2018年03月12日

  アルピナ・8世初参加


3月3日の土曜日『ホテルニューオータニ大阪』で大手ゼネコン主催の講演会が

あった。

講演会は2時半から始まった。

私は少しだけ参加してその後いつもの様に飲み歩きをした。

この日のお供はアルピナ・8世であった。

アルピナ・8世とはJR京橋駅の改札口前に3時半に待ち合わせをした。

私は3時20分頃に到着をした。

するとアルピナ・8世は既にそこに立っていた。

流石はTちゃま倶楽部のメンバーだ。

Tちゃま倶楽部のメンバーはほんまに真剣に時間厳守なのであった。

と言うか、私は時間を守らない人間には絶対に近づかない。

聞くと、どうやらアルピナ・8世は2時半頃には京橋に到着していたみたいだ。

そして本日訪問する予定のお店を事前に観察していたと。

そして京橋の街の散策もしていたと言う。

この辺は皆には見習って欲しいと真剣に思うのである。

先ず向かったお店は『ホルモン 徳いち』であった。

ここは『食べログ』で3.58と高得点だったので前々から気になっていた。

それで今日チャレンジする事にした。

ところが 『食べログ』を見ていると予約も出来ずに常に行列が出来ている

みたいであった。

アルピナ・8世が『自分が2時半過ぎにお店を覗いたら何とか二人は入れる様で

した。

今はどうでしょうか』と言った。

『ホルモン 徳いち』の前に来た。

すると二人が立っていた。

アルピナ・8世がその二人に『何時頃から待っているんですか』と聞いた。

するとその二人が『5分前からです』と答えた。

俺が『さてと、どうするか』とつぶやいた。

そして俺が『まあー、ここおは諦めて、予定通り、直ぐに入れなかったら、居酒屋

の京屋本店へ行こう』と言った。

我々の飲み歩きは常に事前に全てを相談しながらお店を決めている。

そんな感じでこの日の1軒目は居酒屋の『京屋本店』であった。


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店内に入るとわりとお客さんが入っていた。

入った瞬間に雰囲気からここは京橋でもかなりの人気店だと思った。

まあー、言えば、相合橋商店街にある『正宗屋』みたいな感じだろう。

我々は左手の奥のカウンター席に座った。

先ずは『サンクロンミンVゴールド』で乾杯をした。


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乾杯ー!!

この『サンクロンミンVゴールド』小さな瓶だがむっちゃ強力である。

引き続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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注文した料理

昭和の昔ながらの風情のある居酒屋で一番に注文するのはどて焼きと決まって

いる。

先ずは何が何でもどて焼きから注文するのが昭和の居酒屋の文化そのものだ。

そんな感じで、先ずはどて焼きから注文した。

それから刺身、串かつ、天ぷら盛り、焼き鳥、おでん、ポテサラと続くのが極々

普通の流れである。

Tちゃま倶楽部の飲み歩きはいつも5軒ハシゴする。

年のせいか最近この5軒がわりとええ感じでしんどくなってきているのを自覚する

様になっている。

それで『京屋本店』での注文内容が明らかにカロリー控えめな感じになった。

どて焼きの次はシラスの和え物とか冷奴とか茶碗蒸しとか……。

ほんまめっちゃ弱気な攻めであった。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『京屋本店』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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マーボー春雨が無茶苦茶最高に美味しいのであった。





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三国志の司馬一族が建てた晋(西晋)は何故すぐに崩壊してしまたか。

武帝(司馬炎)の死後、長子の恵帝が継いだが暗愚であったので、皇后の賈后と

その一族が実権を握り、そのため武帝の兄弟や、武帝の子(恵帝の兄弟)の司馬氏

一門に激しい内紛が生じた。

この一族の争いは、八王の乱(290~306年)へと発展し、晋は急速に衰退、中国は

再び分裂の時代に入った。

この八王の乱の際、それぞれの勢力が、兵力として北方民族を導き容れて傭兵と

しため、次第に彼らが華北に進出する契機となった。

北方民族は五胡と言われ、様々な系列を含んでいたが、華北の農耕地帯への進出を

それぞれねらっており晋の統制が効かなくなるにつれて活動を活発にしていった。

そして、311年、五胡の一つの南匈奴が晋の都洛陽に侵入、永嘉の乱となり、

316年に西晋は滅亡した。

武帝がおこなったという封禅の儀式。

武帝は7代目皇帝とあった。

漢武帝の他にも、太古の三皇五帝や始皇帝などが行っているが、どのような様式で

行ったのかはよく解っていない。

・霊山とされる泰山で行われる事

・泰山の頂上に土壇を築いて天を祀る

・泰山のふもとの丘を平らにして地を祀る

という事が基本とされているが、儀礼として何が行われたかははっきりとは解らな

いという事。

この封禅は、天命を受けた君主が「天子」として即位した事を天地に報告して感謝

し、天地の加護を受けて泰平の世を開く為に行われた。

天子それも徳のある聖天子しか行う事は出来ないと考えられていた訳だから、記述

として残す様な事は余りしなかった。

始皇帝の時代には既にどのような方法だったか解らなくなっていたのだが、漢武帝

の時も故実を知るのに苦労していた様だ。

漢の武帝は7代目の皇帝だが、漢王朝の創始者は「劉邦(高祖)」である。

初の統一を果たした秦の始皇帝の死後に多く起こった秦への叛乱に加わった農民

出身の人物である。

秦を滅ぼした後に漢の王となり、同じく秦への叛乱に立ちあがり覇王(楚王)と

なった「項羽」と戦って、統一王朝を建てた。

この漢王朝の7代目にして、西域(中央アジア)や朝鮮半島などを征し最大版図を

獲得したのが武帝(劉徹)である。

因みに中国史において「武帝」という諡号を贈られた皇帝は何人もいるので、漢の

武帝・漢武帝と呼んで区別する事が多い。






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h_t_tomoto at 06:28コメント(0) 

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