2018年02月

2018年02月28日

  極々普通のおでんの味わい


その後向かったお店は『炭火焼肉キョロちゃん』であった。

ところが満席で入れなかった。

JR森之宮まで来て、これが土曜日なら諦めるけど、木曜日だから満席だからと

言って諦める訳にはいかない。

今までの経験からちょっとだけタイミングをずらせれば絶対に入れる訳で。

そう考えたのでとりあえず一旦駅前まで戻った。

そして向かったお店は『酒の穴』であった。


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ここは駅前のビルの地下1階にある。

店内に入るとわりとお客さんが入っていた。

我々は奥のカウンター席に座った。

早速注文をした。

注文は、おでんで、玉子×2個と揚げと大根であった。

直ぐに生ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!


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玉子と揚げと大根

極々普通のおでんの味わいで安心しながら美味しく頂けた。

『酒の穴』は今後も大いに利用したいと思った。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『酒の穴』であった。

『酒の穴』で支払いをした後で『炭火焼肉キョロちゃん』に電話を入れた。

すると席が空いていた。

それで『炭火焼肉キョロちゃん』へ向かう事にした。

この時点で結構お腹が一杯になっていた。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はすき焼きをした。


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コンニャクを食べながらのすき焼きが真剣に美味しいのであった。











テレビの「孤独のグルメ」のジンギスカンの回。

昼間の明るい時間に入店。

ラムロース、ランプ、ラムせせりとライスを注文。

ジンギスカンなので野菜と玉ねぎたっぷり。

そして、追加でラムロース、スープ、ライスのおかわりとラムチョップを注文。

バクバク、ラムを口に入れてはライスを口に放り込む。

凄く食べている。

ラムチョップ以外、食べ終えた時点で、外はまだ明るい。

が、ラムチョップが焼けた時には外が真っ暗に。

孤独のグルメの撮影では松重豊さんには本当に全て食べてもらっている。

必ず完食。

と、孤独のグルメの女性プロデューサーが取材でそう答えていた。

なので、この時、満腹になり過ぎて、ラムチョップが食べれなくなったので、

4~5時間休憩して撮影したので夜になってしまった。

という事らしい。

ラムと言えども、これだけ食べたら相当キツイだろう。

松重さん、食べる撮影、大変だ。

孤独のグルメの撮影がある日は朝から何も食べないそうだ。

それでも満腹にはなる。

決してNGを出さないように気をつけてるって言っていた。

ほんと、大変だと思う。

レギュラーシリーズは終了との事だが、年齢的に「五郎役は無理!」って宣言なの

かなと思う。

甘い物以外は何でも食べられるとの事だが、年取ったら爆食は体に悪いよね。

孤独のグルメ大晦日SP。

面白かった。

広島での焼肉。

おでんの牛すじ、大根、焼肉でコーネ、ステーキのようなロース、ライスと食べた

後に、まさかのラーメンとおでんの卵。

次の瞬間に夜になってたのはご愛嬌。

そして、ラストにまさかの生中継で、ゴローさんが食う、ひたすら食う。

しかも、心の声も。

ワサビを入れなかったのは、ムセて放送事故を防ぐとは、さすが。

後の客が、「紅白は?いま桑田。ガキ使は?ビンタ。ライジンは?RENA負けた」

「テレビ東京は?なんか大食いみたい」には思いっきり笑った。

楽しかった。

こんなドラマ初めて。

最後の生放送のところ、さり気なく「生放送」を強調していたので、

笑わせて貰った。

このドラマは期待を裏切りらない。

孤独のグルメに出て来た店。

地域紹介番組と捉えてもいいと思う。

必ず駅名から始まる。

紹介されるだけで利益になるしスポンサーには困らない。

美味しい店の紹介よりも番組が成り立つのかどうか。

沢山の人が仕事として取り組めるかどうかにあるのだろう。

そんな番組では視聴者の興味をどの様に引き出すかという手腕が問われる。

売れない店でも売れる様にしてしまう番組効果。

ゴローさんも好感が持てるしイマイチな店だろうと行ってみたくはなる。

そして「孤独のグルメ」という自分勝手な評価が売り、ここを忘れてはいけない。

ゴローさんは満足している。





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『王侯将相いずくんぞ種あらんや』

身分の高いは生まれた時から決まっている訳ではない。

という事。

つまり誰でも同じ人間なのでなれるという事。

秦の圧制を正すために立ち上がった農民の首領、陳勝の中国の故事による言葉。

今風に解釈すると、お父さんが社長とか金持ちとかいってても、

そのおじいちゃん、そのまたおじいちゃんが普通の人だという事もあるし、

今が偉いからといって同じ人間なんだよ。

だからそんな事を自慢してもしょうがない。

普通なら、王様、将軍、宰相であっても同じ人間じゃないか。

血統だって100年も遡れば同じ境遇にたどり着く。

同じ死ぬなら農民として決起して死のうじゃないか。

と陳勝・呉広の乱の陳勝が言った言葉。











三国志

三国志演義

水滸伝

楊家将演義

金瓶梅

岳飛伝

呉越春秋

楚漢戦争

封神演義

楊家将演義と呉越春秋は除外。

この中からならやっぱり「三国志演義」と「楚漢戦争(史記?)」ではないかと

思う。

日本で人気のある時代の双璧で、二次創作作品も多いのだが、これはやはり

「面白いから」なのでだろう。

水滸伝や金瓶梅なども決して詰まらなくはないのだが、時代背景・登場人物・興亡

の推移と展開といった点で及ばないのではないだろうか。

作者・訳者の力量や改変の度合いにも拠るのだが、原作のクオリティ自体が問題に

ならない様に個人的には思う。

正史三国志は知的好奇心は別として読んで面白いものではないと思うが、史記は

読み物としても面白い。

「ドラマのような人生」や「驚異的な功績を挙げた人」などは中国史には多く、

楚漢戦争・三国時代の人物や岳飛・楊業だけが突出している訳ではないのだが、

「宣伝媒体に恵まれた人」ではあるので、知られる事も多いのだろう。

宣伝媒体としての史記・三国志演義がとても優れている事の証明でもあるので、

やはりこの二つは千古の名著という事になるかと思う。

「キングダム」が確かに面白い。

史実との乖離は大きいものの、ヒットしている現状を見る限り、創作作品としては

「アリ」なのだから、もっと多くの時代・人物にスポットが当たる可能性はあるか

もしれない。

特に隋末唐初の人物や、五胡十六国・南北朝・五代といった乱世の人々の中には

小説・漫画のネタになる人は沢山いる。

2千人の義勇兵と共に北伐を行い黄河以北の土地を奪還した東晋の「祖逖」や、

五朝八姓十一君に仕えた五代十国時代の異色の宰相「馮道」、迫りくる突厥の

先鋒部隊に三矢を放って三人を射殺して戦意を失わせた事が「三箭を以て天山を

定む」と評された「薛仁貴」などなど、日本であまり知られていない人物・時代は

多いと思う。

「神秘的な軍師」といえば日本では諸葛孔明か張良ですが中国では

「劉伯温(劉基)」が挙がるように、まだまだ素材は多い。











項羽と劉邦(楚漢の争覇時代)と後漢の末期では時代が全然違う。

当然、同じ戦乱状態でも群雄達が置かれた状況もまるで違う。

因みに官渡の戦いで袁紹は敗れるが、といっても別に主力軍を壊滅させられた訳で

はないので、袁紹の勢力は引き続き強大なまま。

ただ、格下と思っていた曹操に敗れた事で、袁紹が心理的衝撃を受けた事は事実。

この時受けた衝撃やストレスが、その後の急死に繋がっている事は確実。

また袁紹配下の武将達もこの敗北で動揺した事は事実。

ただ袁紹が存命のうちは、いくら動揺したといっても袁氏の勢力は大して揺らいで

いない。

袁氏というのは後漢時代でも屈指の名門貴族なので、代々積み上げられて来た底力

は、たった一度の決戦に敗れた程度で崩れてしまうほどヤワじゃない。

そして袁紹は、急死したと言っても、その死は202年であり、官渡の戦いから

2年後の事。

だから曹操の勢力が、袁氏一族に対して優勢になったのは、202年以降という

事になる。

また袁氏は、袁紹死後、袁尚・袁譚兄弟によって争われ、分裂するが、全体的には

袁尚が有利。

曹操といえど、簡単には倒せる相手ではない。

曹操は多少袁尚らにちょっかいをかけつつも、実際には傍観を決め込んで、

袁家兄弟が争い合って互いに傷つくのを待った。

こういう辛抱の時期があったので、曹操の河北平定はそれなりに長い時間が

かかってしまいまったが、辛抱した甲斐あって袁氏の勢力は弱体化し、曹操が

動いた時には、もはや敵と言える状態ではなくなっていた。

後、曹操が強引に河北平定に動けなかった要因としては、江南に孫権、荊州に

劉表、益州に劉璋ら敵対勢力を背後に抱えた状態で、いつまでも主力軍を河北に

向けてはいられなかったという事情がある。

また、曹操の勢力自体が急速に拡大しており、その支配は未だ不安定。

一旦は戦争をやめて、領土の再建にあたらないといけない。

何もしなくても敵勢力は勝手に自滅してくれる訳だから、曹操としては下手に

ちょっかいを出すより、内政に力を注いだ方が得策。

と言う訳で、曹操の河北平定は長引いたが、見方によればたった数年で河北平定が

出来たとも言える。

項羽と劉邦の話を持ち出すと曹操の河北平定は長く見えるが、河北平定というのは

言うほど簡単な話ではない。

五胡十六国時代、あまたの英雄達が河北の統一を夢見て興亡に明け暮れるが、

結局これを成し遂げる事が出来たのは前秦の符堅と、北魏の拓跋桂のみ。

それも十数年という長い年月をかけて。

項羽と劉邦の時代、劉邦の天下統一が異様に早いのは、秦滅亡後の天下の覇者と

なった項羽に対抗できる存在が劉邦しかいなかったから。

項羽自身、戦略的に重要な関中(秦の本国)を捨て、故郷の楚に戻るなどの政治的

愚策を重ねており、彼の覇権は急速に揺らぐ。

劉邦とすれば、項羽を倒すだけで天下統一が出来るし、その項羽は政治的愚策を

繰り返し、あるいは遠征先の住民を根こそぎ虐殺するなどの愚行を重ねて人望を

失っているので、倒すことはそれほど難しくない。

(と言っても、実際は戦争の天才である項羽の前に何度も敗れて、窮地に追い込ま

れているのだが、その代わり劉邦は蕭何、張良、韓信ら有能な臣下に恵まれて

いた)

だからたった4年でかたがついた。

後漢末の時代、曹操の敵は袁紹だけではない。

孫権もいれば劉表もいる。

劉備、劉璋、張魯、馬超……。

挙げだしたらきりがない。





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2018年02月27日

  伝説の若鶏唐揚


その後JR森之宮駅前まで移動した。

先ず向かったお店は『酔虎伝 森の宮店』であった。


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ここの唐揚げが結構美味しいので気に入っている。

それで入る事にした。

店内に入るとわりとお客さんが入っていた。

我々は入り口近くのカウンター席に座った。

早速注文をした。


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注文は、伝説の若鶏唐揚ととんぺいであった。

先ずは『トップグロンEX』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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伝説の若鶏唐揚ととんぺい

伝説の若鶏唐揚は表はカラッと中がジューシーで柔らかい。

とんぺいは出汁の味のない出汁巻き玉子の中心にちょこっとだけ豚肉が入っている

感じの味わいではあるが全く違和感は感じなかった。

チェーン店ではあるがこの内容なら合格点である。

特に接客が想像以上に素晴らしかった。

『酔虎伝 森の宮店』は今後も大いに利用したいと思った。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『酔虎伝 森の宮店』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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ベトナム風生春巻きを食べながらの鍋がめっちゃ美味しいのであった。











古くからある怪談のパターンに「子育て幽霊」というものがある。

妊婦が死んで埋葬されたが、赤ん坊は墓地で生きていて母親幽霊が育てるという

内容。

それを元ネタに伊藤正美による『ハカバキタロー(墓場奇太郎)』という紙芝居が

あった。

水木しげる先生は昭和30年代は紙芝居作家であり、伊藤の承諾を得て「鬼(奇)太

郎」を主人公とした怪談紙芝居を作った。

しかし人気が無かったのと紙芝居そのものが衰退期であったので、貸本漫画家に

転向し鬼太郎を主人公とした作品群(いわゆる『墓場鬼太郎』シリーズ)を

発表し、その後に『少年マガジン』で連載を切っ掛けに、私たちおなじみの

『ゲゲゲの鬼太郎』として人気を博した。

(昔は現代ほど著作権保護という認識はなかったので、特に紙芝居や貸本の世界は

このようなことはありふれていた)





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扶蘇は優秀で、また始皇帝と違って穏やかな性質だった様なので、そう簡単に秦は

滅びなかったあろう。

民衆の不満が抑えられる範囲に落ち着けば、陳勝呉広の乱も起きないし、起きても

同調者が少なく鎮圧されたであろう。

項羽や劉邦の出番もなかった。

ただ、完全なる中央集権の郡県制では、地方の反乱に素早く対処できない。

また秦の厳しい法治絶対主義は、扶蘇が皇帝なら多少は緩められたであろうが、

それも限度があった。

いかに扶蘇が穏やかでも、神様のような絶対的存在であった始皇帝の作った制度を

根本から変える事はできない。

秦が滅亡した理由はそのときの「人」にもあるが「制度」にもある。

少々緩められても法治絶対の厳罰主義という「反乱が起きやすい要因」があり、

地方の長官に権力を握らせないという「反乱への対応が遅れやすい要因」があると

いう、制度的な問題まで扶蘇は解決できないであろう。

元々反乱に対して脆弱な体制だから、長続きといっても漢の様にはいかなかったと

思う。

何がきっかけで滅ぶかは分からないが、漢の様な長命ではなく、数十年程度の

「中命」王朝になったのではないかと思う。

北に匈奴の冒頓単于が出現するから、秦の主力は北方警備に重点化されるはず。

その一方で、「楚は三戸と雖も秦を滅ぼす者は楚」といわれるほど楚人の秦への

恨みは根強いから、国軍が北に貼り付いている状態になると、やはり楚が火種に

なったかもしれない。











鴻門の会の後、項王が咸陽で略奪を行なった。

これは歴史的な背景を理解しなければ意味が分からないと思う。

項羽の祖父は項燕という人だった。

項燕は戦国時代の楚の名将だった。

一度は、始皇帝の武将だった李信の侵略を打ち破ったが、その後に王翦という名将

に敗れて殺されてしまった。

その結果、楚は滅亡し、秦が中国を統一する事になった。

項羽の一族(項氏)は、代々その国の将軍の家柄で、楚の滅亡後も、その復活を

計画していた。

始皇帝が亡くなり、二世皇帝が即位すると、直ぐに陳勝・呉広の乱が起った。

この時、項羽の叔父の項梁は楚の国の復活を目指して兵をあげ、甥の項羽も彼に

従って活動しはじめた。

しかし、秦が本腰をあげて反乱軍の討伐に出ると、陳勝たちは敗れていった。

楚の国を復活させた項梁も、秦軍との戦いに敗れて殺されてしまった。

ついに項羽が楚の主力軍を率いる将軍となり、秦の都の咸陽を攻略する段階に

なった。

この時、もう一人の楚の将軍として登場したのが劉邦(沛公)だった。

二人の将軍は、別々のルートで咸陽を目指した。

先に咸陽に入城した方が関中(咸陽周辺の地域のこと)の王となるという約束が

あったため、項羽と劉邦の競争となった。

元々弱小だった劉邦は、無駄な戦いを避けるなど工夫を凝らして先に咸陽に

入城した。

劉邦が咸陽に入城する直前に、秦の国内では激しい権力争いが繰り広げられて

いた。

二世皇帝の胡亥を操っていたのが、趙高という人物だった。

この趙高が二世皇帝を殺してしまうと、次に子嬰(おそらく始皇帝の孫)という

人物が趙高を暗殺し、秦の君主となった。

子嬰は皇帝ではなく、秦王を名乗った。

そして、子嬰は攻め込んできた劉邦に降伏したのだった。

ここまでが鴻門の会直前の物語になる。

まず、項羽は秦という国に対して激しい怒りと憎しみを持っていた。

祖父と叔父を殺された恨みを晴らさなければならないし、一度滅ぼされた祖国

(もちろん楚の国)の復讐もしなければならなかった。

鴻門の会の後に、咸陽に入城した項羽は降伏した子嬰をあっさりと殺し、咸陽を

略奪と放火で灰にしてしまった。

これが、項羽の秦に対する復讐だったのである。

劉邦がわざと殺さなかった子嬰とその一族を皆殺しにした事も、始皇帝とその家族

に対する憎しみと恨みが激しかったことが分かる。

元々は項羽はとても怒っていた。

劉邦が先に咸陽に入城した事が気に食わなかったからである。

項羽軍と劉邦軍を比べると、この時点では圧倒的に項羽軍のほうが強力だった。

だから、劉邦とその軍師の張良は、なんとか項羽をなだめて、この場を切り抜け

様とした。

それが鴻門という場所での会談だった。

因みに、漢文では項王と表現されているが、実は鴻門の会の時点では項羽はまだ

王位にはついていなかった。





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2018年02月26日

  今年2回目のとらちゃん


2月15日の木曜日『ホテルアゴーラ大阪守口』で大手ゼネコン主催の講演会が

あった。

講演会は5時過ぎから始まり6時前に終了した。

その後私は一人でタクシーに乗ってJR鶴橋駅前まで移動した。

そして向かったお店は焼肉の『本家とらちゃん 鶴橋駅前店』であった。

この日のお供は所長とアルフィー・8世であった。

所長とアルフィー・8世とはJR鶴橋駅の改札口前で6時30分に待ち合わせをした。

私が到着したのは6時20分頃であった。

すると二人は既にそこに立っていた。

流石であった。

Tちゃま倶楽部のメンバーは絶対的に時間厳守なのであった。

そんな感じの焼肉の『本家とらちゃん 鶴橋駅前店』


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店内に入ると大山主任がいつもの素晴らしい笑顔で我々を迎えてくれた。

平日だと言うのに店内は結構お客さんが入っていた。

流石は『とらちゃん』であった。

我々が案内されたのはいつものレジの横の個室であった。

早速注文した。




注文したオーダー

上塩タン×一人前

特選サーロインステーキ×二人前

特上骨付カルビ×一人前

特選ハラミ×一人前

並のロース×一人前

タンツラ塩にんにく味×一人前

特上ミノ×一人前

野菜サラダ×一皿

生ビール×飲めるだけ




我々が席に座るとTちゃま倶楽部専用の胡麻と葱の薬味と『とらちゃん』秘伝の

タレが用意されていた。

Tちゃま倶楽部専用の薬味と『とらちゃん』の秘伝のタレ

この胡麻と葱の薬味はTちゃま倶楽部専用で他のお客さんに提供される事はない。

先ずは『ウコンの力』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引く続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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上塩タン

焼肉の一口目はタンと決まっている。

タンとしての美味しさを表現するのに丁度良い厚さに切られている。

その為に火の通りが抜群に素晴らしい。

口の中に入れた瞬間から甘味と旨味が舌の上で踊り出す。

噛み程に甘味とジューシーさは増して行く。

一口目から最高の演出に出会えるのであった。


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特選サーロインステーキ

この日も鹿児島産黒毛和牛A-5の最高級のサーロインステーキであった。

サーロインの表面にはうっすらとサシが滲み出ている。

このサシこそが旨味のエキスそのものである。

弱火でゆっくりと焼くと旨味エキスが肉の芯まで閉じ込められる。

食べると独特のマッタリとした食感が味わえ旨味と甘味が凝縮された中に我を忘れ

てしまう程の美味しさに感動する。

余りの美味しさに腰が抜けそうになる。

これ程のサーロインに出会える焼肉店は大阪にはないだろう。

まさに『至福の喜び』なのであった。


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特上骨付カルビ

部位は『ともばら』

非常にキメの細かいサシが特徴的である。

このサシから生まる甘味は他の部位の一線を画す。

芳醇で奥深い味わいの中に甘味と旨味にジューシーさが口の中で後を引く。

これこそが完璧なカルビだと言える。

地上最強のカルビなのであった。


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特選ハラミ

ハラミには独特の癖と言う物がある。

それがある種のハラミの旨味とも捉えられる。

ところが『とらちゃん』のハラミにはその癖が全くない。

ハラミと言うよりも高級なロースを食べている味わいである。

食べると『これがハラミか』と必ず疑いたくなる。

それ位一般的なハラミを超越した美味しさを醸し出すのであった。

抜群の甘味と旨味に溢れ出す肉汁を味わえるのであった。

最高に美味しいハラミなのであった。


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並のロース

この日の並のロースは今までにない最高級感を映し出す天使の瞳の様な美しさで

あった。

見ただけで余りのサシの美しさに惚れ惚れしそうになった。

『とらちゃん』に通う様になったのは平成9年から。

もう21年になるがこれ程に素晴らしい並のロースは本当に初めてである。

ゆっくりと焼いて食べるとその旨さに衝撃を受ける。

濃厚な甘味と旨味がガツンと脳天に襲って来る様な衝撃である。

めっちゃ美味しい並のロースに出会えるのであった。


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タンツラ塩にんにく味

最高級な霜降り肉の連続技から一気に別世界へと導いてくれるホルモンである。

兎に角肉汁が惜しげもなく右肩から襲って来る感じである。

ジューシーで甘味と旨味が確率されていながらしっかりと食感は残している。

ビールのアテとしては最高の逸品であった。

特上ミノ

食感は柔らかくて美味しいモンゴイカそのもの。

一噛み一噛みがしっかりと噛み切れるぐらいに柔らかい。

これ程に柔らかいミノは中々出会えないであろう。

最高に美味しいミノなのであった。


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野菜サラダ

キューピーのドレッシングがかかった極々普通のサラダであった。

骨付カルビの筋を焼いて食べる事にした。


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骨付カルビは筋まで綺麗に焼いて食べるのが通である。

そして最後の最後は……。

最後の最後まで大切に残しておいたサーロインを焼いた。


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最後まで大切に寝かしていたサーロインはかなり熟成されている。

その為、サーロインがトロントロンになっていた。

これがほんまにえげつないほどに美味しいのであった。

あったかいコーン茶で乾杯をして〆る事にした。


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乾杯ー!!

このコーン茶を飲むと満足感でホットするのであった。

最後に皆で猛牛ポーズをする事にした。


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猛牛ポーズ!!

この日のお供の所長とアルフィー・8世が『美味しい、美味しい』と喜んでいた。

実はアルフィー・8世はこの日が『とらちゃん』初デビューであった。

私はこの二人の笑顔を見るだけで満足するのであった。

そんな感じの焼肉の『本家 とらちゃん 鶴橋駅前店』であった。




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ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はカレーを食べる事にした。


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冷奴を食べながらのカレーが最高に美味しいのであった。





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若い頃の劉邦はニートではなく「侠客・遊侠の徒」と考える方が正確だと思う。

侠客・遊侠とは現代日本ではヤクザの別称となっているが、この当時は「任侠・義

侠の心を持った人物」という意味である。

簡単に言えば義理と人情に溢れ、弱者などから助けを乞われれたり人と約束をすれ

ば法を破ってでも実行するという人の事で、江戸時代の日本における清水次郎長と

か幡随院長兵衛の様な人と考えればほぼ当たっていると思うが、義侠心を多くの

人々に慕われ配下も抱えているという存在。

劉邦は侠客として沛や豊邑で多くの人に慕われ、蕭何・曹参・夏侯嬰などの官吏や

樊噲、盧綰などの市井の人々にまで人脈があった人物だったという事である。

これは職業では無いので、劉邦が家業の農業を手伝わず、慕ってくる人間と酒ばか

り飲んでいたという点ではニートに似ているが、多くの人に慕われた事で沛という

地方社会において劉邦には隠然たる勢力があった。

後に「亭長」という卑職についているのだが、この亭長とは宿駅・役場を表す

「亭」を維持管理する役人の事で、職務には治安維持や民事処理なども含まれてい

たと云いる。

要するに、派出所・警察署と簡易裁判所としての職能も要求されていた訳だが、

この様な任務には劉邦の様な「裏社会にも人脈があり人々に顔が利く」という男が

適任であり、これは当時の慣例でもあった様なので、沛県が劉邦という適任者に

依頼したというのが実情だったと思う。

江戸時代の宿場町などでは侠客が奉行所・代官所の任務を代行する事もあったそう

だが、秦の時代にも同じ発想があった訳である。

後に陳勝呉広の乱が起り、各地で叛乱が起った時に沛の父老や地方採用の官吏たち

は劉邦を頭目に推して「沛公」としているが、これは劉邦が若いころから侠客とし

て勢力があった為である。

この様に推戴されているのは、その人脈と生活ぶりからのごく自然な成り行きで

あり、劉邦がただのごろつき・遊び人で現代で言うニートだとしたらそうはなって

いなかったという事を表している。











項羽と劉邦について。

先に咸陽に着いた方が王になれた。

これを決めたのは西楚の「懐王(後の義帝)」である。

項羽の叔父の項梁はかつての戦国七雄の一つ「楚」の将軍「項燕」の子だったが、

陳勝呉広の乱に始まった反秦の戦いに臨みた。

秦に対しての叛乱軍を組織した訳だが、この幕下に甥の項羽や「沛公」と呼ばれた

劉邦がいた。

秦によって滅ぼされた楚を復興させるというのが旗印でもあったので、かつての

楚王で同名の懐王の孫を連れてきて楚王に就けて国としての体裁を整えた。

これは多分に名目上の君主であり実権を持っていたのは項梁だったのだが、項梁は

秦の反撃に遭って戦死してしまった。

ある程度の実権を持った懐王は楚の軍勢を二つに分けて宋義・項羽・范増を主力と

し別働隊を劉邦に率いさせて「先に関中に入った者を王とする」という褒賞を含ん

だ命令を下したという事。

秦に対する反乱は滅ぼされた六国の君主の末裔を担いで行われる事が多かったのだ

が懐王もその一人だった。

実権は軍勢の指揮官が持っている事が多いのも共通しており、現に懐王の約束は項

羽によって破られており、用済みとなって殺されている。





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2018年02月24日

  今日も垂れ流しのIです


この日はカレーライスを作る事にした。

使ったルウは三種類×2セットであった。


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この日の材料は『業務スーパー枚方高田店』で買って来た極々普通の国産牛

約3.0㎏と玉葱とじゃが芋であった。


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これらをいつもの大きな鍋の中にルウと一緒に入れた。

後は鍋が勝手に美味しく作ってくれるのであった。


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そんな感じのカレーライス。


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スタッフの皆と一緒に食べるカレーライス。

これがむちゃくちゃ美味しい。

ほんまにえげつない程に美味しいのであった。

使っている牛肉と野菜の量が物凄く多い。

それにより想像を越える美味しさが表現される。

これ程に美味しいカレーは中々簡単には出会えないだろう。

カレーは2013年6月28日の金曜日から作り始めた。

映画『砂の器』のワンシーンに、子供時代の和賀英良(秀夫)と父の千代吉が

諸国放浪(遍路の旅)をする中で、ある村の入り口に木の立て札がありそこに

『乞食、物乞い、業病の類の物は村に入るべからず』(文言は違えど内容はこんな

感じだったと思う)と書いて有るものが映っていたが、戦前戦時中の頃の田舎の村

にはこのような立て札が設置されていた。

川端康成の「伊豆の踊子」で、村々の入り口に「物乞ひ旅芸人村に入るべからず」

という立て札があった、というくだりがある。。

「伊豆の踊子」は大正15年の作品。

その基となった川端の伊豆への旅は大正7年の事で、その頃には、この種の立て札

は普通に存在していた様だ。

映画『砂の器』

森田健作が新聞のエッセイを読んで、島田陽子が犯人の服を細切れにして撒いたと

推理した。

殺された三木 謙一(緒形拳)

重要容疑者と目される若い男は白いスポーツシャツを着ていたとの事。

犯行から、そのシャツは、かなりの返り血を浴びていたと推定されるものの、

目撃はなく、スポーツシャツは、現場付近に知人、女などがいて、シャツを

隠したか処分したと推測。

やがて新聞で、「紙吹雪の女」というエッセイを見て、女が細切れにして捨てたと

推理しました。

その女が島田陽子だった。

俺とこにも入り口に木の立て札を置きたい。

『第二京阪の上で激しい下痢ウンコをする奴は、けーれ、けーれ!!

ちゃっちゃと高安へ、帰れ、帰れ、けーれ、けーれ!!』

仁義愛将軍様のタイトル。

『第二京阪と垂れ流しのIちゃま倶楽部』

『今日は、垂れ流しのIゲーリー(元中日の助っ人)です。

今日も順調に垂れ流したいと思います』

とっ、的屋のたっちゃんが言っています。

しかし的屋のたっちゃんも喋らせたら、えげつない事、言うわ。

垂れ流しって。

Iゲーリーって。

そのうち、的屋のたっちゃんもどこかで、垂れ流すと思うけど。

♪ゲーリー、ゲーリー、ホームラン

ゲーリー、ゲーリー、ホームラン

ゲーリー、ゲーリー、ここで一発ホームラン

ゲーリー、ゲーリー、ここで垂れ流し

お前が、打たなきゃー、誰が打つ

お前が、下痢しなきゃー、誰は出す

お前が、下痢便しなきゃー、ウンコ出す♪

こんな感じだろうか。

もうええっちゅーねん!!

俺らは最強の猛牛打線。

Iちゃまは、最強の垂れ流し打線。

どんな打線なんや。

ほんま、笑わせるわ!!





 







昨日のお昼に用意されたのは『Reine des pres』と言うお店の『ラベンダー』と

言うお弁当だった。


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ラベンダー


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フィレステーキもオムレツも全てのおかずが合格点であった。

これならリピートしてもええと思った。

ほんまに美味しかった。








『トップワールド香里園店』で鰻専門店の『魚伊』の鰻の蒲焼きを買って来た。


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あっつあつの御飯の上に『魚伊』の鰻の蒲焼きを乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

真空パック『魚伊』の鰻の蒲焼きの袋を開けた瞬間から立ち込める美味しい香り。

食べた瞬間からその柔らかさに感動する。

その奥には豊かで芳醇な旨さが醸し出される。

『魚伊』の鰻の蒲焼きはほんまに最高に美味しいのであった。








『万代寝屋川宇谷店』でブリの切り身を買って来た。

ブリの切り身を漬けにした。


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とりあえず炊き込み御飯を作った。


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炊き込み御飯の上にブリの漬けをトッピングした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

脂の乗ったブリを漬けにする事で食感に高級感が生まれる。

このブリの漬けと炊き込みご飯が絡み合って最高に美味しいのであった。








今週のおかず。





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そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。





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趙高は基本的に無能だと思う。

事務官をしていただけで政治をしていた訳ではない。

しかし彼には高漸離の正体を見破ったという功績があった。

始皇帝は猜疑心が強く、若い頃は韓の策謀(鄭国渠事業)を見破るなどの切れを

見せていたが、天下統一後は、目標を達成したせいで、気が緩んだのか詰めが甘く

なった。

方士に騙されて水銀中毒になり、財産をだまし取られ、騙されたことに怒って坑方

士を企画すれば、なぜか方士ではない儒者が混じっていた。

儒者が混じっているのは、始皇帝の意図したことではなさそうで、彼の長男の扶蘇

が「儒者を穴埋めにするのは冤罪かもしれませんから、やめてください。」などと

上奏している。

儒者を政権批判をしたことで穴埋めにするのなら、冤罪にはならないので、この上

書は意味がない。

方士を穴埋めにすることで嘘を吐いているかどうかを知る実験だったので、儒者を

穴埋めにするのは冤罪になるのではないだろうか。

で、その儒者を混ぜた者は李斯だったのではないか、という説がある。

李斯も始皇帝を利用して、自分のしたいようにしていたようだ。

始皇帝は儒者が混じっていることを大したことではないと判断したか、儒者を混ぜ

た者を守ることにしたようだ。

扶蘇を中央から北方に派遣してしまった。

その後、始皇帝は行幸中に死亡した。

その時、付き従っていたのは趙高李斯胡亥だった。

始皇帝は扶蘇に自分の葬儀の喪主になるように遺言をしたが、趙高が胡亥を後継者

にしょうと提案したので、李斯はそれに乗ることにした。

でも、多分李斯は、胡亥よりも扶蘇の方が秦にとっては良いとわかっていたの

だろう。

頭は良い人なので。

なので、中々「うん」と言えなかったようだ。

それで、趙高に言いくるめられたようになってしまったが、李斯自身も扶蘇が後継

になって自身の悪事がばれるのを恐れていたのでないだろうか。

それに、胡亥でも自分が補佐すれば何とかなると思ったようだ。

李斯はその後、貨幣の統一事業を胡亥のもと実行したそうだ。

趙高は唯の事務官なので、政治能力があったわけではない。

が、胡亥が自分を頼りにしているので、権勢を得た。

しかし、胡亥が賢明ではないことは明らかだったので、批判しそうな者達(実際に

批判した者も含めて)を殺害することにした(胡亥の兄弟、有能な臣下など)。

また、蒙恬については、弟の蒙毅が自分を罰しようとしたことがあったのを恨んで

いたので一族を殺害することにした(まずは、扶蘇と一緒に蒙恬から始めたが、

本丸は蒙毅だったようです。)。

李斯は胡亥を皇帝に擁立した大功労者であるにもかかわらず、まだ反秦連合軍と

戦っている際中の李斯の長男の李由が楚に下ろうとしているとありもしないことを

趙高に吹聴され、胡亥により処刑されました(おそらく、何の能もない趙高は政策

能力はある李斯を妬んで嫌っていたのだろう。それにしても悪党には友情なんて

ない。)。

李由は父が処刑された後、項梁に負け殺害された。

その項梁は章邯に負けた。

章邯は、滅びそうな秦にあって(しかし、趙高はこの時はまだ秦が滅びるとは

思っていなかったようだ。頭が悪いので。)、唯一反秦連合軍に対抗できていた

将軍だったのだが、自分よりも働きの良い章邯らに嫉妬して、章邯は反秦連合軍に

下りそうだと言って、その親族を殺害した。

でも、章邯は項籍には敵わなかったのだろうから、趙高が章邯に嫉妬しようがしま

いが、秦の滅亡の運命は変わらなかったと思う。

趙高は、その後、胡亥にすべての罪を押し付けようと自殺させ、自ら皇帝になるこ

とを模索した。

また、劉邦が咸陽の近くまで攻めて来たので、「あなた(劉邦)と私で関中を二分

の一ずつ支配しよう。」と提案したが、劉邦に却下された。

自分が皇帝になることについて周囲の反対が強すぎると考えた彼は、仕方なく秦の

王族の子嬰を秦王にすることにしたのだが、その子嬰に殺害された。

趙高は定見も展望もない、行き当たりばったりのまさに「この人アホだな」という

感じの人物だった。

でも、後世に名を残せて良かったのではないだろうか。

また、趙高が跋扈できたのは、始皇帝の死後の秦の人々がどういうわけか扶蘇の

ような従順な人ばかりであったからかもしれない。

<権力を握ってしまうと才能のある人材が恐ろしくなるものなのか。

李斯、蒙恬、しょうかんは秦を守るには絶対に必要な人材だったはずで趙高も

解っていたはず>

李斯は「目をかけても裏切る男である」という本性が判明しているので、貨幣の

統一後は生かしておく必要はなかった。

蒙恬もいなくても何とかなった。

逆に生かしておくと、反乱しかねない。

章邯は使える男だが、項籍には敵いない。

なので、三人も絶対に必要な人材だったかどうかは疑問。

秦が生き残るためにはどうしたら良かったのだろうか。

厳しい法律を緩めて大規模土木事業を縮小中断し、税率をさげれば陳勝呉広の乱が

おこらずに、大丈夫だったかもしれない。

誰かよりも制度の方が重要だったと思う。











『史記』の李斯列伝。

【斯曰:「安得亡國之言!此非人臣所當議也!」】

始皇帝が崩御した後に、趙高がたくみに胡亥を説き伏せた後のシーン。

趙高が丞相(李斯)に相談するということになり、胡亥を登極させる提案をした後

の李斯の台詞。

まずは、きちんと断っている。

【高曰:「君侯自料能孰與蒙恬?功高孰與蒙恬?謀遠不失孰與蒙恬?無怨於天下孰

與蒙恬?長子舊而信之孰與蒙恬?」】

次が趙高の台詞。

徹底的に李斯と蒙恬を比較して、李斯は蒙恬に敵わないことを指摘している。

この後、李斯もそのことを認める。

つまり、扶蘇が即位すれば、最も信頼する側近である蒙恬が丞相となり、新政権を

運営するであろうという未来を予言し、その新政権に李斯の居場所はないであろう

と、不安感を煽ったわけ。

この李斯列伝の面白いところは、恐ろしいほど言葉巧みに趙高の意のままにあやつ

られてしまう李斯にあるだろう。

始皇帝死後の部分は、ほとんどが会話文で占められている。

いかに、趙高が言葉巧みだったかを印象付けようとしているか分かる。

李斯は趙高に騙されたとみることもできるし、将来の失脚という材料で脅されたと

みることもできる。

韓非を讒言して死に追いやったのは、李斯が自己保身に秀でた人間だった現れの

一つだろう。

李斯が趙高の誘いに乗せられてしまったのも自己保身が優先された結果ということ

になるだろう。

しかし、焚書坑儒は李斯の自己保身とはあまり関係のない政策になる。





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2018年02月23日

  episode-122 「オムライスAプレート」


スピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒(31)

=相沢病院。

2009年からサポートしているのが、所属先の相沢孝夫理事長(70)だ。

無名の頃から支え続ける理由などを語った。

小平の“所属企業”は病院だ。長野県松本市にある相沢病院は、10年バンクーバ

ー五輪のシーズンが始まる2009年から、当時まだ無名だった小平を支え続けて

きた。

無名選手を支え続けるって凄いな。

昨夕そんな事を考えていた。

すると江戸っ子どんと姫がここにやって来た。


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そして「お疲れ様です」と言って私の横に勝手に座りやがった。

私が「金メダルやな」と言った。

江戸っ子どんと姫「ピエール・レオン・デュポン(Pierre Léon Dupont、1888年

5月3日 - 1969年9月18日)はフランスの指揮者、編曲家です。

パ=ド=カレー県サントメールに生まれ、同地の国立音楽学校でフルートをアンリ

・フィユールに学んだ後、1905年にパリ音楽院に入学して和声とフルートを学び、

軍楽隊での経験を経て、1927年にコンクールでギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽

団の第6代楽長に選任され、1944年までその任に就きました。

その後、SACEM(fr:Société des auteurs, compositeurs et éditeurs de musique、

フランスの著作権管理団体)の副会長などを務めたが、1969年にオー=ド=セーヌ

県シュレンヌで没しました」と言った。

私が「へ~っ、クラシック音楽にも精通しているんや」と言った。

江戸っ子どんと姫が「この辺は、ドン引きタツジさんとは違いますから」と笑い

ながら言った。

私が「ところで、野球には興味はないんか」と言った。

江戸っ子どんと姫が「源義経についてです。

義経は小手先の戦略が卑怯とかルール違反とかだから嫌われた訳ではありません。

戦う目的、つまり、何のために戦っているのか、という認識が、兄の頼朝や配下の

関東武士たちとの間で決定的にズレていたんです。

戦争の目的を間違えていたら、どんなに天才的な作戦で勝っても、何の意味もあり

ません。

「源平合戦」といわれる戦いの本質は、農場経営者として力を蓄えた関東武士団に

よる、相変らず服従と搾取を強いてくる京都朝廷に対する「独立戦争」です。

「じぶんたちの土地で汗水たらして働いて得た物は、じぶんたちのものだ、働きも

せず土地を見たこともない京都の貴族に分捕られるいわれはない」。

だから、彼等は蜂起したのです。

流人の立場で一兵も持たなかった頼朝が、なぜ、挙兵できたのか。

関東武士が、平家に親を殺された頼朝に同情して、味方に参じたのか。

それは嘘、とは言わぬまでも、表向きの看板だけです。

要は、自分たちの革命運動の「旗頭」になってくれる貴種が、たまたま伊豆に

いた、ということです。

だから、「頼朝の挙兵に関東武士が味方した」のではなく、「関東武士の挙兵に、

頼朝が旗頭として担がれた」というのが正しいのです。

このことは関東武士団も、そして当の頼朝も、よく分かっていました。

若いときから関東の武士のなかで育ってきて、「なにが問題の本質が」を体で理解

していたからです。

頼朝は「優秀な御神輿」になろうとします。

ところが、これを全く誤解して、表看板の「仇討ちストーリー」をまるごと信じて

しまっていた無邪気な男が、あとから参加してきた義経です。

京都の貴族社会で育ち、「関東での生活経験」が全くない彼は、「平家を滅ぼして

源氏が取って代わるのが、この戦争の目的である」と勘違いしています。

頼朝の命令で義経に付けられた軍勢は、みんな「関東独立」を願う関東武士です。

当然、義経の「仇討ち」をお手伝いするために命がけで戦っているわけではありま

せん。

「関東独立」という大目標からすれば、平家を海に沈めることより、適当に追い詰

めたところで、三種の神器と安徳(元)天皇を無傷で取り返て、京都に恩を売るほ

うが重要です。

ところが、この戦争を「仇討ち」だと信じる義経は、遮二無二平家を追っかけて

無茶な作戦を繰り返していきます。

崖を馬で駆け下りろ?

逆櫓をつけるな?

何を無理ばっか言ってるんですか。

死んだらどうすんですか。

義経は、関東武士たちを自分の「家来」だと思い、こき使います。

これが典型的な「貴族の発想」です。

武士の根本原理は「御恩と奉公」なのに、義経はどうやらそれが全然分かっていな

いのです。

彼らが「鎌倉殿」つまり頼朝の家来になったのは、頼朝を棟梁として「自分たちの

権利を主張していく」ためです。

真の敵は、関東武士を虫ケラと考えていて「黙って服従して年貢を送ってくればい

いんだ」と考えている貴族たちです。

政治家・頼朝は、朝廷に対して「これからは、そうはいきませんよ」と軍事力を

背景に強力に主張していかねばなりません。

ところが義経は、自分勝手な戦争に勝っていい気になった挙句、敵の貴族の仲間に

入れてもらって喜んでいます。

頼朝が激怒するのは当然です。

弟にコレをやられては、示しがつかない、どころの話ではないのです。

武士を忘れて貴族になってしまった平家と同じだ、所詮は京都の貴族社会で育った

御曹司だ。

関東武士たちは皆、義経からソッポを向きます。

当然です。

「弟だから偉い」というのは、まるきり「平家」の考え方、貴族の発想です。

義経が「人気があった」と言われますが、それは京都の貴族や庶民の間で、です。

肝心の関東武士には「まるで不人気」だったというのは、当然です。

頼朝が、義経の人気に「嫉妬」したのだ、という人がいたら、それこそ「貴族の発

想」です。

関東武士の棟梁、いや、関東独立国の王という、いまだかつて誰もやったことのな

い、もんのすごい難しい立場をこなしていかなければならない頼朝が、義経を羨ま

しがる理由も、暇も、何もありません。

義経は当然のように、鎌倉から追討されます。

後白河法皇は、これ幸い、「源氏の内紛」に付け込んで武士どもの政権を潰して

やろう、と義経に院宣を出しますが、武士は誰も義経の味方をしませんでした。

当たり前です。

武士の権益を守ろうとしない義経が勝っても何もいいことはないし、「戦う目的が

まるで分かっていない」義経が勝つはずもないのです。

馳せ参じる物好きはいません。

義経が孤立するのは、歴史の必然なのです。

頼朝が怒った、というより、義経が「単なる手下」だと思い込んでいた関東武士団

すべてが、義経に対して怒ったのです。

頼朝としては、もう肉親の感情云々ではない、組織論として、どうしても義経を粛

清するしかなかったのです。

こういう関東武士ならあたりまえの思考をまったく理解していない人々(たぶん京

都の貴族階級出身の仏教関係者)が「平家物語」を書き、日本人はいまだにそのバ

イアスに引きずられています。

NHKの大河ドラマすら例外ではありません。

頼朝が作った関東政権の意義、なんてことはまったく理解の外、という物語のマイ

ンドが根底にある限り、頼朝と義経の関係性なども分かりません」と言った。

私が「ところで、最近の売り上げはどう」と聞いた。

江戸っ子どんと姫が「今のところは何と頑張れています。

この調子でなんとかノルマーを達成したいと思っています。

この前ランチで萱島本町にある『グリルヤマモト 』行って来たんです。

ここはオムライスが美味しいと評判です。

わたくしはいつも“プレミアムトマトソース”を注文しています。

わたくしがお店の中に入った瞬間死んでしまいそうなぐらいにえげつない悪臭が

したんです。

お店の中を見るとなんとあのハゲでエロの越後のちりめん性行為が奥のテーブル席

に座りながら真面目な顔をして生意気に“オムライスAプレート”を食べている

んです。

あのハゲの越後のちりめん性行為が普通の真面目な顔をして食事を普通にしている

姿を見てわたくしは真剣に驚きました。

本当にびっくりしました。

あのハゲ頭の存在そのもので仁義愛将軍様の下痢便も真っ赤な太陽に溶け出してし

まいそうです。

わたくしは心の中で“ざっ!けんなよ!!このハゲ~!!”と叫んでいました。

わたくしは気づかれない様に別の席に座ったんです。

すると“やーっ”と言って、ハゲ頭の越後のちりめん性行為がトレーを持って

わたくしの横に座るのです。

横ですよ。

普通は向かいに座ると思うのです。

常識の微塵も感じられないハゲの越後のちりめん性行為の行動には呆れるばかり

です。

フライング・クロスチョップでもくらわしてやりたいと思いました」と言った。

私が「フライング・クロスチョップって。

なんじゃーそれは。

プロレスの技やんけ。

でも、何となく言いたい事は理解出来る」と言った。

江戸っ子どんと姫が「越後のちりめん性行為の余りのキショクの悪さに吐きそうに

なります。

わたくしが越後のちりめん性行為にちょっと聞いてみたんです。

“ねえ、ねえ、越後のちりめん性行為さんはどうしていつも2013年に制作された

ホラー映画の『MAMA』(Mama)に出て来るジェフリーみたいな顔をしているん

ですか”って。

すると越後のちりめん性行為さんが“ジェフリー顔には天才肌が多いんだ。

ジェフリー顔は天性のものなんだ。

投資仲介会社の経営者であるジェフリーは、ある日精神を病んでしまい、共同経営

者二名と自らの妻を殺害。

幼い娘二人を連れて森の奥の小屋へと辿りついた彼は、そこで二人を殺害しようと

するも、小屋に潜む何者かに襲われて姿を消すのだった。

それから5年後、ジェフリーの弟であるルーカスは、あの小屋で姉妹を発見する。

奇跡的に生還していた彼女たちの精神状態に強い興味を持ったドレイファス博士の

協力のもと、彼は恋人のアナベルと姉妹とで博士が用意した家で共同生活を営む

ことにする。

だが、共同生活を始めたある日、アナベルの周りで不可解な現象が起こり始める。

僕の様な天才肌は最高のオナニーの道具(究極のアダルトグッズ)である

『TENGAバキュームコントローラー』を使って最強に興奮しながら大量に射精す

るんだよ。

僕の様なジェフリー顔の天才肌が『TENGAバキュームコントローラー』を使いこな

すって凄いと思わないか。

『TENGAバキュームコントローラー』を使いこなすのは世間では僕だけだよ”と

意味不明な事をぬかすんです」と言った。

私が「ジェフリーって。

何が言いたいのか全く理解出来ないな」と言った。

江戸っ子どんと姫が「越後のちりめん性行為さんはハゲ頭のアホみたいなピコ

太郎だと思いました。

アホみたいな顔をしたドン引きタツジさんは相変わらずクソ面白くありません。

それに会社の廊下でよく転んでいます。

わたくしはこのまま頑張って突っ走ります」と言って拳を突き上げた。


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相変わらずこのくだりがクソ面白くなくて笑いにもならない。

そう思った瞬間、沈黙となった。











その後向かったお店は『炭火焼肉牛味苑』であった。


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店内に入るとわりとお客さんが入っていた。

我々は入り口近くのテーブル席に座った。

早速注文をした。

注文は、伊万里牛特選塩タンと伊万里牛上ハラミであった。

直ぐに生ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!


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伊万里牛特選塩タンと伊万里牛上ハラミ

非常に上品さを感じるお肉である。

全く雑味がなくて素直に美味しいと感じる。

東大阪市に滅茶苦茶美味しいと超有名な『焼肉 南大門』と言う焼肉店がある。

ここの美人の女性店長にいろいろと聞くと。

東大阪市の『南大門』からのれん分けを受けて2015年10月に吹田市に

『南大門 吹田天道店』がオープンした。

この『南大門 吹田天道店』と『牛味苑』は同じ会社が運営するらしい。

だから扱っている牛肉もほぼ同じらしい。

道理で『牛味苑』のお肉は美味しいと思った。

『焼肉やっちゃん』は『やきにく萬野』と関係があると言っていた。

美味しい焼肉店のバックには老舗の名店が存在するのだと改めて思った。

『炭火焼肉牛味苑』のお肉の全てが真剣に美味しいのであった。

『炭火焼肉牛味苑』は今後も大いに利用したいと思った。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『炭火焼肉牛味苑』であった。

それにしても『炭火焼肉牛味苑』の女性店主はほんまに美人だ。

これはおっさんのちょっとしたスケベイ心。(^^♪











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はカレーを食べた。


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冷奴を食べながらのカレーが最高に美味しいのであった。





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プロフィール

T-SIRLOIN

Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
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