2016年02月

2016年02月29日

  美容のためには垂涎の的



ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、燕の巣添え蟹あんかけうどん卵白仕立てであった。


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燕の巣添え蟹あんかけうどん卵白仕立て

中華料理の高級食材

「燕の巣」は美容のためには垂涎の的!

楊貴妃や西太后も美容と健康のためにこよなく愛したそうです。

その「燕の巣」とやはり冬に食べたいカニのほぐし身を

関西中国料理重鎮の鍾戚榮シェフの監修の元

熱々のあんかけうどんに仕上げました。

まずは、一口!

燕の巣の食感を楽しみ

その後は、うどんとともに召し上がってくださいませ。

良く絡まって、しかも残さずその栄養が取れてよりGOOD♪♪

味はお墨付き♪

「燕の巣」はとろ~りととろけます♪

蟹と相まって美味しさダブル

とっても贅沢!

生姜が良いアクセントで、からだもポカポカ♪

下記店舗にて販売しております。

詳しくは、店舗にお問い合わせください。



by グルメ杵屋



そんな感じのつばめの巣添えカニあんかけうどんであった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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昆布締めが最高に美味しいのであった。






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よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!










「生かされている」という事を強く感じたという人の多くは、やはり、死というも

のが目の前に襲ってきた時に、それを一番感じたそうだ。

芸能人のピーコさんもその事を感じたそうだ。

ピーコさんは現在71歳。

ピーコさんは44歳の時に左目にマリグナント・メラノーマ、悪性黒色腫が出来て、

摘出手術を受けた。

30万人に一人の病気だそうだ。

ピーコさんとちょうど同じ時に同じ病気で入院していた男性がいたそだが、その方

は2年後に亡くなったそうだ。

それまで、自分が死ぬという事を余り考えた事がなかったそうだが、この時に初め

て命というのは限りがあるものだと実感したと言う。

それまでは、自分一人の力で生きている気でいて、考える事と言えば、楽しい事、

気持ち良い事、面白い物の事ばかりだった。

ところが目を摘出したら、いろんな人が手を差し伸べてくれた。

それは、家族であり、病院の先生であり、看護士さん、そしてたくさんの友人

だった。

永六輔さんは、ピーコさんに義眼をプレゼントしようと、お金を集めてくれたりし

たそうだ。

そうした事が驚きで、自分一人で生きているのではなくて、いろんな人に助けられ

ているんだ、そう気付いた時に、これからは「自分のため」の事は一番最後にしよ

うと決めたそうだ。

そう考えると、人は欲というものがなくなる。

あんなに好きだった宝石も、みんな友達にあげてしまったほどだった。

「人に良く思われたい」という気持ちもなくなり、そういう事に拘っていたそれま

での自分がバカみたいに思えて来たから、とても不思議だったそうだ。

すぐに文句を言ってたのが、それもなくなった。

そうするとみんなから「綺麗になったね」と言われる事が増えた。

「もしかしたら、内面が変わってそれが外に出てきたのかもしれない」

そう思ったそうだ。

ある病院の看護専門学校の文化祭に招かれて講演をした。

その後、一人の先生がやって来て、70歳くらいの肝臓ガンの末期のおばあちゃんの

病室へ来てくれる様に乞われた。

最初は、乗り気でなかったのですが、行ってみた。

その患者さんはピーコさんの大ファンで、講演をとても楽しみにしていたのだが、

直前になって具合が悪くなり意識がなくなった。

注射で意識は戻ったものの、講演を聞きに行く力はなかった。

病室に行って、先生が「ピーコさんが来てくれましたよ」と言ってもぼんやりして

いた。

そこで、ピーコさんが、「ピーコです。お見舞いに来ました」と言った。

すると、おばあちゃんは、「えっ、うそ、ほんと!?」と叫んで、必死に起き上がろ

うとされた。

周りの方が助け起こすと「信じられない、幸せです」と言った。

さっきまで意識のなかった人が。

先生たちは「奇跡だ」というし、付き添っていた娘さんは泣いてしまった。

それで、ピーコさんは、私がこんなふうに役に立つのなら、呼ばれたらそこへ

行ってお会いすることが、もしかしたら私の「役目」ではないかと思った。

同時に、「生きること」というのは、その「お役目」が何なのかということを

探す事かもしれないと、このおばあさんとの出会いを通じて感じられたそうだ。






ひとりひとり違う役目




ピーコさんの様に、目に見えないメッセージに対して謙虚に、天から自分に与えら

れたお役目、使命を自覚し、人生を大切に生きて行く事が、日本人の、人の本来の

姿である。






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かわたれどき

【かわたれ時】

《「彼 (か) は誰 (たれ) 時」の意。

あれはだれだとはっきり見分けられない頃》

はっきりものの見分けのつかない、薄暗い時刻。

夕方を「たそがれどき」というのに対して、多くは明け方をいう。




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葉をすっかり落として

折り重なる枝々を透かして

あかね色に染まる空が見える

だれもいない夕暮れを歩くと

鳴き交わす鴉の声が聞こえる

と思うまもなく

翼を広げた影が

ゆうゆうと道を横切っていく

裸木の枝で鳴いていたのは

途方もない災厄の年を送る

ゆく年の鴉だろうか 

くる年の命運を告げる

カッサンドラの鴉だろうか




空は刻々と翳り

そびえる建物の輪郭が

夕闇に溶けて

かわたれどきがやってくると

心はふたたび

遠い記憶へまよいこむ




あかねぐも

それは父の歌集の名前だったか

かの人の詩のことばだったか

まだ生まれぬきみが

祭り囃子を聞きながら握りしめた

わたあめの色だったか




溶けてしまった夢の糸は 

赤道をまたぐ羽衣となって

乾いた黄褐色の樹木の先の

熱波にしおれた葉群れに絡み

火のなかに輪を描きながら

きみが愛することばの連なり

紡いだ人の黄色い納屋へ向かう




両半球に散らばる

熟成期に入ったことばたちは

いま粉飾をそぎ落とされた

言語に変換されて

きみの内部に降りつもり

埋み火のように暖め

暗い時代に向かう道を かすかに

かすかに照らしだす

夢のような

雪はまだか




かわたれどきの

小暗い道で

いずれ生まれる

まだ見ぬ人が読む

夢のような

雪にほおずりする











『逢魔が時』(おうまがどき)

逢魔が時

一日が終わろうとする夕暮れ時。

お豆腐屋さんのラッパが薄暗くなりかけた夕焼け空を流れていく。

我を忘れて遊びに全身を打ち込んでいた幼い頃、夕暮れ時はいつも理由もなく

物悲しい気分にさせられた。

仲間との別れ。遊びの終焉。

明日になれば、また、会えるのだし、遊べるのだけれど、私は心の底で、

でもそれは絶対ではない……と感じていたように思う。

毎日巡ってくる、一日のあの時間帯。

昼から、夜へ、その橋のような時間。

明るくも暗くもないそのぼんやりした感じ。

このぼんやりした橋を渡るとき、私はいつもとぼとぼと一人だったように思う。

人攫いが出てくるのなら、こういう時だろうなと想像もしたっけ。

この時間帯を「逢魔が時」と呼ぶ。まさに魔物に遭遇しそうな時である。

しかし、この魔物はまだ本領を発揮していない。

薄暗闇ではまだ早すぎるのである。

ただ、何気なく私たちの世界をうっすらと彷徨い、佇んでいるだけなのだ。

「逢魔が時」とは、そんな魔物に逢う時刻の意味なのである。

だから、普通には魔物に逢っても意識されることは殆んどない。

夕暮れ時の忙しさの中で、それは薄暗闇に紛れてしまう。

ただ、感受性の強い、幼い子供を除いて……。

夕食の支度やら何やらで、忙しく立ち働かなくてはならないこの時間帯は、

不思議なことに、赤ん坊は必ずぐずり、幼子は聞き分けがなくなって、

母親にまとわり付くものだ。

その多くの理由は、純な魂が、魔物を感じ取って不安になるためだと

私は考えている。

しかし、当然彼らにはその不安を説明することはできない。

で、大人はいらいらと叱ったり、よしよしと宥めたりするだけなのだ。

「逢魔が時」は「オオマガトキ」が転じたと言われている。

「オオマガトキ」とは「大禍時」である。

一日のうちの禍々しい時間帯である。

忌まわしく、不吉な感じの漂う時間帯なのである。

それは恐らく日が沈み、それまで明らかだったものの輪郭がぼやけて

見えなくなっていく、その覚束なさから生まれる不安なのだ。

そして、ぼんやりとした物の陰から、何か異界の者がそっとはみ出るように

現れてくるのだ。

幼いとき、私は確かにそんな光景を毎日のように見ていた。

強い恐怖感を持ったというのではないけれど、魔物が出てくる様子は夢でも

幻でもなく、リアルなものだったと思う。

同じ時間帯の呼び方に「黄昏時」というのがある。

「たそがれ時」、つまりあそこにいる方は・・「誰そ?彼?」と

問いかけたくなるような、おぼろおぼろに薄暗い様子をそのまま

使った言葉である。似たようなのに「かわたれ時」というのもある。

「彼は誰?」と目を細めながら、見分けのつかない彼を見定めようとする、

その頃のことである。

但し「かわたれ時」は後、まだ薄暗い明け方の頃のみを言うようになったが、

昔は、「逢魔が時」「たそがれ時」「かわたれ時」どれも同じような

夕暮れ時をさす言い方だったようである。

薄暗闇の向こうから、こちらに向かってくる人影……あれは、

彼?……彼の様でもあり、そうでないようにも見える……それともあれは……

彼によく似た魔物のような気もしてくる……。

「誰そ?彼」「彼は、誰?」心の中で問い続け、一瞬、自分の中の何かが

「あ、魔物!」と見極める。

しかし、それだけで、彼によく似たその人は通り過ぎていくのだ。

現実には何も起こらず、胸の中だけにざわざわと波が立つ。

「彼は誰時、逢いたい人は、不在なり、うつむいて、魔が時の、橋渡る」

夕暮れに、亡くなった人によく似た人を見かけることがある。

一日の疲れが溜まったぼんやりした心で見るせいだろうか。

それとも、薄暗い夕闇のベールのせいだろうか。

思わず、その人を追いかけようとして、何かがふっと、私に囁きかけるのだ。

「ほら、今こそ、逢魔が時なのだよ」と。こんな時、気を緩めて、

ひょいと道を間違えたりしたら、もう帰ってこられなくなりそうな気がしてくる。

ジャムが鳴く。

無口なジャムが柔らかく、甘やかに、一声鳴く。

そういえば、ジャムが鳴くのは夕暮れ時が多い。

親しい魔物と交感しているのかもしれない。






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2016年02月27日

  泉の様に旨味が溢れ出る



この日はハヤシライスを作る事にした。

使ったのは三種類のルウ×2とトマトのパスタソース×2であった。


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この日の材料は『業務スーパー 枚方高田店』で買って来た極々普通のすき焼き用

の国産牛総量約3.0㎏と玉葱とじゃが芋であった。


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この日も鍋2杯のハヤシを作った。

材料をいつもの大きな鍋の中にルウと一緒に入れた。

後は鍋が勝手に美味しく作ってくれるのであった。


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そんな感じのハヤシライス。


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スタッフの皆と一緒に食べるハヤシライス。

これがむちゃくちゃ美味しいのであった。

ほんまにえげつないほどに美味しかった。

これだけの大きな鍋で作るから泉の様に旨味が物凄く溢れ出る感じで真剣に

美味しいのであった。








昨日のお昼に用意されたのは『仕出し割烹 新大阪 きらく』と言うお店の

『特大エビフライと濃厚チーズソースハンバーグ二段重』と言う弁当であった。


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特大エビフライと濃厚チーズソースハンバーグ二段重


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デカい海老の存在感が半端なかった。

ハンバーグもそれなりに柔らかくて結構美味しいのであった。








そうこうしていると、あの大手ゼネコンの眼力浜っこすわ子がここにやって来た。


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この日も弁当とハヤシをパクって行きやがった。


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『ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたるぞ~っ!!』

これが眼力浜っこすわ子の決めセリフなのであった。








『トップワールド香里園店』で鰻専門店の『魚伊』の鰻の蒲焼きを買って来た。


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あっつあつの御飯の上に『魚伊』の鰻の蒲焼きを乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

この『魚伊』の鰻の蒲焼きを食べるとまさに炭火を実感するのであった。

時々『芳醇な香りと豊かな味わい』と耳にする事がある。

意味はよく分からないが、おそらく『魚伊』の鰻の蒲焼きはこんな感じだと思う。

深くて豊かで芳醇で贅沢な。

そんな感じの鰻の蒲焼きであった。




『魚伊』







『万代』郡津店で柔らかくて美味しそうなすき焼き用の牛肉を買って来た。

すき焼き用の牛肉を使って他人丼の具を作った。

それをあったか御飯のおかずにした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

無茶苦茶柔らかい牛肉と玉子が絡み合って最高のハーモニーでめっちゃ美味しい

のであった。







『万代』香里ケ丘店で鯛の切り身を買って来た。


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鯛の切り身を漬けにした。


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とりあえず炊き込み御飯を作った。


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炊き込み御飯の上に鯛の漬けをトッピングした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

鯛は漬けにする事で独特のマッタリ感が増す。

それが炊き込みご飯と絡み合って最高に美味しいのであった。








ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、天ぷらうどんであった。


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天ぷらうどん

しっかりと出汁の効いたうどんが最高に美味しいのであった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はモスバーガーを食べる事にした。

それでモスバーガー枚方茄子店へ行って来た。

早速注文をした。

注文は、モスバーガー、モスライスバーガー「彩り野菜のきんぴら 

国産野菜使用」×2、モスライスバーガー「海鮮かきあげ(塩だれ)」

「バラエティパック A」であった。

そんな感じのおうち御飯であった。



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今週のおかず。






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そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。






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「もったいない」

日本人なら誰でも知っている言葉ですね。

この言葉は6年前、平成17年3月に、国連の「女性の地位委員会」閣僚級会合で、

ノーベル平和賞受賞者でケニア環境副大臣のワンガリー・マータイさんが演説し、

日本語の「もったいない」を環境保全の合い言葉として紹介し、「MOTTAINAI」と

書かれたTシャツを手に、会議の参加者と共に唱和したことから一躍有名になり、

世界語になったもの。 

なぜ日本語がそのまま英語になったか。

それは、英語にない概念だからである。

「もったいない」は外国にはない概念なのである。

私達日本人は、「もったいない」と聞けばそれで伝わるが、日本人でない人には

通じない。

マータイさんは、「もったいない」を解説している。

それは4つの「R」だと言う。

リデュース・消費削減、リユース・再使用、リサイクル・資源再利用、

リペア・修理の4つだそうだ。

私達はそんなこといちいち考えない。

もったいないは、もったいないである。

日本人は、こう言う事を、この「もったいない」の一言で、表現しているんだとい

うのである。

それから、実はもう一つの「R」がある。

それは、リスペクト、尊敬するである。

そういう、いろんな事がこの「もったいない」の中には含まれている。

素晴らしい言葉なんだと言う事を、このマータイさんが発信してくれた訳である。

本来「もったい」と言う事は、「勿体(もったい)」、つまり「物体」と言う事な

のである。

物の本体。

その物の本体を失なう事が、「もったいない」

だから、大切にしなければいけないですよ、と言う事。

例えば子どもに言う場合には、「もったいないだろ」と言ったら、一つの戒めの

言葉として使って来た訳である。

この「もったいない」が世界語になって広がっている。

これを、日本人が発信した訳ではなく、ケニア人が発信してくれた。

だからこそ広まった、という事もあるのだと思う。

日本では、「もったいない」の心の奧にある日本人の精神性が薄れて来ている。

私達は、日本人の精神性を取り戻し、深めて行くためにも、できるだけ積極的に

「もったいない」という言葉を使っていきたいなと思う。






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アホの佐藤の本名は、佐藤ではない。

ムコちゃんの本名もムコではない。

二人のハンドルネームは小山と大山。

この話はいずれする。

では、では。。。ニコニコ!!

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2016年02月26日

  episode-26 「極悪非道の虫けら」



沖縄県警豊見城署は21日、プロ野球・千葉ロッテマリーンズ内野手、

ヤマイコ・ナバーロ・ペレス容疑者(28)を銃刀法違反(所持)容疑で

現行犯逮捕した。

発表によると、ナバーロ容疑者は同日午後7時10分頃、那覇市の那覇空港国内線

旅客ターミナル内の検査場で、拳銃の実弾1発をショルダーバッグに隠し持ってい

た疑い。

ナバーロ容疑者はドミニカ共和国出身で、「ドミニカでは(銃弾所持は)合法で、

カバンに紛れて入っていた」と供述しているという。

プロ野球選手として余りに軽率さにあっけにとられてしまった。

文化、法律が違う国を訪れるのだからもうちょっと慎重になって欲しい。

球団、ファンが一番迷惑するやんけ。

昨夕そんな事を考えていた。

すると江戸っ子どんと姫がここにやって来た。


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そして「お疲れ様です」と言って私の横に勝手に座りやがった。

私が「告発されるみたいや」と言った。

江戸っ子どんと姫「エルンスト・フォン・シューフ(Ernst von Schuch、出生時の

名前はエルンスト・ゴットフリート・シューフErnest Gottfried Schuch、1846年

11月23日 (グラーツGraz)- 1914年5月10日(ニーダーレスニッツ

Niederlößnitz))は、オーストリアの指揮者です。

ドレスデン宮廷歌劇場でリヒャルト・シュトラウスとともに活躍しました。

グラーツに生まれました。

初めは法律を修め、のちにフェリックス・オットー・デッソフの下で音楽を

学びました。

1867年、ブレスラウのテオドール・ローベの下で指揮を始めました。

その後、ヴュルツブルク(1868~70年)、グラーツ(1870~71年)、バーゼル等の

歌劇場指揮者を歴任しました」と言った。

私が「へ~っ、クラシック音楽にも精通しているんや」と言った。

江戸っ子どんと姫が「この辺は、ドン引きタツジさんとは違いますから」と

笑いながら言った。

私が「ところで、野球には興味はないんか」と言った。

江戸っ子どんと姫が「井原西鶴の『西鶴諸国ばなし』を訳しました。

先ずは原文からです。

榧・かち栗・神の松・やま草の売声もせはしく、餅突く宿の隣に、煤をも払はず、

二十八日まで髭もそらず、朱鞘の反をかへして、米屋の若い者をにらみつけて、

すぐなる今の世を横にわたる男あり。

名は原田内助と申して、かくれもなき浪人。

広き江戸にさへ住みかね、この四、五年、品川の藤茶屋のあたりに棚かりて、

朝の薪にことをかき、夕の油火をも見ず。

これはかなしき年の暮に、女房の兄、半井清庵と申して、神田の明神の横町に、

薬師あり。

このもとへ、無心の状を遣はしけるに、度々迷惑ながら、見捨てがたく、金子十両

包みて、上書きに、「ひんびやうの妙薬、金用丸、よろづによし。」としるして、

内儀のかたへおくられける。

内助よろこび、日頃別して語る浪人仲間へ、「酒ひとつもらん。」と、呼びに遣は

し、幸ひ雪の夜のおもしろさ、今まではくづれ次第の柴の戸をあけて、「さあこれ

へ。」といふ。

以上七人の客、いづれも紙子の袖をつらね、時ならぬ一重羽織、どこやら昔を

忘れず。

常の礼儀すぎてから、亭主罷り出でて、「私仕合せの合力を請けて、思ひのままの

正月を仕る。」と申せば、おのおの、「それはあやかり物。」といふ。

「夫れに就き上書に一作あり。」と、くだんの小判を出だせば、「さてもかる口な

る御事。」と見てまはせば、盃の数かさなりて、「よい年忘れ、ことに長座。」

と、千秋楽をうたひ出し、燗鍋・塩辛壺を手ぐりにしてあげさせ、「小判もまづ、

お仕舞ひ候へ。」と集むるに、十両ありし内、一両たらず。

座中居なほり、袖などふるひ、前後を見れども、いよいよないに極まりける。

訳です。

『西鶴諸国ばなし』

大晦日は合はぬ算用

カヤの実・かち栗・神棚用の松・シダ(いずれも正月用品)を売る呼び声もいそが

しげに、餅をついている(景気のいい)家の隣に、煤払い(大掃除)もせず、十二

月の二十八日まで髭も剃らず(不景気な様子)、朱鞘の刀の反りを返して(今にも

抜くようなそぶりを見せて)、(代金をとりに来た)米屋の若い者をにらみつけて

(追っ払い)、正しいご政道がおこなわれている今の世の中を、横車を押してわた

る男がいた。

名は原田内助といって、(無法なことで)名の知れた浪人だ。

(内助の評判が悪いので)広い江戸にさえ住みづらくなり、この四、五年は、品川

の藤茶屋のあたりに家を借りて、朝の(飯を炊く)薪にも不自由し、夕に(暗くな

っても)灯火をともす油もない。

このように貧乏な(状態で迎えた)年の暮に、(内助の)女房の兄が、半井清庵と

いって、神田の明神の横町に(住む)、医者がいた。

この人のもとに、借金申し込みの手紙をやったところ、(清庵は)度々

(のことで)迷惑ではあるが、見捨てるわけにもいかず、小判十両を包んで、

(包みの)上書きに、「貧乏の病いの妙薬、金用丸、あらゆる病気にきく。」と

書いて、内助の妻のもとに贈られた。

内助は喜んで、日頃、特に仲良くしている浪人仲間に、「酒を一献さしあげま

しょう。」と、呼びにやり、幸いにも雪の夜で興趣もあり、今までは崩れほうだい

にしていた柴の戸をあけて、「さあ、どうぞ。」と言う。全部で七人の客は、いず

れも紙でできた粗末な着物で居並び、季節はずれの(夏物の)ひとえの羽織(を着

こんで)、(浪人はしていても)どこか昔(の侍暮らし)を忘れていない。

おきまりの挨拶がすんでから、亭主(内助)が進み出て、「私は運よく援助を受け

まして、不自由なく正月を迎えます。」と言うので、みんなは、「それはあやかり

たいものです。」と言う。

(内助は)それについて、この上書きにひと工夫があります。」と、例の小判を

出したので、(みんなは)「なんと面白い冗談ですな。」と(上書きを)見て

(手から手へと)回すうちに、盃もたびたび飲み干して、「よい年忘れで、

(楽しくて)格別に長居をいたしました。」と、(おひらきの)千秋楽の謡を

うたい出し、燗鍋や塩辛の入った壺を手渡しでしまわせ、「小判もまず、おしまい

ください。」と集めたところ、十両あった中の、一両が足りない。

一同居ずまいを正し、袖などをふるって、前や後ろを見たけれども、いよいよ

ないということになった」と言った。

私が「ところで、最近の売り上げはどう」と言った。

江戸っ子どんと姫が「今月もそれなりの業績は上げたつもりです。

おそらく、ドン引きタツジさんには勝っているとは思います」と言った。

私が「まあー、無理せずにマイペースで頑張れよ」と言った。

江戸っ子どんと姫が「井原西鶴の『好色一代男』に出て来る世之介はホモセク

シャルでありながら、女性も口説きます。

つまり、両刀づかいなんです。

男女の別なく挑んでいく。

口説きもし、口説かれもし、捨てもし、捨てられもする。

技を磨くが、性根も磨く。

これって、まさに変態のえて雄さんそのものです」と言って拳を突き上げた。


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私が「技を磨くが、性根も磨くって。

それやったら、変態のえて雄はまさにセックスマシーンやんけ」と言った。

すると江戸っ子どんと姫が「性欲むき出しの変態のえて雄さんこそ極悪非道の

虫けらそのものだ思います。

毎日、毎日、マスする事しか考えない変態のえて雄さんは史上最悪の勃起男だと

思います」と言った。

その瞬間、深い沈黙になった。

史上最悪の勃起男って。

江戸っ子どんと姫もえげつない事を言うわ。

江戸っ子どんと姫、この調子でこれからも頑張って欲しい。(^^♪








ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、焼きたらこのパスタであった。


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焼きたらこ

たらこの塩分が程よく効いてめっちゃ美味しのであった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はカレーライスを食べる事にした。


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冷奴を食べながらのカレーが最高に美味しいのであった。






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2016年02月25日

  出汁が染み込んだタラ



ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、煮付け定食であった。


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煮付け定食

醤油ベースのしっかりとした出汁が染み込んだタラの煮付けが最高に美味しいので

あった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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出し巻き玉子が滅茶苦茶美味しいのであった。






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古来の神道的な精神性からいうと、日本人にとっては、食事をすること自体が神事

だった。

それは、食材はすべて神様からの賜り物で、料理はいったん神に供え、祈りを捧げ

てから、それをお下がりとしていただくものだった。

だから、古代人は料理そのものがすでに神様だと考えていた。

食事をすることで、神と人が一体になるとも考えられてきた訳である。

食事をそんなふうに思って食べた事があるか。

お下がりを頂くことは、直会と書いて「なおらい」と読む。

直会というのは、祭典などで非常に緊張感のある中で神様にお仕えして、

それから、「なおりあう」

元に戻るということ。

「直り会う」というところから直会と言う様になったと言われているが、そういう

直会をして神様からの恵みをみんなで分かち合うということをして来た。

神前の祭典の時、八足(はっそく)にたくさんのお供え物が並べられている。

これには順番が決まっており、その順番通りに並べ、しかも参拝者から見て、

整然と綺麗に盛りつけられる。

「皇神(すめかみ)に捧ぐるものはことごとく神より受けし御賜(みたまもの)

なり」という歌があるが、すべての物は神様から頂いたものである。

大根1本にしても、みかん一つにしても、人間は育てることは出来ても、何もない

ところからその種を作ることは出来ない。

すべては大自然の恵み、天と土と火の恵み、つまりは神様のみ恵みに他ならない。

だから、「ありがたい」という思いを持って、出来るだけ綺麗に盛りつけをする。

お参りしている人達はそれを見て、「あ〜、これだけたくさんの素晴らしい食物を

神様から頂いたいているんだ」と、感謝の気持ちを抱き、その思いを捧げる。

すると、その気持を受けられた神様が今度は神霊の気をそのお供え物に注がれる。

それをお下がりとして頂くのです。

一方、祖霊、ご先祖さまへのお供え。

一見同じ様だが、思いが違う。

こちらは、一度肉体を持って生まれてきた人をお祀りしている。

先祖である。

だから、「あの世でお召し上がり下さい」、という気持ちでお供えする。

神様とご先祖様へのお供えの気持ちはこういうふうに違う。

それが証拠に、お下がりのお神酒(みき)を飲み比べるとはっきり分かる。

ご先祖様にお供えしたお酒は水っぽくなる。

神様とご先祖様にお供えをした同じ御神酒をお下げして、同じ器に注ぐ。

そうすると、みんなが「こっちは水っぽい、薄い。」と言う。

それは、必ず祖霊様のお下がりの方である。

これは本当に100%当る。

祖霊様というのは明らかにエキスを頂いている。

日本人というのは、食事そのものが神様ごと、神事である。

作った料理そのものが、実は神なんだということ。

そういう感覚を持っていた民族なんだということ。

これが大切である。






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h_t_tomoto at 06:33コメント(0)トラックバック(0) 

2016年02月24日

  自慢の2種類のソースが楽しめる



ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、ダブルソースオムライスSSであった。


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ダブルソースオムライスSS

自慢のハヤシソースとツナクリームソースを同時に楽しめる贅沢な一品って感じで

結構美味しいのであった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は豆乳鍋をしてあったまる事にした。


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中華出汁をベースにした豆乳鍋が最高に美味しいのであった。






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よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!











≪人生の目的≫



人は何のために生まれ、生かされているのでしょうか。

その目的を悟った時、人生は明るく、積極的なものになっていきます。




真に充実した人生を送るには「人生の目的を知り天命を悟る」ことが重要です。




◇人は神の子、神の宮

私たちの霊魂も肉体も、神様から分け与えられたものです。

それを「人は神の子神の宮」といいます。

神の子である私たちには地上天国を建設するという大きな使命(天命)が

与えられてます。




◇地上天国の建設・・・・誰もが幸せな生活を!

この世には、清らかで明るくあたたかい天国的なものから、憎しみや争いなど

の地獄的なものまでが混在しています。

そのすべてを天国化していくことが、神様から与えられた私たち人間の使命で

あり、生きる目的なのです。

天国とは、神様から発する愛の熱と智慧の光に包まれた世界です。私たちは

天国的な雰囲気を、家庭に、周囲に、町に、国に、世界にと広げ、誰もが安心

できる穏やかで平和な世界を築いていかねばなりません。




◇天人の養成所・・・・幸福への近道

人生のもう一つの目的は、霊魂の向上にあります。

これを、「みたまみがき」ともいいます。

人間は、この世での生活を通じて霊魂を十分に向上させ、天国に住むにふさわ

しい霊魂へと成長することが幸福への一番の近道です。

死後は天人となって、天国をますます円満に無限に開くための活動へと変わり

永遠に天国の住人となります。

そのためには、神さまのみ心を悟り、日々の生活の中で実践することが大切です。




幸福を手にするには?

人生の目的を知り天命を悟る!

そして、人智を尽くす




①人生の目的を知る

人生の目的を簡単に説明したのが上記となります。




②神さまのみこころを知る

神さまはどのようなことを人々に望まれているのでしょう?

その答えは日本古来の神道の教えにあります。




③神さまのみこころを実践する

神さまの「教え」を日々の生活で実践します。




④自分や先祖のめぐり因縁を知り解決する




⑤天命を悟る

神さまの「教え」を日々実践する中で自分に与えられた使命に

気づかされます。




⑥人智を尽くす

これが人生の真の目的です。











黒川博行原作の疫病神シリーズ『螻蛄(けら)』が放送されている。

北村一輝と濱田岳のダブル主演。

これが最高に痛快に面白い。

ぶっちゃけ俺は嵌まっている。

『管主』

ネットで調べたら『かんしゅ』と読むみたい。

ところが、ドラマ『螻蛄(けら)』の中では北村一輝が濱田岳に

向かって『“かんす”と読むんじゃー、ぼけ』と言うシーンがある。

宝物は『たからもの』ではなくて『ほうもつ』と読んだりと。

お寺の世界のいろいろな読み方があって結構勉強になる。

しかし、なんぼ調べても『管主』を『かんす』と読むのが出て来ない。

本当に『かんす』と読むのか。

おーい!!

変態のえて雄!!

『管主』は本当に『かんす』と読むんか、調べてくれへんか。

頼むわ。








螻蛄(疫病神シリーズ)
1話
あらすじ
ある夜賭場で、二蝶会を破門になったはずの桑原(北村一輝)と一年ぶりに
再会した二宮(濱田岳)。
桑原が二宮に声をかけたのは、新たなシノギが目的だった。
宗教法人・伝法宗の寺院、就教寺の住職・木場(佐藤誓)が、
絵巻物「懐海聖人絵伝」の絵柄を染めたスカーフを信者に売りさばこうとして
失敗。
染色屋「与志村」に渡された2,000万円分の手形の取り立てを、二蝶会が請け負う
ことになったらしい。
2,000万円の代わりに「懐海聖人絵伝」の現物を奪おうと考えた桑原は、
就教寺の檀家である二宮に、木場から絵巻物の在処を聞き出すようそそのかす。
2人は巨大宗教法人から金を巻き上げるため、再びコンビを組むことになる・・・。






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h_t_tomoto at 06:41コメント(2)トラックバック(0) 
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