2018年08月01日

  トングは置いていない


居酒屋の『満ぞく屋』はほんまに美味しかった。

その後向かったお店は『ホルモン 徳いち』であった。


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この日のお供の的屋のたっちゃんには一度は一緒に『徳いち』に入って欲しかった。

それで何の迷いもなく『徳いち』を選択した。

今日も待たずにすんなりと入れたらええなと思いながら『ホルモン 徳いち』に

向かった。

『ホルモン 徳いち』の前に来た。

すると席が空いていた。

女性店員さんが『直ぐに用意しますので、しばらくお待ち下さい』と言って席の

調整をしてくれた。

ここはほんまに真剣に接客が素晴らしいのであった。

そうこういていると女性店員さんが『どうぞー』と我々を案内してくれた。

我々は左手のカウンター席に座った。

注文は、ハート、ハラミ、シビレ(膵臓)であった。

この日は『おすすめメニュー』のボードからは選択しなかった。

先ずは『チオビタゴールド』で乾杯をする事にした。


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乾杯ー!!

引き続き瓶ビールで乾杯をした。


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乾杯ー!!


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ハートとハラミとシビレ(膵臓)

この『徳いち』はホルモンを謳い文句にしている焼肉店。

流石だとしか言い様がないぐらいに真剣に美味しかった。

全てが全く臭みがなくて最高に美味しいのであった。

今後も大いにホルモンも注文したいと真剣に思った。

的屋のたっちゃんはこの日が初『徳いち』

その的屋のたっちゃんも『美味しいですね』と喜んでくれた。

また一緒に訪問したいと思った。

『徳いち』ではトングは置いていない。

それで焼き専門のお箸を用意した。


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つまり食べる箸と焼く箸が別々にする。

焼肉に限らず生肉全般に言える事だが、自分の箸(食べるのに使う箸)で生肉を

触ってはいけない。

「生肉を焼き網にのせる箸」と「焼けた肉を取って食べる箸」は別のものでないと

いけないという事。

焼肉をしている時に皿から自分の箸で生肉を掴んで焼く人がいるが、それはダメ。

生肉には細菌がいる。

サルモネラ菌やカンピロバクター、大腸菌といった食中毒の原因となる細菌は、

鶏や豚だけでなく牛にもいる。

これらの菌は焼いてしまえば死滅するので何の問題はない。

しかし、トングや菜箸と分けておかないと、箸が媒体になってあっちこっちに

付着し、そのまま口に入れてしまうと生肉を口に入れるのと同じになってしまう。

これらの菌に感染すると激しい嘔吐や下痢など、所謂食中毒になるからだ。

生肉を掴んだ箸を口の中に入れてしまうと食中毒になる可能性があるからだ。

だから、トングが置いていない焼肉店では焼き専用の箸と食べる専用の箸の2種類

を必ず用意する。

これ、焼肉を食する基本中の基本である。

猛牛ポーズをした。


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猛牛ポーズ!!

そんな感じの『ホルモン 徳いち』であった。











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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焼いたハムが最高に美味しいのであった。





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よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!







 










1284年以来(~1714年)スウェーデンはフィンランドを公国として併合。

1380年(~1814年)デンマークとノルウェーは同君連合。

デンマークはアイスランド、グリーンランド、西インド諸島の一部、インドに

僅ながら植民地を持っていた。

1397年デンマーク(+ノルウェー)とスウェーデンはカルマル同盟を締結。

スウェーデンは1523年にグスタフ1世がデンマークのクリスティアン2世を駆逐し

ヴァサ王朝が成立し軍事大国への道を歩む事になった。

グスタフ2世アドルフは軍制改革を行い、欧州ではフランスと並ぶ軍事強国と

なり、三十年戦争に介入。

(現ラトビア東部、エストニア南部のリヴォニア、現サンクトペテルブルクのある

イングリア地方を併合)

その後もカール10世によりデンマーク領だったスウェーデン南部のスコーネ地方を

奪回、ドイツの西ポンメルンを併合。

カール12世も軍人王で若干18歳で僅かな兵力を率いロシアの大軍に包囲されたエス

トニアのナルヴァ城救出に向かい、見事にロシアの大軍を打ち破った。

しかしその後、ポーランド、デンマーク、プロイセン、ザクセンなどと同盟した

ロシアに巻き返されスウェーデンとしての勢力拡大は終わりを告げた。

スウェーデンも僅ながら欧州以外に海外領土を持っていた。











1054年に起きたキリスト教の分裂はローマ教会と正教会の相互破門といわれるもの

である。

なぜ、そのように至ったのか。

ローマ帝国の時代にまでさかのぼる。

4世紀のミラノ勅令でキリスト教はローマ帝国の国教となった。

しかし、余りにもローマ帝国は広かったので主教座をローマ、アンティオキア、

アレクサンドリア、エルサレム、そしてコンスタンディヌーポリの5箇所に

置いた。

その後、ローマ帝国は東西に分裂したのだが、480年に西ローマ帝国が滅亡をして

しまった。

一応、ローマ帝国の東西の分裂は、単に広大な領土を有効に統治するための便宜に

過ぎないと考えていたため、東ローマ帝国の皇帝の主権は西ローマ帝国の滅亡後、

西欧地域にまで名目上及んでいたと考えられていた。

しかし、実際の主権が及ぶ事はまれで、その必要性から、ローマ教会の長である

ローマ教皇に西欧地域での行政権を認める事になった。

その後、イスラームの隆盛によって、アンティオキア、アレクサンドリア、エルサ

レムの主教座は廃されてしまい、コンスタンティヌーボリの教会の権威が相対的に

強まって来た。

5つの主教座があった頃から、教義の解釈などに相違が生れつつあり、双方で協議

し、どれが正統な教義の解釈であるのか?という会議が幾度となく行われた。

しかし、イスラームの隆盛は、キリスト教に影響を及ぼし、特に、イスラーム側か

ら聖像崇拝に対して、偶像崇拝ではないのか?という非難を受けた。

実際に、モーセの十戒でも、偶像崇拝を禁止されており、次第に、キリスト教の内

部からも、聖像破壊主義を認める者が現れ、皇帝レオーン3世は、聖像破壊命令を

出した。

しかし、コンスタンティヌーポリはギリシアに近く、古代ギリシアの文化の影響を

強く受けており、聖像を破壊する事に反対する聖職者も多くいた。

そのため、皇帝は、聖像破壊に対して反対する者を投獄したり迫害をするが、

それを怖れた多くの修道士が、ローマへと逃げ込む事態になった。

ローマ教会では、このような聖像破壊に対して、非難を表明し、特に東ローマ帝国

内でも、反発が強く、キリスト教社会は混乱に陥った。

この混乱を収拾したのは、皇后エイレーネーが聖像破壊主義を否定した事によって

一旦、収束に向かった。

しかし、時同じくして、西欧地域ではフランク王国などの発展によって、ローマ帝

国の支配の及ばない独自の発展をして来た。

そのため、ローマ教皇と東ローマ帝国皇帝との間の確執も相まって、政治的には

東ローマ帝国、宗教的にはコンスタンティヌーポリとは距離を置く様になった。

そして、800年、ローマ教皇はカール大帝に対し、ローマ皇帝として戴冠を行い、

独自の政治路線を歩む事が決定付けられた。

当然、東西の交流は衰退をはじめ、ローマ教会の独自の教義が発展して来る。

そして、その教義の相違が著しく現れる様になって来た。

1054年、コンスタンディヌーポリ総主教とロマ総主教座=ロマ教皇は、ローマ教皇

の権威・権限や、コンスタンティヌーポリ総主教の称号が意味する権威についての

理解の差が使節交換の際に顕現した事がきっかけになり、「相互破門」に至ったの

である。

西ローマ帝国の滅亡とイスラームの隆盛によって、ローマ教会とコンスタンティヌ

ーポリ主教座に政治的にも宗教的にも距離ができた。

その後、ローマ教会は独自の政治路線を歩み始め、東西の交流が衰退し、ローマ教

会は独自の教義が発展していった。

その結果、東西教会の権威、権限について差異が決定的となり、相互破門へと

繋がったということになる。

しかし、1054年の相互破門は、実は、キリスト教の分裂とするのは、

少々誤りがある。

というのは、東ローマ帝国はイスラーム勢力によって逼迫し、皇帝はローマ教皇に

援軍を依頼する。

十字軍遠征である。

ところが、1205年に行われた第4回十字軍遠征で、正教会下にあった東ローマ帝国

を異端(教義の違いが顕著であったため、ローマ教会側から見れば、正教会の教義

は異端として映ったため)として、十字軍が攻め帝国が滅亡してしまった。

これにより、東西の分裂は決定的となった。





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h_t_tomoto at 06:43 
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