2018年08月

2018年08月31日

  episode-148「かしわ天ざるうどん」


スマホゲーム「Pokémon GO」でここ数日、「これ以上ついていけない」

「あきらめた」と、継続プレイをギブアップするユーザーが続出する騒ぎが

起こっている。

これは21日から始まった、幻のポケモン「セレビィ」を探すイベントが原因。

「Pokémon GO」って全く興味がないな。

昨夕そんな事を考えていた。

すると江戸っ子どんと姫がここにやって来た。


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そして「お疲れ様です」と言って私の横に勝手に座りやがった。

私が「ギブアップしているみたいやな」と言った。

江戸っ子どんと姫「ピエール・レオン・デュポン(Pierre Léon Dupont、

1888年5月3日 - 1969年9月18日)はフランスの指揮者、編曲家です。

パ=ド=カレー県サントメールに生まれ、同地の国立音楽学校でフルートをアンリ

・フィユールに学んだ後、1905年にパリ音楽院に入学して和声とフルートを学び、

軍楽隊での経験を経て、1927年にコンクールでギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽

団の第6代楽長に選任され、1944年までその任に就きました。

その後、SACEM(fr:Société des auteurs, compositeurs et éditeurs

de musique、フランスの著作権管理団体)の副会長などを務めたが、

1969年にオー=ド=セーヌ県シュレンヌで没しました」と言った。

私が「へ~っ、クラシック音楽にも精通しているんや」と言った。

江戸っ子どんと姫が「この辺は、ドン引きタツジさんとは違いますから」と笑い

ながら言った。

私が「ところで、野球には興味はないんか」と言った。

江戸っ子どんと姫が「後白河法皇は義仲には氏追討を命じるいっぽう、頼朝には

上京を促して、京都の義仲に対抗させ、武士たちを互いに牽制させて政局の主導権

を握ろうとした。

北陸で勝利を重ねた義仲の勢いはすさまじく、京に近づくと平氏は戦わずして

逃げ、畿内から東海にかけて挙兵していた諸源氏をはじめとした反平家勢力は

残らずこれに合流したので、大変な大軍になりました。

義仲は関東で生まれて木曽で育ったために、都の常識や朝廷の儀礼を一切知らず

慣習を守ろうともしませんでした。

このため後白河法皇は自分たちの尺度で計れないこの人物を非常に恐れ、

嫌いました。

そこで義仲独裁政権がさらにひどいことにならないうちに、平家追討を促して西に

目と兵を向けさせて、その隙に義仲に対抗できる武士として頼朝を呼び、両者を

ライバル関係にしてその上に立とうとしたのでした。

しかし義仲の勢力は義仲の勢いに乗って集まった連中が多く、しかも飢饉がまだ

終わりきっていない時期だったので、平家が都落ちしてひとまず情勢が沈静化する

とどんどん数が減り、平家追討に従ったものはわずかでした。

しかもこの平氏追討は大失敗に終わり、義仲の勢力はがたがたになってしまいます。

これは、ひとたび義仲の権威・勢いが落ちれば、元々諸勢力は朝廷の命(以仁王の

令旨)に従って平家追討に立ち上がったのであり、義仲の家来ではないというわけ

で、勝手に行動し始めたのでした。

頼朝軍はそれでも腰を上げなかったので、今の義仲ならどうとでもできると踏んだ

後白河法皇は自ら挙兵して、義仲から法皇に乗り換えた諸反平家勢力に義仲を討た

せようとしましたが、わずか千ほどの義仲軍に大敗してしまいます。

(法住寺合戦)

法住寺合戦で義仲は法皇を幽閉してどんな命令でも出せる状態になりました。

しかし法皇に刃を向けるという義仲の行為は、頼朝軍にとって絶好の大義名分とな

り、法皇に貸しをも作れると、一気に大軍を送って義仲軍を滅ぼしてしまいます。
 
(宇治川の合戦など)

そしてこの戦いを機に平家追討軍は頼朝を頂点とした鎌倉軍に一本化され、上洛後

の義仲軍のように離合集散しなくなっていきます」と言った。

私が「ところで、最近の業績はどう」と聞いた。

江戸っ子どんと姫が「今のところは何と頑張れています。

この調子でなんとかノルマーを達成したいと思っています。

この前ランチで香里南之町にある『上を向いて』へ行って来たんです。

ここのうどんは寝屋川市では美味しいと評判です。

わたくしはいつも『ざるうどん』を注文しています。

わたくしがお店の中に入った瞬間死んでしまいそうなぐらいにえげつない悪臭が

したんです。

お店の中を見るとなんとあのハゲでエロの越後のちりめん性行為が奥のテーブル席

に座りながら真面目な顔をして生意気に『かしわ天ざるうどん』を食べているん

です。

あのハゲの越後のちりめん性行為が普通の真面目な顔をして食事を普通にしている

姿を見てわたくしは真剣に驚きました。

本当にびっくりしました。

あのハゲ頭の存在そのもので仁義愛将軍様の下痢便も知らぬが仏みたいな物に

なります。

わたくしは心の中で“ざっ!けんなよ!!このハゲ~!!”と叫んでいました。

わたくしは気づかれない様に別の席に座ったんです。

すると“やーっ”と言って、ハゲ頭の越後のちりめん性行為がトレーを持って

わたくしの横に座るのです。

横ですよ。

普通は向かいに座ると思うのです。

常識の微塵も感じられないハゲの越後のちりめん性行為の行動には呆れるばかり

です。

ツームストン・パイルドライバーでもくらわしてやりたいと思いました」と言った。

私が「ツームストン・パイルドライバーって。

なんじゃーそれは。

プロレスの技やんけ。

でも、何となく言いたい事は理解出来る」と言った。

江戸っ子どんと姫が「越後のちりめん性行為の余りのキショクの悪さに吐きそうに

なります。

わたくしが越後のちりめん性行為にちょっと聞いてみたんです。

“ねえ、ねえ、越後のちりめん性行為さんはどうしていつも2012年のアメリカ合衆

国のホラー映画の『キャビン』に出て来るバックナーみたいな顔をしているん

ですか”って。

すると越後のちりめん性行為さんが“バックナー顔には天才肌が多いんだ。

バックナー顔は天性のものなんだ。

大学生のデイナ、ホールデン、マーティ、ジュールズ、カートは週末を近郊の森に

ある小屋(Cabin)で過ごそうと計画していた。

道中、行き先を尋ねたガソリンスタンドの男から小屋にまつわる不吉な話を聞きつ

つも、彼らは到着。

週末を楽しむ彼らであったが、その夜、突如として地下室の扉が開く。

薄暗い室内には物が散乱していたが、デイナはその中からある日記を発見する。

それはペイシェンス・バックナーという少女の日記で、バックナー一家が犯してき

た恐ろしい罪の数々が記されていた。

そして、日記の最後には、謎のラテン語文が書かれていた。

デイナがラテン語を読み上げると、森の中に埋まっていたバックナー一家の死体が

起き上がり、小屋を目指し始めた。

呪文によって復活したバックナー一家は性交中のカートとジュールズを襲い、ジュ

ールズを殺害。

残りの若者を皆殺しにしようと小屋を襲撃する。

一方、ハイテク機器に囲まれた管制室でこの惨状を監視する人々がいた。

彼らは小屋や森中に設置されたカメラで若者の動きを監視し、また薬物を散布した

り、照明を調整するなどして若者たちの行動を誘導し、「怪物が彼らを殺しやすい

状況」をセッティングしていたのだ。

僕の様な天才肌は最高のオナニーの道具(究極のアダルトグッズ)である

『TENGAバキュームコントローラー』を使って最強に興奮しながら大量に射精す

るんだよ。

僕の様なバックナー顔の天才肌が『TENGAバキュームコントローラー』を使いこ

なすって凄いと思わないか。

『TENGAバキュームコントローラー』を使いこなすのは世間では僕だけだよ”と

意味不明な事をぬかすんです」と言った。

私が「バックナーって。

何が言いたいのか全く理解出来ないな」と言った。

江戸っ子どんと姫が「越後のちりめん性行為さんはハゲ頭のアホみたいなピコ太郎

だと思いました。

アホみたいな顔をしたドン引きタツジさんは相変わらずクソ面白くありません。

それに会社の廊下でよく転んでいます。

わたくしはこのまま頑張って突っ走ります」と言って拳を突き上げた。


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相変わらずこのくだりがクソ面白くなくて笑いにもならない。

そう思った瞬間、沈黙となった。











ある日のランチ。

この日はカレーライスを食べる事にした。


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オムレツをトッピングしたカレーライスが独特的発想で最高に美味しかった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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デカいミンチカツが食べ応えがあって真剣に美味しいのであった。





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2018年08月30日

  串かつのトッピング


ある日のランチ。

この日はカレーライスを食べる事にした。


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串かつをトッピングした斬新なカレーライスが無茶苦茶最高に美味しかった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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焼きサバの押し寿司が想像を遥かに超える美味しさでびっくりした。





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世界地図が作られたのには5つの条件が必要だった。

ここでは主に大航海時代前後に発展した緯度・経度双方の計測が可能な

航法技術と、それがもたらした世界地図の発展について触れる。

よって推測航法や伝聞が主体の頃の世界地図については原則として触れない。

1.地球のおおよその大きさ・形と、その上の1点を指すための座標系

地球は巨大な物体なので、とある基準点から歩測やら測距儀でちまちまと、

といったミクロなアプローチでは誤差の累積が問題になる。

地球を球のような単純な形状とみなせると分かっており、かつおおよその径しか

分かっていないのなら、距離とは無関係に正確な位置を投影できる緯度・経度の様

な座標系を使うのが賢明であろう。

因みに緯度の概念は古くからあったもとの思われるが、経度の概念は紀元前3世紀

のエラトステネスが最初と言われている。

緯度・経度の入った世界地図は2世紀のプトレマイオスが作成している。

2.1を平面で表すための投影法

球の表面に書き込む、という手がない訳ではないが…それでは地図とは呼べない。

因みにメルカトル図法などは大航海時代の産物だが、投影法自体は紀元前から存在

している。

3.羅針盤

天体に頼らなくても方角が分かる、というのは重要である。

4.天文観測による現在位置の測定(航法)

地球の自転・公転が分かっていれば、地球上から見える天体の位置を基に地球上で

の位置を割り出す事が出来る。

古くから暦法という形でも存在し、紀元前には天体の位置をシミュレートする

アナログコンピュータ(アストロラーベ)が既に陸上での航法(緯度計測)に用いられ

ていた様だが、海上での航法に用いられるのは中世以降の様である。

5.4を支えるための天文観測データ

例えば太陽を基準にする場合、同じ経度なら南中時刻は同じですが季節と緯度に

よって南中高度は変わって来た。

緯度も求めるには季節の違いの補正が必要である。

広い意味では暦法とも言える。

6.4を支えるための正確な時計

例えば太陽を基準にする場合、南中時刻の違いから経度を求めるためには正確な

時刻を知る必要がある。

太陽と月・恒星の位置関係の組み合わせからおおよその時刻は分かるが

(例えばトビアス・マイヤーの月運行表を使って)、時計に勝るものはない。

船の上で正確に時を刻める時計はクロノメーター(ハリソン,1759年)の登場を

待たねばならない。

4と5をセットで考え、天体観測によらない正確な時計を独立で扱うと5つになる。











プトレマイオスの地図。

「プトレマイオス図」は、プトレマイオス自身が初めて一から情報を収集して

作ったという事ではなく、紀元前から数百年間の地図作りの集大成的な

物なのである。

プトレマイオスが地図を作った時点で、先人が既に様々な世界地図(もちろん今の

「世界」の一部)を残していた。

それらの情報ソースは主に旅行者(軍事遠征、貿易商人、探検家、

宗教家など)で、情報をとりまとめる学問として地理学が発展した。

プトレマイオスの図が評価されるのは、経緯度(地理座標)を用いて

位置情報を記している(自身が考案したとされる正距円錐図法で投影されている)

事と、その図が掲載された著書『ゲオグラフィア(地理学)』に世界の様々な

情報が座標情報付きで紹介されている事による。





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2018年08月29日

  今日は肉の日


ある日のランチ。

この日の注文は、カレーライスであった。


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このカレーライス。

無茶苦茶コクがあって最高に美味しかった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はハヤシを食べる事にした。


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冷奴を食べながらのハヤシが無茶苦茶最高に美味しいのであった。





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大航海時代のスペイン・ポルトガルは没落した。

ポルトガルの場合は過度な海外進出による国内の空洞化が原因である。

当時のホケルトガルは人口100万程度の小国であり、海外進出により人口の国外流

出による国内産業の衰退が起こった。

その結果、国内産業はスペインに乗っ取られる事となり、最終的にはスペインに

併合され、その後はスペインの衰退に併せて没落して行った。

スペインから独立した後は、イギリスの実質的支配下となり、イギリスの搾取の

対象となった。

スペインの場合は、いくつもの条件が複合的に重なり、スペインを強国へと押し上

げた要素が、逆にスペインの衰退を引き起こす事になった。

1.スペイン国内の乾燥化による穀物の大幅原産。

スペインには、良質な羊毛を産するメリノ種がいた。

当時羊毛の大消費地であったネーデルランドの支配者であるハプスブルク家と婚姻

で結びついたスペインは、ネーデルランドにメリノ種の羊毛を売る事により国家収

入の多くを確保した。

そのためスペインは、羊毛の大増産を行い、森林を切り開き、既存の農地を牧草地

へと転換して行った。

その結果、大量の農民の失業と土地の保水力の低下が起こった。

大量の失業農民は新大陸への入植者となる。

土地の保水力の低下による穀物の生産減少が顕著になるのは、フェリペ2世の知性

の中頃からである。

穀物の不足からスペインは穀物の輸入国となり、支出の増大が起こった。

2.植民地の発展による国内好景気とスタグフレーション化。

新大陸の植民地は、スペインの延長線の形の植民地が形成された。

そのため必要物資もスペインと共通であったため、スペイン国内ではあらゆる物資

が不足し、好景気となった。

物価は高騰し、質の悪いものでも売れるためスペイン産の品質の低下が起こった。

また職人達は新大陸へ移住したため国内では益々品不足と品質の劣化が起こった。

しかし、植民地が自活する様になると植民地では高くて質の悪いスペインの物資の

購入をいやがり、スペインからの購入をイヤがる様になった。

スペインでは品質の良い物を造る職人が少なくなってしまったため、高品質の物が

再現できず、不況下のインフレであるスタグフレーションが起こり、経済が破壊さ

れた。

3.スペインの高関税。

スペインは新大陸との交易に多額の関税をかけていた。

そのため、関税のがれの密貿易が活発化し、スペインの収益を奪う事になる。

4.新大陸からの大量の銀の流入と減少。

新大陸からもたらされた大量の銀は、スペイン国内でインフレーションを引き起こ

した。

大量の銀が流入している間は、スペイン経済は回っていたが、銀の産出量減少に

より、スペイン経済は完全に行き詰まり、債務超過、スペイン政府の破産となり、

国家運営が困難となった。

5.ネーデルランド独立戦争。

ネーデルランド独立戦争により、約2万の兵力が常時ネーデルランドに常駐し多額

の費用を必要とする一方、戦闘による被害もあり、ネーデルランドの産業の衰退が

起こった。

6.スペインの大国意識。

スペインが経済的に苦しくなっても、大国意識からヨーロッパの紛争に介入し、

多大な支出を垂れ流していた。











レコンキスタ(スペイン語: Reconquista)は718年から1492年まで。

 約800年(正確には774年)

ウマイヤ朝の侵攻と西ゴート王国の滅亡。

6世紀初頭、フランク王国との戦いに敗れ、国家の重心をイベリア半島へ移した

西ゴート王国は、約1世紀をかけて半島全土を支配下におさめた。

589年にキリスト教アリウス派からカトリックに改宗していた西ゴートは、

イベリアのカトリック化を推進した。

一方、661年に建国されたイスラーム国家のウマイヤ朝は、積極的な拡張政策に

よって急速に勢力を拡大していた。

8世紀初頭までに北アフリカの西端まで版図を広げていたウマイヤ朝は、710年、

ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に上陸した。

この時は一部の都市を襲撃しただけだったが、西ゴート側の抵抗が弱いのを知り、

本格的な遠征軍を組織しはじめた。

翌711年、ターリク・イブン・ズィヤード率いる遠征軍がジブラルタル海峡を

越えた。

同年7月19日、ターリクはグアダレーテ河畔の戦いで西ゴート軍に壊滅的打撃を

与え、国王のロドリーゴを戦死させた。

王が死んだ西ゴートには後継者がおらず、その混乱に乗じてウマイヤ朝は支配領域

を拡大していった。

710年代の終わりまでに、ムスリム勢力はイベリア半島を北上し、カンタブリア山

脈以北およびピレネー山脈以北までキリスト教勢力を追い詰めていった。

この頃、イベリア半島南部はイスラムのアル・アンダルス(ヴァンダル人の

地の意、アンダルシアの語源)と名前を変えた。

征服した土地では新たな統治が始まっていた。

ウマイヤ朝はイベリア半島のキリスト教化を推進した西ゴート王国に比べて、

宗教に寛容だった。

ムスリムは被征服者に対して改宗を強制しなかったが、その代わりにジズヤ

(人頭税)を要求した。

ユダヤ教徒、キリスト教徒の区別なく、ジズヤを納めれば信仰を保持できた。

ただし、ある種の社会的格差は存在しており、そのためにイスラム教に改宗する

ものが相次いだ。

また、高額のジズヤが納められずに北部へ逃亡する者や、反乱に加わる者も

少なくなかった。











サザエさんとちびまる子ちゃんは日曜日の食卓の当たり前的存在。

ちびまる子ちゃんの場合、アニメ化された当初から作者であるさくらももこ先生と

事務所であるさくらプロダクションがが制作に関わっていた。

第1シリーズは全てさくら先生が台本を書き下ろしていますし、今はさくらプロダ

クションが監修となっている。

サザエさん、ドラえもん、クレヨンしんちゃんとは異なり、作者や事務所が制作に

関わっているのだから作者志望に伴いアニメ終了とはならない。

死因は乳ガンとの事で、万が一を想定して後々の事はさくら先生自身も考えていた

と思う。

死去されたのは15日で、葬儀諸々は近親者のみで済ませたとの事。

初七日を終えて事務所の方も落ち着いた後での公表…という感じ。

アニメだけでなく最近新しくコジコジのパチンコ台も出たばかり。

地元である静岡市の市内PRや私鉄の静岡鉄道等との広告契約も複数ある。

作者死去に伴い全ての契約を打ち切って事務所を閉じるとも考えにくく、

長谷川町子美術館と同様に著作権と原稿等々を管理するという事も含めて

事務所を継続し、その収益として引き続きアニメやパチンコ台、広告、

グッズ販売等から一切手を引く考えはないであろう。

さくら先生のご冥福をお祈りします。











今日は29日の肉の日。

あちこちの焼肉店ではお肉のサービスをしている。

半額セールもあるから今日は是非とも焼肉を。

てな、感じ。





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2018年08月28日

  山椒が効いた麻婆麺


ある日のランチ。

注文したのは、山椒たっぷりの麻婆麺であった。


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ピリ辛で山椒が効いた麻婆麺は無茶苦茶死ぬ程に美味しかった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯


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ニラレバ炒めが最高に美味しいのであった。





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大航海時代にヨーロッパの帆船が世界各地の港を往き来した。

GPSも正確な海図や経緯測定技術もないのにちゃんと港へたどり着いている。

北半球だと北極星、南半球だと南十字星を目安とした。

厄介な事に、南にはニセ十字もあるので(これを見間違えるととんでもない方向に

なる)それと季節ごとの天体の位置関係も把握をしていれば、どうにかなると。

高い知識が無いと大変。

大英帝国が「日の沈まない帝国」となったのは正確な地図・海図の作成があった。

莫大な賞金を賭けてまで正確な時計(マリンクロノメーター)を開発した事により

正確な測地を可能とした(これにより、正確な地図・海図の作成をした)事である。

この名残とも言えるのが、世界地図における経度0°が、ロンドン・グリニッジで

ある。

同じく広大な植民地を持っていたフランスと、経度0°を巡り対立もあり、

古地図には、フランス・パリが経度0°というのもある。

また、科学的な根拠に基づいた気象観測と天気予報も大英帝国が始めた。

天候悪化、嵐で、艦隊全滅とか目も当てられない。

正確な測地が出来ないと(正確な海図が必要)、そして自艦・自艦隊の位置の把握

が出来ていないと、ただ単に目的地を間違えるだけでなく、船による往来が増える

と船や艦隊同士での衝突のリスクが出て来る。

これに濃霧など、天候の悪条件も重なると……。

実際に、イギリスでは艦隊同士での衝突事故というあったそうだ。

経験があるからこそ、ちゃんとしようと取り組みをした。











レコンキスタと十字軍の違い。

レコンキスタはイベリア半島にまで住み着いたイスラム教徒を追い出す「国土回復

運動」

十字軍は中東にあるキリスト教の聖地であるエルサレムを奪うための「聖地奪回」

両方イスラム教徒とキリスト教徒の戦いではあった。

でも、「出て行け」と戦ったのと、攻めに行ったのは戦いの方向は異なる。

十字軍はいろいろな十字軍があり、同じキリスト教徒でも異端者を攻めた十字軍も

あった。

一応第1~9回までの十字軍がメインだが、第4次十字軍はアレキサンドリアの

イスラム教徒と戦う予定だったのにいろいろあって、ギリシャ正教のビザンチン帝

国の首都を攻め滅ぼし、ラテン帝国を作ってしまった。





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2018年08月27日

  美味しい蕎麦


ある日のランチ。

この日は蕎麦を食した。


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この蕎麦。

無茶苦茶最高に美味しかったぜ、ベイビー!!











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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鶏の手羽先の照り焼きが真剣に美味しいのであった。





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「ベルサイユのばら」で描かれてる時代。

「三銃士」で描かれてる時代。

「ジャンヌ・ダルク」で描かれてる世界、年代。

最も古いのはジャンヌ・ダルク。

フランス最初の王朝であるカペー朝が絶え、分家のヴァロア家がカペー家の血を

女系で引くイギリスのプランタジネット家と王位を争っていた百年戦争の時代で

ある。

年代にすると1430年前後。

日本は室町時代の最盛期に当たる。

次は三銃士。

ヴァロア朝も絶え、カペー家の別の分家だったブルボン家が王朝を継いだ

時代である。

時は有名なルイ14世の父、ルイ13世の時代。

年代にすると1600年代初頭。

ちょうど江戸幕府が成立して大阪の陣が行われた頃。

最後がベルサイユのばら。

ベルサイユとは、先述のルイ14世がパリの近郊に築いた壮大な宮殿。

時はフランス革命前夜。

国王はルイ14世の5代後の子孫、ルイ16世。

年代にして1790年前後で、江戸時代の後期。

ファーブル昆虫記はベルサイユのばらから更に100年ほど時代が下り19世紀後半。

革命とナポレオン戦争、王政復古などを経て、第三共和制の基にあったフランス。

百年戦争の時のフランスの軍の兵制度。

百年戦争も長いのでその間に兵制も変化した。

この変化が後のフランス絶対王政に繋がるほど重要だったりした。

事前知識で当時の英仏の王はどちらもフランス人だった。

だから英国は毎年の恒例行事のようにフランス王に立候補しては拒否されるを

繰り返していた。

百年戦争はこれが始まりと言えないほど、大昔から英仏は小競り合いを繰り返して

いた。

大陸側でもフランス諸侯とフランス諸侯が勝手に戦争していたり、中にはフランス

王と戦うフランス諸侯もいた。

つまるところフランスはイングランドを含めた戦国時代の群雄割拠だった。

それで当時の戦争はイベントやスポーツ試合のようなものだった。

スポーツ選手が試合がないと失業して給料が入らないように、戦争を適度に起こし

て上げないと騎士は活躍の場をなくして失業してしまう。

王や君主というのはスポーツ興業主で、騎士はスポーツ選手なのである。

敵国とされている君主や団体とやる場合は戦争に、自国内でやる場合は騎士試合

(トーナメント)が行われた。

トーナメントという語も元はこの騎士試合という意味だった。

となると軍隊の主力の騎士はスポーツ選手だから高給取りだし契約を結ばないと

来てくれない。

というより現代のスポーツシステムは殺し合いがないだけで当時の騎士とあまり

変わらない。

例えば移籍とかもあった。

フランス王と契約更新されなかった騎士はイングランド王に付いて戦い、契約が

終わったらまたフランス王に付いたという人もいる。

それでも誰も裏切りだとか言わない。

現代のスポーツ選手が移籍するのと同じ気分。

騎士は相手の騎士を下すと彼を人質にしておき、身代金という形で相手から金銭を

得て、それを報酬に生きていた。

戦争や試合イベントに出るかどうかは騎士が決められるが、スポーツ選手同様に

あまり出たがらない人は契約してもらえないので積極的に呼ばれたら行っていた。

戦争主の王や君主達は先ず騎士を呼び集めるところから始める。

「戦争します参加騎士募集」とか「試合します」と告示(実質命令)して来てもら

うのだが、「病気でいきません」「今都合悪いです」と断る人もいた。

なので集まり具合は王の催すイベントがどれだけ自分達に有利で稼げるかで

決まった。

主力の騎士とは契約を結んだ。

一般的には「戦いの号令には従う」「背信行為なし」だけで戦い方の指示は

できない。

命令不可である。

試合のゴーサインが鳴ったら、後は引き上げ命令を出すまで騎士は各々自分達の

判断で戦う。

命令は受け付けない。

例えば馬降りて戦えとか、こうしろとかはできない。

ただ戦えとしか命令できない。

そもそも命令伝達手段があまりないことも原因である。

結局王の命令を忠実に守るのは王の傘下にいる騎士や兵だけということになる。

彼らは王を守る代わりに戦争に参加できなくても報酬をもらえたりした。

こんなのが主力の軍隊だから、まともに軍隊として機能するはずもなく言ってしま

えば運動会の騎馬戦状態だった。

さて雑兵達だが、彼らは農民から強制徴収もされた。

これは各騎士が戦争イベントに行く時に自領から連れてくる場合もあれば、王が

集める場合もある。

つまり誰でもOK。

参加したい意思があれば定員まで足腰が弱くなければ誰でも参加できた。

大抵は募集を掛ければ食い詰め人が沢山寄ってきて兵隊には事欠かないのだが、

これには罠がいくつかあった。

この罠のせいでフランスは統一国家になり、絶対王政を開花させたとも言える。

英仏百年戦争の戦場はずっとフランスだった。

イングランド軍はフランス大陸とイングランドから雑兵を集めて戦争に行く事が

できたが、フランス軍側は自領からしか雑兵を集められなかった。

戦争は百年ずっとやっていたわけでなく、閑散期がある。

当時は戦争中に雇って終わったら解雇なので無職になる。

今でいうスポーツ試合の日雇いバイトスタッフみたいなもので、終わったら次の

仕事は自力で見つけないとならない。

しかし当時は農業社会。

農民になる以外に仕事はないが、一旦兵隊になって1年でも空けると畑は無く

なってるし土地はダメになっていて農民に戻れない。

でも戦争がないので仕事がない。

それで彼らはその土地で強盗になって盗賊団を形成して荒らした。

戦争では騎士や村を焼いたり、脅したり戦争で土地が荒れたりしたが、戦争で領土

に一番ダメージを与えるのは戦後のこの無職になった盗賊団達の存在だった。

それでフランス王は諸侯(大名)達にこう提案する。

「また戦争起こすから雑兵を集めてくれ。俺はスペインで戦争するからそこに捨て

てくる。でもそれには多大な遠征費が掛かるからおかねを少しずつ俺に寄付して

くれないか」自領から盗賊がいなくなるなら、これは良い事だとして領主たちは

カネと兵隊をフランス王に与えました。

これが全国徴税と天下統一、そして絶対王政の始まりである。

フランスは他の諸侯からカネと兵隊が取れる。

これが常態化してついにはフランス王独裁が可能になったのである。

但し全国徴税はシャルル5世(税金の父)が王太子時代に王(父)がイングランド

に囚われて遊んでいたので、「王を救うのに全国徴税する権利がある」として

行ったのが最初。

それは定着しなかった。

実際に百年戦争中にはスペインとポルトガルを舞台にイングランドと戦争して、

盗賊を雑兵として雇ってそのまま捨てて来た。

当然だが、この雑兵に階級などというものはなかった。

あってもその都度違うほどである。

今のスポーツ試合でスタッフやってる日雇いバイトだから、階級とか上下は多少

あっても総じてバイトで一括り。

なお当時の雑兵は捕虜にならずすぐ殺された。

農民も自国民であっても簡単に殺していた。

(残ると盗賊になるため)

一方騎士身分は囚われている間、かなり豪華な生活が約束されていた。

お客様待遇。

彼から飲み代金という名の報酬を受け、それが確認されると解放される。

ジャンヌダルクも騎士身分だったためあれほど派手にしないと処刑できなかった。

この捕虜待遇が非常に良かったので、フランス王ジャン2世(シャルル5世の親)

はイングランドにわざと複数回捕まってフランスに帰ろうとしなかった。

それを言い訳としてシャルル5世は「王が捕まって身代金が大変だから皆で出し合

おう」と何度もできた。

出兵や戦争は命令できない騎士が率いたりするので、ほとんど無意味。

というかバラバラである。

甲冑もバラバラだし戦い方の訓練もされていない。

強いて言えば城や常雇の数少ない連中は訓練されていたりしたが、彼らは特殊事例

でほとんどはその都度集められていただけ。

なのでパイクとか場合によってはクロスボウなど、扱いが簡単な武器を持たせた。

パイク(槍)に至っては長すぎて振り回すこともできないため、正しく持って

立っているだけとなった。

フランスではないが、イングランドではフランス人が少数派で、みんな身内みたい

な王家と諸侯家だったので、王家がお願いすれば騎士達は馬を降りてくれた。

馬を降りて歩兵になった騎士達はメンアットアームズを組み隊列を作ってフランス

騎士軍を抑えた。

その隙に後衛の農民弓兵が射撃し、一方的勝利を得たりした。

しかしフランス騎士はそれをみても下馬を強要されるなら帰ってしまったので、

いつも大敗していた。

このように王も誰も命令できない軍隊としてはお粗末なのが中世の騎士社会の

軍である。

百年戦争後に限定するならば火器、長弓の普及でそれまで騎士として戦争で活躍し

ていた貴族の優位性がなくなった。

中世という広い時代で見るならば

・貨幣経済の浸透で賦役をとりやめ、地代を貨幣や生産物でとるようになり農民の

蓄財が進んだこと。

・戦乱や飢饉の頻発、東方貿易経由でのペストの流入、波及に伴い、

農村人口が減少したことで領主による農民への身分的束縛が緩められたこと。










芥川龍之介の「点鬼簿」

芥川はこの『点鬼簿』で自己が抱いている「人生のはかなさ、苦しさ」を嘆息して

描いた。

発狂した母は無残な人生だった。

夭折した姉は短くあっけない人生だった。

実父は人生を頑張り通したが、決して平穏で穏やかな家庭は築けずに、

最後は思い出話をして寂しく落命した。

芥川の自伝でもある『点鬼簿』は、すでにその後の芥川の終焉を感じさせている。

芥川は最後に「いったい彼ら三人の中では誰が幸福だっただろう」と記して

いるが、本人は誰もが不幸だったと思っていたと感じる。

そして更には、生きること自体いかなる意味があるのかを考えるのに、

自信を無くしてしまったのであった。

丈草の句「陽炎や塚より外に住むばかり 」は、寿命の短いカゲロウは、

塚に入っていても出ても同じだという意味。

結局生きても、生まれなかったと大して変わらないではないかという、

芥川の生きる自信の喪失を象徴した句なのである。

『蜜柑』

この作品は、今から100年近くも前の話。

娘は、小学校を卒業したばかりで、12才、その春、生まれて初めて家族の元を

離れて遠くの町へ奉公(いわば就職先)に行くところ、汽車に乗ったのも

生まれて初めてか、家は百姓で貧しい、両親や祖父母は百姓仕事で忙しいので、

幼い弟や妹の子守はずっと娘の仕事だった、そんな境遇の娘が小学校を

終えたらすぐに奉公に出るというのは、当時は別に珍しい事ではなかった、だが、

両親にとってはとても心配だったに違いない、でも止めさせられない、

せめてできること、汽車に乗る前に蜜柑を買い与えた、「汽車の中でお食べ」、

娘はその蜜柑を手にして汽車に乗る、幼い弟や妹たちは、ずっと子守してくれた

姉と別れたくなくて、でも改札口までは連れて行ってもらえない、で、家から

一番近い踏切まで行こうと、汽車に向かってありったけの声で

「ねえちゃ~ん」と繰り返し叫んだ、大声で泣きながら、娘はたった12才の少女、

でも弟や妹の「姉」でもあった、親が買ってくれた蜜柑、それを自分よりも、

幼い弟妹に食べさせてやろうと投げてやった、親の愛情のこもった蜜柑に、

姉としての愛情を添えて。

一方、勤め先から帰宅しようと乗車していた「私」、近代的自我とやらの

取扱いに悩むインテリが、最初は疎ましく思った娘の行動に、親子・姉弟妹の

持って生まれた自然の情愛の熱い発露を目にし、そこに、無学な連中としか

思っていなかった庶民の中の素朴な美しさを見て、衝撃を伴う思わぬ清涼感と

一抹の敗北感を感じた・・・

『鼻』

禅智内供は、弟子が教わってきた方法で鼻を短くする事ができた。

ところが、そんな時分に対する周囲の人間の反応が変であるのに気づいた。

「内供ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。

しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。」

おかしなものを見る表情でじろじろ鼻を眺めたり、自分が他所を向くと笑い

出したり。

どうも、鼻が長かった時よりも陰険な笑い方をされている・・・

「――前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。」

顔がわりしたせいでないのなら、他の何が原因で “あのようにつけつけと”

笑うのか?

それが「この問い」、ということ。

『河童』は、昭和初期の社会風刺小説。

これは、ある精神病院の患者、第23号が語る話である。

という文言から小説は始まります。

男が、登山をしている途中に穴に落ちて、河童の世界へ足を踏み入れてしまう。

そこは、私たち人間が真面目に思うことをおかしがり、取るに足らない事を真面目

に考える、いわば人間社会と真逆の世界だった。

例えば、女が必死になって男を追いかける姿、また、出産をする際には赤子に

生まれて来たいか聞き、生まれたくないと答えると薬を投与し腹をしぼませて

しまう。

という具合。

人間の世界では男が女を追いかけ、赤ちゃんを生むか産まないかは

親が決めている。

このような価値観の中、政治や宗教、資本主義などの事が人間社会と比較して

書かれている。

河童の世界を使い、芥川は近代社会を巧妙に風刺して行く。

男は、偏った価値観の河童の世界に耐えられなくなり、人間社会へ戻って来る。

しかし、人間社会に戻った男は、河童と人間を比べ、河童の世界の方が

良かったと嘆く。

河童の世界へ戻ろうとしている所、警官に捕まり、

精神病院へ入れられてしまったのである。

男は全てを話し終わった後に、こう言う。

「出て行け!この悪党めが!貴様も馬鹿な、嫉妬深い、

猥褻な、図々しい、自惚れきった、残酷な、虫の良い動物なんだろう。

出て行け!この悪党めが!」

『河童』は、この、「虫の良い動物」である私たち人間の本質を

深く考えさせられる作品でもある。






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h_t_tomoto at 06:34コメント(0)トラックバック(0) 
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