2018年05月24日

  腹パンパン状態


その後向かったお店は『炭火焼肉 炎KICHI』であった。


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店内に入るとわりとお客さんが入っていた。

我々は入り口に近いテーブル席に座った。

早速注文をした。

注文は、

ロース(680円)とカルビ(680円)であった。

直ぐに生ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!


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ロースとカルビ

正直『中華料理 大幸 香里園店』で八宝菜を半分ぐらい食べている時点で

腹パンパン状態になっていた。

『炭火焼肉 炎KICHI』の並の肉は見た目と違ってめっちゃ柔らかくて美味しい。

これは素直な感想である。

ところがこの日のこの時点でもう食べ物を見るのも嫌になるぐらいに腹パンパン

状態であった。

ほんまに無理からのそれでも焼肉食べるのかって感じだったので。

ほんまにごめんな的な感じで焼き肉を食べたもんやから

美味しいもくそおもなかった。

普通なら普通に美味しいと言いたいことろが。

ほんまにごめんやで『炭火焼肉 炎KICHI』

次回はちゃんとしたコンディションで訪問する。

猛牛ポーズをした。

猛牛ポーズ!!

そんな感じの『炭火焼肉 炎KICHI』であった。




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ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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マグロの漬け丼が想像を超える美味しさでびっくりした。





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① 唐滅亡後の中国を再統一したのが北宋

② 北宋、現中国東北区に建国された金国によって首都開封陥落時の皇帝や

皇族など金に連れ去られる (靖康の変という)

③ 北宋のある皇族が逃げ延び、臨安 (現杭州) を首都として南宋

 (およそ長江以南が領土) を建国











洗衣院は金の官営の妓院(売春施設)。

金王朝は女真族が建てた国で、女真族は後の満州族の先祖ですので、現在の国籍で

は確かに中国の中の少数民族のひとつ。

しかし、1000年前には漢族と別の民族とみなされていた。

漢族とは違う外国人の事。

1127年、金は宿敵・遼に対し同盟(海上の盟)を結んでいた北宋とその背信行為

(北宋は遼の残存勢力と結び金を牽制したりした)を理由に開戦し、北宋の

国都・開封まで陥落させる猛攻を仕掛けた。

これが靖康の変と呼ばれる事件。

国都が占領され、皇帝・欽宗をはじめ皇族もほとんど全員捕まった北宋は、

これによって一旦滅びますが、捕まった皇族や宮女・関係者たち11600人超

(『開封府状』の記載人数)は現在の中国東北部にある金の根拠地・会寧へと

連行されてしまいた。

上記の靖康の変は1127年だが、金の建国はそれから僅か12年前の1115年。

狩猟採取民であった女真族(初歩的農業や牧畜も行っていた)を完顔阿骨打が

統一し、僅か12年で大国・北宋を滅ぼしている。

靖康の変当時は第二代・太宗の治世だが、まだまだ北方遊牧・狩猟民族の気風を

十分に残している時代だった。

彼らの部衆統治の鉄則は、戦闘(戦争・戦役)に参加した者への戦利品の公平な分配

である。

中国(漢族)的な皇帝の絶対権を北方の遊牧民や狩猟民は持っていない。

褒美は皇帝(指導者)の恩恵によって“与えて貰う物”ではなく、公平な盟主(部族

連合の長)の公平な判断で、各自(各部族や支族、氏族などの単位)の功績によって

“分配されてしかるべき物”なのである。

金銀財宝、絹や工芸品、家畜、各種動産も貴重な戦利品ですが、捕虜も戦利品。

当然分配されてしかるべき戦利品として扱われることになった(我々日本人のよう

な農耕民にとって一番貴重な財産のひとつは土地・農耕地などいわゆる不動産

だが、遊牧民や狩猟採集民はこの意識が希薄。当時の金朝の有力者や部衆も

財産=隷属民や財貨などの動産と考えていた)。

『南征録匯』によると、捕虜となった女性達には値段が付けられた。

出自(皇室との近遠)や容貌で金額が設定された。平たく言えば、1万円の価値しか

付けられないブス10人より、11万円の価値を付けられた美女1人の方が、価値が

あった訳だ。「A将軍は100万円の手柄を立てたから、30万円分の金と50万円分の

絹、10万円の美女一人と1万円のブス10人を褒美に分配する」といった具合。

そうやって公平な戦利品の分配をした。

10万円と金額設定された女性をそのまま分配したら、受取る側(功労者である将軍

や部族長)には10万円しか分配しない事になるが、彼女を洗衣院に送り込んで1回

1000円の安値で100回以上客を取らせたら10万以上の“価値”を稼ぎ出す訳。

功労者に10万渡して、さらに自身で利益が取れるわけで、言うなればえげつない

公営の投資・利殖制度。

『呻吟語』や『燕人麈』には「戦利品の子女をもらった金の将兵は、そのほとんど

(90%)を娼婦として妓楼に送った」と記載されている。

つまり、捕虜女性は戦功者男性自身の性欲のためではなく(自分がもて遊んだあげ

くの他者への有料分配という場合もあったのだろう)、あくまでも利益を生み出す

財産として扱われた。

現在の道徳・倫理の基準で言ったらとんでもない事だが、当時の女真族をはじめと

する北方諸民族にある合理的な分配方法であり、揮下にある部族民の軍隊の統率と

社会秩序の公平な政策だった。

すでに首都を占領し滅ぼした異民族(女真族から見れば漢族は異民族)の敵国の権威

は十分に落ちていた。皇族や市井の子女を陵辱すれば、異民族の大衆の忠誠心は

失われるどころか逆に反感を生む。(実際に金は自身が支配地域とした華北の反乱

に手を焼き、北宋が南方に遷った南宋との戦争状態に苦しんだ)

敵国の皇族関係者の捕縛や捕虜女性の分配や売春強要は、敵国民の忠誠心に打撃を

与える目的の外交戦略の一環などではなく、自国の戦争功労者への利益分配という

国内問題を目的に行われたいわば内政政策だった。

『靖康稗史箋証』は南宋の確庵が編纂した捕虜女性達の消息。

複数以上の証言や典拠によっている点で現在の歴史学会でも高評価を受けて

いたが、それを見たであろう南宋の士大夫たちの憤懣も想像できる。

いつの時代であっても残虐で無慈悲な政策というのは長期統治や国勢の増大には

不利である。

近代以前に中国が日本を侵略するのは地理的・交通手段的に極めて困難。

元寇等など失敗例しかない。

実例がないので“日本が敗戦していたら”という仮定は全く無意味。





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h_t_tomoto at 06:31 
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