2018年09月01日

  雀はぴょんぴょんと跳ねる


この日はカレーライスを作る事にした。

使ったルウは五種類であった。


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この日の材料は『業務スーパー 枚方高田店』で買って来た極々普通の国産牛

約3.0㎏と玉葱とじゃが芋であった。


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これらをいつもの大きな鍋の中にルウと一緒に入れた。

後は鍋が勝手に美味しく作ってくれるのであった。


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そんな感じのカレーライス。


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スタッフの皆と一緒に食べるカレーライス。

これがむちゃくちゃ美味しかった。

ほんまにえげつないほどに美味しいのであった。

この絶品のカレーを食べると幸せ一杯の気持ちになる。

まさに至福の喜びを感じるカレーライスなのであった。

カレーは2013年6月28日の金曜日から作り始めた。

北原白秋の落葉松の対句法が使われている。

一連

・からまつはさびしかりけり。

・たびゆくはさびしかりけり。

三連

・霧雨のかかる道なり。

・山風のかよふ道なり。

四連

・ほそぼそと通ふ道なり。

・さびさびといそぐ道なり。

 七連

・かんこ鳥鳴けるのみなる。

・からまつの濡るるのみなる。

八連

・山川に山かはの音。

・からまつにからまつのかぜ。

これらが、文の構造が同じで対比されている。

「砂丘壁に 来るる鶺鴒 晝ひさし かけ移る見れは 歩みつつあり」

 白浜海岸にある歌碑に書かれていた。

下田の白浜海岸の砂丘。

壁のように砂の崩れたところに「来ゐる鶺鴒」。

鶺鴒は鳩や鶴などと同様、足を交互に出して歩きます。

雀はぴょんぴょんと跳ねるように移動します。

ところが鶺鴒は急ぎ足でとっとっとっと歩いたり、ゆっくり歩いたりします。

「昼ひさし」は昼が長い。

長い昼間に見るとはなく見ていたら、鶺鴒の影がすうっと移動してゆく。

はっとして見直すと、鶺鴒が歩いていた。

鶺鴒が静かに移動するように歩いて行くことに初めて気づいたのでしょうね。

白秋の字は崩れながら繋がって読める物ではありません。

この石碑は奥さんが書いたのだそうで、だから普通の人に読めたのですね。

「来るる」という言葉はありません。

「来ゐる」です。

「田末わたる…」

この短歌の前の歌は「いよよ寒く時雨れ来る田の片明かり後なる雁がわたる見ゆ」

であり、眼前の田のその片明かりの中を時雨が走り来た、空には雁が渡っている。

そこから、この歌の田末へと時雨が走り抜け渉って行く、空には月が出て掛かって

いる。

この歌の下の句「初夜過ぎて出づる月のさやけさ」からして、早朝の家の内から

戸外を見つめている位置関係が思い浮かばれる。

田んぼのずっと向こうまでサーッと時雨が抜けて行く様子を爽やかな思いで

眺めている詠み手。

前歌との対比は次のように明らか。

時雨れ来る⇔時雨わたる

田の片明かり(家明かりの傍ら)⇔田末(家のずっと彼方)幽か

雁わたる⇔出ずる月(行き来/花鳥風月の取り合わせ)

いよよ寒く⇔さやけさ(心境の推移)











昨日のお昼に用意されたのは『野菜家 菜苑』と言うお店の『香取膳』と言う

お弁当であった。


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香取膳


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活け真鯛を新鮮なままにあっつあつ御飯の上に乗せていた。

そのままでも十分に美味しい真鯛をあっつあつ御飯のお供に的な感じで。

おかずも沢山てんこ盛りでめっちゃ美味しかった。

これならリピートしてもええと真剣に思った。











『トップワールド香里園店』で『鹿児島産の旨水の鰻』を買って来た。


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あっつあつの御飯の上に『鹿児島産の旨水の鰻』を乗せた。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

サイズ的にはわりと大き目な感じであった。

無茶苦茶柔らかい食感はいつもながらの満足感を与えてくれる。

この鰻の蒲焼が持つ独特の柔らかさをどの様に表現すれば良いものや。

食した者にしか経験できない美味しい食感。

まさに極限の旨さゆえの特許的な物なのであろう。

『鹿児島産の旨水の鰻』も無茶苦茶最高に美味しいのであった。











『万代寝屋川宇谷店』でマグロの切り身を買って来た。

マグロの切り身を漬けにした。


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とりあえず炊き込み御飯を作った。


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炊き込み御飯の上にマグロの漬けをトッピングした。


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そして食べた。

これがもーう!!

(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!!(゚Д゚)旨~い!! 

スーパーメチャ旨い!!

メチャクチャ旨ーい!!

であった。

極々普通のマグロを漬けにする事で味わい深くなる。

このマグロの漬けと炊き込み御飯が絡み合って最高に美味しいであった。











今週のおかず。





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ほんでもって、ある日のおうち御飯。


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茄子の出汁漬けがめっちゃ美味しかった。











そんな感じの土曜日です。

この週末も皆様にとって素晴らしいものでありますよう心からお祈り致します。

それではまた来週お会いしましょう。

お相手はあなたの『T-SIRLOIN』でした。





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よろしくお願い申し上げます!!

読み逃げは厳禁ですよ――!!











航海王子エンリケ。

〇エンリケ(航海王子)1394~1460

初期ポルトガル海外進出政策を代表する人物。

ポルトガルの王子で、ジョアン1世の3男。

セウタ(モロッコ北端の都市)攻略戦に参加して偉功を立てた。

キリスト騎士団長の他ヴィゼウ公爵としても広大な領地を有し、モロッコ進出政策

を推進する等ポルトガルの国政に影響力を及ぼす。

摂政の兄ドン・ペドロ、甥のアルフォンソ5世(アラゴン王)の元でアルガルヴェ

(ポルトガル最南端の地方)のラゴスを拠点にマディラ諸島、アソレス諸島の植民

を推進し、家臣ジル・エアネスによるボジャドール岬越えを成功させ、ポルトガル

の西アフリカ進出に大きく寄与した。

後世、海外進出の立役者として神格化され「航海王子」と称される様になった。

ただ、彼が創設したというサグレスの航海学校については疑問視されている。











航海王子エンリケ

バルトロメウ=ディアス

ヴァスコ=ダ=ガマ

それぞれの失態。

航海王子エンリケ

⇒「航海王子」というあだ名だが、自身は船酔いのため、一度も船には

乗らなかった。

バルトロメウ=ディアス

⇒自分はインドまで行きたかったが、乗組員の不満のために、インド航路開拓の

目途がたったところで引き返した。

・喜望峰はディアスによって「嵐の岬」(Cabo das Tormentas) として報告して

いたが、東方への道を開くという成果に喜んだジョアン2世が

「喜望峰」(Cabo da Boa Esperança) として名前を変えさせた。

・カブラルのブラジル「発見」航海の帰途で海難事故死した。(1500年)

ヴァスコ=ダ=ガマ

⇒かつて『笑っていいとも』でブラザー・トムがこの人のものまねをすると

言い張ったが、似ているかどうかが誰にも判断できず、却下された。











大航海時代初期、ポルトガルは「エンリケ航海王子」の元、スペインと熾烈な海外

進出競争を繰り広げた。

ポルトガルは先行していた分、若干有利で、大国スペインを相手に決して負けては

いなかった。

しかし、神聖ローマ帝国カール5世の子、スペイン王フェリペ2世は、母がポルトガ

ル王女であった事からポルトガル継承戦争を経てポルトガル王も兼任。

ここでスペインとポルトガルは同君連合国家となって「太陽の沈まぬ国」

(the empire on which the sun never sets)と呼ばれる様になった。

「太陽の沈まぬ国・スペイン」という場合、概してこの時期を指す。

(後にポルトガルは離反、その頃から衰退が始まる)

だから、ポルトガル単体では特に尊称の様なものはなく、スペイン単体でも

「太陽の〜」という尊称は厳密には当てはまらない。











マルコポーロの東方見聞録。

マルコポーロが話をした物を書いたのがルスティケロだと言われているが、

本当はゴーストライターが書いたというのが正しい。

因みに、コロンブスはこの本の中に有る黄金の国であるジパングを目指して

航海し発見したのが西インド諸島だった。

マルコ・ポーロは日本に来日している。

おそらくは北方航路(青森県十三港経由)で。

その証拠に岩手県の某寺の五百羅漢像の中に、フビライとマルコポーロを模したと

しか思えない像がある。

これはマルコポーロが来日し、その後ろ盾だったフビライと自分の像を納めたため

ともいわれている。

この時東北地方で非常に篤いもてなしを受けたことから、フビライは日本が

朝献交易に服すると思い使者を送った。

しかし鎌倉幕府はその使者を切ったため元寇がおこったのは有名な話。

このために、マルコポーロの来日伝承も闇に葬られてしまった。

有名な「黄金の国ジパング」は、誰がどう考えたって、平泉の金色堂を見ての話。

実際に見ていたのだ、彼は。





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h_t_tomoto at 06:35 
プロフィール

T-SIRLOIN

Hi. I'm "T-SIRLOIN", webmaster of "MEAT & SEA T-Chama Club". From Osaka, I'm broadcasting my weekend foodie tour, mainly with YAKINIKU. "We love Osaka. We love Buffaloes," is our motto, and we are Osaka's No.1 GENKI Club. Hope you like it.
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