2018年07月03日

  こう言うホルモンも


『ボーノボーノ/Buono Buono (福島)』は本当に美味しかった。

この一軒でJR福島駅前とはお別れである。

その後JR環状線に乗ってJR京橋駅前まで移動した。

そして向かったお店は『京橋酒場 情熱ホルモン』であった。


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店内に入ると結構お客さんが入っていた。

一応予約は入れておいた。

我々は左手のテーブル席に案内された。

早速注文をした。

注文は、ハツ [豚:心臓]、タンもと [豚:喉部]、ツラミ [牛:頬肉]、

ヘレロースであった。

先ずは『トップグロンEX』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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ハツとタンもととツラミとヘレロース

俺は今まで焼肉店ではそんなにホルモンは注文しなかった。

ところが『情熱ホルモン』を利用する様になってからわりとホルモンに目覚めた

感じである。

特に豚のホルモンがええ感じで胃袋を刺激する。

正直『こう言うホルモンもあるんや』と生まれて初めての経験を楽しんでいる。

高級感溢れる甘味と旨味が凝縮された柔らかい牛肉にはすっかりと慣れてしまって

いるのが現状だ。

と言うか、そう言うお肉しか美味しいと思わなかった。

『情熱ホルモン』のホルモンは独特の臭みが全くない。

しっかりと歯応えがありながらその食感を楽しむ。

この年になってようやく理解した。

『ホルモンは歯応えを感じながら食感を楽しむのだ』と。

値段が安くて食感を楽しみながら安い生ビールを飲む。

こりゃー、チェーン店として、成功するわと思った。

『京橋酒場 情熱ホルモン』は今後も大いに利用したいと思った。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『京橋酒場 情熱ホルモン』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はカレーを食べる事にした。


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冷奴を食べながらのカレーが最高に美味しいのであった。





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マホメットの最初の帰依者は妻のハディージャ、従弟アリー、彼が解放した

奴隷ザイド、資産家アブー・バクル(マホメットの最年少の妻アイーシャの父)だ

そうだ。

アリーとバクルの初期イスラム史での役割。

クライシュ族は多神教だから、ムハンマドとはぶつかっている。

ムハンマドは、メッカのクライシュ族の一氏族である大商人のハーシム家に

生まれ、早くに両親に死別して、叔父のアブー=ターリブに養育される。

彼は自らを最後の預言者として、メッカの人々にカーバ神殿の主神アッラーを

唯一の神として崇拝し、神の恩寵とそれに対する感謝、喜捨などの善行の義務を

説いたが、メッカの人々、特に保守的な大商人層は、古来の部族神信仰(多神教)!

を否定するムハンマドを迫害し、ハーシム家との商取引をボイコットするなどの

報復を行った。

622年、やむなくムハンマドとわずか70名の信者がメディナに移住して難を

逃れた。

(これがヒジュラで、イスラーム暦紀元元年となる)

メディナにおいて預言者ムハンマドとその信者の共同体(ウンマ)が形成され、

信仰によって結ばれた戦闘力を持つようになり、630年にはメッカを武力で

奪回し、カーバ神殿の偶像を破壊して、新たにイスラームの聖地とした。

以後、彼の教えは急速にアラブ人に広がり、これによってアラビア半島の統一が

成し遂げられた。

ムハンマドの妻、ムハンマドがまだ商人として活動していた25歳頃、その取引先

の一人だった40歳の未亡人ハディージャと結婚した。

その後、ムハンマドは生涯で9人の妻を持つが、彼がイスラーム教の始祖となるに

はこのハディージャの存在が大きかった。

「気の弱い一介の商人マホメットを「預言者マホメット」として、しっかと立たせ

たものは他ならぬハディージャだったのである。

……誰一人として彼を信じる人がまだいないうちに彼女だけは全面的に彼を信じ、

彼の最初の信者となった。

メッカの商人たちの迫害を受け、絶望と悲惨のどん底に陥ったときも、彼女だけが

彼をしっかり支えて離さなかった。

ハディージャという妻が傍らにいなかったら、おそらくマホメットは新宗教の始祖

にはなれなかったであろう。」

<井筒俊彦『マホメット』講談社学術文庫>

ムハンマドは632年に没し、ウンマは最初の危機を迎えた。

そこで、ムハンマドの晩年の妻アーイシャの父アブー・バクルが、選挙(ムスリム

の合意)によって指導者に選ばれ、アッラーの使徒ムハンマドの代理人を意味する

カリフ(ハリーファ)を名乗った。

アリーもムハンマドの後継者の候補であったが、若年を理由に外されたと言われて

いる。

アブー・バクルは634年に病死し、ムハンマドの妻の1人ハフサの父ウマルが後継者

に指名された。

その後後継カリフに選出されたのは、ムハンマドの2人の娘ルカイヤとウンム・ク

ルスームを妻としていたウスマーンであった。

そしてウスマーンの後 アリーがカリフに就任するが、ムアーウィヤや、ムハンマ

ドの晩年の妻で初代正統カリフのアブー・バクルの娘アーイシャはこれに

反発した。

656年、アリーはまずアーイシャの一派をラクダの戦い(アラビア語: موقعة الجمل

mwaqah al-jamal)で退けた。

ムアーウィヤは、ウスマーンを暗殺したのはアリーの一派であるとして、血の報復

を叫んでアリーと戦闘に至った。

ムアーウィヤは、657年のスィッフィーンの戦いでアリーと激突した。

戦闘ではアリーが優位に立ち、武勇に優れたアリーを武力で倒すことは難しいと

考えたムアーウィヤは、策略をめぐらせてアリーと和議を結んだ。

この結果、ムアーウィヤは敗北を免れたことでウンマの一方の雄としての地位を

確保し、アリーは兵を引いたことで支持の一部を失うことになった。

なお アブー・バクル、 ウマル、 ウスマーンと、その次にカリフとなった

アリーの4代を、正統カリフという。

アリーは661年にクーファの大モスクで祈祷中にアブド=アルラフマーン・イブン

・ムルジャムにより毒を塗った刃で襲われ、2日後に息を引き取った。

正当カリフの初代のアブー・バクルは病死のようですが、後のウマル、

ウスマーン、アリーの三代はそれぞれ暗殺されている。

イスラム教は戦って勝ち取った宗教のようで、ムハンマドもその後も戦いの歴史の

上に成立する様で、簡単に回答しましたが、ややこしいので間違っているかも

しれない。





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h_t_tomoto at 06:31 
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Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
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