2018年09月26日

  最高の馬刺しがある


『ホルモン徳いち』はほんまに真剣に美味しかった。

その後向かおうとしたお店は『焼肉富鶴』であった。

ここも超人気の焼肉店である。

それで行く前の電話を入れた。

扇の要が『もしもし。今から二人で行きたいのですが、席、空いています。

満席ですか。30分ぐらいですか。それでは席が空き次第、電話をくれますか』

こんな感じの会話をした。

それで時間潰しに向かったお店は居酒屋の『満ぞく屋』であった。


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ここも人気の居酒屋であった。

店内に入ると結構お客さんが入っていた。

我々はカウンター席に座った。

早速注文をした。

注文は、おでんで、玉子×2個と大根と厚揚げであった。

先ずは『トップグロンEX』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き瓶ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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玉子と大根と厚揚げ

味がめっちゃシュンでいて真剣に美味しかった。

扇の要は熊本県出身。

その扇の要が『熊本にはこんな美味しいおでんを食べさせてくれる居酒屋はない

です』と言っていた。

それで俺が『その代わり最高の馬刺しがあるやんけ。

最高の馬刺し比べたらおでんなんかチンケなもんやで。

しょーもないおでんよりも九州の甘くて濃厚な醤油で食べる馬刺しの方が絶対に

美味しいわ』と言って大笑いになった。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの居酒屋の『満ぞく屋』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はハヤシを食べる事にした。


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冷奴を食べながらのハヤシが真剣に美味しいのであった。










 










中世の西欧はキリスト教(カトリック)に支配されていた時代。

ローマ教皇をトップとするカトリックが西欧の社会・文化に君臨し、カトリックの

教えから少しでも離れた考えや教えは異端として厳しく処罰された。

ルネサンスはキリスト教が広まる前の西欧世界である古代ギリシヤやローマ帝国

時代の文化を見直す文化運動で、「古代の人のほうが、中世の頃よりずっと自由で

活き活きとしていた」事に驚愕を覚えた。

宗教改革は中世に渡って君臨したカトリック教会のあり方に疑問を投げかけ、

本当の新興とは聖書にあるものだとする原点回帰の事である。

まとめていうと。

ルネサンスはカトリック教会によって画一的だった中世文化に古代にあった人間性

豊かな活き活きとした文化の良さを再認識させ、宗教改革はキリスト教の本来の

新興の原点回帰を呼び起こしたため、人間味のある個性と合理性に富んだ近代的思

想・価値観を育む文化の原点となった。

という感じになる。

ルネサンスと宗教改革は近代思想・価値観文化の原点になったもの。

サン・ピエトロ大聖堂の様な聖堂の目的。

聖堂には種類がある。

例えばサン・ピエトロ大聖堂などのように「大聖堂」とされるのは司教以上がいる

教区の中心施設である。

ふつうの聖堂はいわゆる教会堂(ふつうの教会)で司祭(or牧師)がいて小教区を

担当する。

聖堂は別にお墓が併設されている必要もなければ納骨堂もないところもある。

とにかく神に祈る場(礼拝堂)があればなんでも教会堂になる。

日本の教会でもビルや一軒家に十字架付けただけの教会がある。

別にお墓も納骨堂もないものが殆ど。

ただし貴族の屋敷とか城の横に付いている礼拝堂は教会にならない。

個人所有じゃなくてコミュニティの集会場として機能しないとならない。

という事で聖堂というのは教徒の集会場兼儀式の場という事になる。

キリスト教以外の新興宗教でもコミュニティの場と儀式は付き物。

仏教のお寺と似て異なる。

それで人が集まるという事で儀式もやるとなればついでにお墓も近くにあった方が

都合がいいという事で併設してあるところも多い。

教会と聞かれてイメージが田舎の教会の様に墓と十字架つけた尖塔のある教会に

なっている人が殆どであろう。

でもあれは別に必須ではない。

カトリックの場合、小教区を担当する教会(聖堂)の上には司教座という地域を

まとめる大聖堂がある。

更にまとめる大司教座を持つ大聖堂があり、最終的に総本山のバチカンに

まとまる。

市役所、県庁、国会議事堂みたいな感じ。

いくら法律を決める場だからと言っていきなり国会議事堂に異議申し立てしに行く

人はいないと思う。

例え隣にバチカンがあっても、何かあったら先ず地元の小教区にお世話になる。

小教区はその地域住民全員が日本のお寺の檀家のように所属しているので、

日々のコミュニケーションをする。

日本のお寺と教会の違いは日々集まるかそうでないかである。

日本のお寺はイベントがないと普段集まる事はない。

それどころか現代ではイベントがあっても集まらない。

葬式くらいであろう。

でもキリスト教会は聖堂に何かなくても集まる。

アメリカでは学童保育の方に地域の5歳から18歳未満くらいの子供が年齢関係

なく放課後集まる場になっている。

別に特別何かする訳ではない。

日曜日にはちゃんとしている人なら必ず教会に行くし、日曜じゃなくても教会に

行って近所の人と喋って帰って来たり、司祭に愚痴を言って帰る人もいる。

という様に日々の地域コミュニティ施設になっていて、日本のお寺の様に行くとな

ると理由があるという事はない。

少なくとも死んだ時にお世話になるのは理由の一部に過ぎない。










トランプ大統領はこのままの状態で行くと大統領をやめなきゃならなくなる。

理由は今・ワシントンポストの高齢ながら今も現役の記者として活躍中の

敏腕記者が今まで自分が取材していて見た・ホワイトハウスの殆ど全ての

恥部や内幕等の言わばトランプ大統領の今までの問題行動や過激な発言や

大統領の言わば全部・アキレス腱とも言うべき内容の問題の本『恐怖(日本名)』

っていうが今アメリカ国内で直ぐにソルドアウト(完売)する程のベストセラーに

までなってて今やアメリカ国民の必読の書となってて、この本を買う人は

皆・今のアメリカが病んでる原因を探りたいっていう人が殆どで。

後、今・大統領の所属の共和党の中にもアンチトランプ派が結構沢山いて、

無論、対立する民主党は今・なんとしてもトランプ大統領を弾劾に追いこむと、

ホワイトハウスからトランプ大統領の永久追放に向けてやる気満々だし、

政権内でもみんな殆どがトランプ大統領を批判する人達っていうまさに

トランプ大統領にとっては絶体絶命の大ピンチの状況。

今のままの状況でいくとトランプ大統領は・十中八九・11月の中間選挙の前か?

その後に?、必ず・弾劾裁判に追いこまれてトランプ氏は大統領を辞めなきゃ

ならなくなると、思うが?

ロシアンゲートが本格的調査、捜査されれば命取り。

只でさえどこを叩いても埃の出る輩だからアメリカの大統領選挙に外国が

介入したとなれば前代未聞だろうしそれをトランプが知っていたとなれば

ロシアに何らかの見返りは払わなくてはならない。

ロシア有利な政策を取らざるを得なくなる。

トランプの今までの親露的政策を見るとやはりと誰しも思う。

最もトランプ暴露本によるとトランプは、まさか自分が大統領になるとは

思っておらずこれが命取りになるとはつゆぼど思って無かった。

所謂泡沫候補が当選した。

トランプに公職者の責任感、倫理観皆無のアホアメリカ国民もやっと事の

重大さに気づいた。

トランプも弾劾回避の為になりふり構わず自己保身に走る。

民主主義は時としてあんなゲテモノを生み出す。



h_t_tomoto at 06:38 

2018年09月25日

  生まれて初めてのマメ(腎臓)


『焼肉美食亭 いわや』は真剣に美味しかった。(?)

その後『大阪メトロ長堀鶴見緑地線』に乗って再び京橋まで移動した。

そして向かったお店は『ホルモン徳いち』であった。


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この日も素直に入れるかどうか不安を抱きながらお店に向かった。

素直に入れる率としては結構低い。

それぐらい『ホルモン徳いち』は京橋では超人気の焼肉店である。

前にも書いた事があるが結構な回数だけ行列で入れなかったと言う経験があった。

期待と不安を抱きながらお店の前にやって来た。

すると席が空いていた。

思わず『ラッキー』とつぶやいた。

店内に入るとほぼ満席状態であった。

我々は右側のカウンター席に座った。

この日も注文は『おすすめ』のボードから選んだ。


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選んだ注文は、肩ロースとシビレ(膵臓)とマメ(腎臓)であった。

先ずは『チオビタゴールド』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き瓶ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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肩ロースとシビレ(膵臓)とマメ(腎臓)

この日もちゃんと焼き用の箸と食べる箸は分けて使った。

今回マメ(腎臓)は生まれて初めて食べた。

見た目からここが腎盂である事が分かるぐらいにしっかりとした腎臓であった。

ハツ(心臓)に近い感じの食感と言いつつ微妙な違いがあって独特の味わいで

あった。

まあー、まあー、癖があったかな。

シビレは相変わらずの美味しさでこれまた独特の食感が楽しめる。

基本肩ロースは少し硬いのが特徴的である。

しかしこの肩ロースは全く硬さを感じずに柔らかさだけが口の中に美味しさとして

後を引きながら口の中に残る。

抜群の美味しさに『流石は今日のおすすめ』だと感心する。

いつもの様に女性店員さんや男性店員さんがニコニコした笑顔で接客をしていた。

ここの接客だけは本当に素晴らしいものがある。

美味しいお肉に素晴らしい接客。

そりゃー、京橋での超人気の焼肉店だと訪問する度に感心させられるのであった。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『ホルモン 徳いち』であった。










ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は『石丸製麺』で購入した『さぬきの夢』を食べる事にした。


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『さぬきの夢』はほんまに喉越しが最高に素晴らしく無茶苦茶最高に美味しいので

あった。










ジャイアンツ以外になし得なかった3連覇。

カープファンが羨ましいな。

ぶっちゃけの話として。

オリックスは1996年以来、22年も優勝から遠ざかってるもんな。

ほんま、情けないわ。







 










免罪符というのは600年ばかり前にカトリックの教会が「これを買えば罪の償いが

免除されまっせ」(だから、正確には免罪符ではなく免罰符)としてバカスカ

刷った証書。

要するにそれで金儲けをしようとした訳で、教会の堕落の象徴として責められた。

現在、その通りの意味の免罪符という物はない。

比喩的に「責任や非難などをまぬがれるための行為や事柄」(大辞林)という

意味で使われる。

だから「免罪符にならない」は、特に「自分」に限ったものではなく、「したこと

を正当化する(したことが許される)理由にはならない」という意味だとしていい

であろう。

妻に浮気でもさせて自分の勝手なふるまいに対する免罪符にしようとしている。
 
(南里征典「田園調布真紅夫人」)

というのは、妻の浮気を自分の勝手なふるまいを正当化する理由にしようとして

いる、という意味である。

愛が人間行為すべての免罪符になる物かどうか、そんなことは地獄で武造が自分で

確かめればいい。

(樋口有介「枯葉色グッドバイ」)

の前半部は、愛してさえいれば人は何をしても許されるのか(もちろんそうではな

いのだが)という意味である。

イギリスはカトリックではなくアングリカン・チャーチ(聖公会)である。

高校の教科書では「英国国教会」と表現されるが、かなり不正確というか、

間違いである。

国教会は単純に国営の教会という意味で国民から教会税を徴収するという意味。

国教会はドイツにもあり、また、かつては北欧諸国にもあった。

これらは聖公会ではなくルーテル教会(ルター派)である。

教会税も取るし、牧師は公務員、神学部(神学校)も国立大学の中にある。

ドイツで起こったルターの宗教改革(ルター派)はスイスに伝播し、チューリヒな

どドイツ語圏のツヴィングリ派・ブリンガー派と、ジュネーブなどフランス語圏の

カルヴァン派が合同して改革派になった。

スイスの改革派はオランダではゴイセン、フランスではユグノーと呼ばれ、早くに

伝播した。

一方、ドイツのルター派は北欧諸国全部とバルト2国(エストニアとラトヴィア)

に伝播した。

「フランスが国外でプロテスタントを応援する」ということが具体的に何を指して

いるの分からない。

王家のブルボン家は国益重視なので、反ハプスブルク家(オーストリア)のため

なら、イスラームのトルコとも同盟を結んだほどである。

民族的にフランスがイギリスを嫌っているのも、その逆も事実。

フランスとドイツ、ドイツとイギリス、イギリスとオランダ、イギリスとロシアも

同様である。

イギリスの植民地解放運動をフランスが支援した事は知らない。

アフリカや東南アジアでの植民地争奪戦での裏工作ならありそう。

なぜ、フランスはイギリスを嫌っていたのか。

それは単純に民族対立とフランス側の優越感と現実のギャップ。

古代のフランク王国以来、フランスは常にヨーロッパの先進国であり、カトリック

教会や大学などでの共通語はラテン語だったが、イギリスやロシアをはじめ、どの

ヨーロッパの国でも宮廷の共通語はフランス語でマナーや作法(プロトコル)、

外交上の手続きもフランス式だった。

しかし、その後、イギリスは統一国家の絶対王政で国力を増し、宗教改革の直前の

大航海時代になると、スペイン、ポルトガル、フランス、オランダと貿易

(重商主義)や植民地争奪戦で相争うことになり、やがて、世界の覇権を握り、

大英帝国によるパックス・ブリタニカ(英国による平和)を達成する。

おまけに産業革命が実現し、更に国力を増し、第二次世界大戦まで世界の覇者とし

て君臨した。

一方、フランスは絶対王政とカトリックの二大権力(赤と黒)が国力の発展を阻害

し、やがて、フランス革命に繋がる。

ナポレオン時代の反動期もあったが、革命以降、基本的にフランスは非宗教国家、

つまり世俗国家になった。

もちろん、南部など今でもカトリックの強い地域はあるが、国家としては公共空間

での一切の宗教を嫌う。

いわゆる「ライシテ」、共和国原理です。

こうした英仏の逆転現象がフランス人の怨念やトラウマとなった。

かつて、英国はフランス人と同じケルト人が支配し、1066年のノルマン・コンクェ

ストではフランス人王朝を樹立したほどだったからだ。

イギリスの宗教改革のきっかけはヘンリ8世の離婚問題によるイギリス教会とロー

マ教会の対立。

離婚問題があったのは事実だが、それが主要因という訳ではない。

主要因は利権争。

宗教改革を国王や諸侯が支持した理由は信仰上の理由ではなく、教会の司教領や修

道院の所領を手中に収める事だった。

つまり、金儲け。

イギリス教会とローマ教会の対立とはそういう事。

イギリスの王家は司教領や修道院領を王家の直属の所有に変えた。

司教や修道院の領地、教会組織、司祭など丸ごとカトリック教会を乗っ取り、

国王の下にカンタベリー大主教を置いた。

それはドイツでも同様だった。

では、なぜ、ドイツでカトリックを支持した諸侯がいたのであろうか。

それは領主の跡継ぎ以外の息子たちが司教や修道院長になっていたので、領主の

一族(ファミリー)の利益を守ったという事なのである。

反対に、ルターを支持した領主たちは司教や修道院長の息子がいなかったため、

直接、司教や修道院長の領地を手中に収めたかったという事。

だから、聖公会には宗教改革固有の教理や神学がない。

中身はどうでも良かった。

当初は、改革派(カルヴァン主義)とルター派の教理と神学を個々の教会に

「祈祷書」として選択させていたが、やがて、改革派の教理や神学が主流となり、

『ウェストミンスター信仰告白』が作られた。

やがて、こうした矛盾は信徒の中で顕在化し、ピューリタン(清教徒)運動が

起こり、移民がアメリカ大陸に新天地を求めて渡った。

だから、ピューリタンは聖公会ではなく改革派なのである。

他にも、メシジスト派やバプテスト派が聖公会から分離し、これらもアメリカに

渡り、更に様ざまな教派が分裂して行った。

尚、ローマ教皇の地位をフランス人が占めたきっかけは、いわるゆ「アヴィニョン

捕囚」である。



h_t_tomoto at 06:35 

2018年09月24日

  『寺門ジモンの肉専門チャンネル』で紹介


9月22日の土曜日『シティホテルニューコマンダー』で大手ゼネコン主催の

講演会があった。

私は前半だけ参加した。

その後京阪寝屋川市駅から京阪電車に乗って京橋まで移動した。

この日のお供は『扇の要』であった。

『扇の要』とは2時20分頃に待ち合わせをした。

私は1時45分頃にと早目に到着した。

すると扇の要は既にそこに立っていた。

流石であった。

Tちゃま倶楽部のメンバーは無茶苦茶死ぬ程に時間厳守なのであった。

そこから『大阪メトロ長堀鶴見緑地線』に乗って『蒲生四丁目』まで移動した。

そして向かったお店は『焼肉美食亭 いわや』であった。


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ここは生まれて初めての訪問であった。

店内に入ると結構お客さんが入っていた。。

我々は奥の二人掛けのテーブル席案に内された。

早速注文をした。

注文は、カルビランチ(ご飯大盛り無料)(1,350円 USハラミ180g、サラダ、

ご飯、お新香、味噌汁)といわやランチ(ご飯大盛り無料)(1,650円 上カルビ、

上ロース、ご飯、味噌汁、自家製豆腐、サラダ、お新香)であった。

先ずは『サンクロンミンVゴールド』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き瓶ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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カルビランチといわやランチ

(御飯は抜いて貰っている)

カルビと言いながら提供されるお肉はUSハラミ。

しかも180gとむっちゃボリューミー。

グラム計算するとグラム約133円。

グラム133円はやっすいと思う訳で。

全てのお肉がほんまに真剣に美味しかった。

今回『焼肉美食亭 いわや』を訪問しようと思ったきっかけは。

CSのフジテレビの『寺門ジモンの肉専門チャンネル』と言う番組の#49で

『焼肉美食亭 いわや』を紹介していた。

実際に寺門ジモンが『焼肉美食亭 いわや』を訪問してうんちくを一杯たらしなが

ら美味しく焼肉を食べていた。

プロデューサーが『それって、グルメハラスメントですよ』と突っ込んでいた。

俺は『寺門ジモンの肉専門チャンネル』を殆ど見ている。

見ているだけではなくて録画までして何度も繰り返し見ている。

それぐらいこの番組が好きだ。

同じ肉好きとしてむっちゃ共感する訳で。

肉好きとしては『寺門ジモンの肉専門チャンネル』で紹介された。

しかも大阪の焼肉店なのだから。

行かない訳にはいかない的な感じで今回生まれて初めて訪問した。

特に番組で『焼肉美食亭 いわや』を営む岩谷御夫妻の人柄がむっちゃええ感じに

思えて。

『こう言う人柄ならめっちゃ気持ちのええ接客を味わえるやろうな』と思った。

『焼肉美食亭 いわや』は2018年の2月にオープンしたばかりの新しいお店ではある

が実は青森県青森市では老舗の名店中の名店らしい。

特にランチのカルビランチが超人気のメニューと言っていた。

番組でも店主の岩谷さんが『ランチのカルビランチは青森でも赤字覚悟で提供して

います』と言っていた。

それを聞いて『じゃー、カルビランチを食べに行こう』

そう思った。

これが無茶苦茶正解であった。

わざわざ『蒲生四丁目』まで来て本当に良かったと素直に喜んでいる。

美味しいお肉に素晴らしい接客。

扇の要に『焼肉美食亭 いわや』の話を初めてした時。

扇の要が『肉組としては直ぐにいわやへ行かなければならないでしょう』と

言った。

それを聞いた俺は『肉組って、お前、勝手に名前、付けるなー』と言って大笑いに

なった。

扇の要は大学時代に焼肉屋の厨房で働いていた。

そんな関係で牛肉の事は結構詳しい。

そんな扇の要が『ここの肉のレベルはめっちゃ高いと思います』と言って美味しい

焼肉を食した事にめっちゃ喜んでいた。

『焼肉美食亭 いわや』は今後も大いに利用したいと真剣に思った。

次はアルピナ・ハッピーでも連れて行こうと思っている。

猛牛ポーズをした。

猛牛ポーズ!!

そんな感じの『焼肉美食亭 いわや』であった。















残念ながら、撮影した多くのお肉の写真を誤って削除してしまった。

非常に悔やんでいる。

あ~、あ~!!

残念!!

本音を言うと……。

『寺門ジモンの肉専門チャンネル』では寺門ジモンは必ず一度は大きな声を張り上

げながら『これうまい!!』と叫ぶ。

ところが『焼肉美食亭 いわや』ではそれが全くなかった。

それどころか、寺門ジモンは店主の岩谷さんに向かって文句ばかりを注文していた。

『もっとお肉に包丁を入れるとか、大根おろしを添えるとか』

それで、プロデューサーが『それって、グルメハラスメントですよ』と突っ込んで

いた。

俺と扇の要の共通の意見として。

『赤字覚悟で勝負しているこのハラミ。これを食べる為にわざわざ

『大阪メトロ長堀鶴見緑地線』に乗って『蒲生四丁目』まで来る気にはならない。

上カルビと上ロースも同じ意見』

以上が本音かな。

『焼肉美食亭 いわや』の今後はない。

次回『蒲生四丁目』まで来る来るとしたら『焼肉 トミヅル 蒲生四丁目店』か

『焼肉 たむら 本店』の訪問ぐらいかな。











ほんでもって、ある日のおうち御飯


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さんまの塩焼きが真剣に美味しいのであった。










  


















ルターの宗教改革。

カール5世はルターを追放処分した。

皇帝カール5世、キリスト教会、ドイツのフッガー家などの豪商は互いを必要と

する存在であるのでカール5世は教会を敵に回すことを避けた。

当時の神聖ローマ帝国皇帝の権威が何によって保たれていたかという問題である。

神聖ローマ帝国とカトリック教会は「カノッサの屈辱」に代表される様によく対立

するが、互いに完全に否定する事はない。

「あの教皇は(あの皇帝)は不都合だ」と言う事はあっても、ローマ=カトリック教

会(神聖ローマ帝国)の存在を互いに完全否定する事はなかった。

なぜなら、ドイツ諸侯の様に自立性の強い諸侯の中にあって皇帝が権威を保つには

教会の協力が必要不可欠であり、同じく教会も皇帝の世俗権威としての協力は必要

不可欠だった。

特にルネサンスが始まると、この間にドイツのフッガー家のような豪商が資金の

やりくりで仲介する様になり、三者は互いに強い結びつきを持つ様になって来た。

例えば、レオ10世の贖宥状(免罪符)発行の手助けをしたのはヤコブ=フッガーとい

うフッガー家の人物で、そのフッガー家に皇帝は資金を借りていた。

またフッガー家はローマ教会の高位聖職者たちの財産管理や資金のやりとりも

行っていた。

皇帝カール5世はこれらの強い結びつきがある手前、ルターを排撃したいローマ教

会に協力せざるを得なかった。

ましてやルターの宗教改革が反肯定派ドイツ諸侯に論理的武装を与えるのは

何が何でも阻止したかった。

ヴォルムス帝国議会でルターを追放処分にした後、ザクセン選帝侯フリードリヒが

匿ってしまい、その後ルター派諸侯がシュマルカルデン同盟を組んで皇帝やローマ

教会に対抗した事がそれを証明しているといえる。

ルターとカルヴァンの宗教改革の違い。

「万人祭司」というのは聖職者がいないということ。

その上で「長老制」というのは教会運営を(初代教会に倣って)長老らの運営に

任せるということ。

これは全然対立するものではない。

カルヴァンの特徴はむしろ、その教会の長老制を都市政治にまで拡張したこと。

(神政政治)

それに対するルターの姿勢を挙げるなら、政治や社会改革にはタッチしなかった

(ザクセン候の保護下にいた)ことだろう。

これはどちらも「万人祭司」の原則から来るもので、違いがあるとすれば世俗政治

にまで関心があったかどうかということ。

ある学者は、宗教改革を「中世のリストラ」と呼んだ。

ルターは「信仰のみで救われる!」と説いたが、当時の民衆が惹きつけられた

のは彼の神学というよりは「分かりやすさ」だったと言われる。

贖宥状は止めろ、賄賂の温床である教会飾りの寄付は止めろ、修道院制は

止めろ……印刷技術の向上により、こうしたスローガンが盛んに宣伝された。

それに対し、カトリック側は教会飾りの存続、修道院制の維持、あるいはグレゴリ

オ暦の導入などで、宗教改革に対抗しようとした。

つまり、宗教改革が求めたのは「中世的なシステムの変更ないし撤廃」であり、

それに対してカトリックが「中世的なシステムを時代に合わせて修正する」ことで

対抗しようとした。

結果として、どちらの「中世」も「近代」へと変化していくことになる。

そうして「近代」の土台が出来上がると、今度は「現実社会をどう

変化させるか?」が必要になってきて、そのため、ヨーロッパ全土を

巻き込む大きな戦争になっていく。

その意味で、カルヴァンの神政政治は「現実社会をどう変化させるか?」の一つの

事例ではあった。

まあ、フランス革命のときにその煽りを受けて、やがてフランスに、その後スイス

に併合されるけど。





h_t_tomoto at 06:06 

2018年09月22日

  着物用の組紐の作成は不明


この日はカレーライスを作る事にした。

使ったルウは五種類であった。


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この日の材料は『業務スーパー 枚方高田店』で買って来た極々普通の国産牛

約3.0㎏と玉葱とじゃが芋であった。


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これらをいつもの大きな鍋の中にルウと一緒に入れた。

後は鍋が勝手に美味しく作ってくれるのであった。


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そんな感じのカレーライス。


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スタッフの皆と一緒に食べるカレーライス。

これがむちゃくちゃ美味しかった。

ほんまにえげつないほどに美味しいのであった。

この絶品のカレーを食べると幸せ一杯の気持ちになる。

まさに至福の喜びを感じるカレーライスなのであった。

カレーは2013年6月28日の金曜日から作り始めた。

花子とアンで「王子と乞食」の本が出ていた。

ドラマの「王子と乞食」は美術スタッフが作った物。

復刻は無理。

戦前あれだけの豪華本なら普通函入り、その分価格を下げた。

村岡花子と『赤毛のアン』の世界展~本を道しるべに、少女たちのために~を開催

中の弥生美術館に併設の竹久夢二美術館の資料より、夢二は春陽堂から数多くの書

籍を出版、様々な仕事を手掛けた。

夢二と春陽堂の関わりは、大正6年に刊行された雑誌『中央文学』創刊号への寄稿

から始まるが、以後著作本を7冊、他作家へ提供した装幀本は25冊、また雑誌

『中央文学』や『新小説』にも多くの仕事を残している。

創業者の和田篤太郎は木版画を熱愛し、書籍の充実を図るために、自社に専属の

摺師を置いて力を注いだ。

そして当時の春陽堂における書籍は絹地に木版を施した豪華な表紙や函が人気を

呼び、夢二の装幀も美しい木版で彩られたことが特徴といえる。

夢二といえば、白蓮。

『踏絵』は柳原白蓮が最初に出した歌集で、若き白蓮の告白的短歌の結晶と

いわれ、大正4年3月に竹柏会より出版された。

「白蓮は藤原の女なり。」で始まる序章は佐佐木信綱、装幀は竹久夢二。

豪華といえば、こちらに軍配!

スタッフは、両美術館所蔵の装幀本を参考としたのだろう。

帯締めの流行。

帯締めは明治以降に定着した小物。

着物の流行と同じく、柄や幅や長さに流行が現れていると思うのだが。

現代のような組紐が帯締めや羽織紐に使われるようになったのは100年ちょっと

前である。

初めたのは随筆家で呉服店店主の経験もある白洲正子さん(1910年ー1998年)の

随筆によると、彼女のお母様(樺山愛輔伯爵夫人常子さん)が所属していた短歌の会

「竹柏会」のメンバー(九条武子さん、柳原白蓮さんなど)が組紐を東京の麹町に

あった「高田装束店」で装束の織物を帯にしたり、ハンドバックにしたりして楽し

み初めたそうである。

明治の中期くらい。

そもそもこの200年で帯締めがどのような流行の変遷をたどっているのか。

組紐装束は平安時代以前からある。

文字を持たない文明はあっても、「組紐」、「結び」の文化が無い文明はほぼない

のである。

だから結びの起源は相当に昔になる。

数字の1、2、3の変わりに「結び目」で変化をつけてこれで代用して、目印や

記録として使われたりしている。

これは現在でも「数学」として研究されている分野。

中国あたりから輸入された技法もあったであろうが、日本は飾りや実用的な面で

組紐文化は独自の発展をしている。

これは着物とは別に室内装束や服飾装束としていろいろ物に使われていた。

例えば、経巻や冠や鎧や刀の柄巻きなんかがそう。

刀なんかはないと安定して使えない。

また帯だが、日本は古来か今の半幅帯よりも細い「細帯」を着用していた。

幅10cmくらいな物。

これはもちろん帯だけで身に付けることができる。

それが江戸の平和な時代が続くと、女性が華美を競う風潮というか余裕ができて、

女性の帯はどんどんと長く幅広くなる方向へ行った。

江戸の中期くらいの話だった。

そしてあの巨大な丸帯の出現である。

現在の袋帯の倍の幅。

これは装飾以外の何の用途もなかった。

もちろん自分で結ぶことは不可能で、使用人などに結んでもらいた。

その帯が太くなる過程で、帯を結ぶだけでは安定して体に身に付けることは不可能

になった。

そこで帯締めが登場する。

それは江戸の文化年間(1804年ー1818年)のことである。

この帯締めは使いだした頃からずっと丸絎け(まるぐけ)である。

丸絎けは筒状にした布に引き伸ばした真綿などを芯に入れて、丸い棒のように絎け

て仕上げるたものを言う。

今でも七五三の時や花嫁さんなんかの衣装では使われている。

今でも大人の趣味的な物としては地味に存在してはいる。

そして明治時代に廃刀令と相まって、それまで刀の下緒とかに使われていた

組紐が、前述のようにいろんな物に取り入れられた。

明治の中期くらい。

そして白洲正子さんのお母様常子さんが、帯締め用に注文して高田組紐店に作らせ

たのが初まりらしい。

(『遊鬼、我が師、我が友』白洲正子著、新潮社1989年刊)

服飾の歴史にありがちなことだが、特許などはなく確固たる証拠や文献はないが、

白洲さんの著作物ではそう書かれている。

まあ、それをやってみたらまことに具合がいい、色調も帯に合って美しい、直ちに

前述の竹柏会のメンバーにも勧め、みなさんが気に入り、割れも我もと組紐を帯締

めに使用されるようになったそうだ。

いったんあこがれの上流婦人たちが使用しますと、「もはややる時とは恐ろしい勢

いでまたたくうちに一世を風靡し、現代にいたっている」と前述の著書に書かれて

いる。

事実だと思う。

その後上野の道明で制作した物が最も普及したと思う。

でも道明も10代以上続いている歴史のある店だし、中古本ですが組紐の本も店主

の方が書いている。

また高田装束店は今でも宮中の装束を手がけているのでもちろん存在するが、

着物用の組紐の作成は不明。











昨日のお昼に用意されたのは『焼肉屋 御肉』と言うお店の

『焼肉屋のハラミ御膳』であった。


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焼肉屋のハラミ御膳


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おかず以外にも御飯の上にもお肉が乗っていた。

肉の量としては過去最高ではないだろうか。

肝心の味わいは、まあー、まあーってところだろうか。

リピートするかどうかは微妙なところだ。

まあー、ゆっくりと考える。











今週は月曜日が休みだったので鰻の蒲焼はなかった。











『万代寝屋川宇谷店』でオーロラサーモンの切り身を買って来た。

オーロラサーモンの切り身を漬けにした。


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とりあえず炊き込み御飯を作った。


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炊き込み御飯の上にオーロラサーモンの漬けをトッピングした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

極々普通のオーロラサーモンを漬けにする事で味わい深くなる。

オーロラサーモンの漬けと炊き込み御飯が絡み合って最高に美味しいであった。











今週のおかず。





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ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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豚の生姜焼きが無茶苦茶最高に美味しいのであった。











そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。











アリストテレスの正義論について。

アリストテレスの考える正義の中の「配分的正義」というのはポリスと市民の間で

共有のものの配分に関わる、となっている。

配分的正義とは文字どおり、名誉や財産をどう配分するのが正義にかなっているか

ということを問題するが、アリストテレスは各人の有する価値に応じた比例的分配

が正義であるとしている。

また、人の価値に比例して.... というのは、アリストテレスが「自然本性的

奴隷」すなわち、奴隷は奴隷にふさわしいから奴隷なのだと現代の感覚とは

相容れないことを言ってることから正義に反する印象があるかもしれない。

しかし、配分的正義の問題はこれとは別に考えなければならない。

原典をあたると

----------------------------------------------

平等な人が平等ではないものを持っていたり分け与えられたりするとき、また平等

ではないひとびとが平等なものを持っていたり分け与えられたりするときー争いや

不平が生じてくるのである。

(『ニコマコス倫理学』5巻3章a20)

----------------------------------------------

同一労働で同一賃金でない場合、また4時間働いた人と8時間働いた人の給料が

同じであったりしたら正義に反するということだから、私には差別とは思えない。

一方で、

--------------------------------------

矯正的正義とは法の前で平等とされる市民の間に現実に存在する不均等を矯正する

調整の正義であり、不均等なものでも均等に扱う正義である。

これはまた事物の交換においてあらわれる正義である。

交換される事物の価値は相互に算術的に等しいことが要求される。

「正義」ということに関しては、この二種類の正義のうちで配分的正義が正義論の

原形式となったことはいうまでもない。

法の前での平等は、配分的正義が公的な形ですでに存在している、つまり配分的

正義の結果不平等が生じてしまうからこそ必要になるからである。

-------------------------------------

配分的正義は原則論として正義であるが、結果としての不正義(過度の結果の

不平等)を避けるためには矯正的正義も必要とする。

というところであろう。

また「価値」という言葉を(例えば経済面に)限定的に用いているのか、全人格的

な(あるいは魂の)値打ちという意味で用いているのかにも注意が必要である。

アリストテレスはポリスは二万人が限度。

最高の善(アリストン)を求めたが、ポリスは終わり、アリストテレスも、

マケドニアの街で雇われた。

都市国家アテネは最盛期で40万人の人口があった。

その内、奴隷が25万人、市民が15万人である。

隣国のスパルタとの戦争、「ペロポネソス戦争」で敗北し、アテネは衰退に

向かった。

そしてアテネの北方のマケドニア王国の侵攻により、事実上アテネの歴史は

終わった。

アリストテレスのお父さんはアレクサンダーのお父さん、フィリップ王の侍医を

していた関係で、アリストテレスは若きアレクサンダーの家庭教師として呼ばた。

そしてアレクサンダーの後押しで、アテネに「リケイオン」という学校を設立し、

弟子を育てたが、10年後に、アレクサンダーが配下の者によって毒殺されると、

後ろ盾を失い、故郷のスタゲィラに帰り、そこで若干60歳で死んだとされる。











お笑いコンビ『アンジャッシュ』の渡部建はグルメ関連の仕事が増えているが、

それに暗雲が立ち込めはじめている。

芸能界では指折りの食通として知られる渡部だが、ブログの内容が美食家を

中心に不評なのだ。

現在、渡部は自身のブログ『アンジャッシュ渡部健のわたべ歩き』で飲食店を

紹介している。

「彼は今年1月のブログで、昨年(2015年)は仕事で250軒、プライベートと新規で

90軒と書いています。

つまり仕事がほとんどで、実際に自分の足で探した店が何軒あるかは

分かりません。

“飲食店の宣伝”だといった辛辣な意見も多いです」(料理コーディネーター)

ブログの内容も評価は低い。

「タイトルに店名、そして業務的に写真と料理名、短い感想の羅列が延々と続くと

いった内容です。

一度にかなりの品数を食べているため、本当に味わって食べているのかも

疑問です。

もしかしたら実際に食べていない可能性もあります」(グルメ雑誌編集者)

はたして渡部は料理を語るレベルにあるのだろうか。

「ブログを見る限り、場当たり的な感じは否めません。

例えば、有名雑誌にも連載を持つA氏などは、大学時代から自腹で食べ歩き、

いまでも年間200軒を新規で探すといいます。

自分で料理も作る若手評論家のB氏は、一切仕事を名乗らずに私費で年間1千万円

以上も使うことが広く知られています。

テレビ番組にも多く出ていて多忙であろう渡部さんが、そこまで徹底しているとは

思えません」(前出・コーディネーター)

残念ながら、やはり本物の料理評論家とはかなりの差があるようだ。…

「料理技法や素材選びの理由などを、いちから勉強していないのではないで

しょうか。

インターネット上では、彼のブログを《食サイトのパクリ》と評する人間は

多いです。

彼自身が料理を研究したという話は聞きません」(同・コーディネーター)

グルメ評論家をするのであれば、芸能活動を見直して本腰を入れた方が

よさそうだ。

『関西グルメ王』と呼ばれる『シャンプーハットてつじ』

これだけで笑える。

なにが『関西グルメ王』じゃー。

アホみたいな顔しやがって。

そう言うたら何年か前の京セラドームでの阪神戦で道産子コッシーが阪神ファンの

オバハンから『あんた、シャンプーハットのてつじの顔、似てるね』と

言われていた。

と言う事は、道産子コッシーの顔って、アホみたいな顔なんか。

道産子コッシーは常に言っている。

『イジルのだけは、止めて下さい。自分は打たれ弱いのです』と……。

しゃーけど、見ず知らずの人間に対して、いきなり『あんた、シャンプーハットの

てつじの顔、似てるね』って。

ほんま、大阪のオバハンだけは、世界でいっちゃん柄が悪いと思うわ。

ほんま、頼むわ!!

ほんま、頼むわって言う話やったら。

何年か前に交野のそろばん熱しは第二京阪の交野南の料金所のオバハンをナンパ

して一発したとか何とか、的屋のたっちゃんが言うてたな。

まあー、なんでもええけど、あんまし、オバハンばっかし相手にするのも……。

なんぼ、熟女専科って言うても。

そう言うたら変態のえて雄はロリコンでもあり熟女専科でもあるって言うてたな。

どいつもこいつも変態だらけやんけ。



h_t_tomoto at 06:27 

2018年09月21日

  episode-151「中華ビストロランチ」


【ワシントン時事】トランプ米政権は17日、米通商法301条に基づき、

中国による知的財産権侵害に対抗した制裁関税の第3弾を今月24日に発動すると

発表した。

中国からの約2000億ドル(約22兆円)相当の輸入品に10%の追加関税を課す。

中国の強い反発は必至で、二大国間の「貿易戦争」は一層深刻さを増しそうだ。

「貿易戦争」か。

一体どうなる事やら。

昨夕そんな事を考えていた。

すると江戸っ子どんと姫がここにやって来た。


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そして「お疲れ様です」と言って私の横に勝手に座りやがった。

私が「発動したな」と言った。

江戸っ子どんと姫「サー・エイドリアン・セドリック・ボールト(Sir Adrian

Cedric Boult, 1889年4月8日 - 1983年2月22日)は、イギリスの指揮者です。

1989年、チェスター生まれです。

ウェストミンスター・スクール在籍中のディナー・パーティでエドワード・エルガ

ーと出会い、この時エルガーから自作の総譜を見せられつつ解説を受けました。

その後オックスフォード大学を経てライプツィヒ音楽院に入学、マックス・レーガ

ーに作曲を師事しました。

また、この時期にライプツィヒで活躍していたアルトゥール・ニキシュに私淑し、

大きな影響を受けました」と言った。

私が「へ~っ、クラシック音楽にも精通しているんや」と言った。

江戸っ子どんと姫が「この辺は、ドン引きタツジさんとは違いますから」と笑い

ながら言った。

私が「ところで、野球には興味はないんか」と言った。

江戸っ子どんと姫が「五代十国時代から北宋草創期です。

当時、80歳でも現役だった人。

戦乱の時代ですから80歳というと相当高齢になります。

そもそも天寿を全うできた人も非常に少ない時代です。

例えば、趙匡胤(太祖)は享年50歳です。

弟の趙匡義(太宗)は享年58歳。

趙普は享年71歳。

曹彬は享年69歳。

この4人は戦死ではないため、一応みな病死としておきます。

『宋史』の中で宋初の人物を他にも検索して、没年をチェックしてみましたが、

ほとんどが50代~70代で亡くなっていました。

ということで、80歳以上の人物はほとんど見かけませんでした。

ざっくりしか検索していないため、探せばいるかもしれません。

ただし、ごくまれというレベルだったことは間違いなさそうです。

五代十国時代で、長生きのイメージがある人といえば馮道でしょう。

調べてみると享年71歳でした。

長生きというには微妙な年齢ですが、やはり乱世ですから、この年齢で十分長生き

といってよいでしょう。

後周の世宗(柴栄)が39歳で病死したというケースは、まさに早逝としか言いよう

がありませんが、それくらい若くして病死しても特に不思議の無い時代です。

武将となると、病死より戦死や他殺ということが日常茶飯事でしたので、長生きす

る見込みがありません。

ちなみに、これと近い世代というと趙匡胤の父の趙弘殷あたりになります。

この人の生没年は、899~956年です。

趙弘殷は、王鎔という節度使の武将から出発し、その後、後唐から後周までの

各王朝に仕えた典型的な武人でした。

最後も、後周世宗の南唐への遠征に従って、その時に病死しています。

趙弘殷のように、後唐から後周(さらに宋)まで仕えたという人物はたくさん

います。

しかし、後梁から後唐に鞍替えしたという人はあまりいません。

馮道でも、後梁には仕えていません。

後梁と後唐という二つの政権は、不倶戴天のライバル同士のため政権の交代として

は大きな断絶がありました。

例えば、王彦章みたいに、(恰好のいいセリフを残して)後梁に殉じた武将も

いました。

こういう武将たちは、あまり長生きする気が無かったのでしょうね。

ちなみに、王彦章は斬首された時が61歳でしたので、わりと長生きだったといえる

かもしれません…。

後唐→後晋→後漢→後周→宋という一連の王朝の交代は、政権内部の政権交代と

いう側面があったため、多くの人間が、次の王朝へと鞍替えしていきました。

ですから、趙弘殷のように後唐から後周まで連続して仕官した武将が存在して

います」と言った。

私が「ところで、最近の業績はどう」と聞いた。

江戸っ子どんと姫が「今のところは何と頑張れています。

この調子でなんとかノルマーを達成したいと思っています。

この前ランチで香里南之町にある『中華ビストロうちだ』へ行って来たんです。

ここの中華は寝屋川市では美味しいと評判です。

わたくしはいつも『飲茶ランチ』を注文しています。

わたくしがお店の中に入った瞬間死んでしまいそうなぐらいにえげつない悪臭が

したんです。

お店の中を見るとなんとあのハゲでエロの越後のちりめん性行為が奥のテーブル席

に座りながら真面目な顔をして生意気に『中華ビストロランチ』を食べているん

です。

あのハゲの越後のちりめん性行為が普通の真面目な顔をして食事を普通にしている

姿を見てわたくしは真剣に驚きました。

本当にびっくりしました。

あのハゲ頭の存在そのもので仁義愛将軍様の下痢便も過ぎたるは猶及ばざるが如し

みたいな物になります。

わたくしは心の中で“ざっ!けんなよ!!このハゲ~!!”と叫んでいました。

わたくしは気づかれない様に別の席に座ったんです。

すると“やーっ”と言って、ハゲ頭の越後のちりめん性行為がトレーを持って

わたくしの横に座るのです。

横ですよ。

普通は向かいに座ると思うのです。

常識の微塵も感じられないハゲの越後のちりめん性行為の行動には呆れるばかり

です。

キャメル・クラッチでもくらわしてやりたいと思いました」と言った。

私が「キャメル・クラッチって。

なんじゃーそれは。

プロレスの技やんけ。

でも、何となく言いたい事は理解出来る」と言った。

江戸っ子どんと姫が「越後のちりめん性行為の余りのキショクの悪さに吐きそうに

なります。

わたくしが越後のちりめん性行為にちょっと聞いてみたんです。

“ねえ、ねえ、越後のちりめん性行為さんはどうしていつも2002年の日本映画の

『自殺サークル』に出て来る黒田敏春みたいな顔をしているんですか”って。

すると越後のちりめん性行為さんが“黒田敏春顔には天才肌が多いんだ。

黒田敏春顔は天性のものなんだ。

新宿駅で54人の女子学生が手を繋いで電車に飛び込むという集団自殺が起こった。

さらに各地で次々と不可解な集団自殺が飛び火するが・・・・・・。

僕の様な天才肌は最高のオナニーの道具(究極のアダルトグッズ)である

『TENGAバキュームコントローラー』を使って最強に興奮しながら大量に射精す

るんだよ。

僕の様な黒田敏春顔の天才肌が『TENGAバキュームコントローラー』を使いこ

なすって凄いと思わないか。

『TENGAバキュームコントローラー』を使いこなすのは世間では僕だけだよ”と

意味不明な事をぬかすんです」と言った。

私が「黒田敏春って。

何が言いたいのか全く理解出来ないな」と言った。

江戸っ子どんと姫が「越後のちりめん性行為さんはハゲ頭のアホみたいなピコ太郎

だと思いました。

アホみたいな顔をしたドン引きタツジさんは相変わらずクソ面白くありません。

それに会社の廊下でよく転んでいます。

わたくしはこのまま頑張って突っ走ります」と言って拳を突き上げた。


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相変わらずこのくだりがクソ面白くなくて笑いにもならない。

そう思った瞬間、沈黙となった。











ちょっと遅い目のランチをした。

この日は中華定食を食べる事にした。


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どこの中華料理店に入っても中華定食だけは腹パンパンの腹一杯にあるので

あった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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鯵フライがめっちゃ柔らかくて最高に美味しいのであった。










芥川龍之介や太宰治、川端康成といったいわゆる文豪と呼ばれる作家たちが

自死するケースは多い。

作家だけに感受性が鋭敏過ぎて自分ではどうにもままならない孤独を抱え込んで

いたのかも知れない。

三島由紀夫の衝撃的な自死の仕方には様々な解釈がなされているが、あの様な

劇場型の死に方を選ぶというのは常人には分かりかねる世界でもある。

三島自身は作家という職業はサーカスの綱渡りの様なものだと語っていた

様だが、官僚の地位を捨ててまでなった作家という才能の世界に全てを

賭けていたのかも知れないし、戦後の日本の姿が気に喰わなかった様でもある。

あるいは自決以前から半分は死の世界に居たのかも知れない。

70、80年代で日本の高度成長は完成して文化も完全な消費文化となったが、

三島はこの未来を予見していて自分の存在する世界ではないと感じていたのかも

知れない。

太宰が芥川賞候補になりながら落選して意気消沈していたのと同様に三島は

ノーベル文学賞候補と言われながら兄貴分の川端に先を越されてしまった。

この辺の社会的栄光というタイミングも関係している様に思われる。

三島が現在の日本を見ていたらイライラして何にせよ長生きしていたとは

思えない。

その辺の右翼や保守派とは本質的に別世界の人。

それからやはり身体的なコンプレックスが強過ぎたのかも知れない。

コンプレックスと真面目な性格が時代の状況と混ざり合って自分で追いつめて

行った気がする。

いつも心の何処かでいずれ死ぬタイミングを探していた気がする。

三島や太宰の作品のどこが面白いのかと問う人達もいるかと思うが、

彼らが命がけで生み出した言葉の世界にはやはり大きなものがあると思う。

それは現代の文学の世界の状況と比較してみれば分かる事だと思われる。

三島由紀夫や太宰治の理解不可能な死に方はあまり気にしない方がいいかも

知れない。

彼らの残した文学の世界は財産であって、そこには現代文学にはない巨大な

魅力が詰まっている。






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2018年09月20日

  タンとハラミを三人前ずつ


焼肉を食べに行って来た。

行って来たのは『焼肉 肉どうし』であった。


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早速注文をした。

タンとハラミを三人前ずつであった。


タン


ハラミ

ここのタンとハラミも滅茶苦茶柔らかくてジューシーで最高に美味しかった。

今後も大いに利用したいと真剣に思った。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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海老フライが真剣に美味しいのであった。











中世ヨーロッパのビザンツ帝国はオスマン帝国に滅ぼされるまで、領土はイスラム

帝国、セルジュークトルコ朝、ウマイヤ朝、アッバース朝、更には第4回の最悪の

十字軍でボードウァン4世に攻められ一時滅ぼされラテン帝国が建国されたりと

伸縮を繰り返しあんまり安定的には見えませんが西欧に比べて、テルマエ、

闘技場、図書館、神学、古典文学の学問や娯楽がかなり進んでいた。

中世初期の東ローマ帝国はササーン朝ペルシアが主敵だった。

6世紀頃までは両者とも全盛でお互い譲らない強国で東ローマはかつての大ローマ

並みの国土を回復したが、イスラム勢力があっけない位にササーン朝を滅ぼしてか

ら雲行きが怪しくなって来た。

まず穀倉地帯のシリア・エジプトがイスラムの手に落ちてからケチがつき始め、

新興勢力のセルデューク・トルコも加わり、頼みの十字軍も期待を裏切り挙句は

十字軍に占領されニカイアに亡命政権を作る羽目になった。

60年程で復活しますがウラにイスラムの後押しがあったとも言われている。

最終的にオスマン・トルコのムハンマド二世に滅ぼされたときは首都コンスタン

ティノープルとギリシアの一部を擁するだけの国家だった。

文化の面でも最盛期は9世紀辺りでギリシア・ローマの建築・美術や文献、風習を

都合よくキリスト化させたものである。

その伝統が残っていますから西欧よりは古代ローマ的で見世物の文化とギリシア哲

学が発達していたわけである。

(これはキリスト教化したギリシア哲学の折衷でネオプラトニズムと言う)

また叙情詩も古代ギリシアの神話を使ったものになっている。

ボティオスと言う聖職者はギリシアの神話「叙事詩の環」(トロイア戦役全編)を

「抜粋」としてまとめ直している。

東ローマ帝国はギリシア帝国とも呼称されますから文化も大元はほぼギリシアと

言っても良い。

またこの文化は後の西欧ルネサンスの嚆矢となったようだ。

ただこの文化圏は首都とアドリアノープル、ギリシア本土の都市くらいで、

帝国全域に行きわたっていたわけではない。

エジプトのアレクサンドリアは10世紀にイスラムに最終的に征服され(7世紀には

侵入を開始されていた)首都機能は新都市カイロになり先進文化地域(あくまでも

オリエント的な)の地位を失った。

またこの当時の領土の伸縮は首都と重要都市、穀倉地帯を除けばあまり価値のある

物ではなくどの国も中枢部以外は伸縮を繰り返している。

中枢部が征服された時が国が亡ぶ時である。

その点亡命政権のニカイア帝国で頑張った東ローマ帝国はましな方ではないかと

思う。











『伊坂 幸太郎』さんの作品。

『フィッシュストーリー』

『伊坂 幸太郎さん』の作品はフィッシュストーリーみたいに色々伏線ちりばめて

おいて後で繋がる・・・みたいな。

複数の物語が伏線によって後で一つにまとまるまるタイプの物もある。

そうではなくて一本のストーリーの中で伏線回収される物もある。

『オーデュポンの祈り』

コンビニ強盗をした青年。

気が付くと知らない島にいた。

彼は、そこで不可思議な事件に遭遇する。

『ラッシュライフ』

拝金主義の画商。

彼は金の持つ力を若い女流画家に証明して見せようとするが……。

『アヒルと鴨のコインロッカー』

アパートの隣人の『書店を襲って広辞苑を盗もう』という物騒な誘い。

なぜ、広辞苑でなければならないのか。

『ゴールデンスランバー』

首相暗殺事件の犯人に間違えられた青年。

すべてが彼を追いかける。

必死の逃避行。

『陽気なギャングが地球を回す』

異能者4人組。

銀行強盗のプロ。

しかし、戦利品を他の強盗に横取りされ、奪回を試みる。

『魔王』

自分が思ったことを相手にしゃべらせることのできる青年。

彼は、ある一人の男に近づいていく。

『AX』

恐妻家の殺し屋”兜”を主人公にした連作短編集。



h_t_tomoto at 06:28 

2018年09月19日

  無茶苦茶御飯が欲しくなる


『創作中華料理 あかまつ』は本当に美味しかった。

その後向かったお店は『炭火焼肉 キョロちゃん』であった。


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平日の遅い時間帯だから結構入りやすい。

それでも店内はほぼ満席状態であった。

我々は左手のスペースのテーブル席に座った。

ここは森之宮界隈における『食べログ』№1の焼肉店である。

早速注文をした。


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注文は、ロースとハラミとハツであった。

直ぐに生ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!


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ロースとハラミとハツ

全てのお肉が柔らかくてめっちゃ美味しい。

タレが濃厚な為に無茶苦茶御飯が欲しくなる。

いわゆる昔ながらの焼肉の味わいで最高に美味しいのであった。

ここが森之宮界隈の『食べログ』№1の焼肉店である事が物凄く納得するので

あった。

ガッチリとした体形の男性店員さんが会計をしている時に『ここのYou-Tube、

見ましたよ。またしょっちゅー来て下さい』と言った。

私が『結構来るんですが、来ても満席で入れない事が多いんです』と言った。

するとそのガッチリとした体形の男性店員さんがなぜかキョロちゃんの名刺を

くれた。

この時にほんまにしょっちゅうー来て欲しいんやなーと思った。

これはこれで何となく嬉しかった。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『炭火焼肉 キョロちゃん』であった。

この時点で腹一杯になったので帰る事にした。

これで8月30日木曜日の飲み歩きは終了である。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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フィレステーキが滅茶苦茶柔らかくて最高に美味しいのであった。











あれは8月4日の土曜日やった。

俺は生まれて初めて京橋の居酒屋の『やまや』に入った。

この時に注文した馬肉の刺身に付けた甘くて濃厚な九州産の醤油の美味しさに

忘れられずにいた。

カズ・チンペイは宮崎県出身。

扇の要は熊本県出身。

この二人に『お盆休みには実家に帰るんか。帰るんやったら、九州の甘い醤油を

買って来て欲しい』と言った。

すると二人とも『お盆休みには帰省しません』と言った。

俺が『なんで帰れへんのん』と聞いた。

二人とも『九州に帰っても、なにもないからです。

なんもないから、2日で嫁が大阪に帰りたくなるから、余程の事がない限り

九州には帰りません』と言った。

特にカズ・チンペイは宮崎県訛りをしながら喋っていた。

俺が『な~んや、折角九州の醤油が手に入ると思ったのに』と言った。

扇の要が『お盆休みに、福岡から友達が大阪に遊びに来ます。

その時に九州の醤油を買って来て貰います』と言って問題は解決した。

そんな感じで手に入った九州の醤油。


DSC08213

この甘くて濃厚な醤油。

むっちゃ真剣に美味しい。

刺身やローストビーフや焼魚を食べる時に使うと病みつきになる美味しさで

食事を楽しめる。

今回はとりあえずの2本だけ。

なくなったら。

九州の醤油を通販で購入すると送料の方が高く付く。

だからと言って20本も30本もいらないし。

現在九州出身の業者はカズ・チンペイと扇の要だけである。

まあー、なくなったら、この二人が帰省する時か友達が九州から遊びに来る時を

待つしかない。

まあー、その辺は自然体でええと思っている。

しかし九州の甘くて濃厚な醤油は真剣に美味しいのであった。

是非とも一度は試して欲しい。










 










Sound Horizon 「黒き宿の女将」

女将の愛した男はみんな儚く散った。

散った要因は戦争。

田舎娘の村との戦争。

女将の説明で性別が不明。

女将の愛した男として名前が歌詞にあるのは、Muntzer、hutten、Sichingenの

3人である。

この3人の名前は順に、トマス・ミュンツァー、ウルリヒ・フォン・フッテン、

フランツ・フォン・ジッキンゲンという三人の歴史人物から取られていると考えら

れる。

いずれもドイツの宗教改革で活躍した人物。

中でもトマス・ミュンツァーはドイツ農民戦争で活躍した人物であり、田舎娘の村

の戦争はこの農民戦争を舞台にしているのではないかと思われる。

因みに、ミュンツァーが活躍したのはテューリンゲン地方。

また、フッテンとジッキンゲンはこの農民戦争の先駆けとなった騎士戦争で活躍し

た人物。

三人とも反乱軍側の主たる人物であり、おそらく戦死・もしくは処刑されていると

思われるので、女将の愛した男は戦争で儚く散ったのだと思われる。

女将の性別が不明なのは、中の人がじまんぐというのもあるし、ネタ的な面と

キャラ立てからだと思う。

「ビザンツ帝国」は自ら名乗った名称ではなく、歴史学者が395年以降の東ローマ

帝国を指す名称としてつくった名称。

ディオクレティアヌス帝以来、ローマ帝国は東西に分割されて統治されることがた

びたびあったが、395年にテオドシウス大帝が亡くなり、二人の息子がローマ帝国

の東西を分割継承し、その後統一された統治がなかったことから、395年をもって

ローマ帝国の最終的な東西分裂したとみなしているだけのこと。

どういう特徴かというと、東ローマ帝国は、かつてのヘレニズム諸国家の地域で、

ギリシア人が優勢であることから、公用語がラテン語からギリシア語に分かる。

東のササン朝やイスラム勢力との対抗上、ギリシア正教と政治権力との結合が強化

され、いわゆる「カエサロ・パピズム」(皇帝教皇主義)が成立する。

地勢的に外部に対して防御しにくく、北方からブルガール人やスラブ諸族、ノルマ

ン人の侵攻に苦しみ、ササン朝やイスラムの侵攻に苦しむ。

結果的にはビザンツ帝国の領域はそのままそっくりオスマン帝国に移る。

しかし、ビザンツ帝国の政治的・宗教的特徴はロシア帝国に継承されることに

なる。











関空は弱点が露わになっただけでなく、危険な空港であることが証明された。

関空はいま危機管理体制と災害対策を見直さず、再開を急ごうとしている。

南海トラフ級の災害に遭遇したらどうするのか。

南海トラフ地震が来て津波に襲われれば出発搭乗口フロアにいる人達はターミナル

ビルに戻るシャトルが停まって取り残され津波に使ってしまう。

ターミナルビルに残った人も3階以上に避難して津波に流されずに済んだとしても

長期間そこに取り残されることになると思う。

そういう人達数千人分の人達の非常食とかは備えているのか。

陸に戻る手段も考えないといけない。

今回フェリーもバスも足りていないし、関空と同時に神戸空港も津波被害にあった

らどうするのか。

南海トラフ級の災害に遭えば降参。

関空は今後の改善や教訓は何も示していない。

関空=関西国際空港

関空から関空。

すべてJR前提。

関空から大阪金沢長野東京経由(→北陸本線→北陸新幹線→東海道新幹線→)で関空

に戻る場合、最初の乗車券は新幹線の場合「関空→米原」、米原から新快速に乗り

換える場合は「関空→大津」?

またこの場合、米原(新大阪まで新幹線)や大津で改札を一旦潜らず、関空や車内で

乗り越し精算?

山科~近江塩津は乗車経路を指定せず発券(経路特定区間)するので、

関西空港→山科の乗車券が良いと思う。

関西空港→山科(関西空港線,阪和,大阪環状,東海道,湖西,北陸,北陸新幹線,

新幹線)の乗車券の場合、実際の経路が湖西線経由でなく米原経由でも

乗車できない。

実際の経路は複乗になるが、経路特定区間なので問題ない。

大津までの乗車券というのは意味不明。

乗り越し計算は出来るが、あらかじめ連続乗車券として

連続1 関西空港→山科(関西空港線,阪和,大阪環状,東海道,

湖西,北陸,北陸新幹線,東海道線)

連続2 山科→関西空港(東海道,大阪環状,阪和,関西空港線)を用意しておくと

スマート。



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