2018年07月24日

  安心感が癒しに


その後向かったお店は『京橋酒場 情熱ホルモン』であった。


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店内に入ると結構お客さんが入っていた。

ここも一応予約は入れておいた。

我々は奥ののテーブル席に案内された。

早速注文をした。

注文は、ハツ [豚:心臓]、タンもと [豚:喉部]、ツラミ [牛:頬肉]であった。

先ずは『チオビタゴールド』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き生ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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ハツとタンもととツラミ

『京橋酒場 情熱ホルモン』の接客はほんまにちゃんとしている。

だから安心しながらいつでも訪問できる。

最近京橋界隈で飲み歩きをする様になった。

その最大の魅力は飲み屋が多い事だ。

いろいろなお店を訪問したいと思っているが何や知らんが今のところは

『京橋酒場 情熱ホルモン』は必ず入るって感じだ。

まあー、これはこれで結構自分的には満足している。

特別に美味しいからではなくてほんまに安心するからだ。

この安心感が癒しに置き換えられるから滑稽なのであった。

『京橋酒場 情熱ホルモン』は今後も大いに利用したいと思った。

猛牛ポーズをした。

猛牛ポーズ!!

そんな感じの『京橋酒場 情熱ホルモン』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日はカレーを食べる事にした。


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結構辛いカレーが中々のパンチでむっちゃ美味しいのであった。





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読み逃げは厳禁ですよ――!!







 










ゲルマン民族が大移動する前にヨーロッパに住んでいたケルト人などの先住民族は

今はヨーロッパ大陸にはいない。

山奥か人里離れた秘境で何百年も独自のコミュニティを作って生きて来た。

日本の縄文人の様に。

後から来た民族と混血して今のヨーロッパ人になっているのかピレネー山脈中の

アンドラ。

そもそも「ケルト人」をどう定義するかと言う問題は実はあるが、一般的には

「インドヨーロッパ語族のケルト語派に属する言語を話している、あるいはかつて

話していた人達」という意味で使われる事が多いので、その定義に従えば…

1.ケルト語派に属する言語を今も話しているのは…

アイルランドで(学校以外で)ゲール語を日常的に話している人数は2011年のセンサ

ス(国勢調査のようなもの)で77,185人だった。

アイルランドの人口は約460万人だから約2%って事になる。

ウェールズでは、2011年のセンサスで「ウェールズ語が話せる」と答えたのは19万

人=人口の約20%だった。

但し、「話せる」と「日常的に話している」は別の事である点はご注意。

スコットランドには、スコットランド・ゲール語を日常的に話している人は

もういない。

ブルターニュでのブルトン語話者の数は、2011年のCNNの記事(↓)によれば、

「ユネスコの調査では25万人。但し(高齢化が進んでいて)毎年1万人ずつぐらい

減っている」のだそうだ。

ブルターニュの人口は330万人ぐらいだから、現在のブルトン語話者が20万人と

すると人口の約6%が話している、って事になる。

尚、ブルターニュの状況は良く知らないが、ウェールズにしろアイルランドに

しろ、日常生活でゲール語もしくはウェールズ語を使っていても、英語が話せ

ないって事ではない。

バイリンガルで日常的にはゲール語もしくはウェールズ語を使っている人が、

わりと特定の地域に集まっている、というイメージで考えると良いと思う。

言い換えれば、「隠れて住んでいる」のではない。

2.かつてケルト語派に属する言語を話していた地域&集団

実は、これもどう定義するかと言うの話はあるだが、既に挙げた現に今も話してい

る人がいる地域については、中世以降、北東側は英語(にごく近い言語)南西側は

ケルト語派でアイルランドからの移住者が持ち込んだゲール語が一般人レベルでは

話されていたスコットランドを除けば、それ以外は概ね18世紀ぐらいまではケルト

語派の言語が主流だった、と言って良いと思う。

ここまでが、一般的に「ケルト人」と呼ばれる事のある人達の過去を含めた

言語状況である。

現在のアイルランド人、スコットランド人、ウェールズ人、ブルターニュ人

(ブルトン人)を、ひとまとめにして「ケルト人」と呼ぶ人がいるのは、上記の様な

過去の言語状況が根拠になっているのであろう。

実は、かつてケルト語派に属する言語を話していた事が確実なのはこれだけでは

なかった。

イングランドでは、5世紀以降ゲルマン系の移住者(いわゆる“アングロ

サクソン”)が入ってくる迄は、全土にケルト語派に属するブリトン語を話す

ブリトン人が住んでいた。

アングロサクソンの侵入で、殺されたりウェールズやブルターニュに逃げたブリト

ン人も多かっただろうが、南西部を中心にイングランドに残ったブリトン人がいた

事も史料から分かっている。

が、総体としてはアングロサクソンに同化・吸収されたと言ってよいだろう。

ローマ時代のフランス&北イタリア&スイス、ローマ人がケルト人(ほぼ同義でガ

リア人)と呼んだ人達が、現在のフランス&北イタリア&スイス西部に住んで

いて、ローマ人の記録に残る人名や地名だけでなく、僅かですが碑文なども残って

いてケルト語派に属する言語が話されていたのは確か。

これらの人達の言語は、ローマ支配下で“ラテン語化”され、現在はフランス語な

りイタリア語なりを話している。

また現在のベルギーの住民も名前の分析からケルト語派に属する言語を話していた

事も確実視されている。

これらの人達はローマ帝国崩壊後にゲルマン人の侵入を受けたが、所詮支配者とし

ての少数者なので、『血筋』としてはローマ時代から大きく変わっていないはずで

ある。

つまり、現実には、“ケルト人”がケルト系言語ではない言語を話す様になった、

と理解できる。

尚、地名の分析から、かつてケルト語派の言語が話されていた地域はドイツなどよ

り広く広がっていたらしいのだが、これは省略。

また、ローマによって征服されたスペインでもかつてケルト語派の言語が話されて

いた地域がある事が分かっているが、これも省略。

ケルト人=ケルト語派に属する言語を話す(話していた)集団と定義すると、過去を

含め、こういう事になる。

全体として言えば、混血等で同化されたというよりは、言語が変わる事で、

ケルト語派の言語を話す人口が減って来て、今の様な分布になっている、と考えた

方がよいであろう。

(ご参考)

アイルランド人やウェールズ人は自分達を『ケルト人』と意識しているか?

『ケルト人意識は強い』どころか、ザクッと言えば意識していない。

当然『ケルト系であることを誇りにしている』訳もない。

これは、ある程度アイルランド人やウェールズ人と直接もしくは現地の新聞報道や

本などでコンタクトがあった人には常識だと思うのだが、『日本の「ケルト」受容

に関する一考察 -「エンヤ」以後の音楽を中心に』

(高松晃子・福井大学教育地域科学部紀要 第Ⅵ部 芸術・体育学(音楽編)

・第36号・2003年)からの引用。

同論文のP64にある、アイルランドの歌手ドロレス・ケーン の発言がある。

(厳密にはミュージックマガジン1997年7月号からの孫引き)

『アイルランド人にはケルトについての深い意識はありません。

スコットランドとかブルターニュを含めたケルト文化という意識もない。

ケルト人というよりもアイルランド人という気持ちの方が先にありますね。

ケルトと言った場合には神話的な響きを持ってしまって、いわゆる今の時代に

生きているものという認識から遠いんじゃないかしら』

同論文の筆者自身がこんな事を言っている。(P54)

『ところが、筆者は日本におけるこの「ケルト」呼称やそのブームに対しては、

ずっと違和感を持ち続けてきた。

スコットランドでは、住民たちの間に、自分たちが「ケルト人」であるという

認識がほとんどなく、スコットランド人としてのアイデンティティが強調される

ばかりだったからである。』

勿論、自分をケルト人と思っているアイルランド人やスコットランド人が独りも

いない、なんて事は言わない。

自分達の事を「ケルト人」と思っているアイルランド人、スコットランド人、

ウェールズ人は《相当少数派》って事である。

そもそも、ケルト系の言語を話す人達を一括りにして、(ローマ人の記録に残る)

ケルト人という言葉を借りて呼ぶのは、18世紀初めの学者が始めた事で、

18~19世紀のナショナリズム隆盛の時代に学者や知識人階級の中には広がった。

が、一般人にとっては、ずっと昔から自分達はアイルランド人なりウェールズ人な

りだと思ってきていて、急に学者が言葉が同じだ、って言い出したって、「なるほ

ど、自分達はアイルランド人じゃなくて、ケルト人だったのか…」なん中々

思えない。

現在、アイルランドのゲール語とウェールズ語はお互い通じない。

ギリシャ・ローマ人の記録に断片的に残る地名からすると、ローマ帝国時代から

おそらくそうである。

少なくとも2千年近くお互い言葉が通じなかった人達が、学者が「ケルト人」と

言い出したからと言って、なんで急に自分達をケルト人と思い出すのであろうか…

喩えると、仮に日本語と韓国語が同じ言語系統にある事が分かったとする。

そして、学者が、古代の史書に出てくる扶余という集団の名前をかりて、日本語と

韓国語を一まとめにして「扶余語」と呼んだとする。

そうすると、日本人や韓国人がそれぞれ固有の文化だと思って来たものを、なんで

もかんでも扶余文化(例:扶余音楽)とか言い出す外国人が出てきて、現在の日本

人や韓国人まで一まとめにして「君たちは扶余人って事を誇りに思っている

でしょ?」とか言い出す。

『ケルト人』について起きているのはこんな感じの事である。

紹介した『日本の「ケルト」受容に関する一考察』という論文も書いているが、

日本での『ケルト人』に関する知識は、1980年代後半のケルト・ブームの時に大量

に入って来た。

その時に「癒し」だの「神秘的」だのといった「ケルト」のイメージが、実際に

“ケルト人”(とその時以来呼ばれているアイルランド人など)とは全く関係なく、

出来上がってしまった。

また、元々ヨーロッパ史でもマイナーな分野である事もあり、日本に“ケルト人”

の歴史の専門家なんて、まぁ滅多にいないから、ヨーロッパの一般人向けの概説書

の翻訳や、雑誌編集者の様な“ライター”や職業は教授でもヨーロッパ古代史は

専門外の人がやっつけで書いたみたいな本が、続々出た。

後者だと(俗に“ケルト文様”とも言われる渦巻き模様を一つの特徴とする)ラテー

ヌ文化がケルト人の移動を示す、という「伝統的な」説にたちながら、ラテーヌ文

化よりもずっと古い、アイルランドのニューグレンジ、とか、イングランドのスト

ーンヘンジやフランスのカルナック列石などの巨石文化を“ケルト人”に平気で

結びつけてしまったりする。

が、ブームが一段落すると、出版される量も一気に減り、結果として、良くて

「かなり古い一般人向けの概説書」、後は(せいぜい言っても)玉石混交の種々雑多

な本だけ、というのが現状である。

原聖著「興亡の世界史 ケルトの水脈」(講談社学術文庫)

内容は本人の専門の関係上フランスに偏っているが、それでもここ30年ぐらいの

比較的新しい学説を反映した、日本では珍しい部類である。





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h_t_tomoto at 06:34 
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