2018年08月27日

  美味しい蕎麦


ある日のランチ。

この日は蕎麦を食した。


image6

この蕎麦。

無茶苦茶最高に美味しかったぜ、ベイビー!!











ほんでもって、ある日のおうち御飯。


DSC07636


DSC07637


DSC07638


DSC07639


DSC07640


DSC07641


DSC07642


DSC07643


DSC07644


DSC07645


DSC07646

鶏の手羽先の照り焼きが真剣に美味しいのであった。





←ここを押して下さい!!

よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!











「ベルサイユのばら」で描かれてる時代。

「三銃士」で描かれてる時代。

「ジャンヌ・ダルク」で描かれてる世界、年代。

最も古いのはジャンヌ・ダルク。

フランス最初の王朝であるカペー朝が絶え、分家のヴァロア家がカペー家の血を

女系で引くイギリスのプランタジネット家と王位を争っていた百年戦争の時代で

ある。

年代にすると1430年前後。

日本は室町時代の最盛期に当たる。

次は三銃士。

ヴァロア朝も絶え、カペー家の別の分家だったブルボン家が王朝を継いだ

時代である。

時は有名なルイ14世の父、ルイ13世の時代。

年代にすると1600年代初頭。

ちょうど江戸幕府が成立して大阪の陣が行われた頃。

最後がベルサイユのばら。

ベルサイユとは、先述のルイ14世がパリの近郊に築いた壮大な宮殿。

時はフランス革命前夜。

国王はルイ14世の5代後の子孫、ルイ16世。

年代にして1790年前後で、江戸時代の後期。

ファーブル昆虫記はベルサイユのばらから更に100年ほど時代が下り19世紀後半。

革命とナポレオン戦争、王政復古などを経て、第三共和制の基にあったフランス。

百年戦争の時のフランスの軍の兵制度。

百年戦争も長いのでその間に兵制も変化した。

この変化が後のフランス絶対王政に繋がるほど重要だったりした。

事前知識で当時の英仏の王はどちらもフランス人だった。

だから英国は毎年の恒例行事のようにフランス王に立候補しては拒否されるを

繰り返していた。

百年戦争はこれが始まりと言えないほど、大昔から英仏は小競り合いを繰り返して

いた。

大陸側でもフランス諸侯とフランス諸侯が勝手に戦争していたり、中にはフランス

王と戦うフランス諸侯もいた。

つまるところフランスはイングランドを含めた戦国時代の群雄割拠だった。

それで当時の戦争はイベントやスポーツ試合のようなものだった。

スポーツ選手が試合がないと失業して給料が入らないように、戦争を適度に起こし

て上げないと騎士は活躍の場をなくして失業してしまう。

王や君主というのはスポーツ興業主で、騎士はスポーツ選手なのである。

敵国とされている君主や団体とやる場合は戦争に、自国内でやる場合は騎士試合

(トーナメント)が行われた。

トーナメントという語も元はこの騎士試合という意味だった。

となると軍隊の主力の騎士はスポーツ選手だから高給取りだし契約を結ばないと

来てくれない。

というより現代のスポーツシステムは殺し合いがないだけで当時の騎士とあまり

変わらない。

例えば移籍とかもあった。

フランス王と契約更新されなかった騎士はイングランド王に付いて戦い、契約が

終わったらまたフランス王に付いたという人もいる。

それでも誰も裏切りだとか言わない。

現代のスポーツ選手が移籍するのと同じ気分。

騎士は相手の騎士を下すと彼を人質にしておき、身代金という形で相手から金銭を

得て、それを報酬に生きていた。

戦争や試合イベントに出るかどうかは騎士が決められるが、スポーツ選手同様に

あまり出たがらない人は契約してもらえないので積極的に呼ばれたら行っていた。

戦争主の王や君主達は先ず騎士を呼び集めるところから始める。

「戦争します参加騎士募集」とか「試合します」と告示(実質命令)して来てもら

うのだが、「病気でいきません」「今都合悪いです」と断る人もいた。

なので集まり具合は王の催すイベントがどれだけ自分達に有利で稼げるかで

決まった。

主力の騎士とは契約を結んだ。

一般的には「戦いの号令には従う」「背信行為なし」だけで戦い方の指示は

できない。

命令不可である。

試合のゴーサインが鳴ったら、後は引き上げ命令を出すまで騎士は各々自分達の

判断で戦う。

命令は受け付けない。

例えば馬降りて戦えとか、こうしろとかはできない。

ただ戦えとしか命令できない。

そもそも命令伝達手段があまりないことも原因である。

結局王の命令を忠実に守るのは王の傘下にいる騎士や兵だけということになる。

彼らは王を守る代わりに戦争に参加できなくても報酬をもらえたりした。

こんなのが主力の軍隊だから、まともに軍隊として機能するはずもなく言ってしま

えば運動会の騎馬戦状態だった。

さて雑兵達だが、彼らは農民から強制徴収もされた。

これは各騎士が戦争イベントに行く時に自領から連れてくる場合もあれば、王が

集める場合もある。

つまり誰でもOK。

参加したい意思があれば定員まで足腰が弱くなければ誰でも参加できた。

大抵は募集を掛ければ食い詰め人が沢山寄ってきて兵隊には事欠かないのだが、

これには罠がいくつかあった。

この罠のせいでフランスは統一国家になり、絶対王政を開花させたとも言える。

英仏百年戦争の戦場はずっとフランスだった。

イングランド軍はフランス大陸とイングランドから雑兵を集めて戦争に行く事が

できたが、フランス軍側は自領からしか雑兵を集められなかった。

戦争は百年ずっとやっていたわけでなく、閑散期がある。

当時は戦争中に雇って終わったら解雇なので無職になる。

今でいうスポーツ試合の日雇いバイトスタッフみたいなもので、終わったら次の

仕事は自力で見つけないとならない。

しかし当時は農業社会。

農民になる以外に仕事はないが、一旦兵隊になって1年でも空けると畑は無く

なってるし土地はダメになっていて農民に戻れない。

でも戦争がないので仕事がない。

それで彼らはその土地で強盗になって盗賊団を形成して荒らした。

戦争では騎士や村を焼いたり、脅したり戦争で土地が荒れたりしたが、戦争で領土

に一番ダメージを与えるのは戦後のこの無職になった盗賊団達の存在だった。

それでフランス王は諸侯(大名)達にこう提案する。

「また戦争起こすから雑兵を集めてくれ。俺はスペインで戦争するからそこに捨て

てくる。でもそれには多大な遠征費が掛かるからおかねを少しずつ俺に寄付して

くれないか」自領から盗賊がいなくなるなら、これは良い事だとして領主たちは

カネと兵隊をフランス王に与えました。

これが全国徴税と天下統一、そして絶対王政の始まりである。

フランスは他の諸侯からカネと兵隊が取れる。

これが常態化してついにはフランス王独裁が可能になったのである。

但し全国徴税はシャルル5世(税金の父)が王太子時代に王(父)がイングランド

に囚われて遊んでいたので、「王を救うのに全国徴税する権利がある」として

行ったのが最初。

それは定着しなかった。

実際に百年戦争中にはスペインとポルトガルを舞台にイングランドと戦争して、

盗賊を雑兵として雇ってそのまま捨てて来た。

当然だが、この雑兵に階級などというものはなかった。

あってもその都度違うほどである。

今のスポーツ試合でスタッフやってる日雇いバイトだから、階級とか上下は多少

あっても総じてバイトで一括り。

なお当時の雑兵は捕虜にならずすぐ殺された。

農民も自国民であっても簡単に殺していた。

(残ると盗賊になるため)

一方騎士身分は囚われている間、かなり豪華な生活が約束されていた。

お客様待遇。

彼から飲み代金という名の報酬を受け、それが確認されると解放される。

ジャンヌダルクも騎士身分だったためあれほど派手にしないと処刑できなかった。

この捕虜待遇が非常に良かったので、フランス王ジャン2世(シャルル5世の親)

はイングランドにわざと複数回捕まってフランスに帰ろうとしなかった。

それを言い訳としてシャルル5世は「王が捕まって身代金が大変だから皆で出し合

おう」と何度もできた。

出兵や戦争は命令できない騎士が率いたりするので、ほとんど無意味。

というかバラバラである。

甲冑もバラバラだし戦い方の訓練もされていない。

強いて言えば城や常雇の数少ない連中は訓練されていたりしたが、彼らは特殊事例

でほとんどはその都度集められていただけ。

なのでパイクとか場合によってはクロスボウなど、扱いが簡単な武器を持たせた。

パイク(槍)に至っては長すぎて振り回すこともできないため、正しく持って

立っているだけとなった。

フランスではないが、イングランドではフランス人が少数派で、みんな身内みたい

な王家と諸侯家だったので、王家がお願いすれば騎士達は馬を降りてくれた。

馬を降りて歩兵になった騎士達はメンアットアームズを組み隊列を作ってフランス

騎士軍を抑えた。

その隙に後衛の農民弓兵が射撃し、一方的勝利を得たりした。

しかしフランス騎士はそれをみても下馬を強要されるなら帰ってしまったので、

いつも大敗していた。

このように王も誰も命令できない軍隊としてはお粗末なのが中世の騎士社会の

軍である。

百年戦争後に限定するならば火器、長弓の普及でそれまで騎士として戦争で活躍し

ていた貴族の優位性がなくなった。

中世という広い時代で見るならば

・貨幣経済の浸透で賦役をとりやめ、地代を貨幣や生産物でとるようになり農民の

蓄財が進んだこと。

・戦乱や飢饉の頻発、東方貿易経由でのペストの流入、波及に伴い、

農村人口が減少したことで領主による農民への身分的束縛が緩められたこと。










芥川龍之介の「点鬼簿」

芥川はこの『点鬼簿』で自己が抱いている「人生のはかなさ、苦しさ」を嘆息して

描いた。

発狂した母は無残な人生だった。

夭折した姉は短くあっけない人生だった。

実父は人生を頑張り通したが、決して平穏で穏やかな家庭は築けずに、

最後は思い出話をして寂しく落命した。

芥川の自伝でもある『点鬼簿』は、すでにその後の芥川の終焉を感じさせている。

芥川は最後に「いったい彼ら三人の中では誰が幸福だっただろう」と記して

いるが、本人は誰もが不幸だったと思っていたと感じる。

そして更には、生きること自体いかなる意味があるのかを考えるのに、

自信を無くしてしまったのであった。

丈草の句「陽炎や塚より外に住むばかり 」は、寿命の短いカゲロウは、

塚に入っていても出ても同じだという意味。

結局生きても、生まれなかったと大して変わらないではないかという、

芥川の生きる自信の喪失を象徴した句なのである。

『蜜柑』

この作品は、今から100年近くも前の話。

娘は、小学校を卒業したばかりで、12才、その春、生まれて初めて家族の元を

離れて遠くの町へ奉公(いわば就職先)に行くところ、汽車に乗ったのも

生まれて初めてか、家は百姓で貧しい、両親や祖父母は百姓仕事で忙しいので、

幼い弟や妹の子守はずっと娘の仕事だった、そんな境遇の娘が小学校を

終えたらすぐに奉公に出るというのは、当時は別に珍しい事ではなかった、だが、

両親にとってはとても心配だったに違いない、でも止めさせられない、

せめてできること、汽車に乗る前に蜜柑を買い与えた、「汽車の中でお食べ」、

娘はその蜜柑を手にして汽車に乗る、幼い弟や妹たちは、ずっと子守してくれた

姉と別れたくなくて、でも改札口までは連れて行ってもらえない、で、家から

一番近い踏切まで行こうと、汽車に向かってありったけの声で

「ねえちゃ~ん」と繰り返し叫んだ、大声で泣きながら、娘はたった12才の少女、

でも弟や妹の「姉」でもあった、親が買ってくれた蜜柑、それを自分よりも、

幼い弟妹に食べさせてやろうと投げてやった、親の愛情のこもった蜜柑に、

姉としての愛情を添えて。

一方、勤め先から帰宅しようと乗車していた「私」、近代的自我とやらの

取扱いに悩むインテリが、最初は疎ましく思った娘の行動に、親子・姉弟妹の

持って生まれた自然の情愛の熱い発露を目にし、そこに、無学な連中としか

思っていなかった庶民の中の素朴な美しさを見て、衝撃を伴う思わぬ清涼感と

一抹の敗北感を感じた・・・

『鼻』

禅智内供は、弟子が教わってきた方法で鼻を短くする事ができた。

ところが、そんな時分に対する周囲の人間の反応が変であるのに気づいた。

「内供ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。

しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。」

おかしなものを見る表情でじろじろ鼻を眺めたり、自分が他所を向くと笑い

出したり。

どうも、鼻が長かった時よりも陰険な笑い方をされている・・・

「――前にはあのようにつけつけとは哂わなんだて。」

顔がわりしたせいでないのなら、他の何が原因で “あのようにつけつけと”

笑うのか?

それが「この問い」、ということ。

『河童』は、昭和初期の社会風刺小説。

これは、ある精神病院の患者、第23号が語る話である。

という文言から小説は始まります。

男が、登山をしている途中に穴に落ちて、河童の世界へ足を踏み入れてしまう。

そこは、私たち人間が真面目に思うことをおかしがり、取るに足らない事を真面目

に考える、いわば人間社会と真逆の世界だった。

例えば、女が必死になって男を追いかける姿、また、出産をする際には赤子に

生まれて来たいか聞き、生まれたくないと答えると薬を投与し腹をしぼませて

しまう。

という具合。

人間の世界では男が女を追いかけ、赤ちゃんを生むか産まないかは

親が決めている。

このような価値観の中、政治や宗教、資本主義などの事が人間社会と比較して

書かれている。

河童の世界を使い、芥川は近代社会を巧妙に風刺して行く。

男は、偏った価値観の河童の世界に耐えられなくなり、人間社会へ戻って来る。

しかし、人間社会に戻った男は、河童と人間を比べ、河童の世界の方が

良かったと嘆く。

河童の世界へ戻ろうとしている所、警官に捕まり、

精神病院へ入れられてしまったのである。

男は全てを話し終わった後に、こう言う。

「出て行け!この悪党めが!貴様も馬鹿な、嫉妬深い、

猥褻な、図々しい、自惚れきった、残酷な、虫の良い動物なんだろう。

出て行け!この悪党めが!」

『河童』は、この、「虫の良い動物」である私たち人間の本質を

深く考えさせられる作品でもある。






←ここを押して下さい!!

よろしくお願い申し上げます!!



h_t_tomoto at 06:34 
プロフィール

T-SIRLOIN

Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
⇐ここを押して下さい!!
  • ライブドアブログ