2018年05月15日

  トッピングはカツ


ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、カツカレーであった。


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カツカレー

別にカツでなければならないと言う訳ではない。

トッピングが海老フライでも良い。

アジフライでも良い。

唐揚げでも良い。

イカフライでも良い。

それでもやっぱりカツが一番ええと思う訳で。

まあー、自分好みのトッピングをすればええと思うが。

でも、やっぱりカレーのトッピングはカツでしょう。

って、なんのこっちゃー。(^^♪











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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ベーコンのグラタンが真剣に美味しいのであった。





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高麗の建国者である王建は主家である新羅王家の金氏を厚遇した。

李氏朝鮮の創始者・李成桂は1392年に高麗最後の王・恭譲王から王位を奪い、

主家である高麗王家の王氏を根絶やしにした。

この理由には、二つの背景がある。

〇新羅→高麗と移り変わった時代は、まだ10世紀初頭の頃。

古代中国王朝の交代(殷→周、秦→前漢、後漢→魏など)にも見られたが、

前王朝の王族は滅ぼさず、僻地に移したり、権力を剥奪して軟禁したりして

生かしている。

また、古代朝鮮でも百済が滅んだ際、百済王族は唐に連行されましたが殺されては

いない。

更に、同じ時代の平安日本も死刑がないような時代で、天皇への反逆罪に

問われても、遠島などで済んでいる。

おそらく、まだこの時代はライバルを殺すと怨霊に祟られるような意識が東アジア

全域にあったのかもしれない事が背景にあるかもしれない。

〇また、新羅→高麗への移行は短期間で移り変わったものではなく、朝鮮半島の後

三国時代と言われている様に「新羅」「後高句麗」「後百済」が対立し、それを

王建が統一するプロセスを経ているので、「新羅」や「後百済」の遺民を円滑に

支配するには、新羅元王家(後百済元王家も)を厚遇する政治的演出も必要だった

ものと思う。

一方、李成桂の場合、元々が高麗の武官(公式的な記録上は少なくとも)で、

比較的に短期間で高麗から王位を簒奪し、王となっているから、さっさと危険分子

を消す必要があったからと思われる。





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h_t_tomoto at 06:34 
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