2018年08月04日

  創意工夫されていた


この日はカレーライスを作る事にした。

使ったルウは五種類であった。


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この日の材料は『業務スーパー 枚方高田店』で買って来た極々普通の国産牛

約3.0㎏と玉葱とじゃが芋であった。


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これらをいつもの大きな鍋の中にルウと一緒に入れた。

後は鍋が勝手に美味しく作ってくれるのであった。


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そんな感じのカレーライス。


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スタッフの皆と一緒に食べるカレーライス。

これがむちゃくちゃ美味しかった。

ほんまにえげつないほどに美味しいのであった。

この絶品のカレーを食べると幸せ一杯の気持ちになる。

まさに至福の喜びを感じるカレーライスなのであった。

カレーは2013年6月28日の金曜日から作り始めた。

エドワード・エルガーの威風堂々はよく入学式や卒業式の入退場で使われている。

最初の楽章が作られたのは1901(明治34)年。

我が国には、どう考えても英国式軍隊の影響から伝わって来たと考えても良いのだ

が、司馬遼太郎の『坂の上の雲』にもあるように、我が国が英国に軍隊の基礎を学

び始めたのは、それよりももっと以前の事である。

そこで次に考えられるのは、それよりも少し時間が経って、嘗て英国の植民地で

あったアメリカの陸軍士官学校で、この威風堂々が卒業式の生徒への「はなむけ」

のマーチとして演奏され出した事が、アメリカ経由で我が国に伝わって来たものと

思われる。

確か第6楽章が付け加えられたのは、1931年くらいだったと思うが、明治時代頃に

は既に坪内逍遥先生が、日本語の訳詞を付けているので、卒業式の景気付けの曲と

いうよりは、まだ軍隊のマーチのお手本として使われていたのではないだろうか。

第I次世界大戦の時(大正時代)には、我が国も連合国として、英国の同盟国

だったし。

瞬く間に我が国では、お得意のモノマネ上手で、陸軍では「敵は幾万ありとても」

海軍では世界中で今も使われている名曲「軍艦マーチ」が作られたので、昭和時代

にはもう、威風堂々はマーチとしては使われなくなったのではないだろうか。

それから第II次大戦敗戦後は、瞬く間にアメリカナイズされた為めに、英国よりも

アメリカのマーチ王スーザの行進曲が運動会などを中心に席巻してしまいた。

今でも卒業式などの行進曲として使われているとしたら、昔アメリカの陸軍士官学

校などの卒業式に使われた、という歴史に依るものだろう。

野口英世は自分の伝記を読んで これは嘘だ!と言ったそうだ。

私生活ではお金と女性にだらし無かったと聞いている。

「坪内逍遥の書いた小説の主人公の境遇が自分と重なり」という坪内逍遥の小説と

は「当世書生気質」である。

この中に登場する「野々口精作」という学生は、明らかに本名の「野口清作」を

あてこすった、というより完全にそのものズバリ実名に近い名前でその放蕩ぶりを

暴露されたわけで、逍遥なんて大物にまで書かれるほど「札付き学生」として有名

だった、ということになる。

で、この小説で悪名が轟いてしまったため、「英世」と名前を改めたと言う。

どうも反省したとか心を入れ替えたというよりは、「オレは一世の英雄なんだ、

文句あるか!」と開き直った感じがする。

野口英世には「賊軍の会津の生まれ」「田舎者」「貧乏人」「東大も出ていない」

「所詮は本流の学者でない」という世間の偏見に対する怨念と反発が生涯つきま

とい、その「なにくそ!」という気持ちが「業績を挙げてやる、有名になってやる、

世間にオレを認めさせてやる」という強烈なエネルギーとなり、超人的な研究に

向かわせた、ということは間違いなく言えると思う。

そういう「反骨の人間」であることは本人は充分も自覚していたから、功なり名を

遂げた後で、世間が手のひらを返して自分をまるで聖人君主のように持ち上げる事

に「ふざけるな」と感じるのも当然と思う。

自分がどれだけのルサンチマンを抱えてここまで来たか、結局それが見えないのか

世間ってヤツは、と思った事であろう。

野口は「目立つ研究」のみを選び「名を挙げる」ことに執着した人物であったのは

確かなようだが、それが信じられないエネルギーを産んだのも事実。

彼の「前のめり」の研究成果の多くはのちに否定されるが、それは結果論であり、

成果を捏造したわけでもなく、医学の発展に大きく寄与したことは疑いない。

「ここまでの成果が、聖人君主にできるものか」というある種の自負を英世本人が

持っていたであろうことは確かである。

自分という人間を、まるごと認めさせたかったのだと思います。








昨日のお昼に用意されたのは『大阪キャッスルホテル』の『あやめ』と言う弁当で

あった。


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あやめ


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いろいろと創意工夫されていてバラエティーに富んだ中々美味しい弁当であった。

これならリピートしてもええなーと思った。








『トップワールド香里園店』で『宮崎産の鰻の蒲焼』を買って来た。


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あっつあつの御飯の上に『宮崎産の鰻の蒲焼』を乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

鰻の蒲焼の独特のタレがしっかりと主張されている。

柔らかい食感が非常に心地良くなる。

タレの旨さと心地よくなる美味しさがこれ以上にない満足感を生み出す。

『宮崎産の鰻の蒲焼』も無茶苦茶最高に美味しいのであった。








『万代寝屋川宇谷店』でマグロの切り身を買って来た。

マグロの切り身を漬けにした。


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とりあえず炊き込み御飯を作った。


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炊き込み御飯の上にマグロの漬けをトッピングした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

極々普通のマグロを漬けにする事で味わい深くなる。

このマグロの漬けと炊き込み御飯が絡み合って最高に美味しいであった。








ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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餃子が無茶苦茶最高に美味しいのであった。








今週のおかず。





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そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。





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アッシジの聖フランチェスコはある時期放蕩な生活を送っていた。

その後、神の道に入って聖人にまでなった。

アトスの修道士だったと思うが、曰く、神に従うものというのはアリ地獄のような

罠にはまるのに似ている。

はまるとずるずると抜けられない罠を仕掛けるのは神で、その罠に落ちる人が神に

従う人である。

ただ、一般の罠にかかるのはよくないことだが、この罠にかかるのは悪いことでは

ない。

運命的なことは確かにあっただろうが、そのチャンスというのは本当は誰にとって

も同じだと思う。

その罠に引っかかってその時に取り得る態度というのは人によって違うかも

しれない。

福音書に書いてある通り、あまりにも荒れた土地で、せっかく蒔かれた種の芽が

育たずに終わる人もいるであろう。

なぜそんなことが起きるのかというと、結局のところ神が真実だから、ということ

である。

彼だけ特別なものを見たわけではない。

ビザンツ帝国を滅ぼしてフランス人主体のカトリック教国であるラテン帝国をした

からみたいである。

ギリシャ正教とカトリックは犬猿の仲だった。

イスラム教徒の前にギリシャ正教会の国家が無くなったことは喜ばしかったので

あろう。

一応、「来年はアレクサンドリアに行くぞ!」で、コンスタンティノープルを攻め

たことは寄り道にした。

実際はアレクサンドリア行きはうやむやになり、実行されることはなかった。

国を建国(乗っ取った)したのだから、支配権を確立するためには軍隊も必要だし、

別の土地に戦争に行くのは実質無理。

インノケンティウス3世は頭は良かったようだが、現場を知らなかったから、

ヴェネツィアのエンリコ・ダンドロに振り回されてしまったようだ。

先ずヨーロッパ史殊に中世史で"破門"と言うと直ぐにカノッサ事件を連想為る

訳だが、実はカノッサ事件の様なケースは極めて稀な例で、大抵の破門は政治的な

絶交の様なモノだったかと思われる。

例えば破門為れながらも十字軍の指揮官として遠征した、皇帝フレデリクス2世の

様な場合も在った。

国王や皇帝と違って直接的な兵力を持た無い教皇の側にして観れば、破門は唯一使

える武器の様なモノで、国王や皇帝に自分の言う事を聞かせる数少ない方策に成る

かと思う。

詰まり必要なら何度でも出す事に成る、日本史だと勅命や院宣の様なモノに

近かったとも考えられる。

13世紀は教皇が各国の内情への具体的な介入が積極的に成る時期で、ジョン王以

外にもフレデリクス皇帝や仏王フィリップ2世の様な名だたる王侯達がひしめいた

世紀に成るが、教皇の介入が却って各国の国内情勢を複雑化為せ、肝腎の十字軍の

方はお留守に成ると言う事もシバシバで在った事を考えた場合、コト十字軍に関す

る限りは教皇の介入は逆効果だったと言えるかと思われる。

インノケンティウス教皇がジョン王を破門にしたのは教皇庁のトップダウンに

ジョンが従わ無かった或いは抵抗した為と思われ、他方其のジョンを後日には改め

て支持したのは下からの突き上げ、詰まりボトムアップを封じ込める為と考えられ、

兵力を持た無い教皇が教会の利権を守る為には国王や皇帝を動かさ非るを得ず、

其の為に唯一使えたのが"破門"だったと言う事に成るかと思う。

詰まり破門以外に使える手が無い以上、事と次第に拠っては前後矛盾為る事が在り

得る事は必然だったかと考えられる。

11世紀の叙任権闘争辺りに始まった教皇の聖権と国王や皇帝との俗権の抗争は、

此の後16世紀の宗教改革の時代迄続く事に成る。





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h_t_tomoto at 06:30 
プロフィール

T-SIRLOIN

Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
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