2018年07月26日

  『炭火焼肉 牛味苑』はキャンセル


『ホルモン 徳いち』はほんまに美味しかった。

その後京阪京橋駅の西口出口に向かって歩いた。

懐かしいマクドナルドの前を通った。

ここは大学生の時によく入ったものだ。

少し歩いていると居酒屋の『徳田酒店 プロムナード店』の前を通った。

『徳田酒店』は京橋には何店舗かある。

おそらく3店舗ぐらいかな。

『徳田酒店』は京橋では非常に人気のある居酒屋で、まあー、言えば、

日本橋の相合橋商店街にある『正宗屋』に匹敵する。

店内を覗くと男性店員と目が合った。

その男性店員がピースサイン的なポーズをした。

『お二人ですか』と言っているポーズであった。

それで俺がOKのポーズをした。

俺は思わず『ラッキーやんけ。すんなりと入れる』と思った。


DSC07138


DSC07139


DSC07140

店内に入ると満席状態であった。

この活気溢れる賑わいが堪らなく心地よくなるのであった。

我々は奥のカウンター席に座った。

早速注文をした。

注文は、おばん盛り5種であった。

直ぐに生ビールが運ばれて来たので乾杯をする事にした。


DSC07130

乾杯ー!!


DSC07131


DSC07132


DSC07133


DSC07134


DSC07135


DSC07136

おばん盛り5種

味付けが無茶苦茶最高に美味しい。

全ての料理が手作り感が素晴らしくて最高に美味しいのであった。

そりゃー、これだけ人気があるなーとめっちゃ納得するのであった。

満足、満足の『徳田酒店』であった。

『徳田酒店』は今後も大いに利用したいと真剣に思った。

猛牛ポーズをした。


DSC07137

猛牛ポーズ!!

そんな感じの『徳田酒店 プロムナード店』であった。

その後京阪香里園駅前まで移動した。

そして『炭火焼肉 牛味苑』へ行こうとした。

しかしこの時点でむっちゃ腹一杯になっていた。

おそらく『徳田酒店』のおばん盛り5種が効いて来たのを感じ取る瞬間であった。

それで予約を入れておいた『炭火焼肉 牛味苑』へはキャンセルの電話を入れた。

そんな感じで7月21日の飲み歩きはこれで終了となった。

また来週ね。

京阪香里園駅前で猛牛ポーズをした。


DSC07141

猛牛ポーズ!!










ほんでもって、ある日のおうち御飯。


DSC07023


DSC07024


DSC07025


DSC07026


DSC07027


DSC07028


DSC07029


DSC07030


DSC07032


DSC07033

デカい冷奴が想像を超えた美味しさでめっちゃ満足するのであった。





←ここを押して下さい!!

よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!







 










フランク王国の発展

ゲルマン人の大移動の混乱の中で481年クローヴィスが北フラン地にメロヴィング

朝フランク王国を建国した。

クローヴィス)は全フランク人を統一し、496年にはカトリック)派キリスト教に

改宗した.8世紀になるとメロヴィング朝の権力が衰えて宮廷の長官である宮宰が実

権を握るようになった。

宮宰カール=マルテル)は732年、イベリア半島から侵攻してきたウーマイヤ朝の

イスラム軍をトゥール・ポワティエ間の戦いで撃退し、西方キリスト教世界をイス

ラム教徒の侵攻から守った。

それで、その子はピピン3世は751年にメロヴィング朝)朝を廃して王位につき、

カロリング朝をひらいた。

このピピン3世はローマ教皇の支持を受けたので、北イタリアのロンバルド王国か

らラヴェンナ)地方を奪い、これを教皇に寄せて、最初のローマ教皇領とした。

フランク王国はピピン3世の子カール大帝の治世に最盛期を迎えた。

カール大帝はイベリア半島のイスラム教に反対する遠征を行った他、北イタリアの

ロンバルド王国を征服し、また東方から移動してきたモンゴル系のアヴァール人

撃退し、さらに北東のザクセン人を服従させるようなドイツを征服して、西ヨーロ

ッパ地域の主要部分をほぼ平定するようにしました。

また、中央集権的な支配体制を整え、学芸を推奨しました。ローマ教皇レオ3世は

800年にローマ皇帝の帝冠をカール大帝に応じて、フランク王国をローマカト

リック教会の政治的保護者として、西ローマ帝国の復活を宣言した。

しかしカール大帝の死後内紛がおこり、その孫たちによって843年にヴェルダン条

約、ついで870年にメルセン条約が結ばれ、東フランク王国(ドイツ) - 西フラン

ク王国(フランス)、イタリアが成立して西ヨーロッパ世界の基礎が

できあがった。

しかし、外民族の侵入が激化カロリング朝があいつで断る絶望と王権は一気に弱体

化した。

領主間で自らの地位所領を確保するため、双務的契約により主従事を結ぶ

封建制作した。

ヨーロッパの封建制は古代ローマの恩貸地制と古ゲルマンの従軍制が結びついて

成立した。

領主の所領は荘園を単位とし、農民は農奴とよばれ賦役や貫納他、移住の自由が

ない結婚税や死亡税が課せられれ、教会にも十分な一税をおさめた。

西ローマ帝国は紀元前27年にオクタビアヌスが元老院から「アウグストゥス

(尊厳者)」の称号を受け、プリンケプス(第一市民)として事実上の帝政を

行ったのをスタートとする。

その後、ローマ帝国は巨大化するが、そうなると統治にいろいろと支障が

出て来て、結果395年に西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂する。

西ローマ帝国は476年に滅びる。

西ローマ帝国を滅ぼしたのはゲルマン人傭兵隊長のオドアケルでその背景には

375年より始まるゲルマン民族の大移動があった。

西ローマ帝国が滅んだ後、ゲルマン諸民族はローマ領内に進入しいくつかの王国を

建てるが、これらの興亡の末に西ヨーロッパに君臨したのがフランク王国である。

フランク王国はカロリング朝のチャールズ大帝(シャルルマーニュ)が800年委教

皇レオ3世からローマ帝国の帝冠を授けられ、西ローマ帝国の復活がなった。

ここにキリスト教と結合した西欧世界が現出した。





←ここを押して下さい!!

よろしくお願い申し上げます!!



h_t_tomoto at 06:33 
プロフィール

T-SIRLOIN

Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
  • ライブドアブログ