×二人前であった。

先ずは『チオビタゴールド』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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名物!チージュコプチャン

コプチャン(朝: 곱창)は、食肉における牛の小腸の名称。

「シロ」、「丸腸」、「ホソ」、「コテッチャン」などとも称される。

一般に丸腸(マルチョウ)と呼ばれる場合、切り開かずに裏返してそのまま

ブツ切りにしたものを指すことが多い。

名称の由来は、「牛の小腸」を意味する朝鮮固有語「コプチャン」から。

京阪香里園駅前からわざわざJR天満駅前の『韓国屋台Mr.チージュ』までやって

来た理由。

それは超簡単。

京阪香里園駅前の『炭火焼肉牛味苑』で勤務していた綺麗な女性店長の稲嶺あかね

さんが『韓国屋台Mr.チージュ』に移動して新たにここの店長になったからだ。

『4月18日から天満のお店に移動になりました』

『じゃー、近いうちに必ず天満のお店に行きます」

こんな感じで、この日訪問したって訳だ。

『韓国屋台Mr.チージュ』はチーズメニューが多彩な韓国料理店。

昨年の11月29日にオープンしたばかりであった。

店内に入るとドラム缶テーブルが待ち構えていて食器や箸は韓国製。

おまけに流れるBGMもK-POP。

そこはまさに韓国屋台その物であった。

と言っても、俺は韓国へは行った事はないが。

肝心の味は。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

鍋のサイドの溝に2種類のチーズは添えられていた。

野菜たっぷりの鍋にホルモンが乗せられている。

煮立った野菜やホルモンをその淵のチーズを付けて食べる。

出汁はお味噌の何とも言えない美味しい酸味が効いていて、それとチーズが物凄い

勢いの旨さで絶妙にコラボしている。

食べ始めると箸が止まらなくなる程に美味しい。

食べた瞬間から速攻で病み付きになってしまった。

これなら今後のTちゃま倶楽部のレギュラー決定であった。

ほんまに美味しかった。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『韓国屋台Mr.チージュ』であった。

5時開店から、次々とお客さんが入って来ていた。

その全てが女性客であった。

気が付くとあっと言う間にほぼ満席状態になった。

そして全てのお客さんがチーズの鍋を注文していた。

やっぱり女性は皆チーズが好きなんやと思った。

中々の人気店って感じであった。

結論から言うと『韓国屋台Mr.チージュ』は女性受けする韓国料理店であった。

そう言う意味で稲嶺あかね店長がここに移動した理由が納得できる。

女性客には女性店長を抜擢って感じだろうか。

因みに、的屋のたっちゃんはチーズを中心に乳製品が全く食べれない。

かわいそうやけど。

乳製品ほど美味しいのはないのに。

今回のお供の『アルピナ8世』

待ち合わせ時間の1時間前からJR天満駅の改札口に立っていたらしい。

単に立っていた訳ではない。

到着すると先ずは今回初めて訪問する『韓国屋台Mr.チージュ』の位置関係とかの

確認する為にあらかじめお店の前まで行く。

次は一番効率よく辿り着ける道順を確認する。

それらはあくまでも俺が楽に行ける為の行動であった。

全てを確認したらひたすら改札口前で俺を待つ。

これ、これ。

こう言う行動が出来る者が出来る業者と呼ぶ。

『飲みに行こうや』と言われて、単に時間通り待ち合わせの場所にやって来る

アホみたいな奴。

こう言う奴が一番タチが悪い。

まあー、言うたら、エエとこ取りっちゅー奴や。

自分が業者の人間だと言う自覚が全くない奴。

やっぱり、せめて30分前にはそこに立っておらんと。

何が起こるか分からんもんな。

しゃーけど、1時間前にやって来て、お店の確認をしてって、中々できん事やと

思うわ。

『アルピナ8世』が『駅前でいろいろな人が待ち合わせをしています。

その様子を見ているだけで結構飽きが来ないです』と言っていた。

『アルピナ8世』は業者としてはベテラン。

流石やと改めて感心した。

若い業者はこの辺をどう見習うかやと思うわ。

ほんまに。






チーズとかの乳製品は腹持ちがいい。

ある程度は想像はしていたが。

これ程とは。

予想通り、この日は最後まで辿り着けなかった。

残念。

これこそ、危険な飲み歩きやと改めて思い知らされた。(^^♪










ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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ゆで卵が最高に美味しいのであった。






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よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!







 










王安石の新法と言えば、青苗法、市易法、均輸法、保甲法など国内の経済・軍事に

関する法律や法令が有名だが、実は外交でも、それまでとは違う政策を取って

いる。

遼や西夏に融和政策を採っている。

歳幣の増額や朝貢での優遇、交易の緩和を行っている。

どこからその財源を持って来たかというと、交易緩和で多くの物を輸出し、

自国が不利になった分を補った。

当時の宋と遼、西夏の貿易関係は宋側の大幅な輸出超過だったので十分可能

だった。

また、塞外二か国と修好が成立したおかげで、領内北方の軍事負担が大幅に軽減さ

れ、民衆も生業に集中する事が出来た。

この外交政策の成功も王安石の新法によって宋経済が回復した大きな要因である。

この王安石の政策が継続されていれば、宋は遼、西夏と戦争する理由がない。

実際には王安石引退後、神宗は西夏に戦争を仕掛けている。

国力隆盛に自信があったのだろう。

結果は惨敗で、これによる心痛が元で神宗は死んでしまった。











司馬光は王安石の新法を批判して実権を握ってからは尽く新法を廃止にしたが、

直ぐに病死した。

仮定として「司馬光が10年ほど長生きしていたら」

想像に頼るしかないとは思うだが、政策の転換や変更などはしなかったのではない

かと思う。

司馬光は「保守思想」の持ち主であり、新法に反対したのもその保守的な思想から

の反対でしかないとしか思えない。

寿命に恵まれていたとしても、新法を取り入れる事はもちろん政策の変更なども

行わなかったのではないかと個人的には思う。

司馬光は儒学者であり非常に保守的な考え方をした人物だと思う。

儒学者が必ずしも保守というわけでは無いのだが、やはり思想上の大勢としては

そう感じられるし、司馬光自身が保守主義者であった事を示す例は幾つかある。

資治通鑑が「春秋」と同じ編年体で著されている事もそうだし、青苗法や市易法な

どへの批判に見る「王朝が商人のように利子を取る事は許されない」という趣旨の

発言なども明らかに儒学思想によるもので、この批判は保守的なものであり

「経済」という観点からのものではない。

資治通鑑にしても後の朱子学に通じる編纂姿勢が窺えるという評価もあるのだが、

やはり司馬光は儒学者として新法に反対し儒家官僚として旧法を復活させたという

事は事実なのではないかと思う。

司馬光はそうした儒教的な信念と良心によって政治活動を行っていたのだから、

新法の特色である「経済政策」という面に嫌悪感を持ち、それが故に旧法を支持し

たのではないかと思う。

旧法派と呼ばれる人の中に後に儒家から「二程子」とも呼ばれる程顥がいたのも同

様の理由からであったと思うが、商行為を卑しい事とする儒者としては、思想上か

ら新法のような経済を主眼とした反儒学的な政策は「悪」でしか無かったという事

のようだ。

同じく旧法派の中には詩人として名高い蘇軾や弟の蘇轍も居た。

蘇軾や蘇轍は旧法派とは雖も募役法などの一部の新法の効能は認めており一定の

理解を示していた。

宰相となってからの司馬光の新法撤廃には反対もしているのだが、この反対意見を

司馬光は退けて二人を左遷している。

これは司馬光が新法の有用性などを顧慮する事なく、旧法を排除する事だけを主眼

にしていた事を物語っており、新たな経済政策の腹案や政策転換などの意思が殆ど

無かった事を示していると思う。

司馬光が「党派」の争いとなる事を警戒していた可能性もあるのだが、結果的には

司馬光が死去すると旧法・新法の政策論争は権力闘争・政争となっている。

宰相就任後、10年ほど長命していればそうした党争が起らなかった可能性もあるの

だが、逆に言えば党争が激化した可能性も同じだけあり、旧法復活による経済の

ひっ迫や財政危機などにより司馬光は汚名を着て死んでいた可能性もある。

色々と想像は出来ると思うが、司馬光の思想や行動・言動を見る限り、旧法を復し

た後は政策を変える意思も動機も無かったように思う。





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プロフィール

T-SIRLOIN

Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
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