2018年06月13日

  ただただ笑うだけ


その後向かったお店は『酔虎伝 森之宮店』であった。


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入り口で俺は『付き出し、カットでもいいですか』と聞いた。

すると店主が『いいですよ』と言ったので中に入る事にした。

もしも『それは困ります』と言っていたら入る事はなかった。

店内に入ると結構お客さんが入っていた。

我々は2階の座敷に案内された。

早速注文をした。


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注文は、若鶏唐揚げ、だしまき、鉄板焼きそばであった。

直ぐに生ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!


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若鶏唐揚げとだしまきと鉄板焼きそば

典型的なチェーン店の味わいで全く違和感なく安心しながら美味しく頂けた。

こう言う居酒屋のチェーン店はほんまに全く外れがないので安心できるので

あった。

1階で支払いをしてると女性店員が『ブログやってはりますね。動画もやってはり

ますね』と言った。

俺はただただ笑うだけであった。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『酔虎伝 森之宮店』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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マグロのお寿司が最高に美味しいのであった。











ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、つけ麺であった。


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つけ麺

濃厚は出汁で食べるつけ麺は無茶苦茶最高に美味しいのであった。





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モンゴルで「Hyatad」が「中国」を指す事になった詳しい経緯。

モンゴル語で中国の事を「Hyatad」と言う。

漢化してしまった契丹族が「中国」を指すようになったと漠然と理解している。

Hyatad の語自体には今も昔も蔑視感はない。

匈奴以来の遊牧民の農耕民に対する偏見はあったであろうが、Hyatad の呼称とも

契丹人の漢化とも関係ないことは確か。

元朝のモンゴル人は、宗教と民族に寛大で、耶律楚材のような契丹人も漢人も

(アフマッドやマルコポーロのような色目人も)重臣に登用しており、聖書や仏典

のモンゴル語訳とならんで儒教文献のモンゴル語訳もしており(孟子の蒙訳断簡が

現存)、フビライ汗などは漢詩まで作っているし、チンギス汗は長春真人を招聘し

ており、それほど漢人契丹人=Kitad を蔑視していたとは思われない。

モンゴル人やウイグル人が近代的な意味で中国人を嫌うようになったのは、清末以

降の民族意識の成立以後、とくに20世紀に入ってからのこと。

清朝が冊封体制にかえ植民地政策をとるようになり、独立意識が高まったことが

最大の理由。

モンゴルは実際に独立したが、新疆は東トルキスタン共和国が中華民国・人民共和

国によって複数回弾圧された。

その辺の歴史が、ウイグル語の Hitai が差別語になった理由であろう。

本来 Hitai は地理名称にすぎない。

古代ウイグル語では中国を Tabgach (拓跋の原語)と呼ぶが、これも華北を支配

した北魏などの鮮卑人の代表的な拓跋部をもって地理名称としたもの。

元朝以降のウイグル人が中国を Tabgach にかえて Hitai と呼ぶようになった

のは、単にチャガタイ汗国のモンゴル人がその地域と人をそう呼んでいたから。

ロシア人が Kitai というのも同じ。

モンゴル人の Kitai/Kitad も同じく単なる地理地域名称だったにすぎない。

そもそも中世モンゴル人には、契丹人が漢化されたというような認識もなかったと

思われる。

Kitad という一つの呼称で呼んでいることからも、契丹人と華北漢人を区別して

認識していなかったのではないだろうか。

モンゴル部を含むタタル族は数百年間、遼金に属しその支配を受けるが、彼らの

支配者は単に Kitad で Kitad内部の種別を区別しなかったから、ただ Kitad と

呼んだのだろう。

ウイグルの Hitai に当たるような定番の差別呼称というものはないと思う。

(地元ネーティブしか知らない隠語俗語は各方言にあるはずだが)

nangiad がそういう文脈で使われることがあるが、全く関係なくも使われるので、

現代語では差別語ではないとしかいえない。

---

さて、中世モンゴル語の Kitad/Kitan/Kitai は、もちろん「契丹」を指した。

世界史で、元朝のモンゴル人が「漢人」と「南人」という区別をしていた。

モンゴルが女真族の金朝を滅ぼした後、金朝の遺民を「漢人」と呼び、後で滅ぼし

た南宋の遺民を「南人」と呼んだ。

中世モンゴル語ではこの「漢人」が Kitad で、「南人」を Nanggiyad と言った。

Naggiyad の語源は、おそらく漢語「南家 nangya」にモンゴル語の複数 -d をつけ

たもの。

この言葉は、現代モンゴル語にも Nangiad という形で残っていて、意味は

「中国の」、つまり Hyatad と同じになってしまっている。

「南人」の差別的意味もなく、単に雅語古語にすぎない。

では、なぜ「漢人」を Kitad と呼んだかというと、遼はもと契丹国と号し、

契丹国人は契丹族に征服された漢人も含めてみな「契丹人」だった。

金朝の女真人が遼朝を征服した後、遼の遺民の「契丹人」はそのまま金朝に

使えて、金朝の人口の大きな部分を「契丹人」(契丹族と漢族)が占めていたので

ある。

それで、モンゴル人は、遼の時代に「契丹人」を Kitad と呼んだそのまま、

遼が金にかわっても、その地に住む人を、契丹人も漢人も少数の支配層の女真人も

ひっくるめて、Kitad と呼ぶようになったと想像される。

その後、金朝遺民の契丹人は漢人に同化されたが、華北平原の漢人はそのまま

Kitad と呼ばれつづけ、現代に至っている。

更にその後、元末から明にかけて、漢人と南人の区別がなくなると、Kitad は漢人

全体の意味になり、明清を経て現代に至る。

清朝の時代には、モンゴル人はみな清朝の属民であり、清朝は五族協和(満漢蒙藏

回)の多民族国家で、Kitad ははやり漢族だけを指した。

現代の内モンゴルで Kitad を漢族の意味で使うほうが本来の意味。

Kitad を中国全体の意味で使う今のモンゴル国の使い方は、モンゴル国が1912年に

中国から独立し、1921年のモンゴル革命を経て、清朝中国の政治文化からの分離に

よって生じたもの。





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