2018年05月31日

  海老まみれの海老天丼


ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、海老天丼であった。


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海老天丼

天つゆが無茶苦茶最高に美味しいのであった。

天ぷらも衣がさくさくでめっちゃ軽くて真剣に美味しいのであった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は『天丼・天ぷら本舗 さん天 四条畷店』で海老天丼をテイクアウトした。

ついでに『イオンモール四条畷』で海老の天ぷらを買って来た。

さん天の海老天丼に海老の天ぷらをトッピングした。


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これが海老まみれで無茶苦茶最高に美味しいのであった。







5月30日(水)中日 1-5 オリックス

【勝】金子千尋 【敗】鈴木博

金子千尋がエースの本領発揮!

7回1失点の好投で逆転勝利を呼び込む!





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宋王朝は中国が一番中国らしかった時代らしい。

テレビで歴史の専門家が、『我々がイメージする典型的な中国をもっとも表して

いたのが宋王朝時代です』と言っていた。

『典型的な中国のイメージ』というものは人それぞれ。

前後の文脈によってどういう意図で言ったかも解らない。

・集権が強まり、皇帝が絶対専制君主となった

・文治主義による文民統制が強化された

・生産力、経済力が高まり多くの商業・産業が生まれた

・庶民が娯楽・文化を享受出来るようになった

・中華思想、華夷の別など儒教的思想が強くなった(朱子学の誕生)

という事が宋代の特色ではなかったかと思う。

もちろん、個々の事象については宋以前に類例がある事も多いのだが、宋代は

上記した要素が確立・強化されており、後の時代に引き継がれる制度・慣習

・文化・思想が多かったという事になる。

要するに、宋代とそれ以前の中国はかなりの面で違っており、宋以降は踏襲されて

いるものが多いという事。

多分、その専門家さんの言葉はそうした趣旨からの発言だったと思うのだが……。

まず、宋代の劇的な変化は「科挙による官僚制」の整備と定着だったと思う。

隋代から始まり、唐でも採用されていた官吏登用試験である科挙は、宋代に至って

整備され、科挙の及第者がそのまま重職に就く事が慣例化していっている。

この科挙の最終試験である「殿試」は皇帝が同席する形で行われていたように、

科挙官僚たちは「皇帝直属の部下」であった。

それまで、実際に政治主導・国家運営に当たっていたのは、王族・外戚・重臣と

その子孫などの「貴族層」であり、その貴族の中には皇帝すら凌ぐ権勢・実力を

持った者もいた。

唐が「安史の乱」などの節度使の専横によって大きく国力を失ったように、

皇帝以外の者が土地を支配し軍勢を持っている状況が中国では当たり前であった。

その為に「簒奪・禅譲」などが多かったのだが、宋代の科挙官僚による政治主導は

そうした事態を防ぐものだった。

皇帝直属の官僚によって地方統治や軍事も統括する事で、皇帝への集権を強化し

貴族層の台頭を防いだ。

この支配層の交代などを含めて「唐宋変革」と呼び、科挙官僚による国家運営は

清朝の滅亡まで続く政治制度となっている。

宋はそうした官僚による文民統制が行き過ぎた結果として、北半分を失ったり王朝

そのものが滅びたりしているが、「武官・武将が官僚の指示・決済があって初めて

軍を動かせる」という制度は後の王朝でも採用されている。

また宋代は多くの技術革新があった時代だった。

稲・米など農作物の品種改良が進み、江南地帯の開発も進んだ事で、生産力が

大きく向上している。

漁業・鉱業・工業などでもそれは同じであり、例えば石炭・コークスなどは宋代に

普及したもの。

大火力が得られるコークスの使用により、製鉄技術なども向上しているのだが、

これは銅銭・鉄銭などの貨幣の鋳造にも役立っているし、調理法の革新にも

繋がった。

こうした生産力の拡大は、それまでの第一次産業のみの経済構造を変え、

第二・第三次産業も育成している。

世界初の紙幣とされる「交子」が造られた背景には、そうした生産・工業力の発展

があったからであり、その為に経済も好況となったという事。

こうした経済の好況は庶民の生活にも恩恵を与えている。

庶民に文化・娯楽を楽しむ余裕ができ、大多数の人間が農民であるような社会構造

ではなくなったという事。

先述した第三次産業による娯楽や文化などを庶民が享受できたのが宋代だと思う。

唐では「犯夜の禁」として許可の無い夜間の外出は禁じられていたのだが、

宋代ではそんな事は無く、歓楽街は不夜城のようだったと記録が残っている。

現代の中華料理もその原型が全て宋代にあると云われているが、概ね庶民が貨幣流

通経済を担う事が出来た時代は宋代が初めてなのではないか。

遼・金・モンゴルウルスなどの台頭で、対外的には苦しい状況だった事から、

華夷の別を説く観念的な朱子学が盛んになっていたりはするのだが、

宋は経済大国であり文化大国でもあった。

それまでの漢や唐などの大帝国が主に軍事力によってアジアの大国であったのとは

対照的だが、そうした意味でも宋は特異な王朝であったかもしれない。





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h_t_tomoto at 06:28 
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