2018年05月28日

  カツオ出汁の濃厚さ


ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、鴨出汁そばであった。


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鴨出汁そば

カツオ出汁の濃厚さと鴨が絡み合って最高に美味しいのであった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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ピーマン肉詰めが滅茶苦茶柔らかて真剣に美味しいのであった。





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宋の国は武力が弱かった。

一つは相対的に強力な隣国を抱えていたから。

北宋時代の最大の敵であった遼はモンゴル系遊牧民の強力な騎馬軍団を有して

いた。

南宋時代は初期には金、後期にはモンゴルと相対した。

金は女真人の国で、女真人は1万人集まればかなわない、と称されるほどの強力な

騎馬民族だった。

モンゴルは説明不要。

元々春秋戦国時代から中国側の勢力は北方遊牧民に対して常に劣勢だった。

だから宋だけがやたら弱かったという訳ではない。

因みに、遊牧民国家というと中国側のバイアスがかかって野蛮人の国というイメー

ジがあるかもしれないが、実際は単純に野蛮という訳ではない。

遊牧生活は非常に合理性を重んじるので、柔軟で合理的という特徴を持っていた。

度々、北方遊牧民は中国にも侵入し、中国文化などを吸収しつつ成長していた。

遼は主力軍は重装騎兵で、製鉄などの技術力もかなりのものだったし、統治システ

ムもそれまでの遊牧国家のノウハウを生かした合理的なものを持っていた。

中国だから宋の方が圧倒的に文化レベルが高いと考えるのも先入観に惑わされて

いるというべきかもしれない。

ただ、宋代の軍隊の質が低かったのは事実。

宋代は募兵制によって兵を集めていた。

この募兵に応募した人々というのが、今でいえば失業者のような立場の人達だった

のである。

つまり、農民でしっかりと土地を持った人間ならわざわざ兵士などにならなくても

いい訳である。

社会的なエリートを目指すような人なら科挙受験を考える。

宋代のことわざに、「よい鉄は釘にならず、よい人間は兵士にならない」という

ものがある。

つまり、釘はクズ鉄から作ったということで、兵士になるように人間は社会的な

クズだという認識があった。

そのため、兵士の質が非常に低く、強力な軍事力をほこる遼や西夏との国境地帯に

は、膨大な兵士を配置しなければ防衛できないという悪循環を生み出した。

更に大兵力を必要としたため財政難を生み出し、それが北宋の致命傷となって

しまった。

因みに、科挙官僚が社会的エリートでしたので軍の指揮も主に科挙官僚が担いた。





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h_t_tomoto at 06:36 
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