2016年12月

2016年12月29日

  今年最後の記事


お知らせ。

本日の12月29日から1月3日まで正月休みです。

うちに合わせて的屋のたっちゃんとこも正月休みに入ります。

それに合わせてブログも今日からお休みします。

これが今年最後の記事です。

次回お会いするのは1月4日の水曜日です。

それでは、皆様、素晴らしいお正月をお過ごし下さい。

北河内地区の大手ゼネコンの関係各所の皆様。

今年1年間いろいろとお世話になりました。

来年も宜しくお願い致します。

皆様、良いお年をお迎えください。

本当にありがとうございました。








そうこうしていても、あの眼力浜っこすわ子はここにやって来なかった。

『ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたるぞ~っ!!』

これが眼力浜っこすわ子の決めセリフなのであった。

眼力浜っこすわ子は絶世の美人である。

佐野ひなこなんて比べものにならないくらいに遥かに美人である。

恐ろしい程に魅力的で可愛くてチャーミングである。

その余りの美しさに空からUFOが落ちて来そうになる。

まさにこの世の奇跡と呼ぶべき美人が眼力浜っ子すわ子である。

こんな話をすると変態のえて雄が喜ぶ。

何故喜ぶのかが分からない。

そんな変態のえて雄もいよいよ宝塚市に移動する。

この世界のお決まり事なので仕方がない。

愛媛県で単身赴任している奥飛騨慕情さん。

正月はどう過ごすのであろう。

家に帰っても嫁を始め家族は誰も相手にしてくれないと嘆く奥飛騨慕情さん。

まあー、今更正月もクソも何もないとは思うが。

宮崎県出身のカズ・チンペイ。

いつも『宮崎県は➚陸の孤島と呼ばれていますから~➚』と言っている。

そんなカズ・チンペイが『変態のえて雄さんは➚宝塚に➚移動するんですね➚

変態のえて雄さんがいなくなるは残念です➚折角毎週イジれると思ったのに➚

本当に残念で仕方ありません➚ちょっと寂しいです➚』と言った。

俺が『イジるって。

2年目のお前が、ベテランのえて雄をイジるって、10年早いわ』と言った。

カズ・チンペイを見ているとオリックスの吉田正尚を見ているみたいだ。

吉田正尚も対外みたいや。

阪神に行った糸井嘉男に匹敵するぐらいに天然らしい。

テレビで駿太が言っていた。

宇宙人、糸井嘉男に吉田正尚にカズ・チンペイ。

今後のカズ・チンペイの活躍に期待したい。








『トップワールド香里園店』で鰻専門店の『魚伊』の鰻の蒲焼きを買って来た。


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あっつあつの御飯の上に『魚伊』の鰻の蒲焼きを乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

『魚伊』の鰻の蒲焼きは真空パックに入っている。

袋を開けた瞬間芳醇で奥深い香りが立ち込める。

柔らかくて独特の味わいを醸し出し最高に美味しいのであった。

『魚伊』の鰻の蒲焼きは真剣に美味しいのであった。








『業務スーパー 枚方高田店』』で美味しそうな牛のハネシタを買って来た。


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牛のハネシタを醤油ベースの出汁に3日間漬け込んで冷蔵庫で寝かした。


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こうする事で醤油ベースの出汁が芯まで染み込む。

出汁が染み込んだ牛のハネシタを美味しく焼き上げた。


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それをあったか御飯のおかずにした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

滅茶苦茶柔らかいハネシタが口の中で小躍りしていた。

醤油ベースの出汁に3日間漬け込んで寝かせると言うアイデアは中々のものだと

自負している。

何事もチャレンジ精神が必要だ。

って、そない大げさな。(^^♪

今回も柔らかくて深みのある味わいで最高に美味しいのであった。








『万代寝屋川宇谷店』でマグロの中トロの切り身を買って来た。

マグロの中トロの切り身を漬けにした。


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とりあえず炊き込み御飯を作った。


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炊き込みご飯の上にマグロの中トロの漬けをトッピングした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

今回のマグロの中トロは物凄く脂が乗っていて無茶苦茶美味しかった。

それをを漬けにすると更に旨さが倍増して最高に美味しいのであった。

最高に美味しいマグロの中トロの漬けと炊き込みご飯が絡み合って言葉に出来ない

程に美味しいのであった。

最強の漁師御飯を食べている感じでめっちゃ幸せな気持ちになった。








今週のおかず。




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ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、葉わさびそばであった。


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葉わさびそば

思ったほどにピリッと辛くはなかった。

更に辛さを求める人の為にわさびが付いていた。

葉わさびの他にわらび・水菜・ネギも乗せられていた。

蕎麦もしっかりとコシがあって全体的には結構美味しいのであった。

これならリピートしてもええと思った。

そんな感じの『そじ坊 京橋京阪モール店』であった。








そんな感じの今年最後の記事です。

今年の年末年始も皆様にとって素晴らしいものでありますよう

心からお祈り致します。

それでは1月4日のまたお会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。

では、では。。。ニコニコ!!





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唯名論について。

古代ギリシャで「実在論(リアリズム)」を唱えたてのがプラトンで、プラトンは

個物、質料(ヒューレー)の対立の上にもっとも普遍的で、最高の概念があり、

それを「イデア」といい、「イデア」こそ真の実在で、個物は真の実在ではなく、

仮象に過ぎないと言った。

これを批判してアリストテレスは真の実在は個物の方にあり、概念でしかない

「イデア」は、ただの言葉であり、真の実在ではないと言って「唯名論(ノミナリ

ズム)」を唱えた。

言い換えるとプラトンは概念実在論、それに対してアリストテレスは概念非・実在

論である。

古代ギリシャではプラトンの「実在論」とアリストテレスの「唯名論」はアリスト

テレスがプラトンの弟子であった関係もあり、本格的な論争にはならなかった。

その上、古代末期にローマ帝国がキリスト教を国教にするとアリストテレスの

「唯名論」は都合の悪いものとして西欧から追放され、アラビア語に翻訳されて、

イスラム神学を作るのに利用され、プラトンの思想はその後、ヘレニズム期の

新・プラトンの主義のプロティノスによって、「イデア」は「一者」に言い換えら

れ、「一者」の発出による世界の創造という思想に受け継がれた。

さらに同じヘレニズム期のアウグスティヌスによって、ユダヤ・キリスト教の神に

よる世界の創造というドグマに結び付けられ、「イデア」は神になる。

中世キリスト教世界では、神が世界の上に君臨し、その神が人間や自然を創造した

とされ、人間はその神の性質を分有するものとは言え二次的なものでしかなかった。

ところが10世紀の十字軍遠征の結果、イスラム世界との交流が始まり、それまで

アラビア語に翻訳されていたアリストテレスの著作がラテン語に翻訳され、12世紀

にヨーロッパにできた各地の大学でそのアリストテレスの著作の注釈がトマス・ア

クィナスなどの神学者によって講義され、ヨーロッパの人びとは初めて古代ギリシ

ャにアリストテレスという哲学者がいたことを知り、驚愕した。

そして12世紀から14世紀にかけて、有名な「普遍論争」が惹起する。

アンセルムス、アベラール、トマス・アクィナス、ドン・スコトゥス、ウィリアム

・オッカム、・・・・・などの神学者が論争を繰り広げた。

論争は「普遍が実在するか」という論争だったが、中世では、普遍といえば神を意

味したので、実質それは神が実在するか、という論争だった。

最終的にはアリストテレスの、「普遍は実在しない、ただの言葉である」という

「唯名論」の勝利で決着したと言われる。

しかし、「実在論」と「唯名論」の中間の概念論というものがあり、アベラールが

唱えたとされる。

たとえば、社会とか国家という概念は、概念だけども実在しないとは言えない。

概念だから実在しないとは言えない訳である。

それにプラトンの「イデア」にしても数学が「イデア」とすれば、数学の「数」に

しても、確かに知覚できるものではないけど、それでも理念的には実在する訳で

ある。

だから、簡単にアリストテレスのように概念だから実在しないとは言えない。

現代でも、「実在論」と「唯名論」の対立は解決していない、というのが大半の

意見である。

「言語」という言葉で「身振り手振り」「手話」「メール」を含めて考える人もいる。

ボディーランゲージ(body language)という言葉もある。

「神」という言葉で、「かまどの神」「風の神」「海の神」「雷神」「山の神」

「国津神」「戦の神」、「ダエーワ神(アヴェスター語: daēva、古代ペルシア語:

daiva、中世ペルシア語: dēw)」も表す。

「創造者」も「神」と呼ぶが、「神」は「創造者」だけではなくて、色々ある。

「人にとって神と言う価値観」は、「人を良い方向に導くもの」だけでなく、

「人に災禍をもたらすもの」も含んでいる。

「人にとって神と言う価値観」は、「人為を超絶したもの」だけでなく、

「お祈り、貢ぎ物、犠牲、おまじない、祭祀で人の都合に合わせてくれるもの」も

含んでいる。

「神」を見いだすのも、失った、いなくなった、もともとないと思うのも人間で

ある。

「身近で触れることができる(神像や聖書、大きな石、岩屋)」「眺めることので

きる(太陽や山、滝、日の出、大嵐)」「日常の行為である(スポーツや戦争、料

理、書道)」の中にも、「神」を見いだす人はいる。(現在も)

微細な生物の構造や自然の仕組みの中に「神」をみた気になったような感覚を

もったり、そう表現する人も多い。

「存在をとらえ、原理を理解する」と、それを「神」と呼ばなくなる人もいるで

あろう。

「存在に気付き、原理を理解する」ほど、「神」をみた気になったような感覚を

もったりする人も少なくはない。

それまで「神と呼んでいた(もの)」を神と呼ばなくなる【変化】は、色々な状況

で起きる。

新たに別の(もの)を神と呼ぶようになったために、従前神と呼んでいた(もの)

はもう神とは呼ばない。

従前神と呼んでいたものに裏切られた、信用できないと感じたために、従前神と

呼んでいたものはもう神とは呼ばない。

従前神と呼んでいたものに【神秘性、神聖性】を感じなくなったために、従前神と

呼んでいたものでも、もう神とは呼ばない。

【神秘性、神聖性】を感じなくなるには、(容易)が大きく関わっているようで

ある。

マジックで驚いている時には神秘的と思っていても、自分で出来るようになれば、

神秘さは影を潜める。

放散虫の骨格を電子顕微鏡で初めて見れば神秘的と思っても、人間の目がもともと

これを目視できるものであれば、最初から神秘とは思わないであろう。

嵐でも山でも海でも大地でも太陽でも、出産や成長でも、そんなものだと日常的な

感覚で捉えれば、神秘さはない。

原理や存在を知ったというだけでなくて、そんなものだと日常的な感覚で捉えてい

るか、凄いという感覚で捉えるかのことが、神秘・神聖・ありがたい・たっとい感

覚を産むかどうかに関わる。

自己効力感もあり、自力でアグレッシブに取り組む傾向の強い人でも、同時に冷静

で論理的で知的で科学知識や社会知識もあり、経験も豊富という特性を兼ねて

持っていても、神を重視する人はいる。

ただ、そのような人が、【家族や友人、自然の中に神を見ている】というのでは

ナイのではないかと思う。

「神」の用語を使って表示している(もの、概念、観念、感覚)に共通不変の内容が

あると考えることに誤りがあり、【家族や友人、自然の中に神を見ている】場合の

「神」と、他の神に共通性があると考えるのは間違いであろう。

アンタッチャブル(まだ手が届かない・まだ先にある)の感覚を生じさせる自分の状

況が「神」の観念を浮かばせるのだと思う。

もう手が届いた、分かっている、こりゃいつもと同じよという感覚で生きていれば

何でもそのように捉えれば「自分にとって(神)」の感覚は生ジナイになるだろう。





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2016年12月28日

  寿司メシにアレルギーがある


お寿司が用意された。


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美味しそうなお寿司だった。

でも俺は寿司メシにちょっとアレルギーがあるから食べずに隣のたっちゃんに

あげた。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は湯豆腐をしてあったまる事にした。


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焼きそばを食べながらの湯豆腐が最高に美味しいのであった。





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「五 赤光」

芥川の諦念の苦しみや悲しみが凝縮されていた。

彼はもう死のうとしている。

人生に光が見出せない。

ここまでの状態になって彼が生きているのは何か理性を超えた「生命力」による

もの。

とりわけ「旧き美」によって生かされている。

そして、そんな絶望的な状態の中で最期の作品に向かう強い決意を感じた。

「光のない闇もあるでしょう?」(P205)と言う言葉は、芥川の壮絶な苦しみの末

に出て来た言葉だと感じる。

この会話をしている室賀文武に親和力や情熱を感じているところも悲しいところだ

と感じた。

それは彼にないところだからこそ、一層悲しみを増しているよう。

室賀と自分には共通点があるが、根本的なところで芥川とは違う。

芥川の絶対的な孤独感のようなものを感じた。

また、印象的なのがP208の「しかし、僕はそこへ帰ると、おのずから僕を束縛して

しまうある力を恐れずにはいられなかった(中略)…が、僕はもう一度戦闘的精神

を呼び起こし、ウィスキイの酔いを感じたまま、前のホテルへ帰ることにした」と

いう言葉。

ここで思い浮かんだのは、最近読んだ三島由紀夫の「命売ります」の中で出て来た

「ゴキブリの生活」という言葉。

こういう世間一般の家庭的なものが、自分を束縛するかもしれないと思った。

しかし、それを断ち切る必要があった。

戦闘的精神を呼び起こし、前のホテルへ向かったところに武士道精神を感じた。

もう死のうとしていて、光も見出せない状態なのに、ここで「戦闘的精神を呼び起

こすもの」

それはやはり彼の中に流れる旧き美だと感じた。

死を目前にして、旧き美が最後の輝きを放つように感じた。

まさに「或阿呆の一生」の中に出てきた「火花」のように感じた。

続いて印象的なのはp210の言葉。

「そこは悪魔に苦しめられるイヴァンを描いた一節だった。イヴァンを、ストリン

トベルグを、モオパスサンを、或はこの部屋にいる僕自身を」

カラマーゾフの兄弟に出てくるあのイヴァンを出してきて、さらに悪魔に苦しめら

れているところからは、芥川自身の「西洋化へ加担したことの懺悔」みたいなもの

であろう。

イヴァンは人知を超えたものを、人間の理性で解剖できると信じていたように記憶

している。

理性万能主義者というか。

この姿勢は、西洋化のそれと同じだと感じた。

戦闘的精神を呼び起こしたり、悪魔に苦しめられる描写があったり、晩年の芥川の

心の中であらゆる感情が複雑に交錯していると思った。

でも、根底には深い悲しみがたえず流れている。

戦闘的精神も悲しみゆえに出てきているもの。

最も重要な事は「赤光」

これは文中にも出て来るが斎藤茂吉の有名な歌集。

しかしその前に芥川は赤い光に照らされる自分の影を見ている。

それは胃痛を抑えるために入ろうとしたバーだった。

その中には芸術家らしい若い連中がいた。

要は西洋化を何の疑いもなく信奉している連中という事だ。

だから赤い光は西洋化の象徴であり、しかも不気味なものだ、という芥川の感覚で

ある。

芥川のクリスチャンとの会話は、彼がやはり何の疑いもなく西洋の神を信じている

事への反発だった。

神の存在はあるのかもしれないとしても、芥川はそれ以上に悪魔の存在を確信して

いた。

そして、その会話は芥川を疲弊させる。

それは自分がやはり西洋の魅力によってそれを求めて生きて来た事実があるからだ。

今もその魅力を抱きつつ、西洋化する日本の悲しみを抱いてもいる。

そして、芥川のもとへ送られた茂吉の歌集『赤光』

つまり、芥川は旧き日本の美からすらも自分が責められているかのように感じた

のである。

もはや日本の旧き美も自分を否定しているのだ、と。

赤い光=西洋化、悪魔の光を避けていた今日の芥川に、容赦なく日本の和歌を編ん

だ歌集が『赤光』であった、というめぐり合わ。











佛說阿彌陀經



如是我聞 一時佛 在舍衛國 祇樹給孤獨園 與大比丘衆[2] 千二百五十人倶 皆是大阿羅漢 衆所知識 長老舍利弗 摩訶目犍連[3] 摩訶迦葉 摩訶迦旃延[4] 摩訶倶絺羅[5] 離婆多 周利槃陀伽[6] 難陀 阿難陀 羅睺羅 憍梵波提 賓頭盧頗羅墮 迦留陀夷 摩訶劫賓那 薄拘羅[7] 阿㝹[8]樓駄 如是等 諸大弟子 并諸菩薩摩訶薩 文殊師利法王子 阿逸多菩薩



又舍利弗 極樂國土 七重欄楯 七重羅網 七重行樹 皆是四寶 周帀圍繞 是故彼國 名曰極樂



又舍利弗 極樂國土 有七寶池 八功德水 充滿其中 池底純以 金沙布地 四邊階道 金銀瑠璃 玻瓈[9]合成 上有樓閣 亦以金銀瑠璃 玻瓈硨磲[10] 赤珠碼碯[11] 而嚴飾之 池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔 舍利弗 極樂國土 成就如是 功德莊嚴



又舍利弗 彼佛國土 常作天樂 黄金爲地 晝夜六時 而雨曼陀羅華[12] 其國衆生 常以淸旦 各以衣裓 盛衆妙華 供養他方 十万億佛 即以食時 還到本國 飯食經行 舍利弗 極樂國土 成就如是 功德莊嚴



復次舍利弗 彼國常有 種種奇妙 雜色之鳥 白鵠孔雀 鸚鵡舍利 迦陵頻伽 共命之鳥 是諸衆鳥 晝夜六時 出和雅音 其音演暢 五根五力 七菩提分 八聖道分 如是等法 其土衆生 聞是音已 皆悉念佛念法念僧 舍利弗 汝勿謂此鳥 實是罪報所生 所以者何 彼佛國土 無三惡趣 舍利弗 其佛國土 尚無三惡道之名 何況有實 是諸衆鳥 皆是阿彌陀佛 欲令法音宣流 變化所作 舍利弗 彼佛國土 微風吹動 諸寶行樹 及寶羅網 出微妙音 譬如百千種樂 同時倶作 聞是音者 皆自然生 念佛念法念僧之 心舍利弗 其佛國土 成就如是 功德莊嚴



舍利弗 於汝意云何 彼佛何故 號阿彌陀 舍利弗 彼佛光明無量 照十方國 無所障礙 是故號爲阿彌陀 又舍利弗 彼佛壽命 及其人民 無量無邊 阿僧祇劫 故名阿彌陀 舍利弗 阿彌陀佛 成佛已來 於今十劫 又舍利弗 彼佛有無量無邊 聲聞弟子 皆阿羅漢 非是算數 之所能知 諸菩薩衆[13] 亦復如是 舍利弗 彼佛國土 成就如是 功德莊嚴



又舍利弗 極樂國土 衆生生者 皆是阿鞞跋致 其中多有一生補處 其數甚多 非是算數 所能知之 但可以無量無邊 阿僧祇劫說 舍利弗 衆生聞者 應當發願 願生彼國 所以者何 得與如是 諸上善人 倶會一處 舍利弗 不可以少善根 福德因緣 得生彼國



舍利弗 若有善男子善女人 聞說阿彌陀佛 執持名號 若一日 若二日 若三日 若四日 若五日 若六日 若七日 一心不亂 其人臨命終時 阿彌陀佛 與諸聖衆 現在其前 是人終時 心不顛倒 即得往生 阿彌陀佛 極樂國土 舍利弗 我見是利 故說此言 若有衆生 聞是說者 應當發願 生彼國土



舍利弗 如我今者 讚歎阿彌陀佛 不可思議功德 東方亦有 阿閦鞞佛 須彌相佛 大須彌佛 須彌光佛 妙音佛 如是等 恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 說誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經



舍利弗 南方世界 有日月燈佛 名聞光佛 大焰肩佛 須彌燈佛 無量精進佛 如是等 恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 說誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經



舍利弗 西方世界 有無量壽佛 無量相佛 無量幢佛 大光佛 大明佛 寶相佛 淨光佛 如是等 恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 說誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經



舍利弗 北方世界 有焰肩佛 最勝音佛 難沮佛 日生佛 網明佛 如是等恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 說誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經



舍利弗 下方世界 有師子佛 名聞佛 名光佛 達摩佛 法幢佛 持法佛 如是等 恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 說誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經



舍利弗 上方世界 有梵音佛 宿王佛 香上佛 香光佛 大焰肩佛 雜色寶華嚴身佛 娑羅樹王佛 寶華德佛 見一切義佛 如須彌山佛 如是等 恒河沙數諸佛 各於其國 出廣長舌相 徧覆三千大千世界 說誠實言 汝等衆生 當信是稱讚 不可思議功德 一切諸佛 所護念經



舍利弗 於汝意云何 何故名爲 一切諸佛 所護念經 舍利弗 若有善男子善女人 聞是諸佛所說名 及經名者[14] 是諸善男子善女人 皆爲一切諸佛 共所護念 皆得不退轉 於阿耨多羅三藐三菩提 是故舍利弗 汝等皆當 信受我語 及諸佛所說 舍利弗 若有人 已發願 今發願 當發願 欲生阿彌陀佛國者 是諸人等 皆得不退轉 於阿耨多羅三藐三菩提 於彼國土 若已生 若今生 若當生 是故舍利弗 諸善男子善女人 若有信者 應當發願 生彼國土



舍利弗 如我今者 稱讚諸佛 不可思議功德 彼諸佛等 亦稱說我 不可思議功德 而作是言 釋迦牟尼佛 能爲甚難 希有之事 能於娑婆國土 五濁惡世 劫濁 見濁 煩惱濁 衆生濁 命濁中 得阿耨多羅三藐三菩提 爲諸衆生 說是一切世間 難信之法 舍利弗 當知我於 五濁惡世 行此難事 得阿耨多羅三藐三菩提 爲一切世間 說此難信之法 是爲甚難 佛說此經已 舍利弗 及諸比丘 一切世間 天人阿修羅等 聞佛所說 歡喜信受 作禮而去





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2016年12月27日

  わりと柔らかかった


京阪寝屋川市駅前の『ステーキファイブ』と言うお店でちょっと遅い目の

ランチをした。

早速注文をした。

注文は、ファイブステーキランチであった。


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ファイブステーキランチ

牛肉としてはわりと柔らかくて美味しいと思った。

機会があればまた訪問したいと思った。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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鍋をつつきながらのテリーヌがむっちゃ美味しいのであった。





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自宅のパソコンから。

会社のパソコンから。

他人の携帯電話、パソコンから。

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諦念の道理を悟る。

諦念と言う言葉を使うシュチュエーション。

「諦」はふつう「あきらめる」という言葉の読み方するが「あきらめる」という

言葉の元々の意味は「明らかにする」という事である。

人の生き方など、きわめて難しい考えを「明らかにす」れば、それは仏教などの悟

りを得たり、物事の道理を悟ったりする事。

一方難しい状況が改善される事がないことを考え詰めて「明らかにす」れば、これ

が現代語の「諦める」という意味である。

「諦念」には「諦めの心」という意味もあるが、「諦念」は上で言えば前者の

「道理を悟る心」といった意味であろう。

だから、これが使われるのは日常的な場面では余りないであろう。

普通の人だったら一生に一度あるかないか。

あったとしてもそう何度もないような厳粛な事態に直面した時であろう。

例えば、会社の経営に失敗して何も信じられないような事態に直面した時。

そこからただ逃げるのではなく新たに自分の生きるべき道を見出したら、その心は

「諦念」と言えるのではないだろうか。










気が付けば、火曜日の雨が結構続いている。

12月29日木曜日のメニューが決まった。

今から楽しみだ。

唐揚げ大盛りって。

的屋のたっちゃんもえぐい事言うわ。

的屋のたっちゃんが『木曜日は寒くなるみたいです。

骨の髄まで寒さが染みる感じでしょうね。

愛ちゃまの場合、ケツの穴まで寒さが染みるでしょう。

ケツの穴まで染みて、後は下痢ウンコのみです』と言っていた。

的屋のたっちゃんもほんまにえげつない事言うわ。

仁義愛将軍様の下痢ウンコ。

死ぬまで。

いやいや。

死んだ後も、永遠に語り継がれるやろーうな。

29日の木曜日、宜しくね!!





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2016年12月26日

  たぬきときつねは違う


ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、たぬき(蕎麦)であった。


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たぬき

時々『たぬき蕎麦』を『きつね蕎麦』と呼ぶ人がいるが。

これは大きな間違いである。

武田鉄矢が言っているよね。

『赤いきつねと緑のたぬき』って。

あの緑のたぬきの事。

『たぬき蕎麦』を『きつね蕎麦』と呼ぶ人を大阪の人間だとは認めたくはない。

味は極々普通の出汁の効いた大阪の蕎麦って感じで美味しく頂けた。

そんな感じのたぬきであった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はカレーを食べる事にした。


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出汁巻き玉子を食べながらのカレーが最高に美味しいのであった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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鎌倉ハムのハムステーキが無茶苦茶美味しいのであった。





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小林秀雄の「無常といふ事」

小林の評論中、比較的短文であるにもかかわらず、とても看過し得ない、いろいろ

な重要な事が盛り込まれていると思わずにはいられない。

「無常」とは。

思うに、小林は当時(昭和17年前後)の世間で幅を利かせている「無常」をめぐる

俗説、迷信を批判したのではないだろうか。

具体的には「歴史の新しい見方とか新しい解釈とかといふ思想」の拠って立つ、

近代的な合理主義・科学主義に基づく、いわゆる相対的な歴史観を批判したのでは

ないかという事である。

そう、歴史は見る者の主観、視点によっていかようにでも解釈しうる、と説く

歴史学者達を「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」と……。

これは「生きてゐる人間などといふものは、どうも仕方のない代物だな」という

一節と照応し、現世を試行錯誤しながら生きる我々の方が実は不確定で、曖昧な

存在でしかないのに、怪しげな知識などに囚われ、分かったようなことを平然と

嘘ぶいている自分に気付いていないということであろう。

「歴史には死人だけしか現れて来ない」と説く所以である。

動物的な状態であれば自ら感じているが、常なるものを見失っただけだと。

ここで言う「動物的な状態」とは、人間としては未完成の「状態」、つまり

「人間になりつつゝある一種の動物」という「状態」に他ならない。

仏教的には諸行無常として世の中のはかなさが表現されている。

小林が拘泥し強調しているのは、どんなに豊かな仏教的な知識を持ってしても、

「頭を記憶で一杯にしてゐる」だけでは、深い意味での「無常」を理解したことに

はならない。

少なくとも現実生活次元では生きられてはいない。

つまり「鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常といふ事がわかつてゐない」

という事になるのではないだろうか。





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2016年12月24日

  今週はカレーがない


毎週金曜日にカレーを作る。

今週は祝日だったのでカレーはなかった。

と言う事は、先週のカレーが今年最後のカレーであった。

来年は1月6日の金曜日からスタートする。

スタートはカレーからだ。








今週用意されたのは『北新地 網焼 ビフテキ 小松屋』と言うお店の

『網焼ビフテキ弁当』であった。


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網焼ビフテキ弁当


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滅茶苦茶柔らかい牛肉で結構美味しく頂けた。

まあー、普通っちゃー普通かな。

まあー、それなりのお弁当でリピートしてもええと思った。








そうこうしていても、あの眼力浜っこすわ子はここにやって来なかった。

『ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたるぞ~っ!!』

これが眼力浜っこすわ子の決めセリフなのであった。

眼力浜っこすわ子は絶世の美人である。

あの木村文乃よりも遥かに魅力的で可愛くてチャーミングである。

その余りの美しさに口から心臓が出そうになる。

人類の奇跡と呼ぶべき美貌が眼力浜っ子すわ子である。

こんな話をすると変態のえて雄が喜ぶ。

何故喜ぶのかが分からない。

そんな変態のえて雄も1月から宝塚市に移動する。

そう言えば愛媛県で単身赴任している奥飛騨慕情さんから『紅まどんな』と言う

愛媛ミカンが送られて来た。

これが無茶苦茶美味しかった。

まあー、残念だったのは開けてみるとミカンが3個カビっていた。

これは仕方がない。

よくある事故である。

いつどこでどの時点でカビったのか。

誰の責任の元でカビったのかは誰も分からない。

それはいちいち箱を開ける訳にはいかないからだ。

本当に仕方ない。

誰の責任でもない。

それならいちいちこの様に記事に書かなければ誰も傷つかないところだ。

それをあえていちいち記事にするなんて。

まあー、これがTちゃま倶楽部っちゅー感じかな。

まあー、奥飛騨慕情さん。

気にせんといて欲しい。

って、こんなん書かれた、気にするわな。(^^♪

冗談やで~~!!

『紅まどんな』、ほんまに美味しかった。

宮崎県出身のカズ・チンペイは。

ここに来る度に『宮崎県は➚陸の孤島と呼ばれていますから~➚』と喋っている。

そんなカズ・チンペイが『変態のえて雄さんは➚宝塚に➚移動するんですね➚

今まで寝屋川公園の駐車場で➚XVIDEOSを見ながらマスっていましたが➚

今後は➚どこの公園でマスるんでしょうか➚』と宮崎弁で心配していた。

それで俺が『何でお前が変態のえて雄の事を心配すんねん』と聞いた。

するとカズ・チンペイが『変態のえて雄さんが➚宝塚に移動してしまうと➚

疎遠になってしまい➚Tちゃま倶楽部から抹消されてしまうと思ったのです➚』と

言った。

俺が『そうや。その通りや。

北河内地区を離れたらTちゃま倶楽部から削除する。

前々から予定していた来年の飲み歩きはするけど、その後は完璧に削除やな』と

言った。

まあー、これも自然の成り行きや。

これも仕方がないっちゅーねん。

変態のえて雄がいなくなったら。

勿論変態お嬢も削除やな。

しかしカズ・チンペイもおもろい。

今後のカズ・チンペイの活躍に期待したい。








『トップワールド香里園店』で鰻専門店の『魚伊』の鰻の蒲焼きを買って来た。


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あっつあつの御飯の上に『魚伊』の鰻の蒲焼きを乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

真空パックに入った『魚伊』の鰻の蒲焼きを開けた瞬間から炭火の美味しい香りが

立ち込める。

鰻の蒲焼きの独特の香りが食欲をそそる。

無茶苦茶柔らかい食感が至福の喜びを感じる。

『魚伊』の鰻の蒲焼きは真剣に美味しいのであった。








『スーパーストア― ナカガワ』で美味しそうな牛のステーキ肉を買って来た。


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牛ステーキを醤油ベースの出汁に3日間漬け込んで冷蔵庫で寝かした。


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こうする事で醤油ベースの出汁が肉の芯まで味が染み込む。

出汁が染み込んだ牛ステーキを美味しく焼き上げた。


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それをあったか御飯のおかずにした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

醤油ベースの出汁が芯まで染み込んでいる為に噛めば噛むほどに旨味が湧き

上がって来る。

本当に旨い肉を喰っていると言う実感を沸かせてくれる。

柔らかくて深みのある味わいで最高に美味しいのであった。








『万代寝屋川宇谷店』でマグロの中トロの切り身を買って来た。

マグロの中トロの切り身を漬けにした。


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とりあえず炊き込み御飯を作った。


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炊き込みご飯の上にマグロの中トロの漬けをトッピングした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

マッタリトした食感の中に独特の脂の旨さを感じるのであった。

芳醇な旨味を持つマグロの中トロと炊き込みご飯が絡み合って最高に美味しいので

あった。








今週のおかず。






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ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は水炊きをしてあったまる事にした。


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色々な具材を入れる水炊きは最高に美味しいのであった。







12月23日の天皇誕生日の祝日は一日中寝屋川市にいた。

一年に一度の依頼の仕事。

他市なら贅沢な弁当が出る。

ところがここでは弁当が出ない。

弁当を注文するとたいがいが同じお店。

俺は特にそこの弁当が美味しいとは思っていない。

それなら自分がいつも作っているおかずで十分だと思っている。

それで今年もお弁当は自分で作った。

弁当は弁当箱ではなくてお皿に盛った。

弁当箱を使うと蓋のビニールまで取って洗わなければならない。

それがめっちゃ面倒くさい。

それでお皿を使うのである。

そんな感じの12月23日の天皇誕生日の祝日の時のおかず。


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ハンバーグと出汁巻き玉子と鎌倉ハムのウインナーが滅茶苦茶美味しいので

あった。







そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。





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無常と概念は仏教よりずっと前からインドにあり仏教独自のものではない。

アイスが溶ける飼っていた金魚が死ぬ等子供でも理解出来る。

ブッダの仏教では「無常・苦・無我」の三つ揃って三相と呼ぶ。

無常は三相の最初の状態、部分でしかない。

無常は誰でも分かる真実で無我は凡人には理解できない真理でこの二つを繋ぐ為に

或いは無我を導くために「苦」がある。

しかし、この「苦」は四聖諦で言う苦とは違う別の苦である。

(元のパーリ語ではドゥッカ(四聖諦の苦)とドゥッカター(三相の苦)と違う

言葉だが漢訳では違いが理解出来なかったのか同じ「苦」で済ませている。

苦は関心のある人でも理解が難しい。

すべての縁によって作られたものは無常であり無常であるものには現状を維持する

力がないので例えば健康で美しい体などを見ると「この美しさはいずれ失われる。

長くはない」と見える人の心は苦を感じる。

満開の桜に哀れを感じた中世の「もののあわれ」という感覚は三相の苦に近いと

思う。

仏教の無常という言葉は無我を導くための語句で「この世界(つまり俗世)の

すべてのものは不変でなく不変でないものは苦なので無常であり苦であるものを

「これは自分、これは自分のもの」と執着すれば苦(これは普通の意味の苦)が

生じるから、すべてのものは『自分」「自分ももの」と執着することはできない」

という教えに使う為の言葉である。










平家物語の冒頭で『祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色 盛者

必衰の理をあらはす 驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し 猛き人もついに

は滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ』とある。

祇園精舎では未だに鐘が発見されておらず現在は寄贈された物があると聞く。

祇園精舎の鐘は実際にあってただ発見されていないだけなのか、それとも平家物語

で適当に書いただけなのか。

祇園精舎について具体的な記述があるのは「大般涅槃経」だが、その「鐘」に

ついての記述は「祇園図経」にある様だ。

祇園精舎で修業する僧に死期が近づくと無常堂という御堂に移り死を待つ。

その御堂の四方に玻璃(ガラスまたは水晶)の鐘が吊ってあり僧が臨終を迎える時に

なると「無常偈」即ち「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽 」と鳴り響き

僧を往生へと導いた。

その説明が源信『往生要集』に引用されて日本にも流布し広く信じられて来た。

『平家物語』以外にも「祇園精舎の鐘」について書いた古典は沢山ある。

実際にそこに鐘があったかどうかについてはもはや伝説の領域。

wikipediaに「なかった」とあるのは勇み足であろう。

あったとしてもガラスの鐘だから残ってはいないだろう。





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h_t_tomoto at 06:38コメント(0)トラックバック(0) 
プロフィール

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Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
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