2018年06月14日

  中々お目にかかれない


JR森之宮駅前からタクシーに乗って京阪香里園駅前まで移動した。

そして向かったお店は『炭火焼肉牛味苑』であった。


DSC06250


DSC06251


DSC06252


DSC06253

一応予約は入れておいた。

店内に入ると結構お客さんが入っていた。

我々は入り口近くテーブル席に座った。

早速注文をした。

注文は、ロースとカルビと伊万里牛ハツ(心臓)であった。

直ぐに生ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


DSC06254

乾杯ー!!


DSC06255


DSC06256


DSC06257


DSC06258


DSC06259


DSC06260


DSC06261

ロースとカルビと伊万里牛ハツ(心臓)

ロースとカルビは全く並のレベルを超越した肌艶の美しさに感嘆するばかりだ。

この値段でこの美味しさは流石は石原牛次郎だと改めて思い知らされるので

あった。

ハツも全く癖がなくて素直に美味しく頂けた。

これ程に美味しいお肉をこの値段で提供してくれる焼肉店は京阪香里園駅界隈では

中々お目にかかれない。

『炭火焼肉 牛味苑』の力を感じるのであった。

猛牛ポーズをした。


DSC06262

猛牛ポーズ!!

そんな感じの『炭火焼肉 牛味苑』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


DSC06135


DSC06136


DSC06137


DSC06138


DSC06139


DSC06140


DSC06141


DSC06142


DSC06143

アサリ豆腐が無茶苦茶最高に美味しいのであった。











ちょっと遅い目のランチをした。

早速注文をした。

注文は、野菜炒め定食であった。


07f6fd84

野菜炒め定食

極々普通の野菜炒めではあるが空腹時に食べると滅茶苦茶美味しく感じる。











米朝首脳会談は成功なのか。

トランプ大統領の握手や最初の1分間で分かるとの見所があった。

予定では署名は書かない予定だったらしい。

実りのあった会談だったのだろうか。

非核化は会談の争点の1つ。

韓国の宣言の完全非核化を徐々に行うとの事。

日本の拉致問題には署名には無かったものの会談で時間をつくり話あわれた事は

想像できる。

安倍総理に詳しい内容を電話会談で聞かれ日朝の間で解決の調整する事になる。

トランプ大統領は「我々はこれからも何度も会う」と述べられ金委員長を高評価を

された。

互いをけんせいしていた1年前から一転一回会っただけでトランプ大統領は金委員

長の人間性を見抜き1分間で察しがついたのであろう。

ホワイトハウスにも招く等と「友人」ではないもののたった5時間の会談で実りの

ある話ができたのであろう。

トランプ大統領は満足していた。

1回だけの首脳会談だけではなく「我々は何度でも会う」の発言は対話を続け

北挑戦との対話を重ねあわせて解決していく。

「プロセス」と発言された様に直ぐには完全には非核できない。

段階的に少しずつ非核していく「プロセス」

今回の史上初米朝首脳会談は成功に行われたと言っていいか。

事前のネタ合わせが足りなかった。

ロシアで行われるワールドカップ前のバタバタした時期なのでこんなもの。

日本の要求は、拉致被害者の全員帰国、核の全面廃棄、中長距離ミサイルの全面

放棄。

それらのひとつでも実現するだろうか。

北朝鮮側は金体制の永久的な保障。

アメリカは核兵器の放棄と長距離ミサイルの放棄。

そこに日本の出る幕があるのだろうか。










昨夜のオリックスバファローズの逆転は見事だった。

しかし、山岡泰輔は本当に大丈夫なのか。

だただた、それだけが不安の材料だ。







←ここを押して下さい!!

よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!

自分の携帯電話から。

自宅のパソコンから。

会社のパソコンから。

他人の携帯電話、パソコンから。

とにかく一杯押して下さい!!







 










フビライ(クビライ)は、モンケの死後、1260年にクリルタイを開き大ハーンに

即位した。

しかし、これはフビライが私的に開いたクリルタイなので、正当なものではないと

されている。

その後、アリクブケと帝位継承をめぐり争い勝利する。

結局、フビライが大ハーンになることで落ち着いたが、モンゴル帝国は分裂して

しまった。

もし、この帝位継承戦争がなかったら。

そもそも同じトゥルイ家のアルクブケとフビライのハン位継承争いの前にモンゴル

帝国は分立(分裂ではありません)しており、モンゴル帝国の分裂とは無関係で

あり、アルクブケがフビライに勝利していても、オゴタイ家のハイドゥの乱は

回避されず、結果は同じくモンゴル帝国は分裂していた。

1227年のチンギス=ハン死後、ジュチ、チャガタイ、オゴタイ、トゥルイの4人の

息子達の間で先ず争いが起き、1229年にオゴタイが第2代に選出された後も内紛が

絶えなかった。

第3代はオゴタイの子グュクが継承するが即位後すぐに死に(毒殺説が今は定説)、

1251年に第4代にトゥルイの子モンケが即位した。

この時、オゴタイとチャガタイの一族は中央から排除されてそれぞれ独自のハン国

を建てた(オゴタイ=ハン国は間もなく消滅しますが、現在ではオゴタイ=ハン国は

そもそも無かったというのが定説で「4ハン国」ではなく「3ハン国」と表記されて

いる)。

また、ジュチ一族も中央から遠ざけられて西方に拠点を移して子のバトゥがロシア

遠征を行い1243年にキプチャク=ハン国を、モンケ=ハンの弟フラグは西アジアに

遠征し、中央で第5代に兄のフビライ=ハンが就任するとそのまま1258年に

イル=ハン国を建てた。

本家フビライ=ハンは拠点を中国支配に移し1264年に都を大都に移し1271年に国号

を元に改称した。

この段階で元と3ハン国の4国に分立したが、これは広大な領土を一族で分割統治す

る為のものであり、本家の元を宗主国として、他ハン国はそれに従属しましたので

分裂ではなかった。

トゥルイの第4子でフビライの弟のアルクブケは、1260年に兄の第4代ハンのモンケ

=ハンが南宋遠征中に急死した時、兄弟中で唯一カラコルムに残っていた為、急遽

クリルタイが開催されて第5代ハンに推挙された。

しかし、それより前にモンケ=ハンと同じく南宋遠征中だった兄のフビライも開平

府でクリルタイを開き第5代ハン即位を宣言していたので兄弟間のハン位争いと

なった。

チャガタイ家等がフビライ側につき、また第5代ハン位最有力候補者だったフラグ

は西アジア遠征中でキプチャク=ハン国との対立を控えていた為に動けず、アルク

ブケは実力に勝るフビライ軍によってカラコルムを奪われて1264年に投降した

(『元史』・『集史』等のモンゴル正史では正式なハンとして認められ第5代のハン

としてフビライと併置されていますので「アルクブケの乱」は間違った表現だが

いくつかの世界史参考書には掲載されている)。

そして、1300~1305年に元の大ハンに対して中央アジアを拠点とする一族の

ハイドゥが反乱を起きモンゴル帝国の分裂が決定的になった訳である。

第2代ハンのオゴタイ=ハンの孫であるハイドゥは、モンケ=ハン以降トゥルイ家

よりオゴタイ家は冷遇されていた為、1269年頃にフビライ=ハンに反旗を翻し、

1280年頃には中央アジアに独立政権を建てた。

1294年にフビライ=ハンが死ぬと、1300年から大軍を率いてモンゴル高原に侵攻し

元の第6代ハンのテムル=ハンと戦うがハイドゥは敗れてまもなく死んだ。

ハイドゥ死後も子供達が反乱を継承するが1305年に降伏して終結した。

中央アジアはチャガタイ家の支配が復活してチャガタイ=ハン国として安定し、

西のキプチャク=ハン国とイル=ハン国と並び、モンゴル高原と中国本土を支配す

る元帝国を宗主国とする「タタールの平和」が実現するが、この時に、

「モンゴル帝国は3ハン国と元の4国に分裂」した事になる。





←ここを押してください!!

h_t_tomoto at 06:29 
プロフィール

T-SIRLOIN

Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
  • ライブドアブログ