2017年02月

2017年02月28日

  スパイシーでバジル系の味


ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、ガパオライスであった。


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ガパオライス

スパイシーでバジル系の味わいでめっちゃ美味しかった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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伊達巻きが最高に美味しいのであった。





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デカルトの心身二元論は既にカントによって批判されて、今ではそれを正しいと

思っている哲学者はいないから哲学史として論じるのならいいかもしれないけど

現代ではナンセンスだから考えても無駄である。

デカルトは哲学者というより数学者・自然学者だったから自然から心的なものを

排除し自然を機械的なものとして自らが創始した解析幾何学で解明しようとしたの

である。

彼は身体とか物体の本質を「ひろがり」と言っているが、もし自然が「ひろがり」

を本質とするものならば自然を座標系に位置づけて運動などを解析できる様になる

と考えた。

デカルトは17世紀の「科学革命」のガリレオやニュートンと並ぶ立役者の一人で

ある。

古代ギリシャ以来のアリストテレスの「自然学」の運動論とアリストテレス・プト

レマイオスの天体観を根底からひっくり返し現代の私達の運動観・天体観を作った

功績者である。

デカルトは心と身体を分離する事で自然を機械化し、そしてそれを人間が支配し

自然を利用する事、それが彼の哲学の目的であった。

デカルト以前の西欧世界は人間が狂ったりすると魔物が憑りついたと言っては呪術

師がお祓いをしたり魔女を火焙りにしたり狂人を聖者と取り違えたりしていた。

デカルト以降、そうした問題は人間の心理の問題だと言われ世界から呪術・魔術と

いうものを追放し世界を合理的に考える合理主義が始まった。

デカルトは心を実体と言い身体も実体といい心身二元論を唱えましたが心は実体で

はなかった。

実体とは「それ単独で存在し、他に依存しないもの」という定義だから、この世に

二つの実体があったら実体の定義に反する。

実体は一つでなけれならない。

デカルトが心身二元論を唱えた時、ドイツの皇女エリザベートから書簡で質問があ

り、心と身体があるとして互いに作用を及ぼすためには「接点」とか「接触面」が

必要だが心と身体はどこで接触するのかと問われ、デカルトは心と身体は脳の前頭

葉の松果腺で接触していると言ったものだから失笑を買った。

カントは「純粋理性批判」の第2部の「実体論的誤謬推理の批判」でデカルトは

文法の主語を実体と勘違いしたのだ。

しかし主語と実体は違うからデカルトの心が実体という考えは間違いなのだと

言った。

私達は「心は・・・・・・」とか「私は・・・・・・」と言って心とか私を主語にして語ると

それを実体と勘違いする傾向がある。

デカルトも勘違いした。

デカルトは心だけでなく自我とか精神とか実体と言うが全て間違い。





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h_t_tomoto at 06:33 

2017年02月27日

  大盛りのキャベツ


『大衆焼肉』でちょっと遅い目のランチをした。


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無題


無題


牛のバラ肉とキャベツの大盛りが最高に美味しいのであった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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『トップワールド香里園店』で買って来た刺身が最高に美味しいのであった。





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向上心のない人間。

『向上心のない人間はダメなのか』

駄目?

まさか。

全然ダメではない。

『残業をしたり(強制はされません)、休みの日に勉強してキャリアを積んでいこう

という気がほとんど湧かないです』

普通でしょう、それは。

『理系思考だが、きっちり勉強して詳細を理解するというよりは、要領よく乗り越

えてしまうタイプ、かつ発想力には自信がありません』

でしたか。

理系思考?

違うような気がする。

どっちでも良い。

『激務そうなので勉強にかかるコストを考えると目指すのすら諦めてしまいます。

どうせ頑張ったところでそれに見合う成果は出ないのだから別に頑張らなくても…

このままでも…と思うのです』

賢明な判断だと思う。

「見合う成果」は出ないもの。

期待した瞬間に確定する。

そういうものなのだ。

『楽しくなくはないのですが、頑張る意味を見出せません』

だから、それで普通であろうと思う。

皆さんが頑張ってたら大変。

頑張る人は極僅か。

『またはやってみたいことと向いていることの食い違いに悩みます』

「向いていること」かどうか。

それは分からないと思うが。

確認するとなればリスクを取らなければならない。

そこが問題。

努力や向上心との関連も生じてくる。

『母にも、「親からの教育を受けた卒業試験として向上心を見せてみろ」と言われ

る始末』

多分、それは別の話であろうと思う。

向上心の有無を口にしてはいけない。

向上心が無いって言ってしまってはいけない。

向上心が0%か100%かではないわけ。

向上心の重要性を認めない立場だって言うことなんだと思う。

特別にそれを広めたい場合を除き、その考えを開陳しない事を勧める。

それを広めて何か良いことがあれば別だが。

それは特に無いであろう。

だから開陳すべきでない。

事実であろうけど敢えて開陳する必要が無い。

そんなところであろうと思う。

「向上心イラネ」って言ってしまうと反感を買う。

言ってしまえばそういうロジックになる。

『今後の日本のことを考えると、税金、年金、定年、介護などなど、将来の生活制

度を思うと夢も希望も持てません』

若干、話が広がったような気がした。

その話とは別であろうと思う。

あるいは、その話が関連するとなれば、より一層向上心が重要度を増してくると

思う。

夢も希望もないとなれば弱肉強食。

何か頑張らないとまずい事になる。

でも、実態としては大丈夫なんである。

あまり困らない。

向上心が低い水準でとどまっている理由がそこにある。

『今後の日本』が余裕過ぎるから。

何の心配もない。

え?

それが心配?

である。

その程度の心配で済む。

『向上心や夢を持つことは本当に素晴らしい事で、持つに越したことはないと

思っています』

だろう。

『ただ、なぜ誰もが頑張らなくてはならないのか、今まで通りにそれなりに生きて

る人間は価値がないのか、向上心を持たないと生きていけないなら希望もないしも

う人生終わりにしてもいいなとも思います』

「~なくてはならない」筈が無い。

頑張りたい人が頑張る。

それだけのこと。

過半数の人が頑張りたくない筈。

全く普通の事。

「今まで通りにそれなりに生きてる人間は価値がない」かどうか。

その話はしてないと思っていた。

向上心の重要性を認めないとする考えなんだと。

そのお考えで良い。

それを広めなければ。

広めようとしなければ。

(て言うか、広まっていると思うが、殊更それをまた広めなくてもいい。

言明しなくてもいい)

『ぐちゃぐちゃになりましたが、向上心を持たない人間は存在してはならない

のか』

だからそれは関係ない話。

どういう考え方の人が存在して良くて、どういう考え方の人は存在してはいけない

とか、何かのカルト宗教か。

そんな変な掟は通常の社会には無い。

『仕事を取り上げ具体的にいうと、挑戦や成長をしてはみたいが、そのコストと

成果を考えると結局そのままでいい、と思う典型的ゆとり世代はこんなにも否定さ

れねばならないのか、というところに疑問を持ちます』

「ゆとり世代」かどうか関係ない。

誰もが「コストと成果を考えると結局そのままでいい」と考えている。

それが現実。

「こんなにも否定されねばならないのか」との事。

どれくらい否定されたか。

そしてそれは何についての否定なのか。

向上心や努力というと尊いもの。

それは認めてはいる。

だから向上心大ありの人、努力家の人、どんどん努力して向上して行ったら

いいではないか。

各自の自由であろうと思う。

損得勘定により向上心が萎えてしまう。

努力する気が起きなくなってしまう。

こういうのは全く当たり前の事。

でもその当たり前のことを広めてしまってはいけない。

それで当然なんだって言ってしまっては身も蓋もない。

それだけの話。

 一般化、抽象化は危険。

個別の事だから。

個別のテーマがあって、それについて頑張ろうとしてもこれだけのコストが

発生する。

だからやめておこう。

商売として考えてみたら全く当たり前。

人生の上での向上心、努力、そういう方面にまで押し広げて、向上心一般、

努力一般、そういうものの価値を否定する言明にまでなってしまったらまずい。

そう考えても良い。

ただ、言明はまずいっちゅー言う話。

何かの目標を立てて、それに向かって努力すると成果が得られるとしたら

漫画の世界であろうと思う。

基本的にそれは奇跡。

ただ、寝ても覚めてもって感じでそればかりやってると(努力という看做し方も出

来る)奇跡は起きるす。

起こそうとしてるのではなくて自然に起きる。

だからといって因果関係で捉えると危険。

そう甘くはない。

目標を持っていると、そこに到達したかどうかが気になって来て、何度も何度も

点検してしまう。

そんなにしょっちゅう点検してたって目標に届いてる訳が無い。

それはずっと先のこと。

当然、途中でやめてしまう。





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h_t_tomoto at 06:32 

2017年02月25日

  そう言われると作り甲斐がある



この日はカレーライスを作る事にした。

使ったルウは三種類×2セットであった。


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この日の材料は『業務スーパー枚方高田店』で買って来た極々普通の国産牛

約3.0㎏と玉葱とじゃが芋と人参であった。


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これらをいつもの大きな鍋の中にルウと一緒に入れた。

後は鍋が勝手に美味しく作ってくれるのであった。


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そんな感じのカレーライス。


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スタッフの皆と一緒に食べるカレーライス。

これがむちゃくちゃ美味しい。

ほんまにえげつない程に美味しいのであった。

牛肉と野菜の量が半端ないぐらいに多いからほんまに想像を超える美味しさなので

あった。

スタッフが『この前、家族で梅田へ行って、お昼にカレーを食べたんですが、

いつもこの美味しいカレーに慣れているから、その梅田で食べたカレーが美味しく

感じられずに、半分で残しました』と話していた。

まあー、そう言われると作り甲斐がある。

まあー、正直、ほんまに美味しいのであった。








昨日のお昼に用意されたのは『ハチ家』と言うお店の『ハチ家御膳』と言うお弁当

であった。


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ハチ家御膳


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オムライスが中々美味しいのであった。

一応ふんわり玉子とは謳っていたが俺が作る出汁巻き玉子の方がふわふわである。

まあー、玉子料理を作らせたら俺は天下一品なのであった。








この日も焼き飯を使ったおにぎりを作った。


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焼き飯で作ったおにぎりがほんまに最高に美味しいのであった。

この焼き飯で作ったおにぎりは選ばれた者にしか与えられない。

この焼き飯で作ったおにぎりは限られた者だけが食べれる。

こう言う表現をすると何故か道産子コッシーにプレッシャーがかかる。

って、冗談、冗談、冗談やで~!!

笑って許してくれ!!(^^♪

実は俺は焼き飯を作らせたら天下一品なのである。

カレーはルウや鍋の力で美味しくなる。

ところが焼き飯だけは作り手の腕が試される。

俺が焼き飯を作り始めたのは幼稚園児ぐらいだ。

その頃から俺は誰の手助けもなく一人で作る事が出来た。

小学校の時は本当によく食べるので夕方に小腹が空いたら自分でお好み焼きとか

焼き飯を作っていた。

その影響が今でも癖になっているって感じだろうか。

まあー、単に料理が好きなだけやけど。

まあー、何でも作るで~って感じかな。








そうこうしていると、あの眼力浜っこすわ子がここにやって来た。


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いつもの様にカレーとお弁当と焼き飯のおにぎりをパクッて行きやがった。


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『ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたるぞ~っ!!』

これが眼力浜っこすわ子の決めセリフなのであった。

眼力浜っこすわ子は絶世の美人である。

どんなに綺麗な芸能人よりも遥かに美人である。

こんな話をすると変態のえて雄が喜ぶ。

何故変態のえて雄が喜ぶのかは理解不能である。

奥飛騨慕情さんの話は今後は一切しない。

その理由はそばにいないから話の展開が浮かばないからだ。

これ以上の想像が不能である。

俺はいつも越後のちりめん性行為に対して。

『お前、ちゃんとせーへんかったら、頭、丸めんぞ~!!』と言うと。

越後のちりめん性行為は『頭はもう丸まっています』と言ってハゲた頭を

突き出して来る。

その行為が最高におもろいのであった。

しかしハンドルネームが『越後のちりめん性行為』って。

こいつも単なる変態野郎やんけ。










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『トップワールド香里園店』で鰻専門店の『魚伊』の鰻の蒲焼きを買って来た。


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あっつあつの御飯の上に『魚伊』の鰻の蒲焼きを乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

『魚伊』の鰻の蒲焼きは真空パックに入っている。

その袋を開けた瞬間から奥深い鰻の香りが立ち込める。

あっと言う間に溶け出すぐらいに柔らかい食感の中で抜群の美味しさが口一杯に

広がる。

『魚伊』の鰻の蒲焼きは最高に美味しいのであった。








『業務スーパー枚方高田店』で美味しそうな牛のカルビを買って来た。


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牛のカルビを美味しく焼き上げた。

それをあったか御飯のおかずにした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

滅茶苦茶柔らかい食感のカルビが舌の上でとろけていた。

美味しい牛のカルビを食べると本当に幸せな気持ちになるのであった。








『万代寝屋川宇谷店』でブリの切り身を買って来た。

ブリの切り身を漬けにした。


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とりあえず炊き込み御飯を作った。


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炊き込み御飯の上にブリの漬けをトッピングした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

この時期のブリが一番脂が乗って美味しい。

脂の乗ったブリと炊き込みご飯が絡み合って最高に美味しいのであった。








今週のおかず。





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ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は『平和堂/フレンドマートビバモール寝屋川店』の中に入っている精肉店

の『肉処大久保』で買って来た『佐賀牛』のロースを使ったおかずを作った。


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『佐賀牛』のロースが滅茶苦茶最高に美味しいのであった。

しかし……。

そろそろ『肉処大久保』の『佐賀牛』も飽きて来たかな。








そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。





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現代アメリカの「心の哲学」の哲学者、例えばチャーマーズとかデネットとかサー

ルとかアームストロングとか、そういう人達の考えでは心というのは実体的に存在

するものではなく脳の活動の「随伴現象」とか「機能」だと考えられている。

心と脳は同じものという「心脳同一説」というのが以前唱えられた事があったが、

心というのは脳とは相対的に独立だと考えられている。

17世紀にデカルトは心を実体、身体を実体と言って「心身二元論」を唱えたが、

ドイツの皇女エリザベートから書簡で批判があり、その後心身二元論を放棄して

「心身合一」を唱えていた。

デカルトというと「心身二元論」を唱えた哲学者としてしか知らないがデカルト本

人が放棄していたのである。

「省察」の第6省察を読むとそれが分かる。

チャーマーズは「意識する心」で心というものを脳という物理的な存在に基盤を置

く、それとは独立のものだと言っている。

脳を離れて存在する訳ではないけど脳と同じものでもないと。

そして心が「機能」という事は「機能」というのは車で言えば「走る」事。

そして「走る」事は車のどこにもない。

エンジン(脳)にもなければ車輪(手や足)にもない。

そもそも心は脳の「機能」「働き」だから存在するもの有るものではない。











心脳同一説も物的一元論も「心の哲学」の中の唯物論の思想である。

もし心脳同一説のいう様に我々が見る世界が脳が生み出したものとすれば、その脳

も脳が生み出したものになり脳は実在ではなくなり自己矛盾(パラドックス)に

陥る。

世界が脳の生み出した幻影だとしたら、その脳も幻影だということになり、パラド

ックスに陥るという事。

唯物論にとって最も不可解な謎は感覚の質的なもの、クオリアを人間はどうして感

受できるのかということである。

脳をコンピューター・サイエンスで考える限り、量的なものは測定装置で計測でき

るが、質的なもの、例えば視覚で言えば「キラキラした」とか「ほのぼのとした」

という質的なものは数値に表せないし、触覚でいえば「すべすべした」とか「ザラ

ザラした」とかいう質的なものは測定できないし、聴覚で言えば「心地よいメロデ

ィー」とか「穏やかな」という感覚の質的なものは測定できない。

クオリアという言葉はアメリカの認知科学・脳科学で初めて使われ、日本の脳科学

者・茂木健一郎が流行させたが、今では単に感覚の質的なものという意味を逸脱し

て意識に現れた現象をすべてクオリアというようになったと「心の哲学」を著した

信原幸弘が最近の「意識の哲学・クオリア序説」という本で警告している。

要するに脳をコンピューターになぞらえて理解している限りクオリアは謎にとどま

るということ。

心脳同一説・物的一元論の立場に立つ英米の哲学者の一人にコリン・マッギンがい

て「意識の神秘は解明できるか」という本がベストセラーになってわが国でもよく

読まれたが物的一元論の立場に立つ限り、人間が心を有していることは謎になり、

人間が「ゾンビ」に過ぎないのではないかという疑いを避けることができない。

永井均も「ゾンビ」問題を自らの独我論の哲学と絡めて論じており、もし心という

ものが自己の身体の中にも、また他人の脳にも存在しないものとしたら、人間は心

を持たない「ゾンビ」に過ぎないことになる。

しかし、我々は常識的には自分が心を有しているばかりではなく、他人も心を有し

ていると思っており、人間が「ゾンビ」だとは思っていない。

従って、人間が「ゾンビ」に過ぎないという考えも常識的には「パラドックス」に

陥る。

一体どっちが正しいのかは判断がつかない。










ハンドルネームを『仁義愛将軍様』から『金正男』への変更。

ちょっと考えんとあかんかもしれんなー。

テーマは『VXガスによる毒殺』か。

『あ~~。

ヨボセヨ。

“赤い薔薇作戦”は成功しました、将軍様』

って感じだろうか。

『おーい、まさお、仁義愛まさお、やで。

キン・ジョンナムではなくて、カネ・マサオやで。

よろしくね、カネ・マサオくん』

って、誰がマサオやねん!!





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h_t_tomoto at 06:35 

2017年02月24日

  episode-73 「何とかせんとあかん」


三井住友フィナンシャルグループ<8316.T>傘下の関西アーバン銀行<8545.T>と

みなと銀行、りそなホールディングス<8308.T>傘下の近畿大阪銀の3行が統合に

向けて協議に入っていることが20日、分かった。

関係筋が明らかにした。

大手銀行グループ傘下の地銀が垣根を越えて統合・再編に踏み出すのは極めて

珍しい。

近畿大阪銀って。

うちが取引している銀行やんけ。

昨夕そんな事を考えていた。

すると江戸っ子どんと姫がここにやって来た。


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そして「お疲れ様です」と言って私の横に勝手に座りやがった。

私が「統合するみたいやな」と言った。

江戸っ子どんと姫「フリッツ・シュティードリー(Fritz Stiedry, 1883年10月11

日 ウィーン - 1968年8月8日 チューリヒ)はオーストリアの指揮者です。

ウィーン大学で法学を学んでいた頃、グスタフ・マーラーに楽才を見出され、1907

年にその助手としてウィーン宮廷歌劇場より任命されました。

その後いくつか指揮者の助手を経験した後、カッセル歌劇場やベルリン・ドイツ

・オペラの首席指揮者に抜擢されました。

1933年にヒトラーの権力掌握への反撥からドイツを去り、1934年から1937年まで

レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任しました」と

言った。

私が「へ~っ、クラシック音楽にも精通しているんや」と言った。

江戸っ子どんと姫が「この辺は、ドン引きタツジさんとは違いますから」と笑い

ながら言った。

私が「ところで、野球には興味はないんか」と言った。

江戸っ子どんと姫が「映画『ゴッドファーザー』3部作に関してです。

ニーノ・ロータの主題歌も大ヒット、日本でもいろいろな歌手が歌っている姿をテ

レビでよく見ました。

映画史に残る大傑作、その通りだと思います。

というか、映画ファンの多くはそう思っていることでしょう。

マリオ・ブーツォの原作も読みましたが、これも大変面白いです。

物語を知っているのに、読み始めたら止められない小説でした。

映画では描かれなかったところも興味深く、私は特に、映画にはチラッとしか出て

こなかったソニーの愛人のエピソードが面白かったです。

映画は「つかみ」が重要ですがパート1はそこが実に上手い。

暗い屋内でカメラに正面に向ったおじさんのアップから映画は始まります。

おじさんは何か訴えています。

カメラがゆっくりとズームバックすると、それを聞いている人物の後ろ姿が見えて

くる。

おじさん泣く。

聞いている人が手でなにやら合図。

おじさんに水が運ばれる。

おじさんがこちらに来て耳打ち。

「殺して欲しいのです。」おじさん、何て事言うの!と思った瞬間カメラが切り替

わり、話を聞いていた人、つまりドンがアップになります。

出た!

マーロン・ブランド!

ドン・コルレオーネ!

当時、ちょっと忘れられたスターだったブランドは自ら老けメイクをしてオーディ

ションに望み、この役を勝ち取ったそうです。

メイクと言えば、ブランドのメイクを始め特に後半に頻発する素晴らしい弾着

シーンは「エクソシスト」「アマデウス」などで映画ファンをうならせた特殊メイ

ク界の巨匠ディック・スミスです。

(クレジットでは一枚看板で出ました。当時としてはすごい事です。)

外ではドンの娘コニーの結婚パーティで盛り上がっています。

コニー役はコッポラの妹で後に「ロッキー」のエイドリアンになるタリア・シャイ

ア。

コッポラ自身によるDVDのオーディオコメンタリーではやたら「美人の妹」と連

発していましたが、身内に甘すぎる人だと思います。

この明るい太陽の下で行われるパーティが、ドンやトムのいる暗い屋内と対に

なっています。

「殺し」のような案件が普通に交わされている室内と、底抜けに楽しい宴が繰り広

げられている屋外。

ファミリーの裏と表。

この映画の方向性が既に示されている、見事な冒頭です。

また、ここはパーティの場面にすることで登場人物の紹介という機能も果たして

ます。

一説によるとこの場面は、コッポラが尊敬する黒澤明のサスペンス映画「悪い奴ほ

どよく眠る」の冒頭をヒントにしているそうです。

このパーティ場面はいまならもっと短くされてしまいそうですが、実に丁寧に

じっくりと撮られています。

この映画、実はもっと短く完成していたそうなのですが、大作として売りたがった

パラマウントからコッポラは「もっと長くしろ」と命令されたそうです。

普通は製作サイドからは逆の事を言われるのですから、大変珍しい例だと思い

ます。

コッポラは当時まだ30代前半の若造でしかもヒット作のない監督でしたから、

当初はそれほど期待されていなかった企画とは言え大抜擢だった事は間違いあり

ません。

(脚本家としては既に「パットン大戦車軍団」でアカデミー賞を獲っていました。)

俳優陣も会社側からはマイケル役にロバート・レッドフォードを起用しろなどと言

われたそうですが、コッポラは無名俳優だったアル・パチーノで強引に押し通しま

した。

コッポラ偉い。

撮影監督のゴードン・ウィリスは「大統領の陰謀」「パララックス・ビュー」など、

影のある暗めの映像に定評がある人です。

屋内撮影では天井から強い照明を当てる事で、人物の表情に深い影を作る工夫を

したと言う事です。

「ゴッドファーザー」が画期的だったのは、ギャング映画を一家の年代記として描

き、まるで文芸作品のような風格を持たせた事でしょう。

格調高いドラマに、凄惨な殺戮シーンの見せ場をたっぷり用意することで当時流行

していたヴァイオレンス映画の凄みを付け加えた点がさらに幅広いファンを獲得し

たであろう事は想像に難くありません。

重厚さと、若々しいニューシネマタッチが融合したスタイルは今観ても新鮮で、

つくづくこれは奇跡の一本であることを実感します。

パート2はエンタメとしての面白さでは1よりも落ちますが、過去と現在を交差す

る重層的な構造と一種神話的な悲劇性は1を超える映画的な厚みを持っています。

マイケルの深い孤独感を描いた2の方が好きだった記憶があります。

コッポラのオーディオコメンタリーによると、この続編の撮影環境は非常に充実し

たものだったそうです。

それは1作目のヒットによる潤沢な予算とコッポラ自身の発言力の強大化によるも

ので、「とにかく自分のやりたいように撮れた」そうですが、「この後、『地獄の

黙示録』でひどい目にあった」と自虐ネタを披露しています。

パート2の白眉は、やはり兄フレドとの確執でしょう。

与えられた仕事をそれなりにこなしながら、出来る弟への劣等感に苛まれる兄。

その兄を愛しながら、組織のリーダーとして鉄の規律を守るために殺さなければな

らなかった弟。

それはあたかも荘重なギリシャ悲劇のようです。

そしてフレドを演じるジョン・カザール一世一代の名演。

本当に惜しい俳優を亡くしました。

そうしたマイケルの苦悩が、メキメキとのし上がってゆく父親ドンの若き日の姿と

交錯して描かれます。

家族を愛し、裏世界とは言え若い仲間たちと一緒に明日への希望に生きた父親と、

強大になり過ぎた組織を維持するために冷酷にならざるを得なかったその息子。

妻の愛を失い、兄弟の絆を失うマイケルの深い苦悩は、夢と希望を失った‘70年

代のアメリカ社会の絶望感と深くシンクロするものでありました。

15年の時を経て製作されたパート3ですが、流石にコッポラの力量も衰えたか、

1と2には遠く及ばない作品となってしまいました。

ただしこれは、1&2があまりにも大傑作であったという事でもあって、パート3

はそれでもそこいらのハリウッド大作に較べれば遥かに血肉の通った堂々たる大作

ではあると思います。

パート3の問題点はいろいろあると思いますが、私は時代設定があまりにも現代に

近づいてしまった事を指摘したいと思います。

「ゴッドファーザー」はWWⅡ後からケネディ暗殺以前という、アメリカにとって

の「古き良き時代」が舞台となっているため、その時代的距離感が観客にとっては

まるで伝説に触れるかのような独特の憧憬を憶えさせていたのではないかと私は思

います。

これが現代に近づいてしまうと、物語は伝説ではなく「リアル」になり、パート3

自体が「ゴッドファーザー」への一種のカウンターとして登場したスコセッシの

「グッドフェローズ」やデ・パルマの「スカーフェイス」に追随する存在になって

しまった感は否めません。

私にとって「ゴッドファーザー」はあくまで1&2がその完成型で、「3」はその

番外編または外伝という位置付けです。

それでも、マイケルが父と同じように静かに死を迎えるラストシーンは感慨深いも

のがありました。

「ゴッドファーザー」は確かにコッポラの代表作である事に間違いないと思います

が、個人的には「地獄の黙示録」と、せめて「カンバセーション・・・盗聴」も認

めてあげて欲しい今日この頃です」と言った。

私が「まだまだ寒い日が続くな」と言った。

江戸っ子どんと姫が「本当に寒いです。

こんなに冷え込むと営業回りに影響が出て来ます。

クソ面白くもないアホみたいな顔のドン引きタツジさんは全然寒くないと変な事を

朝からぬかしています。

『俺、パッチ履いているから寒くない』と訳の分からない事をぬかすんです。

相変わらず会社の廊下でよく転んでいます。

おそらく何も考えずにへらへらしているから転ぶのだと思います。

わたくしはこのまま頑張って突っ走ります。

最近この最後のくだりがドン引きタツジさんクソ面白くもないギャグみたいで

何となく物足りなさを感じながら拳を突き上げます」と言って拳を突き上げた。


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確かに物足りなさを感じるな。

何とかせんとあかんとは思っているが。








ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、もずくの天ぷらとソーキそばであった。


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もずくの天ぷらとソーキそば

中々珍しい組み合わせで最高に美味しいのであった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はカレーを食べる事にした。


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饅頭を食べながらのカレーが最高に美味しいのであった。





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よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!



h_t_tomoto at 06:32 

2017年02月23日

  めっちゃ美味しいイカ飯


ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、とんかつ定食であった。


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とんかつ定食

肉厚のあるとんかつが最高に美味しいのであった。








うちの技師長がイカ飯を作ってここに持って来てくれた。


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レンジでちょっとだけチンして喰ったら滅茶苦茶美味しかった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は通販の『ショップチャンネル』で購入した『鍋焼きうどん』を食べて

あったまる事にした。


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お寿司を食べながらの鍋焼きうどんが最高に美味しいのであった。





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自分の携帯電話から。

自宅のパソコンから。

会社のパソコンから。

他人の携帯電話、パソコンから。

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生きていて時々予期せぬ出来事で困惑する事がある。

思うに、おそらくいっちゃん多いのは宗教の勧誘とちゃうやろーうか。

俺はそう思うな。

平成7年の神戸の震災の時、俺は尼崎市の大手ゼネコンでさばきをしていた。

そこでそりゃーもうぎょーうさんの人のお世話をした。

その中に大手飲料メーカーの支店長がいた。

俺はその人の依頼で特殊なセメントと使って修理をした。

修理は結構ええ感じで終了した。

それから5年が経った。

5年経った時、俺はもう既に寝屋川市で事業を立ち上げていた。

立ち上げて2年が経っていた。

ある日突然の事やった。

その修理を依頼した大手飲料メーカーの支店長が部下を連れてここにやって来た。

俺はてっきりジュースでも持って来たと思った。

って、そないな訳、ないわな。

支店長が『あれから5年経ちました。

5年経った今も修理の必要がなく元気です。

あの時のお礼ではないのですがお食事に誘いたいと思い、来ました』と言った。

俺が『もう5年経ちましたか。

じゃー、お祝いですね』と言って、その食事の誘いを喜んで受けた。

誘われたのは梅田のホテルの中華料理店やった。

先ずは瓶ビールが運ばれて来た。

直ぐ乾杯をした。

その瞬間その支店長が『僕は〇〇〇〇と言う宗教の会員です。

今日は〇〇さんに是非とも入信して頂きたくて。

それで食事に誘いました』と言った。

俺はこの瞬間完璧に固まってしまった。

いきなり宗教の勧誘やったわ。

ほんまにびっくりした。

ええ大人がって言うやんけ……。

しゃーけど皆がいろいろな多くの経験をしている訳ではない。

可能な限りトラブルは避けたい。

それが普通の考えやと思う。

おそらくやけど沢山の経験をしていない大人の方が多いんとちゃうやろーうか。

人は今まで生きて来て全く経験した事のないイベントに直面すると瞬時に

対応でけへんもんやと思う。

そんなん、経験した事のないイベントに対して常に身構えている人なんかおる訳が

ない。

突然の人身事故。

突然やくざみたいな輩に絡まれる。

客から『エエ加減な事、言うな~!!』と電話でどやされる。

これは的屋のたっちゃんやったわ。

もしもうちの玄関にトラックが突っ込んで来たらそりゃービビッてまうで。

兎に角予想外の事に出会うと人はその対処法が瞬時に出て来ないからただただ

困惑するだけや。

しかし同様の経験を何回か繰り返しているうちに人は適応能力とか柔軟性を兼ね備

える様になる。

こう言われたらこう反応するって感じだろうか。

その支店長の話は続いた。

俺はただただ黙ってその支店長の話を聞いた。

支店長が『わたくしは、兎に角この日が来るのを5年間待ちました。

もしも5年の間に再度特殊なセメントが必要になった時は、その時は諦めるつもり

でした。

しかしこの5年間、その必要がなくて、今日に至ったため、この様に入信のお誘い

をした訳です。

宗教の幹部の人から“いよいよだね”と励まされました』と色々と話していた。

まあー、俺としては、大人の対応と言うか、ここは黙って聞くしかないと思った。

その後ず~っとその宗教の話ばっかしをする訳ではなく。

まあー、人生についてとか……。

今の俺やったら……。

そうやなー。

おそらくやけど。

『俺もなめられたもんやな。

易々と宗教の勧誘に合うとは。

しょーもない話するんやったら二度と俺の前に現れんな』ときつく言って一万円札

をテーブルに置いてそのまま黙って立ち上がって出て行くよろーうな。

今やったら黙って聞く事はないなー。

『それはお前の都合であって、こっちには全く関係がない』

こんな感じかなー。











芥川龍之介の蜘蛛の糸。

この話を幼少期にすると異常なほど怖がる。

死にたくないとか地獄行きたくないと。

多分蜘蛛の糸を登って無事に極楽に行けるハッピーエンドの話だと思って聞くのだ

と思う。

それでも「トラウマ」になったりしないと思う。

5~6歳と言ったら知恵がついて来て生と死という事も少しずつ概念として分かり

始める年頃。

生と死は人間の現実。

勿論性も。

知るべき時が来たら自然に知るものだし知った時にいくらかの衝撃を受けるのも当

たり前の事。

それに対してとってつけたような「フォロー」は必要ない。

自然に振る舞って子供がやがてそのショックを乗り越えるのを見守るだけで良いと

思う。

子供が外で遊びたくないとか死ぬのは嫌、地獄に行きたくない等と不安や恐怖を示

しているのは「蜘蛛の糸」を話した事はただのきっかけで、別の所に本当の理由が

あるのではないかと思う。

自分が永遠不朽の存在ではなく、今存在している自分と明日存在しているであろう

自分と何十年か後には存在していないかもしれない自分とがひと繋がりつになって

いるということ、すなわちアイデンティティの目覚めを子供は体験している。

へたな「フォロー」などして子供の精神の成長を妨げてはいけない。

子供の抱く漠然とした不安や恐怖に対して親がしてやれる事は一つしかない。

それを表現する、伝える、示す方法は無数にある。

幼児は楽しい事や面白い事に次々に興味が移って行く。

面白い事があれば、またお友達とお外で遊び始める。

生と死の淵を垣間見た恐怖から興味がそれて別の面白いことに魅せられるまでその

恐怖としばらくの間じっくり向き合わせてやってもいいのではないか。

子供も精神的に一歩成長しようとしている。

命が有限である事。

だからこそ尊いのだということをしっかり正面から話す機会をもたれる事を。

善い行いをすれば死後も楽しく豊かに暮らせる。

悪い行いをすればその報いは必ずある。

因果応報。











芥川龍之介の蜘蛛の糸のカンダタ。

●カンダタの善と悪

カンダタは人を殺めたけれど蜘蛛を助けた。

その果報によってお釈迦さまが蜘蛛の糸を垂らした。

読む人の多くは人の命と蜘蛛の命とを比べて人の方が上だと差別し区別するが、

お釈迦さまの眼で観れば平等な命。

芥川龍之介は蜘蛛を下と見る人間の驕った心を戒めているのではないか

●蜘蛛の糸

自分だけが助かればいいという自己中心的な心が働き、その事を口にしたとたんに

蜘蛛の糸は切れ、カンダタはコマのように回りながら血の池へと墜ちて行く。

ゲーム・セット。

そのお釈迦さまは悲しまれるが、そうなることも想定内。

カンダタは血の池に戻って、おそらくは後悔し、反省する事であろう。

その反省こそが善をなすきっかけになる。

それがカンダタに垂らした第二の蜘蛛の糸。

他の罪人達は蟻の行列のようになって蜘蛛の糸を登っている。

このことから他を蹴落とすことなく皆で一緒に助かろうとしたのでだろう。

逆に言えばその様な善が残っている者だけに蜘蛛の糸は見えたのかも知れない。

読者にとっては、この『蜘蛛の糸』という短編そのものが蜘蛛の糸である。

救いの糸によって極楽に行くのも地獄に行くのも読者次第。

極楽というのは天国ではなく修行の場。

苦悩するような出来事がないから楽に修行の出来る所。

地獄とは苦悩を受けて深く反省をする場。

自分を観ず反省しなければいつまでも地獄にいる事になる。





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h_t_tomoto at 06:31 
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Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
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